【オリジナル】男「没落貴族ショタ奴隷を買ったwwww」

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355 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:06:55.93 ID:1t2tcMd90
「返さなきゃ……」
「黙りたまえ」
 医師が細心の注意を払いつつ、ショウタの体を横たえた。
 細い手足がどんどん血の気を失い青白く染まっていく。
 その壊れそうな細さは、成長期さえ迎えていない少年の手足に他ならなかった。
 手足だけではない。よくよく観察を繰り返してみれば、ショウタの体はなにもかもが幼くて小さい。
 彼の年齢さえ碌に知らぬタカシであったから、それが年相応の体格なのかどうかは判断しかねたが、
骨の上に乗っている肉が、あまり多くはないことは安易に理解できた。
 ――何故、それほどまでにか細い体に無体を働けたのだろう。
 いくら記憶を書き換えられていたとは言え、理性の部分でセーブが効きそうなものだ。
 現にタカシは今、とても『焦っていた』。それは記憶の書き換えに付随するものではなく、
このシーン、つまりこの状況に応じて産み落とされた、今のタカシ自身からなる感情のはずだ。
 それは即ち突き詰めれば、タカシは『選択』の自由がないわけではなく、行動は自身の感情と理性の元に
コントロールが可能であると言うことに相違ない。
 タカシは、自身の選択でショウタを組み敷き穿ち、そして痛めつけたことになる。
 混乱、動揺、そして焦り。 
「返さなきゃ、駄目……」
 意識が混濁しているのか、意味不明な言葉ばかりを繰り返すショウタを、タカシはじっと見つめていた。
「かえ、す……」
 ショウタは自らが作り上げた肉の窓に指を伸ばしつつ、うわごとのように『返さなきゃ』と呟き続けた。
356 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:11:34.41 ID:1t2tcMd90
「返さないと、全部……」
「やめたまえ。これ以上の勝手は医師として承服しかねる」
「せんせい……」
「なんだね」
「あれ、こいつに返す」
 青白く変色した指先が、医者の指を掴む。蝋のように白い指先とは対照的な赤さに怖気が走る。
 現実味なく過ぎ去っていくやり取りは、
まるでタカシとは関係がない世界の出来事のように完結しているくせに、恐怖だけは明確に迫り来るのだ。
 行き場のない恐怖に、冷や汗が滴り落ちるのを、タカシはなんとかやり過ごしていた。
「判った。そのために腹を裂いたのかね。……無茶苦茶だ」
「痛くないよ」
 ただ体が思うように動かなくなるだけ、とショウタは呟いた。
「そういう問題ではないのだよ」
 医師は眉間によった自身のシワを伸ばすべく、血塗れたままの指先を額に押し付けると、
もう一度、「そういう問題ではないのだ」と繰り返した。
「止血する。体を動かすことの一切を禁じる。君、手伝いたまえ」
 技師はハッとした顔で頷くと、医師の傍らに膝をついた。彼のパンツが血の色の染まるのにも、
そう時間は掛からなかった。
「……例え君の体の五割がメカニカル化されていたとしても、
現にこうして君の体は君自身の『生命の危機』を訴え血を流している」
「え……?」
 思わず呟いた自身の声に、タカシ自身が最も驚いていた。
「タカシ君。坊ちゃんの体は君の体と然して変わりない。
半分が機械なのだよ」
357 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:13:58.50 ID:1t2tcMd90
 ビニル製の手袋を嵌めた医師は、ショウタの腹の中に躊躇することなく指先を突っ込んでいった。
 慎重に、内部に差し入れた指先を蠢かせている。
 ――一体何を『探して』いるのだろう。
 医師はこともなげにショウタの体の半分が機械であると告げ、そして奇妙に指を動かし続けている。
 なにをしようと言うのだろうか。
「……痛くはないかね」
「機械の体が、痛くなるわけないじゃん……大丈夫」
「何度も言うが、そういう問題ではない。
君は馬鹿ではない。私の言いたいことを理解しているはずだ」
「大げさだなぁ……」
 掠れた声は、微かに笑い声を含んでいたが、どうにもタカシには、それがとても不思議に思えた。
「メカニカル化された体と言うのはかなり頑丈で、多少の無理は利く。
だが、君は今動くこともままならない。それは体への負担がかなり重いと言うことだ」
「知ってる……」
「機械部分はどこかしらが損傷すると、生身の部分に麻酔薬を流出させる。
その場で負傷者を眠らせて損傷部位の破壊がそれ以上進まないようにするためだ」
「それも知っているってば……、まって、せんせい、くるしい」
「ああ、すまない」
 そう医師が答えると同時に、彼の手は動くことをやめた。
「……あった」
 たった一言だけそう告げると、医師は来たときと同じようにして手首を慎重に動かしながら、
ショウタの体外へと出ようとしているようだった。
 しかしその手には何かが握られているのだろう、皮膚の下で、時折ふくらみが移動するのが見て取れた。
「つまり君の体は損傷している。かなり深くね。わかるね」
 ショウタは静かに頷いて見せた。
358 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:19:03.27 ID:1t2tcMd90
「坊ちゃんの体は――、」
 彼は作業を続けながら、再び口を開く。
一瞬だけ投げられた視線により、これから紡ぐ言葉は全てタカシに向けるものだと推測できた。
「――坊ちゃんの体はね、あえてメカニカル化されたものなのだ。
いいかい、体の部位の殆どは生のパーツを作ることができる。なんにでも変化できる細胞が最近みつかってね。
つまり再生医学の始祖とも呼ばれるある博士が開発したそれよりも、より簡単に体を再生できる技術だったのだ。
だが坊ちゃんはあえてそれを拒み続けた。こと内臓に関してはね」
「何故……」
 医者の口ぶりから、ショウタの体がメカニカル化されているその理由は、
彼の無茶な行動からなる度重なる損傷とはまた別問題なのだろうということはタカシにも理解できた。
「何故ですか」
 喉が渇いて、言葉が上手く発せない。喉と喉が張り付きそうだった。
「先生、その話はいいよ……」
「君の所為だ、タカシ君」
「先生……」
 ショウタの手が弱々しく動き、血塗れたままのそれは医師の白衣を掴む。
 だが、医師はその制止をやんわりと拒絶し、そして言葉を続けた。
「君が『そう』なったのも、坊ちゃんが『こう』なったのも、元を辿れば全て『昔』の君の所為だ。
『今』の君には罪はないが、私は『昔』の君のことが反吐が出るほど嫌いだ。
……坊ちゃん、大丈夫かね。君の腹から私の手を出すよ」 
 医師の手の動きが止まった。
 ちらりと一瞬だけタカシを見遣り、そして医師は確認するようにショウタに向き直った。
 互いに目だけで合図をしあい、そして下された決断は『続行』であるようだった。
359 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:21:02.71 ID:1t2tcMd90
 タカシの知らないなにかが動き出そうとしている予感はあった。
そしてそれをタカシが拒否できる類のモノではないという予感も、
タカシにとって都合の悪いものであろうことも。
タカシの精神面に嫌な引っかき傷を残すことは、おそらく確実である。
「私はね、『昔』の君が大嫌いであったが、それでも坊ちゃんを救ったことだけは評価している」
「救った……?」
「君は、テロに会った際、坊ちゃんを助けた。君の一人目の息子、シュウ君と両方ね。
……これが君の全てだよ、タカシ君」
 ショウタの腹から腕を抜き取ると、医師はタカシにそれを見せた。
彼の指先につままれていたものは、小さなカプセルだ。それは銀色で、滑った血液でてらてらと濡れている。
 鉄の匂いが鼻の奥を突く。嫌な匂いだ。そしてよく知っている匂いだった。
「ここに、君の全てが詰め込まれたチップが入っている。頭を少しだけ開いてこれを接続させれば、
君は『昔』の君の記憶と今の君の記憶が交じり合って再び新しい君になる」
 ――どうするね。
 医師は選択肢のない問いを投げ掛け、タカシの返答を待っていた。
 答えなど決まっている。タカシは全てを知らなくてはならないのだ。
360 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:27:14.61 ID:1t2tcMd90
 流れ出た大量の血液の中に、ショウタが沈んでいた。
 血の気を失った顔は青白く、まるで死人のようだ。時折揺れ動く睫と、僅かに上下する腹によって、
彼がまだ辛うじて生きていることが判った。
 辛うじて――、タカシには、ショウタの命の灯火は今にも消えうせんばかりに見えるが、
医師も技師も慌てた様子はない。
 ならば大丈夫なのだろが、ショウタの顔はあまりにも青白く、
観察を続けることは、タカシの精神衛生上難しいことだった。
 タカシは椅子に座り込んだまま、死体のようなショウタからゆっくりと視線を外した。
「動けるかね」
 問われ、タカシは否と答えた。
「どこか損傷でもしたのかもしれないな」
 医師はタカシの体を検分しようとしているのか、衣類に触れた。
彼の行動を遮ったのはショウタだった。
「解除、D、A、Y、L」
 か細いショウタの声がそう読み上げた瞬間、体のこわばりがカクリと抜け落ち、
勢いあまったタカシは体全体が滑落していくような感覚を覚えた。
「もう自由に動けるよ……」
 はぁ、と大儀そうに嘆息したショウタは、それきり血溜まりの中で目を瞑ってしまった。
「君、坊ちゃんの傷は塞がったかね」
「一応」
 医師は短く技師に尋ね、技師も短く返答をした。
 タカシは二人の会話を右から左へと聞き流しながら、確認するようにゆっくりと手を開閉を繰り返す。
 自由に動く。
 続いて足を軽く動かす。そして上半身を。
 ぎこちなさは残るものの、全ての部位の稼動が確認できた。
361 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:30:35.03 ID:1t2tcMd90
「なるほどね……機械部分に制御をかけたわけか。Do as you like――、お好きにしなさいってか」
 ――自分勝手が過ぎるぞ、ぼん。
 技師が心底軽蔑した声でそう吐き出した。
 タカシには、どうにも医者と技師の立ち居地が判らなかった。
時折ショウタを批判し、また次の瞬間には過去のタカシを軽蔑と共に非難する。
 二人が二人とも、ショウタにも、タカシにも完全に味方をしているわけではないのは確かだが、
彼らが何故そのようにフラフラとしているのかが理解できない。
「もう手に負えないのだよ」
 タカシの疑問を汲み取ったかのように、医師が口を開いた。
「私はもう、君の記憶に手を加えたりはしたくなかった。
坊ちゃんがこれ以上君の頭を弄れといっても拒否するつもりではあった。
だが、彼が記憶を戻せと言うのならば、それは君にとっても坊ちゃんにとってもいいことだと考えた。
欠けていても不自然、補うことも不自然、どとらも自然とは言いがたい状況ならば、補われていた方がマシだろう。
それに、おそらく……」
 そこで医師は言葉を切った。
「聞こえるかね。いや、この地下では聞こえるはずがない。私の幻聴だろうか」
 医師の視線がつい、と天井に向かう。
「――再び、そう遠くない未来に戦争が始まるだろう」
「え……?」
「この国の防衛網は破られた。完璧とされていた防衛網が、だ。
密かに大日本帝国国防軍も動き出している。私は有事の際、軍医として借り出されることとなっていてね、
その通知がつい先日届いたのだよ。大昔の言い方で言えば『赤紙』とでもいうのだろうか」
「そんな……、」
「だから、私がもし死んだとしても、君と坊ちゃんが困らないようにしておきたい」
「困らないように……?」
 ぼんやりとして追いつかぬ思考のまま、阿呆のようにタカシは医師の言葉をリピートした。
「坊ちゃん、『箱庭遊び』はもう仕舞だ」
 医師の右手に注射器が光る。
 透明の液体で満たされたそれが、タカシの腕へと向けられた。
 今、ここで意識を失うわけには行かぬ。そんな気がしたが、医師は容赦なくタカシの腕を押さえつけに掛かった。
「ま……っ、」
 待ってくれ、話がある。
 そう紡ぎかけた唇は、腕からタカシを犯す液体に遮られ、
だらんとだらしがなく開け放たれたまま沈黙することとなった。
 訪れた抗いがたい睡魔に、タカシの意識はゆっくりと落下していく。
 深い深い意識の底へと、魂ごと落ちてゆく感覚は、恐怖とも、あるいは微弱な好奇心ともつかぬ、
奇妙な感覚だった。
362 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/07/08(水) 03:33:05.28 ID:1t2tcMd90
きょうはここまで。
なんか……ほんとすみません……。
2ヶ月ルール突破しちゃってるけど大丈夫なのかな。
保守してくださった方、ありがとう。
あと3回くらいで終わらせたい。
363 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/07/08(水) 09:50:55.78 ID:Moc9FMrto
364 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/07/17(金) 19:45:18.75 ID:dpt5HhsiO
きてた!
まってた!
まってる!
365 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/07/18(土) 23:49:24.33 ID:7H7Dgc9S0
きてた!!乙です!!
相変わらず読み応えあって面白い。続きも待ってる!!
366 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/08/16(日) 23:17:38.86 ID:O2DqF4Iv0
セルフ保守
367 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/22(土) 00:30:46.73 ID:zmrLqPyf0
のんびり待ってる保守
368 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/09/13(日) 01:55:47.40 ID:OJqudtK60
追いついてしもた
予想外にSF展開でワクワク
369 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/19(土) 09:34:16.12 ID:AAv+BMCcO
待ってる
370 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/26(土) 00:24:03.31 ID:z90QUhle0
待つわ〜いつまでも待つわ〜
371 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/07(水) 00:01:38.18 ID:o739+m/o0
ほしゅ
372 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:05:37.10 ID:vHoLDIIk0
***

 子供は無邪気なものだと思う。
 親の思惑やら腹に抱えた葛藤やら、そう言ったものの一切を挟まずに、子供同士で勝手に仲良くなっていく。
「シュウ、あまりはしゃぐんじゃない」
「うん」
 後部座席を振り返ると、頬を真っ赤に染めるほどに興奮しきったシュウが居た。
その横に座るのはショウタだ。
 好きなヒーローの話で盛り上がる二人には、
運転席と助手席に座る両親の刺々しい空気に気づいていないようだった。
 車のフロントガラスの端に浮かび上がった英数字は、気温二十度、湿度四十%を示している。
一年に渡って気候が統一されているこの時代において、この機能の必要性がよく判らない。不要な機能ではないか。
そんなことを散漫に考える余裕は充分にあるが、如何せん遠すぎやしないか、と言うのが率直な感想だ。
 安全補助装置の付いた車を運転し始めて漸く一時間が経過したところであるが、目的地は未だに見えない。
大人が退屈をしているのだから、そろそろ子供たはぐずり始める頃――、
と思いきや、その気配は一向に見えず、できたばかりの友達とはしゃぎ続けていた。
 暢気なものである。
 空は真っ青で快晴。子供同士の初の顔合わせにはもってこいの天気であるが、
だがしかし、タカシの気持ちはどうにも晴れず、
ため息を口の中で作ってはなんとか飲み込む、ということを繰り返していた。
 ショウタの通う幼稚園に脅迫状が届いたことに伴い、
ミユキはいつにもましてぴりぴりと神経を尖らせ、幾度も避難を希望する電話をよこしてきた。
 昼夜問わぬ気がふれたかのような電話攻撃に、タカシはついに観念し、こうして仕事をパソコンに詰め込み
『家族四人』で避難するに至ったのだ。
373 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:11:12.65 ID:vHoLDIIk0
 本来、現場を離れられる時期ではない。
 製造機のメンテナンスはいつもどおりに定期的に行っていればいいが、
急ぎ足で行わなければならぬ箱庭計画を抱えていのだる。
 夫婦関係はとっくの昔に破綻しているにもかかわらず、
少しでも隙を見せようものなら、外野はいとも容易く「これだから社長の義息子は」と陰口を叩くのだ。
 タカシは誰よりも懸命に働かなくてはならぬのだ。
にも関わらず、タカシはこうして家族四人、こんな僻地まで――、
「お父さん」
 シュウが身を乗り出しタカシの耳元へと顔を寄せた。チラと見遣ったのは助手席に座るミユキのことで、
慣れぬ女の存在に、シュウは少しばかり戸惑っているようだった。
「まだ着かないの? ええと、せーふ、えーと、せー?」
 運転席まで身を乗り出したシュウが、首を傾げて覚えたての単語を唇に乗せようとする。
「セーフハウス」
「そう、そこ。セーフハウス」
「まだ着かないよ。ほら、座ってなさい」
「うん。お菓子食べていい?」
「いいけど、ひとつだけ。お昼、食べられなくなるからな。ショウタにも分けてあげなさい」
「わかった」
 大人しく後部座席へと戻ったシュウは、出掛けに買った菓子の詰まった袋を探りながら、
ショウタとヒーローの話を続けている。
 バックミラーに映る二人を確認すると、タカシは再び視線を前方へと戻したのだった。
 道路の脇にはピンクの花をいっぱいにつけた桜の木がどこまでも植わっている。
その木の向こうに広がるのは田んぼで、随分田舎まで来てしまったものだと思うが、目的地は未だ遠い。
 タイヤが転がる道路は冷たい黒で、おそらくその下には国を保護するための兵器が埋まっているはずだ。
 暢気な田舎の風景には似つかわしくない警備システムは、
だが有事に際しては確実にこの国を保護してくれることだろう。
「セーフハウスね……」
 嫌味を含んだタカシの呟きに、助手席のミユキはキッと眦を吊り上げタカシを睨んだ。
374 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:13:39.60 ID:vHoLDIIk0
 避難――、タカシには、それがとても大げさなことに思えた。
 A社のメンテナンス部門に属する社員が浚われかけたその理由は、
警備アンドロイドを通勤に同行させていないことに起因している。
 大戦後、国家の科学的な機密を握る研究者には、国から警備用アンドロイドが支給されるようになっており、
その家族にも四六時中彼らが張り付き生活を共にすることが当たり前のこととなっていた。
 だが、一般人――、
どんなに素晴らしい研究結果を出そうにも、一企業の勤め人程度では"一般人"と称されるのだ――、
にはそれがなく、ゆえの被害であったが、しかしミユキやショウタはそれとは事情が少々異なるのだ。
何せ、A社CEOの娘とその子供だ。高価な警備アンドロイドなど何台も所持できるだけの金銭的ゆとりがあり、
実際、庭には幾台ものアンドロイドが配置されていた。
 警備アンドロイドを一台の威力はすさまじく、例えば五人の軍人に武器を所持した状態で襲われたとしても、
彼らは軍人を死滅させ、かつ保護対象に傷ひとつつけることが無い。
 そんなものに囲まれ生活しているのだから、旧時代の警備システムのみが施された別荘――、
もとい、セーフハウスへと出向くほうが、よほど危険なように感じられた。
 一応アンドロイドはつれてきてはいるが、トランクに横たわった状態で収納されており、
いざという場面に直面したとしても、すぐに起動することはかなわない。
 まったく、危険で、かつ面白みもくそもない親子四人の遠足だ。
おまけに本来の目的は「避難」であるはずだというのに、警備を担当するアンドロイドはトランクの中、
全くもって危機感のない旅である。
375 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:16:37.84 ID:vHoLDIIk0

