球磨「面倒みた相手には、いつまでも責任があるクマ」

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122 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 22:49:23.21 ID:XBnaHpLy0


ソイツは、ボロボロになった士官軍帽を被り、白銀色に輝く長い髪を靡かせていた。

ソイツは、端麗な顔立ちで、唯静かに球磨を見据え、海原に屹立していた。

ソイツは、蒼玉石の如く輝く、怪しげに光らせた瞳を、球磨へと向けていた。

123 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 22:50:54.17 ID:XBnaHpLy0



『ソイツは、姫級だ』


124 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 22:52:52.55 ID:XBnaHpLy0


 ………………………………


この世界に居る深海棲艦の中で、最も最凶最悪な敵、「姫級」。

熟練部隊でも退けるのがやっとの敵であり、姫級との遭遇時における海軍全体での第一命令は、「即刻撤退」であった。


何故なら、艦娘も無限に存在している訳ではない為、その運用リソースも限られている。

いくら倒すべき敵とはいえ、大規模作戦を除き、本来目標として通常任務に組み込まれるべきではない敵である以上、悪戯に戦力を減らす必要は無いからだ。

125 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 22:56:10.52 ID:XBnaHpLy0


「分かっているクマ。そうしたいのは山々だクマ。でも、完全に奴の射程内だクマ」


それは最高練度を極めた球磨に限らず、出来れば一人で相手したくない敵であった。


『……既に近場を航行している鎮守府主力部隊に応援要請を出している。こちらの部隊にも戻る様に命令してある。援軍到着まで約15分。それまで持ちこたえられるか?』

「まぁ、何とかしてみせるクマー」

『……了解した。海霧で上空から殆どモニタリング出来ない。よって無線はオンライン状態を維持。もし援軍到着までに撤退可能であれば、即刻撤退せよ』

「了解クマ」

126 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 22:58:08.28 ID:XBnaHpLy0


球磨は無線に言葉を投げかけた後、全ての兵装が何時でも使用可能な事を確認した。

そうして球磨は、姫との距離を遠距離に保ちながら、姫の周りをゆっくりと航行し、「さて、どう倒そうか」と考えを巡らせ、姫の出方を待った。


「……」


姫はその場に突っ立っているだけに見えるが、球磨同様、何ひとつ身体に無駄な力が入っていないのが、球磨には分かった。

戦場でこれだけ脱力した敵と相見えるのは、球磨も初めてだった。

以上の事から姫は、兵装含め、球磨と同等、或いはそれ以上の手練れであると窺える。

127 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 22:59:53.37 ID:XBnaHpLy0


