【アイマス】滄の惨劇

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1 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:30:59.22 ID:znqXyXnV0
アイドルマスターのSSです。
アニメ版しか知らないので細かな設定等の矛盾はご了承ください。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1561037458
2 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:35:50.03 ID:znqXyXnV0
「ええ!? 本当ですか!?」

春香が身を乗り出した。

「ああ、リフレッシュも兼ねて、ということらしい。みんな、このところ忙しかったからな。

とはいえこの時期によく日程を確保できたものだよ」

まるで自分が大仕事を取ってきたかのようにプロデューサーは得意気に言う。

実際、これは売り上げに貢献するものではない。

彼がもう少し貪欲で事務所の利益を優先するような人間なら、カメラを複数台持ち込んでクルーに撮影させただろう。

「もちろん都合もあると思うが……どうかな?」

各々は互いに顔を見合わせる。

仕事については先ほど彼が言ったとおり、うまく調整してある。

つまり各人の意思次第ということになるが――。

「南の島でバカンス……これはもう行くしかないっしょ!」

「断る理由があるかね、諸君? いや、ない!」

真っ先に手を挙げたのは亜美と真美だ。

それが引き金になったように事務所内は俄かにざわめきだす。

「こらこら、ちょっと静かにしなさい」

律子が制するが興奮はすぐには収まらない。
3 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:38:25.13 ID:znqXyXnV0
「それってつまり旅行ってことですか? 前に行ったみたいに――」

「そういうことになるかな。まあ、社長は合宿の意味合いもあるって言ってたけど」

「強化合宿ですか!? うーん! 燃えてきましたっ! ボク、参加します!」

「いや、強化とまでは言ってないぞ……」

「また皆で旅行なんて楽しみね」

「まあ私は世界中行き飽きたから、たまには国内の小さな島もいいかもしれないわね」

「お昼寝できるところだったら、どこでもいいの」

という具合である。

「盛り上がってるところ悪いが、とりあえず参加人数を確認しておきたいと思う。参加したい人は挙手を――」

プロデューサーが言い終わる前に全員が手を挙げていた。

「よし、決まりだな。日程や必要な物なんかは後で知らせるとして……社長からの伝言だ。

”せっかくの機会だから何かやりたいことがあったらどんどん言ってほしい。できるだけ希望に沿うようにしたい”、だそうだ」

「よっ! さすが社長! 太っ腹!」

「たしかに最近、運動不足みたいだし太っ腹と言えなくもないですなあ。ねえ、律っちゃん?」

「あら、残念だわ。亜美と真美はキャンセルってことでいいのね?」

「ウソだよ! ウソウソ! 今のはアメイジングジョークだよ!」

律子が眼鏡をかけ直した途端、2人は滑稽なほど慌てふためいて取り繕う。

「ビーチバレーとかしてもいいの?」

響が訊いた。

「いいんじゃないか? 他に利用客もいないハズだし」

「やった!!」

「プライベートビーチってすごいね!」

「それならどんなに穴を掘っても怒られないかも」

銘々が盛り上がる中、小鳥がプロデューサーに耳打ちした。

「実は私も社長に、”たまには羽を伸ばしてくるといい”って言われたんです。

私もそのつもりだったんですけど、急な仕事が入ってきて一緒に行けなくなってしまって……」

「え、そうなんですか?」

「そうなんですよ……それでですね、プロデューサーさん。デジカム渡しますから、是非ともお宝を――」

その言葉に彼は申し訳なさそうにかぶりを振った。

「ところでどういう経緯で南の島に、なんて話になったんですか?」

律子が少し訝しげに問うた。

「ああ、それはな――」




4 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:39:04.95 ID:znqXyXnV0
 南の島で一服してはどうか、と持ちかけたのは高木だった。

アイドルたちもそこそこ売れてくると、プライベートを過ごすにあたっても気が抜けない。

そこで彼は合宿と称して、彼女たちが羽を伸ばせる場所を用意したいと言い出した。

それなら仕事熱心な者も後ろめたさを感じることなく楽しめるし、合宿と銘打ってある以上、

本当にレッスンに打ち込みたくなってもそれはそれで違和感はない。

どういう伝手でか、彼は南の島に建つ洋館を所有するに至った。

外部の人間が入り込まない、765プロだけの楽園――と言えば盛大豪華に聞こえるが、

実際には周囲には何もない国内の無人島である。

それでもプライベートビーチという表現は間違いではないし、周囲の目がないという点ではストレスもない。

何もない場所だからこそ伸び伸びと過ごすことができ、自主性も磨かれ協調性も生まれる。

アイドルたちの絆はより強固となり、765プロはますます大きくなっていくだろう。

尤もらしい言い方だが、いつものように思いついたことをそのまま発するような口調だった。

要は全員でまとまった休暇を……というワケである。

それも3泊4日という大型連休並みの日程だ。

これだけの調整ができたのも、プロデューサーや律子は元より、ひとえに彼の業界に広く通じる顔によるところが大きい。

事務所自体を閉めるわけにはいかないうえ、急な仕事が入ったために社長と小鳥は留守番になるが、

少なくともこの数日の業務量は普段よりもずっと少なくなるだろう。

「大いに楽しんできてくれたまえ!」

社長は陽気にそう言って見送った。




5 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:39:47.75 ID:znqXyXnV0
「――と、いうことなんだ」

大雑把な説明に律子は小さく息を吐いた。

「なんというか、社長らしいですね……」

彼の思いつきに何度か振り回されたことのある律子は微苦笑した。

「で、あんたがその引率をするってワケ?」

バカンスには慣れている伊織は他と違って燥(はしゃ)ぎはしない。

「まあ、そういうことになるんだろうけどな――」

「…………?」

「正直、俺もほとんど何も聞かされてないんだ。島の場所も知らないし」

「何よそれ? どういうこと?」

「とにかく自分に全部まかせておいてくれ、って。俺は当日になったら皆を港に連れて行けばいいって。

島での衣食住も心配いらないらしい。俺が言われたのは、”彼女たちをよろしく頼むよ”くらいだったからな」

これに呆れた様子で返したのは律子と伊織くらいで、他は島での過ごし方をあれこれと話し合っている。

「きっとプロデューサーさんにも楽しんでほしいんですよ」

あずさがにこやかな笑顔で言う。

彼に仔細を伝えないのは引率という役目を気にせず、皆と一緒に時間を過ごしてほしいと考えているからではないか。

それが社長の想いではないか、と彼女は言った。

「どうかしらね。案外、何も考えてないだけかもしれないわよ?」

伊織の懐疑的な言葉に、律子も曖昧に頷いた。

「まあ、そういうことなら俺は少し楽ができるってことなんだけどな」

プロデューサーという仕事の範囲は広い。

営業はもちろん、会場を押さえたり、そこまでの足を確保したりと細部にまで気を回さなければならない立場だ。

仮に所属アイドルを率いて南の島で一服……と言われても移動の段取や安全確保、荷物の管理等、やることは雑多だ。

これではとても心も体も休まらない。

それが今回、面倒事は社長が引き受けるとなれば彼も休暇を満喫できる。






6 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:48:37.49 ID:znqXyXnV0
―― 1日目 ――


 9時07分。

空を覆う青と海に広がる青は一見すると似ているが、目を凝らせばその違いは瞭然だ。

都会の港から見れば黒に近い海でも、遠く離れればそこには宝石を敷き詰めたような蒼がどこまでも広がっている。

「風が気持ちいいわね」

靡く髪を押さえて千早が言った。

「そうだね」

天を仰いで春香がその横に立つ。

強過ぎない日差しと心地よい潮風とが交互に肌を打つ。

「社長と小鳥さんも来られたらよかったのにね」

残念そうに言う春香をよそに、千早はカメラを構えて風景を撮影し始めた。

空や海だけではなく、船上でそれぞれに時間を過ごす仲間も写真に収める。

「できるだけたくさん撮っておきたいの。思い出にもなるし、社長と音無さんにも見せてあげたいから」

そう言い笑う彼女に、春香も自然と笑みをこぼす。

時折り来る揺れに雪歩が蹌踉(よろ)めいた。

「大丈夫ですか?」

そうなることを察知していたように貴音がその背に手を回して支えた。

「あ、ありがとうございます……」

「顔色が優れないようですが、船酔いでは? 少し休んだ方が――」

「い、いえ! 大丈夫です! 大丈夫ですから!」

やや青かった雪歩はたちまち赤面し、大仰に手を振った。

「そうですか……なら良いのですが……?」

にこりと微笑み、貴音は船の反対側を見やる。

へりを掴んで身を乗り出しているのは亜美と真美、それにやよいだ。

そのすぐ傍に響と真が立っている。

「魚ってあんなに小さいのになんで速く泳げるんだろうね?」

「ヒレとかあるからじゃないの?」

亜美の問いにやよいが首をかしげながら答える。

彼女たちの乗る船はかなりの速力を出している。

海面近くを泳いでいる魚たちはまるで船を護衛するかのようにぴったりと付いている。

「この船と競争してるのかもしれないぞ? きっと負けず嫌いなんだな」

「またまた〜。そんなのひびきんとまこちんくらいっしょ」

「え? ボク?」

急に名前を呼ばれた真は分からない顔をする。

「そうそう! 2人のことだから島に着いたらまた泳ぎで勝負するんでしょ?」

「いや、もう勝負はしないぞ? あれは自分の勝ちってことで終わったからな」

「ちょっと待ってよ、響。いつ終わったって?」
7 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:50:17.93 ID:znqXyXnV0
真が腰に手を当てて抗議した。

「この前は響が途中で魚捕りしてたから無効だよ。というか先にゴールしたのはボクだったし」

「真は分かってないな。泳いでる魚を素手で捕まえるのがどれだけ難しいか知らないでしょ?」

「そりゃあ……そうだけど。でも勝負をほっぽり出したんだからボクの不戦勝ってことになるじゃないか」

「あれはあのままじゃ自分の圧勝だったから、真に花を持たせてやろうと思ってやったんだぞ?」

「頼んでないよ、そんなこと。響こそ負けそうだったからウヤムヤにして誤魔化そうとしたんじゃないの?」

「自分の負けだ、って言いたいのか!」

「そっちこそ!」

「響さんも真さんもケンカはダメです! 仲良くしてくれないと悲しくなっちゃいます……」

「あー! まこちんたちがやよいっちを泣かせたー!」

「先生に言ってやろ!」

「ええっ!? ち、ちがうんだよ? ボクたち、別にケンカしてたワケじゃないんだ!」

「そうそう! 今のは……ケンカ……そう! ケンカの練習なんだ!」

亜美たちの揶揄いに、真と響は慌てて否定する。

本当に悲しそうな顔をするやよいを宥め、どうにか笑顔を取り戻す。

最後には仲直りの握手をさせられ、どうにか収めることに成功する。

「岩倉さん、お忙しいところすみませんでした」

そんなやりとりを眺めながら、プロデューサーが操舵席の男に頭を下げた。

「いえいえ、テレビで観てる人らを乗っけるなんて滅多にないことなんで、忙しいなんて言ってられんですわ。

それにここんところ天気もぐずついちまって漁にも出られんかったからちょうどいいや」

岩倉と呼ばれた男は真っ黒に日焼けした腕を振りながら笑顔で答えた。

”ガンさん”の愛称で通っている彼は漁師として海に出る傍ら、時間が空いた時には送迎役も務めている。

2人は初対面だが高木が話をつけてくれていたおかげで、すぐに船を手配してくれた。

「俺が765プロの人らを送迎したんだって孫にも自慢できますわな。あいつ、あの女の子が好きなんですわ」

「あの子……?」

横にいた律子が問うた。

「そうそう、髪の長い子。よく3人で歌ってる……すんませんな、そこまで詳しくないんで」

「3人ということは竜宮小町じゃないですか?」

「竜……そんな名前じゃなかったなあ……プロなんとかだったかなあ――ああ、ほら、あの子ですわ。

あそこで喋ってる、ちょっと日焼けしとる子。孫がよく真似しとってね。口癖みたいなやつ」

アイドルはテレビでたまに観る程度の岩倉には、彼女たちの区別はついていない。

休日は孫と一緒に歌番組を観ているが印象には残っていないようだ。

「もしよかったらサインなんか貰えたら――いやいや、やっぱりいいや! 申し訳ない!