 苛立ちをやり過ごすようにしてミント味の錠剤を口に放り込むと、奥歯で勢いよく噛み砕いた。
 バックミラーに映る二人の子供。うち一人は時折、物言いたげにタカシを盗み見見ている。
 自分の父親を『お父さん』と素直に呼ぶ子供の存在が気にかかっているようだが、
タカシもあえてあれこれとフォローすることもせずにドライブをスタートさせたのだ。
「お父さん、あーん」
 グミゼリーを挟んだシュウの指が、タカシに開口を迫る。
少しだけ後ろを向き、素直に口を開くと、人工的なグレープの味が口に漂った。
ミントと混じって妙な具合の味わいとなったが、タカシは微笑んだ。
「美味しい? もっと食べる?」
「ありがとう、でもお父さんはもういいよ、二人で食べな」
「わかった」
 細い腕を引っ込めたシュウを確認すると、タカシは視線を前方へと戻す。
と、そのときなにか大きな影がフロントガラスの上を通過した。
「鳥だ!」
 シュウが歓声を上げる。
 おそらく本物の鳥ではない。
国防や国民監視の名目で放たれたメカニカルアニマルだろう。
「お父さん、あれ、なんていう鳥?」
 真っ黒い翼に、それとそろいの瞳は親子を乗せた車の上をごく自然に旋回すると、そのまま遠く離れていった。
「カラスだよ」
 ふうん、とシュウは返事をした。
 二度目の人生を歩み始めたシュウは、家の外に出ることが、今日の今日まで殆どなかった。。
 いつになく興奮しているのもそのためで、彼にとっては、目に映るもの全てがものめずらしいようだった。
「さぁ、そろそろ着くよ。それまで少しだけ大人しくしてなさい」
 山はどんどんと深くなっていく。
 上空に張り巡らされた国防シールドがブレて、蜃気楼のような歪みを作っているのが見える。
地方に行くにつれ、カモフラージュは手抜きになっているようだ。やがて道路も、整備が追いつかなかったのか
砂利がそこかしこに転がる雑なナリへと姿を変え、
小刻みなバウンドを繰り返すほどの悪路に車中の全員が辟易し始めたころ、車は漸く到着をしたのだった。
376 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:19:00.76 ID:vHoLDIIk0
 黒い立方体の建築物の前に車を停車させたタカシは、ミユキもショウタもほったらかしで、
ひとまずはシュウは後部座席から引きずり出すと、小さく身を屈める彼の背中をさすった。
「シュウ、平気か?」
 すっかり顔色をなくしうなだれるシュウは、座らされた木陰の下で、小さな頭を左右へと一度だけ振るった。
車酔いという未体験の衝撃に、体が追いつかなかったのだろう。
 戦時中はタカシに抱えられて西へ東へとどたばたと走り回ったものだが、
彼の体はその記憶を消し去っているようだった。
「いいよ、ビニール袋に吐いちゃいなさい」
「……でないの」
「でない? じゃあ横になるか?」
 こくりと頷いたのを確認すると、タカシはシュウを片手で抱え上げ、車へと向かった。
空いた片手でトランクを開けると、そこには『ヒト型』が横たわっており、
タカシはそれに向かって短く『起動』と命じた。
 その青年型アンドロイドは、力仕事もカバーする警備アンドロイドだ。
子供の警戒心を解くために、顔立ちこそ優しげなものに設定されているが、しかしその警備能力は
軍人数人を上回る本格的なものだった。
 彼は起動命令に従い狭いとランクの中で起用に動き、そしてタカシへと顔を向けた。
『声紋認証――、ユーザーIDを発声してください。声紋の確認と同時に警備システムが起動します』
 滑らかな肉声じみた声が発声を促した。
 近頃のアンドロイドは、盗難防止のため、シャットダウンののちの立ち上げにはユーザー認証が必要となっているのだ。
声紋とIDを同時に確認し、その後にパスワードの入力が求められる。
『確認しました。パスワードを入力してください』
 まるで血の通った人間のような質感の掌が差し出された。
 タカシはその掌へと、一本指を押し当てて五桁からなるパスワードを書き込んでいく。
『パスワードが認証されました――、』
「こんにちは、タカシ様」
 認証とともにアンドロイドは表情を緩め、人らしく微笑み「なにかお手伝いすることはありますか?」と質問をした。
 声はタカシの好みで、高すぎず低すぎないものに設定されている。
377 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:20:20.50 ID:vHoLDIIk0
「ああ、ベッドのシーツを変えてくれ。
そのあと、部屋は片付いているはずだが、一応空調をフルに働かせて空気を入れ替えを頼む。
荷物はひとまず玄関へ。それぞれのバッグにはユーザータグがついているから、
のちほどそれぞれが希望した部屋に運んでくれ。」
「かしこまりました。シュウ様に吐き気止めは?」
「様子を見る。収まらないようだったら飲ませようと思う」
「判りました。どのお部屋のシーツを交換しますか?
「取り敢えずは……、シュウ、お父さんと同じ部屋でいいか?」
 シュウが小さく頷いたのを確認すると、タカシは二階の部屋を指定し指示を出した。
「シュウを早く寝かせてやりたい。なるべく早くに頼む」
「承知いたしました」
 アンドロイドがセーフハウスに消えていった頃、ミユキは漸く車から降り、
嫌味を滲ませた表情のまま革張りのトランクを自ら引きずり出した。
 タカシがアンドロイドを使っているために、ミユキとショウタは自分で荷物を持つしかない。
どうやらそれについて文句を言いたいようだが、
絶賛不機嫌週間のミユキはタカシと口を利きたくはないようだった。
ならばセーフハウスなどミユキとショウタ二人でくればいいものを、
『父親の務め』を果たすべきだとして、ミユキはそこだけは譲らず、
結局こうして四人で地方の山奥に来ることと相成ったのだ。
 女とは面倒なイキモノだ。なにを考えているのかサッパリ判らないし、
不機嫌になれば喚くか無視を決め込むかのどちらかだ。
 それにしても。
378 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:23:27.67 ID:vHoLDIIk0
「不便だ」
 タカシはシュウを抱きかかえたまま、小さく嘆息した。
 ネットには辛うじて繋がっていたが、セーフハウスに避難している以上は出前だのを頼むわけにはいかないし、
そもそも、わざと人が集まらぬ場所を選び建てられた家であったから、近隣にはコンビニさえないのである。
近隣にレジャー施設は存在するが、それらは所謂『大人の遊園地』であり、
つまりは性産業に従事する者たちが集いし街であり、不健全極まりなく、妻帯者には些か不向きな遊び場なのである。
 尤も、避難時においてその手の遊びに興じるほどタカシの神経も図太くできてはいない。
「避難か」
 溜息とともにこぼれだす単語に、タカシは頭痛を覚えた。
 ――避難は本当に必要なのか、そしていつまで避難をしていればいいのか、
タカシはいつ自宅、そして仕事に戻れるのか――、
つまりタカシは、到着早々この田舎の生活の不便さに辟易し、
実行されるとは到底思えぬ脅しに屈している自分を恥、さらにはいつ帰宅できるのか、
そればかりが気になっていたのである。
「お父さん、気持ち悪いよう……」
「ああ、悪い。早く横になろうな」
 頭を微かに振るったシュウに振動を与えぬよう、なるべくゆっくりと歩みを進める。
 チラと見遣ったショウタが、物ほしそうな瞳でシュウを見ていたのを捉えるが、気づかぬフリを続けるしかない。
 ――幼い子供を、気味悪く思う。
シュウと然して変わらぬ年齢の子供に、優しく接してやることもできないのだ。
 ショウタはなにも悪くない。
媚びた態度もタカシが冷たく当たるが故に、なんとか気に入られようとしている所為であるし、
タカシを『タカシさん』などと呼ぶのもミユキを真似てのものに違いない。
 可哀想な子どもだと思う。父親は生まれながらにしていないも同然で、
しかし生物学上の父であるタカシはそこにいるのだから、甘えたくもなるのは道理であろう。
379 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:26:03.86 ID:vHoLDIIk0
 だが、どうしても愛せないのだ。
 今や試験管ベイビーなど珍しくもなく、性行為の末に生まれ出た子供と言うのは、明らかに少数派である。
そのような現状においても、世の生物学上の父親たちは立派に父としての務めを果たしているのだから、
つまりショウタを愛せないのはタカシ側の問題であって、その問題を作ったミユキの所為でもある。
 羨ましそうなショウタの視線が、背中を焼き尽くしそうなほどに注がれているのを肌で感じる。
 だが、それでも、タカシにとって我が子と呼びたいのはシュウだけなのである。
 そもそもミユキがショウタを孕んだ理由がよく判らない。
 体外受精を厭った彼女は、自然妊娠に拘り、
しかし運よく妊娠できても胎に巣くう子が女児であると判った途端に堕胎を繰り返していた。
 だというのに、タカシとの関係が完全に破綻すると同時に、
彼女はあれほどまでに厭っていた体外受精を密かに行いそしてショウタを産み落としたのだ。
 タカシの精子をどこで手に入れたかも今をもっても謎であるが、
タカシにとってそれ以上に不気味であったのは、ミユキの思惑が不透明、どころか全く見えないところである。
 ショウタを産み落としたことはまだ感情的に理解できる。
 ミユキはタカシに酷く執着していたから、タカシの子を産みたいと言う感情はまだ理解できたのだ。
そして執着を深めてしまった理由はタカシ自身にあり、
長年、ミユキの思慕に気づきながらも利用するだけして利用して、
その思いに答えなかったことにあると言うことも理解している。
 だが、何故突然体外受精をする気になったのか、それが判らなかった。
 関係の破綻にともない、自然妊娠が望めないことが確定し、やけになる――、にしては、
ミユキの体外受精を断固拒否する態度はひどく強固なものであったし、
それについて妥協することは、彼女の中にある一つのプライド、
即ち『姉と同等、もしくはそれ以上の存在である』ことを打ち砕くことに繋がるはずだ。
 それは最早彼女のアイデンティティと化しており、それをねじ伏せてまで選択的体外受精を利用し身篭った事実は、
その先に何か目的があることを示しているようにしか思えないのだ。
 だが、その目的が判らない。
380 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:27:35.10 ID:vHoLDIIk0
 ――驚くべきことに、彼女は幼いショウタに教育と言うものを殆ど行わない。
衣食住の世話、及び教育の大半はアンドロイドに依存しており、
彼女自身のアイデンティティの崩壊を招きかねない状態で産み落とした子に対するそれにしては、
その態度はあまりにもお粗末なものなのだ。
そのくせ少しでもショウタの身の危険が迫っているとなると、彼女は過剰に反応しこうしてセーフハウスに
『一家総出』で避難し彼を守ろうと必死になる。
 彼女のショウタに対する態度は、アンバランスが過ぎるのだ。
 今だって、ショウタは重い荷物を自分自身で持ち、顔を真っ赤に染めていた。
母親として手伝ってやることもなければ、自分の荷物を後回しにして世話をやくこともない。
 なんとも不可思議で、そして不気味なのだ。
 あれほどまでに望んで産み落とした我が子ならば、
どんなことをしてでも守ってやりたいと思うはずであろう。だがミユキからはそのような熱が一切感じられない。
「もう少しだからな」
 腕に抱いたシュウに話しかけると、彼は小さく頷いた。
 そう、少しの吐き気を感じている姿でさえ、かわいそうに思うはずなのだ、親ならば。
 ミユキは何か隠している。
 だが、その何かを探れるほど、二人は近しい関係ではなくなっていたのだった。
381 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:31:27.04 ID:vHoLDIIk0
 吐き気に苦しんでいたシュウも、二時間ほど経過をすれば、すっかりと元気を取り戻し、
今日出会ったばかりのショウタとすっかりと打ち解け、飛ぶや跳ねるやの大運動会を繰り返していた。
 子供のキャッキャと言う甲高い声が鼓膜を震わせる。
 ショウタのものも入り混じっているはずのそれに対して、今日は不快感を抱くことがないのは、
おそらくシュウの声がその半分を占めているからであろう。
 時々『お父さん』と呼ばれては手を振り、持参したタブレットで本社と通信しながらの作業を進める。
『不便ですね。貴方が居ないと作業が滞る』
 タブレット越しの嫌味に、タカシは「すまない」と一言だけ謝った。
 何でもかんでもがネットワークでつながれた昨今においても、在宅で仕事をする社員は少数派で、
ことタカシのような『現場に足を運んで何ぼ』の社員では、そのような選択肢は最初からないも等しかった。
 ある程度の現場作業を済ませておいてからの在宅業務への一時切り替えあったが、それでも不便は多く、
なかなか伝わらない己の拙い指示に苛立ちを覚えることも少なくはなかった。
『それで、どうなんですか、親子水入らずのバカンスは』
 嫌味の含まれた会話にタカシはポーカーフェイスのまま『特になにも』と返す。
『奥さん、落ち着かれましたか?』
 忙しい時期の長期離脱に社は勿論のこと、部下や同僚にも迷惑を掛けていることは重々承知だ。
家族旅行などと曖昧に申請すればそれこそ針のムシロであろう。
それを見越してタカシは、少しでも自身の申請した休日に理解を示してもらおうと、
息子の通う園に脅迫状が幾度か送りつけられた旨を書き添え、その上で休みを取り付けたのだ。
 社員への襲撃があったことも加味され、確かにちくりとする嫌味の二言三言は吐かれるものの、
それでも微かには「それも已む無し」と言う空気が漂っていた。
「迷惑を掛けてすまない」
『……冗談ですよ。仕方のない話です。どちらに避難されてるんでしたっけ?』
「すまない、それも話せない」
 ただ、もろ手を挙げての許容でないことは、タカシも承知していた。
 現に、はぁそうですか、ぞんざいに返事をした電話の相手は、不快感を隠すことなく、
言葉と態度でそれらを示して見せた。
382 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:32:48.30 ID:vHoLDIIk0
 なんとしても早々に現場に戻らなくてはなるまい。
こんな片田舎の、花街ばかりが賑わうようなド田舎にいつまでもいるわけにはいかないのである。
 表立って文句を言われることはなかったが、多くの社員はそれを口にしないだけであり、
タカシの突然の休暇を不服に思っていることは間違いない。
 ましてや、今は箱庭計画が動き出した大切な時期なのだ。いつまでも休んでいるわけにもいかないだろう。
「なるべく早くに戻るようにする」
『わかりました。それでは』
 素っ気無い挨拶と共に通信は遮断され、そしてタブレットは一瞬の闇に包まれた。
 アプリケーションを終了させ、嘆息する。
 ――ミユキを説得する言葉が見つからない。
いや、彼女はタカシが何を言っても首を縦に振ることはないだろう。
たとえタカシの進言に心の底では納得をしたとしても、今の彼女は己の感情でその先の行動を選ぶほどに、
タカシに対して意固地になっている。
 今回の避難とて、こんなセキュリティの甘い一昔前のセーフハウスよりも、
体感センサーや複数台の警備アンドロイドで警護を固めた自宅の方が安全だと、
彼女も心のどこかでは判っているはずなのだ。判らないほど愚かしい女ではないはずだ。
「お父さん! 外に行っていい?」
 シュウが玄関近くで呼んでいる。隣にはショウタを伴っている。
 腕に抱えられているのは小型の浮遊型スケボーだ。
近頃販売された、空気圧で浮かび上がる玩具は、対象年齢が子供であるのにもかかわらず、
大人たちもがこぞって買い求める人気商品であった。
フライボードと呼ばれる買い与えたばかりのそれは、シュウの気に入りの一つだった。
「いいよ。いいけどアンドロイドを連れて行きなさい。それから庭からはでないこと、
プロテクタはちゃんと着けること」
「はぁい!」
「ショウタにも貸してあげなさい」
「うん、判ってる!」
 名を呼ばれ、ショウタの瞳が輝いたのを感じるが、
タカシはそれに気づかなかったフリをしてタブレットに視線を戻す。
383 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:33:44.41 ID:vHoLDIIk0
 あの視線が、どうにも駄目なのだ。
 とろりとした、濃厚な期待を含んだ視線――、そんな目で見つめられたところで、
タカシは父親としての情を与えてやることはできないのだ。
 何故できないのか、どうして頑なに拒否をするのか、幼いショウタにはあまりにも残酷で、
その事実を伝えて納得させてやることもできなければ、またタカシ自身も伝える勇気など持ち合わせていない。
 と、タブレットが通話を告げる点滅を繰り返した。
 ディスプレイに浮かび上がる文字は義父の名である。タカシは眉間に浮かぶシワを人差し指でぐいと押し広げてから、
『通話』と書かれた文字をタップした。
「はい」
『タカシ君、今時間は大丈夫かね』
「ええ。どうぞ」
 この義父のことを、タカシは嫌っている。ミユキを憎むのと同等程度には嫌い、そして憎んでいるのだ。
 当然だ。タカシは彼らにはそれだけのことをされたのだから。ミユキの気持ちを弄び利用した代償にしては、
大きすぎるほどの罰をタカシは与えられた。
『ショウタは元気かね』
 仕事の話かと思えばそんなことか、とタカシはこれ見よがしに嘆息した。
「元気ですよ。それが?」
『暫く顔を見ていないから……、ミユキが会わせてくれんのだ』
 タカシのぞんざいな返答を気にした様子もなく、義父である老人はしきりにショウタを気にしていた。
「そうですか。元気ですよ。『ウチの』シュウと遊んでいます。御用はそれだけですか?」
 ウチの、を強調したのは、自身の子はシュウだけであると言う意思表明のつもりであった。
『そうか……』
 そう返事をしたきり、タブレットの向こうで男が沈黙をした。
384 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:35:13.16 ID:vHoLDIIk0
 ミユキへの――、実の娘への愛情でさえ希薄に感じられたこの男であるが、
だがしかし、ショウタには甘かった。
 時折こうしてショウタの様子を窺いにタカシへと連絡を寄越してくるのである。
 おかしなものだ。自身の娘さえ手駒として扱っていたにも関わらず、この男は孫を恋しがる素振りは見せる。
 なにかショウタの存在には秘められた目的があるのではないか――、
嘗て自身に降りかかった災厄の発端はこの義父であることから、タカシはこうして警戒を怠らず、
彼の言動の全てを疑って掛かっていた。
 ショウタの様子を尋ねる言葉、ショウタが何か伝言を残していなかったかと言う問いかけ、
その全ては孫を思う祖父の態度そのものであったが、しかし過去から現在に連なる仕打ちを思えば、
タカシでなくとも警戒をするのは当たり前と言うものだろう。
「なんなんですか。私は忙しい」
『ああ……、すまない。その……、』
 まだ何か告げたそうにして男は口篭る。
 だが、タカシにお伺いを立てられたところで、さして旨みのある情報を与えられるわけではない。
 義父はタカシとショウタの関係が、良好とまでは行かないものの、それなりに安定した親子関係を保っている――、
そう楽観視しているに違いないが、それは大きな間違いであったし、親子の接触は驚くほど少なかった。
 タカシが拒絶しているためでもあったが、ここでわざわざそれを告げる必用もあるまいと、タカシは黙りこくった。
『屋敷に設置したアンドロイドから、毎回レポートが自動送信されてくるのだが……、
その、ミユキはショウタの世話を全てアンドロイドへと任せているようなのだ』
「だからどうしました? その為のアンドロイドでしょう」
 モニタの向こうで義父が黙りこくった。
「仮にそれがおかしな態度だとしても、そう子育てするようミユキを育てたのは貴方だ」
 卑怯な言い方だと大いに自覚していたが、嫌味の一つくらいは許されるべきだと思うのだ。
 タカシは日に日に『嫌なやつ』に成り下がる自身を自覚している。
だが、それを抑止することはもう不可能に近い。
 ミユキのこともどうでもいい。義父のこともどうでもいい。
ショウタのことは少しばかり気になったが、それは罪悪感からで、親として気に掛けているわけではない。
 ただひとつ、タカシにとって大切なのはシュウのことで、その他のことは些末な問題であった。
 些末な問題の割りにタカシの思考の奥深くにトゲのごとく突き刺さっているから厄介なのだ。
 ――気に入らない、端的に言えばそういうことだ。気に入らない。
 正直なところ、シュウを除いた自身の周辺人物、環境の全てに辟易していた。
 だが、タカシはなによりも、そんな大人気ない自身にも嫌気がさしているのである。
385 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:36:31.19 ID:vHoLDIIk0
『ショウタを、少しでいい、気遣って欲しい』
「ご自分でして差し上げたら如何ですか? 私は父親としての務めをまっとうする気はない」
『そうしてやりたいが――、』
 義父はそう言ったきり、黙りこくった。
 タブレットの画面に浮かび上がる顔は、かなり高齢の老人に見えた。
 様々な技術を駆使して彼が生き延びていることは知っている。
近頃は体調があまり優れず頻繁に医師や技術者を招いているとも聞く。
 そんな陰りの見え始めた『生』からの逃避に孫を使っているのかもしれない。
 だが、とタカシは考える。
 ミユキと義父が不仲となった今、しかしその橋渡しをしてやるほどの義理も情もタカシにはないのである。
 二人の間に立ちはだかる因縁を、例えば他人に打ち明けたとしたら、
きっと多くの人は『過去の仕打ちをいつまでも根に持つなどみっともない』と、タカシを非難することであろう。
その代わりに第二の生を授かったじゃないか、と。シュウを再現したではないか、と。
 だが、シュウを、最愛の息子を失った痛み――、それを思えば、どうしても義父を許すことはできないのだ。
 自分自身に降りかかった不幸は飲み下しても、子に手を掛けられた過去は、
未来永劫水に流すことなどできぬのだ。
『ミユキを――、なるべく、ミユキを、ショウタと引き離してやってくれ。
こんなこと、君にしか頼めないんだ』
「頼みごとなどできる立場ですか、貴方は」
『それは――……』
 老人はそれきり沈黙した。
 目先の欲を、目先の儲けを、それらを貪欲に求め、たった一人の子供をタカシから奪ったのだ、この男は。
その恨みは一生消えることがない。
くすぶりつつ付ける恨みの炎はちりちりと燃え続け、憎しみの刻印を、今もなおタカシの脳へと刻むのだ。
 恨みと同時にそこにあるのは喪失の悲しみ。あれらを忘れることなど、できるはずもない。
『タカ、』
「通話終了」
 無慈悲にタカシは呟くと、冷めた眼差しで画面がブラックアウトするのをまった。
 程なくして義父の残像は消えうせ、そしてその重ったるい気持ちを打ち消すような、
明るい子供の声がタカシを呼べば、嫌な気持ちは一瞬にして消えうせる。
 そう、些末な問題なのだ。タカシにとって、シュウ以外の存在は。
「おとうさーん!!」
 器用にフライボードに乗ったシュウが、タカシに向かって手を振った。
 太陽のような笑顔は、きっと母親である姉によく似たに違いない。
晩年は笑顔すら見せぬ、ただの人形になってしまっていた彼女の面影が、笑顔の端に垣間見える。
「上手く乗れるようになったな!」
「うん!」
 褒められて満足したのか、シュウは再び遊びに集中すべく、背中を向けたのだった。
 汗ばんだ小さな背中は、肩甲骨のラインを浮き上がらせている。
 明日にはプールの用意でもしてやるべきか。そんなことを散漫に考えつつ、
タカシは再びタブレットへと向かったのだった。
386 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:37:57.12 ID:vHoLDIIk0
 今までマンションに缶詰状態での生活を余儀なくされていたシュウであったが、
それに耐えられるのも精々一週間であろう、と言うのがタカシの見立てであった。
自分専用のタブレットもない、テレビもない、気に入りの本を読んでくれる育児アンドロイドも居ないとなれば、
その窒息しそうな退屈にぐずり始めるのも自然の流れであり、
それでも我慢強いのか、『家に帰りたい』と彼が漏らすようになったのは二週間と一日が半分経過した頃だった。
 なんとかなだめて半日をやり過ごしたが、できたばかりの友達と遊ぶ内容もこの僻地では限られており、
次第にワンパターン化していく遊びにも『うんざり』と言った顔をするようになってきた。
 アンドロイドが力技を駆使して体を宙に放り投げたり、庭木によじ登って遊んだり。
そんなことも回数をこなせば飽きが来るのも当然で、シュウの口からは小さな溜息が零れ落ちるようになった。
「まだお家に帰れないの?」
 入浴後の寝かし付けの為自らもベッドに転がりながら「ごめんな」と返事をする。
「なんで帰れないの? マミィのご飯が食べたい」
 マミィとはタカシ不在時にシュウの面倒を見ていると女性型育児アンドロイドのことだ。
「難しい事情があるんだ。ごめんな」
 なだめようと腹を優しく叩くが、しかしシュウの機嫌は直らず、頬を膨らませてフイとタカシに背中を向けてしまった。
「もうお家に帰りたいよ。ショウタ君のママ、なんだか怖いし、ご飯もあんまり美味しくない。
それにここで遊ぶのも、もうつまんないもん」
 ここまでシュウが不満を漏らすのも珍しいことだった。
 確かに退屈だろう。タカシでさえ辟易するような、なにもない田舎だ。
 毎夜花火が夜空を飾るが、それらは祭りでもなく、テーマパークのパレードでもなく、
近隣の花街が客を呼び込むために賑やかしに鳴かせるものだった。
 子供たちはこの退屈な場所に咲く、ひどく鮮やかな大輪の花に興味を示してて居たが、
流石にいかがわしい界隈に年端も行かぬ彼らを連れて行くわけには行かず、
「あそこは大人でなくては入れない場所」などと言葉を濁し、彼らの好奇心にストッパーを掛けていた次第だ。
「いつごろ帰れるの?」
「判らない」
 その返答に、シュウの背中がますます不機嫌になっていくのが目に見えた。
387 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:39:12.05 ID:vHoLDIIk0
「シュウ……お父さんも早く帰りたいんだけど、今は事情が許さないんだ」
「ジジョーなんて僕知らないもん……帰りたいよ……」
 プールも要らない、フライボードももういいから帰りたい、とシュウは切に訴えた。
「マミィが居ればもう少し我慢できそうか?」
 最悪、誰かしらにアンドロイドをつれてこさせることも視野に入れ始めていたのだ。
『セーフハウス』の意味はなくなってしまうが、ある程度の妥協は仕方がないのかもしれない。
「……」
「シュウ」
「……ショウタ君のママが怖い」
「何かされたのか……?」
「ううん、なにもされないよ、僕」
 二度に渡るシュウの吐露に、一瞬肝が冷えた。
 流石のミユキも、タカシの耳に入りかねない場所で、シュウに危害を加えることはないだろうと踏んではいたが、
もしかしたら、と言うことも有り得る。
「本当に何もされていないんだな?」
「うん」
 背を向けたまま頷きを伴った返事をするシュウは、嘘を吐いている様子はなかった。
 ミユキが怖い――、そう思わせるのは、彼女のまとう気迫か、それとも視線か。
鋭敏な子供の五感は、ミユキの放つ負の空気を察知したに違いない。
「もう少し、もう少しだけだから、我慢してくれないか?」
「……うん……」 
 小さな返事のあと、一時間経っても、いつもの穏やかな寝息が聞こえてくることはなかった。
 なんとかせねばならないだろう。
 タカシとて、これ以上現場を離れるのは難しいのだ。
 なんとかミユキを説得しなくてはならない。
 タカシの言葉など今更聞くはずもない彼女を説得するのは、どれほど難しい作業になるか、
想像するだけで頭を抱えたくなった。
「おやすみ」
 月夜に照らされた頭がかすかに動いたような気がしたが、
タカシはそれに気づかぬフリで部屋を後にした。
388 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:40:14.76 ID:vHoLDIIk0
 旧時代の電話機と言うものは、酷く耳に障る音を上げる。
 かつての人類は『家電』などという、移動もできない、ネットも接続をされていない、
これほどまでに不便な通信機を、どの家にも保持していたというのだから不思議なものである。
 埃を被って玄関の片隅に存在さえ忘れ去られたまま放置されていたそれが、
悲鳴じみた不快な音を上げたのは深夜三時のことだった。
 ソファで仕事をこなしていたタカシがまどろみ始めていたころ、
それは突如としてけたたましくなりだし、それがなにか理解できないままうろつくこと二分、
漸く発生源を探り当てた彼は、なれない手つきで受話器を拾い上げた。
「……はい」
 応答はケータイやその他通信機と同じはずだ。相手の顔が見えぬ不便に違和感を抱きつつ、
タカシはシンプルにそう返事した。
『私だ』
 その声は、よく知った声だ。タカシを一瞬にして不快にさせるのは一種の才能かもしれない。
「――何時だと思っているんですか」
『すまない。だが……』
 義父は、口篭りながら謝罪を述べたのち、実は、と切り出した。
『アンドロイドからのレポートが届かないのだ』
 ジジジ、と言う不快なノイズに混じった男の声は、しわがれた声でそう告げた。
酒でも飲んでいたのか、それとも大量の煙草を吸ったのか。常日頃より聞き取りづらかったその声は、
ノイズと交じり合うことによって、強い雨降りの日の音に似て聞こえた。
「そうですか」
 ネット接続が時折不安定になることは珍しいことではない。
家電の放つ電磁波の影響を受けることもままあるし、そもそも電波が届きづらい場所に居る場合もあるだろう。
アンドロイドのレポートが遅れたことの何が問題だと言うのだろう。
タカシは嫌みったらしく溜息一つを吐き出し、その旨を伝える。
389 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:41:26.33 ID:vHoLDIIk0
『いや、だが……、私は二時間ごとにレポートを送信するよう設定している。
だが、二十二時を最後にレポートが送られてこなくなったのだ。
もしかしたら電源が落とされているかもしれない』
「……まるでストーカーですね。そんなにショウタが大事ですか」
 かつてタカシと呼ばれていた幼子を――、オリジナルのシュウを、無残にも奪い取った老人が、
こうして実の孫をアンドロイドのレポートが遅れた程度で心配をしている。その姿が酷く滑稽であった。
タカシの元の名前を奪い取り、何を考えたのか、タカシにタカシと名づけた男。
そんな非道な行いをした男が、一丁前に孫の実を案じている。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、真っ当に人らしい受け答えをしてやる気にもなれない。
「私から私の大事な者を奪い取った人の行動とは思えませんね」
 グッと押し黙る老人の気配に、タカシは思わず笑みがこぼれた。
 本当に、滑稽だ。
 アンドロイドに子の世話を一任している状態のミユキは、確かに普通ではないだろう。
 世間一般で母型アンドロイドがどのように扱われているかと言えば、
彼らはあくまでもサポート役であり、それ以上の存在にはなりえていないのが現状だ。
 いや、顔の多様性が出始めた辺りから、彼らをパートナーと見なす『アンドロイドフリーク』は確かに存在していたが、
それらのユーザーはごく少数であったし、
であるからして、本物の母親に成り代わるほどにアンドロイドに依存した家庭は殆どないといっていいだろう。
 とは言え、アンドロイドが母親になれぬのかと尋ねられた、タカシは迷うことなく『否』と答える。
 安全面、世話の熟練度、その他の『母親としてのスキル』を総合的に鑑みれば、
彼らほど完璧は『母』はおらぬはずだ。
 そのように彼らは作られている。そのようにA社が設計をしたのだから。
 つまり、ミユキのような不完全極まりない、育児そのものを放棄したい女に嫌々子の面倒を見せるよりも、
アンドロイドに世話の全てを任せたほうが、はるかに安全なのだ。
持参したアンドロイドは警備型であったが、主人に仕える態度は基本的にそう変わりはない。
彼らは『完璧』なのだ。
 しかしタカシにも、老人の言いたいことは判っていた。
つまり、『その』アンドロイドからのレポートがないのを、この老人は心配しているのだろうが、
それはおそらく単なる不具合だろうし、今もなお、つれてきた警備型アンドロイドは、
眠り続ける二人の幼子の部屋を静かに行き来して見守り続けているはずだ。
 二時間に一度のレポートなど無意味だ。何かが起きることなど、ないのだから。
390 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:41:59.71 ID:vHoLDIIk0
「そんなに大切ならば、ご自分で引き取るなりなんなりなさったら如何ですか。
私の子はシュウだけです。ミユキともども引き取っていただけるならばありがたい」
 なにか言いかけたのだろう、電話の向こうで男が息を飲む声がして、
しかしそれは紡がれることはなかった。
 あれほどまでにタカシに対して居丈高で傲慢であった男は、
『ショウタ』と言う唯一無二の孫を得て、いつの間にか脆く弱く変化した。
 紙面上の関係でしかない義理の息子のことを快くは思っていないことは確かであるのに、
しかしその血と遺伝子を受け継いだショウタのことをいつでも気に掛けている。
タカシにへりくだってまで、『ショウタをどうか気遣ってくれ』とささやかな懇願をする。
 おかしなものだ。ショウタの半分はタカシでできているというのに。
 ふ、と自嘲するような、或いは嘲笑するような奇妙な笑いが漏れた。
「兎に角、もう休ませてください。何時だと思っているんですか。非常識極まりない」
 冷淡に言い放つと、年老いた男はしわがれた声で『すまない』と謝罪をした。
 画面もなく、ホログラムが浮き上がるわけでもない旧時代の電話機の向こう、
背中を丸めてしょぼくれた顔をする老人の姿が、タカシの脳裏にはハッキリと見えた。
 それがあまりにも愉快で、タカシは追い討ちを掛けるように無言で受話器を元の位置へと戻したのだった。
391 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:43:59.83 ID:vHoLDIIk0
 老人の言葉を鵜呑みにしたようで癪であったが、子の様子が気になるのは確かであった。
 アンドロイドが稼動しているのだろうから、老人が気にするような出来事は何ひとつ起こっては居ないはずだ。
 タカシは軋む階段がなるべく悲鳴を上げぬよう、慎重に階段を上った。 
 天窓からの月明かりが細く降り注ぐ廊下までたどり着き、タカシは漸く小さな吐息を漏らす。
全く、不便極まりない造りの屋敷である。階段は足運びを誤れば途端に軋むし、長い廊下には照明の一つもない。
『廊下の明かりは自動的に灯るものである』と確信して憚らない世代の少年少女ならば、
この薄暗い廊下をどう歩けばいいのか判らずに途方に暮れるに違いない。
 幸いタカシは二度目の生を送っている、『旧時代』の人間だ。
雲の切れ間から降り注ぐか弱い月明かりに順応すべく『目を慣らす』ことも知っているし、
どうすれば慣れるのかも知っている。
 タカシは暫しの間そこに佇むと、目が薄闇に慣れるのを待った。
 雲の流れが速い。この国の空高くに張り巡らされたシールドの外では、やや強めの風が吹いているのかもしれない。
 月はランダムに、その姿をハッキリと、或いはぼんやりと覗かせた。
 と、月が一際強く輝きを見せたその瞬間に、タカシはそれを目にしたのだった。
 廊下の奥、そこは小さな飾り窓があるだけの行き止まりで、読書でもするためか、
小さな木製の椅子が置かれていた。
 誰の趣味であるのかはタカシの存ぜぬところであったが、
時折シュウが、或いはショウタがその上に座って足を前後に揺すっている姿を見ることがあった。
 その上に、なにか――、いや、誰かが座っていた。
 子供のどちらかにしては大振りな影であることは間違いない。
392 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:45:09.03 ID:vHoLDIIk0