「クマー!!」


そうして均衡を崩したのは、球磨の開幕魚雷攻撃からであった。


それと同時に球磨は、姫を中心点に、円を描く様に航行しながら、主砲を発射した。

次いで、姫の逃げ場を無くす為、更に雷撃を行い、次いで風を頼りに弾着修正射撃を行った。

128 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:01:35.57 ID:XBnaHpLy0


「……」


しかし姫は、外套をはためかせながら、球磨の砲弾と魚雷を最低限の動きで回避する。

そして球磨と同様、逆に球磨の逃げ場を無くす様に魚雷をばら撒き、主砲を連射した。

球磨も、姫の主砲と雷撃を避けつつ、カウンター気味に遠距離から砲弾を叩き込むが、姫は球磨と同じく、始めからその場に居なかった様に、砲弾を躱していった。

129 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:03:42.43 ID:XBnaHpLy0


つまるところの膠着状態である。

球磨と姫、一手間違えば決着が付くこの状況で、両者共に決定打が打てずにいた。


「くっ……!」

130 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:05:01.62 ID:XBnaHpLy0


――遠距離では埒が明かない。


そう考えた球磨は、周回運動を止め、之字運動を行いながら、姫に対して「接近」を試みた。


しかし何故、「接近」という行動に出たのか、その時の球磨には分からなかった。

15分程度で援軍が到着するなら、このまま近からず遠からずの距離を保っておけばいいだけの話だ。

そして姫が、こちらへと過度な攻撃を仕掛ける気配がないと判明した以上、砲弾の雨を掻い潜りながら、提督の命令通り、上手く逃げればいいだけの話だ。

その事を理解しておきながら、あえて球磨は、姫へと「接近」した。

131 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:05:39.00 ID:XBnaHpLy0



――――何故なら、この時の球磨は、「何が何でもこの姫を倒さなければならない」と言う、名状しがたい感情に駆られていたからだ。


132 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:07:28.19 ID:XBnaHpLy0


遠距離から副砲で牽制しながら近付くが、所詮は豆鉄砲の為、大したダメージにはならない。

一撃で勝負を決めるに至る魚雷も、最低限の動きで簡単に避けられる。


だが、副砲や当たらない魚雷は、あくまで敵に対する牽制や自身の次の攻撃へと繋げる為の布石(ジャブ)に過ぎない。

言うまでもなく目的は、自身の攻撃を絶対に外さないであろう超近距離からの、主砲砲撃による一撃必殺攻撃(ストレート)である。

133 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:08:41.05 ID:XBnaHpLy0


中距離まで近付いたところで、之字運動で接近する球磨の姿を精確に捉えた姫が、魚雷を発射する。

球磨は、魚雷と魚雷の合間を縫う様に避け、姫と同様に、最低限の動きでそれを回避する。


「……」


だがその刹那、脚艤装の反動回避の一瞬の隙を見抜いた姫から、回避不可の予測砲撃が行われた。


「ぐあっ……!」


姫の砲塔から発射された砲弾は、球磨の右脇腹を抉り、球磨は大破した。

134 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:09:53.19 ID:XBnaHpLy0


「……まだだクマっ!!」


軋む痛みにより、一層、闘志が湧き上がった球磨。

その心を反映するかの如く、球磨は主砲から砲弾を続け様に姫へと放った。


まず一発目、姫に向けて直撃弾を放つ。


「……!」


予想通り、姫は砲弾を避けた。


「そこだクマぁあああ!!」


次いで球磨は、間髪入れずに二発目を射出する。

そして球磨が二発目に予測射撃で狙うのは、姫の背中に抱えた主砲塔であった。

135 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:11:14.94 ID:XBnaHpLy0


先程から球磨は、姫に対してずっと直撃狙いの砲撃を続けていた。

その為、僅かに直撃から狙いがずれた、主砲塔狙いの砲撃は、姫の虚を突く攻撃。

姫に直撃させるよりかは、命中する確率が高かった。

当然、姫の主砲塔に砲弾を叩き込んだぐらいでは、致命傷はおろか姫級の頑丈な艤装が壊れる筈もない。


だが、いくら頑丈とは言え、背中に背負った主砲塔に砲弾が着弾した際の衝撃は計り知れない。


――果たしてお前は、平然としていられるのか。

136 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:12:27.16 ID:XBnaHpLy0


「……ッ!?」


答えは否である。

球磨の予測通り、砲弾で主砲塔を弾かれた姫はバランスを崩しかけた。

137 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:13:07.89 ID:XBnaHpLy0


――これで道が開けた。


球磨は之字運動を止め、脚艤装の出力を「最大戦速」に切り替え、姫へと至る道を直線距離で駆け抜ける。

姫は直ぐに態勢を立て直し、近距離まで直線的に押し迫った球磨に対し、主砲を放った。

138 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:14:06.52 ID:XBnaHpLy0


「なめるなクマぁあああ!!」


それに対して球磨は、海面を勢いよく蹴りつけ、身体を中空へと投げ出し、重心を右脚から左脚へと移動させる様に身体を回転させ、左脚で着地するバタフライジャンプで、その砲弾を回避した。

139 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:15:25.40 ID:XBnaHpLy0


――奴さんの主砲再装填前に、ケリをつけてやる。


そして球磨は、姫との距離、数メートル手前、波が悲鳴を上げるのを聞きながら、急停止した。

球磨の目が捉えたのは、敵である姫の表情がよく観察できる距離。


――この距離なら、まず外さない。


球磨は、姫の超近距離まで肉薄した。


「これで……終わりだクマっ!」


左肩から覗く主砲ターレットを姫へと向け、球磨はこの瞬間、勝利を確信した。

140 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:16:39.28 ID:XBnaHpLy0


「……」


だが、その様な状況にも関わらず姫は、静かに微笑を浮かべると、蒼玉色に輝く目で球磨を捉えた。

その姫の会心の笑いに、球磨の身体に戦慄が走った。

141 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:17:39.91 ID:XBnaHpLy0


――しまった、この距離は!


