【アイマス】滄の惨劇

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110 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 21:43:01.87 ID:qVSsup/m0
「あの……プロデューサーが見た人影のことも解決してないんじゃ…………」

囁くような雪歩の声はほとんど聞きとれない。

だが近くにいた貴音はそれを受けて、

「プロデューサーが見たという何者かが犯人であり、その人物は私たちにとって既知である、と――」

そういう可能性もあるのではないか、と彼女は言う。

「亜美たち全員が知ってる人? それなら社長とピヨちゃんくらいじゃないの?」

「あとはテレビ局の人とか、撮影の人とか? 意外と多いね……」

「自分たち、いろんな仕事してるから絞り込むのは難しいんじゃないか?」

「……ちょっと気になることがあるんだけど」

そう言ったのは真だ。

何人かの視線が彼女に集まる。

「律子だけ来てくれ、ってことはその時はプロデューサーも独りだったってことだよね?

それっていつからなのかな? 犯人が館内にいるかもしれないのに、どうしてそんなことができたんだろう……?」

「たしかに真の言うとおりだわ。考えてみれば不用心だもの。だって実際――」

途中まで言って千早は言葉を呑んだ。

「ボクたちとトランプをしてたよね。あの時はたしか――」

「始まって20分くらいで席を立ったわよ」

怒ったような口調で伊織が言った。

「憶えてるの?」

「私はゲームはしてなかったからね。誰かさんに強引に誘われるまでは」

当てこすられた春香は愛想笑いを浮かべた。

だがそれも一瞬のことで、次にはもう悲痛な面持ちに戻っている。

「最後に律子と千早がこの部屋を出るまでに、全員が一度は談話室を離れたわ」

「水瀬さん……? それってどういう……」

「事実を言っただけよ」

伊織は余所を向いた。

「そのプロデューサーさんが殺された、っていうことは……」

春香が震える声で言った。

「犯人は自分の正体に気付かれたと思ってプロデューサーさんを殺したんだよね……?」

「口封じに、ということ?」

怪訝な顔の千早に春香は軽く頷いた。

「もしかしたらプロデューサーは心当たりどころか、核心に近づいていたのかもしれないわね……」

残念そうに律子が呟く。

「その手がかりも失ってしまったわ……」

再び、沈黙。

誰もが探り合うような視線を交わす中、

「いい加減やめたら? ヘタな演技なんて」

低く、呵譴(かけん)するような声で伊織が言う。

彼女は誰とも目を合わせていなかったので、誰に対して言ったのかと春香たちは互いの顔を見やった。

「分かってるでしょ? 私はあんたに言ってるのよ――」
111 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 21:48:53.72 ID:qVSsup/m0
彼女は唇を僅かも動かすことなく、

「――響」

恨むような声で言う。

春香たちは驚いたように2人を交互に見やった。

「伊織!? いきなり何を言い出すんだよ!?」

刺すような視線を向けて真が怒鳴る。

当人は自分が名指しされたことにも気付いていないようにキョトンとしていたが、やがて顔を赤くして、

「ど、どういう意味だよ!? 自分が何の演技をしてるっていうんだ!!」

掴みかからんばかりの勢いで反駁した。

「それが演技だって言ってんのよ」

対照的に伊織の口調に抑揚はない。

「確信が持てなかったけど、アイツが殺されてハッキリしたわ」

激昂を誘うようなさらに冷たい声で詰め寄る。

響は咄嗟に一歩退いた。

「――そう思う理由があるのね?」

そう問う律子は疑うような目で響をちらりと見やった。

「律っちゃん……?」

「聞かせてちょうだい、伊織。それほど自信を持っているんだから当然、納得できる理由なんでしょう?」

訝るような亜美を無視して律子は先を促した。

「あずさは何時、どこで殺された?」

「ねえ、律っちゃん……」

「…………? 昨夜から今朝にかけて、よね? 場所はあずささんの部屋で……」

「そうよ。私もそうだけど昨日はずいぶんと遊んだから、きっと皆、疲れて寝てたハズよ。当然、目撃者もいないわ。言い換えれば全員にチャンスがあった、ってことなの」

淡々と述べる伊織とそれに乗る律子に、

「水瀬さん、どうしてそんな話をする必要があるの? それに律子も――」

我慢できない、といった様子で千早が口を挟む。

言葉にこそしないものの、雪歩や春香もそれに同調した。

必要なことだからよ、と彼女は短く返したうえで、

「だけどこれも分かってることだけど、あずさの部屋には鍵がかかってたわ。しかも鍵はナイトテーブルにあった。

そうよね、千早? あんたも一緒にいたんだから間違いないでしょ?」

意趣返しとばかりに問い返す。

「え、ええ……たしかに、そうね」

これは事実だ。

「この館のドアはオートロックじゃない、古いタイプの鍵よね。なら問題はどうやって施錠したか……」

持論に確信を持っているような強気の表情で伊織は言を紡ぐ。

「夜中から明け方にかけて部屋に忍び込んであずさを殺し、部屋を出て鍵をかける――あの状態でそれができるのは響とアイツしかいないのよ」

口調には迷いも躊躇いも一切ない。

事情を何もしらない部外者がここにいたら、彼女の言い分を鵜呑みにしても不思議でないほどの雰囲気ができていた。

「スペアキーを持っているから……そういうことね?」

律子がはっと思い出したように呟く。
112 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 21:51:22.72 ID:qVSsup/m0
「たしかにあの時、プロデューサーはスペアキーを使ってたわ。あずささんの部屋には鍵がかかってたから」

「だったら自分は無実じゃないか! 伊織の言ってることは矛盾してるぞ!」

「矛盾なんてしてないわよ。あんただってスペアキーを使おうと思えば簡単にできるんだから」

伊織がぐっと前に出た。

だが響は今度は退かない。

「あんた、部屋の鍵を失くしたって騒いでたじゃない。その時、どうしたか覚えてるわよね」

「プロデューサーに言って、代わりの鍵をもらったんだ。それが何の問題があるんだ?」

「”もらった”んじゃないでしょ?」

「…………?」

「あっ…………!!」

雪歩が声を出し、咄嗟に口を手で塞いだ。

「どうしたの、雪歩?」

「う、うん……伊織ちゃんの言ってること、ちょっと分かって……」

詰め寄るような真に彼女は怯えた顔つきで返す。

「響はね、管理人室にスペアキーを取りに行ったのよ。ひとりでね」

”ひとり”という言葉を強調する。

響は天井を仰いでため息をついた。

「その時の様子は誰も見てないのよ。どういうことか分かるでしょ?」

伊織は律子に向かって言った。

「管理人室に行った響は自分の部屋じゃなくて、あずささんの部屋の鍵を持ち出した、って言いたいのよね?」

「ええ」

分かってるじゃない、と彼女は長い髪を掻きあげた。

「伊織がこんなにバカだとは思わなかったぞ……」

呆れたような、憐れむような表情で呟く。

その白地(あからさま)な態度に伊織はキッと響を睨みつけた。

「どういう意味かしら?」

「鍵を失くしたんだぞ? あずささんの部屋の鍵を持ち出したんだったら結局、自分の部屋に入れないじゃないか」

「バカはどっちよ。自分の部屋の鍵も一緒に持ち出せば済む話じゃない」

その程度の反論は想定していた、と言わんばかりの伊織はたじろぎもしない。

「それは……どうかしら?」

ここで律子が疑問をぶつけた。

「鍵の管理はプロデューサーと私の役目よ。キーボックスからあずささんの部屋の鍵が無くなっていたら私に相談したハズよ。

実際、鍵の数については私たちも特に注意していたもの」

これには伊織もすぐには反駁しなかった。

響はやや責めるような表情――いつもの得意気な――で彼女を見ている。

「ねえ、伊織。よく考えてよ。響ちゃんがあんなことするワケないよ。分かってるでしょ?」

沈黙を埋めるように春香が言うと、

「そうだよ! どんな理由があって響があずささんたちを……あんな目に遭わせなくちゃいけないのさ!?」

今とばかりに真が加勢する。
113 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 21:57:02.83 ID:qVSsup/m0
伊織はしばらく黙っていたが、小さく息を吐くと、

「安心してるように見えるわよ?」

厭らしい笑みを浮かべて言った。

「いい加減に――!」

真が伊織の腕を掴んだ。

「鍵を失くした、っていうのがそもそもウソだったら?」

その手を払いのけ、彼女は言う。

「なん――?」

視線を彷徨わせた真は勢いを挫かれ、伊織からそっと離れた。

「響が本当に鍵を失くしたかどうかなんて、誰にも分からないことよ。海で落とした振りをしたんじゃない?」

「だから! あずささんの部屋の鍵を持ち出したら、プロデューサーが気付くじゃないか! さっき律子も言ってたでしょ!?」

「プロデューサーは気付かなかったのよ」

「話にならないぞ……伊織の言ってることはさっきからムチャクチャだ」

「キーボックスからはたしかに響の部屋の鍵が無くなっていた。でもそれがあずさの部屋のものだとしたら、どう?」

挑戦的な視線に一同は固唾を呑んだ。

成り行きを静観していた貴音は静かに目を閉じた。

「……? 意味が分からないね……?」

亜美と真美は互いの顔を見た。

「この館の鍵、タグと鍵が簡単に取り外せるじゃない」

伊織はポケットから鍵を取り出し、リングチェーンをひねってタグと鍵を分離させた。

「誰でもいいわ……そうね、亜美。あんたの部屋の鍵、ちょっと貸して。すぐに返すから」

「え? うん、いいけど……どうすんの?」

伊織は亜美から鍵を受けとり、タグを外した。

そのタグを自分の部屋の鍵に取り付ける。

「すり替え……?」

千早が呟く。

それをしっかり聞いていた伊織は満足そうに頷いた。

「そう、あずさの部屋の鍵と響の部屋の鍵、こうやってタグを入れ替えれば分からなくなるわ。普通、鍵を見分けるときは繋がってるタグで確かめるものね。つまりこういうことよ」

亜美はまだキョトンとしている。

「仮に、”タグがあずさの部屋のもので鍵本体は響の部屋のものをカギA”として、その逆に”タグが響の部屋で鍵があずさの部屋のものをカギB”とするわ」

伊織はふたつの鍵を振りながら言った。

「昨日、スペアキーを取りに行った響は、まずキーボックスの中にある自分の部屋とあずさの部屋の鍵でカギAとカギBを作った。

そしてカギBを持ち出して、カギAを元々あずさの部屋の鍵があった場所に戻したのよ」

「んん? たったそれだけ?」

耳を傾けていた亜美は首を傾げた。

「そうよ、たったそれだけであずさの部屋の鍵を手に入れられるのよ。しかもプロデューサーや律子にもバレないようにね」

「なんかややこしいんだけど……」

春香が呟いた。
114 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:00:23.30 ID:qVSsup/m0
「キーボックスの中は見た目には響の部屋のものだけがなくなってる状態よ。でも実際は違う。

あずさの部屋の鍵がある場所にはカギA……つまり”あずさの部屋のタグがついた、響の部屋の鍵”が残ることになる」

「ああ…………」

説明を聞いて春香は曖昧に頷いた。

「これなら見た目には分からないし、鍵自体の数にも問題はない。だって響の部屋の鍵だけがなくなっているように見えるもの。

もし鍵の管理を徹底していてタグと鍵が一致するかどうかまで確認するとしたら、全ての鍵を持ち出して全てのドアを開閉しなきゃならない。

ねえ、律子? あんたさっき鍵の管理をしてるって言ってたけど、いちいちタグと鍵が一致しているかまでは――」

「ええ、そんなところまで確認してないわ。実際、過不足はなかったから。もし数が合わなかったとしても……そうね、伊織の言うようにタグを見て足りない鍵を判断していたわ」

律子はかぶりを振った。

それからゆっくりと顔を上げ、響を見る。

その目つきは明らかに疑念を含んだものだった。

「我那覇さん…………」

「………………」

「言うまでもないけど今朝、響が鍵が見つかったからってスペアキーを返しに行ったでしょ。その時に入れ替えたタグを戻したのよ。

だからプロデューサーはスペアキーで何の問題もなくあずさの部屋を開錠できた……違うかしら?」

響は俯き、悔しそうに唇を噛んでいる。

「おかしいと思ったのよ。あんたが慌てて鍵を返しに行く様子がなにか焦ってるように見えたからね。

入れ替えたタグを戻し損ねたら、あずさの部屋に入ろうとした時にタグと鍵が合わないことがバレるもの。

そうなったら誰もいない状態でキーボックスを開けたあんたが真っ先に疑われる」

「………………」

「タグを戻すのを急いだのは、近いうちにスペアキーを使ってあずさの部屋に入る状況になると分かってたから。

つまり……あずさに起きた”異変”を知っていた、ということよ!」

これでも言い逃れができるか――彼女の目はそう言っていた。

反対にその視線を躱すように、響は俯いたまま姿勢を崩さない。

「――伊織」

目を閉じて聞いていた貴音が呟くように呼ぶ。

「プロデューサーが見たという何者かについては、如何に説明するのですか?」

「そ、そうだよ! 私たち、それで島を捜索したじゃない! 結局は見つからなかったけど……」

「残念ながら勘違いだった、ってことになるわね」

伊織は拗ねたように言った。

「アイツが見たって言っただけよ。私たちは誰もその人影を見ていないわよね? 足音すら聞いてないのよ?

こんな状況だもの、何かを人と見間違えたとしても不思議じゃないわ」

彼自身もその可能性を考えていただろうが、捜索が始まってしまったことや、

内部に犯人がいると思いたくないという心理から言うに言えなくなってしまったのだ、というのが彼女の弁である。

「捜索はした。船も見つからなかった。泳いで本島と往復するのは不可能――これは響自身が言ったことよ。

そしてプロデューサーが殺された……だったら考えられることはひとつしかないじゃない」

今まで私が言ってきたことを振り返って考えればいい、と彼女は言った。

「高槻さんとプロデューサーも……その、我那覇さんが手にかけた、と言うの?」

恐る恐る千早が問う。
115 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:08:30.66 ID:qVSsup/m0
「それは…………」

伊織は一瞬、口ごもったあと、

「そうだと、思うわ……」

これまでの饒舌ぶりから一転して迷いを見せた。

「思い出したくないけど、やよいは窓に向かってうつ伏せに倒れてた。背中を刺されてね。それもあって外部の人間が犯人じゃないと思ってたのよ」

「……どういうこと?」

掠れた声で訊く真美は今にも泣きそうな顔をしている。

「部屋にいて誰かが入って来たら普通、入り口のほうを見るでしょ。もしそれが見ず知らずの人間だったら?

何をされるかも分からない状況で背中なんか向けられるワケがないわ。逃げるにしても背を向けないように後ずさるハズよ」

「言われてみれば……」

「逃げ道があるなら走って逃げるでしょうけど、入り口の反対側には壁と窓しかないもの。

私なら相手に背を向けるより、手近にあるものを投げつけながら思いっきり叫ぶでしょうね」

あっ、と春香が声をあげた。

「そういえば私たち、やよいの声を聞いてない……」

同意を求めるように彼女が振り返れば、何人かが無言のままに頷く。

「私もハッキリとは見なかったけど、部屋の中は荒れてなかったと思う。つまり抵抗した跡がないのよ。

だから犯人はやよいが知っている人物――それも相手に背中を向けられる程度に信用してる人ってことよ」

つまりここにいる誰かだ――と彼女は言った。

殆ど淀みのない、しかも辻褄の合う推理は聞く者を納得させるには充分な説得力があった。

――数秒。

誰も何も言わない。

響でさえ抗弁しなかった。

「――伊織の言ってることは何となく分かったよ」

真の口調はこの状況でも凛然としていた。

「でもボクは違うと思う。響が言い返さないならボクが代わりに言うよ」

「何を? あんたが何を言うって? さっきの話に間違いがあるって言いたいワケ?」

伊織は腰に手を当て、挑戦的な視線を叩きつけた。

「おかしいじゃないか。プロデューサーは犯人に心当たりがあったんだろ?

もし響が犯人でプロデューサーがそれに気付いてたんなら、みすみす殺されるハズがないじゃないか」

「それは…………」

伊織は顔を顰めたが、

「見当が外れたってこともあるでしょ。別の誰かだと踏んでたのよ。だから響には油断したのよ」

これでどうだ、とばかりに鼻を鳴らす。

「それでもいいよ。でも伊織の言うとおりなら響がプロデューサーをその……殺す理由がないだろ」

「理由ならあるじゃない。春香も言ってたでしょ。アイツは犯人の手がかりを掴んでたのよ。

結果的にそれが見当違いだったとしても、響が自分が犯人だとバレたかもしれないと思えば当然、口を封じるわよね。

タイミングが良すぎるじゃないの。律子が手がかりを聞く前に殺されるなんて……これ以外にどんな理由があるのか教えてほしいわね!」

苛立ちながらも冷静を装っていた伊織は、言を重ねるにつれて口調が荒々しくなってくる。

真は怒鳴りかけたが拳を握りしめ、深呼吸すると静かにこう言った。

「今のこの状況が、響が犯人じゃないって思う理由だよ」
116 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:12:07.37 ID:qVSsup/m0
彼女らしくない意味深長な物言いに、春香たちは訝るように2人を見守る。

「さっき言ってたじゃないか。あずささんを殺せるのは響かプロデューサーのどっちかだ、って」

「ええ、それが何だっていうのよ?」

「鍵をすり替えてまであずささんを殺したんだとしたら当然、ボクたちに疑われないようにするハズだよ。

もしかしたら伊織みたいにスペアキーのことに気付く人が出てくるかもしれない。

タグの入れ替えを思いつくくらいなんだ。自分とプロデューサーが疑われることだって考えてるに決まってる」

「………………」

「そんな状況でプロデューサーを殺してしまったら、消去法で自分が犯人だって宣言してるようなものじゃないか。

現に伊織だってプロデューサーが殺されたから、響が犯人だって言い切ってるんだろ?」

「………………」

「もしボクが響で犯人だったら、少なくともプロデューサーだけは絶対に殺さないよ。

というかスペアキーを管理してるって理由でみんながプロデューサーを疑うように仕向けると思う」

「――そう思われることを逆手にとって、敢えてアイツを殺したとも考えられるでしょ?

今のあんたみたいに弁護をしてくれる人がいたら好都合じゃないの。だったら――」

視線を真からそのまま響に移して、

「今のこの状況が、響が犯人だと思う理由よ」

伊織は無表情に切り返した。

「なんだよ、それ……なんで響が……」

「知らないわよ。本人に聞けば? 私はあずさが――」

「さっきからうるさいの!!」

突然の叫び声は言い争いを続ける2人と、嫌疑をかけられている者、成り行きを見守っている者たちの注意を引くには充分すぎた。

泰然としていた貴音でさえも、まるで覚醒したように声の主に目を瞠っている。

「なんでそこまでして響を犯人にしたいの!? 響に何の恨みがあるの!?」

美希の感情を乗せた悲鳴は裏返り、泣き声と殆ど区別がつかないほどだった。

実際、彼女は涙を流してはいない。

しかしまぶたは腫れ、赤くなった目が伊織をしっかりと捉えている。

「わ、私は別に響を犯人にしたいワケじゃ、ないわよ……ただ、そうとしか考えられないってだけで――」

あまりの剣幕に伊織は怯んだ。

「それが決めつけてる、って言ってるの! さっきからでこちゃんの言ってること、全然理由になってない!」

「な、なによ……」

「響が犯人だったらツジツマが合うっていうだけで、証拠がひとつも出てきてないの!

証拠もないのにテキトーなこと言って響を犯人扱いしないでよ!」

「しょ、証拠ならあるじゃない! あずさの部屋の鍵が……」

「それも伊織が言ってるだけでしょ!? みんなが納得できる証拠があるなら出して!!」

「………………」
117 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:14:54.46 ID:qVSsup/m0
談話室を取り巻く空気は一変した。

伊織の推理は筋が通っていたが、美希の言うように証拠がなかった。

そのため頷きはしたものの、誰ひとり響が犯人であるという考えに同意する者はいなかった。

「響を見てよ。あずさもやよいもハニーも殺したんだったら、血くらい付いてなきゃおかしいの」

反論に窮して沈黙することすら許さないように彼女はさらに迫った。

「ミキ、ちゃんと憶えてるもん。昨日お風呂に入ってから響の服はずっと同じなの」

「それは…………」

「信用できないなら写真でも見ればいいと思うな! 千早さん、撮ってるでしょ!?」

「え、ええ、そうね……たしか昨夜、全員で撮ったものがあったハズだけど……」

不意に呼ばれ狼狽したような千早は確かめるように頷く。

「………………」

何度目かの沈黙である。

今度は伊織と美希が睨み合い、火花を散らしている。

毅然と反論していた真も、美希の気迫に押されたように一歩退いた位置にいた。

「まさか、あんたにここまで言われるとは思わなかったわ」

諦めと呆れと、少し怒気を含んだ表情で伊織が言った。

美希たちに背を向け、天井を仰いでため息をつき、

「……少し、頭を冷やしてくるわ」

誰とも顔を合わせずに談話室を出て行った。

それを茫然と見送った律子は、

「あ! 駄目よ、伊織! ひとりじゃ危険だわ!」

亜美を伴い慌ててその後を追った。

残された者たちはしばらく黙ったままだった。

「響への疑いは晴れた、って思っていいんだよね……?」

憚るように真が言った。

何人かが示し合わせたように頷く中、

「最初から響は犯人じゃないって、みんな分かってることなの」

そう断言する美希には逡巡が見られなかった。

美希が心配そうに響の顔を覗きこむ。

彼女はひどく憔悴しているように見えた。

「響…………?」

「あ、うん……真、美希……さっきは、ありがと…………」

取り繕うように微苦笑する彼女は額にうっすらと汗をかいている。

「大丈夫? …………って、そんなワケないよね……何か飲み物でも持ってこようか?」

「い、いや、いいんだ! 喉、渇いてないし」

慌てて真を引きとめた響は、まだ何かに怯えているように視線を彷徨わせていた。

「少し体を休めたほうが良いかと。さあ――」

貴音がソファを勧めると、響は素直にそれに従う。

もともとそう大きくない体躯をさらに縮こまらせるように、彼女は自分の両腕を抱くようにして腰をおろした。

すぐ横に腰かけた雪歩が響の額に浮かんだ汗を拭う。
118 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:28:51.29 ID:qVSsup/m0
「それにしても、伊織があそこまで言うなんて……」

呟く春香の表情は少しだけ怒っていた。

「ひびきん、本当に大丈夫?」

「うん…………」

「ごめんね。真美もいおりんの言ってることは違うって思ってたけど、ちゃんと言えなかったんだ」

迫力に押されて口を挟む機会を逸してしまったと彼女は詫びた。

「気にしなくていいぞ。真美まで疑われるかもしれないからな……」

それでいいと響は力なく笑ったが、それでは済まないと語勢荒く言ったのは真だった。

「いくらなんでも酷すぎるよ。根拠もなく響を悪者にしたんだよ? それなのに謝りもしないで――!」

「………………」

「響もなんで言い返さなかったの?  あのままじゃ伊織に言われっぱなしだったよ」

「ああ、それは……」

「それとも、もしかして言い返せない理由があるとか? それならそれで――」

「ま、真ちゃん……落ち着いて。そんなに急かしちゃダメだよ……」

響は観念したようにため息をついた。

「自分はほんとにやってないんだ。だけどやってないって証拠もないから反論しようがないんだ」

「やってない証拠って……そんなこと言ったらボクたちだって同じだよ。千早だって貴音だって、みんなそうなるじゃないか」

「だからだよ!」

響は力なく怒鳴った。

「自分が犯人じゃないって決まったら、じゃあ誰があずささんたちを殺したんだってことになっちゃうでしょ?

そんなの、自分……イヤなんだ。この中に犯人がいて、それが誰か暴いたりするのなんて――」

「成程、つまり響は皆が徒(いたずら)に猜疑心を抱かぬよう、敢えて強く反駁しなかったのですね?」

「さいぎ……? うん、そんな感じかな……」

響は笑ったが、その目はどこをも見ていなかった。

「貴女は優しいですね。この状況にあってなお目配りを利かせるとは――」

「それは違うって思うな」

妙に凛とした口調に、春香は驚いたように美希を見た。

「みんなが疑われないように黙ってるなんて、そんなの優しさでも何でもない。ちっとも嬉しくないの」

「………………」

「響が一方的に悪者にされて、もっとちゃんとちがうって言えばいいのに何も言わないからミキ、すごく苦しかったんだよ?

