【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて

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52 : ◆Z5wk4/jklI [saga]:2018/12/19(水) 20:16:14.98 ID:MnCJ5f3U0
6.Camellia sinensis

 時は流れ、十二月、ある水曜日の午後。
 私は長い廊下を歩く。廊下のいちばん奥の扉の前には、ちひろさんが立っていた。

「夕美ちゃん、どうもありがとう」

「お疲れ様です、ちひろさん」

 部屋の扉には私たちを導いてくれた人の名前が書かれた札が下がっている。

「今は、お休みになっています」

 ちひろさんの言葉に私は頷いて、大きな音をたてないよう、そっと扉を開けて部屋の中に入った。
 小さな個室の中に、白いベッドがひとつ。
 消毒液か何かをイメージさせる、病院独特の匂い。定期的に電子音を発している機材。
 これまでにも数回経験のある、この世とあの世の間みたいな、生活感の断ち切られた非日常的な景色。
 プロデューサーさんが運び込まれた病室は、そういう空気に満ちていた。
 花瓶に挿されたお花さんが、この部屋の借主をじっと見つめている。
 ベッドの中央で、私たちのプロデューサーさんは、目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。
 私は荷物を置いて、お布団のあちこちからたくさんの管が伸びるベッドのとなり、お見舞にきた人のために置かれた椅子に座り、レースカーテンのかかった窓の外を観る。
 空は薄明るい灰色で覆われていて、今年初めての雪がちらついていた。
 もう一度、プロデューサーさんの顔を見る。
 ほんの数十日前は元気に私たちを導いてくれていたのに、今ではずっと痩せて小さくなってしまっていて、肌の色は深く沈んでいて。
 ――誰が見ても、もう、長くはないんだとわかってしまう。
 誰にでも訪れる瞬間ではあるけれど、私は、胸が詰まる思いだった。

「プロデューサーさん」

 私は声に出す。プロデューサーさんは、目を閉じたままゆっくり呼吸して、胸を上下させている。

「もうすぐ、今年もおしまいです。私はまだ自分の部屋の大掃除も終わってないし、年賀状の準備もこれからで、なんだかばたばたした年末になっちゃいそうです」

 あの日、プロデューサーさんは事務室で倒れてから、搬送された病院で治療を受け、命を取り留めた。けれど、それから先、意識は安定しなくなってしまった。
 今では眠ったり目覚めたりを不定期に繰り返していて、起きていても意識は濁って、しっかり受け答えができないことが多いらしい。
私たちユニットのメンバーは代わる代わる、プロデューサーさんのお見舞いに訪れていた。ちひろさんのお話では、プロデューサーさんに奥さんやお子さんはなく、親族もみんな既にこの世を去っていて、この部屋を訪れるのはプロデューサーさんの信頼できるお友達と、プロダクションの一部の人、そして私たちユニットのメンバーくらいらしい。
 それでも、プロデューサーさんの部屋にはたくさんの花が飾られ、お見舞いの品が溢れ、プロデューサーさんが、ここまでずっと誠実に生きてきたんだっていうことが、とてもよく分かった。

「事務室は、先週大掃除をしたんですよ。マキノちゃんが、これからどんどん忙しくなるんだから、先にやっておくべきだって……美穂ちゃんとくるみちゃんが、すっごく頑張って綺麗にしてくれて……あれ、このお話、もしかしたら一昨日にマキノちゃんがしちゃってたかなぁ……」

 私はひとりでちょっと笑う。

「でも、これから話すことは、プロデューサーさんはご存じじゃないと思います。今日、私たちのユニット名が決まりました。もう、プロデューサーさん、私たちに残していった資料に、ユニット名は自分たちで決めなさい、なんて書くんだから……決まるまで、とっても時間がかかったんですよ。でも、最後はみんなが納得する名前に決まりました。はぁとさんが出してくれたアイディアなんです」