球磨は心の中で叫んだ。


球磨は感じていた。

自身の焦燥による、自分が犯した決定的な過ちを。

艦娘として長らく、海での戦闘経験を積んでいた事が仇となった事を。

142 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:18:59.95 ID:XBnaHpLy0


この姫の艤装は、他の深海棲艦が装備している様な、ゴテゴテとした艤装ではない。

この姫の艤装は、球磨と同じく、己が動きを最大限に生かす事が出来る軽装甲艤装である。

動きを最大限に生かせるという事は、己の身が許す可動域内で、どんな動きにも移す事が出来るという事に他ならない。


既に球磨の砲弾は、砲塔薬室へと運ばれ、装填が完了し、装薬にはバチバチと火花が走っている。

今まさに、コンマ秒後に砲弾を敵前へと吐き出さんとしている砲塔の様子を、球磨は感じていた。

だがコンマ秒は、姫にとっては十二分過ぎる時間であった。

143 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:19:56.46 ID:XBnaHpLy0


球磨は後悔した。

自身の攻撃中止が行えないこの状況を。


そして球磨は失念していた。


――――この姫との距離は、航空戦でも砲雷撃戦でも無い、「徒手格闘」の距離だという事を。

144 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:21:21.78 ID:XBnaHpLy0


姫は脚艤装の出力を全開にし、破裂する様な勢いで球磨の懐へと詰め寄った。

球磨は防御の為、咄嗟に両手を眼前に構える。


しかしそれを見た姫は、球磨のガードを円を描く様に手で払い除けると、そのまま球磨の砲塔を右手刀でかち上げ、強引に球磨の砲口をずらす。

刹那、砲塔から発射された砲弾は、姫の頭の上を掠める事なく、弧を描いて海に落ちた。


そして姫は、詰め寄った自身の勢いを利用して、球磨の胸元に左拳を叩きこみ、球磨を突き飛ばすと、逆に己が主砲を球磨へと向けた。

145 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:22:15.77 ID:XBnaHpLy0


「ナメルナ」


そして再装填が完了した姫の砲塔から放たれる、必殺の一撃。

バランスを崩していた球磨にその攻撃を避けられる筈もなく、球磨は直撃弾のカウンターをその身に叩きこまれた。

146 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:23:38.19 ID:XBnaHpLy0


 ………………………………


――これが運命か。


どんよりと白濁した意識の中、球磨は自身の艤装や身体へと意識を向けた。

主砲、副砲、魚雷はおろか、脚艤装さえもまともに動かない状態である。

半身が水に浸かり、仰向けのまま海に浮かんでいるのがやっとの状態である。


そしてバシャバシャと水音を立て、その状態の球磨に近付いてくる者が居た。

それが誰なのかは、球磨には分かり切っていた。

147 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:25:15.17 ID:XBnaHpLy0


「……終ワリダ」


白銀色の長髪を揺らし、蒼玉色に輝く目で、姫は球磨を見下ろした。

死の宣告を告げる為に、姫は球磨を見下ろしていた。


姫の背中に担がれた主砲塔から再装填を告げる金属音が、球磨の耳へと鮮明に響いた。

148 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:26:25.70 ID:XBnaHpLy0


――この球磨をもってしても……ここまで、か。


自身の死を悟った球磨は、ゆっくりと目を閉じた。


そして姫は、再装填が完了した主砲砲口を球磨に対して向け、球磨にトドメを刺す為、トリガーを引き絞った。

149 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:27:13.90 ID:XBnaHpLy0


だが、その一瞬。


『軽巡洋艦・球磨っ!! 繰り返す、応答せよ!! 軽巡洋艦・球磨っ!!』


――――無線から提督の声が漏れた。

150 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:29:02.73 ID:XBnaHpLy0


『軽巡洋艦・球磨っ! 一体、何があったっ!? 返事をしろっ! おい、球磨!』


球磨は目を瞑りながら考えた。


――手向けが提督の声になるとはな。


だが、今この状況、自分が死ぬ運命が捻じ曲げられないこの状況で、提督の呼び掛けは何も意味を成さなかった。


――皆、すまない。


球磨は心の中で提督と基地の皆、そして妹たちに謝り、姫から下される審判の時を待った。

151 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:29:41.96 ID:XBnaHpLy0


「……?」


しかし、いくら球磨が待っても、その時は訪れなかった。

球磨は不思議に思い、目を開き、眼前に映る姫を一瞥した。


「……!?」


そして球磨は、驚愕した。

152 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:31:58.16 ID:XBnaHpLy0


何故ならその時、球磨の目に映ったのは。


「……ソンナ……事ッテ……」


―――――球磨の顔を見据え、そして唯々動揺している姫の姿だったからだ。

153 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:33:05.13 ID:XBnaHpLy0


背中に抱えた砲口が、微かに震えているのが分かる。

もごもごと口を開こうとする姫の様は、球磨に対して何か言いたげであった。

しかし、それが上手く言葉に出来ないと言った様子である。


球磨からしてみれば、敵である姫の態度は、唯々不気味であった。


そして数十秒の後、意を決した様に姫は、そのまごついた口を開いた。

154 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:33:55.40 ID:XBnaHpLy0


「……オ前ノ名前……球磨……ト言ウノカ?」

「……」


姫は海底から唸る様な掠れた声で、球磨にそう尋ねた。

155 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:35:27.61 ID:XBnaHpLy0


――何故、コイツは球磨の名前を知っているんだ?


