鞠莉(16)「留学してそろそろ半年ね……」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:23:32.42 ID:nZJI/gt30



かじかむ指で、マフラーを鼻まであげる。

2月のニューヨークは身体の奥から雪が降るような寒さだった。

鞠莉「帰ったらレポートね……」

課題を脳内で数え上げ、すりすりと凍った道を歩く。


すぐ傍らを、やたらと薄着をした集団が通り過ぎていった。

明日から週末だ。ダウンにホットパンツというアンバランスな風体で、裏通りのクラブにでも繰り出すのだろう。


鞠莉「全然 traditional なんかじゃないじゃない」

州立だけれど歴史ある学校だから、そう言う父に連れられて、秋に州のハイスクールに留学した。

もともと英会話に支障はない。授業には問題なくついていけた。

むしろ問題がなさすぎたくらいだ。


鞠莉「あーあ、なんだかつまんない……3人で温泉にでも行きたい気分だわ」

叶わない願いに、課題入りのバッグがどしりと重くなった気がした。


なんてことはない。こんな課題、すぐに片をつけられる。

週明けに発表して、先生に褒められて、「高慢ちきなアジア人」と噂をされる。それだけだ。

構っている暇はない。親から送られてくる教材のほうがよっぽど手ごわいのだ。

校内の木陰で小難しい本を読んでいれば十分。

この数か月、ずっとそうやって過ごしてきた。


コツコツと、決まったペースで足を運ぶ。

鞠莉「果南に手紙を書こうかしら」

それはいい。ふと思いついた名案に足が軽くなり、また止まった。



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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:24:13.94 ID:nZJI/gt30



「お嬢様、こちらへ」

鞠莉「……」

再びバッグが重くなる。

出たわね、諸悪の根源。

ちらちらと高級車を横目に校門を出ていく「級友」を眺めながら、ため息をつく。

これでは悪目立ちだと何度も言っているのに。

きっと週明けにはあけすけな悪口大会が始まるに違いない。


鞠莉「陰湿じゃないだけまだマシかしら」

「何かおっしゃいましたか?」

鞠莉「別に」

「今日はお父様もご出席のパーティーでございます。なんでも日系企業の社長も来られるとか」

鞠莉「じゃあ日本でやればいいのに」

「お嬢様」

窘めるような口調の運転手を睨みつけてやる。

おかげでどんな高校生活を送ることになっているかも知らないくせに。


鞠莉「ああ、そうそう、途中で郵便局に寄ってくれない? 便箋が欲しいのよ」

「それくらいなら私どもでご準備いたしますが、またですか」

鞠莉「いいでしょ、それくらい」

「もちろんでございます」

鞠莉「ありがと、出すのは自分でやるから」


ぽっかりと口を開けた車の中に滑り込む。

いいわよ、もう。パーティーでもどこでも、好きなところに連れて行けばいいじゃない。

3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:25:08.72 ID:nZJI/gt30


「本日のお召し物はいかがなさいますか?」

カチカチと鳴るウインカーに紛れて質問が飛んできた。

お召し物。

パーティーに行きたくない一番の理由は、実のところそれだった。

煌びやかな布に袖を通すたび、余計なことまで思い出してしまうのだ。

半年前まで、確かにあった輝きを。

もう消えてしまった夢の残滓を。


鞠莉「……何でもいいわ」

放り投げたバッグに頬杖をついて、そう答えた。

もう自分があの友人の作ってくれた衣装を着ることもないのだから。


「そういえば、お嬢様のご学友の黒澤ダイヤ様ですが」

考えを読まれた気がして、指先に力が入った。

鞠莉「ダイヤが、何?」

「ええ、聞いた話では、なんと――」

鞠莉「嘘、ほんと? またアイドルを――」

「生徒会長に就任されたようです」

鞠莉「ああ、そう」


期待外れの言葉にどっと身体を投げ出した。

生徒会長。

ああ、ダイヤが選びそうな道だ。確か「推しが生徒会長だった」だのなんだの。

熱狂的、で収まるのかしら。


鞠莉「問題はそこじゃないわ」

ねえダイヤ。貴女はそれでいいの?

それが貴女のやりたいことだったの?