「……おい」
 声は小さく響く。
 体躯から、アンドロイドであることは判ったが、しかしそれはタカシの声に一切の反応を示さなかったのだ。
 通常、アンドロイドの聴覚は周囲の音をいくつも聞き分けることを得意としており、
その能力は人間の何倍にも及ぶことは誰もが知っていることであった。
警護用となれば五感は人間のそれに比べて何十倍にも及び、
例えば車の異常音を風に感じ、事前に人の列に暴走車が突っ込む、などと言う悲劇さえ回避して見せるのである。
 そのアンドロイドが、主人であるタカシの声に一切の反応を見せない。
「おい」
 もう一度呼ぶが、やはり反応はなかった。
 瞬時に、足元に向かって血が落下していくような感覚が体中を走っていく。
 タカシは矢も楯も溜まらずその場から走り出した。
 廊下が軋む。スリッパが脱げ落ちそうになる。
 タカシはシュウが眠っているはずの自身の寝室の扉を蹴破るようにして入った。
「シュウ!」
 タカシは何故こんな不便で辺鄙なことこの上ない土地へ家族――、
戸籍上のみのそれも含む一団体でえっちらおっちらやってきたのかを、唐突に思い出したのだ。
 肝心なところで選択を誤るのはタカシの特技か或いは運命か。
 ――なにも危険なのはショウタだけではない。
 そう思い至るのがあまりにも遅すぎた。
 果たして、月明かり差し込む大きな窓は開け放たれて、そして薄く白いカーテンが闇夜にはためいていたのだった。
 血の気が引くとはこのことか。タカシはまず、冷静にそんなことを思った。
 次に一体誰が、と言う疑問が浮かび、そして眠っているはずのシュウがそこにいない現実を再び確認すると、
足のつま先に妙な力がこもり、そして指先がサッと冷たくなり、そのくせ背中にはドッと大量の汗が噴出すのを感じた。
393 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:46:54.15 ID:vHoLDIIk0
「シュウ!!」
 もしかしたらシュウはタカシを驚かそうと、部屋のどこかに隠れているのかもしれない。
 そんな浅はかな希望を胸に、タカシは大声で息子の名を呼んだ。
 心臓が早鐘を打つ。
 甦るのは、あの時――、そう、あの時だ、あの子を失ったと知ったあの瞬間だ。
「シュウ!!」
 返事はない。
 シュウはここには居ない。そう確信をすると、タカシは来た道を戻り、ショウタの眠る部屋へと入った。
 窓辺に置かれたベッドには丸みがない。半分以上が床へとずり落ちた掛け布団は、
荒らされている様子は微塵もなく、そこは乱れているというよりも、
寝相の悪い子供が寝ている間に足で蹴って落としてしまったような様子であった。
 そこに少しだけ希望を覚えるのはおかしなことかもしれないが、
タカシは二人が誰かに誘拐されたのではないか、と言う不安が少しだけ拭い去られるのを感じた。
 もしも自分たちの意思で出て行ったのなら、少なくとも誰かの手によって傷つけられる心配はない。
 絶望的な状況で、少しでも楽観的に物事を考えようとするのはただの現実逃避に過ぎないが、
シュウが誰かの手によってその命を落としてしまうのではないかと言う恐怖に耐えられるほどには、
タカシのメンタルは丈夫にできていないのだ。何せ、一度喪った過去がある。
 あれを二度経験して耐えられる親などいるわけがない。
 湿った掌をシャツで拭うと、深呼吸を繰り返す。
 やるべきことを考えろと自身に言い聞かせ、そして廊下へと小走りで急いだ。
 ショウタの部屋から出るとすぐそこに椅子が置かれており、
アンドロイドはまるで眠りに落ちた人の如く目を瞑っていた。
394 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:48:43.25 ID:vHoLDIIk0
「起動……ッ」
 情けないことに、声が震えていた。そんな状況でもアンドロイドは律儀に起動し、
薄目で俯いたままいつもどおりの言葉をタカシに投げ掛ける。
『声紋認証――、ユーザーIDを発声してください。声紋の確認と同時に警備システムが起動します』
 幾度か噛みつつもユーザーIDと、続いてパスワードの入力を済ませると、
無機質なそれは途端に笑顔を向けて「こんにちは、タカシ様」と挨拶をした。
「……何故お前は"落ちて"いた?」
 起動した瞬間に投げ掛けた質問に対し、アンドロイドは『質問の意味が判らない』と言う趣旨の表情を作り、
「落ちていた、とは私が何故起動していいなかった、と言う意味でしょうか?」と大真面目に質問をする。
「そういう意味だ」
「シュウさまのご命令により、システムを終了致しました」
「何故?」
「判りかねます。ですが、ユーザーであるタカシ様との血縁関係を確認済み、
かつチャイルドロックが未使用でしたので、シュウ様によるID、ならびにパスワードの入力によって、
私は昨晩午後二十三時十分十五秒をもって、システムを終了させました」
「あの子はどんな顔でそれを行った?」
「意味が判りかねます」
「……怯えた表情であったり、誰かにそれをさせられていた可能性を聞いている」
 まどろっこしいやり取りとしながら、それでもタカシは冷静さを取り戻しつつあった。
 もしも侵入者が居たのなら、この警備アンドロイドもそれに気づきそれなりの対処を行ったはずだ。 
だが、そうでないのなら、少なくともシュウは自らの意思で最強のボディガードにしてセキュリティである
アンドロイドをシャットダウンさせたことになる。少なくとも、その身に危険が迫って行ったわけではないということだ。
「いいえ、寧ろ、いつもより生き生きとしていらっしゃいました」
 つまり、シュウの安全は『アンドロイドをシャットダウンした時点』では確定されたことになる。
タカシはその事実に一先ずは嘆息した。
395 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:49:36.71 ID:vHoLDIIk0
 過激派グループによる誘拐であるとか、そう言った線が消えさえすれば、
タカシも冷えた頭で思考をめぐらせる事ができるだろう。
できるだけ早くに見つけることが望ましいのは確かであるが、それでも人に攫われたのと自ら出て行ったのでは、
心配の度合いが随分と異なってくる。
 シュウは確かにここ数日の間は環境に対する不満を幾度か呟いていた。
 そのような背景を考えれば、この夜中の出奔は単なる冒険の延長であると考えても差し支えはないだろう。
「どこへ、」
 どこへ行ったのか、など考える必要はないのかもしれない。
 ここは田舎にぽつんと建った一軒家だ。
 遠くに見える夜毎花火を打ち上げる街は、
退屈な時間に辟易した子供にはやたらと魅力的に映ったことは間違いない。
そもそもほかに目立った場所がないのだから、向かう先はあの如何わしい花街くらいしかないだろう。
 客だと思われればいいが、逃亡を目論む奴隷かなにかだと思われたら非常に拙い。
 シュウくらいの年齢の少年を好む男が、或いは女がいるらしいということは、タカシも耳にしたことがある。
「拙いな」
 早く見つけなくてはならないだろう。
396 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:51:25.61 ID:vHoLDIIk0
 だが、ああいった花街は地形がとても複雑なのだ。
 元々人が住める土地ではない。
 国の中枢を掌握する老人たちは、箱庭計画を遂行するための下地として、地方都市の発展にも力を注いできた。
その甲斐あって、地方都市はそれなりに発展を遂げ、
その計画に飼いならされた若者たちは自身が生まれ出た土地から出ようとさえしなくなった。
 そうなるように老人たちは計画をしてきたのだ。
 人は一箇所にまとめられている。それ以外の場所に人はいないし、
行ってはいけないと刷り込まれているのである。
住みよい、何でも揃う平坦な土地から出ようとする人々は殆ど居ない。
だが花街は、その下地が作られる前に形成されたものだ。
この現代においても、因習やしがらみが根深く残る、あらゆる面で特殊な土地ゆえに、
国がどうこう対処することもできず、
ついにはそっと蓋をして地図上からもひっそりと消しさった場所なのである。
 かつて不運にも、産業も何もない場所に生まれ育った人々が、
苦肉の策で編み出した生きるための術、それが性産業。
 まともな産業が栄えなかったということは、つまり、
土地も痩せ気味で工場さえ建てられぬ地形であることの証明だ。
花街は、そんな風に、平坦とは言いがたい土地に建物を無理やり建設しているのだ。
 おまけに性産業を国が黙認した事実に乗じて、近隣の村――、同じく性産業なくしては食うにも困る村である――、
からも人が集まり、ごく近距離に村ごとの地区が形成され、
そのように村がせめぎあい、一つの性産業コロニーを形成していた。
 複雑な道は人を惑わす。それだけならば兎も角、街は産業を盛りたてるため、
人を酔わす作用のある、怪しげな香を地区ごとに炊き続けているのだ。
故に土地に慣れた者でも方向感覚を失いやすく、おまけに地区から地区への移動が安易であるため、
A村管理地区を歩いていたはずが、細い路地に迷い込んだ拍子にB村管理地区の端にいた、
などと言うことも決して珍しくないのである。
 そんな複雑な慣れぬ土地で、我が子を無事見つけることが可能であるのかどうか、非常に不安であった。
 だがしかし、逸る気持ちを押しとどめることは難しく、タカシは当てもないにも関わらず、
花街へと向かう準備を始めていた。
397 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:53:28.46 ID:vHoLDIIk0
「タカシさま」
「お前は留守番を頼む。俺がいなくても警備はキチンと行うように」
「はい、ですが」
「頼んだぞ」
 無計画に子供を捜すのは非効率的だと充分に理解していた。
だが動かずにはどうしてもいられなかったのだ。
「タカシ様」
 最悪の場合、タブレットだけを持っていれば問題ないだろう。端末の中には身分証は勿論のこと、
シュウとタカシが親子であることを証明する、顔写真つきの証明書も入っている。
 駐車場はあるだろうか、いや、あったとしても、あの複雑な地形にこの車を乗り付けることは可能だろうか。
「タカシ様」
「――、」
 はた、と気づく。
 一体、シュウはどうやって花街へと向かったのだろう、と。
 明かりが見える距離とは言え、子供の足では随分と遠い筈だ。
 途中まで道はあっても、その後の山あり谷ありの道を足だけで進むのは厳しいかもしれない。
「フライボード……」
 シュウが使える交通手段と言えば、それぐらいしか思い浮かばなかった。
 あの手の玩具には紛失に備えてGPSが組み込まれているはずだった。
だが、タブレットにそれらを登録した記憶はタカシにはない。
 チクショウ、と小さく呟く。こんなことならば、たかが玩具とは思わずに登録をしておくべきだった。
「タカシさま」
 いや、パソコンには登録したような気がしたが、あれは自宅用のモバイルだっただろうか。
今日も持参している仕事用のパソコンには登録はしていただろうか。
 いいや、それよりも万が一バッテリーが切れて木々の間に落下でもしていたら――。
「タカシさま」
「なんだ!」
 先ほどからしきりに呼ぶアンドロイドにタカシは漸く向き直り、そして思わず叫んだ。
398 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:59:02.88 ID:vHoLDIIk0

