346: ◆8zklXZsAwY[saga]
2016/06/14(火) 22:57:35.53 ID:bORNzi8VO
胡桃の身体が激しいひきつけをおこすまで、悠里はかいがいしく世話をしていた。吸引カップに血を吸わせ、傷口をガーゼで覆い包帯を巻いた。悪寒で身体がふるえないように汗を拭き取り、濡れたタオルを額にあてた。
極度の緊張をのみこみ、悠里はつとめて淡々と作業に没頭していた。それ以外、彼女にできることはなかった。だがそれも、胡桃の容体が急変するまでだった。
胡桃が苦しみ悶えるすがたは、通常生きている人間が示してはいけないような動きだった。胸までかけられたシーツがいきおい顔を隠したせいで、その印象はさらに強まった。症状の進行とシーツによる隠蔽が、隠喩的な意味合いをもち、悠里の極限に達した精神に打撃をあたえる結果となった。
教室の隅でふるえる彼女がそれでもこの部屋から出ていかなかったのは、友人を見捨てることの後ろめたさと、永井が治療薬を持って帰還することへの切望感からだった。それだけが、いまにも折れてしまいそうな彼女のこころを支える、か細いい枝柱だった。
そんなとき、きこえてきたのは、友人のたすけをもとめるか弱い懇願の声だった。悠里にとってその声は、死という不可知の領域を越えて得体の知れないものに変貌しつつある友人にのこされた、「人間」の部分の最後の声のように思えた。
悠里「……」
悠里はソファを見つめた。そこにはいまも苦しんでいる胡桃がいた。悠里は立ち上がり、机のなかから布に包まれた包丁を取り出し、胡桃に近づいていった。
悠里は永井に言われたことを思い出していた。全身が激しく痙攣しだしたあと、急激に体温が低下したら手遅れだ。そうなった場合の対処も、悠里は永井に言われたとおりにするつもりだった。
悠里「……永井君、ごめんなさい。でも……」
悠里は包丁から布をとった。間に合わなかったとき、と悠里は思った。間に合わなかったときでも、わたしにもできることが、ひとつだけのこされている。そうなったとき、すぐに友人の頼みに応えられるように、悠里は包丁を頭上に構えた。
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