【モバマス】P「■■、***、○○○○」

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:24:35.30 ID:U5rAS9nW0

七.

「────ライブ!? やったあ!」

「ほんとに!?」

「嘘だったら、怒るよ。プロデューサー」

 嘘なわけがあるか、と私は肩をすくめた。

 社長と久々の再会を果たした翌日、予定はないのにおのずから来てくれた彼女らに、社長とのあいだであったことを軽いフィルターを通して伝えた。

 笑顔は満開に咲くようで、嬉しかったと同時にその原因とはなれなかったことが少し悔しい。

「……というか、ライブのほかにもいろいろあるからな。そっちにばかり気を取られるなよ」

「わかってるわかってる!」と***が元気に返事をするが、ほかの仕事の資料には目もくれていない。くだんの日にライブが中止になって以来あまり明るい話もなかったし、無理はないのかもしれない。

 ひさかたぶりに事務所の中は賑やかだった。***だけでなく、私の担当アイドルだけでなく、出勤しているほかのアイドルたちもみな各々のプロデューサーの元へ集まって笑みを浮かべている。

 ほっと安心ができるようだった。
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:25:20.49 ID:U5rAS9nW0

 ……それでなにか、気が抜けてしまったのか。なぜか無性に、異常なぐらいに目頭が熱くなった。手で押さえてみたが、────これはダメだと確信できた。耐えられそうにない。

 わいわいと陽気なフロアを背に、ひと気のないエレベーターホールまで歩いた。

「……なんだ、これ」

 止まらない。ハンカチを湿らせる滴が、無限にも思えるぐらいに目の奥から湧いて出た。どうにかなってしまったのだろうか。

 コツ、コツ、と背後で音が響いた。ヒールの底が床を突いている。

「……プロデューサー?」推し量るような声は○○○○のものだった。

 振り返ることはできず、声は潤んでしまう気がして、ただ立ち尽くした。○○○○は私の前へと回り込んでくる。私はひたすらに顔を背けて、いたちごっこのようになった。

 ふた回りほどしたあたりでらちがあかないと判断したようで、○○○○は「……泣いてるの?」と背中越しに訊いてきた。

「……泣いてない」

「でも、涙声になってる」

「なってない」

「どうしたの?」

 私が訊きたかった。いったいどうしてしまったというのか。なぜこんなにも涙腺が緩んでいる? ごまかし切れる気もしなくなって、白状した。

「……わからん。どうしたんだろうな」

「ハンカチ……あ、持ってるね」

 寄り添う手に背中をさすられる。さいわいしゃくり上げることはなく、ただただひたすらに涙がこぼれるだけだった。
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:26:10.03 ID:U5rAS9nW0

「……大丈夫? はい、これ」

 ホール横のスツールチェアに場所を移して、ほどなくして涙はおさまった。手渡されたホットミルクティーが、正直なところありがたい。唇をなめてしまうぐらいに渇いていた。どれだけさめざめ泣いたのかと自分で不安になる。

 ○○○○は隣に腰かけた。覗き込んでくる顔から読み取れる感情はあからさまで、自身の頼りなさに嫌気がさす。

 二百五十ミリボトルをひと息に半分ほど飲んだ。

「……すまん。変なところを見せた」

「謝らなくていいけど……」

 言葉尻に感じた含みには心配が入っているのだろう。さっきまで笑いあっていた人がなにがあったわけでもなく唐突にふらり席を外して外した先でひたすらに泣いていた。これでなにひとつも相手を想わないとしたら、その人の血は赤くない。外面から冷淡に見える○○○○だが、実際のところはあたたかな子だ。

 しかし、自分で自分の具合がわかっていないのだからどうにも応えようがない。

「無理、してるんじゃない?」

「……そんなふうに見えるか?」

「見えるよ。見えないわけない」ばっさりと切り捨てられる。「……■■から聞いたわ。頑張るって約束したって」

 私とほとんど高さの変わらない目線が、近くから真っ向ぶつかってくる。鋭い目つきは、しかし優しげに私を慮っていた。
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:26:58.13 ID:U5rAS9nW0

「それはもちろん、嬉しいんだけど。でも、……プロデューサーが、私にいつも言ってくれることよね? 度を越した無理だけはするな、って。」

 オフホワイトの床に視線を落とした。笑えない話だ。日頃から口酸っぱく言っていた言葉がそのまま返ってくると、これ以上なく耳が痛い。

「……プロデューサーは、いつもこんな気持ちになってたんだね」ちょっとだけ苦そうに笑って、○○○○は立ち上がった。廊下の向かい側にある窓辺に寄って、クレセント型の鍵を外す。開け放されたガラスの向こう側から入ってきた風を冷たいと思った。いつの間にか夏は過ぎ去って、秋も半ばに差し掛かって、冬の気配が見えた。

 振り向いた彼女の長い髪がなびく。青空に広がった濃紺が重なって輝いていた。

「プロデューサーには感謝してるの。
 凝り固まった頭で、自分にとっての未来を決めつけてた。そんな私に、新しい道を拓いてくれたのはあなただから」

 あなたに出会わなければ、空の広さを知らないままだったかもしれない。独白するような○○○○は、しかし演じる様子もなく、感情をありのままに口元をゆるませる。
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:28:06.20 ID:U5rAS9nW0

「私は、みんなと一緒に進んでいきたい。自分で決めた、きっと楽しいはずの未来へ。そう思わせてくれた、この場所が大切。失くしたくない。頑張りたい。
 ……だけどね、プロデューサー。無理はしないで。なんて、私が言えたことじゃないのかもしれないけど……私も、これからは気をつけるようにするから。私にとってこの場所が大切なのは、大切なみんながいて、……大切なあなたもいるから、なのよ」

 見上げた青色がたまらなく眩しくって、私はまたつま先を見つめざるを得なくなる。

「○○○○……お前なあ」

「うん?」

「泣き止ませたいのかもっと泣かせたいのか、いったいどっちだ……」

「え……? 私は、ちゃんと励ます……ねぎらうつもりで。だって、わけもなく涙が出るのはストレスとか、疲れとかが原因って。さっき調べたら書いてたのよ?」

 飲み物を買ってきてくれるあいだに検索していたらしかった。慌てて差し出されたスマートフォンには、どこまで信じていいのか怪しいトレンド情報サイトが表示されている。

 私は引きつるように笑って、ちょっと冷めてしまった残るミルクティーを干した。
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:28:46.09 ID:U5rAS9nW0