人殺しなんてこの中にはいないの。だからみんな堂々としてればいいの。雪歩もそう思うでしょ?」

そう言って彼女は振り向いて同意を求める。

雪歩は困ったように俯くだけだった。
119 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:31:49.03 ID:qVSsup/m0
「響は犯人にされてもいいの? やってもないのに、やったことにされるんだよ?」

「………………」

「伊織だけじゃないの。犯人の正体が分からないから、みんな不安になってる。早く正体を知りたいって思ってるってことなの。

そんな時にウソでも認めちゃったら、みんなから本当に犯人だと思われちゃうんだよ?」

「そうなの、かな……?」

「そうに決まってるの。だって響が犯人ってことにしておけば気が楽になるんだもん。きっと伊織もそうなの。

きっと本当は誰でも良かったんだよ。たまたま響がテキトーな理由をつけて犯人にされただけなの」

「そんなの私、我慢できないよ」

春香が前のめりになって言った。

「ごめん……私も……伊織の言ってることに説得力があると思ったから何も言えなくて……真と美希がハッキリ否定してるのを聞いて、こんなの間違ってるって気付いた――」

項垂れ、彼女の前で擁護できなかったことを詫びる。

「そっか……やっぱりちゃんと否定したほうがよかったのかな。今さらだけど……」

「響なりの考えがあってのこと。しかし美希の言い分も分かります。どちらが正しいとは言えないことかもしれませんね」

貴音は微笑した。

その目元は少しだけ寂しそうに見える。

「美希、真……ありがとね。みんなも……ごめん……」

「ちょっと、ひびきん。そこは謝るところじゃないっしょ」

呆れたように言う真美につられるように響は笑った。

「それと美希……さっきは叩いたりしてごめんね? けっこう強く叩いたから痛かったでしょ?」

「あ……そういえば……」

美希は思い出したように手を打って、

「すっっっごく痛かったの! 痛くてミキ、もうアイドルできないの。責任とってもらうからね?」

ぐいっと詰め寄った。

「うえぇっ!? そ、そんなにきつくしてないぞ!? で、でも叩いたのは事実だし……!」

「冗談に決まってるの。痛いのはほんとだけど」

「うぅ〜……やっぱり痛かったよね? ごめんな……」

「いーの、気にしてないよ。っていうかあの時、叩かれなかったら貴音にもっとヒドイこと言ってたかも知れないの……」

響を揶揄って笑っていた美希は、ふと申し訳なさそうな顔で貴音を見上げた。

「ええ、美希の辛辣で心無い言葉の数々、胸に刺さりました。あまりのしょっくに立ち直れそうにありません……」

貴音はふらりと壁にもたれかかった。

「貴音はウソつきなの……」

「おや、響のようにはいきませんか?」

「でもヒドイこと言っちゃったのは本当のことだから、そのことはごめんなさい……」

「ふふ、お気になさらずに。本意でないことは承知していますよ」

口調こそ柔らかに言う貴音は、しかし目だけは笑っていなかった。

「はあ…………」

深く陰鬱なため息が聞こえ、春香たちが振り返ると律子が戻ってきていた。
120 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:33:58.12 ID:qVSsup/m0
「響、大丈夫? かなり強く言われてたけど……」

「うん、もう平気だぞ」

「そう……ごめんなさい。無理やりにでもあの子の言葉を遮るべきだったんだけど……」

プロデューサーという立場から考えると、踏み切れなかったと彼女は言う。

「あずささんが殺されて……そのうえ私が竜宮小町は解散だなんて言ったものだから、相当ショックだったみたい」

「それは……」

「普段はしっかりしてるように見えるけど、あの子だってまだ15歳の女の子よ。

こんなことになって取り乱しそうになるのを何とか抑えてるんだと思うわ――」

伊織を責めないでやってくれ、と律子は遠回しに告げた。

「もしかしたら水瀬さんは、我那覇さんを責めることで精神の安定を図っていたのかもしれないわね」

「そうかもしれないけど……」

真はまだ納得がいっていない様子だ。

「ところで律子、2人はどうしたのですか?」

「食堂にいるわ。伊織も少し落ち着いてきたし、はやく響に謝ろうと思って戻って来たのよ」

「自分、そんなに気にしてないのに」

「あの、私……伊織ちゃんたちのこと、見てきます!」

雪歩は誰の反応も待たずに談話室を飛び出していった。

「真美も行くよ!」

すぐ後に真美が続く。

その背中を見送った貴音がぼそりと呟いた。

「彼女はずいぶんと強くなりましたね……」

しかしそれは誰にも聞こえなかった。

それから10分ほどして亜美と真美が戻ってきた。

「律っちゃんたちが心配するだろうから先に戻りなさいって」

「雪歩と伊織は?」

「まだお話してるよ。ゆきぴょんが説得してるみたいな感じだったけど……」

「2人だけで大丈夫なのかなあ……」

「今のいおりんなら犯人くらいやっつけちゃいそうだけど」

しばらくして伊織たちが談話室に戻ってきた。

不満そうな彼女を守るように前を歩いていた雪歩は、響と目が合うと気まずそうに目を逸らした。

「――悪かったわよ」

謝罪の言葉にしてはあまりに打切棒(ぶっきらぼう)で誠意に欠け過ぎている。

実際、彼女は余所を向いているし、怫然とした表情は変わっていない。

「たしかに真や美希の言うとおりだわ。確たる証拠もなしに犯人扱いしたのは早とちりだった」

あくまで”早とちり”であることを強調する伊織。

「でもだからって疑いが晴れたワケじゃない。響が絶対に犯人じゃない、っていう証拠が出てくるまではね」

そう言って挑戦的な視線を全員に向けた。

「まだそんなこと言って……!」

詰め寄ろうとする真を響が制する。
121 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:38:50.75 ID:qVSsup/m0
「いいんだ、真。自分はやってない。これ以上、言うことなんてないぞ」

今度は彼女は退かない。

冷たく突き刺さるような視線を叩きつける今の響は、ステージの上の彼女――ダンスで多くの観客を魅了するクールな――そのものだった。

「なんなら今からずっと自分を監視すればいいさ」

「しないわよ、そんな”無駄”なこと」

蔑むように言ってから伊織はちらりと雪歩を見やる。

視線に気付いた雪歩は何かに耐えるように俯いた。

「でこちゃん、悪いと思ってるならちゃんと謝ったほうがいいと思うな」

目も合わさずに美希が言うと、伊織は小さくため息を吐いた。

「悪かった、って言ったじゃない」

「そんなの、謝ったことにならないの」

「響の潔白が証明されたら土下座でも何でもしてやるわ」

それきり彼女は何も言わなくなった。

「みんな、落ち着いて。今は仲間割れしてる場合じゃないよ」

春香が仲を取り持つように口を挟むも、それで空気が変わるわけではなかった。

談話室には全員集まっているが、それぞれのいる位置や距離からいくつかのグループができている。

顕著なのは寄り添うようにしている亜美と真美、肩が触れ合うほどに接近している雪歩と真だ。

伊織や響、貴音は特に誰とも密着しようとせず、部屋全体を見渡せる位置にいた。

「ちょっといい?」

沈黙を打ち破るように律子が言った。

「皆、こんなことになって相当なストレスが溜まってると思うわ。外との連絡も取れないし、迎えは明後日まで来ない。

正直……この館に留まってること自体、精神的につらい人もいると思う」

という自分自身も何とか平静を保つように努めている、と彼女は言った。

「そんな状況でこうして全員で同じ部屋にずっといる――というのもあまり神経に良くないんじゃないかって考えてるの」

室内がざわつく。

「まさか自分の部屋で過ごせ、なんて言わないわよね?」

一番に噛みついたのは伊織だ。

「そんなワケないじゃない。私はただ、今のこの状態が精神衛生上、良くないかもって言ってるのよ」

「どうして、ですか?」

雪歩がぎゅっと拳を握って問う。

「考えてたの。プロデューサーが言ってた”心当たり”とか、伊織の推理とか……どれもハッキリしたことじゃないけど……。

でも……ごめんなさい……私もこの中に犯人がいない、って言い切れる自信がないのよ…………」

尻すぼみに言ってから、誤解しないでほしいと彼女は慌てて付け加えた。

「響が、って言ってるワケじゃないわ。ただ、これまでの出来事を総合すると……どちらの可能性もあるってだけで……。

せめてプロデューサーが見たっていう何者かを一度でいいから、私たちがハッキリ目撃できればいいんだけど……」

「律子は――」

声の調子を確かめるように、千早が胸のあたりで拳を握る。
122 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 22:58:30.16 ID:qVSsup/m0
「私たちの中に犯人がいないとは言い切れない、と言ったけど……それは状況的な証拠を指してのことなの?」

「……どういう意味?」

「律子の言い方だと、私たちを殺人を犯せるような人だと見ている、ということになるわ」

「………………」

苦悶の表情で雪歩が俯いた。

しばらく黙っていた律子は眼鏡をかけなおすために手をあげた。

が、その指がテンプルに触れることはなかった。

「――そういうことになるわね」

静かに答え、そっと手をおろす。

「仕方ないじゃない。もしプロデューサーの見た人影が勘違いだとしたら、伊織の言うように島には私たちしかいないのよ?

その状況で人が殺されたなら、この中の誰かが……としか考えられないじゃない」

「そうだとしても! ボクたちの中に犯人がいるワケないじゃないか。これまでずっと一緒に仕事してきたのに……!」

「分かってる! あんたの言うとおりよ! だけどそれは情で考えるからそうなるの! 現実を見なくちゃいけないのよ。

思い込みや感情を持ち出すべきじゃない。もっと……もっと冷静に、現実的に考えなきゃ…………」

「………………」

「そうは言っても私だって765プロの人間よ。信じたい気持ちのほうがずっと強いわ。それを…………。

それを不審者だか物の怪だかに振り回されたくない。私だって本当は喚き散らしたいくらいよ」

それを聞いた貴音の表情が変わった。

「不審者? 物の怪……?」

「物の怪ってヨーカイのことだよね?」

亜美が訊ねると、春香が小さく頷いた。

「ひとつ、確認しておきたいことがあります」

「何かしら?」

「この島に着いた時、船頭の岩倉殿と何やら話をしていたようですが、その表情に峻厳さを感じ取りました。

羽を伸ばすために来たにしては――座視できないような何事かがあったのではありませんか?」

何人かが怪訝な顔つきで律子を見た。

特に千早は疑念というよりも、刺すような目つきから敵意をさえ感じさせた。

「こうなったからには……それも話すつもりでいたわ」

よく見てるわね、と言ってから彼女は岩倉から聞いた内容を打ち明けた。

港付近で動物の不審死が相次いでいること。

影や光る蛇等を目撃したという証言が多数あり、その騒ぎに乗じて霊媒師の類が集まって来たこと。

それらは港のみであり、ここを含めた島嶼では確認されていないことなど。

「気味悪いぞ、それ……」

響は顔を顰めた。
123 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 23:04:02.76 ID:qVSsup/m0
「ちょっと、律子。他に何か隠してないでしょうね?」

「な、ないわよ!」

「どうだか…………」

伊織は呆れたように大袈裟にため息をついた。

「私とプロデューサーだけで留めておこうと思ってたのよ。水を差したくないし、私たちとは無関係だと思ってたから。

正直、プロデューサーが人影を見たと言った時は件の怪奇現象かと疑ったわ」

「でも犠牲になったのは動物だけで……人間がその、殺されたりはしてないんですよね……?」

雪歩が震える声で訊くと、律子は曖昧に頷いた。

「……でも人間も動物だぞ」

ぼそりと言う響に、雪歩は小さく悲鳴をあげた。

「も、物の怪とは……穏やかではありませんね……」

「どしたの、お姫ちん? 顔が白いよ?」

「白いのは元々じゃん」

「いえ、大丈夫です。荒唐無稽な話に些か驚いてしまっただけのこと……」

控えめに髪を掻き揚げ、上ずった声調を元に戻す。

だがその優雅な所作は、小刻みに震えている手の所為で隠していた瑕疵が露わになってしまう。

「バカバカしくて話にならないわ」

伊織は終始、嘲弄するような態度で律子の話を聞いていた。

「どこの妖怪があんな告発文を書いて、刃物やロープで人を殺すのよ? あずさに至っては施錠までしてるのよ?」

「たしかに……」

「人間に決まってるでしょ。仮にその噂が本当だとしても、ここで起きてることとは無関係だわ」

「でももし本当にその幽霊か何かがこの島にいたらどうするんだよ?」

語調は強く、しかし真の声は震えている。

「どうしようもないでしょ。こっちは生身の人間なんだから」

くだらない、と伊織は取り合わなかった。

「それよりどうするの? みんなでまとまっていないほうがいい、っていう律子の話――」

自分は反対だ、という意見を添えて響が問うた。

「安全だとは思うけれど、不用意に疑い合ったり啀み合ったりするのは避けるべきだと思う」

とは千早の弁だ。

「それだと……分かれて行動するっていうのはどうなんだろう……」

春香は不安げな顔で呟いた。
124 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/02(火) 23:07:28.19 ID:qVSsup/m0
「別々に行動することで、お互いに疑い合ったりしないかな……」

「なんでそう思うの?」

「だって2つのグループに分かれたとしても、他のグループのことは見えないんだよ?

もし何かあったら……あの時どこにいたとか何をしてたか、とか……そんなふうになるんじゃないかな……?」

「全員がバラバラになるならともかく、複数人で固まっていれば大きな問題にはならないと思う。

誰かが不審な行動をとったとしても誰かが見てるワケだし……あ! 今のは仮に、の話よ?」

取り繕うように言い、律子は両手を振った。

「ミキはどっちでもいいよ。この中に犯人はいないって思うから」

さらりと述べた彼女の意見には、多くが複雑な表情を浮かべて返した。

「あのね、美希……そんな簡単な話じゃないのよ。私たちは両方の可能性を――」

「だって理由がないの。あずさややよいやハニーを殺す理由が誰にあるの? 何のために殺すの? 何の得があるの?」

「得とかそんなことじゃ……」

「怪しいっていうならミキたち全員が犯人になるよ? だったら全員が一緒にいても分かれても同じことなの」

突き放すような口調は平素の星井美希からは想像もつかないほど冷然としていた。

この何も考えていないような発言が春香たちに熟考を促す。

つまりこの状態を維持して全員が同じ場所で過ごすか、いくつかのグループを作って分かれるか、だ。

この館はそれなりの広さだが構造は複雑ではないし、大勢が集まれる場所は限られている。

談話室、食堂、2階の多目的室に遊戯室。

見通しの良さならばエントランスも候補に入る。

また階段を上がってすぐの空間――エントランスの真上――にも小卓や椅子が置かれているため、ここで過ごすこともできる。

島の捜索の是非を問うたように、この後の行動についても大いに言い合いになった。

分かれるメリットがない、と主張するのは春香や真、響が中心となる。

これまでのアイドルとしての歩み方、事務所内でのスタンスを象徴するように、彼女たちは和や戮力を押し出した。

手を取り合うことの大切さ、信じ合うことの尊さ、和合して困難を乗り越える必要性を説く。

こんな時だからこそ疑念を捨てて心をひとつにするべきだ――春香たちはそう訴えた。

しかしこれに賛同しない者たちもいる。

外部の人間が島に来る方法が存在せず、したがい犯人はこの中にいる誰かだという姿勢を相変わらず貫く伊織だが、

亜美と真美もハッキリと言葉にはしないもののその考えに靡いているかのような態度を示している。

貴音は旗幟を明らかにせず、グループで分かれた場合には均衡を保つため少数グループに加わる旨の発言をした。

この議論に言うべきことは言った、と美希が傍観する立場をとる。

律子は貴音の態度を評価しつつも、彼女の”均衡”という言葉を言い換えて、この膠着状態を変えたいと再度提案した。

そして――。



125 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:10:46.47 ID:piDPP0Z90
 15時35分。

やや狭かった談話室は、その広さや設備に対してちょうどよい人数を擁することになった。

空間も広くとれ、余裕も出てきたハズだが、春香たちはため息ばかりついている。

「こんなことになるなんて思わなかったよ……」

普段は恬淡快濶な真の声に怨嗟の色が混じる。

”充分な”話し合いの結果、彼女たちはふたつのグループに分かれて行動することになった。

春香、千早、真、雪歩、美希、響の6人はそのまま談話室に残った。

伊織、律子、亜美、真美、貴音の5人は同じ階にまとまらないほうがいいとの理由で、2階へと上がっていった。

皮肉にもそれぞれの顔ぶれは、律子の提案に賛成した者と反対した者とに分かれた。

「仕方ないわ。疑い合いながら不本意に全員が集まるくらいなら、ある程度納得できる分かれ方をしたほうが――」

2階に上がる際、律子は”少しの間だけだから、気分を変えるためだけよ”と言い残した。

「ボクは納得できるワケじゃないけど……千早は冷静だね」

「仲間割れなんて犯人が一番望んでることだわ。私は妥協点としてはいいと思ってる」

「仲間…………」

響がぼそりと呟いた。

「どうしたの、響ちゃん?」

「簡単に壊れちゃうんだな、と思ってさ……」

春香は目を逸らした。

彼女の呟きは現状を的確に表したものだった。

離れていても、心はひとつであることを意識して仕事をしてきた彼女たちにとり、この状況は劇的な変化だ。

自分たちがこれまで信じてきたこと、築いてきたものを根底から否定するも同然だった。

「そんなこと……ないと思うよ……」

蚊の鳴くような声で雪歩が言う。

口唇は僅かに動いており、何か言いたいのを我慢しているように見える。

「伊織ちゃんだって、本当は私たちのことを疑いたくないと思う」

その言葉に全員が彼女を見た。

「そりゃ、ね……伊織はハッキリものを言うタイプだし。だからって本心じゃないってことも分かってるけどさ」

呆れたように真が言う。

「それでも不安を煽るようなことを言うのはよくないよ。こんな時こそ信じ合わなくちゃいけないのに」

そう言って春香を見やる。

視線に気付いた春香は深く頷いた。

「犯人を捕まえれば済む話なの。そしたら、でこちゃんだって自分が間違ってた、って気付くと思うな」

「そんな簡単にはいかないよ。相手は人を……殺すような人だよ? 危ないよ」

春香が微苦笑して言ったが、美希は退かなかった。

「野放しにしてるほうが危ないと思うよ? 犯人が捕まれば部屋でゆっくり寝られるし」

「それはそうかもしれないけど……」

「自分は――」

響は天井を仰いだ。
126 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:14:28.13 ID:piDPP0Z90
「犯人捜しなんてしなくていいって思ってる。っていうかしないほうがいい」

「どうして……?」

問うたのは雪歩だ。

「だって刺激しちゃうかもしれないでしょ? 犯人の立場で考えたら追いかけられないほうがいいハズだし。

プロデューサーが口封じのために殺されたんだとしたら、なおさら静かにしてるほうがいいんじゃないか?」

「でも犯人を見つけられたら響の濡れ衣だって晴れるの。疑い合わなくて済むんだよ?」

美希の口調は怒気を含んでいるような、優しく諭すような、複雑な声質を帯びていた。

「美希はやっぱり犯人をハッキリさせたいのか?」

「当然なの。あずさとやよいと、それにハニーまで殺したんだよ? ミキは絶対に許せない……。

もし目の前にいたら……ミキも犯人と同じようにするかもしれない…………!」

その形相はとてもアイドルと言えるものではなかった。

鋭く、射抜くような双眸は照明を浴びてぎらりと光り、獣を想起させる獰猛さは隠れもしない。

その悪鬼羅刹のような表情を見て響は、

「やっぱり、そう、だよね…………」

諦念したような顔をして呟き、壁の時計を見た。

15時51分。

外の陽射しは強いが、談話室に射し込む陽光は徐々に少なくなり、場所によっては薄暗い。

「喉、渇いちゃった」

先ほどの忿怒を含んだ口調はどこへ行ったか、まるで寝起きのような声で美希が言った。

「あ、それなら何か淹れてくるね。何がいいかな?」

と、その声を待っていたように雪歩が立ち上がったが、

「いや、いいよ! 自分が行くから。雪歩はさっきもお茶淹れてくれたでしょ?」

制するように響が言い、美希の手をとった。

「ほら、美希も行こうよ」

「えぇ〜、メンドクサイの……せっかく雪歩が淹れてくれるって言うんだから、ここで待ってる」

「喉が渇いてるのは美希でしょ。それにちょっとは動いたほうが気分転換にもなるぞ」

渋々ながらも立ち上がった彼女は生あくびをした。

「私も行こうか?」

「ううん、大丈夫。真、何かあったら頼むぞ」

腰を上げた春香を留め、談話室にいる3人を真に任せる。

「こっちは4人いるから大丈夫だけど、響たちのほうが心配だよ」

「心配ないさ。だって自分――」

「カンペキだから」

美希が意地悪そうな笑顔で言った。

「うがー! それ、自分の台詞だぞ」

大仰に腕を振って抗議する響。

そのやりとりに春香たちは微苦笑した。

「みんなの分も淹れてくるよ。何でもいいよね?」

全員が頷いたのを確かめ、美希を伴って厨房に向かう。
127 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:17:15.94 ID:piDPP0Z90
エントランスまで来たところで美希の足がぴたりと止まった。

「なんか、ヘンなカンジだね……」

「何が?」

「昨日、ここに来たばかりなの。まだ1日しか経ってないのに……」

そのたった1日で起こったことが信じられない、と彼女は零した。

豪奢な内装に驚き、誰もがここでの滞在に期待に胸を躍らせたのも過去のこと。

陰惨な出来事が続き、この重厚なワインレッドのカーペットさえ、犠牲者の血でできた色のように見える。

その呟きには何も返さず、響は無言のまま階段を見上げた。

緩やかなカーブを描く階(きざはし)は左右対称で、一般家屋よりも階高がずっと高く、2階の様子はよく見えない。

「あ……っ!」

不意に響が声をあげた。

「どうしたの!?」

「う、うん……いま、ちょっと思ったんだけど」

響は2階を見上げたまま言った。

「あずささんの部屋って、やよいの部屋の真上だよね。何か意味があるのかな、って思って」

「意味……?」

「それに、プロデューサーのいた管理人室はやよいの部屋の向かいだし……これって偶然なのかな」

「あんまり関係なさそうなの」

美希は真顔で言った後、

「それにやよいの部屋の向かいはハニーじゃなくてミキの部屋なの」

別段気にも留めていないふうに補足した。

「あ、そっか……」

響は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「………………」

美希はそんな彼女を横目で見ると食堂へ足を向けた。

テーブルの上は綺麗に片付いている。

しかしクロスを見ると各々の食べ方や作法の違いが分かる。

たとえば亜美と真美が座っていた場所は、スープかサラダのドレッシングを零したらしい染みがある。

反対に貴音や伊織のいた場所には染みひとつ、汚れひとつない。

雪歩のいた場所も汚れはなかったが、垂れ下がったクロスの一部に何度も爪で引っ掻いたような解(ほつ)れがあった。

美希はぼんやりとテーブルと告発文を眺めている。

響は脇目も振らずに厨房に入ると、何カ所かの収納スペースの中を覗き見た。

「雪歩はどれでお湯を沸かしたのかな?」

「こっちの大きなお鍋だと思うよ。これだけ伏せてあるの」

美希が響の後ろに立って言う。

「あ、ほんとだ」

鍋をコンロに置いて点火する。
128 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:19:51.47 ID:piDPP0Z90
「ついでに何か簡単なものでも作ろうか……ねえ、美希、何か食べたいものある?」

「おにぎり、かな。あ、でもあんまり食欲ないかも……」

「ご飯を丸めてるだけだしね。あ、そういえばアイスクリームがあったっけ……」

冷蔵庫を漁り始めた響に背を向け、美希はまた食堂に戻ってきた。

大きく掲げられた告発文は、食堂のどこにいても目立つ。

「ハニーのウソつき……」

それを眺め、彼女は消え入りそうな声で呼ぶ。

「キラキラできるって、もっともっと輝かせてくれるって約束したのに……」

呟きを聞いているのは、それを発している本人だけだった。

彼女はぼんやりと告発文を眺めながら、そっとテーブルに手を置いた。

そこはあずさが座っていたところだった。

「ミキは、信じないの……ハニーが死んじゃったなんて……だって……ミキは、ね……? これから……」

ぎゅっと目を閉じ、小さく握った拳を胸の辺りに押し当てて――。

「…………ッ!?」

次の瞬間、彼女は何かに驚いたようにパッと顔を上げた。

そして今度は眺めるのではなく、告発文を凝視した。




129 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:38:28.26 ID:piDPP0Z90
「どうかしたの?」

