森久保乃々「さよなら、森久保」

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67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 22:56:08.65 ID:QxgIwWOp0

 レッスンルームに入るとプロデューサーさんとトレーナーさんが、心配そうな顔をして、私を待っていました。

「どうしたんだ。何かあったのか」

 駆け寄る二人に、私は、

「レッスンだと思ったら急に身体が重くなって、机の下から動けなかったんですけど」

 と森久保節をふんだんに効かせて答えました。二人はくすりと笑って、

「それはたるんでいる証拠だな。身体が重く感じるのは運動不足のせいだよ。
 仕方ないからいつもよりレッスン量増やしておくな」

「それは困るんですけど」

 森久保が答えると、二人はまた笑いました。
 その日のレッスンはいつもよりも十分終わるのが遅く、そのことを森久保が、

「時間過ぎてますけど……早く帰りたいんですけど」

 と指摘すると、プロデューサーさんは笑顔で、

「運動不足だろ?」と答えました。
68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 22:57:14.70 ID:QxgIwWOp0

 かくれんぼは、レッスン室の予定が詰まっていない、プロデューサーさんが忙しくない、
 これらの条件が揃うときに不定期で開催されたのですが、二回目以降は全てプロデューサーさんの勝ちでした。

 二回目は開始から十分ほど過ぎると、プロデューサーさんが机の下へとやってきて、

「行きたくないんですけど、やりたくないんですけど」

 とぼやく森久保を笑顔で抱え、レッスン室へと運びました。
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 22:58:42.97 ID:QxgIwWOp0

 三回目は五分前。場所は同じく私の机。四回目はキノコさんの机でした。
 
 プロデューサーさんは、私が私の机の下に入っていないことに、
「あれ?」と少し困った様子でしたが、キノコさんの机の下に私の姿を見つけると、とても嬉しそうに、

「森久保! 人の家に勝手に入っちゃ駄目だと学校で習わなかったか? 輝子にもプライバシーがあるんだぞ」

「森久保とキノコさんは友達なので大丈夫です。
 あと、それならレッスン室はトレーナーさんの家ですし、
 森久保はトレーナーさんとは友達ではないので、自分の家に帰りますね」

「大丈夫だ、森久保。トレーナーさんは森久保のことを友達だと思っているから。
 さっきも楽しそうにお前のメニューを考えていたぞ」

「ひぃ、い、嫌なんですけど、レッスン苦手なんですけど……」
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:00:23.59 ID:QxgIwWOp0

「そうか……じゃあ今日はレッスンやめるか」
「へっ? いいんですか?」

「いいけど、トレーナーさんには森久保が自分で言ってくれよ。
 私はトレーナーさんと友達ではないので、レッスンを受けたくありませんって。トレーナーさん、悲しむだろうな」

「その言い方はズルいんですけど……。よく性格が悪いって言われませんか?」
「全然。で、どうする?」
 
 私に行かないという選択肢があるわけもなく、

「行きますけど……」
「行きたくないのに?」
「行きたくないのにです」
 
 私は渋々といった形でレッスン室へと向かうのでした。
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:03:45.10 ID:QxgIwWOp0

 今になって思い返すと、この一連のかくれんぼは、親元を離れ、甘えたいのに甘えられない、
 私、森久保乃々の、ひねくれた甘えアピールのようなものだと認識されていたように思います。

 しかし、先ほども書きましたが、このかくれんぼは、私の逃避かつ主張の手段でした。
 
 私は大まじめに、「行きたくない、嫌だ」と考えていて、それを森久保に代弁させているだけなのでした。

 本当は私自身が言ってしまえばよいのですが、私にはそれを伝える勇気がない。
 
 真正面から相手とぶつかって、相手に失望されたくない。
 だから森久保に頼って、冗談を装うことで、実は気づいてほしかったのだと、今更ながら思います。
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:05:03.66 ID:QxgIwWOp0

「行きたくないんですけど。嫌なんですけど……」は森久保の求愛の手段でも、冗談でもなく、
 
 私の心からの叫び、悲鳴でした。
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:06:35.15 ID:QxgIwWOp0

 しかしながら、かくれんぼの回数が増え、レッスン量が増えても、
 誰も私の悲鳴には気づいてくれませんでした。
(それどころかみないっそう、森久保に対する誤解が深まっていったように思えます)

 私の悲鳴は次第に大きくなっていき、それこそ雪が解け、春の日差しが現れる頃には、
 私は一人でいるときも次の日のレッスンや迫りくるライブのことを考えてしまい、頭を抱えるようになりました。

 しかし私の森久保ゆえか、事の深刻さが他の人には伝わらない。
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:09:19.05 ID:QxgIwWOp0

 ライブまで二週間を切ると、みんなが、「ライブ頑張って」と私に声をかけ、

 私は、嫌なんですけど、と心の中で叫びながら、森久保の笑顔を作り、

「頑張りたくないんですけど」と答え、

 一週間を切ると、

「ラストスパートだ」とプロデューサーさんが言い、

 私は、嫌なんですけど、森久保は、

「嫌なんですけど、机の下に帰りたいんですけど」と答え、

 三日前に、

「ライブ嫌なんですけど」と私が言うと、

「大丈夫、乃々ちゃんなら出来るよ」

 とトレーナーさんが私の手を握りながら答えました。
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:13:00.68 ID:QxgIwWOp0

 その笑顔に何も言い返すことが出来ず、何が大丈夫なのだと、ひとり不安と恐怖を抱えていると、
 いよいよライブ前日の夜になってしまい、逃げ場のなくなった私は、ノートを開き、
 こうして自らを告白するような文章を書くことで、
 いかに自分がライブを嫌がっているか、アイドルに向いていないのかを正当化させようとしているのです。

 改めて書いてみると、
 自分はやはりアイドルというものに、人と生活をしていくということに、向いていない気がします。

 腕時計を見ると日付が変わりそうなことに気づきました。そろそろ寝ないといけません。

 眠りたくありません。寝るとすぐに朝がやってきて、
 私は多くの人の目に晒されながら歌に踊りを披露しないといけません。
 明日なんて来なければいいのにと、ここ毎日祈りながら、私は眠りについています。

 長々と、それこそ遺書のように書き綴ってきましたが、
 結局のところ私が言いたいことは、ライブに出たくない。人の目が怖い。それだけなのです。
 
 どうか明日よ、来ないでください。目よ、覚めないで。私はそう叫びながら、ここで一度ペンを置きたいと思います。 
 
                     了
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:14:24.90 ID:QxgIwWOp0
◇◇◇◇



◇◇◇◇


77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:16:45.43 ID:QxgIwWOp0

 暗闇の中、意識がやってきて、
 私は、すぐさま、ついに来てしまったと、今日という日を呪いました。

 目を開くと一日が始まってしまう気がして、開くのをうんうんと躊躇ってみたのですが、
 瞼の裏にたくさんの人の顔がこびりついて取れません。
 私はいやいや重い瞼を開けました。

 重い身体と頭を抱えて、洗面場へと向かいました。
 顔を洗い、母から貰ったピアスをつけると、ずしりと嫌な感触。
 鏡に映る私は、目元に涙をため、視線は真っすぐではなく、横を向いていました。
 
 ひねくれと憂鬱がにじみ出るその奇妙な表情を見ていると、
 目の前の私が、私なのか森久保なのか判断がつかなく、これから私はどうなるのかと、
 私と森久保、ひいてはライブのことを考え始め、頭がずきずきと痛みを覚えたので、鏡の前から逃げ出しました。
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:29:34.64 ID:QxgIwWOp0
「乃々ちゃん今日のライブ頑張って」

