【オリジナル】男「没落貴族ショタ奴隷を買ったwwww」

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112 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:36:57.36 ID:7qxHavWD0
『タカシさん』
 しゃがみ込んだままのミユキが手を振った。
 ああ、ワンピースの裾が土と枯れた芝生で汚れている。
 土汚れは庭を駆け巡った時のものかもしれない。
『ワンピース、汚れる』
『あら』
 タカシの指摘に、ミユキは今気づいたといわんばかりに裾を見遣り、そして苦笑した。
『私ったら、駄目ね』
 汚れた裾を美しい手がなでる。ひとなでごとに汚れは落下し、しかし深く入り込んだ土は取れないのだろう、
僅かに茶色く染まった部分はそのままであった。
『着替えておいで』
『そうね』
 ミユキはゆっくりと立ち上がった。
 いや、立ち上がろうとしたのだ。
 その動きはは途中で途絶え、そして彼女の動きは完全に止まったのだった。
『ミユキ……』
 タカシはその様子を息を呑んで眺めていた。
 ただ、アホのように。
『駄目だよ』
 そう言ったのが少年だと気づくまでには時間が掛かった。
『駄目だよ』
 少年はそう言うと――、傘を、そう、その手に持った傘を、傘を――。
 ミユキの胸から抜き取ったのだ。
113 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:39:56.30 ID:7qxHavWD0
『……え……?』
 ミユキの白い頬に、鮮血が飛び散った。
 それから崩れる体。
 細い体が力をなくしたようにがくりと崩れ、そして、倒れこむ。
 まるでスローモーションのようだ。
 細く小さな体は芝生の上へと倒れこみ、そして庭は、ワンピースは、
土汚れなど比にならぬほど赤黒く汚れていた。
『駄目。駄目だから』
 ドサリと言う鈍い音がして、日傘が放り出された。
 真っ赤な光景に、タカシは未だ立ち尽くしている。
『ミユキ――!』
 声を張り上げ、彼女に駆け寄った。
 自分のものと思えぬ絶叫と、現実と思えぬ光景。
 いや、これは夢だ。
 夢だというのに、焦ることを止められれず、震えでもつれそうになる足で必死に彼女の元へと向かう。
『ミユキ、おい、ミユキ!!』
 頬を叩いても髪をかきあげても彼女の瞳は動かない。
胸に開いた穴から噴出した鮮血は、辺りを赤く染め、濡らし、そして汚した。
 タカシ自身の手も滑ったそれで真っ赤に染まっている。
『ミユキ、ミユキ!!』
 震えた声では名前のほかに何か呼ぶこともできない。やっとのことで搾り出した声は『救急車』、
しかし焦りのあまりタカシは、そのミユキの負傷の原因である少年を見上げ、そう懇願していたのだ。
114 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:43:11.91 ID:7qxHavWD0
『だぁめ』
 少年の顔が逆光でよく見えない。
 英数字の『1』の形に指を伸ばし唇に当てている少年は『駄目だよ』と言った。
 そこで漸く冷静になったタカシは、裏返る声で『貴様』と叫び、そして気づけば少年を芝生の上へと転がし
その襟首を引っ掴んでいたのだ。
『貴様、なにを、ミユキになんてことを……!』
 強い日差しが少年の顔を照らす。
 ああ、タカシはこの顔を知っていた。
 そう、よく知っている顔だ。
『……ショウタ……!!』
 不敵に微笑む顔に、タカシは強か拳を打ち込んだ。
『お前、お前、なんで……!!』
 何度も何度も殴る。
 ゴキ、だとかミシ、と言う耳慣れない実に気持ちの悪い音や感触が伝わるが、
タカシは加減なくショウタを殴った。
 タカシの拳はやがてすりむけ血が滲み、気づけばショウタは身動きひとつ取らなくなっていた。
 ハァハァと言う荒い呼吸は自分のものだ。
 襟首をつかまれたままピクリともしないショウタを見つめ、
しかしタカシはまだまだだと言わんばかりに力強くなおも殴り続けた。
『ふざけるな! ふざけるな……!!』
115 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:44:29.70 ID:7qxHavWD0
 傍らに横たわる姉の顔は少しずつ白さを増していく。
 彼女が完全なる死体に近づくまであと少しと言ったところだろう。
 タカシはそれを横目で見つつも、元凶であるショウタを殴る手を止められなかった。
 やがて首がおかしな方向に向いたショウタを芝の上へと捨てると、タカシは立ち上がった。
 厳しい真夏の日差しが首を焼いた気がする。
 ちりちりと燃えるような暑さと痛みを首に感じながら、タカシは二体の死体を見つめた。
 ああ、なにが起こっているのだろう。一体なにが。
 自分のシャツの裾も真っ赤に染まっている。
 芝生も赤くて、ミユキも真っ赤だ。
 おかしい。なにもかもがおかしい。
 独りでに漏れ出る笑い声が獣の慟哭かなにかに聞こえタカシは両耳を押さえながら笑い続けた。
 雲が流れ、日差しを隠し、そして先ほどまではあんなに天気がよかったのに、ポツリポツリと雨が降り出した。
 なにもかもが流れて言ってしまえばいい。そう、なにもかもを流してくれ。
 タカシは雨の中で笑い続けた。耳を押さえながら。
 芝生の隙間を、滑るように血液が流れていった。
 まるで川だ。流れ行く血液はどこへ向かうのだろう。
 なにもかもが異常で、おかしい。
 震える脚が限界を訴え、タカシは芝の上へと膝をついた。
『ミユキ……ミユキぃ……』
 力をなくした体を抱き、幼子のように声を上げる。
 たった一人の姉だ。かわいそうな姉、一体何故こんなことに――。
116 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:50:55.79 ID:7qxHavWD0
 元凶の全てはショウタだ。タカシは再びマグマのようにわきあがった怒りを胸に、
ミユキの傍らに倒れるショウタを見た。
 いや、見たはずだった。
 ――ショウタの死体は、そこにはなかった。
 血液だけがそこにあり、ショウタ自身の体はそこにはない。
 慌てて体を起こし周囲を見遣る。
『ショウ……タ、』
 干からびた喉が、漸くそう発音した。
 折れ曲がった首――、妙な形に歪んだそれを、支えることさえせずにショウタはそこに立っていた。
『酷イね』
 雨がタカシの頬を撃ちつける。かなりの強雨でタカシの頬は痛んだが、
しかしショウタは気にした様子もない。
『本当ニ酷イね』
 ひび割れた声がタカシを責めた。
 ジジジ、と言う奇妙な音がする。
『酷イ酷イ酷イ酷イ酷イ酷イ』
 壊れたようにそういうと、ショウタはタカシに一歩また一歩と近づいてきた。
 尻餅をついたまま、タカシは後ずさった。衣類が汚れるのも構わずに、ミユキの体を掻き抱いたまま
ショウタと距離を取るべく少しずつ動くが距離は縮まるばかりで効果は得られない。
『酷イ酷イ……俺ニダヶ、何デ酷イことスル乃?』
117 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:53:37.59 ID:7qxHavWD0
 歪な首には子供らしい細い腕が添えられ、そして元の形へと戻すべく乱暴にぐいぐいと押し続ける。
 そうこうしているうちにショウタの首は元の場所へと――、
辛うじて戻り、しかしその首は歪んだままだった。
『痛イよォ、酷イ……ォ兄ちゃン、酷イよ』
 ぱちぱち、と突如として火花が散った。
 ショウタの首からだ。
 彼の目から零れ落ちる黒い液体は何だろうか。いいや、そんなのは判りきっている。機械油だ。
 ショウタはアンドロイドだったのだ。
 人間の為のアンドロイドが人間に牙を向く。
 タカシは迫り来るショウタを畏怖して見つめた。
『痛イよぉ……』
『ショウ……タ』
 干からびた喉が張り付くような感覚がする。
 いったい何なんだ。こいつは何者なのだ。
 自問自答するが答えは見つからず、そしてショウタはまた一歩一歩、
覚束ない足取りでタカシへと近づいてくる。
『酷、』
 ごとん、と音を立て、ショウタの首が落ちた。
 落下した首の付け根には、シリアルナンバーが打たれている。
『ヒドォイョオオオオオオオ』
 落下した首が、絶叫をした。
118 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:55:17.46 ID:7qxHavWD0
 タカシはベッドの上で息を切らしていた。
 荒い呼吸、そして首筋を伝う汗。
 天井からはけたたましい目覚ましの音が鳴り響いていたが、
しかしタカシはいつもどおり停止命令を出すことができずにいた。
 唇が震えている。額に浮かんだ水滴は鼻筋を滑りシーツに落下していく。
 いくつも零れ落ちるそれを眺めながら、タカシは襟ぐりを掴んだ手をゆっくりと広げた。
掌の汗はシャツによって吸い取られていたはずだが、しかしまるで湧き水が湧き出るがごとく、
そこはすぐさま湿って行った。
 ――なんて気味の悪い夢だろう。
 タカシはじっとりとした掌をシーツで拭いながら考えた。
 近頃夢見が悪くて仕方がない。
 ストレスが溜まっているなどということはないはずだ。タカシはそんなに弱い人間ではない。
 一体、何だと言うのだろう。
 自分では認識をしていないだけで、ショウタに対して罪悪感があると言うのだろうか。
 今しがた見た夢を、目を瞑って反芻する。
 落下する首。その皮膚からはみ出ていたのは金属製のパーツで――、
つまり彼はアンドロイドであった。
119 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:55:56.93 ID:7qxHavWD0
 もし。もしもショウタがアンドロイドであったのなら? それならば心置きなく殴る蹴るができるだろう。
 だがタカシはそんなことは望んでいない。生身のショウタでなければ意味がない。
 だが何故?
 代用品で済むのならそれこそ健全でいいことではないか。
 いいや、そうではない。
 そうではない、とタカシは首を振った。
 タカシはショウタに執着している。手放す気持ちはない。生身でなくては意味がない。
殴り、蹴り、そして犯し心を蝕ませたい。
 だが、それが何故なのかは皆目見当もつかない。
 そこまでは判るのに、しかしその先が判らない。
 生意気な目、屈しない心、そして決して委ねられることのない強情な体。
 それが楽しくて仕方がない。罪悪感など微塵見ない。
 では何故妙な夢を見るのだろう。
「気持ちが悪い……」
 目覚まし時計は鳴り響いている。
 いい加減この腹の立つ音を止めたかった。
 タカシは眉間にシワを寄せたまま「起床した。停止」と命令を出したのだった。
120 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/02/18(火) 00:56:46.82 ID:7qxHavWD0
今日はここまで
121 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします [sage]:2014/02/18(火) 01:36:42.94 ID:ShfiQZLR0
追いついた。続きに期待
122 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします [sage]:2014/03/04(火) 05:06:00.57 ID:kMTX4ZIMo
 ているよ
見て●るよ
123 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします :2014/03/18(火) 18:19:38.53 ID:1ckPgeW70
良い感じに背徳的
124 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします [sage]:2014/03/19(水) 11:45:23.28 ID:cQC7F0rJo
乙乙!
追いついた
期待
125 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします [sage]:2014/03/24(月) 17:59:51.44 ID:f1qXxKW3o
ずっとずっと 待って●るよ
126 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします :2014/03/31(月) 18:12:01.12 ID:c/HFRv7i0
乙!
期待
127 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2014/04/06(日) 14:02:00.62 ID:ipe7SCPaO
待ってるで。
128 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:28:07.37 ID:GrsimyNi0
すまんなートリあってるか不安だ
よいせ
129 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:29:06.17 ID:GrsimyNi0
うし、あってた!
あ、エロパートなしです
ごめんNA!
