11:名無しNIPPER[saga]
2016/11/13(日) 21:27:45.88 ID:SCcUv2gf0
リードを持たない手であくびを隠しながら、いつもの散歩コースを辿る。
もともとねーちゃんが飼う飼う言って飼った犬なのに、いつのまにか朝の散歩はもっぱらオレの当番になっていた。
まあ早起きは辛いが、オレ自身犬は嫌いじゃない。
「おっ、少年! おはよーっ、ほらわんこも! 『おっはよー』」
――ちょっとした楽しみもできていたから。
オレより年上だとは思った。
でも表情や仕草、飼い犬に対する様子は正直幼くて、高校生のオレと同じくらいじゃないかと感じることもあった。
親しみやすい雰囲気で、何より美人で――オレは、毎朝文句も言わずに早起きするようになった。散歩の時の格好に気を遣うようになった。
そうやって緊張半分期待半分で朝を向かえ、だいたいいつも同じ地点で、すれ違う。すれ違って、挨拶するだけ。
あの人は立ち止まらず、オレが来た道を颯爽と歩き去ってゆく。
その後姿を、オレは立ち止まって見つめている。しばらくして、うちの犬が足元で鼻を鳴らして、我に返る。毎度のことだった。
あの人は、オレ以外の人にも同じことをしているのだろう。当然だ。だって、ただの挨拶だ。
オレだって、犬の散歩中にすれ違うほかの飼い主には、会釈くらいする。それと同じだ。
それと同じなのに、モヤモヤが胸に残るのは、オレのわがままだと、わかっている。
分かっているからこそ、オレはその人を呼び止めることができなかった。
それとは裏腹に、近づきたいと――知りたい、知ってもらいたいという思いは、日に日に強くなって行った。
しばらくして、オレは彼女が、水木さんがアイドルになったことを知った。やっぱり年上ってことも。
いつもの時間に公園に現れなくなったのはその頃だった。
むやみに散歩の時間を引き延ばして、遅刻ぎりぎりになったりして、そのうち、あきらめた。
その後、本当に久しぶりに、水木さんと出くわしたことがある。早朝のサングラスはなんだか不自然で、目を引いた。そして、わんこと呼ばれていたあの犬を連れていて確信した。
油断しまくりでうろたえていたオレの前で、彼女は立ち止まった。そして少しばつが悪そうに挨拶してくれた。
目にクマが出来てサングラス取れなくてごめんねといっていたけど、有名人だし、こっそり散歩したいってのもあるんだろう。
そんな彼女がオレのことを覚えていてくれたみたいで、それだけでオレは天にも昇る気持ちだった。
熱にうかされたようにして、オレはとうとう水木さんに言った。
「いつも見てます。アイドル、がんばってください」
水木さんはありがとうと言って、微笑んでくれた。サングラス越しでも、その表情の柔らかさが分かった。
そして、じゃあねと言って、再び歩き出した。
――りんりん、りんりん、
遠ざかってゆく後ろ姿、そのうなじに黒い首飾りがあるのが、辛うじて分かった。
そのきれいな背中をいつまでもオレは見ていた。うちの犬がオレの周りをうろうろしても、ずっとそうしていた。
63Res/73.31 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
書[5]
板[3] 1-[1] l20