千早「賽は、投げられた」

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416 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:36:54.05 ID:90dRlIqZ0



"ずっと待っていた"。



今、なんて?

思わず、自分の耳を疑った。


聞き違いか何かだろうか。

隣に立つ、プロデューサーの顔を見る。

プロデューサーは笑って、前へ向き直るよう促した。

目の前に立つ人は、尚も言葉を続ける。


"如月千早のための歌を、贈るために"。


優しい笑顔で右手が差し出された。

一枚の、白いCD-ROM。
417 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:37:35.51 ID:90dRlIqZ0

震える手で、恐る恐る受けとる。

プロデューサーが音響機材の電源を入れる。


「聴かせていただくか?」


機材のランプが灯る。

私はおぼつかない手つきで、ディスクを入れるためのボタンを押す。

白いディスクをはめながら、遥か遠くのように思えるあの日を思い出す。

そういえばあの日、この人は確かに言った。

私のために、歌を書きたいと。
418 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:38:30.77 ID:90dRlIqZ0

「ずっと、気にかけてくださっていたんだ」


震える私の手を、プロデューサーの手が支える。

助けを借りて、ディスクは機材に呑み込まれた。

カラカラとディスクが回る音がする。

機材の左右に並ぶ、大きなモニタースピーカーへ顔を向ける。


「千早が立ち直ったら、どうしても渡したいものがある、って」


プロデューサーが、再生ボタンを押した。
419 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:41:17.75 ID:90dRlIqZ0


初めに聴こえたのは、ピアノの旋律だった。


優しく、私を抱きとめるような音が聴こえた。

暖かい音が、耳から全身へと伝わっていく。


「ダメです。この曲は」


私は、反射的にそう答えていた。


「ダメって、お前……」


プロデューサーが不意をつかれたような顔をする。

作曲家の方は表情を変えず、私をまっすぐ見つめる。


「この子は、ダメです」


こんなに優しくて、こんなに暖かくて。


「この子は、私のところなんかに来ては、ダメなんです」


こんなに、愛おしい子は。
420 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:43:20.16 ID:90dRlIqZ0

けれど、その人は迷わず答えた。

如月千早のところでなければダメだ、と。

その子は、如月千早に会うために生まれてきたのだ、と。


その時スピーカーから、産声を上げるように弦楽器が響いた。

私は、何も言えなかった。


「千早、歌えるな」

「……」

「歌って、くれるな?」

「……はい」


私はずっと俯いたままで。

顔を見られないよう、小さく頷くことしかできなかった。
421 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:44:00.37 ID:90dRlIqZ0

次の瞬間。

パチリ、と。

私の中で、ピースがはまる音がした。

機材の電源を落とすプロデューサーに、後ろから声をかけた。


「プロデューサー、さっき事務所で話そうとしたことですけれど」

「なんだ?」

「私、したいことが見つかったんです」


パソコンから取り出したCD-ROMを胸元に抱える。

大切に持ちながら、電話に遮られた話をする。


「へえ、何をしたいんだ」

「伝えたいんです、春香に」


さっき聴いた旋律を思い出す。

一度聴いただけなのに、脳裏から離れないメロディ。

それを思い浮かべるたびに、春香との日々を思い出す。

そして、彼女が最後に願ったことを。
422 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:44:26.69 ID:90dRlIqZ0

伝えたいんです。

私の気持ちを。


「だから、歌おうと思います」


きっと、今日の出会いは。

この子との出会いは、このために。


「そのために、お二人にお願いがあるんです」

「お願い?」

「この子の詞を、私に書かせていただけませんか」


二人は互いに、意外そうに顔を見合わせた。
423 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:45:10.39 ID:90dRlIqZ0

「私は、詞をうまく書けるわけではありません」


これまで筆をとったことは殆どない。

こんな素晴らしい歌に、そんな拙い詞を付けていいかも分からない。


けれど、これが一番の方法だと思ったから。

私の気持ちを届ける方法。

私の想いを、私の言葉で、私の歌で、全ての人に。

それが、春香が望んでいたことに、最も近づけると思った。

それが、春香との指切りに、最も近づけると思った。


「ご納得頂けるまで、何度でも書き直します」

「少しでも良くするために、どんな努力も惜しみません」

「だから……だから、お願いします!」
424 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:46:06.94 ID:90dRlIqZ0

「いやあ、千早は話が早くて助かるよ」

「え……?」


私の肩を、プロデューサーの手がぽんぽんと叩く。

下げていた頭を起こすと、目の前の二人はにこにこと笑っていた。


「実はもう一つ、ご依頼があってね」

「詞を、千早に書いてほしいそうだ」


プロデューサーの言葉に、初老近い作曲家の方は、少し皺を浮かべて笑った。

如月千早のための歌なのだから、如月千早の想いを込めてほしいと。


「奇しくも、お互いに同じことを考えていた、ってわけだ」

「いいんでしょうか、私で」

「たった今この口で、自分にやらせてくださいって言ったじゃないか」

「あぐ、あう」

「今更ノーは許されないぞ、千早」


プロデューサーが意地悪そうな笑みを浮かべて、私の両頬をぐっと押す。

不安を口にしようにも、まともに発音できなかった。
425 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:47:04.57 ID:90dRlIqZ0

プロデューサーの車で事務所へ戻る途中。

運転をしながら、プロデューサーが口を開いた。


「ああ、そうそう。千早の復帰ライブをやることが決まった」

「えっ!?」

「そのライブが、表立っての復帰後初仕事だ。気合入れろよ」

「あの、先ほどの歌は」

「そのライブでお披露目だ」

「……あまりにも、急では」

「千早が戻ってきてくれたのがみんな嬉しくて、ついつい張り切っちゃってね」


やや否定的な言葉とは裏腹に。

自分の心が、熱を帯びていくのが分かった。
426 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 16:47:34.07 ID:90dRlIqZ0

パズルのピースが、一つ一つはまっていく。


散々遠回りしてしまったけれど。

沢山の人に迷惑をかけてしまったけれど。


もう、迷わない。

私は、前へ進もう。


沢山の想いと共に。

私の想いと共に。


あの子が夢見た光景を。

あの子が願った光景を。


夢で終わらせないために。

私が、"する"ために。
427 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:27:18.09 ID:90dRlIqZ0

誰もが寝静まった頃。

私は一人、閉ざされた部屋にいた。


足元には、くしゃくしゃになった紙の山。

書いては捨て、書いては捨て。


「……自分の気持ちを表現するのが、こんなに難しいとは思わなかった」


自分以外誰もいない部屋でひとりごちた。

くすくすくす。

当然よね。

これまで私は、誰かに伝えるなんてこと、していなかったのだから。
428 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:29:32.86 ID:90dRlIqZ0