130 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:30:54.25 ID:GrsimyNi0
 正月も間近となると、テレビは各種イベントに向けて浮き足立った番組だけとなり、
タカシは辟易していた。
 普段は見向きもしないテレビに向かっているのは、単純に暇をもてあましていたからだ。
 あの日以来、ショウタは下男の部屋に保護されており、タカシの前に姿をあらわすことがない。
 時折怒声が聞こえてくるが、おそらくショウタが下男相手に悪態を吐いているのだろう。
 なんにせよタカシはショウタの体以外に興味は湧かなかったから、
彼が泣こうが喚こうがどうでもいい話であった。
 訪ねればいいだけの話であるのだが、あの奇妙な夢を見て以降、どうにも性欲が湧かなかった。 
 性欲のスイッチが切られたかのように、嗜虐心がなりを潜めている。
 ――今のところは、であるが。
 そんな理由から、タカシはリモコンを操作し然して面白くもないテレビ番組を見ているのである。
 オモチャを取り上げられればやることがない。
 必然的に見たくもないテレビを見ることになるわけだが、どの民放もお笑いや音楽、
つまらないドラマばかりで如何せんタカシはうんざりしていた。
 ホログラムの無駄遣いもいいところである。
 そんなアイドルだの芸人だので満たされた茶の間で怠惰な年末を過ごすこと数日、
衝撃的なニュースがタカシに齎されたのは二十八日の昼間のことだった。
 のんべんだらりと朝からテレビをつけていたタカシは、思わずソファから立ち上がりそのホログラムを凝視した。
『……アメリカ連邦共和国の世界最大手コンピューターメーカーのB社は
新たなAI技術を開発したとの発表を行いました』
 タカシはその報道をインターネットよりもいち早く届けるに至った『日本放送技術公社』の報道を
食い入るようにして見た。
 スクープ映像がひとしきり流されたのち、アナウンサは今後日本最大大手であるA社――、
つまりタカシの勤め先であり、ゆくゆくは運営の一切を任されることとなる実家の事業だ――、の
経営が厳しくなるのではないかと言う見解を示し報道を締めくくったのだった。
 タカシはテレビに向かって「電源off」と口頭で指示をすると、深くソファに沈みこんだ。
131 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:32:33.30 ID:GrsimyNi0
 ――頭の痛くなるような話だ。
 AIの新技術。その発想は、今正にA社の技術者たちがあと一年後の新作発表にあわせて開発を
急いでいるものであった。
 それは、端的に言ってしまえば、人造人間によく似た技術であった。
 体の一部を事故などで欠損した場合、それをメカニックで補う技術は疾うの確立され、随分になる。
 最早それは医療技術としては別段珍しいものではない。
浸透しきったそのその医療技術は多くのユーザーを生み出し結果パーツは安価となり、
ついには国の財政負担を軽くするまでに至ったと聞く。
 勿論A社も小規模ではあるが人工四肢部門を設けていた。先の大戦の結果であるが、
それなりの業績を打ち出しているのだ。
 今回B社が発表したのは人工海馬だ。
 つまり、B社の会見が事実であるのなら、人間の記憶や空間学習能力をつかさどる部位を、
人工物に切り替えることが可能と言う話だ。
『先ほどお伝えしましたB社の人工海馬についですが、ヤマザキさん、どうしょうか?』
『ええ、なんとこの海馬、アンドロイドに埋め込むことは当然ですが、人間に埋め込むことも可能だそうです。
様々な機関によって阻止されるでしょうが、理論的には可能とのことですよ。
つまり、体だけ別人に切り替えることも可能と言うことですね。それに、』
 なるほど、と女性アナウンサーがしきりに頷いている。
『それに、昨今では体の五割程度がメカニカルと言う方も珍しくないようですが、
オールメカの人間が生まれることも夢ではないということです』
 A社のやりたかったことは、まさにこれだった。
 『故人の意志を引き継いだアンドロイド』、それが作りたかったのだ。
 勿論今現在故人である場合にはどうにもならないが、今まさに死のうとしている者から
記憶を人工海馬にアウトプットし、一部の記憶――、あまりにもその人そのものであるのは問題であるから、
アンドロイドとして存在するために適さない記憶の削り取るという作業ののち、アンドロイドに埋め込むのだ。
 先を越された、とタカシは思わず舌打ちをした。
132 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:33:34.06 ID:GrsimyNi0
 A社は技術をほのめかすような発表を各デジモノ専門誌にしてはいたが、
情報漏洩をおそれて何ひとつ明確には発表していない状態であった。
 技術の類似性は歓迎されない。後だししたほうが真似たと思われても仕方がない。
 ――開発をもっと急がせるべきだったのかもしれない。
 尤も、今現在のタカシの立場では、それを行うことはできないのだが。
 国内シェアナンバー1の冠に胡坐をかきすぎたその結果の敗北としか思えなかった。
 実のところ、A社は行き詰っている。
 人工皮膚を開発したものの、それについても様々な弊害があり結局は廃止した。
 近頃はアメリカや新ソ連の後に続くばかりとなっているのがなんとも歯がゆい。
いつでもあと少しと言うところで追いつけぬのだ。
 様々な国から留学生を募っている国と、小さな島国ではやりようが異なる。
 優れた技術を膨らませることが難しいのだ。A社でも伸び代の多い国から技術者を募っているが、
しかしそう上手くは行かない。国によって他国の技術者――、いやもっとはっきりと言えば
鎖国の名残から、外国人を国内へと招き入れることについては未だ規制があるし、
運よく許可が下りても、A社内の技術者がみな英語を苦手としているために苦労して招いた技術者と
上手くコミュニケーションを取ることが難しいのだ。
 英語は地球語とよく言ったものである。共通の言語を話せなければ切磋琢磨することもできぬし
またスムーズな情報交換も望めない。
 このままでは、A社は時代遅れのアンドロイドメーカーと言う印象が染み付きかねない。
 アンドロイド販売の歴史はどこのメーカーよりも長く深いはずだというのに、
近頃では寧ろそれだけしか取り得がないようにタカシでさえ感じている。
133 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:34:27.41 ID:GrsimyNi0
 滑らかな関節の動き、人そのものの表情。
 それらは確かにどこのメーカーよりも勝っているが、
しかし今やアンドロイドは様々な多様性があり、例えば動きが歪であってもジェットエンジン搭載で
空を飛べるだとか、そうでないのなら人型から小型バイクへと形を代えるだとか、つまり
それぞれの企業はそれぞれの形で不自然な動きをカバーするべく工夫を凝らしているのだ。
 A社はエラーを起こしがたい思考パターンが売りではあるが、それだって冒険をしていない言われればそれまでだ。
 安全性ばかりを重視した結果、個性的な性質――、つまり性格だ、を持ったアンドロイドはA社の製品からは
生まれ得ない。生まれようがないのだ。
「……畜生……」
 爪を噛みつつタカシは呟いた。
 家を潰すことも、どこかに吸収合併されることも、どちらも有り得ないことだ。
 いや、あってはならぬことだ。潰してはならないのだ、あの会社は。
 あの会社は、ミユキの、姉の――。
『私だってできることならば男性に生まれたかったわ』
 日傘の下、俯き顔を隠したままミユキは言った。
『でも仕方がないの。だから結婚をするの。貴方が会社を守るのよ』
 日傘をどけた姉は、微笑んで『お願いね』と言葉を添えて、自分の夢をタカシに託したのだ。
 潰すわけには行かない――、そう考えれば矢も盾もたまらず、コートを引っ掴み一階へと向かった。
 祖父に会いに行くのだ。ここ暫くあっていないから丁度いいだろう。
「坊ちゃま?」タカシの足音を聞きつけたのか、下男が顔を出す。「どちらへ?」
「お爺様に会いに行く」
「今からですか?」
「ああ」
 コートに腕を通しながら忙しなく告げると、下男はタカシンのあとをついて来た。
「馬車で行かれますか? それともスカイカー、」
「馬車で行く」
「お待ち下さい、今私が御者を、」
「自分で言うからいい。お前は仕事の続きをしておけ」
 実際下男がどんな仕事をしているのかタカシは知らないが、そう気遣うように告げる。
 馬車を呼ぶくらいなんてことはない、ただ口を開けばいいだけだ。下男が御者に連絡をし、
タカシはぼんやりと玄関でそれを待つ――、無駄な時間だ。同じ敷地内にいるのだから、
さっさと声を掛けた方が早い。
134 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:34:58.66 ID:GrsimyNi0
「坊ちゃま、」
「なんだ! 私は忙しい!」
 半ば恫喝するように声を荒げると、下男は二度三度と口を開き、そしてその口は静かに閉じられた。
 八つ当たりが過ぎた――、そう思ったところで叫んだ事実は消せないし、下男は怯えたままだ。
「……悪かった。急いでいるんだ」
「いえ……、行ってらっしゃいませ」
「ああ」革靴に足を突っ込み、そしてふと思い出したように「ショウタを頼む」と口にする。
「……はい」
 何故そう言ったのか判らない。ただ自然とそう言葉が口をついて零れ落ちた。
 玄関扉を閉じて、厩へ向かう。同じ敷地内にあるとは言え、そこは屋敷から少しばかり離れていた。
 庭を抜け、裏庭へ向かい、その先に位置する。その道中に比較的広く取られた道が広がるのは、
当然馬を走らせるためである。
 競歩と言うべき速さで足を進め厩を目指していると、小気味のいい音が響いてくる。
 馬車だ。きっと下男が連絡を入れたのだろう。深い茶色が美しい馬車を馴染みの御者が操りながら
タカシに向かって近づいてきた。
「坊ちゃま!」
 そう呼ばれたところでタカシは足を止めた。あまり近づくのは危険だからである。
「急に悪い!」
 ひづめの音にかき消されぬよう声を張って言う。
 やがて馬はタカシの前に止まり、そして御者は「いいえ」と返事をした。
「実家まで頼む。お爺様に会いに行く」
「はい、判りました」
「なるべく最短ルートで」
 御者のはきはきとした声を聞きながら、タカシは馬車へと乗り込んだ。
135 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:36:37.10 ID:GrsimyNi0
 馬車はスカイカーのあとへ続いたり、はたまた馬車のあとへと続いたりしながら道を進んでゆく。
 車は大気を汚すとしてだいぶ昔に規制された為、行動を走るのは馬とスカイカー、スカイバイクのみだ。
 時々歩道をスカイボードが走るが、高さが二十センチ程度しか浮かばない上にスピードも出ないとなれば、
その用途は子供のちょっとした移動手段に限られていた。
 それでもこの国の発展はすさまじい。戦争によって苦汁を舐めた老人たちが陣頭指揮を執り
街づくりに際して可能な限り、至る場所へと最新の技術を埋め込んだためだ。
 雪が降っても路面が凍結することはない。犯罪が起これば瞬時に警備アンドロイドが犯罪者を拘束し、
被害者に怪我がある場合は医療アンドロイドが治療を開始する。雨風が強い日は空高くに張り巡らされた
風雨感知線がシールドを張る。万が一砲弾が降り注ぐような事態が起こったら、主要都市はすっぽりと
シールドの分厚いドームに覆われ、すぐさまドーム外の戦闘型アンドロイドが偵察と攻撃を始めるのだ。
 すさまじい発展に追いつけなくなりつつあるのは、A社かもしれない。
 遅れを取り『A社はもう駄目だ』と消費者に思われたらもう終わりなのだ。
そういうイメージこそが会社を破綻へと導く。
 脳内に広がる恐ろしい未来に、タカシは唇を噛んだ。
 子供のお守りをするだけのアンドロイドに未来などないだろう。
 性的な相手をするだけが取り得のアンドロイドなど既に時代後れだ。 
 ではどうすればいいのか。タカシにはそれすら思いつく能はない。
 目下の目標は人の記憶を受け継ぐアンドロイドであったが、それもB社の発表が先になされたとなれば
方向転換を図るべきとされるかもしれない。
 だがどうすれば――? タカシは自分の無能振りをいち早くに自覚していた。
勉強ができるとかできないの問題ではない。センスがないのだ。
 センスがないというのが技術がないことよりも厳しいことだ。技術は磨かれるがセンスはそうも行かない。
あれは天性のもので、のちのち様々なものに見て、触れて身につけたとしても、それは後天的なものであって
生まれつきのものには遠く及ばない。
 タカシにはそのセンスがない。どころか、皆無といっていいのかもしれない。
136 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:38:19.26 ID:GrsimyNi0
「参ったな……」
 参ったな、と愚痴を零すことしかできぬ。
これから祖父に会ったところでできることなどないとタカシは判っているのだ。
 判っていも会いたいと言う気持ちは抑えられなかった。
 一刻も早く祖父に会う必要が会ったのだが、馬車は遅々として進まなかった。
「どうした?」
 車内の伝声管越しに尋ねると、御者は『渋滞のようで』と短く返事した。
 確かに車窓からみえる道は混雑をしており、どの車も立ち往生している。
ドライバーは時として苛立たしげに、或いは時間を気にするかのようにしてみな落ち着かない。
それはタカシも同様で、「こんな時に」と思わず口走る。
 テレビも人も浮かれがちな年の瀬、こうして渋滞をしているのはおそらく地方都市も同じことであろう。
 かえって徒歩で向かったほうが早かったかも知れぬ。
 そうタカシが思った瞬間に、馬車は少しだけ動いた。前進と呼ぶにはささやか過ぎるほどの動きであったが、
しかし今正に下車して徒歩で向かおうかと考えてたタカシを車内へと引きとめるには充分な効果があった。
 浮き上がらせた腰を再び落ち着け、タカシは溜息を吐き出し続けた。
 結局この後、タカシが下車をしようと思うと同時に車がほんの少しだけ動くと言うことを繰り返し、
実家へと辿り着いたのは二時間後のことであった。
137 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:40:56.04 ID:GrsimyNi0

 この国、大日本帝国のトラウマは深い。
 羽のついた不気味な飛行船が横浜空港に寄せられ、それに人々があっと驚いていると、
突如として現れたのは軽甲冑を纏った軍人の大群であった。
 無国籍軍を名乗る彼らは日本人を殺め、捉え、そしてその奇襲作戦でもって、
日本を沈没させようと企んでいたのだ。
 ――と言うのはタカシが義務教育総合校に在籍をした九年の間に、幾度も聞かされた話だ。
 実害を受けたのは老人世代であって、タカシたちの世代ではない。
 殺されたのは多くの技術者と、それに研究者。今でこそ彼らは手厚く保護されているものの、
当時はボディーガードもなく道端を一人で闊歩していたと言うから驚きである。
 日本は技術を好んでガラパゴスかさせ、変態的にそれらを育むことに熱心な国で、
国内で技術そのものを保護し、決して諸外国へと明け渡すことのない『秘密』を数多く持っていた。
 それが狙われたのだ、と言うのが教科書による説明であった。
 主に水不足。どうもそれが悪かったようだ。
 世界がそれで喘いでる時代に、日本は豊富な資源に加え、次々と水を『何某かの技術』を用いて生産、
それを売りさばいていたことが世界的に問題となっていたようである。
 ただビジネスをしていただけ。だと言うのに突然の奇襲だ。
 国民はもとより政治家は怒り狂い、無国籍軍に対して報復活動を行った。
 それがどういうわけか第五次世界大戦へと発展し、なんとか勝利を収め、ボロボロの状態で終戦を迎えた日本は、
ある日突然にして鎖国を行ったのだ。大人しく従順な日本とは思えぬ行動であったのだろうが、
残り僅かとなった技術者、研究者たちが戦争中何故徴兵されなかったかと言えば、
この国を保護するためであったと言う。
 戦争中、都心部が中心に襲われた。
その隙を縫うようにして、地方都市へと様々な迎撃の為の施設を整えていたのだ。
 ――日本は変態的に技術をガラパゴスかさせることを好む国だ。
 それと気づかせずにこっそりと国を守ることに、技術者たちは力を入れていた。
138 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:45:01.61 ID:GrsimyNi0
「――だと言うのに何故道がこんなに混んでいるんだ」
 とてもではないが、そのメカニカル大国大日本帝国の道路とは思えぬような混みっぷりだった。
 今日ばかりはスカイカーが羨ましく感じたタカシである。
 ようやく辿り着いた実家の庭で、草臥れた顔のタカシは這い出すようにして馬車から降り立った。
 全てが最新のシステムで整備されている街とは思えないような混雑に、祖父に会うより前に
身も心も疲れ果ててしまった。
 ――芝の剥げた庭は相変わらずだ。
 その割には四季の花が咲き乱れ、その姿は圧巻である。ガーデナーだか庭師だかが世話をしているようだが、
そんな大昔に廃れた職業に未だ従事する者が居ることに驚きを隠せない。
 とは言えこの芝である。
 花々によって少しばかり晴れた気持ちが、足元の芝生を見てまた落ち込んでいくのを感じた。
 枯れた芝生はその庭に不似合いであったが、種が入荷されないとかで致し方がない状況のようだが、
それにしても見るに耐えない醜さである
「坊ちゃま!」
 どこからともなく聞こえてきた声に、タカシは俯き加減であった顔を持ち上げた。
 ずり落ちる眼鏡を押し上げながら息せき切って駆けてくるのは、馴染みの深い祖父の秘書である。
 名はサトウと言ったはずだ。
「サトウさん」
 手を「や」と上げ形ばかりの微笑を浮かべると、サトウはどういうわけかぎこちなく笑みを作りながら
「お久しぶりです」と返してきた。前髪が乱れ、撫で付けた髪が一筋額にかかっている。
額には汗が浮かび、眼鏡が少しだけ曇っていた。
139 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:46:02.25 ID:GrsimyNi0
「忙しかったかな?」
「いえ、年の瀬ですから忙しいのは仕方がないことです。社長に御用でしょうか?」
「ああ、まだ。お爺様はいらっしゃるか?」
「ええ……まぁ」どうにも歯切れが悪くサトウは返事をした。
「都合が悪いのなら、夜まで待たせてもらってもいいが」
 本当は一刻も早く会いたいと言うのが本音であったが、相手は日本有数の大企業の社長だ、
それならば待つよりほかはあるまい。
「いえ、そういうわけではありません。どうぞ、お屋敷にお入り下さい」
「ああ」
 サトウの態度が腑に落ちぬまま、タカシはサトウの半歩後ろに続いた。
 日光が眩しい。目を眇めて空を仰ぎ見れば、メカニカルバードが空を羽ばたいている。
見せ掛けの自然、それはなんと不自然なものだろう。数少ない野鳥を監視する目的の人工鳥らしいが、
タカシはどうにも好きになれなかった。
 そう、『あの子』は大型の鳥を機械仕掛けと判っていても怖がっていた、と思い出す。
『お兄ちゃん』
 成長途中の腕が、タカシの背後に隠れてメカニカルクロウをこわごわと覗いていた。
『噛み付かない?』
 メカニカルアニマルは全て人に害がないように設計されている。それはもう常識だった。
『噛み付くわけがないだろう』
 タカシは子供にぞんざいに言うと、馬鹿馬鹿しいと吐き捨てた。
「……坊ちゃま?」
 ハッとし、タカシは明滅を繰り返す視界を振りほどこうと、頭を振った。
 ――今の記憶はなんだ? 見知らぬ子供の影、そしてそれを冷たくあしらう自分。
 突如として押し寄せたフラッシュバックにタカシは頭を抑えた。
140 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:47:04.01 ID:GrsimyNi0
何かがおかしい。疲れているのだろうか。
 いいや、そんなはずはない。ここ数日間は休み通しで怠惰な毎日を送っているではないか。
 今のはなんだ――?
