白雪千夜「足りすぎている」

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200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 18:39:14.97 ID:1/ZkFkMM0
 ――――


「……お申し出をくださり、ありがとうございます」


「ですが、養子になるのは、遠慮します」

「身の程を弁えない言い草で、本当にごめんなさい……
 名字だけは、この身に残しておきたいんです」


「黒埼の性になるのが、嫌なのではありません」

「お父さんやお母さんを忘れたくない、というのもありますが……」


「約束なんです」

「私のことを覚えてほしいと……約束した子がいたから」


 ――――
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 18:42:01.35 ID:1/ZkFkMM0
 ――それが正しい記憶なのかは、分からない。
 一度は捨てて忘れ去ったものの真贋を見定めるのに、5年という歳月は私には長すぎた。

 だけど――。


「お父さん……お母さん……」

 ひょっとして、ずっと見ていたの?
 私はずっと、無視してきたのに――。

 頬を伝うものが、どこから来るものなのか分からない。
 呆けて見上げるしか無い私をまるで呆れて笑うかのように、空は次から次へ、真っ白な雪を落とし続ける。


「たった一度、遊んだだけの……見知らぬ女の子のために、私が白雪の性を守ったと……?」

 私はかぶりを振った。

「非合理的です……でも、当時の私は、子供でしたから……」


「346プロで出会った時から……アーニャはずっと、待っていました」
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 18:45:19.94 ID:1/ZkFkMM0
 アーニャさんの瞳から、とうとう涙がこぼれ落ちた。
 豊かな心を持つ彼女から、堪えきれずに地上に落ちる、温かな涙。

 私のそれと、同じものとは思えない。

「スパシーバ……出会ってくれて、ありがとう、チヨ」

「私こそ、今まですみません、アーニャさん……」
「ニェット」

 私の頬に、アーニャさんの細くて温かい手がスゥッと添えられる。

「謝らないで、チヨ。
 それに……アーニャと、呼んでください。5年前も、アーニャと、お願いしましたね?」

 私は苦笑した。
 だから、もう覚えてないのに――。

 でも、私にとってかけがえのない人からの願いを、無碍にはできない。


「はい……ありがとう、アーニャ」

「フフッ♪」


「そして……お前も、ありがとうございます」
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 18:47:24.05 ID:1/ZkFkMM0
 振り返れば、コイツがスカウトしていなければ、私達が再会することもなかった。
 一歩を踏み出した先の可能性――思わぬ所で、得難き出会いがあったのだ。

「礼にはおよびません。
 それに、まだ終わったわけではないのですから」

 ソイツはニコリと笑い、岩のような体をゆっくりと後ろに向けて私達を招いた。

「これ以上、体が冷えてはいけません。帰りましょう」

「はい」
「ダー」


 失われることの無い、ずっとこの胸に宿る大切なもの。
 支えてくれる人がいて、それを灯し続けていけるのであれば――それをもう一度、ちとせさん以外の誰かに与えることができるなら。

 アイツが注意するのも聞かず、私は足元を恐れることなく歩き出した。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 18:50:47.73 ID:1/ZkFkMM0
   * * *

「1、2、3、4、1、2、3……!」

 端っこに座り、三人のレッスンの様子をジッと見守る。
 凜さんはもとより、神谷奈緒さんと北条加蓮さんも、ニュージェネレーションズと遜色無いほどに高い水準でこなしている。
 呼吸も合っているようだ。

「うひゃあぁ……」

 隣で、大槻唯さんのため息が聞こえた。
 普段は未央さんのように奔放な彼女でも、こうして面食らうことがあるんだな。

「ゆいもアレやるんだよね? あんなに上手くできるかなぁ」
「大丈夫です」

 唯さんの手を取ると、彼女はドキッと顔を赤らめた。

「上手くいかない所があれば、皆で復習しましょう。そのために今日、私達がいます」
「ダー♪ ユイ、アズマシィ、ですね?」

 アーニャの言うことに、少し首を傾げた後、唯さんはプッと笑った。

「んもー、現役アイドルがこんな所で素人のアタシをマジに励ましてくれなくたっていいっしょー♪」


 その後、私達と一緒に大鏡の前に立った唯さんのダンスは、それまでの心配が杞憂であったことを私達に知らしめた。
 さすがは、常務に選ばれた候補生だ。
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 18:53:45.89 ID:1/ZkFkMM0
 私は、体が空く時があればクローネのレッスンに参加させてもらえるよう、アイツに調整してもらった。

 アーニャと一緒にいたいというのもあるが、単純に興味を持ったのだ。
 理想のアイドル像と、それに至る道のりについて、常務がどのように考えているのかを。

 だが結局は、ステージに立つアイドルがやることに、変わりはあまり無いらしいというのが、ここ数日ほどで得た大方の見通しだ。

 それに、プロジェクトの存続や主導権争いといった駆け引きは、結局のところ上役が勝手に行っているもの。
 現場のプロデューサーやアイドルは、プロジェクトは違えど、ファンのためにより良いものを作り上げようという意識は共有している。
 変に敵対意識を持っていたかつての自分が恥ずかしい。


「ちとせさんの様子は、最近どうですか?」

 ただ、やはり特別メニューを組んでいるあの人の置かれている状況は、なかなか伺い知ることができない。
 休憩時間中、私は皆に聞いてみた。
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 18:59:38.65 ID:1/ZkFkMM0
 最初こそ戸惑われたが、私のあの人に対する呼び方の変化も、今では皆に受け入れられてきている。
 凜さんは、少し考える素振りを見せた後、どこかとぼけるように首を捻った。

「調子は、良いんじゃないかな。
 どの程度の出来にまでなっているかは分からないけど、この前みたいに、倒れたって話は最近聞かないし」
「志希のお薬が効いてるんじゃない? 奈緒も試しにちょっともらってきてみたら?」
「あ、あたしはいいよ! ていうか、ドーピングとかになんないヤツだろうなそれ!?」
「アー……美味しいから大丈夫、ですね?」
「アーニャがボケに回るな!!」

 皆で笑い合う。
 この間は、お泊まり会をした時の奏さんが、寝ぼけて文香さんの歯ブラシを鼻の穴に突っ込んだという話を、周子さんが嬉々として話したのを聞いた。
 顔を真っ赤にして怒る奏さんの普段とのギャップが楽しくて、やはり笑ってしまったものだ。

 愉快な人達が多い所だなと、改めて気づかされる。


「ただ、未だに不思議なんだよね」

 ひとしきり笑った後、加蓮さんが少し空気を変えた。

「何が?」
「いや、美城常務の話。何で常務、ちとせさんを特別扱いしたのかなって」
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:02:23.14 ID:1/ZkFkMM0
 そう言った後、慌てて手を振った。

「あ、いや、別に僻みとか羨ましいとか、そういうのじゃないよ?
 私もずっと応援してるし、むしろ今ではちとせさん以外考えられないし。
 とてもじゃないけど、私じゃ務まらないことを、弱音も吐かずにこれまでやり続けているの、すごいよ。でも」

「加蓮の言うこと、分かるよ」

 凜さんがペットボトルの水を一口飲んで、小さく頷いた。

「あんまりそういうの、気にしたくないんだけどさ……
 新人が、すごく偉い人の曲を鳴り物入りで歌うのって、やっぱりファンの人達の反感も買うんでしょ?」
「それでコケたりしようもんなら、ケチョンケチョンに叩かれちゃうもんねぇ。
 常務ちゃん、ひょっとしてその辺分かってないのかなぁ?」
「いや、分からない訳はないんじゃないか? 業界のプロなんだし」
「うーん……」
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:06:40.21 ID:1/ZkFkMM0
 皆の言う通りだと思う。

 ランクという言葉があるように、アイドルには格というものがある。
 常務は、イメージが崩れると言って許さなかったが、オーバーランクの曲を歌うなら、相応の格を有するアイドルが担うのが自然だ。
 346プロで言えば、トップクラスの実力派として名高い高垣楓さんか、LiPPSのエースたるカリスマギャルこと城ヶ崎美嘉さん。
 その方が、話題性だって抜群のはずだ。

 それに、新人が迂闊に手を出して、そのイメージを崩すようなステージを見せた場合、そのバッシングも相当なものになるだろう。
 ともすれば、346プロのゴリ押しであると、ちとせさんが矢面に立たされてこき下ろされるのも、決して非現実的な話ではない。

 常務は明らかに、ちとせさんにこだわっている。
 しかし、それが何なのかは分からない。

 ちとせさん自身は、分かっているのだろうか?


「失礼致します」

 そろそろ休憩が終わろうかという時、アイツがレッスンルームに入ってきた。

「白雪さん。フェスのことで、相談したいことがあるのですが、事務室までよろしいでしょうか?」

 アイツの用件について、私は合点し、立ち上がった。

「分かりました。すぐに向かいます」
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:18:29.77 ID:1/ZkFkMM0
 シャワーを浴びて、着替えて事務室に行くと、アイツは応接スペースのテーブルの上に資料を広げて待っていた。
 脇には、サンプルを流すためと思われるノートパソコンも置いてある。

「白雪さんの新曲の候補を、三曲ほど絞ってまいりました。
 どれが良いのか、白雪さんに決めていただきたいと思ったもので」

 やはり、予想していた通りだった。
 だが、三曲も用意されるとは。

「選べと言われても、私には分かりません。お前のイメージに任せます」
「いえ、白雪さんが決めるべきだと考えます」
「え?」

 コイツにしては随分と踏み切った言い方に、一瞬戸惑う。

「今度のフェスに、白雪さんにも思うところがあろうかと思います。
 その思いの丈を込める曲は、実際にステージに立つあなたの意見を無視して決めることはできません」
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:21:18.12 ID:1/ZkFkMM0
「分かりました。しかし、確認したいことがあります」

 コイツの言うとおり、今度のフェスは、私にとってまず忘れられない大一番になるだろう。
 そして、単なる思い出作りのために臨むものでもない。

「予め断っておきますが、私が歌うのは、シンデレラプロジェクトの存続のためではありません。
 お前は私に、ステージを私物化しろと言っているのですか?」

 過去に自分の担当アイドルを潰したコイツは、エゴを悪徳と捉えている。
 私が思いの丈を込めて、好き勝手に曲を解釈して歌うのは、エゴには当たらないのか?