どれだけ書き続けていただろう。

投げ捨てた紙屑が何かに当たり、ころん、と音がした。


「あら、何の音かしら……」


筆を置き、我に返る。

すっかり固まってしまった身体を伸ばし、目線を上げる。

いつか固く閉ざした、重々しい扉。

その横に、人が通れるかどうかくらいの小窓があることに気付いた。


痺れる身体に鞭を打ち、立ち上がる。

小窓の中からは、何やら賑やかな喧騒が聴こえた。
429 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:30:10.33 ID:90dRlIqZ0

「ねーねー、千早お姉ちゃん。何書いてんの?」

「真美にも見せてよ!」

「ふ、二人とも肩に乗らないで……新曲の歌詞よ」

「えっ!? 千早お姉ちゃん新曲出すの!」

「あ、亜美、耳元でそんな大きな声……」

「ほんと!? みっせてみせてー!」

「ま、まだ全然できていないから」


やんちゃな二人に振り回されていると。

ふと、のしかかっていた二人の重さがなくなった。


「こーら、二人とも! 千早の邪魔しない!」

「ぎゃー! りっちゃん!」

「ごむたいなー!」


眉間に皺を寄せた律子が、二人を私から引き剥がした。
430 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:30:56.93 ID:90dRlIqZ0

「大丈夫よ、律子」

「そう? でも双子はさておき、手元は何やら行き詰ってるみたいじゃない」

「いざ歌詞を書くとなると……言葉ってなかなか出てこないものね」

「商用作詞なら兎も角、本当の想いを歌にするのは難しいわよね」


二人の襟をつかんだまま、律子は笑う。

掴まれた二人も、文句を言いつつ笑う。


「思ったことそのままずばーっと歌詞にしちゃえばいいじゃん!」

「亜美、それが出来たら千早も悩まないわよ」

「じゃあ真美も手伝う! 千早お姉ちゃんはどんな歌にしたいの?」

「どんな歌に……そうね」


私が歌詞に込めたいのは。
431 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:31:46.22 ID:90dRlIqZ0

「春香に教えてもらったこと……春香に伝えたいこと」

「千早お姉ちゃんってば、ほんとにはるるん好き好き人間ですなー」

「まぁた真美は人に勝手にあだ名付けて……」

「いいじゃん、りっちゃんはイチイチお小言さんすぎるっしょ」

「ふふふ、いいんじゃないかしら。あの子なら喜ぶわ」


はるるんなんて、あの子らしい可愛いあだ名。

誇らしげな真美を尻目に。

律子はため息をついてから、私を見た。


「なら、天海さんに会いに行ったらどう?」

「春香に?」


思いもよらぬ提案が、耳に飛び込んできた。
432 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:32:19.50 ID:90dRlIqZ0

「ここ最近、それに集中してて病院行ってないでしょ」

「言われてみると……」

「天海さんと会ってゆっくりすれば、少しずつ考えもまとまるかもしれないし」


確かに最近、あまり病院に行っていない。


「千早は一回悩むと、外に目がいかなるところがあるわよね」


私もだけど、と呟く声が聞こえる。


律子に言われて気付いた。

たまに会いには行っているけれど。

最後に春香とゆっくり向き合ったのはいつだっただろうか。

ノートを受け取った時?

みんなと涙を流した時?
433 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:32:56.40 ID:90dRlIqZ0

「亜美も行く!」

「真美も真美も!」

「何言ってるの、二人とも邪魔しないの!」

「えーっ!?」

「なんでー!?」

「あんた達、今までの話の流れ分かってた!?」

「ごめんなさい、二人とも。行ってくるわ」


ぽんぽんと二人の頭を撫でる。

二人とも口をへの字にしつつも、渋々納得したようだった。


「今度は亜美達も行くかんねー!」

「抜け駆けは許さないっしょ!」

「はいはい。その時は一緒に行きましょう」


もう、可愛い頬を膨らませて。

何気ない幸せを背にして、事務所を出た。
434 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:33:26.65 ID:90dRlIqZ0

春香の病室に入ると、思わぬ先客がいた。


「あら、千早ちゃん」

「あずささん、どうしてここに?」


小さな寝息をたてている春香の横で。

丸椅子に腰かけたあずささんが、にこにこと振り向いた。


「時々お見舞いに来てるのよ」

「お知り合いだったんですか?」

「うーん、お話ししたことはないけれど」


あずささんは頬に手をやり、考え込むように首を傾けた。
435 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:34:55.19 ID:90dRlIqZ0

「春香ちゃんは、私たちのことをよく知っているんでしょう?」

「はい」


私が事務所で感じたこと。

みんなと共有した感情や経験。

それらを全て聞いてきた春香は、もう一人の私と言ってもいい。


「それに、仲良くしたいと思って……くれていたのかしら?」

「……はい」


事務所のことを聞くたびに。

春香は自分もその輪の中に入りたいと思っていたのだろう。

夢のノートにもそんな日々を書き連ねて。


「みんなの話をするたびに、目を輝かせていました」


誰かが体調を崩せば心配して。

誰かが前に進めば両手をあげて喜んで。

まるで、自分自身の友達のことのように。
436 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:46:44.92 ID:90dRlIqZ0

「なら、今度は私たちがお話を聞いてあげないとね」

「きっと、春香ちゃんも話したいことが沢山あるんじゃないかしら」


あずささんは春香を見て微笑んだ。


「私たちのことをよく知っていて」

「こんなに辛い中で、私たちと仲良くしたいと思ってくれて」


あずささんが優しく春香の頬を撫でる。

慈しむように、優しく優しく。

春香を見つめるあずささんの目は、僅かに潤んでいた。


「私たちも春香ちゃんと、お友達になりたいの」

「というより、どうしてか他人には思えないのよ」

「ずっとずっと……一緒にいたみたいで」


あずささんがそう呟いた時。

病室の扉を、誰かがノックした。
437 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:47:16.70 ID:90dRlIqZ0

「入っても大丈夫ですか?」


確認してから恐る恐る入ってきたのは、萩原さんだった。

急須と湯呑が載ったお盆を持って。


「あ、千早ちゃんも来てたんだ」

「萩原さんも一緒だったのね」

「だって、あずささん一人だと……」

「あ、あら?」

「……ふふふ、なぁんて。私も春香ちゃんに会いたくて」


そう言って、三人で小さく笑った。
438 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:47:52.37 ID:90dRlIqZ0

「二人のお邪魔しちゃ悪いよね」

「そんな、気を遣わなくても」

「いいのよ。私たちも結構ゆっくりしちゃったから」

「このお茶、二人で飲んでね。それと……」


そう言って、萩原さんは鞄から小さな箱を出した。


「貰い物だけど、和三盆。すっごくお茶に合うから」

「ありがとう、萩原さん」

「春香ちゃんって、甘いもの好きかな?」

「好きだと思うわ、お菓子作りが趣味ですし」

「わあ……。だったら今度、和菓子も作ってくれないかな」


あれこれと妄想を膨らませる萩原さん。

ええ、きっと美味しい和菓子を作ってくれるわ。

自分のお菓子を萩原さんに食べてもらいたい、と言っていたから。
439 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:48:18.69 ID:90dRlIqZ0