「忙しいのが見て判らないか!」
「ですが、」
「お前に付き合っている暇はない!」
「ですがショウタ様の、」
「なんだ!?」
「ショウタ様の個体反応を、ここから五キロの距離に確認したのですが」
「個体反応……?」
「ショウタ様の内耳には、私がいつでも体調を把握できるよう、センサーのようなものが埋め込まれています。
体温、呼吸数、心拍数、血圧。それらを総合的に見て、興奮状態である、或いは体調が悪いようだ、
などとショウタ様の体調を確認することが、ある程度は可能になっております」
 アンドロイドは人のように瞼を開閉させたのち、タカシをじっと見た。
 ――思えばこのアンドロイドは義父によって与えられたものだ。
今回の避難に合わせて譲渡されたものであったが、警備の為のみならず、ショウタの体調を逐一知る目的で、
送られたものに違いなかった。
なにせあの男は、孫の身を案じて二時間に一度の頻度でレポートを送らせているのだから、
それくらいはしてもおかしくはない。
センサーもかなり小型で、胡麻よりも小さなものを注射針で送り出すだけで済むはずだ。ミユキに隠れて、
或いはこのアンドロイド自身が埋め込んだのかもしれなかった。
「ショウタ様の皮膚越しに、もう一体反応が感じられます。シュウ様だと思われます」
「ショウタの様子はどうだ」
「多少心拍数が上がっておりますが、命の危険はない状態であると判断できます」
「そうか……、お前、ショウタの居場所はハッキリと判るか」
「勿論です。この距離からではおおよその場所しか判りませんが、
半径五百メートルならば一ミリも違わずに特定できます」
 なにを当たり前のことを言っているのだ。そう言わんばかりの眼差しでアンドロイドはタカシを見つめてきた。
「お前も来なさい。一刻も早く子供たちを保護したい」
「判りました」  
 慌しく身支度を整えて階下へ向かう。
軋む階段も、誰にも遠慮することなく駆け降りると、アンドロイドもそれに倣う様にして降りてきた。
「俺は車を出してくる。お前はこの家のセキュリティレベルをできるだけ上げてから、
鍵を閉じ車まで来なさい」
 タカシはアンドロイドの返事も待たず、庭へと飛び出した。
 命の危険はない状態。その言葉に少しばかり胸を撫で下ろしたが、しかしこれから危険な目に遭わないとも限らない。
 なるべく早く、一刻も早くシュウを保護したかった。
 やがてアンドロイドが車に飛び乗ると、タカシはやはり彼が扉を閉じるより早く、車を発進させたのだった。
399 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/10/17(土) 00:59:41.78 ID:vHoLDIIk0
今日はここまで。
保守ありがとうございます。
400 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/17(土) 02:03:09.27 ID:OwO0CNsa0
続ききてた!お疲れさまです!
ショウタとシュウに一体何が起こってるんだ…気になりすぎる。
続きも楽しみにしてます。いつもありがとう!
以前の投稿読み返しながら、続きに備えてますね。
401 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/30(金) 10:16:07.43 ID:RMxiH6mJO
待ってる!
402 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/16(月) 02:55:00.03 ID:6p0sdn5AO
403 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/17(木) 00:13:22.31 ID:igT/rvZo0
しゅ
404 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/18(金) 18:47:33.21 ID:24cGXhxJ0
ちょ、ハードなショタエロ小説探しててたどり着いて
妙に重い話だなーと思いながらもついつい半日かけて全部読んだんだが
現在進行中なのかよww
405 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/12/18(金) 20:27:15.39 ID:D1SrFwF80
すみませんすみませんセルフ保守
年内にはもう一度更新します
いつも保守してくださってありがとうございます
すみませんすみません……
406 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 20:43:54.87 ID:3V4Wo66k0
****
 予想以上の悪路をものともせずに車は花街への道を突き進んだ。
 道の端に切り倒された大木が横たわっていたり、
砂利と呼ぶのが憚られるような大きな石が、バンパーにぶち当たるなどのトラブルがあったが、 
ドライブは概ね順調であった。
 助手席に座ったアンドロイドも必要以上に口を開くことがなく、
口やかましい他人よりも、アンドロイドを選ぶアンドロイドフリークなる人々が出現するのにも、
なるほど無理からぬ話である、などとタカシは考えていた。
 もう間もなく目的地だ。
「お前、地形データは入っているか? 駐車場の有無を知りたい」
「申し訳ありません。私には自宅とその周辺データのみがインストールされておりますが、それ以外は」
「判った」
 ネット上からダウンロードすればデータ取得も安易であろうが、国が放棄した土地であることを鑑みると、
正確性の高い、細かな地図情報を得ることは難しいだろうと判断した。
それならば実際に赴いて、最悪の場合は車を放置する構えでいるしかないだろう。 
 走行を始めてから十数分ほど経ったころだろうか、
明かりに照らされぼんやりとした姿を浮かべる、朱塗りの鳥居が木々の合間に確認できた。
山の上にも塔のようなものがいくつも見え、
それらを照らすように赤い光りがチラついて見えた。提灯かもしれない。
 段々状の土地に建築物が立ち並ぶ歪な街は、まるで現実味がなく、虚像のようだ。
ひしめき合うように、旧時代めいた建築物が立ち並んでいる様は、タカシが住まう環境とはかけ離れた様相で、
運転中であるにもかかわらず、思わず見入ってしまう。
 神社仏閣が物珍しいわけではないが、大鳥居や大型の寺、つまり上空からの発見が安易である建物の類は、
古都東京にはまだまだ多く存在するものの、
その他の土地ではあらかた攻撃の対象とされ、結果、現存するものが殆どないのである。
 若者は神社仏閣にはあまり興味を示さない――、そう判断したのか、
政府も歴史的建造物の積極的な再建は行わなかったのだろう。
今ではそれぞれの都道府県に四つか五つの神社仏閣が存在すればいいほうである。
 そんな事情から、たとえ近年に好き勝手に作られた建築物とは言え、
寺や神社が――、所詮それらしいもの、ではるが――、あれほどの規模で現存するのはやはり物珍しく目に映るのだ。
人が住んでいるかどうかも怪しい場所は、敵からも爆撃の対象にならなかったのだろう。
407 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 20:47:40.15 ID:3V4Wo66k0
「異世界だ……」
 ぽつりと呟いた言葉を律儀に拾ったアンドロイドは、「異世界とは?」と返事を返すが、
タカシは答えることもしなかった。答えを要してないことを理解したであろうアンドロイドは、
やがて何もなかったかのように首の捻れを正して正面へと向き直った。
 木々が走っていく。
 何の手入れもされていない木々は、ヘッドライトに照らされると時折獣のように見えた。
国から放棄されているに等しい土地――、ここはそういう場所なのだと、タカシはハッキリと自覚する。
 近隣から色を買いにやってくる人間は少なくはないことの証明に、道路に轍が出来上がってはいるが、
その道路とて『密かに続く秘密の街への道』と言った扱いのもので、国が存在を認めていない場所の為、
殆ど私道としての扱いであるから、手入れが行き届いていなのも仕方がないことなのだろう。
 それから凡そ十分後、車は漸く件の鳥居の前へと到着した。
 シートベルトを外して車外に出ると、生ぬるい風に混じって酒の匂い、そして香、人々の談笑が響き渡った。
街は、想像した以上に活気を放っている。
「お前も降りろ」
 車に向かって呼びかけると、アンドロイドは漸く車外へと顔を出し、それから車の扉を閉じた。
 鳥居の両脇に設けられた小屋に、監視の目を光らせている男が座っている。
おそらく彼らは、ここで働く娼婦や男娼を逃がすまいとしているに違いなかった。
「それで、子供たちは、」
 それが始まったのは、タカシがそう言葉を紡いだ時だった。
 アンドロイドは顔を俯かせ、伏せ目がちになりながら、なにやらカウントを始めた。
「ここから北に二百……、いえ、二百十、走っておいでのようです。心拍数もドンドン上がっておられます」
「走っているだけか?」
「……いえ、ノルアドレナリンの分泌量が増えているようです。ショウタ様は恐怖を感じておいでです」
 つまりショウタは何かから逃げているようだ。アンドロイドは感情のない瞳でそう告げた。
「行くぞ……!」
 子供が窮地に追いやられている可能性が高まった。
だというのに、アンドロイドは至極冷静にその状況を判断しアナウンスを続けているのだ。
 タカシはアンドロイドのこの無機質さがどうにも好きになれなかった。
 かつて勤務していた職場に数体のアンドロイドが設置されていたが、
それらよりも、見た目も会話も思考力も、随分と人間的になったとはいえ、
まだまだホンモノの人間には及ばない部分が数多く見られる。
その中で尤も顕著なのがこの無機質な空気。
人間的な気配が全く感じられない(少なくともタカシにはそう感じられるのだ)点は、
人型を名乗る上で致命的に思われた。
 いや、今はそんなことを考えている場合ではないだろう。早く子供たちを見つけねばなるまい。
408 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 20:50:37.18 ID:3V4Wo66k0
 鳥居の下で、屈強な大男から通行証明書を買い――、
癪なことにこのアンドロイドの分の証明書の購入も求められた――、
焦れつつも漸く朱色の鳥居を潜ると、タカシは息を飲んだ。
 そこには、異次元への入り口とも呼べそうな光景が広がっていた。
 と言っても妙にメカメカしいだとか、近未来的であるとか言うわけではない。
 逆だ。妙に古めかしいのだ。小物ひとつをとってもそう。大昔の日本を髣髴とさせるその場所は、
その『大昔』を生きたことがないタカシにとっては異次元と呼んでも差し支えはないだろう。
「タカシ様、あちらです」
 ほんの一瞬、呆気に取られて立ち尽くしてたタカシは、アンドロイドの声にはっとした。
 先ほど潜った鳥居を入り口に、その先に続く大通りに立ち並ぶそれれぞれの店には、
洒落た赤い提灯が鈴なりにぶら下がってた。
 どの店にも入り口の脇には格子が設けられており、中には見目の麗しい男や女、少年少女が
露出度の高い衣類を身に纏い、通りすがる人々を誘惑している。
 怪しい香りが渦巻く中、腕を掴んで客引きをしようとする男の手をタカシは振り払い、
偽物の秋波を寄越す女や男の視線に気づかぬフリをし、玉砂利を敷き詰めた道を必死で走った。
アンドロイドは背後のタカシが追尾できているかどうかを確めぬまま走るものだから、
タカシも必死でついていくよりほかはない。
日ごろのデスクワークの賜物か、すっかりと機能の低下した足と肺は、激しい急な運動に悲鳴を上げていた。
「あと五十メートルです」
 息を切らしようのないアンドロイドは、明瞭な声でそう告げる。
 僅か五十メートルの距離だというのに、猥雑な喧騒やら嘘くさい笑い声、嬌声で溢れた通りでは、
子供の声など全くと言っていいほど聞こえない。
例えば奥まった裏路地で誰かが叫んだとしても、ハッキリとその悲鳴を捉えることは難しいだろう。
「あと四十、少し移動したみたいです。四十五メートル、心拍数がまた上がりました」
 危険だ。シュウの身に何かあったら。
 そんな考えが頭をよぎり、冷や汗がぶわりと噴出す。
409 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 20:52:17.69 ID:3V4Wo66k0
「お前、先に行って子供を捕まえてくれ!」
「判りました」
 一瞬考えたような雰囲気で首を傾げたのち、アンドロイドは涼しい顔を保持したまま、
猛スピードで――、人間では決して出せない猛スピードである――、玉砂利を踏み砕く勢いで駆け抜けていった。
直進、それから角を左。タカシが確認をできたのはそこまでだった。
瞬く間に姿を消したアンドロイドの行き先を確認しつつ、タカシは足を止めることなく動かし続ける。
「お兄さーん」
 ウチで遊んでいこうよ。そんな呼びかけにわき目も振らずに走り続ける。
漸くアンドロイドが姿を消した角を曲がると、ふいにざわめきが小さくなった。
大通りから一歩内側へと入っていくと、随分と音が小さく聞こえる。
怪しい香が漂い風に提灯が揺れるのは変わらぬが、喧騒が小さい分、風情を感じた。
「……から……、がう!」
 子供の高い声が聞こえた。
 タカシには、それが自身の血を分けた子のものなのか、それともまったく別の、
つまりはこの街で働く者の声なのか、全く判断がつかなかった。
だが、一先ずはそこを目標に進むことにした。
 玉砂利を蹴る。運動不足の足は時折もつれるが、なんとか転ぶことなく走り続けられた。
戦時下であったのならば、死んでいるだろう。体力を取り戻さねばなるまい――、
そんなことを考えられる程度の余裕があるのは、
アンドロイドが子供を確保しているだろうと踏んでのことであるが、なんとも暢気である。
シュウの命の危険を感じれば激しく動揺するくせに、危機が去ったに違いないと予測を立てられるようになると
途端に力が抜ける。どこか情緒的におかしな自分は自覚しているが、その原因がつかめない。
もしかしたら、全てを楽観視させるような効果が、この鼻腔に纏わりつく香には含まれているのかもしれない。
410 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 20:54:06.21 ID:3V4Wo66k0
 提灯の残像が背中に向かって伸びていく。
 幻想的にさえ見えるその光景を、ぼんやりと視界の端に追いやって、タカシは走り続けた。
 やがて人の争う声と、子供のぐずる泣き声が耳に届いた。
「ですから、主人が間もなく参りますので……」
 間違いない、アンドロイドの声だ。
「だから、この子達は男娼でも奴隷でもないよ」
 続いて聞こえてきたのは、女とも男ともつかぬ、少し甘いハスキーな声。
 格子の中から呼びかけてくる、熱帯魚のような、蝶のような見目の麗しい男女に脇目も振らず、
タカシは声を目指して走った。
「そうは言われても脱走奴隷だったら困るって話だ!
奴隷でも男娼でもねえってんなら、証明書を見せてもらわねぇと。
こんな年齢の奴ら、奴隷でもないならなんの用があってこの街に来たってんだよ。
お貴族様でも筆おろしにゃあちっとこの年齢は早いんじゃねぇか。どう考えても脱走した奴隷か男娼だろうよ」
 奴隷だ、奴隷じゃない。
 そんな言い争いを続けるのは、屈強な男たちだった。
おそらく見張りや警備を生業としている、この街の治安維持隊かなにかだろう。
脱走奴隷や娼婦男娼を捕まえたり、客のトラブルを解決する警らのようなものに違いない。
そんな男たちに、果敢にも応戦しているのは、背の低い、華奢な――、後姿だけではどちらか判断できぬが、
身の丈が一六〇センチ、あるかないかの小柄な人物であった。その隣に並ぶのは、間違いない、
タカシと共に屋敷を出てきたアンドロイドだ。
「おい……!」
 タカシの呼びかけに、アンドロイドが振り返り「タカシ様」と呼んだ。
 その声に反応し、アンドロイドと小柄な人物の隙間から、小さな子供が飛び出てきた。
警らたちは「おい」と声を荒げるが、子供の動きはそれより早く、
泣き声の混じった声で「お父さん……!」と叫びながら弾丸のような速さでタカシへと向かってくる。
411 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 20:55:57.23 ID:3V4Wo66k0
 シュウだ。
 鼻水と涙で顔はぐしゃぐしゃであったが、見間違えようのない、それは確かにタカシの愛息であった。
 細い腕をタカシの腹にひしと巻きつかせ、涙でグチャグチャになった顔を何度も摺り寄せる。
瞬く間にシャツが汚れていくが、タカシはそんなことも気にならないという風に抱きしめた。
 だが、安堵と同時に湧き上がるのは怒りだ。
「馬鹿! お前は何をしているんだ!」
「ごめんなさぃ……」
 ひっひと小さくえづきながら、シュウはタカシのシャツを捉えて離さない。
落ち着かせるようにその背中を撫で、無事でよかったと抱き上げる。
「心配したんだ! 家を抜け出してこんなところに行くなんて、なにを考えているんだ!」
 だって、だってとシュウは涙声の合間に声にならぬ言葉を紡ぐ。
 判っている。ちょっとした冒険のつもりだったのだろう。
だが、冒険に赴くには、如何せん場所が悪すぎるのだ。
「ちょっとお前さん、何者だ」
「ですからあちらは、」
 成り行きを見守っていた男たちがついに声を上げた。
「失礼。この子は私の息子です。私の通行証明書がこちらです」
 ポケットから証明書を引きずりだして男に渡す。
「それからこちらがこの子と私の血縁関係を署名する身分と血縁証明書です」
 タブレットに浮かび上がる書類とタカシ、それからシュウを見遣り、男たちは漸く納得したようだった。
「お父さんね、子供はちゃんと見ていてくれないと。それにこの子がここに来るのはまだ年齢的に早いでしょう」
 シュウ程度の年齢で花街に客としてくる子供も、居ないことはないのだろう。
だが世間一般が思うように、やはり早すぎるのは確かなのだ。
「すみません」
「いやね、近頃奴隷として売られてきたはいいが脱走するやつが多くて……、
近々輸出入に対する鎖国も解かれるって話じゃないですか。
そんな感じで国がちょっとずつ変わってきてるんですかね、末端の末端でお家取り潰しになった貴族がさ、
仕方がなく娘息子を売るわけですよ。そういう奴らが脱走をするわけですよ」
 没落した貴族が子を売って借金やらを帳消しにするなど、昔からさして珍しいことでもないが、
近頃はその手のケースが目立つのだ、と男たちは言う。
「現にこいつも、」
「そういう話はやめてよね」
 凛とした声が男たちの言葉を遮った。
「僕が貴族だったのは昔の話だよ。逃げ出そうなんて思っちゃいないよ」
 先ほどから、男たちの横に居た小柄な人物が声を上げた。
「全く、珍しく営業日に休みをもらえたと思ったらこのザマだ。
身売りは身売りらしく、人目を気にして座敷の奥に引っ込んでろってことだね。
面倒ごとに巻き込まれた挙句、自分の過去を他人に暴かれたらたまったものじゃないよ」
 華奢な背中がめんどくさそうに言う。
412 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 20:59:37.03 ID:3V4Wo66k0
香の匂いが練りこまれた風が、肩より少し長い髪を揺らした。
声の様子で、その華奢な自分が少年であると、タカシは始めて気づく。
シュウより少し上くらいだろうか、声にまだ幼さが残る割には、言葉遣いは随分としっかりしており、
一瞬二十歳もそこそこに越えたくらいの人物と錯覚するが、その骨格や声音から察するに、
タカシに背を向けたままのその人物はまだ少年と呼んでも差し支えがない年齢の筈だ。
「とにかく早く開放してくれ。僕は今、せっかくの休みを満喫中なんだ。ああクソ、煙管を忘れていた……」
 チッと舌打ちをしたその人物――、少年は、一瞬目の前の店を見上げ、その後溜息混じりに「まあいいか」と
呟き、そしてタカシを振り返った。
「――姉さん……?」
 言葉は、自然と口をついて出た。
 いや、そんなはずはない。そう思うよりも先に、言葉は先に紡がれていたのだ。
 頬の丸み、柔らかな眼差し、少しだけ口角の上がった口――。
「はぁ?」
 少女――、いや、彼は『僕』と自称していたのだから、少年なのだだろう――、
彼は胡散臭いものを見る眼差しを隠そうともせずに『はぁ?』と言った。
だが、タカシを振り返った彼はひどく中性的で、性別が見当たらなかった。
 その『彼』は恐ろしいほどに、そう、タカシの人生を変えてしまった女性に似ていたのだ。
 だが、そんなはずはない。彼はただ似ているだけだ。姉は疾うの昔に死んでいるのだから。
「……失敬」
 心臓が早鐘を打つ。
 自制心がぐらりと揺らぎ、その顔を両の手で挟みこんで具に観察をしたいような衝動が生まれる。
突き動かされるようにしてタカシは少年に近づいた。
413 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:00:57.63 ID:3V4Wo66k0
「ちょっと……!」
 憑かれたように近寄る男に恐れをなしたのか、少年は一歩下がる。
「おい……!」
 警らたちも慌てたようにタカシを制止しようと手を伸ばしたが、
それらの試みはアンドロイドによって阻止された。
タカシの行く手を阻むものはもうなにもない。
異常をいち早く察知していた少年は、今にも駆け出さんばかりの勢いで背を向けていたが、
タカシはそれを許さなかった。玉砂利のこすれあう音が花火に混じって僅かに響く。
タカシは、すかさず少年の腕を掴み、そして引っ張った。逃がさない、そう言うように。
 あと少しで、彼をよく観察することができる。顔を確認しなくてはならない。
姉と、タカシが唯一愛したあのひとと、彼が同一人物でないことを確認しなくてはならない。
 馬鹿ことをしているという自覚は、頭の片隅にあった。
 だが、理性を食いちぎるほどに、ちらりとみた彼の顔は、なにもかもが姉によく似ていた。
なんとしても確認せねばならぬだろう。
タカシは掴んだ腕を強引に引き寄せ、彼の顔を掴み上げ確認をした――、はずだった。
「やめてよね!」
 タカシの掌から細い腕がすり抜け、パシッと派手な音を立てて振りほどかれた。
 一瞬だけ気が緩んでしまったのは、玉砂利の上、『それ』が居たからだ。
 ショウタだ。ショウタはしゃがみ込んだまま、感情の篭らない瞳でタカシを見上げていた。
いつからそうしていたのか、ショウタはシュウがタカシにしがみつきおいおいと泣き声をあげる中、
ずっとそうしてしゃがみ込んでいたのだろう。
 人形のように睫一つ揺らさず、涙の溜まった瞳でタカシを見上げていた。
414 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:03:39.72 ID:3V4Wo66k0
「あんた何なんだよ! 僕は迷惑なガキどもを保護してやったってのに、
いきなり腕を掴むってどういう了見だよ! 訴えるよ!」
 少年が吼えている。獣のように怒りをむき出しにして。
 思考が散らばる。ショウタの存在に気を取られる自分と、少年の存在を確認したい自分とで、
心が分かたれる。
「ちょっとお客さん、困りますよ! 俺らの仕事はね、娼婦や男娼の身を守ることも含まれてんだ!
こういうことは店の中でやってもらわねぇと!」
「店の中だってごめんだよ! こんな変な男!」
 タカシは、シュウの安全を確認したその瞬間に、ショウタの存在を完全に忘れ去っていた自分を今更自覚した。
タカシは、ショウタの存在を、
シュウの元へとつれてくることが可能なナビゲーションとしてしか見ていなかったのだ。
 シュウを見つけてホッとした。
だが、タカシは露骨なまでに『ショウタの存在』を『すっかり忘れていた』のだ。
 ショウタの目に溜まった涙が、いつ溢れ出したものなのかは定かでない。
だがもし、もしも、シュウの存在『だけ』に気をとられているタカシを確認してのものだとしたら――?
いいや、もっと悪いタイミングかもしれない。
 シュウの安全だけを確認し、男娼に現を抜かす父親――、
生物学上だけの繋がりだとしても、ショウタにとっては父親はタカシしかない――、
その父親が、自分の存在をすっかり忘れ、男娼の手を捉えるのに夢中になっていたとしたら。
 流石にバツが悪くて、タカシは干からびた喉から「ショウタ」とひねり出すように声を出した。
名を呼べば、あのいつもの、なにかを期待をした目に戻るような気がしたからだ。
 だが。
415 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:05:55.29 ID:3V4Wo66k0
「僕も、帰っていいですか」
 か細いショウタの声が、そう告げる。
 凍りそうに冷たい声は、全てを拒絶するように、ひどく大人びた発音をして見せた。
軽く俯いた目は、タカシの存在などもう知らぬ――、そういわんばかりに、見つめてくることもない。
「この子供もアンタの子供かい」
 警らがぞんざいに言う。
 一瞬だ。ほんの、一瞬の間だったのだ。
タカシは後ろめたさも相まって、いつものようにショウタとの血縁関係を否定したりせず、
素直に返事をしようと思ったが、一瞬の遅れが生じた。
それはミユキへの抵抗か、或いは心の片隅にあるショウタへの拒否がそうさせたのか、それは定かではない。
 だがその一瞬の遅れをショウタは許さず、ハッキリと「違います」と答えた。
 タカシは、思わず「え」と、間抜けにも呟いたような気もしたが、花火の爆音は全てをかき消して、
自身の発声が実際にあったものかどうかさえをもあやふやにする。
「僕にお父さんは居ません。ですが、『この人』のところでお世話になっています。
このアンドロイドに僕の個人情報が入っているはずなので、確認してください」
「あ、ああ……」
 警らたちは戸惑い気味に返事をした。
 うるさく喚いていた少年は押し黙り、そして冷ややかな視線をタカシに投げ掛けていた。
それらが己に対するタカシの暴挙から来るものなのか、
それとも『もう一人』の存在を失念していた男への侮蔑なのかは判らない。
 父親は居ない。ショウタは、そうはっきりと告げた。
いつも、遠慮がちにタカシを見ていた子供が、はっきりと『父は居ない』、そう告げたのだ。
416 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:08:30.68 ID:3V4Wo66k0
「あ、ああ、確かに君は男娼でも奴隷でもないな……」
 大人のように物静かに言葉を紡ぐショウタに気圧されたのか、警らたちもぎこちなく会話する。
「もう、帰っていいですか?」
 赤、青、黄色。
 爆音と共に、大量の花が夜空に咲く。
それらは幼い、丸みのあるショウタの頬を照らした。もう涙は乾いていた。
 警らたちの了承を得ると、ショウタはタカシの方を一切向かず、
アンドロイドの作り物の手にすがるように触れた。
「抱っこして」
 それが自分に向けられた言葉でないことは、確かであった。
 アンドロイドは、一瞬首を傾げたのち「はい」と返事をしてショウタを抱き上げる。
「ありがとう。帰りたい」
「かしこまりました」
 アンドロイドの右腕の上に、座るような形で抱き上げられたショウタは、その一見人のような、
だが確実に偽物であるアンドロイドの首に両腕を巻きつけて、
首筋に顔を埋め込んでいた。
 アンドロイドは今や見てくれは人とあまり変わらない。
 ツルッとした無機質なボディではなく、人工皮膚で体全体を覆われており、
当然のように衣類も着込んでいる。
「寒くはありませんか?」
「……寒い」
「では少し、ボディの温度を調節します」
「うん……」
 その短い会話がなければ、その姿は父親に甘える子供そのものだった。
 ふいにタカシは察した。
 ショウタは、タカシに見切りをつけたのだと。
「……お父さん?」
 シュウがタカシの手に触れる。
「うん?」
「僕も帰りたい」
「ああ、そうだな」
 男娼の少年が、チッと舌打ちをしたのが聞こえた。
こんな状況でさえ、姉に酷く似た少年を気にしている自身が滑稽であった。
 姿かたちだけでも似てさえ居れば、それで構わないというのか。
息子の――、たとえそれが遺伝上のみの繋がりであったとしても、
我が子の安全以上に興味を示した事実は隠しようがない。
「安いな……」
 自分の愛情も。
 自嘲するような呟きに、シュウは真っ直ぐな目を向けてきた。
「帰ろうか」
 そう言われ、シュウは嬉しげに頷いた。
ショウタとタカシの横たわる、あまりにも深い溝に全く気づかぬ笑顔は、いっそ残酷なほどであった。
417 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:10:49.96 ID:3V4Wo66k0
****