一番に雪歩を気遣うのはいつも真だった。

彼女は2人が去って行ったほうを何度も見ては、その度に大息している。

「あ、何でもないよ……」

そう言って取り繕うような笑みを浮かべる。

「隠さなくてもいいよ。2人が心配なんでしょ? ボクだって同じだよ」

真はそう言うが表情にはどこか後ろめたさを感じさせる暗さがある。

「真ちゃんこそ大丈夫? 元気がないみたいだけど……」

こんな状況で元気があるほうがおかしいが、彼女の問いはこの場には相応しかった。

千早はソファに座って項垂れ、何事かを考えている様子である。

が、その目は垂らした前髪で隠しながら雪歩と真を交互に見やっている。

「うん……まあ、ね……」

「…………?」

「考えてたんだ。伊織の言ってたこと……」

「まさか真まで響ちゃんが犯人だ、なんて言わないよね?」

やりとりを見ていた春香が口を挟み、真は慌てて否定した。

「ち、ちがうよ! さっきも言ったじゃないか! 響は犯人じゃないって」

大仰にかぶりを振った後、彼女は握った拳をわずかに震わせた。

「そうじゃなくて、さ。響が犯人だ、って伊織が言い切った時……ボク…………」

真は沈痛な面持ちで何か言いかけたが、それはドタドタと廊下を走ってくる音に遮られた。

談話室までわずかな距離だというのに、フルマラソンを走り終えたように肩で息をしながら、

「美希は!? こっち来てない!?」

血相を変えて飛び込んできたのは響だ。

「我那覇さん……!? どういうこと……!?」

「いなくなったんだ! 後ろにいると思ってたのに、声かけても返事がなかったから……でも食欲がないからって……!」

「落ち着いて、我那覇さん。何があったのか、落ち着いて説明して」

呼吸を整え、小さく頷いた彼女は経緯を話した。

「お湯を沸かしてる時に、お昼はあんなことがあってみんな、ちゃんと食べてないだろうって思って……。

それで何か簡単なものを作ろうとしたんだ。美希は最初、おにぎりがいいって言ったけど食欲がないって言うから、

デザートとかなら食べれるかもって冷蔵庫の中を探してたんだ」

「その時、美希は厨房にいたのね?」

「うん。背中越しだけど返事は聞こえてたから。それで冷蔵庫の奥の方にアイスクリームを見つけたんだけど、

いま出したら溶けるからお茶を淹れてからにしようと思ったんだ。だから扉を閉めて振り向いたら――」

「いなくなっていた、ということなのね……?」

適度に相槌を打ちつつ先を促す彼女は、普段の人を寄せ付けない雰囲気に反して、相手から聞き出す能力を垣間見せた。

経緯を聞いていた雪歩は困ったように視線を彷徨わせている。
130 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:44:01.69 ID:piDPP0Z90
「時間にして1分もなかった、と思う。自分、美希はずっと厨房にいると思ってたんだ。どこかに行く理由なんてないし」

「とにかく美希を探そう!」

今にも飛び出さん勢いで真が言う。

「こんな状況でひとりで行動するなんてありえないよ! 早く探さなきゃ!」

「わ、私も……!」

キッカケを待っていたように雪歩が後に続く。

「ボクたちは食堂を見てくるよ!」

「じゃあ私たちは2階に上がって律子たちに声をかけてくるわ!」

千早は春香を伴って談話室を出ようとした。

「響ちゃん…………?」

動く素振りを見せない響に春香が声をかけた。

「一緒に行こう? 何か言われても私たちが証人になるから」

「あ、ああ、うん……ねえ、春香……」

「どうしたの?」

「気を悪くしたらごめん。そんなつもりじゃないんだけどね――」

そう前置きしてから、

「みんな、ずっとここにいたんだよね……?」

おずおずと、しかし明らかに懐疑的な口調で響は問う。

「………………」

「………………」

春香は何も言わず、千早に目配せした。

「ええ、いたわ」

抑揚なく答える彼女には、その口調と同じく表情がなかった。

「それより急がないと」

春香が言うと今度は響も2人に続いて伊織たちの元へ向かった。










131 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:52:03.31 ID:piDPP0Z90
彼女たちは階段を上がってすぐのスペース――エントランスの真上――にいた。

誰かの部屋に集まろうかとの意見もあったが、さすがに5人は狭いということでここに落ち着いたのだった。

ため息ばかりが聞こえる。

無意識に出たらしいかすかなものもあれば、明らかに当てつけがましい深いため息も混じる。

「なんであんなこと言ったのよ?」

痺れを切らしたように律子が言った。

咎めるような視線は伊織に注がれている。

「事実だからよ。慰めみたいなこと言ってもしょうがないじゃない」

「そうかもしれないけど……響が犯人だなんて証拠はどこにもないのよ?」

律子はかぶりを振った。

「たしかにあんたの言うことには説得力があったし実際、私もそうかもしれないって考えたわ。

でも美希が反論したように、筋は通っていても裏付けがない。証拠がないのよ。

そういうのは推理じゃなくて憶測。決めつけてかかるのは良くないわ。まあ、あんたのことだから――」

「………………?」

「――この膠着した状態を何とかしたい、っていう気持ちもあったんだろうけど」

伊織は拗ねたように余所を向いた。

だがその動作によって今度は亜美と目が合う。

「ひびきんは犯人じゃないよ」

自信なさそうに、しかしハッキリと聞き取れるように彼女は言う。

「だってひびきん、そんなウソつけるタイプじゃないっしょ……? すぐ顔に出ちゃうんだから……。

あずさお姉ちゃんたちをころ……して、さ……それで平気でいられるワケないよ――」

すぐ傍で真美が同意するように頷いた。

グループに分かれてからも亜美と真美は片時も離れない。

「あんたはどう思うのよ?」

2人を無視するように伊織は貴音に問うた。

「……現状では何を言っても推測の域を出ません。もちろん心情ではこの中に犯人がいると思いたくはありませんが。

しかし多分に郢書燕説があるとはいえ、伊織の言い分にも頷けるところはあります」

彼女はすぐには答えなかった。

「郢書燕説は余計よ」

「不可解な行動をしている者が何名かいます。殆どは些末な事でしょうが……機を逸して聞きそびれてしまいました」

律子が俯き加減に視線だけを貴音に向けた。

「不可解な行動って……?」

伊織が怪訝そうに問いかけたところ、

「なんか下がザワザワしてる」

亜美と真美が階段の手すりから身を乗り出して言った。

「何事かが起こったのかもしれません」

険しい表情の貴音はゆっくりと腰を上げ、亜美たちの背後に立った。
132 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 22:58:49.66 ID:piDPP0Z90
「何事かって……?」

「良くないこと……でしょうか」

そう呟いた時、勢いよく階段を駆け上がってきたのは春香たちだ。

「手短に説明していただけますか?」

まるでこうなると分かっていたように、彼女は極めて冷静に――響に問うた。

伊織がやや離れたところから彼女たちを見ている。

響に代わって春香が状況を説明する。

「美希、が…………?」

不思議そうに問う律子の顔は強張っている。

「亜美たち、ずっとここにいたけどミキミキは来なかったよ」

彼女たちのいる場所は両側の階段を俯瞰できる位置にある。

誰かが上ってきたらすぐに分かるハズで、美希の姿は見ていないと亜美たちが証言した。

ならばまだ1階にいるに違いないと伊織たちともども階段を下りていく。

その時、念のために多目的室を見てくると言って貴音と律子は引き返した。

春香たちが降りるとエントランスには真と雪歩がいた。

「どこにもいないんだ! 部屋にもいない。浴場や食堂も見たけど……」

見つからなかったという真が額にうっすらと汗を浮かべている後ろで、雪歩は壁に手をついて肩で息をしている。

「一体どこに……あっ!」

俯き加減だった千早は不意に顔を上げて響に向き直った。

「ねえ、我那覇さん。美希の声は聞いた?」

「……声? ううん、そういえば聞いてない……」

「ということは誰かに襲われたり、連れ去られたりしたワケじゃない――」

「自らの意思で姿を消した――ということになりますね」

貴音の双眸は千早を一見し、それから真、雪歩を捉えた。

「とにかく探すわよ! 1階にいるハズだから――」

律子が手早く2つのグループに分け、春香たちは西棟と東棟をそれぞれ捜索した。










133 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 23:12:03.41 ID:piDPP0Z90
美希は見つかった。

彼女は厨房の奥にあった。

壁のすぐ傍で居眠りをしているみたいに横たわっていた。

「み、き…………?」

最初に見つけたのは春香だった。

千早と響の3人で食堂を探し、続いて厨房を見回っていた時に作業台の向こうの異変に気付いたのである。

その時にあげた悲鳴によって、各所を捜索していた律子たちが何事かと集まってきている。

「……私の仕事よ」

近づこうとした響を押し留め、律子が美希の元に跪く。

そして脈や呼吸を確かめ、彼女の死を告げた。

「なんで……?」

亜美が頽(くずお)れる。

傍にいた真美が支えようとしたが、彼女にもその力はなかったようだ。

「どうして美希が…………?」

蹌踉(よろ)めいた伊織は咄嗟に近くにあった作業台に手をついた。

呼吸は荒く、小刻みに揺れる眸子はどこにも定まっていない。

「ねえ……」

真の後ろに隠れるようにして立っていた雪歩が、足音を立てずに伊織に近づいた。

「なんで、伊織ちゃん……美希ちゃんが……」

おどおどと怯えたような雪歩は、疑うような目で伊織を見た。

「分からない……ありえないわ。こんな……美希が殺されるなんて……」

「じゃあ、伊織ちゃんの言ってたことは――」

「………………」

彼女はもう何も答えず、ひどく落魄したようにため息を繰り返すばかりだった。

「――分かってるわね?」

振り返った律子が談話室に集まるように言う。

「美希を――このままにしておくの?」

響が言った。

彼女が倒れているのは調理場から見える位置だ。

作業台はもちろん流し台の前に立ったとしても必然、美希の姿が視界に入ることになる。

律子は首肯した。
134 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 23:15:00.42 ID:piDPP0Z90
「もう……いいんじゃないか……?」

「どういうこと?」

「警察の捜査の邪魔にならないように、ってことでしょ? でも、もう充分じゃないか。

今さら美希を移しても、あずささん、やよいの……体だけでも捜査できるでしょ?」

「………………」

「ここにこのままなんて……可愛そう過ぎるぞ……せめて部屋のベッドに運んでも――」

「なんで移動させたがるの?」

律子は低い声で問うた。

「まさか……このままにしておくと都合が悪い……なんてことはないわよね……?」

「それは違うよ」

真が口を挟んだ。

「ボクと雪歩で一度、ここは見たんだ。その時には美希はいなかった。律子がどう思ってるかは分からないけど。

響を疑ってるなら……春香より先にボクたちが見つけてるハズだよ」

「そうなの?」

律子は雪歩に問うた。

彼女は少ししてから頷いた。

「そのことは知ってたの?」

今度は春香に訊く。

彼女はかぶりを振った。

しばらく黙っていた律子は目頭を押さえ、呼吸を整えた。

「ごめんなさい……響を疑ったワケじゃないわ……ただ、あまりにいろんな事が起こりすぎて――。

正直に言って頭がおかしくなりそうなのよ……!」

そう吐き出す彼女は美希から目を背けるように調理台にもたれかかった。

「私も響の考えに賛成です」

これまであまり自己主張してこなかった貴音が、通る声で言う。

「亡骸を置き去りにするのは、美希の死から目を逸らし、彼女の存在を無下にするも同然ではありませんか。

誄(しのびごと)のひとつも添えずに立ち去るなど……到底できません」

彼女はこれまでの犠牲者の中で美希だけが、固く冷たい床に放置されている様は見るに忍びないと訴える。

せめて部屋に移すことはできないか、と響の望みを後押しした。

「こういうのは……どうですか……?」

意を決したように進み出たのは千早だ。
135 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/03(水) 23:17:33.01 ID:piDPP0Z90
「律子は警察の捜査に支障が出るから動かすべきじゃない、ということでしょう?

それなら、その……この状況を写真で記録しておけばいいんじゃないかしら……」

「写真…………?」

「ええ、私も我那覇さんや四条さんと同じ、美希をここに置き……置き去りにはしたくない。

できれば部屋のベッドに……美希が……いつも仮眠していた、みたいに…………」

最後のほうは声が出ていなかった。

涙を拭う所作で彼女は言葉を中断し、律子の答えを待つ。

ずいぶん長いこと考えてから、

「――分かったわ。充分な記録をとってから、部屋に移しましょう」

彼女は観念したように許可を出した。

5分ほどして、春香に付き添われて部屋に置いてあったカメラを取って戻ってきた千早は律子に指示を仰ぐ。

どれだけあれば捜査に有用かは律子にも分からず、彼女が言ったのはあらゆる角度から数枚ずつ……ということだった。

「………………」

”充分な記録”のために収めた写真は、周囲の状況や厨房の全容も併せて50枚以上に及んだ。

震える手でシャッターを切る度に、千早は無意識に止めていた呼吸を再開して息を吸い込む。

特に美希の顔を撮る際には手の震えが止まらず、作業を貴音に押し付ける有様だった。

「これは……酷というものでしょう……しかし……」

カメラの使い方を教わった貴音は跪き、美希と見つめ合った。

「これも貴女を部屋に運ぶため……少し、だけ……辛抱してください…………」

美希の目はカッと見開かれていた。

まるで何かに驚いたように、怯えているように、輝きを失った双眸が中空を凝視していた。

貴音と美希は数十センチの距離で視線を交えたが、まばたきをしたのは一人だけだった。

指紋が付着しないよう調理用手袋をはめ、志願した響、千早、貴音で亡骸を静かに抱き上げる。

律子を先頭に、ゆっくりと部屋まで運んでいく様は宛ら葬列のようだ。

「美希…………」

それを見送りながら、春香は落涙を堪えた。

そのすぐ横には呆然と立ち尽くす伊織と、そんな彼女を疑うように見つめている雪歩がいる。

亜美と真美は誰からも等しく距離をとるように厨房の入り口付近に立ち、ひそひそと何事かを囁き合っていた。

「あの時、ボクが付いて行っていれば……!」

惨事を防げたかもしれない、と真は拳を壁に叩きつけた。




136 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 21:19:12.39 ID:S3MTwkYE0
 16時18分。

談話室には全員が集まったが、その人数は今や10名となった。

その顔つきも大半は、律子が呼びかけたから仕方なくここにいるといった様子である。

特に亜美と真美は彼女の声を無視して2階に上がりかけたところを、貴音が制したほどである。

そしてこの中で最も沈淪している少女――我那覇響は誰とも目を合わさないようにずっと俯いたままだった。

しかも表情もひどく怯えたもので、姿勢だけを見れば雪歩と区別がつかない。

「これから、どうするの……?」

真のその呟きに響は滑稽なほど体をビクつかせた。

誰も答えない。

この場をまとめる立場にある律子でさえ、言葉を発しない。

どうするべきか、についてはいくつかの選択肢があるものの、究極的にはひとつに絞られる。



”如何にして生き延びるか”



誰もがこれを考えているような深刻な顔つきである。

「分かったことがひとつ――」

眼鏡の奥で律子の双眸は小刻みに揺れている。

「……偶然じゃなかったんだわ」

「何の話?」

恐る恐る真美が訊く。

「最初にあずささんが殺されたこと、よ」

「…………?」

「どこかでは思ってたの。犯人は相手を決めてたんだろうって。そう思い込んでた……。

きっとあずささんとやよいを手にかけるのが目的だった。プロデューサーは運悪く犯人に近づいただけだって」

「律っちゃん……?」

「でも違う! ハッキリ分かったわ! 私たち全員を殺すつもりなのよ!」

「律子!?」

真が剣幕に一瞬怯む。

「そう考えるしかないのよ! 何者かが入り込んでるのかもしれない。この中の誰かかもしれない。

だけどそいつはきっと……ううん、私たち全員を殺す気なのよ」

「あ、あの……その、あまり”殺す”って……言わないでくださぃ…………!」

雪歩が青白い顔で言ったが、その声はあまりにか細く当人には聞こえていない。

「バ、バラバラにならなければ大丈夫じゃないかな! 何か理由がある時もみんなで――」

「そういう状況じゃないのよ」

取り繕うように声を張った春香に、伊織は冷水を浴びせるように言った。

「”一緒にいる”ってことは、犯人と四六時中行動するってことよ? あと2日……できる?」

「伊織はまだ響ちゃんが犯人だって考えてるの?」

春香の問いかけに雪歩が訝るような目で伊織を見た。

「断定はしないわよ。でも可能性はゼロじゃない」

響は大仰にため息をついた。
137 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 21:25:37.55 ID:S3MTwkYE0
「やっぱり疑われるよね…………」

「我那覇さんではないと思うけど……?」

落ち着いた口調で千早が容喙する。

「我那覇さんを一番庇っていたのは美希や真よ。美希を手にかけるハズがないわ。

それに状況からいっても……真っ先に自分が疑われると分かっている状況で犯行に及ぶとは思えないもの」

「怪しすぎてかえって響が犯人とは思えない、ってことだよね?」

「ええ、誰かが我那覇さんに罪を着せるためにやったとしか思えないわ」

真がタイミングよく口を挟んだことで千早はやや語勢を強めた。

「誰か、って……誰よ……?」

伊織が呟いた時だった。

「誰でもいいよッ!」

突然、真美がヒステリックに叫んだ。

耳を劈くほどの大声に一同が真美を見る。

だがその視線はすぐに横にいる亜美に注がれることになった。

「帰りたい……もう帰りたいよぉ……!」

亜美がとうとう泣き出してしまった。

滂沱として溢れる涙は拭っても拭っても流れてくる。

それを宥めている真美の目元もじわりと濡れている。

「もうイヤだよ! 誰が犯人とか、どうでもいい! 真美たち、もう帰りたい!!」

「亜美…………」

律子がそっとその肩に触れようとしたが、彼女は乱暴に手を払いのけた。

「犯人とか考えたくない! でも……あずさお姉ちゃんたちを死なせた人がいるんなら正直に言ってよ!」

「落ち着いて、ねえ……2人とも……!」

「お迎えが来るまで我慢してればいいんでしょ!? だったら真美たち、ずっと部屋にいるかんね!!

そしたら大丈夫でしょ!? 亜美と一緒にいるからッ!!」

誰にともなく怒鳴りつけた真美は亜美の手を引いて談話室を飛び出した。

「待ちなさい!」

止めようと身を乗り出した律子だったが、真美の腕を掴むために伸ばした手は空を握りしめた。

「真美ッ!!」

鬼軍曹という表現が可愛く思えるほどの形相で仁王立ちになった彼女は、2人の背中に向かって、

「鍵をかけておきなさい!」

レッスン時でさえ聞いたことのないような声を張り上げて言った。

「律子、いいの……?」

追いかけなくていいのか、と真が問うた。

「錯乱してるわ。あの状態じゃ引き留めても逆効果よ。それよりしっかり戸締りさせたほうがいいわ」

それに2人いるから大丈夫だろう、と彼女は小さく頷きながら返した。

昨日まで賑やかだった談話室は人数が半分ほどに減ったこともあり、陰鬱な雰囲気を漂わせている。

ここにいること自体が目的であるかのように、彼女たちはソファに腰かけ、あるいは壁に凭(もた)れて沈黙を過ごす。
138 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 21:32:16.64 ID:S3MTwkYE0
しばらくして時機を見たように貴音が呼びかけた。

「質問してもよろしいですか、雪歩? この際ですから明らかにしておきたいのです」

唐突に、何の前触れもなく名指しされた雪歩はビクリと体を震わせ、驚いたように彼女を見た。

「は、はい…………?」

「昨夜、あの告発文を見た後、私たちはそれぞれの部屋に戻りました。その折、私は雪歩とすれ違いました。

しばらく見送っていましたが、貴女は手洗いではなく談話室の方へ向かいましたね。その理由は――」

誰が聞いても納得できるものか、と貴音は問う。

「たしか貴女はあずさと共にやよいを部屋へ送りましたね。雪歩の部屋は1階東側の突き当たり。

その隣が私で、さらにその隣がやよいの部屋です。彼女を送り届けた後だとすれば、追い抜くことはあってもすれ違うハズがないのです」

全員の視線が雪歩に集まった。

「付け加えるなら私はあずさとはすれ違っていません。となれば雪歩だけがやよいの部屋に長居をしていたか、或いは自分の部屋に戻ったのでは?

全員がそれぞれの部屋に戻った時機を見計らって廊下に出たところ、私と鉢合わせになった――と」

「あ、あの、えっと…………」

注がれる視線の中、雪歩はきゅっと裾を摘まんだ。

羞恥に耐えるように、顔を赤くして。

「それ、本当なの?」

いっこうに答えようとしないため、それまで居辛そうにしていた響が訊いた。

「ええ、昨夜は気にも留めませんでしたが、今となっては知っておくべきかと」

貴音の目は訝るでもなく責めるでもなく、いつもの静謐さがそこにあるのみである。

しかしこの瑶林瓊樹も彼女の芯の強さに裏打ちされたものだ。

優雅さに負けないだけの毅然さをも秘めた四条貴音は、必要であれば誰もが躊躇する剔抉さえ厭わない。

「あ、あのさ、貴音……自分が言えたことじゃないけど、雪歩はそんなことしないと思うぞ……?」

「ええ、私もそう思っています。しかし行動に不審な点がある以上、可能な限り明らかにしなければ真相には辿り着けないでしょう」

言いよどむ雪歩に促すように、貴音は静かに言った。

「ねえ、雪歩。やっぱり恥ずかしがらないでちゃんと言おうよ? このままじゃ疑われるだけだよ」

真がそう言ったので、伊織は訝るような目で彼女を見た。

「その様子だとあんたは知ってるみたいね」

「あの、実は…………!」

疑念を含んだ伊織の言葉を遮るように、雪歩が進み出た。

「私……やよいちゃんを送った後、自分の部屋に戻ったんです。でもしばらくして、告発文を思い出して怖くなって……。

それで……真ちゃんの部屋に――」

ひとりで寝るのが怖くなり、真の部屋に駆け込んだことを恥ずかしそうに告白する。

「本当なのね?」

律子は真に訊いた。

「うん、本当だよ。昨夜、最後に食堂を出たのはボクと貴音だったんだ。部屋に戻ってすぐにノックされたからビックリしたよ。

あんなのを見た直後だったからつい身構えちゃったけど。あんまり雪歩が怖がってたから一緒に寝たんだ」

真が仔細に説明すると、雪歩は耳まで真っ赤になって俯いた。
139 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 21:43:12.93 ID:S3MTwkYE0
「なるほど……それでは2人は同衾したのですね」

「同衾、ってたいそうな表現ね……」

律子がぼそりと呟く。

「失礼いたしました。弁解にもなりませんが決して雪歩を疑っての質問ではありません。その点だけは――」

「は、はい……分かってます……」

珍しく落魄した様子の貴音に、雪歩がまだ顔を赤くしたまま答えた。

「どうきん……どう、きん…………?」

貴音の言葉を繰り返し呟きながら、千早は難しい顔をしていた。

「千早ちゃん、どうしたの?」

その表情に真っ先に気付いた春香が問いかける。

「ええ、ちょっと……犯人はあの告発文を書いた人と同一人物なのかと思って」

「どういうこと?」

訊いたのは律子だ。

「私たちを――殺害することが目的なら、あんな告発文を掲げる必要はないハズよ。それに館内に響いた声も。

そんな回りくどい方法を採る意味があるかしら? それに……犯人がひとりだけとは限らないわ」

「えっと……じゃあ2人ってこと……?」

「他にもあるわ。あずささんを殺害して密室状態にできた犯人が、どうしてその時に全員を殺さず、夜が明けてから再開したのか。

昨夜のうちに全員が殺害されてもおかしくない。時間が経てば私たちも警戒するようになるから、殺人も犯し難くなる。

そんなリスクを冒してまでする……その理由というか、目的は何なのかしら……?」

次々と疑問を浮かべながら、彼女は最後に貴音を見つめた。

「考えられるのは――」

伊織が腕組みをしながら言う。

「ゲーム感覚でやってるか、そうじゃなければ……」

「…………?」

「敢えて誰かを殺さずにおいて、恐怖を味わわせるため……かしら?」

春香たちの顔が青ざめた。

「告発文を予告だと考えれば、元々は――」

「ね、ねえ、伊織……誰かって誰なの……?」

震える声で問う真の歯の根が合わない。

「誰かなんて知らないわよ。私は犯人じゃないんだから」

「もしそうだとしたら……言い換えればその誰かは助かるんだよね……?」

「助かるって言っても、最後は犯人と2人きりになるんだぞ……? それって結局は――」

「か、仮にそうだとしても! 固まっていれば大丈夫だよ! 犯人は順番に狙ってるらしいから」

「らしい、って……そう思っただけよ。もしかしたらなりふり構わず襲ってくるかもしれないわ」

「なら、そっちのほうが好都合じゃないか。こっちは大勢いるんだ。返り討ちにできるよ」

「いえ、これまで残忍な手口で殺めてきた相手です。安易に考えるのは危険です」

口々に言い合う春香たちを、律子は止めなかった。

彼女はまるで誰の声も聞こえていないみたいに天井を見上げている。

やや興奮気味になった彼女たちを一歩引いた場所から宥めた貴音は、律子に向きなおって言った。
140 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 21:53:06.77 ID:S3MTwkYE0
「私が行きましょう」