「それじゃあ、私たちは行くね」

「千早ちゃん、また事務所でね」

「はい。あずささん、萩原さん、また」

「うん、またね。ってあずささん、入り口はこっちですぅ!」

「あ、あらあら〜?」


慌ててあずささんの服を引っ張る萩原さん。

ふふふ、どこであっても賑やかな事務所。

こんな中に春香まで増えたら。

それはそれは、きっと大変なことになるでしょうね。


「それじゃあ、萩原さんのお茶とお菓子をもらいましょうか」


春香に声をかけると、すぅすぅと返事があった。

全く、春香ったら寝坊助なんだから。
440 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:56:36.64 ID:90dRlIqZ0

あずささん達が開けたのだろうか。

窓から風が吹き込み、私たちの顔を撫でる。


「髪、乱れちゃったわね」


春香の前髪をかき分けながら、小さく笑う。


「私、今、詞を書いているのよ」

「なかなか自分の気持ちを言葉にできなくて」

「難しいのね、歌にするって」


お茶を一口啜る。

ほんのりと柔らかく。

茶葉の甘味が、口内に沁みた。
441 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:57:06.51 ID:90dRlIqZ0

「いっぱい、いっぱいあるのに」


湯呑みを持つ手に力が入る。


「あなたに伝えたいこと」

「あるのに、分からなくて」

「なんて歌ったら、この想いが伝えられるのか」


ペンを握りしめて。

紙を握りしめて。

それでも、あなたに伝えるコトバは出て来ない。

溢れかえりそうな想いも、その形を成さない。


「私、一人じゃ何もできないのね」

「あなたが一緒にいた時は、何でもできる気がしたのに」


あなたが、隣にいただけで。
442 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:57:32.19 ID:90dRlIqZ0

「高校で一人ぼっちになった時」

「夢の中で会った時」


初めてあなたに出逢った時のことを思い出す。


「あれからもう、随分経ったような気がする」

「あの頃は、あなたの名前すら知らなかった」


あなたはいつも、千早ちゃん、千早ちゃん、って。

楽しそうに私にくっついてきて。


「そしてあなたは、たくさんのものをくれた」


私に足りなかったもの。

私が欲しかったもの。

心のどこかで、私が望んでいたもの。
443 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:58:09.77 ID:90dRlIqZ0

「でも、皮肉ね」

「そんなあなたから沢山の言葉をもらったのに」

「いくら春香の名前を呼んでも、私の声は届かない」


こうして、手を握れるほど傍でも。

私の声は、彼女に届かない。


「届かないんじゃない」

「届けられない」

「あなたの名前を呼んでも」

「その後に伝えたい言葉が出て来ない」


どうして。

伝えたい気持ち、こんなにあるのに。

感情は波濤のように溢れかえっているのに。

それをコトバにしようとすると、泡沫のように消えてしまう。


想いとコトバが一致せず。

私の中で、奇妙な違和感がせめぎ合う。
444 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:58:36.36 ID:90dRlIqZ0

ピタリと、思考が止まる。


「痛っ……」


ピリッと、小指に刺激が走った。

見ると、小さく赤い筋。

湯呑みを置いて手を引っ込めた時、傍の紙で切ってしまったらしい。


「いたた……絆創膏、持ってたかしら」


鞄の中を探る。

絆創膏を探しながら、私はあることを思い出していた。


「そう言えば、指切り、したわね」


真美と。

そして、あの子と。
445 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:59:02.05 ID:90dRlIqZ0

「あの子……?」


見つけた絆創膏を貼りながら。

自分で、自分の言葉に疑問を抱いた。

あの子とは、誰のこと?


「誰って、春香でしょう」


今、目の前で眠っているこの子?

本当に?


「ええ、本当よ、何を言っているの?」


天海春香なんて子、ずっと知らなかったのに?


「そんなことないわ、私はずっと――」
446 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 19:59:49.24 ID:90dRlIqZ0

――違う。

そこまで考えて、はたと気づいた。


「私は今、誰に向けて詞を書いているの?」


天海春香という少女に向けて?

今、目の前で眠っているこの少女に向けて?


「違う」


私が想いを伝えたいのは。

目の前で眠る、この子だけじゃない。


あの日、泣きながら扉の向こうへ去ってしまったあの子。

ずっとずっと、私の名前を呼んでいてくれた。

名前も知らない、セミショートの髪の女の子。


「そうよ」

「私が想いを伝えたいのは、あなただった」
447 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/17(火) 20:00:24.50 ID:90dRlIqZ0

あの日、天海春香と言う名前を知って。

私は、その名前に囚われてしまっていたのかもしれない。


天海春香に、伝えなきゃ。


そう思いながら私は、病室で眠るこの子としか向き合っていなかった。

けれど、私の想いの奔流が向かう先は、今ここにはいない、あの子で。


私が、何よりも伝えたかった想いは。

あの日の指切りの先で。

あの日の涙を拭ってあげることで。


「そうだった、こんなに簡単なことだったのね」

「……大間抜けで、ごめんなさい」

「もう少し、待っててね」


私は椅子から立ち上がり、窓の外に目をやった。

夕日が、いつにもなく眩しく見えた。
448 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/25(水) 18:00:09.30 ID:H5ZWumHa0

病院を後にして自宅へ帰る途中、真と美希に会った。


「やあ、千早。病院帰り?」

「ええ、お見舞いと悩み相談に」

「千早さん、悩み事があるの? ミキ、千早さんのためならいつでも力になるよ」

「ありがとう。大丈夫よ、歌詞を考えるのに行き詰ってただけだから」


不安げな美希が顔を覗き込んでくる。

こんな表情にさせてしまうことを申し訳なく思いつつも。

心配されることを少しだけ、嬉しく思う自分もいる。

安堵に綻ぶ彼女の表情は、その髪の色のようにきらめいていた。
449 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/25(水) 18:00:47.53 ID:H5ZWumHa0

「二人は事務所からの帰りかしら」

「ううん、服だったりなんだったり、美希に色々教えてもらってたんだよ」

「真君とデートしてたの!」

「なるほど。お邪魔だったみたいね」


慌てて否定する真に、しな垂れかかる美希。

当たり前のような光景で笑えることが。

とてもとても、暖かくて。


「で、悩みは晴れたのかい?」

「お陰様で。今から帰って、考えをまとめるところよ」

「千早さんが頑張ってると、ミキ、なんだか嬉しいな」


三人での他愛ない会話。

自然に込み上げてくる笑い声。

しばらく忘れていた"生きている実感"が、心の中で優しく跳ねる。
450 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/25(水) 18:02:10.64 ID:H5ZWumHa0