765プロさんも仕事でもないのに、こんなこと頼んだら迷惑だもんなあ」

大袈裟にかぶりを振る岩倉に、プロデューサーは苦笑して言った。
8 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:52:35.61 ID:znqXyXnV0
「いえ、いいですよ、サインくらいお安いご用です。送迎をお願いしているんですから……」

「本当かい? いやあ、悪いねえ……これで顔向けできますわ。俺がアイドルを乗っけたって知ったらあいつ、

きっと拗ねちまいやがるに決まってるんで。いただけるんなら一生の家宝にしますわ」

黙っていれば射竦めるような目つきの彼も、孫の話となると別人のように表情が変わる。

「今後ともうちのアイドルをよろしくお願いします」

律子が丁寧に頭を下げた。

「仲間にも宣伝しときますわ。こんな別嬪のお客さんならいつでも大歓迎だ」

孫への土産ができたことでますます機嫌を良くした岩倉は大仰に笑った。

「起きてるなんて珍しいじゃない」

目を細めて水平線を眺めながら伊織が言う。

「いつも寝てるみたいに言わないで欲しいな」

美希はぼんやりと海を見つめているが声ははっきりしている。

「いつも寝てるわよ」

「こんなキラキラしてるのにもったいないから」

呆れたように言う伊織を無視し、美希は水面を指差した。

「太陽の光が反射してキラキラしてるの。ガラスみたいで綺麗でしょ?」

「そんなの別に大した……まあ、そうね」

2人はそろってうねる水面を見下ろした。

「あっ! みんな、見て!!」

突然、真美が舳先の方を指差して叫んだ。

「まったく情緒も何もないわね……」

微苦笑して伊織が真美の元に向かう。

美希もそれについて行った。

深い青の向こうに小さな島が浮かんでいた。

「亜美隊員! 我ら、ついに無人島を発見しましたぞ!」

「うむ、あの島を探検団の名にちなんで双海島と名付けよう! 各員、上陸の準備をせよ!」

2人は船縁を掴んで身を乗り出している。

その後ろで落ちないようにと、あずさがしっかりと2人の裾を掴んでいた。

「バカね。あの島は事務所の所有ってことになってるんだから、無人島じゃないわよ」

伊織がため息まじりに言う。

「でも今は無人でしょ?」

「え? ああ……そうなるのかしらね……?」

亜美に言われ、彼女は首をかしげた。
9 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:53:32.61 ID:znqXyXnV0
「よっし! あと10分もすりゃ着くからな。お嬢ちゃんたち、もうちっと辛抱してくんな」

岩倉は波の動きに合わせて船体を傾け、揺れの小さくなるように船を走らせた。

次第に近く、大きくなってくる輪郭は絵に描いたような南の島――というワケではなかった。

全容は歪(いびつ)で、ところによっては峻峭な絶壁も目立つ。

ただ手前には真っ白な砂浜が広がっていて、それなりの雰囲気は醸し出している。

船は俄かに速度を落として砂浜の一部から突き出した桟橋を目指す。

車のように巧みに方向転換し、岩倉は慣れた手つきで杭に舫(もや)った。

「ほいほい。あっと気をつけなよ。いま寄せるからな」

逞しい腕で杭を掴み、ぐいっと引っ張る。

その力を受けて船が小さく揺らぎ、桟橋との距離をかなり縮める。

「自分が一番だぞ!」

どうにか桟橋に足が届く距離まで船が近づき、真っ先に響が降りる。

「あ、ずるいぞ、響!」

真、亜美、真美、貴音にエスコートされるように雪歩が続く。

「岩倉さん、どうもありがとうございました」

再度、プロデューサーと律子が揃って頭を下げた。

「よしてくれ。代金を貰ってる以上、ちゃんと送り届けるのが仕事ってもんだ」

岩倉は恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。

しかしすぐに真剣な表情に戻り、

「ところで迎えは本当に予定どおり、3日後の正午でいいんですかい?」

内緒話をするように声をひそめて言った。

「ええ、お願いします」

「まあそう言うならしょうがねえが……心配だなあ。もうちょっと早くしたほうがいいと思うんだがねえ」

「大丈夫ですよ。食料等、必要なものは充分揃っているという話ですから」

「う〜ん…………」

「私たちが引率してますから危険なこともさせませんし――」

律子も言葉を添える。

だが岩倉は腕を組んで唸った。

「いや、そういうワケじゃないんですがね……」

春香たちは既に桟橋の向こう、砂浜で思い思いに遊んでいる。

「脅かすつもりはないんだが最近、この辺りで物騒なことが起こっててなあ」

「どういうお話なんですか?」

「あんまり気分のいい話じゃないんで……」

「そこまで聞いたら気になるじゃないですか」

律子が少し怒ったように詰め寄った。

岩倉はしばらく口を噤んでいたが、やがて観念したように、

「あんまり口外しないでくださいよ――」

と前置きして話し始めた。
10 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:54:36.74 ID:znqXyXnV0
「不審者がいるらしいって噂されるちょっと前だったかな。野良犬や野良猫の死骸があちこちで見つかるようになったんだ。

それがどうも病気や寿命じゃないらしいんで。ひどい殺され方だったもんで俺も弔ったんですわ」

「こ、殺され……?」

「何かで殴られたり斬られたりで。警察の捜査も始まってるんですが、一向に手がかりがないらしくてね。

何人か目撃者も現れたんだが、それがまた妙な証言ばっかり集まりやがるんで。

真っ黒な影みたいなやつが宙に浮いてたとか、でっかい光る蛇みたいなのが空から落ちてきて海に潜ったとか。

なんせ要領を得ないもんだからお巡りも調べようがないって。仕舞いにはどこから聞きつけたのか霊媒師だかが集まってきて、

今すぐお札を買わないと呪われる、なんて言い出しよったんですわ。

若いモンも、”物の怪にちがいない”とか騒ぎ始める始末で――」

「気味が悪い話ですね……プロデューサーは知ってたんですか?」

「いや、初耳だ。社長もそんなことは一言も……」

「そりゃ言えませんわな。観光地から離れてるったって、あの辺りも旅行客で成り立ってるからねえ。

俺たちだって時期によっちゃそこらの島嶼巡りの案内役やって何とか生計立ててるんだ。

妙な噂が広まったらガタついちまうんで。物好きな連中なら却ってやって来るだろうけどね。

霊媒師みたいな面倒な客まで来ちまったらお手上げさあ。だから自然とこの話はせんようになったんですわ」

岩倉は申し訳なさそうに頭を垂れた。

「でもそれって港周辺のお話ですよね? この島では?」

「そんな噂は聞いてないなあ。他の島嶼でも話は聞かんから、どうも港だけみたいだわな」

それを聞いてプロデューサーは小さく息を吐いた。

「なんだか気持ちの悪い話ですけど、それなら大丈夫じゃないですか?」

「んん、まあ……宙に浮いてた影とか、クジラほどもある大きな蛇が海に潜ったって証言があるから、そこは気になるんですがね」

そう言い、岩倉は拝むようにして両手を合わせた。

「すんませんなあ、今になってこんな話して。久しぶりに全員揃って旅行だと聞いたもんで、水差したくなかったんですわ」

そんな彼を責めるように律子がため息をついた。

「今さらキャンセルするわけにもいきませんし、ここも港から遠く離れた島ですし。

取り敢えずこの件は置いておくとして……せっかくの旅行を楽しみましょうか」

ちらりとプロデューサーを見やる。

「ああ、そうだな」

彼も曖昧ながら頷いた。

「では岩倉さん、3日後のお昼にまたお願いします」

船を降りた2人はもう一度お辞儀した。

その様子を貴音はじっと見つめていた。

「船頭さーん! どうもありがとうございましたー!」

砂浜から春香たちが手を振る。
11 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:55:48.89 ID:znqXyXnV0
「おうよ! こっちこそありがとな!」

ガッツポーズを見せる岩倉にプロデューサーが思い出したように、

「そうだ、響! ちょっとこっちに来てくれ!」

やよいと蟹で遊んでいた響を呼び戻す。

「忘れ物?」

「いや、岩倉さんのお孫さんが響のファンらしくてな。サインしてほしいんだ」

「お安い御用だぞ。色紙持ってる?」

「ああ、何枚かある。ほら、これ」

渡された色紙にサインする響。

「ほ〜、手慣れたもんだ。よくそんなにスラスラ書けるね」

何かの文字か記号にしか見えない岩倉はしきりに頷いている。

「まあね。自分、カンペキだから! はい、できた!」

その後、さらに2枚分書き上げて岩倉に渡す。

「こっちはおまけ。もし他にも欲しいっていう人がいたらあげてね」

「おお、ありがとよ! いやあ、アイドルってのは気前がいいねえ。ごめんな、無理言っちまって」

「ううん、自分たちこそ、ちょっとうるさくしちゃったでしょ? だからそのお詫びっていうか。

それにファンには自分たちのこと、もっと好きになってもらいたいし……」

無邪気に笑う響に、

「今のは惚れたなあ。俺、きみのファンになってもいいかい?」

岩倉は耳まで真っ赤にして言った。

「もちろん! お孫さんと一緒に応援してくれると嬉しいぞ!」

すっかりファンになった岩倉は響と握手した。

「悪い、またせたな」

船が引き揚げるのを見送ってから、プロデューサーは砂浜で遊んでいる春香たちに声をかけた。

貴音は慌てて余所を向いてから彼を見た。

「遊んでるところ悪いけど、まずは荷物を部屋に置いてからよ」

律子が通る声で言った。

3泊するということで各々の荷物はかなりの量だ。

それでも雪歩や千早は片手で持てる程度のバッグに要領よく物をまとめてあるが、

亜美と真美はどう見ても3泊には大きすぎるリュックサックである。

「あんたたち、どうせゲームでも詰め込んでるんでしょ?」

伊織が意地悪そうな顔で言った。

「当然っしょ? 旅行にゲームは付き物だぜ、いおりんや」

「はいはい、なら今度チェスでも教えてあげるわ……で――」

彼女はちらりと反対側を見やる。
12 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:57:00.35 ID:znqXyXnV0
「こっちは山籠もりでもするつもりかしら?」

ゆうに30キログラムは超えているであろう登山用リュックサックが4つ。

真と響がふたつずつ持ち込んだものだ。

「だって合宿だよ? これでも少ないくらいだよ」

「この程度で山籠もりに見えるなんて、伊織は日頃の鍛錬が足りないぞ」

「要らないわよ、そんな鍛錬。バカじゃないの?」

と言い合っている間にプロデューサーを先頭に島の奥へと歩き出す。

「伊織、ありがとね」

大きなリュックサックを軽々と担ぎながら、追い越しざまに響が言った。

「きゅ、急に何よ? あんたにお礼を言われるようなことした?」

「ハム蔵たちを預かってくれたことだぞ」

「ああ、そのことね」

南の島に、という話が持ち上がった時は喜んだ響だったがその間、ハム蔵たちはどうするかという問題があった。

事務所につれて行くワケにはいかず、社長も小鳥も面倒を見ることはできない。

そのため最初、響は合宿を辞退したが、水瀬家の敷地なら充分サポートできると伊織が申し出た。

出発前日には無事に全頭の移動を終え、そのお陰で彼女は参加することができた。

「あんた、本当に来ないつもりだったの?」

「3日も家を空けるワケにはいかないからな。だけど伊織のおかげで――」

響は肩越しに後ろを振り返った。

「…………?」

「と、とにかく、感謝してるってことさ!」

「いいわよ、別に。あんたにも参加してもらわなきゃ困るから……」

伊織は最後まで言い切らずに、ふいと余所を向いた。

100メートルも進むと肌理の細かい砂地は途切れ、高木が生い茂る森に入る。

「あずささん、はぐれないようにお願いしますね」

「ふふ、その時はお願いしますね……」

念のため律子が最後尾を歩き、列が乱れないように見守った。

一行はなだらかな斜面を進む。

アーチ状に伸びた枝葉が天然のトンネルを形成し、下を歩く彼女たちにちょうどよい日差しを齎(もたら)す。

人の手の殆ど加えられていない道は足に優しく、土本来の反発性もあって歩きやすい。

名前も知らない草が足首に絡み付き、春香は蹌踉(よろめ)きながら千早の後を追う。
13 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:57:47.34 ID:znqXyXnV0
「泊まるところは洋館だって言ってましたけど、遠いんですか?」

