13:総統閣下 ◆JkKZp2OUVk[saga]
2016/01/24(日) 23:37:18.26 ID:+PNnKM4T0
司令部にいた西中将を始め第一方面軍の司令部付き将校は全員戦死、生き残ったのは満州国陸軍司令官の愛新覚羅溥傑上将(一般では大将)である。
彼は当初司令部に最後まで残るつもりだったが、西中将に説得されやむ得ず撤退したのだ。
第一方面軍は壊滅し生き残った第2機甲師団と第2・第3対戦車師団.歩兵師団は通化へ敗走した。
部下を見捨てた牟多口中将だが、彼のいる奉天には少数の満州国陸軍の歩兵と皇国陸軍補給部隊しかいなかった。
第二方面軍も危機にあった。第一方面軍の壊滅で補給路が脅かされていた。だがウラジオストクにいる為、第二艦隊からの支援が受けられるのが幸運だった。
だが陸路での撤退が不可能に成りつつあるので、ウラジオストクに立てこもるしかない。
10月、フィリピンルソン島マニラでは今だ戦闘が継続されている。皇国は援軍として独第三帝国陸軍、第1.第3.第5装甲師団(第1装甲軍)を派遣されることになった。
司令官はフリードリヒ・アドラー元帥である。彼は皇国陸軍士官学校外国科を首席で卒業した逸材である。若い彼は日本語も喋ることができ、多くの同期の日本人と交友をもった。
アドラー元帥は第1装甲軍の第1・第5装甲師団を戦線に投入し、残りの第3装甲師団を待機させるようにした。
理由はマニラでの戦闘が激しさが予想されたからだ。実際に第1装甲師団・第1戦車連隊は米合衆国の猛反撃にあい兵員の60%と装甲車両の半数を失ったのだ。
ウラジオストクに籠城する皇国陸軍第二方面軍は全方位(海上を除く)からソ連赤軍の猛攻を受けていた。高安大将は仕切りに海軍に援助を求めた。
だが支援中の第二艦隊もソ連太平洋艦隊の潜水艦部隊に攻撃をうけそちらの掃海に戦力を注いでいたのだ。
皇国政府は航空機による降下部隊の投入を決断し、第1降下猟兵師団を投入した。
通化の第一方面軍と満州国軍残存部隊は愛新覚羅溥傑上将と皇国通化駐屯部隊長の桜井徳太郎大佐の指揮下で再編され1個機甲師団・3個歩兵師団・皇国陸軍第十一飛行師団が防衛に当たることになる。
飛行師団には対戦車爆撃機も配備されていた為、かなり期待されていた。
その一方で奉天に逃げた牟多口中将は編成しようにもする部隊がいない為、どうしようもなかった。
数少ない指揮下の部隊には奉天を捨て通化に撤退する者も多くいた。その結果、ソ連赤軍侵攻時には僅か500名足らずの将兵しか残っていなかった。
その将兵らも戦意は低く、戦闘の混乱に乗じて逃げようとする者も沢山いた。
戦車も最新式の零式中戦車などはなく、5輌の軽戦車のみだった。その戦車の戦車兵も逃亡(通化へ)していたので稼働すらできなかった。
そして攻撃開始の3日後には奉天は陥落した。500名の内戦死したのはおよそ300名で残りは降伏しシベリアに連行された。戦後連行された者で帰還したものはいない。
この連行された捕虜の中に牟多口の姿はなかった。ここでも彼は逃げ出したのだ。
牟多口は副官と共に奉天脱出後、日本海への道を急いだ。驚いたことにウラジオストクに逃げ込んで自分が第二方面軍の司令官になろうとした。しかし途中で韓国領に侵入しており韓国兵に捕まった。
11月、通化での戦闘は継続されている。ソ連軍は4発戦略爆撃機であるPe-10も投入し攻撃していた。
一方の皇満連合軍は日本海より皇国海軍第二艦隊に所属する正規空母蒼龍改(飛龍改と共に本国で装甲空母化)より艦上戦闘機震電二一型(爆装も含む)を出撃させた。
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