【ミリマス群像劇】最上静香「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

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56 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:25:27.78 ID:tCiOWLnR0

……

それでも玉砕覚悟で取り組めば何とかなる、と思い望んだリハーサルだったが本当に玉砕した。
思うように体が動けず、一対一の試合でもチーム戦でも息が詰まる思いをしたし、チームのメンバーにもそんな思いをさせてしまった。それに比べて杏奈ちゃんは流石だ。自分も運動が苦手なのに、いつものインドア系から完全にアイドルモードに入っていて活気だけは失わなかった。

百合子「みんな、ごめんなさい!私、上手くできなくて」

チームの皆に私は頭を下げる

このみ「あら、何を謝ってるの、百合子ちゃん?今回はアイドルが出るバラエティなんだから、ファインプレーなんて求められていないわ。むしろビーンボールを投げるほうが盛り上がって正解!ってときもあるわ」

あら、今のは過激過ぎたかしら。セクシーだけに、とこのみさんは1人で爆笑する

百合子「でも、グダグダで見苦しくて……」

このみ「そんなの問題じゃないわ、一番の問題は百合子ちゃんが自信なさげに下を向きながらプレーしていることよ。アイドルにとって大事なのは顔を映してもらうことなんだから、せめて顔だけは上げておきなさい。知ってる、百合子ちゃん?喜劇王チャップリンはこう言ったわ『下を向いていたら虹を見つけることはできないよ』って。だけど過激王このみ姉さんはこう言ったの『バラエティで下を向いていたら、カメラを見つけることができないよ』ってね」

百合子「……はい」

このみ「あらあら、ついに私もチャップリンと肩を並べてしまったのね。はっ!ちょっと待って!セクシーな私がさらにミュージカルに出演したら、二重の意味でカゲキ(過激・歌劇)王になって、チャップリンを超えてしまうわ!」

やっぱり私のセクシーは恐ろしいわ……危険すぎる!とこのみさんは自分の世界に入りかける

杏奈「あの……このみさん。ちょっといいですか」

ああ、ついに来てしまったかと私は遅い覚悟を始める。

杏奈「今日の両チームの編成……このみさんが決めたんですよね?」

このみ「ええ、そうよ?セクシーチームとスポーティチーム」

杏奈「じゃあお願いが、あります。私と志保のチームを……入れ替えてください。」

1週間ほど前から、繰り返し何度も見た光景だった。私と杏奈ちゃんが同じチームで、私がリハーサルで失敗をし、そして杏奈ちゃんがチームの交代を申し出る。何度見た光景に、私は何度も胸を締め付けられる。

このみ「う〜ん、志保ちゃんがいいなら別にいいけど。何か理由があるの?」

杏奈「成長するため、です」

57 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:25:54.70 ID:tCiOWLnR0

私は杏奈ちゃんが律子さんのラジオを必死に研究していたことを思い出す。
そうだ、杏奈ちゃんはもともとアイドルになりたかったんだ。私のようにスカウトではなく、だ。そう言えば必ず放送の後に真剣にスマホのSNSを触っているから、何をしているか聞いたところ「エゴサーチ」と言っていた。本当は思っていた以上に向上心が強いんだ。

このみ「成長?このチームではできないことなの?」

杏奈「そんなことは、ない。と思います。でも……杏奈にはいい方法が思いつかなくて」

私と同じチームだと、恐らく勝つことはできない。
恐らく杏奈ちゃんは勝利チームが手にするアピールタイムが欲しいのだろう。
少しでもチャンスを得るために。
そういえばいつも一対一の対戦は杏奈ちゃんとだ。これも他の戦力を温存するための作戦で、勝利にこだわっているということなのかもしれない。

このみ「そうなのわかったわ。でも大切なことは……いや、これは大人が教えることじゃないわね。若者が自分で学ぶべきことだわ。がんばってね、杏奈ちゃん」

杏奈「はい、ありがとうございます」

杏奈ちゃんが俯きながら私の横を通り過ぎていく。
58 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:26:38.29 ID:tCiOWLnR0

……

今日の収録もなんとか終わり、帰り支度をしていたところに杏奈ちゃんがやって来た。

杏奈「あの、百合子さん。今日、収録前に聞きたいことがあったんだよね」

百合子「杏奈ちゃん……」

私が杏奈ちゃんに聞こうと思っていたことは、スポーツバラエティのチーム替えについてだった。でも今はその謎も解けて聞きたいことはもうない。けど代わりに言いたいことがあった。

百合子「あの、杏奈ちゃん……ごめんね」

杏奈「え?」

百合子「杏奈ちゃんは本気でトップアイドルを目指しているのに、私はそれに気付かず足を引っ張るような事ばかりして。スポーツバラエティだって、本当は杏奈ちゃんも得意分野じゃないのに、私がさらに負担になるようなことをしちゃったら、ますます――」

杏奈「待って!どうして、どうして百合子さんが謝るの?」

百合子「どうしてって?杏奈ちゃんは間違ったことなんて何一つしてないのに、私が……」

杏奈「百合子さん……違うよ。謝るのは杏奈のほう。杏奈が勝手に百合子さんも同じ思いで、同じ努力をしていて、それなら杏奈にも変えられると思っただけなの。」

杏奈ちゃんの表情が急激に曇る。
雨を多く含んでいて、水を放出するのを今か今かと待ちわびる積乱雲のように

百合子「杏奈ちゃん?それってどういう?」

杏奈「でも間違いだった。百合子さんに嫌われるのは覚悟していたけど、百合子さんを追い込むとは思わなかったです。ごめんなさい。……杏奈、友達失格だよね?ごめん」

豪雨が降り始めた。しかしそれは驟雨だった。
杏奈ちゃんは2人だけの控室を飛び出していく。

杏奈ちゃんは泣いていた。

私は杏奈ちゃんの言っていた言葉が引っ掛かって、追いかけることができなかった。

『百合子さんも同じ思いで、同じ努力をしていて、それなら杏奈にも変えられる』

確かに杏奈ちゃんはそういった。それはどういう意味だろう?もしかして私はなにか重大な思い違いをしているのかもしれない。
杏奈ちゃんの泣き顔が頭に浮かぶ。ああ、私は何をやっているのだろう。
1人だけになった控室の扉が勢いよく開き、入ってくる人影がある

静香「さっき、杏奈がこの部屋から泣きながら飛び出したように見えたけど……って百合子、あなたも泣いているじゃない」

静香ちゃんが優しく私にハンカチを差し出す。
私はそんな静香ちゃんの顔をみる。元気がない。

百合子「ああ、静香ちゃん。元気がないけどどうしたの?」

静香ちゃんは肩を竦め、苦笑して答える。

静香「それは私のセリフよ」

59 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:27:08.01 ID:tCiOWLnR0

6 〜クリスマス当日〜

可奈「はっ……はっ……!」

スポーツバラエティの仕事を終えた私は、オレンジのパーカー風スポーツウェアに身を包みランニングに精を出していた。

莉緒「あれ、可奈ちゃんじゃない?どうしたの、精が出てるじゃない」

何やら大きな買い物袋を手に提げた莉緒さんと遭遇した。
「寒いのに頑張るわね、これが私が失った若さなの!?」と何やらショックを受け始める。
「莉緒さんだって若いですよ」と私はすかさずフォローを入れる。

莉緒「なんか可奈ちゃん見違えたわ。走り始めて長いの?」

引き締まって来たわね、とお褒めの言葉をいただいた。
努力が認められて純粋にうれしい。

可奈「いえ、ここ最近始めたばかりですよ〜でも莉緒さん、実は志保ちゃんにランニングのコツを教えてもらったんです。だから成果がすぐに出たのかも!」

莉緒「ランニングのコツ?興味深いわね〜、なになに?」

可奈「志保ちゃんはこう言ってました。『ハングリー精神よ。娯楽で走ってるようなランナーは全員抜かすの』って。あと数時間は走るつもりなんですよ」

私は志保ちゃんの声真似をして、奥義を莉緒さんに伝授する。

莉緒「そ、そう。あれね、若者に人気のゲーミフィケーションってやつなのかもね」

可奈「はれ?莉緒さん、ちょっと引いてますか?」

莉緒「そ、そんなことはないわ。そうだ、頑張っている可奈ちゃんに私からのプレゼントをあげるわ」

そう言って莉緒さんは大きな買い物袋から、これまた長いタスキを取り出す。

莉緒「じゃじゃ〜ん!『本日の主役タスキ』よ!」

可奈「わ、わあ〜」

「あんまりいらないかな〜♪」と歌い出したい気持ちをぐっとこらえる

莉緒「うんうん、似合ってるわ。」

可奈「そ、そうですかね。そういえば莉緒さんは今からどこに?」

莉緒「は!そうだわ、居酒屋に秘密の作戦会議に行かないと!地球の危機よ危機!」

可奈「え〜まだ明るいのにもう飲むんですか〜。でも秘密の作戦会議、なんかかっこいいですね。」

幼い時に憧れた秘密基地のような響きがある。

莉緒「はあ、可奈ちゃんは呑気でいいわね。それじゃあお姉さん、もう行くわ!地球の危機を救うために!」

可奈「は〜い。猪突猛進もうもうし〜ん♪」

私はランニングに戻る。
立ち話で少し体が冷えてしまった。

可奈「今日は冷えすぎるかな〜♪」
60 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:30:36.43 ID:tCiOWLnR0

7 〜クリスマス当日〜

静香「まずは状況を整理しましょう」

自分も収録のために局へ来たというのに「何があったか話してみて」と優しく問いかける静香ちゃんに、堰を切ったかのように私は洗いざらい話していた。もしかして私はずっと誰かに聞いてほしかったのか、それとも静香ちゃんの包容力なのか。いや、どちらもだろう。

静香「まず、杏奈と共にスポーツバラエティへの出演はずっと前から行われていた。けど一週間前から杏奈が百合子と同じチームになった時に、別チームへ移りたいと願い出るようになった。そうよね?」

百合子「うん」

そうだ。だがその時は突然のことで悲しさよりも不可解さが勝っていた。どうしてだろうという気持ちが悲しいという感情に栓をしていたんだ。でも日が経ち杏奈ちゃんの行動に私が何か理屈を見出そうとしていくうちにその栓が緩まり、ついに今日決壊した。

静香「さらに実際の収録においては百合子と杏奈の対決が狙ったようにいつも起こった。」

百合子「うん、そうだったよ。確かに杏奈ちゃんとの対決は必ずあった。」

静香「最後に杏奈が別れ際に言った『杏奈が勝手に百合子さんも同じ思いで、同じ努力をしていて、それなら杏奈にも変えられると思っただけなの。』という言葉。この言葉をきっかけに百合子は自分の推測に違和感を持ったのよね?」

確かに違和感を持った。でもその正体は今でも分からない。

百合子「ううん。もしかして私の勘違いかもしれないよ。私が自分を守るためにそう思っただけかもしれないし。」

そうだ。そんなに都合のいいことなんてないよね。
もしかして胸から黒い靄が出ていて、その靄に勝手に都合のいい映像を映し出していただけなのかもしれない。

61 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:31:09.88 ID:tCiOWLnR0

静香「百合子、悲観するにはまだ早いわ。最後の杏奈の発言のおかげで、百合子は自分の推測に違和感を感じたんでしょう?そこに必ず何かヒントがあるはずよ。そうね、例えば『同じ努力』って言葉。確かに杏奈の思いについては今はわからない。でも杏奈がどんな努力をしていたか。それなら一番近くで杏奈を見ていた百合子ならわかるはずよ」

静香ちゃんは私を励ますどころか議論を先へと誘導してくれる。自分だって元気がない癖に。私はまた泣きそうになるのをぐっとこらえて、頭を回転させる。

百合子「そういえば、杏奈ちゃん律子さんのラジオをノートに取ってたよ。あとは、番組の放送後にSNSでエゴサーチをしていたよ」

静香「律子さんのラジオとエゴサーチか……そのうちよりアイドルの努力としては一般的で敷居の低いのは、どう考えてもエゴサーチのほうね」

百合子「エゴサーチか。私、運動が苦手だからスポーツバラエティに関しては、見ないようにしてたんだ。視聴者の感想の手紙も見るのが怖くって。でも杏奈ちゃんは偉いよ。私と同じで運動が苦手なのに嫌なことから逃げなくなったんだから」

静香「ちょっと待って、百合子。もしかして杏奈も、もともとエゴサーチはしてなかったの?」

百合子「うん。でも感想の手紙は読んでたと思う。エゴサーチについては、一週間ほどまえから始めるようになったよ」

静香「感想の手紙を読んだうえで、エゴサーチ?必ずしも変とは言えないけど、なにか徹底し過ぎじゃないかしら。ねえ、百合子は本当に杏奈が自分の名前でSNSで検索しているのを見たの?もしかして杏奈にそう聞いただけじゃない?」

静香ちゃんの疑問に私は記憶をひっくり返して照会を行う。

百合子「あ……!そうだ、私、杏奈ちゃんが自分の名前で検索しているところは見てない!でも確かにあれはSNSの画面だったよ!」

静香「もしかして杏奈は自分の名前で検索をしていなかった可能性があるわ」

自分の名前を調べないエゴサーチ?
62 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:31:37.36 ID:tCiOWLnR0

百合子「じゃあ杏奈ちゃんは、何を調べていたんだろう?」

謎は謎のままだ。疑問は次々生まれる。でも確実に前に進んでいる。そんな実感が静香ちゃんにはあるのかもしれない

静香「一週間前からの杏奈の行動の変化。律子さんのラジオの書き止め。SNSで自分以外の何かを調べる……これらの行動を繋ぎ合わせて考えると……けどあと1ピース」

静香ちゃんがぶつぶつと真剣な表情でピースを組み合わせ始める。
私は静香ちゃんに任せきりでいいのだろうか?自分の問題なのに。
なにか、何かほかにヒントはないのだろうか?なんでもいい。もともと賢くないのだ、数撃てば当たる戦法でいかなくてどうするの!