前を行くプロデューサーに雪歩が問うた。

まださほど歩いてはいないが、額にはうっすら汗をかいている。

「いや、そんなに遠くないらしい。そろそろ着いてもよさそうだけど……」

その割に一向に洋館が見えないのは、ジャングルのように木々の密度が高いせいだ。

腰の高さほどもある草が繁茂していて、道を逸れればたちまち迷ってしまいそうになる。

「あ、あれだな!」

いつの間にかプロデューサーを追い越して先頭に立っていた響が指差した。

その先には――。

「すっごくおっきいですー!」

”洋館”という言葉が表面的に与える様々なイメージを全て取り入れた外観が鎮座していた。

孤島に佇んでいるそれは、聳立していると言っても誤りではない。

コの字型のシンメトリー。両端が手前に張り出している。

様相は欧州あたりのモダンな館だが、外装は最近改修されたのか鮮やかな色合いだ。

「これで2階建てなんですか!?」

春香はあんぐりと口を開けている。

林を抜けた丘陵に建てられた館は、2階層とは思えないほどの迫力がある。

「なんか車椅子のミイラとか出てきそうだね」

「あと動くヨロイとか?」

亜美たちは早くも周辺の探検を始めている。

「こら! 勝手にうろうろしないの!」

最後尾の律子がようやく追いついた。

「外壁とか門はないんですね」

雪歩が珍しそうに辺りを見回した。

緩やかとはいえ丘の頂上に建つ館は平地のそれと違って外壁を造りにくい。

どうしても歪な形になるし、石造りになるとその歪さのせいで脆くなり、精彩さも欠けてくる。

「じゃあ開けるぞ」

ポケットから片手では収まらないような大きさの鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。

洋館といえば歴史や伝統を感じさせる響きだが現代的な部分もある。

両開きの正面扉は年季の入った木製なのだが、その横にはインターフォンがついている。

取っ手に関しても一般の住宅に見られるような金属製のサムラッチ型だ。

「あれ? こういうのって輪っかを叩くタイプじゃないんですか? ライオンの顔になってて……」

それを見つけた真が首をかしげた。

「社長が言うにはそんなに古くない建物らしいからな。そんなのが島の真ん中にあるのも妙な感じだけどな」

差し込んだ鍵を回すと、安っぽいお化け屋敷を思わせる軋轢音が鳴り渡る。
14 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 22:59:01.52 ID:znqXyXnV0
「うわぁ〜〜」

扉を開けると誰ともなく、そんな声を漏らす。

外観に負けない内装の美がそこにあった。

丘を登りきった時には荘厳な館に喚声をあげていた彼女たちだが、扉の向こうの光景には驚嘆の息が漏れるばかりだった。

ワインレッドのカーペットが足元から伸びている。

重厚な赤の花道はエントランスホールの中ほどで二手に分かれ、2階へと続く階段を案内していた。

「映画みたいなの……!」

入ってすぐ右に置かれている西洋甲冑。

天井に届きそうなほどの振り子時計。

全てが金銀珠玉でできているようなシャンデリア。

渋みのある大きなソファ。

それら全てが日常の生活にはまず縁のないものばかりで、一同は口をぽかんと開けて内外の美を堪能していた。

「ずいぶんこじんまりしてるわね」

ただひとり、伊織だけは涼しい顔をしている。

「もし運命の人がこんな大邸宅を持っていたら掃除が大変ねえ」

「掃除なら私がやります! やりがいがありそうです!」

正面の窓は大きく作られていて採光も良く、館内は重厚感を損ねない程度に明るい。

「ゾンビが出てきたりして……」

真美がぼそりと呟き、

「廊下の窓から飛び込んでくる犬に注意しないとね」

亜美が便乗する。

「あれ? ここって圏外なんだ」

春香が声をあげた。

手にした携帯電話には圏外の文字が小さく表示されている。

「はいはい、静かに。まずは中を見て回りましょうか」

荷物は一旦エントランスに置かせ、今度は律子が前に立って館内を歩いて回る。

最初は館左手側だ。

コの字型に建てられた館は幅の広い豪奢な廊下で繋がっているが、棟という区切りはない。

ホールを含む中央部分から左右に便宜上3棟に分けるとすると、共有スペースは中央の棟に集約されている。

厨房、食堂、大浴場などは1階に。

集会などに使用できる多目的室が中央棟の2階の半分ほどを占める。

「左右の棟は同一の構造になっているようですね」

「ええ、中央部分以外は同じ間取りになっていて、皆が寝泊まりする部屋もそこみたいね」

見取り図を眺めながら律子が言った。

「実際はこんな感じね。社長の手書きだけど正確に書かれてるわ」

貴音はちらっと律子を見やった。
15 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/20(木) 23:00:25.69 ID:znqXyXnV0
「見てのとおり、1階に3部屋、2階にも3部屋。それが左右の棟にあるからちょうど全部で12部屋ね」

「ねえ、律子……さん、このいくつかある×印は何なの?」

美希が指差したのは、左右の棟と中央棟が接合する角の部分だ。

1階、2階とも食堂の横等に×印が書かれた空間がある。

「ちょっと待って、社長のメモ書きがあるわ……うん、物置とか発電機なんかが置いてある場所みたいね。使わない場所だから消してあるのかしら」

「ふうん……」

「じゃあ誰がどの部屋を使うか、クジで決めましょうか」

律子はポケットからメモ帳を取り出した。

クジといっても大したものではない。

見取り図の部屋にAからLの数字を書き入れ、メモを小さくちぎってこちらにも同じ数字を振る。

引いた数字に該当する部屋を使う、というだけのことだ。

「あの、部屋がふたつ足りませんよ?」

まじまじと見取り図を眺めていたやよいが言う。

「ええ!? じゃあ誰かが野宿するってこと?」

真美が頓狂な声をあげ、

「かわいそうに、ひびきん……風邪ひかないようにね」

亜美が響の肩を叩く。

「なんで自分なんだ!」

「おやおや? ということは他の誰かならかまわないと……?」

「そういう意味じゃないってば!」

響は顔を赤くして反駁した。

「俺と律子は一応引率ってことで、この管理人室を使うことになってる」

プロデューサーが示したのは中央棟1階、食堂に近い部屋だ。

「俺は1階。律子は2階のここだ」

そう言って多目的室横の部屋を指す。

「むむ、ということはGを引いてしまったら律っちゃんのすぐ傍になってしまいますぞ」

「大丈夫だよ、亜美。クジにこっそり細工して……」

「聞こえてるわよ、あんたたち」

12枚の紙片を折り畳んでビニール袋に入れて混ぜながら、律子が低い声で言った。

適当に順番を決めてそれぞれ一枚ずつ抜き出す。

間取りは同じなのでどこの部屋でも大差はない。

強いていえば階段の昇降を要するかどうかの違いくらいだ。

「ボクはC、1階の端だね」

一番にクジを引いたのは真だった。

「私は……B、真の隣だね」

次に春香、やよいが引く。

その後でやよいが伊織にクジの入った袋を渡そうとしたが彼女は頑なに固辞し、結局最後に引いた。

結果、割り当てはこのようになった。
16 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 22:45:52.43 ID:rjaMESJ70

  1階                                  北

_____________________________________________________
|                      |   |                      |               ____       |   
|       |    厨  房     |   |  __           __   |   |          |    |        | 
|  ※    |              |   |  |階段|          |階段|   |   |          |     |        | 
|       |_ _________|       |   |          |   |       |_________|     |  浴場  | 
|       |              |   |  |   |          |   |   |   |           |     |       | 
|  ____|              |   |                      |   |                 |       | 
|       |              |   |                      |   |           |     |__  __| 
|       |    食  堂     |   |                      |   |  談話室    |     |       |  
|__ __|              |   |                      |   |           |     |  脱衣所 | 
|       |              |   |    エントランスホール      |   |          |     |__  __| 
|       |              |                                         |            |  
|       |__ ____ __|    |                      |    |___  ___|             | 
|管理人室  |                   |                      |                     _____| 
|       |                   |                      |                     |        | 
|             __________|                      |__________        手洗い  |  
|_____|    |              |                      |               |     |_____| 
|        |    |              |______    ______|               |     |       | 
|        |    |                                                   |    |       | 
|A美希        |                                                   |      Dやよい |  
|       |    |                                                    |    |       | 
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|        |    |                                                   |    |       | 
|        |    |                                                   |    |       |  
|B春香        |                                                   |      E貴音  | 
|        |    |                                                   |    |       | 
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|        |    |                                                   |    |      | 
|        |    |                                                   |    |      | 
|C 真        |                                                   |      F雪歩   |  
|        |    |                                                   |     |       | 
|_____|___|                                                    |___|_____| 
 
 
17 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 22:46:29.19 ID:rjaMESJ70
  
  2階                                  北

_____________________________________________________
|                      |   |                      |   |          |    |        |   
|                      |   |  __           __   |   |          |    |         | 
|                      |   |  |階段|          |階段|   |   |          |     |        | 
|     多 目 的 室                |   |          |   |                        |         | 
|                       |   |  |   |          |   |   |   |           |     |   ※    | 
|__  __              |   |                      |   |  遊戯室     |     |        | 
|       |              |   |                      |   |           |     |         | 
|       |              |   |                      |   |           |     |       |  
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|       |              |   |                      |   |          |     |__  __| 
|       |                                                                      |  
|       |__ ____ __|    |                      |    |___  ___|     _____| 
|管理人室  |                   |                      |                     |       | 
|       |                   |                      |                     |        | 
|             __________|________________|__________         ※    |  
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|        |    |                                                    |    |       | 
|G亜美        |                                                   |      Jあずさ  |  
|       |    |                                                    |    |       | 
|_____|    |                                                   |     |_____| 
|        |    |                                                   |    |       | 
|        |    |                                                   |    |       |  
|H真美        |                                                   |      K響    | 
|        |    |                                                   |    |       | 
|_____|    |                                                   |     |_____| 
|        |    |                                                   |    |       | 
|        |    |                                                   |    |       | 
|I 千早       |                                                    |      L伊織   |  
|        |    |                                                   |     |       | 
|_____|___|                                                    |___|_____|  
18 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 22:50:10.13 ID:rjaMESJ70
「やった! ハニーの隣なの!」

美希が俄然喜ぶその横で、

「うあうあ〜! まさかのGだよ! ねえ、律っちゃん、もう1回やりなおそうよ〜」

亜美が泣き縋るように訴えた。

「やりなおしたらクジの意味がないでしょうが」

「いや! 亜美はこの目でたしかに見たんだかんね! さっきのは不正があったのだ!」

「不正?」

目が合った真が怪訝そうに問う。

「クジを混ぜる時に、まこちんはドータイ視力で中身を見てたんだよ。それで亜美にGを引かせたんだよ!」

どうだと言わんばかりの亜美に、彼女は絶句する。

「んっふっふ〜、ヘヤワリのジツ、破れたり!」

ビシッと自分を指差す彼女に、

「ムチャクチャだなあ。そもそも亜美は4番目あたりに引いたんだから、まだ残ってるクジのほうが多かったじゃないか。

そんな状況で細工なんてしようがないだろ。かわいそうだけど今回は諦めて律子の隣で寝泊まりしなよ」

真はかぶりを振って言った。

「言ってることは尤もだけど、ちょっと傷つくわね……」

律子は不貞腐れるように言う。

「よし、決まったな」

プロデューサーが手にした見取り図に誰がどの部屋をとったかを手際よく書き込んでいく。

「じゃあ皆、それぞれの部屋の鍵を渡すから1階の管理人室に来てくれ」

14人がぞろぞろと歩くと、さすがに広い廊下も手狭に感じられる。

「ええっと……」

管理人室は他の客室に比べていくらか広い。

ベッドやキャビネット等、置いてある物はこの館の雰囲気に似合わず質素である。

「これだな」

ドア側の壁にキーボックスが掛けられている。

開けると昆虫標本のように30個以上の鍵が整然と並んでいる。

今も多くの住宅で使用されているディスクシリンダー型だ。

鍵にはそれぞれにどの部屋のものかを示す木製のタグがリングチェーンで結ばれている。

タグには『1F−管理人室』『2F−遊戯室』といった具合に書かれてある。

また客室の鍵は、『1F−D』『2F−K』のように英数字だけの表記となっていた。

タグの表記は機械で彫られており、先の尖ったもので擦っても消えないようインクが浸透している。

鍵もタグもデザインは統一されているため、遠目では区別がつかない。

「自分のものに間違いがないか確認してくれ」

先ほどの割り当てを元に鍵が行き渡る。

しばらく見取り図と手元の鍵とのにらめっこが行なわれる。

手違いがないことが分かると、部屋に荷物を置きに行こうということになった。

「じゃあ水着に着替えて10分後に集合ね」

誰が言うともなしに決まり、一同はエントランスに置きっぱなしだった荷物を持って部屋へ向かう。




19 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 22:53:20.38 ID:rjaMESJ70
 10時25分。