『球磨っ! 頼む、返事をしてくれっ!! 聞えないのかっ!?』


――ああ、そうか……提督の無線か。


その実、先程の姫の直撃弾、その衝撃によって球磨の無線機材が故障していた。

故に、普段だったら決して聞こえないであろう提督の声が、無線を通し、辺り一面に響き渡っていた。


そして現に提督は、無線越し、何度も何度も球磨へと呼び掛けている。


そう、提督の呼び掛けは、敵である姫にも聞こえていたのである。

156 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:36:43.81 ID:XBnaHpLy0


球磨は心の中で苦笑した。


――今から殺す敵の名前を改めて聞くなんて、中々良い趣味をしている。


球磨は捨て台詞の一つでも殴りつけようとするが、ダメージが大きすぎて思う様に口が開けない。


――殺るならさっさと殺れ。


そう球磨は思えど、姫は一向に球磨に対してトドメを刺す様子を見せなかった。


姫は唯、自身の蒼玉色の瞳を、球磨の琥珀色の瞳に重ね合わせていた。

157 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:37:25.14 ID:XBnaHpLy0


「……オ前ノ、ソノ目……」


そうして姫は、一言、球磨に対して言葉を投げかけた。

158 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:38:01.40 ID:XBnaHpLy0


その刹那。


「球磨姉ぇえええ!!」


――――閃光一閃、姫の佇んでいた場所を刀光が鋭く切り裂いた。

159 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:39:09.48 ID:XBnaHpLy0


「……!」


その閃光を姫は、大きく後退する事によって躱した。

そして其処には、軍刀を片手に構え、球磨の隣に屹立する影が一つ。


「……よう、三下奴。うちの球磨姉が世話になったな」


怒りに燃え、姉の盾となり、己が刃を持って姉を護らんとする妹。

艦娘・木曾の姿が其処にはあった。

160 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:40:51.17 ID:XBnaHpLy0


「北上さんっ!」

「いくよ、大井っち!」


間髪いれず、後続の北上と大井から放たれた魚雷群の軌跡が、タペストリーの如く海原に編み込まれ、敷かれていった。


そのタペストリーは、大破した球磨、姫と対面する木曽の傍を掠め、姫へと撃来する。

姫は後退しつつ、そのタペストリーの編み糸を解く様に魚雷を躱していき、魚雷群を全て避けきった。


しかし、距離は取れた。

161 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:41:38.87 ID:XBnaHpLy0


「煙幕展張にゃ!」


殿を務めていた多摩は、煙幕弾を射出し、直ぐに姫の視界を遮った。

海面を切り裂いて球磨に近付くと、容態を確認しながら、無線越しに言葉を投げかけた。


「こちら軽巡洋艦・多摩っ! 作戦司令室、聞こえるか!」

162 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:42:57.09 ID:XBnaHpLy0


多摩は球磨の身体を抱きかかえ、己が間隔を頼りに、姫の居る方向へと指を示し続ける。

木曾、北上、大井は、多摩が指差した煙幕で視界が遮られた方向、姫が居るであろう方向に、ありったけの砲弾を叩き込んでいた。


『多摩っ! 一体そっちはどうなってるんだっ!? 球磨は無事なのかいっ!?』

「提督、説明は後にゃ! 球磨ちゃんは、見た感じ傷は酷いけど致命傷ではないにゃー! 直ぐに離脱するにゃー!」

『そうか……よかった……!! 直ぐに救護班を手配するよ! 至急、近くを航行する鎮守府主力部隊と合流、その護衛と共に帰投してくれ!』

「了解にゃ! 各員、砲撃しながら後退にゃ!」

163 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:44:07.45 ID:XBnaHpLy0


その言葉を皮切りに、球磨を担いだ多摩が筆頭、次いで壁となる様に北上と大井、そして木曾を殿に、姫の方向に対して引き撃ちしながら後退を始める。

姫の姿は、煙幕が晴れる頃には霧中で視認出来ない程の距離にあり、十二分に逃げ切れる距離まで広がっていた。

164 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:44:48.10 ID:XBnaHpLy0


『オ前ノ、ソノ目……』


そして撤退の際中、多摩に担がれた球磨であるが。

球磨は薄れ行く意識の中、木曾が援護に入る直前、姫が球磨に対して投げかけた言葉を、唯々心の中で反芻していた。

165 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:45:51.41 ID:XBnaHpLy0



『……未だ、誰かの想いを胸に抱いて戦っているという訳か……その想いが、踏み躙られたとも知らずに』


166 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/21(月) 23:47:23.23 ID:XBnaHpLy0



※ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。本日分の投稿は以上となります


■修正■

>>50

本日の軍務である近海海路の海上警備任務の為、



本日の軍務である近海航路の海上警備任務の為、


167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/22(火) 01:39:02.99 ID:OLLeivpA0
おつです!
皆かっこいいけど、展開もなかなか早いw
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/22(火) 12:42:04.90 ID:bwQy79q20
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/22(火) 15:17:50.83 ID:po2Xo0pvo
おつにゃ
170 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 21:49:04.65 ID:a8pmz1XW0

こんばんは。

コメントをお寄せ頂き誠にありがとうございます!
早速ですが、本日分の投稿を開始致します。
171 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 21:50:09.52 ID:a8pmz1XW0


 ………………………………


 ◆第2章:胸秘めた想い一つ


 ………………………………

172 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 21:52:28.24 ID:a8pmz1XW0


――――1941年11月、1520、佐世保鎮守府近郊、寺島水道、艦隊泊地。


『……うぅ……別に、退屈してない。充実してるっ』


――また、僕は夢を見た。


相変わらず天気は良く、海風は冷たく、季節は冬の初めである様に思われる。


無造作に着込んだ士官外套をはためかせ、参謀飾緒をその内側から見え隠れさせる男が一人。

「軍艦・球磨」の上甲板、その艦首付近に佇む男が一人。

以前見た夢では「大佐」と呼ばれていた男だ。

173 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 21:53:59.04 ID:a8pmz1XW0


「……そう言う割には、随分と不服そうだな」


だがその顔は、以前見た夢の時よりも、幾分か歳を重ねており、白髪が多く見受けられた。

大佐は艦首付近の手摺鎖に両手を置き、眼前に広がる大海原を見据え、重苦しく官製煙草の紫煙を燻らせていた。

174 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 21:55:42.44 ID:a8pmz1XW0


「うるさいっ! お前以外に喋れる奴が居ないのが悪い!」


そうして艦首付近には、大佐以外誰も居ないのにも関わらず、我儘娘が父親に「寂しかった」と噛み付く様な声色が響いていた。

175 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 21:57:32.23 ID:a8pmz1XW0



――その声色は、僕が知っている「艦娘・球磨」の声色と全く一緒だった。


176 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 21:59:28.33 ID:a8pmz1XW0


「それよりも参謀長の仕事はどうした?」

「視察だと言って抜け出してきた。今の私は『少将』だ。誰にも文句は言わせんよ」


以前、「大佐」と呼ばれていた男は、その上の将官である「少将」に地位を上げている事を告げた。

この階級から「閣下」「司令官」、あるいは「提督」と呼ばれるようになり、戦隊司令官、艦隊参謀長、海軍省各局長、軍令部各部長等を務めるなど、その影響力は帝国海軍の中でも絶大であった。


少将は今、艦隊泊地に停泊する「軍艦・球磨」に「視察」と言う名目で乗艦していた。

時折、慌しく歳の若い水兵たちが上甲板を往復する様子が伺えたものの、流石に自分たちの雲の上の存在である海軍少将が居る艦首付近に近付こうとする物好きは誰も居なかった。