百合子「小説っ!」

静香「え?」

百合子「私が書いた小説の主人公を杏奈ちゃんが褒めてくれたの。周りの声援や期待に応えようと自分を鼓舞する主人公が私にそっくりで、王道でいいねって……」

自分で言って恥ずかしくなる。何を言っているのだろう私は。これじゃあただの自慢じゃないか。

静香「『大切なことは、お客様の目線で考えることです。売る側の商品評価と買う側の商品評価の間に差をなくすこと。また、お客様が商品価値を単体で捉えているのか、セットで捉えているのかを把握すること。そして――』」

百合子「静香ちゃん?」

静香「『そしてこれはアイドルの売り出し方にも言えると私は考えています』」

百合子「静香ちゃん、何の話を――」
63 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:32:19.95 ID:tCiOWLnR0

静香「律子さんのラジオよ。一週間前の。百合子、私たちは近すぎるがゆえに大きな勘違いをしていたのかもしれないわ。」

百合子「近すぎるが故の勘違い?」

静香「ええ、そうよ。百合子、SNSで杏奈の名前とすでに放送されたスポーツバラエティの番組名で複合検索をしてくれる?」

百合子「え?杏奈ちゃんの名前?」

静香ちゃんはさっき、杏奈ちゃんは自分の名前で検索していなかったかもって言ってたのに

静香「杏奈は確かに自分の名前で検索はしていないと思う。でもこれは私たちの誤解を解くうえで必要な事なの」

百合子「誤解を解くうえで?……わかった。やってみる」

杏奈ちゃんの名前と番組名で検索を行う。
私はそこに書かれている内容に目を見張る

百合子「嘘……!みんな、杏奈ちゃんは運動が得意だと思い込んでる!」

活発で、明るくて、アウトドアで、運動が得意な女の子。SNSには杏奈ちゃんをそう評価する感想が多々寄せられていた。

静香「そう。私たちはいつも杏奈を近くで見ているから、運動については不得意であるということを知り尽くしているわ。でもそれは同僚である私たちから見た杏奈。お客さんから見た杏奈の評価とはかなり開きがある。」

百合子「でも、どうしてそんな差が?」

静香「その理由は2つあるわ。1つはお客さんやカメラの前だけで見せるハイテンションな杏奈のキャラクターのせいよ。私たちの知名度はまだあまり高いとはいえない。だからお客さんにとって、テレビで見るハイテンションな杏奈こそが杏奈の素顔なの。いつものインドア派の杏奈じゃない。活発なアウトドア派のような杏奈だけがテレビに映っている。」

百合子「でも、性格だけではごまかせないんじゃ……」

静香「ここで2つ目の理由よ。百合子、ここ一週間。杏奈と一番対戦回数が多いのは誰?」

杏奈ちゃんと一番多く戦った人?それは……

百合子「私です。……あ!」

静香「そう。運動に対する苦手意識の強い百合子と戦っていたから、ぼろが出にくかったのよ」

なるほど。だから杏奈ちゃんは私と積極的に勝負するように仕組んだんだ。

静香「まだ終わりじゃないわ、百合子。杏奈の狙いはまだその先にある」

百合子「え?まだなにかあるの?」
64 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:32:46.88 ID:tCiOWLnR0

静香「百合子、今度はあなたの名前でエゴサーチをしてみて」

百合子「え!?私の名前?」

どうしてそこで私の名前が?

静香「杏奈が何を思って行動を起こしたか知りたいんでしょ?勇気を出して」

百合子「うぅ……はい」

私は恐る恐るSNSでエゴサーチを開始する。
そこに映っているのは……

百合子「嘘……私、みんなから応援されてる!?」

「あの子、運動とか苦手そうなのにガッツがあるよな。」
「相手の女の子は活発で強そうなのによく諦めないな。がんばれ!」

視聴者からの声援がそこには寄せられていた。

百合子「どうして……」

静香「百合子、確かにあなたの運動が苦手という自己評価とお客さんの百合子への評価は一致しているわ。でもここは杏奈とセットで考えるの。」

百合子「セットで?」

静香「うん。お客さんから見て、百合子対杏奈の構図はインドア派対アウトドア派。だけど実際の実力は拮抗している。するとお客さんにはどう見えるか。それは検索結果が示す通り、百合子が格上に対して頑張っているように見えるのよ。」

静香「もちろん、中には杏奈の運動能力が低いのではと疑う人もいるでしょう。でも杏奈は頻繁にエゴサーチをして、百合子への声援の大きさを確認し、作戦を続行するか決めていたんじゃないかしら」

百合子「杏奈ちゃんはもしかして私のためにこれを?でもどうして?杏奈ちゃん、私に嫌われることを覚悟していたって言ってた。でもこれってそこまでしてしなくちゃいけない事なの?」

もうほとんど謎が解けたというのにまだ私は杏奈ちゃんの考えがわからなかった。あと一歩、あと一歩がとても遠い。

65 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:33:16.70 ID:tCiOWLnR0

静香「たぶん。……たぶん杏奈は百合子に自信を持ってほしかったんだと思う」

百合子「自信?」

静香「うん。杏奈は意図的にお客さんの声援を作り出した。それが百合子を変えると思ったのよ。」

百合子「声援が?でもどうして?」

それは、と静香ちゃんが間を置いて答える。私がしっかりその答えを受け止めるように

静香「だって杏奈にとって百合子は『声援や期待に応えようと自分を鼓舞する主人公』なんだから」

百合子「あ……」

私の小説だ。
照れ臭そうに主人公は私に似ていると口にする杏奈ちゃんの顔が浮かぶ。

百合子「そっか。私、スポーツバラエティが嫌で、いつも下を向いてばっかりで……だから杏奈ちゃんが動いたんだ。嫌われるのも覚悟のうえで。だって主人公が下を向いたままじゃ主人公失格だから」

胸の内から涙がこみ上げる。
ごめんね。ごめんね杏奈ちゃん。
私、頭が悪くて。もし隣にいるのが静香ちゃんだったら、ずっと仲良しのままだったよね。
私は謎が解け、杏奈ちゃんは私が前を向くことを望んだというのに、未だに下を向いている。
そんな自分がますます嫌になる。

静香「……百合子、大丈夫よ」

百合子「だい、丈夫?」

あまりに短く端的な言葉に理解の追い付かなかった私の問いかけに静香ちゃんは困ったような顔をする。
66 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:33:48.83 ID:tCiOWLnR0

静香「ごめんなさい。落ち込んで泣いている百合子に何か声を掛けようと思ったんだけど……実は、気の利いた言葉が思いつかなかったの」

ごめんなさい。と静香ちゃんが頭を下げる

静香「でも、百合子を励ますには至らなかったかもしれないけど、私、時間内にここまでうまくやったと思わない?」

静香ちゃんはそういって悲しそうな顔で時計を指さす
そうだ、静香ちゃんには次の収録があるんだった。
ただその表情はあの時の杏奈ちゃんのような積乱雲を想起させる。
でも、なんで?なんで静香ちゃんはそんなに悲しそうな顔をするんだろう。静香ちゃんのおかげで、私は真実にたどり着いた。それは明らかだ。だけど今の言葉を言った時の静香ちゃんは私の問題とは別の何かを結びつけて語っているように感じた。

百合子「うん。静香ちゃんには感謝してもしきれないくらい、助けて貰ったよ」

静香「本当に?本当に私の行動に意味はあったと百合子は考えるのね。私、その言葉を信じるけど、いいのよね?」

震える声で静香ちゃんは私に尋ねる。
ああ……なにをしているんだ私は。静香ちゃんだって何か耐え難い物を抱えていたんだ。
だけど、そんな自分を顧みず、私のことを助けてくれた。なのに私はいつまでうじうじしているんだ。いつまで静香ちゃんを不安にさせるんだ。頑張れ!前を向け!そして答えろ!

百合子「大丈夫。私のことを信じて大丈夫だよ、静香ちゃん。」

私は静香ちゃんの目をまっすぐに見据えて答える。

静香「百合子……」

静香ちゃんの震えが止まる。

静香「あのね、百合子を励ませなかったのは、心残りだけど。それはきっと、杏奈じゃないとダメなんだと思う」

百合子「杏奈ちゃんが?」

静香「ええ。百合子の悲しみは、この先のゴールにいる杏奈と仲直りすることでしか消えないと思う。だから続きは2人に任せることにする。」

そうだ。まだ終わっていない。まだただチェックポイントを通過したに過ぎない。悲しいは悲しいままだけど、落ち込んでなどいられない。

静香「杏奈はきっと百合子を待ってる。それに杏奈に気の利いた言葉を掛けてあげられるのもきっとあなただけよ。私にできるのはここまでだけど、あなたは違うわ。バトンは繋いだ。だからゴールまで迷わず全力で進みなさい。」

私は涙を袖で拭い立ち上がる。静香ちゃんの言葉で、私の胸の洪水はすべて推進力に変わった。
静香ちゃんはやっぱりすごいなあ。たぶん神様が奇跡を起こすとすれば彼女のような人の上に降り注ぐのだろう。
でも私も負けてはいられない。必ず杏奈ちゃんに会って、そして仲直りをするんだ。

私は携帯を耳に当てながら駆け出していた。

67 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:34:27.70 ID:tCiOWLnR0
8 〜クリスマス当日〜

駅前から目抜き通りを進み、2つ目の狭い路地を左に進むと「シカゴ」という名の楽器店がある。切妻屋根の小さなその店はまるでそこだけ飛び出す絵本のようにビルが並ぶオフィス街の現実的な雰囲気には溶け込めずにいる。だがあたしたちは今回その路地を直進し、少し歩いたところにある街灯の下に陣取った。路上ライブをするためだ。だが――

翼「ねえねえ、ジュリアーノ、瑞希ちゃん。奈緒さんのラジオ聴いた?わたし、すっごく笑っちゃいました〜」

瑞希「ええ、あれは面白かったです。」

ジュリア「おい」

あたしは声を掛ける

瑞希「ああん、奈緒さんといえば、最近彼女にこんな手品を見せる機会がありました。伊吹さん、トランプをパラパラっとめくるので、一枚覚えてください。いいですか、行きますよ?」

カードが音を立てては残像を残していく。

翼「は〜い、覚えまし――」

瑞希「ダイヤの7ですね」

翼「ちょっと、瑞希さん!当たってますけど早いですよ〜。もっと焦らさないと盛り上がりませんって」

瑞希「そうですか。奈緒さんに見せた時も言われましたが、すっかり失念していました。」

ジュリア「おい」
あたしはまた声を掛ける。聞こえてんのか?

翼「でもすごいですね、どうやるんですか?」

瑞希「これは親近効果、つまり。最後に見たものが印象に残りやすいという心理作用を利用して――」

ジュリア「おい、あたしらはマジックショーをやりにきたのか?」

路上ライブの準備を進めるあたしを尻目に、歓談モードに入った2人に流石に危機感を感じたあたしは真面目に止めにかかる

68 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:34:55.95 ID:tCiOWLnR0

翼「え!?マジックショーをやりにきたんですか、私たち!せっかく自転車で飛ばしてきたのにそれはないですよ〜」

翼はむくれた顔で、両足スタンドで止めてある自転車を指さす。

ジュリア「それは、おまえがただ時間に遅れかけただけだろうが」

瑞希「いいですね、マジックショー。曲と曲の合間の準備時間で披露しましょう。道具は沢山持ってきてます」

そう言って、瑞希はどこからかロープや手錠、ステッキを取り出す。
もしかしてこいつは初めからマジックショーをやるつもりでここに来たんじゃないのか?
あたしは目を細めて瑞希を見る。おい、今お前は疑われているぞ。

瑞希「そういえば、伊吹さんはどうして今日路上ライブをやろうと思ったのですか?」

あたしの疑いなど露しらず、瑞希は翼に問いかけを行う。そうだ、あたしもそれが気になっていた。
翼は「ああ、そのことですか〜」とすぐに口を開く。
翼「そ・れ・は、クリスマス商戦だからですよ」

ジュリア「ん?どういう意味だ、翼」

翼「ほら、見てくださいよ。今日はなんだか人の行き来が多くないですか?」

そう言って翼は片腕を広げる。見てください、すごいでしょうと

瑞希「ああ、確かに。人が多いですね、クリスマス商戦だからですかね」

ジュリア「書き入れ時ってやつか?」

翼「4人で沢山のお客さんの前で歌ったら、きっと楽しいって思ったんですけど、静香ちゃんに断られちゃいました」

ジュリア「静香?」

なんでここで静香の名前が出るんだ?

翼「も〜海外では子供たちは教会で賛美歌を歌うなら、アイドルは路上ライブをすべきだって思いませんか?なのに静香ちゃんは、仕事で間に合わないからって断ったんですよ〜!」

翼は小さな子供のように腕をぐるぐる回して抗議する。

ジュリア「いいじゃないか。アイドルなら仕事が本分だろ?」

翼「む〜、じゃあジュリアーノたちはどうして今日路上ライブをやろうって思ったんですか〜?」

ジュリア「それは……」
69 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:35:23.57 ID:tCiOWLnR0

あたしは言い淀む。あたしは目抜き通りを進んだ先にある例の共同ビルに目を遣る。最初に頭に思い浮かんだのはプロデューサーの謎をとくヒントがここにあるかもしれないという好奇心だというのは嘘じゃない。でもそれだけか?と言われるとそうではない。

『現実に戻してんじゃね〜よ』 

ライブハウスで聞いたあの言葉が脳裏に浮かぶ。そして想起される全然盛り上がらなくなったステージ。もしあたしがステージにたってたならどうなっていただろう。何かを変えられたのかのだろうか。いや、もしかしたら何もできないのかもしれない。ただあの光景があたしの中でわだかまりとなっているのは確かだ。ただ翼になんと答えたものか――

瑞希「それはもちろん。ロックンロールを探すためです」

瑞希が端的に答える。
ああ、それだ。素晴らしい。単純でいいじゃないか。
翼は何のことだと、目をぱちくりさせている。

瑞希「伊吹さん、ロックンロールはどこにあるか知っていますか?私とジュリアさんはそれを探しているんです。」

瑞希は「私達はロックンロールの求道者なんです。」と誇らしげに宣言する。

翼「え、瑞希さんと、ジュリアーノって、弓道やってるんですか?でもそれなら、引ったくり犯が来てもイチコロですね!」
最近出るらしいんですけど、その時は頼みますね!と的外れなことを言う。

瑞希「伊吹さん、それは的外れです。弓道だけに。ふふっ」

瑞希が大爆笑し始める。
ああ、また収集がつかなくなった。

ジュリア「おい、そろそろ始めるぞ」

こうなったらもう始めちまった方がいい。こいつらが飽きちまう前に。
私は弦とフレットの間に挟んでいたピックを取り出した。

70 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:35:51.24 ID:tCiOWLnR0

9 〜クリスマス当日〜

莉緒「このみ姉さん、遅いわ……せっかく良い席が取れたのに、プロデューサー君が来ちゃうじゃない」

私は居酒屋のガラス越しに例の共同ビルの入り口を見遣る。
ため息をつきながらグラスを口に運ぼうとしたとき、携帯に着信がある

このみ『ごめん、莉緒ちゃん。遅れちゃって』

莉緒「ああ、このみ姉さん。どうしたの?こっちは入り口を見張るためのとっておきの席と、尾行をすることになった時のための変装グッズも用意してきたわ。あとはこのみ姉さんだけよ」