 私はプロデューサーさんの手をとる。筋肉が衰えて骨ばっているけれど、しっかりと温かい。その手のひらに、私は一文字ずつ、指で字を書いていく。

「G、R、A、C、E、F、U、L、T、E、A、R、S。グレイスフルティアーズ。優雅な滴っていう意味です。マキノちゃんがすぐに、イニシャルはG・TでGreen Tea、緑茶と同じね、って言ったら、はぁとさん頬を膨らませて恥ずかしがっちゃって。ふふっ。そのあと美穂ちゃんが、つづりの中にTeaも入ってますねって言ったら、はぁとさん、そっちは気づいてなかったみたい。でも、いい名前だと思いませんか」

 私はプロデューサーさんの手を握った。

「この名前で、プロデューサーさんがくれた歌で、私たちみんなでフェスに出ます。あと、もうすこしです。みんな成長したんですよ。美穂ちゃんもマキノちゃんも、歌もダンスもすっごくレベルアップしてて、私はみんなに置いて行かれないように必死で。くるみちゃんはお仕事にも慣れてきて、最近は前より涙が流れるまでの時間が長くなったって言ってました。苦手だって言ってたダンスも、一歩一歩、進んでます。はぁとさんは、トレーナーさんから矯正完了のお墨付きをもらって、今はどんどんお仕事を入れて、ユニットの宣伝をしてくれています。私は……私も、みんなほどじゃないかもしれないけど、頑張ってるつもりです。だから――」

 私は、希望を唱える。

「プロデューサーさんも、きっと元気になって、私たちのステージを見に来てくださいね」

 私はもう一度、プロデューサーさんの手をぎゅっと握ってから、椅子から立ち上がる。
 コートを着て、マフラーを巻こうとしたときだった。
 背後のベッドから、衣擦れの音がしたような気がして、私ははっとして振り返る――
 プロデューサーさんが目を開いていた。
 眩しそうに眉間にしわを寄せて、それから首と眼球を少し動かして、私の方を見る。
 黒目に光が、ううん、炎が灯っているように、私には見えた。

「……ごに……っ」うまく声が出せなかったのか、プロデューサーさんは詰まったような音を漏らした。「そこに、居るのは……? 相葉さん、ですか……?」

「はい、相葉、夕美です、プロデューサーさん!」

 私はもう一度コートを脱ぎ、プロデューサーさんに近寄った。
53 : ◆Z5wk4/jklI [sage saga]:2018/12/19(水) 20:18:04.80 ID:MnCJ5f3U0
「……御足労を……ありがとうございます、相葉さん、ええ、今日は、何曜日ですか……?」

「今日は、えっと、水曜日です、今日の午後、ちょうど、みんなで打ち合わせをして、そのあと私が代表でお見舞いに」

「そうでしたか。……水曜日……」

 プロデューサーさんはすーっと深く息を吸って、吐く。意識はしっかりしているみたい。

「水曜日ですか……ふふ、では、お茶を、と言いたいところですが……緑茶では、医者が許してはくれないでしょうね」

 言って、プロデューサーさんはちょっと笑った。私もちょっと笑う。
 こんな時にもお茶だなんて、プロデューサーさんらしい。

「それでも、雰囲気だけでも味わいたいものです。相葉さん、お時間が許すなら、お茶を……淹れていただけませんか。本当は私が淹れて差し上げたいのですが、すぐには満足に身体が動きそうにない」

「あっ、はいっ! ちょっと、待っていてくださいね!」

 私は病室を出ると、ちひろさんにプロデューサーさんが目を覚ましていることと、お茶の希望を告げた。
 ちひろさんは快諾してくれ、お医者さんへの報告と、お茶のセットの手配をしてくれるという。
 私もそれを手伝おうかと思ったけれど、プロデューサーさんが私と話をしたいと言ったので、プロデューサーさんと一緒に、病室でお茶を淹れる準備が整うのを待つことになった。
 再び二人になった個室の中で、プロデューサーさんはゆっくりと首を動かして窓の方を見る。

「もう、冬ですか。相葉さんたちを担当する事になってから、あっという間でしたね」

「はい。いろんなことがありました」

 プロデューサーさんは私の方に顔を向ける。

「……相葉さん。長い、本当に長いあいだ、お待たせして申し訳ありませんでした。あの時のお話の続きをしましょう」

「……はい」

 春に中断してから、ずっとそのままになってしまっていた、プロデューサーさんと私の面接。

「間に合って、よかった」

 プロデューサーさんの言葉の意味するところを考え、私は沈黙で答える。
 あのとき――プロデューサーさんからあまり時間は残されていないと告げられた時は、時間が残されていないのは私だと思っていた。でも、時間が残されていないのはプロデューサーさんのほうだったんだ。

