傘を忘れた金曜日には.

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581 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:41:46.27 ID:VaWGBfBWo



「……なにをしにここに来たんですか」

「……何拗ねてるんだよ」

「拗ねてません」

 屋上のフェンスにむかって、彼女は立っている。背中だけが、こちらから見える。
 景色は夜。まだ、明けたりはしない。

「べつに何かがあったわけじゃないんです」

 そんな喋り方がいつもどおりで、俺は少しだけほっとした。

「正直言っていいか?」

「なんですか」

「結局のところ、なんだけどさ」

「はい」

「ぜんぶ、よくわかんなかったよ」

「……なにがですか?」

「ここがどんな場所かとか、どんな意味があるのかとか、俺に欠けてるものがなんなのかとか」

「……」

「ぜんぶよくわかんなかった」

「……そうですか」

 ほんのすこしだけ拍子抜けしたみたいに、さくらは溜息をついてから振り返った。

582 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:42:16.18 ID:VaWGBfBWo

「さくら」

「はい」

「おまえ言ったよな。俺にからっぽじゃなかった頃のことを思い出させるって」

「……はい」

「できそうか?」

「……さあ」

「自信なさげだな」

「いまは、自信がないです」

「どうしてこんなところにいるんだ?」

「わかりません」

 と、さくらはそう言って、俺の目を見た。

「ずっとわからないままなんです」

「だよな」

 と俺は頷いた。

 何にもわかりっこない。

583 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:42:47.35 ID:VaWGBfBWo

 さくらはでみうるごすのえのなか。

 あなたのなかのかれとごういつをはたして。

 よげんをはたして、あのこをむかえにいって。

 ……"あなたのなかのかれ"って、なんのことだろう。

 でも、もしそんなものがもしあるとしたら、俺の中にいるのなら、"彼"とやらはもう俺だろう。
 合一もなにも、最初から俺なのだ。

 もし違うとしても、食べたものが徐々に消化されていくように、やがて馴染んでいくだろう。
 今は少し不自然だったとしても。

 そんなのはきっと、誰かに言われるようなことじゃない。

 問題は今、目の前にいるこの子に何を言えるかということだ。

 でも、

「……駄目だな」

「……何がですか?」

「結局、何を言えばいいのか、よくわからん」

「そんなこと、期待してません」

「そっか」

「はい」

584 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:43:15.61 ID:VaWGBfBWo

 さくらは、何か言いたげに、あるいは、何も聞かれたくなさそうに、うつむいたままだった。

 俺はそれをどうすればいいかもわからない。

 三枝隼。さえぐさしゅん。

 改めて考えてみても、なんだか自分の名前じゃないような気がする。

「ひとりで、ここまで来たんですか」

「……ん。いや、案内人がいた」

「案内人ですか」

「……」

「どうして、ここがわかったんですか」

「……屋上?」

「違います。こっちにわたしがいるって、どうしてわかったんですか」

「教えられたから」

「それで、どうして……」

「……」

「どうして、ここまで来たんですか」

「……さあ?」

585 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:43:41.73 ID:VaWGBfBWo

「さあ、って……」

「よくわからないんだよ、全部」

 本当にそうなのだ。
 俺には全部よくわからない。

「なんでかわかんないけど、俺にはさくらが見える」

「はい」

「なんでかわかんないけど、神隠しに遭った」

「はい」

「なんでかわかんないけど、風景が二重に見えて、音が聞こえて、声が聞こえて……」

「……はい」

「幼馴染がふたりに分かれて、俺もふたりいて、いなくなったり、戻ってきたり、消えたりして」

「……」

「何かが足りないとか、欠けてるとか、ずっと思ってたけど……」

 でも、と俺は今、考えてしまう。

586 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:44:11.25 ID:VaWGBfBWo

「……それが、何だって言うんだ?」

 俺が誰で、本物なのか、偽物なのかとか。
 俺に何かが欠けていて、からっぽだとかからっぽじゃないとか。
 俺が誰にどう見えるとか。

「それって、いったいなんなんだ?」

 この森が、茂さんの作った空間だとか、いや、作ったのは"夜"だとか。

 さくらが何者で、カレハが何者なのかとか。

 それが全部分かれば、何もかもが綺麗さっぱり解決するようなことなのだろうか。

「……わたし、ずっとひとりだったらよかったです」

 さくらは不意に、そう言った。

「ずっとひとりだったら、何にも怖くなかった。何にも変わらずにいられた。
 今までどおり、ただ、するべきことをして、それでよかったんです」

「……」

「でも、ましろも、あなたも、いなくなってしまう」

「……まあ、そうだな」

 否定できない。

「……なんで平気そうなんですか」

「平気そうに見える?」

「見えます」

587 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:44:43.86 ID:VaWGBfBWo

「俺にはよくわからない」

「そればっかりですね」

「……」

「ずっとひとりのままでよかったです」

 そう言って、彼女はごまかすみたいに声に笑みを含んだ。

「ひとりのままだったら、寂しくならない」

「……」

「そうですよね」

「そうかもな」

 でも、

「よくわかんないんだよ、さくら」

 自分の足音を聞きながら、視界が進んでいくのを感じ取る。

「俺に何かが欠けてるとか、俺の中の誰かと合一を果たせとか言われた。
 俺も何かが欠けてるような気がしてる。葉擦れの音が聞こえなくなってからも、気分は全然落ち着かない」

「……」

 さくらの肩を掴んで、俺は彼女を振り向かせる。
 まっすぐに視線を交わすと、さくらの目が少し揺れた。

 彼女のからだに触れたのは、これが初めてだという気がした。

「でも、それがなんだっていうんだ?」

「……」

「世界はからっぽかもしれない。……たしかに。世界は愛に満ちているかもしれない。……たしかに」

 でも、

「それがいったいなんなんだ?」

「……」

588 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:45:21.44 ID:VaWGBfBWo

「どうしてここに自分がいるのか、本当はよくわかってないんだ」

 さくらと会って、自分がからっぽだと言われて、手伝いを始めたときも。
 瀬尾がいなくなって、ちせに言われて、瀬尾の居場所をつきとめようという話になったときも。
 あの絵の中に何かがあると気付いたときだって、本当は俺は何にもわからないままだった。