 悲鳴を上げたのは、シュウだった。
今まさに危害を加えられているショウタは、涙一つ零さずに、無抵抗なままそれを受け入れていた。
「なにをしていたの!」
 金切り声で叫ぶのはミユキだ。
 慌しくアンドロイドとタカシが屋敷を飛び出したことには気づかなかったくせに、
三人と、プラス一体が帰宅するやいなや、ミユキはショウタの腕を引っ掴んでその頬を張った。
 乾燥した音が響くと同時に、彼女はわけの判らない言葉を捲くし立て、
そしてその小さな体を壁に向かって叩きつけたのだ。
「あれだけお庭の外に出てはならないと言ったでしょ! 何故お母様の言うことを聞けないの!」
「おい、ミユキ……!」
 ショウタはその間、全くの無抵抗で「ごめんなさい」と謝罪を繰り返していたが、
しかし自身が何故花街に行くに至ったのか、その理由は一切口にしなかった。
痺れを切らしたミユキが、行き過ぎた体罰を与えるにはそう時間は掛からず、
タカシが制止の声を掛けるべきかどうか思案しているうちに、ショウタの体は宙に浮いていたのである。
 まるでボールのように浮かび上がった体は、しかしボールほど柔らかに壁に当たることなく、
派手な音を立てて幼い体は壁を伝って床へと沈み込んだ。
 背中への打撃から、ショウタは呻き声をあげたものの、決して言い訳も自己弁護もしなかった。
「ミユキ!」
418 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:13:27.26 ID:3V4Wo66k0
 躾と呼ばれる域は疾うに過ぎている。
 思わずミユキを呼ぶが、彼女は憑かれたように金切り声を上げてショウタを叱責し続けた。
ゴテゴテとした装飾を施された爪が、幾度もショウタの頬を掠める。
頬を張られる度に、ショウタの頬には傷がついていった。
 アンドロイドも何度か制止の声を上げたが、ミユキは律儀にも、パスワードを読み上げることでそれらを封じ込め、
思うまま、ショウタへと暴力を振るったのだった。
「花街に行っていただなんて、汚らわしい! 貴方まさか、女をその年で買ったなんてことはないでしょうね!?」
「ミユキ、やめろ! そんなことしているわけがないだろ!」
「タカシさんは黙っていて! 父親の役目を一切果たさない貴方には、
この子の教育に口出しする権利はないわ!」
「それはお前も同じだろう! 身の回りの世話の一切をアンドロイドに任せているくせに!」
 しまった、言うべきではなかった――、そう気づいたのは、叫んだあとで、
ミユキは鬼のごとき形相でタカシを睨んでいた。
 売り言葉に買い言葉。
ミユキもミユキだが、タカシもタカシだ。
どちらもが、ショウタを叱る権利も庇う権利もないのである。
 凍るような空気の中、二人の対峙は続く。
大人二人の気迫に泣き声を上げるのはシュウだけで、
揉め事の渦中にあるショウタは、壁に叩きつけられた姿勢のまま俯いている。 
 どれくらいそうしていただろうか。緊迫した空気を破ったのは、意外なことにショウタであった。
覚束ない足取りで立ち上がったかと思うと、揉め事の一切への口出しを禁じられたアンドロイドに近づき、
その手を握った。
「体が痛くて、階段、上れない」
 そう訴えられたアンドロイドは、自らショウタを抱き上げる。
「おやすみなさい……」
 アンドロイドに抱えられ、抱きつくようにしていたショウタは誰に向けたのか、そう挨拶したが、
誰一人それに答える者はいなかった。
419 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:18:00.78 ID:3V4Wo66k0