「…………え?」

「2人とはいえ、まだ幼いと言ってよい年頃です。誰かが付いている必要があるでしょう」

「で、でも、今の亜美たちの様子じゃ誰も寄せ付けないんじゃないかしら……?」

「ふふ、ご心配なく。2人とは狎昵(こうじつ)の間柄なのです」

「あ、ちょっと待って」

談話室を出ていこうとする彼女を、律子が慌てて呼び止めた。

「まさか独りで行くつもりじゃないでしょうね」

はたと立ち止まった貴音は少し考える素振りを見せて、

「――そうですね。単独行動は慎むべきでした。では律子も共に参りますか?」

にこりと笑んだ直後、鋭い視線を律子に向けた。

「ええ、でもこっちも心配なのよね……」

彼女が目配せした先には伊織がいる。

その視線に気付いているのかいないのか、伊織は令嬢特有の淑やかさも翳んでしまうほどの険しい顔つきで周囲を探っている。

「ではこうしましょう」

翻って貴音は伊織に声をかけた。

「亜美と真美、2人だけでは心配です。説得して部屋に入れてくれるよう頼んでみませんか?」

「私たちが?」

伊織が訝るように言った。

「ええ、このような事情なれば無理もないことですが、亜美たちにはいつもの溌溂さがありません。

まだまだ幼い2人には受けた衝撃が大きすぎます。誰かが傍について庇護する必要があるでしょう」

突然の申し出に伊織はすぐには答えない。

ここに留まれば7人のグループに属することになり、申し出を受ければ4人のグループに属することになる。

損得で考えれば前者が有利と思われるが、

「そう、ね……2人を放っておくのは危険かもしれないわね」

彼女はしばらく考えた後、貴音の提案を受けることにした。

「あんたはどうするの?」

伊織は律子に問うた。

「本音は私も亜美たちの傍にいてあげたいんだけど――」

と言って彼女はちらりと貴音を見やる。

「そっちにはあんたと貴音がいるから大丈夫だと思う。こっちは私が見るわ」

プロデューサーがいない現状、まとめ役は自分しかいないと律子は言う。

「そう、分かったわ」

特に反対する理由もなく、2人は談話室を出ていく。

その時、貴音は振り返り、

「響、私は信じております。貴女に人を殺めるなど、できはしません」

先に出て行った伊織に当てつけるように通る声で言い残した。

響は何も答えず、困ったように俯くばかりだった。
141 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 21:56:26.87 ID:S3MTwkYE0
それからはまた暫くの沈黙が続いた。

亜美たちがいないため、ゲームをして過ごそう等と提案する者もなく、ただ時間だけが過ぎていく。

春香は居辛そうにソファの端に座ったまま、言葉を発しない。

千早は顎に手を当てたり、目頭を押さえたりして何事かを考えている様子だ。

響は辺りをキョロキョロと窺い、手を閉じたり開いたりして落ち着かない。

真は拳を握りしめながら険しい顔をしている。

そんな彼女にぴたりと寄り添うように雪歩は身を縮こまらせている。

律子は出入り口と全員の顔が見える位置に座っており、その視線をしばしば響に向けていた。

「ね、ねえ……」

こういう時、誰にともなく声をかけるのはいつも春香だ。

「いつまでもこうしてるワケにもいかないんじゃないかな……」

しかし声に張りはなく、尻すぼみになって最後のほうは殆ど聞き取れない。

「あちこち動き回るほうが危ないわよ?」

千早が言う。

「あ、そうじゃなくて……! 夕食のこととか、夜のこととか……」

春香は現状、気にしている事柄を挙げた。

まずは夕食。

1食くらいなら抜いても死にはしないが、迎えの船が来るのは明後日だ。

さすがにそれまで何も口にしないワケにもいかない。

しかし昼までは全員が食堂に集まったが現況、2つのグループに分かれてしまっている。

先ほどの様子から亜美たちは部屋を出てこないだろうから、食事をどうするべきかという問題が出てくる。

今ひとつ、彼女が不安だと言ったのは、夜の過ごし方についてだ。

つまり一夜を明かすのにそれぞれ部屋に戻るのか、ということである

起きている間は複数で互いを見張り合えたが、あずさの件を考えれば部屋で眠るのは正しいとは言えない。

「たしかに……でも部屋のベッドを移動させるワケにもいかないし……」

「ならたとえば3人ずつに分かれて――っていうのも不安、だよね」

誰も妙案が浮かばず鬱々としているところに、

「あのぅ……ここは、どうかな……?」

雪歩がおずおずと言った。

「大きなソファもたくさんあるし、部屋から掛布団と枕を持ち寄ればベッド代わりにならないかな?」

妙案というよりは消去法で最後に残った選択肢だ。

数人ずつで離れ離れになるより全員が同じ空間にいたほうがよい。

反対する者はいなかった。

寝具を持ち寄るのは寝る時になってから、ということで談話室は再び沈黙に――、

「実は気になってることがあるんだ……」

包まれる前に響が憚るように言った。

途端、律子が鋭い視線を向け、それに当てられた彼女は咄嗟に目を逸らした。
142 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 21:59:14.36 ID:S3MTwkYE0
「いや、まあ……いま言うようなことじゃないけど……」

「そこまで言われたら気になるじゃないか」

口調は刺々しかったが、真の言葉には臆さずに先を促す効果があった。

「その前にちょっと外に出て確かめたいんだ。独りで行くワケにはいかないから――」

誰か付いてきてほしい、と響は言う。

しかしすでに生存者が二分されている状況でさらに分かれて行動するのは危険だということで、全員で行動することになる。

彼女の言う”外”とは館から遠く離れた場所という意味ではなく、”エントランスの外”という意味だった。

時刻は17時を少し過ぎていたが、昨日とは打って変わっての好天であるため辺りはまだ明るかった。

「ほら、あれ」

響が東棟の一角を指差した。

「昼間、プロデューサーが見た人影を追いかけてあちこち捜索したでしょ?」

彼女が指し示しているのは2階の一番奥だ。

浴場のちょうど真上にあたり、物置になっているため見取り図では×印が付されている場所だ。

「その時にあそこの物置にも入ったんだけど、ヘンな感じだったんだ」

「そう? ボクは特に何も感じなかったけど……? 掃除道具とか棚があったくらいで」

この中で館内を捜索したのは響と真だけであり、春香たち4人はその間は談話室で待機していた。

響はかぶりを振った。

「――あの物置の窓はひとつしかなかったぞ」

等間隔で並んだ窓は棟の端まで続いている。

「それに物置だけちょっと狭く感じなかった?」

捜索に加わっていない春香たちには返事のしようがない。

「――そう言われてみると……でもいろんな物がめちゃくちゃに置いてあったからそう感じたのかも……」

難しい顔をして真が唸る。

「奥に何かあるかもしれない、ってことね?」

窓を見つめながら千早が言う。

「うん、そんな気がするんだ。暖炉のこともあるし――」

「あ、もしかしてあの時、様子がヘンだったのはそのことを考えてたからなの?」

春香に問われ、彼女は曖昧に頷いた。

「調べてみる?」

律子が誰にともなく問うと、雪歩以外は控えめに首肯した。

見るだけ見てみようということになり館に戻る。

「一応、貴音たちに声をかけておいたほうがいいわね」

という律子の提案で一行は4人の元に向かうことにした。

彼女たちは亜美の部屋に集まっていた。
143 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 22:08:41.58 ID:S3MTwkYE0
「ちょっといい? 私たち、これから物置を調べに行ってくるわ」

返事はない。

しばらくして、

「何のために?」

ドア越しに伊織が問う。

「気になることがあるの。何か見つけたらあんたたちにも伝えるわ。すぐに戻って来るから」

「分かったわ。何もなくても教えてちょうだい」

「ええ」

遊戯室を通り過ぎたその先。

東に向かって伸びる廊下の左右(南北)に物置がある。

響が言っているのは向かって左側、つまり北側にある大きな部屋のことだ。

「まさか犯人が隠れ潜んでる、なんてことはないでしょうね?」

律子が身震いすると、

「なら捕まえてしまえばいいじゃないか。そうすれば何も心配は無くなるんだし」

弱気な彼女を勇気づけるように真が言った。

「大丈夫かなぁ……」

雪歩はあからさまに一団と距離を置いていたが、離れすぎていることに気付いて慌てて春香の傍に駆け寄った。

「開けるよ」

言い出したのは自分だからと、響がドアを開けることになった。

そのすぐ後ろに真が控え、もし何者かが飛び出してきても対応できるように構える。

だがその備えは無駄に終わった。

中には誰もいない。
144 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 22:12:37.93 ID:S3MTwkYE0
「確かに狭いね……」

じめじめしていてカビ臭い室内には、掃除道具やロープ、工具箱等が雑然と置かれている。

「窓は……あのひとつだけだね」

春香が指差した窓は塵埃を被っていて、陽光をいくらか遮ってしまっている。

そのため物置内は薄暗く、そのうえ道具類が無秩序に散らばっていることもあっていくつかの死角ができていた。

「たしかに……たしかに響の言うとおりよ。窓の数が合わないわ」

手書きの見取り図と窓とを見比べながら律子が言う。

その口調はやや興奮していた。

「やっぱり! ここには何か秘密があるんだ!」

だが、それ以上に興奮していたのは響だ。

まるで宝物を見つけたみたいに、どうだと言わんばかりに声を張る。

「でも秘密ってどんな?」

「さあ、それは調べてみないと――」

言いかけて律子は部屋の奥に目を凝らした。

正面の壁に大きな棚が置かれている。

天井に届きそうなほど高いそれにはハンマーやペンチ等の工具、それらの取扱説明書、厚めの書籍が乱雑に収められていた。

律子は書籍のうちの一冊を手に取る。

『食用キノコと毒キノコの見分け方』というタイトルの古い本だ。

書名どおりキノコの特徴や安全性、調理法などが記されているが、キノコに関しては写真ではなくイラストのみだった。

「古そうな本だね」

横から覗きこんだ真が言う。

埃をかぶった本は表紙も中身も褪色していて、少し力をいれると簡単に破れてしまいそうだ。

「なんでこんなものが……?」

「他にもいっぱいあるぞ」

工具箱をブックエンド代わりにして、いくつか並べられた本を指差す響。



『心理学ーもうこれで騙されない』

『西洋建築に真鍮製の鍵は使うな』

『獣や毒虫の居る森を正しく歩く』

『長生不死の秘密は泰山にあった』

『サバイバル〜生き延びるために』

『哲学的な観点からの人の生と死』


145 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 22:16:30.76 ID:S3MTwkYE0
藍色や臙脂色の古めかしい表紙は、埃を被っているのもあって手触りが良くない。

中身も時代を感じさせる独特の書体で、活版印刷特有の字間や行の揺れが見て取れる。

本文にも今は使われていないような難解な表現も多く、真は最初の数ページを読みかけたところで本を閉じた。

「置いてある本は古書店で見かけるようなものばかりね」

他にも専門書の類が多く並んでいたが、千早は手に取って見ることはしなかった。

「これがどうかしたんですか?」

春香が訝しげに問う。

「ああ、そうだったわ。つい本に目をとられて……」

『易占入門〜筮竹の種類とその使い方〜』という本を元あった場所に置いた律子は手に付いた埃を払った。

「この棚が気になったのよ」

そう言って数歩退いて全体を見渡す。

この部屋に棚はこの1架しかない。

しかも角に置いてあるのではなく、壁の真ん中を隠すように佇んでいた。

「置き方が不自然な気もするわ」

千早が言った。

棚の両側には何も置かれていない。

「試してみる?」

律子に訊かれて響は首をかしげた。

その反応に手本を見せるように彼女は側面に回り、棚に両手をついた。

ようやく理解したらしい響も横に並んで棚を押し出す。

「ん……?」

重厚な見た目に反し、力を入れると棚は難なくスライドした。

「下にローラーみたいなものが付いてるのかしら?」

律子が底部を覗き込んだ時、

「それより見てよ!」

響がひときわ高い声をあげた。

棚の向こうに、もうひとつ部屋があった。

「ほんとに部屋があったんだ……」

春香は目を丸くしている。

「この入口、棚の幅よりも狭いわ。それに高さも――ちょっと横から覗き込んだくらいじゃ見つけられないわね」

律子が顎に手を当てて言った。

「すごいよ、響! よくこんなのに気がついたね!」

「ふふん、自分の洞察力があればこれくらい当然だぞ」

「せっかく喜んでるところ悪いけど、ガッカリさせるかもしれないわね」

律子が奥の部屋を見ながら言う。

響の発見は一同を驚かせ興奮させるものではあったが、事態を進展させるものではなかった。
146 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/04(木) 22:21:05.38 ID:S3MTwkYE0
「何も、ない……?」

部屋を覗き込んで春香が呟いたとおり、隠し部屋には何もなかった。

目につくのは隅々に溜まる埃くらいのもので本の1冊、木片のひとつさえ落ちていない。

中の様子が分かるのはもちろん、窓から差し込む光のおかげだ。

「どうしてこんな造りにしたのかしら……?」

春香に続いて入ってきた千早は、床を何度か踏んだり四方の壁を叩いたりした。

しかし仕掛けらしいものは何もなかった。

「結局、ただ棚で塞がれていただけってこと?」

同じように隅々まで調べていた律子は落胆したように息を吐いた。

「暖炉は上の階につながる隠し通路だったから、ここは反対に下の階とつながってるんじゃないかな?」

「そう思ってボクもあちこち見て回ったけど、開けられそうな場所はないよ。床にヘンな隙間もないし」

「真なら思いっきりやれば踏み抜けるんじゃない?」

「それ、仕掛け関係ないよね? というか春香はボクをどんなふうに見てるのかな?」

真が不気味な笑顔を浮かべた。

その後、5人――雪歩は気味悪がって隠し部屋に入ってこなかった――はあちこちを調べた。

しかしどこにも異常は見当たらなかった。

「何もなさそうね……隠してあったのは気になるけどただの――」

憮然とした様子で言った律子は不自然に言葉を切り、目を細めて窓の外を眺めた。

「どうしたの?」

「え、ええ、あの木の陰……何か動いたような気がして――」

そう言って彼女は茂みを指差す。

「ど、どこ……!?」

離れた場所にいた響が駆け寄る。

「ほら、あの黒っぽい木が密集してる場所があるでしょ」

「う〜ん……」

身を乗り出すようにして凝視する。

「何もないぞ。鳥か何かと見間違えたんじゃないか?」

「……そうかもしれないわね」

観に行こうか、という声は誰からもあがらなかった。

ここにいても仕方がないと春香たちは部屋を出ることにした。

その際に棚の周辺を念入りに調べた千早が、埃の堆積具合から自分たちの前に棚を動かした者はいないだろうと言った。

「大発見だと思ったんだけどな……」

隠し部屋を振り返り、響は残念そうに呟いた。

「よく考えるとちょっと恐いよね……」

「この部屋のこと? どうして?」

千早の問いかけに響は頷く。

「だってほら、あの棚って後ろからは動かせないでしょ? 奥の部屋に閉じ込められたら出られないぞ」

「我那覇さんなら窓を蹴破って降りられるんじゃないかしら?」

「もう! そういうことじゃないぞ!」

「ふふ、ごめんなさい。でもたしかに――そうね。造った人はそういう情況を考えなかったのかしら?」

147 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 22:17:20.01 ID:eLWNEPPE0





 18時22分。

何か食べなければ心身が疲弊するばかりだ、という律子の言葉もあり一同は夕食をとる。

雪歩たちの声掛けもあって亜美たちも食堂に集まる。

彼女たちの部屋には持参したお菓子の類しかなく、腹を満たすほどの量がなかった。

「よく出てきてくれたわね」

4人の姿を見て律子はほっとため息をついた。

「一食くらい抜いても死にはしないけどね」

と言って伊織は冷ややかな視線を貴音に送る。

「それは誤解です。食事とは空腹を満たすためだけではありません。脳に栄養を送り、思慮を巡らせるためには――」

「まだ何も言ってないわよ……」

「まあ、何であれ降りてきてくれてよかったわ」

律子は亜美たちに聞こえないように2人に顔を近づけ、

「そうやってうまいこと連れ出してくれたんでしょ?」

主に貴音に向けて囁いた。

やはり料理する者、それ以外の用事をこなす者とで分担するが、彼女たちはまず5人ずつ分かれることにした。

料理が不得手な者も厨房に入ることになるが、人数に偏りがないようにするためには仕方がない。

「簡単なものでいいよね?」

春香が誰にともなく言う。

厨房にいるのは春香と雪歩、千早、響、貴音だ。

そもそもここへは遊びに来ているため食材は充分にある。

こだわればホテル並みの料理さえ振る舞えるほど冷蔵庫の中は豊富だが、誰も調理に時間をかけたがらない。

喉を通りやすいもの、ということでスープやサラダを中心に献立を考えることになる。

「ええ、そうね……」

千早たちは美希が倒れていた場所を見ないようにした。

厨房はそう広くはないが作業台や棚などで死角となる場所が多い。

5人は常に一定の距離を保つようにして調理にとりかかる。

中心となるのは春香と響だ。

他の3人は補助的な役割を担い、知識や技量をそう必要としない作業を引き受ける。

そのためしばしば春香たちの後ろに移動することもあった。

「亜美と真美の様子はどうですか?」

千早がレタスを千切りながら貴音に訊いた。

「今は少し落ち着いていますが、まだ安心はできません。些細な出来事を切欠に取り乱す恐れもあります」

「そうですか……ひどく混乱している様子でしたからね。部屋にはすぐに入れてもらえたんですか?」

「いえ、易々とはいきませんでした。伊織と利害を説いてどうにか信を得たのです」

響がトマトやキュウリを切っては後ろの調理台へと運ぶ。

それを受け取った貴音は人数分の器に丁寧に盛り付けた。
148 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 22:24:54.58 ID:eLWNEPPE0
「信……ということは四条さんや水瀬さんも疑われてたんですか?」

「そうなりましょう。正体不明の人影を皆が目撃しておれば疑心に囚われることもなかったでしょうが……。

今はあらゆる可能性を考慮すべき状況です。亜美や真美の考えも間違ってはおりません」

彼女は平然と話すが、反して憂いを湛えた表情はミステリアスな姫君と評しても差し支えない。

まるで国の滅亡を嘆くような顔つきは、いつもどおりの凛とした姿勢と相俟って全てを悟っているようにも見える。

「あの……四条さんはどう思ってるんですか……?」

お茶を淹れるためにお湯を沸かしていた雪歩がおずおずと切り出す。

「誰が殺めたか、ということですか?」

「は、はい……」

「私には分かりかねます。しかし私たちを欺き嘲弄し、剰(あまつさ)え疑念の種を蒔いた不埒な輩には違いありません」

彼女はやや口調を激しくした。

「何者であれ、これ以上の犠牲を増やさぬようにすべきです。迂闊な行動は災禍を招くでしょう。

プロデューサーも真実に近づいたために襲われたのかもしれません……」

湯がいた鶏肉を小さく切りながら、響は時おり肩越しに振り向いては彼女らのやりとりを聞いていた。

一方、食堂では珍しく伊織が率先してテーブルの掃除をしていた。

亜美と真美は居辛そうに食堂の端をうろうろしているが、それを横目で見ている律子は特に何も言わない。

「ボク、ちょっと思ったんだけど」

牡鹿のハンティングトロフィーを眺めながら、誰にともなく言う。

「ずっと食堂で見張ってれば犯人を見つけられるんじゃないかな?」

「どうしてよ?」

テーブルを拭きながら伊織。

「だって犯人だって何も食べないワケにはいかないだろ? ってことは食料調達にここに来るんじゃない?」

「無理ね」

「なんで?」

「明らかに計画的にやってるもの。それくらい考えてるわ。それに――」

伊織は厨房を一瞥して、

「仮に犯人に食料を調達する必要があるとしても、私たちの前で堂々と食べてるかもしれないわよ?」

不機嫌そうに言った。

「まだそんなこと言って――」

「”かもしれない”って言ったでしょ。断定してるワケじゃないわ」

ようやくテーブルを拭き終えた彼女は姿勢を起こし、そこで初めて真に向き直った。

「でもね、私が犯人だって可能性もあるわよ? こうやって周囲を惑わすようなことばかり言って撹乱して――」

「……伊織にあんなこと、できるハズないよ」

「………………」

「………………」

「当然よ。それくらいの気持ちでいなさいってこと。同じ事務所の人間だからって油断してたらどうなるか分からないわよ?」

真は何か言いかけたが、不愉快そうに顔を背けるだけだった。
149 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 22:30:19.85 ID:eLWNEPPE0
「ちょっとあんたたち」

それまで黙っていた律子が亜美たちから目を離さないようにして言った。

「そのへんにしておきなさい」

いつもは口うるさい彼女も言葉少なく窘める。

伊織はまだ何か言いたそうだったが、恨みがましく律子を睥睨するとため息をついて厨房に消えた。

「あの子も不安なのよ」

「分かってる」

同じく不服そうな真は、伊織が残していった布巾で手を拭った。














150 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 22:33:19.90 ID:eLWNEPPE0
 18時41分。

全員が揃っての夕食は10人いるとは思えないほど陰鬱な雰囲気だった。

誰も殆ど言葉を発さず、黙々と目の前のパンやサラダを口に運ぶ。

実際、健啖なのは貴音くらいのもので全員、程度の差はあれ器の中身はほとんど減っていない。

野菜を咀嚼する音、飲み物を飲む音だけが聞こえるこの空間で。

下品にスープを啜るような音がして、一同の視線がそちらに注がれる。

「――律子」

彼女は流涕していた。

眼鏡を置き、身を小さくして、目元を拭うこともしないで。

「ごめんなさい…………」

蚊の鳴くような声は誰にもハッキリと聞き取れた。

「どうして律子さんが謝るんですか……?」

それよりもさらに小さく、微風にさえ掻き消されてしまいそうな声で問う雪歩。

俯いた律子はそれには答えない。

何人かの視線がテーブルの上で交わる。

しかし言葉が交わされることはなかった。

「こんな島に皆を連れてこなければ……」

ずいぶん長い間を空け、律子が搾り出すように言う。

「そうよ。合宿なんてどこででもできたハズよ。施設を借りるとかいくらでも方法が――」

「――律子」

「どうせなら経費なんて度外視して旅行会社にでも頼むべきだったのよ、そうすれば――」

「律子」

鋭く、窘めるように貴音。

「過ぎたことを悔やむより、今は前を向くべきです」

「分かってる。分かってるわ。でも私に責任がないなんて思わない。中止にすることだってできたハズなのよ」

それから律子は何も言わなくなった。

春香でさえかける言葉が見つからなかったようで、どうにか場を明るくしようとする素振りは見せたものの、

結局は何もできず時だけが過ぎていった。
151 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 22:46:14.69 ID:eLWNEPPE0
「――ごちそうさま」

そんな当然の言葉も苦々しく発するように吐き出した亜美は、早くも立ち上がっていた。

その手は真美の腕をしっかりと掴んでいる。

「亜美たち、部屋にいるから」

「お待ちなさい」

凛然とした貴音の制止に、2人は歩を止めた。

「私も参りましょう」

「………………」

「それとも私を信用することはできませんか?」

「………………」

ずいぶん長いこと黙ったあと、

「いいよ」

諦めたように真美が応じた。

だったら私も、と伊織が立ち上がる。

「夜は……どうするの?」

春香が問う。

一部屋に4人で一夜を明かすのか、という意味だ。

「何とかなるわ。狭い部屋でもないし」

そう言い切る今の伊織には、床で寝ることさえ厭わない妙な気概がある。

「………………」

律子は亜美たちに付くべきかどうか迷っている素振りを見せた。

「こちらは私たちが見ます」

それに気付いた貴音が同行を制する。

「ええ、ええ、分かったわ……お願い……」

早く食堂を出たがっているらしい亜美たちは、話がまとまったと分かるとすぐに食器を片づけに行った。

ほどなくして戻ってきた4人は特に言葉をかけることもなく、無言のまま食堂を出て行った。

再び、沈黙。

真っ先に食べ終えた響は所在無げに視線を彷徨わせている。

彼女に遅れて食器を空にした真は千早のほうを見る。

「少しでも食べておいたほうがいいよ」

千早はサラダ以外にはほとんど手を付けていなかった。

「ええ、分かってはいるけど……」

食が進まない、と彼女は手にしたパンを口にすることなく器に戻した。




152 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 23:02:34.93 ID:eLWNEPPE0
 19時07分。

6人は談話室に戻ってきた。

「もし小鳥さんも来てたら――同じように狙われてたのかな……」

言ったのは春香だ。

「あの告発文のこと?」

律子の問いに彼女は特に反応しない。

「あれに書いてあるように私たちに罪があって、だから誰かがそれを罰するためにやってるのだとしたら――」

「…………?」

「そいつは狂っているわ。正常じゃない」

感情的になって律子は言う。

その視線が響を捉えたので、彼女は咄嗟にそれから逃れるように余所を向いた。

「い、今はそんなことよりどうやって生き延びるか考えるべきだぞ! あと2日――」

「そう、よね……」

「それには……やっぱりひとりにならないほうがいいんじゃないかな……?」

雪歩が控えめに口を挟む。

「あずささんもやよいちゃんも……ひとりのところを…………」

殺された、という直截的な表現を彼女は用いない。

言葉にしなくても意味は全員が理解できていた。

「少し早いけど先に寝具を集めておくのはどうかしら?」

千早が言った。

6人は談話室で夜を明かすことを決めており、ソファをベッド代わりにし、必要な寝具を各自の部屋から持ち寄ることになっていた。

特に異論もなく、春香たちはそれぞれ部屋を回って枕と掛け布団を持ち出すことになる。

ここから最も近い雪歩、続いて春香、真の部屋を順番に巡る。

当然、この移動も6人揃ってである。

さらに響、律子、千早の順に回る。

その際、念のために亜美の部屋のドアをノックする。

「あんたたち、特に異常はないわね?」

だが返事はない。

「亜美…………?」

数秒待つが、やはり反応はなかった。

「まさか…………!」

律子の顔つきが変わった。

彼女が不安げに振り返ると、真や雪歩は神妙な面持ちで見返した。

その横で、

「みんな、大丈夫? 何もおかしなことはないよね?」

春香が呼びかけていた。

ほどなくしてドアが開き、貴音が姿を現した。
153 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 23:08:47.73 ID:eLWNEPPE0
「こちらは異常はありません。春香たちも――特に変わりはないようですね」