「もう一度、あの時のことをお訊ねします。相葉さんは、どういうアイドルになりたいと思っていますか。どうして、アイドルをやりたいと思っているのですか。……あれから、迷いは、晴れましたか?」

 プロデューサーさんの質問を受けて、私は、目を閉じて、鼻からゆっくり息を吸う。
 春からずっと、私は私がどうしてアイドルになりたいのかを考え続けていた。
 そうして、ユニットの皆と出会った。
 美穂ちゃんは、とてもまっすぐで、一生懸命だった。
 マキノちゃんは、未解明のものに突き進み、その魅力に挑戦し続けた。
 くるみちゃんは、変わりたい強い気持ちを持って前に進んだ。
 はぁとさんは、絶対に折れない強い誓いを抱いた。
 じゃあ、私は。
 ゆっくりと目を開いて、プロデューサーさんの目を見つめた。

「私は、誰かを元気にするために、頑張りたいと思っています」

 はっきりと口にする。プロデューサーさんは黙って私を見ていた。
 私の心の中で、とげのある声がする。『じゃあまず、あたしを元気にしてよ。あんたがアイドルをやめたら、あたし元気になれるよ』――
 私自身が私の中に作った、私を試す声だ。
 でも、もう私は、迷わないんだ。

「他の誰でもない、私自身が、誰かを元気にしたいんです。それが私の希望。だから、私はアイドルをやりたい。誰かを……ううん、誰よりも皆を元気にできるアイドルになりたいと思っています」

 言い終えた瞬間に、胸の中のもやがすっと晴れていくような気がした。
 プロデューサーさんは天井を見て、ゆっくりとひとつ、呼吸する。

「迷いは、消えたみたいですね」

「はい」

「それでいい。花には咲くべき時があります。咲くべき時には、思い切り咲いていい。誰かに遠慮する必要などありません。相葉さんなら、きっとなれると思います。……誰もを元気にすることができる、アイドルに」

「はいっ!」

 私は、笑顔でプロデューサーさんに答えた。
 その時、病室の扉をノックする音がして、すぐに扉が開く。
54 : ◆Z5wk4/jklI [sage saga]:2018/12/19(水) 20:19:26.66 ID:MnCJ5f3U0
「用意ができました」ちひろさんがお盆を手に入ってくる「急須と湯のみ、ケトルをお借りしました。お茶は先日のお見舞品でいただいたものです」

「ありがとうございます」

 プロデューサーさんは嬉しそうな声をあげる。
 私はケトルでお湯を沸かし、急須にお茶の葉を入れた。

「お湯はまず湯のみに注いで少し冷まします。お茶の種類にもよりますが、湯気が少し落ち着くくらいまで待ってください。……もう少し……そろそろでしょう。急須の中にお湯を注いでください。そのまま、動かさずに待ちます。お茶の葉が開くまで、焦らずに」

 私はプロデューサーさんの指示の通りに動いた。
 プロデューサーさんは感慨深そうな表情で、私がお茶を淹れる様子を見つめていた。
 急須から、お茶のいい匂いが立ち上ってくる。
 私の視界が潤んだ。

「そろそろよさそうです。いい香りだ」

「はいっ」

 私は涙を拭った。隣でちひろさんも目元を押さえていた。

「急須をゆっくり回してください。濃さを均等にします。湯のみに少しずつ、何度かに分けて回し、注いでください。最後の一滴まで……」

 私は言われた通りにする。

「ありがとうございます。さあ、どうぞ、と言うのは少し変ですね。淹れてくださったのは相葉さんだ」

「ふふっ。おいしくできているといいなぁ。いただきます」

「いただきます」

 プロデューサーさんの湯のみは、プロデューサーさんに香りが届くように、枕の近くに置いた。私とちひろさんは、お茶を頂く。

「おいしいです」

 ちひろさんはしみじみと言う。

「うん。おいしいです。でも、やっぱりプロデューサーさんが淹れてくれたお茶が忘れられません」

 私が言うと、プロデューサーさんはちょっと笑った。
 それから、私たちは少しのあいだお茶を楽しみ、ゆっくりした時間を過ごした。


 ちひろさんが借りた道具を返すために病室を出たので、私は再び、プロデューサーさんと二人きりになった。
 プロデューサーさんの顔は、私が最初に部屋に入ったときよりも少し血色がよくなっているように見えた。