「坊ちゃま、どうなさいました?」
「いや……」
 鳥が羽ばたいている。嫌な鳥だ。
「なんでもない」
 タカシは慌ててサトウに走りよると、「それでお爺様だが」と切り出したのだった。

 屋敷の中は適度な温度に保たれ温かかった。
 玄関正面の大階段から祖父が降りてきたのは、タカシがコートをメイドに預けた直後のことだ。
「タカシ」
 悠々と降りてくる祖父にくらべ、屋敷内は慌しい。年の瀬であるからそれも致し方がないのだろうが、
それにしても忙しない空気ばかりが充満していた。
「どうしたんだ、突然。驚いた」
 心底驚いた、と言うような顔を作りながら、祖父はタカシへと近寄ってきた。
 何故祖父はこんなに暢気にしていられるのだろう。
 一抹不安と、そして大きな疑問が頭を駆け巡る。
「B社のニュースを……」
 ああ、と祖父は言った。やはり覇気のない返事であった。
 祖父はこれほどまでに腑抜けであっただろうか。
「それならば問題はない。わが社はわが社でそれなりに上手いことをやっている。
来年には国から託された事業が本格的に始動するしな」
「は?」
 そんな話は寝耳に水であった。
 聞いたこともない。
「箱庭計画だ」
 顰めた声は、それでもはっきりとタカシの耳へと届いた。
141 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:48:22.25 ID:GrsimyNi0
「それは……、ですが、わが社にそのような話が回ってくるとは……」
「一部の幹部しか知らぬことだ。まだペーペー扱いのお前に話が回るのはだいぶ先。
……こんなところで話す内容ではないな。来なさい」
「ああ、はい……」
 箱庭計画は、都市伝説のごとく囁かれている首府京都府の完全メカニカル化であった。
 今現在京都府は国の完全管理下に置かれており、半廃墟と化している。と言うのも、先の大戦で
非核弾を落とされ焼け野原と化したのだ。非核とは言えその威力はすさまじく、これがもし寺や神社が豊富な
東京都へと落とされていたら、と思うと肝が冷える。
 そのような状況になり随分経つが、京都府は未だ所々が焦げ付いており、
それならいっそと国が立ち入りを完全を制限したのだ。
 その都市を完全に甦らせる――、そのような計画であったのだ。
 そんな計画の一端をA社が担う。タカシはそれを全く知らなかったのだ。
 いくらペーペーとは言え、タカシの耳にだけは届いていいはずだ。奥歯を噛み締めると、ぎりっと嫌な音がした。
「お兄ちゃん」
「!」
 タカシは振り返った。
 誰も居ない。確かに子供の声が耳を掠めたような、そんな気がしたのだが。
「タカシ……?」
 やはり疲れているのだろうか。近頃頭痛も酷い。一度医者に見せたほうがいいのかしれない。 
「なんでもありません」
 なんでもない、少し調子が悪いだけだ。
 押し寄せる不気味さを振り払いたかった。
 タカシは足を速め、無理やりその気味悪さを胸の奥へと押し込めた。
142 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:51:10.51 ID:GrsimyNi0
「つまり、人が住まっているかのように偽装する、と?」
「そうだ」
「人が住み、人が営み、人が政治を行っている――、そういう場所だと他国へと錯覚させるのだ」
 それは、有事の際に国民の死傷者を最小限に済ませるための計画、と言うことらしい。
 今現在極々小規模の村で密かに行われている実験場所を京都府へと移し、その規模も拡大させる、とのことだ。
 村での実験はもっとシンプルらしい。村民二〇〇名のうち、ホンモノの人間は僅か一〇名。
国より選出された公務員が、二年をかけてその擬似村生活を体験し、
そして「生活に不安はない」と言う判定を下したのだ。
 もとよりアンドロイドに慣れ親しんだ世代だ。タカシたちの世代には、独自に顔をカスタマイズして
「俺の嫁」などと呼び憚らないドールフリークも数多く居る。
 そんな世代だからこそなせる業かも知れない。
 それらをもっと大規模に、そしてもっと細かく人としての生活を再現させるのだと言う。
「では、そこに実際に住まうのは公務員に限られており、例えば技術家も、医者も、大学も、全て見せかけの
虚像に過ぎぬ都市を作り上げると言うことですか?」
「そうだ」内密にな、と祖父は言う。
 にわかには信じられない話であった。
「二十年。二十年をかける予定の計画だ。そのために、秘密裏に様々な顔面、体型パターンを用意してある」
「国民にはどう説明をするおつもりですか」
「国民はなにも知らない。戦中に誰が国を守った?」
「……大日本帝国国防軍ですよね?」
 ああ、と祖父は頷いた。
「彼らの家系はその末端までが生粋の軍人だ。たとえ他の職業についていても、軍人としての品格や知性、
そして国への忠誠は並大抵ではない」
 それはタカシも知っていた。同級生にも居たが、彼らは本家より血の遠い末端の末端である存在であっても、
筋金入りの愛国者であった。それはもう、鬱陶しいほどに。
 先祖が先の大戦に勝利したことが、彼らの誉れでありアイデンティティであった。
「彼らの中に、何体ものアンドロイドを既に仕込んでいる。もう、何十年も昔から」
「……そんな馬鹿な」
 タカシは唖然とし、開いた口が塞がらなかった。
143 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:52:30.27 ID:GrsimyNi0
「戦争はそのうちまた起こる。この国は場所が悪い。太平洋に面したこの小国は、いつも必ず狙われている。
世界の実情は知っているだろう。確かにどこの国も『それなり』によろしくやっているように見せているが、
内情は火の車。いつどうなるか判らんと言うのが本当のところだ」
 いつ、日本の技術を、資源を食らい尽くそうと行動を起こすか判らない――、そういうことらしい。
 だからこそ、首府を限られた人間しか立ち入ることのできぬ場所とし出入りを制限し、
その上で『国の中枢機関を集約した場所』と言うイメージを定着させる。
 人間は実際に出入りするが、その大半はヒト科ヒト亜科のフリを巧妙に演じるアンドロイドと言うことだ
 信じられぬ話に、タカシは額を組んだ指に擦りつけ、自身の足元を見た。
「お前の同級生――、医者からスカイカーレーサーへと転向した男」
「ああ、はい」
 唐突に切り出され、タカシは追いつかない脳でもって、必死に旧友の顔を思い出す。
 笑顔の眩しい、如何にもスポーツマンと言う見た目の男だ。彼も確か、軍人の大伯父を本家にもつ軍人家系だ。
「あの男もアンドロイドだ」
「……は?」
「アンドロイドだ」
 眩しい笑顔が、突然歯車の塊に思えてくるから不思議なものだ。
 つまりタカシは、アンドロイドとリレーを競い、時としてサイクリングをし、
そして何故か馬に嫌われる彼を大笑いしながら乗馬を楽しんだと言うことだ。
 人の心に敏感な馬に嫌われるわけである。
144 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:53:19.76 ID:GrsimyNi0
「……他にも?」
 溜息混じりに尋ねれば、祖父は「さぁてな」と頬をにやつかせながら濁したが、
きっとタカシが人生で出会った何人もがアンドロイドであったのだろう。
 自社製品とは異なる顔、そして成長するからだ。少しずつ手を加えていたのだろうが、滑らか過ぎるそれに
全く気づけなかったのはA社の跡取りとしてただただ恥ずかしいばかりである。
「だからそんなにわが社の行く先を気に病む必要はない」
 祖父はしっかりとした声でそう言い放った。
 国の事業に一枚噛んでいる。となるとメンテナンスにもかなりの要員と時間を割かれることは必須であろう。
 それに対して国が相応の金額を支払わぬわけがない。
「安心していい、ということでしょうか?」
「だからそう言っている」
 食えない老人だ。
 孫のタカシまでに黙っていてどういうつもりだ、と攻める気には最早ならなかった。
 ただ、「そうですか」と気の抜けた返事が漏れ、タカシは漸く、その革張りのソファへと
緊張した背中を預けることができたのだった。
145 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/04/08(火) 22:53:51.78 ID:GrsimyNi0
きょうはここまで
保守してくれた人ありがとう
146 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2014/04/09(水) 14:06:31.76 ID:euNIP17DO

なかなか面白い設定だね
147 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2014/04/11(金) 06:53:15.22 ID:9HJmqOjF0
乙 すごい話だ
148 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2014/04/30(水) 09:55:48.01 ID:1iJwYbsbo
見て●るよ
149 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2014/05/05(月) 00:07:03.32 ID:VU772muD0
乙乙!
150 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2014/05/06(火) 13:00:31.71 ID:PfUD4Pmo0
てす
151 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/03(火) 19:41:00.94 ID:4xt5doD60
明日にはどうにかしたい
保守してくれている人ありがとう
152 : ◆OXhKjKboNk [saga]:2014/06/05(木) 03:53:02.65 ID:3HZcaxLO0
デート・ア・ライブの真那ちゃん
エロいのありなら下半身下着姿でおしっこ我慢できず限界おもらし
153 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:01:07.85 ID:/oxg2ChX0
 国が打ち立てた計画は、タカシが想像するよりもはるかに壮大なものだった。
 まずは京都府を、との計画であったが、徐々に全ての都道府県の県庁所在地を箱庭化させるようであった。
 そして人々が逃げ込むべきシェルターはまた別の場所へ。これは秘密裏に用意されるものであって、
いざ『有事』を迎えなければ各県知事以外知ることもない。
 県知事も今ではよほどのことがない限り世襲制であるから、それが外部に漏れることもないだろう。 
 国民を守る。辛酸は二度と舐めない。
 老人たちは棺おけに片足を突っ込むような年齢になってもなお、国民のことを考えていた。
 さらりと説明されたその計画に、タカシ漸く肩の力を抜いた。
 掌にじんわりと浮いた汗もやっと引き始め、きつく握りこんだ拳も解けはじめた。
 とんでもない計画を打ち明けられた興奮と、そして自分自身の手によって歴史を変えるその期待に胸が震えた。
 単純な子供っぽい高揚だ。
 タカシは戦後に生まれた世代であるから、所謂『戦争を知らぬ子供たち』であり、
愛国心らしきものは希薄である。そんな若者は少なくはない。
 戦争になりさえしなければ――、自分自身に実害が及ばなければなんでもいい、そういう気持ちで居るが、
流石に『実害』を受けた祖父たちにそれを言うほどタカシの頭は弱くはない。
――ああ楽しい。
 タカシの気持ちは高ぶっている。久しぶりの興奮だ。
 ショウタを殴っているときとはまた別の興奮、知的興奮とでも言うのだろうか。
 頭が期待で満たされているのを感じた。
154 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:02:04.53 ID:/oxg2ChX0
「口外はせぬように」
「判っています」
「計画は来年からと言ったが、来年度ではない。年明け早々に開発が始まる。
計画が始動次第――、そうだな、お前を現場に呼ぼう」
 すぐに異動させてやる、と祖父は人の悪い笑みを浮かべていった。
 孫だからと甘やかしているように見られてはいけないと、
わざわざ平社員からスタートした社会人生活であったが、それも終わりを告げそうである。
「いいんですか?」
 一応尋ねるが、「よいもわるいも」と祖父は返す。
「この話が我が社に降ってきたときから、お前をどうするかは決まっていた」
 タカシは決してできのいい孫というわけではない。だが、タカシは選ばれたのだ。
 この翁の孫に生まれたことも運命、この翁に計画へと引き入れられたこともまた同じ。
 計画は年明け早々とのことだから、退屈な正月を過ごす必要もなさそうだ。
 タカシは期待に高鳴る胸を何とか押し隠し、そして本家を後にしたのだった。
155 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:03:48.03 ID:/oxg2ChX0
 五月も終盤に差し掛かった土曜日、タカシは首府京都にて箱庭計画に奔走していた。
 首府の箱庭計画と言っても、府全体を箱庭化するわけではない。
 まずは中心部の体裁を整え、それ以後少しずつ府全体を復興させていく見込みである。
 そして完全なる箱庭と化すのは、この中心部。
 ここが一部の官僚や政治家、そしてアンドロイドで構成された街となるのだ。
 タカシは首を左右にゆっくりと動かし肩の凝りをほぐしていた。
 空にはもう星が上っており、事務所から出てきた時間を鑑みれば
少なくとも夜二十時を回っていることは確かであるはずだ。
 ここのところは会議、現場、会議、現場。この繰り返しである。
 疲れも酷く帰宅は少々困難であるため、夜は眠るためだけに近くのホテルへと帰っているが、
それでも体は心地のよい疲労で満たされているのが常である。
 社会人となってから、このような感覚に体が満たされる瞬間と言うのは数えるほどしかなかったから、
タカシはこの疲労が決して嫌いなわけではない。
 ――ショウタには殆ど会っていない。
 そのか細い後姿を時折帰宅する屋敷の中で見るが、それを殴りたいとも犯したいとも思わない。
要するに昨年末からのタカシは欲求不満であったのだろう。
 満たされない、興奮が足りない。それらを物珍しいオモチャであるショウタに向けることで発散していたのだ。
生意気な話であるが、おそらく仕事に満足をしていなかったのだ。
 雑多な事務手続きは本来タカシでなくても済むことで、なにゆえ俺がこのような仕事をせねばならんのだ、
と言う傲慢なボンボンらしい矜持もあったのだろう。
 ――とタカシは自分自身で分析している。
156 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:05:24.97 ID:/oxg2ChX0
 汚らしい奴隷を組み敷くなど悪趣味極まりない。
 元貴族であるからこそ価値のあるショウタであったが、今やその後姿はただの大人しい少年で、
忙しい合間に相手をさせてやるほどの存在でもなくなっていた。  
 そもそもタカシのセクシャリティは至ってノーマルで、
ショウタ相手に勃起することそのものが『事故』のようなものであったに違いない。
 そんなことを考えながら、タカシは一人の女性と顔を突き合わせていた。
 彼女がジッと見つめるのはタカシの瞳、それから顔、そして体温。 
 体の全面部分の観察が終わったらしく、彼女は「背中を向けてください」と事務的に言い放った。
 言われるがままタカシは彼女に背を向け、それから間抜けに直立不動を決め込む。
 少々の身じろぎは彼女の仕事に支障をきたさぬが、
大きく動けばまたスキャンを最初からしなくてはならなくなるだろう。
 全く、セキュリティ強化の為と言っても、少々時代を遡ることになる旧タイプのアンドロイドを使うなんて
どうかしている。スキャンに時間がかかって仕方がない。
 タカシの心までは見透かすことのできぬ彼女はやはり事務的に「結構です。お疲れ様でした」と告げた。
「どうも。お先に」
 タカシは自分の後ろへと並ぶ数名の『人間』に会釈すると、鉄製の重い扉に向かって歩き出す。
 外部と内部を遮断するように並んだ壁には未だなれない。タカシはその丈が十メートルを越すかどうか、という
威圧的なそれを見上げ、少し溜息をついた。
 今年の一月から始まった箱庭計画に伴い、タカシの出勤地は首府内に設置された簡素なプレハブ小屋へと移された。
それは別に構わない。暑いだの寒いだのは最新の空調で調節されているからそれらに苦しめられることはない。
 問題は、首府への進入退出に伴う手続きの煩わしさであった。
157 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:08:31.59 ID:/oxg2ChX0
 首府への入り口は限られていて、京都府の中心部に位置するこの周辺は最新のバリケード――、
地下に瞬時に収納できる鉄製の壁だ――、で覆われているため、タカシは関係者専用の、
その壁の数箇所に設けられた手続き所と呼ばれる場所で検査を受けなくてはならない。
 危険物を持ち込んでいないか、或いは持ち出そうとしていないか、機密データを持ち帰ってはいないか、
