相川千夏「青い麦」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/10/19(土) 22:31:21.98 ID:HME+3Lfz0



「ねえ、ずっとしたかったことがあるんだけど、いい?」




 初共演の時、何回目かの練習が終わった後だった。
 
 控え室で私は台本を読み返しながら一連の流れを改めて確認していたときに、彼女は話しかけてきた。

 いつも快活な彼女にしては、珍しく控えめな口ぶりだった。

 どうしたの? と私が聴くと、もじもじとしながら――今思えば、とてもわざとらしいのだけど――ゆっくりとした足取りで私に近づいてきた。

 多分それは、普段の私だったら無意識に身を引いて、距離をとるような近さだったのに、私はそのまま受けいれて。

 きっと、アイドルという仕事がそうさせたのだと思う。特に相手が共演者なら。



 ともかく、彼女はいとも簡単に私に近づいて、私の視界を奪っていった。



 私のかけていた眼鏡を取ったかと思うと、それを自分にかけたのだ。





SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1571491881
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/10/19(土) 22:37:16.60 ID:HME+3Lfz0


 どうやら、やりたかったこととは、それらしい。


「ねえ、どうかなどうかな〜。眼鏡似合う〜?」

「ダメよ、度付きなんだから。目、悪くなっちゃうわよ」

「えー、平気だよー? お洒落には我慢も必要だしー」

「良くないわよ」


 取り返そうとした私の手は、宙を切った。代わりに黄金色の髪が、私の指に絡まって抜けていった。

 彼女はくるりと身を翻して私の手を避けていった。


「えへへー」


 眼鏡を掛けて浮かべた子どもっぽい笑みは、今でも良く思い出せた。

 私はそれに見惚れていて、だからそばの机に気付くのが遅れてしまった。こちらを向いたまま後ろに歩いていた彼女は、その机にぶつかると、バランスを崩して転んでしまった。


「大丈夫!?」


 私が慌てて駆け寄るが、大した事はなさそうだ。尻餅をつく形になった彼女は、恥ずかしそうに笑っていた。


「ありゃー、失敗失敗」


 彼女の顔から、私は眼鏡を取り返してかけ直した。

 はっきりとした彼女の顔が目の前に現れた。

 顔を縁取るウェーブがかった長い黄金色の髪。

 健康的な小麦色の肌に、海のようなブルーアシードの瞳のコントラストは、夏の海岸線を思わせた。




 まっすぐと私の瞳を見ながら、大槻唯はまた笑顔を浮かべた。



「やっぱり、ちなったんがかけた方が似合うね、それ」



 どうかしら。私はそう答えた。



3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/10/19(土) 22:38:57.31 ID:HME+3Lfz0



 数日後、眼鏡屋の前を通りかかった私は、不意にあることを思いついた。

 店内に入ると、私はかけている眼鏡を指し示しながら、店員に尋ねた。


「これを度無しに作り替えることって、出来ますか」


 もちろん、と店員は答えた。

 それから少しして、レッスンが同じ日だった。二人っきりになったのを見計らって、その眼鏡を私はプレゼントした。


「いいの、ホントに?!」


 渡すときは不安だったけど、どうやら喜んでくれたらしい。


「ええ、似合ってたし」



 その眼鏡を嬉しそうにかける唯ちゃんの姿が、


 私には嬉しくて、奇妙だった。
 




4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/10/19(土) 22:40:28.84 ID:HME+3Lfz0


 目覚めた私を出迎えたのは、不愉快な私自身だった。

 膜が私の意識にまとわりついて、思考を鈍化させていた。膜には毒も含まれているのか、染み込むような痛みも伴って、それがますます私の回復を阻害してくる。

 一体ここがどこなのか、それすらすぐには分からなくて。


(……ああ)


 分かってしまえば、どうということはなかった。

 ここは私の寝室だった。

 淡いブルーのカーテンに木目が美しいサイドテーブル。壁際の棚にはフランスで買った花瓶に私の眼鏡が並べられている。



 身にまとわる不愉快さの原因は、お酒だった。

 二日酔いだ。



 昨日はある仕事の打ち上げがあって、そこで呑み過ぎたのだ。

 プロデューサーもついていてくれたし、つい油断してしまったか。それとも。

 そのままプロデューサーに送ってもらって、その後は。

 着替えはしていないが、化粧はちゃんと落とされていた。

 でも、眼鏡はどうしてしまったのだろうか。

 寝る時はいつもサイドテーブルに置いているのに、今は見当たらなかった。もしかしたら、途中で落としてしまったのか。

 そうだとしてもプロデューサーが一緒だったら、そのことについて一言メモでも残してくれるだろうに。

 とりあえず予備の物を使おうか。私は棚に並べてある眼鏡を見て、気づいた。


 綺麗に並べている眼鏡たちの先頭に、赤いフレームの眼鏡。いつも使っているものが、そこにあった。

 普段そこに置くことはないのに。それも酔っているせいなのか。



 その眼鏡を掛けて、私は寝室を出た。


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