「……プロダクションの駐車場は、様々な人が通り過ぎていきます」

 プロデューサーさんが窓の外を見て呟く。
 私は少し姿勢を正して、プロデューサーさんのお話を聞くことにした。

「皆さんのような所属のアイドルや芸能のほかの部門の人々、社員や業者、取引先……人々が通り過ぎる中で、すこし珍しい人が居ました。駐車場の花を嬉しそうに眺めて、時にはなにやら話しかけているお嬢さんです」

 窓越しに、プロデューサーさんが私に微笑みかける。
 私は恥ずかしくなった。やっぱり、プロデューサーさんに見られてたんだ。

「社内の知人に、そのお嬢さんが美城プロダクション所属のアイドルだと教えてもらいました。それから少し経って、今年の春です。アイドル部門で倒れた社員が出たことで、社内は大騒ぎになりましたね。そのとき、スケジュールの都合で、どうしてもプロデューサーをつけられそうにないアイドルが四人、出てしまったと聞きました。それが、貴方たちです」
55 : ◆Z5wk4/jklI [sage saga]:2018/12/19(水) 20:20:32.43 ID:MnCJ5f3U0
「そう、だったんですか」

 私の声は少し暗くなった。やっぱり、私たちは、あぶれてしまったお荷物だったんだろうか。

「落ち込む必要はありません。オーディションやスカウトで見いだされたなら、貴方たちは確実に輝くための才を持っているということです。たまたま、巡り合わせがよくなかっただけのことですよ。……ですので、そういう事情なら、その四人を一時的に任せてくれないか、と無理を言って、私は皆さんと共に歩むことにしたのですよ」

「ありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとうございます。駐車場の花は趣味で育てていたものでしたが、あそこまでしっかりと愛でてくれたのは相葉さんだけです。出来れば、これからも世話をお願いしたい」

 そんな、と私は言いかけて、飲みこんだ。

「……花は咲けば、やがて必ず枯れます」プロデューサーさんは自分の手のひらに視線を向ける。「私という人間が咲いていた時期は、もうはるか過去に過ぎているんです。誰にでも訪れる老いがやってきて、最後は土に還ります。その土を糧として、今を咲くべき人が咲く。そうあるべきです。相葉さん、今はあなたたちの時代です。顔をあげて、前に進んでください」

「はい、でも、でも……」

 私は両手で顔を覆った。
 もっとたくさん時間があったなら。
 もっとたくさんお話ができていれば。
 もっとたくさん学ぶことができていれば。
 そう思ってしまうことを、今くらいは許してほしい。

「見舞いは非常にありがたいが、大事な時期に私に時間を使うことはありません。あなたたちの晴れ舞台のために、全力を尽くしてください。私はそうしてもらえるのが一番嬉しい」

 私はしばらくうつむいて、それから、笑顔で顔をあげた。

「はいっ! 最高のイベントにできるように、頑張ります! それで、フェスが終わったら……! っ、皆で、もう一度、かならず伺いますっ……!」

 私が言うと、プロデューサーさんは穏やかにもう一度、ありがとうございますと言って、ゆっくりと目を閉じ、そのまま穏やかに寝息を立てはじめた。
 私は立ち上がり、コートを着てマフラーを巻くと、病室の扉を静かに開けて、入口の前に立っていたちひろさんに挨拶をして、その場を後にした。
 病院の外に出る。濡れた頬に冬の風はとても冷たかった。
 それでも私は、顔をあげて、笑顔で前へと歩いた。