或いは箱庭計画を無に帰す何かをしでかそうとしていないか。
 それらを体温から発汗までを入念に調査され、やっとのことで進入及び退出が認められるのだ。
 それが二箇所ある。
 中心部全体を覆う壁と、そしてそこから伸びた無数の通路の先にはまた丈の高い鉄の扉。
 まるで檻に入れられた動物だ。今ではすっかり姿を消した動物園と言う場所に押し込められた動物も、
こんな気持ちなのだろうか。
「結構です。お疲れ様でした」
 二回目の手続きを済ませ、タカシは漸く緊張させた肩の力を抜いた。
 人そのものの微笑を作る手続き係りのスキャンアンドロイドは、見た目はか弱い女性そのものであったが、
実際には他社のボディガードアンドロイドを流用し、A社のスキンを被せスキャン機能を追加させたものであった。
 つまり、何某かの悪巧みをしても人間の力では敵わない。
 安全にここを通過するためには大人しくスキャンを受けるよりほかはないが、
タカシはどうにもそれに慣れることができずにいた。
 祖父や政府関係者も毎度行っているものであるから、タカシだけが免除されるわけにはいかぬのは理解している。
 が、それが毎朝毎晩となるとなかなか億劫だ。
 億劫が億劫を呼び、そのうちタカシは帰宅することも減って行った。
 尤も、急ピッチで進められている箱庭計画を前に帰宅している余裕はないというのも事実だ。
 億劫以前に時間的余裕がない。 
158 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:10:59.45 ID:/oxg2ChX0
 タカシはふぅ、と溜息を吐き、それから鉄扉に向かって歩き出した。足が少々重いような気がする。
疲労感は心地いいのに、億劫な気持ちに体が侵食されているような気がした。
 壁の向こうでは今の時間もアンドロイドが休みなく働いているのがなんとも不思議だ。
 鎖国以前のローテクな技術なら兎も角、今は全て正確に、高い安全性と技術をもってして
アンドロイドと人間が一体となり街を作り上げている。
 この調子で行けば二年後には京都府全体が箱庭として復活することであろう。
 そしてその箱庭を完成させるために、政治家たちも珍しく働いているようだった。
 完成した箱庭には人間は数えるほどしか居らぬが、それはごく少数の人間だけが知っていればいいことであって、
国民の大半は知る必要がない。そのための法整備も着々と進んでいるようで、
近頃出された法案は「県庁所在地及び首府進入制限法」であった。
 機密事項を集約する専門の土地とする場所には、政府関係者のみしか入れない、と言う法律だ。
 もとより国の管理地域である場合が多く、地主ともめることもないため、法案はつつがなく成立の運びとなりそうだ。
 戸籍謄本などの取り寄せも、インターネット経由でID認証を行い自宅で発行できる時代だ。
 国民の不便はあまりないのだろう。
 役所勤めなどと呼ばれる人々も随分と昔に滅んでいるし、問題はなさそうだ。
 計画は思いの外上手く進んでいる。
159 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:12:06.16 ID:/oxg2ChX0
 夏の始まりのような蒸し暑さも夕方を過ぎればナリを潜める。
見上げた夜空はどこまでも透明で、星が美しく、少々冷えた空気が心地いいくらいであった。
 この上にシールドが張られ、いつでも『よからぬ出来事』から国を丸ごと覆い守っている。
 それがタカシたちのような若い世代には当たり前のことであるが、
老人たちは灰と化した街になにを思い過ごし、どのような屈辱のもとこの国を復興させ、
そしてこの殆ど完璧と思える防衛を施したのだろう。
 それをより完璧なものにするために、タカシは今こうして生きている。
 そう思うと、なんとも不思議な感情が体を駆け巡った。
 完璧な環境、これ以上なにも必要がないと思える環境が整っているにも関わらず、
危機感のないまま要塞を築き上げている自分が不思議だったのだ。
 空の彼方で赤いライトが時折明滅している。
 戦闘型アンドロイドが自分自身の存在を誇示し、他国に警告をしているのだ。
 きっとモスクワ連合の戦闘機かなにか領空に誤って進入したのだろう。
 大丈夫、大事はないはずだ。タカシは幾度かこんなシーンを見たのだから。
 タカシの顔を確認すると、アンドロイドが扉を押し開けた。
そのすぐあとから、タカシと同じようにして『人間』が鉄扉を潜り抜けるのが目に止まる。
「どうも」
 鉄扉の向こうでタカシのちょうど後ろへと並んでいた背広の男がすれ違いざまに挨拶をする。
「どうも」
 タカシもそう返すと、道路の脇に止められた自家用車――、馬車であるが、に向かって歩き出した。
 別に帰宅する必要はなかったが、そそろそなんとなく、
どういうわけか帰宅をしなくてはならないような気がしたのだ。
 こういう妙な感覚に囚われることが時々あると、タカシはその本能に従うことにしている。
160 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:13:12.86 ID:/oxg2ChX0
「待たせた」
 御者に言うと、相手は「いいえ」と返事をし、そしてタカシが腰を落ち着けた頃を見計らうと、
スムーズに車を発進させた。
 馬のひづめの音が小気味よくタカシの鼓膜を揺さぶった。
 その音に耳を傾けるうち、だんだんと視界はぼやけ――、そう、タカシはまどろみ始めた。
 ああ疲れていたのだ。そう自覚する頃には、タカシの意識はすっかりと夢の中へと取り込まれていた。

 妙に小さい脚が、座したタカシの足の間をパンツの上から撫でていた。
 卑猥な動きは明らかにタカシを誘っており、そして挑発していた。
『おっきくなった』
 少しキーの高い声は、タカシを嘲笑うかのようではあるが、だがしかし少し苛立ちを含んでいる。
『だからなんだ』
 タカシは低い声で、なるべく冷静にそう答える。その誘いには乗りたくなかった。
『なにって……こんなにして、そのままここから出て行けるの?』
 読んでいた本を閉じると、かび臭い匂いが広がった。随分昔の本であるためかもしれない。
金の箔押しのされたそれを手近にあったテーブルの放ると、タカシはその脚の主を見た。
 よく知った顔だ。
161 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:13:41.09 ID:/oxg2ChX0
『ショウタ』
 夢の中のタカシは冷静にそう言うと、その足首を右手で握り締めた。
『いた……ッ!』
『痛くしている。なんのつもりだ、娼婦のような真似をして』
 細い少年らしい足首は、まだ第二次性徴前であるためか華奢で、力を込めすぎれば壊しかねないほどであった。
『ちょっと、痛い……!』
『なんのつもりだと聞いている』
『なにって前も言ったじゃん』
『なにをだ』
『痛い、痛いってば! 離して!』
 悲鳴じみた声を上げながら、ショウタは握り締められた脚をどうにか開放してもらおうと体を捩った。
『ね、ねえ、やめて! やめてって!』
『二度とこんな真似をするな!』
 タカシはその脚を振り回すようにして開放すると、全くの手加減なくそうされた幼い体を見事に吹っ飛び、
ショウタはフローリングの上へと無様に転がった。
 涙に濡れた目がタカシを睨む。生意気な目だ。腹が立つ。
 まるで被害者のような顔をしやがって――、その台詞を吐こうと口を開くも、タカシは静かに唇を閉ざした。
『出て行け』
『……ッ』
『また痛い目にあいたいか。出て行け』
 二度の命令で、ショウタは這いずるようにしてその部屋から出て行った。
 恨みがましい目は最後までタカシを見ていた。
162 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:14:23.72 ID:/oxg2ChX0

「坊ちゃん」
 掛けられた声に、タカシは肩をびくりと揺すって目を覚ました。
「到着しましたが」
 判然としない視界に目を瞬かせれば、そこは確かに自宅であった。
「お疲れでしたのでどうしようかと思ったのですが……」
 このまま放っておくわけにはいかないのは当たり前であろう。
 タカシは大丈夫だ、と掌を立てて示し、それから軽くストレッチをした。
「ありがとう」
 短く言うと、御者は頭を下げそして引っ込んだ。タカシが降りるのを外で待っているに違いない。
 視界と意識がはっきりと覚醒する頃、タカシは漸く自分自身の状況を把握するに至る。
 どうやらうたた寝をしていたようだ。確かに言われるとおり、疲れていたのかもしれない。
御者に起こされるほどに深い眠りについたことなど、ここ数年の記憶にはなかったのだ。
 凝り固まった体を充分にほぐしたのち、タカシは馬車から降りた。
「ありがとう」
 御者に声を掛けるとすぐさま玄関へと向かう。湿気を少々含んだ風が頬を撫で髪を揺らした。
 帰ることは御者に伝えていなかったため、出迎える者はいないだろう。
 少々面倒であるが、玄関は自分で開けるしかない。
玄関扉の脇に設けられた指紋認証器に親指を押し当てたのち、懐から取り出し鍵を鍵穴に差し込めば、
ようやく開錠となる。二度手間であるがセキュリティ面の強化を前には面倒を飲み込むしかない。
 まったく、物騒な世の中である。
この間もA社とは別のアンドロイド系家電を得意とする企業の社長宅が何者かに襲われたようだ。
 そんなことを考えていると、扉は音もなく開錠された。
163 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:14:51.93 ID:/oxg2ChX0
 鍵を引き抜くと、タカシは「ただいま」とも言わずに屋敷の中に足を踏み入れた。
 足がむくんでいるのを感じる。靴下に包まれた革靴を脱ぎ捨てると、開放感が広がった。
 上り框に腰を欠け、暫くそのまま座り込む。どうやら、思っていた以上に疲れが溜まっているようだ。
 早いところ風呂に入って眠りにつくほうがいいに決まっている。
 それだけならばホテルに泊まるべきだった。本能などに従うものではない、余計な疲れを溜めただけだった――。
 そんな愚痴めいた考えを吐き出そうと溜息を吐いた瞬間、タカシの聴覚はなんともいえぬ違和感を捉えたのだ。
「――」
 なにか、かすかに鼓膜を揺さぶる物音を感じ、タカシは反射的に顔を持ち上げた。
 かすかな違和感はそれから暫く続き、タカシの首は自然と軽く傾いた。
 なにかいつもと異なる空気を感じたのだ。例えようのない、既視感とも言うのか。
いや、幾度も帰宅した家なのだから既視感と呼ぶのはおかしい。もっと微細な違和感。
 その正体を探ろうと、タカシはゆっくりと首をめぐらせる。
 感覚を研ぎ澄ませ、正体を探ろうと、意図的に視覚情報をシャットアウトする。
 聴覚、嗅覚。この二つをフル稼働させ違和感の正体を捜索に掛かった。
 すると、きゃあ、という声がかすかに耳へと届くのを感じた。
 女のような、子供のような声。随分と楽しげな声だ。そんな明るい声がこの屋敷に響き渡ることなど殆どない。
 この家にいるのは、数名の人間とアンドロイド、そして――、ショウタ。
 脱ぎ散らかしたような靴をそのままに、タカシは上り框に足を掛け一気にそこを上った。
 回廊を向かって左、つまり七の部屋の方向へと向かって進む。
 歩き進めるうちに、その声はだんだんと大きくなっていった。明るい、子供らしい声だ。
 八の部屋、九の部屋――、そして十一の部屋。ここは下男や女中が住む部屋だ。
部屋の内部は更に細かく分かれており、狭い家のようになっている。
 声は確かにその部屋から漏れていた。
164 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:16:46.94 ID:/oxg2ChX0

「じゃあ次、俺ね!」
 明るいその声は先ほどと同じく主の年齢性別がはっきりとはしないものであった。
 だがタカシには判る。そう、それは明らかに――、ショウタのものだ。
 その声を確認した瞬間、どす黒い何かが腹の奥底で渦巻くのをタカシは感じた。
 主人の居らぬまに楽しげな声を上げる奴隷に対する苛立ちだろうか。
 いや、それとはまた異なるもののような気がしていた。
 何故腹を立てているのかがタカシ自身にも判らない。
 ショウタの声はまだ上がる。ゲームでもしているのだろう、相手の出方を待つような潜めた息は、
それにさえ子供らしい笑いが潜んでいて、それが妙に腹立たしい。
 ショウタは笑わない。いや、笑うことを許さぬのはタカシだ。そのショウタが、タカシの許可なく笑っている。
「やった!」
 またもや歓声が上がる。
 敵いませんわ、と諦めたような、でも幼子をあやすような声を上げているのは女中か。
 女中たちは「ショウタ様の勝ち」と子供の勝ちを認めるようにいい、そしてショウタは甘えるように
「もう一回! ねぇ、もう一回!」と明るい声で言ったのだ。
 ああ、腹立たしい。奴隷の分際で。
 否、俺のものだというのに、何を勝手に笑い、声をあげ、そして懐いているのだ。
 マグマが吹き出るように支離滅裂な怒りが突如として湧いたことに、タカシは気づいていない。
 何かのスイッチが入ったかのように、心中を嵐が襲い、そして急激に荒れて行った。
 襖を勢いよく開けると、バン、と派手な音が響いた。
 果たしてそこに居たのは数名の女中と下男、そしてショウタであった。
 使用人部屋の共同のリビングに当たるそこでは、テレビも着けっぱなしのまま、
テーブルの上には無数のカードが散らばっていた。
 ショウタは買い与えた覚えのないやや大きめのタンクトップにハーフパンツを身につけ、
正座をしてソファにちょこんと座っている。挙句、甘えた様子で女中の太ももに手を乗せていた。
 子供らしさを取り戻したような片方の手にはカードが握られており、
なるほど、使用人たちを巻き込んでカードゲームに興じていたようだ。
 笑顔のまま顔を固めて、タカシを見上げ、口はあんぐりと開けられた。
165 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:17:37.84 ID:/oxg2ChX0
「何をしている」
 地を這うような声が自然と吐き出される。
 タカシが帰宅をするなどと夢にも思わなかったのだろう。小さな手からはカードが零れ落ちた。
 今しがたまでキャッキャと子供のように喜んでいた顔は、突如現れた悪魔によって
ゆっくりとその表情を変えていき、今では恐怖心が優勢となったその顔をタカシに晒している。
 無性に腹が立った。なににそんなに腹を立てているのかが判らなかった。
 下男がすっくと立ち上がると、乾いた声で「お帰りなさいませ」と口早に言う。
 彼らにとっても、今タカシが帰宅することはあまり歓迎できない事態であったようだ。
 女中たちはそそくさとカードをしまい、そしてタカシをチラと見ながら下男と同じように頭を下げた。
 何故こんなにも腹が立っているのかが判らなかった。
 子供らしい声を上げ、そして笑うショウタのなにが逆鱗に触れたのか、タカシは理解をしていない。
 タカシはそのカードが握られたままの手首を思い切り引っ張った。
「痛い……!!」
 甲高い声が響く。 
 今度こそ既視感を覚える。夢の中のショウタが叫んだ言葉と今しがたショウタが叫んだ声は一致していた。
「離し……!!」
「坊ちゃま!」
 女中たちのざわつく声がする。タカシはそれに構わずショウタの腕を引いた。
「おやめ下さい!」
 下男はタカシとショウタの間に割って入ろうとするが、
ショウタが一瞬だけ、すがるようにして下男を見た瞬間に、どういうわけか彼は少しだけ身を引いた。
「おやめ下さい」
 頭を下げ、ショウタの手首を掴むタカシの手を掴んだ。
 下男ごときが、タカシの腕を掴んでいる。それも、この薄汚い貴族の奴隷を庇うために。
 きっとそれが腹立たしかったのだろうと結論付け、タカシは制止の言葉も聞かずにショウタの腕を引っ張り
自室に向かうべく歩き出した。
166 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:18:28.26 ID:/oxg2ChX0
「坊ちゃま!」
 悲痛な声が響き、そして女中たちの戸惑いを含んだ声がこそこそと発せられる。
非難であろうそれを一切無視して、タカシはショウタを引きずるようにしてずんずんと歩く。
 か細い声が「痛い」と訴えるが知ったことではない。
 ショウタはタカシの屋敷で、笑い、楽しげな声をあげ、そして使用人たちを懐柔した。
 それがとても腹立たしい。
 一体何故ここまで腹を立てているのだろう。
 制御しきれぬ怒りを恐ろしいと思う反面、何故か『当然のことだ』と思う自分もそこにいた。
 何故、どうしてこんなにも苛立っているのだろう。苛立つ必要がどこにあるのだろう。
「痛い! なあ、痛いってば!」
 ついに大声を上げて抵抗を示したショウタを振り返ると、タカシはその頬を思い切り張った。
 大きな音がしたと思うと、ショウタの体は床を滑るようにして転がった。
「ぃ……!」
 倒れた体をそのままに、毟るようにしてハーフパンツを引き摺り下ろす。
「や、やめ、やめろ……!」
 こんなところで、とショウタは短い悲鳴を上げた。
 まだ廊下だ。二階にもあがっていない。誰が顔を覗かせてもおかしくない状況に、
ショウタの抵抗は殊更強まった。
「やめろ、やめて……! 助け、」
 女のような高い声は耳障りであったから、タカシは首から外したネクタイをその口に突っ込んだ。