故に少将は、誰にも話を聞かれる事無く、軍艦・球磨との会話を続けていた。

177 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:03:35.72 ID:a8pmz1XW0


「それに……せっかくの娘の晴れ舞台だしな。まぁ、馬子に衣装だな」


そう言った少将は、先程まで海に投げかけていた視線を、軍艦・球磨の艦橋や奥の中央甲板、そして備え付けられた主砲へと移した。

少将の場所からは艦橋や砲塔が邪魔して見え辛かったが、件の3本煙突の隣には内火艇が搭載されている。

中央甲板奥の魚雷積み込み用吊り柱(ダビット)付近には砲弾や魚雷が均等に並べられており、先程から水兵たちがせっせと最下甲板にある弾薬庫にそれらを運んでいた。

近代化改装によって後甲板に設置された航空機射出装置(カタパルト)の上に、九四式水上偵察機が一機、何時でも発艦出来る状態になっていた。

また主砲や甲板は、普段よりもずっと手入れが加えられ、見違えるほど綺麗に磨き上げられていた。

178 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:06:17.29 ID:a8pmz1XW0


軍艦・球磨は呆れた様な声色で、少将に言葉を返した。


「相変わらず少将はひねくれている。それに球磨は、少将の娘になった覚えはない」


その言葉に少将は、咥えていた煙草を噛み締め、むっとした表情を浮かべ、口を開いた。


「どれだけ貴様と一緒に居ると思っているんだ。2年近くの馬公での任務だけでは飽き足らず、艦長の任を解かれた後もだ。陸地任務で横須賀から呉に訪れた時は大体、貴様が居る。一寸前まで貴様が悠々と予備艦暮らしを送っている時もな。運命の悪戯か、私は今や貴様の生まれ故郷である佐世保の参謀長だ。これだけ長く一緒に居れば、貴様は私にとって娘の様なもんだ」


少女に対して早々と言葉を並べ、辛辣に捲し立てる少将の顔。

その言葉と声色とは相反して、むっとした表情から段々と嬉しそうな笑みを浮かべた。

そう話す少将は、どこからどう見ても反抗期の娘と話す父親の姿にそっくりであった。

179 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:07:15.80 ID:a8pmz1XW0


「……それとも、私に娘と呼ばれるのは嫌かね?」


そして自身が浮かべている表情に、はっとした少将は、表情を隠す様に笑みを無表情へと変え、咳払いの後、少し悲しげな口調で少女に尋ねた。

180 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:09:04.04 ID:a8pmz1XW0


「……ふっふっふっ〜、球磨を選ぶとは良い選択だ!」


だが少将の予想に反し、軍艦・球磨は歓楽の声を上げ、少将の言葉を受け入れた。

181 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:11:06.60 ID:a8pmz1XW0


少女の満面の笑みの返答に、「気恥ずかしい」と言わんばかりの柔らかな笑みを浮かべた少将。

ふいと少将は、とある文豪の随筆にあった『檣(マスト)の上へ帽子をかぶつてゐる軍艦』という紀行文の一節を思い出し、少女が軍帽を被り、こちらに向かって手をぶんぶんと振いている軍艦・球磨の姿を連想した。