このみ『あのね、莉緒ちゃん。もしかしたら今日はいけないかもしれないわ?』 

莉緒「え、そうなの!?でもなんで?」

このみ『今、百合子ちゃんの頼みで戦場にいるからよ。ごめん!この埋め合わせはまた今度!』

莉緒「あ、ちょっと!」

通話が切れる。

莉緒「……はあ、ついてないわね〜」

ため息を吐き出しながら私は窓の外に再び目を遣る。
私ははっとさせられる
そこには共同ビルに入っていくプロデューサー君の姿があったからだ。
私は急いで隣に置いた買い物袋から安っぽい警察の衣装を取り出してトイレに向かった。
71 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:36:22.78 ID:tCiOWLnR0

10 〜クリスマス当日〜

スポーツバラエティの収録が終わり、莉緒ちゃんとの待ち合わせをしている居酒屋に向かっている途中で百合子ちゃんから電話がかかってきた。『力を貸してください』と。ただ事ではないと思った私は、どこに向かえばいいかを聞いたところ『ゲームセンターです!』と返事が返ってきて最初は拍子抜けをした。
けど、会って百合子ちゃんから杏奈ちゃんの行動に対する静香ちゃんの推理を聞かされた時、助けてあげたい、と思った。実際何をさせられるかもわからないのに、だ。

このみ「なるほど、杏奈ちゃんの行動の裏にはそんな意図があったのね。それはわかったわ。でもなんで私をゲームセンターに呼んだの?」

百合子「それはですね……」

百合子ちゃんはどう伝えようか、どうすればわかりやすく伝わるかを思案し始める。

このみ「取り合えず、静香ちゃんと別れてからの百合子ちゃんの行動を時系列順に話してみてくれる?」

百合子「はい。まず杏奈ちゃんの携帯に電話を掛けたんです。でも電源を切っているみたいで繋がりませんでした。」

このみ「うん。携帯がないと電話もメールもできない。今の時代ってそこが不便なのかもね。それで次はどうしたの?」

百合子「杏奈ちゃんの家に電話を掛けたんです。ですがまだ戻ってきていないらしく、帰ってきたら連絡を入れてくれるようお願いをしました。」

このみ「ふむふむ」

百合子「次に事務所に電話を掛けたんです。でも事務所も杏奈ちゃんの家と同じ状況でした」

このみ「行方不明ってやつね」

百合子「そこで今度は杏奈ちゃんの好きな場所を探してみることにしたんです。杏奈ちゃん、最近古いゲームにはまっているんですが、実はその筐体が置いてあるのは都内に2か所しかないんですよ」

このみ「そのうちの一つがここってことね?」

そういえば、今日百合子ちゃんと電話でそんな話をしたわね。

百合子「はい。でもここにも杏奈ちゃんはいませんでした。だからもう一か所の場所をネットで調べてみたんですが、検索にヒットはありません。杏奈ちゃん言っていましたそこは杏奈ちゃんにとっての『秘密基地』だって。それはそういう意味だったんですね」

このみ「なかなかうまくいかないものね。でも話の流れからして、次に百合子ちゃんが考えたのがこの『カゲキ王』このみ姉さんの手を借りるってことね?でも私、セクシーしか貸せないわよ?それが今必要なの?」

そう、そこが問題だ。杏奈ちゃんと連絡を取る手段なんていかに私がセクシーでも流石に無理だ

百合子「いえ、借りるのはセクシーじゃありません。このみさんからお借りしたいのは、ゲームの腕前なんです。」

このみ「え?ゲームの腕前?」

百合子「そうです。」

駄目だ、説明を求めたのにどうしてそうなるのか私には全くわからなかった。
72 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:36:55.24 ID:tCiOWLnR0

11

収録を終え、局から出ると泣いている奈緒さんを見つけた。

奈緒「うわ〜ん!酷過ぎる、無情かこの世は!」

「なんてこった〜!」と大声で喚き散らす奈緒さんに、私は気付かないふりをしてタクシーを捕まえる

奈緒「あ、静香!なんか元気ないけど、どないしたん?」

またか、と私は思う。
私が捕まえたタクシーに、図々しくも奈緒さんは乗り込み、「おっちゃん!シカゴって楽器屋知ってます?そこまでお願いしますね〜」
勝手に行先まで決めてしまう。

静香「あの、奈緒さん?どうして泣いているんですか?なんで楽器屋に行くんですか?私、もう帰ろうかと思っていたんですけど?」

ツッコミどころが多すぎて、つい矢継ぎ早になってしまうが、それは奈緒さんが悪い

奈緒「聞いてくれや静香!律子さんったら酷いんや!さっき、電話でな、私のラジオが律子さんのパクリだとか、真面目に仕事しろとかなんとか兎に角でかい声でまくしたててきたんやで!私の言い分も聞いてくれって感じですわ!」

だからそれはこっちのセリフだ。
でも、律子さんに怒られてそれで泣いていたのか。あれは仰天同地だ。無理もない


静香「……はあ、何かやったんですか奈緒さん?それに言い分って?」


奈緒「ああ、私のラジオコーナーをな、野球解説から人生相談室に変えたんですよ。そしたら律子さんが『お悩み相談室』のパクリだって言い張るんや。ぜんっぜん違うってのに」

それは……

静香「それは、奈緒さんが悪いと思います」

だが私の話のことばなど聞こえていないのか奈緒さんは続ける

奈緒「それでな、私のお悩み相談室なんやけど手紙を引き当てる時に、口でドラムロールを言うんやけど、なんか寂しくてな、楽器店でなんか見繕うかって思ったんや。どや、わたし、天才やろ?」

静香「……ええ、天災です。台風とかの悪い方の」

そうこうしているうちに、楽器屋「シカゴ」に到着する。
奈緒「おっちゃん、ありがとな!」
タクシーから降り立つときにはすっかり奈緒さんは泣き止んでいた

切妻屋根にガラス張りのショーウィンドウ、入り口には「ピアノの調律やってます」の張り紙がある。

奈緒「ああ、だからシカゴなんやな?」

73 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:37:28.46 ID:tCiOWLnR0

静香「え、どういうことですか?」
私の家にもピアノがあって、実はこの店のお世話になっている。でもこの店の名前に意味があろうとは考えもしなかった

『ブラボー!!』『これはすごいマジックだ!!』
拍手と歓声の波が私の耳朶を刺激する。どこか近くでマジックショーでもやっているのだろうか

奈緒「シカゴには何人のピアノ調律師がいるでしょうっていうフェルミ推定の有名な問題があんねん。」

静香「フェルミ推定?」
聞いたことあるような、ないような。でも奈緒さんからそんな単語が飛び出すのが意外だった。

奈緒「だいたい10世帯に1台ピアノを保有しているとか、一日8時間の勤務時間のうち、だいたい3台ぐらい調律するとか、ピアノを1年間に調律する回数は1回程度だろうとか、身近な知識で正解に近い数字を推定する方法やな。まあ全部最近瑞希から教えてもらったんやけどな」

静香「ああ、なるほど。この店名はその問題にかけているんですね」

奈緒「そういうこと、ほな入るで!」

奈緒さんが勢いよく扉を開く

店員「いらっしゃいませ。ああ、最上さん。いつもお世話になっております。今年はもう3回ですかな?」

いきなり訳の分からないことを店員さんから言われる。
3回?なんのことだろう。ピアノの調律だろうか?でもそれは1年に一回程度で済むはずだし、私も最近ピアノを弾けてはいないから調律の頻度が増えることもないだろう。
とりあえずどうも、と頭をさげる

奈緒「店員さん!楽器、いろいろ触ってもええか?」

奈緒さんは目を輝かせながら陳列された打楽器群を指さす
私も見まわしてみる。グランドピアノに電子ピアノ、スピーカー、ギターにベース楽譜、音楽雑誌まで扱っている。
店員「ええ、もちろんです。うちはショーウィンドウに防音ガラスを採用していますからね。最上さんも良かったらどうぞ。ピアノもございますよ」

ああ、そういえば店内に入ってからマジックショーの歓声や拍手が聞こえなくなった。

奈緒「確かに強そうなガラスやな〜」

店員「ええ、まあ石でもぶつけられない限りは割れませんよ。では、私は奥の部屋に控えておりますので、決まりましたらお呼びください。」

そう言って、店員は奥へと下がっていく。それを見計らってか

奈緒「ほな、物色開始や!」

奈緒さんは高らかに冷やかし宣言をする。聞かれていないか心配だ。
奈緒さんの物色タイムが始まった。

奈緒「おお〜静香、見てや私のこのスティックさばき!アイドルにしておくには勿体ないやろ!」

奈緒「静香!この雑誌、私らの歌が楽譜になっとるで!これは買いやな!静香が!」

私はそんな奈緒さんをスルーしてグランドピアノの前の椅子に腰かける。
ここまでせっかく来たんだ。私も何か弾こうかな
74 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:38:02.75 ID:tCiOWLnR0

何の気なしに私は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を演奏する
店内にミュージックが広がる。

父に初めて聞かせた時からだいぶ年月が立った。私の腕前もあのことと比べると大分上達したのかもしれない。だが私の技術が変化したように、父も年月を経て変わってしまった。大人にはいろいろある。と要約するのは簡単だが、人の人生は要約できない。だからこそ互いを知る努力が必要なのかもしれないが、議論が平行線のまま進んでいないのが私と父の現状だった。

奈緒「おお、これ聞いたことあるわ。なんて曲なん?」

静香「アイネ・クライネ・ナハトムジークです。意味は『ある小さな夜の曲』で、モーツァルトが作曲しました。モーツァルトはロックンロールの元を作ったともいわれているんですよ」

奈緒「へ〜あのモーツァルトさんがロックをなあ〜。今度ラジオで私の雑学として使ったろ。博識奈緒ちゃんや」

またパクるのか。と私は心の中でツッコミを入れる。

静香「そういえば奈緒さん、まだ人生相談室を続けるんですか?律子さんに怒られたのに」

奈緒「うん。迷ったんやけど続けることにしたわ。私にはわからんのやけど、どうも私が律子さんの二番煎じをしてるっていう見方が世間的にはあるらしい。」

静香「ならどうして?」

75 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:38:29.77 ID:tCiOWLnR0

奈緒「でもな、そんな私のところにもどこかの誰かさんが相談の手紙を送ってくれたんですよ。いや、その子、友達の名前は匿名にしてたんだけど下の名前はたぶん、本名でそのまま書いてて……いや、まあいいわ。とにかく友達を元気づけたいって気持ちがありありと伝わる心のこもった手紙が来たんですよ。心がこもり過ぎて番組に使うには気が引けてしまうほどな。」

そういう奈緒さんも言葉を丁寧に選ぼうとしているのが伝わってくる。

静香「奈緒さん、信頼されてますね。その人に」

奈緒「うん。律子さんじゃなくて私を選んでくれたのが嬉しくてな〜。どうやら私も少しは必要にされているみたいやってね。柄にもなく真剣に悩んだわ。なんで律子さんじゃなくて私なんだろうって。でも真剣に考えて初めて私らしい答えを返すことができたんや。その時思ったんです。私にもやる意味があるのかもなって」

ふざけているように見えて奈緒さんは見えないところで真剣に考えている。
自分の見えないところで、人が人のために何をできるのか考え行動している。見えないだけでそこには人の温かさが存在する。自分にその恩恵がなくても、その事実だけで私はなんだか嬉しくなった。

静香「きっと、その子の友達は元気になりますよ。」

私は無責任だと思いつつも自分の信じたい言葉を奈緒さんに投げかける

奈緒「そうかな。だとええけどな」
奈緒さんは照れ臭そうに笑った。

76 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:39:00.30 ID:tCiOWLnR0

12 〜クリスマス当日〜

未来「あ〜材料を揃えてたらすっかり遅くなっちゃたよ〜」

私は貴音さんの言葉を思い出す。

貴音『図面は私が制作いたします。ですから未来は材料を揃えてください』

ついに手紙に返答があった。
静香ちゃんの悩みの原因がわかるかもしれない。そう思い期待を込めて封を開けるとそこに書いてあったのは……
ギャグだった。

未来『貴音さん、これギャグが書いてあるんですけど……』

貴音『落ち込んではいけません未来。大事なのは静香に元気を取り戻すこと。そうでしょう?』

未来『そうですけど……』

貴音『ある喜劇王はこう言いました。“無駄な一日、それは笑いのない日だ”と。それに律子ならきっと深い考えがあるはずです。用意しましょう、このギャグを成立させるための仕掛けを』

「貴音さん、もしかしてやけになってないませんか?」と思いつつも、私はそこに書いてあるギャグが気に入っていた。それは前向きになれるものだった。

私が今手に持っている乙女ストームでお揃いにしたピンクのマザーズバッグ。その表面にはGoing My Wayのロゴが書いてあり、そして中には笑いの仕掛けが詰まっている。
まるでゴーサインが出ているみたいで、希望が持てる。
気分が良くなった私はバッグを持った手を振り子のように大きく動かしながら道を歩く。
だが大きく振り過ぎたのだろうか。気付いた時には私の手からバッグがなくなっていた。

それが引ったくりに盗られたと気付いたのは、私の前を黒い服を着た男が、全然その服に不釣り合いなピンク色のバッグを持って全力で走りだし、角を曲がり切ってからだった。

未来「ああーーーー!!泥棒――!!」

私は数秒遅れのスタートを切る。
待って!その中にはあなたにとって良いものは入っていないけど、私の友達にとって必要なものが入っているんです!
そう伝えたいが急な運動に肺も心臓も対応に追われ、声に力を回す余裕がない。
急いで最初の角を曲がり、引ったくりを探す。
いた!
暗い夜道でもピンクのバッグはよく目立つ。それが幸いした
私は小さくなっていく男の背中を懸命に追いかけた。


77 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:39:26.93 ID:tCiOWLnR0

13 〜クリスマス当日〜

クレーンには長方形の箱が引っ掛かっている。
その中にはウサギ型の目覚まし時計が入っている。
ホールまでもうすぐそこというところまで来ている。あとは上手く傾いてくれれば……ほら!ガコンという板が抜けるような音をたてて、景品が取り出し口まで落ちてくる。