「千早さん、春香はまだ寝てるの?」


去り際、不意に美希が春香の名前を口にした。


「ええ。今日も会ってきたけれど……」

「むー……さすがのミキも、ここまでお寝坊さんじゃないよ」

「美希のはただの怠けじゃないか」

「違うの。個性って言ってほしいな」


そういって胸を張ってから、美希は口を尖らせた。


「千早さんも春香に、早く起きてって言っておいて。一緒に服買いに行かなきゃだから!」

「服を?」

「ここ数年、あまり買ってないんだって。若いコはおしゃれしなきゃなの!」

「プロデューサーが言っていたのかしら」

「天海さんのお母さんが教えてくれたんだよ。そしたら美希、張り切っちゃってさ」


聞くと、他のみんなも時々、春香のお母さんと会うことがあるらしい。

春香の存在が少しずつ、私たちの輪の中で当たり前になっていく。
451 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/25(水) 18:03:44.26 ID:H5ZWumHa0

「っとと、あまり引き止めちゃうと折角まとまってきた考えが飛んじゃうかもね」

「それはダメなの! 千早さん、また事務所でね!」

「またね、二人とも」


手を振り、二人の後姿を見送る。

並んで仲良く歩いて行く姿に、いつかの自分とあの子を重ねる。


あの子がどんなに辛くても。

何を抱えていたとしても。

何を隠していたとしても。


あの時、二人で手を取り合って笑っていたのは。

隣り合って、背中を合わせて温もりを感じていたのは。

その時のココロは、決して嘘なんかではなくて。


あの子が願っていたこと、夢見たことは。

決して虚像などではなくて。


私が書くべきは、その肯定なのだ。
452 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/25(水) 18:05:33.50 ID:H5ZWumHa0

書いては、捨て。

書いては、捨て。

相変わらず紙屑の山々が峰を成す。

しかし、昨日までとは決定的な違いがった。


「書きたいことは、決まった」


伝えたいメッセージの芯ははっきりした。

あとはそれを適切な言葉で表現するだけ。


「その、だけ、が難しいのよね」


昨日まではそもそも何について書くかで悩んでいた。

今度は、どの言葉を使うべきかで悩んでいる。


それはさながら、パズルのようで。

昨日までは白一色だったピースに、絵柄が浮き上がる。
453 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/25(水) 18:06:26.95 ID:H5ZWumHa0

嬉しかったこと。

怒ったこと。

哀しかったこと。

楽しかったこと。


一つ一つ、思い出のピースを繋げていく。


家族との思い出。

独りの思い出。

春香との思い出。

事務所のみんなとの思い出。


言葉を掛け合わせて。

コトバを通い合わせて。

あの時、私が彼女に伝えるべきだったメッセージたち。

そして、自分に誓う、自分に捧げる、メッセージたち。
454 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/25(水) 18:07:48.64 ID:H5ZWumHa0

あの日閉ざした扉に、もう錠前はかかっていなかった。

けれども、この扉はまだ、私の部屋から出て行くだけ。

色彩豊かな世界へ、私一人が飛び出していくだけ。

この扉を開けても、あの子の部屋へは繋がらない。


私はまだ扉を開けない。

否定ではない。

退廃でもない。

諦観でも、悲観でもない。


ただ、"その時"を待っている。


私が開けるべき、その時を待っている。


この扉があの子の部屋へと続く、その時を。
455 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/25(水) 20:43:50.32 ID:a1sjFRziO
待ってた応援してます
456 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/05(土) 04:47:32.38 ID:ok1qr9s30

「何をうだうだ悩んでるのよ」


事務所で、ルーズリーフに文字を書き殴っていた背後から。

やきもきしたような高い声が背中を押してきた。


「うじうじしてるからいつまで経っても進まないのよ」


振り向けば案の定、じれったいと言わんばかりの表情の伊織。

その後ろには、やれやれ、といった面持ちの我那覇さん。


「まずはバーッと書いちゃってから悩みなさいよ。全然進んでないじゃない」

「伊織、千早には千早のペースがあるんだからさ」


そう言いながら、我那覇さんは伊織の肩越しに私の目を見て、にやりと笑った。

その顔を見て、彼女の意図を察する。
457 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/05(土) 04:48:33.79 ID:ok1qr9s30

「さすが我那覇さん、いいこと言うわ」

「伊織は自分勝手だからなー」

「いつの間にか人を悪者みたいにしてるんじゃないわよ!」


口を尖らせてぽかぽかと叩く伊織。

口先だけ痛い痛いと、楽しそうに笑う我那覇さん。


それを見ながら、私は紙に向かっているふりをして。

私はいつの間にか、こんな人になっていたんだと。

視界の端で、窓に映る自分を見て。

こんな風に笑うようになっていたんだと。

改めて、気が付いた。
458 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/05(土) 04:49:26.34 ID:ok1qr9s30

「そこ、こういう言い回しもいいんじゃない?」


我那覇さんが私のペンを手に取って、紙の端にすらすらと記す。

書かれたフレーズを、頭の中で反芻する。

あれほど思い悩んでいた空間に、空気が漏れる隙間もないほどぴったりと収まった。


「へぇ……やるわね、響」

「へっへーん、こう見えて自分、本とか結構読んでるからな!」

「我那覇さん……こう見えて、とか自分で言うことなのかしら」

「人からどう見られてるのか、自覚はあるみたいね」

「……あれ? 今度は自分がいじられてるのか!?」


先ほどとは立場が変わって、伊織がお腹を抱えて笑う。

釣られて私も、声を出して笑う。
459 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/05(土) 04:50:14.84 ID:ok1qr9s30

自分の歌として、春香へのメッセージとして。

自分の力だけで書き切らなければならないと、少なからず考えている自分がいた。


「そんなことないわよ」


伊織の返事。

思わず考えが口から漏れていたらしい。

慌てて口を塞ぐと、今度は私が二人に笑われる番だった。


「いいじゃない、本当に伝えたい、大切なことさえはっきりしてれば」

「最後の最後に、千早が本当にいいと思える言葉が連なれば、それでいいと思うぞ」


まだまだ頭が固い、と小突かれる。

これでもだいぶ柔らかくなったつもりなのだけれど。

でも、背負い込みやすい悪い癖が、また出ていたのかもしれない。

自分一人で抱え込む日々は、もう終わったのに。
460 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/05(土) 04:52:03.07 ID:ok1qr9s30

伊織と二人で、これまで書いた詞を読んでいると。


「千早を手伝いたいってだけじゃなくてさ」

「自分が春香にできることって、これくらいしかないから」


我那覇さんがぽつりと呟いた。

その表情は、微笑みと、憂いと、切なさと。

色んな感情が混ざった、不思議なものだった。


「千早が春香に伝えたいこと、ちょっと分かる気がするんだ」

「でしゃばるなって言われるかもしれないけど」

「自分もさ、それでいいんだよ、って、言ってあげたくて」


表情の中に切なさが増す。

少し顔を俯けて、我那覇さんの肩が微かに震えた。
461 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/05(土) 04:53:09.94 ID:ok1qr9s30