誰にともなく呟いた言葉は、曇った窓に跳ね返って消えた。





     *

4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:25:55.30 ID:nZJI/gt30


   *





フロアは大勢の話し声で渦が巻いているようだった。

男は生地の良いスーツ、女はドレスに身を包み、せわしなくあたりを動き回っている。

皆が笑顔だ。

中央テーブルに並ぶ料理の大半を残したまま、お互いの声を聞き取ろうとせっせと顔を近づけあっている。


鞠莉「……はあ」

愛想笑いで顔が固まりそうだ。頬が痛む。

細いヒールのせいでふくらはぎは張っているし、きつめのドレスで胸も苦しい。

会場の端に並ぶ椅子に腰かけて、思わずため息をついた。


「……随分と疲れているみたいだけど」

不意に声が掛かる。

1人の女性が、2つ隣の席で黄金色のシャンパンを呷っていた。

勝気な、けれど大人びた紫の目だ。

濃紺のドレスに紅い髪がやけに映えている。


鞠莉「先客がいたのね、ごめんなさい、気づかなくて」

「気にしなくていいわ」

鞠莉「日本語? あら、あなたのこと、どこかで……」



真姫「西木野真姫よ。聞いたことある?」


5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:26:32.68 ID:nZJI/gt30


鞠莉「μ's の……!」

驚いた様子で、彼女は少し目を見開いた。

真姫「知ってるの?」

鞠莉「友達が大ファンなの」

真姫「そう」

癖のある髪を指にくるくる巻き付けながら、そっぽを向く。

ちらちらと、不満そうな視線。

鞠莉「……私もよ」

真姫「……どうも」

ほんのり紅らんでいた頬が、また紅くなった。

面倒な人。


鞠莉「小原鞠莉よ。よろしくね、西木野さん」

真姫「鞠莉、ね。名前でいいわ。お互い父親と間違えるでしょ?」

鞠莉「それは、まあ」

真姫「私のパパ、病院の院長なの。あなたのお父様とは仕事上で付き合いがあるって」

鞠莉「……」

6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:27:09.85 ID:nZJI/gt30


真姫「お父様の話をされるのは嫌い?」

図星だった。

お父様はね、君のお父様は、私は小原さんに―――。

耳にたこができるほど浴びてきた言葉だ。


真姫「ま、気持ちはわかるわよ。私もこういうの好みじゃないし」

鞠莉「くだらないわ」

真姫「……そうね」

含みのある顔で、真姫さんはじっと見つめてきた。

なんだか急に自分が幼くなったような気がした。


鞠莉「真姫さんは、どうしてアメリカに?」

真姫「私、こっちで医学を勉強しているの。わかりやすく言えば、留学ね」

鞠莉「医学……」

真姫「普段は勉強ばっかりよ。付き合いも悪いし、周りには冷たい女だと思われてるわ」

鞠莉「私も、そうかも。日本のほうが好み。留学だって、言いつけだったわ」

嘘だった。

私には、親の言いつけを断ることだってできていたはずだった。


真姫「……そう、言いつけ」

鞠莉「それに、日本の友達は手紙を返してもくれないのよ。直接文句をつけてやりたいの」

真姫「メールか電話じゃダメなの?」

鞠莉「……そうね、そう。それでも大丈夫」

7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:27:54.04 ID:nZJI/gt30


私は真姫さんが苦手だった。

同じ「お嬢様」のはずなのに、一言、二言と言葉を交わすたび、なんだか逃げ出してしまいたくなる。

私になんて微塵も興味がなさそうな目、静かに弱いところをついてくる台詞、どれもがチクチクと痛かった。


そして何より、果南と同じ紫の瞳が心をざわつかせた。

目を見るだけで、じくじくと胸が痛んだ。

それなのに、真姫さんの瞳から目が離せなかった。


真姫「……そう、スクールアイドルをやっていたのね」

鞠莉「ちょっとだけよ」

ふと気がつけば、私は「そんなこと」まで話していた。


真姫「歌詞を書いたり?」

鞠莉「作曲を、少し」

