78: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/08/04(木) 02:43:17.74 ID:pTgjkfxw0
速水さんとレッスン室をあとにする。彼女は歩きながら掌を眺めていた。手応えを確認しているのだろう。
「今日はもう終わりだな。送ろうか?」
「ううん、大丈夫よ」
「そっか。じゃあ、俺はまだ仕事あるからそろそろ行くよ」
エレベーターのボタンを押そうとすると、速水さんに袖を少しだけ掴まれた。視線を向けると彼女は俯いていて表情は窺えない。
「どうした?」
「プロデューサーさん、ありがとう。本当はあなたもわからなかったのに、私のために色々考えてくれてありがとう。悩んで苦しんでくれてありがとう」
「……感謝されることなんてないよ。これが俺の仕事だ。それに、俺は……」
速水さんは頭を小さく横に振った。言葉の続きを察しとられたのかもしれない。
「プロデューサーさん言ったよね。なにが活きてくるかわからないって。物事に複数の側面があるって。プロデューサーさんがなにもしてないと思っても、そんなことはないの」
「…………」
「ずっと苦しかった。もがいてあがいて、それでも結果の出ない日々が辛かった。でも、プロデューサーさんと出会ってから些細な会話やたわいのない冗談は、気を軽くしてくれたの。私のために色々と動き回ってくれているのが嬉しかったの。だから、ありがとう。あなたのプロデュースは間違えてないよ」
速水さんの声は上ずり、肩は揺れていた。胸のうちにある小さな棘が疼いた。
「感謝をするのは俺だよ。ありがとう」
これ以上うまく言える気がしなくて、俺は黙った。それからしばらくして速水さんとは別れた。
自分でもよくわからない感情が溢れる。ひとり、トイレで泣いた。嬉しさや安堵、罪悪感のない交ぜになった涙だった。
◇
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