 深夜の大冒険によって疲れ果てていたのであろうシュウは、
ベッドに入って数分後には穏やかな寝息を立て始めた。
 ――改めて自覚した。
 タカシはシュウのみを自身の子として認識し、
その一方で、ショウタについては近所の子供に対するほどの関心さえもないのだと。
 ミユキに与えられた暴力、そして己が花街で犯した、なんとも恥ずかしい行動に対する後ろめたさで、
多少の心配は感じていたものの、それ以上の関心はあまりない。
そんな自分が不気味に感じたし、なによりも、ショウタの頭から『非道な父親像』を払拭し、
本の少しでも『いい父親』を演じたいという欲求があることに、自己嫌悪を覚えた。
 自分の欺瞞を満たすためにショウタへの接触を図ろうとしている――、そんな自分がなによりも気味悪い。
 だが、実母による暴力に耐え抜いた体がどんな状態であるのかが気になっている気持ちは決して嘘ではない。
いい訳めいたことを考えながらも、タカシはそんなことを思っていた。
 例えば近所の子供が怪我をしたと聞けば、多少の心配はするだろう。それと同じだ。
 シュウの眠る部屋で椅子に座し、そんな考えをまとめたタカシは、
その重い腰を漸く持ち上げ、隣の部屋へと向かったのだ。
 なるべく足音を立てぬように、物音を立てぬように扉を開く。
 部屋は、カーテンが開け放たれ、月が雲の切れ間から顔を覗かせていた。
 まずアンドロイドと視線がかち合う。
 しかし彼はなにも言葉を発さず、ただ何かを抱えたまま、ロッキングチェアをゆらゆらと揺すっていた。
月明かりを背負ったままのアンドロイドの目は少しだけけ光って見えたが、
人間であるタカシにはその姿が、『アンドロイドが何かの塊を抱えた姿』である、
とだけしか認識できなかった。
420 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:19:10.62 ID:3V4Wo66k0
「お前はお爺様が僕にくれた」
 小さな声が何かを確認するように呟いたことにより、
アンドロイドが抱えたものがショウタであると理解する。
「そうですね」
「僕のものだ」
「はい」
 穏やかに返事をしたアンドロイドはショウタの髪をすいているようだった。
「いつまで一緒に居られる?」
「私どもの耐久年月はその使用環境によって異なります。たんなる世話係としてならば、
短くても十年は正常に稼動するよう設計されております」
「十年か……。じゃあそれまで、そばに居て」
「仰せのままに」
「……それ、嫌だなあ……」
「どれ、ですか?」
 椅子の動きに合わせて、ショウタの足先がゆらゆらと揺れ動く。
開け放たれた窓から、少しだけ冷たい空気が入り込み、カーテンをふわりと躍らせた。
「……です、とかます、とか言う喋り方」
「と、申しますと?」
「もっとね、もっと……」
 ショウタの声が小さくなり、アンドロイドの耳元に唇を寄せると、何事か呟き、
そして「駄目?」と尋ね返した。
 アンドロイドが返答を返すのに、時間は差ほど掛からなかったことを鑑みると、
ショウタのお願いは、アンドロイドにとって何の問題のないものであったのだろう。
421 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:20:34.60 ID:3V4Wo66k0
「判りました。呼び名はなんと」
「ショウタでいい」
「かしこまりました。では、現時刻をもって、モードをショウタ様限定でFaterに切り替えます」
 Fater Mode。
 それは、アンドロイドがより親密に、文字通り、より父親らしくショウタに接するようになることを示していた。
 暫しの沈黙が流れる。アンドロイドのモード切替には、少しの時間が要されるので、そのためだろう。
 義父がショウタに送ったアンドロイドは、ショウタが未成年であるため、
保護者であるタカシやミユキの所有物であると言っても差支えがない。
しかし、名義人はショウタであるため、アンドロイドにとっての真の主人は、ショウタなのだ。
 例えばタカシとショウタが同時に何かの仕事をアンドロイドに頼んだのなら、
どちらの作業を先にしても効率に問題が生じない場合においてのみ、
アンドロイドはまずショウタの仕事をこなしてからタカシの命令をこなすのだ。
 繰り返すがアンドロイドの主人はショウタだ。
タカシがアンドロイドのモードを『警備』を優先するよう設定していただけで、
ショウタは誰の許可も要らず、いつでもそのモードを切り替えることができたのだ。
 だが、ショウタはそれをしなかった。そのショウタが、モードをFaterへと切り替えた。
 それはつまり――、タカシもミユキも、もうショウタには必要がないということなのだろう。
 得体の知れぬ、澱のようなものが肺の辺りに巣くうのを、タカシは感じた。
 罪悪感、嫌悪感、そして――?
 正体不明のそれがタカシの胸に渦巻くのも知らず、アンドロイドは自動的な再起動を起こし、
そして簡易的な『ショウタの父親』として目を覚ましたのだった。
422 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:23:07.72 ID:3V4Wo66k0
 アンドロイドがショウタに向かって何事かを囁く。
 そろそろベッドに入れ、だとか、眠れ、だとか、そんな話だろう。
「嫌だ。このままがいい」
 駄々をこねるようにショウタがすねた声を上げる。
それに少しばかり呆れたように溜息を吐いたアンドロイドは――、溜息を吐くフリであるが――、
「まったく」と呟き、そして指先を伸ばしてショウタの頬に優しげに触れる。
 慈愛に満ちた触れ方は、子供に接する父親そのものだった。
「やだ。今日はこのまま抱っこしていて」
「風邪を引く」
「大丈夫だよ。お願い」
「……今日だけだよ」
 素足のつま先の冷たさを検知したのか。アンドロイドの手が、ショウタの足の先を包み込んだ。
「……ふふ……」
「何で泣いている。どうした?」
「……なんでもない……あったかくて、安心しただけ」
 胸の内に立ち込めた罪悪感に、呼吸が薄くなるのをタカシは感じていた。
 足が震える。指先が冷たくなる。呼吸が苦しい。
 おそらくショウタは、ずっと『それ』が欲しかったのだろう。
 自分を、自分だけを愛してくれる『親』が。
 ただ年相応に甘えられる、その年齢の子供ならば当然にように甘えられる相手が。
423 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:24:04.05 ID:3V4Wo66k0


