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風俗嬢と僕

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77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/09(土) 01:29:46.88 ID:RoRRzmAtO
ヒロさんはゴールを決めるとそのままに僕に駆け寄ってくる。

「やったな! カズ!」

頭をめちゃくちゃに撫でられながら、僕もヒロさんの背中を叩く。

「ナイパス、ナイッシューっす!」

二人で歓喜を爆発させていると、遅れてきたチームメイトも混ざってきて小さな輪ができた。

みんな、「やったな!」「よく走った!」と僕を叩きながら言ってくれる。

その輪が一段落したところで、主審が僕たちに早くプレーを再会するよう笛を鳴らして促した。

「君、交代だから」

主審にそう言われたので確認すると、交代選手が立っていた。そっか、交代か。

得点が決まるまではいられたとはいえ、最後までプレーしたかったな。

そんな残念さもあるけど、慣れないポジションでのプレーに疲れていたのも事実で、交代選手とハイタッチをしながら僕は白線の外に出ていった。ピッチに一礼も忘れずに。

ベンチにいたチームメイトからも声をかけられて、ミユからも「大活躍じゃん」と言われた。

自分のゴールって結果を出せなかった後悔、最後までプレーできない悔しさなんかはあるけれど、とりあえず今はチームの応援だ。
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/09(土) 01:42:37.33 ID:RoRRzmAtO
失点した相手チームはその後、攻勢に出てきた。危ないシーンも何度かあったけど、逆に前がかりになってきた分守備が甘くなっていた。

僕の代わりに入ったフォワードの選手がキーパーとの一対一を制して二点目を決め、そのまま試合終了を告げるホイッスルが響いた。

どうにか勝利はできたけど、課題の多い試合だったよな。

ベンチを空けて、スパイクからトレーニングシューズに履き替えると、僕はヒロさんと一緒に競技場の外でクールダウンのジョギングを始めた。

「ナイッシューです」

一点目のシーンを振り返ってそう話しかけると、ヒロさんは僕の背中をバシッと叩いた。何か今日、叩かれすぎじゃない?

「何言ってるんだよ、あんなのお前がパスに追いついた時点でお前のゴールだよ。よく追いついたよ」

そんな風に誉められると、何だかむず痒い。嬉しいような、止めてほしいような。

「お前に届けるとかいいながら、お前が届かせてくれたしな」

キョトンとした顔でヒロさんを見返すと、「後半開始前に言っただろ、お前にパスを届けるって」と、恥ずかしそうに言った。

「いやいや、あの厳しいパスだから相手も追いかけなかったわけですし……」

「でももっと楽に、ていうかお前に決めさせられるようなパスを出したかったんだよなー、くそっ」

「そんな良いパスもらっても、僕が決められるかは……本職じゃないですし?」

「何だよー、待ってますって言えよー! またお前が前でプレーするなら、その時待ってろよ」

そう言うと、ヒロさんは照れ隠しか少し走るペースを上げた。それが何だかおかしくて、少しニヤけながら僕もついていく。

「ヒロくん!」

後ろから、どこか聞き覚えのある声でヒロさんを呼ぶ声がした。

「あっ、サキちゃん」

サキちゃん……?

まさかと思って振り返った先には、はっきりと覚えてる顔。

二ヶ月ほど前、僕に対して「今は誰とも付き合う気はない」と話した元彼女が、そこには立っていた。
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/09(土) 01:45:33.85 ID:RoRRzmAtO
遅くなりましたが、面白そう、良いね等のコメントをありがとうございます。
安価つけてレスをするとコメントクレクレになりそうで言いづらかったのですが、本当に嬉しいです。

SSで地の文は敬遠されがちだと思いますが、読んでくださる方がいることをモチベーションに更新しております。

ありがとうございます。
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/09(土) 02:46:45.51 ID:PJwKwXgXo
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/09(土) 15:55:48.29 ID:qDw1F1EkO
いいところで止めるねぇ
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/10(日) 14:15:43.89 ID:YYxq2gZJO
「あっ……」

驚きと共に漏れた呟きに、ヒロさんが「どうした?」と問いかけてくる。

「……初めまして」

少しためて、彼女から聞こえてきた言葉はそれだった。

初めまして、か。

「どーも、初めまして」

その言葉を返すのが精一杯で、「ヒロさん、お邪魔そうだから先に失礼しますね」と薄ら笑いを残して、返事も待たずに僕は走り出した。

後ろから呼び止めるヒロさんの声が聞こえたけど、それも無視して僕は逃げる。

ヒロさんたちが見えなくなるくらい走って止まると、そこはスタンドに繋がる階段だった。僕たちの試合が今日の最終試合だったからか、歩く人は誰もいない。

階段を数段上って、僕は膝を抱えて座り込んだ。

なんだよ、くそっ。

言葉にならない感情は、子供じみた文句に変換される。

そりゃ、ヒロさんはいい人だよ。僕だって憧れて、ああいう風になりたいなって思う。

でも、サキは「誰とも」と言った。誰とも付き合いたくない。その言葉は、僕に向かった言葉であっても僕に対してだけではないと思っていた。

違うのかよ、僕が嫌になっただけじゃないか。

それならそうと言ってくれたら、ヒロさんの恋路を素直に応援できたのかもしれない。でも、現実は違う。

モヤモヤではなくて、ドロドロした汚い感情が僕に浮かんでくる。ハッキリ言うなら、憎悪が近いかもしれない。

あんな女が幸せになるなんて許せない。そして、あんな女に惹かれるヒロさんもヒロさんだよ。

そんな、自分のことを棚にあげたガキくさい心。
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/10(日) 15:58:43.28 ID:fuLRL7zYO
その汚い心を認めたくない自分と、どうしても恨んでしまう自分。

二つの感情のぶつかりは目から雫を、口からは息を押し出した。

まだ好きとか、うまくいきそうなのがショックとか、そんなのじゃない。

ヒロさんには幸せになってほしいし、文句をつけたい訳じゃない。フラれたことだって仕方ないしと思うし、新しい恋を見つけるのだってサキの自由だ。

でもこんなのって、こんなのってあるかよ。

膝を抱えて頭を埋め、僕は嗚咽をし続ける。
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/10(日) 16:48:56.65 ID:fuLRL7zYO
ハイブランドのシルバーのアクセサリーをプレゼントにアキラのお店へ行くと、彼は上機嫌で対応してくれた。

本当に分かりやすい。男ってバカだね、それで貢ぐ私はもっとバカなんだけど。

「今日、行く?」

「どこに?」なんて聞くことはない。プレゼントを渡した日は、彼はホテルで私を抱く。ほとんどお決まりなことなんだけど、形だけの確認はされるんだよね。

黙って頷いた私の頭を撫でながら、彼は嬉しそうにアクセサリーの入った紙袋を眺めている。

私よりアクセサリーが好きなんだよね、知ってる。

私じゃなくて貢いでくれる女が好きなんだよね、分かってる。

このままじゃ幸せになれないことも、自分が間違ってることも。

やめたいのにやめられないの。辛いよ。

それでも私は今日も彼に抱かれる。ベッドの上で彼を感じて、一瞬の充足感に身を委ねる。
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/10(日) 17:32:54.29 ID:fuLRL7zYO
ホテルから出ると、彼はプレゼントの礼を言ってタクシーに乗り込んだ。

自分のものでもないネックレスひとつにバカみたいなお金を出して、偽物の幸せを買う私をいつまで続けるんだろう。

「幸せになりたいなぁ」

つい呟いたのは、心の声。

さっきまで満足してたからなのかな、急に寂しい気持ちになった。その満足すら本当に満足できてるのかは分からないけど。

家に帰っても一人で辛くなるだけだし、どうしよう。

特に目的もないけど、家に帰りたくないから散歩。たまに捕まる水商売のキャッチをあしらって、町の外に向かっていく。

30分くらい歩いたところで、スポーツ公園が見えてきた。そういえば、カズヤたちはここで試合をするって言ってたかな。

公園って名前だから、小さな学校のグラウンドみたいなところを想像してたけど、スタンドがあったり陸上のトラックに囲まれてたり、何だか思ったより本格的だ。

こんなところでサッカーをするのって、どんな気持ちなんだろう。見に来る人たちは、どんな人なんだろう。

街灯の光でしか見えない芝のグラウンドは、何だか神秘的な雰囲気すらある。明るい時だと、どう見えるんだろう。

あまりに縁遠い世界で想像もつかないけど、少し興味が出てきた。

私はその日を待ちながら、お仕事に励んだ。
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/11(月) 06:58:13.44 ID:KtpNbnkYO
天気は快晴。昨日の雨が嘘みたいにカラッと晴れた空の下、私はスポーツ公園へ向かっている。

14時からって話だったから、ちょうどそれくらいに到着するようにお昼を食べて家を出たんだけど、この時間は日差しがキツくて日焼けしそう。

敷地に入ると夜とは全然違う空気を感じた。何て言うんだろう、変な例えかもしれないけどお祭りみたい。

競技場に近づくにつれ、その熱みたいなものはどんどん強く感じられるようになって。

スタンドに繋がる階段を登ろうとしたとき、中から強い笛の音が鳴り響いた。試合が始まったのかな。

少し小走りに階段を登ると、壮大な景色が広がった。
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/11(月) 11:36:35.46 ID:/YULDTEAO
期待
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/11(月) 19:55:14.81 ID:2YkhHGh7O
実際にスタンドから見てみると、サッカーのコートってすごく広い。綺麗な緑色が太陽に照らされて、普段は暗いところで働く私には何だか眩しすぎる。

「すご……」

思わず呟いてしまうほど、私はそこに吸い込まれていた。

しばらくボーッと眺めていたけど、立ったままでいるのも何だか変な気がして、少し陰になってるベンチに座ることにした。ちょっとお尻が痛いし、贅沢かもしれないけど背もたれがほしいな。

文句も程々に、試合に意識を戻した。遠目だからどれが誰かはパッと見分からないけど、みんな一生懸命なのはすぐに分かる。声を出して、走り回って、たまにはこけちゃったり。

何が楽しくて、彼らはあんなに汗をかいているんだろう。

10分ほど見たところで、やっとカズヤが分かった。スタンドに近い方で、たぶん攻撃よりは守備をする人なのかな? それにしては、ずいぶん相手陣地に近い気もするけど。

素人も素人な私は、ゴールが入る以外にどんなことがあるのかはあまり分かっていない。ボールが外に出たら手で投げて、反則があったらフリーキック。オフサイドは、名前だけ聞いたことがある。

そんな私でもカズヤのチームが何となく良い感じなのは分かる。ボールをいつも持ってるし、相手チームはシュートを打つことすらまだできていない。

それでもまだカズヤたちもゴールを決められていないのは、何だか不思議。やっぱり気持ちとしてはカズヤを応援してるからかな、惜しいシーンが続くと私もイライラしてしまう。
89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/11(月) 20:44:21.42 ID:2YkhHGh7O
イライラは続くんだけど、何となく気づいたのはカズヤと10番の選手が上手いってことだ。

かなり押してる中でも、その二人は相手チームに全くボールを奪われない。余裕って感じ。

10番の選手からパスをもらったカズヤは、そのボールを止めるとすぐに返した。

あんなすぐに返しちゃうパスに、何か意味はあるんだろうか。

カズヤはパスを返してすぐに走り出したけど、彼にパスは出ずに逆側の選手にボールが向かった。

パスももらえないのに、何であんなに走るだろう。カズヤのあの走りは、骨折り損のくたびれ儲けのように私には見えた。

そんな私の気持ちを知るはずもなく、彼はまだ走る、走る。つい目を惹かれてしまう真剣さと純粋さで、彼は走る。
90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/11(月) 22:24:59.78 ID:2YkhHGh7O
笛が二回鳴って、選手たちは一度グラウンドから出ていった。サッカーが前半と後半に分かれているっていうのは何となく知ってるから、これがその間の時間なのかな。

何が何か分からなかったり、考え込んでしまったり、カズヤの姿に惹き付けられたり。

サッカー自体がよく分かってない私にも、前半はあっという間に終わってしまった。手汗をかいてるのには、自分で驚いてしまった。

スタンドの階段を降りたところに、自販機があった気がする。何か飲みたいな。

日陰から出ると、蒸し暑さが一層強くなる。こんな天気のなか、あんなに走れる源は何なんだろう。本当に同じ人間なのかな。

階段を降りて自販機に向かうと、女の子がじっと私を見てきた。誰だろう、知り合いではないけど、何だか品定めするような目付きだ。

違和感を感じながら会釈をすると、彼女も一応礼を返して去っていった。謎だけど、気にしても仕方がない。

あっ、もしかして私が美人過ぎて見ちゃったとか?

