鷺沢文香「埃を被る暇も無く」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/02(水) 22:47:34.72 ID:JOYNjghK0

きっとこのまま、私は。
私の生涯を、大きな子供のようなままに終えるのだと、そう思っていました。


恐らくは、大学生の身分にまで収まり、先が見えてしまったからなのだと思います。
幼稚園、小学校、中学校、高校。
さしたる変化も成長も無く。
これまでの十数年、『人生の転機』などと言ったものは、一度として訪れませんでした。
多分、このまま叔父の書店を継ぐなりして――



――私の人生は、一冊の本として綴じられる類のものだと、そう思っていたのです。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1546436854
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/02(水) 22:53:04.08 ID:JOYNjghK0


人生とは、一冊の本である。


何処の書店でも。更に言うならば、この古書店でさえ。
少し探してみるだけでそんな本が見つかりそうな、ありふれた人生論です。
心の底でぼんやりと、私もこの詠み人知らずの金言を抱えていたのでしょう。

少しずつ少しずつ、ページを重ねて。
最後には古ぼけた、灰を、煤を、埃を被った、少しだけ厚めの本と成って。
手に取ったどなたかが、


 『ああ、こんな本もあったな』


そう、ぽつりと零すような。


そこまで考えたところで、頁へ落ちた影にようやく気が付きました。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/02(水) 22:58:23.71 ID:JOYNjghK0

ああ、いけません。店番中だったというのに。
読書の最中に考え事とは、お客さんにも、本にも失礼を働いてしまいました。

 「申し訳ありません」

本を閉じ、顔を上げ、目の前にいた方にひどく驚きました。

言葉を探すように開けられた口と、眼鏡越しに私を見つめる瞳。
ごく普通の、やや理知的な顔立ち。それはよいのですが……。


 「……」


厚み、を感じる方でした。


ビジネスマンらしきネクタイもスーツも、恐ろしく似合っていません。
その胸板は、今までに出会ったどなたよりも分厚く。

 「あの……何か、探し物でしょうか」

 「……ああ、いえ。探し物、と言うか」

お客さんは、その分厚い胸元を探ると。


栞よりも小さな、一枚の名刺を差し出します。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/02(水) 23:05:22.91 ID:JOYNjghK0


 「貴女を探していたんです」


何処からか秋の風が吹き込んで、閉じておいた小説を悪戯にめくりました。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/01/02(水) 23:07:24.53 ID:JOYNjghK0

文学女神こと鷺沢文香さんのSSです


http://i.imgur.com/v6mMZbU.jpg
http://i.imgur.com/7NVbwsv.jpg

前作とか
モバP「楓さんも敬語を崩したりするんですか?」 ( http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1542458996/ )
中野有香「いつだってストレート」 ( http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1489823741 )


言葉を選びました
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/02(水) 23:20:09.23 ID:JOYNjghK0

 ― = ― ≡ ― = ―


 『――いや、同僚にこの辺りを回ってみてほしいと言われて』


私を探していた。

彼は……プロデューサーさんは、確かにそう言っていました。
言葉尻だけを捉えれば、まるで予知能力者か占い師のようです。
理由を訊ねてみましたが、プロデューサーさん自身にも判然としないようで。


 『まぁ……あの人が言う事だから。きっと、そういう事なんだと思う』


論拠をそう曖昧にぼかされたまま、彼はアイドルの魅力を丁寧に丁寧に説明してくれました。
三日に一度ほど、文庫本を買い求めにやって来た際、レジを挟んで。
毎回お客さんの少ない時間帯でしたし、説明もせいぜい五分程度。
何か作業をしている時にはおとなしく退店されて行きますし、無下には出来ません。

ただ、彼は大変粘り強い方のようでした。
およそ二ヶ月に渡る説得の末、とうとう私は首を縦に振ってしまい。


プロデューサーさんは、少し強引です。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/02(水) 23:25:01.41 ID:JOYNjghK0