「それで良いステージができるのなら」

 定規は真っ直ぐに答えた。
「そして、あなたの笑顔が見れるのなら、それは決して無価値にはなり得ないと考えます」

「ではもう一つ」
 私は小さく息を吐いた。

「お前は以前、私をスカウトした理由を、笑顔だと言いました。
 今も笑顔と口にしましたね。
 一体どういう意味なのか、教えてください」
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:24:03.68 ID:1/ZkFkMM0
 少しの間が置かれた後、岩のような顔が少し柔らかくなった気がした。 

「スカウトの際、あなたの笑顔を咲かせてほしいと、とある方にお願いをされました」
「ちとせさんが?」

 あっさり見破られてバツが悪かったのか、首の後ろを掻いたのち、ソイツは続ける。

「私は、アイドルの本質は笑顔にあると考えています。
 そして、私はあなたの笑顔が見たいと思いました」


「……それだけの理由で、私を?」
「それさえあれば、私には十分です」


 ――まったく。

「馬鹿ですね、お前は。アイドル馬鹿です。ばーか」

 薄々勘づいていた事ではあったが、どうやらコイツは本物らしい。
 鼻で笑い、資料とヘッドホンを手に取った。

「曲は、この資料の順ですか? お願いします」
「はい」
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:26:06.96 ID:1/ZkFkMM0
 ――――。


「……“Dear boy”」

 三曲目を聴き終えて、私の目が歌詞カードに記されたとあるフレーズに留まった。

「何か?」
「いえ」

 綺麗な曲だと思った。


「念のため聞きますが、これらの曲は私をイメージして作られたものではない、という理解で良いですね?」
「はい。いずれも既に作られていたものの、歌うものがおらず、残されたままだった曲になります」

 この曲が、どのような趣旨で作られたものかは分からない。
 だが、もし私物化が許されるのなら――勝手な解釈を乗せて歌って良いのなら。

 私はこれを、アーニャのために歌いたいと思った。


「この曲にします」
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:31:37.91 ID:1/ZkFkMM0
 これはバラードだ。
 振付もある程度考案されているにせよ、ダンサブルに仕上がるとは思えない。

 つまり、ちとせさんの『アクセルレーション』に、真っ向から張り合うような曲ではないと言える。
 おそらくキーとなるのは、ほぼ純粋な私のボーカル力だけになるな。

「分かりました」

 でも、これで良かったのだろう。
 まるで私とアーニャのためにあるという第一印象に任せたこの判断は、大事にしたい。


「フェス本番まで、時間がありません。
 白雪さんには、これから当日まで、すべての仕事の依頼を断り、この曲の習得に向けて猛レッスンを積んでいただきます」

「当たり前です」

 今さら隠し球気取りでもあるまいが、ソイツと相談し、本番当日まで一切の宣伝活動も行わないことに決めた。

 大切な人のために、下手なものは見せられない。
 それがお前の仕事だ。私の魔法使い。
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 19:33:41.55 ID:1/ZkFkMM0
21時頃まで席を外します。
残りはあと3割弱ほどで、2時頃までに完結できればと考えています。
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:05:58.00 ID:1/ZkFkMM0
   * * *

「ンー! カナコちゃんのクッキー、すーっごく美味しいよー。
 アタシの作ったフォンダンショコラもどうぞ召しませしるぶぷれ〜♪」

 シンデレラプロジェクトの事務室で急遽始まったお茶会で、フレデリカさんが皆にケーキを配っている。
 急遽と言ったのは、文字通り彼女の思いつきだったからだ。

「千夜の紅茶、初めて飲んだけれど……これは病みつきになりそうね」
「本当に、普通のお店で売ってるようなお茶っ葉なの?」
「取り立てて、威張れるほどのことはしていません」

 奏さんと智絵里さんにも、私の紅茶を楽しんでもらえているようだ。

 フレデリカさんに聞いたが、志希さんはどこかへ失踪しているとのこと。
 誰も心配していないのは、信頼の裏返しか、それとも――。

「ひょっとして、志希ちゃんを探しに行くのが面倒とかじゃない、よね?」
「あの人にマトモに付き合うだけ無駄ですっ」

 かな子さんの慮ったツッコミに、ありすさんが鼻を鳴らして首肯すると、皆も笑った。
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:07:25.46 ID:1/ZkFkMM0
 本番まで、あと一週間と少し。
 最後の追い込みは、とかく事務所内にピリピリとした空気が漂いがちだ。
 まして、シンデレラプロジェクトとプロジェクトクローネは、一応のライバル同士。

 フレデリカさんがこのような場を設けてくれたのは、思いつきであったにせよ、何かしら温かな意図があったのだろう。
 そして、ほとんど全員がこれに参加している辺り、皆もその意志に賛同しているのは疑いようがない。

 来ていないのは、失踪癖のある志希さん。そして――ちとせさん。

「慈悲無き求道は、未だ終わりが見えないのか……?」

 蘭子さんが心配そうに私に声をかけた。
 相変わらず言っている意味はよく分からないが、ちとせさんを指してのことだろう。

「ちとせさんなら、ご心配には及ばないかと思われます」
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:10:49.70 ID:1/ZkFkMM0
 誰かと思ったら、文香さんだった。
 ソファーに佇み、紅茶のカップを両手で持って優美に微笑んでいる。

「先日、誤ってレッスンを拝見したことがありましたが……トレーナーの玲音さんと、とても楽しそうに勤しんでおられました。
 私に気がつくと、お二人とも気軽に中にお招きいただくどころか、出来を見て欲しいと、ちとせさんのダンスを見せてもくださり…」
「ちょ、ちょっとちょっと!
 ふーみんサラッと何言ってんの、めっちゃオイシイ思いしてんじゃん一人で!!」

 未央さんのツッコミはもっともだった。皆が一斉に身を寄せる。

「す、すみません……ですが、ダンスはその……私のような若輩者が、軽々しく評して良いものとは思えませんが、その…」
「いーから言って!」
「は、はい!
 えぇと……すごく、素敵でした。私には、玲音さんとの違いが、分からないくらい……それに、気力も充実されていて、とても楽しみかと」


「チヨ、聞きましたか?」
「はい」

 良かった――無事にあの人は、万全の状態でステージに臨むのだ。
 それが何よりも嬉しいし、ありがたい。
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:14:29.72 ID:1/ZkFkMM0
「玲音さんねー、ゆいもこないだちょこっとだけ話したけどチョーいい人だったよ!」
「えっ、唯ちゃん話したの!? それアタシも呼んでよ、いいなぁ!」
「お姉ちゃんも話したことないんだ?」
「当たり前でしょ! ずーっと雲の上の人なんだから」
「あ、そういやあたしも「実家の和菓子ですー」って差し入れに行ったけどめっちゃ面白い人だったよ玲音さん」
「周子ちゃん、だから呼んでってそれー!!」

 私は会ったことがなかったが、高い身分にいながら随分と気さくな方らしい。
 ちとせさんと馬が合うのも頷ける。

「今からスタジオ棟に行けば会えるんじゃない?」


 杏さんがしれっと呟いた一言に、部屋の空気が一斉にザワつくのが見てとれた。

「今もやってんでしょ? どこのレッスンルームか知らないけど、あっ」

 言い終わるのを待たず、事務室を飛び出したのは加蓮さんだった。
「あっ、おい!」
 次いで奈緒さんと、他の皆もゾロゾロと出て行ってしまう。


 ――まさか、美波さんや奏さんまで一目散に駆け出していくとは思わなかった。
 自分達もアイドルのくせに、揃いも揃ってミーハーな人達だな。
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:23:31.66 ID:1/ZkFkMM0
「千夜は行かないの?」

 杏さんがお決まりのソファーから身じろぎもせず、テーブルの上に残ったお菓子におざなりに手を伸ばす。
 きらりさんがそれを、彼女の方に引き寄せてあげた。

「一番様子を見に行きたいのは、千夜だろうと思ったけど」

「私が一切の露出を控えているのと同様に、あの人のことも、当日の楽しみとして取っておきたいのです」


 今でも、あの人は私の部屋にお茶を飲みに来てくれる。
 ただ、それは取るに足らない世間話に留まり、かつての定期報告のような、アイドルの話をするものではない。

 お互い何となく、そっちの話に触れないように気を遣い合うという、奇妙な友情のようなものが続いている。
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:24:44.96 ID:1/ZkFkMM0
「あーそれ杏が一番分かんないヤツだ」
「あなたに理解してもらいたいとは言っていません」
「知ってるよ」

 同じく部屋に残ったアーニャの、クスッと笑う声が隣で聞こえる。

「辞める相談なんて受けなきゃ良かった。杏としては、あの時間を返してほしいよね」
「生憎ですが、それは無理な相談です。その代わり」

 私は踵を返し、部屋の出口へと向かった。

「あなたにも、見れて良かったと納得してもらえるものにしたいと思っています。
 一応、お世話にはなりましたから」


「……あっ、そう」

 彼女が照れ臭そうに鼻を掻いて、追い出すように手を振るのを見届けてから、私はアーニャと事務室を出た。
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:27:59.00 ID:1/ZkFkMM0
「李衣菜チャン! 出口の方を抑えといて!」
「えぇっ!? で、でも出口あっちとこっち二つあるけど!?」
「凜ちゃん、あっちの出口をお願い! 卯月ちゃんは私達と手分けして下の階から当たりましょう!」
「はい! 頑張りますっ!」


 夜も遅くなってきているのに、20人以上もの現役アイドル達がドタドタと事務所内を走り回る光景は、実にシュールだ。
 それがトップアイドルを探すためだというのだから、全くもって度し難い。

 彼女達を一瞥し、私は寮へと足を進めた。


「チヨ……チトセに会いに行かなくて、良いのですか?」
 アーニャが心配そうに尋ねる。

「先ほど、杏さんに答えたとおりです。
 特に意味を成さないことなのかも知れませんが……これは、私のけじめです」

「ケジメ……アー……」

 言葉を探すときの彼女の相槌が聞こえた。
 しまったな、これは少し説明するのが面倒な言葉だ。
 そう思っていると――。

「会えない時間が愛を育てる、ですね?」

 予想外の角度から放り込まれた言葉に、ドキッとしてしまった。
 意味を知ってか知らずか、当人は横からヒョイと身を乗り出し、あどけない笑顔を私に振りまいてくる。
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:34:22.90 ID:1/ZkFkMM0
「……まぁ、そういう事でもいいです」
「ウラー♪」

 まったく、彼女の相手は楽しいものの、たまの不意打ちが心臓に悪い。
 知れず嘆息しながら、事務所を出ようとした時だった。


「んー? あれ、千夜ちゃんお茶会もう終わっちゃった?」


 横から声を掛けられ、振り向くと志希さんがペタペタとこちらに歩いてくるのが見える。

「残念ですが、終わりました。
 いや……杏さんときらりさんがまだ事務室にいれば、余り物を嗜む余地はあるかも知れません」
「にゃははー、そっかそっか、じゃあ福を摂取しに行こうかなー。この国の諺だとそう言うんでしょ?」

 どこに行っていたのか、志希さんは普段通りにだらしなく着崩した制服姿に、ボロボロに泥や葉っぱが付いたコートを羽織っていた。
 よく見ると、髪もいつもより少しボサボサだ。

「レッスン室の匂い嗅いでからシャワー浴びて帰ろうかなーって思ってたんだー。寮のお風呂って狭いし」
「……レッスン室の匂いを嗅ぐ意味は?」
「え、イイ匂いするでしょ? 行為の最中ならなおベター」
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:39:40.57 ID:1/ZkFkMM0
 いつも相手への配慮を欠かさないアーニャも、怪訝そうに首を傾げている。
 この人に匂いフェチなる嗜好があることは知っていたが、つくづく理解できない領域だ。

 ただ、この人は今、出入口ではなく、1階の廊下から歩いてきて私達に声を掛けてきた。
 彼女の歩いてきた先には、回遊して外に出入りできる扉はあるが、普段は通用されていない。

「もう、お目当ての匂いは摂取できたのですか?」

 私が尋ねると、彼女は猫のような鳴き声をもって肯定した。

「と言っても、もうレッスンは終わってたんだけどね。
 ちとせちゃんと常務が何か話をして帰るところ。邪魔しちゃ悪いと思ったから、隠れて観察してたよー♪」

 ――!
 ちとせさんと常務の話、か――。

「にゃっはっは、千夜ちゃんすっごいキョーミ津々」
「! ……無理にお話いただかなくとも結構です」
「じゃー、あたし的に無理じゃないから話してあげるね♪
 安心してよ、千夜ちゃんが気にするようなデリケートな内容は無いから。どんとまいんど、ていくいっといーじー」

 この人は帰国子女で、ちとせさんやアーニャと同じくらい英語が堪能だ。
 しかし、人をおちょくる時はわざと雑な英語を話すことを、私は知っている。
 どうせこの先に話す内容もくだらないのだから、付き合うだけ無駄なのだが、不和を残すのも面倒だ。

