188:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 20:04:36.11 ID:QZhRysAKo
この時代前後の仏教史はとあるスレがダイジェストながらかなり詳細に解説してる、仏教だけでなく道教も並行して
(体系化された上で入ってきた仏教に触発されて神仙思想も体系化されて道教となっていく、という過程な関係から)
メインはやっぱりこの時代の後なんだけどね
189:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 20:37:34.41 ID:uVlaoETFo
マニ教の場合は中国で布教する際にはブッダと類似性を強調したり
その西晋時代の「老子化胡経(ブッダは老子の末裔としている)」に
唐時代に加筆して老子の予言として
「450年後、私(老子)はバビロニア(蘇隣国)の宮廷に降下して、太子として誕生するだろう。
家族を残して道に入り、出家して末摩尼(マール・マーニー)と称するだろう。
190:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 22:06:28.17 ID:6U08q2Av0
>>186
>呉の遺臣への嫌味
孫盛は西晋臣下の家出身だけど、呉の遺臣たちが結構な勢族になっている東晋で「呉への嫌味」はあまり言えないのでは?
むしろ東晋や南朝では「西晋や、孫皓治世下の呉は反面教師。やっちゃいけない治世」という思いが強かったらしいので、それに沿った意見なのかも
191:名無しNIPPER[sage]
2017/05/11(木) 12:56:36.94 ID:IIMBwVP40
いままで司馬炎の寛大さは「大豪族たちに逆らえない気の弱さ」ぐらいにしか思っていなかったんだけど、
政争でも頑として死罪にはしなかったり、大豪族王渾の弾劾を退けて王濬をかばうところといい
司馬炎は単なる気の弱さじゃなくて、「君主は寛大たるべし」という相当強固な信念をもっていたのかな?
192:名無しNIPPER[sage]
2017/05/11(木) 16:08:17.20 ID:584NmBKuo
司馬炎の寛容さは、個人的には皇帝大菩薩の放埓さと通ずると思う
193:名無しNIPPER[sage]
2017/05/12(金) 13:40:59.70 ID:7D3Z+nj4o
信念っていうより寛容さが唯一の武器って印象を受けるんだよなぁ、司馬炎
ホラ、お前ら厳罰主義は嫌でウチを担いだんだから、朕の寛容さには文句言わねぇよな?的な
194:名無しNIPPER[sage]
2017/05/14(日) 08:39:32.61 ID:6bRvz68co
寛容さも行き過ぎると、勘違いしてやり過ぎる馬鹿が身内から出てくるけどな…
195:名無しNIPPER[sage]
2017/05/14(日) 12:24:02.55 ID:4WF89fLeo
司馬攸には厳しかったですよね。
西晋は武帝に滅ぶ、としか…。
196:名無しNIPPER[sage]
2017/05/14(日) 13:45:48.67 ID:e8idJTKm0
ネタバレになるんで詳細は避けるけど、司馬攸への処遇は十分寛容だと思うんだよな>司馬炎
二宮の変や孫休と比較するととりわけ
197:名無しNIPPER
2017/05/14(日) 17:01:48.94 ID:o5d2CQuz0
魏の文帝を半面教師にしていたのだろうと考えている
天下を統一し漢高祖、光武帝に並んでからは・・・
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