心でボケても誰もつっこんでくれるはずもなく、私は炭酸ジュースを片手にスタンドへ戻った。
91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/12(火) 00:06:02.04 ID:oKgodsWeO
前半はあっという間に終わったのに、後半が始まるまでの時間はやたらと長く感じた。

冷たかった缶ジュースがぬるくなった頃、選手が出てきた。カズヤは10番の選手と何かを相談しているみたい。

その相談も終えて、選手が広がったときに気がついた。カズヤ、ポジションが変わってる? 今までは守りのポジションにいたはずなのに、今度は10番の選手より前にいる。

後半開始の笛がなると、カズヤは全力でボールを追いかけ始めた。一生懸命に、ガムシャラに。それはグラウンドから離れたスタンドで見ても、はっきりと感じ取れた。

前半より早いペースでダッシュを繰り返して、遠いところにパスされてもまだ追いかける。

走っているのはカズヤのはずなのに、なぜか私が息苦しくなってくる。鼓動が早くなる。
92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/12(火) 02:52:14.77 ID:UyGFAwWT0
風俗で自分語りとかあるある過ぎwww
続きをお願いします。
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 16:21:07.73 ID:AI8oOv0mO
そんなところまで追いかけても、どうせパスされるじゃない。何で追いかけるの?

それが素人の私だから持つ感想なのか、他の人もそう思ってるのか分からない。でも、明らかに無駄に見える走りを彼は止めない、諦めない。

まだ後半が始まったばかりなのに、焦っているのかな。前半とは何か違って見える。

そんな彼の姿を眺めていると、カズヤのチームの10番がボールを持った。カズヤは走りはじめて、大きな声でボールを呼び込む。

でも、出てきたパスは厳しいもので。外に向かって流れていくボールを追うペースを、相手選手も緩めてるのに、カズヤは全力で追いかけている。

何で。何で走るの。ボール出ちゃうよ。またその後に頑張れば良いじゃない。無駄だよ。

そんなことを思っているのに、口から漏れてきた呟きは真逆のもの。

「……がんばれ」
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 16:55:56.67 ID:AI8oOv0mO
ボールはそのまま白線に向かっていく。勢いは落ちているけど、それでも着実に。

ああ、もう出ちゃう。やっぱり、無駄なんだよ。

そう思った私に、新しい絵が目に入った。パスを出した10番が、相手ゴールの方に向かって全力で走り出したんだ。

相手チームの選手も申し訳程度に走っているんだけど、二人ほど全力ではなくて。たぶんボールが出ると思ってるのかな。

みんなが無理だと思ってるところで走る二人は何だか滑稽。滑稽なのに、笑えない。

追いかけるカズヤとボールの距離は少しずつ、少しずつ縮まっている。まさか。追い付くの?

いよいよボールがラインを越えようという時に、カズヤはボールに滑り込んだ。縮まっていた距離はゼロになって、ボールはグラウンドの中に止まる。

スタンドにいる、多くはない観客から今日一番の歓声が上がった。間に合ったの? ボールが出る前に、カズヤは追い付いたの?

ろくにルールも知らない私はキョトンとするだけなんだけど、グラウンドの彼はもう立ち上がってドリブルをしている。あんな勢いでスライディングしたのに、痛くないのかな。

相手チームの選手も慌てて戻っているけど、カズヤには全然追い付けそうにない。

外からゴールに向かってドリブルしていくカズヤの顔は、何だか楽しそう。あんなに走り回って、ボロボロになって、さっきもスライディングをして。楽ではないことのはずなのに、彼は今、笑っている。
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 20:02:34.43 ID:AI8oOv0mO
ゴール前に一人だけ残っていたキーパーが、慌ててカズヤに向かって近づいていく。今までもこういうシーンが何度もあって、その度に外してしまっていた。

どうするんだろう。また外してしまったら、さっきの頑張りも意味がなくなっちゃうのに。

カズヤがドリブルのスピードを落とした時、彼の名前を呼ぶ10番が後ろから走ってきていた。このために、他の誰よりも早く走り始めてたんだ……!

丁寧なで優しいパスをカズヤからもらった10番のシュートを妨げる人はもういない。カズヤが追いかけていた時みたいに転がったボールは、ゴールの線をしっかり越えてネットを揺らした。

カズヤと10番は二人で喜びを爆発させている。遅れて、後ろから走ってきたチームメイトもそこに加わる。

プロの試合でもなければ、彼らはこれでお金を稼いでるわけでもない。ゴールが入っただけ。ただそれだけ。

ゴールを決めたからお給料が増えるわけでもなければ、有名になるわけでもプロになれるわけでもない。

それでも彼らは輪になって喜んでいる。これこそが最大の喜びだというように、顔をクシャクシャにしているのがここからでも分かる。喜びすぎて、審判に笛を鳴らされるほどだ。

彼らがここまで喜べる理由が、私には分からない。その一方で、そんな風に考えてるくせに、胸には何か熱いものが残っているのも事実で。

言葉にできない何かが、私を焚き付けてくる。今までに感じたことがない気持ちだけど、嫌じゃない。

これが何か分かれば、カズヤたちの気持ちも分かるのかな。

理由の分からない胸の高鳴りを感じていると、カズヤがベンチに向かってきて、代わりに一人の選手が入っていった。交代しちゃったのかな、残念。でも、点が入るまで出てて良かったなぁ。
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 20:22:00.78 ID:AI8oOv0mO
私がいなくなっても世界は回るように、カズヤが交代しても試合は続く。

胸が高鳴ったまま試合観戦を続けていると、相手チームも反撃をし始めた。

あっ、危ない! シュートがカズヤたちのチームに向かうと、それだけで何だか不安な気持ちになるし、逆に攻めてると「いけー!」って思っちゃう、不思議。

そのまま攻めたり攻められたりの時間が続くと、久しぶりに10番の選手がボールを持った。カズヤが交代した後もずっと存在感を放っていたけど、今度はどんなプレーをするんだろう。

前を向いてボールを持った彼は、右足でボールを叩いた。点と点が線で結ばれるように、カズヤと交代した選手の走る先にボールが送られた。

すっごい、綺麗!

さっきのカズヤみたいにキーパーと一対一。でも、あの時とは違ってゴール正面からだからかな、その選手が放ったシュートは難なくキーパーの脇を抜けて、ネットが再び揺らされた。

一点目同様に輪が出来て、相手選手もうなだれてる。

観客の「やっぱりオオタは上手いよ」「パスで勝負あったな」なんて話し声が聞こえてきて、10番の選手がオオタさんだと私は知った。サッカーの分からない私でも綺麗と思うようなパスを出すくらいだから、あの人ってすごい人なんだとは思っていたけど、名前も知られてる程なんだ。

そのまま試合が進んでいって、もうすぐ終わりかな、なんて思ったときに、隣に女の人が座ってきた。
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 20:54:57.19 ID:AI8oOv0mO
うわー、すっごい美人だ。

ウェーブを少しかけて、ふわふわの茶髪が背中まで伸びてる。目鼻立ちはくっきりしてるし、着てるシャツワンピも安くは無さそうな生地感。肌の色は白くて、胸元には女の子に人気なブランドのネックレスが飾られている。

さっき私を見ていた子の時は冗談で考えてたけど、こんな美人がいたら、つい見つめてしまう。

誰かの彼女とかなのかな。それか、親戚? うーん。

座ってからはずっと携帯をいじっていた彼女を見ながらそんなことを考える私を不審がったのか、こちらに不思議そうな視線を向けられた。慌てて会釈をして試合に視線を戻したんだけど、すぐに試合が終わってしまった。

他の観客たちは帰り支度を始めて、徐々に席を立っている。隣に来た女の人も、座って早々だというのに立ち上がった。終了間近に到着して、試合も見ずに携帯をいじって、それでもう帰るんだ、何をしに来たんだろう。まぁ、私も人のこと言えないくらい何をしに来たか分からないんだけど。

元々少なかった観客はどんどん減っていき、私は最後の一人になるまで座ったままだった。

何て言うか、圧倒され過ぎて、見てただけなのに私はちょっと疲れていた。全然走ってもないし、日陰に座ってただけなのにね。何でだろう。

選手たちもグラウンドから出ていって、空っぽになったスタンドから空っぽになったグラウンドを眺める。

綺麗な緑は、夕焼け空に照らされている。何か、青春っぽい景色だ。

一息吐くと、私は階段を降りていって小さなスタンドの最前列に立って柵に手をかける。

こんなに近くにあるのに、柵の向こう側は遠い異世界みたいだ。私なんかは、入りたくても入れない世界。

そう思うと何だか無性に悲しくて、泣いちゃいそうになる。柵を握る手にも力がこもる。

その世界に行きたいなんて思ったことはなかった。今だって、何であんなことしてるんだろうなんて考えてた。

それでも彼らはなぜか輝いていて、理由も分からないけど憧れすら持ちそうになる。

寂しさを隠すように頭を小さく振って、グラウンドに背を向けて帰り始めた。

スタンドを出て階段を降りようとすると、折り曲げられて小さくなった背中が目に入った。何だか見覚えのある後ろ姿だ。
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 21:08:50.85 ID:AI8oOv0mO
階段を降りるにつれ、その見覚えは確信に変わる。カズヤだ。

ユニホーム姿からジャージ姿になってるから階段の上からじゃ分からなかったけど、彼は今、なぜか分からないけどこんなところで膝を抱えている。

背中が小刻みに震えて、鼻をすする音も聞こえる。

どうしたんだろう。試合には勝ったし、活躍もしたはずなのに、何で彼は泣いているんだろう。

状況が状況なせいで何が何かも分からないまま、私は少しずつ階段を降り、彼に近づいていく。

声、かけない方がいいかな。お店のルール的にも良くはないし……っていうのは、ここに来た時点で言い訳にしかならないんだけど。こんなところに来て泣いてるってことは、カズヤも人目につきたくなかったのかもしれないし。

でも。彼の隣に並んだとき、私はそのまま黙って階段に座った。お気に入りのデニムが汚れることなんて気にもせず。

無視なんて、私にはできなかった。

理由なんて分からない。でも、そういうことって誰もが経験あるんじゃないかな。優しくしたいとか、泣いてる理由が知りたいとかじゃなくて、ただ単に放っておけなかったんだ。言ってしまえば、私のわがまま。