 適当に聞き流して帰ろう。そう思っていた。


「ちとせちゃんと常務がね、抱き合ってたよ♡」
224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:41:49.55 ID:1/ZkFkMM0
「!!? だっ!?」
 肺の中の空気が一気に押し出され、地上に打ち上げられた魚のように呼吸の仕方を忘れてむせてしまう。

「チヨ、大丈夫ですか!?」
「にゃははー、反応しすぎー♪ お別れの挨拶代わりにハグくらい、ルーマニアでも普通でしょー?」

 な、何がデリケートな内容は無いだ。
 それに、今のは明らかに思わせぶりな言い方だった。


 で、でも――冷静に考えて、それでも違和感が拭えないことに気づく。

「ちとせさんと美城常務が……ハグ? どうしてですか?」

「あの二人が親しい人同士なら、別にヘンでもないんじゃないかにゃ?
 何で親しいかと聞かれたらあたしにも分かんないけど、ちとせちゃん、常務の胸に顔をギューッて埋めて、すごく幸せそうだったなー」
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:44:44.55 ID:1/ZkFkMM0
 あの人が、誰かに甘えるなどと――。
 強いて、おじさまにはそういう態度を取る時も頻繁にあったが、いくら奔放とはいえ、赤の他人にそこまで心を開くとは思わなかった。

「常務も優しそうに腕を回してて、これちょっとイメージ崩れちゃわない?って心配になっちゃったけど、止めるのもヤボだしねー。
 何ていうか、ラブを育むっていうより、うーん、たぶんあたしにはよく分かんない領域だけど……」

 悩ましげに人差し指を口元にあてて唸って見せたのち、それをピンッと天に指してみせる。

「例えるなら、子どもが親に甘えて、親が子どもを慈しんでー、ていう匂い?
 この事務所に来て以来、初めての事例だったから、あとでちとせちゃんには具にヒアリングしてレポっとかないとねー♪
 あ、じゃああたしシャワー浴びてくるけど、もし会いたいなら、ちとせちゃんか常務ならそこを歩いてった先にいると思うよ?」

 そう言い捨てて「じゃあねー」と手を振り、志希さんはペタペタと奥へ歩いて行った。
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:47:23.89 ID:1/ZkFkMM0
 志希さんは、度が過ぎた冗談は言うが、嘘はつかない人だと認識している。
 しかし、果たして額面通りに受け取って良いものかどうか――。

「チヨ」
「何でしょう」

 握り拳を顎に当てて思案していると、アーニャがニコリと笑った。

「アーニャは、用事を思い出しました。先に寮、帰っていますね?」
「? ……はぁ」

 私が了解するのも待たず、彼女はそそくさと足早に私の下を離れていってしまった。


 一体何だというのだろう。
 あんな一方的な態度は、アーニャらしくない。

 ひょっとして、私に気を遣ったのか?
 ちとせさんと二人きりで話をする機会を、彼女は演出したつもりなのかも知れない。
 だが、さっきも言ったとおり、私は当日までちとせさんとは――。


 いや――常務と話をしてこい、という意味か。
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:49:23.77 ID:1/ZkFkMM0
 とはいえ、私はあの人に良い印象を持っていない。
 医務室で初めて対峙して以来、何も話をする機会が無かった。

 良い印象を持っていないのは、向こうも同じか。
 いや、そもそも私のことなど歯牙にも掛けていないだろうな。
 せいぜい、ちとせさんのオマケだろう。


 そんな人を相手に、何をどう切り出せば良いというのか。
 単刀直入に、「ちとせさんはあなたにとって何なのか」をぶつけるくらいしか――。

「むっ」
「ん?」


 あれこれ思案をしながら、気づくと志希さんの言っていた方へ歩みを進めていたらしい。
 あの時と同じスーツを身に纏い、向こうからカツカツと靴音を鳴らしてこちらに歩いてきた美城常務が、私の前で止まった。


「…………」
「……私に何か用か」
「いえ、特には」
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:51:58.98 ID:1/ZkFkMM0
「黒埼ちとせなら、先ほど既に寮に戻った」

 その場をどこうとしない私にため息をつき、彼女は私の脇を通り過ぎようとする。

「アイドルは身体が資本だ。
 無用な夜更かしなどせず、君も真っ直ぐ帰りなさい」
「お嬢様の」

 言いかけて、口をつぐんだ。常務の足がピタリと止まる。

「ちとせさんの仕上がりは、順調ですか?」



「……あの子は、君の話ばかりする」


 しばしの沈黙の後、常務は振り返り、腕時計に目をやりながら私に問いかけた。

「君に用があるのを思い出した。夜分にすまないが、少し時間をくれないか?」
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 21:54:54.04 ID:1/ZkFkMM0
 連れられた場所は、事務所棟の上層にある常務の部屋だった。
 シンデレラプロジェクトの事務室にあるそれとは比べものにならないほど、フカフカの椅子に座らされている。

 ほどなくして、常務が二人分のカップを持ってこちらに戻ってきた。

「コーヒーしかなくてすまない。君は紅茶が好きだと聞いている」
「紅茶の方が、淹れるのが得意というだけの話です。
 飲むものについては、飲めれば何でも。どうぞお構いなく」
「そうか」

 常務が直々に淹れてきたのか。
 彼女のような大企業の上役でも、自分でコーヒーを淹れることがあるのだな、などと勝手に感心している。

「本題に入ろう」

 自分のカップにも、私がカップに口をつけるのも待たずして、彼女は切り出した。
 せっかちな人だな。


「君は黒埼ちとせに、どのような魔法をかけたのだ?」
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:00:41.65 ID:1/ZkFkMM0
「は?」

 目が点になり、間抜けな返事が零れる。
 常務という上席を前に失礼は承知の上だが、彼女の指す意味がまるで分からない。

 私の向かいに座る常務は、瀟洒に組んだ脚の上で腕組みをしている。

「サマーフェスの映像を見させてもらった。
 私の見たところでは、君のステージは取り立てて光るものがあったとは思えない。
 あれが初ステージであった事を鑑みても、細かいミスが目立つし、つまずいたところを渋谷凜に助けられたシーンもあった。
 私がイメージするスター性を持つアイドルとは、乖離した領域にあると言わざるを得ない」

「……それが何か?」

 いきなり呼び出した相手に対して、開口一番にダメ出しか。
 知らずムッとしてしまう。

「ハッキリ言わせてもらうが、今の黒埼ちとせのパフォーマンスは、君のあの時のレベルより遙かに上だ。
 だのに、あの子は今も君のステージを目標として見定め、それに肩を並べる事をモチベーションにしている。
 あの子がそこまで盲目的で分別がない人間とは、私には思えない」
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:06:28.18 ID:1/ZkFkMM0
「あの人に何をしたと言われても、私にお答えできることなどありません」

 コーヒーを一口飲んでみると、思った以上に苦くて軽くむせそうになった。
 しかし、「何でもいい」と言った手前、砂糖とミルクに手を出すのは気が引ける。

 先ほどの言われようと、口の中に粘つく苦みに対するイライラが重なり、つい喧嘩腰になってしまう。

「あなたこそ、なぜちとせさんをあんなにも重用したのでしょう?
 誰もに勝る美貌こそあれ、あの人は並みの体力も持ち合わせておらず、レッスンは難航を極めたはずです。
 この事務所のトップアイドルではなく、フェスの失敗というリスクを背負ってでも、新人であるあの人を抜擢した理由は何ですか?」


 ――途端に、常務は押し黙り、視線を外して虚空を見つめた。

「常務……何か?」

「事務所内でも、反発はあった」

 カップを手に取り、一口啜る。
 その仕草に、私は強烈な既視感を覚えた。

 カップを持つ右手の手首を、軽く握った左手の上に乗せる、特徴的な持ち方――。
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:18:04.32 ID:1/ZkFkMM0
「彼らの指摘はもっともだった。
 高垣楓など、実績も話題性もあるアイドルを起用した方が一定のクオリティを担保できるし、宣伝効果も高い。
 反対に、鳴り物入りで起用した新人が大舞台でし損じるようなことがあれば、我が社はボロボロに叩かれるだろう」
 
「それが分かっていながら、なぜ?」

「海外の346グループの支社で仕事をしていた時、玲音と知り合った」


 カップを置いて、常務席の奥にある窓の向こうに広がる街の灯りを見つめる。

「経営者として経験と実績を積んできて、自分なりに要領を掴んできた頃のことだ。
 他社に所属していながら、フィールドを選ばず自由に活動していたオーバーランクを、何としてもイベントに呼びたいと思った私は、出会ったその日に会社に招き入れ、商談を持ちかけた。
 提示した額は、私が考える相場の50倍は下らないものだ。
 どれだけコストがかかろうと、それを補って余りあるリターンを必ず彼女はもたらすはずだと考えた」

 フッ、と常務が笑った。
 この人の口角が上がったのを初めて見た。

「観客と楽しむことができるステージを用意してもらえるならそれでいい……彼女はそう言った。
 つまり、ノーギャラだ」
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:21:37.59 ID:1/ZkFkMM0
「何も、無かったのですか?」
「正確に言えば、彼女に支払うべきだったギャラを、芸能分野の卵を育成する基金に寄付してくれと言われた。
 彼女は、自分がノーギャラだと世間に知られた時の業界に与えるハレーションも、よく理解していたのだろう」

 映画か小説、あるいはジョークにでもあるような話だ。
 本当にそんなことを言う人がいるなんて、とてもじゃないが信じられない。

「彼女は自分の地位や名声に少しも興味を持っていない。
 頭の中にあるのは、観客と楽しむことだけ。
 そんな人間がトップとして君臨する現実は、私にとって自身のアイドル人生を粉々に否定されるに等しかった」


「……アイドル人生?」

 聞き返すと、常務はこちらに目を合わせないまま、小さく舌を打った。
 “アイドル観”の聞き間違いかと思ったが、どうやら間違いではなかったらしい。


「私も、初めから捻くれているわけではなかったさ」
234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:26:28.07 ID:1/ZkFkMM0
 どこかバツが悪そうにかぶりを振り、常務は言葉を続けていく。

「自慢するものではないが、努力は人一倍だった。
 だが、“好き”だけで戦えるフィールドではないと、ある時思い知らされた。
 反発していた父のもとに降り、経営者の道を選んでからは順風満帆……人にはそれぞれ、相応の役割があるのだと悟ったよ。
 同時に、自分のような誤りを、他の子達にもしてほしくないともな」

「誤りとは、分不相応な努力をして身を滅ぼす、という意味でしょうか?」
「容赦が無いな、君は」

 今度は常務は、声を上げて笑った。
 それはひどく自嘲的で、普段の威圧的な態度からは、まるで別人のようにも思えた。

「だが、そういうことだ。
 政府が働き方改革だなんだと騒ぎ始めた昨今の風潮は、私の掲げる経営計画にとって追い風だった。
 凡人に淡い夢を持たせ、いたずらに金と時間をかけてじっくり育てるのではなく、持つべき者がその才能に見合ったパフォーマンスを無理なく発揮できるように。
 それが社員のためであり、アイドル達のためであると信じる気持ちは、今でも変わらない」
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:33:53.42 ID:1/ZkFkMM0
 深いため息をついたのち、常務の話が途切れた。
 胸に去来する様々な思惑を咀嚼するかのような、形容しがたいほどに複雑な彼女の表情を見て、私は合点した。