静かに我那覇さんを抱き締める。

その身体は肩と同じように、小刻みに震えていた。


「辛くても、怖くても、精一杯頑張ろうとして」

「そんな春香の想いが、間違ってるわけないって」


そうよね、本当に、本当に。

そんな私の思いも、我那覇さんに伝わって。

私を抱き返す我那覇さんの腕に、力が入って。


「当たり前じゃない、そんなこと」


文字に起こせば、いつも通りのぶっきら棒な言葉。

でもその声色は、泣く子をあやす、優しい音色。


「絶対に、間違いなんかじゃない」

「間違いにさせちゃ、いけないでしょう」


自身の胸にも染みこませるように。

伊織は、小さく小さく囁いた。
462 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/12(土) 20:53:55.64 ID:UwCpiQvo0

私は書き連ねる。

春香に伝える言葉を。

私は筆を走らせる。

自分への誓いを記すために。


悩みながら、戸惑いながら。

それでも、自分がしたいことを。


使命ではなく。

義務ではなく。

作業ではなく。

仕事ではなく。


私が、したいから。

私が、するから。
463 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/12(土) 20:58:38.63 ID:UwCpiQvo0

消しゴムで消す。

シャープペンシルで書く。

ふと逡巡して手が止まる。

書いたばかりの字をぐしゃぐしゃと書き潰す。


幼子が初めて歩こうとするみたいに。

誰に命じられたわけでもないのに。

転んで、泣きながら、それでも歩こうとする。

立ち上がろうとする。

私の筆は、まさにそれだった。


言葉が現れる度、様々な思い出が過ぎる。

その度に、笑みが零れる。

涙が零れる。


日記を書く春香も。

こんな気持ちになることが、あったのかしら。
464 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/12(土) 21:08:12.80 ID:UwCpiQvo0

「千早さん、コーヒー飲みますか?」

「ありがとう」


高槻さんに差し出されたマグカップ。

私の手には、少し熱い。


「だいぶ書き上がってきたようですね」


おっかなびっくりコーヒーを受け取ると。

隣からは、四条さんの声。


「ほんとだ! いっぱい書いてあります!」

「ええ、あと少し」

「楽しみですね、完成が」


私が書いたフレーズを、高槻さんの指が楽しそうになぞる。
465 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/12(土) 21:16:39.30 ID:UwCpiQvo0

少しの気恥ずかしさと、僅かな誇らしさ。


「今迷われている部分、このような言葉ではどうでしょうか」

「そうですね、確かにしっくり来ます」


四条さんの言葉を受けて、一言書き加える。

我那覇さんにアドバイスを受けてからは、みんなからも時々助言をもらう。


単に参考になるというだけでなく。

私は一人じゃない。

私一人の身勝手な想いじゃない。

そう、みんなが肯定してくれている気がして。

春香のことも、肯定してくれている気がして。


みんなが傍で笑ってくれる度に。

私の胸は、ぽかぽかと暖かくなるのだ。

これはきっと、高槻さんがくれたコーヒーのためだけじゃなかった。
466 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/31(木) 01:13:43.05 ID:D6l+5lRj0

「ライブのお客さん、一体何人くらい来るかしら」


会場のキャパシティは三千人ほどと聞いている。

千人か、百人か、十人か、一人か。

それが何人であろうとも。

その日、そこにいてくれる人は、ずっとずっと私を待っていてくれた人。

こんな私のことを、心に留め続けていてくれた人。


「きっといっぱい、いーーっぱい来ます!」

「みんなみんな、千早さんのことを待ってたんですから!」


高槻さんが両手を広げてぴょんぴょんと跳ねる。

いっぱい来てくれるかしら。


一人でも多く来てほしい。

私のことを考えてくれていた人に、一人でも多く謝りたい。

そして春香だけでなく、一人でも多くの人に伝えたい。

私の、決意を。
467 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/31(木) 01:14:09.22 ID:D6l+5lRj0

「さて、私は雑誌を読むことにいたしましょう」


くすりと笑って、四条さんが手元の本に目を落とす。

その意図を察して、高槻さんがあわあわと慌てながら言い繕う。


「あっ、えっと、その、あの、お掃除! お掃除するんでした!」


話している間、私の手が止まっていたことに気付いて。

そんなこと、気にしなくてもいいのに。


「ふふふ、ありがとう」


聞こえないかもしれない音量で、小さく呟く。

ちらりと視線をやると、二人とも小さく笑っていた。


コーヒーを一気に飲み干す。

カフェインが、頭の中の霧をまたたく間に散らしていった。
468 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/31(木) 01:14:40.08 ID:D6l+5lRj0


書く。

消す。

書く。

消す。

書く。

書く。

消す。

書く。

書く。

書く。

消す。

書く。

書く。

書く。

書く。

書く……。

469 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/31(木) 01:18:12.45 ID:D6l+5lRj0


筆を走らせる手から、徐々に迷いがなくなっていく。

積み重ねてきた時間が、形のない想いに追いついていく。


「結局、最初から私にはこれだけだったのかもしれないわね」


そして私は、筆を置いて。

想いを書き終えた紙を片手に、私は扉の前に立つ。

扉に画びょうで貼り付けられた、すごろくの紙。


「もう少し、もう少しだけ待っていてね」


紙を右手で撫でながら。

その奥の扉の、更に奥に手を伸ばしながら。


「今、届けに行くから」


右の拳を握り締める。

中に、硬く四角い感触。

その拳の中には、ひとつのさいころが握られていた。
470 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/31(木) 01:20:53.69 ID:D6l+5lRj0

「歌詞、書けたんだって?」


レッスン場に向かう前、事務所に立ち寄るとやや不安そうな面持ちのプロデューサーがいた。


「ご心配をおかけしてすみません、ですがお陰様で、納得のいくものが書けました」

「それはよかった、けど……本番、大丈夫だよな?」


プロデューサーがカレンダーに目をやる。

ライブの日までは、もうあまり長くはない。


「大丈夫、だと思います」

「お、思います?」

「今からレッスン場で、初めて通しで歌うんです」


私の答えに、プロデューサーの表情がみるみる暗くなる。
471 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/31(木) 01:21:07.20 ID:TBD3uf/3O
蘭 子「混 沌 電 波 第170幕!(ち ゃ お ラ ジ第170回)」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1527503737/
472 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/31(木) 01:26:04.60 ID:D6l+5lRj0