励ましたいから、元気になってほしいからカズヤの隣に座ったんじゃなくて、ここで私が黙って通りすぎちゃうと家に帰った私がモヤモヤしそうだから。

隣に座った私に気づいているのかいないのか、彼はまだ顔をあげようとはしない。
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 21:19:39.26 ID:AI8oOv0mO
かける言葉も見つからない私は、彼の背中に右手を伸ばした。

寂しそうに揺れる背中を、そっと撫でる。今までもお店でカズヤの体に触れたことはあったけど、その時とは違うように感じるのは気のせいなのかな。

急に触れられて驚いたのか、カズヤは小さく頭を動かしてこちらを向いた。目は充血していて、頬は普段より痩けて見えた。

「えっ……」

驚きの呟きを漏らす彼に、私は労いの言葉を投げ掛けた。

「試合、お疲れさま。かっこよかったよ。勝って良かったね」

「いやいや……えっ……な、何で?」

泣き顔のまま、カズヤは疑問を投げ掛けてきた。まぁ、それはそうなんだけどさ。ちょっと意地悪をしてみよう。

「何が何でなのー?」

「いや、何でいるの……っていうか……」

「見に来るって言ったでしょ? 信じてなかったのー?」

「いやいやいやいや……」

やけに「いや」って言葉を使うなぁ、口癖なのかな。そんなどうでもいい感想は置いておくとして、私は彼の背中を撫でながら言葉を続けた。
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 22:01:45.35 ID:AI8oOv0mO
「凄いね、上から見ててもカズヤってうまいんだなって思ったよ」

「いや、俺なんか全然……」

「謙遜しないでいいから。私、正直サッカーのことなんて全然分からないまま来たけど、カズヤのプレーが何ていうか……一番だった」

上手いっていう言葉が入るのか、凄いって言葉が入るのかは分からない。ただ、カズヤの姿が私の胸を揺さぶったのは事実で。

「あんなに走り回って辛そうなのに、楽しそうだなって。目が離せなかったの」

黙って私の言葉を聞く彼は、少し照れ臭そうに頭を掻いた。

「あ、ありがとう」

「だから本当に、かっこよかったよ」

「いやいや……最後だって結局、ゴール決められなかったし」

「でもその前のパスに追いついたところとかさ。間に合わないと思ってたのに、スタンドも凄い盛り上がってたよ」

それはそれは、と他人事のように彼は呟いた。

「もうー! 本当だよ! カズヤはもっと自分のしたことの凄さに気づきなよー!」

「いや、だって僕、仕事できてないし。点取るためにポジション変わったのにさ……」

「でもさ、カズヤがあそこで走って追い付いて、点が入ったでしょ? 勝ったんだし、その悔しさはまた次に解消すれば良いじゃない。それに……」

そこまで言った後、何と続ければ良いか分からず言葉に詰まってしまった。

感動した? 違うよね。うーん、何て言葉を言うのが正解なんだろう。

「それに?」

言葉の続きを求められて、私の口から出てきたのはこれだった。

「また見に来たいな、って思ったよ」
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/13(水) 23:11:27.15 ID:AI8oOv0mO
「お、うちのチームのサポーターになっちゃう?」

「サポーター?」

キョトンとした表情で問い返した私に、カズヤは説明をしてくれた。

「ファンっていうか応援団っていうか……ほら、日本代表の試合だったら『VAMOS ニッポン』って歌ってたりするじゃん?」

「えー! 無理だよ無理!」

あんな少人数しかいないスタンドで、テレビで見るような応援なんて絶対無理。恥ずかしいし、そもそもサッカー自体がまだ、ろくに分かってないし。

……まだ?

「それは冗談にしても、よかったらまた見に来てよ。見てくれる人がいるって、やっぱり嬉しいしさ。うちのチームくらいだと、基本的に家族とか関係者しか見に来ないから」

そうなんだ。やっぱり、さっきスタンドにいた人たちはみんな知り合いなのかな? 楽しげに話してた人もいたし、オオタさんって名前を知っていたのもその関係だろうか。

あの美人さんは誰かの恋人なのかな。それこそ、オオタさんとかお似合いっぽいけど。
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/14(木) 01:45:37.25 ID:EfonRk7u0
おつ
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/14(木) 20:03:03.20 ID:Xp2d966KO
「何かね、知らない人たちが『オオタさんが上手い』って話してたんだけど、あの人が前にカズヤが話してた先輩?」

「オオタさん……ああ、ヒロさん。そうだよ、あの人、上手いでしょ?」

へぇ、ヒロさんって言うんだ。

彼の名前を口にするとき、カズヤは何だか複雑そうな顔をした。この間は慕っていて心配で仕方ないって感じだったのに、どうしたんだろう。

「うん、サッカーを知らない私でも、あの人は別格だなって思った。でもね、カズヤも同じくらい上手いなって思ったよ、本当だよ」

「あー、うん。ありがとう」

「そういうとこー! もっと喜んでよ!」

本当に、もうちょっと自分に優しくしてあげなよ。同じくらいって言ったけど、上手さじゃなくて心に残ったのはオオタさんじゃなくて、カズヤのプレーなのに。
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/14(木) 20:51:02.42 ID:I1/rw8o2O
日もそろそろ陰ってきて、夏が近いとはいえ少し涼しくなってきた。

「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」

いつまでもダラダラ話しててもカズヤに迷惑かけるしね。

立ち上がって、汚れたお尻の辺りを手で払った。まあ、話して楽しかったし多少の汚れや傷みは仕方ないかな。

そのまま歩いて行こうとする私を、彼は不思議そうな声色で呼び止めた。

「……聞かないの?」
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/14(木) 22:32:22.62 ID:I1/rw8o2O
背を丸めて泣き始めて、どれくらい時間が経っただろう。

きっと今、僕はどうしようもなくみっともない姿なんだと思う。やりようのない悲しさを堪えられずに泣いてしまう、小学生みたいな僕。

情けないと分かってはいるんだけど、泣くという行為以外にこの辛さを消化する方法を僕は知らなかった。

サキは僕の試合を見に来たことはなかった。サッカーをしていることは知っていても、試合を見に来ることなんて話にあがりもしなかった。

だからこそ、今日こんな事態になったんだろうけど。チーム名も知らなければ、チームメイトの話もしてなかったから。

僕のサッカーなんて、彼女に見せられるようなものじゃないと思っていたんだよ。プロでもないし、サッカーを頑張ったからと彼女と釣り合う男になれるとは思えなかったんだ。

それよりは勉強をして、元彼に負けないように良い企業に就職してっていうのが大事なことだと思っていたから。その結果倒れちゃって、開き直って今に至るんだけど。

そんな勘違いのツケが、こんなところでも出るなんて想像もしなかった。

予想外のショックにただ震えていた背中に、暖かいそれが触れた。
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/14(木) 22:59:12.24 ID:I1/rw8o2O
背中で動く手は、優しさに触れているような気がして。

顔を上げると、これまた予想外の顔がそこにはあった。

彼女はさも当然のように試合の感想を話してきて、僕の頭はそれを正確に処理できない。

何で? えっ、何でいるの?

そんな僕の疑問を笑い飛ばすかのように、彼女は信じてなかったのなんて聞き返してきて。いや、あれを信じる人はそうそういないと思うんだ。

彼女はその後も泣いてたことには何一つ触れず、背中をさすりながら試合について話してくれた。

ヒロさんの名前が出てきたときには、驚きとさっきのことを思い出してしまった。そっか、やっぱりゆうちゃんから見ても、ヒロさんは上手いんだ。そりゃそうだよね、腐っても元プロだし。僕とはレベルが違う。

申し訳程度に足された僕への評価を聞き流すと、怒られてしまった。いや、ヒロさんと比べて僕が下手くそなことは、自分が一番理解している。

しばらく話すと、彼女は満足げに立ち上がった。

あれっ、それで良いの?

何だろう、ほら、あの状況で背中を撫でて、でも理由は聞かないなんて、そんなことがあるだろうか。

構って! 聞いて! ってことではないんだけどさ、でも何か違和感がある……っていうのは、結局誰かに聞いてほしい言い訳なのかもしれないけど。

立ち去ろうとする彼女に、つい僕から声をかけてしまった。
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/15(金) 00:22:00.93 ID:CcsBlhiIO
「えっ」

何を? と、彼女は問いかけてきた。

「いや、何て言うか、ほら……」

泣いてた理由を、なんて自分で言い出すのは恥ずかしくて。

「何、話してくれるの?」

そう言うと、彼女は再び僕の隣に座った。察しが良くて助かるよ。

そういえば、こんなに明るいところで彼女を見るのは初めてかもしれない。何だか不思議な感じだ。

「こんなところで、ただの客の話を聞いてもらって良いのか分からないけど……」

「良い試合を見せてもらったから、そのお礼に聞いてあげるよ。でも、お店には内緒にしてね」

そんな前置きをしつつ、僕は事の顛末を話し始める。嘘みたいな、それでも本当の話だ。
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/15(金) 06:08:35.01 ID:xA2gdP1bO
面白い
エタらないことを願う
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/15(金) 18:58:26.59 ID:CcsBlhiIO
「へぇ……へぇぇ……じゃあ、オオタさんとカズヤの元彼女が今、良い感じなんだ……」

言葉にされると、何だか変な感じがする。でも、その通りだよね。僕は黙って頷き、それを返事にした。

丁寧に言葉を選んで、僕は絡まってしまった心の紐をほどこうとする。

「何て言うか……ヒロさんには幸せになってほしいし、ミユが他に好きな人を作るのは分かるよ。恋愛って、理由を説明できないものじゃん。でも……」

でも。

その言葉で、僕の心はキツく縛られている。

理由じゃないんだよ。ヒロさんのことは今も尊敬してる。サキのことは本当に今は吹っ切れている。それでも、納得はできないんだ。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 12:06:00.30 ID:IqIZqJmFO
>>109

「〜〜。サキが他に好きな人を作るのは分かるよ。恋愛って、理由を説明できないものじゃん。でも……」

に訂正です。
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 12:35:06.98 ID:IqIZqJmFO
「でも、辛いんだ?」

続きを言えずにいると、彼女が言い足してくれた。

「苦しいよね、辛いよね。大丈夫?」

再び僕の背中に触れたそれは、さっきよりも僕の心に直接呼び掛けているようにも思える。感覚的なものなんだけど、すごく居心地が良くて。

「カズヤはね、難しく考えすぎなの。どうにかしようとしすぎなの」

その言葉に僕は首をかしげた。そんな僕を見て、彼女は再び口を開く。

「辛い時は辛い。悲しい時は悲しい。それで良いんじゃないかな。今聞いた話だって、カズヤが何かを頑張ったからって解消される辛さじゃないでしょ?」

「うん……うん」

僕がヒロさんよりサッカーが上手くなったら、今の気持ちがなくなるわけではない。サキに付き合おうと言われても、僕は断るだろうし、辛さがなくなるわけでもない。

確かに、彼女の言う通りではある。

「辛いなら辛いで、カズヤがその気持ちを消化しないといけないの。それにはさ、もちろん何かを頑張って消化できるものもあれば、時間が経つのを待つしかなかったり、何かの事件とかきっかけが必要だったりさ。ケースバイケースなんだろうけど」

ゆうちゃんの言葉に相槌をうちながら、僕の心の底にあった黒い感情が少しずつ薄れていくのを感じる。

何だろう、この感覚。

有名なカウンセラーのありがたい講義でもなければ、特別なことを言われてる訳でもないと思う。

それでも、この言葉が僕には必要だったんだと自分で分かる。

「でもね、カズヤは全部を頑張ることで解消しようとしてると思うの。それじゃ辛いよ、疲れるよ、抱えきれないよ。だからさ、私なんかに言われたくないかもしれないけど、少し肩の力を抜いていこうよ」