 「――……、……、……」


新しい事務所だと聞いて想像したよりも、随分と広々としたレッスンルーム。
その広々とした一角で、私はフローリングにへばり付いているばかりでした。

 「……あの、トレーナーさん。一体何をやらせたんです」

 「い、いえ……最初だから、簡単なステップとターンを少し」

 「…………、……、……」

 「少しには見えませんが……息、上手く出来ていませんし」

 「……ぷろっ、ろ……けほっ……!」

 「ああ、文香さん落ち着いて……!」

トレーナーさんの言葉に嘘は何もありません。
本当に、ステップとターンを少し教わっただけ。
この惨状は、偏に私の体力が為し得た光景に過ぎないのです。

 「えーと……どうしましょう、か?」

 「……今日はこれぐらいにしておきましょう。少し、考えを改めます」

 「す……すみ、ませ……こほっ」

私の有り様に、プロデューサーさんは明らかに困惑しているようでした。
彼自身の鍛え方以前に、どう考えても私の体力水準は低く。

……アイドルとは、本当に私のような者でも務まるのでしょうか。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/02(水) 23:28:51.33 ID:JOYNjghK0

 「あの……すみません、プロデューサーさん……」

 「いや、文香さんが謝る必要は無いよ。こちらも配慮が足りなかった」


帰りの車中は形容しがたい空気に満ちていました。
ぼんやりとした気まずさとは対照的に。
プロデューサーさんの締める二点式のシートベルトは、ぴんと強く張り詰めています。
ひょっとすると、胸囲で言えば私よりもあるのではないでしょうか。

 「文香さん、日曜の昼は暇だったりするかな」


 「……? はい……特に、予定などはありません」

 「そうか。良ければ、なんだけど――」


告げられた集合場所は、私にとって縁遠い場所で。
けれど私は、何となく頷いてしまいました。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 00:15:33.10 ID:i0wedlrd0

 ― = ― ≡ ― = ―

未明には霜付いていた草も解け、澄んだ大気を太陽が照らしつけていました。
これから厳しさを増すとは言え、まだ柔らかい冬と言えます。
穏やかな川の流れが眩しい程に煌めいていました。


 「お待たせ、文香さん。準備運動は済ませたかな?」

 「あ……プロデューサーさん……いえ、まだ」

 「うん。じゃあ、教えるから一緒にやってみよう」


動きやすさを考えてか、太さに耐えかねてか、首元のジッパーは閉まりきっていません。
スポーツウェア姿で向かい合い、河川敷にて準備運動を始めます。

 「そうそう。それから反対に伸ばして」

 「……い、痛い……です……」

 「痛むほど伸ばすのは良くないよ。無理せず、出来る範囲で」

二十分も準備運動に時間を掛けたのは初めての経験でした。
すっかり浮かび始めた汗が、冷たい風に溶けてゆきます。

 「よし、行こうか」
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 00:26:21.42 ID:i0wedlrd0

首から提げたストップウォッチを操作して、私達は並んで走り始めました。

 「文香さん、大丈夫? 速過ぎたりしない?」

 「大丈夫……です。ありがとうございます」

傍から見れば笑われてしまいそうな。
……あ。今、すれ違った老夫婦の方に微笑まれてしまいました。

ともかく、私達はそんなペースでジョギングをしています。

 「まずはこの速さで、出来る限り長く走ってみよう」

 「はい」

サイクリング中らしき、自転車の方に追い越されました。
ロードワーク中の、野球部員らしき方々に追い抜かれました。
お友達と仲良く戯れる、小学生らしき方々が走り抜けていきました。

 「……」

思い返してみれば、走るなどというのはいつ以来でしょう。
高校三年生の体育はほとんどレクリエーションでしたから……丸、二年ぶりくらいですね。

 「早筋と遅筋は、分かるかな」
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 00:41:37.00 ID:i0wedlrd0

 「……え? チキンと……側近?」

 「簡単に言うと、それぞれ持久力と瞬発力を受け持つ筋肉でね」

 「……ああ。早筋と……遅筋、ですか」

 「ジョギングでは遅筋が鍛えられるんだ」

 「なるほど……」

 「体力測定の結果を見ると、鷺沢さん、早筋は結構ありそうだったから――」

ゆっくりと走りながら、プロデューサーさんは様々な事を語ってくれました。


食生活と健康について。
睡眠の重要性。
視力改善の為に目の筋肉を鍛えようとした話。


そのどれもが淀み無く、確かな知識に基づいたものだとすぐに分かりました。
話上手な方の語りに、ついつい耳も夢中になってしまいます。


 「――よし、45分。休憩にしよう」
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 10:43:10.16 ID:i0wedlrd0