杏奈「やった……ついにゲット。写真を撮って百合子さんに……あ」

そうだ。今は携帯の電源を切っているのだった。
百合子さんに酷いことをしてしまった。本当はもっと前向きな気持ちになるはずだったのに、杏奈はやり方を間違えた。その裏にどんな気持ちがあろうと関係ない。私は百合子さんを傷つけてしまった。一番の親友を。

杏奈「明日また百合子さんに謝ろう……謝ってもう一度仲直りをしなくちゃ」

『出来ることなら今すぐにでも百合子さんに連絡を取るべきだよ。勇気を出して』
私の中の目指すべき理想的なアイドルの部分がそう声を掛ける。
本当に勇気が必要なのは百合子さんではなくて杏奈なんだ。なのに私は何をやっているんだろう。

ゲットした目覚まし時計を箱から取り出す。
この時計には録音機能があり、録音した音で朝目覚めることができる。
私はアラームの時間をセットし、さらに私の好きな言葉を録音して杏奈のピンク色のマザーズバッグにしまい込む。
この時間が来て、あの言葉を聞いたら、携帯の電源を入れて百合子さんに連絡をしよう。
これがなかなか勇気が出ない私の策だった。

78 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:40:05.27 ID:tCiOWLnR0

暗い気持ちから逃げるように私は最近熱中している古い筐体へと移動する。

『何をやっているの?ゲームに逃げちゃダメだよ、今するべきことはなに?』

また目指すべき理想的な自分がダメな杏奈に声を掛ける。コインを入れようとした手が止まる。
逃げちゃダメだけど、怖い。
そのせめぎあいで私は筐体の前から動き出せずにいた。

ある変化に気付いたのはその時だ。

ゲームのデモが終わり、ランキングの一覧が流れてくるのをただ文字ではなく図として目が捉えていた時、そこにはいつもと違う変化があった。

杏奈「杏奈の名前が10位だけになってる!?」

いったいどういうことだ?
私はレバーとボタンを操作しランキング画面を引っ張り出す。

杏奈「やっぱり!杏奈の名前が10位だ。でもなんで?競技人口はもうほとんどいないはずじゃ……あ!」

私は次の異変に気付いた。

1位から9位までの名前は、もはや名前といえるものではなく。なんというか途切れ途切れという印象を杏奈は受けた。ランキングに乗る名前は漢字を含めて5文字まで。だがそこにあるのは5文字に収まらないものをお構いなしに入力しているような……あ、もしかして!私は試しに1から9位までの名前を繋げて読んでみる。
私の予想はぴたりと的中した。1から9位までを繋げると一つの文章になる仕掛けがそこには存在したのだ。

79 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:40:51.64 ID:tCiOWLnR0

14 〜クリスマス当日〜


百合子「これを見てください」

私は、例の古い筐体を指さす。
ランキング表示が杏奈ちゃんの名前で埋め尽くされているものだ。

百合子「このみさん、確かこのゲームに関してはプロ級の腕前って言ってましたよね?」

このみ「まあね。このゲームのランキングは1年ごとにまっさらな状態に戻されるんだけど、昔は競争が激しいなか常に1位をキープしてきた女よ私は」

このみさんは胸を張って答える。

百合子「このゲームの売りは『全国のプレイヤーと腕前を競う』ことでした。そこでこのみさんにお願いがあります。この杏奈ちゃんのランキングを塗り替えてくれまえせんか?名前の入力欄にメッセージを書きたいんです。」

私はこのみさんの目をまっすぐ捉えてお願いをする

このみ「なるほどランキングを使ったメッセージか。なかなか面白い考えね、百合子ちゃん。でも杏奈ちゃんはその秘密基地にいると思う?」

百合子「それは、わかりません。もしかしたら無意味に終わるかもしれません。けど私、杏奈ちゃんに今日会いたいんです。あってちゃんと話をしないといけないんです。その可能性があるなら諦めたくないんです。でもこれは決して強制ではありません。勝手な願いだってわかっています。ご迷惑でしたら断っていただいて構いません」

このみさんは私の話を黙って聞いていてくれる

百合子「ただ、もし断るのならせめてこのゲームのコツだけでも教えてください。私が、なんとかしてみせますから!」

また私は頭を下げる。
最近謝ってばかりだ。
けど私は今できることを精一杯やるしかないんだ。たとえ無様であっても

このみ「百合子ちゃん、いい顔してるわ。きっと杏奈ちゃんと静香ちゃんのおかげね。」

私の頭に杏奈ちゃんと静香ちゃんの顔が浮かぶ。「がんばれ」と励ましてもらえたような気がした。

百合子「はい。2人のおかげです。だから諦めるわけにはいきません」

このみ「じゃあ、私も助太刀したら尚更諦められなくなるわね。百合子ちゃん、これ両替してきて」

そう言って、このみさんは私に1万円札を差し出す。
私は驚きで思わずこのみさんの顔を覗き込むように見てしまう。

このみ「私もブランクがあるからね。念には念を入れて1万円よ!誤解しないでね、決して自信がないわけじゃないんだからね!」

百合子「このみさん、ありがとうございます!」

このみ「百合子ちゃん、私のセクシープレーをよ〜く見ておくこと。いいわね?」

百合子「はい!」

私は両替機へ駆け出す。
戦いはまだ始まってはいない。でも胸に広がる暖かさが、私には希望のように感じられた。

80 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:41:21.05 ID:tCiOWLnR0

……

このみさんの記憶は鮮明だった。

このみ「ここがポイントよ、百合子ちゃん。あえて穴に落ちるの。そこがゴール手前までのワープポイントになっているの。」

百合子「はい!」

私はメモを取る。

このみ「この障害物はショットを数発当てれば壊せるわ。そうしたらボーナスポイントが大量に入るから、ランキングに食い込むなら忘れては駄目よ」

百合子「わかりました!」

次々と攻略ポイントや当時の人しか知らない裏技を伝授してくれると同時に、着実に得点を稼いでいった。そして――

このみ「よし!ついにランキングの1位に食い込んだわ!百合子ちゃん、言葉は何を打ち込む?」

百合子「流石ですこのみさん!」

すごい、と素直に私は感心してしまう。
腕前だけなら杏奈ちゃんに分があるのかもしれない。でも豊富な知識と経験のおかげで総合力で杏奈ちゃんを確実に上回っている。

このみ「え〜と、流石ですこのみさ――」

百合子「ち、違います!このノートを見てください!」

私は事前に考えたメッセージをノートに書きこんでいた

このみ「じょ、冗談よ。怒らないで、百合子ちゃん。でも、この文章、変わってるわね。何か特別な意味があるの?」

百合子「はい。短い文章ですが、私と杏奈ちゃんには特別な意味があるんです。これならきっと私の気持ちが伝わると信じています。」

このみ「わかった。お姉さん信じるわ」

ランクインを果たしたら、また最初からやり直しだ。
だがこのみさんは「一位を取ってしまえばこっちのものよ」とばかりに2位、3位とひとつずつ意図的に順位を落としていく。
ランキング表が少しずつ私のメッセージで埋まっていく……そして

このみ「よし、あと一回だけクリアすればこれでメッセージが完成ね!」

ついに、ここまで来た。私は勝利の女神に最大限の賛辞を贈る

百合子「このみさん、本当にありがとうございました!このみさんがいなかったらこの作戦は――」

81 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:41:49.74 ID:tCiOWLnR0

店員「こら〜君は小学生だろう!19時以降の入店は保護者同伴でもお断りだよ!」

私の感謝は途中で遮られる。店員の声によって

このみ「あらあら、違うわよ、店員さん。百合子ちゃんは中学生よ」

百合子「あ、いえ、このみさん。私じゃなくておそらく……」

そういえば入り口に確かに「19時以降、小学生以下は保護者同伴でも入店をお断りしています」の張り紙があった。収録に向かうときに目にしたんだった

店員「違う。君だよ君!今ゲームをしている君!」

このみ「え、もしかして私!?このアダルトレディの私が小学生!?」

店員「君以外に誰がいるっていうの!」

このみ「あなたの目は節穴?どこからどう見たって私は大の大人じゃない!免許書もあるわよ!」

店員「わかった、わかった。取り合えず君のお母さんはどこにいるの?」

このみ「そんなの実家よ!」

店員「こら!一休さんをやっているんじゃないんだよ!そんなに聞き分けが悪いと警察を呼ぶんだからね!」

このみ「呼べるものなら呼んでみなさい!公開するのはあなたよ!自分の節穴を呪うことね」

店員「なに〜、君!奥のスタッフルームに来なさい!お〜い、警備員さん、お願いしま〜す」

このみさんは集まってきた警備員に連行されていく。
じたばたともがいて見せるが、多勢に無勢だ。
このみ「百合子ちゃん!私はここまでよ。でも決して諦めないで!バトンは繋いだ!だから最後まで走りぬくのよ。お姉さんと約束だからね!」
このみさんは最後まで私に何かを残そうとする。

店員「君!静かにしなさい!本当に警察を呼ぶよ!嘘じゃないぞ」

このみ「だから呼べって言ってるでしょうが!」

店員「あ〜!いいのかそんな態度で!もうあと一回しかチャンスをあげないぞ。次はもうないからな!」

バトンは繋いだ。静香ちゃんにも同じことを言われた気がする。
私は一人残された。だがそれは皆が諦めずにバトンを繋いでくれたおかげでアンカーまでたどり着いたということだ。だから私は決して諦めない。

百合子「やってみせるからね」

このみさんに教えられた攻略ポイントをまとめたノートを開く。
やるしかない。やるしか。
決着はいつだって自分でつけるしかないのだから

82 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:42:52.91 ID:tCiOWLnR0

店員「こら〜君は小学生だろう!19時以降の入店は保護者同伴でもお断りだよ!」

私の感謝は途中で遮られる。店員の声によって

このみ「あらあら、違うわよ、店員さん。百合子ちゃんは中学生よ」

百合子「あ、いえ、このみさん。私じゃなくておそらく……」

そういえば入り口に確かに「19時以降、小学生以下は保護者同伴でも入店をお断りしています」の張り紙があった。収録に向かうときに目にしたんだった

店員「違う。君だよ君!今ゲームをしている君!」

このみ「え、もしかして私!?このアダルトレディの私が小学生!?」

店員「君以外に誰がいるっていうの!」

このみ「あなたの目は節穴?どこからどう見たって私は大の大人じゃない!免許書もあるわよ!」

店員「わかった、わかった。取り合えず君のお母さんはどこにいるの?」

このみ「そんなの実家よ!」

店員「こら!一休さんをやっているんじゃないんだよ!そんなに聞き分けが悪いと警察を呼ぶんだからね!」

このみ「呼べるものなら呼んでみなさい!公開するのはあなたよ!自分の節穴を呪うことね」

店員「なに〜、君!奥のスタッフルームに来なさい!お〜い、警備員さん、お願いしま〜す」

このみさんは集まってきた警備員に連行されていく。
じたばたともがいて見せるが、多勢に無勢だ。
このみ「百合子ちゃん!私はここまでよ。でも決して諦めないで!バトンは繋いだ!だから最後まで走りぬくのよ。お姉さんと約束だからね!」
このみさんは最後まで私に何かを残そうとする。

店員「君!静かにしなさい!本当に警察を呼ぶよ!嘘じゃないぞ」

このみ「だから呼べって言ってるでしょうが!」

店員「あ〜!いいのかそんな態度で!もうあと一回しかチャンスをあげないぞ。次はもうないからな!」

バトンは繋いだ。静香ちゃんにも同じことを言われた気がする。
私は一人残された。だがそれは皆が諦めずにバトンを繋いでくれたおかげでアンカーまでたどり着いたということだ。だから私は決して諦めない。

百合子「やってみせるからね」

このみさんに教えられた攻略ポイントをまとめたノートを開く。
やるしかない。やるしか。
決着はいつだって自分でつけるしかないのだから

83 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:43:33.15 ID:tCiOWLnR0

15 〜クリスマス当日〜


杏奈「あなたがく・れた勇気を・また私がな・くさないよ・うにそばで・持ってい・てくださ・い。……・いい加減に」

これって、どこかで聞いたことのあるセリフだ。どこだったけ?
私は記憶をたどってみる。真っ先に浮かんだのは百合子さんの顔だった。この文章は漫画や小説のセリフそのものって感じがする。だとしたら百合子さんだ。
ということはこのランキングは百合子さんの仕業なの?いや、百合子さんは杏奈を短時間で上回るほどこのゲームには通じていない。
ということは……あ、このみさんだ!確かこのみさんはこのゲームが得意だって話を百合子さんから聞いた。百合子さんが文章を考えてこのみさんが反映させているんだ。でも、なんのために?それに、10位がなかなか切り替わらないのはどうして?このみさんに何かあったの?