「ふと思ったのだが……球磨型、つまり同型艦は、球磨も含め五隻存在している筈だ」

「そうだ。多摩、北上、大井、木曾、そして球磨の五隻だ」

「球磨みたいに話せる軍艦は、この中には居ないのか?」


それもあってか少将は、軍艦・球磨に疑問を投げかけた。


「一緒になる事は多々あった。だが、いくら呼びかけても、うんともすんとも返事しない」


そう尋ねられた軍艦・球磨は、暫く考えた後に、しょんぼりと口を開いた。

182 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:12:00.32 ID:a8pmz1XW0


「そうか、それは残念だな」

「……もし仮に、球磨と同じく軍艦に意志があったとしたら、どんな感じだと思う?」

「そうさなぁ……」


二本目の煙草に火を着け、煙を一口飲み込んだ少将は、腕組みをしながら、自身の考えを並べていった。

183 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:13:10.92 ID:a8pmz1XW0


「多摩は猫の様な性格だろう。自由奔放、悠々自適」

「多摩だけにか? えらく安直な発想だ。にゃあにゃあ」

「吾輩は多摩である、か」


少将は青年の時に文芸誌で読んだ小説の題名を引き合いに出し、その安直な発想に自分自身で苦笑していた。

そして猫の声真似をする軍艦・球磨に対し、少将は話を続けた。

184 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:15:48.27 ID:a8pmz1XW0


「北上、大井は今年、重雷装艦として改装を受けたな。ある意味、五姉妹の中でも取り分け仲が良さそうだ。仲良き事は美しき哉」

「君は君、我は我なり、されど仲良き。この先50年ぐらいはずっと一緒に居て欲しい」

「えらく遠い未来だな」


50年先の世界はどうなっているのか。

少将は想像を巡らすものの、全く想像が及ばなかった為、思考を停止させた。

それに艦艇の寿命は短い。

恐らく叶わぬ願いだろうと少将は思い、言葉を紡いだ。

185 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:17:13.78 ID:a8pmz1XW0


「木曾は末っ子だな。私の経験上、末っ子は一番上の兄姉を他の兄姉以上に特別視する傾向がある。良かったな、球磨。姉の背中をとてとて追う、可愛い妹が出来たぞ」

「女々しい、それでは球磨型の名が泣く。木曾が球磨型で最年少なら、木曾には球磨以上に凛々しくなって欲しいとは思う」

「そう言う割には、声色に説得力が全くないぞ」


そうやって喋る軍艦・球磨の声色は、まだ見ぬ妹に想いを馳せ、胸躍らす姉娘の姿そのものであった。

186 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:18:13.33 ID:a8pmz1XW0


「……もし叶うなら、何時かそんな日が来て欲しい」


軍艦・球磨は暫くの後、ふう、と溜息を吐き、現実に引き戻される事を憂いた声色で、少将に呼びかけた。


「……そうさな、何時かそんな日が来るといいな」


少将は足元に置いておいた灰皿を拾い上げ、先程までふかしていた煙草の火をもみ消した。

187 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:19:23.48 ID:a8pmz1XW0


「それにしても『合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(ハル・ノート)』か……」


そして球磨と同じく、溜息を吐き捨て、本題に入った。

188 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:20:35.07 ID:a8pmz1XW0


「確か先日、米国の国務長官から出された提案書だったか?」

「ああ、その通りだ」

189 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:21:17.51 ID:a8pmz1XW0



この時既に、世界は戦火の炎に焼かれており、大日本帝国もまた、激動の時代、その更なるうねりに呑み込まれようとしていた。


190 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:23:05.74 ID:a8pmz1XW0


「昨今の日・米英情勢はもう最悪だ。先の米国の『対日石油禁輸』なんて殊更酷い。知っての通り、我が国は資源輸入国だ。特に石油資源は国家の血とも言える。石油9割は輸入、内7割は米国からだ。それが絶たれたとなると、これはもう死ねと言っている様なものだろう。お陰で軍部のお偉いさん方はお冠だ」


悩ましい、と言わんばかりの表情で空を仰ぎ、少将は話を続けた。


「そして今回の提示だ、これが起爆剤となった。もし模那可(モナコ)や呂克松堡(ルクセンブルク)の様な小国でも、同じ様な案を突き付けられたならば、同じく米国と戦うだろう。それぐらいの条件だ」


少将は官製煙草の箱を懐から取り出し、軽く振ってみるが、一本しか残ってなかった。

191 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:26:42.19 ID:a8pmz1XW0


「それにしたって米国は、いくら弱小国とは言え、日本に対する交渉を酷く曖昧なものに済ましている。『まさか日本が米英に対して宣戦布告何てしないだろう』という奴さん達の過小評価もあるかもしれんが……」


溜息を吐き捨てた少将は、残りの一本を口に加えると、ぐしゃりとその箱を握りつぶした。


「こうまでしてこちらを煽ってきたとなると、米国政府には厭戦感情が蔓延している世論を揺り動かす思惑があるのだろうな。特に同盟国の英国は、対独戦線もある。世界一の国力を持つ米国には、当然『連合国』陣営として、『大義名分』の元で参戦して欲しいだろう。それに今の日本は、開戦に燃える軍部が政治を担い、世論もまた『いよいよ始まる』と奮起している……丁度良い口実だ」

「つまり……球磨たちは、まんまと一杯食わされたって事か?」


その話を聞いていた軍艦・球磨は、「いけ好かない」と言わんばかりの声色で、口を開いた。

192 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:27:52.40 ID:a8pmz1XW0


「……まぁ、表向きはそうなってはいるが、実際はどうだか知らんよ」

「ん? 一寸待て、それはどういう事だ? 何と言うか、参謀長らしからぬ発言だ」


先程の話とは裏腹な、少将の何とも曖昧な答えに疑問を抱いた軍艦・球磨は、少将の真意を確かめる様に言葉を返した。

少将は煙草に火を付けると、息を整える様に、煙で肺を満たした。

193 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:29:59.17 ID:a8pmz1XW0


「確かに……私は少将で参謀長だ。ある程度の極秘情報も上から降りてくる。だが、一人の人間である以上、手に入る情報には限りがある。他にも他国の密偵による陰謀説、軍部の暴走、非白人に対する侵略戦争、地政学見解による太平洋における日米の覇権争い、歪んだ経済状況の末路……実に様々な思惑や理念が交錯している……どれが正解か……一概には言えんよ」

「他者の心の内幕までは語れないという事か。結局、真実は藪の中か」

「そういう事だ。全員が本当の事を言っているのかもしれないし、誰かが嘘をついているのかもしれない。或いは、全員間違った事を言っているのかもしれんな……少なくとも言えるのは、この国は二度目の大戦を経験するであろうという事だけだ」


そうして少将は、再び両手を手摺鎖に置くと、白波を穏やかに立てる寒海に視線を戻した。

その目はとても醒めているモノであった。

194 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:31:31.69 ID:a8pmz1XW0


「歴史は繰り返す、か……結局、それが正しい選択なのか球磨には分からん」


軍艦・球磨は、歴史と言う濁流に対する無常さと憂いに沈んだ声色で、少将に言葉を投げかけた。

少将は一服、紫煙を燻らせた後、軍艦・球磨に言葉を返した。

195 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:34:13.26 ID:a8pmz1XW0


「そうさな。一見、堅牢に思える道義心と言う城壁でさえ、時代の濁流によって、いとも簡単に押し流されてしまうものだ……関東大震災直後の未曾有の大混乱を知っている球磨なら周知の事実だろう」

「……いい加減な噂話で、他国民が虐殺された事件……無政府主義者が軍部の人間に殺された事件……人間という生き物は、大きな出来事に混乱している状態では、倫理観に反した事を容易に行う生き物だと常々思う」

「その通りだ。過去の歴史としてその事件を見据えている我々から言えば、愚かな行いとしか言いようがない……だが、果たして同じ状況になって、同じ様に正常な判断を下せるのか? 私には断言できないし、断言できるほど私は聖人君子でもない。我々が出来る事と言えば、その様な愚かな行為を戒めとして、その出来事を後世に伝えていく事だけだ」