 くぐもった声は相変わらず抵抗を唱えているようであったが知ったことではない。
 下着もパンツも中途半端に下ろされた尻を引っ叩くと、ショウタの抵抗が緩まる。
 その隙に尻肉の狭間を無理やりにこじ開け、タカシはそこへ自身のそれを宛がった。
 腕は振り回され時々体を掠めるが、実質的な抵抗には程遠い。
 犬のような体勢のショウタを押さえつけるのは容易く、タカシはそのむなしい抵抗をものともせず、
乱暴に穴へと自身を突っ込んだ。
167 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:19:00.22 ID:/oxg2ChX0
「――!」
 ひぃ、と悲鳴が聞こえた気がした。
 鳥肌の立った腕が幾度か抵抗をし、それから力なく下ろされる。
 握られた拳は真っ白で、どうも痛がっているようだということは判るが、怒りでスパークした頭で制御ができない。
 どうしたことか、暫くこのような無体を働いていなかった割にはショウタの体は従順にタカシを飲み込んで見せた。
 それすら何故か腹立たしく、苛立ちながら腰を打ちつけ続けるが、最早ショウタは抵抗を諦めたのか
ただネクタイの詰まった口で謎の音を発し続けてて居た。
 肉の薄い尻は明日痣ができるかもしれないが、そんなことよりも今はとにかくショウタをいたぶりたく、
タカシは一心不乱に腰を前後し続ける。
 廊下にくぐもった声が響く。
 ごく小さなそれは、しかしはっきりと聞き取れて、やがてショウタの声色が変わっていくことに気づいた。
「なんだ……」
 不意に身を屈めショウタの前に触れれば、そこは小さいなりに勃起していた。
「お前も興奮しているじゃないか」
 違う。そう言いたげに首がさらに激しく左右へと振られる。
「誰が来るか判らないものな」
 違う、そうじゃない。
 そう言いたげな頭は一瞬だけタカシを振り返る。大粒の涙を湛えた目はすぐさまそらされ、
「うん」とも「んん」ともつかぬ声の頻度が上がった。
「ん、ん、んう……!」
 苦しげな声は、ネクタイを突っ込まれた結果で、しかしそれはショウタにとってもありがたいことに違いなかった。
 少なくとも異物が入れられたままであれば、あからさまな嬌声を上げるような失態は見せずに済むのだ。
 それに気づけば外さない手はない。
 タカシはショウタの頭を床へと押し付けると、もう片方の手でその口に手を突っ込んだ。
 けほ、と言う小さい声とともにヒュッと息を吸い込む音がした。
168 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:19:37.87 ID:/oxg2ChX0
「な、」
 何か抵抗の言葉をショウタが紡ぐ前に腰を動かす。
「ぁん!」
 予想通りにショウタの甲高い声は廊下に響いた。
 慌てて口に手を宛がおうとするショウタの腕を背後に引っ張り、その抵抗を抑え込めば、
ショウタはまたもやタカシの顔を睨むようにして見た。
「や、や、やめ、あ、ぁあ、あん……!」
 憎い男に犯されて声を上げる自分、また誰がいつ来るかも判らぬ場所ではしたなく声を上げる自分に
ショウタは半ばパニックを起こしているようだった。
 ひぃ、と言う声が時折響き、しかしそれが痛みの為だけではないことがタカシには判っていた。
 穴が卑猥に蠢く。なんともいえぬ引きこむような動きがタカシの性器の全体を包み込んだ。
「ぃあ……! あ、あ、あ!!」
 手は引っ張られ拘束されてもなお抗おうと、ほんの僅かな自由から逃げ道を模索しているようであったが、
大の大人に乱暴にまとめられ上げた腕がまともに動くはずもない。
 肉は蠢き続ける。抵抗とは真逆の反応で、まるでタカシが出て行くのを拒むかのようだ。
 それに――、ショウタの小ぶりな性器はしっかりと反応していた。
 悪戯心が頭を擡げたタカシは、それを指先でかすめる様に触れる。
「ぁ!?」
 目を白黒させたショウタが軽く振り向くが知ったことではない。
タカシがそれを繰り返せば、尻の圧迫は先ほどよりもきつくなり、そしていやらしくタカシを包み込んだ。
 そのまま腰を激しく進めれば、ショウタは娼婦のようにはしたない声を上げた。
「ぁ、あ、あ、ん、あん、あん、あ……ッ!」
 激しくなった動きについていけぬのか、時折頭を振っては抵抗を見せていたショウタは
やがて内股をすり合わせるような奇妙な動きを見せるようになった。
 何度も何度もショウタの肉を穿てば、次第に声は大きくなっていき、
 片手の拘束を外してやれば、ショウタは夢中で自らの性器をしごき始める。
169 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:20:16.68 ID:/oxg2ChX0
「あ、いい……ッ!いいよぅ……!!」
 最早家人の存在など知ったことではないのだろう。
 皮膚を滑る汗が床に撒き散らされていく。
 水気で濡れたフローリングで、ショウタは何度も体勢を建て直し、タカシを受け入れやすいような格好をした。
 感じ始めたらショウタは理性を失う。
 アホのようにただ快感を貪ることに夢中になっていくさまが、哀れで面白かった。
 自分が居らぬ間に楽しげな声をあげ、使用人どもに懐いた素振りを見せた『健全』で『子供らしい』ショウタは
もうどこにも居ない。ただの雌犬だ。
 それに満足すると、タカシはショウタの『いい場所』を重点的に攻め立ててやる。
「あ、ひぃ……!」
 小柄な体がビクビクと震え痙攣を繰り返す。
「あ、ああ……!」
 奴隷らしく振舞わず普通の子供のように振舞おうとするからこういうことになる。
 タカシはそんなことを散漫に考えながら、射精した。
「この雌犬が」
 吐き捨てた言葉はショウタに聞こえたのかどうかは定かではないが、
その目は股間と同じようにしとどに濡れそぼっていた。
170 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/06/05(木) 20:20:48.25 ID:/oxg2ChX0
今日はここまで
保守ありがとう
171 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2014/06/06(金) 02:27:45.57 ID:v+zX5xxwo
おお久々
続き待ってる
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2014/06/07(土) 11:30:00.05 ID:DKQl4wLWO
待ってたよ〜
173 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:15:44.94 ID:v1vnPZ+r0
 腕の自由がまるで利かなかった。いや、足も、そう、体全体の自由が利かなかった。
 ――金縛りだろうか。
 目だけ動く環境で、タカシは暢気にそんなことを考えていた。
 タカシは暗い部屋に居る自分自身を自覚した。どうも、ここは自室ではないらしい。
 昨晩は思う存分ショウタをいたぶって、それから――、それから?
 目だけをきょろりと動かし昨晩の己を思い出そうと試みるが、上手くはいかない。
判然としない記憶は霞に包まれたようで、なにもかもが夢のように感じられた。
 それよりも、とタカシはこの暗い部屋を見回した。
 なにもない。ただ漆黒が静かに広がっているだけだ。
 ただ、なんとなく覚えのある湿気た空気と、そして熱力だけは感じた。
 なにも聞こえないし、なにも感じない。ただあるのは体がひとつ、それだけ。
そんな不思議な感覚に包まれていた。
 と、不意にタカシは目を閉じた。
 突然に強烈な光りが降り注いだからだ。
 一瞬ホワイトアウトした視界は徐々に元へと戻りそしてまたすぐに薄暗い状態へと戻った。
 なにが起こったのかよく判らなかった。一瞬の光り。あれはなんだったのか。
 不自由な体を動かそうと試みるが、しかしやはり上手くは行かない。
 最大限に目玉を動かし、そして視界の端に、タカシはある人物を捕らえた。
 ――ショウタだ。
 正直、タカシは焦った。
 なにか悪い薬でも盛られたか、
または体を拘束されありと四肢の動きを脳波から阻害する拘束衣でも着せられたか。
 いずれにせよ、ショウタの謀反によって自身の自由が奪われたとしか思えなかったのだ。
 ところがショウタはタカシに興味を示した素振りもない。
174 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:19:06.89 ID:v1vnPZ+r0
 タカシに背を向け、そして頭が小刻みに、ほんの僅かな動きを見せていた。
 どうやら、タカシに背を向け話をしているらしい。だが誰に向かって?
 聴覚はやはり眠っているかのように鈍磨しなにも聞こえなかった。
 ショウタの動きがふと止まった。
 それから、彼は身につけていたシャツ――、そんなものをタカシは買った覚えはないのだが、
シンプルなものだ――、それをゆっくりと脱ぎ捨てていった。
 露になったのは傷一つないほっそりとした背中で、半袖からむき出しであった腕は少し焼けている。
真っ白な背中部分が艶かしく映った
 続いて彼はパンツを脱ぎ捨て、続いて下着を脱いだ。
 素っ裸になった彼は、やはりタカシに興味を示すことなく、そして。
 たった今、タカシは気づいた。
 タカシが横たわっている場所から一メートルほどの距離にはソファが置かれており、
そこには人間が座していた。
 ソファの背も垂れたはタカシの側にあるため、
タカシから辛うじて見えるのは人間の頭と、そしてほんの僅かに肩。
 それは今の今まで、ショウタの体で隠されていたのだ。
 耳は相変わらず聞こえない。
 ショウタは素っ裸のままその人間の前まで来ると、
誘うように乳首を弄りながら相手と向かい合う形で膝の上へと腰を落としたようだった。
 強請るように相手の手を引き、そして自分の下腹部、おそらく性器へとその手を導く。
 相手の肩が僅かに上下し、そしてショウタの表情がだんだんと溶けていく。
 ――最初に感じたのは怒りであった。
 なにをしているのか、と猛烈な怒りがこみ上げた。
 主人以外に股を開くなど、奴隷がしていい行為ではない。
 獰猛なタカシの怒りをよそに、ショウタの口はだらしがなく開き、
そしてそれが続いたかと思えば、急に力を失った。
 絶頂を迎えたのだろう、肩で息をしながら、相手の首に腕を回し、
そして体を摺り寄せて甘えたようにしている。
175 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:21:26.00 ID:v1vnPZ+r0
 ――なんだ、これはなんだ。
 相手に気を許しているかのようなショウタが気に入らない。
 タカシの許可なくショウタに触っている相手の人間が気に入らない。
 タカシは相手が誰であるのか見極めようと、その頭を凝視した。
 髪は短い。肩幅の広さと首の太さからみて、男であることは間違いがないようだ。
 そしてここはどこだろう。ソファは漆黒の皮製のような光沢。
どこにでもあるようなソファだ。
 男は首にネクタイを巻いているようだった。
 見覚えのあるネクタイ、のような気がした。
 誰だ、誰なんだ。
 不意に思い出したのは、そのネクタイに酷似したものを下男が巻いていたと言うことだった。
 力仕事の多い彼が、それを仕事中に巻くことはない。
 そう、確か長期休暇をとり実家に戻ると言っていた際に身につけていたものではなかったか。
 こみ上げる怒りが、体中を駆け巡る。
 だが、身動きの取れぬ体ではどうすることもできない。
 やめろ、それは俺のオモチャだ。そういいたいのに、声さえ出なくて歯がゆい。
 ショウタがなにかを話しながら一度ソファから降りると、
なにかを手に持ちそして再び男の膝へとまたがった。
 潤滑剤を手に取ったのだろうと判れば、更なる憤怒が湧いた。
 クソ奴隷が。とんだ奴隷だ。主人であるタカシ以外に股を開くなど、あっていいことではない。
 あっていいことではない。
 渦巻く腹立たしさと、それとは別の何かに体中を侵されながら、タカシは歯軋りをした。
 動かない。何故動かないのだ。辛うじて動く目玉で二つの影を睨み見るが、
そんな気配に気づくこともなく、
それらは怪しく絡みだした。
 ――なんて腹立たしく、なんて、なんて……。
 薄暗い部屋の中、タカシは苛立ちを湛えた瞳で影を睨み続けていた。
176 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:22:51.96 ID:v1vnPZ+r0
 鼓膜を揺さぶるのは不愉快極まりない目覚ましアラームの音だった。
 頭痛のする頭を支えながら、
タカシはもそもそと起き上がり「起床した。停止」と濁りの深い声で命令を下す。
 なんて寝覚めの悪い夢なのだろうか。
 それは紛れもなくただの夢であり、現実ではない。
 それについてここまでも心が揺れた自分が不愉快であったし、また理解不能であった。
 過去の記憶が作り出した不可解な夢は、
現実のようであってしかしそれとははるか対極に位置する存在だ。
 そう、決して現実ではない。単なる記憶整理の合間に見せられた、まったく意味のない虚像である。
 それに、オモチャを盗られたからと言ってなんだというのだ。
また新しいものを、いや、それ以上にいいものを買い直せばいいだけの話だ。
 たかが奴隷に心を乱されるなど、タカシに相応しいことではない。
 ――だというのに。
 こみ上げる不快感にタカシは顔を歪めた。
「クソ……」
 歪んだ表情の原因は夢の為だけではない。頭全体を支配するような頭痛だ。
 近頃頓に感じていた頭痛は、今日も朝から強く、ますます不快感が募った。
 小さく吐き捨てると、タカシはそのなにもかもを振り払うようにベッドを降り立った。
177 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:24:35.57 ID:v1vnPZ+r0
 タカシは下男の制止も聞かずに足元も覚束ないままのショウタの腕を引っ掴み、馬車へと押し込んだ。
 奴隷用の首輪を着けさせたから、逃亡の恐れはないだろう。
「坊ちゃま!」
 下男の声と、非難がましい御者の顔を見て見ぬふりをしつつ、
いつもの通り箱庭計画の拠点が置かれた首府中心部を目指した。 
 ショウタはなにも言わない。
憔悴しきった様子で、時折うとうととしては馬車の揺れにハッとなり、
そして目を覚ますということを繰り返していた。
 疲れているのであろうということは安易に知れたが、気遣うことをしてやる義理はない。
 何故ならショウタはオモチャであり、過剰に手を掛けてやる必要はないはずなのだから。
 俯いたままであったから、ショウタの顔はよくは見えない。
だが、タカシと居ることで、意識があるうちは少なくとも警戒し緊張を解けずに居ることは窺い知れる。
 それもどういうわけか、タカシにはとても楽しいことのように感じられた。
 己がどんどんと歪んでいっている自覚はあった。否、最初から歪んでいたのかもしれない。 
 最初から歪んでいた嗜好を、ショウタの存在が引きずり出したのだ。
 きっとタカシには生まれたときから加虐趣味があり、
ショウタの存在によってそれが目を覚ましただけに過ぎぬのだ。
体中に残る殴打したような青あざは、間違いなくタカシが着けたもので、
それを見ると何故か心が安らぐのを感じた。
 半袖からむき出しの腕にも、無数の青あざがある。
 徐にそこへと手を伸ばしてつねり上げると、ショウタは涙を溜めて、しかし声も出さずにそれに耐えた。
 ――馬車が止まった。
 到着を告げる御者の声に、タカシはショウタを引きずるようにして馬車を降りた。
178 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:28:22.57 ID:v1vnPZ+r0
「暫くは帰らない」
 御者に短く告げるとここのところ滞在を続けていたホテルを目差した。
 鉄壁の近くにあるホテルは、やはり鉄壁の向こうで働く人々が多く利用している。
 安いホテルではないためか、一般の宿泊客も比較的富裕層が多く、似たような嗜好のものが覆い。
故に奴隷を連れ歩く客も少なくなく、ショウタの存在も奇異に映ることはないだろうとタカシは踏んでいた。
 ホテルを目差すべく、歩く。
 手首を引っ掴まれたショウタは、タカシと歩幅が合わずによろけて転びそうになっているが、
実際には転んでいないので問題はない。
 よろけるたびに聞こえてくる「あ」と言うショウタの声もろくに聞かずに歩き続けた。
 やがて到着したホテルは、早朝の為か人もまばらであった。
 フロントに着くやいなや、ホテルマンが恭しくタカシを出迎え幾度も頭を下げる様が妙におかしい。
 そんな感情はおくびにも出さずに、タカシは「おはよう」と声を掛けたのだった。
「今日からこれもこちらの世話になる」
 身なりだけはキチンとさせてきたショウタの頭を押さえ込み、挨拶をさせる。
「左様でございますか。こちらの方は……」
 首輪が見えているだろうに、一応、と言った様子で伺いを立ててくるため、
タカシは短く「奴隷だ」と告げた。
 安ホテルなら兎も角、それなりのランクであるホテルは奴隷を主人の付属品と見なさず「客」としてカウントする。
 宿泊料金が二倍になることはタカシも充分に承知していた。
「お部屋は移られますか? 今のお部屋ですと、ベッドはおひとつしかございません」
「ああ、頼む。移動先はケータイに連絡してくれ。