 社交辞令のような声援をかけてくるアイドルの先輩方に、

「ありがとうございます」

 廊下の端を歩きながら、涙を隠した笑顔で答えました。外に出て、私はすぐに異変に気づきました。

 草木は緑を飾り始め、柔らかな日差しが季節の変わり目を告げている今日この頃。
 本日も例には漏れず、言ってしまえば絶好のライブ日和なのですが、カラスの数が異様に多い。

 電線の上や公園のいたるところに、見たこともない数(三十匹くらいでしょうか)のカラスが止まり、
 一斉にカーカーと鳴いている。まるでこれから起こる不幸をあざ笑っているようでした。
 
 私はその不吉の象徴とも思える声に怯えながら、事務所へとかけ足気味で向かいました。
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:34:54.68 ID:QxgIwWOp0

 事務所ではたくさんの人がライブに向けての来る準備をしていました。

 アイドルとプロデューサー。

「不安だ」
 
 一人のアイドルが呟けば、

「お前なら大丈夫だ」

 プロデューサーが担当アイドルの肩を叩き、

「不安だね、お互い頑張ろうね」

 他のアイドルが励ましの言葉を送っていました。
 
 それらはさながら狼であり、ハイエナのようでありました。
 彼ら彼女らは仮面を被り、相手のためだ、という言葉を自分のために吐きだしていました。
 私はそれらから目を背け、自分の机の中へと隠れました。そして、震える手と心臓で、本をめくり始めました。
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:36:30.60 ID:QxgIwWOp0

 キノコさんが隣から私の元へと駆けつけたのは読み始めてすぐのことでした。

「大丈夫か? ボノノさん、緊張とかしていないか?」

 キノコさん。私の人生で唯一の同志。今も心配そうに私のことを見ています。
 
 そのとき私は強い感情に揺さぶられました。
 
 それは安堵ではありませんでした。

 キノコさんに私の何がわかるのですか。

 それは怒りでした。

 あなたは私と違うのに。大丈夫ではないに決まっているじゃないですか。
 
 その怒りは、見せてはならない感情でした。
 私にもそれを見せてはいけないと判断するだけの理性が残っているようでした。目を閉じ、息を深く吸ってから、

「大丈夫じゃないんですけど……。今すぐ帰りたいんですけど……」

 と答えました。キノコさんはそれを聞いて、

「良かった。いつものボノノさんだ」

 と笑いました。
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:37:11.02 ID:QxgIwWOp0

 やがて、キノコさんが隣の机に帰る頃には、抱いた怒りの感情は煙のように消えていて、
 代わりに、後悔や罪悪感が私の心に渦巻いていました。

 キノコさんに悪意がないことはわかっています。
 それなのに私は、同志の純粋な心配に、傲慢にも怒りを覚え、あろうことか疑ってしまった。

 もしかしたら、私がキノコさんに、森久保ではなく私を見せれば、
 キノコさんは私を受け入れてくれたかもしれないのに。

 やはり私は人と生活することが向いていないのだ、できないのだと再確認しました。
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:38:06.21 ID:QxgIwWOp0

 それからは一人、机の下で、昨日書いた文章を思い出しながら、
 罪の告白のようなものを繰り返しました。

 思い出されるは、様々な人の視線と笑顔。それに対しての自分の反応。  

 私だけが誰も疑問に思わないような根本的なところで躓き、苦しんでいる。
 どこで私はこんなにもズレてしまったのでしょう。
 母のひとこと、それともクラスメイトの笑顔でしょうか、もしかしたら最初からズレていたのかも。

 監獄のような机の下で考えてはみたのですが、今となっては検討もつきません。
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:40:28.61 ID:QxgIwWOp0

 永遠にも思えた懺悔の時間も無情に過ぎていき、やがて、プロデューサーさんが私を迎えに来ました。

「おはよう森久保、調子はどうだ?」
「帰りたいんですけど……」

 プロデューサーさんは森久保の様子を見て、その調子なら大丈夫だと小さく笑い、

「そろそろいこうか、時間だ」

 と私の手を引きました。

 会場へと向かう車の中、私はまるで、重罪を犯し、刑務所へと押送される罪人のような心もちでした。
 
 他者と上手くかかわれない罪で、送り込まれる先が刑務所だったらどんなに良かったことでしょう。
 実際はライブ会場で、私はこれから歌と踊りを披露しなければなりません。

 窓の外には三月のいつもどおりの世界が広がっていました。
 鳥は鳴き、学生やサラリーマンたちがそれぞれの行き先へと歩いている。
 ゴールへと向かう途中に、ついでにとでも言わんばかりに、車の中の私を見て笑っている。

 それは今朝見た、カラスが群がる光景を思い出させました。
 窓ガラスに映る水色のピアスが光り物のように、鈍く存在感を放っていました。
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:41:42.45 ID:QxgIwWOp0

 ライブ会場へと着くといよいよ息が苦しくなっていき、あいさつ回りが終わるころには、

「大丈夫か、森久保」
 
 とプロデューサーさんに声をかけられるくらいほどに、私は疲弊していきました。

「大丈夫じゃないんですけど……」
「緊張しているのか?」
「緊張なんて言葉では表せないほど緊張しているんですけど……。心なしか頭が痛いです」

 森久保は、

「プロデューサーさん、森久保は風邪をひいているみたいなので今日のライブはお休みしてもいいですか?」

 と付け足しました。
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:42:56.84 ID:QxgIwWOp0

「そんなに屁理屈が言えるなら大丈夫そうだな。……って本当に少し顔色悪いな。大丈夫か? 
 まだ本番まで時間あるし、風邪薬貰ってこようか?」
 
 プロデューサーさんが心配そうに覗き込みます。
 この病気が風邪薬では治らないことを私は知っているので、
 森久保は目を逸らしながら、大丈夫ですと首を振りました。プロデューサーさんは私の顔をしばらく見てから、

「いいか森久保、お客さんをじゃがいもだと思うんだ」
「じゃがいもですか?」
「そう、じゃがいも。じゃがいもに見られていると思ったら、緊張しないだろ? 試しに俺の顔をじゃがいもだと思って見つめてみろ」
「ここでですか?」
「もちろん」
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:43:59.96 ID:QxgIwWOp0

 ここ以外にどこで見つめるんだと笑うプロデューサーさんの顔を、
 私は、一世一代のにらめっこをする気で、それこそ心の中で大きく息を吸ってから、見つめました。
 
 プロデューサーさんは、私と初めて出会った時と同じ、真剣な眼差しで私のことを見ていました。
 その表情からはやはり、思惑のようなものが見えてきません。
 
 三秒ほど目を合わせて、限界がやってきたので、森久保はさも恥ずかしそうにぷぃっと顔を背けました。

「全然、じゃがいもには見えなかったんですけど。プロデューサーさんは嘘つきです」

 ダメだったかとプロデューサーさんは苦笑しました。
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:45:31.32 ID:QxgIwWOp0

 それからまもなく、イベントが始まりました。
 私は、他のアイドルやプロデューサーに紛れ込んで、控室から映像越しに、ライブの様子を見ました。
 控室には緊張した空気が張りつめていました。
 
 ひとり、またひとりと、華やかな衣装に身をつつみ、
 私の横を通り過ぎ、ステージへと上がっていく新人アイドルたち。
 そのパフォーマンスの中には、大成功と呼ばれるものも、ぎこちない動きのものもありました。
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:46:33.43 ID:QxgIwWOp0