真姫「一緒ね」

鞠莉「……」


一緒なものか。

片や伝説のスクールアイドル、片や招待されたイベントですら踊れなかった体たらく。

すました顔で一緒だなんて言う真姫さんは、苦労を知らないに違いない。

たくさんの仲間と一緒に、3年間スクールアイドルをやって、医学部にも行って。


鞠莉「……順風満帆ね」

真姫「そうかしら」

ほら、またすまし顔。

8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:28:36.27 ID:nZJI/gt30


真姫「ごめんなさい、私もう行かなくちゃ」

フロアの奥に何かを見つけて、真姫さんは気だるそうに席を立った。


鞠莉「こちらこそ、引き留めてごめんなさい」

真姫「また会えるといいわね」

酔いでも回ったのか、やや口角があがっている。

鞠莉「ええ、それじゃあ」

真姫「……ああ、1つだけ」

急に硬くなった声音に、一瞬で血液が冷える。



真姫「あなた、何のためにここまで来たの?」


鞠莉「は……?」


じゃあね、と軽く手を挙げて、真姫さんは颯爽と歩き去った。

私はしばらく椅子に座ったままだった。


頭の芯がじんと熱い。

何のために?

そんなの決まってる。スクールアイドルに失敗して、果南と喧嘩して――。

違う、違う、「何のために」だ。



鞠莉「私、どうしてここにいるんだろう」





   *

9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:29:14.56 ID:nZJI/gt30


   *




結局課題は手につかなかった。

先生には落胆された。

友達は増えた。


鞠莉「単純なものね」

カフェでコーヒーをすすりながら独り言。

授業中にもたつく私を、クラスメイトは誰も笑わなかった。

それどころか休み時間に近寄ってきて、「マリーって人間だったのね。ロボットかと思ってたわ」などと宣ったのだ。


ピコピコと音を立てて光る携帯電話に、Hi, Mary の文字を認め、口から息が漏れた。

鞠莉「ほんとは鞠莉なのよ」

画面を消し、席を立つ。

帰って課題をこなして、クラスメイトに連絡を返して、明日はまた学校に行って。

鞠莉「あの頃と同じね」


なんだか懐かしい気分だった。

果南とダイヤと、3人で過ごしていたあの頃と似た気分だ。

もちろん、密度は全然違うのだけれど。


鞠莉「でも、同じなのよ」

脳裏に紫の影が差す。

どうしてもあの瞳を思い出してしまう。

―――何のためにここまで来たの?

あの一言が胸につかえる。


鞠莉「同じなら、どこでも一緒なんだったら、日本でだってよかったじゃない」

10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:30:02.56 ID:nZJI/gt30


パン屋、薬屋、銀行、デパート、通りを挟んで1ドルショップ。

オフィスビルが多いように見えて、意外と雑然とした通りを仏頂面で歩く。

鞠莉「どれもこれも、日本でだって買える物よね」


無駄な留学だなんて、思いたくない。

それでも、ここでしか出来ないことなんて思いつかない。

課題だって、別に日本に送ってきたってよかったのに。


鞠莉「そうしたら、果南とダイヤとも……」

鞠莉「……」


鞠莉「2人は、どうしているのかしら」

まだ引きずっているのだろうか。

みっともなく不貞腐れているのだろうか。

まるで、私みたいに。


ええ、そうよ。不貞腐れていることくらいわかってる。

11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:30:49.55 ID:nZJI/gt30



思えば留学を決めたときだってそうだった。

いろいろ説明してくれる先生の前で、私はずっとスクールアイドルのことを考えていた。


どうして果南は歌えなかったんだろう。

どうして果南は踊れなかったんだろう。

私はどうすればよかったんだろう。


果南に直接聞いてみても、「怖かった」の一点張りだった。

やり直そう、もう一度頑張ろう、本当に諦めるの?