すまないが『これ』を部屋まで持って行ってくれないか?」
「かしこまりました。お荷物もこちらで移動させていただいてもよろしいですか?」
「してもらえると助かる」
「かしこまりました」
「これを」
 タカシはチップである紙幣をホテルマンへと握らせる。
店舗での支払いは電子マネーが主流になった現代でも、チップだけはこうして現金で手渡されるのだ。
「ありがとうございます」
 ショウタをホテルマンへと任せると、タカシはさっさとホテルを去った。
 今日も忙しい。奴隷に心を乱されている場合ではないのだ。
 これから訪れる壁の向こうへの進入手続きに気が滅入りそうになりながらも、タカシは足を進めたのだった。
179 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:31:32.44 ID:v1vnPZ+r0
「生活に欠かせない公共施設は殆ど仕上がったということでよろしいかね」
 壁の内側、ガンガンとけたたましい騒音に晒されながら、男は叫ぶように尋ねた。
 視察に訪れた府知事だという男は、確かにテレビで見たことがある顔であったが、
短くまとめられた資料に一瞬だけ目をとせば理解できるようなことを一々尋ねてくる無能そうな男であった。
 現在京都府は完全に国の管理下におかれており、そのような役職は不要に感じられたが、
一応は、と言った感じで彼は府知事に就いていた。
 本日視察に訪れた彼をもてなすために、箱庭計画の一切を取り仕切るA社は比較的上層部の人間までもが
壁の内側を訪れていた。
 一昔前ならばこの手の公共事業にはゼネコンが深く食い込んでいたのだろうが、
人の作業では危険の多い現場の大半をアンドロイドの働きでまかなわれているため、
設計図の起こしやら素材の仕入れ以外は、アンドロイドを貸し出す会社、
アンドロイドを派遣する会社が担っている場合も少なくはなかった。
 今回の箱庭計画も例外ではなく、また情報漏えいの危険を考え、
より多くの部分をアンドロイドに頼っている。
「予想より半年は早く進んでいます」
 説明のため、タカシも大きな声で返事をした。
 早ければ早いほうがいい。
 予算を度外視するように、そんな指示を出されているA社は、
可能な限り作業を急ピッチで進めていた。
 二十年を掛ける予定である箱庭計画は、京都府全域及び各県庁所在までの建設と
人員の立ち入り制御の全てを視野に入れたものであって、京都府中心部の、
つまり心臓部分のみであるのならば二年後には完全に機能を回復できる計算だ。
180 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:34:51.72 ID:v1vnPZ+r0
 そのような説明を続けていると、
男は「それで、アンドロイドはいつから住ませるんだね」と大声で問いかけた。
 その場に居る全員が凍りつき、そしてタカシも同じように閉口した。
 誰かが聞いている可能性は極めて少ないが、それでも大声で口にしていい内容ではないはずだ。
 やはり無能なのだろう。
全員が押し黙った意味さえ判らぬようで、目をしばたかせ、男はジッとタカシを見ていた。
 何故答えない。早く答えろ――、そう言いたげな顔に、タカシはますます呆れた。
 あくまでこの復興建設はただの『復興』であって、それ以上でもそれ以下であってもならない。
 それをこの男は理解をしていないようだった。
 この箱庭計画の為に、既に数十年に渡り老人たちは努力を重ね、
今、漸く下地ができたところなのだ。
 まず、地方都市衰退を防ぐと言う名目で、
とりわけ繁栄している都市には転居や勤務が制限されており、
また娯楽施設や店舗なども都市にあるものは地方にも必ず姉妹店が置かれる決まりと成っている。
 おそらくそのような法律を作った老人たちは、
このような箱庭計画を戦後直後から検討していたのだろう。
 つまり、箱庭に進入できる人員が制限されていることについて、
全く不自然に感じさせないような下地を作ったのだ。
 立ち入り制限が不自然でないよう、また都会に思いを馳せる若者が無謀な立ち入りを決行しないよう、
長きに渡って国民をコントロールしてきたいに違いない。
 今回も当然その制限を適用させるつもりであるはずだ。
であるからして、この都市に住まう人間に化けた『アンドロイド』は
進入許可を得られた『人間』でなければならないし、
転居し、働き、そして生活を営むのが『人間ではなくアンドロイド』であると知られては決してならないのだ。
 知られたら箱庭計画の意味がまるでなくなる。
 ――それをこの男は判っていない。
 呆れてものが言えぬ。
181 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:36:25.73 ID:v1vnPZ+r0
 さらりと流すべきか、それとも――。
 それは突然だった。
 工事の轟音に紛れて、それとは異なる轟音が、かすかにタカシの鼓膜を振るわせたのだ。
 いつもとは異なる微細な変化に気づいたのはタカシのみであるようだった。
 突然落ち着きをなくしたタカシに府知事は怪訝な顔をしているし、
重役たちは無能な男にどうしたものかと眉を顰めるばかりだ。
 誰も異常に気づいてはいない。
 ゴンゴン、ガンガン。
 重ったるい、脳を揺らすような轟音は相変わらずで、それは工事によるものだと確認できた。
 しかし。
「――まただ」
「え?」
 タカシの呟きを拾った誰かが「どうしたのかね」と尋ねるが、
タカシははるか遠い空を見上げ、そして五感をフル稼働させていた。
 なにか、嫌な予感がしたのだ。
 そして――、
「伏せろ!!」
 タカシは肺一杯に埃っぽい空気を吸い込み、そして反射的にそう叫んでいた。
 舞い上がる土煙、飛び散る鉄片。
 一瞬空が赤く光ったのは気のせいではなかったようだ。
 それを確実に認識する間もなく、タカシは爆風に煽られ吹っ飛んでいた。
 近くにあった単管バリケードに背中を強か打ちつけ、その衝撃に思わず呻く。
 うっすらと目をあけるが、しかし黒い土ぼこりにまみれた視界ではなにも見えず、
爆音を浴びた聴覚は麻痺して周囲の音を拾えない。
 キイィンと言う耳障りな耳鳴りがするばかりで、それが余計に不安をあおり、
なんとか状況を把握しようとタカシは慌てて体を起こした。
182 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:38:47.73 ID:v1vnPZ+r0
 体を確認するが、怪我をした様子はない。
 いや、それよりも何が起きたのかを確認せねばなるまい。
 一体なにが、なにが起きている?
 目を凝らして周囲を見遣ると、土煙のその向こうで、また何かが光った気がした。
 ――まただ。また、来る。
 タカシは慌てて走り、なるべくその場を離れようと試みた。
 遠くで人の手が拉げて落ちているのが見えたが、知ったことではない。
 今は、そう、今は逃げることに専念せねばならないのだ。
 でも何故? いや、いったい何が起こっているのだ。
 工事現場での爆発事故か、それともアンドロイドの設計ミスによる誤作動か。
 いや、それはない。
 タカシは何故か確信していた。
 何故なら、空が『赤く光って』いた。
 それは即ち。
「……!!」 
 第二波だ。
 漸く回復しつつあった聴覚は、「助けて」と言うか細い声を拾ったが、しかし再び麻痺した。
 植えられていた樹木が吹っ飛んでいる。
 タカシは自分の横をすり抜けていく大木を横目に見ながら、自身の体もまた同時に飛ばされ、
まるで浮遊しているような感覚に陥った。
 小石や鉄片が体に当たる痛みがなければ、それは心地のよい空中散歩のようだ。
 タカシは飛び交う木々や、石や、それから得体の知れぬ塊が飛び交うのを見ていた。
 慌てつつも、何故か冷静にそれを眺める余裕はあった。
 腹に気持ちの悪い動きを感じるのは、おそらく未だ爆音が成り続いている証拠だ。
 音波が直接内臓に響いているのだ。
 もしかしたら死ぬのかもしれない。
 タカシは荒れ狂った景色を見ながら、ふいにそんなことを考えていた。
 そこまで考えに至り、今漸く『この光景』がなにであるのか、一体何が起きているのかを悟った。
 空に飛び交う、無数のゴミクズに交じって、なにかが光るのが見える。
 凧のようなものが地上めがけて飛んできている。
 いや、凧ではない。爆撃機だ。それはタカシの目で確認できるだけで三機はあった。
 それを追うようにして、飛んでくるのは――、おそらく大日本帝国の戦闘機だ。
 攻撃されている。
 これは侵略だ、とタカシは地面へと転がりゆく己の体の心配をそっちのけでそう悟ったのだった。
183 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/07/06(日) 02:39:34.04 ID:v1vnPZ+r0
今日はここまで。
保守してくれた人ありがとうです。
184 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) [sage]:2014/07/10(木) 00:07:48.56 ID:DYv7KdX20
乙です、待ってました〜!
これからどうなってしまうのか…
続きも楽しみにしてます。
185 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/08(金) 23:51:21.85 ID:fiDAOAZZ0
『人身御供と言うわけか』
 タカシはそう吐き捨てた。
 ミユキは困った顔でタカシを見つめ、そして『そんなつもりはないのよ』と言い訳じみた返答をする。
 それ以外のなんだというのだ、とタカシはミユキを見つめ、そして嘆息した。
『これだから貴族だの華族だのは……』
『そんな言い方、やめて頂戴……』
 涙声のミユキは、可憐な女性そのものであった。その彼女は今から――、そう、今から婚約を交わす。
 なんと忌まわしい婚約だろう。めでたさの欠片もない。
『愛がない』
『そんな……』
『だってそうだろう、奴隷と変わらない。そこに当人の気持ちがない。命令だ。拒否権はない』
『タカシさ、』
『惨めだ!』
 激昂したタカシの声に、ミユキはびくりとその細い肩を揺らし、ついには俯いた。
 タカシは猛烈に怒っていた。この女性に対して、酷い怒りを抱いていた。
生まれてこの方、ミユキに対してここまでの怒りを抱いたことはなかった。
 慕っていた。ずっとそうだ。ずっとそうだったのに。
『ミユキが拒否すれば、いいだけの話だ』
『私は、私は……』
 ミユキが、まるで見たことのない女に見えた。
 まるで悪夢だ。何故、一体なんだってミユキが――。
『最悪だ……! 今時政略結婚だなんて、馬鹿げている』
『私はそんなつもりはないわ……!』
『俺にはそうとしか思えないね。ミユキだけはそんなことはしないと思っていた!
結局ミユキは、ミユキは――』
 これを言ってしまっては、プライドは木っ端微塵に崩れ去る。
 そんなことは判っていた。タカシは口を噤み、そして拳を握った。
『馬鹿馬鹿しい……!』
 軋むほどに強く握り締めた手の内側は、かすかにぬめって居た。
186 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/08(金) 23:55:09.37 ID:fiDAOAZZ0
 タカシははっとして目を開けた。
 暫くの間、気を失っていたようだった。
 あまりいい夢ではない。あれは、ミユキの結婚が決まった時の夢で――、
いや、今は夢の内容を思い出している場合ではない。 
 土煙舞う中、タカシは横たわったままで目の前の状況の確認を急いだ。
下手に動くと攻撃をされかねない。とにかく、状況をじっくりと確認する必要があった。 
 まず、建設が急ピッチで進められていた箱庭の殆どは破壊されていた。
これはあくまでもタカシの視点からの風景であったから、実際にいかほどの損害があったのかは判らない。
 アンドロイドの破片、傾いた鉄筋、そしてえぐれたような地面。それらの全てはタカシの近くに散らばる惨状だ。
 地面にぴったりと寄り添った状態でも、箱庭の状態があまりよくないことは見て取れた。
基礎を築いていた建物も、ほぼ完成間近であった建物のも、その多くは失われたようだった。 
 モスクワ連合かアジア合衆国か、それともオーストラリア中立国、はたまたアメリカ連邦か。
 どこかの国が日本帝国による防衛網と、強靭なシールドを打破して進入を果たしたのだと、
土煙にむせながらタカシは冷静に考えていた。
 空を見上げればその彼方では、無数の赤い警告ライトが点滅を繰り返している。
 こうなってしまっては、もうそんなものは無意味に違いないのに、
戦闘機に乗ったパイロット――、アンドロイドたちは律儀にも一応の警告を続けているのだ。
 破壊されたシールドが小刻みに揺れ、その向こうに『本当の空』を映している。
 赤いライトのその背景は、随分と薄っすらとした青色で、
平常時にタカシたちが目にする空の色とは随分と異なる覇気のない色合いだった。
 身を潜めるように建物の影へと移動をしたタカシは、
目の前で繰り広げられる映画のワンシーンのような惨状を固唾を呑んで見つめていた。
187 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/08(金) 23:57:55.95 ID:fiDAOAZZ0
 まず、浸入を果たした爆撃機は、大日本帝国の戦闘機によって『繭玉』に変形させられた。
 これは強化凍結スチロールとか呼ばれるもので、それらを目標に向かって吹き付けると、
白い泡のようなものが吹き出し瞬時に目標物は凍結させられ、かつ繭状になり、地面へと激突をする。
 激突をするものの、衝撃吸収に優れた素材のおかげで、地面への墜落の衝撃も少ないし、
また内部からの破壊に強いため、万が一中身が凍結が不十分な目標が爆発を起こしたとしても、
外部への衝撃も最小限に済ませられる、と言う仕組みだ。
 大日本帝国の戦闘機は、国内に侵入を果たした爆撃機の全て――、タカシの視点から確認できるのは、
今のところ三機だ――、に強化凍結スチロールを吹きつけられ、歪な繭玉と化していた。
 それらが爆発することはなさそうだ。中のパイロットが人間であったのなら、とっくに死んでいるだろう。
 大日本帝国の戦闘機から降り立った戦闘型アンドロイドたちは、
繭玉に近づくとなにやら手を当て内部を窺っているようだった。
 おそらく超音波診断だろう。あれで『中身』が生存しているか否かを確認しているに違いない。
 アンドロイドたちはそれらの作業を終えると、
繭玉の中身について、心配をする必要がないと判断したのだろう、周囲を捜索し始めるような仕草を見せ始めた。
 一人、二人と、なんとか人と判る残骸――、視察団だ、を掘り起こしていく。
 無残にちぎれた腕を拾い集めては一箇所に置く。まるで発掘だ。
 もしかしたら生存者はタカシただ一人なのかもしれない。
 血液でさえ砂埃に覆われて、そこにあるのは人であった残骸、だがそれもあちらこちらが砂で覆われ
人の肉体であったという現実味が損なわれていた。
 せせこましく動く数体のアンドロイドは瓦礫をどけては人を探し出しているようであったが、
タカシに対しては全く興味を示していなかった。無事が確認された人間には興味がないのかもしれない。
188 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:00:49.73 ID:ITUe9XD90
 それにしても、とタカシは再び空へと視線を向けた。
 なんとも不自然だ。おびただしい数の爆撃機が空を埋め尽くしているのにも関わらず、
破壊されたシールドの隙間から、再度の浸入を果たそうとするものは一機もない。
 浸入、いや、これは偵察なのだろうか。この箱庭計画がどこからか漏れたのかもしれない。
 しかし、とタカシは壁の向こうを確認した。
 箱庭区画外、つまり箱庭建設地より外である壁の向こうにも、火の手は無数に上っている。
 遠くで複数のサイレンが鳴り響き、それらが一体どこから響いてくるのかを
正確に判断することは困難であることが窺い知れた。
 被害があったのは、ここだけではないらしく、シールドの穴も火の手と同様に複数存在し、
その全てから薄い色合の空が姿を覗かせていた。
 サイレンが鳴っている。熱い風に煽られる前髪を押さえ、タカシはその光景をじっと見た。
 心がまるで動かない。攻撃されている、侵略されている。だからどうだというのだ。
 タカシをもみくちゃにした爆風と一緒に、まるで恐怖や不安が抜け落ちてしまったようだ。
 密集した虫のような、綺麗に整列した爆撃機にも、恐怖をあまり感じない。
 もしも戦争になったとしたら? それについてもあまり現実的な感想や恐怖は抱けなかった。
 戦争を知らないタカシの脳は、この凄惨な光景を対岸の火事として捉えているのかもしれない。
 サイレンに交じって悲鳴が聞こえる。ああ、やはり壁の外でも被害はそれなりにあったのだろう。
 立ち上る煙、こげた匂い、それらまでは工事の為に設けられた壁では覆い隠すことはできない。 
 きっと外でも人が何人も死んでいるのだろう。国は何をやっているのだろう。
 完璧を自称した防衛システムは上手く作動しなかったのだろうか。
 悲鳴はなおも響いている。女、男、子供、少女、少年――、
タカシは立ち上がり、眩暈を振り払うようにして頭を振った。
 女、男、子供――、少年?