 しばらく進行すると、いかにも内気そうなアイドルの子が、
 あまりの緊張ゆえにステージ上で震えながら、涙を流してしまうというハプニングが起こりました。

「○○ちゃん、大変そう、頑張って」

 ひとりの女の子が呟きました。その瞬間、控室の空気が変わったように感じました。

「だよね。私達も緊張するなー」

 誰かが同調しました。彼女たちは、ステージ上の女の子に同情し、
 自分のこれからを心配しているようでしたが、
 私には安心しきっているようにしか見えませんでした。それはさながら同情コンテストのようでした。
89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:47:06.96 ID:QxgIwWOp0

 私達に、あの子の苦悩がわかるでしょうか。

 あの子が泣いているから、失敗しているから、私たちも失敗して大丈夫だと、笑っている。

 女の子の失敗自体に同情しているのではなく、自分の失敗への保険に、すり替えているではないでしょうか。

 どこか自分を他の人より優位に見ているのではないでしょうか。

 控室に広がった、蜜のような、エゴイスティックな空気に、耐えきれなくなって、私は控室を後にしました。
90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:49:20.92 ID:QxgIwWOp0

 施設内を放浪し、ステージ会場から遠く離れた果ての場所に、
 誰にも使われていなさそうなベンチを見つけ、私はそこで時間が経つのを待ちました。

 ライブ当日に離れのようなこの場所に来る人は、私くらいで、人の目はありませんが、
 本は事務所に置いてきていて、すっかり手持ち無沙汰でした。
 私はまた否応にも自分のことを考え始めました。

 思い出すのは、先ほどの控室の臭いと、私が事務所でキノコさんへと抱いた感情でした。

 私はキノコさんに怒りを覚えましたが、それは自分勝手ではないのかと、先ほどの人達の同情と何が違うのか、
 あの人たちは仮面の笑顔で、私の場合は森久保のひねくれで、
 結局のところは同じではないのかと考え始めると、どうにもそれが正しいように思えてきて、
 自分勝手な人々に恐れを抱いてきた私が自分勝手だったと認識し、それが自分の心に刺さりました。
91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:50:28.23 ID:QxgIwWOp0

 それから色々考えて、やはりライブに出ることは不可能だと判断したので、
 私は、ライブの時間になっても、ここでじっとしていよう、と決意しました。

 隠れはせず、それこそベンチにじっと座っているだけですが、
 それは私にとって、かくれんぼでした。

 時間が来るまでに誰もここに来なかったら、ライブに出るのをやめよう。
 誰か来たら、それがお告げなのだと諦めて、ライブに出よう。

 弱い私は一世一代の決断を自分ですることが出来ず、
 何かに恐れ、それこそ神頼みのような形で、判断しようと決めました。
92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:51:39.12 ID:QxgIwWOp0

 プロデューサーさんがやってきたのは、それから十七分後。私のライブ開始時刻の三十分前でした。

「森久保、こんなところにいたのか探したぞ」

 息は荒く、肩で呼吸をしています。たくさんの場所で私を探しまわってきたのでしょう。

 その姿を見て、私は真っ先に、神様はなんて残酷なのだと思いました。
 私は賭けに負け、ライブに出ないといけません。

「森久保どうしたんだ? 本当に調子悪いのか?」

 心配そうに聞くプロデューサーさんに、森久保は、

「大丈夫です。ちょっと一人になりたかっただけです。……そろそろ行きましょうか」

 と答えました。
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:53:45.42 ID:QxgIwWOp0

 席を立ち、ライブ会場へと歩き始めました。
 一歩進むことに、ピアスが、身体が、重さを増していきます。
 私はプロデューサーさんにばれないように、身体を引きずり歩きました。

 ライブ会場へと着くと、私の身体は悲鳴をあげていて、
 先ほど決めたばかりの神の選択さえも撤回したい気分に駆られていました。
 
 ですが、ここで逃げてしまったら私は神に背いたことになってしまいます。
 その後どんなにひどい出来事が私を襲うことでしょう。

 かと言って、私がライブに出る、アイドルになる。それは私が想像する中で一番ひどいことのように思えました。
 私にはたった三十分後の自分の人生すら想像がつきません。    
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:55:39.89 ID:QxgIwWOp0

 再び揺れ始めた選択の中で、私は頭を抱え、その迷いを森久保は隠し、
 プロデューサーさんとライブ前の最終確認をしていると、
 出番一つ前の子のライブが始まり、あっという間に、終わりました。
 
 舞台裏へと戻ってきて、担当のプロデューサーと抱き合い、関係者に挨拶をし、ひとこと、私に声をかけました。

「(私は出来たよ)頑張ってね」

 その言葉が、笑顔が、決定打となって、私はその場から動けなくなりました。
 
 常に人に見られている。常に私は試されている。常に私は笑われている。

 とうとう耐えられなくなって、私は、出番だぞと手を差し向けるプロデューサーさんに、

「嫌です」

 初めての抵抗でした。困り顔のプロデューサーさんの言葉を遮って、私は告白を始めました。
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:57:40.56 ID:QxgIwWOp0

「人の視線が怖いんです。常に見られている気がして、常に試されている気がして、笑われている気がするんです。
 ステージに立ったらみんな、私の歌や踊りを見て、くすくすと笑い始めるに違いありません」

 浅はかな私は直前になって、自分の病気がいかに深刻かを告げ、この場を逃げようとしたのです。

 それは私から人に対する、初めての期待でした。私は仮面が見えないこの人に、自分の未来を委ねたのです。

 私の告白をプロデューサーさんは最後まで聞いてくれました。
 目は私をスカウトしたときの、真剣な、清潔な表情で、唇は噛みしめるように、固く結ばれていました。

「すまない」

 プロデューサーさんが言いました。
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/23(火) 23:59:14.05 ID:QxgIwWOp0

「緊張しやすい子だと思ってはいたが、森久保がそこまで人の視線に怯えているとは知らなかった。
 今まで気づかずに傷つけていたこともあると思う。許してほしい。それで、誤解せずに聞いてほしいんだが」

 プロデューサーさんは言葉に詰まりました。迷っているようでした。
 私にかける言葉を、語句を。少し考えて、
 それから決心したようで、プロデューサーさんは言葉を紡ぎました。

「俺はずっと森久保を見てきた」
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:01:13.65 ID:GJMDUn0X0

 そこは嘘でも、「誰も見ていない。気にするな」と言わなければならない場面で、
 この人は真逆なことを言いました。

 私は、その言葉が私の心に深い傷を与えるのではと身構えたのですが、
 実際にやってきたのは、本当に人に見られているのだという恐怖ではなく、
 それよりももっと曖昧なものでした。私はそれほどまでに追い込まれているようでした。
 
 私は頷き、ただただプロデューサーさんの言葉に耳を傾けました。
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:03:40.97 ID:GJMDUn0X0

「俺は森久保がアイドルになれると思った日からずっと、森久保を見てきた。
 思い出してみろ。ラジオの収録、服の撮影、いろいろなことを経験し、それを乗り越えてきたじゃないか」

「それは嫌々。森久保がやらないと他の人に、ひいては自分に迷惑がかかると思ったからやっただけで」
「でも、乗り越えたのは事実だろう?」

 私は頷きました。

「なら大丈夫だ。このライブのためにレッスンも最後までやりとげたじゃないか。
 俺はそれを見てきたし、森久保なら出来るって信じてるよ」

 プロデューサーさんは私の肩を軽く叩き、私の目を見ました。
 清潔な表情が、その言葉たちは真実なのだと告げているような気がしました。
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:04:17.34 ID:GJMDUn0X0

 プロデューサーさんは私を信じている。

 心の中で繰り返し、呟きました。

 信じるとは一体、何なのでしょうか。期待とは違うのでしょうか。
 自分のために相手に求める。その行為とは別なのでしょうか。
 プロデューサーさんの瞳から私へと向けられているこれは、期待ではないのでしょうか。