「あなたはちとせさんに……お嬢様に、かつてのご自身の夢を託されたのですね?」


 かつて志希さんが揶揄したように、この人は自分から本音を開示するような人ではない。

 だが、その気づきは当初、小さな疑惑に過ぎないものだったが、今では確信に変わりつつある。


 なぜ、お嬢様に対し、過剰とも言える力を入れていたのか。
 志希さんが二人に、親子の匂いを感じ取ったのか。
 カップの持ち方に、既視感を覚えたのか。

 先刻海外から帰ってきた大企業の次期跡取り――聡明で理知的な、おじさまの傍にいた人。


「あなたはお嬢様に、ご自身を超えてほしかった……
 玲音さんが育てるお嬢様が、期待を超えるステージを披露することで、苦い過去ごと、ご自身の価値観をもう一度破壊されることを望んだ」
236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:37:56.50 ID:1/ZkFkMM0
 常務は答えない。
 腕を組み、黙って窓の方を向いたままだ。


「お嬢様は、お願いごとを断られたことが無いと、よく仰います。
 人を魅了する天分は、アイドルとして申し分の無い能力と言えるかと思いますが、その反面」

 言葉を切ると、常務が睨むような視線だけを私に差し向けるのが感じ取れた。

「ご自身で勝ち取る術を持たなかった。
 幼少の頃より虚弱なお身体だったあの人は、ご自身の行いがその思い通りにいかないことに慣れていました」


 両手の中にあるカップを見つめた。
 こんなに苦いコーヒーは、ルーマニアにいた頃、お嬢様が間違って淹れた時以来だ。

「ですが今では、私もそうですが、夢中になれるものを見つけることができました。
 それは、諦めることに慣れていたお嬢様にも、ご自身の殻を破る機会を得たということだと思います。
 私を目標とすることが間違いだとするあなたのお話には、私も同感です。
 ただ、その気づきを得るきっかけが、あの人にとっては私だった……
 たとえ盲信であろうと、あの人の情熱の火を絶やすことなく、その日まで導いてくれたこと、感謝しています」
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:42:05.02 ID:1/ZkFkMM0
「近々自身のプロジェクトが潰されてしまうかも知れないというのに、暢気なことだな」

 向き直ると、フンッと鼻を鳴らす常務と視線が重なった。
 対照的に、私は知らず笑みがこぼれてしまう。

「何がおかしい」
「ついでにもう一つ、お聞きしたいのですが」

 大袈裟に咳払いをしてみせ、私は姿勢を正した。

「あくまで仮の話ですが……
 もし、あなたに子どもがいて、その子がアイドルをやりたいと言った時、あなたは親として、その子に夢を見せたいと思うでしょうか?
 それとも、経営者として現実を示すでしょうか」


「仮定の話に答える義理は無い」
 そう言って彼女は席を立ち、こちらに背を向けたまま窓の方に歩を進めて立ち止まった。

「だが、今日付き合ってくれた礼に、特別に答えるとしよう。
 経営者としての仮面を外し、自分の子を贔屓して夢という名のエゴを押しつけるなど、公私混同も甚だしい。
 まったく馬鹿げた話だ」

「そうですね」

 私はクスッと笑い、ゆっくりと立ち上がった。


「ですが、それは一般論です。
 私が聞いているのは、あなたがどうしたいのか……あなたの今の答えは、答えになっていません」
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:43:29.03 ID:1/ZkFkMM0
 客観的な事象を盾にするということは、隠された本音があるということだ。

 私にも、身に覚えが無いわけではない。


「……夜遅くまで拘束してすまなかったな。帰って早く寝るといい」
「そうします」

 私は、それ以上何も言わないであろう彼女の背に頭を下げ、部屋を後にした。

「失礼致します。おやすみなさい」


 あの人も杏さんと同様、ひょっとしたら私と同族かも。

 いや――アイドル界という特殊な環境に身を置く者同士、そう言った考え方自体がナンセンスなのかも知れないな。
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:51:30.46 ID:1/ZkFkMM0
 建物を出ると、先に帰っていたはずのアーニャが、凛さんと一緒に外で待っていた。

「どうだった?」

 凛さんが微笑みながら尋ねる。
 アーニャといい、時折こうして年相応のあどけなさを見せるのは、彼女の魅力だ。

「早く寝ろと言われました」
「じゃあ、帰ろうか」
「玲音さんのことは、待たなくて良いのですか?」

 先ほどチラッと聞こえたやり取りでは、凛さんは出口を見張る役だったと記憶している。

「玲音さんなら、さっき帰っていったよ」
「えっ?」

 素知らぬ顔で、凛さんは歩き出した。

「帰って早く寝なさい、だってさ」
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:54:39.69 ID:1/ZkFkMM0
「……ふふっ」
「アハハハ!」

 三人で並んで、家路につく。

 事務所では、未だに皆が玲音さんを血眼で探しているのだろう。
 そして事務室では、ダラダラとお茶会の延長戦が行われている。

 それらを放って、気心の知れた者同士で内緒のひと時を過ごすというのは、何とも楽しいものだった。

「あっ」
「? 千夜、どうかした?」


「シリウス……」
「ズヴェズダ、すごく明るいですね……キレイです」

 南東の空、冬の大三角を構成する、太陽を除いて最も明るい恒星。
 私の最も好きな星の一つでもある。

「あんなに明るく見えるんだ……」

 誰ともなしに皆、足を止め、澄んだ夜空に輝く星達をジッと見上げた。
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 22:56:47.79 ID:1/ZkFkMM0
「アーニャ」
「何ですか? チヨ」

 外にいると、一段と冬が深まってきたのを感じる。
 だが、この身の震えは、きっと武者震いだ。

 常務さえも舌を巻くあの人のステージに、間もなく対峙できる日がやってくる。


「私のステージを、見ていてください。
 その一夜だけ、すぐそこにある星を、あなたに届けたいと思います」


 少しの間をおいて届いた「ダー」という返事を、大切に胸にしまう。
 乾き切っているはずの寒風に爽やかな滾りを見出すと、目の前で煌めく星々に向けて、私は笑った。
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:10:12.83 ID:1/ZkFkMM0
   * * *

「今さらアタシが言うことでもないだろうけれど、お客さん達は皆アタシ達アイドルの味方だ。
 一緒に楽しもうとする意志さえ示せば、必ず答えてくれるし、その感動は何物にも代えがたい。
 僭越ながらアタシが指導した黒埼が、アタシの株を奪うようなことがあれば、それは当然に歓迎すべき、おうふなんだどうした、アタシのうなじが気になるのかな?
 特別な香水なんて付けてないよ、嗅ぎたいなら好きなだけ嗅いだらいい。
 それで、シンデレラプロジェクトの皆も、フェスの映像を見させてもらったけれど、素晴らしい迫力だったよ。
 今日一緒に出場できないのが残念なくらい、あぁこらこら、髪を弄ってどうしようというんだ。
 うん? この髪留めをアタシに? ありがとう、素敵なデザインだね。ありすちゃん、と書いてあるのかな?」

「イェス、イエース☆ 弊社が誇るクールタチバナの関連グッズだよー♪
 お買い求めは今日の物販で!」
「や、やめてくださいフレデリカさん! 私を巻き込んで何て失礼なことを……!」
「それよりさー、誰か志希ちゃん止めなくていいん?」
「志希チャン! オーバーランクさんをまさぐるのやめるにゃー!」
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:12:51.71 ID:1/ZkFkMM0
 ウィンターフェス本番当日。
 楽屋に激励に来てくれた玲音さんに、皆がこぞって群がっている。

 気さくな人だとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
 何かと破天荒な志希さんやフレデリカさんにも、ああして自然体で接している辺り、ただ者では無い。
 彼女達の世話役に回りがちな美嘉さんなどは、あまりに常識を外れた光景に立ったまま泡を吹いている。


「そういう訳だから、今日は美城さん達と一緒に見させてもらうよ。
 お客さん達と一緒に、これ以上無いくらい最高に燃え上がってみせてくれ!」

「はいっ!!」
「志希ちゃん一緒に出て行かないでっ!」

 結局、一対一で話をする機会が無いまま、玲音さんは志希さんを引きずりつつ楽屋を後にしていった。
 しかし、さすがトップアイドルだけあって、彼女のオーラにあてられた皆が銘々に気力を漲らせている。
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:18:35.68 ID:1/ZkFkMM0
「でもさー、やっぱいいなぁちとせさん」

 ふと、莉嘉さんが口を尖らせて羨ましげにちとせさんの方を向いた。
「あーんなスゴい人に、特別にレッスン見てもらえてたなんてさ」


 ――マズいな。
 このままでは、「ズルい」や「えこ贔屓だ」等、ちとせさんに要らぬヘイトが向けられてしまう。
 年長組は、何となく空気を読み、暗黙の了解でそれをタブーとしてきたが、幼い莉嘉さんは自分の感情に素直で、悪気が無いだけに気まずい。

「杏は絶対イヤだけどね」

 姉である美嘉さんがそれとなく莉嘉さんを咎めようとした矢先、部屋の隅っこから杏さんの声がした。

「え、杏ちゃん何で?」
「あんな偉い人のレッスンなんて楽なわけないでしょ。
 おまけに勝手に期待されて持ち上げられて、プレッシャーばかり押しつけられるんだよ」
「うっ……」


「フフッ♪ 杏ちゃん、ありがとう」

 部屋の中央にいたちとせさんが、彼女の方へニコリと微笑みかけた。

「今のは、私をフォローしてくれたんでしょう?」
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:20:17.51 ID:1/ZkFkMM0
「いや、杏は感想を言っただけだけど」
「それなら無償の愛……杏ちゃんのアガペーとして受け取っておくね」

 面倒くさそうに手を振った杏さんが寝返りを打つのを見届けると、ちとせさんは莉嘉さんに向き直る。

「ご、ごめんねちとせさん……」
「ううん、気にしなくていいよ。莉嘉ちゃんは何も間違ったことを言ってないもの」
「ちとせさん、玲音さんのレッスン大変だったの?」

 みりあさんの問いかけに、ちとせさんは「うーん」と少しとぼけてみせて、頷いた。

「4、5回くらい吐いたかな?」

「ひぃえぇぇっ!?」
「あと、足の指の爪が、全部潰れて真っ黒になっちゃったし、靴擦れもすごいよ、ほら見る?」
「いいぃいいですいいです!! ごめんなさい!!」

 すっかり脅かしてみせながら、彼女は楽しそうに笑った。
 まったく、相変わらず性格が悪い人だ。

 だが、それだけの努力を、誰にも愚痴や弱音を吐くこと無く、あの人はこなしてきたのだ。
246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:27:20.20 ID:1/ZkFkMM0
 今日のセットリストは、シンデレラプロジェクトとプロジェクトクローネ、双方のアイドルが交互に登場する運びとなっている。
 注目すべきちとせさんの登場は、最後から4番目。私はその次だ。

 なぜあの人が大トリでないのかというと、今日のセットリストはアイツや常務ではなく、私達アイドル同士で話し合って決めたからだ。
 そして、それをフェスの当日にあみだくじで決めようなどという無茶な提案をしたのは、他でもない美波さんだった。

 夏合宿の時も思ったが、あの人、才色兼備で理知的に見えて、実は頭のネジが少しアレなのではないか?
 そんな疑惑を余所に、彼女は事務室で開かれた会議の場で、胸を張って私達にこう訴えていた。

「この頃、よく思うことがあるの。
 エンターテイメントの真髄って、計算し尽くされたイベントではなくて、アッと驚くようなサプライズにあるんじゃないかって。
 当事者の私達でさえ予想もできない、ジェットコースターみたいなドライブ感があれば、きっと楽しいフェスになるんじゃないかしら」
247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:29:39.13 ID:1/ZkFkMM0
 思い返せば、サマーフェスで私にそれを仕掛けたことで、彼女は味を占めた可能性もある。