白地に桃色の花が描かれた壺を見つめながら、春香はふっと息を漏らした。

棟をほぼ3分割しているだけあって一室はかなり広い。

そこに一人掛けのソファやテーブル、背丈ほどもあるキャビネットが程よい間隔で置かれている。

それらは白や薄茶が基調でカーペットやクロスとよく融和している。

壁には花や鳥を描いた絵画がかけられており、客を飽きさせない。

「一度でいいからこんなお屋敷に住んでみたいなあ」

小さなシャンデリアを仰いで春香がため息まじりに呟く。

内装だけでなく、設備面も充実している。

1階の大浴場や手洗い場とは別に、各部屋の南側には狭いが3点ユニットバスもある。

「あっと、遅れちゃう!」

慌てて荷物を片付け、水着に着替える。

途中、2度ほど転びそうになったが何とかもちこたえる。

「あ、千早ちゃん」

部屋を出て食堂を左手にした春香はちょうど前を歩いていた千早の背中に声をかけた。

だが彼女は振り返らずにエントランスのほうへと歩いていく。

「千早ちゃん」

もう一度呼びかけると、千早はようやく肩越しに振り向いた。

「ごめんなさい、少し考えごとをしていて……」

「…………?」

「大したことじゃないわ。ちょうど部屋数と人数が同じなんて、私たちのために建てられたみたいだと思って」

「言われてみれば……他は物置とかで使わない場所だって言ってたもんね」

「もしかしてずっと前から社長が私たちのために用意してくれてたのかしら」

「どうなのかな? そんなお金があるようには見えないけど……」

「ふふ、それは失礼よ」

春香は施錠したのを確認し、千早と一緒にエントランスに向かった。

エントランスにはほぼ全員が集まっていた。

「ねえねえ、やよいっち。部屋にあった絵、見た?」

「うん、あの貝殻みたいな絵でしょ?」

「貝殻……? 真美のところは湖だったよ」

「みんな違うのか。自分のところは蛇みたいなのが海に潜ってる絵だったぞ」

そこに大きなバッグを抱えたプロデューサーがやって来た。
20 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 22:58:40.99 ID:rjaMESJ70
「揃ってるか? ああ……よし、それじゃあ行こう」

彼はふっと視線を逸らす。

「ハニー、みんなの水着姿に興奮してるの!」

それに気付いた美希が大きな声で言った。

「プロデューサー、見損ないましたよ……」

「や、やっぱり男の人って……みんなそうなんですか……?」

真と雪歩に代わる代わるに責められ、

「な、なに言ってるんだ!? 仕事でも何度も見てるだろ。興奮なんてするワケないじゃないか」

彼は顔を真っ赤にして反駁した。

「みんな、プロデューサーさんをいじめちゃダメよ?」

おっとりした口調で言ったあずさは、やや前かがみに彼を見つめた。

上着を羽織ってはいるが、白い水着のおかげで豊満なバストがより強調される。

「あ、あずささん……!」

誤魔化すように彼はバッグを担ぎなおした。

「むー、なんか面白くないの……」

拗ねる美希だが真が宥めるとすぐにご機嫌になった。

律子の一声で一同は館を出て浜へ向かう。

来た道を逆に辿るだけなので皆の足取りは軽い。

「改修ってことは元々は違う間取りだったんですか?」

「詳しくは聞いてないがそういうことらしい」

「なるほど、高木殿の計らいでしたか――」

千早が部屋数についての疑問を口にしたところ、プロデューサーが曖昧に答えた。

社長が手に入れたのは洋館のみで、島そのものの所有者は別人であること。

その洋館も今とは様相がかなり異なり、部屋数は少なくとも倍はあったということ。

それを1年かけて壁を取り払い、内装を整えたということ。

インターフォンがついているのも、各部屋の鍵が新しいのもそのためだ、と彼は言った。

ただしそれ以上のことは聞いていないという。

「まあ福利厚生みたいなものだと思えばいいんじゃないか?」

彼は天を見上げた。

木々は燦々と降り注ぐ陽光を受けて青々と広がり、天と地を分かつ天井のように伸びている。

風に揺れ、葉の隙間からスリット状に地面に届く光と影が作り出す自然の模様は、ただの一瞬さえ全く同一のものはない。
21 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:00:25.46 ID:rjaMESJ70
「事務所のホームページにも今回のことは”社内研修”としか書いていないし、俺たちがここにいるのを知っているのは、

社長と音無さん……それからさっきの船頭さんくらいだ。人の目を気にせず目いっぱい楽しんでほしい」

「そうとあれば存分に養生すると致しましょう。ここは自然に溢れていますから」

などと話をしている間に林を抜け、開けた視界いっぱいに真っ白な砂浜が現れる。

桟橋以外に人の手が加えられたものはない。

都会ではしばしば不愉快な陽射しも、ここでは心地が良い。

「あまり沖のほうに行くんじゃないぞ」

「はいはーい」

亜美と真美はプロデューサーの声を後ろに海に向かって走り出している。

貴音、あずさが簡易のビーチベッドとパラソルを開いた。

この2人なら声をかけてくる男はいくらでもいるだろうが生憎、ここには他の海水浴客がいない。

「ハニー、日焼け止め塗ってほしいの」

既にプロデューサーに足を向けてシートの上でうつ伏せになっていた美希は、肩越しに甘えた声を出す。

「ああ、いいぞ」

「え、ホントに!?」

「ああ、いつも頑張ってるからな。でも恥ずかしいから、絶対にこっちを向かないでくれ」

「了解なの!」

だらしなく頬を緩ませて美希は組んだ両腕に顎を乗せた。

太腿にオイルが垂らされ、冷たい感覚にぴくりと足をくねらせる。

「じゃあ、いくぞ」

おそるおそる、手が触れる。

掌全体を太腿に押し当て、軽く指を曲げてなだらかな曲線に五指を沿わせる。

掴むのではなく、揉むのでもなく、なぞるように撫で上げる。

「………………」

くすぐったさに美希は身をよじる。

だが両の手はお構いなしに膝の裏へと滑っていく。

まるでひと続きの丘陵のように脹脛(ふくらはぎ)と太腿とを、緩急をつけて掌が往復した。

「ハニーの手、意外と小さいんだね……」

眠そうな彼女の声に、

「そ、そうか?」

プロデューサーが笑いを堪えながら言った。

「うん、それに柔らかくて女の子みた――」

そこまで言って彼女は上体を起こして振り向いた。
22 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:03:40.59 ID:rjaMESJ70
「あら、まだ終わってないわよ?」

律子だった。

その手はオイルに濡れている。

「り、りつこ……」

「さん」

「さ、さん……」

「よろしい」

イタズラが成功した子どものように律子が笑う。

「ハニー、ひどいの! こんなのってないの!!」

「無茶言うなよ。俺がそん……そんなことできるワケないだろ」

プロデューサーは余所を向いて言った。

だが堪えきれずにとうとう噴き出してしまう。

一方、雪歩は砂浜に巨大な穴を開けていた。

深さは2メートルに達しているが、彼女はまだ掘り進めている。

そのすぐ横では雪歩が掻き出した砂でやよいと伊織がサンドアートに興じていた。

適度に水分を含んでいるためによく固まり、小さな砦が完成する。

「ねえ、ビーチバレーしない?」

写真を撮っていた千早に春香が声をかける。

ここまでに100枚ちかく撮影している。

大半は自然の風景だが、今は海で遊んでいるアイドルたちがファインダーに映っている。

「あ、写真? いいの撮れた?」

春香がカメラを覗き込む。

「ええ、いいお土産になるわ」

バッテリーにも撮影可能枚数にもまだまだ余裕がある。

来られなかった社長や小鳥のためにたくさん撮りたい、と彼女は言う。

「ああ、えっと、ビーチバレー? 2人でするの?」

千早は提げていたバッグにカメラをしまった。

「んー、どうせなら765プロ対抗戦とか」

「面白そうだけど優勝する人は決まってるんじゃないかしら?」

千早の視線の先には準備運動をしている真と響がいる。

その動きはかなり激しく、準備運動というよりダンスに近いものがあった。

「勝負は時の運って言うよ?」
23 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:05:19.96 ID:rjaMESJ70
ボールは春香が用意している。

彼女は砂浜のほぼ中央に立ち、

「今から765プロビーチバレー大会を始めます!」

高らかに宣言した。

あまりに通る声だったので全員がそちらに注目する。

「ん? なんだ?」

響が首をかしげた。

「ビーチバレー大会だって。あ、千早たちもやるみたい」

「へ〜、面白そうだな。自分たちもやろうよ」

「ちょっと待ってよ。ボクたちは今からあの岩まで泳いでどっちが先に着くか勝負するんだろ?」

船上ではやよいの仲裁で有耶無耶になったが、この2人の勝負はまだ始まってもいない。

洋館を出るときから決着をつけようと彼女たちは約束していた。

「ふ〜ん、真はビーチバレーで敗けるのが恐いのか〜。なら仕方ないなあ……」

「だ、誰が敗けるだって!?」

「無理しなくていいぞ? 誰だって苦手なことはあるからな」

「言ってくれるじゃないか、響……いいよ、その勝負、受けて立つ!」

根が単純な真はあっさりと挑発に乗る。

「こうしよう。ビーチバレーが終わったら、そのあと続けて泳ぎで勝負するんだ。

もちろんバレーのほうも勝敗にカウントする。それでどう?」

真の提案に響は顎に手を当てて唸った。

「言いたいことは分かったぞ。バレーで勝とうとして体力を使い過ぎると後の勝負で不利になる。

だからって手を抜いてたらみすみす勝利を譲ってしまう、ってことだな」

「そういうこと。ボクたちらしい勝負の仕方だと思わない?」

「そう、だな。よし、それでいいぞ! ビーチバレーと泳ぎの二連戦……いざ、尋常に勝負だ!」

参加者はプロデューサーと美希を除く全員――のハズだったが、春香が、

”優勝者にはプロデューサーになんでも頼める権利”が与えられると言い放ったため急遽、美希も参戦することになる。

これには伊織も乗り気で、優勝して下僕のごとく扱き使ってやるわ、と意気込んでいる。

こうなると今度は人数が合わなくなるからという理由でプロデューサーも半ば強制参加となった。

「じゃあチームを決めよう」

「その間にコートを作っておくわね」

「あ、私が行きますから!」

あずさが木の枝を拾ってきてコートを描くと言い出したので、千早が慌ててその役を引き受けた。

「ゼッタイ優勝してハニーをデートに誘うの!」

珍しく美希が準備体操を始めている。

「皆、悪い。ネットを持って来てたんだが館に忘れてしまったんだ。取って来るからちょっと待っててくれ」

プロデューサーが林のほうへと小走りで消えていく。
24 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:07:08.21 ID:rjaMESJ70
「あ、それなら私が――!」