 ただ流されていただけだった。自分がどうしたいかなんて、誰にも説明のしようなんてなかった。

 でも、

「それがなんだっていうんだ」

 俺はそう言う。

「どうしておまえがいなくなったりするのか、俺にはちっともわからないんだ」

「……」

「佐久間茂がどうだとか、『薄明』がどうだとか、そんなの全部、本当はどうだっていいんだ」

「どうだって、って」

「そんなのいいんだ、本当は」

 まっすぐにさくらの目を見る。彼女の目もこちらを見ている。

589 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:45:47.88 ID:VaWGBfBWo

 さくらのむこうがわに空がある。街がある。雲がある。月がある。
 あんなにも怖かった月が、今は不思議と、そうでもない。

「帰ろうよさくら。どうせもう、ひとりじゃいられないんだ」

「……帰ったって、でも、どうせ、わたしはひとりです」

「俺がいるだろ」

「あなただって、いなくなるじゃないですか」

「そうだよ」

「そうだよって……さっきから、いったいなんですか」

「どうにかする」

「……どうにか、って」

590 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:46:21.58 ID:VaWGBfBWo

「なあ、さくら。実は、困ってるんだ」

「……なにが、ですか」

「真中に振られそうなんだ」

「……自業自得です」

「そうかもしれない。でも、おまえ、縁結びの神様だろ」

「あなたが勝手に呼んでるだけです」

「でも、これもひとつの縁だろう」

「……」

「助けてくれよ」

「……そんな大事なこと、他力本願にしないでください」

「困ってるんだ。このままじゃ、話もしてもらえない」

「……」

「だから、戻ってこいよ。そしたらまた、おまえを手伝ってやる」

「……でも、あなたがいなくなったら、わたし」

「……」

「また、ひとりぼっちです」

591 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:46:51.46 ID:VaWGBfBWo

 そう言ってうつむいたさくらを、俺はどうしてだろう、不思議とあたたかな気持ちで見ていた。
 どうして気付かずにいられたんだろう。
 
「なあ。佐久間茂がこの国を作った。らしい」

「……なんの話か、わかんないです」

「おまえもたぶん、この国の副産物として、生まれて、ここにいるんだと思う」

「……」

「佐久間茂にこんな国を作れたんだから、俺にだってそのくらいのことはきっとできる」

「……なに、言ってるんですか」

「おまえの居場所くらい、俺が世界に書き加えてやるよ」

 茂さんに秘密があるように、母さんに秘密があるように、
 何かを隠しながらみんな生き延びている。
 
 それぞれがそれぞれの孤独を押し隠して生きている。

592 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:47:28.40 ID:VaWGBfBWo

「何言ってるんだ」と声が言った。

「さんざんおまえの泣き言に付き合ってやったんだ」と俺は言う。

「少しくらいは役に立てよ」

 戸惑ったように、さくらが俺を見た。声は、少しだけ溜息をついて、笑った。

「おまえにそれだけのものが作れるのか?」

「書いてやるよ」

「……」

「いいだろう」

 と声は言った。

「試してやるよ」

「交渉成立だ」

「さっきから、何を言ってるんですか」

「帰ろうぜ、って言ってる」

「……なんで」

 か細い声で、ささやくように言う。彼女はうつむいたままでいる。

 俺はその仕草を眺めている。

593 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:48:08.43 ID:VaWGBfBWo

「……おまえを放っておけない」

「どうして」

「たぶん、だけど……」

 ひとりぼっちでいる少女。
 誰にも見てもらえなかった少女。

 不意に、
 背後から声が聞こえた。
 夜ではない。

 夜とは違う。

「言ってやれよ」

"俺"が立っている。

 その姿は、一瞬で見えなくなった。

 どうしてなんだろう。
 俺にはやっぱり、全部わからない。

 出会ってしまった以上は、もう、他人じゃないからとか、
 なんとなく、自分を見ているようだったからとか、
 そういうあれこれをひっくるめて、

「なんとなく……」

「はい?」

「うん、なんとなく、なんだけどさ」

 本当に、ただなんとなく、

「おまえがいない生活が、既に少しだけ寂しいんだ」

 だから、たぶん、こういうべきなんだろう。

「俺は、おまえに居てほしいんだ」

594 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:48:37.94 ID:VaWGBfBWo

 さくらは、驚いたみたいな顔で、俺を見た。
 俺も少しだけ、自分自身に驚いた。

「そうだよ」と、また背後から声が聞こえる。

「やれやれ」と夜が言った。

 でも、それがなんだっていうんだろう。
 そんなのはちっとも大事なことじゃない。

「帰ろうよ、さくら」

 少しの逡巡のあと、
 さくらは小さく頷いた。

 それから俺の手をとった。
 こんなにも、小さな手だったのか、と、俺はまた驚いた。

「……信じてあげます」

「……うん」

「あなたが、わたしの居場所を作ってくれるんですね」

「うん」


595 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:49:08.29 ID:VaWGBfBWo

「もしできなかったら?」

「できなかったら……どうしようかな」

「……一生、取り憑いてあげます」

「それは落ち着かなさそうだな」

「絶対にそうします」

「ふむ」

 じゃあがんばらないとな、というのも少し違う気がした。
 だから、

「やれるかぎりはやってみるよ」

 と、そう言ってみせる。

「はい」

 と、さくらはようやく笑った。

 月が煌々と光っていた。

596 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/20(水) 00:49:50.28 ID:VaWGBfBWo
つづく
597 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 00:51:03.64 ID:VaWGBfBWo
311-7  二十六年前 → 二十五年前
598 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 03:41:46.84 ID:K1XPn4MoO
乙です
そろそろ終わると思うと寂しくなるなぁ
599 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 06:43:42.54 ID:lEadOsyH0
おつです
600 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 08:35:45.93 ID:fEoZ0sCBo
おつおつ
601 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 08:45:19.64 ID:HLLCq748O
乙です
さくらメインヒロインだろこれ
602 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/20(水) 17:04:05.06 ID:SM1Pn+Coo
603 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/21(木) 00:15:09.37 ID:w3OWurP50
おつです
604 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:02:30.54 ID:su5zp2Hbo