 頑張れ。しかし無理はするな。言われてみれば難しいこの二重の約束は、社長や事務員さんのおかげでなんとか守れていた。営業の一部は社長が担ってくれ、事務の一部を事務員さんがやってくれる。

 社内はある程度の安定を取り戻していた。もちろんミシロの異変が起こる前とは比べるまでもないが、社長が帰ってくる前ともまた、真逆の意味で比べるべくもなかった。

 レッスンにも顔を出す余裕ができた。無理してない? アイロニックなことに○○○○からことあるごとに言われるが、歌って踊る姿を見るのが好きなのだと返してみると納得してくれた。

「ワン、ツー、スリー……で、ここで回って……キメっ! ……どう!? いい感じだったでしょ!」

「ステップあやしい」

「ターン遅い」

「■■姉も○○○○もきびしくない!? プロデューサー、なんとか言って!」

「そうだな、***はまだ振り付けを確認しながらになってるだろ。完璧に覚えきれてない。だからテンポが遅れるんじゃないか?」

「そうじゃなくって! ……いや、アドバイスはちゃんと聞くけどさ! もー!」

「次、私やるから、○○○○見ててくれる?」

「いいよ」

「ねえ、もう、淡々と無視されてるんだけど。これよくないよプロデューサー。ほら、なにか言って?」

「楽しそうでなによりだ」

「もーっ!」

 ただ彼女らの進歩を見てご機嫌になっていた。あまりに能天気だった────だから私は、水面下で起こっていたことに気づけない。

 それは、私にとっては唐突なことだったのだ。
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:29:30.20 ID:U5rAS9nW0

 レッスン上がりの十七時、橙の日差しを横身に受けながら、後輩はその頭を深く下げた。

「……と、そういうわけで。今日付けで退職することになりました。今までほんと、お世話になりまして、ありがとうございました」

「……は?」

「一応、簡単な引き継ぎは終わってるんで。先輩に余計な手間かけることはないと思います」

「ちょ、ちょっと待て」ひどい不意打ちに、私はわかりやすく困惑した。「退職……? 辞めるって、そう言ってるのか?」

「退職に辞める以外の意味はないでしょ」

 彼は小さな苦笑いを顔に貼り付けていた。

「まあ、……潮時っすよ。ここらが」

「……潮時?」

「です。いやあ、もう厳しいですって。……先輩だってわかってるでしょ? いや、わかってないはずない」

 彼は肩をすくめた。

「この事務所に未来があるとは思えない」

 反射で腕が動いた。吐き捨てるような言い方を捨て置けなくて、無意識のうちに彼のネクタイを根っこから掴み上げていた。

「……今、なんて言った?」

「べつに、何度だって言ってもいいすけど」彼はあくまで毅然として、「この事務所はもうキツイっすよ先輩」
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:30:26.35 ID:U5rAS9nW0

 穏やかでない様相に気づいた周囲がざわつき始める。騒ぎになるのは好ましくない。それでも手を離すわけにはいかなかった。

「社長のおかげで、いっぺんは持ち直しましたからね。もしかしたら可能性あるか? とは俺も思いましたよ。でもね、業績はゆるやかに下降してんじゃないすか。祈りを込めた予想業績も横ばいがいいとこ。こんだけいろんな奴が残業して、必死こいてやってて、横ばいでいいわけない。でしょうが」

「……だから辞めるのか」

「潰れるならその前に出ないとでしょ。退職金とかの問題もある」

 徹底して合理的な主張に、否定を挟む余地はない。彼は冷静に、自身の未来を考えて最善と思われる選択を取った。そこに口出しをするのは筋違いかもしれない。

 しかし感情はたかぶって、収められなかった。

「良いように言ってるが、要は保身だろう。お前、それでいいのか?」

 当てこするような言い方になる。

 舌打ちが聞こえて、明確な敵意が向いた。

「うるっせえよ!!」

 私と彼の腕が交差する。私の胸ぐらも捻じ上げられ、気道が詰まる。

「我が身大事でなにが悪いココ倒産したらどうすんだよ! その日以降の俺の生活は誰が保証してくれるってんだ? 生きていくにはどうやったって金がいる、そうだろが!
 ……綺麗事だけで世の中渡っていけるか!!」

 返答に窮した。その隙をついて「……離してください」と強引に手を振り払われる。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:31:33.96 ID:U5rAS9nW0

「……そりゃあんたらはいいっすよ。今も給料恵まれてんだろうし、ここ潰れても受け皿があるもんな」

 唐突に、意識の外からなにかが飛んできた。視認するより前に彼の横面を張って、ばさっと床に落ちる。クリップで留めた書類の束。

「……っ痛ぇ……なにしやがる!」

 彼が叫んだ先には、事務員さんがいた。彼女はひょうひょうとして言う。「忘れもの、です。それ、あなたのでしょ」

 デスクワークをこなしながら、彼女は平然とした顔で続けた。黒の留め具から外れて散った書類は、確かに彼の担当していた子たちの資料だった。

 彼女の力のないため息がキーボードに落ちた。

「べつにね、あたしはあなたが辞めようが、もうどうだっていいんですけど。……ここ、アイドルも顔出すんですよ。聞かせていい話じゃないでしょ、普通に考えて」

 気づく。さっきまではいなかった、地下のレッスンルームから戻ってきた***たちが入り口で固まっていた。ちょっと外してくれ。そんな意図を持って手を大きく振るうと、察した■■がふたりの手を引いて廊下を戻っていった。

 彼女に対して思い切りに言い返そうとして、しかし彼はその激情は飲み込んだ。誰へ宛てたのかもう一度大きく舌を打ち、ばらばらの書類を一枚ずつ確かめるように拾い上げて、フロアから出て行こうとする。
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:32:38.80 ID:U5rAS9nW0