 この提案に諸手を挙げて賛成し、皆を囃し立てたのはフレデリカさんだ。
 最近になって気づいたが、この二人は大学1年生の19歳同士で、文香さん含め、双方のプロジェクトにおける最年長という共通点がある。
 だが、クローネと交流するようになり、フレデリカさんと仲良くする機会も多かった美波さんは、明らかに彼女からの悪影響を受けたに違いなかった。


 フェスの目玉であり、常務の肝入りであるちとせさんが大トリを務めないと知られたら、常務から何と言われるか分からない。
 実際、凜さんや美嘉さんのように、これにブレーキをかけようとする人もいた。

 しかし、周子さんや未央さんを始め、むしろここぞとばかり常務にジョークを仕掛けようとばかりに悪ノリする、他の皆の妙なボルテージの方が勝った。
 あろうことか、ちとせさんでさえこれに便乗する始末である。
 その結果、大トリはまさかの杏さんと相成ったのだ。

 そんな無茶苦茶な経緯で組まれたセットリストにおいてなお、私があの人の直後というのは、不思議な縁と言うべきだろうか。
248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:32:07.60 ID:1/ZkFkMM0
 本番直前、ステージ衣装に着替えて舞台袖に立つ。

 入場口が開放されて間もなく、客席は満杯になった。
 屋内の会場は初めてだったが、観客達の興奮と期待が込められたざわめきが大気に霧散しないまま、余さずこちらに届いてくる。
 湧いてくる緊張感は、こちらの方が上かも知れない。

 だが、この胸の高鳴りは、それだけが要因ではないのは分かっている。

「千夜ちゃん」


 声を掛けられた方に振り返ると、あの人が立っていた。

 真紅を基調とした絢爛かつ妖艶な衣装に、絹糸のように煌めく金色の髪。
 血の色を思わせる優美な瞳が、私を捉えて放さない。

「……ちとせさん」

「ふふっ、似合う?」
「はい。とても、綺麗です」
「ありがとう、千夜ちゃんも可愛くて綺麗だよ。冬の妖精さんみたい」

 私の隣に歩み寄り、開演前のボンヤリと中途半端に照らされる舞台を、ちとせさんは見つめた。
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:36:19.32 ID:1/ZkFkMM0
「そういえば、千夜ちゃん」

「あ、いたいた。ちとせさん千夜ちゃん、ちょっと皆でMCの……」

 李衣菜さんの真っ直ぐな声が聞こえた瞬間、それはテキトーな調子のあの人に遮られた。

「ワァオ☆ 見てみてリーナちゃん、あそこにチョーアバンギャルドなパリジェンヌがいるよー!」
「えっ!? どこどこ……ってあれ鏡じゃん! 宮本フレデリカちゃんじゃん!」
「ンー? あっ、ホントだーどうりでどこの下町育ちかと思ったよー♪ ……あれれ?」
「フレちゃん、スカートのボタンが取れかかってるね」
「あーん、リーナちゃんの気配り大臣☆ それじゃ、一緒に衣装さん探そ探そー! イショーサーン♪」
「ちょ、何で私が……もうしょうがないなぁ、衣装さぁーん?」
「イショーサーン♪」


 賑やかなやり取りが続き、ほどなくして、彼女達の声は聞こえなくなった。


「……ああして、いつも気遣ってくれるの」

 私と目を合わせ、フフッと笑いかけてみせる。

「さっきの杏ちゃんといい、優しい子達だよね……ポッと出で、皆に迷惑しか掛けていない私にさ」
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:40:36.07 ID:1/ZkFkMM0
「……話の続きを」

 これ以上、この人に自嘲じみた心持ちになってほしくなくて、話を促すと、「あぁそうそう」と胸の前で手を合わせた。

「千夜ちゃん、あの人から話、聞いた?」


「……私は、何も聞いていません」
「千夜ちゃん、ダメだなぁ」

 今度は、口元に手を当てて、クックッと忍ぶように笑う。

「誰からの、どんな話なのかをまず私に聞かなきゃ。
 そんな答えじゃあ、聞いたと言ってるのと同じでしょう?」

 得意げに講釈してみせる彼女に、私はかぶりを振る。

「本当に、何も聞いていません。
 私が思うにあの人は、自分からは本音の話をしない人かと」
「そうだね」
「ですが」


 先日の、常務室での最後のやり取りを思い出して、知らず口角が上がる。

「あの人は正直で多弁です」

「……ぷっ。アハハ。千夜ちゃんも言うようになったねー♪」

 ケラケラと楽しそうに笑うのを見ると、やはりこの人は、私が知るお嬢様なのだなと思う。
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:44:15.05 ID:1/ZkFkMM0
 結局、リハーサルは見なかった。
 どんな様子だったのかを、他の皆から聞くこともしなかったし、皆も私に配慮をしてくれたのだろう。誰も話をしてこなかった。

「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なぁに、畏まっちゃって」


「私が知っているちとせさんは、気まぐれで我が儘でこそあれ、欲の無い方でもありました」

 自分で勝ち取るよりも、他の誰かから得てきた。
 しかし、彼女の無欲な姿勢は、そのような環境によるものではなく、彼女自身の死生観からくるものと言った方が正しい。

「私に私の生きる道を与えるため、あなたもご自身の道を志したと仰いましたが……
 あなたが今日まで非常な努力を続けてこられたのは、あの人の期待に応えたいという思いもあったのでしょうか?」

「ふふ……それは嫉妬?」
「単純な興味です」
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:49:50.14 ID:1/ZkFkMM0
「そんなこと、聞かれても分からないなぁ。
 期待に応えると言ったって、ほとんど知らない人だし……ただ、ひとつだけ思い知らされたのは、私自身の愚かさ」

 俯き、胸に手を当てて、ちとせさんはそれまで押さえ込んでいたであろう想いを私に吐露する。


「千夜ちゃんに生きがいを与えたくて、飛び込んだ世界。
 千夜ちゃんのステージに近づきたくて、向き合った現実。
 私がアイドルとして生きた時間には、いつも千夜ちゃんがいてくれた。
 だけど、死んじゃいそうになるくらい、そこに至るまでの道のりは、辛くて苦しいの。
 千夜ちゃんには悪いけれど、こんなに大変な思いをしてまで得た感動が、大したこと無かったらどうしようって、何度も頭によぎる打算的な私がいたよ」


「僭越ながら、経験者として言わせてもらいますが」

 コホンと、照れ隠しの咳払いを一つしてみせる。

「先ほど玲音さんの仰ったことに、嘘はないかと思います。
 ただ、それは経験した者にしか分かり得ないことかと」
「そうだよね」

 彼女が顔を上げると、その潤んだ瞳が舞台を照らす照明に光って見えた。

「分からなかったから、欲しかったんだよね、きっと……
 偉そうなこと、千夜ちゃんに言ってた割に、自分自身のことを分かっていなかったのは、私の方だったんだね」
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:51:51.28 ID:1/ZkFkMM0
「いえ」

 私が真っ直ぐに見つめると、その視線に気づいた彼女が私に向き直ってくれた。

「私の方こそ、この事務所で多くのことを学び、多くのものを得ることができました。
 アーニャをはじめ、大切な仲間も、たくさん……」

「アイドル、やって良かったね、私達」
「はい」

 視線を舞台に向ける。
 あんなに別世界だと思っていたものを、今か今かと待ち遠しく思う自分を見つける。

 誰に指摘されるまでもなく、変わったのかもな。
 戯れが、戯れでなくなる程度には。

 客観で捉えるだけの、結果でしかなかったはずの世界が、主観で掴み取る彩りを帯びていく。

 それを知ることができただけで、私には十分だ。



「まだ、誰にも言っていないのですが……このフェスが終わったら、辞めようと思います」
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/23(土) 23:59:21.96 ID:1/ZkFkMM0
 視線を戻すと、目の前の人は黙して私を見つめ続けている。

「ここまで一つのことに夢中になれるなんて、思いませんでした。
 一度は心を捨てた身としては、過ぎた幸せです。
 私にとって、美というのは手に入れるものではなく、眺めて愛でるもの。
 夜空に輝く星達がそうであるように、届かないものだから美しいのですし、それに」

 照れ臭くなり、つい首の後ろに回した手を、慌てて引っ込める。

「お嬢様のことを、“ちとせさん”などとお呼びすることにも、疲れました。
 得る喜びを教わってなお、従者としてあなたを支えることに幸せを見出す私を、どうかお許しください」


 こんなに頑張ったのは初めてだった。
 これ以上の頑張りは、この先にもあるなどと考えることはできない。

 閃光のように私の最高を今日、華々しく散らしてみせるのだと、決めていた。



 お嬢様は数回小さく頷くと、ニコリと笑い、私の頬に手を添えた。

「ありがとう……千夜ちゃんが、そんなにも私を大切に思ってくれているのは、とても嬉しいよ」
「……私を、止めないでくださるのですか?」
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:01:43.66 ID:Hn+oLRjQ0
「止めない」

 頬から、お嬢様の手が私の首筋を撫で上げ、その指が彼女の唇にスゥッと止まる。
 改めて気づかされる、息を呑むその美しさ――。

「無理矢理は主義じゃないの。
 だから、私が気づかせてあげる。千夜ちゃんにも、花開く瞬間を待ちわびている素敵なつぼみがあるんだってこと。
 自分も輝かずにはいられない、眠れる姫を起こす魔法を、今夜私が見せるから……ちゃあんと、受け取ってね?」

「……もちろんです。とくと拝見させてください」
「だからぁ、そういう仰々しいのやめようよ千夜ちゃん。
 まだ千夜ちゃんにとって、私は“ちとせさん”でしょ?」
「ふふっ、すみません」

 私は幸せだ。
 この人の笑顔をこうして間近で見られるだけでなく、この人の放つ美も享受できるのだから。


 私にできることは、役割を果たすこと。
 最後となるであろうステージを、滞りなく完遂すること。

 幸い、今日私が歌う曲はダンサブルなものではない。
 複雑なステップは多くなく、間奏に入った直後に訪れる大振りのステップ・ターンにさえ気をつけていれば問題は無いだろう。
 それより、ボーカルに神経を集中させなくては。

 喉の調子を今一度確かめる。
 よし――あとは、このコンディションを保つ。
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:11:37.14 ID:Hn+oLRjQ0
 ――――。


「皆さん……スパシーバ!!」

 アーニャのステージが終わった。
 ソロデビューとなる新曲『Nebula Sky』は、爽やかさと壮大さが同居した、彼女らしいナンバーに仕上がっていた。
 鳴り止まない大歓声が、その完成度の高さを雄弁に物語っている。

 先ほどの、凜さん達トライアドプリムスの『Trancing Pulse』といい、美城常務の示すアイドル像の可能性も認めざるを得ない。

「凄かったよぉ、アーニャちゃん!」

 舞台袖に捌けてきたアーニャを、美波さんが一目散に駆け寄り、力一杯に抱きしめた。
 ユニットを組む相手として、当初のクローネには複雑な想いを抱いていたようだったが、故に彼女は私以上にアーニャの力になろうと奔走していた。
 興奮冷めやらぬアーニャは、肩で息をしながら瞳を潤ませていた。

「よぉし、それじゃあ次は私ね……アー、オホン!」
「らんらん、いっちょぶちかましてきてー!!」
「蘭子ちゃん、頑張って闇に飲まれてくださいっ!!」
「う、うん!」

 蘭子さんが喉と気力の調子を調え、颯爽と登壇――したかったのだろうが、卯月さんに微妙に水を差された形となった。
 だが、ひとたび曲が始まれば漆黒の堕天使による狂乱の渦が巻き起こる。
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:16:32.77 ID:Hn+oLRjQ0
 悉く、強い個を持つ集団の集まりだと、改めて思わされる。
 この人達には皆、他者に分け与えずにはいられない、溢れるほどの力がある。