 「はあっ……ふぅ……」

 「お疲れ様。こんなに長く、一定のペースで走れるのは素晴らしいよ」

 「これ……くらいの速さ、でしたら……」

私は少しだけ痛む脚と、心地良い疲労を抱えていました。
身体の芯に篭もったような熱が、走った道のりの証左の如く燻っています。

 「プロデューサーさんは……お強い上に……物知り、なのですね」

 「文香さんの知識には敵わないと思うけど……照れるね」

もう息一つ乱れていないプロデューサーさんが、少し困ったように笑います。
とん、とんと、拳でお腹を何度が叩きました。

 「トレーニングの界隈で、こんな言葉があるんだ」

 「……?」

 「筋肉は裏切らない」


 「……素敵な、言葉ですね」

 「無理はしなくていいよ、文香さん」


……本当に、良い言葉だと思ったのですが。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 11:12:04.15 ID:i0wedlrd0

 「同じように、知識だって裏切らないと思うんだ。身に着けた経験は、決して」

 「そうかも、しれません」

 「だから文香さんに、この言葉も贈ろう」

小脇に、本を抱える格好をして。

 「書を持てよ、町へ出よう」

 「……寺山修司の名著。そのもじり、ですね」

 「流石。ほら、裏切らないだろう?」

体力と、知力と、諧謔。
プロデューサーさんに感じた厚みは、きっと積み重ねた経験から来たものでしょう。
私も、ほんの少しではありますが……知識を蓄えながら生きてきました。
次は、この貧弱な身に体力をつける番だと、そう仰りたいのですね。


 「……文香さん」

 「はい……何でしょう」

 「運動後は、みだりに前を開けないように。良くないからね、その……急に冷えて」
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 12:21:32.95 ID:i0wedlrd0

なかなか冷めない熱を逃がそうと、上着の前を開けて風を取り入れます。
確かに、急にTシャツ一枚の身体を晒しては風邪を引いてしまうかもしれません。
体調管理もアイドル活動の一環、という事でしょう。

 「うんその、そう、悪いけど早いとこ閉めてもらえるかな」

 「はい……知らず、申し訳ありませんでした」

 「いやいや気にしなくていいさ。他意は無いから、本当に」

プロデューサーさんが、何故か慌てたように手を振ります。
首を傾げながらも前を戻すと、安堵したように分厚い胸を撫で下ろしていました。

 「よし。じゃあ、もう少ししたら再開しようか」

 「はい」

そして再び走ります。
ふと、今の今まで訊きそびれていた事を思い出しました。

 「……プロデューサーさん」

 「ん、何かな」

 「今日は……どうして、ご一緒に、ジョギングを?」
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 12:45:21.89 ID:i0wedlrd0

 「前々から思っていたんだ」

 「……?」

 「アイドルだけに厳しいレッスンを課すのは、果たしてどうなんだろうと」


思わず隣を向くと、プロデューサーさんと目が合いました。

 「まずカイより始めよ」


先従隗始。
小さな計画から着手すること。
また、言い出しっぺの法則とも取られる事のある、古代中国の格言でした。

 「……なるほど。つまり、プロデューサーさんは」

 「ああ。まずはこうして甲斐性を見せてるって訳さ」



 「……」

 「よく見ててくれ、文香さん。俺の甲斐を」


穏やかに笑い掛けてくれるプロデューサーさんを前に。
私は、まず正しい解説から始めようと決心しました。


プロデューサーさんは、少しだけ抜けています。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 13:36:29.41 ID:i0wedlrd0

 ― = ― ≡ ― = ―


 「あの、プロデューサーさん……少々、相談が」

 「ん。どうしたの、文香さん?」


何かの間違いではないかとも思いました。
このままにするべきなのか、するにしてもどうすれば。
迷った挙句、私はプロデューサーさんへ話してみる事に決めました。

 「その、ですね」

 「うん」

 「お金が……振り込まれていまして……」

 「うん……うん?」

 「何故……振り込まれているのでしょう」

 「何故って、文香さんがお仕事をこなしたからだけど」

回答を聞き、私はしばらく固まってしまいました。
やはり、間違いではなかったのですね。

 「貰ってしまっても……よろしいのでしょうか」

 「よろしいと言うか、貰ってくれないと会社的に困ると言うか」
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 13:55:06.33 ID:i0wedlrd0