「深呼吸をしてから、じゃがいもだ。じゃがいも」

 プロデューサーさんが言いました。私はステージへと上がりました
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:05:48.20 ID:GJMDUn0X0

 新人アイドルのステージといっても、合同のライブ企画ですので、お客さんの数はなかなかの規模でした。

 赤、青、黄色、たくさんの数のサイリウムが私の目の前で揺れています。    

 そのサイリウムは、誰のために振られているのでしょう。
 私のためなのでしょうか。それともファン自身のためなのでしょうか。

 曲が鳴り始めました。お願い!シンデレラ。
 ほとんどのアイドルが歌っている、事務所の代表曲のようなものでした。

 熱気に当てられていたお客さんたちが、一瞬、息を飲み、
 その何百という呼吸の音が、私に聞こえてきました。
 息が苦しくなりました。大きな歓声が上がりました。身体はなんとか踊りについてきました。
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:07:00.66 ID:GJMDUn0X0

 イントロの中で、私はこの曲のある場面のことを思い出しました。
 この曲は前半と後半に一度ずつ、ウィンクを飛ばすシーンがあるのです。

 私はウィンクをどこに飛ばせばいいのでしょう。

 一度考え始めると、囚われたように、そのことだけが頭の中を回りました。
 レッスンでは鏡の中の自分へと、ウィンクを飛ばしてきました。

 客席を見ると、たくさんのお客さん。みな、私を見ていました。
 
 期待を向ける眼差し。口角のちょっとした変化。その何気ない行動が私に映り、私を傷つけました。

 頭が真っ白になっていきました。まもなくイントロが終わり、歌のパートが始まります
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:08:01.50 ID:GJMDUn0X0

 私はウィンクをどこに飛ばせばいいのでしょう。

 じゃがいも、じゃがいも、ウィンク、ウィンク、と心の中で繰り返し、唱えました。

 ですが、お客さんはじゃがいもには変わりませんでした。

 お客さんは人間でした。

 人間は私のことを見ていました。試していました。笑っていました。

 ピアスの感触がずしりと私の身体に響きました。

『常に人に見られている』

 耳から身体へと、ピアスは徐々に重さを増していき、私の身体は動かなくなりました。
 
 私はピアスに引っ張られるように、地面に倒れていきました。
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:08:59.07 ID:GJMDUn0X0

 目を覚ますと白の天井。
 会場に設けられた医務室のようで、横にはプロデューサーさんが座っていました。
 
 プロデューサーさんは、私が倒れた後のことを淡々と話しました。
 
 私は心ここにあらずで、その話を聞き流し、
 寮まで送っていこうかというプロデューサーさんの気遣いを断り、一人、寮へと戻りました。

 亡霊のように廊下を歩き、部屋に着くと、
 手も洗わず、服を脱ぎ捨て、ベッドへと飛び込み、そのまま泣きました。
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 00:58:41.61 ID:GJMDUn0X0
 
 私は、廃人のような生活を送るようになりました。
 一日の大半を寝て過ごし、起きている間は本を読み、
 人が少ない時間を見計らって、ピアスをつけ、食堂でご飯を食べました。
 
 それでも何人かのアイドルと出会う機会があって、

「元気出して」

 無慈悲にも私に声をかけてきて、そのたびに森久保は、

「ありがとうございます」

 と答えました。情けや憐みのようなものはいらず、私はただただ放っておいてほしいのでした。

 心の声が届いたのでしょうか。その生活が三日も続けば、誰も私に声をかけなくなり、
 恐ろしいはずの世間は、私に何も危害を加えなくなりました。
 
 世間というのはエゴイスティックで、私が思っていたよりも無関心なようでした。
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:00:01.47 ID:GJMDUn0X0

 私が隠居生活を始めてから一週間が経ったときでした。
 微睡の中、ピンポーンとチャイムの音が聞こえてきたので、
 何事かと目を擦りながら、それでも用心して扉を開くと、そこにはプロデューサーさんが立っていました。

「迎えに来たぞ、森久保」

 いつもと変わらぬ様子でプロデューサーさんは言いました。眠気はどこかに吹きとんでいきました。

「どうしているんですか、プロデューサーさん。確か女子寮は男子禁制のはずでしたよね?」
「寮母さんに無理を言って入れてもらったんだ。だからあんまり長居は出来ない。さぁ森久保、事務所に行こう」
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:01:26.88 ID:GJMDUn0X0

「それは森久保にアイドルを辞める手続きとかをさせるからですか?」
 
 本心でした。プロデューサーさんは、まさかと笑い、

「レッスンだよ」と答えました。

「どうして」と私は聞きました。

「どうして迎えにきたんですか。森久保はライブで倒れてしまいました。視線の話もしました。森久保はどう見ても、アイドルに向いていません。それなのに」
 
 プロデューサーさんが言いました。

「俺は森久保ならアイドルになれるって信じてる」
 
 清潔な瞳は嘘を言っているようには見えませんでした。
 信じるとは一体何なのでしょうか。私にはまだわかりません。

「で、どうする?」とプロデューサーさんが聞きました。
「レッスン。来なくてもいいけど、それだったらあんまり言いたくはないが、いつか寮を追い出されることになるぞ」

「その言い方はズルいんですけど……」

 と森久保は答えました。
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:03:29.14 ID:GJMDUn0X0

 私は急いで顔を洗い、服を着替え、ピアスをつけ、部屋を出ました。
 久しぶりにつけるピアスはひんやりとしていて、相変わらずずしりと響きました。
 車の中で、プロデューサーさんは、

「次のライブの予定はまだ決まっていない、けれど必ずやる予定だ。
 出来れば夏あたりに場所を取れればと思っている。
 
 それと視線のことだが、俺は森久保のことを見ていたつもりなのに、どうやら見抜けていなかったらしいし、
 おそらくこれからも完璧には見抜けないだろうと思う。だから限界が来たら言ってくれ。
 レッスンもアイドルも。そのときに対応する」

 と言いました。

 確かに私は、今もレッスンやアイドルに対して、何一ついい感情を抱いていませんでしたが、
 これが限界なのかと考えるとわからなく、
 また、アイドルを辞めたところで行く先は実家なのだと考えると、そちらの方が地獄のように思えてきて、

「わかりました」と頷きました。
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:04:52.32 ID:GJMDUn0X0

 事務所につくと、無関心だったはずの世間は久しぶりの私の登場に、目を向け、
「元気だった?」「心配していたの」と声をかけてきたので、逃げるように机の下へと向かいました。

 横には変わらず、キノコさんが住んでいて、

「大丈夫だった?」と尋ねてきたので、

「大丈夫じゃあなかったんですけど……」

 と森久保は答えました。キノコさんは森久保のひねくれを見ても、気遣う姿勢を解かず、

「そうか。実は私のデビューライブもな……」

 自身のライブの失敗談を語り始め、それが終わると、
 私の机に居座り、そのまま二人、本を読み、キノコを育てました。
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:05:55.10 ID:GJMDUn0X0

 しばらくすると、プロデューサーさんがレッスンの時間だとやってきて、嫌がる森久保に、

「その顔は本気で嫌がっている顔じゃないな。ライブの時はもっと深刻な表情をしてた」      

 と言い放ち、私をレッスン室へと運びました。レッスン室ではトレーナーさんが私のことを待っていて、

「乃々ちゃんごめんね。プロデューサーさんから話を聞いたの」

 ひとこと、ふたこと申し訳なさそうに言うと、手を軽く叩いて、その話は一切終わり、

「じゃあレッスン始めようか」とステップを踏み始めました。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:18:24.22 ID:GJMDUn0X0

