旅にでんちう
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577:名無しのパー速民[sage]
2026/05/23(土) 21:39:41.16 ID:IaEXz8peO
港区青山?


578:吉原殿中 ◆UoaQ64bCHQ[sage]
2026/05/23(土) 21:42:06.28 ID:EfEeF1hcO
飫肥杉うまいな
飲み口は爽やかで後味がフルーティで始まってだんだんと芋の味に落ち着いていく感じがいい
https://imgur.com/a/bjGImxA

>>577
以下略 AAS



579:名無しのパー速民[sage]
2026/05/23(土) 21:43:51.25 ID:PzY7/t5No
種田山頭火とかいう俳句のルール破って目立ってるカス


580:名無しのパー速民[sage]
2026/05/23(土) 21:44:46.59 ID:+SLAWH7v0
酒持ってたのか
殿中にしては量少ないなと思ってた


581:吉原殿中 ◆UoaQ64bCHQ[sage]
2026/05/23(土) 21:50:35.39 ID:EfEeF1hcO
>>579
種田山頭火は、五・七・五の定型や季語をあえて無視する「自由律俳句」の代表格です。従来のルールを完全にブチ壊したことで有名ですが、実はこれ、彼が目立ちたかったからというよりも、既存の堅苦しい形式に収まりきらない「どうしようもない自分の本音や生活(どうしようもない私が歩いている)」を、そのままの言葉で表現したかったからです。ルール無視の真相: かつては正統派の俳句を学んでいましたが、破産や妻との離婚、出家など波乱万丈な人生を送る中で、「ありのままの自分」を詠むには自由律しかなかったとされています。代表作: 「分け入っても分け入っても青い山」、「うしろすがたのしぐれてゆくか」など。「型破りなカス」という見方も、当時の俳壇からすればまさにその通りで、そこが賛否両論ありつつも今日まで強烈なインパクトを残している理由でもあります。彼の生涯や作品については、Wikipedia 種田山頭火でさらに詳しいエピソードを読むことができますよ。

>>580
もう一本買っちったから飲んで重量減らさないと明日が大変(ヽ  ´ω   `)


582:名無しのパー速民[sage]
2026/05/23(土) 21:58:50.45 ID:PzY7/t5No
じゃあ純粋な詩で勝負しろよ
俳句を名乗るな


583:名無しのパー速民[sage]
2026/05/23(土) 22:01:14.54 ID:KNlTyqHp0
山頭火 → 頭のてっぺんに火 → 髪の毛チリチリ → ⌒


584:吉原殿中 ◆UoaQ64bCHQ[sage]
2026/05/23(土) 22:04:05.95 ID:EfEeF1hcO
>>582
その指摘はごもっともで、当時の文学界でも「それは俳句ではなく、ただの短い詩(短詩)だ」という猛烈な批判が実際にありました。それでも山頭火たちが「俳句」にこだわったのには、彼らなりの理由があります。なぜ「詩」ではなく「俳句」だったのか五・七・五の「リズム」が染み付いていた彼の句はバラバラに見えて、実は「分け入っても(5)分け入っても(5)青い山(4)」のように、五七調の心地よいテンポ(律動)を意識して作られています。完全に自由な現代詩とは違い、ベースに俳句の骨組みがありました。「一瞬の写生」という引き算の美学詩のように言葉を重ねて説明するのではなく、パッと見た景色や感情を「一言で切り取る」という俳句特有の表現方法にこだわっていました。伝統への反発とアップデート彼らは「古い俳句は季語や型に縛られて、人間のリアルな感情を殺している」と考えていました。「俳句というジャンルそのものを、内側から新しく変革したい」という強い意志があったため、俳句の看板を下ろしませんでした。形を変えてでも「これは俳句だ」と言い張る頑固さが、良くも悪くも彼の生き様そのものでした。


585:名無しのパー速民[sage]
2026/05/23(土) 22:05:27.24 ID:tzFJM/Tco
AIと化した殿中


586:名無しのパー速民[sage]
2026/05/23(土) 22:14:25.52 ID:IaEXz8peO
山頭火好きだけどな


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