困る……。
ならば、ここは貰っておいた方が、きっと丸く収まるのでしょう。

 「まぁ、まだ多くはないけどさ。それは文香さんに対して支払われた報酬だよ」

 「……」

 「文香さん?」

 「……私、お金を稼いだのは、生まれて初めてで……どうしたらいいのでしょう」

 「えっと、古書店の方は? アルバイトじゃ……」

 「叔父の店を手伝っているだけですので」

 「なるほど」

そもそも私の財布は、使い所がごく限られています。
書店、古書店、古本市。後は、日用雑貨と食事に少々。
今回の給与は、それらへ回すには少し多いくらいで。


 「そうだね……大人とか社会人とか、そういう予行演習だと思っておけばいいと思うよ」
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 14:02:51.76 ID:i0wedlrd0

プロデューサーさんの返した言葉に、私は再び固まってしまいます。
私が……私が。

 「大人……?」

 「ああ。使い途が無いなら将来の為に貯めておくのも良い」

 「……私は」

 「うん」

 「まだ、子供なので……叔父に、預けておこうかと思います」

 「大人な判断だね」


聞き分けの無い子供を前にしたように。
プロデューサーさんが、苦笑を零しました。
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 14:21:48.76 ID:i0wedlrd0

 ― = ― ≡ ― = ―

一頁ずつ、一頁ずつ。
これまで本のようにゆっくりとめくられてきた私の日々は、少しだけ流れる勢いを増しました。

アイドルという新しい巻を見つけ、また新たなページが開かれて。
とすると、私の人生は一冊の本とも、また違うのではないかと思い始めて。

 「……」

顔を上げると、そこには闇に包まれた店内があります。
私はこうして閉店後のカウンターで読む本も好きでした。
色ガラスの被せられたスタンドを灯し、書に囲まれて時を過ごす。
ややもすると自室以上に、ここは落ち着く空間でした。

叔父には、やはり苦笑を零されてしまいますが。


アイドルとなり、少々の金子を稼ぐ。
少しずつ交友関係も広がり、手頃だった私の世界は俄に広がってしまいました。
これも大人に成りつつある影響と言えるのでしょうか。
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 14:37:43.64 ID:i0wedlrd0

果たして、私の身でも、大人と成れるのでしょうか。
まだまだ知らない事、出来ないもの、手の届かないそれ。
それでも、私も……いつか。


終の棲家のように考えていたこの空間を離れて。
いつしか別の地へ移り住む将来が、急に現実味を帯びて頭の上へと落ちて来ます。
最近は頁をめくる間にも、こうした考えを挟んでしまう事が多くありました。
私の頭は、少しだけ未来の私自身を描いています。


部屋に本の塔を積み上げ、ふとした地震で下敷きとなる私。
大根を切ろうとして指を切る私。
書を嗜む間に、洗濯物をすっかり雨に濡らしてしまう私。


 「……」


ふと、立ち並ぶ本棚が目に留まりました。
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 14:54:45.39 ID:i0wedlrd0

 ― = ― ≡ ― = ―

 「あの……プロデューサーさんは、今日もお弁当、でしょうか」

 「ああ、うん」

 「よろしければ……共に、席を囲んでも……?」

 「もちろん。その包み、作ってきたんだ」

 「はい。念の為、大根はやめておきました」

 「……うん?」


プロデューサーさんは、大抵お弁当を持参して来ていました。
栄養や節約面を考えるとこれが一番なんだ、と。

 「じゃ、いただきます」

 「頂きます」


同時に蓋を開けて、私はそこに確かな現実を見ました。
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 15:24:15.49 ID:i0wedlrd0

薄い茶色が見た目にも食欲をくすぐるお米。
ひじき等が混ぜられた玄米でした。

主菜には鶏の生姜焼き。
摺り下ろしたものの他に、細切りにされた姿の生姜も添えられています。

脇を固めるのは金平牛蒡。
やや牛蒡が多めで、かつ太めに切られています。
歯応えを楽しむのにほど良い太さでしょう。

彩りを加えるのは玉子焼き。
間にほうれん草が挟まれ、ともすれば地味な見た目の差し色となっています。
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 15:26:23.88 ID:i0wedlrd0