ねっ、と彼女は微笑んだ。

夕焼け空の下で、太陽みたいに。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 12:45:20.77 ID:IqIZqJmFO
「私は全然頑張れなくて、時間とかきっかけとかを待っちゃうから。恋愛だって、誰かと別れたら次に好きな人ができるまでは引きずっちゃうし。だから、カズヤみたいに頑張れる人ってすごいなって思うの」

背中を撫でていた手を止め、軽く叩きながら「こーの、頑張り屋さんめー」なんてふざけて言ってくるんだから、ちょっと笑っちゃったよ。

辛い気持ちがゼロになったわけじゃないのに、笑えてるんだから、僕はどれだけ彼女に救われたんだろうか。

「だからさ、私もカズヤみたいにちょっとずつ頑張れるようになるから、カズヤは私みたいにゆっくりできるように意識してみよ?」

「……うん、そうしてみる」

「よくできましたー、良い子だねぇ」なんて言いながら今度は僕の頭を撫でてくるんだから、ゆうちゃんには敵わないなって思う。

113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 12:55:26.95 ID:IqIZqJmFO
「一応、今は僕の方が歳上なんだけど?」

同級生の世代とはいえ誕生日を迎えたし。

……あっ、そういえばゆうちゃん、6月が誕生月って言ってたかな。何日なんだろう。

「良いの、何かカズヤ可愛いし。見た目チャラいのに純粋だし。良い子良い子」

その後に、「あっ、うちの店に来るような子は良い子じゃないかな?」なんてニヤけながら言ってくるから、反応に戸惑っちゃったよ。

「まぁ、冗談は置いとくとして。辛かったら、頑張らなくても良い時だってあるんだよ。辛いときに何もしないのって焦ったりしちゃうかもしれないけどさ」

「うーん……そうなれるように頑張る……」

「ほらまた頑張るって言ったーだめー」

「それは言葉のアヤじゃん」

僕は笑った。彼女も笑った。何だろう、何なんだろう、この感じ。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 13:10:19.00 ID:IqIZqJmFO
「あっ、カズくん、ここにいた! 探したー! 全く連絡つかないんだから……」

声が聞こえて、顔をあげると僕のバッグを持ったミユがそこにはいた。

「あ、ああ……ごめん」

「ごめんじゃないよー! もうみんな帰っちゃったし、ヒロ兄は女の人と出掛けちゃったし、カズくんの荷物を置いとけないから私が探せって言われるし!」

「分かったから……」

すごい剣幕で捲し立てられて、申し訳なさと恥ずかしさが混在している。ダウン中に逃げちゃったから、携帯も財布もバッグの中に入れたままだったもんね……そういえば。

「あー、じゃあ、私はそろそろ帰るね?」

少し気まずそうに言って、ゆうちゃんは階段を降り始めた。

えーっと、えっと。

「ありがとう!」

何か言わなきゃと思って口から出てきたのはそれだった。試合を見に来てくれて、話を聞いてくれて、ありがとう。

「こちらこそっ」

気持ちいい笑顔と共にその返事を残し、彼女は階段下のミユにも会釈をして帰っていった。

何だか、ミユがゆうちゃんの顔を一生懸命見ているものだからどうしたんだろうとは思ったけど。

「あの人、カズくんの彼女?」

バッグを受け取りに階段を降りると、そんなことを言われたからつい吹き出しそうになったよ。まさか、まさか。

「へぇー……そっか」

何だか意味ありげに呟くミユを見ていると、「何でもない」と言い足した。何も聞いてないけど。

その後、僕は階段下の自販機でミユにジュースを奢らされるハメになり、散々説教を受けながら帰路についた。

濃すぎる一日。辛かったのに、何だろう、嫌じゃない日だった気がする。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 18:31:13.72 ID:IqIZqJmFO
プレゼントを片手に、僕は町を歩いている。

あの試合から数日が経った。まだ完全にモヤモヤが無くなったわけじゃないけど、それでも沈んだ気持ちだけということもない。少しずつ、それは薄くなってきている。

時間が解決してくれることもあるんだ、って実感してる最中だ。たぶんこのまま、いつか自然に無くなってるんだと思う。

ゆうちゃんに感謝して、誕生日が今月だって前に話してたし、何かプレゼントをしようと思った。

アクセサリーは重いよね、でも何が好きなんだろう……そういう話ってあんまりできてなかったからなぁ……。

そんなことを考えながら買ったものが、右手に持っている紙袋の中に入っている。

ゆうちゃんの働くお店に一度行ったんだけど、彼女は二時間ほど待たないと空かないらしいと言われ、予約だけして暇を潰しに出てきたところだ。

「予約が埋まってる」という言葉を聞いてチクリと胸が痛んだのは、たぶん気のせい。

どうやって暇を潰すか考えて、とりあえず本屋に入った。

サッカーバカだと自分でも思うけど、本屋に来るといつも最初にサッカー雑誌をチェックしに来てしまう。小説とか漫画とかも好きなんだけどね、小さい頃からの癖だから仕方ない。

スポーツ雑誌のコーナーに着いて、何か面白そうな記事がないかチェックをしていると、シンヤが大きく写った表紙が目に入った。
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 18:42:56.02 ID:IqIZqJmFO
その雑誌を手に取ってインタビュー人気は目を通す。主な内容は、代表選手としての意気込みと、海外移籍の噂についてだった。

ヒロさんは凄い人とチームメイトだったんだな。

そんなことを改めて感じながら、僕はそれを棚に戻した。

僕とほとんど歳が変わらないのに、国を代表する選手としてインタビューを受け、サッカーをすることでお金を稼いで生活をしているシンヤ。

遠い遠い存在で、追いかけても追いかけても届かない存在の気がする。

何で僕はサッカーをするんだろう。

好きだから、っていうのはもちろんそうなんだけどさ。好きだから、ってだけで終わらせられるのかな。分からないや。

考えすぎるのは僕のよくない癖だと自覚している。そこで考えるのをやめて、他のコーナーへ移動を始めた。

もうしばらく、何を見て暇を潰そう。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 23:31:15.89 ID:vvfl/4PnO
結局本屋で暇を潰し、いつもの薄暗い部屋のブース内でゆうちゃんを待った。

少しなれちゃったのかな、異世界感も薄れてしまった気がする。

「あー! 来てくれたんだ、ありがとー!」

いつも通り、ニコニコしながら彼女は近づいてきた。僕も座ったまま会釈で返事をする。

「ね、今日はどうしたの? またお話? それとも?」

ニヤニヤしながら僕の正面に座る彼女を見ると、胸が高鳴った。

何か緊張しちゃうよね。でも、初めて来たときに感じる緊張とは違うものの気がするけど。

「何しに来たと思う?」

そう言った僕を見て、彼女は首をかしげた。

「えー、気持ちよくなりに? とうとう?」

少し僕との距離を詰めて、彼女は「いやらしいー」なんて笑った。

何て言うか、ここに来てる時点でいやらしいのは否定できないよね。でも、残念ながら違うんだよね。

「えーと……」

脇に置いたままの紙袋を手にすると、そのまま彼女に差し出した。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/16(土) 23:56:59.12 ID:vvfl/4PnO
「6月が誕生日だって前に言ってたから……これっ!」

言い訳みたいに理由を言わないと、それを渡すことすら恥ずかしかった。

僕ごときにプレゼントを渡されても困るかもしれないし、何か場違いなことをしてしまった気がしなくもない。でも、渡したかったんだから仕方ないよね。

「えっ、私に?」

頷いて返事をすると、彼女はおそるおそる手を伸ばした。

「ありがとう……めちゃくちゃ嬉しい……!」

あれ、何か予想と反応が違う。「マジでー? やった、ありがとね!」みたいなノリで来るかなって思ったのに。

「誕生日、覚えててくれてたの?」

「いや、日は知らないんだけどさ。初めて来たときに6月が誕生月だって言ってたから」

「よく覚えてるねぇ……」

うーん、やっぱり、僕なんかがそれを覚えてて祝うって、何かちょっと気持ち悪かったかな……? 引かせてしまった?

「あの、迷惑だったら捨ててね」

「そんな迷惑なものなの?」

意地悪そうに笑って問われて、それには首を横に振った。全力で。

「冗談だよ、本当に嬉しい! ありがとう! もしかして、これをくれるために今日来てくれたの?」
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/18(月) 00:16:30.23 ID:ofcUqsyCO
「いや、まぁ……そうだけど……」

気持ち悪いよなぁ、僕。

「今年初めて祝ってもらっちゃった……! やったね」

そう言って、彼女は紙袋を胸元に抱えた。何て言うか、演技だとしても慶んでもらえたら嬉しいよね。

「ちなみに、何日が誕生日なの?」

今後のために……と言いそうになったけど、こんな本名すら知らない、不安定な関係の一年後なんてあるのかどうか分からないから黙っておくことにした。

「えっ、今日だよ、今日。だから、偶然かもしれないけど本当に嬉しいんだよね」
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/19(火) 22:20:44.31 ID:AJdDD0WLO
カズヤの話を聞いた私は、素直に驚いた。

偶然ってあるんだなぁ。

カズヤの元彼女が、オオタさんの新彼女候補。そしてカズヤはオオタさんに憧れてる。それは心中穏やかじゃなくて当然だよ。

辛そうな彼を何とかしてあげたくて、私が伝えた言葉が適切だったのかは分からないけど、少しは元気になってくれたみたいで安心した。

本当に、彼は頑張り屋だと思う。

サッカーの試合を見ていても感じたし、聞いた話もだし、お店で聞いたときもそう。自分でどうにかしようとして、その重さに負けてしまいそうになっても、それでも自分でやり遂げようとしてる。

それが正解なのか私には分からないけど、でもそんな彼が私にはとても眩しく見えるのも事実で。

アキラとの関係性も、これ以上前に進むことはないって知ってるのに、止めるという決断すらできない私とは大違いだ。泥沼から抜け出そうとはしないくせに、「辛い」「止めたい」って心で思うだけで、本当にどうしようもない。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/19(火) 22:38:43.85 ID:ZmN5ao2DO
待ってたわん(はぁと)
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/19(火) 23:31:10.57 ID:AJdDD0WLO
カズヤの話には、正直驚いた。

偶然ってあるんだ。世間って狭いなぁ。

カズヤの元彼女が、オオタさんの彼女候補。そして、カズヤはオオタさんのことを尊敬している。

それは確かに気まずいよね、ショックだよね。分かるよ、辛いよね。

抱えきれない辛さを自分で処理するのって、その辛さをもっと強くすると思うの。少なくとも、私にとっては。

辛いことをどうにかするのって頑張らないといけないし、その頑張るってことが私はできないんだよね。

「このままじゃダメ」「辛い」「苦しい」とは言うくせに、アキラという泥沼から抜け出そうとしない私。時間が解決してくれるものでもないって、きっかけが必要だって自分で分かってるのにね。

カズヤに言葉をかけながら、それとは逆のことを私は自分に言い聞かせていた。

変わらなきゃ。私も、頑張れるようにならなきゃ。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/19(火) 23:33:01.51 ID:AJdDD0WLO
うわっ、何か更新できてなかったみたいで
>>122を書き足してしまいました……

見なかったことにしてください……すみません!
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/19(火) 23:47:46.90 ID:ZmN5ao2DO
ダイジョブキニスンナ
更新楽しみに待ってるよ。
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/19(火) 23:58:19.28 ID:AJdDD0WLO
カズヤに言葉をかけながら、自分に言い聞かせていた。