私はランキングページの更新を行う。10位は『杏奈』のままだ。もしかしたら10位を含めて一つの文章が成立するのかもしれない。
もう一度最初から文章を読み直してみる。

杏奈「だめ……表現が婉曲的過ぎてよくわからない。それに最後の『いい加減に』って、その後に続く言葉はどう考えても『いい加減に・しろ』だよね……でもどこかで」

どこかでそんな話をした。確か百合子さんがこのセリフが好きだと言って、私が婉曲的過ぎてわからないって答えたんだ。
少しずつ記憶の扉が開いていく。

そうだ、百合子さんは言っていた!これは主人公と幼馴染が再会した時のセリフだって。
そっか!百合子さんの書いた小説のセリフだ!
でもだとすると一つ疑問がある。確か百合子さんの小説には『いい加減にしろ』なんていうシーンはなかった。もしかして百合子さんはセリフの修正している?なんのために?
百合子さんの言葉が頭に浮かぶ。
84 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:44:16.82 ID:tCiOWLnR0

百合子『うぅ、そこは好みの違いか〜でもセリフを少し修正するよ。本当に大切な気持ちは伝わらないと意味がないからね。』

本当に大切な気持ちは伝わらないと意味がない。百合子さんの物語では主人公のセリフはちゃんと幼馴染に意味が通じていた。でもそれをわざわざ変える意味……
もしかして……
私はランキングに更新をかける。何度も何度も、
もしかして、もしかして百合子さんが言いたいことって……!
私は願いを込めてまた更新をかける。
外面右上にランキングが更新されましたとお知らせが出現する。
私はランキング10位の名前を不安と期待につつまれながら見つめる
そこに書いてあったのは

『戻ってきて』

だ。『いい加減に戻ってきて』

『杏奈が幼馴染だったら、あのとき主人公に言ってほしかったのは“いい加減に、戻ってきて!”って素直な気持ちかもしれません。』

百合子さんに言った言葉を思い出した。
これは百合子さんが杏奈に宛てた仲直りの手紙なんだ。
どうしてすぐに気づかなかったんだろう。
胸からあふれるようにこみ上げる涙を杏奈は抑えきれなかった。
会いたい、百合子さんに会いたい。

『なら百合子さんのもとに戻ったら?』

私の目指すべき理想的なアイドルが私に囁く。
気付けばマザーズバッグをもって、店外に飛び出していた。そうだ、そうすればよかったんだ。百合子さんに会いたい。素直な気持ちに従うんだ。街灯に照らされた夜道を杏奈は疾走する。
だが勢い余って、曲がり角で黒い服を着て、ピンクのバッグをもって飛び出してきた男の人とぶつかってしまった。突然のことでお互いバッグをおとしてしまう。

男「っち!あぶねえだろ!」

杏奈「す、すいません」

お互いに落としたバッグを拾って、反対方向に駆け出していく。
なぜだろうバッグの重さを全然感じない。律子さんの言ったように、ダンベルを持ち歩いた成果だろうか。気持ちが軽いからだろうか。
ポケットから携帯を取り出して、百合子さんに掛ける。
私の勇気を呼び覚ます目覚まし時計の力は、今の杏奈には必要がなくなっていた。

85 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:45:40.46 ID:tCiOWLnR0
16 〜クリスマス当日〜

やっとまいたか。
後ろを振り返ってみるが、俺を追いかけるような奴の気配はない。

今回狙ったやつは中学生ぐらいだったが、なかなか体力があるな。本当にしつこかった。
男は全力疾走を解除し、1割ずつ段階を踏んでスピードを解除していく。そして徐々に荒ぶる息を整えながら、本日の獲物であるピンクのマザーズバッグの口を開く。

いや、駄目だ、まだ中身を確認していい時じゃない。安全を確保してからだ。男は好奇心をぐっとこらえる。
周りを見渡す。前には娯楽で走っているようなランナーが1人ゆっくり走っている。が、そいつだけだ。今の俺のクールダウンのペースだと簡単に抜かしてしまうだろう。
ここで立ち止まって中身を確認できればいいが、それは出来ない。なぜなら引ったくりとは体が資本の仕事だからだ。ここで立ち止まって体に負担を掛けるぐらいなら追い越しちまってからどっかで確認した方がいいか。
男は全力疾走の7割程度のスピードで前のランナーを軽く抜かす。

さて、どこで獲物の確認をするか。男は次の思考に移ろうとする。しかしその思考はすぐに中断される。短い間隔で鳴り響く足跡が男の耳朶を打ったからだ。

後ろを振り返る。
さっきの娯楽ランナーだ!
よく見るとそいつはオレンジのパーカーに「本日の主役」というタスキをつけた小さな女の子だった。そいつが俺を必死に追いかけてきている!

くそ、まさか俺が引ったくりだってことがばれたのか?十分にあり得る。なぜなら大の大人が黒い服に女物のピンクのマザーズバッグを持ち歩いているんだから。
アクセルを力強く踏むように男は強く地面をける。すなわち全力疾走を開始した。
数十秒間。それを持続する。既に一仕事を終えた男の足ではそれが限界だった。だが男には自分の脚に対する信頼がある。だから引ったくりなんて仕事をやっている。数十秒あればかなりの速さで、それなりの距離を進める。そうすれば、娯楽ランナーなんて軽く引き剥がせる。持続可能時間が終了し、男の脚は全力疾走を終了する。さあ、どうだ?
男は後ろを振り返る。

いた。オレンジ色のパーカーを着た女の子が男の全力疾走前と同じ距離を保ったまま、ついてきていた。
嘘だろ?まさか俺はこんな形で終了なのか?
女の子のペースは変わらない。そして男のペースはどんどん落ちていく。

まずい、どんどん距離が縮まっていく。
「本日の主役」とかそんな訳の分からないタスキを付けた不審者に俺の引ったくり人生の幕引きを宣言されんのか?
 そうこう考えているうちに男と女の子との距離は目と鼻の先になる。
万事休すか?そう思った時だった

可奈「猪突猛進、もうもうし〜ん。また可奈の勝ちかな〜♪志保ちゃんに勝利の報告〜♪」

女の子は妙な歌を歌いながら男の横を素通りしていった。なんだ、なんなんだ?
男は自分の目の前を走る女の子の背中を目で追っていた。
女の子は携帯を取り出して、走りながら「また勝ったよ〜」と志保ちゃんとやらに報告している。次の瞬間。女の子は派手に道の真ん中ですっころんだ。

チャンスだ。と男は思った。とっととこいつを引き離してどこか安全な場所へ行かなければ。
男はなるべく倒れている女の子を見ないように、その女の子の隣を走り抜ける。
だが、何かが脚に引っ掛かり男も派手に転んだ。その際手に持っていた盗品のバッグを盛大に前方に向かって遠心力のままに放ってしまう。口の開いていたバッグから何かが飛び出すのを目撃する。あれは、ダンベル?2秒後、派手な音を立ててガラスが割れる音がした。
まずい!男はすぐに立ち上がり、ガラスの割れた切妻屋根の絵本に出てくるような建物に侵入し、バッグを確保する。そして周りを顧みることなく脱出と逃走を開始した。もう足のことなど気にする余裕は男にはない。

志保『可奈、ちょっと大丈夫?なんかすごい音が聞こえたけど……』
携帯から志保ちゃんの心配する声が聞こえる。

可奈「だ、大丈夫だよ〜。全然平気だし、全く可奈は無関係かな〜♪」

可奈は咄嗟に嘘をついた。

志保『本当に?嘘をついて――』

可奈「それじゃ、志保ちゃん!私はランニングに戻るから!またね!」
通話を切り、せかせかとランニングを再開する。
だが少し違和感を覚える……なんだろう……

可奈「あ!『本日の主役』のタスキがない!」



86 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:46:20.62 ID:tCiOWLnR0
17 〜クリスマス当日〜

百瀬莉緒は辛抱強く居酒屋からの監視を続けていた。
警察のコスプレ衣装に着替えてからもなかなかプロデューサーが共同ビルから出てくることはなかった。流石に恥ずかしくなったのか、莉緒は室内であるにも関わらずコートを羽織っている。
だが、なかなか警察も大変な仕事よね、などと酒を飲みながら考えていた、そのときようやく忍耐の成果が表れる時が来た!
共同ビルの入り口から見知った人影が出てきた、あれはプロデューサー君?しかし影は1つではない。もう1つある。まったく私の知らない人だ。

「入った時には1人、でも出てくるときには2人。これなあに?」

といったなぞなぞを出されているような気分になる。
けどそうも言ってはいられない。2人が移動を開始したからだ。私は素早くカードで会計をして2人の後を見失わないように、でもばれないように。そんな絶妙な距離感を図りながら後をつける。だが素人の尾行が上手くいくはずなどなく、2人が人ごみに紛れた時、いともたやすく見失ってしまった。

 でも一つ面白いものを見つけた。いや、聞こえたという方が正しい。2人の会話ではない。ミュージックだ。それと普段私が765プロのアイドルとして耳に馴染んだ声。翼ちゃん、ジュリアちゃん、瑞希ちゃんの3人の歌声だ。彼女たちは路上ライブをしているのだ。この人だかりも彼女たちが作り上げたものだろう。人ごみの中を慎重に目を凝らすとプロデューサー君の姿があった。誰かと会話をしている。問い詰めようと思ったが、やめることにした。
軽快で花火が弾けるようなミュージックが私の心を震わせる。そうよね。この音楽を前に理由を問うなんて無粋よね。
 気付けば私は、3人が奏でるメロディーに夢中になっていた。
87 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:46:47.30 ID:tCiOWLnR0

18 〜クリスマス当日〜

未来「うぅ……完全に引ったくりを見失っちゃったよ〜」

途中まではなんとか距離を保ててはいたが、路地が入り組んでいる区画に逃げ込まれた時点で形勢は引ったくり犯に完全に傾いてしまった。

未来「警察に連絡したいけど、財布も携帯もバッグの中だし……」

未来は途方に暮れてただ歩き回っていた。
空には冬の大三角が瞬いている。冬の夜道を当てもなく歩き回る心細さを氷解するにはあまりにもか細い都会の星の光だ。
静香ちゃんももしかして心細く思っていたのかな、と未来は思った。
あれ?どこかからか歌が聞こえてくる。
昔の人が星を頼りに夜道を進んだように、未来はその歌に引き寄せられるようにそこへ向けて歩き出した。

88 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:47:30.14 ID:tCiOWLnR0

19 〜クリスマス当日〜

「クリスマス商戦ですよ、クリスマス商戦!」
翼が言っていた言葉をあたしは思い出す。路上ライブなんて今まで何回もしてきたが、今回は観客の集まりが群を抜いている。
街灯の光の下と、翼のアイデアで自転車のライトも追加された街の何もないステージでスタートの合図もなしに始めた路上ライブだったが、マルチ商法でもやってんのかってぐらいに瞬く間に観客の姿が他の観客を呼びよせ、賑わいを見せていた。
クリスマスは外国の文化だからか、教会の賛美歌よりもわかりやすいミュージックをここでは求めているのかもしれない。
 隣でマイクを握る瑞希に目を向ける。まさか本当に幕間にマジックショーを始めるとは思わなかった。でもそれはそれでよかったのかもしれない。客と翼には大うけだったからだ。
 あたしは演奏をしながら思った。今日は良いライブだ。まるで主役になったようないい気分がする。

しかし異変が起きた。

まずはパトカーのサイレンが聞こえる。
 なんだ?どっかで事件でも起きたのか?と思った。方向的にはゲームセンターがある方だが……

「なんだお前!いきなり来て割り込んでくんじゃねえよ!」
「黙れ、押すんじゃねえ!」

パトカーの音の後に、誰かが観客の集団の中に飛び込んできたらしい。あたしらを囲むように集っていた観客たちの層が怒声とともに乱れ始める。そして――

あたしたちの目の前に黒い服を着て、そんな姿に不釣り合いな女物のピンク色に
「Going My Way」のロゴが入ったバッグを持った男が飛び出して来た。さらにそいつの脚を、「本日の主役」と書かれたタスキがだらしなく、くぐっている。

突然の出来事にあたしは思わず演奏を止め
ジュリア「本日の主役はあたしらだろうが……」
と的外れなことを口にしてしまう。
89 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:47:57.75 ID:tCiOWLnR0

「あ!あれ、私のバッグ!!」

観客からどこかで聞いたことのある声が気になる事を言った。
男ははっとしたように急にうろたえだす

翼「ジュリアーノ、もしかしてこの人って……!」

ああ、言わずとも分かる。この男はパトカーの音を聞いて客の集団に突っ込んできた。隠れるように。そして被害者らしき人の声だ。こいつの正体は――

「引ったくりじゃないですか!?」と翼が声を上げると同時にあたしと男は動き出す。
一方は逃げ出すように、そしてもう一方はそれを引き留めるように肩に手を掛ける。

ジュリア「待てよ、お前――」

だが、その手は引き剥がされる。

ジュリア「っ!?」

男はあたしの腹をめがけて蹴りを入れてきたからだ。だがその位置には首からぶら下がったあたしのギターがあった。吹き飛ばされたあたしは尻もちをつく。

瑞希「ジュリアさん!」

男は蹴りから体制を立て直し、逃走に移ろうとする。
ジュリア「ま、待て――」
駄目だ、逃げられちまう!そう思った刹那――
90 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:48:32.80 ID:tCiOWLnR0

『動くな!警察よ!銃があなたを狙っているわ!』

観客の中から現れた警察官の張るようなそしてなぜか聴きなれた声が、男の脚をとめる。手には拳銃が握られていて、男の頭に照準をあわせている。男とあたしの目はその警官にくぎ付けになる。

瑞希「伊吹さん、横山さんのラジオ覚えていますか?」
瑞希が翼に小声で何かを伝えるのが聞こえる。あ、奈緒のラジオ?なんで今、この瞬間にそんな話になるんだ?
あたしの疑問を置き去りに、「なるほど!わっかりました〜!」と翼が了解を出すと同時に2人の駆け出す音が聞こえる。

警官がこちらに歩み寄り、闇から街灯の灯りの中にその姿が映し出されるにつれ、あたしの中の照合が完了する。あれは莉緒姉だ!しかもなんで安っぽい警官のコスプレといういで立ちだ。なんでそんな恰好をしてやがんだ?

男「くそ、コスプレかよ!」

男は自分の愚かさを今更悔いるかのように、逃走を開始しようとする。だが次の瞬間何かに足を取られるように盛大に転倒し、さらに男に覆いかぶさるように、自転車が倒れた男を襲撃する。男の手からバッグが離れ、それは観客の中に姿を消す。

ジュリア「なんだ?何が起きた!?」

91 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:49:00.56 ID:tCiOWLnR0

あれは翼の自転車だよな?あたしは自転車に注視する。
そのタイヤには男の足を通っていたタスキが何重にも巻き付いている。そしてもともと自転車があった場所には翼が立っていた。

翼「『扇風機です。あの羽の回転をみてると、髪が巻き込まれて頭皮を引き剥がされるのではないかと怖くて仕方ありません。どうしたらいいでしょ〜』……世の中何が役に立つかわかりませんよね〜」

翼は美也の物まねをして種明かしを行う。
そうか、瑞希が言っていた。奈緒のラジオってこのことだったのか。警官姿の莉緒姉に目が
釘付けになっていた男の隙をついて足を通ったタスキをタイヤに絡めとるように両足スタント式の自転車のペダルを回したんだ。

瑞希「伊吹さん、お疲れさまでした。そしてこれで終了です。」

瑞希は男の腕をとり、マジックのために用意した手錠をかける。そしてもう一方を自分の腕にかけようとする。

「待て、瑞希。それは俺の腕につけろ」

またまた観客の中から聞きなれた声がする。今度は間違えようのない声だ。

瑞希「プロデューサー、やっぱり来ていましたか」

プロデューサー「ああ。実は来てたんだ」

瑞希は照れ臭そうに問いかけ。プロデューサーは照れ臭そうに返事をする。
プロデューサーは瑞希から手錠を受け取り、自分の腕につける。

プロデューサー「後のことは任せろ。莉緒、自転車を起こしてくれ。移動させるぞ。ほら、お前も立て」

莉緒姉は、「え?私!?」と驚いた表情をするも、ため息を一つついた後
莉緒「そうね。ここは大人の出番よね」
仕方がないわねと、プロデューサーの指示に従う。
男のほうは、これ以上抵抗の余地がないのを認めたのか暴れるのを止め、うなだれている。