彼女たちは隣――真美の部屋に集まっていた。

「そ、そっちだったのね…………」

律子は額を拭って眼鏡をかけなおした。

そして壁に手をついてゆっくりと息を吐く。

「無事で良かったわ。返事がなかったから気が気じゃなかったのよ」

「それは失礼をいたしました。ところで貴方たちは今夜はどうなさるのですか?」

「談話室で寝るつもりよ。ソファをベッド代わりにしてね。それでいま布団やら枕やらを集めて回ってたの」

「なるほど……しかし夜は冷えるでしょう。体調にはくれぐれもご注意を」

「ええ、あなたたちも気を付けて」

4人が無事であると分かり安心したか、律子の声はやや弾んでいた。





律子たちを見送り、ドアを閉めた貴音は大息した。

ゆっくりと振り返り、室内を見渡す。

「談話室で一夜を過ごすそうです」

「聞こえてたわ」

伊織は別段興味なさそうに返した。

「あそこなら見通しもいいだろうし、犯人に対しては牽制になるんじゃないかしら」

「そうですね。ただ――」

犯人にとっても見通しが聞く、と貴音は言う。

「仕方ないわよ。他に場所がないんだし」

貴音はドアの施錠を確認してから一人掛けの椅子に腰をおろした。

伊織も真向かいにある同じような椅子に腰かけ、腕を組んで難しい顔をしている。

亜美と真美はベッドに並んで座っており、落魄した様子のまま顔を上げようとしない。

「2人とも、無理して起きていなくてもいいのですよ」

自分が警戒しておくからと亜美たちに休息を勧める。

ドアはしっかりと施錠されており、窓にも鍵をかけてカーテンを閉めてある。

誰かが入って来ることはない、と貴音は強調した。

「いいよ、まだ起きてる」

「亜美も」

2人は顔を伏せたまま返した。

「――そうですか」

貴音はそれ以上は何も言わず、目を閉じて深く息を吸い込んだ。

それから数分。

「こんなことになるなんてね」

伊織は誰にも聞き取れないような声で呟いたが、貴音には届いていた。
154 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 23:14:16.20 ID:eLWNEPPE0
「誰にも予想すらできなかったことです」

「そう、ね――」

「伊織」

「何よ?」

「今の貴方には迷いが見えます」

「こんな状況なんだから当たり前でしょ」

「いえ、そうではなく……後悔しているのではありませんか?」

途端、伊織はばつ悪そうに俯いた。

小さな手をぎゅっと握りしめ、何かに耐えるように表情を固くする。

「伊――」

「してるわ」

「………………」

「………………」

「響のこと、ですか?」

「――そうよ。だけどあんたが思ってるようなことじゃないわ」

「………………?」

貴音はそれ以上は追及しなかった。

「あんたはどう思ってるのよ?」

反対に彼女が問いかける。

貴音はちらりと亜美たちを見た。

2人はずっと同じ姿勢のままで、会話を聞いているのかどうかは分からない。

「悪い夢であれば、と願うばかりです」

「そういうことじゃなくて……!」

大きな声を出しかけた伊織は、貴音が2人を瞥見したのを認めて慌てて言葉を切った。

少しだけ頬を赤くして、

「そうね」

と拗ねたように吐き捨てる。

わずかに吹きつけた微風が窓を叩いていた。



155 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 21:27:46.05 ID:7F57kQa50
 21時35分。

ソファに腰かけていた律子が時おり船を漕ぐようになった。

「無理しないで横になったほうがいいわ」

それにいち早く気づいたのは千早だった。

「え……あ、私、もしかして寝てた!? ごめんなさい! そんなつもりじゃ……!」

睡魔を振り払うように律子は両頬を数度叩いた。

「こんな状況なんだから少しでも休まなきゃ。それでなくても律子はボクたちの代わりに――」

つらい役目を引き受けているのだから、と真も添える。

この十数時間の激動に疲弊したか、面々の顔色は悪い。

特に引率役として立場上、何かと鞅掌していた律子はひどく憔悴しているようだった。

亜美や真美がいなければ、強引にこの場を盛り上げることもできない。

「ええ、でも眠るのは……不安なのよ……」

あずさの件があったから、と彼女は涙混じりに打ち明けた。

「で、でもこんなにたくさんいるから、大丈夫……だと思います……」

数を恃みにしての弁だったが、そのわりには雪歩は落ち着きなく周囲を窺っている。

ここ談話室には西の階段側に続く扉、南側に廊下に繋がる扉と、北側の大きな窓がある。

部屋の中央からそれぞれまでの距離は10メートルはある。

誰かが飛び込んできても身構えるくらいの余裕はある。

だからこそ彼女たちは6人で夜を過ごすならここしかないと考えた。

突然、春香が立ち上がった。

皆の目が一斉に彼女に向けられる。

「何か温かい飲み物でも淹れてこようかと思って……」

「それなら私も……」

一緒に行く、と雪歩が立ち上がる。

2人では危険だということで真も同行することになった。

「みんな、気を付けて」

残るのは律子、千早、響の3人だ。

人数が減ったことで死角ができないようにと周囲に目を凝らす。

しかし物音ひとつしなければ、何かが動く様子もない。

「プロデューサーが見た人影って誰だったのかな――」

窓を見つめながら響が呟く。

「それは誰にも分からないわ」

今となっては、と千早が諦めたようにため息をつく。

「私たちの知っている人なのか、そうでないのか……それとも、見間違いなのか……」

あらゆる可能性があることを千早は付け加えた。
156 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 21:31:52.73 ID:7F57kQa50
しばらくして春香たちがトレイを持って戻ってきた。

「ホットココアにしたよ。これでホッとできればいいんだけど――」

千早は堪らず噴き出してしまった。

「ありがとう、いただくわ」

固くなっていた表情を弛緩させ、律子が差し出されたカップを受け取る。

全員がそれぞれのカップを手にすると、トレイには4人分が余った。

「亜美たちの分も淹れたんだ。今から持って行こうと思って」

「それなら私たちが行くわ。春香たちはここにいて」

立ち上がった千早は響を誘った。

が、彼女は口にこそしないものの同行を渋った。

「い、いいよいいよ! 千早ちゃん、私と一緒に行こっ! 真もお願い」

雪歩と入れ替わるように千早がトレイを持ち、2人を率いて2階へと上がる。

「律子は相当参っているようね」

この声が本人に届かない距離を見定めて千早が言う。

「今日一日であれだけのことがあったから……」

苦悶の表情を浮かべる春香に、

「ボクたちもだけど、それ以上に律子はずっと気を張ってると思う」

と真も続けた。

これ以上の犠牲を出してはならないと彼女たちは誓い合う。

「私だよ。千早と真も一緒にいる」

ドアをノックして廊下に誰がいるかを伝える。

間もなく伊織が出てきた。

「助かるわ。少し気分を落ち着けたいと思っていたから」

「あれから何かあったの?」

「特に何もないわ。ただ、亜美たちの落ち込みようがね――」

伊織は言葉を濁した。

彼女によれば2人はすっかり憔悴しており、話しかけても会話にならない状態だという。

「今からでも私たちと一緒にいることはできないかしら?」

千早の提案に伊織はかぶりを振った。

「たぶん無理ね。大人数の中だとかえって混乱しかねないわ」

落ち込んでいても今はこの状況の方がいいと彼女は言った。
157 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 21:36:54.15 ID:7F57kQa50
「それじゃあ、これ。冷めないうちに。伊織はオレンジジュースのほうが良かったかな?」

「贅沢は言わないわよ。ありがとう」

「なんか調子狂うなあ、伊織が素直にお礼を言うなんて」

真が意地悪な笑みを浮かべた。

「失礼ね! 私だってお礼くらい言うわよ!」

真のくせに、と捨て台詞を残して伊織は部屋に引き揚げた。

「はは、あれだけ言い返せるなら伊織は大丈夫だよね」

春香は安堵したように微笑した。

3人が談話室に戻ると雪歩たちはソファに腰かけ、油断なく辺りを窺っていた。

特に響は目をギラつかせていたが、反対に律子は眠そうな目を抉じ開けるように視線を左右させていた。

「あ、春香ちゃん。亜美ちゃんたちはどうだった?」

「あまり良くないみたい。今は一応は落ち着いてるみたいだけど……」

「そう…………」

「あ、でも伊織も貴音さんもいるから大丈夫だよ!」

春香は大仰に笑ったが、千早の目は笑っていなかった。





158 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:17:18.46 ID:7F57kQa50
 22時57分。

秒針が時を刻む音だけが聞こえる。

ホットココアを飲み終えた後、しばらくは周囲を警戒していた律子だったが22時を少し過ぎたあたりで、とうとうソファに横になってしまった。

皆それぞれに疲れていたらしく、雪歩も体を丸めるようにして眠っている。

今はかろうじて起きている春香もしばしば襲ってくる睡魔をどうにかやり過ごしている状態である。

「静か、だね……」

真が当たり前のことを呟いた。

「そうね」

答えた千早はテーブルに置かれたままのカップを眺めていた。

片付けるためにまた厨房に向かう危険を冒すくらいなら、一夜くらい放っておいた方がよいという判断だ。

少々不衛生だが仕方がない。

殺人鬼がいることに比べれば瑣末な問題だ。

「昨日はここで皆で遊んでたんだよね。いろんなゲームを持ち寄って」

感慨深そうに真が言う。

「なんだかもうずっと前のことのようね――」

千早が言うと4人とも俯いてしまった。

「自分たちもそろそろ寝たほうがいいんじゃないかな?」

部屋の隅にある一人掛けの木組みの椅子に座っていた響は、中空を見つめて言った。

「無理して起きてたって疲れるだけだし、犯人も大勢いるこんなところに来たりしないと思うし」

そう言い、響は立ち上がり大袈裟に背伸びした。

「うん、でも――」

春香は迷いを見せた。

「ソファの数が……」

彼女が言っているのは寝床のことだ。

談話室にはテーブルを囲むように4脚、西側の壁際に1脚と、計5脚のソファしかない。

人数と合わないため少なくとも1人はソファを使えないことになる。

その点について彼女たちは当初から気付きながらも話題にはしなかった。

ただ肉体的、精神的に負担の大きい律子には優先的に譲るという共通の認識はあった。

今は律子、雪歩、春香がそれぞれ使用しているので、空いているのは2脚ということになる。

「自分はそのへんの床で寝るからいいぞ? クッションとか多めに持って来たし」

さも意外そうに響は言う。
159 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:23:21.05 ID:7F57kQa50
「ダメだよ、そんなの。それならボクが――」

「いいえ、みんなはソファを使って」

「みんなにそんな想いはさせられないよ。ここはリーダーの私が」

「いつ春香が何のリーダーになったんだ?」

わざわざ根心地の悪い床を巡って4人は譲り合わない。

律子たちは寝ているので小声での小競り合いが続いてしばらくした時、

「それなら交代で見張るっていうのはどう?」

真が提案した。

「見張る?」

「うん。1時間ずつ交代でね。最初は響で次がボク。その次は千早で次が春香。で、また交代。これなら全員、ソファで寝られるでしょ?」

「たしかに――それなら犯人が入ってきても対処できるわね」

この状況で3時間ずつ寝られれば充分だ、と彼女は言う。

「これでどう?」

真は響に訊ねた。

「自分は別にかまわないぞ。でも春香が見張りかあ……大丈夫かな?」

「え、私……?」

「うん。転んだりしないかなって」

「見張りってここにいるんだよね? 歩き回ったりしないよね?」

止まっていれば転ぶことは絶対にない、と春香はやや興奮気味に言った。

「じゃあ決まりだね」

見張り役は先ほどまで響が座っていた木組みの椅子を使うことになった。










160 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:28:46.28 ID:7F57kQa50
響は辺りを窺った。

椅子は部屋の隅にある。

ここから談話室全体が見通せる。

もし何者かが入ってきても彼女なら先に動けるだろう。

響は深呼吸した。

律子たちはよく眠っているようだ。

秒針の音が木霊する。

異変は――ない。

誰かの足音も、何かが動く気配も。

「――響」

囁くように名前を呼ばれ、彼女はビクリと体を震わせた。

辺りを窺う。

真が手招きしていた。

彼女も寝ていたハズだが、いつの間にかソファに座り直している。

「もしかして犯人――?」

緊張した様子で響が近づく。

真はかぶりを振った。

特に異常はない。

「眠れないのか?」

「そうじゃないよ。いや、まあ、それもちょっとはあるけどさ……」

彼女にしては珍しい歯切れの悪さに、響は首をかしげた。

「響も休んだ方がいいよ、って思ってさ」

「まだ20分くらいしか経ってないぞ?」

次は真の番なのだから今のうちに寝ておいたほうがいい、と響は元の場所に戻ろうとした。

「あれは咄嗟にああ言っただけなんだ」

だが真はそれより早く彼女の手をつかんだ。

「どういうこと? 交代で見張るんじゃなかったの?」

「ウソついちゃったことになるかな、やっぱり」

響は怪訝そうに真を見下ろす。
161 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:31:38.60 ID:7F57kQa50
「意味が分かんないぞ。なんでそんなウソついたんだ?」

「そうでもしないと春香も千早も納得しないと思ってさ。もちろんボクもだけど」

「………………?」

「誰かひとりだけソファじゃなく床で寝るなんて気分がいいもんじゃないよ。響もそうだろ?」

「うん、まあ……でも自分は本当にそれでいいと思ってたし」

「それがダメなんだって。ボクたちだって落ち着かないよ」

掴まれた手をぐいっと引っ張られ、響はそのままソファに腰をおろした。

「ちょっと狭いけど肘掛けのところを枕代わりにすれば何とかなるよ」

つまりは2人で1脚のソファを使う、ということだ。

響はじっと真を見た。

「もしかして自分に気を遣ってくれたのか?」

「……そうなる、かな」

真はすぐには答えなかった。

「なんで?」

「なんでって……響だってそうじゃないか」

「…………?」

「ボクたちに気を遣って床で寝るって言ったんじゃないの?」

「ああ――」

それはたしかにそうだ、と彼女は何度も頷いた。

「ボクも同じだよ。ボクたちは同じ事務所の仲間だしね。それに――」

「うん」

「後ろめたさも……あるし――」

「ん? なんて言ったんだ?」

「なんでもないよ!」

真はわざとらしく手を振った。

「………………」

「………………」

「帰ったら……帰ってからも大変だよね」

ソファの反対側に向かって真が言う。

「いろいろ訊かれたりしてさ……週刊誌とかにもいろいろ書かれたりして――」

「うん…………」

「やっぱりアイドル、続けられなくなるのかな?」

「どうだろうな」

「そんなこと言ってる場合じゃないもんなぁ……」

「自分は別だと思う。自分たちは被害者なんだ。それでアイドルやめなくちゃいけないなんて納得できないぞ」

「――響って、ほんと強いよね。いつも何に対しても自信満々っていうかさ」

「だって自分――」

「カンペキだからね」

「それ、自分の台詞だぞ――って」
162 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:33:46.34 ID:7F57kQa50
響はぎゅっと身を固くした。

「美希にも言ったんだよね……」

暫しの沈黙。

「自分のせいだ……あの時、自分が目を離したから、美希が――」

意を決したように彼女は言う。

その声はとてもか細く、時計の音にさえかき消されそうである。

「――響のせいじゃないよ」

否定する真の声も似たようなものだった。

「ボクたちも一緒に行動していれば犯人だって捕まえられたかもしれないのに」

「自分を責めてもしかたないぞ。悪いのは悪いヤツなんだから」

「それを言うなら響だって」

響は釈然としない様子だったが、

「そう、だな……」

やがて諦めたような調子で言った。

その後も2人は他愛のない話をして時を過ごしたが、やがて睡魔に襲われどちらからともなく眠りに落ちた。








163 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:40:27.37 ID:/9IRp8eO0
―― 3日目 ――



 2時51分。

律子はゆっくりと目を開けた。

「ん…………」

目頭を押さえる。

静かだった。

寝息が聞こえ、彼女はのっそりと顔をあげた。

テーブルを挟んだ向かい側のソファで春香が眠っている。

彼女は音を立てないように起き上がった。

その拍子に冷たい空気がわずか渦を巻く。

夏とはいえ深夜の館内は冷える。

「こんな時に……」

律子は露骨に不快そうな顔をした。

「寝る前に行っておけばよかったわ……」

テーブルにはカップがそのままになっている。

彼女はココアを飲んだ後、そのままトイレに行かずに眠ってしまっていた。

「春香……春香……」

耳元で囁きながら体を揺する。

「うぅ〜ん……やめてくださいよぅ……ぷろでゅーさーさぁん……」

「春香、お願い。起きて」

少し強めに揺すると、春香はのっそりと顔を上げた。

「ふぇ……りつこ……さん……?」

目をこすりながら彼女はぼんやりとした表情で律子を認めた。

「起こしちゃってごめんなさい。その、ちょっとお願いが――」

律子は恥ずかしそうに切り出した。
164 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:48:02.58 ID:/9IRp8eO0










春香は目を瞬かせた。

寝起きに入ってくるにしては光が強すぎるようだ。

防犯のために館内の照明は全て点けたままにしてあった。

「悪かったわね、起こしてしまって」

「いえ……大丈夫です」

生返事をする彼女はまだ半分眠っているようである。

談話室からトイレまでは近い。

南側の廊下を進めば突き当たりにあるので往復に時間はかからない。

2人は身を寄せ合うようにして廊下を歩く。

手洗い場のドアを開け、中の様子を窺う。

広い洗面所の向こうには男女別の手洗いがある。

中を確認した律子はほっと溜め息をついた。

「何かあったら大声を出して」

そう言い置いて、律子は手洗いに向かう。

「あ、はい」

ようやく目が冴えてきたのか、受け答えもしっかりしてきた。

「あれ…………? そういえば見張りは…………?」

呟いた時、背後から足音が聞こえ、彼女は振り返った。






165 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:53:43.05 ID:/9IRp8eO0
 8時27分。

「ん…………」

千早は目を覚ました。

眠気を振り払うように頭を振りながら、部屋の時計を見やる。

「8時…………?」

その視線をそのまま下にベッド代わりのソファを見やる。

雪歩が眠っている。

真白な布団が彼女の呼吸に合わせて上下している。

「みんな、起きて!」

彼女は喉の強さを披露した。

「みんなっ……!」

一番に目を覚ましたのは響だった。

「どうしたんだ、千早……大きな声出して……」

続いて真、遅れて雪歩がもぞもぞと体を動かす。

「春香と律子がいないの!」

そう言い、ソファを指差す。

「いない、って…………?」

真が飛び起きた。

2人の姿はどこにもなかった。

周囲に乱れた様子はなく、まるでふらりとどこかに立ち去ってしまったようだった。

「いったいどこに……!」

振り返った千早は雪歩を見て目を見開いた。

「は、萩原さん……! それ……!!」

ようやく体を起こした雪歩は目を瞬かせた。

しばらくして千早の視線を辿るように自分の胸元を見つめ、

「あ――!?」

小さく悲鳴を上げる。

雪歩の襟元から胸元にかけて点々と血が付着していた。

彼女はそれを払おうとした。

既に凝固していた血液は粉状になって繊維から剥がれ落ちた。

「ゆ、雪歩…………?」

響が怪訝そうに見つめる。

「わ、わたし、何も知らない! 何もしてないよっ!?」

「分かってる! 大丈夫だよ! 誰も疑ってなんかいないから!」

真が慌てた様子で駆け寄り、彼女の両肩に手を置いた。

「ね、ねえ、とりあえず貴音たちと合流しようよ」

響が言い、真と雪歩が曖昧に頷く。
166 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:58:41.24 ID:/9IRp8eO0
「ちょっと待って。交代で見張るという話はどうなったの?」

だが千早だけは首肯せず、責めるような視線を2人に向けた。

真たちは困ったように俯いた。

「じ、自分のせいなんだ!」

「我那覇さん?」

「真と交代するつもりだったんだけど、昨日はいろいろあって疲れて……それで寝ちゃったんだ」

「本当なの?」

「………………」

追及するような厳しい視線に、響は目を逸らす。

「本当だと思うよ。次はボクのハズだけど響から声をかけられなかったし」

千早は口元に手を当てて何かを考える素振りを見せた。

「あの……見張りって何の話なの……?」

雪歩は困ったように口を挟んだ。

「そういう話だったんだ。ボクたち4人で交代で見張ろうって」

あ、と雪歩は声をあげた。

「ごめんなさい、私……寝ちゃってたから……」

「雪歩は悪くないぞ。自分たちで勝手に決めたことなんだから」

それより、と響はちらりと千早を見やる。

「自分たちを疑ってたり……しないよね……?」

彼女はすぐには答えなかった。

だがしばらくして顔を上げると、

「今は疑っても仕方がないわ。水瀬さんたちのところに行きましょう」

通る声でそう言った。

4人は談話室を飛び出し、階段を駆け上がった。

「あ…………」

真美の部屋に向かう途中、彼女たちは見た。

管理人室(律子の部屋)のドアに、斜線を引くように赤い塗料で線が引かれてある。

線は取っ手を起点に下に向かって伸びていた。

千早はドアを叩いた。

「律子――」

だが返事はない。

ドアはいっこうに開く気配がない。

彼女はノブに手をかけたが、施錠されているらしくドアは開かなかった。
167 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:11:37.56 ID:/9IRp8eO0
「ねえ……」

真が赤い線を指差して震えていた。

「これ、あずささんの時と――」

同じだ、と彼女は言った。

「犯人の目印なんじゃないか……?」

「目印…………」

響の言葉に、3人は顔を見合わせた。

ドアのことも気になるがまずは伊織たちと合流するのが先だと、彼女たちは真美の部屋の前に立つ。

「真美たち、起きてる? 大変なんだ! 出てきて!」

響がドアを激しく叩いた。

しばらく待つが中からは何の反応もなかった。

「真美! 亜美! 貴音! 伊織!!」

返事は――ない。

「まさか……もう、4人とも…………?」

響が泣きそうな顔で振り返った時、

「待たせたわね」

ゆっくりとドアが開き、伊織が顔を覗かせた。

「い、伊織! みんな無事なんだよね!?」

真が飛びかかような勢いで言うと、彼女は立てた人差し指を自分の口元にあてた。

「貴音がまだ寝てるのよ。全員無事だから安心しなさい」

「そっか……良かった…………」

「それより何かあったの?」

問いに響はすぐには答えず、しばらく視線を彷徨わせたあと、

「春香と律子も……殺されたんだ……」

苦悶の表情を浮かべて言った。

その返答を聞いていた千早は訝るように響を見つめた。

「ウソ、でしょ…………!?」

大声を出しかけて伊織は慌てて口を押さえた。

「とにかく皆で一緒にいたほうがいいと思うんだ。亜美と真美はどんな感じなんだ?」

「――分かったわ。支度をしたらすぐに降りるから談話室にいてちょうだい。詳しい話はその時に聞くから」

「うん、気を付けるんだぞ」

「あんたたちもね」

伊織はドアを閉めて施錠した。

「ボクたちも談話室に行こう」

真が言うと雪歩は控えめに頷き、階段の方へ向きなおった。

4人は1階に降り、布団やクッションを壁際のソファ上にまとめた。

各々、すっかり脱力した様子でソファに座り、伊織たちが来るのを待った。
168 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:17:58.13 ID:/9IRp8eO0
「……ねえ、我那覇さん」