「いや、俺が行くよ。律子は皆を見ていてくれ」

「分かりました」

彼が戻って来るまでの間、春香たちはチーム決めやルール作りで盛り上がった。

特にチーム決めについてはなかなかまとまらなかった。

勝つには誰とペアを組むかが重要だが、ゲームとして楽しむためにはパワーバランスも重要だ。

最初はクジで決めようとしたが真と響がペアになってしまい、これには他のチームが勝負にならないと猛抗議し、

結局は運動の得意な者と苦手な者、年長と年少といった具合にペアが組まれ、経緯は談合も同然だった。

そうして10分ほどかけ、どうにか準備が整ったところにプロデューサーが戻って来る。

ネットが予想より小さかったため、コートは描き直された。

「俺は誰とペアになったんだ?」

という彼の問いに、伊織は不機嫌そうに腕を組んだ。

まずは春香・真美ペアと、雪歩・貴音ペアの勝負。

ゲームは総当たり戦だが、暗黙の了解で真、響がいるペアは最後に行われることになった。

優勝賞品も懸かっているからか、なかなかに白熱している。

転んだ春香の手を引っ張りながら笑う真美。

あまり貢献できなかったと落ち込む雪歩を激励する貴音。

温和ながら意外にも奮闘するあずさとハイタッチを交わそうとするやよい。

だが背丈が合わないのでやよいが小さくジャンプしたところを、千早はしっかりと写真に収めた。

「こうして見るとダンスが得意な子が必ずしも強いとは限らないんだね」

出番を終えて観戦している雪歩が美希に言った。

「それってでこちゃんのこと? あれはちょっと違うと思うな……」

美希は欠伸をしながら言った。

「ちょっと! どこに向かって打ってんのよ!」

「今のは無理だろ!」

「あれくらい捕れなくてどうすんのよ! すでに5点差つけられてんのよ!」

プロデューサーと伊織のペアは、ボールを触った回数より小競り合いをしている回数のほうが多い。

お世辞にもチームワークも良いとはいえず、ラリーは続かない。

「美希ちゃんも運動得意だよね。何度もレシーブを決めてたし」

「んー、別に得意だって意識はないよ? やってみたらできたってカンジ」

「美希ちゃんはすごいなあ。それに比べて私なんて、飛んでくるボールが怖くてつい逃げちゃって……」

試合には勝ったものの、勝因の大半は貴音が握っていた。

軽いボールなら打ち返すことができたが、勢いのついたボールにはたじろいでしまう。

それを見越して貴音が後衛に徹することでカバーしてきたのだ。

「そんなに気にしなくていいって思うな」

彼女はもうひとつ欠伸をした。

連繋が上手くいかない伊織たちはもうどうやっても逆転できそうにない。
25 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:08:52.07 ID:rjaMESJ70
「みんなキラキラする場所もやり方も違うの。雪歩には雪歩の得意なことがあるハズなの。

苦手なことを無くすのは大事だけど、得意なことを見つけてそれを伸ばすのはもっと大事だって、ハニーも言ってたよ」

「………………」

雪歩は驚いたように美希の横顔を見た。

やはりどこか眠そうな目であったが、その視線は伊織と言い争いを続けているプロデューサーにしっかりと向けられている。

「えへへ、ありがとう、美希ちゃ――」

「あ、いよいよ大本命の試合が始まるの!」

雪歩の言葉をかき消すように美希が叫んだ。

プレイヤーは入れ替わり、ネット越しに見合っているのは真と響だ。

それぞれ律子、千早とペアを組んでおり注目の一戦と言われていた。

「やっと出番が来たな」

「響、頑張るのですよ。油断してはなりません」

「油断なんてしないぞ。いつでも全力で勝負するのが自分のやり方だからな」

貴音のエールに響が笑顔で手を振った。

「我那覇さん、作戦はどうする?」

「そうだな……千早のほうが背が高いからブロッカーを任せてもいい? ジャンプ力もありそうだし、かなり強力な壁になると思うぞ」

「え、ええ……分かったわ……我那覇さん……」

千早が引き攣った笑みを浮かべる。

「なんか顔が怖いぞ? もしかして緊張してる? 相手は真と律子だもんな。でも大丈夫だぞ。

なんたってこっちには自分がいるからな! ブロックできなくても全部自分が拾うから安心してよ!」

「そうね……頼りにしてるわ、我那覇さん。勝ちに行きましょう」

などと話し合っているコートの反対側では、

「向こうは当然、響が主軸でしょうね。あの子の性格からして無理をしてでもボールを拾うハズ。

だけどここは砂浜だからシューズを履いている時とは勝手が違う。いつものような動きはできない。

とにかく響から遠い位置にボールを落とすようにして自滅を狙うわよ。きっとムキになってミスが増えるハズだわ」

律子が冷静に分析を始めている。

だが真はかぶりを振った。

「そう簡単にはいかないと思うよ。前に一度、砂浜で競走したことがあるけど、結果は響の勝ちだった。

しかもボクはフライング気味だった。ハッキリ言って砂浜じゃボクたちの方が不利なんだ」

「それなら千早を狙うしかないわね……」

両チームがネットを隔てて対峙する。

「まったく、あのバカのせいで敗けたわよ」

ぶつぶつと不満を述べながら伊織が美希の横に腰をおろした。
26 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:10:30.69 ID:rjaMESJ70
「いよいよ本日のメインイベント、まこちんvsひびきんの頂上対決の時間がやってきたよー!」

「イケメン悩殺プリンス・菊地真が勝つのか? はたまた南国の太陽、なんくるない我那覇響が勝つのか? アイドルたちよ、カツレツせよ!」

亜美と真美が場を盛り上げようと勝手に実況を始めた。

「誰がイケメンでプリンスだよ!」

「なんくるないの遣い方間違ってるぞ!」

2人が同時にツッコミを入れた。

「はいはい、始めるわよ。それと”刮目”ね」

律子の一声で試合が始まる。

「はやッ!? なによ、あれ……コートが抉れてるじゃない……」

「真クンも響もすごいの!」

「千早ちゃんと律子さん、ゴーグルとか着けたほうがいいんじゃないかな……」

ゲームは延長戦に突入したが一向に勝負がつく気配がない。

真がアタックを決めればお返しとばかりに響がアタックを決める。

その応酬が延々と続き、千早も律子もコートにこそ残っているが棒立ちも同然だった。

「もうジャンケンか何かで決めたらいいと思うな……」

と美希が言ったときだった。

「あ、れ……雨……?」

ぽつぽつと雨が降ってきた。

先ほどまで快晴だったというのに、いつの間にか曇天となって灰色の雲が空全体を覆っている。

見上げた春香の頬を雫が打つ。

「うわ! 急に……!」

数秒もしないうちにザアザアと大きな音を立てて、雨は烈しさを増していく。

「まずいわね! 風邪をひくといけないわ……館に戻るわよ!」

沛然と降る雨は少女たちを容赦なく叩く。

年少組を先に帰らせ、プロデューサーと律子が中心となって道具を片付ける。

「ちぇっ……勝負はおあずけか……」

響が残念そうに言った。

「命拾いしたね、響」

さすがに疲れたのか、肩で息をしながら真が言う。

「む……それはこっちの台詞だぞ」

「明日、晴れたら続きをしよう」

畳んだネットを抱えてプロデューサーが小走りでやって来た。
27 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:13:45.82 ID:rjaMESJ70
「皆、急げ! ほんとに風邪をひいてしまうぞ!」

という彼の声も、雨音に掻き消されてしまう。

小走りで館に向かうと、前を歩いていた年少組に追いついた。

舗装されていない地面が泥濘(ぬかる)んでいて、足をとられる危険があるため走らなかったという。

来た時と同じようにプロデューサーが先頭に立つ。

「それにしても急に降ってきたね」

真美が足元を一歩一歩確かめながらぼやいた。

「夢中だったからね、私たち」

春香が笑う。

雲ひとつないほどの晴天だったのに、土砂降りになるまで気付かなかったのは自分の責任だ、と律子が言った。

丘の上に館が見えてきた。

「あれ…………?」

玄関扉の前でプロデューサーがもたついている。

「どうかしたんですか?」

すぐ横にいたあずさが訊いた。

「鍵が…………」

呟きながら彼は一度鍵を抜き、再び差し込んで回す。

金属音がするのを確かめてサムラッチを押す。

そのままゆっくり引くと扉が開いた。

「開いてたってこと?」

その様子を見ていた伊織が口を挟む。

「あ、ああ。出る時に確かに鍵をかけたハズなんだけどな……?」

「さっきネットを取りに戻ったじゃない。その時に閉め忘れたんじゃないの?」

「いや、でも確かに……」

プロデューサーは訝しげに扉を見上げた。

その間に春香たちはさっさと館内に上がり込んでいる。

「この島には亜美たちしかいないんだから、別にカギなんてかけなくていいっしょ」

「そういうワケにはいかないだろ」

「っていうか寒いんだから、さっさと閉めなさいよ」

プロデューサーは釈然としない顔だったが、まずは全濡(ずぶぬ)れの体をどうにかするほうが先だ、ということになる。

エントランスは風通しが良すぎて体が冷えるから、足の泥を落とし、体を拭いてから談話室に移動する。

「今からお湯を張るには時間がかかるけど、どうする? シャワーで済ませるか、お湯を張るまで待つか」

客室のユニットバスを使うか、1階の浴場を使うかということになる。

だが浴場はさすがに全員が同時に入れるほど広くはなく、せいぜい6人が限界だ。
28 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:45:29.29 ID:rjaMESJ70
「シャワーでいいんじゃない? とりあえず汚れを落としたいし」

「でも体が冷えてるわね。温めたほうがいいと思うわ」

律子が意見を求めると、シャワー派と入浴派が拮抗した。

取り敢えずは部屋にあるシャワーで汚れを落とし、その間に浴場にお湯を張って改めて入浴しようという話で落ち着く。

「プロデューサー、どうしよう!?」

それぞれが談話室を出ようとした時、響が慌てた様子で言った。

「どうした?」

「自分、部屋の鍵失くしちゃったみたいなんだ。ポケットに入れてたハズなのに」

「よく探したのか? そのポーチの中とかは?」

「全部探したけどなかったんだ。浜で落としちゃったのかも……見てきていい?」

響が今にも泣きだしそうな顔でこぼす。

「こ、こんな雨の中で探すなんて無茶だよ……!」

雪歩が不安そうな表情で言った。

「で、でもこのままじゃ自分、部屋に戻れないぞ……」

「いや、大丈夫だ」

プロデューサーの言葉に2人はぱっと顔を上げた。

「管理人室にスペアキーがあるんだ。入ってすぐ左側の机。その一番上の抽斗の中に同じように鍵が並べられてたハズだ」

それを聞いて響の顔が俄かに明るくなった。

「抽斗の中だね? 取ってきていいでしょ?」

「それなら俺も一緒に行くよ」

「いや、いいって! 自分のミスだからプロデューサーの手を煩わせるのは悪いし……」

「そうか? 場所は分かるよな?」

「うん!」

響は談話室を飛び出して行った。

その後ろ姿を見送ってから貴音は自分の部屋に向かった。

5分ほどして響が戻ってきた。

「もう失くすなよ? さすがにスペアキーまで紛失したらドアを壊さなくちゃいけないからな」

「う、うん、気をつける……ごめんね、プロデューサー」

響は恥ずかしそうに俯いた。

「ああ、いや、管理してなかった俺も悪かった。出かける時は一旦預かるとかするべきだったな」

その後、彼女もシャワーを浴びるために自室に戻った。

それから数分おきに春香たちが戻って来る。
29 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/23(日) 23:46:36.67 ID:rjaMESJ70
夏とはいえ、体は冷やすのは良くないということで何人かは薄手の上着を羽織っていた。

談話室の隅に電気ストーブを見つけた雪歩が電源を入れる。

内装に合わせて木目調のフレームだが、これ自体は数年前に製造されたものだ。

「夏も近いのにストーブなんてヘンな感じだね」

「急に降ってきたもんね」

手をこすっている雪歩の横に真が並ぶ。

千早は少し離れたソファに座り、カメラの調子を確かめている。

突然の雨で少し濡れたが故障はしていなかった。

「すこーる?」

「うん、沖縄だと晴れてるのに急に雨が降ることがあるんだ」

「狐の嫁入りとは違うのですか?」

「う〜ん、ちょっと違うかも。さっきみたいにザーって降るのがスコール。狐の嫁入りはもっと静かな感じでしょ?」

貴音に沖縄の天候事情を説明しているのは響だ。

間もなく律子がやって来て、湯はりが終わったことを伝えた。







30 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 22:31:57.11 ID:3f31ODDX0
 14時05分。