 レッスンが終わり、「じゃあまた明日」と寮まで送られ、
 部屋に戻り、ピアスを外し、私は、おかしい、と思いました。

 プロデューサーさんも、トレーナーさんも、キノコさんも、普段通りでした。
 それこそ初めは励ましのようなものもありましたが、それ以外は極めていつもどおりでした。

 疑ってしまったのに、キノコさんは今日も私の隣でずっとキノコを世話していました。

 ライブに失敗してしまったのに、トレーナーさんは笑顔で、優しくレッスンをしてくれました。

 アイドルに向いていないと告白をしたのに、プロデューサーさんは迎えに来て、冗談を言い、
 今も私にアイドルを続けさせようとしています。

 私はあの人達の期待を裏切ったのに、
 どうしてあの人達は私を笑わないのでしょうか。怒らないのでしょうか。見捨てないのでしょうか。

 あの人達が神の使いであるのなら、それこそ納得はするのですが、あの人達は人間です。
 
 あの人達にはいったい、何があるというのでしょうか。

111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:19:40.38 ID:GJMDUn0X0

 次の日からも、同じような日々が繰り返されました。
 私は事務所に行き、机の下に隠れ、時間が来るとレッスン室へと向かいました。

 私は三人を観察するようになりました。
 あの三人はどうして私を笑わないのだろう。
 いや実は既に心の中で笑っている。いつかは笑われる。私はかくれんぼを再開させました。
 
 今に私に呆れて、鬼のようなものが姿を現すに違いない。

112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:20:34.86 ID:GJMDUn0X0

 ですが、事態は変わりませんでした。

 私が隠れていると、キノコさんは私を匿い、ときには一緒になって隠れ、
 それを見つけたプロデューサーさんが、

「輝子、共犯はダメだぞ。そっちが森久保サイドにつくというなら、キノコたちは俺が人質として預かるからな」

 キノコさんがメタル化して、あまりの声の大きさに私が机から飛び出すと、
 プロデューサーさんに捕まってしまい、その話をすると、トレーナーさんが笑いました。

 私はそれこそ夢を見ているような気分でした。
 
 どうしてこの人たちは私に今まで通り接してくれるのでしょう。

113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:25:17.41 ID:GJMDUn0X0

 私はついに我慢できなくなって、ある日、わざわざ隣の机へと出向き、
 キノコの世話をしていたキノコさんに、「話があるんですけど」と改めて告げ、
 ぎゅうぎゅう詰めの机の下で、他の誰にも聞かれぬよう細心の注意を払って、

「キノコさんはどうしてまだ森久保と仲良くしてくれるんですか?」
「ど、どうしたんだボノノさん……い、いきなりそんな……何か疲れていることでもあるのか」

「森久保にはわからないんです。森久保はライブ中に倒れるという失敗を犯しました。
 いってしまえば、森久保は落ちこぼれのアイドルです。
 いや、アイドルにすらなれていないのかもしれません。

 その森久保に、キノコさんはいつも仲良くしてくれるじゃないですか。
 それがわからないんです。どうして森久保と仲良くしてくれるんですか。
 森久保と付き合っていても何もメリットもないのに」
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:27:12.01 ID:GJMDUn0X0

 キノコさんは少し考えてから、さも当たり前かのように言いました。

「む、難しいことはわからないけど、私たちは友達だろ。
 友達に、どうしてとか、メリットとか必要ないんじゃないかな」
 
 私は思わずキノコさんから顔を背けました。じわり、と私の心に何かが響いていました。
 それはピアスをつけたときの嫌な感触ではなくて、
 もっと落ち着ける、私が経験したことのないような感覚でした。
 
 それは照れでした。恥ずかしかったのです。キノコさんの口から「友達」という言葉が出たことが。
 
 それは輝きでした。まぶしかったのです。純粋無垢なキノコさんの瞳が。
 
 それは喜びでした。嬉しかったのです。その言葉が私に向けられたことが。
 
 キノコさんの言葉を借りるなら、それらは「友達」、「友情」でした。

 友達とは、友情とは、こんなにも美しく、優しいものだったのだと、
 私はそこに初めて、今まで見てきた友情とは異なる、本物の友情を見た気がしました。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:28:57.09 ID:GJMDUn0X0

 それから私はレッスン室へと向かい、トレーナーさんに、

「どうしてトレーナーさんは今でも森久保のレッスンを見てくれるのですか。お仕事だからですか」
 
 と尋ねました。トレーナーさんもまた、キノコさんのときと同じように、しばらく考えてから言いました。

「確かにお仕事ではあるけどね。単にお仕事としてだったら、他にも仕事なんてたくさんあるでしょ? 
 私はこの仕事が好きなの。なんていうのかな。
 レッスンに来ているアイドル達、上手くなりたいと思っているアイドル達の夢の手助け、応援かな。
 だから私はこの部屋に乃々ちゃんが来てくれる限り、ちゃんとレッスンを教えるよ」
 
 その言葉もあまりにも優しくて、心の中には先ほど感じた友情と同じようなものが広がっていて、
 私はトレーナーさんの顔を見れず、

「じゃあ森久保レッスン苦手なので、帰っていいですか……」

 トレーナーさんは「ダメ」と笑いました。
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:31:44.32 ID:GJMDUn0X0

 友情や応援。
 それは私が今まで見てきたものとは全く異なるものでした。

 友情に損得はなく、応援は誰かのための行為でした。
 そこに思惑のようなものは見えてきません。

 キノコさんもトレーナーさんも見返りを求めていない。私に期待をしていない。

 失意のどん底の中で、淡い光が見え始め、私は途方にくれました。

 私はその光を求めてもいいのですか。その光は消えてなくなったりはしませんか。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:32:39.39 ID:GJMDUn0X0

 私はひねくれていました。
 求めて手に入らなかったら、その時こそ、私は壊れてしまう。

 私はその光を追い払おうとしました。
 キノコさんやトレーナーさんが例外なだけで、世の中はきっとそんなに甘くない。
 そもそも二人は裏表のない単純な人だったじゃないですか。

 ですが、見えた光はあまりにもまぶしく、
 私は振り払おうとした力と同じくらいの力で、光を掴もうとしました。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:33:56.80 ID:GJMDUn0X0

 私は期待しました。人に対する二度目の期待でした。

 プロデューサーさん。仮面の見えない人。
 プロデューサーさんは私のことをどう思っているのですか。
 
 どうしてまだ私をプロデュースしているのですか。
 私に価値が残っているからなのですか。それとも他に何か理由があるのですか。

 私は笑われているんでしょうか。私は利用されていつかは捨てられてしまうのでしょうか。

 私を笑わないでいてくれますか。私を見捨てないでいてくれますか。

 私は、自分の全てを委ねた期待を、再びこの人へとかけました。
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:50:56.39 ID:GJMDUn0X0

 次の日、私は、隙こそあればプロデューサーさんに尋ねようの決心で、ピアスをつけ、寮を出ました。
 
 ですが、陽の光を浴び風に吹かれ事務所へと着くころには、
 私の決心はどこ吹く風で、「おはよう」とあいさつをするプロデューサーさんに、
 私は、「おはようございます」とだけ返し、机の下へと潜り込みました。

 その後も机の下からプロデューサーさんの隙を伺ってみたのですが、
 例えば昼食時やコーヒーブレイクなど長い休憩もありましたが、
 どの隙も、私が一世一代の大勝負を仕掛けるタイミングではないように思えて、
 なかなか言い出すことが出来ず、時間だけがいたずらに過ぎていきました。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:52:08.96 ID:GJMDUn0X0