「チヨ」

 出番を終えたばかりのアーニャが私の傍に寄り添い、手を取った。

「この後、いよいよ、チトセの出番……そして、チヨの出番、ですね。
 緊張がほぐれる、おまじないです。アズマシィ……ふふっ、アズマァーシィ〜♪」

 優しく握る、彼女の温かい手。
 彼女はこうして、私にどれほどのものを与えてくれただろう。どれだけ助けてもらえただろう。

 心の豊かな人からの温かな施しを、受け取るだけの自分が不甲斐なくて、情けない。

「……チヨ、どうしましたか? 緊張、治りませんか?」
「いえ、アーニャ」

 私はかぶりを振った。
 危うく涙が出そうになるのを笑ってごまかす。

「あなたの言うとおりだと、改めて思いました。
 優しいに、足りないも多いもないのだなと……私は、享受してばかりですね」
「? アー……チヨは、ケンソンですね?」
「ケンソン?」

 あぁ、謙遜か。
 イントネーションが少し違うだけで、途端に分かりにくくなるのだから、日本語は難しい。
258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:20:02.85 ID:Hn+oLRjQ0
「謙遜ではありませんよ……すみません、そろそろお嬢様の」

 咳払いをした。
 やはり、言い慣れないな。

「ちとせさんのステージを、観客席から見に行きますので、一旦失礼します」
「あれっ、千夜ちゃん舞台袖に待機してなくていいの?
 ちとせさんの次、すぐ千夜ちゃんでしょ?」

 生真面目な美嘉さんの引き留める声に、周子さんがケラケラと茶化すように笑う声が重なった。

「まーそんなことを言いつつ、志希ちゃんもさっきから見つかんないわけだけど」
「はっ!? ちょっと何でそれ早く言わないの!? アタシ達千夜ちゃんの次じゃん!」
「あら、美波が言っていたでしょう? エンターテイメントの真髄はサプライズ、ね?」
「結託してアタシにドッキリ仕掛けんのやめて!」

「まーまー、千夜ちゃんはさ、気にせず行ってきなよ。
 ちとせちゃんが終わった後は、ありすちゃんのMCで場を持たせるからさ」
「えっ!?」

 周子さんがありすさんの頭を撫でながら私に手を振った。
 当のありすさんが何か反論しようとするのを、フレデリカさんが満面の笑みでそれを遮る。

「チトセちゃん、チヨちゃんに見せるのをずーーっと楽しみにしてたから、チヨちゃんも楽しんであげてねー!
 それじゃチヨちゃん、ほんの10分だけアデュー♪ およよよ…!」
「フレちゃん、演技でも泣かないで! メイク崩れちゃうでしょ!」
「演技じゃないよぉ、お土産期待してるよぉチヨちゃんおよよよ…!」
「お、いいねー土産話、後で聞かせてねー」
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:22:23.97 ID:Hn+oLRjQ0
 美波さんがアーニャに寄り添い続けた人なら、LiPPSの人達もまた、クローネの仲間としてお嬢様に寄り添い続けた存在だ。
 このステージにかけるあの人の想いを、おそらく私よりも、誰よりも理解しているのだろう。

「白雪さん」

 不意に、私の肩にジャンパーが添えられた。
 振り返ると、アイツが頷いて廊下への出口を指す所だった。

「あちらの廊下から、客席への扉に向かうことができます。
 ステージ衣装のまま入ると目立ちますので、ジャンパーを」


「ありがとうございます」

 舞台袖の皆に頭を下げ、私は廊下を急ぎ足で歩き、観客席へと向かう。


 大きな会場だけあり、通用廊下は思っていたよりも長く続いていた。
 だが、じきに右手に現れた両開きの大きな扉を二つ続けて開くと、観客席の後ろ側に回ることができた。
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:27:27.20 ID:Hn+oLRjQ0
 凄い熱気だ――。
 屋外のように立ち見ではなく、座席が個々に当てがわれているはずだが、観客の人達は皆総立ちでステージに夢中になっている。

 私はバレないよう、そっと後ろの立見席にさり気なく陣取り、その時が来るのを待った。
 蘭子さんが手をバッと広げ、いつもの挨拶をする。
 終了の合図だ。

「今日のお客さん達は幸せ者だな」


「――!?」

 隣に立つ人の、独り言とは思えない言葉に、思わず振り返る。
 その声は、先ほど聞いたばかりだけど、今なお強烈に印象に残っている。

「こんなに熱いひと時を、皆で共有できるのだから」


「れ……!」

 言いかけると、玲音さんは唇に人差し指を当ててニコリと笑った。
 サングラスの奥に光るであろうオッドアイは、暗がりに隠れて見えない。

「キミが来るのを待っていたよ。白雪千夜、だろう?」
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:33:26.33 ID:Hn+oLRjQ0
 な、なぜこの人が――先ほど、美城常務と一緒に見ると言っていたはずだ。

「やはりこういうのは、コッチで見ないと熱が伝わってこないからね。
 美城さんも誘ったんだけど、断られてしまったよ」

「私を待っていたというのは……?」

 私が訝しむ表情を見せると、彼女は手を振って舞台の方へと向き直った。

「今夜の黒埼のステージは、キミのためのものだ。
 無粋な真似かも知れないけど、キミに向けられるチカラを、よりキミに近い所でアタシも共有したかった。
 それだけさ」


 蘭子さんが降りてなお、万雷の拍手がいつまでも続く中、ふと舞台が暗転した。
 直後に広がるどよめき。

「始まるよ」
 玲音さんがそっと呟く。

 そうだ、私は知っている。
 暗転した、ひっそりとした状態からこの曲は――。

「今夜、この時この瞬間……『アクセルレーション』は彼女の曲だ」


 ソリッドで重厚なロックが、目にする者をその名のごとくエクスタシーの奔流へと否応なく連れ出していく。
 割れんばかりの大歓声が巻き起こり、舞台照明がその空間の主を照らし出す。

 想像していたよりもずっとはるかに、ステージの上で舞うあの人は美しく、あまりに強すぎた。
262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:36:57.30 ID:Hn+oLRjQ0


   黒埼ちとせ 【 アクセルレーション 】



263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:42:59.86 ID:Hn+oLRjQ0
「お嬢様……」


 縦横無尽に緩急をつけたリズムが加速していく。
 呼吸をするのも忘れ、目を離すことができない。


  走り出したこの気持ち ペースなんて考えない
  限界なんてWord ボクの辞書にない


 玲音さんの言う通りだった。
 目の前で繰り広げられるステージは、あの人の曲だった。

 あの人もまた、私物化している――自分の生を削って曲を砕き、挑み続ける尊さを私達に叫んでいる。


  叶うだろう Realな Ambition
  さあ ここから始めろ!


 これ以上は、興奮と感動で、胸が爆発しそうになる。
 だが、余さず受け止めなければ気が済まない。
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:46:40.36 ID:Hn+oLRjQ0
 なぜ、アイドルのステージが胸を打つのか、お嬢様の姿を見てようやく分かった。

 あの人は、自分を投げ出している。
 本気の命を燃やしている。

 気づかぬうちに、私も叫んでいた。
 この後に控える自分の喉の調子なんて、どうでも良かった。

 ご自身のお身体のために、それまで見せていなかったはずの生への執着。
 今目の前で繰り広げられている暴力的までの美は、彼女がここに刻みつける存在の証明そのものだ。


  今のキミが進むStageは そう輝くOuter Space
  想いのままに 空へ飛び立って
  fight for your dream!


 指の先の一瞬にまで機微を感じさせる表現力。ターンのキレ。声の伸びと張り。
 パフォーマンスのレベルの高さは元より、玲音さんや私とどちらが上かなどと、考えること自体がナンセンスだと思い知らされた。

 お嬢様が手を振り上げ、舞台が暗転する。
 途端、地鳴りのような歓声が爆発し、会場が揺れて何も聞こえなくなる。


「ありがとう……さぁ、行ってあげるといい」

 私は駆け出した。
 隣の玲音さんにちゃんと挨拶をしようなどとは、考えもしなかった。
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:49:51.39 ID:Hn+oLRjQ0
「お嬢様っ!」

 舞台袖に駆け込むと、お嬢様は美城常務の腕に抱かれていた。

 まるで糸の切れた人形のように、その手足には力が入っておらず、目の焦点も合っていない。息も絶え絶えといった様子だ。
 皆がそれを、心配そうに見つめている。

 そんな彼女を支える常務を見て、この人が玲音さんの誘いを断った理由を理解した。

「ちよちゃん……?」

「素晴らしい……素晴らしい、ステージでした、本当に……」

 やはり、ご無理をなされていたのか。
 直後に自分の出番が待っているのも忘れ、目に熱いものがこみ上げてくる。

「まだ、ちとせさん、でしょ……えへへ……」


 私に勝ちたいなどと、的外れも良いところだ。
 この人は、本当に――。

 そのままお嬢様は目を閉じた。
 常務が近くのパイプ椅子まで運び、彼女をそこに座らせる。

「この子のことなら、心配は要らない」
266 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:53:14.21 ID:Hn+oLRjQ0
「当たり前です」

 この人の身に何かあったら、私は346プロを許さないだろう。
 それがたとえ、どれだけ感動を与えるステージを作り上げた結果であろうと。

 この人にとって大切な人の、エゴによるものであろうと。


 常務は苦笑した。

「心配は要らないと言ったのは、君に対してのことだ」
「えっ?」

「この子は、何が何でも君のステージを見届けてやるのだと言っていた」

 美城常務は、お嬢様の顔を優しく撫でた。
 聞こえているのかいないのか、目を閉じたまま、お嬢様はニヤリと笑い、小さく頷いたように見えた。


「私も、見届けさせてもらおう。
 この子の目指したステージがいかなるものか、興味が無いと言えば嘘になる」
267 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 00:55:58.94 ID:Hn+oLRjQ0
「……チヨ」

 アーニャが傍に寄り沿い、私の手を取った。
 彼女にとって――私にとって、すっかり恒例になった、いつもの儀式だ。


「お嬢様……申し訳ございません」

 私はそのまま、お嬢様の元にそっと歩み寄り、身をかがめてその人の顔を見つめた。
 私にとって、かけがえのない人。生きる意味を与えた大切な人。
 たった今も、私に無二の感動をもたらしてくれた人。

 私は、この人の従者で良かった。
 だけど、今日は――。

「これから私が歌う曲が、お嬢様のためのものとならないことを、お許しください」



 お嬢様は、目をうっすらと開け、クックッと笑った。

「当たり前でしょう……そんな、千夜ちゃんの姿、見たかったんだから……」
268 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:00:51.42 ID:Hn+oLRjQ0
「……はいっ」

 私は立ち上がり、舞台の方へと向き直った。
 舞台の上では、未央さんとありすさんが即興のMCで何とか場を持たせている。

 その手前には、私に魔法をかけてくれたアイツ。
「どうぞ、白雪さん」

 そして、私にライブが持つ力を示した凛さん。
「落ち着いて、しっかりね」

 杏さんは、まぁいい。
「もうこれ以上ハードル上げんのやめない?」


 ――そして。

「チヨ……楽しんできてください。
 楽しくなれば、お客さんも、アーニャも、楽しいですね?」

「アーニャ……」

 彼女から受けた温かみを、せめて返さないことには、アイドルを辞めることなどできはしない。

「行ってきます。見ていてください」


 奏さんが、舞台の上の二人に合図を送る。
 未央さんとありすさんが手を振り、下手側に捌けていったのを確認すると、私はステージへと歩き出した。
269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:03:52.26 ID:Hn+oLRjQ0
 中央まで進み、立ち止まると、スポットライトがパッと私を照らす。
 直後に巻き起こる歓声。