「それで……」とさくらは言った。

「帰るって、どうやって帰るんですか?」

「……わかんないのか?」

「知りません。気付いたらここにいましたし」

「……マジで?」

「……えっと、はい」

「……」

「……あの、どうやってここに来たんですか?」

 どうやって、と聞かれても、落ちてきたとしか言いようがない。

 
605 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:03:10.88 ID:su5zp2Hbo

「困りましたね」

 落ち着け。
 ここがあの森の一部なら、鏡を探せばいいだけだ。

 フェンスから離れて、さくらが塔屋の扉へと向かっていく。

「鏡……」

 以前、怜とも話した。
 概念的に鏡であればいいはずだ。

 月の鏡……という言葉もあるが、残念ながら月に触れることはできない。

 怜ならば、きっとこういうときでも、慌てたりしない。

 考えろ。鏡、鏡、鏡。

 ……いや、
 鏡じゃなくてもいいのだった。

「部室に行こう」

「部室、ですか?」

「『白日』がある」

「……あの絵ですか」

『夜霧』からこちらに入ってきたのだ。『白日』から帰るのも、おあつらえ向きだろう。

606 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:04:04.83 ID:su5zp2Hbo


「あなたに任せます」とさくらは言った。

「……責任、投げるなよな」

「そういうわけじゃないです。評価を改めただけです」

「評価?」

「あなたはもう少し、自分の柔軟さを評価すべきだと思いますよ」

「……どういう意味?」

「そのままの意味です。行きましょう」

 階段を降り、文芸部の部室へと向かう。

 夜の校舎は、窓から差し込む月の光以外には、ほとんど灯りがない。

「どうしてだろうな」

「はい?」

「ちょっと、ワクワクする」

「……子供みたいですね」

「夜の校舎だぞ。仕方ないだろ」

「でも、そっちの方がずっといいです」

「……そう?」

「はい」

607 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:04:43.89 ID:su5zp2Hbo

 廊下を歩く途中で、不意に、渡り廊下に人影を見つけた気がした。

「いま、何か見えたか?」

「……なにか?」

「人影みたいなの」

「気付きませんでした」

 ……気のせい、だろうか。
 それとも、単に、『夜霧』を歩いたときのような、単なるこの世界の演出のようなものか。

 いずれにしても、もう見えない。
 もうこの世界でするべきことはない。

 文芸部室の扉は簡単に開いた。
 
 壁には、『白日』が飾られている。

 海と空とグランドピアノ。決して混ざり合わない水平線。

「……なんで、ピアノを描いたんだろうな」

「なんでって、どういう意味ですか?」

「いや。人と人との距離が、海と空みたいなものだったら……」

 結局、繋がりあえないのかもしれない、と茂さんは言っていた。
 でも、ここにはピアノがある。

 さくらは、俺の心を読んだのだろうか。
 少し、不思議そうな顔をした。

608 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:05:23.08 ID:su5zp2Hbo

「空って、どこからが空ですか?」

「……ん?」

 彼女は部室の中へとゆっくりと踏み入って、静かに窓を開け放った。

 そして指先を伸ばす。
 そのままこちらを振り向いて、当たり前のような顔で、彼女は、

「ほら、これが空じゃないんですか?」

 なんでもないことのように、そう言った。

 一本取られた、と俺は思った。

「なるほど」

 だとしたら空は、海と接している。
 混じり合うことがないとしても。

609 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:05:51.28 ID:su5zp2Hbo

「あるいは、もしかしたら」

「ん」

「旋律は、空に届くかもしれません」

「……旋律」

「はい。それに、日差しも、雨も、空から海に届くでしょう」

「けっこうあるものだな」

「はい」

「雨も、海と空を繋ぐ」

「はい。空と海との距離なんて、たいしたことないです」

「……単なる言葉遊びだけどな」

 だとしたら、茂さんは、たとえば旋律が海と空を繋ぎうることに気付いていたのかもしれない。
 気付いた上で、ピアノの前の椅子に、誰も座らせなかったのかもしれない。

 雨は海と空を繋ぐ。

「……そっか」

「どうしました?」

「いや」

 だったら、傘をささずにずぶ濡れになるのも悪くないのかもしれない。

610 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:06:18.71 ID:su5zp2Hbo

「帰ろうか」

「はい。……帰れますかね」

「さあ。試してみないとな」

「……行き当たりばったりですね」

「おまえも相当だろ」

「まあ、たしかに」

 俺とさくらは、『白日』に向き合う。変なタイミングではぐれないように、さくらの手を取った。

「そういえばさ」

「はい?」

「さくらにはなんとなく、さわれないイメージがあった」

「……ふむ?」

「すり抜けそうな気がしてたんだ。さくらも、物にさわれないんだと思ってた」

「だとしたら、わたしの体は床をすり抜けていきますよね」

「テレパシーとテレポートを使うやつが急に物理法則っぽいことを言うな」

「それに服も着られません」

「でも、それ、どうなんだろうな。他の人には、服も見えないわけだろ」

「わたしが触ってるものは、他の人には見えなくなるんです」

「……怪奇現象を生み出せるな」

「いえ、あの、わたしが怪奇現象なんです。ある意味で」

「でも、その理屈だと、校舎が誰にも見えなくならないか?」

「……まあ、わたしにもよくわかんないです」

「まあそうか。……とにかく、なんとなく、さくらにはさわれないんだろうなと思ってた」

611 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:06:48.17 ID:su5zp2Hbo

「……ちゃんと触れてほっとしました?」

「いま、俺も透明人間なのかな」

「そうかもしれませんね」

「温度がある」

「不思議ですか?」

「さくらに限った話じゃないけど……」

「はい」

「人間の体温って、触れるたびに不思議になるよな」

「わたしが人間かどうかは、怪しいところですが」

「それを言ったら、俺もけっこう怪しいけどな」

「そうですか?」

「そうだよ」

 俺が真顔でうなずくと、さくらはおかしそうに笑った。

「そんなことは、いいんですよ」

 たしかに、と俺は思った。

「帰りましょう、隼」

 俺は一瞬、あっけにとられて、それから笑って頷いた。

「そうしよう」

 繋いでいない方の手で、俺は『白日』に触れる。

 光はあふれ、視界が鋭く満たされていく。
 その洪水に溺れながら、ゆるやかに時間が流れていくのを感じる。
 手のひらに温度がたしかにあった。

612 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 01:07:42.51 ID:su5zp2Hbo
つづく
613 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 01:12:44.00 ID:un+l9grho
614 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 01:21:25.78 ID:xrQUYTaQo
おつおつ
615 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 02:58:55.23 ID:R0DATBk5O
台詞ばかりですね
616 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 06:51:19.82 ID:qcpmRFia0
おつですら
617 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 21:13:13.76 ID:SQ+045GW0
おつです
618 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/02/26(火) 21:43:36.31 ID:OGZvF3Wg0
おつです
619 : ◆1t9LRTPWKRYF [sage]:2019/03/01(金) 23:51:03.04 ID:1lN26oOXo
少し時間をください
620 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/02(土) 12:52:25.38 ID:kgIpuee70
気長に待たせていただきます
621 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/03(日) 00:04:47.66 ID:4wYjYCyZO
勿論待ちますよ
622 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/03(日) 09:16:20.36 ID:bSF5ICtQo
了解です。ゆっくりどうぞ。
623 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 20:58:51.27 ID:J7JQGDwio




「元素周期表みたいですね」と誰かが言った。それは分かってる。 
 でも、何の話なのかはわからなかった。何が元素周期表みたいなんだろう、みんな何の話をしていたんだろう、俺には何もわからない。

 意識がものすごく曖昧だった。とても、深い眠りからようやく目覚めたときみたいに。

 けれど俺は眠っていたんだろうか?

 瞼を開いている。それはわかる。けれど全てが滲んだように曖昧にぼやけている。
 
「そうかな。そんなふうに思ったことはないけど」

 そう、また別の誰かが言う。俺は、いま、何かを聴いている。それは分かる。

 俺はいままでどこにいて、何をしていたんだったか。

「……ああ、起きたかい」

 そんな声が、俺に向けられているんだとわかる。

 わかったから、もっとはっきりと見ようと思った。

624 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 20:59:46.27 ID:J7JQGDwio

 そして、ふとした一瞬のうちに、自分がどこにいるのかが分かった。

 ここは『トレーン』のテーブル席だ。俺は頭を突っ伏して、眠っていたらしい。

 話をしているのは……。

「ずいぶん眠っていたようだけど、大丈夫?」

 茂さん。

「隼ちゃん、来てからずっと眠ってましたよ」

 ちどり。

「やっぱり、疲れが溜まってるんだろうね」

 怜。

 それから……。

「まあ、無理もないか」

「……大野?」

「大丈夫か? 目の焦点があってないけど」

「いや……うん」

 さて、大丈夫か、大丈夫かと問われれば、どうだろう?

