過去ログ - 提督「この世界にいらないもの?」
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11:名無しNIPPER[saga]
2015/07/27(月) 15:39:23.26 ID:NYc+OQMZ0
結局そこに行き着くのだった。どこぞの書物では感情に関する判断、趣味判断は客観性を要請する主観的判断と定義づけられているが、わかったようでわからないものだ。共感を求める個人的判断というのは一種の奇跡ではないのかと思う。

これこれを好ましいと思う。個人的判断だ。他者がそれを否定しても問題はない。他者がそれに賛同するのはある種の偶然であろう。その偶然を要請しなければならない個人的判断とは厄介。もちろんそれは相手を無理強いに頷かせる傲慢さとは別物だから、残された道は他者と一致する判断センスを身につけるということになるだろう。

でも、どこかおかしく感じる。正解のある個人的判断というのは既に個人的判断ではなく、数学と同様客観的判断になっているように思うからだ。

愛に関してはみんな「適当」に理解できる。だから、それは恋愛じゃないうんぬんと楽しく嘴を容れることができ、場合によっては相手を説得さえ出来たりする。助言が可能ということは何か正しい像を共有しているということだ。

母親が子供に「好き嫌いはダメよ」とは助言をするが、それは栄養バランスの良い像を持っているからであって、例えば「ピーマンを美味しく感じるようになりなさい」なんて助言は全く不可能であろう。

では、愛は一体。その感情をまさしく愛と判断しうる根拠はどこから得てきたのだろうか。小説など外部媒体で愛の感情を判断してみて、それを個人的な判断として還元する。愛というのはぐるぐると主観と客観の間で回り続けているものだと時雨はフォークでパスタを巻き取りながらふと思った。


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