プロデューサー「ところで、莉緒、なんで警官のコスプレなんてしてるんだ?」

莉緒「あなたのせいよ、あなたの!」

プロデューサーと莉緒姉は一方は不承不承と謝りながら、一方は怒りの声を上げながら、それでも男を抱えて観客の外へと消えていった。

92 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:49:29.75 ID:tCiOWLnR0

翼「やれやれ、とんだアクシデントでしたね。ジュリアーノ」

瑞希「でも、なんとか解決することができました。」

ああ、そうだ。とんだアクシデントだ。それも最低最悪の。あたしはつい、俯いてしまう。

翼「ジュリアーノ、早くライブ、再開しましょうよ。お客さんも待ってますよ」

瑞希「そうですね。せっかく危機を乗り越えたんです。このまま押し切りましょう」

あたしの頭にあのライブハウスでの出来事が思い起こされる。おそらく瑞希の頭にも浮かんでいるのだろう。だがそんなことが起きても絶対乗り越えて見せるという思いで始めたライブだったが、今回ばかりはあたしの中から勇気を吸い出されるような最悪な状況が起きてしまった。

ジュリア「……みんな。こいつを見てくれ」

あたしは翼と瑞希にギターを見せる。

翼・瑞希「「あ……」」

男の蹴りを受けたギターはフレットが折れ曲がり、弦が切れていた。

「現実に戻してんじゃね〜よ」

どこかからそんな声が聞こえた気がした。
93 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:50:00.02 ID:tCiOWLnR0

20 〜クリスマス当日〜

勤務先にしつこく私を訪ねてくる男がいた。
受付に頼んで門前払いをしてもらっていたが、あまりにしつこく訪ねて来るものだから流石に受付に悪いと思い仕方なく会うこととなった。
その男は私の娘である静香が所属しているアイドル事務所のプロデューサーだった。
何の用かと尋ねると「一緒にライブを見に行きませんか?」と友達のような気さくさで誘ってきた。

静香父「君は初対面の人間をいきなりライブに誘うのか?」

プロデューサー「はい。彼女たちのことを知らない人たちにライブに来ないかと誘うのが私の仕事なんです。これまで一億人以上の人たちに誘いを掛けてきました。」

静香父「なるほど。だが私の答えはノーだ」

私は確かに断った。だがこの男は諦めが悪かった。

プロデューサー「最上さんは、アイドルはお好きですか?」

プロデューサー「これが、弊社のアイドルです。52人もいるんですよ。誰が一番売れていると思いますか?」

プロデューサー「静香さんの歌は本当に素晴らしいんですよ。生で聞いたことはありますか?これ、今度の公演のチケットです。ぜひ来てください」

私が一筋縄ではいかないと知ると。関係のない話で時間稼ぎを始めた。しかも大声で、だ。その狙いは社内にいる人間の視線を私に集めることだ。残業時間に仕事もせずアイドルの話を延々と社内ですることに対する、風当たりは強い。この男は私に対する周りの人間の評価を人質に取ったのだ。そして時間が経つほど不利になるのは私のほうだ。

静香父「君はずるいな」

全く、不愉快な男だ。

プロデューサー「何のことですか?そんなことより、765プロの育成方針についてですが――」

静香父「……いや、もういい。それよりもそのライブとやらはどこでやっている?」

プロデューサー「このビルの近くです。路上ライブですが見る価値はありますよ」

静香父「そうか。ただその価値がないと私が感じたら、帰らせてもらう」

プロデューサー「ええ、結構です」

私達は会社を後にした。
ライブ会場への道のりでこの男は空を見上げて、ふと独り言を呟いた。「ああ、今日も見えるな。シリウスにプロキオン、そしてベテルギウスが」

静香父「ベテルギウス?」

あいにく私は星に興味がなく、有名な星の名前程度しか知らなかったし、名前と実際の星の位置との対応も知ろうとは思わなかった。だが先日静香が言った『私はやっぱりベテルギウスと同じなのかな……』という言葉が、なぜか今頭に浮かんできた。

プロデューサー「ええ、南の空に一番輝くシリウスの近くにある赤く輝く星がベテルギウスです。」

ほら、あれですよ。と男は星を指さす。

プロデューサー「でも赤いということはもう星の寿命が近いことを意味していて、600光年以上離れているベテルギウスはもしかしたら既に消滅していて、明日に消えるかもしれないし、600年後に消えるかもしれない。そんな危うい星なんですよ」

静香父「消滅……」

プロデューサー「はい。ベテルギウスが消えたら、冬の大三角はどうなるんでしょうね?」

この男は寂しそうにつぶやく。

『私はやっぱりベテルギウスと同じなのかな……』

それに呼応するかのように、もう一度頭の中で静香の寂しそうな声がした。

94 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:50:33.31 ID:tCiOWLnR0

会場に到着すると、既にライブは始まっていて人だかりができていた。
中心には静香ぐらいの年齢の女の子たちがいて、無機質なオフィスが集められたこの街をカラフルな色で塗り替えるかのように明るい笑顔と楽しそうな歌声をまき散らしていた。

プロデューサー「どうです?最上さん、アイドルの歌もなかなかいいものでしょう?」

静香父「……ああ、そうだな。悪くないのかもしれない。だが、君も静香も勘違いをしている。君が私を訪ねてきたのは静香がアイドルを続けることを認めさせるためだろう?」

プロデューサー「ええ。」

隠さない、か。不愉快な男だがそこだけは認めてもいい。

静香父「私は、別にアイドルが嫌いだから認めないわけではない。静香にとってあまりにもリスクが高い仕事だから反対しているんだ。」

プロデューサー「リスク、ですか」

静香父「そうだ。確かに今路上ライブをしている子たちには実力があるのかもしれない。だが実力だけで売れる世界ではない。そうだろう?」

プロデューサー「ええ、おっしゃる通りです。さらに質の悪いことに、見かけが良くて実力があるアイドルは山ほどいて、それでも売れるのはほんの一握り。しかもなにがきっかけで売れるかもわからない。アイドルの世界はそんなところです。」

私が言おうとしたことをこの男は続ける。そこにすこし驚かされた。

静香父「それが分かっているなら、私が静香がアイドルを続けることに反対することも理解できるだろう」

プロデューサー「そうですね。わかります。もしかしたら私が最上さんと同じ親の立場だったなら反対していたかもしれませんね」

静香父「分かるなら諦めろ。私を説得するより他のアイドルの育成に専念したほうが効率的だろう」

プロデューサー「でも、私は彼女たちがステージに立つまで何を思い、どんな努力をしていて、何故トップアイドルを目指しているのかを知っていますからね。もちろん静香さんのも。ですので、物の見方には最上さんと違いがあります」

静香父「静香が誰よりも努力していることは私も知っている。知ったうえで娘をアイドルの世界に置きたくはないんだ。すべてを投げ捨てるかのように努力する娘が敗北する姿を見たくもないし、そんな思いを静香にもさせたくはない。」

プロデューサー「やはり物の見方が違いますね。最上さんは静香さんの失敗を恐れていますが、私は彼女の将来を楽しみにしているんですよ。」

静香父「楽しみ?」

プロデューサー「ええ、精一杯努力をして人として魅力的になった静香さんが、トップアイドルとして最高のステージを作り上げる姿を。だから私は静香さんの力になりたいと思っている」

この男は静香と同じようなことを言う

95 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:51:08.36 ID:tCiOWLnR0

静香父「それは絵空事だ。先ほども言ったが、これは分の悪すぎる賭けだ。静香は他人より努力をしている。一番報われるべき人間だ。だがそんな一番報われるべき人間がなおさら報われ難いのがアイドルの世界だ。奇跡はそれをもっとも必要としている者にはおこらないんだ」

プロデューサー「その通りです。本当に報われるべき人間が報われにくい世界です。だからこそ私は静香さんのような人間には報われてほしい。彼女の頑張りとアイドルにかける思いを知っているから。そのためならどんな努力だって私は惜しみません。」

静香父「どんな努力も、か……」

静香の思いは私も知っている。痛いほどに。
私はこの男の事を少しうらやましく思った。この男はそんな静香の力になってやることができるのだから。

プロデューサー「はい。でも私の努力でも足りないかもしれない。敵は大きいですからね。だから最上さん、力を貸してくれませんか?」

静香父「私の?何を言っているんだ?私になにができるというんだ?」

出来ることがあるなら教えてほしいくらいだ。

プロデューサー「それはもう出来ることばかりですよ。でもそうですね、まず始めるべきは彼女のファンになることからです」

静香父「ファンに?」

プロデューサー「静香さんのステージ、まだ見たことないですよね?あれは本当に素敵なんですよ。素敵な静香さんを親として見てみたくないですか?」

この男は子供のように目を輝かせながらうっとりするように私に語る。
そしてさらに「あ、ひとつ言い忘れていました。」と言葉を続ける

プロデューサー「最上さんは、静香さんが努力の果てに失敗することを恐れているようですが、安心してください。」

静香父「安心?」

プロデューサー「ええ、うちのアイドルはそんなことで挫けるほど弱くありませんから――」

プロデューサーが言い終わる直前、ライブの音がやみ、代わりに何かが砕けるような音がする。
中心で歌っていた女の子の一人に男が蹴りを加えている姿が見えた。

静香父「なんだ?何が起きた?誰かが乱入でもしたのか?」

プロデューサー「すいません。最上さん、話はまた後日!」

静香父「お、おい!」

プロデューサーはライブの中心に駆け出そうとする。だがそんな彼を制止する声がかかる

莉緒「待って、プロデューサー君。私が何とかするわ!」

プロデューサー「……莉緒?」

警官のコスプレをした女性が銃を構え、乱入者に向けて声を上げる。
その後はライブの中心にいた女の子達とプロデューサーの機転によって、なんとか乱入者を締め出すことに成功した。どうやら乱入者は引ったくり犯だったようだ。

96 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:51:37.50 ID:tCiOWLnR0

だがライブがなかなか再開しない。
何があったのか注意深く見ると、どうやら女の子のギターが壊れてしまったらしい。
これではライブを再開することは不可能だろう。
いつだって、一番報われるべき人間には奇跡は起こらず、起こるのは理不尽ばかりだ。
生きていて何度も見てきた光景だ。何度も見てきた光景だが、そのたびに私はひどい不快感と憤りを覚える。
近くで小さな声がした。

「ごめん、みんな、静香ちゃん」

声の方向を見ると。引ったくり犯が盗んだバッグを抱えて女の子が泣きだしそうになっている。

静香父「君は、もしかして静香のお友達かな?」

はっとしたように女の子が顔をあげる

未来「はい。でも、あの……」

静香父「ああ、私は静香の父だよ。いつも静香と仲良くしてくれてありがとう。でも、どうしたの?さっき静香の名前を出していたよね?何かあったのかな?」

女の子は、最初はためらっていたが、優しく問いかけると理由を話してくれた。

未来「……実は、最近静香ちゃんの元気がなくて、それでこれと同じバッグに静香ちゃんが元気になる為の道具を入れていたんです。でも引ったくり犯に盗られちゃって、やっと取り戻したと思ったら。中身が違うものになっていて、それに皆にも迷惑を掛けちゃって……」

この女の子はそういって中心にいる3人のアイドルに目を遣る。
静香の元気がないのは私の責任で、ライブを台無しにしたのは引ったくり犯なのに、この女の子はその全てに責任を感じている。
胸が痛んだ。
「君は責任を感じる必要はない」というのは簡単だがあまりにも無責任だ
掛ける言葉は見つからない。女の子の目に溜まった涙はもう一杯になっている。なにか、なにか私にできることはないのか?
そう思った時だった。
女の子の抱えるバッグから声が聞こえた。

未来「え、なに?私のバッグから?」

女の子はバッグからその声の主を取り出そうとする。なんだ?音楽プレーヤーか目覚まし時計でもはいっているのか?
繰り返す発する声はだんだんとボリュームを上げていく。
そしてついにはっきりと会場に響き渡るような声となる。



「ロックンロールはどこにある?」

97 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:52:11.97 ID:tCiOWLnR0

21 〜クリスマス当日〜

観客のほうに目を遣る。再開を期待して残っている客と、事態を察して早々にこの場を離れる客。あたしは判断に迷っていた。ライブハウスでの一件では、その後のライブの盛り上がりは散々だった。そして今、あたしらにはさらに状況が悪いことに楽器すら失ってしまった。
どうする?続けるか?それとも……
そんな私の迷いを見透かしたように、もはや聞き馴染んだあのセリフが私の耳朶を打つ。

「ロックンロールはどこにある?」

驚いた。ここでそのセリフを聞くとは思わなかった。どこだ?セリフを発した主じゃない。ロックンロールだ。あたしが探し求めて止まないロックンロールはどこにある?