「……お前、担当の子たちにはちゃんと言ったのか?」去り際の背中に、そう問いかけた。彼は振り向くこともなく応えた。

「担当アイドル? ……誰のことかわからないっすね」

 言い方は唾棄するような。けれど頭には来なかった。口ぶりがそうなってしまった裏側を、そのときばかりは感じ取れていたのかもしれなかった。

「……辞めたんですよ。あの人の担当してた子たち」

 彼がプロデュースを担当していたアイドルたちは、彼が退職を社長に申し出る数日前に、静かな引退を決意していたらしい。決め手は、仕事の少なくなってしまった現状を嘆いて。

 私はそんな大事なことさえも、事務員さんに教えてもらってやっと初めて知ったのだ。

「まあ、それぞれ事情はありますって。そんな気にしなくても」

 慰めにはどう返せばいいのかわからない。少なからずショックで、私は別の話題を探した。頭の中を探し回って、しかし結局は似たようなところに落ち着く。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:34:41.17 ID:U5rAS9nW0

「……そういえば、彼、あんたらはいい、って言ってましたけど」

 それはほとんど確信めいていた。私のほか、別の誰かに対しても不満か羨望かを口走った。『ら』に入っているのは、おそらく彼女だ。予想は果たしてその通りだった。

「ああ……いや、まあそこそこもらってましたけど。結構前に減らしていいかって言われたんで、今は大概薄給ですよ?」

「そうでしたか……」私も同じだった。

「んでまあ、一応、ヘッドハントのお話があったんですよね。二、三社ぐらいから」

 彼女の仕事ぶりを鑑みれば、それだって納得のいく話である。彼女がいなければもはやこの事務所は回らない。

「っても、もう蹴っちゃったんで、あいにく受け皿にはなりませんけどねー」

「それも同じ、ですね」

 ミシロの人事から家に書留が届いている。業務的な連絡のために表現は婉曲的だったが、内容はかいつまむと『もう戻る席はないと思ってくれ』と、そんなところだった。

「よかったんですか?」と私はたずねた。

「はあ……まあ。残った理由は、おおかたプロデューサーさんとおんなじですし」

 うっとうしそうに長く伸びた髪をかきあげて、彼女は言う。

「福利も厚生もどうでもよくないですか? お金だってどうだっていい。あたしは……死ななきゃいいや、ぐらいのスタンスっていうか。だからここでいいんです。仮に倒産したってまあ、そんときはそんときでしょ。べつに働き口が失くなったとして、そんな大仰な話じゃない。
 この国で息してる限りは、ぶっちゃけ生きるより死ぬ方が難しいんだから」

 なんて考え方だ。しかしどこか彼女らしい。そんなふたつの思いが胸中に同居して笑ってしまいそうになるが、

 続く言葉に笑えなくなった。

「……だからこそ、プロデューサーさんは頑張らないといけませんよね。応援してますんで」
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:54:15.68 ID:U5rAS9nW0

八.

 ***の顔から汗が滴り落ちる。その都度ハイカットシューズが木目の床にまだらに浮いた模様を拭った。

 素敵な笑顔をしていた。心底から沸き立つ楽しさが体内のいかなるフィルターにもかからずに表面化すれば、きっとこのような表情になれるのだろう。

 思えば、私のはじめての担当アイドルは***だった。出会った頃の、まだなにも知らないただの女学生だった彼女が想起された。慣れない街で道に迷っていた彼女に声をかけられ、私はほとんど衝動に任せてスカウトした。

 混じり気のないその愛らしさに見惚れた。あのときに見せた笑顔と、変わっていない。

 一方で私はきっと、大きく変わったのだろう。***と出会い、○○○○と出会い、■■と出会って、この価値観にはあの頃の影すら見えない。

 変えられたのだ。これ以上の変化は、望まない。

「ファイブ・シックス・セブン・エイト……っと。うん! よかったでしょ、プロデューサー!」

「ああ」私は偽りなく頷いた。「……一度、休憩にしようか」

 ***は壁にもたれるように座った。室内には微量の温風が吹いている。私にとっては心地よく感じるその空調も、全力でレッスンに励む彼女にしてみれば暑い。お気に入りのヘアピンを外し、タオルで顔と頭をわしわしかき回してから、彼女はドリンクボトルをあおった。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:56:34.90 ID:U5rAS9nW0

「ぷはーっ。……あ。なくなっちゃった」

「水分はちゃんと取らないとダメだぞ」

「わかってるよー。えっと、今何時だっけ、まだ結構レッスンできるよね? お財布お財布、買いに行こ……あれっ、お財布がない!」

 小さめのデイパックの中身を漁りながら、わたわたとしている。「更衣室に置きっぱなしなんじゃないか。私が買ってくるよ」

「あー……そうかも。ゴメンねプロデューサー、あとでちゃんと払うから!」

 レッスンルームを出てすぐの通路に自販機が設置されている。スポーツドリンクは二種あった。どちらにするかで一瞬迷って、甘さが控えめな方を選んだ。戻って手渡すと喜んでいたので、どうやら悪い選択ではなかったらしい。

 ***は私が買ってきたペットボトルに一度軽く口をつけると、ひょいと立ち上がった。きゅっ、きゅっ、と床を蹴って、小刻みなクラブ・ステップを繰り返す。それは彼女にとって得意ではないはずの足さばきだった。徐々に上半身の動きを足して、ひとつの振り付けが完成していく。

「……休憩の切り上げにはまだ早いぞ?」

「うん。わかってるんだけど、ね」

 言葉は濁された。彼女らに、具体的な社内の状況は伝えていない。伝えられていない。しかし彼女らは馬鹿ではない。察して、調べて、ある程度は把握されているのだろう。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:57:17.31 ID:U5rAS9nW0

「……私は、まだ子どもだからさ」キリ良いところでダンスを止めて、彼女は言った。「今がちょっとマズいっていうこと、わかってても、どうしたらいいかはわかんないよ」

 彼女はこちらに背を向けていた。声は笑っていた。

「難しいことは知らない! ……だから、私でも知ってる確かなことをやろうと思ったの。悩む暇があるなら、いっそ動いてみせなくちゃ! ってね。
 今までどおりに笑顔で、今まで以上に、お仕事を頑張ること。これはきっと、どれだけのものが変わったって、いつまでも大切なまま、揺るがないと思ったから」