 私の頭の中に、今日は都合が悪いです、明日にしましょう、
 と聞こえの良い言葉が出回り始めたころ、電話がなりました。

 プロデューサーさんの机のようで、プロデューサーさんがそのまま出ました。
 プロデューサーさんは電話越しに、「申し訳ありません」や、「どうかお願いします」を繰り返しました。
 仕事のミスをしたようでした。
 
 プロデューサーさんにしては珍しい、
 やっぱり今日のところはやめておこうと考えた矢先、
 プロデューサーさんの口から「森久保」と出たので、私は心臓を掴まれた思いになりました。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:53:56.71 ID:GJMDUn0X0

 プロデューサーさんは自身の失敗ではなく、私の失敗を謝ってくれている。

 そう思い始めると、あのときステージで見た、たくさんのお客さんたちの顔が、
 フラッシュバックして、つらくなって、申し訳なくなって、
 プロデューサーさんと同じ空間にいることが耐えられず、この場を逃げ出そうと考えてみたのですが、
 
 机の下からプロデューサーさんの目に見つからずに部屋を脱出するのは不可能でしたので、
 きつくにらまれるか、皮肉がたっぷり聞いた一言を言われるに違いないと、
 私はただただじっとしていることしかできなくなりました。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:55:16.08 ID:GJMDUn0X0

 やっぱり私はアイドルに向いていない。人とうまく関われない。

 そんな私が光を掴もうとしたことは甚だ勘違いも激しく、
 おこがましい行為だったのだと、電話のひとことひとこと、
 私の名前が出ることに怯え、気分がたちまち沈み込んでいくと、通話が終わり、
 プロデューサーさんがこちらへと向かってくる気配がしました。

 早まる鼓動、小さくなる身体。今に私は叱られる。見捨てられる。

「森久保ォ!」

 声がして、私の心は大きく飛び跳ね、私は恐る恐る振り返りました。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:56:27.80 ID:GJMDUn0X0

「やったぞ! 森久保! セカンドライブの場所と日付が決まったぞ!」
 
 プロデューサーさんは笑っていました。
 その笑顔は初めて会った時から変わらない、純粋な笑顔でした。
 
 どうしてこの人は、先ほどまで私のことで謝罪をしていたのに、今、笑っているのでしょう。
 
 どうしてこの人は、私のことなのに、自分自身の事のように、こんなに嬉しそうなのでしょう。

 どうしてこの人は、私にそんな笑顔を向けてくれるのでしょう。
 
 不安や混乱、嬉しさのようなものが混ざりあって、その高まった感情は涙となり、
 その涙を森久保はぐっとこらえて、私は、

「どうして」

 と尋ねました。
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:57:57.22 ID:GJMDUn0X0

「どうしてプロデューサーさんは私を見捨てないんですか、
 笑わないんですか、叱らないんですか。

 私は人の視線が苦手です。人の視線が怖いです。
 人前に立つとすごく緊張してしまいます。
 レッスンも真面目には受けませんし、時々机の下に隠れます。
 
 そしてデビューライブでは倒れてしまいました。たくさんの人に迷惑をかけました。
 私はどう頑張ってもアイドルになれない。向いていない。

 そんな私をどうしてまだアイドルにしようとするんですか。
 どうして私のことを自分のことのように喜べるんですか」
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:58:26.74 ID:GJMDUn0X0

 もう、放っておいてください。そう小さく呟いた森久保に、
 プロデューサーさんは身を屈め、わざわざ机の下まで入ってきて、私の頭を優しく撫でてくれました。

「なぁ、森久保。最初に俺がスカウトしたときに言ったこと覚えているか。俺が森久保をスカウトした理由」

「……勘ですか」
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 01:59:25.01 ID:GJMDUn0X0

「そう、勘だ。俺は森久保ならアイドルになれると信じて、アイドルにスカウトした。
 あのときも言ったと思うが俺はそういった自分の勘が外れたことはないし、今でも外れていないと思っているよ。

 ライブが始まる前、俺は森久保なら出来ると信じていると言った。
 もし過去に戻れたとして、あの場面がもう一度やってきても俺は森久保に同じ言葉をかけると思う。

 森久保がなんだかんだ言いながらも歌に踊りを頑張ってきたことを見てきたからだ。

 俺が今も森久保のプロデューサーでいるのはな、つまりそういうことなんだ。
 確かにあのライブは失敗したけれどな、それでも森久保は寮から出てきて、レッスンを再開させたじゃないか。

 俺はその森久保をちゃんと見て、森久保ならアイドルになれると今も信じているんだ。
 次のライブで失敗しても構わない。その次がある。また一緒に頑張っていこうじゃないか」
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:00:14.49 ID:GJMDUn0X0

 温かい何かが私を満たし、溢れてきました。

 それは私の涙でした。
 たくさんの感情が混ざっていたはずのそれは、
 プロデューサーさんの手の温もりが伝染したのか、ただただ温かいものへと変化していました。

 一度流れ出した涙は、長年の思いを全て吐きだすように、一気に溢れてきました。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:01:27.08 ID:GJMDUn0X0

 あぁ、この人は私に期待をしていない。
 ありのままの私を見て、その上で出来るかどうかを判断している。

 そこにあったのは、確信にも似た、信じるという行為でした。
 
 プロデューサーさんは私に期待するのではなく、私を信じてくれている。

 プロデューサーさんも、キノコさんも、トレーナーさんも、
 出会った時から変わらずに私を見てくれている。見方を変えないでいてくれている、見捨てないでいてくれている。

 私はプロデューサーさんに抱き着きました。
 プロデューサーさんも私のことを柔らかく抱きしめてくれました。
 私はプロデューサーさんの胸の中で泣き続けました。
 
 プロデューサーさんの手や胸、私の涙。
 
 一人で泣いた夜とは違い、そこには確かな温かさがありました。
 私はその温かさに、優しさのような、愛情のようなものを覚えました。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:02:51.96 ID:GJMDUn0X0
◇◇◇◇



◇◇◇◇
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:03:58.65 ID:GJMDUn0X0

 その日から私は、
 プロデューサーさん、キノコさん、トレーナーさんの顔をよく見るようになりました。
 
 彼らはいつも笑顔でした。
 視線が苦手だといって、本当に向き合っていなかったのは私の方でした。

 七月にリベンジライブが決まり、私は以前と同じようにライブ前のスケジュールをこなしていきました。

 レッスン前にかくれんぼをし、プロデューサーさんにレッスン室に運ばれ、
 身体が動かなくなるまでレッスンをする日々を繰り返しました。

 デビューライブ前と同じような日々に思われるかもしれませんが、そこには確かに違いがありました。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:04:59.53 ID:GJMDUn0X0

 毎日が楽しいです。寮や学校にいるときも常にレッスンや三人のことを考えてしまいます。

 一人で本を読むくらいならと、オフの日も事務所に遊びにいくことが増えました。

 その私を、キノコさんもトレーナーさんもプロデューサーさんも笑って受け入れてくれる。

 自分から人の元へと寄っていくのは初めての経験で、それを受け入れてもらうことも初めて経験でした。

 とても心地よい。嬉しい。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:05:54.15 ID:GJMDUn0X0

 ライブの日が近づくにつれて、レッスンは過酷さを増していきました。ですが、
 
 キノコさんが机の下からわざわざ駆けつけてくれる日もあって、
 
 トレーナーさんは私が苦手なステップが出来るようになるまで、ずっと付き合ってくれて、
 
 プロデューサーさんはそんな私のことをずっと見ていてくれました。私はそれこそ冗談で、

「しんどいです……むーりぃー」

 と叫ぶときはありましたが、心の中では満面の笑顔で。そしてその私の冗談に、

「何言ってるんだ森久保、まだまだ出来るだろ」

 と言い返してくれるのが、たまらなく嬉しい。時間はあっという間に過ぎていきました。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:07:21.73 ID:GJMDUn0X0