625 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:00:13.03 ID:J7JQGDwio

 重苦しいほどの虚脱感がある。

 とても深い眠りから醒めたのだという実感はある。
 
 というより、これはいっそ、
 俺が今まで睡眠だと思っていたものは本当に睡眠だったのだろうか、と感じるほど、眠ったのだという実感がある。

「……あたま、ぼんやりする」

「しばらくは無理するなよ」

 大野の声が妙にやさしくて、そのせいで俺は、やっぱり今この瞬間のほうが夢なんじゃないかという気がした。

「……なんで、大野がいるんだよ」

「なんでって……おい、ほんとに大丈夫か?」

「そのうち意識がはっきりしてくるよ」と言ったのは怜だった。

「隼は昔から寝起きがひどいからね」

「……なんで、怜もいる」

 ふう、と彼女は溜息をついて、

「さっさと目を覚ましてくれると助かるな。それとも、純佳を呼んで起こしてもらったほうがいいかな」

「……いや、いい。自分で思い出す」

「隼ちゃん、無理しないでくださいね」

 ちどりはそう言うけれど、俺はまだ、自分の体の感覚すらも取り戻せない。
 腕も首もしびれているように重く鈍く、動かせない。

 頭がまったく回らない。

626 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:00:39.32 ID:J7JQGDwio


「時間がかかりそうだから、僕が言おう」と、茂さんは言った。

「今日は木曜。きみは月曜の放課後から二晩の間家に帰らず行方不明だった」

「……ゆくえ」

「そう。行方不明。そして水曜、つまり昨日の朝、なんでか自宅のベッドにいたらしい」

「……その記憶、ないんですが」

「じき思い出すよ。まあ、二日間でいろいろあったんだろうね。もちろん、僕らには推し量ることしかできないが」

 ああ、そうだ、と茂さんは声をあげ、

「ちどり。そういえば昨日買ってきたプリンがあったんだ」

「はい?」

「ええと、厨房の冷蔵庫の中に箱がある。みんなで食べよう」

「……? わかりました」

 ちどりは文句ひとつ言わずに、厨房へと下がっていった。

627 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:01:29.46 ID:J7JQGDwio

「……じゃ、改めて話をしようか」と、そう、茂さんは言った。

「……話、というと」

「さすがにちどりには聞かせられないからね、"むこう"のことは」

"むこう"。
 
 そう、俺は"むこう"にいた。思い出せる。

 そこで俺は……。

 ああ、
 思い出してきた。

「怜ちゃんと大野くんは、知ってるんだったね」

「ええ」

「はい」

「だったら、大丈夫。隼くんとは、ちょっとまとまった時間をとって話さないといけなかったからね」

「……ええと、すみません。俺、自分がなんでここにいるのか。いま、金曜って言ってましたか?」

「そう。きみは昨日の朝帰ってきて、今日は学校にも行って、その帰りにここに来た」

 ……思い出せない。
 いや、そんなことはない。

 覚えている。……ようやく意識がはっきりしてきた。

 ふと目がさめたら、自分の部屋にいた。体が重くて、すぐに寝直した。
 それで、気がついたら夕方で、純佳が学校から帰ってきて、あいつは俺を見て一通り文句を言ってからぐすぐす泣いた。
 
628 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:02:03.34 ID:J7JQGDwio

 次の日は学校にも行って……そうだ、それが今朝だ。

 瀬尾たちにいろいろ事情を聞かれたけれど、うまく説明できなくて、
 真中は相変わらず俺と話そうとはしなくて、
 そもそも意識も記憶もやっぱり曖昧で、
 どうしても眠くて、でも、怜に『トレーン』に来るように言われて、
 危なっかしいからと、大野が俺に付き添ってくれた。そうだった。

「……店に来て座ってすぐに寝ちゃったからね。まあ、それは仕方ないかと思って、目が覚めるのを待ってたんだ」

「……そう、ですか」

「まだすっきりしないかい?」

「……はい、なんでか、わかんないですけど」

「そっか。……続くようなら困りものだね。でも、まあ、仕方ないか」

「……それで、茂さん、話って?」

「きみはたぶん、試してないから、一応伝えておこうと思って」

「……はい」

「"むこう"、もう行けなくなったみたいだ」

「……」

 むこう。
 行けなくなった。

「それは……どうして」

「わからない。僕もそうだし、怜ちゃんもそうだって言う」

「うん。ぼくも、行けなくなった」

 ……行けなくなった?

629 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:02:30.86 ID:J7JQGDwio

「どうしてですか?」

「さあ? きみが帰ってきてからそうなった。なんでかは、僕にもわからない」

「怜も?」

「そうだね。ぼくも最初は気付かなかったけど」

 ……。

「まあ、とはいえ、それで何が困るってわけではないんだけど、何か知ってたら、隼くんに話を聞きたかったんだ」

「……俺は」

 むこう。
 俺はたしかにむこうにいた。

 でも……俺はむこうで何をしていたんだっけ?

茂さんは柔らかく微笑んだ。

630 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:02:59.16 ID:J7JQGDwio

「……それで、どうするんですか」

 と、俺が訊ねると、茂さんは不思議そうな顔をした。

「どうするって?」

 そう問い返されて、こちらがあっけにとられてしまった。

「だって、行けなくなって……」

「うん」

「それで……」

 ……行けなくなって、それが?

「べつに困らないだろう?」

「……」

 たしかに、そうだ。
 たしかにそうだ、あの場所に、用はない。今のところ。

「……さくら」

「……?」

 怜が首をかしげるのが見えた。

 さくらはどこだ?

631 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:03:30.92 ID:J7JQGDwio




 ちどりが持ってきたプリンをみんなで食べたあと、

「疲れてるみたいだから、今日は早めに休むといい」

 と茂さんが言ってくれた。その言葉に甘えて、俺は頷く。

 外は雨が降っていた。

 鞄の底に、折りたたみの傘が入れっぱなしになっているはずだ。
 そう思って鞄をあさったけれど、見つからない。

 ……雨が降ったときに一度使って、そのまま出しっぱなしにしていたのだろうか。

 そう思ったとき、なんだか少し前にも、こんなことがあったような気がした。
 雨が降ったときに、鞄の底の傘を探して、見つからなかったことがあったような。
 
 ……いつのことだったっけ?

 そんなことを考えたとき、不意に入り口の扉が開いた。

「おじゃまします」と言いながら、片手に傘を持った純佳が現れた。

「純佳」

「ちどりちゃんに連絡したら、ここにいるということだったので、迎えに来ました」

「……なんで?」

「雨が降っていたので。傘、忘れていったみたいだったので」

「……そっか」

 そっか、とうなずきながら、なんだかいろいろなことがよくわからない気持ちのまま、俺は純佳に近付いた。

 ひさしぶりかな、と怜が言って、おひさしぶりです、と純佳が言った。

「じゃあ、俺も帰る。無理するなよ」

 大野はそう言って、俺達より店を出ていく。

 追いかけるように、慌てて俺も店を出る。

「それじゃあ、帰ります」

「またね」と怜が言って、ちどりは何も言わずに手を振った。

「またのお越しを」と茂さんが言った。俺はまだ混乱していた。

632 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:03:57.72 ID:J7JQGDwio

「帰りが遅くなるなら、連絡くらいしてください」

 ひとつの傘のなか、俺と純佳は並んで歩く。

 記憶が判然としないままだったけど、俺は素直に、

「ごめん」

 と謝った。

「兄は、言葉足らずです」

「そうかな」

「そうです。急にいなくなるし……」

 雨がたしかに降っていた。
 傘を打つ雨粒がリズムを刻んでいる。こんな雨の降る夜道を歩いていると、なんだか世界から隠されてるような気がした。

「わたしが……」

「ん」

「いえ……」

 言いかけた言葉の続きを、純佳は言わなかった。
 俺は聞き返さなかった。
 
 なんとなく、言いたいことがわかるような気がしたのだ。 

633 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:04:24.56 ID:J7JQGDwio


「悪かった」

 そう謝ると、純佳は顔を上げてこちらを見上げる。

 泣き出しそうな顔に見えた。

「……わたしが」

「……うん」

「わたしが、どれだけ心配したと思ってるんですか」

「……うん」

「今度こそ、帰ってこないんじゃないかって……」

「……」

「どこにも行かないって、言ったじゃないですか」

「……うん」
634 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:04:56.07 ID:J7JQGDwio