小さな旅館の浴場と大差はない。

6メートル四方の浴槽は大理石調で洋館の雰囲気に合っている。

床タイルも臙脂色を基調とした落ち着いた色で統一されているが反面、シャワーやカランは現代的で調和がとれていない。

「足を伸ばせるっていいよね〜」

肩まで湯船に浸かった春香が大息しながら言った。

「運動した後は特に、ね。ゆっくりお風呂に浸かるのも久しぶりだわ」

春香のすぐ横で千早も同じように羽を伸ばす。

胸元はタオルでしっかりと隠している。

「こんな時間からお風呂に入ってると、温泉旅行に来たみたいだね」

雪歩が嬉しそうに言った。

彼女の白い肌は湯船に反射した照明とが相俟って、よりその白い嫋やかさを際立たせている。

「だよね。夜には花火なんかも上がったりして。まあここは旅館とは正反対のイメージだけど」

湯船に浸かりながら真はマッサージに余念がない。

「それにしても、さっきは残念だったね……結局、勝負はつかなかったもんね」

「もうちょっと時間があればなあ。そうしたらプロデューサーになんでも頼める権利はボクたちのものだったのに」

ため息まじりに真がそう呟くと、

「それは聞き捨てならないな」

向かい合うようにして浸かっていた響が口を挟む。

「あのままやってたら絶対に自分たちが勝ってたぞ」

「いいや、ボクたちが勝ってたね」

「いやいや、自分たちが――」

「ボクたちだって――」

「千早はどう思う?」

「え……?」

春香と話をしていた千早は名前を呼ばれて首をかしげた。

「さっきの勝負。あのまま続けてたら自分たちが勝ってたよね?」

「どうかしら。我那覇さんも真もすごく強かったから、どっちが勝っても不思議じゃないわ。

きっと勝負が着くとしたら私か律子のどちらかがミスをした時ね」

「え、ああ、うん……そうだな……」
31 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 22:39:44.55 ID:3f31ODDX0
響がちらりと真を見やる。

「やめよっか、この話……」

「うん……」

そのやりとりを見ていた貴音は微苦笑した。

「見事でしたよ、千早」

突然の称賛に千早は分からない顔をする。

だがその視線を半分以上湯船に浸かっていながらなお豊満さが隠れもしない貴音の曲線に向けると、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。








32 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 22:41:00.62 ID:3f31ODDX0
 17時15分。

全員が入浴を終え、談話室で思い思いに過ごしていると、

「あの、少し早いけど、そろそろ晩ごはんの用意をしませんか?」

やよいが切り出した。

その発言をキッカケにほぼ全員が時計を見上げた。

「これだけの人数のご飯を作るのは大変ですし」

どうでしょうか、と彼女はプロデューサーに意見を求める。

「そうだな。皆、どうする?」

「食は生きるに欠かせぬもの。反対などいたしましょうか」

「さんせーい!」

時間が時間だけに反対する者はいない。

昼間は中断したとはいえビーチバレーで体を動かし、その後は入浴にまつわるゴタゴタがあり、

きちんとした昼食を摂っていなかったため、豪勢な夕食を期待する声もあがった。

「じゃあ私、作ってきますね!」

早くも厨房に駆けていきそうなやよいに、

「私も一緒に作るよ。皆の分、作るのは大変だし」

春香が名乗りをあげる。

「ふふ、じゃあ私も。将来のために愛情たっぷりのご飯を作る練習でもしようかしら」

「自分も行くぞ」

あずさ、響がそれに続く。

4人も入れば厨房はいっぱいになる、という理由で調理メンバーは彼女たちで決まった。

「ならミキはここで寝てるの。できたら起こしてね」

言いながらソファに横になろうとした美希を、

「働かざる者、食うべからずよ」

律子が引っ張り起こす。

料理は4人に任せ、残りは調理の補助や食堂のセッティング等に回ることにした。

特に目立つようなゴミは落ちてはいないが、せっかくだから綺麗にしようと食堂やその前の廊下の掃除が始まる。

これは律子が中心になって行い、監督のつもりか美希も掃除を手伝わされた。

一方、食堂のセッティングは人数の割には捗っていない。

純白のテーブルクロスはよいとして、黄金色の燭台や重厚な花瓶、何に使うのかよく分からないトレイ等、

置いてある物がどれも高価そうなため、作業の手も恐々となっていた。

エントランスホールから入って正面の壁には暖炉まである。
33 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 22:47:55.82 ID:3f31ODDX0
「これ、落としたりしたらベンショーだよね……」

さすがの亜美も銀製の器を持ってふざけようとはしない。

「あまり触らないほうがいいと思うわ」

千早が大きなトレイにグラスや皿を乗せて入ってきた。

食器等を納めている棚は厨房を抜けたさらに奥のスペースにある。

往復は料理中のあずさたちの邪魔にならないよう慎重になる必要があった。

「それにしてもスゴイなあ……」

改めて辺りを見回して真が呆気にとられたように言った。

中央にはゆうに20人は掛けられる長テーブルが設えられている。

椅子もホテルで見るような値の張りそうな意匠のものが一揃え。

テーブル上の燭台と花瓶は雰囲気を演出するためだが、これも決して安価な品ではない。

「こんなのもあったんだ」

暖炉の向かい側の壁に牡鹿のハンティングトロフィーが掛けられている。

近づいてみると思った以上に大きく、下から見上げると不気味だ。

「ねえ、まこちん、知ってる?」

足音を立てないように真美が近づいて言った。

「このハクセイ、笑うんだよ?」

「こ、怖いこと言わないでよ……!」

真は身震いした。

「ほんとだって。ゲームでやったことあるもん。昔のアクションゲームで主人公がジャクソンのやつ」

「ジャクソン?」

「白いお面のオノ持ってるやつだよ」

「白いお面……? もしかしてジェイソンのこと?」

「そうそれ。それで最後のほうにこれと同じハクセイが出てきてさ。主人公がダメージ受けたら笑うんだよ」

「なんかそれだけ聞いたら面白そうだけど……?」

「これでラスボスがカボチャなら決まりなんだけどね〜」

真美は笑いながらその場を離れ、千早の手伝いに向かった。




34 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 22:49:26.00 ID:3f31ODDX0
一方、調理組は順調だった。

厨房に入るや、まずやよいが言ったのが”お米を炊きましょう”だった。

米や炊飯器はすぐに見つかった。

「あ、待ってください!」

春香が炊飯器の内釜に計量した米を移そうとしたところに、やよいが待ったをかける。

「そのまま洗ったら釜が傷んじゃいます」

彼女は調理器具が収められている棚から大きめのボウルを見つけ出し、そこに米を移した。

そこに水を流し込み、米を研がずにすぐにその水を捨てた。

「捨てちゃうの?」

「はい。最初はお米についた汚れを流したほうがいいんですよ。お米は水に触れるとすぐに吸収してしまうんです。

そのまま研いだらお米が汚れを吸っちゃいますから」

「へ、へえ……」

「うちではお水がもったいないからしないですけど……」

やよいが恥ずかしそうに笑う。

「それから研ぎ方も大事です」

袖を捲って小さな力こぶを見せた彼女は、左手でボウルの縁をしっかり掴んだ。

「お米を研ぐっていうのは洗うことじゃなくて磨くことなんです。だから力を入れ過ぎないようにして――」

「すごいわね、やよいちゃん」

その手際の良さにあずさも響も感心した。

「えへへ、この前テレビでやってたんです」

その後、この時期なら浸水は30分程度だとやよいが言い、品書きは何にするかという話になる。

「変わった野菜があるね」

冷蔵庫を覗きながら春香が言った。

そう広くない厨房に業務用の大型冷蔵庫の存在は目立つ。

中段の冷蔵庫部は3段に分かれ、卵や調味料、飲み物が整然と並べられている。

ボトルタイプの飲み物は10本以上あるが、人数を考えれば3泊でこれは多いとはいえない。

下段の抽斗になっている部分は野菜室で、野菜や果物が詰め込まれている。

上段の冷凍庫部には肉や魚がラップフィルムに包まれた状態で保存されている。

左側に牛肉や鶏肉、真ん中に魚肉と分けられているが、右側にはサッカーボールが収まるくらいの隙間があった。

衣食住は心配しなくていい、という社長の言葉の意味は、冷蔵庫の中にまでしっかりと及んでいた。

肉類に魚類、野菜等がひととおり揃っている。

質、量ともに申し分なく、少なくとも食料が足りなくなる、という事態にはなりそうにない。

手際よく人参やじゃがいもの皮を剥きながらあずさが微笑む。

調理器具が収められている棚にはピーラーもあったが、彼女は敢えて包丁で皮を剥いている。
35 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 22:52:28.62 ID:3f31ODDX0
「ところで自分たち、未成年だけどいいの?」

牛肉を一口大に切り分けていく響の手捌きは見事なものだった。

運動したこともあり、食べごたえのある料理もあっさりしたものも必要だろうということで4人で話し合った結果、

メニューは牛肉のビール煮込み、サラダ、スープとなった。

「大丈夫よ。アルコールなんて作ってる途中に飛んじゃうもの」

冷蔵庫の奥にビールを見つけたあずさは、すぐにメイン料理を提案した。

「自分、柔らかくするのにソーダを使ったことがあるけど、ビールでもいいんだね」

「プロディーサーさんが社長さんに頼んだのかしら? もしかしたら夜中に呑むつもりだったのかも……」

「まだ残ってるから平気ですよ」

そう言う春香は調味料の類を吟味していた。

後ろではやよいがスープ作りにとりかかっている。

彼女は野菜室に大量のある食材を見つけていて、それを豪快に使いたいと言っていた。

こうして各々が調理にとりかかってから1時間。

白米も炊け、ようやく全てのメニューが出来上がる。

「持って行ってー!」

という響の大声に、真っ先に貴音が飛びつく。

さらに雪歩、美希、伊織たちが加わり、厨房と食堂を往復する。

伊織は、

「たまには運ぶ係もいいわね」

なんて言っている。

料理を運び終えても、春香は厨房に残って何かをしていた。






36 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 23:00:28.04 ID:3f31ODDX0
 18時30分。

「いただきまーす!」

牛肉のビール煮込みとサラダ、それに鍋いっぱいのもやしスープ

白米はやよいが手をかけただけあって色艶もよく、適度な弾力があった。

「美味しいっ!」

あちこちでそんな声があがる。

「このお肉、すごく柔らかいですぅ」

上品な手つきで肉を口に運び、雪歩が舌鼓を打つ。

「ビールで煮ると柔らかくなるんだって。あずささんのアイデアなんだよ」

春香が自分のことのように自慢した。

「これなら特売のお肉でも美味しく作れますね! あ、でも私じゃビールが買えません……」

「だったらソーダを使うといいぞ」

「ジュースなら私でも買えますね。でも甘くなっちゃいませんか?」

「ううん、普通の味のついてない炭酸水を使うんだ。最近は薬局とかでも売ってるぞ」

「さすが響さん! 何でも知ってるんですね!」

「まあね、自分、カンペキだから」

やよいたちは大いに盛り上がっている。その横で、

「それにしてもこんなに美味い料理を食べたのは初めてだ。あずささんの旦那さんになる人が羨ましいですよ」

プロデューサーは頻りに料理の腕を褒めていた。

彼はバランスよく口に運んでいるが、やはりメインディッシュに手をつける回数が最も多い。

「うふふ、ありがとうございます。少し自信がつきました」

「自信、ですか?」

「ええ、誰かに食べてもらうために作ったことはほとんどなくて……自分の味覚にも自信がなかったんです」

「勿体ないですよ、こんなに美味しい料理が作れるんですから。何というか、その……惚れ…………」

「え…………?」

「あー! 兄ちゃんがあずさお姉ちゃんを口説いてるー!!」

真美が嫌らしい顔で笑うと、

「ウチの娘はそう簡単にはやれんですな! コーサイしたくば伊織パパを倒してからにしてもらおーか!」

亜美がそれに悪乗りする。

「誰がパパよ!?」

伊織は飲んでいたオレンジジュースを危うく噴き出しそうになった。

「だってプロポーズしてんだよ? それってつまり生え抜きってことっしょ?」

「心配いらないわ。あずさがこんな冴えない男を選ぶワケないでしょうが」

「おいおい、言ってくれるな……」

プロデューサーが冷や汗を拭った時、静かに器を置く音が妙に響いた。
37 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/24(月) 23:01:51.25 ID:3f31ODDX0
「もし――」