189 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:02:52.97 ID:ITUe9XD90
『我々は無国籍軍である』
 空高くより、訛りの強い発音で、そんなアナウンスが響いた。
 ああ、やはり無国籍軍なのか――。
 タカシの頭は一方ではアナウンスを認識し、もう片方では別のことを考えていた。
 少年、少年、少年。
 そう、少年だ。
 タカシは今朝、ショウタを家から連れ出したのではなかったたか。
 どこに預けた?
 頭を右手で押さえ、混濁する記憶を鮮明にしようと考える。
 ホテル――、ホテルに預けたのだ。
 タカシは東の空を見た。
 火の手が上がっている。
 背の高い建物はあらかた破壊されているようだ。
 ホテルはどうだろうか。
 タカシは力のあまり出ない足でふらりと立ち上がった。
 ここに来てタカシは、足元へと血が下っていくような、恐怖らしい恐怖を初めて抱いたのだ。
 一気に血の気が下る感覚、背中が震える気持ちの悪さ、せり上がる胃液。
 それは間違いなく恐怖と呼ばれる感情だ。
 目を見開き、東の空の、ホテルがあるであろう場所を見つめた。
『我々は無国籍軍だ』
 無遠慮なアナウンスが再度流された。
『大日本帝国には、食料と水の提供、そして我々の駐屯の許可を要求する』
190 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:05:14.70 ID:ITUe9XD90
 世界が混沌としていることを、日本人はみな知っている。
そしてこの国が鎖国のおかげで比較的裕福であることも。
 だがそれは先人たちが、国民たちが一丸となった対策故のもので、
どこか他の国を衰退に追いやって手に入れたものではない。
端的に言えば、この国の国民は『努力』を重ねてきたのだ。
 鎖国を緩和しある程度の輸入を許可したのも、また国民たちの努力の結果だ。
『我々は、食料と水の提供、そして駐屯の許可を要求する』
 壊れたMP3のように、同じアナウンスばかりが繰り返される。
 この平和は、この国が努力することで得たものだ。
 水と食料が欲しいからこの国を破壊しただと? そんな横暴が許されるものか。
 空に広がる爆撃機に、タカシは今さらの憎しみを抱いた。
 国を衰退させたのは、その国自身の責任だ。それを横から掠め盗ることなど許されるわけがない。
 いいや、やつらは許されると思っているのだ。なにせ肌の色で人間の価値を決めようとするクズ共だ。
 第四次世界大戦では捕らえた有色人種に地雷原を歩かせたと聞く。
 無国籍軍? 世界の平和と秩序を守るもの? ふざけるな。
 いや、それよりも、それよりも。
「ショウタ……!」
 ヒュッと肺一杯に吸い込んだ空気を、まず何に使ったかと言えばその言葉を発するためにである。
 重い足を、油が切れたように動きづらい脚を引きずるようにしながら、
タカシは箱庭計画区画外へと向かって走り出した。
 自嘲する余裕すらない。
 ただ、ショウタの安否が気になった。何故だから判らないが、とても気になったのだ。
191 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:08:29.79 ID:ITUe9XD90
 厳重なセキュリティを突破するのは難しいことであった。
 半分壊れかけたような旧型アンドロイドは、数回のスキャンで漸くタカシを『非危険人物』と判断し、
箱庭からの脱出に許可を下したのだった。
 外は、予想以上に破壊しつくされていた。
 やはり爆撃は、箱庭だけを狙ったものというわけではなさそうである。
 箱庭計画がなんの意味も為さなかったということだ。
 あと数年、せめて五年ほど早くこの計画が実行に移されていたのなら、人々への被害はもう少し軽かっただろう。
 分厚いシールドは、なんの役にたったのだろう。
 血みどろの死体や、破壊された家屋の横を通り過ぎ、
立ちふさがるスカイカーや馬車が転がる道路をなんとかすり抜ける。
 何故こうまでも焦っているのかが判らなかった。
 たかが奴隷、たかがクソ生意気な子供一人。
 失ったというところで大した痛手ではない。
 だが足は休むことなく進み続けた。まるでそれが本能だと言わんばかりに。
 体を休ませ、一刻も早く地下の避難シェルターへと逃げ込むべきだ。
 だというのに、何故。
 レンガのはがれた道路を歩み続け、漸くたどり着いたそのホテルの前、タカシは瞳が乾いていくのを感じた。
 ――燃えている。
 真っ赤な炎が立ち上り、そしてその熱風はタカシの瞳と皮膚をちりちりと焼いていた。
『我々は無国籍軍である。大日本帝国には――、』
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!!」
 大音量で響く音を遮ろうと、タカシは大声でそう叫んだ。
 人の国を焼き尽くして提供だの駐屯だのとなにを言っているのか判らない。
おこがましいことこの上ない。いいや、奴らはこの上のなく浅ましい獣だ。
 あいつらはいつでも自分たちの方が上だと思っている。
 そう、いつでもそうだ。
 奥歯を噛み締め、タカシは燃え盛るホテルをにらみつけた。
 水だの、食料だの、いつでも無遠慮に奪っていこうとするのだ。
 無国籍軍を前にしては、今は全ての力が衰退したアメリカ連合国では盾にもならない。
 大日本帝国は、自力で奴らを撃退するよりほかはないのだ、昔のように。
192 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:11:02.87 ID:ITUe9XD90
「誰か水を、水をくれ……!」
 誰かがそう叫んでいた。ホテルマンだ。所々が煤けた制服でのた打ち回っている。
他にも焼け出された客が路上の転がっている。
 幾度か見回すが、そこにショウタの姿は無かった。
 早く、助け出さなくてはならないだろう。
 馬鹿だと思う。たかが奴隷になにを、と。
 タカシは尻のポケットに突っ込んでいたケータイを見る。
タブレット状のその画面には、いくつもの亀裂が入っていたが、なんとか画面の内容は読み取れた。
 今朝ホテルから受け取ったメールを開くと、移動した部屋が905五室であると判る。
 きっと最上階が空いてなかったのだろう、
グレードの低い部屋になってしまったことを詫びる一文が添えられていた。
 905号室は最上階より二階下だ。
 燃えているのはスイートが集まる最上階であるから、今なら間に合うかもしれない。
 考えようによっては、最上階などに通されなくてよかったかもしれない。 
 そうなっていては、おそらくショウタは――。
 背中がゾワッと冷たくなった。
 何故これほどまでに恐怖しているのかが判らない。
 だが、今のタカシにはそれらの感情を分析しているような余裕はない。
 破損したスプリンクラーがシュルシュルと音を立ててレンガを濡らしている。
清潔とは言いがたい霧雨の中に飛び込んで、タカシは頭からつま先までをも充分に湿らせると、
誰の制止も聞かずにホテルの中へと飛び込んだ。
 爆風か爆撃か、そのどちらかで破損した窓ガラスがヒビを作って窓枠にはまり込んでいる。
それを尻目に見ながら、エレベーター脇の階段へと足を進める。
 九階までの道のりは長いことだろう。徐々にいぶした匂いで濁っていく空気をやり過ごしながら、
タカシは上階を目差し階段を駆け上る。
 途中で玄関ホールを目差す人々とすれ違い、
その都度止められるがタカシは一言二言軽く礼を言うだけで制止を振り切り九階を目差した。
 一段二段と駆け上ると同時に、視界も悪くなる。
 やがて九階へとたどり着いた頃には、廊下は煙で満たされており、
薄暗い廊下はどちらが右でどちらが左なのか、それさえ判然とせぬほどになっていた。
193 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:16:33.59 ID:ITUe9XD90
 階段から最も近い部屋のプレートに901号室と刻まれているのを指先で確認する。
その隣は903号室だ。どうやら部屋は、廊下を挟んで奇数部屋と偶数部屋に分かれているようだった。
 ならば、この隣が905号室であろう。
 手でプレートに触れると、確かに『5』の数字が確認できた。
「ショウタ!」
 吸い込んだ煙は扱った。手探りで漸く見つけ出したドアノブは熱を持っている。
「ショウタ!」
 あらん限りの声で叫ぶが、返事はない。
 ドアノブを捻るがガチャガチャと引っかかるだけで、そこが開く様子は無かった。
「クソ……! ショウタ!」
 もしかしたらもうとっくに逃げているのかもしれない。
 馬鹿げている。馬鹿以外の何ものでもない。
 煙った空気を吸い込みつつ、タカシはそんな自嘲を繰り返しながら、
幾度も扉に向かって体当たりをした。
 二度、三度、四度。
 繰り返すうちに、ミシッと言う音が響いた。
 熱の為かなんなのか判らないが、ドアは通常よりも脆くなっているようだった。
 そのまま体当たりを続けると、扉は勢いよく開いた。
「ショウタ!」
 部屋の中の空気はまだ澄んでいた。
 グレードがスイートよりは低い部屋とは言え、そこは充分に広さの取れた部屋だった。
一枚ガラスが部屋の全ての窓に設置されているし、ソファは三脚もある。
 だがそのリビングにショウタは居らず、やはりもう逃げたのかもしれない、とタカシは考えた。
 トイレ、バスルーム、そのどちらにもショウタは居らず、残されたのは寝室のみとなった。
「ショウタ!」
 名を呼びながら絨毯を踏みしめ、寝室へと向かう。
「ショウタ!」
 ドアノブを捻りつつ、タカシは半ば祈るような気持ちを抱え、そこを開いた。
 ――果たして、ショウタはそこにいた。
 亀裂が広がった一枚ガラスの、僅かに残された透明部分から、階下を見下ろしでもしているのか、
彼は絨毯の上へと座り込み、ガラスにぺたりと手をついていた。
 ゆっくりと振り返ったショウタは、驚くべきものを見つけたような目をして、タカシを見た。
 大きく開いた瞳は呆気に取られているのか、緩やかに震えている。
194 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:17:49.20 ID:ITUe9XD90
「なんで……?」
 掠れた声が僅かにタカシの耳に届く。
「早くしろ、ここはもうすぐ火の海になるぞ!」
 ずかずかと近づき、ショウタの腕を引き立ち上がらせる。素足の足裏は、黒く汚れている。
「なんでだよ……」
 呆けた顔のショウタがもう一度問う。
「今はそんなことを話している場合じゃない。何故逃げなかった」
「なんで……」
 ショウタは俯き、そして前髪を右手で乱した。
「なんでなんだよ……」
 何故助けにきたのかと問うているのだろう。タカシは「いいから」と苛立ちながら言うと、
その腕を再び掴んだ。
 が、しかし、その腕は乾いた音を発しながら、タカシの掌を振り払ったのだ。
「なんでだよ!」
「今はそんなこと話している場合じゃ、」
「完璧だったのに!」
 吐き捨てた言葉には、憎悪が滲んでいた。
「お前……」
 死ぬつもりだったのか。
 そう紡ごうとした瞬間に「馬鹿じゃん」とショウタは吐き捨てた。
「ショウタ、お前……」
「ああやだ、また一番最初からだ」
「ショウタ……?」
「ああもう、ここまで完璧だったのに……なんでいつも……畜生……畜生……」
195 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:20:54.51 ID:ITUe9XD90
 ショウタが何に対して悪態を吐いているのか、まるで判らなかった。
 今まで、彼がタカシに向かって暴言を吐くことは多々あった。
 だが、今回のこれはそれとは様相が異なった気がした。
 今度はタカシが頭を抑える番だ。なにかがおかしい。一体なにがおかしいのか判らないが、
だが本能的におかしさを感じていた。
 苛立った目は子供の駄々とも違うような気がした。
 熱の為か、怒りのためか、瞳には赤く細い毛細血管が無数に走り、
そして小さな爪は髪をかきむしっている。
「なんでいつもいつも……なんで上手く行かないんだろう。なんで……」
「ショウタ」
 最早、タカシの声はショウタには届いていないようだった。
「全部、あの人の好みにしたのに。全部あの人に合わせたのに。
なにが駄目なんだろ……なんで……」
 仕舞にはショウタは泣き出した。
 情緒不安定な女を見ているような気味悪さがタカシを襲う。
 これは、誰だ。一体。いや、ショウタであることは間違いないのだ。だが。
 耳鳴りがする。
 この空間に、まるで空白ができたかのように、なにも聞こえなくなる。
196 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:22:38.91 ID:ITUe9XD90
『気持ちの悪い子供だ。やはり人工授精などするべきではなかった!』
 耳鳴りの合間、誰かの声が耳に響く。聞き覚えのある声だった。
 いや、聞こえているわけではない、これは幻聴だ。
「いッた……!」
 突然の頭痛にタカシは呻く。
『俺はそんなことをしてまで、技術を引き継がせるのはおかしいと言っているんだ!』
 その聞き覚えのある声は、タカシの頭を駆け巡った。
『俺を"買った"だけじゃまだ足りないのか! 水も記憶も知ったこっちゃない!