 こんなとき、何を言えばいいんだろう。
 どんなふうに言えばいいんだろう。

 心配をかけて、迷惑をかけて、そればっかりだ。
 
 どんな言葉も言い訳になってしまう。

"むこう"に行けなくなったんだと、怜も、茂さんも言っていた。

 でも、それとは無関係に、俺はもう"むこう"に行かないほうがいいのだろう。
 行けるようになったとしても、行くべきではないのだろう。

 帰ってこられるかわからない場所。 
 今回は、本当にそうだった気がする。

 そんな場所との境界を、今まで俺が平気で渡ってきたのは、きっと、
 帰ってこられなくてもいいと、心のどこかで思っていたからじゃないだろうか。

 今は、でも……。

635 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:05:22.90 ID:J7JQGDwio

「もうどこにも行かない」

「……どうせ嘘です」

 前のときと同じみたいに、純佳は俺の言葉なんて全然信じなかった。
 仕方ないことかもしれない。

 雨が降ってる。

 傘を叩く音が聞こえる。

 ……そうだな、と俺は思った。

 嘘かもしれない。

 どうだろう。

 いや、
 どうだっていいや。

「どこにも行かない。つもりでいる」

「つもりって、どういうことですか?」

636 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:05:55.80 ID:J7JQGDwio

「先のことはわからないって意味」

「……先のこと、ですか」

「そう」

 今までだって、どこにも行ったりしないと決めていた。
 他人に関わって、踏み込んで、そんなの面倒で誰のためにもならない。

 でも気付いたら、そんなことすっかり忘れていた。

「……仕方ないですね」

「ん」

「兄はばかですから」

「……まあ」

 そういうことになる。

 純佳はそれから黙り込んでしまった。
 俺と彼女はふたりで雨に濡れたアスファルトの上を歩き、その間に何かを考えていた。
 
 何かを考えていたと思う。
 わからないけれど。

637 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:06:30.13 ID:J7JQGDwio


 まっさきに考えなければならないことは、ふたつ。
 とはいえ、確認しないことには始まらない。

「純佳」

「はい?」

「ちょっと出かける」

「……はい?」

「学校に忘れ物をした」

「……」

 あきらかに、疑わしそうな目を純佳は向けてきた。
 
 ……それはそうか。
 さっき、どこにも行かないと言ったばかりなのだ。


638 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:07:17.15 ID:J7JQGDwio

「わたしも行きます」

「……ふむ」

 だめです、と言いかけたけれど、仕方ない。

「いいよ」

「え、いいんですか?」

「うん」

「……え、どこに行くんですか」

「学校だって」

「……校門しまってますよね?」

「……ああ、そうか」

 いや、

「十分だろう」

「……ほんとに学校に行くんですか?」

「それが最初だな」

「……?」

「そのうち全部話すよ」

 純佳はちょっと、警戒するような目をした。
 
「そうしないと納得しないだろ?」

「まあ、そうですけど」

 ……まだ少し意識がぼやけている。
 でも、何をすべきかははっきり覚えている。

 とはいえ、大事なのは順番だろう。

 ひとつひとつ、済ませなければ。
 手品は下準備が命だ。

639 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/10(日) 21:07:53.74 ID:J7JQGDwio
つづく
640 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/10(日) 21:42:00.26 ID:9itivIleo
おつん
641 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/11(月) 14:25:02.23 ID:Vidb0t370
おつです
642 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/12(火) 00:53:09.47 ID:MBnQihBB0
おつです
643 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/12(火) 15:17:44.85 ID:08CiIAJjO
644 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 20:58:55.80 ID:tPIsQ6zzo


 高校に繋がる坂道を登りながら、俺達は無言のままだった。

 街の灯りが雨粒に滲んで絵の中の国みたいに見える。
 でもここは現実で、今日は金曜日で、明日は土曜の休みだ。
  
 覚えているかぎりだと明日はバイトが入っていて、でも俺はこっちに帰ってきたばかりで、未だに感覚が不鮮明なままだ。

 とはいえ……そんなのは、あとで考えればいいことだ。

 校門のそばには桜の木がある。もう、花を散らすような時期じゃない。

 夜の雨の中で見る桜というのは、なんとも言えない不思議な気分がした。

 そこに……

「なにしにきたんです?」

 当然のように、さくらはいる。

「一応確認にな」

「……兄?」
 
 怪訝そうな声を、純佳が隣であげた。
 
「昼間も会ったじゃないですか」

 さくらはそう言った。
 たしかに、そういう記憶はある。けれど、それが実感として馴染むまでには、まだ時間がかかりそうだった。

「ようやく落ち着いてきたところなんだ」

「それなら、仕方ありませんね」

 そう言って彼女は、校門のむこうから俺を見た。

 
645 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 20:59:25.91 ID:tPIsQ6zzo

 さくらは学校の敷地から出ることができない。

「これから、どうします?」

「ん」

「何から始める気ですか?」

「そうだな、まあ……」

「兄?」

「……」

 さて、

「帰るか」

「……誰と、話してたんですか?」

「そうですね。来週、話しましょう」

 両方から話しかけられて、混乱する。
 さっき、全部話すと言ったばかりだが……まあ、あとでいいか。

 いや、まあ、どうせだ。

 俺は純佳の方をみて、

「神様」

 と、そう答えてみた。

 純佳は蛇のぬけがらでも踏んだみたいな顔をした。

646 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 20:59:55.34 ID:tPIsQ6zzo





「……さて」

 まずはひとつ、どうしても優先的に片付けなければならないことがある。
 
 翌週月曜の放課後、授業を終えたあとの教室で、俺はひたすらに待っていた。

「三枝、部活は?」とクラスの奴に声をかけられる。

「もうちょっとしたら行く」

「ふうん?」

「三枝、病み上がりなんだから無理すんなよ」

 と、そう言ったのは陸上部の女子だった。

「おかまいなく」

「会話を会話らしく成立させる努力くらいはしろ」

 そもそも俺はべつに病み上がりではないのだが、言ったって仕方のないことではある。その説明が一番わかりやすい。

「……ところで」

「ん」

「ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいか?」

647 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:00:44.85 ID:tPIsQ6zzo

 俺がそう訊ねると、ふたりのクラスメイトはきょとんと不思議そうな顔をした。

「何だ、その顔は」

「いや、三枝からそんな質問をされると思ってなくてな」

 男のほうが頭をかきながらそう言った。

「俺だって質問くらいする」

「そりゃそうだろうけどな。……で?」

「ああ、うん」

 さて、どう訊ねるべきか。

「あのさ……この学校に七不思議とかって、ある?」

「七不思議?」

 きょとんとした顔をされてしまった。

「……なに、急に」

「ちょっと調べ物」

「似合わな」と女のほうが言った。

「ほっとけ。七不思議じゃなくてもいい。その手の与太話に心当たりは?」

「……ないな」

「そうか。じゃあもう用はない。さっさといけ」

「あ、ひとつあるよ」

「ん」

「縁結びの神様」

「……それだ」
648 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:01:11.54 ID:tPIsQ6zzo