 酷いことをしていた自覚は合った。
ショウタの存在をどうしても受け入れてやれない狭量な自分を必死で誤魔化し、
『自分は間違っていない』と肯定する自身がどれほど醜いのか、
そして、仕方なしに親の代用品を自ら用意したショウタに対して、
償いたいだとか、改心しようなどと、微塵も思えない自分も、嫌と言うほどに自覚したのだ。
 しかし、ただそこにあるのは、自分を恥じる気持ちだけで、ショウタに対する気遣いは殆ど生まれない。
 どこかおかしい自分を、タカシははっきりと自覚している。
 どう頑張っても、息子だと思えるのはシュウだけで、姉と自分の遺伝子を受け継いだ、あの子供だけなのだ。
タカシの父性の全てはシュウの為にある。
一筋でも、たった一滴でも、それらをショウタに分け与えてやれる余裕がない。
 ただただ、居心地の悪さだけを自覚する。
 いたたまれなくなったタカシは、そっと扉から遠ざかったのだった。
424 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:27:18.08 ID:3V4Wo66k0
 翌朝の食卓にはすでにショウタがおり、その脇には父親然としたアンドロイドが座っていた。
と言ってもアンドロイドは当然食事をしないのだから、
彼は『息子』であるショウタが椅子に座するのを観察し、
食事に手をつけようとするのを見守っているだけだった。
 ミユキはまだ起きていない。
と言うことは、食事を用意したのはアンドロイドのかもしれない。
 パン、サラダ、スープ、チーズ。なんの変哲もない食事であるが、
ショウタは軽くトーストされた食パンを一度手にし、どういうわけかそれを皿の上に戻してしまった。
「手が痛い。一人じゃ食べられない」
 タカシは思わず息を飲む。
肺に空気を詰めて栓をする音が、いやに大きく響いて聞こえたのはタカシの自意識過剰だろうか。
 タカシがそこに居ることに全く関心を寄せず、
ショウタはアンドロイドへと視線を真っ直ぐに向けて言ったのだった。
「そんなことはないだろう。腕に炎症は見られない。痛むのは背中のはずだよ」
 人類と殆ど変わらぬ見掛けを有したアンドロイドが、ショウタの丸い頬に触れて眉根を寄せた。
「嫌だ、食べさせて」
 ショウタは頑なに言い張り、『お願い』を曲げる様子がない。
「仕方がないね、お皿を貸して」
 ショウタは、タカシがそこにいることに気づかぬ素振りをし、そしてアンドロイドに甘えて見せた。
 存在を無視されている、と言うことだろう。
425 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:29:43.97 ID:3V4Wo66k0
 ショウタはアンドロイドがちぎったパンを小鳥のように食べ、
スプーンに掬ったスープを差し出されれば、赤子のようにそれを口に含んだ。
 今まで、誰にも構ってもらえなかった時間を取り戻そうとするかのように、
ショウタはアンドロイドに甘えきっていた。
「もうお腹はいっぱいになった?」
 粗方のメニューが消費されると、ショウタはその問いかけに首を縦に振った。
アンドロイドは父親業の一部として、ショウタの口の周りを拭ってやる。
 ショウタの年齢からすれば、それはひどく甘やかされた行為であったし、
ショウタにしても、他人が目にすれば、甘えが過ぎた行動であろう。
 だが、ショウタは未だ嘗て、誰に対してもそれをやってもらうことなく成長をしたのだ。
面倒を見てくれるアンドロイドは、普段住まっている家にもいたことだろう。
だがそれらは、赤子であるショウタの面倒を小まめに見てくれはしたのだろうが、
それはショウタがなにもできない赤子であったからであって、成長して行くに従い、
次第にその世話は最低限度のものに留まって行ったに違いない。
 最低限度の世話に、最低限度の接触。
 当たり前だ。ショウタの家に設置されていたアンドロイドは基本的に警備に特化したものであって、
最近よく見るタイプの、警備・介護・親、などとモード変更できるものではなかったのだから。
「こら、離れて。食器を洗えないよ。歯磨きをしてきなさい」
 シンクに立ったアンドロイドにやんわりと注意されても、
ショウタはアンドロイドの背中に張り付き、腰に腕を回して離れない。
 歯磨きの仕上げはしてくれ、などと『お願い』を口にする始末だ。
 ショウタは子供っぽいお願いを幾度もする。
その度にアンドロイドは「仕方がないね」などと言いながらも、
ショウタの『お願い』と言う名の『命令』を受け入れるのだ。
 アンドロイドは基本的に、人類に害が及ぶような命令でなければ受け入れるようにプログラムされている。
モードが『親』であった場合、仕える子供の成長に大きな問題が起きないようならば、
同じく命令を受け入れるのである。
426 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:32:01.10 ID:3V4Wo66k0
 細い腕が、アンドロイドに甘えて巻き付く。
アンドロイドのシャツを引っ張って、顔を埋める。
 無機質なそれからなんの体臭もしないはずであるが、
幼子が母の匂いを嗅ぐ様に、ショウタはそんな仕草をして見せた。
どこに行くにもアンドロイドと手を繋ぎたがり、
アンドロイドが頬に触れるたびに、恥ずかしそうに少しだけ口許を緩ませるのだった。
 紛い物の愛情でも、ないよりマシだと気づいたのか、或いは、紛い物ではないと信じているのか。
 ――ショウタの甘えは、時間を追うごとに酷くなって行った。
 アンドロイドと離れるのを嫌がる。少しでもアンドロイドの姿が見なくなると探しに行くほどになったのだ。
 誰も咎める者はいない。咎められない者と、咎めることが面倒に感じている者しか居ない。
 タカシには咎める権利がない。
シュウが執拗にアンドロイドを求めるようになったその責任の1/2ほどは、タカシにあるのだから。
 異様なショウタの変化に、シュウも戸惑っているようだった。
 シュウが何事かをアンドロイドに話しかけようとすれば、ショウタはそれを酷く嫌がり会話に割って入るのだ。
シュウにはアンドロイドに触れさせない、近づかせない、そして決して会話をさせない――。
ショウタから向けられる感情が悪意であるとシュウが自覚を深めるにはそう時間は掛からず、
花街への出奔から三日後ほど経つころには、シュウは完全にアンドロイドから遠ざけられていた。
 顕在化した悪意は、ショウタを落胆させるには充分な威力を持っており、時間が経つごとに、
シュウの顔からは笑顔が消えていったのだった。
「お父さん……」
 シュウが雑務をこなすタカシへと、そろりそろりと近づいてくる。
 シュウの変化はアンドロイドを『自身の所有物である』と主張することだけに留まらず、
シュウの存在を無視するにまで至っていた。
 こんな辺鄙な何もない土地で、遊び相手を同時に二人――、
正確には一体と一人だが――、を失ったシュウのストレスもそれなりに限界まできているようだ。
 庭に視線を向ければ、昼過ぎから先ほどまで、アンドロイド相手によく判らない遊びを繰り返していたショウタは、
疲れてしまったのか、木陰の下で丸くなって眠っている。
水平のような、セーラーにハーフパンツ。それらの服装の基調となっている白色が、眩しかった。
アンドロイドの胡坐の上で猫の仔のように丸くなって眠る姿は、まるで人形か置物だ。
427 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:38:22.96 ID:3V4Wo66k0
「僕、ショウタ君に何かしたかな……」
 新しい生を受けてからのシュウは、マンションに殆ど缶詰状態で外に出ることはなく、
当然友達も居なかった。
 そんな理由から、シュウはショウタの存在をとても喜んでいたし、
その新しくできた友人と、それなりに仲良くなれたと思っていたようなのだ。
 だが、ショウタは突然変わった。
突然の変わりように、シュウはなにが起こったのかまるで理解できず、戸惑うばかりであった。
 大人の都合によってショウタは捻じ曲げられ、シュウにそのとばっちりがいった形なのだから、
タカシもタカシで「たまたま機嫌が悪かっただけだろう」と曖昧に言葉を濁すしかないため、
ますます理解できずにシュウは苦しんだ。
 兄弟なのだ。遺伝上の関係は異母兄弟と言うことになるが、
兄弟同士で仲良くできるのならそれに越したことはないが、
それを実現不可能とさせてしまったのは、主にタカシだ。
 おいで、と自分の膝を開けて促すと、シュウは躊躇なくタカシの膝に収まった。
「……僕、やっぱりショウタ君に謝らないといけないと思う」
「なにを?」
「……花火が鳴っている場所に行こうって言ったの、僕なんだ」
 でもショウタ君はショウタ君のママに本当のことを言わなかったからたくさん怒られちゃった。
シュウはそう続けると、膝の上で俯いた。
 シュウに落ち度はない。少なくとも、ショウタのシュウへの態度が変化したことに関しては。
そうなるように仕向けてしまったのは、寧ろタカシなのだ。
それを思うと、シュウに対する後ろめたさに胸が重くなるのを感じた。
「……やっぱり謝ってくる」
「シュウ、」
 シュウは返事も待たずに、飛び跳ねるようにしてタカシの膝を去っていく。
428 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:40:19.64 ID:3V4Wo66k0
 待て。
 そう声を出した時には『平気だよ』と言う言葉を残し、彼は素足のまま庭へと駆けて出していた。
 タカシは立ち上がったまま、為すすべなく成り行きを見守るしかない。
安易にショウタへと近づくことは、流石に憚られる。
 シュウはあっという間に木陰に辿り付き、
彼らを見下ろすような姿勢のままでアンドロイドに何事かを話しかけ始める。
何の変哲もない、アンドロイドと人間の子供の自然な会話だ。
だがタカシは明らかに焦り始めている自身を自覚していた。
 今、ショウタの神経は尖っている。シュウがアンドロイドに近づくことを良しとはしないはずである。
アンドロイドはシュウに向かって顔を上向かせ、何某かの返答を返している。
その様子にさえ不安を覚え、タカシは庭用のサンダルへと足を突っ込み、
二人と一体へと少しずつ近づいていった。
「いえ、調子が悪いということはありませんよ。ただ、ショウタは少し気が立っている。
そっとしておいて貰えると助かります」
 アンドロイドが『困り顔』を作ってそう言った。
ショウタの感情の起伏、それが起こる際の状況を全て重ねて総合的に判断し、
アンドロイドは答えを導き出した上で、シュウを自分たちから遠ざけるよう、やんわりと懇願した。
「でも僕、ショウタ君に謝りたいんだ」
「申し訳ありません、シュウ様。今、ショウタには謝罪を受け入れるだけの余裕がありません。
どうかそっとしておいてください」
 困り顔のままそう続けるアンドロイドに、シュウは少しばかり不満そうな顔をしている。
ああ、まずい。タカシがそう思ったのは、シュウの不満をその表情に感じたのと、ほぼ同時のことだった。
アンドロイドの膝の上、小さく丸々ショウタが、かすかに身じろぐのが視界の端に確認できたからだった。
「シュウ」
 慌てて我が子――、タカシが頑なに唯一の息子と認識するシュウだ――に近づき、
その肩を自分の方に引き寄せる。だが、その行動は、少々遅かったようだ。
429 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:42:08.20 ID:3V4Wo66k0
 ショウタが手の甲で目を擦り、ゆっくりと意識を浮上させる。
幼い、どこにでもいる子供の仕草だ。
続いて、自身がどこで眠っているのか完全に忘れていたのであろう、
一瞬だけアンドロイドの姿を探すように視線を彷徨わせ、
そして見つけた『自分の父親』に笑いかけた――、
のは、本の少しの間だった。
 寝起きの幼子のぼんやりとした、いっそ可愛らしいとさえ思える表情だが、
それは瞬時に凍りつき、たちまち不快感を露にした、悪意ある表情に作り変わったのだった。
 ショウタが舌打ちをしなかったのが、意外に思えるほどに、
その感情の変化に伴う表情の移り変わりは露骨なもので、そして大人びて見えた。
 シュウから目を逸らし、アンドロイドの首に腕を回してへばりつくと、
「部屋に戻りたい」とショウタは硬質な声で告げる。
彼の怒りを察知したアンドロイドも、それに文句一つ言うことなく「判った」と短く返事をし、
すっくと立ち上がったのだ。
「ショウタ君、待って!」
 幼い声が、必死で『友達』に呼びかけるも、しかし呼びかけられた本人はそれを許すはずもなく、
シュウの存在にまるで気づかぬように、ショウタは無視を続ける。
アンドロイドも当然のことながらショウタの意志を尊重し(なにせアンドロイドにとってショウタは主だ)、
彼によって下された命を遂行するためにショウタの部屋を目指して歩き続けた。
 広い庭だと言っても、所詮は普段使いではないセーフハウスだ、広さなどたかが知れている。
シュウは走り、そしてアンドロイドを捕まえるべく腕を伸ばした。
 幾度かそんな攻防は続き、シュウが漸く掌を捉えたところで、アンドロイドの歩行は止まったのだった。
430 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:44:19.50 ID:3V4Wo66k0
「捕まえた! あのね、ショウタくん、僕、ショウタくんに謝りたいことがあるんだ」
 シュウは短い駆けっこによって乱れた呼吸を整えながら、自身のはるか上に居るショウタを見上げた。
シュウの右手はアンドロイドの右手を、左手は息を整えるべく、自身の胸に添えられている。
 おっとりとしたシュウの表情に対して、ショウタの目は怒りに燃えていた。
 ――危険だ。そう本能的に察知したタカシはシュウに近寄り背後に回る。
「ショウタ、あのな」
 取り繕うように、殆ど呼んだことのない名をタカシが口にした時だった。
「うるさい!! 僕の名前を気安く呼ぶな!!」
 ぴしゃりと冷たい声が浴びせられる。
 子供らしさの一切含まれない怒声に似た声は、ひどく冷たく、そして刺々しく鼓膜を振るわせた。
あまりにも冷ややかな声音は、タカシとシュウの動きを拘束させるだけの効果が充分にあった。
 あまりにも子供らしくない。あまりにも冷たい。
 ショウタをそう変えてしまったのは、紛れもなくタカシと言う遺伝上の父親だ。
 遺伝上――、この期に及んで、タカシはそんな枕詞をつけたがる。
ほぼ強制的に父親にされてしまったわけではあるが、それでも、こんな風になってしまった子供一人を目の前に、
今でも『遺伝上』などとつけたがるのタカシは、どうかしているのかもしれない。
「下ろして」
 アンドロイドの腕に抱かれたままだったショウタは、冷淡にアンドロイドへと『命令』した。
お願い、などと可愛らしいものではなかった。
 アンドロイドが軽く身をかがめると、ショウタはそこから飛び降りるようにして芝生の上へと降り立った。
431 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:45:42.03 ID:3V4Wo66k0
「ショウタ、君」
 シュウの声が乾ききっている。アンドロイドの手に触れたままの右手にショウタの視線が移される。
と――、パン、と弾けるような音が響き渡ったのだった。
 ショウタが、シュウの手を思い切り叩いたのだ。叩き落した、と言うのが正解だろうか。
「勝手に触るな」
 冷ややかな声音は、タカシに向けられたものと然して変わりない。
「これは僕のだ。お爺様が僕に下さった。何故お前が勝手に触る」
「ショウタ」
 窘めるように声を掛けたのは、アンドロイドだった。
 アンドロイドは怒りに震えるショウタの肩にやんわりと触れるが、
それは彼の怒りを静めるほどの効果はないようだった。
「落ち着きなさい、ショウタ。ショウタ、こっちを向いて」
 父のように、母のように、アンドロイドは冷静に、穏やかに声を掛けた。
ショウタはゆっくりと振り返り、自身の『父親』を見上げた。
「落ち着きなさい、ショウタ」
 繰り返される声に、ショウタの表情が徐々にあどけないものへと変わっていく。
「ショウタ、大丈夫だから。私はショウタのものだ。心配ない。他の誰のものにもならない。
判っているだろう? 大丈夫、深呼吸をして」
 ショウタと視線を合わせるべくしゃがみ込んだアンドロイドは、あやすようにポンポンと幼子の腕を叩く。
一定のリズムで繰り返されるそれに、ショウタは冷静さを取り戻しつつあるようだった。
 緊急セラピーだ。モードが『親』に設定されている場合、子の怒りや悲しみに応じて、
アンドロイドはこうして、子が落ち着くまで簡単なセラピーを行うのだ。
 他者との衝突を避け、他の子供の親からクレームを受けるのを避けるよう誘導する。
それもアンドロイドの仕事の一つだ。
432 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:47:28.08 ID:3V4Wo66k0
「大丈夫、いい子だ。ショウタはいい子だね。大丈夫」
 頬に手で触れ、額同士をくっ付ける。親子のようなスキンシップに、ショウタの呼吸は整えられていく。
 気味の悪い光景だった。
ショウタはセラピーを、そうとは思わずにアンドロイドから与えられる『愛情』と認識しているに違いない。
彼は、完全にアンドロイドへと依存している。
そするしかなかった子供に対して、気味が悪いと感じてしまう自分自身もまた、気味が悪い。
 タカシは目を逸らし、二人を――、
あれはもう、ショウタにとっては『一体』ではない。完全に『一人』と化している――、
視界に入れぬよう努力した。
「少し体温が高くなったね。でも大丈夫、すぐに落ち着く筈だ」
「うん……」
「よし、気持ちは落ち着いたね。いい子だ。シュウ様に謝って」
「嫌だ。僕のものに勝手に触った方が悪い」
「ショウタ……」
 謝罪を再度促すのは得策ではないと感じたのか、ただ短く、「では、部屋に戻ろう」と告げたのだった。
「うん……」
 部屋に戻ることを了承したはずのショウタであるが、しかしアンドロイドに手を引かれるも、
彼の足は強張り固まったままだ。
「ショウタ、どうした? 足が緊張してしまったかな?」
「……だっこ」
「また、そんな風に甘えて」
「だっこして、『お父さん』」
 お父さん、の部分は小さくてなんとも聞き取りづらかったが、しかしショウタは、確かにそう発音した。
433 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:49:25.48 ID:3V4Wo66k0
 ――お父さん。
 シュウが呼びなれているその呼称を、ショウタはこれほどまでに遠慮がちに口にする。
それも、タカシに対してではなく、紛い物の無機質な父親に対して。
 通常、アンドロイドに対して、ここまで依存する子供は少ない。なぜならばアンドロイドは、
あくまでも子守を担当するだけのロボットだ。親が仕事でいない時間だけの、子守。
だがショウタにとってはそうではない。ショウタには、アンドロイドしか居ないのだ。
その紛い物の父親を得たのもつい最近のことで、彼には生まれてこの方、父親は居なかった。
いや、母親でさえも、居なかったのだ。
 ミユキはあれほどショウタを、男児を望んでいたにもかかわらず、
生まれてしまえば面倒の一切を放棄していたと聞く。
怪我をしようものなら烈火のごとく怒り散らす割りに、
命の危機が訪れようものならこうして山奥へと避難する割りに、
彼女はショウタの面倒を全くと言っていいほど見ない。
ちぐはぐな行動は、タカシをも大いに混乱させるほどだった。
幼いショウタがどれほど混乱を来たしているかなど、想像するに難くない。
 今ここに来て、漸く――、遅すぎるとは思うが、タカシは『後悔』を覚えた。
自分の意地が、自分のどうしても曲げられてない思想が、
一人の子供をおかしくしている事実に『後悔』を覚えたのだ。
 きっとこの先、ショウタはこのままだろう。
例えば今、後悔を覚えたタカシが、急激に父親らしく接したとしても、
おそらくショウタは受け入れることはないだろう。
それだけのことをしてきた。そうならざるを得ないように接してきた。
ショウタのアイデンティティを、グチャグチャに歪なものへと成長させたのは、
どう考えても出来損ないの親二人なのだから。
434 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:50:54.03 ID:3V4Wo66k0
「お父さん……?」
 疑問符をくっ付けそう呟いたのは、シュウだった。
 なんともタイミングの悪い呟きだ。
おそらくシュウには悪気はない。ただ、疑問に思っただけなのだ。
何故自分の友達が、『機械』をお父さん、などと急に呼び始めたのか。
ただただ子供らしい、無邪気な疑問であったはずだが、
ショウタにそれを理解できるだけの心の余裕もなければ、
それを柔軟に受け止められるだけのバックボーンもない。
 ただただ単純に、『馬鹿にされた』と。
 父親のない自分を、恵まれた子供に馬鹿にされたと。
 父親に愛されなかった過去を、恵まれた子供に馬鹿にされたと。
 そう反射的に捉えたに違いない。
 ショウタの足を包む、小さなスニーカーが地面を蹴った。
 ふわりと体が浮き上がると同時に、彼の胸元の短いネクタイも上向きに浮き上がる。
 小さな拳は握られ、余程きつく握り締めているのか、真っ白だ。
 あの拳は、シュウに間違いなく激突するだろう。
 タカシはシュウの腕を引き寄せ彼の体を芝生の上に引き倒し、自分が盾になるようにシュウの前に出た。
 目を瞑り、衝撃に備える。
子供の力などたかが知れているが、それでも子供の本気はそれなりの痛みを伴うつもりだ。
 抵抗するつもりはない。タカシは『後悔』しているのだから、それを甘んじて受け入れるつもりでいた。
所が、その衝撃はいつまで経っても訪れず、ゆっくりと瞼を持ち上げれば、
そこにはアンドロイドに細い腕をつかまれた状態のショウタがもがいてたのだった。
435 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:52:50.23 ID:3V4Wo66k0
「離して!!」
 猛獣のように、怒りをむき出しにしたショウタは、アンドロイドの拘束を解こうと体をばたつかせている。
「離してよ! 離して!」
「離さない。今、君は、シュウ様が怪我をしかねない暴力を振ろうとした。
怪我を負わせること、それは最悪の場合、君が社会的制裁を受ける可能性が大いにあることを示している。
『父親』としては、それを見過ごすことなど到底できない」
「なんでだよ! なんで!!」
「暴力を振ることはよくないことだからだ」
「僕は今までずっと虐められてきた! 『こいつ』に無視された! 『こいつ』は僕を殴ったりしなかったけど、
いっつも僕を汚いものを見る目をして睨んだ! 僕が何をしたの!?
なんで、なんで僕だけこんな目に遭わないといけないの! なんで……!」
 ショウタはなんでなんでと、駄々っ子のように繰り返す。
 こいつ、とはタカシのことを指しているのは間違いないだろう。 
 ここまで情動を明確に表現するショウタの姿は初めてで、タカシは息を詰めて様子を見守った。
ショウタは、いつでも遠慮がちだった。いつでもそっとタカシを見つめ、タカシがその視線に気づく頃に、
やはりそっと視線を外したのだ。
 いつでも、控えめにタカシを求めていた。
 愛してくれない父親を、求めていたのだ。
「理論が破綻している。仮に報復が許されるとして、ショウタ、君が報復活動を行うべき相手はタカシ様だ。
決してシュウ様ではない」
「こいつ、今僕を笑った!」
「笑ってなどいなかった。彼は『お父さん?』、そう口にしただけだ。
おそらく彼は、君が私のことを何故急に『父』と呼び出したことについて純粋な疑問を抱いたに過ぎない」
「でも、でも……!」
「ショウタ、落ち着いて。君の思考力は、私が計測したところ、+五歳ほどは大人びている。
私がなにを言っているのか、判らないはずはない。
また、感情の赴くままに暴走するほど愚かしい性格でもないはずだ」
436 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:54:02.76 ID:3V4Wo66k0
「……なんで僕の味方になってくれないの……なんで……」
 ショウタの瞳が、見る間に潤んでいく。
小さな頬を、その塩水が濡らすのは時間の問題のように思われた。
 ――ああ、泣いてしまう。
 タカシは居心地の悪さと、後悔に押しつぶされそうになりながら、
その涙が溢れるのを待つようにして見守っていた。
「なんで、誰も僕だけのものにならないの……」
「私は君の味方だ。なぜならば、君は私の主であるのだから、君の人生がより明るいものになるよう、
最悪の選択をしようとした場合は阻止し、できる限り君を導き、共に存在することを約束しよう」
「違う……違うよ、そうじゃないよ……」
 嗚咽を含んだ声で呟きながら、ショウタは首を振った。
「違う、とは? 私はアンドロイドであるため、君の感情を明確に推し量ることはとても難しい。
ハッキリと『何』が『どう』違うのか、口に出して示して欲しい。
そうすれば、もしかしたら君が望む答えを私は用意できるかもしれない。
だた、それが君の望みに百%適うものではないかもしれない、と言うことは心に留めておいてほしいと思う」
「選択の手伝いなんて要らないよ……そうじゃない、僕が欲しいのは、僕が欲しいのは……、」
「ショウタ? それでは判らない。ショウ、」
「もういい」
 アンドロイドの言葉を遮るようにして、ショウタは『もういい』と宣言し、そして乱暴に涙を拭った。
まるで泣いてしまった自分を恥じるような行動だ。
 ショウタは唐突に行動が切り替わる。それはまるで――、ロボットのように。
437 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:56:02.98 ID:3V4Wo66k0
「もういい、とは?」
「お前はアンドロイドだ。結局、僕の味方はどこにも居ない」
「ショウタ、私は君の味方だ」
「偽物だ! 結局お前は、偽物だ! 僕のお父さんじゃない!」
「君の遺伝上の父親はタカシ様であることは間違いない。
ただ、タカシ様とシュウ様の親子としての接触を百%として計測した場合、
君とタカシ様の接触は場合、一%以下であることは、私のここ二週間強の観察で判っている。
形だけのものとは言え、父親として接触している時間は私の方が格段に長い。
それでも父親ではないというのなら、仕方がないとも思う。
なぜならば私は所詮マシンだ。遺伝的な繋がりを君と持つことは未来永劫不可能なことだから。
君がもう私を必要でないというのなら、モードを警備に切り替えても構わない」
「……僕は誰にも必要とされない。お前だって、主人は僕でなくてもよかったはずだ。
僕が主人として登録されているから、僕のお父さんのようなものになってくれるだけで、
それはホンモノじゃないし、僕のことを好きなわけでもない。誰でもいいんだ」
「残念ながら、ショウタと私の関係は、確かに私にインプットされたものによることが多く、
それによって私は君を『子』と認識し、父親を演じるように命じられている。
自発的に君に愛情を抱くことは難しい。それは確かなことで、私にもどうすることもできない。
しかし、君が私を必要とするのなら、私はいつまでも君のそばに居ることができる。
心変わりはしない、君を不要に思うことも、邪魔に思うこともない。
君が望む限り、私が故障しない限り、同じプログラムで遂行し、
人間の言うところの『愛情』に良く似た態度で、君に接することを約束しよう」
 アンドロイドは人のように心変わりをすることがない。
未来永劫、自身が故障するまで忠誠を誓うのである。 
 お前のように子を愛せぬ白状者よりマシだ――、そう批判されたようで、タカシは思わず奥歯を噛み締めた。
おそらくその微細なタカシの行動でさえ、アンドロイドは把握しているはずであるが、
しかし果たしてその意味まで理解できているかどうか。
理解しているのならば性質が悪いと感じるが、
幼子を相手に冷ややかな態度を取り続けた自身の方が余程性質が悪いのだと、タカシはもう知っている。
いや、漸く心の底からそう感じることができた、と言うべきか。
だからこそ、アンドロイドに会話を切り上げさせることができなかったのだ。
438 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 21:58:33.21 ID:3V4Wo66k0
「それは僕が死ぬまで?」
 幾分か冷静さを取り戻した声音で、ショウタは問うた。
「残念ながら、以前ショウタに伝えたとおり、私たちの耐久年数は十年程度とされている。
ショウタの寿命には遠く及ばない。しかしその十年を私は、」
「僕はすぐに死ぬ」
 アンドロイドの言葉を遮り、ショウタはぽつりと言った。
「僕は、どうせすぐに死ぬ。だから、十年もきっと必要ない」
「ショウタ、その言葉は理解できない。君は健康だ。事故ならば私がいくらでも防ごう。
先の大戦の影響で酸素の汚染が進んでいるとは言え、君は飲料水も汚染が低いものを飲んでいる。
この生活を維持すれば、少なくとも君はあと五十年は生きることができるだろう」
「僕は大人になるまでに死ぬ。殺されることが決まっている」
 ショウタの頬から、拭ったはずの涙が再びポロリと零れ落ちた。
アンドロイドはそれを親指で拭き取っているが、至極冷静だ。
 突然の告白に、タカシは大いに戸惑っていた。
 ショウタが何を言っているのか理解ができぬのは、アンドロイドだけではなく、タカシも同じだ。
「ショウタ、君は健康だ。自暴自棄になるのはよくないことだ」
「違う……違うよ、そういうことじゃない。僕は殺されることが決まっている」
「ショウタ、意味が判らない。人には未来を予知する力はない。勿論私にも。
なにか君は妙な固定観念に囚われている可能性がある」
「……僕は、殺されるために生まれてきた」
 いつの間にか、太陽が傾き始めている。
 そろそろ夕方だ。
 オレンジ色の光りが、ショウタの頬を照らしていた。
 泣き、喚き、怒る。
 そんなショウタの表情を、タカシはこの日殆ど始めて目にしたのだ。
 遺伝子の半分を分けた我が子の豊かな表情を、この日、初めて目にしたのだ。
その中に笑顔が含まれていないのは、明らかにタカシやミユキの責任で、
今更その咎を負うことができるのだろうか、などと、
タカシはその場にそぐわぬ、実にぼんやりとした思考で、しかし、今更ながら考えていたのだった。
439 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 22:03:28.53 ID:3V4Wo66k0
 夕日を、雲が隠す。
 ショウタの顔も薄暗い周囲に紛れていく。
「僕は、イショクされるために生まれてきた」
 イショク、とは移植だろうか。しかし、それでもショウタの言葉の意味が判らない。
 だが、タカシの背筋を冷たいものが伝っていくのを感じた。
「僕はお母様に、小さいころからずっと聞かされてきた」
 異常な空気に、隣にいるシュウが、指先に力を込めて己の手を握り締めてきたことにも、
タカシは漸く気づくが、そちらを向く余裕はない。
ただジッと、今までだってそんなことをしたことはないと言うのに、ショウタを見つめていた。
「僕は、そいつの――、『タカシさん』の脳を移植するための器だって」
 冷たい風が吹いた。
 この場に居る人間の体温を奪うような、冷たい風だ。
「僕は、『タカシさん』の脳を移植するためだけに生まれてきたんだ」
 嗚咽が聞こえる。泣いているのは、シュウか、それともショウタか。
 完全に広がった薄闇に目が慣れることができず、子供たちの様子を窺うことができない。
 月が昇るまで、どれほどの時間が掛かるだろうか。
 そして暫しの沈黙が訪れる。
「僕は、誰にも愛されていない。でも、お前がお父さんになってくれて、少しだけ嬉しかった」
 寂しそうに呟いたショウタが、
アンドロイドに自身の『親』であること、さらには『警備』も解除することを宣言した。
為すすべなく誰もがショウタの行動を見守っていた。
「ありがとう。お父さんになってくれて、本当に嬉しかったよ。
お父さんじゃないなんて嘘。大好きだよ」
 しゃがんでいた微動だにしないアンドロイドの首に腕を巻きつけ、一度だけ抱きついたショウタは、
鼻先を首筋に埋めるようにした後、すぐさまその腕を名残惜しそうに解き、そして――、微笑んだ。
 モードの切り替えには時間が要される。アンドロイドはその間、身動きが取れぬのだ。
「ショウタ!」
 タカシは思わず叫ぶが、しかしショウタは一度もタカシを振り返らず、フライボードを掴むと闇の中に消えていった。
 追うものは誰も居ない。
 ――お父さんになってくれて、嬉しかった。
 耳に木霊するのは、幼くて、だが妙に大人びた――、いや、大人にならざるを得なかった子供の、悲しい声。
 空に昇った月は、少しだけ欠けた歪なものだった。
440 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2015/12/22(火) 22:04:33.03 ID:3V4Wo66k0
今日はここまで
いつも保守ありがとうございます
よいお年を
441 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/26(土) 00:23:32.24 ID:qvF5Ec+60
お疲れさまです!
せつなすぎる…