---
56 : ◆Z5wk4/jklI [sage saga]:2018/12/19(水) 20:23:16.86 ID:MnCJ5f3U0
 あっという間に時間は過ぎゆき、プロダクションの冬のフェスの当日が訪れた。私たちユニットの五人はほかのアイドルの皆と一緒に円陣を組み、最初の曲を全員で歌った。そのあとのプログラム、私たちの新曲のお披露目では、フェスの全体衣装に加えて、それぞれがお花と葉のアクセサリーをどこかに身に着けてステージに臨んだ。


「……みんな、今までで一番綺麗に咲こうね」

 私たちの出番の直前、私の言葉にみんなが頷いてくれる。

「前の曲終わります、スタンバイしてください!」

 スタッフさんが私たちを呼ぶ。私たちは入場口の前に立った。
 くるみちゃんが不安そうな顔をする。当然だよね。こんなに大きなステージに立つんだから。
 くるみちゃんだけではなく、私も、きっとほかの三人も、皆不安を持っている。
 だから、私たちはごく自然に、それぞれがそれぞれの手を取った。
 それぞれの不安と緊張は、お互いの期待と感謝に包まれて、集中に変わった。
 大きな拍手と歓声が起こる。前のステージが終わったんだ。ステージライトが全部消える。スタッフさんが手で入場の合図を出した。
 私たちはステージへと進みだす。
 暗転したステージ上で前の演目のアイドルたちと交代し、ステージの床に貼られたビニールテープを目印に、それぞれの立ち位置に立った。
 振付の最初のポーズを取る。
 ステージのスピーカーと、左耳のイヤホンモニターから同時に曲のイントロが聞こえてくる。
 シーリングライトの光が降り注ぐ。
 背中から二階席に向かってレーザーの光が飛んでいく。
 私たちはゆっくりとマイクを持ちあげ、丁寧に最初の詩を音に乗せた――
 届きますように。
 大切な人達からもらったものを受けて咲く私たちが、誰かに大切なものを届ける。
 そうやって繰り返して、人も花も、ううん、この世界はすべて、続いていく。

 そして私たちのステージは、大成功に終わった。
 すべてを出し切った五人全員が、笑顔でファンの人たちに手を振って、次のユニットに交代するために退場した。
 袖から舞台裏に出てすぐ、私たちはお互いにハイタッチをして、抱きしめあって、感無量で泣きだしちゃったくるみちゃんにもらい泣きをして、それから楽屋へと戻る。
 楽屋に戻った私たちは目を疑った。
 楽屋では、プロデューサーさんが私たちを待ってくれていた。
 社員の男の人に身体を支えられてはいるけど、自分の足で立って、いつものグレーのスーツの上下を来て、同じ色のハットをかぶって、穏やかな笑顔で私たちを迎えてくれた。

「プロデューサーさん!」

 私たちはプロデューサーさんにかけ寄る。

「グレイスフルティアーズのみなさん、お疲れ様でした。素晴らしいステージでした。相葉さん、リーダーとしてユニットのまとめ、ありがとうございました」

「ううん、皆が頑張ってくれたおかげです」

 私はみんなの顔を見る。みんな、充実した顔をしていた。

「八神さんも、さらに上達しましたね」

「……ありがとう。でもまだ、これで満足するつもりはないわ」

 謙遜しながらも、マキノちゃんの頬はちょっと紅くなっている。

「小日向さん、メンバーをよく気遣ってくれていたと聞いています。お疲れ様でした」

「そんな、私なんて、夕美さんに比べたら……でも、ありがとうございますっ!」

「大沼さん、驚くほどの成長です。あの日、大沼さんに出会えてよかった」

「ふぇ、ぷろでゅーしゃー、あう、あの……くるみ、ことばが、でなくて……ふぇ、えええ」

 くるみちゃんが泣きだしてしまったので、私と美穂ちゃんが慌てて楽屋のティッシュの箱を取り、くるみちゃんに渡す。

「佐藤さん。長いあいだ、不安な思いをさせて申し訳ありませんでした。しかし、今のあなたは誰より輝いています」プロデューサーさんは目を細める。「これからも、期待していますよ。……『しゅがーはーと』さん」