低く、冷たい声だった。

3人とは距離を置くように腰かけ、俯いたまま視線だけを響に向ける。

「ん、なんだ?」

「どうして春香と律子が――その……殺されたと思ったの?」

落魄した様子だった真と雪歩が、弾かれたように響に目を向けた。

当の本人は質問の意味が分からないという様子だ。

「2人はいなくなっただけよ。殺されたとは限らない。現に私は2人とも無事だと信じているわ」

「………………」

「でも我那覇さんはさっき、水瀬さんにこう言ったわ。”春香も律子も殺された”って――」

近くにいたから間違いなく聞いていた、と千早は語気を強めた。

その言葉にようやく何を言わんとしているのかを理解したように、響は視線を彷徨わせた。

「じ、自分、そんなこと言ったっけ……?」

「ええ、間違いなくそう言っていたわ」

反対に千早は彼女を凝視した。

真も雪歩も成り行きを静観し、助け舟を出すことも仲裁することもしなかった。

「たぶんあの赤い線を見ちゃったからだと思う。それで自分……そう思いこんだのかも――」

「春香は?」

「え…………?」

「律子の部屋のドアにはたしかに線が引いてあったわ。でも春香はちがう。まだ確かめていないわ」

響は何も答えない。

だがこれまでの彼女とは異なり、その目はしっかりと千早を見据えていた。




169 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:25:03.05 ID:/9IRp8eO0



「何か……あったのですか?」

伊織が施錠したすぐ後に、貴音は訝しげに問うた。

「あんた、起きてたんでしょ?」

「いえ、話し声が聞こえたものですから、それで目が覚めたのです」

「まあ、いいわ。それより――」

伊織は響から聞いたとおりに伝えた。

「まさか――」

「私も信じられないわ。あっちには律子がいたのに……それに春香まで……」

頭を押さえて彼女は深呼吸した。

「そんな状況だから合流したほうがいいって話になったのよ」

「なるほど、そういうことでしたか」

「さっき寝たばかりの貴音には悪いけど、これから談話室に集まることになってるの」

貴音は緩慢な動作で起き上がり、室内を見渡した。

「こちらには異常はないようですね」

「当然よ。私たちが見張ってたんだから」

拗ねたように言った伊織はまだ眠っていると亜美と真美を起こした。

2人はなかなか目を覚まさなかったが、強引に布団をはぎ取るようにするとようやく起き上がった。

「どしたの……?」

目をこすりながら問う亜美。

「ウソだっ! そんなのウソに決まってるよ!」

経緯を聞いた彼女は耳を被って叫んだ。

真美は何も言わなかったが、信じられないという様子で震えている。

「落ち着きなさい。とにかく合流するのよ。一緒にいたほうがいいわ」

だが亜美はかぶりを振った。

「ワガママ言うんじゃないわよ! 命が懸かってるのよ!?」

「いおりんだっていっつもワガママばっかり言ってんじゃん!」

「今はそういうこと言ってる場合じゃないでしょ!! これは――」

「……伊織」

貴音は目配せした。

「あなたが冷静にならなくてどうするのです。気持ちは分かりますが」

まずは2人を落ち着かせることが先だ、と彼女は宥めた。

「そんな余裕が……!」

「分かっています。ですが元々、私たちの心労を考えて二手に分かれたハズ。今の状態で落ち合っても――」

良いことにはならない、と彼女は言った。
170 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:33:20.80 ID:/9IRp8eO0
「じゃあどうするのよ?」

「2人とも思っている以上に憔悴しています。響たちと合流するのは得策とは思えません」

そこで今しばらくここで慰撫することを伝えに行ってくれないか、と貴音が言う。

彼女は少し考えるそぶりをしてから言った。

「それはできないわ」

「………………」

「こうなったらこの館をひとりで歩く気にはなれないもの。談話室まで近いといってもね」

「ええ、たしかに――」

「だからって”あんただけが”行くのも反対よ」

貴音は何も言わず、瞑目した。

しばらくそうした後、大息した彼女は向きなおり、

「亜美、真美、聞き分けてくださいませんか?」

恭順な態度で理解を求めた。

2人は困ったように視線を彷徨わせる。

伊織は時折り時計を見ながら様子を見守る。

やがて顔を上げたのは真美だった。

「――わかった」

彼女はそれだけ言った。

わずか空気が和らぐ。

「真美たち……みんな無事に帰れるよね……?」

貴音の手を掴んだ彼女は潤んだ瞳で問うた。

「ええ、もちろんです」

ドアノブに手をかけている伊織に向かって、貴音は優しい口調で言った。

4人は音を立てないように部屋を出た。

階段を下りたあたりで言い争う声が聞こえてきた。

「何かしら……?」

談話室のドアを開けた時、

「千早は自分を疑ってるんだな? 千早だけじゃない。真も雪歩も」

響は千早を睥睨しながら言った。
171 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:37:06.37 ID:/9IRp8eO0
「ち、ちがうよ! 響ちゃん! 私はそんなこと……!」

必死に否定する雪歩は既に涙目になっている。

「そうだよ! ボクだって響を疑ったりしないよ! きっと千早だって――」

肩越しに振り返った伊織は、貴音に2人とその場で待つように言った。

だが真美は、

「いいよ。真美たち、大丈夫だから」

凛然と言い、伊織に続いて談話室に入った。

「ちょっとちょっと。どうなってるのよ、これ?」

場を収めるように声を張る。

「あ、伊織……」

幸いとばかりに真が事情を説明する。

昨夜から今朝までに起こったこと。

それぞれがどんなことを言い、どう動いたかを辿っていく。

その間に貴音は2人をソファに座らせ、会話から遠ざけるようにした。

響を問い詰めていた千早も、伊織たちが入ってきたことで追及の手を止めている。

「なるほどね…………」

全て聞き終えた伊織は腕を組んでため息を吐いた。

「私が言えたことじゃないけど、今は疑ってる場合じゃないと思うわ」

「そう、だよね」

一番に真が同調する。

「律子と春香を捜すのが先よ。話はそれからだわ」

千早はまだ何か言いたげだったが、まずは2人を探そうということになった。

全員で動くのも効率が悪く、かといってばらばらになるのも危険ということで4人一組で捜索が始まる。

ただし膠着を避けるため伊織、千早、雪歩、真のグループと、貴音、亜美、真美、響のグループに分かれた。

亜美と真美は離れたがらず、彼女たちをうまく慰撫できるのは貴音だとしてこのような組み分けとなった。

伊織たちは1階を調べることにした。

まずは食堂がある西棟に向かう。

告発文を見ないようにして食堂、厨房と見て回るが異常はない。

美希の部屋の前に来た時、最初にそれに気付いたのは千早だった。
172 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:40:51.55 ID:/9IRp8eO0
「これは…………!」

ドアには赤い線が引かれてあった。

「昨日はなかったよね?」

「ええ……」

真の呟きに伊織は曖昧に頷いた。

「血を表しているとでもいうのかしら……」

千早が不愉快そうに言う。

ひとつ隣の春香の部屋も同様だった。

念のためにとドアノブに手をかける。

鍵は――かかっていなかった。

部屋の中は特に荒されている様子もなく、ベッドの近くにバッグが置いてあるだけだ。

春香の姿はない。

「まだそうと決まったワケじゃないわ」

落魄した様子の千早に伊織は凛然と言った。

4人はエントランスを横ぎって東棟に向かった。

浴場や脱衣所、手洗いも調べるが不審な点は見つからなかった。

「何か違いがあるのかしら……」

エントランスに戻ると、伊織があごに手を当てて呟く。

「伊織ちゃん……?」

すぐ横にいた雪歩が怪訝な顔をした。




173 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 21:41:48.35 ID:YbMCceeP0
貴音たちは2階を捜すことになった。

ほとんどは客室なので多目的室や遊戯室を中心に調べる。

「この部屋は食堂に繋がっているのですね?」

改めて確認するように貴音が問うと、響は無言で頷いた。

4人は多目的室を前にしていた。

これが正式な合宿であればミーティングやダンスレッスンに活用できただろう。

しかし今回は小旅行だ。

海で泳ぎ、砂浜で遊び、集まるには食堂や談話室があるから、わざわざここや遊戯室を用いることはなかった。

それゆえに何かを隠すに適している、と貴音は言う。

「鍵は――かかっていませんね……?」

彼女は首をかしげた。

「どうしたの、お姫ちん?」

このわずかな所作にも亜美は怯えの色を見せている。

「ええ……昨日、美希を捜す際、私と律子嬢でこの部屋に入ったのですが……その時、彼女は確かに施錠したハズ――」

ゆっくりとドアを開け、不意の襲撃に備える。

暖炉に通じる床の切れ目には不審な点はない。

この室には他に隠れられるような場所もなく、ぐるりと一周しただけで捜索は終わった。

「ねえ……律子が鍵をかけたんだったら、犯人は館中の鍵を持ってるってことになるんじゃないか……?」

響が言った。

「何者かが彼女を殺害して鍵を奪取した、ということですか?」

「うん、だって元々、鍵を管理してたのはプロデューサーと律子だし」

「……一理ありますね――ですが……」

だとすれば大事だ、と貴音は続けた。

「何者かはこの館の全ての部屋を自由に出入りできる、ということになります。立て籠もることさえ容易でしょう」

彼女は一貫して”犯人”という表現を用いなかった。

「じゃあ真美たち、どこにいても同じってこと?」

「私たちの強みは団結できることです。何者かはおそらく単独で行動しているでしょうから」

「なんで分かるの?」

「協力者がいるのであれば効率よく立ち回れるハズです。このような迂曲な手段を用いずとも――」

もっと短時間で多くの人間を殺害できただろう、と彼女は言う。
174 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 21:50:22.04 ID:YbMCceeP0
4人は遊戯室に向かった。

「ここは昨日から開いてたよ」

とは亜美。

「着いた時に真美とちょっとだけ探検してたんだ。廊下側のドアは閉まってたけど、階段側は開いてた」

言いながら彼女はおそるおそる南側のドアノブに手をかけた。

ノブは数センチ下がるが、それ以上はびくともしない。

西側に回り込む。

こちらは施錠されていなかった。

中央にはビリヤード台が置いてあった。

北側の壁にはピアノがあり、小さいながらバーカウンターも設えられている。

設備に合わせるように内装も格調高さが重んじられていて、子どもには退屈な空間である。

照明は薄暗い。

障害物となるものも多く、入り口からでは全体の半分も見通せなかった。

「春香……? 律子……?」

それぞれに呼びかけながら室内を探る。

死角が多いため、4人は慎重に歩を進めた。

テーブルの下やカウンターの裏まで見て回るが、2人の姿はない。

「2人ともどこに行っちゃったんだ……?」

響の呟きに誰も答えなかった。






175 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:00:25.09 ID:YbMCceeP0
30分ほどかけて館内を調べ尽くしたが、春香も律子もとうとう見つからなかった。

談話室に集まった8人の顔は暗い。

「春香…………」

特に千早の落魄した様は甚だしく、今にも倒れてしまいそうなほど青白い顔をしていた。

「竜宮小町は解散だ、なんて……あんたまでいなくなってどうするのよ……!」

対照的に伊織の血色は良い。

もともと勝ち気な目つきに瞋恚(しんい)の色は隠れもしない。

彼女は床の一点を睨んだまま、この場にいない律子への恨み言を呟いている。

歔欷の声が聞こえた。

雪歩だ。

小刻みに揺する肩を、真がしっかりと抑えていた。

それらを貴音は少し離れたところから見ていた。

――数分。

彼女らが落ち着きを取り戻した頃を見計らって、貴音は平素と変わらない口調で状況を説明した。

「律子嬢が施錠したハズの戸には鍵がかかっていませんでした。プロデューサーが既に手にかけられたことも考えれば――」

「………………」

「何者かはおそらく全ての鍵を持っているでしょう。こうなっては自分の部屋に閉じこもる方法も得策とは言えません」

ちらりと亜美たちを見やる。

2人は困ったように視線を彷徨わせていた。

「どうするん、ですか……?」

「死角の少ない、広い場所に集まることです。手を出すのは難くなるでしょう」

他に案は出ない。

昨夜は2つのグループに分かれたが結局、複数で固まって備える、という策を既に実行していたにすぎない。

「律子が言ってた……妖怪の仕業、かもしれないぞ……」

響がぼそりと言うと、貴音は途端に顔を顰めた。

「それはあり得ないって言ったでしょ」

「おかしいじゃないか! 自分たち、犯人の姿を一度も見てないんだぞ? 周りにはちゃんと注意してるハズなのに!」

不機嫌そうな伊織の言葉を遮るように彼女は言った。

「でも妖怪だったら説明がつくでしょ!? 妖怪だったら――」

「音声を流す。告発文を書いて壁に貼る。刃物やロープで人を殺す。鍵をかける……そんな妖怪、いると思う?」

「それは――」

「仮にいたとして、どう対処するつもりよ? 相手が人間のほうがよっぽど対策を立てやすいわよ」

早口でまくしたて、しかし理路整然とした反駁に響は言い返せない。
176 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:06:14.59 ID:YbMCceeP0
「それに……考えてる?」

「な、何をさ……?」

「あんたたちの話だとここで寝たのよね? 交代で見張るって段取りで」

「そうだけど?」

「でも響は寝てしまって、そのまま夜が明けた――そうよね?」

響は躊躇いがちに頷いた。

「で、律子と春香の姿が消えた。雪歩には誰のものかは分からないけど血がついてる」

「……! わ、私じゃないよ…………!」

「分かってる。そんなこと言うつもりはないわ。私が言いたいのはね――」

傍にあったソファの背もたれに手を置き、

「人間にしろ妖怪にしろ、そいつはあんたたちが寝ているこの部屋に入ってきたってことよ」

伊織は通る声ではっきりと言った。

雪歩が小さな悲鳴を上げると、千早は訝るような目を伊織と響に交互に向けた。

「寝てるあんたたちに気付かれずに2人を連れ出して、撹乱するためなのか雪歩の服に血を付けた……。

言ってる意味、分かるでしょ? あんたたち全員、殺されていてもおかしくないのよ?」

あっ、と真が声をあげた。

「そっか! ボクたちだって襲われてたかもしれないんだ!」

「だけどそいつはそうしなかった。理由は分からないけど、わざと4人だけを残したのよ」

挑むような目が響たちに向けられた。

「それは、どうかしら……」

静観していた千早が容喙した。

「眠っていたとはいえ、私たちは6人もいたのよ。誰にも気付かれずに……2人を連れ出すなんてできるかしら?」

「だって実際に――」

「誰かが入って来たら気配くらいするわ。それに足音や衣擦れの音だって」

千早の言い分はこうである。

音を立てずに――立てたとしても――眠っている6人に気付かれず運び出すのは容易ではない。

よほどの怪力の持ち主でない限り2人いっぺんに運ぶことなどできないから、何者かがいたとすれば少なくとも2往復したことになる。

しかし抱き上げられたり、引きずられたりすればさすがに春香たちは目を覚ますだろう。

そうさせないためには談話室で何らかの方法を用いて意識を喪失させる必要があるが当然、そうなると他の5人が気付くハズだ。

以上のように考えると、伊織の言う手順は妥当だがどこかで無理が生じてしまう、というのが彼女の意見だ。

「ならこの状況はどう説明するのよ?」

「そう、ね……」

挑むような視線を躱し、千早は少し考えてから言った。
177 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:19:47.38 ID:YbMCceeP0
「犯人はこの部屋には入って来なかったか……あるいは複数だったらどうかしら?」

複数、という言葉に反応した何人かが亜美と真美に目を向けた。

「亜美たちだと思ってるの……?」

誰も何も言わなかった。

その中で貴音だけは、

「私と伊織には分かっていますよ。同じ部屋にいたのですから」

憐れむような、穏やかな口調で言った。

「じゃあ、もうひとつの、入って来なかったっていうのは――?」

おそるおそる問うたのは響だ。

千早はそんな彼女から目を逸らすようにして、

「最初から談話室にいた、ということになるわ」

搾り出すように言う。

「ドアを閉めれば外からこの部屋の様子を見ることはできない。私たちが起きているかも知れないのに、中の様子を見るのはリスクが大きいわ。

だけど初めから中にいたのなら、寝静まった頃合いを待つのは簡単だと思う」

「つまり自分を疑ってるってことか……?」

「そうじゃないわ。でも……ごめんなさい。我那覇さんじゃないと言い切る自信がないの」

響を庇う声は上がらなかった。

雪歩は困ったように伊織を見やったが、彼女はその視線に対して小さくかぶりを振った。

「なぜそう思うのです?」

誰も口を開こうとしないのを確認して貴音が問う。

射竦めるような炯々とした眼光を叩きつける。

だが千早は動じなかった。

「美希のことがどうしても引っかかるんです。あの状況で彼女を手にかけられるのは――」

響しかいない、と彼女は言う。

その理由として、目を離したほんの数分の隙に殺されるなどありえない、という点を挙げた。

「あの時、我那覇さんを一番庇っていたのは美希だから、我那覇さんが犯人だとしたら彼女を手にかけることはないと思っていましたが」

今となってはそう思わせ、ミスリードを誘った可能性もあると千早は言った。

それに対し、響も反駁する気が失せたように俯いていた。

雪歩は懇願するような目で伊織を見た。

「響じゃないと思うわ」

観念したように伊織が言った。

それに対して瞠目したのは響ではなく千早だった。
178 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:22:45.90 ID:YbMCceeP0
「勘違いしないでよ? 私は美希のことを言ってるんだから」

「どういうことかしら?」

「美希が見つかったのは厨房の奥だったわよね。私の記憶だと、あそこは最初に真と雪歩が調べたけどその時は何もなかった――そうよね?」

「う、うん、そうだよ。間違いないよ」

真が言うと、雪歩も追従するように何度も頷いた。

「その後、再度調べて美希は見つかった。見つけたのは誰だった?」

千早は気まずそうに俯いた。

「私と春香と……我那覇さんだったわ」

貴音が胸元に手を当て、深呼吸した。

「あんたたち3人はずっと一緒に行動してたんでしょ? だったら響に美希を運ぶチャンスはないわ。できたとしたらあんたと春香が協力したことになる」

「そんな! 私たちは……!」

「でしょ? 美希を手にかけた後にどこかに隠し、あんたたちと行動しながら隠した遺体を厨房の奥に移す……そんなの不可能よ」

響はほっとしたようにため息をついた。

「だけど春香と律子の件に関しては別よ。あんたが言うように響の可能性もある」

「ね、ねえ……もうやめようよ……」

掠れた声で雪歩が言う。

「疑い合うのはよくないよ。そんなことしたって何にもならないよ……」

か細い仲裁に一同はしばし言葉を失った。

誰かを責める声は聞こえない。

だが事態を好転させようという声も出なかった。

――数分。

沈黙を破ったのは貴音だった。

「空腹を満たさなければ良い考えも浮かびません」

冗談なのか本気なのか分からない口調に、

「ほんっといいタイミングよね」

本気なのか冗談なのか分からない口調で伊織が言った。




179 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:32:29.21 ID:YbMCceeP0
 10時11分。

彼女たちは食堂にいた。

誰も告発文を見ようとはしなかった。

テーブルの上にはパンと即席のスープ、サラダだけだ。

たったそれだけの量でも雪歩や千早は半分も食べられなかった。

反対に健啖な貴音や真、響は周囲を窺いながらではあるものの全て食べきった。

「これからどうするか考えなくちゃいけないわね」

オレンジジュースを飲みながら伊織が言う。

「どこかで固まっておくしかないんじゃないか? ひとりで行動するのは危険だし」

「それでも春香と律子の件は防げなかったじゃない」

ぴしゃりと言われて響は黙り込んでしまった。

「複数で集まって……はもう意味がないわ。それ以外の方法を考えなくちゃ」

「じゃあ、みんなバラバラになるの?」

真が訝るように問う。

「まさか。それじゃ犯人に狙ってください、って言ってるようなものよ」

「じゃあどうするのさ?」

「そうね……」

伊織は顎に手を当てた。














180 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:36:49.78 ID:YbMCceeP0
 11時27分。

結局、妙案は浮かばず8人は談話室に集まることになった。

そこそこに広い、この空間。

椅子の数も充分にあるが彼女たちは既にいくつかのグループに分かれていた。

ソファで身を小さくしている雪歩とそれを支える真。

互いにずっと手を握り合い、隅で震えている亜美と真美。

千早は響を疑うような目で見、彼女はその視線を躱すように背を向けている。

伊織と貴音はそれぞれ離れたところから談話室全体を見渡すように構えた。

膠着状態が続いた。

交わされる会話は互いを気遣うか、何かを探ろうとするものばかりで言葉が続かない。

亜美も真美もゲームでもして気を紛らそうと提案しないから、談話室には動きがなかった。

「ああ、もう! こんな湿っぽい空気は耐えられないぞ!」

突然、響が立ち上がった。

その声に雪歩はびくりと体を震わせる。

「自分、ちょっと外の様子見てくる!」

言いながらドアノブに手をかける。

「………………!」

その手を掴んだのは伊織だった。

「どこに行くつもりなの?」

「ちょ、ちょっと外の様子を見に行くだけだぞ」

「――ひとりで?」

その言葉に全員の視線が響に注がれた。

彼女はばつ悪そうに俯いてから、

「付いてきてもかまわないぞ」

拗ねるように呟いた。

「どうする?」

伊織は貴音に水を向けた。

「危険です。どこに凶徒が隠れ潜んでいるか分からないのですよ?」

「でも近くを通りかかる船があるかもしれないじゃないか」

何人かが顔を上げた。

「た、たしかにそうよね……」

これには伊織も不意を突かれたように目を丸くした。
181 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:42:16.40 ID:YbMCceeP0
「迂闊だったわ。迎えが来るまでどうやって生き延びるかばかり考えてた……」

彼女の言うように通りかかる船があれば助けを求めればいい。

そうすれば明日の送迎まで怯えなくてすむ。

何もしないよりはずっといい。

名案だ、というムードが広がり、談話室の空気は少しだけ暖かくなった。

「だけどひとりはダメよ。少なくとも3人……ううん、やっぱり4人くらいでないと」

言いながら伊織は貴音に合図した。

それを受け取った彼女は短く息を吐いて、

「では私が同行いたしましょう。あとの2人は響が選んでください」

「うぇっ? た、貴音?」

「私では問題がありますか?」

「い、いや! そんなことない! そんなことないぞ! そうだなあ……じゃあ――」

響は6人の顔を順番に見回した。

「雪歩と真。どう?」

先に名前を呼ばれた雪歩は困ったように真を見た。

「ボクはかまわないよ。雪歩はどう?」

「う、うん。真ちゃんがいいなら」

メンバーは決まった。

携帯電話が通じず連絡がとれないため、外での行動は2時間以内と決まった。

2時間以上経っても館に戻ってこない場合、今度は伊織たちが4人を捜しに出ることになる。

「無茶しないでよ? 貴音がいるから大丈夫だとは思うけど」

「伊織たちこそ、気を付けてよね。自分たちが出たらすぐに鍵をかけるんだぞ」

「分かってるわよ」

それぞれに武器(モップの柄や擂粉木等)を持ち、4人は館を出た。

言い出したのは自分だからと響が先頭に立つ。






182 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 21:30:33.12 ID:NSwjao7g0
 11時51分。

陽射しはよかったが、それゆえに枝葉が地面に落とす影も濃い。

どこから犯人が飛び出してきてもいいようにと、4人は油断なく周囲を探りながら浜を目指す。

「昨日、物置を調べてた時、律子がこの辺りで何か動いたって言ってたんだ」

雪歩が小さく悲鳴を上げて真にしがみつく。

「ゆ、雪歩。あんまりくっつくとかえって危ないよ」

「で……でもぉ……」

彼女は微風に木の葉が揺れる度に身を固くした。

浜への道はまだ少し泥濘(ぬかる)んでいることもあり、一行の歩みはゆっくりしたものだった。

「お待ちを。皆、注意を怠ってはなりませんよ」

桟橋まで百メートルほどというところで貴音が言った。

「私たちが外部に助けを求めに行くことは犯人も想定しているかもしれません」

つまり待ち伏せの可能性があるという。

「なん、なんくるないさー。こっちは4人もいるし、じぶ……自分がついてるからな!」

「響……声、奮えてるよ……」

そう言う真の声調も上ずっている。

4人はこれまで以上に慎重に歩を進めた。

余分に日光を浴びているからか、浜に続く一帯の樹木は他よりも高く、青葉は蓁々と茂っている。

当然、それだけ死角も多くなるので4人は衣擦れの音にも気を遣った。

しかし不安も杞憂に終わり、一行は開豁とした白浜に出た。

ここならば見通しはよく、人が隠れられるような場所もない。

「とりあえず一安心、かな……?」

常に臨戦態勢だった真は大息した。

とはいえ油断は禁物だ。

相手は神出鬼没の大量殺人犯である。

けして気を抜くべきではない、と貴音は忠告した。

4人はひとまず桟橋のある場所へ向かう。

船が通るなら、できるだけ海に近いほうが発見されやすいだろうとの考えだ。

「ところでさ、響。どうやって合図を送るの?」

「え? あ……」

「もしかして考えてなかった?」

「いや……そんなワケないじゃないか! あ、そうだ! こうすればいいんだ!」

響は慌ててポケットからスマホを取り出し、頭上に翳した。

「ほら、こうやって太陽の光を反射させれば――」

高々と掲げたディスプレイの角度を調節していた響だったが、折角の回答も尻すぼみになる。

厚い雲がぐんぐんと押し寄せて日光を遮ってしまったからだ。
183 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:00:20.92 ID:NSwjao7g0
「花火でも持ってくればよかったね」

と言う真の苦笑は慰めにもならない。

桟橋に立った響は時々後ろを振り返りながら、茫乎(ぼんやり)と水平線を眺めた。

5分経ち、10分が経つ。

しかし船どころか海鳥の姿すら見えない。

「そう都合良くはいきませんね……」

貴音が落魄した様子で呟く。

「こうなったら泳いで港まで行って助けを呼ぶしかないかも……」

「そ、そんなの、いくら響ちゃんでも危ないよ」

雪歩に言われて彼女は腕を組んで唸った。

遠泳は大きな危険を伴う。

水棲生物には毒を持つ個体も多い。

いかに体力に自信があろうと、無事に泳ぎきれる確証はない。

「筏(いかだ)を作るのはどうかな……?」

「それも一手かもしれません」

一番に貴音に認められ雪歩は恥ずかしそうに俯いた。

「そんな道具あったっけ?」

厨房にあるような包丁では樹木は切れない。

また川や湖ならまだしも、長距離を安全に移動する筏となると製作は容易ではない。

遠泳よりもマシだが実現は難しいとして、4人はこの案を却下した。

さらに10分ほど経ったところで、他の方角も見てみようという声が誰からとなくあがる。

せっかく船があっても島の反対側にいたのでは意味がない。

いなくなった春香たちの捜索も兼ね、彼女たちは時計回りに海岸線を歩く。

「見えないね……」

船の姿はない。

渺茫(びょうぼう)として広がる海原には漁船の一艘さえ存在しない。

再び木々が生い茂る一帯にさしかかる。

林間では自分たちが茂みを踏み歩く音が僅かに遅れて響くため、4人は何度も何度も振り返った。

道はやがてなだらかな登り坂になる。

蒼い海を左手に見ながら斜面を登りきると、切り立った崖の上に出た。

「ここからでは難しいでしょう」

周辺はかなりの高地になっている。

海との境目は崖になっており、仮に船と交信ができてもここからは降りられそうにない。
184 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:08:20.52 ID:NSwjao7g0
「どうしますか? かなり時間が経っていますが……」