「それ程、善悪の定義や真実とは脆いモノなんだな」


少将と軍艦・球磨は、人間という生き物の浅ましさや業を嘆く様に、話を続けた。

196 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:35:25.04 ID:a8pmz1XW0


「……そしてこれからの話だ。戦争が始まったら、悲しきかな善と悪、敵味方と言う二項対立でしかお互いを区別せざるを得ない。そうでもしないと、自分や家族……ひいては国を護れないからな」

「世知辛いな」

「ああ、世知辛い」


お互いの溜息の呼吸が、虚空に響いた。

そうして少将は、醒めた目で、手摺鎖を強く握り締めながら、言葉を紡いだ。

197 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:39:40.54 ID:a8pmz1XW0


「……とは言うが、実際はそんな簡単に割り切れる話じゃないんだ。歴史は常に次の時代の潮流に合わせて書き換えられる。帝国が悪い、米英が悪い。そんな短絡的な問題じゃない。元来、絶対的な真理なんて、誰もがおいそれと証明できる訳がない。何が正しいか、間違っているか何て、時代や地域よって変わる。だが……」


そう言いながら少将は、先程火を付けたばかりの煙草を、さっさと足元の灰皿に押し付けた。


「もし正しい事があるとすれば、それは極めて個人主義的な思考、個々の信念……即ち、清らかな想いだけだ」

「……清らかな想い?」


そうして少将は踵を返し、軍艦・球磨の羅針艦橋付近を見据え、口を開いた。


「そうだ。それは時に他者の想いとぶつかり合い、どちらかが負けるという、自然淘汰の一幕に過ぎん。自分が想いを抱き、正しいと信じた結果だ。結果がどんな形であれ、責任は自分自身で負わねばなるまいて」


軍艦・球磨の艦橋を見据えた少将の目は、真剣であった。

198 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:41:00.28 ID:a8pmz1XW0


「だがな球磨、これだけは努々忘れるな。他者の清らかな想いという領分、その深淵を侵す者には、それ相応の報いが返るだろう」

「……分かった。努々忘れない」


その少将の言葉に軍艦・球磨は、大きく頷く様に力強く答えた。

199 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:42:25.52 ID:a8pmz1XW0


「……何が本当の事で、何が正しくて、何が間違っていたか……何度も言う様に、そんな歴史の真実なんて、時代や時間と共に、後世の歴史家たちによって絶えず変化し、そして書き換えられる。何にせよ、何かしらの解釈は加えられる事だろう」


その声を聞いた少将は、更に言葉を続けた。


「そして、この戦争の先に、きっと華やかしい未来が待っている。群衆も軍人も一部を除いて、皆そう思っている。そう、私たちが最善手だと思って始めた事だ。もう誰にも止められん」

200 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:43:56.65 ID:a8pmz1XW0


ふと、思い出したかの様に少将は、軍艦・球磨に対して、言葉を投げかけた。


「球磨は……確か、第三艦隊、第十六戦隊所属だったか?」

「そうだ」

「私も第五艦隊隷下の司令官として戦う事になった」

「なるほど……なら、『提督』と呼んだ方がいいか?」


軍艦・球磨の問いかけに、少将は暫くの後、答えた。

201 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:44:43.86 ID:a8pmz1XW0


「私はどちらでもいい」

「なら、今後は『提督』と呼ぶ」

202 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:45:23.21 ID:a8pmz1XW0


――私も……随分と遠くへ来てしまったな。


軍艦・球磨の「提督」という呼び掛けに少将は、何とも言えぬ寂寥感を胸に、心の中で呟いた。

203 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:46:01.29 ID:a8pmz1XW0


「……てーとく」

「……何だ?」


軍艦・球磨は、早速「提督」へと呼びかける。

204 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:46:42.53 ID:a8pmz1XW0


「提督は……この戦争に勝てると思うか?」


だが、その声色は不安を孕んでいた。

205 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:48:41.19 ID:a8pmz1XW0


「……蜘蛛の糸を掴む様なものだな……私も昔、視察に行った事があるが、米英の国力は計り知れん。帝国軍人の言う台詞では無いが、この戦争、九分九厘負けるだろう」

「やはりそうか……」


軍艦・球磨は落胆の声を上げた。

その言葉を聞いた少将は、軍人らしく後ろで手を組むと、カンカンと軍靴を鳴らし、主錨鎖を跨ぎながら、言葉を吐いた。

206 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:50:38.11 ID:a8pmz1XW0


「……だが可能性はゼロではない。開戦から1年……いや、半年が勝負の分かれ目だな」


その少女の落胆の声を紛らわせる様に、少将は言った。


「幸いにもこちらの兵の士気は高い。それまでにある程度、こちらが勝利を残し、かつこちらが妥協する形で米英と講和に持ち込むしかない。それ以上、戦争が長引くなら、物資不足は免れん。ジリ貧は必須。結果、我々は大敗する」


だがその言葉が、気休め以上の意味を成さないであろう事は、お互いが分かっていた。

207 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:51:33.78 ID:a8pmz1XW0


「……開戦となった場合、大日本帝国が生き残るには、もはやそれしか道は残されていないだろう……まぁ、戦争なんて一つの時代のうねりに過ぎん。自然を人間が制御出来ないのと同様、軍人である私にも、軍艦である球磨にも、こればっかしはどうする事も出来ない」