「っ! ちょ、ちょっ、プロデューサー、そんなシュガシュガな不意打ちはめっ☆ だぞ、いつもの佐藤じゃ……っ、おいおい☆ ……そんなの、さすがに反則ぅ、だろっ、う、うぅぅ、うっ、うええええぇぇぇぇえ」

 はぁとさんも声をあげて泣き出してしまう。くるみちゃんが鼻をすすりながらティッシュの箱をはぁとさんに差し出し、はぁとさんはそれでマンガみたいな音を立てて鼻をかんだ。
 プロデューサーさんは、私たちを感慨深そうに見回してから、ひとつ息をつく。

「さて、申し訳ありません、もうすこしお話していたいところですが、医者から早く戻るようにと言われています。このまま、退散させていただくことにします。みなさん、本当にお疲れ様でした。私も面目躍如というものです。素敵なステージをありがとうございました」

 そう言ってプロデューサーさんはハットをとり、丁寧に礼をすると、社員の男の人に助けられて車椅子に座り、部屋から出ていこうとする。

「プロデューサー!」去り行く背中に最初に声をかけたのは、はぁとさんだった。「今まで、本っ当おぉに!」

「ありがとうございました!」

 深く頭を下げた私たち五人の声が揃い、プロデューサーは私たちに背を向けたまま、ハットを持ちあげて応えてくれた。

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 そうして、プロダクションの冬のフェスから二週間ほど経って、年が明けてまだ間もないころ、私たちのプロデューサーさんは、お友達に看取られながら、穏やかにこの世を去った。
57 : ◆Z5wk4/jklI [sage saga]:2018/12/19(水) 20:24:39.56 ID:MnCJ5f3U0
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 私達ユニットのメンバーはお通夜とお葬式に出席し、それから先は、ちひろさんから納骨や、そのほか様々のことが終わったことを教えてもらった。プロデューサーさんともう会えないという実感が現実味を帯び、そしてそのことが当たり前の日常と同化したころ、次の春がやってきた。
 木々は新しい葉をつけ、花を咲かせる。別れがあり出会いがあり、新しいことが始まる季節。慌ただしいけれど、うきうきすることも多い季節。
 私たちは、次のイベントに向けたユニット活動に加えて、個々人の活動も活発になり、忙しい日々を送っていた。
 それでも、水曜日の午後には、集まれるメンバーが集まって、お茶を飲みながら、打ち合わせやおしゃべりをする時間を取るようにしていた。

 ある水曜日の午後。今日はあまりメンバーの都合が合わなくて、私とはぁとさんだけの参加だった。プロダクションのビルの上階、給湯室に近い休憩スペースの一角で、私ははぁとさんと二人分のお茶を淹れて、テーブルまで運んでくる。

「きゃるーん♪ サンキュー、夕美ちゃん☆」

「どういたしまして。まだ熱いですから、気を付けてくださいね」はぁとさんに湯のみを渡す。「これで、私のぶんも、空っぽになっちゃいました」

「そっか」

 はぁとさんはちょっとだけ目を細める。

「あとはくるみちゃんのだけかー。まったく、遺品として茶葉ってなぁ、しかも缶じゃなくて袋詰め、完全に消耗品だっつーの☆」

 言ってから、はぁとさんはお茶をひと口。

「ふふっ、でも、プロデューサーさんらしいと思うなぁ」

 私もひと口。上品な甘みが口の中に広がっていく。うん。今日はいつもより上手に淹れられたかな。
 亡くなったプロデューサーさんは、私たちに一人一袋の緑茶の茶葉を残してくれていた。逆にそれ以外のもの、たとえばいつまでも形に残るようなものは、何も残してはくれなかった。
 構わず先に進め、というプロデューサーさんの遺志の形なんだろうと、私たちは受け取ることにした。
一方で、このお茶を飲むために水曜日の午後に集まることが、個々の活動でなかなか一緒に居られない私たちを繋ぎ続けてくれてもいた。これも、プロデューサーさんのプロデュースなのかと思うと、頭が下がる思いだった。

