39:名無しNIPPER[sage]
2015/11/06(金) 17:58:12.25 ID:qsuvtZySo
【傾聴すべき指摘と無視すべき或いは考慮に留めるべき指摘】
作品に対する指摘には傾聴すべきものと無視すべき乃至考慮に留めるべきものがある。
傾聴すべきは客観的問題に関する指摘である。文章作法上の逸脱や言葉の誤用、誤字脱字衍字、引用文の誤記、
事実の誤認、計算の誤り、技術的未熟や表現的未熟など、正誤や良し悪しの判定ができる事柄への指摘は、その逸脱や
誤謬に何らかの必要性があるのでない限り受け容れるべきである。これは個人の価値観の入り込む余地の薄い前提的
約束事や一般知識に関わる問題である。
しかし、創作の前提として従うべきこうした約束事はさほど多くない。原則や作法上の事柄は本当にごく基本的な点のみに
絞られるし、一般知識の問題も本当に正誤の判定を下しうるものは少ない。また、作者が承知の上で何らかの必要や目的から
逸脱している場合、それを否定すべきかは疑問である。つまり、人が他者に偉そうに指摘できる事柄などはごく限られる。
大抵のことは作者と読者双方の個人的自由に属する問題なのである。
したがって当然の論理的帰結として、無視すべき或いは考慮に留めるべき指摘とは、上述の原則的問題以外の事柄、即ち
作者と読者双方の自由に属する問題に対する指摘となる。例を挙げれば、話の長短、会話の多寡、漢字表記の選択、物語の
複雑性、物語の展開、テーマ設定といったものが考えられる。
この領域にこそ作者の個性や作風が表現されるのである。ゆえにそこに対する他者の指摘は単なる好みの表明、即ち
単なる感想に過ぎない。どれだけ論を尽くして普遍的真理であるかのように装ったとしても、それは所詮、個人的嗜好である。
そのような他者の好みに従う必要などどこにもない。もし考慮の余地があるとすれば、その指摘内容が作者自身の苦悩に
的中するものである場合と、あまりにも多数の他者から同様の指摘が寄せられた場合である。こういった場合は本当に
何らかの改善すべき問題が存在する可能性がある。とはいえ、後者の場合は、たとえば李白の詩を幼稚園児たちの前で
朗読して大半の園児から意味不明であると文句を言われたり、中国人に対して李白の詩を訓読して違和感を持たれたり
することも含む。このとき、前者は読者たちの程度の問題であり、後者は読者が属する文化の問題である。要約すれば、
自分たちに理解できないからだめ、自分たちの文化に合わないからだめ、となる指摘をありがたがる必要はない。
ただし、そういった程度の低い者たちや相容れない文化に属する者たちに受け容れられることを望むのであれば、自分から
歩み寄るほかない。そういう場合はあらゆる指摘が相手好みのものを書くためのサンプルである。
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