7: ◆Freege5emM[saga]
2016/01/03(日) 02:10:44.02 ID:d/9JR/ulo
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彼との会話が終わって数日後。
俺は、文香が勤めている大学の職員名簿を調べた。
文香の肩書には『准教授』とついていた。専門分野は日本の古典文学らしい。
論文のタイトルを流し見してみた。いつの時代の日本文学かさえ分からなかった。
文香は芸能界から遠く離れた世界へ進んだのだ――その事実が、俺の内心を鈍く打ち据える。
文香にとって、俺の元でアイドルをやった経験に、何か意味はあったんだろうか。
文香の名前にくっついている肩書は、何も答えてくれない。
この教員紹介の欄だけを見た人は、まさかこの教官が元・アイドルとは思わないだろう。
俺は躊躇(ためら)った末に、文香が教鞭を執る大学へ連絡を取った。
文香と直接話すことはできなかった。俺は、自分の連絡先だけ伝えておいた。
すると半日ほど経ってから、俺の端末へメッセージが届いた。
『時間の都合がつけば、ですが――』
たったこれだけの枕詞のあとに、面会可能な日時だけが淡々と列記されていた。
文香は、俺に何か話すことがあるらしい。
そしてそれを聞くには、膝を突き合わせる必要があるようだ。
年配でもテレビ電話に抵抗がなくなった今の時代に、ゆかしいことだ。
俺は自分のスケジュールを、目を皿にして眺めた。
文香は何を話すつもりなのか。
端末越しのやり取りで日時を取り決める。
面会の日、俺は無理を利かせて仕事を切り上げ、東京から長野へ向かった。
信濃路へ向かう特急は、半世紀前のあずさ2号よりだいぶ早くなっていて、
文香とのことを思い出し切る前に、俺を長野まで届けていた。
特急を降りると、すっかり日が暮れていた。これは予定通りだ。
大学の先生は、時間に融通が利かないらしく、
文香が面会の候補に上げた時間帯は、どれも夕方か夜だった。
長野駅前には、噴水に囲まれて高々と立つ女性の立像がある。
名前は『如是姫』と言って、当地の名刹・善光寺にちなんだ像と聞いている。
『如是』は、是(これ)の如(ごと)く――望みのままこのように、という意味らしい。
文香が指定した待ち合わせ場所は、その像の前。
チョイスに皮肉めいた響きを感じるのは、
俺が文香に対して後ろめたさを背負っているせいだろうか。
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