「ほ、本当に大丈夫なんだよな? 場合によっては――」

「大丈夫です」


言葉を阻まれ、プロデューサーの身体が固まる。


「プロデューサー」


改めて声をかけると、再びプロデューサーの身体が時間を刻みだした。


「今から少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「今からか……うん、二時間くらいなら」

「でしたら一緒にレッスン場へ。聴いていただくのが、一番早いと思いますから」


少し怖い、でも大丈夫、いやしかしやはり少し怖い、でもでも。

プロデューサーの表情が、そんな様子でころころと変わる。


「分かった、じゃあ、行こうか」


プロデューサーは最後に小さく、よし、と覚悟を決めるように呟いた。
473 :sage :2018/06/01(金) 22:25:00.43 ID:S9YwWX1m0
面白い
474 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/06(水) 23:53:49.85 ID:t5R96Tej0

レッスン場には二人きり。

人が少ないレッスン場は、音が響く。

自分の声出しが小さなこだまのように聞こえる。


「この光景、久しぶりだな」

「プロデューサーに来ていただくのは本当に久しぶりですね」


レッスン場に、プロデューサーと二人。

以前、何度も見てきた光景。


また、この当たり前だった光景を目にできることが。

諦めていた奇跡の景色にも見えて。
475 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/06(水) 23:57:55.73 ID:t5R96Tej0

「声もだいぶ戻ったみたいだな」

「八割方、といったところでしょうか」

「やっぱり千早はすごいな、この短期間で」

「トレーナーさんのお陰です」


力量はかつてに及ばずとも。

今の私の声は、これまでの人生で最も伸び伸びとしている。

あー、あー、と声を出すだけで。

ココロが確かに満たされていくのが分かる。


プロデューサーの表情にも、先ほどの暗さはない。

幾度となく見てきた、いつもより少し険しい、仕事の顔。


「それじゃあ、準備はいいか?」


プロデューサーはしゃがみ、足元のプレイヤーに手を伸ばす。


「はい、いつでもどうぞ」


カチッと、ボタンが押される音が聞こえた。
476 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 00:11:02.81 ID:2wO2LAJL0

ピアノの旋律が聴こえる。

つい先日届いたばかりだという、本番用の音源。

以前聴いたテスト音源ではない。


視覚を断ち鋭敏になった聴覚に、音が響く。

生の音が。

生きた音が。

指先から二の腕を伝って肩へ。

足先から脛、太股を伝ってお腹へ。

腰から背筋を伝って、首筋から頭のてっぺんへ。

ピアノの弦が弾けるたびに、つつぅっと音が登っていく。


目を開くと、正面にプロデューサーがいた。

目と目が合う。

私は、微笑んで。


静かに、口を開いた。
477 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 00:23:18.65 ID:2wO2LAJL0


歌を口ずさみながら。


私は、短くも長いこれまでの十数年を。


一人、旅していた。

478 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 00:28:46.25 ID:2wO2LAJL0

距離にして十数年。

時間にすればあっという間の数分。

小さな旅を終え、目を瞑って息をつく。


「プロデューサー、いかがでしたか」


返事はない。

薄らと目を開けると。

柔らかく微笑みながら、一筋の涙を流すプロデューサーがいた。

余韻を噛み締めるように間を置いてから。


「何だか、懐かしいな」


隠そうともせず、目元をハンカチで拭う。


「聴きながらね、いつかの合唱コンクールを思い出したよ」

「懐かしいお話ですね」

「ああ、あの時もこんな風に泣いてしまったんだった」

「それは初めて聞きました、そうだったんですか?」

「男の口からは、あんまり泣いた話はできないもんだよ」


そう言って笑ってから。


「でも、あの時よりずっとずっと、優しい歌だった」


私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
479 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 00:31:20.62 ID:2wO2LAJL0

「心配は杞憂だったな」

「でしたら、何よりです」

「とはいえ、まだ改善の余地はあるな、まず……」

「あ、ちょっと待ってください」


仕事の頭に切り替わったプロデューサーを制して。

私は、出口に歩み寄る。


「どうしたんだ?」

「いえ」


ドアを開ける。

と、ばたばたと何かが次々に倒れ込んできた。


「子猫が迷い込んでいたようなので」


我ながら意地の悪い笑みを浮かべつつ足元を見ると。

あっ、という表情で固まっている子猫が、何匹か転がっていた。
480 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 00:35:14.89 ID:2wO2LAJL0

「おやおや、これはこれは」


プロデューサーも笑みを浮かべて歩み寄る。


「ドアの向こうから、何やらガタゴトと音が聞こえたもので」


そう言って二人で笑っていると。

足元から不満げな鳴き声が聞こえてきた。


「うがー! だって千早、水くさいぞ!」

「千早さんが一生懸命書いた歌、ミキ達だって聴きたかったの!」

「亜美達にナイショで、兄ちゃんだけずっこいよ!」

「私は別にズルいなんて思ってませんけど、ちゃんと把握しておく義務がありますから!」


我那覇さんに美希、亜美に律子。

四人が、ひっくり返ったまま文句をたれていた。
481 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 00:55:38.04 ID:2wO2LAJL0

「ちょっと面白い四人組だな」

「律子まで一緒になって……」

「わ、悪い!? 私だって気になるものは気になるんだから!」

「それに四人だけじゃなかったの」

「さっきまでみんないたんだぞ」

「でもスタコラサッサーって逃げちったんだよ」


矢継ぎ早にあれやこれやと弁明されて。

流石の私も、思わず声を出して笑ってしまった。


ああ、ここだ。

ここが、私の居場所だ。


笑いながら出てきた涙。

拭いたくない涙というものもあるんだと。

この事務所が、みんなが。

初めて教えてくれたんです。
482 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 02:28:03.49 ID:2wO2LAJL0


想いを形にして。

ココロを歌に変えて。


準備は整った。

あとは、その日を迎えるだけだ。

483 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 02:40:17.72 ID:2wO2LAJL0

復帰ライブが決まった当初。

世間の反応はそれぞれだった。

音楽誌、スポーツ紙、ゴシップ誌。

ニュース、バラエティ、ワイドショー。

幾度かそれなりに取り上げられたものの、思ったほど加熱はしなかった。


世間の労わりのお陰か。

業界でややタブー視されていたせいか。

私達が静かで冷静で、面白味がなかったせいか。

最初こそ一時話題になったものの。

それ以後、準備期間に事務所からの続報がないと、報道は沈静化していった。


それに、今回はファンクラブ限定のライブということもある。

野次馬もし辛かったのかもしれない。
484 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:02:34.30 ID:2wO2LAJL0

しかしライブ本番が近づいてくると、世間も再び、俄かに色めき立ってきた。

増える話題は勿論、いいものばかりではない。


「でも、思った以上に落ち着いているものね」


事務所でカレンダーをなぞりながら、一人ごちる。


自分でも意外なほど。

かつて他人の一言一行で取り乱していたのが嘘のよう。

自分の中に柱となる信念があるだけで、こうも変わるものだったか。

過去の自分はそれほどまでに、足場もおぼつかない不安定の中だったか。


そう思っていた時、事務所のドアが開く。


「ごめんね千早ちゃん、待たせちゃったかしら」

「いえ、お忙しいところすみません、音無さん」


そう言って音無さんの手にある、イラスト入りのビニール袋に目をやる。

照れ笑いを浮かべながら、音無さんは袋を慌てて背中に隠した。
485 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:13:04.18 ID:2wO2LAJL0