変わらなきゃ。私も、頑張れるようになりたい。

そんな決心染みた感情を持ったところで、私の行動は変えられないんだけどね。結局、アキラに誘われたら私は彼と寝るだろう。誘われなければ寂しくなって、勝手に凹んでしまうだろう。

私っていう人間の弱さが、自分でもよく分かるの。

変わりたいという気持ちだけで変われるなら、今ごろ私は聖人君子になれているはずだしね。気持ちだけで変わるのは難しいよ。

そんな風にモヤモヤして数日が過ぎ、私は誕生日を迎えた。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 00:06:28.83 ID:Rc3Ke32FO
高校を卒業して最初の年は、高校の友達がお祝いしてくれた。

でも、去年は誰からも祝ってもらえなかった。大学や専門に通ってもいなければ、職場の女の子とも特に親しいわけではない。独り暮らしを始めていたから家族も連絡がなくて、寂しい誕生日だったなぁ。

ホストにハマったのには、二十歳になってお酒も飲めるようになったし、その寂しさを埋めたいって気持ちもあったのかもしれない。まあ、それがどうしたって話なんだけど。

寂しさを埋めるためにホストに通い、抜け出せなくて辛くなるなんて思ってもいなかった。

アキラも私の誕生日なんて興味を持っていないだろうし、どうせ私は今年も誰にも祝われないまま一人で歳を重ねるんだ。

別にいいんだけどさ、でもやっぱりちょっと寂しい。

どうせ誰にも祝われないなら、明日は出勤前に買い物に行こう、自分で自分にプレゼントを買ってあげよう。 アキラのお店に行くかは、仕事が終わって決めよう。

そう決心すると、私は何か欲しいものを探してファッション雑誌のページを開いた。
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 00:17:10.16 ID:Rc3Ke32FO
かなり奮発して、お高いブランドのアクセサリーを自分にプレゼントした私はご機嫌だった。

たぶん、私みたいな歳の女が持つには分不相応なブランドなんだろうけどね。いつもアキラにばかり高価なブランド品を貢いでいて、自分には安いものばかりだったから、たまには良いよね。

ウキウキした気持ちで出勤すると、今日は予約が一杯入ってた。普段はあんまり忙しくない方が嬉しいんだけど、今日は頑張ろうって気持ちになれる。指名料も稼げるしね、アクセサリーの分を稼いで、また自分にプレゼントしてあげよう。

裸になっては服を着て、裸になっては服を着てを繰り返す。まあ、誕生日だからってお仕事まで特別になる訳じゃないからね。いつも通り。

そんな感じで慌ただしく働いていると、この間の試合からそう日も経っていないのにカズヤが待っていた。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 00:26:16.73 ID:Rc3Ke32FO
どうしたんだろう、また悩み事? まだあの日のショックを引きずっているんだろうか。

たぶん彼は、私にそういう行為をしてほしくてこのお店に来ているわけではない。

それは何となく分かっているんだけど、それじゃあ悩み事の相談なのかなって考えると、そんなに次から次へと悩んでるのかな、なんて考えちゃったりもする。

何となくしないとは分かっていても、行為をするかどうかだけは一応は確認しないといけない。冗談めいて彼に声をかけてみると、彼は紙袋を差し出して来た。

「えっ、私に?」

いや、確認しなくても私にだって分かってるんだけどさ。何でカズヤは私の誕生日を知ってるんだろう。

私の疑問に対する返事を耳にすると納得したけど、よく覚えてるなぁと感心したりもする。

カズヤが4月生まれっていうのは、お客さんの歳を覚えるためだと思って私は意識してたけど、まさか私のそれを覚えてくれているとは思っていなかった。覚えているどころか、プレゼントまで用意してくれてるとは想像したこともなかった。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 00:38:21.43 ID:Rc3Ke32FO
誰にも祝われないと思っていた矢先、予想外の人に祝ってもらえた私は嬉しさのあまりにオーバー気味に喜んじゃった。不自然なくらい。だって、それだけ嬉しかったの。

私の誕生日が今日であることをカズヤに伝えたら、「じゃあ、良い日に来たね、僕」と笑っていた。本当にそうだよ。

それにしても、このプレゼントは一体なんだろう。何だか気になるんだけど、本人の前で開けるのは失礼だよね、たぶん。

プレゼントを確認するタイミングを失ったまま、話は進んでいく。先日のショックも少しは和らいだのか、その話は出てこなくてちょっと安心したよね。

「……あっ、それ」

私は彼の胸元を指差した。そこに飾られていたのはネックレスで、それはさっき私が買ったブランドと同じものだった。

「そのブランド、好きなの?」
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 00:47:50.23 ID:Rc3Ke32FO
「えっ?」

カズヤは急に話を変えた私についてこれなかったみたいで、何のことか分かってないみたいだ。彼の首にかけられているそれをツンツンと指先でつつきながら、私は彼に示して見せた。

「これ、ネックレス。可愛いなぁ、って」

「ああ、これ? うん、お気に入り」

「良いよねー。私も、さっき自分へのプレゼントにそこのアクセサリーを買ったんだ」

今思い出しても、嬉しくてちょっとにやけそうなくらいだ。

「えー、いいなー。僕はあれだよ、去年二十歳になったときに、ずっと使える良いものを買おうと思ってバイト代を貯めて買っただけだから。だから、気合い入れたい時に付ける勝負アクセサリー……みたいな?」

「じゃあ、今日は気合い入ってるの?」

「たぶん?」

何それーって突っ込むと、彼も何だか恥ずかしそうに笑った。

そっか、やっぱり私たちくらいの歳だと、そんなに簡単に買えるものじゃないんだよね。

私にしてみれば高価とはいえ、何だかんだこのお店で働いてアキラに貢がなければ普通に手が届くくらいの額でも、カズヤにとってはお金を貯めて買うものだし。

私がこのお店で働いて得たものは、お金と狂った金銭感覚なのかもしれない。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 01:01:16.12 ID:Rc3Ke32FO
そこから、カズヤの好きなファッションの話とか、逆に私のお気に入りのブランドの話なんかをしていると終了時間になった。

「本当に……ありがとね!」

彼を出口まで送ったあと、紙袋を抱えて私は彼にお礼を告げた。

カズヤは「大したものじゃないから」なんて言うから、私は軽く叩いちゃったよ。大したものだろうがそうでなかろうが、私にとっては大事な大事なプレゼントだ。

早く仕事が終わらないかなぁ、紙袋の中には何が入ってるんだろう。

カズヤが来る前以上に浮かれて、私はお仕事を終えた。すぐにでも中を確認したい気持ちでいっぱいだったんだけど、何となくお店でそれを開けるのは勿体ない気がした私は一度家に帰ることにした。

ちょっと大きな紙袋。でも、中身はそんなに重たくない。

家に帰りつくや否や、私はテーブルの上に置いた紙袋を閉じているシールを剥がした。

「……うわぁ……」

中に入っていたのは、ストローハット。俗にいう麦わら帽子だった。お洒落な雰囲気なのをチョイスしてるのはさすがだけど、何でカズヤはこれを選んだんだろう。

それを被って姿見で確認すると、ちょっと良い感じ。今日買ったアクセサリーにも合うかもしれない。

いつまでも部屋の中で被ったままでいるのも変な気がして、名残惜しさを感じつつもそれを紙袋に入れようとする。袋を開き、帽子を手に持ったところで、私は底に残っていた封筒の存在に気がついた。

表面には『ゆうちゃんへ』という文字。裏面のシールを丁寧に剥ぎ、中身を確認する。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 01:09:47.22 ID:Rc3Ke32FO
僕なんかに手紙を渡されても困ると思うから、あれだったら捨ててください。

この間は本当にありがとう。お世話になりました。何て言うか、ゆうちゃんに話を聞いてもらえて本当に楽になりました……っていうのは、初めて来たときからいつもなんだけど。

6月に誕生日だって言ってたから、何かお礼にプレゼントと思って、これにしました。「また見に来たい」って言ってくれたのが本当なら、これから暑い日が続くし、熱中症対策にも?被ってもらえたら嬉しいです。
安物だし、趣味じゃなかったら捨てて。ごめん。

気持ち悪いこと書くけど、ゆうちゃんに会えて本当に良かったです。変な気持ち悪い客だって思ってるかもしれないけど、でも、僕は本当に色々と救われました。

良い一年にしてね。本当に、おめでとう!
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 01:18:13.01 ID:Rc3Ke32FO
「……律儀だなぁ」

手紙を読みながら、つい苦笑いしてそんなに感想が漏れた。

そんなに遠慮気味に言わなくても、カズヤのことを気持ち悪いお客さんだと思ったこともなければ迷惑だなんてとんでもない。ただ、変な人とは最初に思ったけどね。

何て言うか、カズヤは一生懸命なんだと思う。手紙もそうだし、プレゼントだってそう。私の「また見に来たい」って言葉を覚えてこのハットを探してくれたんだろうし、かといって押し付けじゃなくて手紙でそういう風に説明してくれたり、メッセージをくれたり。初々しいっていうよりは、一生懸命。

ただ高価なアクセサリーをアキラに貢いで喜ばせようとする私とは大違いだ。金額じゃないもんね、プレゼントって。

カズヤは私の好きなブランドも知らなければ、手紙にも書いてたみたいに、私が自分で買ったブランドのアクセサリーみたいに高価なものでもないんだとは思う。

それでも、カズヤからのプレゼントは私の胸を揺さぶる。それはきっと、言葉にするなら感動というもの。
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 01:27:49.38 ID:Rc3Ke32FO
人の暖かさに、久しぶりに触れた気がする。

アキラと体を重ねているときにも感じたことのない暖かさ。私自身、もう長い間忘れていた気がする。

帽子を片付けるのが何だか急にもったいなくなって、それをカラーボックスの上に飾ることにした。

うん、可愛い。

それを見てニヤけていると、私はあることを思い出す。

そういえば、アキラのお店に行かずに帰っちゃった。でも、何だか幸せだから今日は良いや。カズヤに祝ってもらえたし。

飾ったハットを眺めてにやけながら、私は自分で買ったアクセサリーも確認して幸福に浸っていた。
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 01:56:06.30 ID:Rc3Ke32FO
おかしい。

この間の試合からミユがやたらと僕に近づくようになった。元々歳が近かったり、ヒロさんの関係で仲良くはあったんだけど、ヒロさんがいない時に遊びに誘われたり、ご飯に誘われたり。それまでは基本的にはヒロさんがいるときだったのにね。

そうそうヒロさんといえば、走ってサキの前から逃げたことに関して「彼女さんが美人だったから緊張して逃げちゃいましたー、すみません」って謝ったら、「まだ彼女じゃねーよ!」と笑って許してくれた。ごめんね、ヒロさん。

話を戻すけど、そんな感じでミユはなぜか僕といることが増えてきて、ヒロさんには「カズが義弟になる日も近いな」なんて言われちゃったよ……なりませんから。

ミユのお誘いは、ご飯とか遊びには付き合うけど、さすがに僕の家に来たいっていうことは断るようにしている。彼氏に誤解されたらめんどくさいしね。まぁ、ご飯くらいならやることはやってないって分かるし許されるかなっ……ていうのは僕の個人的な感覚なんだけど。

とにかく、不自然なくらいミユは僕を誘ってくる。

まぁ、彼氏の話なんかも聞いちゃったし、ちょっとは心を開いてくれたからこそなのかもしれないけど。
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 06:05:03.26 ID:eTqowkbNO
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 09:05:24.98 ID:8wWYSybuO