いっそ潔い程に白い米。
中心にはどこか誇らしげに梅干しさんが鎮座していらっしゃいます。

主菜はウィンナーを炒めたもの。
清々しい程に質実剛健です。

緑はほうれん草のお浸し。
冷凍食品といえども、最近のそれは決して侮れません。

玉子焼きに失敗した結果の炒り玉子。
玉子の……ええと……炒り玉子です。



言うまでも無く、こちらが私の持参したものです。

24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 15:31:58.43 ID:i0wedlrd0

 「……シンプルでいいね」

二つの弁当箱を挟んで、私達の間には奇妙な沈黙がありました。
いえ、理解はしていたのです。
私の腕がプロデューサーさんに及ぶ筈も無いと。
ですが私も女は女。やってみたら案外何とかなるのではないか。


そんな考えを、目の前の現実が何よりも雄弁に論破してゆきました。


 「……はい」

明らかな慰めを受け容れられる程度には、私も成長したようです。

 「おかず、幾つか交換してみようか」

 「……ありがとう、ございます。美味しいです」

 「うん、美味しい」


……プロデューサーさんは、優しいです。
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 15:40:41.28 ID:i0wedlrd0

 ― = ― ≡ ― = ―

どうしたものでしょう。

呼び出されるまま会議室へと入り、プロデューサーさんの正面に座るまでは問題ありませんでした。
向かいで腕を組む彼の眉は曲がり、首は横に倒れ、喉は低く唸り上げています。
ひょっとして私は、相当に不味い何かをしでかしてしまったのでしょうか。

 「…………文香さん」

 「はい」

 「まず、聴いてほしい」

そう言うと、プロデューサーさんは机上のCDプレイヤーを操作しました。
しばらく無音の状態が続いてから、やがて旋律が流れ始めます。
穏やかな曲調にともかくも耳を澄ませようとしたところで手渡されたのは、一枚の紙。


Bright Blue――鷺沢文香。


 「これは……私の……?」

 「デビューシングルになる。なるんだけど、ね……」

 「何か……?」

 「……俺は、一旦の白紙も選択肢に入れるべきだと考えてる」


後ろの壁まで縫い止められてしまいそうな視線が、私を射抜きました。
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 15:58:45.84 ID:i0wedlrd0

 「先生へ、俺なりに鷺沢文香を伝えてみたんだ」

 「……はい」

 「そしたら、そんな歌詞だ」


 ファンタジーな世界に逃げてるだけじゃ
 本当の私は探せないまま

 ファンタジーな世界に救われたけど
 本当の居場所は探せないまま


プロデューサーさんが指で示した先には、そう書かれていました。

 「俺は、文香さんがそんな気持ちで読書に耽ってる訳じゃないって知ってる」

 「……」

 「総体としては前向きではあるけれど、どうしてもここが引っ掛かるんだ」

 「……」

 「上手く言葉に……文香さん?」

 「……あ」

文字と見れば読み耽る。
詩と聞けば紐解きに掛かる。

生来の悪い癖がまた顔を出してしまいました。
プロデューサーさんの言葉がようやく耳へ入ってきたのは、最後の一文をなぞり終えた時で。
尚も私を貫く彼の視線に、知らず浮かんでしまったのは――薄い笑み。
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/01/03(木) 16:18:40.06 ID:i0wedlrd0

 「プロデューサーさんは、やっぱり、とてもお優しいですね」

 「……」

 「私の為に怒ってくれて、ありがとうございます」

 「……なら、一旦」

 「ですが、杞憂です。青空が落っこちてきたりは、しません」

何か言葉を継ごうとして開かれた彼の口が、そのまま開きっぱなしになりました。
沈黙の妖精が私達の間を通り抜けて行きました。
これはひょっとして、やってしまったのでしょうか。
場を和ませるには、気の利いた洒落が一番だと彼女に聞いたのですが。

 「……ひょっとして、Bright Blueに掛け」

 「ともかく」


ともかく。


 「プロデューサーさんは少し、勘違いをされているようでしたので」

 「勘違い、って」

 「この歌は……私の曲でこそありますが、私について歌った曲では、ありません」

作詞をされた方も、恐らくは承知の上で提出した一稿なのでしょう。
あるいは新人アイドルへ向けた、実力考査のような何かかも知れませんね。
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