「はぁあ、あの駐車場もすっかり綺麗になっちゃったよなー……」

 はぁとさんは窓からプロダクションの駐車場を見下ろす。私たちが去年一年を過ごした社外の事務室は、その主が居なくなったことで取り壊しになり、警備員室は社屋内に設けられたスペースに統一された。
 窓から駐車場を見下ろすはぁとさんの横顔は、ちょっとだけ寂しそうだった。

「ほんとに、私たちだけになっちゃいましたね」

「そーだなー」

 二人で湯のみの水面を見つめる。

58 : ◆Z5wk4/jklI [sage saga]:2018/12/19(水) 20:25:54.91 ID:MnCJ5f3U0
 私たちのプロデューサーさんの遺品は、形に残らない。
 私たちとプロデューサーさんが居た場所も、もうない。
 私たちのユニットの活動のどこにも、プロデューサーさんの名前は残っていない。プロデューサーさんが私たちをプロデュースしてくれたことを知っているのは、私たちしかいない。
 プロデュースの証として残っているのは、私たちというアイドルそのものだけ。

「でも、だからこそ、頑張らなくちゃ、って思えます」

 私たちが胸を張って進み続けることだけが、プロデューサーさんの存在した証に私たちが敬意を表す手段なんだ。

「まったくぅ、マキノちゃんがこの前言ってた通り、最期にとんでもないプロデュースしてってくれたな☆」

 はぁとさんの言葉に、二人で笑う。

「あら、はぁとに夕美ちゃんじゃない」

 私たちのテーブルに、女性が近づいてきた。美城プロダクションのアイドル、沢田麻理菜さんだった。片手に売店のコーヒーのカップを持っている。

「あれ、何飲んでんの……緑茶? へぇー、はぁと、それは? ノースウィーティーなんじゃないの?」

 麻理菜さんは笑ったけれど、はぁとさんは得意顔で言った。

「なに言ってんだ、これは最ッ高にスウィーティーだろぉ☆」

「そうなの? ほんとわかんないわ、その基準」

 二人のやりとりを聞きながら、私はおかしくって、一人で笑っていた。
 それからは、三人でゆっくりとおしゃべりしながら過ごした。

「……さてと、はぁとさん、私、そろそろ行きます」

 お茶を飲み終えてからもしばらくおしゃべりに花を咲かせてから、私は立ち上がる。

「雑誌のインタビューだっけ? ガンバ☆ シュガシュガパワー、普段より多めに夕美ちゃんに分けとくぞ♪」

「頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」

 私ははぁとさんと麻理菜さんに挨拶をして、湯のみを片付けてからエレベーターで地上階まで降り、エントランスを抜けてプロダクションのビルを出た。

「……っと」

 正面から出ようとして、足を止める。
 さっき話をしていたせいか、ちょっとだけ気になって、私はビルの前で方向転換をして、駐車場に向かった。駐車場の花壇は今年もアマリリスやナデシコ、ほかにもたくさんのお花さんたちが元気に咲いている。

「……うん。みんな、きれいに咲いてるね」

 そうか。私たプロデューサーさんが残したものは、ここにもあった。
 私は思わず笑顔になっていた。

「今日も、頑張ろうねっ!」

 お日さまの光を浴びて、誇らしげに咲くお花さんたちに声をかける。
 私も、みんなも、大切な人たちのくれた誇りを胸に、前を向いて咲き続けるんだ。
 私は空に向かって大きく伸びをして、歩き出した。



6.プロデューサー Camellia sinensis チャノキ(追憶)
『水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて』  ・・・END
59 : ◆Z5wk4/jklI [saga]:2018/12/19(水) 20:31:16.06 ID:MnCJ5f3U0
おつきあいいただき誠にありがとうございました。
楽しんでいただけたならば幸いです。

関連作品「先輩プロデューサーが過労で倒れた」もよろしければお楽しみください。
時間軸を共有しております。
https://www.paper-view.net/hd/sp/
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1493641193/
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/19(水) 21:46:26.29 ID:MmLorwpDO


寂しいけど、いいお話でした
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/20(木) 00:05:00.64 ID:XjQbmwWFo
乙乙
倒れたPってあの先輩Pだったのか
今回もすごく良かった
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