前から読んでた。応援してます
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 09:30:21.47 ID:Rc3Ke32FO
とはいえ、あの後彼氏とどうなっているのかはは教えてくれないんだけどね。

ただ、「あのサッカー場にいた人、カズくんの彼女じゃないの? 本当に?」とはやたらしつこく確認するようになってきた。どうしたんだろう、一体。

プレゼントを渡してからはお店にも行けなかったし、試合会場で会うことも無かった。僕は僕でテスト勉強が忙しかったり、天皇杯予選で勝ち進んでるから練習に励んだり。ゆうちゃんは、あの言葉がリップサービスだったのかもしれないしね。一回来てくれただけでも感謝しないとね……うん。

寂しさを感じながら自分に言い聞かせて、僕は練習に向かう。

今週末はいよいよ予選の決勝だ。相手はキックスっていう、アマチュア最高峰のリーグであるJFLに所属するチーム。正直、かなり格上。

とはいえ、勝てない相手じゃない。今年は調子もよくないみたいで、JFLじゃ下位をうろついている。

キックスに勝てば、本大会に出られる。本大会に出れば、プロとも試合ができるかもしれない。

それをモチベーションに、今日も僕はボールを蹴る。
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 12:55:51.07 ID:Rc3Ke32FO
練習を終えて荷物をまとめていると、ミユに声をかけられた。

「ねね、カズくん。このあと、空いてる?」

「空いてるけど……」

僕のその返事に、周りにいたチームメイトが声をあげる。「カズも隅におけねぇなあ!」「ヒロー、妹が危ないぞ!」なんてね。いや、良い歳の大人なんだからもうちょっと落ち着きましょうよ。

「ねー、カズくんち、今日行っちゃだめ?」

「ダメ」

その即答には、ミユは口を尖らせて「何でー」と不満げだ。いや、お前も彼氏がいるならそんな簡単に一人暮らしの男の部屋に来たいとか言うなよって。でも、ヒロさんがミユの彼氏のことを知ってるかどうかは分からないから、その説明をして良いのか分からないんだけど。

「じゃあご飯いこうよー」

「まぁ……それくらいなら……」

「決まりっ! ほら、早く早く」

彼女は手を叩いて僕を急かす。チームメイトも囃し立ててくるけど、何なんだ、みんな。

お疲れさまでしたーと声をかけながら、僕たちは帰り始める。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 15:44:38.39 ID:Rc3Ke32FO
今日は何だか天気が良くなくて、夜から雨が降るらしい。

「雨が降る前に帰りたいなぁ」

僕がそう呟くと、ミユは「カズくん、傘忘れたの? ちゃんとしなよー」なんて言いながら自慢げに折り畳み傘を見せつけてきた。

「はいはい、さっさと食べてさっさと帰ろうな」

そう言うと、僕らは帰り道のレストランに入った。ミユの彼氏の話を聞いたお店だ。

以前と同じメニューを注文して、僕らは雑談を始める。キックスに勝てるかな、とか。ヒロさんの彼女候補ことサキの話とか。ちなみに、ミユはサキが僕の元彼女だってことは知らない。

「それにしても、ヒロ兄の新彼女、可愛くて驚いちゃったよ」

「ヒロさんが言うには、『まだ彼女じゃない』らしいけど?」

「いーや、あれは付き合うね。間違いないよ。絶対そのうち付き合い始める」

絶対だよ、絶対。ミユはそう言い足して、僕に同意を求めてきた。

「……うん、そうだね。そうだと思う、付き合うと思う」

歯切れは悪くなったけど、それを認めることへの躊躇いはどんどん薄くなってきた。時間が経つにつれ、僕の暗い気持ちは薄くなっている。

理由は時間なのか、それとも他にあるのかは僕にはまだ分からないけど。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 16:05:43.49 ID:Rc3Ke32FO
「ねぇ、カズくんは? 彼女作らないの?」

「どうした急に」

話に脈絡がないぞ。

「いや、カズくんって見た目チャラいのにそういう話をあんまり聞かないなーって」

「……僕、そんなにチャラそう?」

ゆうちゃんにも言われたし。

「チャラいよー! 髪色明るいし、長いし、アクセサリーもつけて私とチャラチャラご飯に来て! チャラい!」

「分かった、もうミユとはご飯に来ない」

「冗談だって冗談! でも、見た目はチャラいよー、うん」

そっか……ちょっとイメチェンしようかな……悩む。

「で、彼女は?」

誤魔化したつもりなのに、しっかり話を元に戻されてしまった。うーん、本当に最近は何かおかしいな。どうしたんだろう。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 19:47:32.52 ID:Rc3Ke32FO
「前も言っただろ、いないって」

「じゃああの女の人は何ー?」

「いや、だからただの知り合い……」

その言葉に、自分でちょっと傷ついたりね。知り合いって言っちゃっていいのかな。

「ただの知り合いとあんなに密着して、背中撫でさせながら話したりするの? やっぱりチャラいよ」

ああ言えばこう言うなぁ、本当に!

「何、どうしたの。最近、ちょっとおかしいよ、ミユ。前はそんな話全然してなかったじゃん」

「おかしくないよー、カズくんに興味わいちゃっただけー」

だめー? なんて上目使いで聞いてくる。いや、ダメとは言ってないけどさ。でもやっぱり、何かおかしい。

「カズくんは私に興味ない?」

「いやー……ねぇ」

そんなこと、急に聞かれても困る。ていうか、本当にどうしたんだ、こいつ。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 19:53:13.43 ID:Rc3Ke32FO
「無いのー? 傷ついた……」

落ち込むフリをするミユを見て、僕は本格的に心配になってきた。

何だ、こいつ、もしかして彼氏にフラレてか何かのショックでこんなテンションになってるのか? まあ、そうだとしても言われるまでは聞かないでおこう。めんどくさいしね。

「ほら、カズくん、年下の女の子が落ち込んでるんだよ。慰めてよ」

これまた、ざっくりした要求で。

「僕以外に興味持ってる人がいるから……」

「やだー、カズくんがいいのー」

何なんだ、本当に。今日はいつにも増して、変なテンションになってる。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 21:08:14.50 ID:Rc3Ke32FO
「ほら、もう良い時間だし、帰ろう」

声をかけると、ミユは駄々をこねるような声で「もうー? 早いよー、まだ大丈夫だよー」と言ってくる。いやいや、あんまり遅いとヒロさんも心配するだろうしね、ご家族も。

嫌々言いながら、ミユはバッグを手に持ち支度を始めた。

お会計を済ませてドアを開けると、軽く雨が降り始めていた。しまった、遅かったか。

お店の人が傘を貸そうかと声をかけてくれたけど、このくらいならどうにかなりそうだ。お礼を伝えながら断って、僕達はレストランを後にした。

「カズくん、相合い傘したかったから借りなかったんでしょ?」なんて調子の良いことを言ってくるから、ミユの頭を軽く叩いてやった。全く、どうしたっていうんだ。

「痛いよー、カズくんに叩かれたー、DVだよ、DV」

「誰がDVだよ、誰が」

「傷物にされちゃった……責任とらせてやる……」

そんな、下らないやり取りをしながら僕たちは駅へ向かう。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/20(水) 21:37:22.89 ID:Rc3Ke32FO
練習場は少し外れた場所にあるから、駅までは少し距離があって。帰り道にはアパレル系のお店の通りがあったり、ホテル街があったりもする。ごちゃごちゃした町だよなぁ。レストランも結構練習場寄りのところだから、駅まではまだ長い。

二人でダラダラ話しながら歩いていると、少しずつ雨足が強くなってきた。しまった、素直に甘えて傘を借りるべきだったかな。

足取りを速めても、駅に着く前に雨は本降りになりそうな気配を感じているんだけど、今更どうしようもないし……コンビニでビニール傘を買うのは負けた気がして嫌だし。

「雨、強くなったね」

傘を開いているミユは、他人事のようにそう呟いた。

「……入る?」

「いいって、折り畳みなんだから二人も入れないだろ」

その返事には小さく「つまんないのー」なんて愚痴をこぼされながら、二人で並んで歩く。

話すだけ話したからか、少し沈黙。その分、雨が地面を叩く音が耳に入ってきて、それがどんどん強くなってきた。

それはとうとう僕も耐えられないくらいになって、駅に向かって走りながら、雨宿りできそうなところを探す。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/20(水) 23:40:24.89 ID:TMPqgYvDO
クズしかいねえ
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 00:15:57.72 ID:TVKSNxJjO
びしょびしょになった服の裾を扇ぎながら、雨の様子を見る。

強いなぁ、しばらくはやみそうにない。

どうしたものかと考えていると、後ろからひょこひょこと歩くミユが追い付いてきた。

「うわー、大丈夫?」

「大丈夫に見える?」

傘を持っていたミユはそこまで被害がないみたいだけど、僕は結構やられてしまった。一度家に帰って練習に向かったから、教科書とかプリントみたいに雨に負けそうなものが少ないのがせめてもの救い。

ため息をつきながら雨がやむのを待っていると、後ろから「すいません」と男女二人組に声をかけられた。

うわっしまった、ここ、ホテルの出入り口か……ミスったなぁ。

傘をさす彼らに道を譲りながら、僕はここに逃げ込んだことを少し後悔する。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 00:28:09.60 ID:TVKSNxJjO
「入っちゃう?」

顔をミユに向けると、彼女はホテルのドアを指差している。

何言ってるんだ、こいつ。

「お前、いい加減に……」

「だってさ、雨やまないと思うよ。カズくん、傘ないでしょ。それに、そんな濡れてたら電車にだって乗れないよ。どうするつもりなの?」

そこまで言われると、少し言葉に詰まる。

「……それは駅についてから考えるけどさ」

「ここで入った方が絶対良いと思うんだけどなぁ。風邪引いちゃったら、週末の試合に響くよ?」

「いや、だから入らないって」

「そんなに私と一緒に入るのは嫌だ?」
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 00:43:35.75 ID:TVKSNxJjO
「いや、だからそういう話じゃ……」

「じゃあ良いじゃん、入ろうよ。私だってこんな雨のなか歩きたくないよ」

「本当に最近どうした? 大丈夫?」

「私はいたって普通だよ、大丈夫」

いや、普通じゃないから……って言っても認めようとはしないんだろうな、たぶん。

「いや、お前、やろうとしてること、彼氏と同じことじゃん。それ分かってるの?」

言って良いのか分からなかった、と言うか、たぶん言っちゃダメなことなんだろうけど、僕はそれを口にしてしまった。

だって、こうでも言わないと入ると言うまでここで口論をすることになは気がしたから。

僕の言葉を聞いたミユは、表情を曇らせて俯いた。

言の刃を向けてしまったことを悪いとは思うけど、でもこう言う以外にミユを止める方法も思い付かなくて。ごめん。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 00:50:42.50 ID:TVKSNxJjO
しばらく黙っていたミユは、顔をあげて僕を見た。目を合わせて、決意を込めた目線だ。

「そんなこと、分かってるよ」

「じゃあ何で……」

「分かってるけど、傷つけられた私はどうすれば良いの? 傷ついただけで、それで終わりなの?」

「どうすればって……」

何で、今なんだろう。

いや、タイミングの問題じゃないのかもしれないけどさ。ほら、前に僕に話してきたタイミングでだったら、浮気されたショックでって分かる。

でも、あの時は割と冷静に辛さを処理できていたように思える。あれからしばらく経っているのに、何で今更。

「何で私だけなの。ねぇ、カズくん、教えてよ」

そんなこと、僕に言われても困る。困るけど、それを言葉にすることも僕には出来なかった。

「そんなに私って魅力がない? すぐに浮気されるほど、私から誘ってもエッチしたいとは思えないほど魅力がないの? ねぇ!」
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 00:57:49.71 ID:TVKSNxJjO
そう叫ぶ彼女の目は雨以外の何かで濡れていて。