お前にも、世間にもうんざりだ!』
 この声は、一体、誰のものだろう。
 動悸がした。頭が痛い。
 一体、なにが。
「痛い……!」
 目の奥に軋むような痛みを覚えて、タカシは目を硬く瞑った。
 ショウタは相変わらず意味不明な言葉を呟いており、タカシには目もくれない。
 痛みで、涙がこぼれだす。こげた匂いが強くなっている。
 危険だ。そう判っているのに、一歩も足を踏み出すことができない。
 なんだ、なんだってこんな時に。
『俺の種を道具にしたな!』
 なんの話だ。
『大戦など俺には関係ない! 何人死んだ、俺の所為で!』
 唯一鮮明な右目に、チラつく赤いものが見えた。
 炎だ。
 そう認識しているのに、体は一歩も動かない。
「……さま!」
 誰かが、何かを叫んでいる。今度は幻聴ではない。
 しかしその声は、ショウタものではなかった。
 慌しい足音が、パチパチと言う音に交じって聞こえてくる。
197 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:23:54.97 ID:ITUe9XD90
 いつの間にか、部屋は炎で満たされていた。
 バン、と何かが弾ける音に交じって、天井が落下してくるのがスローモーションのように見えた。
 今度こそ死ぬのだろうか。
 煙った視界の中に、男の姿と天井が同時に見えた。
 知っている顔だ。あれは、家で使っている下男だろう。
 全身が濡れた男が、唖然とした姿で底に立ち、そして。
「ショウタ様!」
 そう叫んだのだ。タカシではなく、彼は、ショウタの名前を叫んだのだ。
 分厚い天井が落下していることに、それが自らの頭を目掛けてきていることに、
ショウタは漸く気づいたようだった。
「危ない!!」
 下男の声がやけにゆっくりと響く。
 熱風が頬を煽る。窓ガラスがパンと音を立てて爆ぜる。耐熱強化ガラスもこの熱には耐えられなかったのだろう。
 一気に入り込んだ酸素に、炎が一段と大きくなるのを感じた。
 ゴウゴウと燃え盛る炎。そして、落下する天井の一部。
 タカシは咄嗟に落下物を避け、そしてなんとか危険を回避した。
「ショウタ様!」
 落下した天井材と床に挟まれたショウタは、ぺちゃりとつぶれ動かなかった。
「どいて!」
 下男がタカシを突き飛ばす。
 なにもかもが判らない。
 下男がここに居る理由も、彼がショウタを優先する理由も、ショウタの意味不明な呟きも。
198 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:26:11.15 ID:ITUe9XD90
「ショウタ様、ショウタ様!!」
 ショウタの手はだらんと力をなくし、返答が無かった。
 呆気に取られたままのタカシは、ぼんやりとその様子を見つめるしかない。
 天井材をどけ、なんとかその体を救出した下男は、ショウタの頬を二度ほどぶったが反応はない。
「ショウタ様! 起きなさい、ショウタ様!」
「……痛い……!」
 幾度かの張り手で、漸くショウタは目を覚ましたようだった。
「……なんでお前、ここに居るの」
 呻くような声の後、ショウタがか細い声で尋ねた。
「この爆撃です、貴方になにかあったら……、怪我をされているじゃないですか!」
「……平気だよ」
「平気なわけがありますか!」
「平気だって。こんなの、治せばいい」
「皮膚が裂けてます」
「大丈夫だよ。治せるもん。あー……、骨、折れたかも」
「だから……! 貴方は無茶をしすぎる! 歩けますか?」
「うん、平気」
 熱風立ち込める部屋、タカシはただアホのように立ち尽くしていた。
 下男に支えられる少年はショウタで、ショウタを支えるのは下男。
そのどちらともが見知った人間であるはずなのに、まるで知らない人間のようだった。
「全部取り替えになるかな」
「どうでしょう、すぐに技師に見せましょう」
「うん。ねぇお前、この炎の中歩けるの?」
「歩けるわけないでしょう。何故早く避難されなかったのですか」
 二人はタカシに構うことなく不可思議な会話を続けていた。まるでタカシなど居ないかのように。
「実験、してたんだ」
 ショウタの視線が漸くタカシに向けられた。
いつもより幾分も穏やかな目は、タカシの知るショウタのそれでは決してなかった。
 警笛が鳴っている。なにかがおかしいと、この世の終わりを告げるようにけたたましくなっている。
199 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:27:19.78 ID:ITUe9XD90
「だめだよ。アレも失敗」
「……そうですか」
 ふいに、なにか光るものが目に留まる。
 ショウタの手だ。右の手の、肘から下、手首までの皮膚が思い切り裂けていた。
 しかし不思議なことに、そこからは僅かな血液がもれ出ているばかりで、
見た目に反してその出血量はきわめて少量であった。
 そしてその皮膚の中身。それが光っているのだと、タカシは鈍った思考で確認した。
「回収しますか?」
「ん、一応」
「判りました……、お前」
 下男がタカシに向かってそう呼びかけた。『お前』と。
「『ついてきなさい』これは『命令』だ」
 途端に体が機械仕掛けのように勝手に動き出す。
 これはなんだ。いつの日か、下男の罵声によって体の動きが不自然に停止した時と似ていた。
 自分の体であるにもかかわらず、その一切に関しての自由が奪われるような、異常な感覚だ。
 ――これは、なんだ。
 言われるがままに、タカシは下男の背後一メートルほどの距離に立った。
抵抗の言葉は紡げないし、体の自由は利かない。
 ――これは、一体なんなのだ。
200 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:29:33.52 ID:ITUe9XD90
「ねぇ、関節から取り替えようかな。なんか最近無茶な体勢ばかり取った所為か、ギシギシいうんだ」
「私では判りかねますから、お医者様と技師にご相談なさってください」
 ショウタの腕は、光っている。その皮膚の内部は、見事なメタルカラーだ。
 彼らは、一体なんなのだ。タカシは全身が粟立つのを感じる。
「やだなぁ、医者のセンセにまた怒られそう」
「おいたが過ぎるんですよ、『坊ちゃま』は。悪い遊びもほどほどになさらないと」
「うん……」
 おおよそ火事の現場に似つかわしくない、朗らかな会話は続いてく。
 得たいの知れぬ二人は、只管会話を続けた。
「危ない!」
 下男が突如叫ぶ。
 柱が倒れ、それからショウタを庇うように下男は動いた。
 かなりの重量があるのではないかと考えられる柱の衝撃を、下男は易々と腕と、そして頭部で受けた。
「……うわぁ……お前、それ大丈夫?」
「ああ、平気ですよ。お前、大丈夫か?」
 下男が振り向きタカシにそう尋ねた。
 下男の頭部は、拉げていた。
 陥没した頭部、そのあたりの皮膚は、柱からの摩擦で一部がこそげ落ちている。
 額から右眼窩の下までズルリと落ちた皮膚が、頬の下にぶら下がっていた。
 そして覗いたのは、ショウタの腕と同じメタルカラーの金属で。
「おい?」
 むき出しになった眼球がキョロキョロと動く。
 ああ、彼らは、彼らは。
「おい、大丈夫か?」
「あーあ、放心してるよ。回収できるかな」
「大丈夫でしょう。ちゃんと『催眠』を掛けてありますから」
「あ、そう。早く行かないと。俺まで燃えちゃう」
 タカシは自由にならぬ体で、声にならぬ悲鳴を上げた。
 そしてそれから暫くの記憶が、タカシにはない。
201 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/08/09(土) 00:31:00.05 ID:ITUe9XD90
今日はここまで

>>184
保守と感想ありがとう
202 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2014/08/11(月) 19:58:40.81 ID:hK6CSD/zO
なにゃとおお
203 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2014/08/15(金) 03:14:13.90 ID:j/Jw/+jGO
人類なんてどこにもいないさ
204 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) [sage]:2014/08/17(日) 23:25:57.53 ID:TYjyjSU60
乙です。うおお続き気になる!
いつも読みごたえのあるものをどうもありがとうー
205 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2014/08/25(月) 01:37:12.18 ID:J2PQo+rC0
乙です!続き楽しみ!
206 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2014/09/11(木) 20:31:12.18 ID:Au7dhndvO
待つわー
私待つわー
207 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/09/16(火) 23:47:08.18 ID:Rqy22i/q0
*****

 バラバラ、と言う不穏な音を立てて、爆撃機が上空を通過したのを青年は確認した。
 かなりの大きな音であったから、姉が怯えて暴れやしないかと少しばかり不安になったが問題はないようだ。
 青年の押した車椅子に、姉は静かに納まっていた。
 姉は病を抱えており、大きな音に弱いのだ。
「姉さん」
 声を掛けるが、返事はない。寝ているわけではないことは判っているが、とにかく返事は無かった。
 今日は暴れる気力がないらしい。
 と、またもや同じような音が響いた。
 今度は窓ガラスを振るわせるほどの音であったが、姉は相変わらず静かであったから、
青年はホッと胸を撫で下ろす。 
「嫌だな……」
 青年は短く呟いた。 
 はるか上空を行く他国の爆撃機に、この国を攻撃する意図がないことは確かであったが、
やはり気分のいいものではない。
 このまま他所の国では戦争が再び始まるのだろう。
 前回の第四次世界大戦は何年続いたのだったか。
 実害なき地で平穏に過ごしているとは言え、やはり戦争が始まるかも知れないという不安定な情勢には
心が乱されないわけではない。
 青年は途端に憂鬱になる気持ちを押し込めて、車椅子を押しつつ渡り廊下を行く足を速めた。
208 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/09/16(火) 23:48:24.57 ID:Rqy22i/q0
 この施設、国立農業開発実験所に男が招かれてから、もう三年が経つ。
 大学の二年の中盤でスカウトをされ、そのまま卒業と同時にこの施設へと入所した。
 しかし三年経つ今でも慣れないことは多い。
「おはようございます」
 すれ違いざまに人の声でそう掛けられ、青年は顔を引きつらせたまま「おはよう」と返事する。
 これだ。青年は、『これ』がとにかく嫌いであった。
 すれ違うマシーンは、アンドロイドと呼ぶらしい。
 彼らはみな、ぎこちない二足歩行、そしてツヤツヤつるんとした機械的なボディで、
にも関わらず言葉だけは人そのものの声と明瞭は発音で「おはようございます」と挨拶をしてくるのだ。
 これを気味が悪いと思わずにいられるわけがない。
 いっそ顔や体も人らしくあれば気味悪さも激減するのであろうが、
今のところそのような技術はこの国にはないようだ。
 とは言え、機械が人の姿に近づくのも遠い未来の話ではないだろうという確信が青年にはあった。
 近頃社会では、なにもかもを人工物で補おうとすることが流行のようだから、
きっと彼らが進化する日もそう遠くはないに違いない。
 例えば大学の同級生は、ありとあらゆる肉体の部品を人工物で補う実験を繰り返していた。
 今はまだ滑らかな人らしい動きには遠く及ばないが、近い未来にはそれらが実用化され、
体の一部を欠損した人々に明るい未来を齎すことだろう。
 無いものは人工物で補え。
 それは確かに便利で素晴らしい技術であるのかもしれないが、
青年はそれを手放しで歓迎する気持ちにはどうしてもなれなかった。
 時代遅れの石頭。そんな風に呼ばれたとしても、受け入れがたい気持ちが青年の眉間にシワを作らせる。
 この窓の下――、渡り廊下から一望できる、階下に広がる畑を眺め、青年は溜息を吐いた。
209 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/09/16(火) 23:49:24.00 ID:Rqy22i/q0
 人間の体が人工物で補える日が遠くないのだから、人工的な食べ物などもっと容易い。
 農業実験施設とは名ばかりのその巨大プラントの一画は、厳重な警備が為されていた。
 水耕栽培、擬似太陽光、通常の十倍の速度で成長をする不自然な植物たち。
 自然の流れに逆らったものからそうでないものまで、かなりの種類の食物を、
この国立農業開発実験所は雑多に栽培していた。
 今のところ、これらは間違いなく植物そのもので、遺伝的にも植物以外のなにものでもなかったが、
しかしいつ不自然な人工物に切り替わるか気が気ではない。
「そのうちパンが木になるんじゃないか」
 流石にそれはないだろが、今の政府ならどんなことでもやりかねない。
「ああ、ごめん、姉さん。行こうか」
 随分と長い間、立ち止まっていたようだ。
 物言わぬ姉が催促するように青年を見上げていた。
 ごめん、ともう一度言うと、再び車椅子を押して歩き出す。
 階下の植物が、人工風に煽られそよぐのを横目で見る。
 有事の際に、国民に等しく充分な食物を供給するための施設――、これがこの施設が建設された目的だ。
 随分と健全な名目を掲げられたものだ、と白けた気持ちになりながら、青年は目的地へと急いだ。
210 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/09/16(火) 23:51:16.01 ID:Rqy22i/q0
「姉さん、今日は元気がないね」
 そう問いかけるも、車椅子に座った女は再び振り返ることも、返事をすることもない。
 返事が帰ってくることは期待していなかったので、青年は返答のない会話を一人で続けていた。
 今日は天気がいいだとか、昨日の夜には流れ星が見えただとか、そんな他愛もない会話だ。
 つまらぬ一人きりの会話を十分ばかり続けていると、やっと青年の職場が見えてきた。
 大振りな、シルバーカラーの頑丈そうな扉が突き当たりに鎮座しており、
その先に隠されたのが青年の職場である。
「おはようございます」
 扉の真横に立つアンドロイドが滑らかにそう発音し敬礼をしてみせた。
 こいつにも返事をしたところでその言葉の意味など判りはしないだろうと思う。
 彼らが挨拶をするのはプログラムで、感情からの行動ではない。
 それでも挨拶には挨拶で返すのは人間の本能のようなもので、
男は違和感を飲み込みながら「おはよう」と返した。
「今日は肌寒いね」
「本日の最高気温は二十八度、平年並みですがお寒いようでしたら室温を上げますが」
「……いいよ、ありがとう」
 本当に、あとほんの少しでも人らしくあったのなら、これほどいい話相手はいないだろう。
 何の気なしに呟いた言葉にまで律儀に返事を寄越すのだからたまらない。
 異常で、不気味。だが数年後に進化した彼らはきっと、人々に愛される存在となるに違いない。
「失礼、どいてくれるかな。セキュリティを解除したい」
「お邪魔でしたね、すみません」
「いいや、大丈夫」
 青年は、アンドロイドの巨体が覆い隠すようにしていたスキャン端末に瞳を晒した。
網膜スキャンは自動的に行われ、数秒ののち、
スキャニング機能は彼をれっきとしたこの施設の研究員だと容易く認めた。
 と同時にプシュッと言う奇妙な音を立てて扉は開き、扉は二人を内側へと促した。
 ――このような扉を実に四回通過して、漸く男の職場にたどり着くのだ。
 セキュリティを異常に強化した扉は、外部と内部を断絶させる。
 男はなんとなく外界に名残惜しさを感じながら、扉の中に入っていった。
211 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2014/09/16(火) 23:52:43.22 ID:Rqy22i/q0
 随分厳重な警備であるが、それも仕方がない。男の実験は国が全面的にバックアップしているもので、
その資金は年間数千万円に及ぶ。厳重な管理がされるのも納得であろう。
 そして四回目の扉を、男は漸く突破した。
 だだっ広い部屋は、義務教育中に使った教室の四部屋分くらいにはなるだろう。
 扉から数メートル離れた部屋の片隅の、机が整然と並ぶスペースへと姉を連れて行く。
「姉さん、今日もここにいてくれ」
 車椅子の車輪にロックを掛け微笑んでやるが、当然のように彼女は返事をしない。
 厳重な管理を施されたこの施設に、姉はひどく不似合いな存在だろうと青年は思う。
 本来、この区域は彼女が立ち入っていいような場所ではない。
 と言うより、本当ならば姉をこんな場所へと立ち入らせたくはないと言うのが青年の本音だ。
「こんなところに……」。
 ――こんな、野蛮で薄汚い場所に。
 清潔で埃ひとつない空間で、青年は唇を引き結んだ。
 つれてきたくはない。こんな場所に。
 だが、姉には介護が必要なのだ。
 二十代の半ばでもあるにもかかわらず、重度のアルツハイマー病なのだから仕方がない。
担当医は便宜上超若年性のアルツハイマーと呼んでいるが、それが正式名称ではないことは確かだ。
 病気だから何なのだ、言われるかもしれないが、しかし青年以外が世話を焼こうにも、
姉は途端に凶暴に暴れだすのだから、彼自身が面倒を見るよりほかはないのである。
 青年がこの施設へとスカウトされた際に提示した条件のうちのひとつは、
高額な給料でもなく福利厚生の充実でもなく、姉を職場へと同伴させることの許可だった。
 それから彼女は幾度も検査を受けさせられ、情報漏えいが可能なほどの能力がないと判断され、今に至る。
「姉さん、ひざ掛けを掛けような」
 話しかけても、返事はやはりない。
 脳の萎縮がだいぶ進んでいることが明らかになったのは、前回の検査のことである。
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