 いよいよ明日、私はステージに立って、歌に踊りを披露します。
 怖くない、と言えば嘘になります。
 
 私はまだ一人でいるときは誰かの視線や言葉に怯えてしまいます。
 正直、明日のライブが成功するという保証はどこにもありません。

 ですが、逃げ出したいという感情以上に、三人に感謝の気持ちを伝えたい。
 
 どん底へと落ちて、初めて見えた希望の光。
 私を見捨てず、いつも笑顔で迎え入れてくれる人達。三人は三人とも私にとって限りのない人達です。

 その三人が私のことを信じてくれている。応援してくれている。

 私のことを友達と言ってくれた。
 私のことを応援していると言ってくれた。
 私のことを見ていると言ってくれた。

 私はそれに応えたい。応えないといけません。

 三人に感謝を伝えたい。私はその気持ちを持って、明日のステージに立ちたいと思います。

               了
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:07:54.11 ID:GJMDUn0X0
◇◇◇◇



◇◇◇◇
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:08:59.01 ID:GJMDUn0X0

 暗闇の中、意識がやってくると、私はすぐにベッドから飛び出しました。
 
 窓からの日差しが部屋を明るく照らしていて、
 それこそ始まりの一日のような気持ちで洗面台へと向かいました。

 水色のピアスをつけるとずしりと嫌な感触。
 一瞬、身体が強張りましたが、こんなところで負けていてはダメだと、心を奮い立たせました。
 
 鏡に映る私は相変わらず、視線は真っすぐではなく横を向いていて、
 ひねくれた表情を浮かべていましたが、そこに涙は見えませんでした。

 私は、私は私なのだと、こんな自分を応援してくれる人がいる、と自分に言い聞かせて、洗面台を後にしました。

136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:10:10.19 ID:GJMDUn0X0

 外に出るとカラスの代わりにたくさんの蝉が鳴いていて、
 今日が絶好のライブ日和であることを告げていました。

 窓や街路樹から視線を感じましたが、そのたびに私は三人の笑顔を思い浮かべました。

 事務所に着くと、プロデューサーさんが私に、

「おはよう森久保気分はどうだ」

 と尋ねてきて、私は、

「緊張はしていますが、あのときほどではないです」

 と答えました。プロデューサーさんは、

「そうか。それはよかった」とほっとした様子で、「じゃあ、いこうか」と私の手を引きました。
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:11:12.30 ID:GJMDUn0X0

 会場へと向かう車の中、プロデューサーさんは他愛のない話を繰り返しました。

 やれ天気がどうなの、やれ輝子がどうだと。明らかにライブの話を避けていました。
 
 それは私が緊張しないようにという、プロデューサーさんの優しさでした。
 
 そのさりげない優しさが、どうも親から子へと向ける不器用な優しさのように思えてきて、
 それを一回り年齢が離れた親というよりもむしろ兄であるプロデューサーさんが、
 私へと向けてきているのが、可笑しくて、嬉しくて、つい私はひねくれたように、
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:12:09.28 ID:GJMDUn0X0

「プロデューサーさん……ライブ前だというのに、天気とかそういう話ばっかりして、
 森久保を緊張させないようにさせようとしてくれているのはありがたいんですけど、その配慮がバレバレなんですけど」
 
 と甘え、プロデューサーさんは顔を少し赤らめて、

「森久保ォ!そういうことは気づいていても言っちゃ駄目だろ! 
 どういう言葉かけていいか俺も悩んでるんだから」

 と笑いました。
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:12:55.46 ID:GJMDUn0X0

 ライブ会場は以前より、華奢な、言ってしまえば小さなライブハウスでした。
(それでも私には大きすぎるような気がしましたが)

 プロデューサーさんは私の前を歩いていき、関係者に挨拶をし、
 その背中にくっつくようにして私も頭を下げました。

 控室には応援に来てくれたキノコさんとトレーナーさんの姿があって、
 最後の確認だと、私は三人の前で軽く踊ってみせました。

「うん。大丈夫だ。よく出来てる」

 真っすぐな瞳で、プロデューサーさんが言いました。私はまた一つ、頼もしい気持ちになりました。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:14:58.70 ID:GJMDUn0X0

 本番開始三十分を切り、いよいよ会場は騒がしくなってきました。

 私は薄いメイクを施されながら、
 鏡越しに映る裏方の人達の視線、聞こえてくるお客さんの声、それらと戦いました。

 深呼吸を繰り返し、目を瞑ったりといろいろ試してみたのですが、次第に無視できなくなっていき、
 視線はきつく、声は大きく、鼓動は激しく、身体は重く、ピアスがじんと響きました。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:16:49.73 ID:GJMDUn0X0

 抱えた頭の中で、森久保が小さく笑いながら、私の元へとやってきて、

 やっぱり無理なんですけど。
 やっぱり森久保にはアイドル向いていないんですけど、と呟きました。

 アイドルに向いていない。人は常に私を見ている。私を試している。私を笑っている。
 だから今回も逃げ出して、それから考えようじゃないか。
 部屋で一人本を読んで過ごして、極力、人と関わらないようにしていけばいいじゃないか。

 その声に、訳がわからなくなりました。

 私は三人に感謝を伝えたいと思っている。三人の笑顔が浮かびました。

 森久保は逃げ出せと言っている。人々の嫌な声や笑顔が浮かんできました。

 では私は、私、森久保乃々は一体どうしたらいいのでしょう。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:17:57.23 ID:GJMDUn0X0
「大丈夫か?」

 振り返るとプロデューサーさんが立っていました。
 何も言えず、頭を小さく横に振ると、プロデューサーさんは私の頭を優しく撫でてくれました。

「見せたいものがあるんだ」

 プロデューサーさんはキノコさんを呼び、
 キノコさんはどこからか、大きな紙袋を持ってきて、私に手渡しました。

「ボノノさん、これ……プレゼント」

 包装を解いてみると、中から深緑色のドレスが姿を見せました。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:19:29.62 ID:GJMDUn0X0

「本当はぎりぎりまでサプライズにしたかったんだけどな。
 俺と輝子とトレーナーさんからのプレゼントだ。
 今日のライブで着てもらおうと思って。サイズは合っているはずだ」
 
 プロデューサーさんは、私とドレスとキノコさんを着替え室へと放り込み、キノコさんが、

「ボノノさんがレッスン終わってから……集まって……三人でボノノさんに似合う衣装を探したんだ……」
 
 と着替えを手伝ってくれました。深緑色のドレスをつけると、
 どこからか温かさが、三人の笑顔が浮かんできて、たちまち私の不安や恐怖をも上からつつみました。

「似合っている」
 
 着替え室から出た私を見て、プロデューサーさんが言いました。


144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:20:17.82 ID:GJMDUn0X0

「ありがとうございます」

 私はステージ端へと移動を開始しました。
 ステージへと一歩近づくたびに大きくなる声、熱気、強くなる鼓動、重くなるピアス。
 私はドレスの胸元をぎゅっと掴んで、

「プロデューサーさん」
「どうした森久保」

「私、緊張しています。相変わらず人の目は怖いです。
 ですがそれ以上に、私は歌って踊りたい。
 キノコさんに、トレーナーさんに、プロデューサーさんに、感謝の気持ちを伝えたい。
 ですから、見ていてください。私がアイドルになる瞬間を。私、頑張ってきます」