傘をさして歩いてる人たちは、ホテルの前で立って口論をする僕たちを好奇の目で見ながら通りすぎる。たぶん、痴情のもつれか何かに見られているんだろうな。

「そんなことは……」

実際、ミユは可愛い子だと思う。気さくで、マネージャーとしても気が利くし、顔だって愛嬌があって可愛らしいって感じで、少なくとも嫌われるような子ではない。

でも、だからと言って僕が彼女を抱くことはたぶんできない。

「……」

沈黙を回答にすることしか、僕には出来なかった。

「……もういいっ、帰るっ! カズくんの、バカ!」

その言葉を残して、ミユは走って僕の前から消えてしまった。

ホテルの前で立ち尽くして、僕は彼女の背中を目で追いかける。

それしか、僕には出来なかった。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/21(木) 09:21:07.32 ID:us7JwQmAO
乙!大量投下は嬉しいね
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/21(木) 09:56:44.26 ID:LnbeXNIOO

登場人物全員好きになれないのに、このSS自体は好きな不思議
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/21(木) 18:45:36.60 ID:TVKSNxJjO
あの日のミユとの気まずさは無くならないまま、僕たちは天皇杯予選決勝、キックス戦を迎えた。

あれから二回開かれた練習で会っても特に会話もなくて、チームメイトも「痴話喧嘩かー?」なんておちょくってくるけど、ミユはそれにも反応しない。僕は「そんなんじゃないっす」ってヘラヘラ誤魔化しといた。

あの日から降ってはやみを繰り返していたけど、空は今日も雨模様。

芝のピッチは少し重たくなっていて、ヘビーな試合になりそうだ。幸い、アップをしてみた感じでは水溜まりはまだ出来てないみたいだけど。

それに、雨っていうのはある意味で都合が良い。格上に挑むのに、不確定要素は多ければ多いほど良いからね。

蒸し暑さを感じながら、ステップを踏んで僕は体を暖める。
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/21(木) 18:55:33.78 ID:TVKSNxJjO
右サイドバックでスタメンとなった僕は円陣を終えてポジションにつき、ヤマさんがミーティングで話していたゲームプランを頭のなかで繰り返す。

前半は、基本的にディフェンシブに試合に入って無失点で乗りきる。そして、後半になって相手が焦ってきたところで隙を狙ってカウンター。言ってしまえば、弱者の兵法だ。

審判が笛を吹いて試合が始まる。

相手チームのキックオフで始まると、僕の方にロングボールが飛んできた。キックオフ後のロングボールはそんなに珍しいことではないけど、今日は雨だということもあってかこういう蹴り合いが増えそうだ。

そのボールをトラップすると、プレッシャーをかけに来た相手選手が視界に入ったのですぐに蹴り返す。セーフティーなプレーをしないと、こういう日は本当に危ない。
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 20:24:23.44 ID:TyYeCfcPO
ひょっとして、ビッチ の人かな
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/21(木) 21:54:17.64 ID:TVKSNxJjO
予想通りの大味な展開で、試合はどんどん進んでいく。お互いに中盤をほとんど省略して、前へ前へロングボール。そのこぼれ球を誰がとるか。そんな試合。

たぶん見てる人は退屈なんだろうけど、やってる方はなかなかヘビーなんだよね、こういう試合って。

内容はつまらなくても、時間は着々と流れていく。このまま前半を無失点でいけたら、僕らにも勝機はある。

僕とマッチアップすることの多かった左サイドの相手選手は、リスクを負いたくないのかなかなか勝負を仕掛けてこない。僕も人のことは言えないけどね。

実力的にキックスの中ではそんなに上手いわけではないのか、彼には一対一の局面では今のところほとんど負けていない。

試合は膠着状態に陥って、お互いにロングボールを蹴ってもシュートまでは結び付かないことが増えてきた。いいぞ、このままだ。

そんな油断が良くなかった。

ボールを受けた僕がセンターバックへ出した横パスは、試合中に出来てしまった水溜まりで止まってしまった。

それを狙っていたキックスのフォワードはボールを拾い、そのままゴールに向かってドリブルを始める。

慌てて僕もセンターバックも戻るけど、相手は独走でキーパーと一対一を迎えた。コースを狙うシュートではボールが止まる可能性を恐れたのか、飛び出しているキーパーもお構いなしに思い切り右足を振り抜かれた。

カァン! と、乾いた音が鳴って、ボールはゴールの外に弾かれた。

危ない……ゴールポストに助けられた。

「カズー! パス速度気を付けろ!」

前にポジションを取っていたヒロさんからは叫び声が聞こえてくる。僕もそれに右手を上げて了解と表した。

本当に、雨の日は何が起きるか分からない。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 22:00:23.99 ID:TVKSNxJjO
ほっとしたのも束の間、ゴールキックを拾ったキックスは、逆サイドから崩しにかかった。雨で止まらないように少し浮いたボールでパスを回し、スルーパスを通される。

うちのチームのセンターバックが一枚釣りだされてしまい、ゴール前にはもう一人のセンターバックと僕しかいない。相手はフォワード二人に右サイドの選手の三人。

ふわりと浮かせられたクロスは、相手チームの長身フォワードにぴったりと合っていた。

競り合いにいったセンターバックも、綺麗に点と点が線で結ばれたようなそのボールには触れることができなくて。

前半34分、キックスが先制ゴールを決めた。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 22:07:44.24 ID:TVKSNxJjO
その後は、勢いに乗ったキックスが試合のイニシアチブを握った。

僕たちは防戦一方になりながらも、どうにかゴール前で跳ね返し続ける。とてもじゃないが、カウンターなんて狙えそうもない。

ロングボールどころか、クリアすらままならぬまま、前半終了の笛を待つ。

くそっ、まだ鳴らないのかよ!

無失点に抑えていたからと動いていた足も、徐々に疲れを実感しつつある。サッカーはメンタルのスポーツって本当だね。

とにかく相手がボールをもったらすぐにプレッシャー、パスをされたらポジションを取り直してっていうのを繰り返し、勝ちの目なんて見えない試合は時間が流れる。

嫌な時間は永遠にも思えて、でも永遠なんてものは現実にはあり得なくて。何度目か分からないキックスのシュートが枠を外れたとき、神の笛が鳴らされて前半が終わった。
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 22:24:12.45 ID:TVKSNxJjO
ハーフタイムのベンチでは、皆声を出す余裕もないくらい疲れている。晴れてると暑さで体力がなくなるんだけど、今回は雨のぬかるみだけでなく、精神的にもキツイ。

ヤマさんは「まだ一失点だ、いけるいける!」と根拠は無いけど前向きな声を出している。

「どうやって相手を崩すかが問題だよ」

「いや、こんなピッチじゃ崩すにも崩せないよ……パスも止まりやすくなってきたし……」

他のチームメイトもこの調子だ。八方塞がりとは認めたくないけど、現状ではどうやってて点を取りに行くかの案も出せない。

ピッチ中央付近は水溜まりが増えてきてる。サイドはともかく、真ん中の選手はパスを出すのも一苦労って感じ。

「カズ、お前の対面どうだった?」

その声をかけてきたのはヒロさんだった。

「7番っすか? いや、仕掛けてこないから何とも……でも、他の選手ほどじゃないかも」

「だよな、お前のサイドで危なくなったのは、パスが雨で止まったあのシーンだけだし……」

少し考える間をおいて、ヒロさんは全体に呼び掛けた。

「後半、右サイドを起点にしましょう。雨で真ん中は使えない。それに、カズの対面の選手は正直キックスの穴だ。狙わない手はない」

ヤマさんの方を見て、ヒロさんは「どうですか?」と確認を取る。

試合前のゲームプランが壊れた今、藁にもすがる気持ちなのだろう。ヤマさんはそれに頷き、チームメイトも同意した。

審判が選手をピッチへ呼び戻す笛が鳴り、僕たちは雨の中へ戻っていく。

この試合に勝てなければ、先はない。それなら勝つしかない。

そんなシンプルなことだけを考えて、僕はポジションへついた。今度はスタンドに近いサイドで、ベンチの選手からの声もよく聞こえる。

雨が降り続くピッチの上で、強い音が響いた。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 22:30:40.27 ID:TVKSNxJjO
後半が始まってしばらく経つと、僕は小さな自信を持ちつつあった。

ハーフタイムを挟んだおかげか、相手チームの勢いは落ち着いている。加えて、カズさんの「相手の7番は穴」という発言が正しかったのか、今のところ彼にボールを取られる気はしない。

ドリブルを仕掛けてないから、奪われようがないっていうのもあるけどね。こんな雨では、下手にドリブルをして奪われてしまうのは怖い。穴とはいえ、格上のチームでの話だしね。

ハーフタイムでの立て直しが利いたのか、少しずつ、僕たちも攻めの形を作れるようになった。相変わらずロングボールがメインのつまらない形ではあるけど。

少しずつ7番を押し込んで、僕が高いポジションを取れるようになってきた。悪くない流れだけど、時間を考えるとそろそろ同点にはしておきたい。

中盤を省略したロングボールをうちのセンターバックが怪って、競り合いから零れたボールをヒロさんが拾った。

今だ!

予選の最初の試合だったかな、ヒロさんがボールを持ったら前に走り出せってやつ。それを今、僕はしている。

全力で右のライン際を走り、ヒロさんからのパスを呼び込む。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 22:37:31.34 ID:TVKSNxJjO
低いライナーで僕の走る先へドンピシャのパスが届けられた。さすがヒロさん。

ゴール前を確認すると、7番に追い付かれる前にクロスを上げた。

後半が始まってからはずっと僕のサイド、右サイドをメインに使っていた。必然的に相手もこっちに人数を割くことになり、ゴール前にもディフェンダーは固まっている。

じゃあ、空いているのは? 簡単な問題だよね、逆にある左サイドの選手だ。

僕の蹴ったボールは人の密集していたゴール前を飛び越して、逆サイドの仲間へと届けられる。

雨の中、転がったボールは止まってしまうかもしれないけど、浮いたボールなら綺麗にミートすればそれだけで飛ぶ。

ダイレクトで合わせるのは難しいけど、彼は見事に押さえられたボレーを放った。

それは美しささえ感じられる弾道で間隙を縫い、ゴールネットへ突き刺さった。
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 22:45:00.47 ID:TVKSNxJjO
退屈な試合展開から生まれたビューティフルゴールに、雨の中でもこんな試合を見に来るような物好きな観客たちは歓声をあげる。

今のボレーは、たぶん10回に3回成功するかどうかの偶然だ。まぁ、決まったっていうことが一番大事なんだけどさ。

喜びを爆発させるチームメイトを見ながら、僕はスタンドに設置されている時計を確認する。サッカー用のデジタル時計がない競技場だから、アナログ時計だし大体の残り時間しか分からないんだけど。

あと20分か、このまま勢いに乗れたらいける、勝てる!