ぶつけた言葉は全部全部、真っ暗な海の底みたいな瞳に吸い込まれて消えてしまった。


足が治ってからは、一人で練習を続けていた。

毎日予定を伝えたけれど、果南は一日たりとも来てくれなかった。

私は部室に一人きり。

ときたま、制服姿のダイヤが遠慮がちに顔をのぞかせるだけだった。


私は、たぶん疲れていた。

何もできなかった、そしてこれからも何もできない自分に。

八つ当たり気味にダイヤを怒鳴りつけたことだってあった。

ダイヤは静かに顔を伏せ、ずっと私の言葉を聞いていた。


私は、たぶん疲れてしまったのだ。

私の言葉はどこにも届かない。

こんなに近い距離にいるのに、2人はどこか遠くへ行ってしまったようだった。

そして私も、大事なものをぽろぽろぽろぽろ溢しながら、結局、飛行機に乗ったのだった。


12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:31:46.28 ID:nZJI/gt30


ぐるぐる回り始めた思考は止まらない。

「何のために」ここにいるんだろう。

私は本当に「留学」して来たのだろうか。

私は、本当は、果南から、ダイヤから、スクールアイドルから――。


鞠莉「逃げてなんかないわっ!」

「きゃっ」


ぎゅっと目をつぶった拍子に、肩を軽くぶつけてしまった。

慌てて開けた目に飛び込んできたのは、えんじ色の毛糸玉だった。

「あっ、毛糸さんが……」

鞠莉「Sorry……。前をよく見ていな―――え?」

足元に転がってきた毛糸を拾って渡そうとした。

動きが止まる。

見覚えがある。間違いない。

あの人に会った後、久しぶりに動画を見返したのだ。


ああ、これは真姫さんの呪いなのかしら。

だって、いったい、どんな確率で。


ことり「ううん、大丈夫! ことりも荷物を抱えてて……あはは」


鞠莉「南……ことりさん?」




   *

13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:32:30.30 ID:nZJI/gt30


   *




ことり「ありがとね〜、荷物を運ぶのを手伝ってもらっちゃって」

鞠莉「No problem! 特に用事もなかったし……」

作業スペースだと案内された部屋は、それはそれは散らかっていた。

床の上には毛糸や布、わら半紙の山。

机の上には針とペン、ノートパソコンが所狭しと重なり合い、その隣には大きなミシンと化粧道具。

部屋の中央では背の高いマネキンが無表情に斜め上を見上げている。

小さな窓枠は趣味よく飾られ、優しく差し込む日光を受けてきらきら輝いていた。


鞠莉「洋服屋さん?」

ことり「うーん、ちょっと違うかな? ことりはデザイナー見習いだから」

鞠莉「ああ、そういえば μ's の衣装係って……」

ことり「知ってるの!? うわあぁ、嬉しいっ!」

幼く目を輝かせたことりさんは私の手を優しく握った。

なにこれ、手の平、柔らかい。


鞠莉「Ah……えっと、それじゃあ」

ことり「待って待って!」

鞠莉「え?」

14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:33:11.73 ID:nZJI/gt30



帰ろうとした私の手を、ことりさんは離してくれなかった。

やんわり離そうとしてもびくともしない。

結構、力持ちなのね。


ことり「小原鞠莉ちゃん、だったよね? ちょっとそこに立ってみて」

鞠莉「え、ええ」


ことり「ふ〜むふむ……」

私をマネキンの隣に立たせたことりさんは、頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと視線を動かした。