「あぁ、行って来い」
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:21:49.78 ID:GJMDUn0X0

 私はプロデューサーさんに背中を押されて、ステージへと上がりました。
 歓声が上がりました。「森久保―!」と叫ぶお客さんの声が聞こえてきました。

 赤、青、黄色、たくさんのサイリウムが目の前で振られていて、みんなが私を見ています。
 
 曲が鳴り始めました。お願い!シンデレラ。
 お客さんが息を飲み、その声が私に聞こえてきました。
 息が苦しくなりました。身体が重くなりました。ピアスがずしりと響きました。

 それでも私は倒れるわけにはいきませんでした。私は自分のドレスに目をやりました。
 深緑のドレスは私の動きに見事に合わさり、美しく映え、私を守っていました。

 お客さんが、私を見ている。ピアスを見ている。ドレスを見ている。
 身体が温かく、軽くなっていきました。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:23:11.07 ID:GJMDUn0X0

 イントロが終わり、客席に目を向けると、
 そこにはキノコさんにトレーナーさん、プロデューサーさんの姿がありました。
 三人とも私を心配そうに見つめています。
 
 心配するくらいなら笑っていてほしかったんですけど、と私はひねくれ、
 それと同時に、見てもらえているということがたまらなく嬉しくて、
 最初の鬼門であるウィンクのシーンが来ると、その三人に届けと、私はウィンクを飛ばしました。
 
 歓声がさらに沸きました。プロデューサーさん達はほっとしたように私を見つめていました。
 
 優しい笑顔でした。三人のその笑顔を、私は一生忘れないでしょう。

 歌に踊りを続けました。身体の重さはどこかへと消えていました。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:24:20.77 ID:GJMDUn0X0

 メロディが終わり、曲はサビへと入っていきました。
 
 最後の鬼門。二回目のウィンク。

 私はもう一度プロデューサーさん達に飛ばそうと、客席の奥にいるプロデューサーさんを見つめました。

 プロデューサーさんは笑っていました。
 その笑顔は、私の成長を喜んでくれている。そう確信できました。

 目が合ったことに気づくと、口パクで、
「お客さん」とプロデューサーさんが言うので、私は客席へと目を向けました。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:26:01.72 ID:GJMDUn0X0

 彼らは笑っていました。
 私を応援しているようでした。

 よく見ると、ライブで倒れた時に見た、お客さんの顔がちらほらと混ざっていて、
 私は、あのライブを見た後でもまだ私を応援してくれるのだと、
 プロデューサーさん達以外にも優しい人は世の中にたくさんいるのだと気づきました。

 歌が歌えず、身体は思うどおりに動かなくなっていきました。

 それは緊張や恐怖でなく、涙のせいでした。涙が、思いが、私の中からどんどん溢れていました。
 
 私は泣きながら、笑っていました。
 何とかこの気持ちを、不格好でもいいから、精一杯の感謝を伝えたくて、
 私は泣きながら笑顔で、客席へとウィンクを飛ばしました。

 そのぎこちないウィンクに、これでもかというほどの歓声が返ってきました。この日一番の大きな歓声でした。

 たくさんの人の笑顔が私をつつんでくれました。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:27:16.21 ID:GJMDUn0X0

「ライブ成功の思い出に何かプレゼントを」

 とプロデューサーさんが言うので、私たちはショッピングモールへと向かいました。
 アクセサリー店に入り、深緑色のピアスを見つけ、これがいいとプロデューサーさんに渡しました。

「ピアスでいいのか? お母さんから貰ったピアスがあるだろ」
「これがいいんです」 
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:28:18.14 ID:GJMDUn0X0

 駐車場へと向かう途中何人かの人々とすれ違いました。
 その人たちは私を見ている気がしました。
 水色のピアスを見ている気がしました。私とプロデューサーさんを見ている気がしました。

 ライブを成功させただけでは、私の恐怖はなくならないようでした。

 ですが、私は大丈夫でした。私は一歩、プロデューサーさんに近づきました。
 安心感が増しました。プロデューサーさんは変わらず、私の横を歩いてくれました。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:29:35.42 ID:GJMDUn0X0

 車に戻り、丁寧に施された包装を解き、ピアスを取り出しました。
 そのピアスは見れば見るほど、ドレスの色に似ていました。

「プロデューサーさん、このピアスを私につけてくれませんか」
 
 プロデューサーさんは私の方を向いて、わかったと私の耳に触れました。慎重な手つきでした。

 私は目を瞑りました。緊張はしませんでした。
 プロデューサーさんの温もりが私の冷たい耳に伝わっていました。

 様々な光景が曖昧なイメージとなって、頭の中で流れていました。
 その中にはクラスメイトや母の笑顔もありました。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:31:19.25 ID:GJMDUn0X0
 
 暗闇の中で私は手を伸ばしました。
 ゆっくりと慎重に伸ばした手は、プロデューサーの身体へと当たりました。
 
 固い身体でした。温かい感触でした。
 私は目を瞑ったまま、プロデューサーさんの身体を握りました。

 プロデューサーさんは何も言わず、水色のピアスを外し、それから深緑のピアスを私の耳へとつけました。
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:32:14.62 ID:GJMDUn0X0

 暗闇は明るい色を帯びていきました。
 それは赤や青や黄色で、サイリウムのようでした。

 お客さんやキノコさん、トレーナーさん、プロデューサーさんの笑顔が花のように、
 私の暗闇の世界の中で一気に咲いていきました。
 
 私は目を開けました。目の前にはプロデューサーさんがいました。
 プロデューサーさんは笑顔でした。出会ったころから変わらない、私の大好きな笑顔でした。
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:33:12.13 ID:GJMDUn0X0

「似合っているよ、森久保」
 
 プロデューサーさんが言いました。私は嬉しくて、涙をこらえながら、首を振りました。

「森久保ではなくて、乃々って呼んでくれませんか」
 
 プロデューサーさんは言いました。

「似合っているよ、乃々」
 
 私は本日二度目の涙を流しました。
 
 さよなら、森久保。

 それは決意の表れでした。私はその決意の元、これからの日々を過ごしていくつもりです。

『常に人に見られている』

『私を見てくれている人がいる』
 
『さよなら、森久保』
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/01/24(水) 02:33:44.09 ID:GJMDUn0X0


終わり
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 02:51:33.78 ID:fOJ6997c0
おつおつ
読んでてこっちまで苦しくなるくらい凄かった
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 12:23:34.49 ID:GJMDUn0X0
読んでくださり、ありがとうございました。
納得いかないところもありますが、自分の限界を書けた気がします。
読者様に何か一つでも残ってくれればうれしいです。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 12:46:20.59 ID:3CaXuSkfO
俺はお前が俺を見たのを見たぞ
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 15:13:11.40 ID:F5WN47av0
「面白いね」が死ぬほどつらかった過去の記憶がガガガがガガガ
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 18:46:38.56 ID:5FbOIr2U0
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 20:13:48.49 ID:iPfr7+yPO

部分的にではあるがとても共感できる森久保だった
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 20:25:54.46 ID:sb97Mw1Y0
乙ォ!
読んでてドキドキして面白かったです
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 21:36:56.02 ID:Z1KYmsMi0
乙です。
これは、タイトル的に、さよならアンドロメダがモチーフですか?
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 21:54:31.53 ID:GJMDUn0X0
さよならアンドロメダはモチーフではないですね。参考にしたのは太宰だったりします
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/24(水) 22:02:27.46 ID:r9bPfPqB0
道理で。恥の多い生涯を送ってそうなもりくぼだと思ったんだ
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/26(金) 21:58:24.04 ID:RSJrE0ns0
おつ とても良かったです
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