29: ◆FlW2v5zETA[saga]
2016/07/05(火) 05:01:40.12 ID:CwxaGTk0O
薄明かりがぽつりぽつりと繋がる廊下を、コツコツと歩く靴音だけが染めて行く。
照明が照らす床には、北上の三つ編みの影がゆらゆらと揺れていた。
今は大体の艦娘が、自室で思い思いに過ごす時間だ。
故にすれ違う者もおらず、誰もその姿を目にする者はいなかった。
一人歩く彼女は、その影を見つめるように歩を進めている。
“工廠の人が増えれば、ケイちゃんも少しは楽出来るもんね…。
でも今みたいには、遊びに行けなくなるかなぁ…。”
不意に工廠で彼と語らう、日常と化した光景が、彼女の頭の中で広がる。
シャッターを降ろした工廠は、彼と彼女、それ以外は誰もいない世界だ。
余計な音も無く、日々の中からも隔離されたひと時。
そしてそこで笑う北上の顔が。
彼女の脳裏で次々と黒く塗り潰され、まだ形も知らない顔の女に書き換えられて行く。
その思考を繰り返すうちに辿り着いたドアを開け、彼女は無言のまま自室へと入る。
少し動かせば、すぐに電気のスイッチへ手は届く。
しかし彼女は、窓からの月明かりに照らされた部屋でただ呆然と立ち尽くしていた。
そしてその手がぎゅっと握られている事には。
彼女自身も、未だに気付いていない。
“…そんなのつまんないなぁ…さびしいなぁ…。
ねぇ、ケイちゃん……せっかく…せっかく…!”
『ぎりぃ…ぶちっ……』
不意に汗とは違う滑りを手のひらに覚え、彼女はそっと、それを部屋の虚空へかざしてみた。
薄明かりに照らされるのは、ぽたりぽたりと伝う、彼女の赤い命。
不思議と痛みはない。
手のひらに幾つか出来た傷をそっと確かめ、そして。
「あーあ、しょっぱいねえ…。」
舐めあげたそれと、目元から口に入り込むそれは。
真逆の色をしながらも、似たような味を彼女の舌に与えていた。
そうして自らの命の味を確かめると。
彼女はひとり。
薄闇の中で、嗤った。
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