その声に全員の視線が彼女に集中する。

彼女は背筋をまっすぐに伸ばし、

「――おかわりはないのですか?」

空になった器をちらりと見て言った。

「もやしスープならまだまだいっぱいありますよ!」

やよいが手元にあった器にもやしを山盛りにして貴音に差し出す。

鍋の中は半分も減っていない。

「もやしがこれほど美味だとは思いませんでした。やよいの食材に対する愛情を感じますね」

そう言い終わる頃には既に器は空になっている。

「えへへ、ありがとうございます!」

貴音のおかげで残るかと思われた料理の数々はきれいになくなった。

「ごちそうさまで――」

「っとその前に!」

厨房に消えた春香が大きなガラスボウルを持って来た。

中には大きさを揃えて切られたイチゴ、バナナ、キウイフルーツ等の数種類の果物が入っている。

それらをパフェグラスに移し替え、上からチョコレートソースをかければ即席のデザートの完成だ。

「本当はクッキーでも作ろうかと思ったけど、材料も時間もなかったから……」

と恥ずかしそうに言う春香に、

「これも立派なデザートだよ。それにちゃんとグラスも冷やしてあるの」

真っ先に賛辞を送ったのは美希だった。

「ミキ的にはいちごババロアが食べたかったけど、春香のがんばりに免じてこれで我慢してあげるね」

ころころと変わる美希の口調と表情に春香は苦笑した。






38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/25(火) 01:26:15.04 ID:PMahRz2V0
期待
39 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 21:49:48.96 ID:wnJ3A+fz0
 19時43分。

準備には得手不得手から担当が分かれたが、後片付けは誰にでもできる。

何人かはクロスを汚していないことを確かめながら、手際よく食器を片づけていく。

”俺は何もできなかったから、せめて片付けくらいはさせてくれ”と言うプロデューサーの勧めで、

調理メンバーだった4人は先に談話室で寛ぐことになった。

談話室は全員が集まっても居場所に困らない程度に広い。

ソファには12人が掛けられるし、一人用の椅子も数脚ある。

中央の長テーブルを囲めばボードゲームに興じられそうだ。

「憧れるわね」

シャンデリアを見上げながらあずさが呟く。

「あずささんはやっぱりこういうお家に住みたいですか?」

「そうねえ……憧れではあるけれど住みたい、というのは違うかもしれないわね。こんなに広いと迷子になってしまいそうで」

「あずささんらしいですね」

春香が笑った。

「私も大きな家は嬉しいですけど、ちょっと落ち着かないかなーって」

「だよね。広すぎても部屋が余っちゃうし。それに――」

「どうかしたんですか、響さん?」

やよいが不安そうな顔をした。

「なんていうか、こう……じっとしてたらどこかから誰かに見られてるような感じがするんだ……」

響は声を潜めて言った。

「食堂でご飯食べてた時も、なんかヘンな感じがしてさ……」

「こ、コワイこと言わないでください……! 誰かって誰なんですかー!?」

「それは私よ!」

誰かの両手が響の目を覆った。

「うぎゃあーーーッ!?」

驚いて飛び上がった勢いで、そのまま後ろにひっくり返る。

「響ちゃん!?」

慌てて春香たちが駆け寄り、抱き起こした。

「ちょ、ちょっと! そんなに驚くことないじゃないの!」

イタズラを仕掛けた伊織が心配そうに響の顔を覗きこむ。

「ひぐっ……い、いおりぃ…………?」

ぐすぐすと鼻を鳴らしながら響が見上げる。

「ああ、ほら! 響ちゃん、これで拭いて。もう! 響ちゃん、泣いちゃってるじゃない!」

春香が抗議の声をあげる。
40 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 21:53:37.33 ID:wnJ3A+fz0
「片付けが終わって戻って来たら面白そうな話してたから、ちょっと驚かせてやろうと思っただけよ」

伊織はばつ悪そうに余所を向いて、

「わ、悪かったわよ……! そんな驚くなんて思わなかったから……」

拗ねたような口調で言った。

食堂から雪歩たちがやって来る。

「さっきのは伊織が――」

「だ、だから悪かったって言ってるでしょ!?」

何事かと心配する面々に春香が経緯を説明する。

その後、響が落ち着くのを待ってゲームでもしようということになった。

この館にはテレビやパソコンの類がないと前もってプロデューサーが言っていたため、各々はいろいろと遊び道具を持って来ていた。

特に亜美と真美は荷物の大半がオモチャで占められていて、2人が言うには1週間あっても遊び尽くせない量らしい。

トランプやボードゲーム等、誰でも知っている物からマニアックな物まで揃っていて、談話室はさながら玩具箱をひっくり返したような状態になっていた。

「サイバーエンドドラゴンを召喚!」

「コインベット! さあ、カードを見せてもらうよ!」

「えーっと、真ちゃん、どうしたらいいかな……?」

「このタテコモールっていうのをライブ……すればいいと思う」

「甘いの、雪歩。これでずっとミキのターンなの!」

「おや、これは……融合召喚? なんとも面妖な英雄ですね」

亜美たちが持って来たカードゲームに興じる面々。

本来のルールを勝手に作り変えて無理やり複数人で遊んでいる。
41 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 21:55:16.31 ID:wnJ3A+fz0
「株で大損、1千万ドル失うだって。ねえ、これ資産がマイナスになったらどうなるの?」

「そんな程度、水瀬が立て替えてあげるわよ」

「さっすがいおりん! 物件買い占めてるだけあるねー」

「借金しててもゲームは進められるハズだぞ? あ、律子、四四は反則だぞ」

「たしか歩兵は前に1マスずつしか動かせないのよね。じゃあこっちの香車を……」

「それは駒を飛び越せないんだ。それと千早、21を超えたからお前の負けだ」

「くっ……それならビショップとルークを墓地に送り、蒼い鳥を特殊召喚します」

「響、決着をつけようじゃないか。どうだ! ハートのフラッシュだ!」

「ふふん、甘い……甘すぎるぞ、真! 自分が神のフルハウスを見せてやるさー!」

「やりますね、雪歩。しかし黙っていましたが私には透視能力があるのです。それを使えばとらんくの中身など……」

「し、四条さん……ダウト1億、です……うぅ、すみません……穴掘ってトランクの中身を見ちゃいました……」

「あらあら、★に40のダメージってすごいのかしら? やよいちゃんのマークは★だったかしら?」

「さっき転がした時に▲になりました。だからダメージはなしですよ」

カードゲームで遊んでいたハズがいつの間にか人生ゲームに変わり、次いで連珠に将棋が始まり、種々様々なゲームに転じていた。

しばらくして雪歩と律子が席を立ち、ホットココアを淹れて戻ってきた。

「はい、どうぞ」

「ちょうど喉が渇いていたところだったんだ。いただくよ」

真っ先に手を伸ばしたのはプロデューサーだ。

「いただきます」

その後、雪歩がトレイを持って回り、やよい、春香……とカップを手に取る。

「美味しいわ」

伊織が頷いて言った。

「美味しいです!」

「これはバンホーテンね?」

やよいとあずさが舌鼓を打つ。

ゲームで遊んだ後は甘さの中にほろ苦さが覗くココアは好評だった。

一息入れたことで遊びにも区切りがつき、

「あら、もうこんな時間じゃない」

律子が時計を見上げて言った。
42 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 21:58:59.88 ID:wnJ3A+fz0
時刻は22時過ぎ。

2時間以上遊んでいたことになる。

そろそろ寝ようか、という声があちこちで上がる。

亜美たちはまだ遊び足りなさそうだったが、美希はココアで温もったこともあって何度も欠伸している。

春香や千早は足元に落ちたコマやカードを拾っていた。

「そうだな、夜も遅いしそろそろ寝るか」

「えー、もっと遊ぼうよー!」

と真美が口を尖らせる。

「こら、夜更かしはダメよ? アイドルなんだから体調管理も仕事のうちなの」

「でも今日はお仕事じゃないっしょ?」

「真美、そう焦ることはありませんよ。まだ3日もあります。今宵はここでお開きといたしましょう」

「ちぇ、お姫ちんがそう言うなら仕方ないか……」

亜美たちが渋々といった様子でテーブル上に散らばった道具を片付けはじめる。

――その時だった。





『我が声を聴け』





突然、どこからか声が響いてきた。

「な、なんだ!?」

響が頓狂な声をあげて辺りを見回す。

「い、今のなに……?」

雪歩が不安げに隣にいた春香を見やるが、彼女も分からないといった様子でかぶりを振った。
43 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 22:02:46.30 ID:wnJ3A+fz0




『我が声を聴け』



同じ声がもう一度。

老婆のような嗄(しわが)れた不気味な声が館内に響き渡る。

「だ、誰だ!?」

プロデューサーが血相を変えて立ち上がった。
44 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 22:03:56.08 ID:wnJ3A+fz0


『次に名を挙げる者たちはそれぞれ以下の罪を背負っている。


秋月律子
汝は頑迷にてしばしば他者をその規律で縛り、弱きを切り捨て、個を蔑ろにした。
独善により和を損ねたる狭窄の為体は第一の罪である。

天海春香
汝は競合の場に於いて干戈を交えようとせず、籌策を巡らそうとせず、相手に和合を求めるに終始した。
己が身上を弁えず、戦意を持たずして結実を冀望する愚行は第二の罪である。

音無小鳥
汝はしばしば淫佚な想見に耽り、清白なる同胞を胸臆にて穢すこと数多度あり。
輔佐を怠り、責を逃れる尾籠な振る舞いは第三の罪である。

我那覇響
汝は実兄を蔑し、身侭に郷里を離れ、音信を断って憂患の種を蒔き、また椿堂の不帰に悲歎することなし。
眷族を顧みない許し難き忘恩は第四の罪である。

菊地真
汝は現実を解せず、己が理想との乖離に抗し、剰え椿堂の求めに違背した。
寸草を知らず、報謝を忘れたる不孝は第五の罪である。

如月千早
汝は歌唱にのみ注力して他を等閑にし、その過度の拘泥のあまりしばしば不和を引き起こした。
戮力を妨げ、乖離を齎す我執は第六の罪である。

四条貴音
汝は己に纏わる一切を隠匿し、それによって不信を招き、ときに同朋をも欺いた。
人心を翻弄し、惑わし、跋扈する不逞は第七の罪である。

高槻やよい
汝は庇護すべき血縁との対話を疎かにし、その心情の機微について忖度せず。
弟妹を軽んじ、己のみ願望を叶えんとする放埓は罪悪の八である。

萩原雪歩
汝は己の怯懦を知りつつも、その克服を遅々として進めず逃避に終始した。
自立を忘れ独歩を怠る矮小な姿勢は罪悪の九である。

双海亜美
汝は双子(そうし)を等閑にし、独尊の心にて飛躍を第一義として顧みることなし。
共歩を疎かにし、把手を拒みたる陋劣の体は罪悪の十である。

双海真美
汝は双子(そうし)の栄進を祝さず、むしろ嫉心を抱き、怨嗟に駆られた。
芝蘭玉樹を幸いとせず、切歯扼腕する低劣は罪悪の十一である。

星井美希
汝は非凡の才を持つが故にそれに溺れ、懈怠に日々を貪ってきた。
研鑽を忘れ、遊蕩の限りを尽くすは罪悪の十二である。

三浦あずさ
汝は齢の長たる自覚を持たず、彷徨を重ね、その悪癖を改める兆しを見せず。
逍遥を常とし、他者を煩わせるを是とする愚盲は罪悪の十三である。

水瀬伊織
汝は高慢にして傲岸、他を見下し、不遜なる体を露わにすること厭わず。
謙譲の念を捨てたる人にあるまじき狷介は罪悪の十四である。


罪深き者たちよ、悔い改めよ。
我は天に代わり裁きを下す者である。
異あるならばその清白を示せ。
罪深き者たちよ、悔い改めよ。
十四の罪を背負いし者たちよ、その血を以て償いとせよ』
45 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 22:06:38.18 ID:wnJ3A+fz0