 かかとを軸に、回れ右。「だから私、頑張るよ!」***は私に笑いかけた。その裏側にある想いを知る。────重い。詰まりそうになる胸をひと撫でして、私も笑おうと努めた。

 素敵なアイドルになった。本当に。「大げさだよっ」と***は照れたように言うが、それは私の本心だった。

 ***の気持ちとその意欲に圧されて休憩を少し早めに切り上げそうになった。すると不意に、出入り口の扉、その下部が荒っぽい音を二度鳴らした。

「よっ……と。お邪魔しますよー」

「あれっ、事務員さん?」と***が言った。

 彼女は重いスチールドアを肩で押し開けて入ってくる。両手には段ボール箱を抱えていた。どうやらノックは足でやったらしい。
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:57:52.37 ID:U5rAS9nW0

「どうも、お疲れ様です」手の中の荷を床に下ろし、彼女は手をぷらぷらと回した。「お届けものですよ。プロデューサーさん宛て。急ぐ必要もないかと思ったんですけど、まあ***ちゃん来てるわけだし、ちょうどいいかと」

 貼り付けられた伝票を確認して、「もう来たんですか」と少し驚いた。

「プロデューサー? ……なにそれ?」

「ちょっと待ってな」

 ジャケットの胸ポケットからボールペンを抜いて、フタを閉じるガムテープに切れ込みを入れた。真ん中から裂き、ビニルで個別に包装された中身を取り出す。

 届けられたそれは、海兵モチーフのアイドル衣装だ。ベースとなる白色が映えるよう、ジャケットの下襟や裏地はチェリーピンク、アクセントとして黄色の装飾を要所に施してある。割り振られた予算に自力で色を付け、どうにかフルオーダーで注文した。女性にしては軒並み高身長な彼女らには、レディ・メイドでは合うものがなかった。

 サイズ表記を確認して、***に差し出す。生地も、縫製も、廉価なりだ。それでも。「着てみてくれるか。……お前たちだけの衣装だ」

 ***はこれ以上ないくらいにきらきらした目で受け取って、更衣室へ駆け込んで行った。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:58:24.37 ID:U5rAS9nW0

「喜んでもらえて、よかったですね」

 扉の向こう側へ消えた***を見送ってから、事務員さんが言った。

「……本当に。業界としてのトレンドなら調べればわかりますが、女の子の個人的好みまではわかりませんから」

「だーからってあたしに聞きますかあ? あたしだって若い子のスキキライなんてわかんないですよ」

「わかってたじゃないですか」

「結果論でしょうが」

 呆れ混じりの視線から目を外すと、あからさまなため息を吐かれた。「……ま、彼女らのモチベが今一番大事ですしね。その糧となれたなら本望ってとこですか?」

 仰々しい言い方だが、その内容に誇張はない。私は黙って頷きだけを返した。

「さて、用事も済んだし。じゃ、あたしは上に戻りますね」言い残して、彼女もレッスンルームから出て行った。

 入れ違いで戻ってきた***は、グローブからダンスヒールに至るまで全てを装備していた。

「ピッタリです、プロデューサー!」ひたいの上でピースサインを作って、***はウインクした。「どおどお? 似合う?」

「ああ。似合ってるよ」

 虚飾なく言える。カタログを見ながら、事務員さんと話しながら、縫製店の人と電話をしながら、頭をひねり倒した甲斐があった。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:59:00.74 ID:U5rAS9nW0

 これでレッスンしたい! と言い出した***を嬉しく思いつつもなだめて、軽く動きに問題がないかどうかだけを確かめた。

「■■姉と○○○○と、早く並んでみたいなぁ」

 ***の呟きにスケジュールを開いた。次に三人のレッスンが重なるのは、「……三日後だな。すぐだ」

「ほんと? ……って、うわあ」覗き込んできた***が妙な声を出す。「プロデューサー、手帳ぼろぼろだね?」

「ん……まあ、いろいろ書き直したりとか書き足したりとか、あったからな」

 ここまで古びたようになったのは、初めてかもしれない。しかし、今年度もずいぶん過ぎた。買い直すには惜しいし、べつに使ってやれないわけでもない。

「頑張ってくれてる証拠だね」

 面映くなって、私は頬を掻いた。「……まあ、そうなのかもな」
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:59:47.56 ID:U5rAS9nW0



 この事務所の命運は、彼女ら三人の肩にかかっている。

 そこまで言い切ってしまうことはできないにせよ、それに近しい状況にはあった。経営は、再び大きく傾きつつある。きっかけは、先日のひと騒動だった。

 後輩の彼が辞めてしまったこと、それ自体にはそう大きな影響はなかった。しかし、彼の行動が強い意味をまき散らした。

 本音の怒声は、小さからぬ衝撃を同僚たちの胸中に残していった。空いたデスクの数は、もはやひとつやふたつでは済まなくなっている。

 減った人員の数が、そのまま予想業績にも反映される。そのぶん人件費が小さくなるから拮抗すると、そんな単純なことにはなってくれない。

 それぞれの背負うものが大きくなった。しかしそれはみな等しくではなく、受ける期待に比例して質量が増す。曲がりなりにも事務所内で有望株と見られていた私の担当アイドルたちは、言うに及ばない。

 伝えるつもりはなかった。彼女らのことはよくわかっているつもりだ。その事実を知ってしまえば、彼女らはきっと重たい責任を意識する。そんなことには、なってほしくなかった。

 夜眠ろうとするたび、朝目覚めるたびに恐怖に押しつぶされそうになって吐く。それは私が弱いからだとしても、こんな思いを背負う必要は、彼女らには微塵もない。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:00:25.55 ID:U5rAS9nW0