 慣れというのは、怖いものだ。
 あれだけ私の心を惑わしたものが、こうして何度も受けているうちに感覚が麻痺してくる。
 それは、私を目当てとして発せられたものか、あるいは他の人達を応援するついでに向けられたのか。
 などと、無粋なことを考えてしまう余裕さえある。

 ありがたいものは、ありがたいと思えるうちに、大切にしておきたい。
 乾ききった人形の私にとって、アイドルとなって得るものはあまりに大きすぎた。

 この感覚に慣れきってしまう前に、私は――。

「皆さん」

 会場がしんと静まり返る。


「寒い中、お越しくださりありがとうございます。
 こんなにも大勢の方々が、こうして私を見てくれること、とても嬉しく思います」
270 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:11:41.45 ID:Hn+oLRjQ0
 曲に入る前のMCは、当初の予定にはなかった。
 私は、何を言っているのだろうな――。

 だが、スルスルと言葉が次から次へ、溢れてくる。

「先ほどの、黒埼ちとせさんのステージ……
 あれに匹敵するほどのクオリティを、今日の私が皆様へご覧に入れる事は、難しいでしょう。
 それどころか、これから私が歌うのは、今日お越しいただいた皆様に対してではなく、私にとって大切な、とある方のためのものだということを、謝らなくてはなりません」

 会場を見渡した。
 ここからでは、暗がりにいる観客一人一人の顔は見えないが、皆が私の言葉に耳を傾けていることが分かる。

「今夜、私は、この一曲を歌いきる間だけ……この空間を私のものにします。
 それでも、結果として良いものを作り上げられる、皆様を楽しませるものにできるのだと……独りよがりの盲信に浸ることを、どうかご容赦ください。
 そして」

 大きく息を吸い込み、手をゆっくりと差し伸べた後、その手を胸の前に引き寄せた。
 曲が始まる合図だ。


「楽しんでいってください」
271 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:13:15.65 ID:Hn+oLRjQ0


   白雪千夜 【 悠久の旅人 〜Dear boy 】


272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:17:52.96 ID:Hn+oLRjQ0
https://www.youtube.com/watch?v=iK5XqMO_-ew
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:22:58.06 ID:Hn+oLRjQ0
 雪が舞い降りるようにゆっくりと、ピアノのイントロが静かに流れ出す。
 見渡す限り、誰も降り立たぬ雪原を踏みしめ、私が私の歩む道を刻みだす。


  時をわたる聖者のように
  どんな孤独に泣いていたの?


 “Dear boy”などと――いくらボーイッシュとはいえ、アーニャに当てて歌うのだと彼女が知ったら、怒るだろうか?
 でも、どうか大目に見てほしい。これは私のエゴだ。


  遥か遠い星をつなぎ
  ねぇ、思いを描くわ 空を見上げて


 アーニャは私に言った。
 自分のいる世界は、自分の足で歩きたいのだと。
 その言葉は、誰かを拠り所にして生きるほかなかった私に、どれほどの衝撃を与えたことか。

 信憑性のほどは定かではないが、かつての私がアーニャに与えた優しさが、彼女を強くした。
 それが、5年もの時を越えて、アーニャが私にそれを与え、ここまで来ることができた。

 私ももう一度、あなたのように強くなれるだろうか。
 存在理由を誰かのせいにするのではなく、自分で戦い、生きるための心を厚く豊かにできるのなら。
 他人に与えるだけの余裕を、持つことができたなら。

 たとえ私にはできなかったとしても、この時だけはそれをしなくてはならない。
 アーニャ――あなたには、お返しをさせて。
274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:27:52.79 ID:Hn+oLRjQ0
  Dear boy いつかあなたが目指した世界は
  もう悲しみが消えた 未来でありますように
  祈りはわたしに 喜びをくれた
  まだ届かないけれど truth 信じてて


 二番のサビが終わる。
 ペンライトの光がさざ波のように揺れて、ウットリするほど綺麗だ。

 しっかりと見ていよう。
 私の人生にも、こんなに美しい時があったのだと。
 これからは、これを心の拠り所にして、私は黒埼家の従者に戻る。
 それは、何物からも目を背けていたあの頃とは違う、真に自分で選んだ私の幸せ――。

「……ぁ」



 背筋が凍った。

 足が、ほんの一瞬硬直し――。


 ボーカルに意識を集中させすぎたのか。

 二番のサビが終わった後の間奏。
 入った直後に訪れる、大振りのステップ・ターン。


 しまった。
 このままでは、もつれた足は虚無をさまよい、この曲最大の見せ場で、私は無様に転げ落ちる。
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:29:17.30 ID:Hn+oLRjQ0
 そんな――。

 勘弁してくれ。
 皆で――シンデレラプロジェクトだけでなく、プロジェクトクローネの皆とも、アイツや常務、玲音さんも、皆で作り上げたフェスなんだ。
 ここまで来て、私が、こんなつまらないミスで台無しにするというのか?

 嫌だ!

 お願いだ。どうか――。

 後でこの身がちぎれてもいい。
 お嬢様だってその身を削ってこの空間を守ったのだ。

 このステージだけは、どうか最後までやらせてくれ。

 私のような無価値の人間なんかのために、今日まで支えてきてくれた皆を巻き込まないでくれ。

 いや、何よりも――アーニャ。
 彼女のためだけに、どうか――。


 失敗だけはさせないでくれ!

 今日のこの時は成功を私にもたらすのだ!

 私っ!!
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:30:18.88 ID:Hn+oLRjQ0
 ――――ッ!


 ――――。


 ――





 あれ?
277 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:32:55.75 ID:Hn+oLRjQ0
 その時、ステージの上で起きたことを、私はこの先誰にも言うことは無いだろう。
 お嬢様にも、アーニャにも、凛さんにも――ましてアイツや杏さんになんて。
 いくらあの人達でも、もし言ったら馬鹿にされるに決まってる。

 それでも、確かにあの瞬間、私の身体には翼が生えたのだ。

 背中に生えたであろうそれをこの目で見た訳ではない。
 でも、そうとしか説明がつかないほど、あの時の私の身体は不自然なまでに軽くなっていた。


 死に体だったはずの身に力が宿り、転げ落ちるのを待つだけだった上体が、極めてスマートかつダイナミックに理想の軌道を描く。
 同時に、私の足は真っ白な雪原を優しく撫でるように、ふわりとステージに降り立った。

 まるで、私の身体とステージが呼吸を交わし、お互いを受け入れたかのようだった。
 時間にしてみればコンマ数秒程度のその一瞬、あらゆるものに許しがあるような、満ち足りた感覚――。


 突如覚醒し、音と光の奔流が巻き起こる現実世界に引き戻される。
 流れる時に追いすがろうと、私はこれまでのどのレッスンよりも上手にその波に乗り、顔を上げた。
278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:36:50.49 ID:Hn+oLRjQ0
 改めて目の前に広がる、無数のペンライトの光。
 まるで、そう――アーニャと見た夜空に瞬く星々そのものだった。

 曲は、先ほど壮大な間奏に入ったばかりだ。

 私は観客に向けて指をさした。
 気まぐれで好き勝手になぞらえ、その尊さを教示する。
 アークトゥルスにも、シリウスの光にも負けない、無数の星々を。


「一番後ろの人も、見えています」


 四角い顔の人。背の高い人。眼鏡の人。
 笑い声が大きそうな人。物静かそうな人。ちょっと怒りんぼの人。
 友人とケンカをしてしまった人。

 学校や会社で、良いことや、嫌なことがあった人。
 近くのホテルに泊まる人と、電車で帰る人。
 あの人は、ひょっとして犬を飼っているかも知れない。
 志希さんが、あんな所にいる。

 色々な想い、色々な人生を背負った人達が、今この瞬間、交錯している。
 様々な手段でここに来て、同じ時を、同じ感動を共有している。


「皆さんには、私が見えていますか?」
279 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:40:21.47 ID:Hn+oLRjQ0
 自分が他者に分け与えられるものなど無いと思っていた。
 しかし、目の前のこの人達は、私に信じさせてくれる。
 この身を投げ出すことで巡り合う、得難き喜びもあるのだと。

 私なんかが、無償の愛などという気取ったことは言うまい。
 だが、これが尽くすということなのか。
 身を粉にして与えることで、見出せる光。


「私と一緒に……輝いてくれますか?」


 応えてくれた。
 歓声が巻き起こり、ペンライトの光が縦横無尽に乱れ飛ぶ。
 言葉で言い表せない想いが湧き水のように次から次へ、そこかしこで溢れ出す。

 この胸に宿る感情に、足りないも多いもないのは理解している。
 しかしアーニャ――それでも私には、こんな表現しかできない。

 ここは、何もかもが足りすぎている。

 かつて落とした愛おしいものを余さず拾い集め、お腹いっぱいに吸い込む。
 そして私は、私を愛してくれる人の持つ輝きの向こう側まで届くよう、溢れる感情をその歌声に乗せた。
280 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:42:02.93 ID:Hn+oLRjQ0
  Dear boy いつも夜空にわたしを探して
  すぐ見つけられるように 強い光を放とう
  瞬く軌道は ふたりの目印
  今どこで見ているの? truth 感じてる


 目を閉じ、差し上げた手をスゥッと下ろして、スポットライトの光が小さくなっていく。
 私にとっての最後の曲が終わる。


 直後、舞台がパッと明るくなり、再び私を地鳴りのような歓声が出迎えた。

「はぁ……はぁ……」

 終わった――。


 やったんだ。

「ありがとうございました」

 アーニャ――終わったよ。
281 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:47:30.94 ID:Hn+oLRjQ0
 ダンサブルな曲でもないはずなのに、舞台袖に向かう脚がフラフラしている。
 お嬢様は、一体どれほどの極限にいたのだろうか。

「チヨ!」

 顔を上げた。
 アーニャが――星空を纏う大きな瞳がボロボロとその光を落として、私に駆け寄ってくる。

「チヨ……!」

 激突するかのような勢いで、抱きしめられた。
 私よりも体の大きいアーニャの力は、思いのほかかなり強く、正直言って息が苦しい。

「アーニャ……」

 私は、ステージの上では、泣かなかった。
 でも、危うく、あともう少しの所で泣くところだった。
 舞台袖に戻ってからだって、あともう少し――。

 もう少しで、我慢できたのになぁ。

「スパシーバ……チヨ、スパシーバ……!」
「アーニャ、やめて、ください……う、うぅ……!」

 手を握り締めてもらえるだけで温かい彼女の体は、私のキャパシティを優に超えていた。
 堪えきれず、私の目から温かな涙がいくつもいくつも地上に落ちていく。

 感謝をしなくてはならないのは私の方だった。
 でも、言葉以上に私と彼女は、その身を抱きしめることで心を分かち合った。
282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:49:18.41 ID:Hn+oLRjQ0
「千夜ちゃん」

 ふと声が聞こえた方へ目を向ける。
 お嬢様と――凛さんだ。

「良かったよ、すごく……おめでとう」

 凛さんが拍手をすると、周りの皆も――美城常務まで、隅の方で拍手をしてくれている。
 どうしたら良いのか、私には分からない。
 私は、自分がやりたいことをやっただけなのだ。


「もう辞められないよね? こんな思いを味わっちゃったらさ」

 凛さんが、呆れるように腰に手を当て、鼻で笑ってみせた。

 ひょっとして、お嬢様から話を聞いたのだろうか
 それとも、それとなく凛さんが私の雰囲気から感じ取ったのか。

 だが――どっちでもいいか。
 私は、首肯する代わりに、目じりに溜まった涙を拭いて軽く笑った。


「白雪さん」
283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:53:38.65 ID:Hn+oLRjQ0
 振り返ると、アイツがタオルと給水を持って私の後ろに立っていた。

「お疲れ様でした」


 まったく――コイツときたら、こんな時でも定規だな。

 だが、やはり感謝をしなくてはならないのは、コイツも一緒だ。
 この世界を見せてくれたおかげで、私は失った心を取り戻すことができた。

 プロデューサーとしての、コイツがいてくれたおかげで。

「ありがとうございます、プロデューサー」
「えっ?」

 むっ――私は、何か変なことを言ったか?