「招待席のチケット、でしたっけ?」

「一枚いただけませんか、自分で渡しに行きたくて」

「ええ、大丈夫よ。元々プロデューサーさんに持っていってもらうつもりだったから」


事務机の引き出しを探り、音無さんはチケットの束を取り出す。

輪ゴムで束ねられた中から一枚を抜き取り、封筒に入れてくれた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。あと……もう一つ、お願いしていいでしょうか」

「何かしら?」

「私の両親にも、招待券を送っていただけませんか」


私の申し出に、音無さんの目が丸くなる。

そしてにっこりと笑って、何度も頷いた。
486 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:15:56.85 ID:2wO2LAJL0

「分かったわ、お姉さんに任せて!」

「お手数をおかけします、これが住所です」

「はい、確かに承りました」


封筒を受け取り、代わりに住所を書いたメモを手渡す。

音無さんは二つの住所を何度も何度も確認しながら。


「間違いが絶対にないように、直接ご両親にお持ちするわね!」

「あの、そんなに気合を入れていただかなくても……」

「不肖、音無小鳥! 765プロ事務員の名にかけて、絶対にやり遂げますからね!」


ふんふんと鼻息荒く、音無さんはスケジュールをチェックし始めた。

そんなやり取りにも、思わず笑みが込み上げる。


頼ることがこんなにも喜ばれるのも、初めての経験で。

年相応にもっと大人を頼ろうかな、と。

改めて思った。
487 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:27:44.54 ID:2wO2LAJL0

事務所を後にして、目的の場所へ向かう。

西日になりかけた光が顔を刺す。


学校帰りの子ども達が、わいわいはしゃぎながら走り抜ける。

楽しそうな声を聞きながら。

もしかしたら、私とあの子もこんな日を送っていたのかもしれないと。

有り得ない過去に想いを馳せる。


けれど。


有り得なかったから、あの子はそこにいて。


有り得なかったから、私はここにいて。


有り得なかったから、あの子は眠っていて。


有り得なかったから、私は、歌うのだ。


人生に"たられば"は、ある。

でもそれは想像の、もしもの世界だけで。

この世界には、どこにもない。


この世界には、歩んできた、確定した過去と。

何も見えない、何も決まっていない未来しか、ないのだから。
488 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:35:12.79 ID:2wO2LAJL0

白いリノリウムの廊下を歩き。

私は、いつものようにあの子の部屋へ行く。


「春香」


歩み寄り、そっと頬を撫でる。

春香の寝顔は、ただただ感情なく穏やかで。


「これ、受け取ってもらえるかしら」


枕元に、一通の封筒。

いつかのあなたへの答えを。

あの日答えられなかった答えを、持ってきました。


「どうか聴きに来てね」


それだけを済ませ、私は踵を返す。


「あなたの願いへの返事を」


私の声に応える者はいない。

けれど私は迷いなく、春香の部屋のドアを閉めた。
489 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:41:08.48 ID:2wO2LAJL0



歩んできた、確定した過去も。

何も見えない、何も決まっていない未来も。

いつだって私は、何一つ選択なんてしなかった。


見えない、決まっていない未来を選択することなんて出来ない。

私はただ、未来へ向かって歩むことしかできない。


何度も思った。

さいころを振らなければ、と。


なら、振らなければ良かったの?

振らなければ、私の未来は輝いていたの?


振らなければ春香は、元気に歌っていたの?

振らなければ私は、家族で仲良く手を取り合っていたの?


これまでの私達の過去は。

私達のすごろくの、選択の失敗の結果だったのですか?


490 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:51:15.99 ID:2wO2LAJL0

「じゃあ楽しかったことは、嬉しかったことは」

「私が素晴らしい未来を、一つ一つ着実に選び取った結果だというの?」


馬鹿馬鹿しい。

何て愚かな考えなのだろう。


「私はそんな上等な人間じゃない」

「人間はそんな上等な命じゃない」


そんなことができるのなら、最初からずっと、そうしているでしょうに。


私も、誰も、選択なんてしてこなかった。

ただひたすらに、歩んできただけなのだ。

雨ニモマケズ。

風ニモマケズ。

ただひたすらに、愚直に、命を歩んできただけなのだ。


選択なんてものは、最初からなかったのだ。
491 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/07(木) 03:53:30.03 ID:2wO2LAJL0



いや、一度だけ。


たった一度だけ、誰もが選択しているのかもしれない。


たった一度だけ――。


492 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/21(木) 23:08:04.92 ID:lsNzXGhZ0

久しぶりにのんびりと。

時間をかけて、家へ向かった。

次第に陽は落ちていって。

いつしか辺りは暗くなっていた。


「あ」


そんな空に、星の瞬き。

夜空の星など、もう随分見ていなかった気がする。


「綺麗……」


暗くなるにつれて。

ぽつり、ぽつり、と。

星は、少しずつ増えていく。
493 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/21(木) 23:11:10.58 ID:lsNzXGhZ0

その光まで。

少し背伸びをすれば、手が届きそうで。


「ん、しょ」


なんてことは子どもの夢見だとは分かっているのだけれど。

それでも、つい、背伸びをしてしまう。

背筋を伸ばし、腕を伸ばす。

天に煌めく光は、私に優しく囁きかける。

その声が、少しくすぐったい。


「あの星を、胸元に引き寄せて」


手の平に集めた、光る願いが。


「前へ前へと、進みましょう」


行く先を照らす光と、なりますように。
494 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/21(木) 23:16:00.41 ID:lsNzXGhZ0


扉には幾重にも南京錠。

空には幾千、幾万の輝き。

透明な部屋に、夜が来る。

その夜を眩しい輝きが照らし出す。


「流れ星」


きらり、と。

願い事を唱える間もなく燃え尽きる。

それが。

一つ。

二つ。

次々に線を描いて、流星群が降り注ぐ。


「おいで、ここまで」


一筋の光が飛び込んでくる。

私は手を伸ばして。

それを、手の平でそっと包んだ。

495 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/21(木) 23:22:43.78 ID:lsNzXGhZ0


暖かい。

光が眩しい。

目を細めて、それでも手の平を覗き込む。


小さな鍵が、一つあった。


その鍵を、扉を固く閉ざす南京錠に差し入れる。

それを、ゆっくりと回すと。


かちゃり。


「開い、た」


南京錠が足元へと落ちて。

同時に鎖が、じゃらじゃらと音を立てて姿を消す。


鎖と鍵が、一つなくなった。

496 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/21(木) 23:28:46.85 ID:lsNzXGhZ0