時計を見ると4人が館を出てから1時間以上が経過していた。

館まで戻る時間を計算すると、外にいられるのはせいぜい30分ほどだ。

それ以上となると伊織たちとの約束が守れなくなる。

「自分はもう少し船が来ることに賭けたいけど……」

と言って響はちらりと雪歩を見やった。

ここに至るまで険阻な道も多く、彼女は額に大粒の汗を浮かべていた。

「雪歩、つらそうだぞ? 大丈夫?」

「う、うん……私なら大丈夫だよ。ちょっと息が上がっちゃっただけで……」

「無理しちゃダメだよ」

真が背中をさする。

「ありがとう、真ちゃん。ごめんね、足……引っ張っちゃって……」

「――いえ、真の言うとおりです。無理をするべきではありません」

貴音は表情を変えずに言った。

「犯人の所在が分からず島からの脱出も望めない以上、私たちは自分で身を守らなければなりません。体力の消耗は避けるべきでしょう」

そう言って響を見る。

彼女はしばらく海の向こうを眺めていたが、やがて納得したように頷いた。

だがせめて一縷の望みに縋ろうと、館までの帰路はできるだけ海岸線を選ぶことになる。

坂道をゆっくり降りていくと、次第に雪歩の呼吸も整ってきた。

「――では特に物音を聞いたり、異変を感じたりということはなかったのですね?」

道中、昨夜の件について話し合う。

この中でひとり2階にいたため当時の状況を知らない貴音は、見張りをしようとしていた真、響から事情を聞いた。

「うん。こんな状況だし気が張ってたハズだから、何かあったらすぐに目を覚ますと思うんだけど……」

答える2人の歯切れは悪い。

「見張り、ちゃんとしておけばよかったな……」

呟いた響は慌てて真の顔を窺った。

すぐにばつ悪そうに目を逸らす。

「伊織も言っていましたね。2人だけでなく全員が手にかけられていた可能性もあると」

「うん――」

「しかし犯人は敢えて4人を襲わなかった。その理由は分かりませんが、誰ひとり気付かなかったとなると――」

 貴音は響を見た。

「………………」

「2人は自発的に談話室を出た、とは考えられないでしょうか?」

「………………」

響は安堵したように息を吐き出した。

「自発的、ですか?」

「ええ。なんらかの事情で自らの意思で談話室を離れた、と。そこを狙われた――という可能性もあります」

「こんな状況なのにどんな理由で? それに春香と律子は一緒に行動したの? それとも別々で?」
185 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:20:43.57 ID:NSwjao7g0
真は矢継ぎ早に質問をぶつけたが、貴音はそのどれにも答えなかった。

代わりに彼女がしたのは、

「交代で見張りをするハズが眠ってしまった――というのは本当ですか?」

新たな疑問を口にすることだった。

その目は一度、真に向けてから次に響を捉えた。

「ああ、えっと――」

響は真に助けを求めた。

「半分は本当、かな。実は――」

見張りを提案した本人として彼女は事情を説明した。

「なるほど、そういうことでしたか」

得心したように貴音が頷くと、雪歩は申し訳なさそうに縮こまった。

「――しかし、そうするとひとつの可能性が出てきますね」

彼女の目つきは俄かに鋭くなった。

その変化に気付いた響は咄嗟に余所を向いた。

「2人が自発的に談話室を出たとしたら、その後を追うのは難しくないでしょう」

「ね、寝てる間のことなんだから無理じゃないか……?」

「そうとは限りません。皆が眠っているのであれば起きている者には造作もないハズです」

「でも、あの……それだと誰かが寝たふりをしていたことになりませんか……?」

おずおずと雪歩が言う。

しばしの沈黙のあと、彼女は天を仰いだ。

「――そういうことになりますね」






186 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:30:38.92 ID:NSwjao7g0
 13時44分。

扉を開けるなり、伊織は怒っているような呆れているような目で4人を見た。

「もう少し遅かったら探しに行くところだったわよ」

言ってから彼女は所在なげに髪をいじった。

「ごめんね、伊織ちゃん。私が足手まといだったせいで……」

「ちょっと? 怪我でもしたの?」

「ううん、そうじゃないの」

というやりとりを千早はやや離れたところから見ていた。

「それでどうだったの……って訊くまでもなさそうね」

談話室に集まって情報を共有する。

といっても4人には収穫はない。

念のためにと捜索を兼ねたものの、春香も律子も見つからずだ。

一方、伊織たちには小さな変化があった。

「あんたたちが外に出てる間に千早が見つけたのよ」

彼女がテーブルに置いたのは眼鏡だった。

左側のレンズが割れ、フレームが少し歪んでいる。

「ソファの下に落ちていたわ」

あそこに、と千早が指差す。

「律子の、だよね……?」

「としか考えられないわ」

シーツの乱れ具合やソファの下に潜り込んだと思われる壊れた眼鏡。

このことから彼女たちは、ここで犯人と揉み合いになったのではないかと話し合った。

しかし、と口を挟んだのは貴音だ。

「眼鏡がこうなるほどの揉み合いならなおさら、誰も気付かないというのは不自然に思えますが……」

そしてやはり2人は自発的に移動したのではないか、という説を推す。

「この状況ですよ? どんな理由があるにせよ先に私たちを起こすと思いますけど」

千早の口調は少し怒っているようだった。

これだけ犠牲者が出ていて、迂闊な行動をするほど2人は軽率ではないと彼女は言う。

「何かよほどの事情があったのか、それとも――」

伊織は思いつめた表情でテーブル上の眼鏡を見つめた。

一同が昨夜の出来事について話し合っている間、亜美と真美はこそこそと何かを囁き合っていた。

「どうかしたの?」

それに気付いた真が問う。

2人はどちらが返すか譲り合った。
187 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:38:31.74 ID:NSwjao7g0
「はるるんと律っちゃんのことだけど……」

小競り合いの末、亜美が答える。

「ほんとに犯人のせいなのかな……」

「どういうことよ?」

挑むように訊き返したのは伊織だ。

「――伊織。亜美、お話しいただけますか?」

貴音は相手が誰であろうと慇懃に接する。

それがしばしば見当違いな発言をする年少者であっても例外はない。

「うん…………」

亜美たちの見解はこうである。

春香と律子は共犯であり、犠牲者を装って姿を隠した、

館の内外を捜しても見つからないのは、捜索の手を巧みにかい潜っているから。

そうして殺害されたと思わせる意図があるのではないか、というものだ。

「………………」

誰も何も言わなかった。

肯定することも否定することもしなかった。

互いが互いを探るような視線だけが複雑に交錯する。

「あ、あの…………」

その雰囲気に耐えかねたように雪歩が立ち上がった。

全員の視線が彼女に注がれる。

「お茶……でも淹れようかと思って……」

雪歩は困ったように俯いた。










188 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 21:57:24.60 ID:oF7vZKkI0
気分転換としては良いタイミングだった。

膠着し、さらなる疑心暗鬼に陥りそうだった彼女たちは一旦はその芽を摘まれたことになる。

厨房には伊織、真、響が同行した。

余計なことを言ったのではないか、と落ち込む亜美たちは貴音が慰撫している。

「亜美たちが言ってたこと、なんとなく分かる気がする」

湯が沸くのを待ちながら響がぼそりと呟いた。

「なんでそう思うの?」

訝るように真が訊く。

「生きてるかどうか――ハッキリ分からないのは2人だけだし……」

「それは……」

二度にわたる捜索は春香と律子が生きている前提で行なったことだ。

もちろん見つかればそれに越したことはない。

仮に遺体が見つかったとしても、確かな死として受け止めることができる。

だが亜美たちの発言により、2人が生きていた場合のほうが問題になってくる。

殺害されたワケではなく突然に姿を消し、しかも存命ということになれば――。

いよいよ彼女が言うように2人が共犯であるという説が濃厚になってくる。

「で、でもさ、そうと決まったワケじゃないよ。犯人に連れ去られたのかもしれないし……」

何か気の利いたことを言ってくれ、と訴えるように真は伊織を見た。

彼女は人数分のカップを用意したところでため息をついた。

「正直、意外だったわ。あの2人があんなこと言うなんて――」

怒っているというより憮然とした口調だ。

「あんなふうに本気で誰かを疑うようなこと、今までなかったのに」

それは仕方がない、と響が言う。

「こんな時、律子がいてくれたら……」

伊織にしては珍しい弱音を吐く。

「それは……」

響が何かを言いかけたところで湯が沸いたことを知らせるビープ音が鳴り、雪歩が火を止めた。

そして手早くお茶を淹れる。

沸騰したての湯を使うのは彼女らしくなかったが、作法など気にしていられない。

人数分のお茶を用意すると4人は談話室に戻った。

「――いえ、まずは安全を確保するほうが先でしょう」

「どこにそんな場所があるんですか? こうしている間にも……」

千早と貴音が揉めていた。

感情的になっている千早を貴音が宥めている。
189 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 22:04:25.64 ID:oF7vZKkI0
「どうしたんだ?」

響は少し離れたところで見守っている亜美たちに訊ねた。

「千早お姉ちゃんがはるるんたちを捜そうって――」

と彼女が言うように、千早は再度捜索することを強く訴えている。

生死をハッキリさせたい、というのが理由らしい。

「縋りたい気持ちは分かります。その想いは私とて同じです。しかし迂闊に行動するのは危険です」

「四条さんだってさっきまで外に出て捜していたじゃないですか」

「それは――」

事の成り行きからだ、と返す調子は弱い。

「はいはい、そこまでよ。せっかく雪歩がお茶を淹れてくれたのに冷めちゃうじゃない」

見かねた様子で伊織が割って入る。

厨房を出る際に持ってきたかき餅を、わざと音を鳴らすようにしてテーブルに置く。

「取り敢えずいただきましょ。何か食べておかないと考えもまとまらないわ」

貴音は身を乗り出した。






190 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 22:40:46.41 ID:oF7vZKkI0
 16時01分。

お茶菓子もとうに底をつき、彼女たちは談話室で時を過ごした。

今後の方針が話し合われたが、それぞれの主義主張が折り合わず殆ど何も決まっていない。

合意できたことといえば、”行動する際は最低でも2人で”、くらいのものだ。

もう一度、春香たちを捜しに行くか、という議論も決着していない。

「あと1日、なんとかすればいいんだよね……?」

そう呟く雪歩は思いつめたような表情だった。

これまでの怯えているような顔つきとはどこかちがう。

「うん……」

相槌を打った真は時計を見た。

明日の今時分にはとうに迎えの船に乗って港に着いているハズだ。

「夜はどうする?」

とは響だ。

つまり一夜を明かす場所のことである。

「やっぱり広くて見通しの良い場所のほうが安全だと思うけど……」

「昨夜のことがあるんだからそれも確実とは言えないわね」

真が言い終わらないうちに伊織が釘を刺す。

「いっそのこと浜辺にテントでも張って、そこで寝泊まりしたほうがいいんじゃないか?」

「あんたたちならそれでいいかもしれないわね」

響に対するツッコミも精細さに欠けている。

平素なら直情的に反応する響も何も言わなくなってしまった。

「な、何か言いなさいよね……」

拗ねるように伊織が呟いた時、突然に千早が立ち上がった。

「どしたの、千早お姉ちゃん……?」

「春香たちを捜したくて……どうしても気になるから」

「でも――」

「分かってるわ。でも真たちが捜したのは外でしょう? まだ館内で調べていない場所だってあるハズ」

千早は拘泥(こだわ)りゆえの頑固さはあっても、強く主張するタイプではない。

その彼女にしては珍しく捜索を断行しようという意思を見せている。

しかしそれに追従する声はあがらない。

希望に縋って危険を冒すよりも安全策をとりたいというムードが広がっていた。
191 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 22:49:58.18 ID:oF7vZKkI0
「自分が行くぞ」

響が同行に名乗りをあげた。

その反応に千早が驚く。

「我那覇さんが……?」

訝るような視線は明らかに響に対する懐疑だった。

「自分も春香と律子は無事だって信じてるし。千早もそうでしょ?」

「え、ええ……」

真っ直ぐに見つめられて彼女は曖昧に頷いた。

「では私も参りましょう」

そう言って立ち上がりかけた貴音を響は制した。

「自分と千早だけで大丈夫だぞ。捜すのも館内だけだし。貴音はここでみんなと一緒にいてよ」

「ですが――」

危ない場所に行くワケではないのだから心配はない。

外とちがって館内は動ける範囲が限られているから大丈夫だ、と響は言った。

「そこまで言うのでしたら……分かりました。ですが危険を感じたらすぐに戻って来るのですよ? もし犯人と対峙してもけして立ち向かってはなりません」

「分かってる。気を付けるから。千早、どこから調べるんだ?」

「館内をくまなく調べ回るつもりはないの……まずは春香の部屋を見ようと思って。何か手がかりがあるかもしれないから」

危険なことはしないと約束し、2人は談話室を出ていった。

「………………」

「………………」

伊織と貴音の目が合う。

「どうかしましたか?」

「あんたなら絶対に付いて行くと思ったけど」

「響が信じているように、私も響を信じておりますから」

「そう……そういえばさっき出ていく時、響は千早より後ろを歩いていたわね……」

言ってから彼女はソファにもたれて大息した。

「私たち、感覚が麻痺してるのかしら……?」

どういうことか、と雪歩が問う。

「あずさがあんなことになってやよい、プロデューサー、それに美希までもが犠牲になったわ。そのうえ今度は春香と律子が行方不明――」

「うん……」

「こんな異常事態、泣き叫んで館を飛び出してもおかしくはないわ。なのに私たちはこうして涙も流さずにじっとしてるだけ……」

「そんなこと、ないよ……」

弱々しい声がぼそりと否定する。

「悲しくないワケないから……私だって逃げ出したいくらいだもん」

「………………」

「でも島からは出られないし、わ、私たちにできることをしないと……」

つまりこうして談話室に集まり、冷静に努めることも大事だと彼女は言った。
192 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:01:45.85 ID:oF7vZKkI0
「あ、そうだ」

自身の言葉の勢いを借りるように雪歩は立ち上がる。

「ど、どうしたの急に?」

横にいた真がびくりと体を震わせた。

「あのね、携帯が繋がるかどうか試してみようと思って」

「なに言ってるのよ。みんなで試したじゃない」

伊織が呆れたように言った。

「あの時は私、携帯を部屋に置いたままでまだ試してなかったから……」

「そういえばボクのを見てたよね」

思い出したように真が言う。

「はて? 携帯電話というのはどれも同じ機能を有しているのでは?」

「ああ、えっと、機種によって性能にも差があるんだよ。ボクたちのはダメでも雪歩のなら繋がるかもしれないね」

試していない携帯がある、という空気に一同は僅かに希望を抱いた。

念のために各々、ポケットから携帯を取り出すが誰の物にもやはり”圏外”と表示されている。

「それでね、真ちゃん……ひとりで行くのは怖いから……」

ついてきて欲しい、と言い終わる前に真は立ち上がっていた。

「分かった。ちょっと言ってくるよ」

もしかしたら外と連絡がとれるかもしれないという期待に、彼女の声はわずかに弾んでいた。

「気を付けるのですよ」

忠言を送った貴音の視線は亜美たちに向けられていた。

2人は足早に談話室を出ていった。

「繋がるとよいのですが……」

貴音の呟きに伊織は小さく頷く。

「あの、さ……」

それまで黙っていた真美が口を開いた。

「真美たちも部屋に戻っていいっしょ?」

「――なぜです?」

「そのほうが安全だから」

「…………」

貴音と目が合った伊織は首を横に振った。
193 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:11:59.13 ID:oF7vZKkI0
「いいえ、2人で部屋にいるのも安全とはいえません。犯人は神出鬼没です。いつ狙われるか分からないのですよ?」

「でも、千早お姉ちゃんやゆきぴょんたちだって2人で行動してるじゃん」

館内を動き回るより部屋に閉じこもっているほうがよほど安全だ、と亜美も加勢する。

「え、ええ……」

貴音は言葉に詰まった。

「あんたたちじゃ身を守れないでしょ?」

何も言わなくなった彼女に代わって伊織が一蹴する。

「真と響が同行してるのよ。あいつらだったら逆に犯人を気絶くらいさせるかもしれないわね」

言葉とは裏腹に表情には余裕がない

状況も相俟って虚しい強がりにしかならなかった。

「じゃあなんではるるんと律っちゃんはいなくなったの?」

挑むような亜美の目が伊織を捉えた。

言外にはその真と響がいながら……という、先ほどの強がりの矛盾を突いている。

伊織はすぐには答えなかった。

ややあって、

「”だからこそ”ここにいなくちゃいけないのよ」

彼女はその矛盾を巧く利用した。

数分後。

雪歩と真が落魄した様子で戻ってきた。

「ダメだったよ……」

とは言うまでもなく、2人の顔が物語っている。

「一応ホールの電話も見たけどやっぱり切れてた……」

雪歩が今にも泣き出しそうな顔をする。

これで外部との連絡手段はなくなった。

「どうにかできないかな……」

目元を指で拭いながら雪歩が呟く。

「手紙を瓶に入れて流すとか……」

この異常事態がそうさせるのか、彼女はどうにか状況を打開できないものかと積極的に案を出す。

「瓶が拾われる前に迎えの船が来るわよ」

「そう、だよね……」

せっかくの雪歩の発案はたった2秒で撃砕された。
194 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:19:13.33 ID:oF7vZKkI0
「まあ、でも外に出ようっていうアイデアは悪くないわね。舟でも造れればいいんだけど」

「筏は無理だよ。ボクたちもそういう話はしてたんだけどね」

「そうなの? あんたが無理なら他の誰にも無理ね」

「えーっと……それ、褒めてる……?」

真はぎこちない笑みを浮かべたあと、

「外に伝える方法――あ! 島の木を燃やすっていうのはどう? それなら遠くからでも分かるんじゃないかな?」

物騒な手段を提案する。

「あ、危ないよぅ。もし燃え広がったりしたら……」

「そもそも放火は犯罪じゃないの」

「うーん、悪い手じゃないと思ったんだけどなあ……」

2人に諭されて渋々意見を引っ込める。

ただ、と伊織が顎に手を当てて言う。

「最終手段としては悪くないかもしれないわね」

「い。伊織ちゃん!?」

「犯人がうろついてるのに放火だの犯罪だの言っていられないわ」

「それはそうだけど……」

「なんなら館ごと燃やせば犯人だって隠れる場所がなくなるんだから、いやでも出てくるわよ」

真顔で言う彼女の策は、文字どおり炙り出し作戦だ。

もちろん風向きや延焼の具合によっては大きな危険を伴う。

しかも遺体の損傷も考えれば後々に面倒を残すことは必至だ。

「ねえ……」

亜美が掠れるような声で言った。

「千早お姉ちゃんたち……遅くない……?」

その一声に全員がハッとなって時計を見る。

2人が談話室を出てから既に20分ちかくが経過していた。

「まさか……!?」

もう何度も口にした言葉が誰からともなく発せられた。

「たしかに遅すぎるわ……!」

一番に立ち上がったのは伊織だ。

続いて全員が腰を上げる。

「千早ちゃん、春香ちゃんの部屋を見るって言ってたよね……?」

「行きましょう!」

貴音が立てかけてあったモップの柄を手に取った。

それぞれに武器を持ち、6人は春香の部屋に向かう。

最後尾を歩く亜美と真美は伊織たちからやや距離を置くようにしてついていく。

陽が沈みはじめ、やや薄暗くなった館内は魔物の棲み家を思わせる。

エントランスを通り抜け、廊下を曲がる。

角に何者かが潜んでいる可能性を考慮し、真と貴音が先頭に立つ。
195 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:50:38.45 ID:oF7vZKkI0
「千早……響……?」

春香の部屋の前に立ち、貴音がひかえめにドアをノックする。

返事は――ない。

「………………」

「ボクが……」

貴音に目配せし、真はドアノブに手を触れた。

鍵は開いていた。

「亜美、真美、もうちょっとこっちに来なさい」

伊織が離れた位置に立っている2人に手招きした。

「――入るよ」

「いえ、私が参りましょう」

踏み込もうとする真を制し、貴音は音を立てないようにして身をすべり込ませる。

異常は見当たらない。

昨夜、談話室で寝るためにベッドからシーツを剥がされている以外は不審な点はなかった。

荷物も手つかずのままだ。

調度品も動かした痕跡はない。

「特におかしなところはないようです」

入り口に立っている真に言ってからバスルームを調べる。

中は乾いていて水滴のひとつもついていなかった。

「ここにはいないようです」

と彼女が言うと、雪歩は安堵したように息を吐いた。

「でも、だったらどこに行ったの……?」

言いかけて伊織はあっと声を上げた。

「管理人室……律子の部屋かもしれないわ!」

6人は来た道を戻り、階段を駆け上がった。

「千早っ!?」

先頭を走る真が叫んだ。

管理人室へと続く廊下の真ん中に、千早がうつ伏せに倒れていた。

「ウソ……でしょ……?」

数秒遅れで辿り着いた雪歩はその場に頽(くずお)れた。

その後ろでは亜美と真美が互いに抱き合うようにして打ち震えている。
196 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:54:26.09 ID:oF7vZKkI0
「千早! 千早っ!」

肩を掴んで仰向けにさせ、真は何度も呼びかけた。

雪歩は慄(おのの)くばかりで行動を起こせない。

「こんな――」

伊織も似たようなものだった。

声をかけることも駆け寄ることも彼女はしない。

「千早…………?」

貴音は小さく呼びかけながら傍に跪いた。

「千早! ねえ、千早!」

真は縋りつくように両肩を掴む。

激しく揺さぶられる千早は、しかしそれでも閉じた目を開けることはなかった。

「ウソ、だよね……?」

力の入らない足を引きずるようにして雪歩が歩み寄る。

ふっと視界が暗くなり、貴音は徐に顔を上げた。

逆光に立つ雪歩は涕を流していなかった。

「ん…………」

その時、不意に千早がうめき声をあげた。

「千早っ!?」

真が反射的に顔を覗きこむ。

瞼がわずかに痙攣していた。

「生きています!」

貴音が彼女の脈をとって叫ぶ。

「生きてるん……ですか……?」

雪歩は言ってから慌てて口に手を当てた。

千早がゆっくりと目を開いた。

そして半ば夢の中にいるような表情で天井――厳密には見下ろす真と貴音の顔――をぼんやりと眺める。

「よかった……無事だったのね……」

伊織はその場にへなへなと座り込んだ。

「目立った外傷は……ないようですね」

貴音がにこりと微笑む。

だがそれも束の間、彼女の表情は再び険しくなる。
197 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:58:37.27 ID:oF7vZKkI0
「私…………?」

千早はこめかみの辺りを押さえた。

次第に寝起きのような顔がはっきりしていく。

視線を彷徨わせて慌てて振り向く。

すぐそこにあるのは管理人室だ。

「ねえ、いったい何があったの?」

真の問いに彼女は俯いた。

「よく憶えていないの……たしか我那覇さんが先に部屋に入って――何かが倒れるような音がして……」

「………………」

「それで私も急いで部屋を覗いたら、何かを顔に押し当てられたような……」

そこからの記憶はなく、目を覚ましたらこの状況だったと千早は言う。

頭を押さえながら彼女は立ち上がろうとした。

だが蹌踉(よろ)めき、バランスを崩しかけたところを雪歩が支える。

「薬か何かを嗅がされたのかもしれませんね」

貴音が管理人室のドアノブに手をかける。

だが施錠されており開けることができない。

「我那覇さんは……?」

自分を心配そうに見つめる面々を順番に見返す。

その顔が文字どおり蒼白に彩られていく。

「ここに倒れてたのはあんただけよ。それに律子の部屋に鍵がかかってるってことは――」

伊織の額に大粒の汗が浮かんだ。

「――響はどこに行ったの!?」

千早が無事であることが分かり広がった安堵感が、新たな不安感を纏って戻ってきた。

「皆は千早をお願いします」

「四条さん……?」

中央棟に向かって歩き出した彼女を千早が慌てて呼び止める。

「ボクも行くよ」

「私もよ」

真、伊織がそれに続こうとする。

「待って! 私なら大丈夫……私も我那覇さんを捜すわ」

「でも千早ちゃん、まだ……」

「ありがとう、萩原さん。本当に大丈夫だから」

千早は強がりはするも愛想笑いを浮かべることはしない。

その凛然とした目つきに押されたように、雪歩も何かを感じ取ったように頷く。

「亜美、真美、あんたたちも付いてきなさい」

伊織が肩越しに振り向いて言う。

貴音たちは鍵のかかったドアノブをひとつひとつ回しては響の名を呼んでいる。

突き当たりにある千早の部屋、その反対側にある多目的室を見て回るが響の姿はない。

突然、何を思ったか真が東棟に向かって走り出した。
198 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 00:03:05.25 ID:A1H0t0jm0
「え!? 真ちゃん! どこに行くの!?」