声が聞こえなくなっても、しばらく誰もが口を開けずにいた。

怨嗟の念が込められたような声は、天上から降り注いだのか地の底から湧き出したのかは明らかではない。

ただひとつハッキリしているのは、彼女たちを動揺させるには充分すぎるものだったということだ。

「何だったんだ、今の……?」

一番に疑問を発したのは響だった。

誰も答えない。

律子は呆けたように天井を見つめ、雪歩は震えを必死に抑えるようにして俯き、貴音は周囲を窺っている。

「なんか、ヘンなこと言ってなかった? 罪がどうのこうのって――」

辺りを見回しながら真が言う。

声はもう聴こえない。

時計が秒を刻む音だけが談話室に響いていた。

「兄ちゃん……さすがに冗談キツいって……」

真美が言ったのをキッカケに、全員の視線がプロデューサーに集中した。

「お、俺じゃない! 本当だって!」

「あんたにしてはまずまずの仕掛けじゃないの。で、スピーカーはどこに隠してるワケ?」

伊織が髪をかき上げながら言った。

その口調は怒りと呆れが入り混じっている。

「本当に俺じゃないって! こんなことするワケないだろ!?」

「どうだか……こういう場所じゃホラーは定番だもの。面白いアイデアだったけど残念ね。誰も怖がってなんかいないわ」

「いおりん、そういうのは足の震えが止まってからにしないと」

「う、うっさいわね! さすがにちょっとビックリしただけよ!」

「なあんだ、プロデューサーさんのサプライズだったんですか……」

春香がぎこちない笑みを浮かべた。

「いや、だから違うんだって! 俺だって驚いてるくらいなんだぞ?」

「悪趣味ですよ、プロデューサー殿。というか雰囲気出すのはいいですけど、言葉を選んでくださいよ、まったく……」

ため息交じりに律子は談話室を出て行こうとする。

「どちらへ?」

「ちょっと喉が渇いたの。ココアが甘すぎたのかもしれないわ」

「ならば私も――」

貴音も立ち上がり、律子と厨房へ向かう。

「あの、私も行きますっ!」

雪歩が慌ててその後を追った。

3人が厨房に消えると先ほどまでの盛り上がりは一気に冷めてしまった。

本人は否定しているが、ここにいる全員がプロデューサーの仕業だと言った。
46 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 22:37:57.01 ID:wnJ3A+fz0
「言葉が難しくてよく分かりませんでした。あれは何て言ってたんですか?」

「頼むから信じてくれよ。本当に俺じゃないんだって」

懇願するようなやよいに彼はだんだん必死になってきた。

「なに言ってんのよ。さっきの告発みたいな声、あんたの名前だけ挙がってなかったじゃない。それはどう説明するのよ?」

「俺に言われても……こっちが訊きたいくらいだよ」

「本当に兄ちゃんじゃないの?」

「さっきから言ってるじゃないか。俺も気味が悪いんだよ」

「プロデューサーでないとしたら、誰が――?」

千早が自分の腕を抱くようにして唸った。

その視線は春香、続いて真に注がれるが2人ともかぶりを振った。

「ま、少なくとも真と響じゃないことは確かね」

「ん? なんでボクたちじゃないって分かるの? いや、実際にボクじゃないけど――」

「あんたたちがあんな言葉を知ってるワケないじゃない」

伊織が意地悪そうな顔で言った。

「ああ、なるほど、たしかに……って、どういう意味だよ、それは!?」

「そうだぞ! 真はともかく自分はあれくらいの言葉、知ってるぞ」

「ともかく、ってどういう意味さ!?」

3人のやりとりに場は少しだけ和んだ。

だがそれも僅かのことで、やはり話題は先ほどの声の正体に戻ってしまう。

「でも実際、全て聞き取れたワケではないのよね」

と言ったのはあずさだ。

「亜美には呪文みたいに聴こえたよ」

「真美も」

プロデューサーはどうだったか、と千早は問うたが、

「いや、声自体に驚いてしまって内容はほとんど覚えてないんだ……」

彼は申し訳なさそうに答えた。
47 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/25(火) 22:39:16.39 ID:wnJ3A+fz0
「社長じゃないの?」

今まで眠そうな目で成り行きを見ていた美希が言った。

あっ、と全員が弾かれたように顔を上げる。

「そうだよ! 社長だよ!」

亜美と真美が同時に叫んだ。

「兄ちゃんたちにも内緒でこっそり仕掛けてたんだよ。だってここ、社長の島なんでしょ?」

「違うわ、亜美。事務所が持ってるのはこの館のほうで、島は別の人よ」

「あれ、そうなの? あ、だったらなおさら社長じゃん!」

この場にいるほとんど全員が社長の仕業だとして結論付けようとしていた。

「だってさっき、ピヨちゃんのことも言ってたっしょ? この合宿、ピヨちゃんも来るハズだったんだよね?」

「ああ、急な仕事が入ってキャンセルになったんだ」

「ってことは……つ・ま・り! この場にいない唯一の人物……そう! 社長が犯人だったのだ!」

「さすが亜美! 名推理!」

「んっふっふ〜、今日から亜美のことはタンテイと呼んでくれたまえ」

「う〜ん、でもあの社長がそんなことするかなあ……?」

難色を示したのは響だ。

「意外とそうかもしれないわね。社長、お茶目だから」

あずさが微笑した時、律子たちが戻ってきた。

「…………どうしたの?」

3人とも険しい顔をしていた。

「食堂に――」




48 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/26(水) 21:36:28.90 ID:UYoQ+4H80
 食堂の暖炉がある側の壁面。

律子の指差した先に大きな模造紙が貼付されていた。

両手をいっぱいに広げても足りないほどの幅のそれに、先ほど謎の声が語ったのと同じ文句が書かれてある。

縦書きの告発文はガイドを使ったように体裁が整えられている。

毛筆で書かれているように見えるが、墨汁の滲みがないことから書体を似せて印刷されたものであると分かる。

それは頻繁に出てくる”汝”という字が全て均一であることからも明らかだ。

「これってさっきの……」

真美の呟きに春香が小さく頷く。

「夕食の時はこんなのなかったよね?」

「難しい漢字ばっかり使って、書いた人は読ませる気がないって思うな」

「――難しい、というより古い言葉を遣ってるわね」

律子が唸る。

「あの、これってどういう意味なんですか?」

「……すまん、俺にもよく分からない……見たことない言葉が多くて……」

やよいに訊ねられたプロデューサーは困ったように頭を掻いた。

「これ全部、意味分かる人っているんですか……?」

春香が誰にともなく問う。

一同は年長者のあずさに注目するが、彼女は分からないとかぶりを振った。

続いて律子はどうかとなるが、彼女も部分的にしか分からないと言う。

「じゃあ――」

縋るような視線を一身に浴びた貴音は、

「理解していますが、内容を知るのはお勧めしません」

と伏し目がちに言った。

「そんな恐いことが書いてあるんですか……?」

雪歩が今にも泣きだしそうな顔をした。

彼女は何も答えない。

「またまた〜! 社長が書いたんだから、親父ギャグか何かでしょ?」

真美が大仰に笑う。

「え、社長……?」

怪訝な顔で律子が訊き返す。
49 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/26(水) 21:41:10.98 ID:UYoQ+4H80
「そだよ。兄ちゃんじゃないって言うから、社長じゃないかってメータンテイ亜美が――」

まるで自分が答えを導き出したように自信たっぷりに言う彼女に、

「――違うと思うわ」

律子は俯き加減に一蹴した。

「社長だったらこんな酷いこと……冗談だとしても言うハズがないもの」

「律っちゃん? さっき分からないって――」

「部分的に、よ。全部じゃないわ。けど分かるところだけ読んでも、内容があまりに――」

「そ、そこまで言われたら気になるぞ……」

一同は声やこれを貼付した者の正体より、告発文自体について言い合いになった。

つまりその内容を貴音に訊くべきか、訊かざるべきか、ということだ。

雪歩、真、やよいは怖がって内容を知ることに否定的だった。

美希、響、千早は教えてほしいという。

他の者たちは是非を保留にした。

「俺の立場から言うべきことじゃないが……」

プロデューサーは告発文を見上げて言った。

「聞きたい者だけ残ってくれ。後で個別に貴音に聞く――そうすれば自分が何を書かれているかは誰にも知られない」

それでいいか、という彼に貴音は軽く頷いた。

「あんたはどうするのよ?」

「俺はプロデューサーだ。誰がこんなことをしたか分からないが、内容については知っておく必要があると思ってる」

「そう言われれば私も残らないワケにはいきませんね」

ため息まじりに律子が言った。

「分かった、じゃあ律子も。美希と響と千早は知りたいって言っていたな。他の者はそれぞれ部屋に――」

「やっぱりボクも知りたいです」

彼の言葉を遮るように真が言う。

「真ちゃん!?」

「よく考えたら不公平じゃないですか。ボクたち、同じものを見聞きしてるのに、知ってる人と知らない人がいたんじゃ――」

「あの、真ちゃん、そういうことじゃなくて……!」

恐いことなら知らないほうがいいと、雪歩にしては珍しく強く反駁した。

「四条さんたちの様子を見たら普通のことじゃないって分かるよ。だからやめようよ」

「雪歩の言うことは分かるよ。でもボクも知りたくなったんだ。そこまで隠したくなるようなことを書いてるのかってね。

それに自分のことなのに知らないっていうのも気持ちが悪いし……ごめんね、雪歩。でも覚悟はできてるんだ」
50 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/06/26(水) 21:48:44.61 ID:UYoQ+4H80
「………………」

彼女はそれ以上の反論はしなかった。

代わりに、

「だったら、私も……! 私も聞きたいです!」

雪歩は手の震えを抑えながら言った。

「雪歩!? 無理しないで! これはボクの勝手だから!」

「そうじゃないの! ただ、真ちゃんたちを見てたら私も聞くべきだと思っただけ……」

貴音は告発文を見て小さく息を吐いた。

「これを書いた者は見当違いをしているようですね……」

2人が意思を翻したことで場は騒然となった。

彼女たちに触発されたように態度を保留にしていた春香、伊織が揃って内容を知りたいと申し出た。

最後にはやよいでさえその流れに乗り、教えてほしいと懇願するほどだった。

「なあ、どうだろう? 内容を全員で共有するっていうのは――」

全員の意思確認がとれたところで、プロデューサーは苦悶の表情で言った。

「共有ってみんなの内容を知るってことですか?」

春香の問いに彼は小さく頷く。

「俺を含め希望者だけ知っていればいいと思ってたが、こうなったら互いに知ったほうがいいような気もする。

それに全部は読めなくても何となく意味が分かっている者もいるんじゃないか……?」

これに対しても賛否の声があがる。

「プライバシーに関わることもあるんじゃないですか?」

千早が小声で言うと、貴音は心苦しそうに頷いた。

「でもそれならなおさらプロデューサーや貴音だけが全員のを知ってる、っていうのも不公平な気がするぞ」

響の意見に尤もだと賛同したのは真だった。

場の空気はまだこの告発文を性質の悪いイタズラだと捉えている向きが強い。

しかし律子が言った、”社長ではないと思う”という発言からイタズラで片付けるべきではなく、内容を共有することで何か手がかりを得られるかもしれないという声が出始めていた。

話し合った結果、プロデューサーの提案に全員が肯うことになった。

「本当によろしいのですか?」

そう決まっても貴音は執拗なくらいに念を押した。

「みんなそれでいいって言ってるの。気持ちが変わらないうちにしたほうがいいって思うな」

「………………」

全員の顔を見まわしてから貴音は天井を仰いで大息した。

「分かりました。皆の意思を尊重します。では、律子から――」

彼女は告発文をいま一度黙読し、それから平易な言葉に置き換えた。

「”あなたは頑固で自分の決めた規則で他人を縛り、弱い者を切り捨てて個人を大切にしない。

独り善がりで和を乱すものの見方の狭さは一番目の罪だ”、と書いてあります」

伊織とあずさがほとんど同時に律子を見た。
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