 日々は過ぎゆく。私は噛みしめるようにその時間を過ごしていた。それは権利であって、しかし義務のようでもあった。

「……じき、ライブか」打ち合わせのさなか、社長がぽつりと言った。窓の外は夜の垂れ絹がすっかり街を覆っている。ここのところの退勤は、夕飯時よりもなお遅い。

「そうですね。……もう、来週ですから」

「早いものだねえ」

 もう、月をまたげば新年だった。一年の尺はいつだって変わらないはずだが、今年は、とんでもなく短かった気がする。

 その日の訪れは、小さな待ち遠しさの反面に大きな憂いをぶら下げていた。

「……怖い、ですね」言ってからはっとした。なにも考えず、喉から滑り落ちるように出てきたそれは、つまり私の飾り気ない本音なのだろう。

 社長は困ったように笑って、「……夕食でも食べに行こうか」と言った。

 男ふたり、なにを遠慮することもない。入った牛丼屋はがらんとしていて、電源の入ったテレビだけが眩しいようだった。

「怖いよなあ、本当」

 注がれたお冷で唇を潤しつつ、社長は言った。内容に反して、あくまで彼は頬をゆるめていた。

「ライブの日に楽しみ以外の感情を抱くのは、長い人生初めてかもしれん」

「……私もです」

 上昇の軌道に乗れなければ────それはもう、おそらく取り返しのつかないことになる。

 そして、軌道に乗せるならばこのライブが最大のチャンスであることは、もう間違いないのだ。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:01:13.27 ID:U5rAS9nW0

 社長は笑っている。そのことに対してあの時は激昂した。しかし今となっては、笑っていられる彼がどれだけ強いのかがよく理解できる。私よりも、よほど怖いはずだろうに。

「まったく、まだウルトラオレンジも買えていないよ。キミ、用意はしたかね」

「当然です。ピンクもブルーも買いましたよ」

「おお。分けてくれ」

「いや、自分で用意してください」

 軽口に応えた。私もそうありたいと思ったのだ。

 注文した京風うどんが来たので割り箸に手を伸ばすと、「……5二竜で決まりかな」と社長がぼそり言った。

「は?」

「いや、ほら。あそこのテレビ」

「……ああ」

 割り箸で指された先を見て得心がいった。液晶画面の中では、将棋の対局が行われていた。昨今話題の中学生棋士とベテラン名人が向かい合っている。こんな時間に放送されているあたり、生放送ではなく収録なのだろう。

「ん……いや、まだ、じゃないですか。4二に香車を打てば」

「2五に桂馬を打てばいい。詰みだよ」

 言われて気づく。少しの間考え込んだが、王の逃げ場は、もうすでになかった。「……そうですね。詰んでましたか」

「今ならキミにも勝てそうかな?」社長が陽気に笑った。

 少し悔しく思いつつも、否定はせずにどんぶりをつつく。誰が食べても七十五点程度の味。それはチープではあったけれど、確かに美味しかった。

 どうか逆流しないようにと、そう願う。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:01:53.43 ID:U5rAS9nW0

九.

 それは奇跡のようだった。


 ライブの日程は、ミシロを含む大手のイベントが重なる年末年始とクリスマスを避けていた。機会のあるたび、仕事のたびに、しきりに宣伝してきた。SNSも現実の掲示板も、考えうるすべてを使って、その日に備えてきた。

 会場のキャパシティは、私たちの事務所にとっては分不相応なのではないかとネット上で揶揄されもした。

 それでも事前販売のチケットはあらかた捌け、当日券の販売所にも列があった。会場の前には大きな人だかりもできた。立ち見、機材席を全開放した状態を最大限と考えれば十全ではなかったとはいえ、九割近い席が埋まった。

 関係者席は観客に紛れて、社長たちの姿も確認しづらい。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:02:22.87 ID:U5rAS9nW0

「うああ緊張してきたぁ……」

 舞台裏、ステージと客席はカメラを通してモニタに映し出される。

 ***の声は震えていた。なにか言ったほうが、と思ったが、すぐにそんなものは不要であるとわかる。■■と○○○○が、彼女の肩に手を添えた。

「***、もしかしてぇ、ビビってるの?」

「しっかりやってきたでしょ。きっと、大丈夫」

「……ふたりとも……」

 ***は目を強くつむって、ぱちんと自分の両頬を叩いた。開いたまぶたの奥、瞳は琥珀のような輝きを持つ。

「ふん! ビビってないし! 武者震いだし! 大丈夫、そうだよね、○○○○!」

 ***は、そうでなくちゃ。はつらつとした声を張り上げる***を見て、■■と○○○○は優しく笑った。

 開演のときは刻一刻と近づく。各々衣装に着替えて、それぞれのやり方でそのときを待っていた。ある人はダンスの振り付けを確認して、あるいは声の出を試して、イヤフォンを耳に挿して集中を高めている子もいた。

 彼女らは、三人手を繋いで輪っかになって、談笑していた。

 アイドルの衣装は、その担当するプロデューサーによって見事にバラバラだ。ドレス風、制服風、パンク風、海兵風。それでも心はひとつ、このライブの成功を目指している。
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:03:52.16 ID:U5rAS9nW0

 どうか────。祈るように拳を握った。

 場内の照明が一段階落ち、アナウンスが響く。始まる────もしかしたら、終わりの始まりになるのだろうか。こんなことは思ってはいけない。頭で理性がそう言っても、胸の奥底は不安でならなかった。

 終わってほしくない、始まってほしくない。幼子のような傲慢が私を苛む。

 目を晴らしてくれたのは、底抜けに愛しい私を呼ぶ声だった。

「……プロデューサー!」

 送り出してと、その声は催促するように聞こえた。歯を食いしばった。

 彼女らの晴れの舞台だ。私の感傷など、取るに足らない。送り出せ。なによりも大切にしてきた子たちを!

 情けない顔なんて、見せてたまるか!