「まだ足りないの」

「もう少し、私に光を」


また、一つの流星が流れ落ちる。

私はそれを落としてしまわない様に。

壊してしまわない様に。

優しく、両手で受け止めた。

受け止めた手には、一つの鍵。

光り輝くその鍵を、再び差し込むと。


かちゃり。


これまで閉ざし続けてきた頑強さはなんだったのかと思うほど。

二つ目の南京錠も、事も無く落ちた。

497 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/21(木) 23:32:59.43 ID:lsNzXGhZ0


「私が、弱かったから」


かちゃり。


「私に、勇気がなかったから」


かちゃり。


「私が、大馬鹿だったから」


かちゃり。


「鍵なんて」


もう、南京錠はない。


「最初は、かかっていなかったのにね」


目の前の扉は、ただの、普通の扉だった。

498 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/21(木) 23:33:44.30 ID:lsNzXGhZ0


北天で星が螺旋を描く。

いつかプラネタリウムで見た、天球の動き。

天を仰ぎ見る私の内は、これまでになく晴れやかだった。


「もう、遮るものは何もない」

「あとは、私が前へ踏み出すだけ」


いつしか、扉もなくなっていた。

眼前にあるのは、大きな大きな硝子張りの窓。

窓の向こうに、広い広い世界が見える。


そして、その世界の最奥に。

地平線に消えゆきそうな、ずっと遠くに。


とてもとても懐かしい。

一人で寂しく泣いている。


後姿が見えた。

499 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/21(土) 02:05:43.09 ID:2Qt8X/fd0
早よ
500 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/07/23(月) 11:31:20.33 ID:tsfln00MO
待ってるぞ
501 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:30:15.32 ID:4SieE7ha0


こんこん、と。

窓をノックする。


「春香」


こんこん、と。

ノックをするが、返事はない。


「そうよね、こんなに遠くじゃ届かない」


窓に手の平を当てる。

ひんやりと冷たい、最後の壁。


「あそこまで行かなきゃ」


それが、私と、彼女との。

502 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:30:41.23 ID:4SieE7ha0


右の拳を握る。

手の中には、硬い感触。

角々とした握り心地が、私の心を奮い立たせる。

私の心を沸き立たせる。


かつては恐れの象徴であった。

でも今は、意識すればするほど。


すること。

向き合うこと。

進む道筋。

進む行き先。


私の"意志"が、燦然と輝く。

503 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:31:07.54 ID:4SieE7ha0



私は、歩くんだ。


そして、あなたも。


504 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:32:23.67 ID:4SieE7ha0

「千早、もうすぐ着くぞ」

「……ぁ」


静かに体を揺すられる。

うっすらと目を開く。

どうやら社用車の中のようだった。


「ぐっすりだったな、疲れが残ってるのか?」

「いえ、車の揺れが心地良かっただけです」
505 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:32:54.44 ID:4SieE7ha0

ライブ当日。

会場に向かう車内は、本番前とは思えないほど穏やかだった。

隣に座るプロデューサーは、スケジュール表を片手に笑った。


「変な緊張もないみたいだな、いいコンディションだ」

「プロデューサー殿の方が緊張してるんじゃないですか?」

「そ、そんなこたあない、うん、ないとも、うん」

「……ふふっ」


運転席から律子の茶化し声が聞こえる。

空調が効いた車内で、プロデューサーは半笑いで冷や汗を拭った。

思わず、笑いが込み上げる。
506 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:33:26.05 ID:4SieE7ha0

窓の外に、会場となるライブハウスの壁。

駐車場へ向かい、外周を回るのが、とても懐かしい。


「もうすぐ歌うんですね」

「そうさ、この箱の中を、千早で満たしてくれよ」


みんな、この日を待ってたんだから。

そんな期待をぶつけられても。

プレッシャーは感じなかった。

あるのはただただ、郷愁のような淡い想い。


「……プロデューサーの仕事って、担当アイドルを脅すことなんですか?」


律子がバックミラー越しに睨む。


「ち、違う違う、そんなつもりじゃなくて、す、すまん千早!」

「ふふふ、分かってますよ」


窓ガラスに映る自分の表情は、驚くくらい柔らかだった。
507 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:35:02.74 ID:4SieE7ha0

駐車場から入ると。

出迎えてくれたのは、会場内に並ぶ祝花。


こぢんまりとした楽屋。

ステージ裏に並ぶ音響機器と、乱雑に転がる養生テープ。

リハーサルに向け、スポットライトの点検をするスタッフ達。


観客の入場前だが、雑然とした人の気配で満ちる会場。

まさに舞台裏といった空間の何もかもが懐かしい。


また、戻ってきたんですね。


「……いえ、まだ戻ってはいない」

「ファンの前で、ステージに立って」

「マイクに向かって声を出す、その瞬間が−−」


その時を想うだけで、胸が熱くなる。
508 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:35:30.03 ID:4SieE7ha0

先に会場に向かうため、事務所を出るとき。

みんなはシンプルな一言で送り出してくれた。


やっちゃえ、と。


頑張れではなく。

負けるなでもなく。

ただ、一言。

私に全て任せると。

私なら何も心配ないと。

ただ、やりたいようにやれと。

みんな、笑って送り出してくれた。
509 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:36:42.17 ID:4SieE7ha0

観客エリアの中央に立ち、ステージをぼんやりと眺める。


活動休止前、ライブに慣れてからは。

いつも目まぐるしいスケジュールの中、時間ばかり気にしていて。

こんな気分でリハーサルを待つことはなかった。


初めてステージに立ったとき。

あのとき以来かもしれない。

シンデレラが舞踏会に足を踏み入れるときのような。

夢見る少女が、憧れに触れる感情。

そんな初な香りが、夢見心地の私を包んだ。
510 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/20(月) 03:37:27.71 ID:4SieE7ha0

と、スタッフから声をかけられる。

マイクテストをお願いします、と。


ふと我に返り、今までの自分が少し気恥ずかしくて。

誰かに恥ずかしいところを見られていやしないかと。

ついついプロデューサーの姿を探すと目が合って。

そんな心の内を察せられていたのか、プロデューサーは笑う。


「は、はい、今行きます!」


恥ずかしさを隠すように、私は大きく返事をした。
511 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/21(火) 16:34:56.39 ID:y59RPcZy0
待ってた
512 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/10/20(土) 14:20:25.84 ID:Gcr228rHO
待ってるぞ
513 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/20(土) 22:40:55.32 ID:UIIxJveLo
掲示板が復活したので近々再開します。
恐れ入りますがもうしばらくお待ちください。
514 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/20(木) 18:09:37.54 ID:L4hLLrc2o
書き進めてはいるのですが年末作業も立て込んでいてもう少しかかってしまいます。
すみません。
515 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/27(木) 15:10:48.18 ID:o19Kp0nd0
ゆっくり待ってるから、自分のペースで書いてくれ
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