翼「ロックンロールはここにある!」

聞こえてきた声に応えるように翼は宣言する。

翼「ですよね、瑞希ちゃん、ジュリアーノ?」

はにかみながら翼はあたしと瑞希のほうを見る。

瑞希「ええ、その通りです。伊吹さん。ロックンロールはここにあります。ですよね、ジュリアさん」

迷いのない眼差しで、瑞希はあたしの目をまっすぐにとらえる。
翼、瑞希……
胸の内からこみ上げてくるものがあった。

ジュリア「まったく。そうだよな。その通りだ。ギターなんてなくてもロックンロールはここにあんだよ。よし、皆!ライブ再開だ!次の曲いくぞ!」

あたしは観客に向けて宣言をする。

翼「じゃあじゃあ、曲はGO MY WAY!!がいいと思いま〜す!」

瑞希「そうですね。なぜか私もその曲が頭に浮かびました。でもいいんですか?ロックじゃないですけど」

瑞希はうかがうようにあたしの顔を見る

ジュリア「いいんだよ。あたしもその曲がいいと思っていたところだ。そいつで行こう」

ジュリアの合図で歌唱を開始する。

ここからが勝負だ。あるのは歌声とダンスだけの勝負。だが負けない自信が今のあたしにはある。そうだよな?翼、瑞希。

「GO MY WAY!! GO 前へ!!頑張ってゆきましょう。一番大好きな私になりたい」

最初の歌詞を歌いきる。そして次の歌詞まで楽器のない今なら無音になるはずだ。

だがそうはならなかった。奇跡が起きたからだ。
98 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:52:38.67 ID:tCiOWLnR0

全てを包み込むような優しい音色がこの空間にいる者の心を揺らす。
ピアノだ。ピアノの音が聞こえる。そしてその奏でるメロディーは確かにGO MY WAY!!のものだった。
まるで奏者の優しい心がそのまま音になっているかのような。そんな旋律があたしたちの心に温かい光を灯す。
こんな演奏ができるのは――
あたしは翼の顔を見る。

歌の最中だってのに、翼は今にも泣き出しそうな顔になっていた。


99 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:53:15.83 ID:tCiOWLnR0

22 〜クリスマス当日〜

ガラスが割れる音がして、ダンベルとバッグが店内に飛び込んできた。
ピンクのバッグにはGoing My Wayというロゴが書いてある。

奈緒「うわあ!なんや!敵襲か!?」

私も驚きで思わず悲鳴を上げてしまう。
そして間を置かずに黒い服を着た男が店に上がり込み、せかせかとバッグを回収した後、店の外へと駆け出して行った。
代わりに店の奥から走ってくる足音がする。

店員「なんです!?何の音……って、うわ、ひどい!」

店員は床に散らばったガラスに目をやって、すかさず問いかける

店員「犯人はどこです?どっちに逃げましたか!?」

奈緒さんが方角を指し示す

店員「すみませんが、店を頼みます!私は、犯人を追いますから!」

奈緒「え、店を頼みますって、ちょっと!」
奈緒さんの制止を無視して店員は犯人を追いかけるため店の外へ駆け出していく

奈緒「ああ……いってしもた。動転しすぎや……」

静香「どうします奈緒さん?」
まさかこんな状態で店番もないだろう。警察に連絡をするのが妥当なのかもしれない。

奈緒「静香、防音ガラスとガラスの破裂音が耳に残ってたせいで、さっきまで聞こえんかったけど、今は歌が聞こえないか?それも私らが聞き馴染んでる歌が」

まだ本調子でない耳を集中して澄ましてみる。

静香「本当ですね。歌です。私たちの――」
その時私の携帯に着信がある。
百合子からだ。
私は電話に出る。

静香「もしもし、百合子?」

百合子『静香ちゃん?百合子です。あのね、静香ちゃん、私――』

百合子が間を置く。なんだろう。何か不幸が事でも起きたのだろうか。そんな心配が私の胸に沸く。だがそれが杞憂に終わる。

百合子『杏奈ちゃんと仲直りできたよ!』

百合子の上ずった声とその内容に、ホッとしたと同時に。嬉しさがこみ上げてくる。

静香「そうなの?良かったじゃない、百合子!」

百合子『うん。静香ちゃんと、このみさんのおかげだよ。本当にありがとう!』

そっか。このみさんも百合子にバトンを繋いだんだ。

静香「ううん。最終的に仲直りできたのは百合子の力だと思うわ。私たちはただバトンを繋いだだけ。走り切ったのは百合子よ」

百合子『でも、本当に2人のおかげなんだよ?私、杏奈ちゃんと仲直りできた時思ったんだ、私一人じゃ絶対に杏奈ちゃんと仲直りできなかったって。他にもね、静香ちゃんと、このみさんにバトンを繋いだって言ってもらえたから、絶対にゴールまで走り切ろうって思えたんだよ』

静香「そう思ってくれたなら、とてもうれしいわ。たぶんこのみさんも同じはずよ。」

心からそう思う。

百合子『えへへ、そうかな。それで、私今回の一件から教訓を得たんだ。もしかしたら、生きるっていうのは目隠しで何回もリレーを走るようなものなのかもしれないって』
100 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:53:42.52 ID:tCiOWLnR0

百合子のその言葉にはっとさせられる。
それは父が昔私に言った言葉だったからだ。
私は思わず問いかける。

静香「それってどういう意味なの?」

百合子『えっとね、例えばいきなり一人で100キロ走れって言われたら、たぶん無理だよね。でも数人でバトンを繋いで100キロ走る事ならできると思うんだ。今回私が杏奈ちゃんと仲直りできたように』

静香「うん」

百合子『だけど、生きていると多くの場合自分がアンカーなのか、中継役なのか、自分の後ろの人はちゃんと走ってきているか、なんてことはわからないんだよ。時にはバトンが自分に渡ったってことすらわからない時だってあると思うんだ。今回静香ちゃんやこのみさんが私に声をかけてくれたのはきっと特別なんだよ。』

静香「なるほど、だから目隠しなのね」

百合子『うん。目隠ししているから、暗くて不安で、それでさらにバトンが自分に繋がれるのかどうかもわからなくなって、人は走るのをやめてしまうのかもしれない。でもそこで走るのを止めちゃダメなんだよ。』

百合子は続ける。

百合子『自分はアンカーじゃないかもしれないし、手にバトンがあるかもわからないかもしれないけど、見えないだけでもしかしたら自分にバトンを繋げようと頑張ってくれている人がいるかもしれないんだから。その人たちのためにも人は決して諦めちゃいけないんだよ』

静香「自分にバトンを繋げようと頑張ってくれている人」

私は百合子の言った言葉を口に出してみる。
なぜか未来と翼の顔が思い浮かんだ。

百合子『そのことに気付かせてくれたのは、静香ちゃんとこのみさんのおかげなの。だから本当にありがとう!』

静香「ううん。私も百合子のおかげで謎がとけたわ。こちらこそありがとう」

私は通話を切る。そうだ、私は決して諦めてはいけない。今はただバトンが到着していないだけだ。もしかしたら自分は仲介役で、バトンを届けている途中なのかもしれない。それでもいつかゴールに届くと信じて進んでいくだけだ。
101 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:54:13.65 ID:tCiOWLnR0

奈緒「静香、まずいで!」

奈緒さんが慌てた様子で私に語り出す

静香「どうしたんですか?奈緒さん」

奈緒「静香が電話してるときに店の前をカップルが通りかかったんやけど、どうやら引ったくりが路上ライブに乱入して、ギターを壊したみたいや!」

静香「え?」

私は耳を澄ましてみる。耳はもう本調子に戻ったのに音が聞こえない。
奈緒「ほら、もう音が聞こえんくなってるやろ?そんでな、恐らくそこで歌ってたのって――」

静香「翼……」

そうだ。きっと翼だ。私を路上ライブに誘おうと電話を掛けてきたことを思い出す。
演奏がない状態で歌う翼の姿が頭に浮かぶ。それはとても孤独な戦いだ。
何か、何か私にできることはないの?
私に、翼へと繋げるバトンはないの?考えろ、諦めるな!
私は周りを見回してみる
あった、あれだ!

静香「奈緒さん!」

私は奈緒さんに目線で合図をする。

奈緒「わかってる!」

私は急いで電子ピアノとスピーカーを接続し、音量を最大にする。そしてスピーカーを外へ出す。一方奈緒さんは音楽雑誌から私たちの歌の楽譜が乗っているページを忙しなく検索する。

奈緒「静香、これや、次はこの歌が来る!!」

静香「え?どうしてわかるんですか?」

奈緒「親近効果や!瑞希に最近マジックを見せてもらった時に教えてもらったんや!」

静香「分かりました。信じますよ、奈緒さん!」

ピアノの前に座り、楽譜をセットする。
翼、絶対に繋いでみせる。だから翼、あなたも絶対に諦めないで!
静香は目を閉じてその時を待つ。タイミングが大事だ。集中しろ!
そしてその時がきた。

「GO MY WAY!! GO 前へ!!頑張ってゆきましょう。一番大好きな私になりたい」

奈緒「来た!」

静香「はい!」

思いを込めてピアノを奏でる。大丈夫よ、そのまま歌いなさい翼!あなたは決して一人じゃない。必ずバトンは繋げて見せるから!


102 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:54:45.24 ID:tCiOWLnR0

23 〜クリスマス当日〜

『うちのアイドルはそんなことで挫けるほど弱くありませんから』

プロデューサーが言った言葉が私の頭に浮かぶ。
必ず諦めるものだと思っていた。
でも今歌っている彼女たちは顔を上げた。
勇気を出したのだ。
そしてそんな彼女たちを祝福するかのように奇跡が起きた。
この場で一番報われるべき人間に奇跡が起きたのだ。
「いつだって、一番報われるべき人間には奇跡は起こらない。」確かに私の言ったことは世の常だ。だが、もしかしたら、それはただの他力本願な論調だったのかもしれない。もし私が誰かが報わることを願い本気で行動したなら、何かが変わるのかもしれない。
そう願わずにはいられなかった。なぜなら一番報われるべき人間はまだ他にいるのだから。

未来「あの、もしかして、このピアノって――」

静香父「突然すまない。君に一つ頼みがある。いいかな?」

未来「頼み?」

静香父「この携帯で、歌う彼女たちをビデオ撮影していてくれないか?頼む。」

女の子に携帯を差し出し。私は頭を下げる。

未来「いいですよ。任せてください!」

静香父「いいのか?普通こういった撮影は禁止されているはずではないのか?」

未来「大丈夫です。気にしないでください。だって私――」

女の子は胸を張って答える

未来「アイドルですから。静香ちゃんと一緒の」

そうか、静香の。
人の価値はその友を見ればわかるというが、静香は本当に良い友をもったな。

静香父「ありがとう――」

女の子に礼をして、私は駆け出した。
もっと歌を聞いていたいという気持ちはあった。彼女たちの歌はそれほど素晴らしいものだ。だが私が見たいのはもっと別のものだ。だから行かなければならない。
あのピアノを奏でる、私にとって世界で一番報われるべき娘のところへ


103 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:55:23.57 ID:tCiOWLnR0
24 〜クリスマス当日〜

演奏が終わり、ほっと安息する
観客の盛大な拍手の音が聞こえてくる。それが成功を物語っていた。

奈緒「終わったな。静香。良い演奏やったで」

静香「ふふっ、そうですか。よかったです。あの時ピアノを辞めないで」

私にピアノ勝負を挑んできた、下手くそな父の顔が思い浮かぶ。
ふと、静香、と私を呼ぶ父の声が聞こえた。
どういうことだろう?こんなところに父がいるはずなんてないのに。
もう一度、静香、と呼ぶ声がした。
私は声がする方向へ視線を向ける。
そこにいたのは、まぎれもない正真正銘、私の父だった。

静香「お父さん!?どうしてここに?」

奈緒「なに!?静香のお父さん!?」

驚きもあまり思考が回らなかった。

静香父「静香のプロデューサーに連れられて、路上ライブを見に行っていたんだ。」

静香「え、プロデューサーが?」

私はプロデューサーとお父さんが一緒に会話をする姿を想像する。

P『偉そうにアイドルを馬鹿にしてるが、あんたの仕事は10年後AIに取られない自信があるのか?』

嫌な予感がした。

静香「あの、お父さん?プロデューサーも別に悪気があって言ったわけじゃ……」

静香父「悪気?何のことだ?それより静香、ここは静香のいるべき場所じゃない、早く行け」

私はガラスが散乱した床に目を遣る。ひどいありさまだ。
104 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:55:58.93 ID:tCiOWLnR0

奈緒「ちょっと、お父さん!何言うてはるんです!静香がみんなのためにどんな思いで頑張ったか知ってはるんですか?静香がいたから翼たちも頑張り切ることができたんですよ!静香の演奏を聞いたんですよね?ならそんなこと、わかるはずでしょう!」

この世の理不尽に抗うかのように奈緒さんは私の為に声を上げる

静香「奈緒さん……」

だが父の返答は意外なものだった。

静香父「ああ、すまない。」

奈緒「え?」

静香父「言い方が悪かった。静香、あの子たちと一緒に歌ってきなさい。ピアノなら大丈夫だ。お父さんが弾く」

静香「お父さん?」

父の話す内容にも驚いたが父の話し方が、あの頃の優しい口調に戻っている事に対し、驚きと共に懐かしさがこみ上げた。

静香「どうして?お父さん、私のアイドルには反対なんじゃ……」

私は率直な疑問を口にする

静香父「確かに今でもよくは思っていない。でも、お父さんは見たんだよ。報われるべき人間に奇跡が起きる瞬間を。そしてそれを起こしたのは静香、お前だ」

最も報われるべき人間に、奇跡は起こらない。父の言葉を思い出す。

静香「……」

静香父「でもな、お父さんにとって最も報われるべき人間は静香なんだよ。あのステージには静香、お前の姿が足りないんだ。それがわかった時、思い出したよ。静香が自分のことをベテルギウスだって言ったことを。あるのかないのか分からない星なんだってな」
お父さんは続ける。

静香父「けど、静香、お前は決してベテルギウスなんかじゃない。そんな星に自分を例えるな。だがたとえ、本当にベテルギウスで消えてしまいそうになっても決して心配することはない。」

一度深呼吸をして、お父さんは私の目をまっすぐに見て宣言する。

105 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:56:26.07 ID:tCiOWLnR0

静香父「そんな時はお父さんが、また静香を輝くステージにあげてやる!だから静香、安心して行って来い!」

顔が熱い。
熱でもあるのかと思い、自分の頬に触れてみる。
湿っていた。そうか、私は泣いているんだ。

静香「……でも、お父さん、ピアノは弾けるの?昔は下手くそだったじゃない」

静香父「大丈夫だ。ずっと練習してきた。静香とまた勝負がしたくてな」

静香「あ……!そっか、そういうことか」

店員さんが言っていた、「今年に入って3回」とは紛れもなくピアノの調律のことだったんだ。父は必死に私に隠れて練習してきたんだ。

静香「でも、いいの?急に私が入ってきて、みんな戸惑わないかな?」

静香父「大丈夫だ、みんな驚きにはもう慣れているし、あそこには静香の友達がいる。それに何より、ここにアイドル最上静香のファンが1人お前のステージを待ち望んでいる」

追い風に背中を押されたような気がした。
私は、泣き笑いのくしゃくしゃの表情でお父さんに尋ねる。

静香「私のファンって、何時からそうなったの?」

静香父「ついさっきだ」

ああ、懐かしい。楽しかったあの頃の会話だ。胸に温かさがこみ上げてくる。

静香「それって都合よすぎじゃない?」

静香父「そうか?」

静香「ついさっき私のファンになったばかりの人が、どうしてそんなに私のステージを見たいの?」

静香父「そうだな……いろいろ理由はあるが、たぶん――」

お父さんはゆっくりとそして優しい笑顔で続ける。

静香父「親バカだからかな」

こればっかりは仕方ないよなと苦笑しながら父は私の頭を撫で回した。
もう。そこまで一緒にしなくてもいいのに。
遠くからアンコールを求める観客の声が聞こえる。

静香「お父さん、私、行くね」

静香父「ああ、演奏は任せろ!」

静香「奈緒さん、選曲は任せますね!」

奈緒「……ああ、任せとき!」

奈緒さんは泣きはらした赤い目で私をしっかり見据え、力強く答えた。
気付けば私はバトンを受け取っていた
106 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:57:06.55 ID:tCiOWLnR0