「時代のうねりか。なんだかやるせない」

「……そうさな」


そう返した少将は、暫くの間、艦首付近の鉄板装甲の上をのそのそと歩いていた。

208 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:52:35.78 ID:a8pmz1XW0


その少将の姿を見据えていた軍艦・球磨。


「……前からずっと気になっていた」


球磨には、その少将の姿が一軍人と言うよりかは、むしろ一学者の様に思えてならなかった。

209 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:53:31.16 ID:a8pmz1XW0


「提督は何で、軍人になった?」


そうして軍艦・球磨は、長年気になっていた問いを、少将に対して投げかけた。


「……どういう事だ?」


その言葉に少将は、足を止め、怪訝そうに顔を上げた。

210 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:54:24.46 ID:a8pmz1XW0


「球磨は提督ともう何年も一緒に居たから分かる。正直言って提督は……軍人にしては、些か繊細過ぎる」


そして軍艦・球磨は、少将の核心に迫る為に、言葉を続けた。

211 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:55:33.02 ID:a8pmz1XW0


「本当は戦いたくない、誰も傷付けたくない、血だって見たくない。提督が何時もそんな顔を浮かべている事を、球磨は知っている」

「……」

「今だってそうだ。平然と隠しているつもりだろうけど、素面に見えるその瞳の奥、その誰かの事を憂いて潤んだ提督の目を、球磨は知っている」


その言葉に少将は、思わず艦橋から視線を逸らし、軍艦・球磨の慧眼に対して感服の微笑を浮かべた。

212 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:56:23.15 ID:a8pmz1XW0


「そんな男が何故、戦いに身を投じる立場の人間になったのか……球磨はずっと気になっていた」


軍艦・球磨は、母親が子を諭す様な柔らかな声色で、少将に尋ねた。

213 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:57:16.43 ID:a8pmz1XW0


「……私が選んだのではない。天に選ばれ、流れの儘なっただけに過ぎん」


軍艦・球磨の言葉に、暫く俯いていた少将。

少将は顔を上げると、諦観を含んだ笑みを浮かべ、軍艦・球磨に答えた。

214 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 22:58:52.50 ID:a8pmz1XW0


「私はかつての憧れの様に、軍人でありながら小説家として大成する事を夢見ていた。だが所詮、私は有象無象の一人に過ぎなかった。志半ば、私は諦めた……だが、今にして思えばそれで良かったのだと思う」

「どうしてだ?」

「私は悟ったのだ、天命をな。天は二物を与えん。私に与えられたのは少将と言う地位と、それを可能にする能力だけだった。だから、それを生かす事に決めたのだ」


少将の「天命」という言葉を口にしたその表情は、「天命」に対する一種の畏怖と敬虔の念が含まれていた。

215 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 23:00:51.31 ID:a8pmz1XW0


「そして私は自分勝手な男だ。私は他者の為に生きようとした事は一度もない。その分、他者にも干渉しない。他者の行くべき道を決めるのは、あくまで他者自身だからな」

「まるで個人主義者の様な言いぐさだ」

「そうさ。私は個人主義者だ」


軍艦・球磨の的を射た言葉に少将は、「その通りだ」と言わんばかりの笑みを投げかけ、己の考えを述べた。

216 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 23:02:31.10 ID:a8pmz1XW0


「私は何処の党派や思想団体にも属さない。何故なら、人は群れれば群れるだけ、他者に考えを委ね、自身で考える事を放棄するからだ。中道で無ければ、全てを哲学的に批判しなければ、目に見えない大切なモノを何処かで見失ってしまう」

「目に見えない大切なモノ?」

「政治や損得さえも超越した、自身がかつて抱いていた信念、清らかな想いだ。それらが失われた時、人は自分の生きる意味さえも見失う」

217 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 23:03:35.87 ID:a8pmz1XW0


そうして少将は、一点の微睡の無い目を掲げ。


「だからこそ私は、私が生きている意味を見出す為、軍人として国民を、ひいては国を護る任……誰かを護る為の任に、私は就いているのだ」


――――自分自身の清らかな想い、己が「生きる意味」を軍艦・球磨へと宣言した。

218 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 23:04:32.37 ID:a8pmz1XW0


「それが提督が軍人になった理由でもあり、提督の清らかな想い、提督の生きる意味という事か」


その宣言を聞いた軍艦・球磨は、その想いを飲み込むように反芻した。

219 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 23:06:24.90 ID:a8pmz1XW0


「そうだ。陳腐で使い古された言葉だが、その奥底に私は、眩い程の輝きを、私にとっての生きる意味を見出したのだ。その為なら、私の命など安いモノだ」


そして少将は、信念と熱量を纏った眼差しを掲げ、艦首旗竿に揺蕩う日章旗を見据えた。


「だからな、球磨。帝国海軍の代表として告げる」


少将のその目は、とても言葉では言い表せない程、激しく熱く輝いていた。

220 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 23:07:14.31 ID:a8pmz1XW0


「海の上では私たち人間は無力だ。どんな形であれ、私たちの代わりに戦って欲しい。私たちを、この国を護って欲しい。そして、その先にある、平和を勝ち取って欲しい」


その少将の瞳は、月明かりの様に静かに、強く輝いていた。

221 : ◆AyLsgAtuhc [saga]:2017/08/22(火) 23:08:32.19 ID:a8pmz1XW0


「これが私……いや君に乗艦して戦うであろう水兵たち……私たちの想いだ」


ここまでギラギラと血潮を滾らせた様な目を抱いた人物を、軍艦・球磨は今まで見た事が無かった。


暫くの間、沈黙と緊張の線が、辺りに走っていた。

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