【ミリオン】紗代子の欲しかったもの

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47 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:20:09.45 ID:2EYiqEug0



「……P!その時計、直したんですか!」

「ああ!これも、紗代子のおかげなんだ」


彼が商店街の時計屋さんに修理をお願いしに入店したら、
前に見積もりにきたときにはなかった、私のポスターが張ってあったそう。

彼が理由を聞くと、店主の方が先日のマラソン大会を見ていて、
私の熱のある走りにいたく感動したと、ファンになってくれたようで!
彼が私の関係者だと伝えると、いたく喜んで、特別価格で修理してもらえたそう。



最近彼とはスケジュールが合わなくて、朝会えなかったから、知らなかった。



「……でも、P。もしかしたら修理しないかもって…!」

私がそう尋ねると、彼はしみじみと語りだす。



「……あれから、紗代子に言われて時計のケースを見に行ったんだ。
展示品のケースに、俺の時計を入れてみたんだ。
ケース越しに見る俺の時計は、
なんだか…ただの傷だらけのくたびれた時計に見えてしまってな。

見れば見るほど、こいつがいるところはケースの中じゃないような気がしてならなくなって。
そう思ったら、直してやらずにはいられなくなったんだ」



「プロデューサー……っ!私も…私も、そう思います!」


私が走ったことで、巡り巡ってそんなことになるなんて…!
全部、ぜんぶ、ムダじゃなかった。
本当に、良かった…!



48 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:21:07.33 ID:2EYiqEug0



「それでな。紗代子にはコレを持ってきたんだ」

彼が手提げ袋から箱のようなものを取り出し、パカッと開ける。
箱の中には、ピカピカの時計がキラリと輝く。


「これを、紗代子にプレゼントしたくて」

「これを……わたしに?」



つけてみてくれ、と箱を差し出す彼。
シルバーのケースに、紺色の文字盤。
バンドは紺と白のストライプ柄のナイロン製のものになっている。
言われるがまま、恐る恐る時計を持ち上げて、
左腕に巻いてみると、ズシリとした確かな重さを感じる。


あ、重い…
と声が出てしまう。


「…はは、やっぱり紗代子にはちょっと大きいかな。
軽くなるようにナイロンのバンドに変えたんだけどなぁ」

と彼は苦笑いをする。



私は、時計をまじまじとみつめる。
彼と色違いの……おそろいの、腕時計。


49 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:22:42.55 ID:2EYiqEug0



「P…、でも…どうして?」


「ちょうど、復刻版が出ていたこともあるけど。
…でも1番は紗代子が、この時計を好きだって言ってたから。
紗代子にも、紗代子自身の成長と一緒に、時間を刻む相棒みたいな時計を持ってほしいと思ってな!」



彼は、照れくさそうに頬をかく。
彼の言葉を、噛みしめるように反芻する。
私の成長と、一緒に…



私は時計を見ているうちに、よく分からないものが、込み上げてきて。
途端に胸が一杯になってしまう。



鼻の奥が、ツーンとする。
メガネをつけているはずなのに、急に、視界が滲んでくる。


50 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:23:39.21 ID:2EYiqEug0



「あ、あれ?おかしいな。なんで……」

「お、おい。何も泣くことはないだろ!?」



そうはいっても、とめどなく涙は溢れてくる。
手で、涙を拭うけれど、抑えられないくらいには感極まってしまっている自分がいる。
こんな顔、恥ずかしいっ。
でも、勝手に溢れてくるものは、どうにもならない。
私は、なんとか涙のいいわけをさがす。


「だって……だって、P……っ!
ホントは、ホントは私が驚かすつもりで!
こんなの、急すぎます……!
急すぎて、わたし……わたし……っ」



涙を拭いながら話す私の頭を、
わかったわかったと彼は笑いしながらあやすように私の頭を撫でてくれる。
その腕からは、カチャカチャと腕時計のバンドの音がする。


51 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:25:19.66 ID:2EYiqEug0



「もう何度も言ったけど。
 改めて、言わせてくれな。
 ……紗代子。
 優勝、おめでとう。
 勝ってくれて、ありがとうな!」



そう言って、彼は笑う。




ああ、かみさま。
私、もうすぐ泣き止みますから。
そして、すぐにレッスンに戻りますから。



どうか、もう少し…
もう少しだけ、このレッスンルームに人が入ってこないで。
彼と、ふたりだけの時間を、
もう少しだけ、私にくださいーー!



52 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:26:17.04 ID:2EYiqEug0









朝、劇場の事務所で。
私と彼は劇場のソファーで肩を並べて、机の上の携帯電話の音に集中する。



プッ……プッ……プッ……プーーー!