25 〜クリスマス当日〜

アンコールの声がどんどん大きくなってくる。
私が近づいているのか、観客の興奮が大きくなっているのか。いや、その両方だ。
観客の姿が見えてきて、私は少し物怖じしてしまう。予想をはるかに超える人が集まって来ていたからだ。みんなは翼たちを目当てにここに集まってきていて、「さっきのステージはすごかった」と口々に語りあっている。
不安は確かに私の中にある。
でも私はそれでも歌わなければならない。力を込めて一歩踏み出そうとしたその時

「静香ちゃん!」

私を呼ぶ声がした。
嬉しそうに、弾けるような、私の心をいつも温めてくれるその声の主はもちろん――

静香「未来!」

未来が私に駆け寄ってくる。未来もここに来てたんだ。

静香「未来、お願いがあるの。私といっしょに――」

未来「静香ちゃん、一緒に歌おう!」

未来の大きな声が周りに響く
その声に気付いたのか、この舞台の中心から声が私たちに向かって飛んでくる。

翼「あ〜!未来ずる〜い!!私が静香ちゃんを誘ったのに〜!」

静香「翼!」

瑞希「まあまあ、伊吹さん、いいじゃないですか。それより最上さんありがとうございました。私は、最上さんのピアノにも確かにロックンロールを感じましたよ。」

静香「え、ロックンロール?」

何のことだろう。

ジュリア「気にするな。それより、未来、シズ、はやくこっちに来い。観客は待ちわびてるぞ」

未来「そうだね、静香ちゃん行こっか」

静香「……うん。行こう、未来」

未来に手を引かれ、私は街灯の下へ躍り出る。頼りないスポットライトだが、私たちのことを優しく照らしてくれている気がした。
107 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:57:32.38 ID:tCiOWLnR0

ジュリア「あ〜、アンコールに応えて、もう一曲歌うことにした。今日は皆来てくれてありがとうな!」

ジュリアさんの呼びかけに観客が歓声で返答する。

ジュリア「今日のステージはいろいろあった。要約しきれないぐらいにいろいろな。でもステージには立ってはいなかったが、ここにいる未来と静香が陰であたしらのことを支えてくれたんだ。だからみんなも快く迎え入れてほしい。」

また観客から歓声があがる。
ありがとう、と私は心の中でつぶやく。
私の携帯に着信がある。奈緒さんからのメールだ。
そこには『準備完了。イントロクイズや』
と書いてあった。

静香「みんな、そろそろ来ます」

私は小声でみんなに合図を送る

ジュリア「聞いてくれ、私たちのラストソングを」

まるでジュリアさんの言葉が終わるのを見計らうように、ピアノのイントロが流れる
この曲は……『my song』だ
108 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:58:07.86 ID:tCiOWLnR0

お父さんのピアノはあの頃に比べて格段に上達していた。
ただ上手いだけじゃない、まるで奏者の優しい心がそのまま音になっているかのような、そんな旋律が私たちの心に温かい光を灯す。

特に取り決めをしたわけではないが、未来から始まり、私、翼、ジュリアさん、瑞希さんの順番で歌を繋いでいき、サビの部分でハーモニーを形成する。
楽しい。
思えばいつも時間の中で結果を残すことだけを考えてきた。でも今は違う。お父さんが、皆が心から素敵だと思える景色を表現しようと好きなように自由に腕を振るっている。
それぞれの思い描く景色は違っているのかもしれない、でもつなげ合わせるとそれは街のように一つの世界になる。
だがそんな世界を作るのはステージに立つものだけではない。
気付けば、観客たちは携帯電話のライトをサイリウム代わりにして、私たちの歌に合わせて揺らしている。元気を与える側の私たちに、逆に「大丈夫だぞ」といってもらっているようで、決して一方通行の世界ではないんだなと思った。
そうか、これが私たちの「ある小さな夜の曲」なんだ。
 まだ歌っていたい、と思った。でも時間は進んでいく。
以前なら時間を固定したいと思ったのかもしれない。
けど今は、進んでもいいと思った。
なぜなら私は――
109 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:58:35.39 ID:tCiOWLnR0

26 〜クリスマス翌日〜

次の日、私は未来に呼び出されて事務所に来ていた。見せたいものがあるらしい。
引ったくりに盗られたバッグは何故か杏奈のところにあって、ようやく未来のもとへと戻ってきたと未来は興奮交じりに私に語って聞かせた。
そして今、準備があるから部屋の外で待っていてと頼まれ待機中だ。

私は昨日のことを思い出す。
……
最後の歌を歌い終わったあと、お父さんは私ではなく何故か未来のほうへ駆け寄っていった。

静香父『どうだった静香のステージは?録画のほうは上手くとれたかな?』

未来『はい、それはもう感動的なステージでした!私も楽しく歌えましたし!』

静香父『え、歌った?君がか?それじゃあ録画のほうは……』

未来『でへへ〜すっかり忘れちゃいました〜』

未来は陽気に答える

静香父『なんだと……』

お父さんは呆然としている。

未来『でへへ〜つい勢いで。』
未来は少しも悪びれもせず、笑ってごまかそうとする

静香『お父さん、未来にそんなことを頼んだお父さんがいけないと思うわ』

未来『あ、静香ちゃん、ひっど〜い』

静香父『おいおい、だが静香のステージはどうなる?お父さんは見れないのか?観客はみんな口々に最高だったっていってたぞ?もうあんなステージは見れないんじゃないのか?』

未来『大丈夫です。劇場に来ればいつでも見れますよ。私、今度は今日以上のステージを目指して頑張りますね!』

静香父『……どの口がいうんだ、どの口が。』

静香『大丈夫よ。今度はもっとすごいパフォーマンスをしてみせるって約束するから。だからこれ、受け取ってよ』

私はチケットを取り出してお父さんに差し出す。
今度はちゃんと受け取ってもらえた。

静香父『わかった、受け取ろう。ただし、お父さんはまだ完全に静香がアイドルを続けることを認めたわけじゃないぞ。静香のステージを見たわけではないからな。だから覆して見せろ。今回のように奇跡を起こしてお父さんの考えなんて簡単に変えて見せろ。それがお父さんが公演を見に行く条件だ。いいな?』

勝負だぞ、とお父さんは私にくぎを刺す。
まったく本当に勝負事が好きなんだから。

静香『上等よ。楽しみにしててね』

110 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:59:01.47 ID:tCiOWLnR0
……
未来「静香ちゃん、入っていいよ」

事務所の中に入る。

静香「うんそれじゃあ……ってまぶしい!」

飛び込んできた光に思わず目を覆うが、その後ゆっくり目を開く。
そこには輝く星々の世界が広がっていた。

静香「未来、これって」

未来「プラネタリウムだよ。貴音さんと一緒に作ったんだ〜」

でへへ〜と未来は照れ臭そうに笑う。

プラネタリウム?どうしてだろう。未来も私もそんなに星に対して知識や興味があるわけではないのに……

でも綺麗だ。

3人で屋上で星を見た日のことを思い出す。すべてはそこから始まった気がする。
この部屋には私の名前の知らない無数の星々が瞬いている。けど私が知っているのは冬の大三角の3つの星だけだ。
私はその星を探してみることにした。
ベテルギウスはすぐに見つかった。赤い色をしているからすぐに見つかる。
近くにあるプロキオンもそのあと間を置かずに見つかった。
だが、シリウスが見つからない。一番強く輝くあの星は、一番見つけやすいはずなのに。

静香「未来、もしかして、シリウスを作り忘れてる?」

未来「大丈夫だよ、静香ちゃん。ちゃんとそこにあるよ」

そういって未来は私を指さす。
111 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 03:59:45.95 ID:tCiOWLnR0

静香「え?私?それってどういう……あ!」

私は、部屋に入って来た時に目に強い光を受けたことを思い出す。

未来「でへへ〜、静香ちゃん、『瞳の中のシリウス』だね」

未来は私に向かって、上手いことを言った気になっている。

静香「……もうっ、まぶしいだけじゃないの、未来」

私はそれが気に食わなくてつっけんどんな態度を取ってしまう。

未来「冗談だよ、怒らないでよ静香ちゃん。」

未来が平謝りをする。仕方ない、許してあげるか

未来「ねえ、静香ちゃん。静香ちゃんのいる位置にシリウスがあるってことは、そこは地球から8.6光年離れていることになるんだよね?」

未来はちゃんと聞いていたんだ。私は少し感心する。

静香「ええ、貴音さんはそう言っていたわ」

未来「そこから地球を見るなら、8年前の過去を見ることができるんだよね。私、考えたんだ、静香ちゃんがどうしてあれから元気がなかったのか。」

静香「未来……」

私は百合子の言っていた「生きるということは目隠しで行うリレーだ」というたとえ話を思い出した。そっか、やっぱり未来も私の見えないところで私にバトンを繋げようと頑張ってくれていたんだ。そのことを知って、私はまた胸にこみ上げてくるものを感じた。

未来「静香ちゃんには、ずっと見ていたい時間があって、だから時間が進むことが嫌になったんだよね」

静香「うん」

未来「だけどね、私はやっぱり静香ちゃんと前に進みたいって思ったよ。ううん、静香ちゃんだけじゃない。765プロの皆で。それでみんなでトップアイドルになるの。」

静香「皆でトップアイドル。」

それはとても大きな夢だ。決して簡単には叶わない、それこそ何度も奇跡を起こさなければならないほどの

未来「そしたら昨日より、もっとも〜っと素敵なステージができると思うんだ。私は静香ちゃんたちと一緒にそんなステージに立ちたい。そしてそれは前に進んだ先にあるんだって思うの」

未来の言葉が私の体の中にすっとしみ込んでくる。
なぜならそれは異物ではなく、もともと私にも口には出さないが存在していた考えだからだ

未来「静香ちゃん、静香ちゃんが今いるそこは8.6光年先のシリウスだよ。だけど、静香ちゃん、そこから何が見えるかな?やっぱり過去を見たいと思ってるかな?」
112 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 04:00:11.97 ID:tCiOWLnR0

未来が祈りをこめるように、不安そうに、うかがうように私に問いかける。
思えばあの日から本当にいろいろなことがあった。
だけど報われない事ばかりの世の中だけど、皆でバトンを繋いで長い距離を走り切ることができれば、それは奇跡と呼べるものであるということを知ることができた。
未来は皆でトップアイドルになりたいといった。この事務所には52人ものアイドルが所属している。もしみんなでバトンを繋げたなら、何ができるだろう。可能性の広がりを感じる。以前はそんなことを考えもしなかっただろう。でも今は違う。
だって、今の私はベテルギウスなんかじゃないのだから。


私は8.6光年の先から、地球にいるあの子の目をまっすぐ見てこう答える。

113 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 04:00:37.73 ID:tCiOWLnR0




静香「ここからは、未来が見えるわ」
114 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 04:01:04.62 ID:tCiOWLnR0

私の答えを受け、未来の満面の笑みを浮かべて泣いた。

素敵な未来へ向けて、最初のバトンは確かに繋がった。
115 : ◆17z5a1JMEs [saga]:2017/12/24(日) 04:04:17.16 ID:tCiOWLnR0
以上で完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
良ければ過去作もご覧になってください。
html化を依頼しておきます

安部菜々「二兎物語」
http://elephant.2chblog.jp/archives/52188186.html

【モバマスSS】森久保乃々「剣道初段ですけど」
http://elephant.2chblog.jp/archives/52213622.html
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/25(月) 22:00:51.93 ID:V48WTo3EO
一気に読んでしまった
よかった
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/26(火) 00:18:39.24 ID:GDByz3mKO
クライネってレベルじゃないくらいに大きな物語だった
でも伏線回収までが長くて読み疲れた
SSというよりはもはや小説なのね
乙でした
118 : ◆NdBxVzEDf6 [sage]:2017/12/26(火) 03:10:10.74 ID:zq/M37Mo0
回想の最上父今と少し雰囲気違うけど好きだわ
力作乙です

>>3
四条貴音(18) Vo/Fa
http://i.imgur.com/ILFB4wV.jpg
http://i.imgur.com/QzSYv1K.jpg

>>4
春日未来(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/RvIBg6R.jpg
http://i.imgur.com/bLcgMYZ.jpg

伊吹翼(14) Vi/An
http://i.imgur.com/pHtr5IL.jpg
http://i.imgur.com/rijUYqs.jpg

>>7
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/7O1s1qQ.jpg
http://i.imgur.com/CfNZjkM.jpg


>>18
真壁瑞希(17) Da/Fa
http://i.imgur.com/Pro45Dr.jpg
http://i.imgur.com/FIy4rBB.jpg

ジュリア(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/TvYzzK4.jpg
http://i.imgur.com/hdR9rnz.jpg

>>29
音無小鳥(2X) Ex
http://i.imgur.com/hFRWAa5.jpg
http://i.imgur.com/GbcX6mL.jpg

秋月律子(19) Vi/Fa
http://i.imgur.com/5UYwXuR.jpg
http://i.imgur.com/u3Ul5fG.jpg

>>32
馬場このみ(24) Da/An
http://i.imgur.com/UPtPMtm.jpg
http://i.imgur.com/6GmlcrJ.jpg

>>34
横山奈緒(17) Da/Pr
http://i.imgur.com/qaJPSew.jpg
http://i.imgur.com/ZnisCLI.jpg

>>35
宮尾美也(17) Vi/An
http://i.imgur.com/WgG2wdo.jpg
http://i.imgur.com/4igCYB6.jpg

>>37
百瀬莉緒(23) Da/Fa
http://i.imgur.com/W6YU3KT.jpg
http://i.imgur.com/Rw3h880.jpg

>>51
七尾百合子(15) Vi/Pr
http://i.imgur.com/fa9M0SY.jpg
http://i.imgur.com/oNaYKxk.jpg

望月杏奈(14) Vo/An
http://i.imgur.com/f8EG7Ao.jpg
http://i.imgur.com/uU3MMiF.jpg

>>55
矢吹可奈(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/9635pLU.jpg
http://i.imgur.com/6WHFAa1.jpg

北沢志保(14) Vi/Fa
http://i.imgur.com/CEu31ZI.jpg
http://i.imgur.com/4s2FnME.jpg
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/26(火) 11:08:45.17 ID:er8Ciy0F0
>>118
うざいしね
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/26(火) 20:19:15.80 ID:jpJywX7ho
伏線回収が美味かった
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/26(金) 18:39:49.28 ID:xQpx7237o
いいSSだった
クリスマス当日どんどん話が進んでいく所が何よりよかったわ
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