そのまま目を離し、ゴールを決めた殊勲者にハイタッチで称えようと彼のところに向かおうととして、見覚えがあるものが目に入った。

あれ、あのハットって。

こんな雨の中、帽子を被っている人なんてそうそういない。

「ははっ」

何だろう、嬉しい気持ちになって、同点の喜びだけじゃなくてにやけちゃったよ。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 22:53:36.07 ID:TVKSNxJjO
試合が再開されると、相手の動揺は手に取るように分かった。ロングボールの精度は落ちてるし、そのこぼれ球への反応も悪い。

前半の失点後の僕たちみたいだ。一番の違いは、たぶん彼らが僕たちより格上だということ。焦りは僕たちよりかなり強いはずだ。

その一方で、うちのチームは勢いに乗っている。ハーフタイムでの作戦変更がハマったという事実も、僕たちにある種の自信を与えてくれた。

イケイケムードでシュート放ち、キックスがそれを防ぐ時間が始まった。

とはいえ、さすがはJFLのチームと言うべきか、最後の最後でしっかりと蓋をしてくる。シュートは打てても得点まではなかなか結び付かない。

延長に入れば、さすがに相手も立て直してくるだろう。そうなると、地力で勝るキックスが有利になってしまう。

かなり高いポジションを取っていた僕は、ヒロさんから横パスを受け取った。中盤の右サイドの選手は、ほとんどフォワードみたいなポジションを取っている。

目の前には7番が立つ。

今までは、僕は雨だからといって安全なプレーを心がけて仕掛けずにパスで逃げていた。

でも、ここでそれをするのが本当に賢いプレーなのか?

本能としか言えない

気づいたときには、僕は7番に向かってドリブルで勝負を仕掛けていた。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 23:08:39.92 ID:TVKSNxJjO
カズヤから貰ったプレゼントは、中々使うタイミングが無かった。

いや、被りたいとはいつも思ってたよ。でもさ、折角なら試合を見に行く日に使いたいじゃない。

カズヤのチームのことは、あの後インターネットでサッカー協会のホームページを見て試合結果は追っていた。次の会場とか時間も掲載されていたんだけど、お仕事が入ってなかなかい行くことは出来なかったんだけどね。

カズヤもあの日からお店に来なくなって、何かちょっと寂しさを感じていた。

その寂しさを埋めたかったのかな、アキラに会いに行っちゃったの。彼も何かイライラしてたのかな、珍しくプレゼントも持ってない私を抱いた。ホテル代は私持ちだったけどね。

良くないことだって本当に分かってるし、変わりたいって気持ちも本当だ。それでも、やっぱり変われないくらい私はクズ。

雨模様の天気と同じで、私は私に嫌気がさしていた。いつものことって言えば、いつものことなんだけどね。

でも、カズヤたちの試合結果をみていると、何だか胸が晴れるんだよね。

「あっ、また勝ってる!」「もう準決勝かー」なんてね。関係者でも何でもないのに、何でだろう。

何だかその言葉に特殊な響きを感じて、私は決勝戦の日はお休みをもらうことにした。カズヤたちが決勝に残れるかも分からないのにね。

不思議なことに、私は彼らが決勝に残ると心の底から信じていた。理由なんて分からないけど、でも、本当に。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 23:26:46.42 ID:TVKSNxJjO
そんな私の期待通りと言うべきか、カズヤたちは決勝まで勝ち進んだ。

それがどれくらい難しいことなのかは分からないけど、とりあえず決勝戦ってだけで何だか凄いんだろうなってことは分かる。

久しぶりに見に行けるという期待と裏腹に、雨模様の天気は続いていた。当日の朝も、天気は良くない。

こんな雨の中で帽子を下ろすのはどうかと思ったんだけど、いよいよ行けるということで、我慢できなくなってそれも頭に被っちゃった。

歩いて行くかタクシーで行くか悩んだけど、歩いてみることにした。カズヤたちは雨でも傘も ささずに走るんだし、少しくらい私も歩いておこう。

そんな風に考えた自分に自分で驚きもしたんだけどね。カズヤに会う前の私なら、「タクシーに乗るお金くらい持ってるのに、乗らないはずがない」と思っていただろう。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/21(木) 23:35:24.48 ID:TVKSNxJjO
会場に着くと、ちょうど試合が始まる頃だったみたい。スタンドの雨が振り込まない席を見つけて、私はそこに座った。

グラウンドの上で選手が丸くなっていて、声をあげたあとに散らばっていく。カズヤはスタンドとは逆に向かっていった。

試合が始まると、ボールの蹴り合いが始まった。前の試合だったらオオタさんがドリブルをしたり、カズヤが前にいったりしてたんだけど、今日はそんなこともない。

ポーンってボールが飛んでいって、ドンってヘディングをして、そのボールを拾ったら攻められる。相手に拾われたらそれが入れ替わるって感じ。

カズヤたちのチームはどっちかって言うと攻め負けてるのかな。相手チームが長いボールを蹴る回数が多く思える。

でも、点に動きもないし、試合展開も同じことの繰り返しで退屈になりかけていた時に、カズヤのパスが水溜まりで止まった。

「危ないっ」

口にするつもりはなかったのに、いつの間にかそれは声になっていた。

幸い、相手がシュートを外してくれたけど自分が何か失敗をしてしまったかのように焦っちゃった。

オオタさんがカズヤを注意する声が聞こえてきて、私もそれに心の中で同意した。危ないよ、本当に!
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/22(金) 00:29:07.08 ID:BBajezbMo
追いついた
サッカーのことは分からんけど
描写が細かくていいな
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/22(金) 12:30:28.48 ID:bnzY9ZNbO
ゴールキーパーの蹴ったボールは相手に拾われて、鋭いパスがカズヤとは逆サイドに蹴られた。

ゴール前の人数は相手の方が多くなっちゃって、素人目にも危ないシーンだと分かる。何か背の高い選手も多いし、ゴール前にも蹴られたら危なそう。

私の嫌な予感は当たったのか、高くてふわっとしたボールがゴール前に上がって、相手選手がヘディングするとネットが揺らされた。

あーあ、決められちゃった。

相手チームには応援団……サポーターって言うんだっけ? みたいな人たちが何人かいて、彼らは喜びの声をあげている。多くはないけど、自分のことのように盛り上がっていて、ゴールを決めた選手も彼らに向かって手を突き上げていた。

何かちょっと羨ましいなぁ、ああいうの。

カズヤたちはと言うと、すぐにポジションを取り直して試合再開に備えている。

「顔あげろ! 次だ次!」

そんなカズヤの叫び声も聞こえてきた。一点取られたくらいじゃ、もちろん諦めないよね。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/22(金) 13:35:04.44 ID:CxNsvExr0
追いついた
引き込まれるようにここまで読んだ
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/22(金) 18:43:48.89 ID:bnzY9ZNbO
それからは相手チームがカズヤたちのゴールに迫るシーンが増えてしまって、見てる私のハラハラも同じように増していく。

いつ二点目を決められてもおかしくないってくらい、カズヤたちはシュートの雨を浴びている。それでも、最後のところで踏ん張ってボールを弾き出したり、体に当てて逸らしたり。

あんな勢いのボールが体に当たっても、すぐに立ち上がってプレーをしている。痛くないはずがないのに、何でそんなに頑張れるんだろう。

こんな雨の中、痛い思いをしてまで続けたいものなのかな、サッカーって。

……こんな日に見に来る私も、相当物好きなのかもしれないけど。

そんな突っ込みを心の中で入れていたら、ボールが外に出たところで前半が終わった。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/22(金) 18:54:59.03 ID:bnzY9ZNbO
前半を終えてベンチに向かうカズヤを眺めていると、そこにいる女の子が目に入った。マネージャーかな? そういえば、前にカズヤを迎えに来た子に似てる気がする。

それで仲良しだったんだ……へぇ、そっか。

少し胸がズキッとした。懐かしいような、でもとても辛いような痛み。いつも感じてる気もするし、久しぶりに感じた気もする。

彼女はカズヤに一言もかけずに、他の選手にタオルやドリンクの入ったボトルを配っている。不自然なくらい、カズヤを避けて。どうしたんだろ、喧嘩中?

サッカーを見に来たというのに、私はそんなどうでもいいことばりを気にしていた。ダメだ、ちょっと彼から目を離しておこう。

相手チームのサポーターも、さすがにこの時間は応援を止めるらしい。雨の中でもこんなに応援してくれる人がいるなんて、彼らは幸せ者だね。

カズヤのチームにはサポーターなんていないみたいで、相変わらず少数の関係者が小さく纏まって見ているみたいだ。

そこから外れてこんな席でこそこそ見ている私は、もしかしたら変な人に見えるのかも。

そんなことを考えているうちに、選手が出てきた。前みたいにカズヤが前に来ていることもなくて、前半と同じようなポジションについた。後半はスタンドに近いサイドだったから、カズヤのプレーが見やすそうだ。

笛が鳴って、選手は再び走り始めた。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/22(金) 19:06:53.61 ID:bnzY9ZNbO
気のせいかな、後半になってからカズヤがボールを触る回数が増えた気がする。

私が彼を見てるからかもしれないけど、前半よりカズヤからパスが出てることが多いと思うんだよね。

ドリブルをしないからボールを持ってる時間が短くて分かりづらいけど、でもカズヤを中心にチームが動いてそう。

前みたいにポジションが変わったとかじゃないから、パッと分かることじゃなかったんだけど、前半より攻められてる時間も減った気がする……というか、むしろカズヤたちが押せ押せになってる。

シュートも打てるようになったし、前半みたいに相手ばかりが攻めてる訳でもない。

カズヤを応援しながら見ている私には心地いいリズムで試合が進むようになった。負けてるんだけどね。

とはいえ相手も決勝戦まで進むチームなだけはある。シュートを打たれても、決めさせてはくれずに試合は進んでいる。

オオタさんも、今日はなかなかボールに触ることがない。水溜まりでオオタさんのあたりは蹴りづらそうだし、相手選手もオオタさんがボールが来るとすぐに邪魔しに来る。

時間が着々と進んで、試合をしているわけではない私も焦り始める。

準優勝と優勝って、何か違うのかな。……賞金? 負けて失うものが何かは分からないけど、今はとにかくカズヤたちに勝ってほしい気持ちだけで心の中でエールを送る。

そんな時、オオタさんがこぼれ球を拾った。
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/22(金) 22:46:23.83 ID:bnzY9ZNbO
半端なところですが、コメントありがとうございます。

>>156
2ちゃんにSSを落とすこと自体久しぶりなので、たぶん別人だと思いますが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。

頂いたレスが本当に励みになってます。
もちろん完結まで書くつもりですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。

本当に、ありがとうございます。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/22(金) 23:49:06.13 ID:HUDZpq3HO
この絶妙な軽さがいい
おつ
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 01:19:26.64 ID:8XG/2VHLO
それに呼応して、カズヤは前に走り出す。以心伝心ってこういうことなのかな、寸分の狂いもないパスがカズヤの足元に送られた。

相手の7番を簡単に振り切ったカズヤは、ボールを中に向かって蹴りあげた。それは弧を描きながら完全に空いてた選手に届けられて、カズヤのパスをそのまま叩いたボールはゴールに突き刺さった。

あまりに華麗なゴールに相手チームのサポーターは呆然としていて、それ以外の人たちは歓声をあげている。私から見ても、あのゴールはすごいって分かる。

ゴールを決めた喜びを爆発させる選手が走り回る中、カズヤはスタンドをじっと見ていた。どうしたんだろう。ああ、時計を見てるのかな。

残り時間はまだある。このままなら、カズヤたちの逆転だってできそうな気がする。頑張れ。

心の中でそう唱えたとき、カズヤがこちらを見てふっと笑った気がした。……気がした、それだけ。
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