「プロデューサー……ですか?」

 定規が妙なことを私に聞き返すと、お嬢様がプッと吹き出した。
 凛さんもアーニャも、ここぞとばかりにニヤニヤ顔で私を囃し立てる。
284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 01:55:30.40 ID:Hn+oLRjQ0
「……ばーか」

 コホンと咳ばらいをして、滲んだ視界でもはっきりそれと分かる真っすぐな定規を見つめる。

「お前なんか、お前で十分です。これまでも、これからも」


 ソイツはお返しに、それまで見たどんな表情よりも柔らかく、ニコリと笑った。

「良い笑顔です、白雪さん」



 舞台の上では、土壇場で合流した志希さんを迎え、LiPPSのステージが繰り広げられている。

 この素敵な時間、終わってほしくない。
 終わらせたくない。

 皆と一緒に、これからもずっと。
285 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 02:03:54.45 ID:Hn+oLRjQ0
 ――――


 ねぇ、ちょっと。
 ちょっとそこのキミ。キミだよ。

 そこ、私の特等席だよ。
 用が無いならどいてくれない?


 えっ――あれ、泣いてんのかい?
 どうして泣いてんの? お腹痛い?

 えっ? かなーる?
 何かなーるって。運河クルーズのこと?

 クルーズならこの時期はもうやめといた方がいいよ。
 高いお金取るくせに寒いばっかりで、景色も退屈するしかないんだから。

 そんなことより、もっと楽しい遊びあるよ。
 暇なら私と一緒に遊ぼうよ、ねっ?

 あ、ところでキミ、どっから来たの? ていうか日本語分かる?


 えっ、東雲? キミこっちの子かい!
 私相生だから近いでしょや!
 何年生? 四年生だと10歳?
 へぇー、私六年生。二個上だね。ひょっとして学校一緒?
 ってあぁそっかあっちだと稲穂小かぁー。

 えっ、学校の名前分からない?
286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 02:07:59.94 ID:Hn+oLRjQ0
 何でー? 学校嫌い?
 じゃあ私がさ、とっときの技を伝授したげるよ。

 ほれっ、ドサーッ♪

 あははは、ほれ、ドサーッ♪
 私にもやってやって、そこら中に落ち葉あるでしょや、ドサーッ♪

 あはははははっ!
 ねっ、楽しいでしょ? ほら、次々!


 あぁ雪はダメだよ、うぃって!
 くっそぉやったなー、オリャオリャ!

 うひぃっ、つんめって! つめたっ!
 ムリムリっ! キミ体おっきいからズルいって! つめてぇって!

 あはははは! 鼻赤ぁーい、ヘンなの、あはははは!


 言葉分かんなくても、話すことは簡単でしょや。
 私も言うこと聞かないエラ〜いお嬢様の相手ばっかやらされるけど、大体私が泣かしてるよ。
 チョロイチョロイ。ラクショーよ、あははは。

 だから、何か困ったことがあったら私に言って。
 また会ったら一緒に遊ぼうよ。


 えっ、名前?
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 02:21:05.63 ID:Hn+oLRjQ0
 えーと、しら、うーん――日本語難しい?
 そんならねぇ、ほれ、雪。

 ホワイトスノー。たしかそれで合ってるでしょや?
 それが私の名前、ていうか名字。皆にもそれで通してんの。

 君の名前は? なんていうの?


 えー、あーにゃ?
 あーにゃ、結構言いやすいね。あーにゃ。猫みたい、あーにゃ。

 あはははっ、あーにゃあーにゃ。
 私は? ホワイトスノー、そうそう君英語の方が上手だねぇ。

 すっかり遅くなっちゃったから、もう帰るわ。
 君も、学校で友達たくさんできるといいね。


 もちろん! 私も友達。
 当たり前でしょや。今度は私が勝つからね、雪合戦。
 なんかダメな時があったら、雪を見て私を思い出してよ。

 いや、何その顔! 忘れちゃダメでしょや!
 北海道いて雪見ないことある? イヤでも覚えてよ。ホワイトスノー。ねっ?
 雪を見ていれば忘れないでしょ?

 そうそう、もっと笑った方がいいよ。
 笑ってた方が楽しいもの。
 あーにゃがまた泣いてんなら、ホワイトスノーが助けに行くよ。
 だから約束! ぜーったい覚えといてね、それじゃあ!


 ――――
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 02:30:09.09 ID:Hn+oLRjQ0
   * * *

「お戯れを、お嬢様」
 まったく――余計な戯言を挟まれたせいで、もう一度お皿を数え直さなくてはならない。

「お戯れてなんかないよ、ていうかお戯れさせてよぉ」
「くだらない事を言っていないで、そこをお片付けください。テーブルを置けません」

 今日は2月4日。私の誕生日。
 何でも望みを叶えてくれるというお言葉に甘えて、私はホームパーティーを要望した。
 黒埼家の屋敷を一日お借りして、事務所の皆を招待するのだ。

 その準備を、お嬢様だって手伝うと仰っていたはずなのに――。

「えぇー、だって昨日も私魔法使いにこき使われてもークタクタで……」
「そんなのは皆同じです。
 それよりほら、ハンバーグ、やってくださいましたか?」
「あぁ、うん」

 だらしなく散らかった衣服を片づけながら、お嬢様はおざなりに台所のカウンターを指さした。
 出来を疑いつつ、私がそれをチェックしに行く。

「……まだ練り方が足りません。もう少しちゃんとやってください」
「えぇーっ!? 練り過ぎると良くないって言ってたよね!?」
「程度の問題があります」
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 03:27:45.62 ID:Hn+oLRjQ0
「うぅ、千夜ちゃんのハンバーグ師匠……」

 泣きながら捏ねているお嬢様はともかく、椅子は――。

 ふぅむ――おじさまの書斎にあるものを持ってきても、二つほど足りなくなるな。
 私の分は必要無いとして――。

 ――杏さんのも別にいいか。
 彼女なら、勝手にそこらで居場所を作ってくつろぐだろう。


 アーニャの提案で企画したホームパーティー。
 初めての経験だけれど、あまりに考えることがたくさんあることに驚かされる。
 というか、迎えるゲスト達の個性が強すぎるのもあるだろう。
 かな子さんとフレデリカさんのお菓子教室も開かれるから、明らかに食器が足りない。

「お嬢様、それが終わったらホットプレートを洗っておいてください」
「あら意外。使った事あったっけ?」
「今まで使う機会が無かっただけのことです。
 第一、ハンバーグパーティーにしようと言ったのはお嬢様ではないですか」

 そう言うと、なぜかお嬢様はニコニコ笑いながらプレートを弄る。

「いやぁ、だって千夜ちゃん、文明の利器って基本的に苦手でしょう?
 この間だって、ルンバを買ってもあんまり信用してくれなくて、しまいにはルンバを両手で持って床を掃いてたじゃない」
「あれはルンバが働かないのがいけないのです」

 念のため、ホットプレートの動作確認をしておく。
 ――まぁ、たぶん何とかなるだろう。

 ところで、今日は特別ゲストとして高垣楓さんも来てくれるらしい。
 346プロが誇るトップアイドルで、皆の憧れであり目標。
 とても素敵な人だと、周子さんが自信満々に言っていたから、会うのが楽しみだ。
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 03:34:01.83 ID:Hn+oLRjQ0
「そうだ、今日はあの人は来てくれそうなの?」

 ふと、お嬢様が台所から声を掛けてきた。

「加蓮さんからの情報によると、常務はたぶんお越しになれない見込みです」
「ふぅーん、そっかぁ……忙しいんだね♪」
「ふふっ、そうですね」

 おじさまは、今日ホームパーティーをするに辺り、屋敷を留守にされると仰った。
 それは大変ありがたいご配慮だったけれど――でも、やはりお世話になっている人にはお礼を尽くしたい。
 そして、それは美城常務にも同様だった。

 そこで、お嬢様の提案により、私達はおじさまが常務をホームパーティーの場へ迎えるように仕向けたのだ。
 おじさまにも、常務にも、会いに来る相手が誰なのかを正確には教えていない。
 合流された後、そのままこちらへ参加しに来てくれても良いし、場合によってはそのまま二人でどこか――。

 そしてどうやら、それは後者になりそうとのことだ。
 何をお話されるのか楽しみだが、私達は私達で楽しむことに全力を尽くさなくては。

「千夜ちゃーん、できたぁ」
「本当ですか?」

 気の抜けた声に疑いを抱きつつ、念のため確認しにいくと――。

「まぁ、良いようですね。では次はサラダを…」
「千夜ちゃん」
「何ですか」
291 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 03:46:26.29 ID:Hn+oLRjQ0
「すっごく、良い感じだよ」

 首を傾け、ニコッと微笑むお嬢様に、私は首を傾げた。

「すっかり欲張り屋さんになって、楽しそう」


「……まったくです。一体誰のせいでしょうね」
「えへへ、さぁ〜?」

 とぼけるお嬢様に嘆息していると、呼び鈴が鳴った。

 噂をすれば、だ。
 先ほどお嬢様が仄めかしたであろう、私を変えた人達――予定より、ちょっと来るのが早いようだ。


 ドアスコープを覗き込むと、未央さんと志希さん。
 誰かに引っ張られたのか、彼女達がそこをどくと、黒いアイツの周りに皆が並んでいるのがかろうじて見える。
 もちろん、アーニャも一緒だ。

 まだパーティーの準備は4割も終えていない。
 些か不本意で恐縮ではあるが、これから先は皆にも手伝ってもらうとしよう。
 どうせアイツがいるのだ。料理を作り過ぎるなどということは無い。

 多くを与え、受け取ってくれる人。
 今日の私の誕生日だけでなく、これからも私の主観でもって共にいてくれる皆を、すぐにでも出迎えたくて――。

 私はドアを、つい勢いよく開けた。


〜おしまい〜
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/24(日) 03:51:29.05 ID:Hn+oLRjQ0
後半部分、ゲーム「アイドルマスター ワンフォーオール」の楽曲『アクセルレーション』と、
TVアニメ「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のED曲であるSnow*の『悠久の旅人 〜Dear boy』の歌詞をそれぞれ一部引用しています。

長くなってしまい、すみません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/24(日) 08:40:03.13 ID:krcgrWoG0
乙!
良い作品を読ませてもらった!
294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/11/24(日) 09:10:44.38 ID:fThj3+acO
乙乙!
まさか常務をそう使うとは…!
295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/24(日) 11:55:03.68 ID:Aw3MRfQ+o
おつ!
いい作品を読ませてもらい感謝です。ひょっとして、MEGLOUNITの人ですかね?
とにかく感謝です。
296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/25(月) 19:15:43.51 ID:P5wmoHMY0
>>295
作者のプロフィール
https://twpf.jp/SSoyuhari
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/25(月) 21:27:31.61 ID:JczFjlt6o
>>296
ありがとうございます。
勘違いでしたね…失礼しました。
他の作品も読ませてもらいます!
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/25(月) 23:03:51.50 ID:7oDvpdg2o
いやメガロユニットあるやん
勘違いじゃないぞ
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/26(火) 20:54:07.49 ID:wDVSPg/5O
>>298
どうもです。
勘違いの勘違い…だと?
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