 少しして、さくらが教室にやってきた。

 偶然なのだろうが、それまで話していたふたりは「じゃあ部活行くから」といなくなってしまう。

「何かお話していたんですか?」

 俺は頷いた。

「後で話す」

「そう言ってあなたが話してくれた試しがあったかどうか」

「俺自身も覚えてない。……それで?」

 はあ、とさくらはため息をついて、じとっとした視線をこちらに向けた。

「……ずいぶん偉くなったものですね。人をパシリにしておいて自分は座って休憩ですか」

「役割分担だ」

「誰のために動き回ってると思ってるんです」

「感謝してるって」

「まったく感じ取れません、その感謝が」

「嘘だろ?」

「……そんな素直な目で驚かれても困ります」

649 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:01:43.98 ID:tPIsQ6zzo

 それからさくらは仕方なさそうに笑った。俺は頷いて立ち上がる。

「真中は見つかった?」

「こっそり女の子の行方を探るなんて、ストーカーもいいところですよ」

「たしかに」

「もっと男らしくいったらいいじゃないですか、最初から他人をあてにしないで」

「そういうキャラじゃねーだろ」

「たしかに」

 納得されてしまった。

「話が進まん。真中はいたか?」

「さっきは、渡り廊下近くの自販機のところにいましたよ」

「ふむ」

「つかぬことをお聞きするんですけど」

「ん」

「普通に電話すればよいのでは? どうしてわざわざわたしに探らせるんです?」

「警戒されるだろ」

「そうですか?」

「そうだよ」

650 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:02:19.37 ID:tPIsQ6zzo

 そんなわけで、俺は渡り廊下近くの自販機のあたりまで移動する。

 さくらは俺の斜め後ろをとことことついてきた。もし真中が移動していなければ、そこにいるはずだ。
 そして彼女はそこにいる。

 さくらが様子をうかがっていたのだから、ある意味では当然。

 さて、もう考えているような場合でもないだろう。
 自販機の横に背中をもたれさせて、彼女はぼんやりと渡り廊下のほうを眺めている。

「やあ」

 と、適当に声をかけると、真中は一瞬だけちらりと俺の方に視線をよこす。
 そしてすぐにそらした。反応らしい反応なんて、浮かべる気配もない。

「どうしたの」と真中は言う。

 以前と比べると、やはり、そっけない。

 それも仕方ないことなのかもしれない。

 とはいえ、
 そうは言っても、
 ここから始めるべきなのだろう。

「……わたしは、ちょっと離れてますね」

 そうしてもらえると助かる、と心の中だけで返事をした。
 あまり人に聞かれたいような話でもない。

651 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:03:29.11 ID:tPIsQ6zzo

 どこから話したものだろうな、とはいえひとまず、

「元気か?」

 なんて、世間話にすらなっていないような一言から始めるしかなかった。
 
 仕方ない。

 俺が真中に話しかける。それ自体、何か話があるという宣言のようになってしまう。
 そのことに、真中も俺も気付いている。だから、仕方ない。
 こんなあからさまな場繋ぎの台詞から始めるしかないのだ。

 呆れられても仕方ないような言い方だったのに、真中はくすっと笑って、

「元気だよ」

 と、仕方なさそうに言った。
 
「そっか。元気がいちばんだな」

「似合わないね」

 自分でもそう思った。

652 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:04:26.00 ID:tPIsQ6zzo

「何か用事?」

「そうだな」

 取り繕ったって仕方がない。

「……わたしが惜しくなった?」

「……」

「ね、せんぱい。先週は……どこに行ってたの?」

 どうしてだろう。
 そんな質問に、少しほっとしている自分を見つける。

 もうそんなふうに、何かを話したりしてくれないものだと思っていた。

「ちょっとな」

「また内緒?」

「……」

「どうせ、また、誰かのところに行ってたんでしょ」

 責めるというよりは、からかうみたいな口調だった。

「いつも独断専行。秘密にして、嘘ついて、ごまかして、ひとりで全部済ませちゃう」

「……まあな」

「否定しないんだ?」

 否定したところで仕方ない。
 今までは少し、違うような気がしていたけれど……はっきり言ってそれは事実だ。
 事実を否定しても仕方がない。

653 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:04:56.67 ID:tPIsQ6zzo

「ま、そうだな」

 結局そう頷いた。

 自販機に小銭を入れる。

「なんか飲む?」

「おごり?」

「そ」

「じゃあ、カフェオレ」

「カフェオレな」

「……せんぱい」

「ん」

「何かお話?」

「……何話そうと思ったんだったかな」

「ばかみたい」

 たしかに。

654 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:05:56.40 ID:tPIsQ6zzo

 真中に、何を言えばいいだろう。

「……おまえさ、言ったろ」

「んー?」

「俺が、瀬尾のことが好きだって」

「あ、うん」

「あれは違うな」

「……そう?」

「ていうか、おまえが言ったんだろ」

「なんて」

「俺は誰のことも好きにならないって」

「……そうだっけ?」

「そうだよ」

 その場その場で適当なことを言うのは、俺と真中の両方ともだ。

「……でも、それ嘘だ」


655 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:06:24.92 ID:tPIsQ6zzo


「……ん。そうかな」

「違う?」

「わかんない」

 真中はほんとうにわからないと言うみたいに、カフェオレのパックにストローをさして口をつけた。
 その様子を俺はぼんやりと眺めながら、自分の分のジュースを買った。

 オレンジジュースにしておこう。なんだか今日はそんな気分だ。

 渡り廊下の窓から吹き込む風も、差し込む日差しも、もうあたたかだ。

 季節が変わろうとしている。

「どうでもいいよ」

 と真中は言った。

「わたし、もう関係ないもん」

「そう?」

「……ちがうの?」

「違うかもな」

「まーた、そんなふうに言う」


656 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:06:51.94 ID:tPIsQ6zzo

 思ったよりもずっと柔らかい態度で、俺は逆に戸惑ってしまう。
 何を言ったらいいんだろう。

「真中」

「ん」

「ちょっといろいろあったんだ」

「うん」

「……」

「なあに?」

「なんだったかな」

「へんなの」

「自分のことが……」

「ん?」

「よくわかんないんだよ、俺」


657 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:07:21.51 ID:tPIsQ6zzo


「……へんなの」

 と真中は繰り返した。

 どうなんだろう?

 わからないという気もするし、わかるという気もする。

 何もほしくない、と思う。
 何かがほしい、とも思う。

 自分が好きじゃないとも思う。べつにそこまででもないとも思う。
 
 一貫性がない。

 誰のことも好きになるべきじゃないとも思う。
 でもそう思うのは、どうしてだったっけか。

 その理由は、今も俺の手元にあるんだったか。

 よくわからない。

 俺は真中を好きなのだろうか。
 それはちょっと自信が持てない。
 
 そんなふうに断言できるほど、誰かを好きになるという感情について、自分が理解できている感じもしない。


658 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:08:17.24 ID:tPIsQ6zzo

「真中は、俺が誰のことも求めてない、必要としてない、好きにならないって言うけど」

「……うん」

「そんな気もするし、そうでもないだろって気もする」

「……うん」

「でも」

 でも、どうなんだろうな。
 
 中学の頃から、真中と過ごした。
 真中柚子と三枝隼は付き合ってる。

 そんなふうに言われながら、当たり前みたいに過ごした。

 真中は気付いていたんだろうか。

 人気だった真中と付き合っているということで、俺は相当他の男子に睨まれたし、妬まれた。
 けっこうあからさまに、嫌がらせを受けたりもした。

 俺が本当に、ただ善意だけで、そんな仕打ちに耐えていたと、真中は思えるんだろうか。
 なにもかもがどうでもいいから、真中と付き合っているふりを続けていたなんて。

 ──本気でそう思うんだろうか。

 これを口にするべきなのかすら、俺にはもう判断がつかない。
 
659 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:08:53.47 ID:tPIsQ6zzo

 子供の頃、俺は怜を探偵みたいだと言った。

 そうしたら、そのとき怜はにっこり笑ってこう言ったのだ。

「ぼくが探偵なら、隼は怪盗……」

 そう、そのとき怜は言いかけて、いや、と楽しそうに頭を振り、

「……詐欺師ってとこかな?」

 そんなふうに笑ったのだ。

 詐欺師。
 ひどいやつだと、そのとき思った。

 でも、そうなのかもしれない。

 嘘と韜晦と誤魔化し。取り繕いと言い逃れ。

 本当のことなんて、言葉にしようとしてもどうせ言葉にならない。
 だから適当に喋っているだけだ。

 何かを話すことは、話さないことよりも悪い。
 話す人間は、話さない人間に遅れをとっている。

 結局のところ、俺が本当のことを話さない人間だと思われるのも、
 秘密主義者だと言われるのも、
 嘘をつく人間だと言われるのも、全部、同じ理由だ。

 俺は最初から、正確で明晰な言語化なんてしようともしていなかったのかもしれない。
 正確さなんてほどほどでいい。それが責められるなら、茶化して誤魔化しているほうがいい。