 ほとんど意地だけで笑顔を作った。

「行ってこい! 楽しんでこい! 観客に、私に、最高の時間をくれ! きっとできる!」

「────うん! 行ってきます!」

 三つ重なった影が、ステージへと駆け出した。
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:05:39.45 ID:U5rAS9nW0

 それは夢のようだった。


 舞台袖、自前で用意したサイリウムを両手に持ちながら、振るうことさえ忘れて、私はその光景を眺めた。

 スポットライトに照らされ、サイリウムの色に包まれ、歓声を受けて、愛する彼女たちが、舞台の上で歌って、踊っている。数えきれない観客が沸いている。これだけの人たちが、今は彼女たちを応援している。

 確かな足跡で、彼女たちの存在の証明だった。

 自分の魅せ方を知る■■の、カメラに向けた投げキッスに観客は老若男女を問わず湧いた。

 ○○○○が楽しそうに送ったコールに、莫大なレスポンスが返ってくる。

 ***は苦手なステップを平気で越えて、見る人を惹きつけて止まないとびきりの笑顔を見せつけた。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:06:22.68 ID:U5rAS9nW0

 時間は決して待ってくれない。終わりへ近づく。

『ここから最終ブロックだよー!』

 ***の高らかな声に、好意的なブーイングが寄せる。そんなこともやみくもに嬉しい。

『はあ……』吐息がマイクに乗って会場中を渡る。***が俯いた────なにか異常か、と慌てそうになったが、顔を上げた***の表情は、あの日私が見惚れたものに違いなかった。

『……やっぱり。楽しいなあ……アイドルっ!』

 不意に目が熱を持って、次の瞬間には決壊した。防波堤が壊れてしまったかのように、まぶたの裏側からせり上がる涙がとめどなくあふれる。

 いつか○○○○に慰められたときと、同じ感覚だった。しかしあのときよりもいくぶん勢いが強い。視界が歪む。ステージライトが滴を鏡面に乱反射して、目の前が真っ白になった。

 またか。なんなんだ、これは。手の腹で目元を拭った。拭ったそばから次の波が来る。すぐにサイリウムを持つのは諦めて、視界の確保に努めた。このステージは、一分一秒たりとも、見逃すわけにはいかない。

 ラストへと繋がるポップなイントロが、スピーカーから響き始めた。
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:06:57.19 ID:U5rAS9nW0



 最高のひとときだった。疲労の色をにじませて舞台裏に帰ってきた彼女らに、なんのためらいもなしに、私はそう断言した。

 ***はむき出しの感情そのままに私の方へ飛び込んできた。○○○○には珍しくハイタッチを求められ、喜んで応じた。■■には赤くなった目元をからかわれたが、彼女のまなじりにも滴は浮いていて、痛み分けとなった。

 成功だった。盛況だった。

 それなのに、────どうして。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:07:40.86 ID:U5rAS9nW0

十.

 燃え上がりそうになった火種は、急速にしぼんだ。

 奇跡は終わる。夢は覚めた。

 ライブ以降も、オファーは増えない。営業も振るわない。当然に業績も上がらない。ないない尽くし。

 社長の用意してくれた仕事は順調にほとんど消化しきって、しかしそれでおしまいだった。次回へと繋がるものが残らない。社長にだって限界がある。徐々に手帳のマスに空きが増えていく。

 うちの事務所の決算は三月末。年末も年始もなく、ひたすらに駆けずり回った。近づくそのときから目をそらすように。迫り来る無慈悲な事実から逃げるように。

 しかし、どれだけ見ないようにしたとして、どれだけ逃げようと必死になったとして、そんなものは無駄だった。

 世界はいつでも、私という一個人の望みとは無関係に回っていく。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:08:25.47 ID:U5rAS9nW0

 芸能誌をゴミ箱に叩き込んだ。

 ────プロジェクト・クローネ。
 ────シンデレラ・プロジェクト。
 ────ミシロ・プロダクションが巻き起こしたアイドル旋風。

 大きな記事、話題になっているのはミシロのことばかりで、私たちの事務所のことなどほんの片隅にしか報じてくれていない。

 マズい状態だったんじゃなかったのか? ……いや、そこから回帰したからこそのこの扱いなのか。

 私たちは、あのライブですら、まだ不十分だったというのか。

 端的に表せば、潰されたのだ。日程は調整して食われないようにしていたはずだった。けれど、向こうの極大なイベントがそんな小細工を木っ端のように吹き飛ばす。

 どうすればいい? これ以上、なにをすれば……私は、あの子たちのためになれる?

 急激な胸のムカつきに、手洗いに駆け込んだ。最近は食欲も失せてしまった。何も入っていないはずの胃から、ただイヤに黄色い液体だけが逆流した。

 鏡に映る私は、さながら幽鬼のようだった。いっそ、本当にそうなってしまえたなら。込み上げたものを、もう一度呻きながら吐き出した。
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:09:05.82 ID:U5rAS9nW0

 デスクに戻ると、***たちが来ていた。表情を取り繕う。本当に取り繕えているか否かは、定かではない。

「プロデューサー、おはよ! これ差し入れ!」***に、シンプルなラッピングをされた小包を手渡される。

「中身、クッキーだから! ちょっとお腹すいたなーってときに食べてね」

「焦げてるのは***が作ったやつね。私のはハート型だからね、プロデューサーさん♪」

「■■姉はなんでそういうこと言っちゃうかなあ!」

「ハート型じゃなくて、焦げてもないのが私のよ。味は……大丈夫だと思う。味見もしたから、安心して」

 彼女らは、変わらない。きっと、変わらないように振舞ってくれている。

「……ありがとう。あとで、もらうよ」

 三人は連れ立ってオフィススペースから出て行った。見送ってから、包みを開けた。途端に香ばしい匂いが広がる。動物型、星型、丸型、ハート型。ハート型のものと、その他の焦げつきがあるものと、そのどちらにも当てはまらないもの。綺麗に三等分できそうな分量で入っていた。

 ハート型のものを、つまんで口に入れた。次に丸型のちょっと端っこが黒くなったものを、続いて犬型の綺麗に焼き色のついたものを。

 どれも酸っぱい味がした。それでも飲み込んだ。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:10:46.85 ID:U5rAS9nW0

「おいしそうな匂いさせちゃってまあ」と、ふらり寄ってきた事務員さんが言う。

「……すみません」

「……ま、ちょっとおすそ分けしてくれたら許しましょ。いいですか?」

 どうぞ、と頷いた。彼女はポケットティッシュを二枚抜いて、包みからがばっと掴んで取り出したクッキーをそこに受けた。

「じゃ、遠慮なくいただきます」適当につまみ上げた星型を、彼女は口へ放り込んだ。「……あ、おいしいなにコレ。女子力だなあ……」

 うまいうまいと口を動かしながら、彼女は自身のデスクに戻った。ずいぶんたくさん持って行ってくれた。包みをのぞくと、中には焦げ付いた象型、綺麗な丸型、ハート型のクッキーがそれぞれひとつ、計三つ残っていた。