「ちょっと見てくるだけ! すぐに戻るから!」

「いけません! 単独行動は危険だと――」

貴音がすぐさまその後を追う。

「なにやってんのよ、あのバカ……!」

伊織も追いかけようとしたが、はたと立ち止まって振り向く。

まだ満足に動けないらしい千早と、彼女を支える雪歩。

亜美と真美は積極的に捜索に加わるでもなく、彼女たちと常に一定の距離を保っている。

「ああ、もう!」

苛立たしげに叫ぶと、彼女は反対側から千早の体を支えた。

真がそこにたどり着いた時には、既に貴音も追いついていた。

――響の部屋の前。

「ここにいると?」

「ううん、これを確かめに来たんだ」

そう言ってドアを示す。

「赤い線が引かれてない。響は無事だと思う」

「ええ、そうですね……」

足音が聞こえ、貴音がそちらを向く。

千早たちだ。

「急に走り出して何なのよ!」

口を尖らせる伊織に真はその理由を説明した。

「………………」

伊織は何の変哲もないドアをしばらく見つめてから言った。

「あの赤い線がないから響は生きてる――あんたはそう考えてるワケね」

「そう言ってるじゃないか。今までのことを考えたら――」

伊織は何か言いたそうに唇を噛んだ。

「響……?」

2人のやりとりを傍目に貴音がノックする。

中から返事はなく、ドアは施錠されていた。

念のためにと伊織の部屋も覗くが、やはり彼女の姿はなかった。










199 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:11:41.90 ID:A1H0t0jm0
彼女たちは廊下の突き当たり――物置へと続くドアの前にいた。

2階でまだ捜していないのはここだけだ。

端に武器を持った貴音が構え、真がドアを開ける。

生暖かい風が流れ出す。

犯人が潜んでいる様子はない。

「――――ッ!!」

千早がハッとなって口を手で押さえた。

見開かれた双眼がその一点を凝視する。

「千早お姉ちゃん……?」

後ろ手に亜美の手を握りながら、真美が気遣うように声をかけた。

「どうかしたの?」

気付いた伊織も問いかける。

千早の右手が操り人形のようにゆっくりと持ち上がり、正面の棚を指差す。

「あれが何か――」

貴音が訝るような目で千早を見た。

「昨日ここを調べたあと、動かした棚を戻さずに出たハズなのに……」

しかし今は元どおり真ん中にあって、奥の小部屋を隠している。

真は棚に向かってゆっくりと歩き出した。

物置部屋に漂うのはカビっぽい臭いだけではなかった。

肌にべったりと張り付くような湿気。

思わず噎せてしまいそうな塵埃。

そして――。

ここに来て彼女たちが幾度となく嗅いだ血の臭い。

埃をかぶった棚に真が手を添える。

全員が見守る中、彼女はゆっくりとそれをスライドさせる。
200 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:14:55.42 ID:A1H0t0jm0
響があった。

隠し部屋の奥で体をくの字に折り曲げて倒れていた。

何かで刺されたのであろう、腹部は赤黒く染まっている。

「ひび……き……?」

伊織が足を引きずりながら近寄る。

響の体にはいくつもの刺し傷があった。

肩にも首にも――。

抵抗した後は見られなかった。

「そんな……ウソだ…………」

真は全身から力が抜けてしまったように崩れ落ちた。

「なんでだよ……ひびき……なんで……?」

その問いに彼女は答えない。

答えられるハズがない。

「まだ決着がついてないじゃないか……泳ぎも、ビーチバレーも……ダンスだって――」

「………………」

「どっちが勝つか、って……また勝負しようって約束したじゃないか……なのに、なんでだよ…………!」

外から様子を見ていた雪歩は、ぐっと拳を握りしめて中に入る。

彼女が動いたことでその背に隠れるようにしていた亜美たちが、隠し部屋の惨状を目の当たりにする。

そして――。

「もうイヤだっ! こんなとこいたくないッッ!!」

連れ立って物置部屋を飛び出していった。

誰もその痕を追おうとはしなかった。

振り返ることも見送ることもせず。

彼女たちの視線は新たな犠牲者に注がれていた。

「どうして…………!?」

跪拝するように伊織はその場に座り込んだ。

その数秒後、全く同じ言葉を雪歩が嗚咽交じりに口にした。

「こんなことになるなら……あんなこと言うんじゃなかった……!!」

泣き崩れる伊織は悔しそうに拳を握りしめた。

「ごめんなさい、響……私は……本当はあんたを疑ったことは一度もなかったのよ――」

貴音の視線が左右に揺れる。

動かぬ響と、動き出した真との間に揺れ動く。

「今さら何を言ってるんだよ? さんざん響を犯人扱いしてたじゃないか!」

掴みかからんばかりの勢いで真が叫ぶ。

「それ……ちがうの……」

それを止めたのは雪歩だった。

「何がちがうのさ? 伊織はずっと――」

「聞いて、真ちゃん!」

震える声が狭い部屋にこだまする。

一呼吸おき、彼女は昨日、頭を冷やすと言って談話室を出ていった伊織を追いかけた時のことを話し始めた。
201 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:20:11.29 ID:A1H0t0jm0








雪歩は真美を伴って食堂に向かった。

先にいた亜美がどうにか伊織を宥めようとしている。

普段は良くも悪くもムードメーカーとなる亜美の口調も、今では空回りしかしない。

「――伊織ちゃん」

「なによ?」

やや後ろめたさの覗く勝ち気な姿勢が、説得に来た雪歩を怯ませる。

「あ、あのね……さっきのことだけど……」

「あんたも私が間違ってるって言いたいワケ?」

「え? うん、えっと――」

迫られ、彼女は助けを求めるように真美を見た。

「ね、いおりん。ひびきんがあんなことするワケないじゃん。ひびきんがウソついてたってすぐに分かるし」

「そーだよ。だいたいさ、理由がないじゃんか」

便乗するように亜美も言葉を重ねる。

しかし伊織は主張を曲げようとはしない。

3人の説得力のない説得がしばらく続き、

「亜美、真美、あんたたちは戻りなさい。律子が心配してるわよ」

苛立ちを抑えるように伊織が言った。

口調は平素の気の強さを感じさせない、事務的なものだった。

「でも……」

「伊織ちゃんとは私がちゃんと話すから。律子さんを心配させちゃだめだよ」

立ち尽くす亜美の背中を雪歩が押す。

「……分かった」

儚げな様子がそうさせるのか、2人は雪歩の言うことには強く反発しない。

時おり振り返りながら、真美の手を引いて亜美は食堂を出ていった。

言葉が飛び交っていた食堂は一転、静寂に包まれる。

自身の見解に否定的な意見を浴びせられ続けた伊織は、憮然とした様子で告発文を眺めている。

「ねえ、伊織ちゃん……」

自分の胸元に拳を押し当て、深呼吸をひとつしてから言う。

「響ちゃんは犯人なんかじゃないよ」

相手の考え方を否定するには、相手を上回る必要がある。

自信、論理、主義、時には声の大きさも必要だ。

彼女にはそのどれもが欠けていた。
202 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:27:53.12 ID:A1H0t0jm0
「分かってるわ」

だが伊織は呆れたようにため息をついて言った。

「え……?」

雪歩は目を白黒させた。

「じゃあ、どうして……?」

伊織はすぐには答えず、入り口から顔だけを出して辺りを見回した。

近くに誰もいないのを確かめてから、

「反応を見てたのよ。響が疑われることで安心してる奴がいないか、ね」

「それってどういう――」

「私たちの中に犯人がいるのは間違いないわ。だったらそいつにとって誰かが疑われるのは都合が良いハズよ」

彼女の射抜くような視線が雪歩に向けられる。

「で、でも、そのために響ちゃんが……」

「ひいてはあいつを守るためでもあるのよ」

意味が分からない、というふうに雪歩は首を傾げた。

「みんなが響を疑えば、犯人は隠れ蓑にするために響を生かしておくハズよ」

そこまで説明させるな、と伊織は長髪をかきあげた。

それでも分からない、と雪歩は疑問を口にする。

「どうして響ちゃんなの?」

彼女はまたため息をついた。

「犯人に仕立て上げるのに都合が良かったからよ。さっきの推理、なかなか説得力があったと思わない?」

雪歩は首肯しかけてやめた。

「それとあの中で一番犯人の可能性が低かったから。あいつに人を殺すなんて無理よ。隠しごとだってできないでしょうね。

この前だって亜美たちにいたずらされて泣いてたくらいだもの」

そう言って苦笑する。

「なんだかんだあいつのバカみたいな明るさに助けられたこともあるからね」

「響ちゃん、優しいもんね。同じくらい伊織ちゃんだって」

微笑む雪歩に彼女は頬を赤らめた。

拗ねたように余所を向き、髪を弄りながら、

「――私にも責任があるから」

ぼそりと呟く。

「伊織ちゃん……?」

「雪歩、分かってる?」

恥ずかしさを誤魔化すように伊織は大袈裟に振り返った。

「な、なにを……?」

「こんな話をあんたにしてるってことは、あんたが2番目に犯人の可能性が低いからよ」







203 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:39:02.90 ID:A1H0t0jm0


こういう話をした時、いつもの伊織なら顔を真っ赤にして否定するところだった。

照れ隠しに髪をかき上げ、拗ねたように腕を組み、悪態のひとつでもつくハズだ。

「…………」

彼女の目にうっすらと涙が浮かぶ。

「響…………!」

泣いていたのは真だった。

蹲(つくば)い、声を殺して、滂沱として溢れる涙を拭いもせず。

「だから、ね……真ちゃん……伊織ちゃんを責めないで――伊織ちゃんは響ちゃんを守ろうとして――」

雪歩は困ったように2人の顔を見やった。

「ほんとは……ボクには伊織を責める資格なんて、ほんとは無いんだ……」

震えた声が狭い部屋の床を叩く。

「あの時――伊織が響を犯人だって言った時……一度だけ、そうだったらいいって思ったんだ……」

この独白に真っ先に反応したのは千早だった。

彼女は何か言いたそうに口を開きかけたあと、ばつ悪そうに視線を逸らした。

「それなら見えない犯人を怖がらなくて済むし、気持ちも楽になれるから――」

精神的な逃避を図りたかった、と彼女は静かに言った。

「でも……大切な仲間を犯人にして楽になろうとする自分がイヤだった。ボクは卑怯者なんだ……」

彼女の肩にそっと手が触れた。

「人には誰しも弱さがあるものです。それを卑怯だなどと誰が責められるでしょうか」

貴音だった。

「なるほど、貴女が響を誰よりも庇っていたのは、そうした後ろめたさもあったからなのですね」

彼女は二度、小さく頷いた。

貴音は彼女の呼吸に合わせて背中をさすった。

「――伊織」

「…………」

「これが貴女の”後悔”なのですね?」

彼女はかぶりを振った。

「たしかに響を犯人扱いしたのは不本意だったわ。でも私にとっての後悔はもっと前からよ」

握りしめた両の拳は震えている。

それは何か、と貴音が口にするより先に、

「――響がここに来た理由よ」

伊織は肺の空気を全て吐き出すようにして続けた。
204 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:42:16.53 ID:A1H0t0jm0
「響はもともと合宿に参加する予定じゃなかった。家族の世話があるから3日も家を空けられないって。

だからうちで預かるって言ったのよ。うちには獣医もいるし不自由はさせないからって……」

「それは彼女のためを思っての配慮でしょう? 悔いるようなことは何も――」

「私が預かるなんて言わなければ響がこの島に来ることはなかった! 殺されずに済んだのよ!」

悔いて余りある不覚だ、と彼女は自らを詬罵(こうば)した。

慟哭も歔欷の声も、ここでは何の意味も持たない。

ひとりの死という事実は変わらず存在し続ける。

銘々がひとしきり涕泣(ていきゅう)したあと、

「このままにはできないよ……」

頃合いを見計らって真が言った。

「ええ」

貴音が力なくそれに答え、2人して亡骸を持ち上げる。

彼女の体は温かかった。

「あ……」

運んでいる最中、響の衣服から部屋の鍵が落ち、雪歩がそれを拾い上げた。

響の部屋は施錠されていたから当初、亡骸は伊織の部屋に安置するつもりだった。

念のためにと伊織と千早が武器を手にドアの前に立ち、雪歩が鍵を開ける。

室内に異常はない。

昨夜、談話室で寝るためにシーツがはがされている以外は、部屋に元々あった物を動かしている様子もなかった。

「こういうとこ、意外と几帳面よね……」

響の体をベッドに横たえ、伊織の部屋から持ってきたシーツを被せる。

短く黙祷を捧げて部屋を出る。

現状、やはり談話室にいるほうが良いと話になり、一丸となって1階に向かう。

その途中、亜美の部屋に立ち寄った。

貴音がドアをノックする。

返事はない。

「私たちは談話室におります。気分が落ち着いたら降りてきてください」

そう言い置き、彼女たちは再び談話室に集まった。






205 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:46:32.12 ID:A1H0t0jm0
 17時00分。

誰の顔も暗かった。

積極的な意見は出ない。

春香たちを捜そうという声も、犯人を見つけようと呼びかける声もあがらない。

この館には何者かがいる。

神出鬼没で、狡猾で、人を殺めることに微塵も躊躇いを感じない殺人鬼だ。

「なんでこんなことに……」

真は手を閉じたり開いたりした。

「プロデューサーが見たのは誰だったんだろう……」

「たしか律子は”犯人に心当たりがあると言われた”って言っていたわよね?」

誰にともなく問う伊織に千早が躊躇いがちに頷いた。

「あれはどういう意味なのかしら……」

「どういう意味って……?」

雪歩が引き攣った声で問う。

「プロデューサーが知っている人間って意味なのか、私たちの中にいるって意味なのか……」

もし前者なら、と伊織は続ける。

「局や事務所の関係者ってことになるかしらね。つまり私たちが知らない人の可能性もあ――」

「伊織ちゃん!」

「な、なによ……急に大きな声出して……?」

驚いた伊織は訝るような目で雪歩を見たが、彼女もまた同じような表情をしていた。

「もう。いいんじゃないかな、そういうのは……それより明日までどうするか考えたほうが――」

言ってから雪歩は他の者の反応を窺うように俯き加減で各々の顔を見た。

順番に見回すその視線が貴音のそれと交わったとき、彼女は天を仰いでため息をついた。

「――千早」

柔和で優雅な顔つきが凛々しくも険しいものに変わる。

「春香の部屋を調べたあと、貴女たちはすぐに2階に上がったのですか?」

全員の視線が貴音に注がれた。

が、雪歩だけは俯いたままだった。

「ええ、特に手がかりになるようなものは何もなかったので。なら次は律子の部屋を見てみようということになって――」

「そう持ちかけたのはどちらですか?」

「………………」

千早はすぐには答えなかった。

数秒の間をおき、搾り出すように、

「……私です」

「分かりました。では2階に上がる際に先を歩いていたのはどちらですか?」

「それも私ですけど……あの、この質問に何か……?」

ほとんど無表情で答えていた千早だったが、ここで不服そうに貴音を見返す。
206 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:53:55.54 ID:A1H0t0jm0
「ではなぜ律子の部屋に先に入ったのが響だったのですか?」

「え…………?」

それまで顔を伏していた雪歩が驚いた様子で貴音を見る。

「どういうことですか?」

そう返したのは千早だ。

「答えられませんか?」

「いいえ、我那覇さんが自発的に入ったんです。続いて私も入ろうとしたときに――」

あのようなことになった、と彼女は説明した。

「それより四条さんも答えてください。どうしてそんな質問をするんですか?」

「不自然な点を解消しておきたいからです」

彼女は間髪入れずに答えた。

「春香たちを捜したいという千早に応じたのは響です。ならば捜索は貴女が主導するハズ。響が率先して前を行くのは――」

不自然だ、と貴音が言うと、

「で、でも響の性格ならあり得るんじゃないかな? ほら、行動力あるし……」

真が言い辛そうに割って入った。

「………………」

その容喙に勢いを削がれたように貴音は黙り込んだ。

再び重苦しい沈黙が訪れる。

しかし今度は長くは続かなかった。

「そこまでなの?」

伊織が小馬鹿にしたように言った。

相手は――貴音だ。

「…………?」

「不自然な点を解消したいっていうのなら、なによりも不自然なことが残ってるじゃない」

彼女の視線は千早に向けられていた。

「後ろから響を殴るなり首を絞めるなりして気絶させて物置に運ぶ。それから事に及んで律子の部屋の前に戻り、自分も誰かに襲われたふり――やろうと思えばできなくはないわ」

「い、伊織……なに言い出すんだよ!?」

「そ、そうだよ! 千早ちゃんがそんなことするワケ……!」

揃って抗議する真と雪歩。

しかし貴音は何も言わず、疑うような目を――伊織に向けていた。
207 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 23:01:47.41 ID:A1H0t0jm0
「もし私が犯人なら顔を見られたかもしれない千早をそのままにはしないわ。響を物置の奥に運んで丁寧に仕掛けを動かす余裕なんてないハズよ」

「私が……本当にそんなことをしたと思ってるの? 四条さんも……」

千早は2人から距離をとるように退いた。

「可能性の話よ。断定はしてないわ。ただ腑に落ちないのよ」

「それは私が生きているからでしょう!?」

「そういうワケじゃ……ないわよ……」

珍しく声を張り上げた千早に威圧されたように伊織は目を逸らした。

「――分かったわ。ならこういうのはどうかしら?」

千早の挑むような目は伊織に、続いて貴音に向けられた。

「今までのように一ヵ所に固まるんじゃなくて、それぞれ自分の部屋で過ごすの。明日の朝まで」

「敢えて自分の身を危険に晒すことで犯人を呼び込もうということですか?」

「いいえ、違います。小さなグループを作って行動すると、そのグループ内に犯人がいた場合に身を守れなくなるからです」

それならいっそ全員がバラバラに部屋にこもっていたほうが安全だ、というのが彼女の意見だった。

「美希や響のことを考えると一理あるわね」

伊織がそう言うのを待っていたように、

「こんな提案をする私が犯人ではないと思うけど?」

千早は目を細めて言った。

「それならそれで順番に殺害して回れるわね」

「2人とも、落ち着こうよ! どうしてボクたちの中に犯人がいる前提で話してるのさ」

「そ、そうだよ。プロデューサーが見た人影のこともあるし……」

真が仲裁に入ると、雪歩もその勢いを借りるように言を重ねる。

「プロデューサーには心当たりがあって、でも誰かを見たってことは……私たちじゃないってことだよ……ね……?」

雪歩が同意を求めるように言ったが、頷いたのは真だけだった。

「そう思いたい気持ちは痛いほど分かりますよ、雪歩。ですが――」

小さく息を吐いてから貴音は伊織を見た。

「見間違いってこともあるわ。ううん、その可能性のほうが高いと思う」

「ど、どうして……?」

「不自然なのです」

「…………?」

「あずさの件を考えてみてください。一日目の夜、皆が眠っている時です。犯人の目的が私たち全員を殺めることにあるのなら、あの夜にそうしていたハズです」

「で、でも実際には……」

だからなのよ、と伊織が口を挟んだ。

「殺されたのはあずさだけ。きっと犯人はあずさの部屋の鍵だけを手に入れられたのよ。これってヘンだと思わない?」

「おかしくないと思うけど? ほんとは全部の部屋の鍵を手に入れようとしたけど、犯人にはできなかったってだけでしょ?」

真が呆れたように言うと、伊織はそれに対して呆れたようにため息をついた。

「あずさの部屋の鍵は入手できるのに他は無理ってどういう状況よ? ひとつ手に入れるのも全部手に入れるのも同じことじゃない」

「あずささんからこっそり奪ったかもしれないじゃないか」

「だったらその何者かと接触してるハズでしょうが。鍵は各部屋ふたつずつあって、ひとつは本人、もうひとつはキーボックスに集められてるのよ?

犯人がキーボックスを触れるなら全部取ってるわよ。でもその様子はない。じゃあ本人から手に入れるしかない。気付かれずに自然に手に入れるには――」

彼女と親しい人物しかあり得ない、と伊織は念を押すように言った。
208 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 23:11:47.55 ID:A1H0t0jm0
真は黙り込んでしまった。

雪歩もどうにか反論しようとしている様子だが言葉が出ない。

「美希や響の件についても疑いが残ります」

誰も何も言わなくなり、時機を待っていたように貴音が紡ぐ。

「どちらも2人で行動していた時です。昨日、美希を殺害できた犯人がなぜその際に響を手にかけなかったのか。今日、千早を気絶させて響だけを殺めたのは何故か――」

「えっと、つまり……?」

「さらに言えば春香と律子嬢は何処へ消えたのか? 犯人の仕業だとすれば、なぜそのような迂曲な手段を用いるのか――」

「まだあるわよ」

挑戦的な目で伊織が言う。

「やよいの件があるわ。悲鳴も上げずに犯人に背を向けていたことがね」

「それは響のときみたいにどこかで襲ってから部屋に運んで、それから背中を刺したかもしれないじゃないか」

「鍵はどうするのよ? 私たちは基本的に部屋を出る時は施錠するハズよ。まあ気絶させてからやよいの所持品を漁ればいいでしょうけど」

この程度の反駁では彼女は折れない。

「仮にどこかで襲ったとしても、動かなくなったやよいを抱えるなりして部屋まで運ぶ――なんてリスクをとると思う?」

「………………」

「………………」

「…………みんな、そう思ってるの……?」

問うたのは雪歩だった。

「私たちの中に……あんなひどいことをする人がいるって……?」

「思いたくないわよ。でもそう考えるしかないのよ」

ふらつき、後ろに倒れそうになった雪歩を真が支えた。

「いい加減にしなよ! ボクたちは仲間じゃなかったの? こんなことで壊れるような仲だったの!?」

真は顔を赤くして訴えた。

765プロは幾多の困難を乗り越えてその度に結束を強くしてきた。

互いに疑い合うのは不毛だ、と。

言葉を変え、表現を変えて伝えるが伊織たちが頷くことはなかった。

「平行線ね。これ以上は話をしても何も進まないと思うけれど?」

千早はちらりと伊織を見た。

「共に歩んだ仲間との絆も、このような惨劇の中では脆く崩れ去るのも致し方ないでしょう」

とはいえ、と貴音は憂えた表情を見せた。

「敢えて単独行動をする、という千早の案には賛成しかねます。あまりに危険です」

「でも四条さんも思っているんですよね? 私たちの中に犯人がいると」

彼女はすぐには答えず、困ったように伊織を見た。

そして、

「思いたくはありません……が、そう考えるしかありません」

皮肉っぽく言った。

「そう考えるからこそ身を寄せ合う必要もあると思うのです。互いを監視するようで気分の良い話ではありませんが――」

牽制にはなる、というのが貴音の言い分だ。
209 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 23:24:26.34 ID:A1H0t0jm0
「どっちにしても私たちだけで決めるのはどうかと思うわ。あの2人とも話し合わないと」

伊織は天井を見上げた。

「そうですね。酷なようですが2人にも今の状況を伝えておいたほうがよいでしょう」

そう言って談話室を出ようとする貴音を伊織が止めた。

「ひとりで部屋に籠もるのは賛成だけど、ひとりで出歩くのはさすがに反対よ」

つまりは同行するという意思を伝える。

千早はそのやりとりを黙って眺めていた。

やがて彼女たちが連れ立って談話室を後にすると、

「あの2人、いつも一緒にいるわね……」

訝るような目でその背中を流眄(りゅうべん)した。

「千早は伊織たちのことも疑ってるの?」

「最初に私を疑ったのは水瀬さんよ」

「それはそうだけど……」

真は気遣うような目で雪歩を見た。

彼女は何かに耐えるようにずっと俯いている。

「そう言う真も水瀬さんたちのことを信じているワケではないんでしょう?」

「そんなワケないじゃないか」

「ならどうして一緒に行かなかったの? 2人だけでは安全じゃないってことは――私と我那覇さんの件で分かってるハズなのに」

「それは…………」

「――千早ちゃんのことが心配だから」

俯いたまま雪歩が言う。

「そうしたら千早ちゃんを置いていくことになるから……」

「………………」

それには何も答えず、千早はソファに座りなおした。

時おり顔をしかめて蟀谷(こめかみ)を押さえる。

それに気付いた雪歩が声をかけようとした時、伊織たちが戻ってきた。

「あれ? 亜美と真美は?」

一緒じゃないのか、と真が訊く。

「それが――」

伊織によれば亜美の部屋は施錠されており、ノックしても声をかけても反応がなかったという。

真美の部屋も同様で返事がないので諦めて戻ってきたらしい。

「私たちに対しても疑念を抱いているのでしょう」

貴音が残念そうに言った。

「開けたら襲われるかもしれないから無視してた、ってこと?」

真の問いに彼女は渋々といった様子で頷いた。






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