12: ◆Freege5emM[saga]
2015/09/07(月) 03:14:19.72 ID:DhP+ihnQo
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それから、私は洋館の少女とお友達になりました。
夫人――少女の母親――によると、彼女は病気を得てこの洋館で療養している最中とのことでした。
それで無為をかこっていたところ、窓から客人――ニンバスが、
たまたま開いていた窓から彼女の枕元へやってきて、横たわる彼女の上をふわりと一回りしたそうです。
外を出歩くことも叶わない彼女にとって、ニンバスの悪戯はいたく粋に映ったようで、
彼女はそれに報いるべく、枕辺の菖蒲をニンバスの脚に褒美として与えたそうです。
私が返信として贈ったからたちの花弁も、
彼女はいたくお気に召されていて、私達はその時から友達になりました。
惜しむべきことに、彼女は体が弱っていて、
私は彼女とともに六甲の森を楽しむことhsできませんでした。
その代わり、私は彼女の前でせがまれるがままに歌声を聞かせました。
歌に囲まれて育った私にとって、彼女とつながるために歌うのは、
ニンバスが洋館と私の邸宅を往復するのと同じくらい自然なことでした。
私は、朝に垣根よりからたちの花を一枚拝借すると、彼女の家を訪れて、
空が暮れなずむ夕方になる頃に洋館を辞すのが常でした。
彼女は私のからたちに対する返礼のように、
私が帰ろうとすると、枕辺の菖蒲から花弁をひとひら渡してくれました。
私はそれを見ていて、
「これを毎日続けていたら、今にその菖蒲から花弁が無くなってしまう」
と彼女を押し留めたのですが、彼女はただ――
この菖蒲たちの花弁がすべて無くなるまででいいから、どうかあなたの歌が聞きたい――
と言って、私の手のひらに花弁を握らせるのでした。
私は彼女の願いを聞いて、上手く返事することができませんでした。
私が神戸から北海道へ帰る日が、もう近くまで来ていたのです。
北海道へ帰る前日、私は白いからたちの花を持てるだけ持って、彼女の洋館へ行きました。
彼女の枕辺の菖蒲には、花弁が二枚だけ残っていました。
私は、明日の朝早く北海道へ帰る旨を告げました。
約束を果たせるのは、早くても来年の春――10歳か11歳の子にとっては、果てしなく遠い未来です。
私は友達の望みに応えられない不甲斐なさで涙ぐみました。
彼女はベッドに横たわったまま私の手を握って、
『からたちの花』を聞かせて欲しい、とせがみました。
私は彼女の枕辺に、からたちの花を並べると、涙混じりのひどい声で『からたちの花』を歌いました。
そして私は、たった二枚の菖蒲の花弁のうち、一枚を自分の手のひらに握って、
――私は……また、来年、あなたへ会いに行くから。
――からたちの花を持って来るから、あなたも、たくさんの菖蒲を用意していて。
そう彼女に言いました……言ったつもりでした。
しゃくり上げながらだったので、彼女にきちんと伝わったか……自信がありません。
ただ彼女は、私の手を菖蒲の花弁ごと握り返して、
ベッドに体を埋もれさせたまま、私に笑いかけてくれました。
祖父母から彼女の訃報を聞いたのは、
その年の秋――からたちの実が黄昏色に染まる頃でした。
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