 でも、今は、

660 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:09:44.69 ID:tPIsQ6zzo

「せんぱいは、自分で言ってたよ」

「なにを」

「『俺が俺だ』って。わたしが思うせんぱいとは無関係に、せんぱいだけが自分なんだって」

「……」

「わかんないっていうほうが、わかんない」

「……そんなこと、言ったっけ?」

「記憶、ない?」

「ない、かもな」

「かも?」

「どうもはっきりしない」

「……そか」

「でも、そんなら、いいのかな」

「なにが?」

「……」

 いいのかもしれない。

661 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:10:34.94 ID:tPIsQ6zzo


「真中、俺は……」

「……なに」

「ホントは、俺はさ」

「……うん。なに?」

 当たり前みたいな顔で、真中は俺をまっすぐに見つめてくる。
 それを俺は、不思議な気持ちでみている。

 俺よりも低い背丈。
 細い手足。細い髪。
 俺は、

 ……本当に、言ってしまっていいんだろうか。

「……どうしたの、せんぱい」

 俺は、真中が言うような、浮世離れしたみたいな仙人のような存在ではない。
 霞を食べて過ごすような無欲な人間ではない。

 俺が本当に何も欲しがっていなかったなら、どうして怜と自分を比べて劣等感にさいなまれる必要があっただろう。
 ちどりと比べて、自分が何も上手くできないと思う必要があっただろう。
 ふたりと俺との間に、微妙な距離を感じることがあっただろう。

 俺が何も欲しがらない人間だったなら、どうして真中と付き合ったふりを続けたりしたのだ?
 面倒を嫌うなら、最初からかかわらなければよかったのに。

 俺は、みんなに好かれていた真中と嘘でも付き合っているという事実に、優越感を覚えてはいなかったか?
 自分が真中と親しい存在であるということに、自意識が満たされてはいなかったか?
 
662 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:11:16.96 ID:tPIsQ6zzo

 あの葉擦れの森の中で、声を枯らして誰かを呼んでいたのは確かだ。
 呼ばなくなったのは、単に諦めたからだ。

 あるいはむしろ、
 欲望があまりにも強く大きすぎるあまり、その欲望を達成することが著しく困難であるため、
 その完璧な達成を諦めると同時に、欲望そのものを投げ捨てた。

 真中は、俺が真中を好きにならないと思ったから、俺と一緒にいてくれた。
 だから俺は、真中を好きにならないように気をつけていた。

 どうして?
 
 真中と一緒にいるために。

 最初から、そうだ。
 
 複合的な理由。
 俺の居る場所が、俺のための場所だと思えなかったから。
 誰かを好きになるほど、自分のことが好きじゃないから。
 
 だから俺は真中を好きにならない。

 真中と一緒にいるために、俺は真中を好きにならない。
 俺が真中を好きだと言った瞬間に、真中は俺から興味を失うかもしれない。
 だから俺は真中を好きにならない。

 だから俺は、そうだ。
 真中が俺から離れていかないように、真中に興味なんてちっともないような振りを続けなきゃいけなかった。

 その時点で、最初から俺は真中が好きだった。
 好きだった?

 少なくとも……。

「本当は……なに?」

「めんどくさいな」

「なにが」

「……話すの」

663 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:11:49.11 ID:tPIsQ6zzo


「……」

「なんでもかんでも、言葉にしないとだめかな」

「……じゃあ、大事なことだけ、言ってよ」

「うーん……」

 さて、どう言ったものだろうな。

「……ほんとはちょっと、悲しかっただけなんだ」

 と、真中はそう言った。

「なにが?」

「青葉先輩のことも、ましろ先輩のことも、いろんなことも、いろいろ、あって」

「うん……?」

「知れば知るほど、わたし、せんぱいのこれまでの人生に、どこまでも無関係な人間だなって」

「……」

「一緒にいたのに、ほとんどなんにも知らなかった。せんぱい、何にも話してくれなかったし」

「……」

 そうかな。

「『俺の振る舞いが全部おまえの想定内に収まるくらいおまえは俺のことを知っているのか?』」

「……」

「せんぱいは、そう言ってた。……わたし、なんにも答えられなかった」

664 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:12:29.92 ID:tPIsQ6zzo

 そんなこと、言ったっけな。
 言ったんだろうな、きっと。 
 そんな記憶が、いま、蘇ってくる。

「すっごく、悔しかった」

「……そっか」

「せんぱいの幼馴染さんとか、青葉先輩とか、ましろ先輩とか、それに、ちせとか……」

「……」

「せんぱいの周りにはいろんな人がいて、みんな、せんぱいのこと、知ってるみたいな顔がするのがいやだった」

 真中は、恥じ入るみたいに顔を俯ける。
 俺はそれを黙って聞いている。

「わたしがいちばんじゃないといやだ。せんぱいのこと、いちばん知ってるの、わかってるの、わたしじゃないと、いやだ。
 わたしの知らないせんぱいを、他の誰かが知ってるなんて、やだ」

「……なんだ、それ?」

「……なんでもない。言ってみただけ」

「ん」

 当たり前みたいに、真中は俺の言葉を待つ。

 俺は真中のことが好きだ。

 けれど、真中はやっぱり、俺のことを分かっていない。

665 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:13:14.18 ID:tPIsQ6zzo

 真中もちどりも純佳も、瀬尾も怜も大野も、分かっていない。

 どいつもこいつも、俺がまるで無欲な人間であるかのように誤解している。
 俺自身でさえ、そんなふうに考えている。

 でも今は、違うような気がする。

 共犯意識、恩を着せているような得意な気持ち、
 人に懐かない猫が自分にだけすり寄ってくるような優越感、
 あるいは、もっと純粋に、魅力的な女の子と一緒にいられるという役得。
 もっと単純な、性欲。

 すべてが絡み合っている。 
 すべてが絡み合っていて、
 真中が離れていくと考えるだけで、俺は待てよと言いたくなる。

 ふざけるなよと誰にともなく言いたくなる。

 好きだとか、一緒にいてほしいとか、そんな殊勝な気持ちなんかじゃない。

 勝手に離れてるんじゃねーよ。
 ふざけてんじゃねーよ。
 
 じゃないと俺はまた、あの森の中でひとりだろうが。

 好きだなんて、そんな単純なものじゃない。
 その単純な一言の中に、いろんなものがないまぜになって絡み合っている。
 欲望、劣等感、優越感、孤独、空虚、寂しさ、庇護欲、承認欲求。

 そんなすべてが含まれた感情を、俺は純粋な好意だと思えなかった。

666 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:14:06.87 ID:tPIsQ6zzo

 真中が離れていかないように、真中を突き放した。……それは事実だ。
 でも、そんなないまぜになった感情を抱く自分が嫌で、綺麗な気持ちじゃないのが嫌で、真中を突き放した。……それも事実だ。
 きっと全部が絡み合っている。
 
 それが愛なら、たぶん全部が愛なんだろう。
 世界は愛でできているんだろう。

 俺は言葉の使い方が雑だから、それを愛と呼んでやってもいいんだけど、
 でも今は、いつもみたいにそんなごまかしをつかったら、取り返しがつかないような気がした。
 
 ──きみはね、恋がしたいんだよ。
 ──恋がしたいから、困ってるんだ。

 それが本当だったのかもしれないと思うけれど、好きだなんて言葉ではどこにもいきつかない。

「……せんぱい?」

 自販機の脇に、真中はもたれている。
 仕方ないから俺は、

 とん、と手を突いて近付いた。

「……なにしてるの、せんぱい?」

「……壁ドン?」

「……最近あんまり聞かなくなったね?」

「……だな」

 とりあえず、十五センチ圏内に真中のからだがある。

667 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:14:32.94 ID:tPIsQ6zzo

 いろんなものがないまぜになっているのかもしれない。

 それがなんだ。

 綺麗なだけの感情じゃないかもしれない。

 それがなんだ。

 俺が好きだと言ったら、真中が離れていくかもしれない?
 