ゴゼン8ジ40フン 30ビョウヲーーー



時報を聞くと、素早く時計のリューズを操作し、
パチッとリューズを戻す。

 
「よしっ」


重なる言葉。
そして、時計を手に持ち、左耳へ近づけ、
その音を聞く。



「……うん。いいな」



お互い、完全にシンクロする動作とセリフ。
彼は、驚いたように隣の私を見る。


53 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:27:28.68 ID:2EYiqEug0



「おいおい…。時間の合わせ方は教えたけど、セリフまで真似しろなんて言ってないぞ!」


私は、照れを隠すように頬をかく。


「フフっ!すいません、P!
でも、なんだか癖になってしまって…!」



彼から腕時計を貰ってから、朝、顔を合わせたらこうして肩を並べて時間を合わせている。
まさか、こんなときが来るなんて!


「…まぁ、いいけど。
ところで、その時計はどうだ。
見たところ、毎日つけているようだけど!」


彼は、贈ったプレゼントが使われているのが嬉しいのか、食い気味に尋ねてくる。
私はアゴに手を当てて、率直に答える。


54 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:28:25.18 ID:2EYiqEug0



「……正直、私の腕には大きすぎる感じではありますね。
バンドはナイロン製に変わっているけど、それでも重たくて。
時間だってすぐズレるし、蓄光塗料も薄ぼんやりで夜は見にくいし。
これは普段使いするには根気がいる道具だなとーーー


……あっ」




私が言葉を紡ぐたびに、彼のこうべが垂れていく。
しまった、と思い慌ててフォローしようとするも、彼は苦笑いを浮かべる。



「はは……まぁ、わかってはいたことだけど…。
もしも俺を気にして毎日着けてきてるなら、無理して着けてこなくてもいいからな?」




それを聞いて、私は改めて左腕の時計を撫でる。
たしかに、私が着けるにはデメリットしかない腕時計。


だけど、これは。



55 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:29:31.50 ID:2EYiqEug0




「ーー今日、午後からのドラマのオーディション、頑張ってきますから!」

話を変えるように、私は大きい声で彼へ伝える。
そう、今日は映画の主役のオーディションの日なんだ。


「…ん、そうだな!
俺はどうしても外せない用事があるから付き添えないけど、
紗代子なら、絶対大丈夫だ!」


彼がオーディションを受けるわけじゃないのに、
そう言って、ガッツポーズを決める。



「はい!
絶対に合格してきますから、期待していてくださいね!


あ、でもP……?
夕方の約束も、忘れないでくださいね?
言質、とってありますからね!」

そうメガネをクイッと上げて彼が買い物へ付き合ってくれる、
と約束してくれたメモを見せつける!



「はは!ちゃんと覚えているよ!約束だもんな。
……しかし、親父さんにはクルーズ旅行をプレゼントしたのに、それとは別にプレゼントを渡すのか?」



「……そっ、そんなところです!
とにかく、夕方5時に駅前で待ってますから、忘れないでくださいね…?」


56 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:30:28.26 ID:2EYiqEug0





「あ、息が白い…。もうすっかり冬なんだな…」

通り過ぎていく人やクルマの音に、そんな私の呟きは踏みしだかれるようにして、かき消える。


賑やかな駅前の広場の街灯の下。
私はひとり、彼を待っている。



彼からは少し遅れる、と連絡があってから返事はない。




ケータイをイジったり、喫茶店で待っていようかと思ったけれど、
そわそわして落ち着いていられなかったので、結局こうして待ちぼうけだ。



57 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:36:02.84 ID:2EYiqEug0


全力を出し切ったオーディション。
終わったあとで、監督や番組プロデューサーから直接合格を言い渡された!
家族にも、事務所のみんなにも連絡したとき、電話口から割れるような歓声を聞かせてくれた。



…でも今日は、
家族よりも、
仲間よりも…会いたい人がいる。


会って、声を聞きたくて。
会って、話したくて。
会って、笑顔を見たくて。



そんな逸る気持ちをなんとか落ち着けようと、
私は左手に着けた腕時計を外して、いつも彼がするように左耳へ近付け、目を閉じる。





チッチッチッチッチッ……




小さいけれど、たしかに聞こえる、駆動音。
絶えず鳴り続けるその音は、まるで生き物の心臓の音のように、鳴り続ける。


彼のくれた腕時計は、まだ新品のようにピカピカ。
そして、今もこうして、私と一緒に時間を刻んでいる。


58 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:37:19.51 ID:2EYiqEug0



今日のオーディション。
私の番が来るまで、凄く緊張して。
今までたくさん練習してきたから、自信はあった。
でもいざ本番を前にすると、体が強張ってしまって。
メガネを外しているのに、『弱い私』がひょっこり顔を出しそうで。


そんなとき、彼のくれた腕時計の音を、目を閉じて聞く。
彼ならこんなときどんなことを言うのかな、と考えると、
言葉よりも、照れて頬をかく彼の顔が鮮明に浮かんできて。

フッと笑みが溢れて。
力む肩から力が抜けて。
不安な心がスッと定まって。




ねえ、プロデューサー。
あなたはムリに着けなくてもいいって言っていたけれど。




この腕時計は、私にとって、
重たくて、大きくて、とっても手間のかかる、


素敵な魔法の腕時計なんですよ?