鞠莉「少し恥ずかしいわ」

ことり「あっ、ごめんね、つい真剣になっちゃって」


ことり「でもいい感じかも。身長も高くてスタイルは問題なし、歩き方も格好良かったし……」

鞠莉「……?」

ことりさんはぶつぶつと眉を寄せて呟いている。

やがてぱあっと顔をあげると、勢いのままにとんでもないことを言い出した。


ことり「ね、鞠莉ちゃん、モデルやってみない?」

15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:33:56.56 ID:nZJI/gt30


鞠莉「Model?」

ことり「そうなの! 今度ファッションショーがあるんだけどね、そのモデルさん!」

鞠莉「ファッションショー……」

ことり「その企画に誘われて、ニューヨークに来たんだぁ! 普段はパリの服飾学校にいるんだけどね」

さりげなく凄いことを言っているのではないだろうか。

またもじんじんと痛み始めた頭を抱えて、聞き返す。


鞠莉「でもそういうのって、もっと professional な人がやるものなんじゃないかしら」

ことり「普通はそうなんだけどね。今回は若い人ばかりが集まって、素人さんをモデルにしてショーをするって企画なの」

鞠莉「Hmm……」

ことり「だからお洋服もね、キラキラー、パキパキーって感じじゃなくて、こう、ふわふわ〜って感じなの! 鞠莉ちゃんに似合うと思うなあ」

パキパキだとか、ふわふわだとかはよくわからなかったが、どうやらモデル経験がない人を探しているらしかった。


鞠莉「面白そうね」

ことり「ほんと!? じゃあさっそく『衣装』着てみよっか、ね?」

鞠莉「ぁ……」

衣装。

忘れていた。あまり好きではなかったのに。

16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:34:54.87 ID:nZJI/gt30


ことり「はい、前につくったやつなんだけど、サイズは合うと思う」

鞠莉「……」

ことり「着方がわからない? ほらほら、手伝ってあげるから脱いで脱いで!」

鞠莉「ひゃっ、あ、あの……!」

抵抗むなしく、ことりさんはにこにこ笑顔で手際よく私の服を脱がせてしまった。

何、その手際。


ことり「わあ……ほんとにスタイルいいねぇ。絵里ちゃんみたい!」

鞠莉「あ、その人」

ことり「絵里ちゃんが好きなの?」

鞠莉「友達が、ちょっと、あー、その……」

ことり「熱狂的?」

鞠莉「That's it」

ことり「絵里ちゃんはすっごい人気だったからねえ」

懐かしむような声で、ことりさんはそう言った。

その間も服についたリボンを締めたり、背中のボタンをぱちぱち閉じたり。


17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:35:39.28 ID:nZJI/gt30


ことり「かしこい?」

鞠莉「かわいい」

「「エリーチカ」」

ことり「おおー! ばっちり!」

鞠莉「何回も暗唱させられたのよ」

ことり「ほんとに好きだったんだね、その子……はい、これでよしっと。どうかな?」


小首をかしげながら、ことりさんは部屋の隅から姿見を引きずり出してきた。

鞠莉「綺麗な服……」

そんな感想しか出てこなかった。


実際に、綺麗な服だった。

白を基調にした薄手の布地、きゅっと締まった胸の下には小ぶりのリボンが付いている。

スカートには色とりどりの造花がいっぱい。見ているだけで香りがしそう。

普段だったら絶対に着ないような服も、アトリエの中だとよく映えた。

18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:36:26.64 ID:nZJI/gt30


ことり「やっぱり〜! 似合うよ鞠莉ちゃん!」


―――やっぱり、鞠莉はこういうの似合うと思ったよ。


鞠莉「……っ」

いつの日か、姿見の前ではしゃいだことがあった。

これが「きんぱつびじょ」ってやつだね、なんて訳の分からないことを言いながら、果南はにこにこと笑っていた。



鞠莉「ちょっと可愛すぎないかしら」

ことり「そんなことないよぉ! 黄色い花も多いし、髪にも合うと思ったんだぁ」


―――ほ、ほら、ここに差し色を入れてみましたのよ。鞠莉さんの髪に合うと思って……ど、どうでしょうか……。

―――んふっ、ダイヤ緊張しすぎ!

―――だ、だって!