 ふざけてんじゃねえよ。

「真中」

「はい」

 と、真中はなんでか敬語だった。
 あっけにとられたみたいな、ちょっと慌てたみたいな、高い声だ。
 それが珍しくて、俺はなんだか、慣れないこともやってみるもんだな、と思う。

 さて、なんて言えばいい?

 必要だ、というのとは違う。
 好きだ、というには混乱している。
 ましてや、愛してるなんてお笑い種だ。

 だからって、茶番をもう一度繰り返したいわけでもない。

668 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:17:06.69 ID:tPIsQ6zzo

「……いくじなし」

 と真中が言った。
 
 うるせえよ、と俺は思って、
 すんなりと言った。

「俺はおまえが欲しい」

 それが一番、感覚としては近かった。

 んだけど、

「……は?」

 と、不審そうに見られてしまった。
 それもまた仕方ない。

 レディコミの男役か、と言いたくなるような台詞だった。我ながら。

 真中は、十秒くらいたっぷり黙り込んで、俺の方を見上げていた。
 そして、ふきだすみたいに笑う。

「なぜ笑う」

「笑うよ、これは」

「……俺らしくない?」

「……うん。とっても」

669 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:20:51.00 ID:tPIsQ6zzo

 欲しい。
 
 思い通りに動かしたい。
 所有したい、とすら思う。

 これが純粋な好意だなんて、最初から思ってない。

 真中は、呆れたみたいに俺を見上げて、
 猫みたいに、にんまり満足そうに笑う。
 
 頬にほんの少し朱がさしていて、それを綺麗だと思った。

「わたしが、欲しい?」

 少し震えた声で、真中はそう言った。

「欲しい」

「……ふうん?」

 油断しちゃいけない、とずっと思っていた。
 油断したら、この表情に全部もっていかれる。

 そう思っていた。
 手遅れだ。最初から。

「簡単にはあげないから」

 そういって彼女は、俺のもう片方の手をそっと持ち上げて、自分の頬にもっていった。
 すりよせられるように頬の感触を感じ、てのひらに、真中の睫毛があたるのが分かった。

「……だから、もっと欲しがってよ」

 ……結局これだ。
 完敗だ。

 こうなるのが分かってたから、俺は気取られたくなかったのだ。
 そんな後悔を覚えたけれど、もう手遅れだ。

 俺はこいつを欲しがっている。ほかの誰でもなく。

670 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:21:36.32 ID:tPIsQ6zzo

「……からかってる?」

 そう訊ねると、真中は柔らかく首を振った。

「もっかい言ってよ」

「なんて?」

「わたしがほしいって」

「……あのな」

「なんかね、なんでだろう。なにが、ちがうんだろうな……」

「……?」

「言い慣れてない感じが、せんぱいだなって気がしたよ」

「……何の話?」

「なんでもない」

 と真中は笑った。

 俺と彼女はそれからしばらく、誰も来ないのをいいことに、もぞもぞと動く貝になったみたいに、黙りあったままそこにいた。


671 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/15(金) 21:22:03.66 ID:tPIsQ6zzo
つづく
672 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/15(金) 23:43:40.20 ID:Xb9b5CRZO
おつです。いいですねぇ。
673 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/16(土) 00:10:42.01 ID:R2UE3L2No
おつおつ
674 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/16(土) 23:43:02.44 ID:uclklhEE0
おつです
675 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/17(日) 11:29:03.48 ID:CSFZJr2GO

ニヤニヤする
676 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:35:35.25 ID:5P8sYMU/o





 部室に行くまでのあいだ、真中はずっと俺の制服の裾を掴んですぐ後ろを歩いた。


677 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:36:33.31 ID:5P8sYMU/o



 部室についてからも、真中は制服の裾を離さなかった。
 
 大野と瀬尾と市川は既にそこにいて、それだけで察したみたいに何も言わなかった。

「歩きにくい」

「恥ずかしいの?」

「それもある」

 なんて会話を、俺は沈黙が広がる文芸部室のなかで繰り広げなければいけなかった。

 俺は荷物を机の上に置いてから、部室の隅の戸棚に近寄る。
 
「どうしたの?」

「調べ物」

 そう言って俺は『薄明』の平成四年版を手に取る。

 茂さんが作り上げた架空の書物、架空の文芸部、架空の歴史。
 今から俺はそれを足がかりに、大掛かりな嘘をつかなければならない。

678 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:37:01.86 ID:5P8sYMU/o


 手にとって読んでみても、やはりそれをひとりの人間が作り上げたのだという感じはしなかった。
 収められている文章はどれもこれも巧拙や筆致に差異があるように見える。

 つまり、彼はそれほどの書き手だったということだろう。

 それだけのことが俺にできるだろうか?

 わからない。

 とはいえ、今重要なのは、そんなことではない。

 問題はひとつ。

 佐久間茂が作り上げたこの『薄明』のなかに、どんな物語が隠されているのか、だ。

 なのだが。

「……真中」

「ん」

「近い」

「うれしい?」

「……」

 うれしくないこともなかったが、集中できない。

「今日はあっついねー」と瀬尾があからさまにわざとらしいことを言う。

「夏だからな」と大野が答えた。
 
 市川は黙ってノートに絵を描いている。

679 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:37:34.16 ID:5P8sYMU/o

 ……とりあえず、『薄明』に視線を下ろす。

 平成四年度に発行された部誌は全部で四冊。
 春季号、夏季号、文化祭特別号、冬季号。

 そのうち、佐久間茂という名前があるのは、春季号と夏季号のふたつのみ。
 以降のふたつには彼は参加していない、ことになっている。

 読むものが読めば、春季号と夏季号に佐久間茂が寄稿した文章は盗作だとはっきりわかる。
 だからこそ、茂さんは、佐久間茂の名前を文化祭特別号以降には載せなかった。
 
 この一連の捏造された事態にはひとつのメッセージがあるように受け取れる。

 これは、『佐久間茂の作品は盗作である』という宣言だ。

 そして、佐久間茂の作品というのは、この四冊の『薄明』を指し示しているともとれる。

 何の盗作なのか?
 
 もちろん本人に聞くのが早いけれど、既に俺はその答えを知っている。
 
『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』。

 彼は、ボルヘスのあの短編の着想を模倣し、それによって架空の部員たちの存在を捏造した。

 これはもちろん、本来ならば紙の上で起きただけの出来事にすぎない。
 けれど、本当にそれだけで済んだのだろうか。

680 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:38:00.65 ID:5P8sYMU/o

 机の上に並べた『薄明』に順番に目を通しながら、俺は考える。

 佐久間茂の想像に過ぎない『むこう』は、その存在を現実に映し出し、今にまで影響を与えている。
 それによって、瀬尾青葉がこの場にいて、さくらが生まれ、カレハも生まれた。

 だとすれば、佐久間茂が捏造したこの部員たちは、現実に何の影響も与えなかったのだろうか?

 もちろん、部員たちが本当に生み出されたというようなことはなかっただろう。……おそらく。
 少なくとも茂さんは、そんなことを言っていなかった。

 だが、他の部分はどうか?

 たとえば、茂さんが言っていた、この部誌に仕込まれた『物語』。

 たとえばそれが、なんらかの形で現実に影響を与えたということは、ないだろうか?

 たとえばそれが……。

 ──さくらはいつのまに、守り神なんかになっちゃったんだろうね?

 他の何かと噛み合ってしまった、ということは、ないだろうか。

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