59 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:38:38.73 ID:2EYiqEug0



ふと目を開けると、
駅から走って出てくるスーツ姿の男性がひとり。
あたりを見渡して、私を見つけるとパァッと笑顔を咲かせて、ドタドタと走ってこちらまでやってくる。



「はぁ、はぁ、紗代子。遅くなって悪かった!仕事でちょっとあってーーー!」

「プロデューサー……」

彼が来てくれた…!
肩で息をして、ほんのり汗をかいて。



伝えたいことがたくさん、たくさんあったはずなのに。
彼の顔を見たら、何から話したらいいのか、分からなくなってしまう。
額の汗を拭いながら、彼は腕時計で時間を確認する。



「30分遅刻か……紗代子、すまなかった!
今日みたいな、めでたい日に……!
…怒ってる……か?」



黙りこくっている私を見て、彼は恐る恐る聞いてくる。
私も外していた腕時計を着けて、時間を確認する。


60 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:40:01.96 ID:2EYiqEug0



そうか。
私、そんなに待っていたんだ。
腕時計をしていたのに、時間を見ていなかった自分に内心、笑ってしまう。
申し訳無さそうな顔の彼を見ていると、ふと私の中の悪い虫が騒いでしまう…!



「いえ?私も今来たところですよ?
今、17時ちょうどですよ?」

「えぇっ!?いや、そんなバカな……」


彼が焦る様子がおかしくて、澄ました顔を作ったのに、つい笑みがこぼれる。


「Pの時計、また遅れてるんじゃないですか?……フフッ!」


そうとぼける私に、彼はケータイで正しい時間を確認する。


「おいおい紗代子…!冗談はよしてくれよ…修理したばっかりなんだからさ!」


「フフッ…忘れました?私の両親、冗談が大好きなんですよ♪」


61 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:40:58.85 ID:2EYiqEug0




そんなやりとりが楽しくて。愛おしくて。
調子に乗った私は、ウィンクしながら、とびっきりアイドルらしい笑顔でこう伝える。





「今日は、私がずっと欲しかったもの、Pからもらっちゃいますからね♪」

「え?でも、今日は親父さんの……」




彼が言葉を言い切る前に、


えいっ!


と彼の左手を、私は両手でギュッと握る。
彼は急な私の行動に、目を白黒させている。


62 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:41:47.70 ID:2EYiqEug0




「…今日は待たせた分、とことん私に付き合ってもらいますからねっ!
行きたいところ、いっぱいあるんですから!
……さぁ、行きますよ!」



彼の左手を引っ張るようにして駆け出す。
急に走り出した私に、バランスを崩した彼は前へつんのめる。



その時
彼の傷だらけの腕時計と、私のピカピカの腕時計が、
強く擦れあう。




ーーー傷、付いたかな?




私は構わず先を急ぐ。


63 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:44:43.04 ID:2EYiqEug0


「ま、まて紗代子!
 分かったから引っ張るな!
 それに、欲しいものって……っ!」



私の欲しいもの?
マラソン大会の優勝トロフィー?
彼とおそろいの腕時計?
ドラマの主役?



確かに私にとってどれも大切なもの。



でも、今…
この時に限っては、
どれもはずれ。




私は、彼を引っ張るのをやめる。

でも、つないだ手はそのままに、
彼の左腕にキュ〜っと抱きつく。


64 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:45:34.75 ID:2EYiqEug0


「お、おい…紗代子…!」



心底驚いた顔で、彼は私を見下ろす。
普段の私では、到底できないコト。
でも、今日くらい、いいですよね?
プロデューサー!



だって
あなたと過ごす、この時間がーーー




「せっかく2人きりの時間なんですから!
 さぁ、行きましょうプロデューサーっ!」





ーーー私が欲しかったものだから!








65 : ◆NdBxVzEDf6 [sage]:2020/02/08(土) 21:52:35.79 ID:PM21doJ80
一位とったときどうするのかと思ったけど、無事解決できてよかった
乙です

高山紗代子(17) Vo/Pr
http://i.imgur.com/LoRteOS.jpg
http://i.imgur.com/WyJRN38.png

「待ちぼうけのLacrima」
http://www.youtube.com/watch?v=A5PquQG5UA8&feature=youtu.be&t=122
66 :伊丹 [sage]:2020/02/08(土) 21:55:57.75 ID:2EYiqEug0

ありがとうございました。
私の著作では最長になりました。
時計に関するお話を書いてみたいな、と思いました。

もう時代的に、腕時計自体がが必要のないモノへと変わりつつありますが、
時を刻む、って文言、なんだかそこはかとないロマンあるなぁと思います。


皆様のお暇つぶしになれれば、幸いです。



また、私の過去作のまとめです。
お暇でしたら、ぜひ。
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