 少しだけ、笑った。それきりだった。

 ひとつずつ、ゆっくりと食べる。

 ほろ苦くもあり、甘くもあり、酸っぱくもあって、────そして、しょっぱかった。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:11:15.15 ID:U5rAS9nW0



 寒い冬だった。その上にやたらと長く、暦上の春を通り過ぎても、凍てつきの風が空に巻いた。

 桜の開花は例年よりも遅いらしい。街路樹は、いまだ枯れ木のような風体で立ち並んでいる。はなむけすらも、いただけないそうだ。

 幾重に連なる雲のたなびきは、ひどく不均衡だった。また、冷たい雨が降るのだろうか。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:12:05.06 ID:U5rAS9nW0



『……もしもし?』

「……お疲れ様です。私です」

『ああ……なにか用か? って、まあ……用件は、正直わかってるけどよ』

「…………」

『無理だぞ。受け入れられない』

「どうしてです……? 余裕は、もうあるはずでしょう」

『ないんだって。春からは新規プロジェクトの始動も決まってる。新しいアイドルを採れるほどの余裕は、本当にない』

「……そこを、なんとか」

『できない。悪いけどな。……結構前に提携も切れちまった以上、そんな優遇もおかしいだろ。上に目ぇ付けられたらたまらない。恨まないでくれ。俺は俺のアイドルたちが大切なんだ』
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:13:01.71 ID:U5rAS9nW0



「……よっ、と。これで持ち込んだ私物は全部かな? ……寝袋すごい邪魔だな……」

「……今日で、最後でしたか」

「ん? ……ああ、プロデューサーさん。まあ、そうなんですよ。あとの事務は自分がやるから早く転職活動に移ってくれ、って。社長がね。言うもんですから」

「……今まで、本当にお世話になりました」

「あはは、こちらこそ、ですよ。……まあ、なんですね。お互いぼちぼち生きて、またどっかで会いましょうよ。そんときゃ安ーい酒でもおごりますから」

「ありがとう、ございます。お疲れ様でした」

「……はい、お疲れ様です。さよなら、プロデューサーさん」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:13:35.40 ID:U5rAS9nW0



「……そっか。ダメ、だったかぁ……」

「……本当に、申し訳ない。あんな、約束……しといて」

「謝らないでよ。プロデューサーさんは、ちゃんと約束守ってくれたよ。頑張ってくれたじゃない。どこに謝る必要があるの?」

「……ごめん」

「謝らないでってば。……あ、そうだ!」

「……?」

「これ、今まで撮った写真! いっぱいあるんだけど、プロデューサーさんに送ってもいい?」

「それは、もちろん……」

「通信容量、気をつけてよね。……あぁ。いろいろあったなぁ。こうやって、あらためて見るとさ」

「……そう、だな」

「……もっと、続けてたかったなぁ……なんて。……ゴメンね、プロデューサーさん」
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:14:37.72 ID:U5rAS9nW0



「……そう。わかった」

「……申し訳ない」

「べつに、謝らなくていい……あ、ううん。そうね。『無理しないで』っていう約束、あれを破ったことへの謝罪として、受け取るわ」

「……守れなかったな」

「まあ、私も守れていたかは怪しいから。許すよ。……でも、プロデューサー。これだけ言っておきたいんだけど、私は、無理をしてるとは思ってなかったわ」

「……?」

「……楽しかったから、なんだと思う。レッスンも、自主練も、仕事も。体力的に苦しくても、無理をしてるなんて、一度も思わなかった。自分で決めたこと、だったから……楽しくて」

「……そうか」

「うん。……ゴメン、プロデューサー。ちょっとだけ、胸……借りていい?」
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:15:11.37 ID:U5rAS9nW0



「……そうなんだ」

「……ごめん。謝るしか、できない」

「ううん。……こっちこそ、ゴメンね、かも。笑顔で、お仕事、頑張って。それだけじゃダメだったんだね、きっとさ」

「そんなことは……」

「ううん、そうなんだって! ……だって、そうじゃなかったら……あのふたりと、プロデューサーと、一緒でさ。ダメになるわけ、ないじゃん」

「……私が悪い。私が至らなかったんだ」

「そんなこと、ないよ。私がもっと、頑張ってたら……」

「…………」

「……あのとき。スカウトしてもらったとき、これだ! って、思ったんだけどなぁ……」

「……っ」

「ゴメンね、プロデューサー。アイドル、……すっごい、楽しかった。なのに……っ、ゴメンね……?」
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:15:48.56 ID:U5rAS9nW0



「投了、だなあ。詰みだ」

「……本当に、どうしようもないんですか」

「ああ……八方、手は尽くしたんだけどね。これはもう、ちょっとどうにもならない」

「…………」

「銀行の融資も、断られてしまったしね。残念だが」

「……そう、ですか」

「うん。……思えば、キミには迷惑をかけたね。本当に、よくやってくれた。なんにもしてやれないけれど、お疲れ様、と言わせてくれ」

「……いえ」

「……今まで、いい夢を見れた。それは間違いないが……もう少しだけ、長く見ていたかったね。いやはや、なんとも強欲でいけないな。
 ……当事務所は、今月末をもって倒産とする。最後に、この書類だけ処分しておいてくれるかな」
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:16:40.26 ID:U5rAS9nW0



 すべてが、終わった。

 抜け殻のようになった私は、気づけば自身のデスクで呆けていた。薄暗く、がらんどうのオフィスフロア。並ぶデスクも、そのほとんどが人の体温を忘れてすっかり冷たい。

 最後の仕事を、しなければ。受け取ったクリアファイルから、三組の書類を抜いた。それは、彼女らの雇用契約書と履歴書だった。

 彼女らの仔細な個人情報と、ここでアイドルになるという契約の証。足元のシュレッダーの電源を入れて、しかし一旦切った。

 これを処理してしまえば、本当に、紛れもなく終わりを迎える。そう思うと自然に手が止めていた。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:18:31.30 ID:U5rAS9nW0