鞠莉「……」

初めて友達に衣装を着てもらったというダイヤは、決して目を合わせてはくれなかった。

そのくせ頬を染めながら、ぺらぺらと細部まで説明してくれるのだ。



ことり「……」

ことり「鞠莉ちゃん、こういうの着慣れてる?」

鞠莉「え、ど、どうして?」

ことり「うーん、なんだか負けてないな、って思って」

鞠莉「服に?」

ことり「うん。昔何かやってた? ダンスとか、バレエとか、それともスクールアイドルとかっ!」

鞠莉「……っ」


いたずらっぽく笑うことりさんの言葉に、胸が苦しくなった。

スカートの造花が急に色を失っていく。

鏡に映る私が、ひどくしょぼくれて見えた。

これじゃあ、こんなんじゃ、きっと。


19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:37:10.58 ID:nZJI/gt30


鞠莉「やっぱり、モデルはやめておくわ」

ことり「え?」

鞠莉「服はとっても素敵だけど、私、忙しいし……」

ことり「えー! どうして? 似合ってたのに……。ことり、何か言っちゃった?」

鞠莉「いいえ、違うわ、そうじゃないの。でも―――」

鞠莉「……」


鞠莉「ごめんなさい」

ことり「そっかぁ……」

心底残念そうに、ことりさんは項垂れた。

ことり「あっ、でもでも、ショーは見に来てほしいな! まだかなり先なんだけどね」

鞠莉「ええ、予定が合えば」

ことり「うんっ!」

鞠莉「……」


鞠莉「それじゃあ、帰るわ。素敵な服を着せてくれてありがとう」


ことり「あのねっ!」

鞠莉「え?」


私を呼び止めたことりさんは、迷うような素振りを見せた。

ことり「鞠莉ちゃんは、留学してきたんだよね?」

鞠莉「ええ」


嫌な予感がした。

ことりさんはじっと私を見つめていた。

探るような、それでいて優しい瞳だった。

けれど、真姫さんと同じ顔だった。



ことり「留学、楽しい?」





   *

20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:38:09.65 ID:nZJI/gt30


   *




それからしばらくは、何も変わらなかった。


ただ、私の肌にはさらさらとしたシルクの感触が残っていた。

ことりさんの衣装を着た日の夜から、ずっと。


高校生活は「普通」だった。

私は毎日課題をこなして、学校ではクラスメイトと話したり、お茶したり。

週末は出掛けてみたり、滞在先のマンションでのんびりお菓子を頬張ってみたり。

最近起きた変わったことと言えば、いつの間にかマフラーを失くしていた、それだけだった。


「マリー、新しいマフラー似合ってるわよ!」

鞠莉「Thank you! でも、前のやつもお気に入りだったのよ」


確かあのマフラーは、果南とダイヤと一緒に買ったものだった。

似合うという言葉に舞い上がって、値段も見ずにレジに向かった私に、2人は渋い顔をしていたっけ。


2人からの手紙は一通たりとも来ていなかった。


鞠莉「別にいいわよ、来なくたって。マリーはこっちで『普通に』過ごしているんだもの」

言い訳がましく口にするたび、またあの言葉がちくちくと刺さる。


―――何のためにここまで来たの?

鞠莉「目的なんて知らないわ。私は『勉強』しに来たの」


―――留学、楽しい?

鞠莉「……果南とダイヤが行けって言うんだもの。そうでなくちゃいけないわ」

鞠莉「逃げてなんかない。留学だって、楽しいに決まってる」


ことり「ことりには、そうは見えないんだけどなぁ」


校門の前に、ことりさんが立っていた。


21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:38:55.38 ID:nZJI/gt30


鞠莉「ことり、さん……?」

ことり「えへへ、来ちゃった。この学校だって言ってたよね」

にこにこと手を振ることりさんは、少し疲れているように見えた。

目の下にうっすら隈ができている。


鞠莉「あの、どうして?」

ことり「ほら、これ、忘れものだよ」

鞠莉「私のマフラー……」

ことり「大切なものなんだよね? 随分使った跡があるもん」

鞠莉「ありがとう。本当に、わざわざ―――」


ことり「ね、鞠莉ちゃん、これから一緒に甘いもの食べに行かない?」

鞠莉「へ? え、ええ、時間はあるけど」

ことり「やったぁ! 鞠莉ちゃんともっとお話ししたかったんだぁ」


ことりさんと甘いもの。

ダイヤが聞いたら卒倒するに違いない。でも。


鞠莉「私にお話すること、あるかしら」





   *

22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/16(土) 12:39:52.75 ID:nZJI/gt30


   *
 



ことり「ん〜! 甘ーいっ!」

鞠莉「……さすがね」

ケーキを一口頬張るたびに、ことりさんはうっとりと頬に手をあてた。

一つ一つの所作が似合いすぎている。


ことりさんのおススメだというケーキ屋は、駅から少し離れた静かな通りに面していた。

セピア色の壁紙に、少し厚い紙に覆われたライト。

ほどよく色づいた洋菓子は、表通りのデパートのものよりも幾分か毒々しさが和らいでいた。


ことりさんは、確か普段はパリに住んでいると言っていた。

ニューヨークに来てから、こんなところまでお店を開拓しているのだろうか。


ことり「あ、そういえば〜」

お話がしたいと言いながら菓子を食べ続けていたことりさんは、ようやくかちゃりとフォークを置いた。

そして開口一番、爆弾を放り投げてきた。


ことり「鞠莉ちゃんってスクールアイドルやってたんだね! 言ってくれればよかったのに……」

鞠莉「……っ」

鞠莉「……ちょっとだけよ」

ことり「途中で留学に?」

鞠莉「そうなるわね」

ことり「そっかぁ……」

少しバツが悪そうな顔で、ことりさんはうんうんと頷いている。


鞠莉「私、ことりさんに school idol のこと話してないわ」

ことり「あ、ごめんね、気になってつい……。今の時代、動画とかたくさんあるでしょ? Aqours だっけ」

鞠莉「え、ええ、そうよ」

私の手は完全に止まってしまっていた。


居心地のいいはずの店内が急に冷えてきたような気がした。

息が荒くなる。

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