 ……寒い。凍えそうだ。指の隙間から、すべてが落ちた。デスクに広がった履歴書の、そこに貼られた彼女らの顔写真が、私を見つめている。

 目をそらした。そらした先に、一枚の写真があった。いつか、楽しかった日を切り取ったワンシーンは、■■のカメラフォルダから現像してもらったもの。

 想いが、あふれた。

 ■■。────リュ・ヘナ。意地悪なようで、本当に優しかったキミ。走りがちなふたりにため息を吐きながらも、決して見放すようなことはしなかった。自分に自信があって、だけどちゃんと現実的で、セルフィが得意だった。キミからもらった思い出の写し、四人並んで笑う姿が、私の透明なデスクマットの下からずっと励ましてくれていた。

 ○○○○。────ジュニー。キミは恥ずかしがりなのに外面は冷然としていて、それはきっと強さの現れだった。そうあるためにどれだけの努力を重ねていたのか、私はよく知っている。キミがあんまり熱心に自主練習に励むものだから、レッスンルームの予備の鍵は私のデスクに置くことになった。付いているロゴ・ストラップは、キミが好きな海外ドラマのものだ。

 ***。────イム・ユジン。私が、初めてスカウトした。私の、はじめての担当アイドル。本当にアイドルの仕事が好きで、アイドルが好きで、キミのその姿は私のしるべのようだった。天真爛漫なその笑顔に、いったい何度救われたことだろう。無邪気に突っ走っているようで、その実よく周りを見ていた。デスクで仕事をする私を、何度となくいたわってくれた。あのひとときが、好きだった。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:19:52.26 ID:U5rAS9nW0

 思い出が、この空間で、今までの時間に過ごしたすべてが、目に入るなにもかもから掘り起こされる。

 不揃いのマグが。マグネットの将棋セットが。スタンダードなトランプが。緑色のぬいぐるみが。仕事の資料ファイルが。パソコンに貼られた付せんが。ホワイトボードが。彼女らの衣装が。

 デスクの中には、少し前にもらったクッキーの包みまでが、後生大事に取ってある。

 どこに目をそらしても、なにかが私の心に深くまで爪を入れて乱して回る。この場所に記憶が染み付いていないところなんて、ない。

「……ん」

 なんだ……?

 確かめるように、開けた一番上の抽斗。そこにしまっていた薄桃色のシンプルな袋とリボンが、浮かんで見えた。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:21:17.08 ID:U5rAS9nW0

 取り出してみると、その下にもうひとつの包みがあった。そちらは、白地にシオンの花柄の包装紙でラッピングされている。誰かへ宛てた贈り物。まったく覚えがなかった。

 付せんが貼られている。

『To Producer, From Your idols!』

 震える手で、掴み上げた。間違っても中身を傷つけないように、もどかしい手つきで解く。

「……これ……」
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:22:12.54 ID:U5rAS9nW0

 黒革のカバーがついた手帳が、そこにあった。私が使っていたものによく似た、しかしそれよりはちょっとだけ上質そうな、スケジュール手帳。表紙をめくると、新年度のものであることがわかった。

 進むはずだったまっさらな未来の予定をはらはらとめくる。そのうちに、裏表紙に挟まっていたらしいオレンジ色の小さな便箋が、デスクに落ちた。

 書かれた文字は大きく跳ねるように。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:22:41.86 ID:U5rAS9nW0
『今年も、どうかよろしくね!』
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:24:01.59 ID:U5rAS9nW0

「────ッ」

 こらえるなんて、無理だった。痛いぐらいの感情が、巡る後悔と混じってせり上がった。なにがなんだかわからなくなりそうだった。袖口で目元をこする。止まらない。止まるはずがなかった。いつかのさめざめとした涙とはまるで違う、しゃくりあげて呼吸ができない。

 今年も、どうか、よろしく。

 そう書き贈ることを選んだ彼女たちが愛おしくて愛おしくて愛おしくて、自身の至らなさが苦しくて苦しくて苦しくてたまらなかった。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:24:54.70 ID:U5rAS9nW0

 ────ヘナ、ユジン、ジュニー。

 なにより大切に、私が愛したひと。

 キミたちは最後の最後まで、

 私との未来を想ってくれていた。

 それなのに。

 ごめん。

 もう、届かないけれど。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:25:45.07 ID:U5rAS9nW0
 Dedicated to the memories of Cinderellas in Korea.
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:26:18.63 ID:U5rAS9nW0
 Please, please remember them.
149 : ◆77.oQo7m9oqt [sage saga]:2017/12/31(日) 17:29:06.74 ID:U5rAS9nW0
以上になります。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/31(日) 18:35:38.09 ID:NezATU21o
グッバイチョンミオ
フォーエバーチョンミオ
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 01:16:49.83 ID:Sl2vEHZTO
チョーンンンンンンンンwwwwwwwwww
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 01:53:47.51 ID:swEBShjg0
つれえ
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/01(月) 04:10:45.14 ID:+d30NXJC0
彼女らとその元プロデューサに、幸あれ
心情描写が丁寧でわかりやすくて、展開が起伏に富んでて、で、引き込まれるし、彼女たちのことをもっと知りたいと思った
心からの乙そして乙そしてありがとう
すごくいいもの読ませていただきました
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 07:59:20.74 ID:HYjZao9go
すまん、英語の部分どういう意味なんや?
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 08:09:25.33 ID:p8+eBLT2o
なんだかんだでビターENDくらいには着地すると思ってたら想像以上に重い話だったな・・・

って韓国版モバマス終わってたって知らんかったわ
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 08:18:04.68 ID:Ta+jS09D0
韓国からモバゲー自体が撤退したからそのまま終了だったかな、しかも向こうのPの殆どは日本版をやってたから韓国Pでもやったことがない人もいたとかなんとか
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 09:30:02.02 ID:ANbiPR6o0
韓国のシンデレラたちの思い出にささげる
どうか、どうか彼女らを覚えていて
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 11:35:56.65 ID:psnglJzho
見た目は可愛かったような気がする
海外出身のアイドルもおるんやし仲間入れてやればよかったのになあ、可哀想に
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/01(月) 20:58:15.66 ID:9vwzRvDRo
これは多くの人に読んでほしい
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/04(木) 15:24:50.65 ID:/6nFqd0Vo
車にはねられて事故で記憶喪失になったのかな?
163.01 KB Speed:0   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 新着レスを表示
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)