今年も、読み応えのあるお話をありがとうございました。
続きも楽しみにしてます!
442 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/27(日) 11:17:01.43 ID:dpPiJDA80
ストーリーも描写もすごいですね
最後までがんばってください

あと◆OfJ9ogrNkoさんの他のお話があったら読んでみたいです
443 :以下、2015年にかわりまして2016年がお送りします [sage]:2016/01/04(月) 07:01:08.94 ID:d/jYH/pSo
似たようなSSを読んだ気がする
444 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2016/01/07(木) 01:40:37.27 ID:hlu/J5WG0
fatherのスペル間違っていて死ぬほど恥ずかしい……
何故間違えた
恥ずかしい

まとめてで失礼

vipでその場で推敲もなしに書いていたのが何作かあります
ピクシブに自分でまとめてあるけれど、あまりにも誤字脱字が酷いので
そのうちまとめて清書して再度上げる予定です

「似たようなSS」と言うのは、もしかしたらやはり自分の作品かもしれません
このSSのプロトタイプをvipに上げたことがあります
(タカシがアンドロイドを作る会社のCEOだったり、
ショウタが奴隷のままだったり、ミユキがタカシの姉だったり)

いずれのSSも全て完結済み、ショウタ・タカシ・ミユキだけで書いているはずなので、
ググれば出てくるかもしれませんが、本当に誤字脱字がこのSS以上に酷いのでオススメしません……
登場人物名は全て同じですが、中身は違う人物なので、アレ?と思うかもしれません

長々と失礼
あまりにもfatherが恥ずかしかったので
445 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2016/01/30(土) 21:44:17.89 ID:ZxHy5aDZo
たまたま見つけて半日かけて読んだわ…凄いね。世界観とか設定とか普通に小説に出来る
殺された女はミユキとは友達だったのかな。どっちも貴族だったから最初混乱した

そしてミユキのヤンデレぶりが怖い!実の子であっても適応確率は四分の一らしいけど
それはクリアしてるのかな。完全な被害者のショウタが可哀想だ。死んだお姉さんも
ミユキと義父を恨む気持ちはわかるけど、ぶっちゃけタカシにもかなり問題あるよなぁ…
446 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2016/02/01(月) 08:32:55.90 ID:XV4pC2dco
なんで俺がこんな目にって何度も言ってるけど全てはタカシが超絶自己中なのに起因してると思える
水製造機が戦争の火種になるってわかってるならある程度お金入った後に特許取って製造法を
公開すれば良かったのに一人で握りこんで戦犯扱いは当然。息子が殺された件もそもそも息子の存在が
過ちだし、幼馴染がアレなのもずっと半端に好意を利用してたからヤンデレた可能性もある

花街でショウタを忘れたのは他人なんかどうでもいいという本質の現れだと思う。普通は近所の子供だって
もう少し心配する。息子も息子として愛してるんじゃなくて姉の代替品として見てるだけだろうな
一般人ぶってるタカシより金に汚く孫が可愛い義父が一番普通の人間らしいというのがなんとも皮肉

長文失礼。分析しがいのあるSSだったので
447 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2016/02/27(土) 12:23:40.41 ID:0bakyugA0
もうクライマックスか〜長かったけど早く感じる
448 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2016/03/06(日) 01:05:32.56 ID:mO2C8zIj0
セルフ保守
保守、感想ありがとうございます
449 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/13(日) 23:52:00.20 ID:ZvDHFeH30
続きも楽しみにしてます
保守
450 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2016/04/12(火) 21:10:45.45 ID:2zqqqIcs0
ほしゅ
451 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2016/04/18(月) 21:00:02.60 ID:R3zx0t5S0
 再起動したアンドロイドは、ショウタを追おうとはしなかった。
ショウタ自らが命じた『警備』と『父親』の解除に伴い、
アンドロイドは彼を保護対象と見なさなくなったのだ。
 アンドロイド自身にはショウタと接した記憶は残されているが、
今の彼にとって大切なのは第二の所有者であるタカシとミユキだ。
自動的に繰り上がった所有権により、タカシはアンドロイドの真の主となったのだった。
「おい、ショウタの居場所を教えろ!」
 襟首を引っ掴んで問いただすものの、アンドロイドは先ほどから、
『お教えできません』の一点張りを貫いている。
「話題となっている児童Aは私の警備対照ではありません。
児童A自らが、私との『契約』を破棄しました。彼の居場所を私が探索するには、
彼との『再契約』が必要となります。それは、個人保護の法律を厳守するための行動であり、」
「お前、『児童A』ってショウタのことか……」
 突然に、ショウタの存在は『児童A』などという無機質なものへと成り下がってしまった。
 だから嫌なんだ、とタカシは口内で呟いた。
 所詮プログラムが見せる幻だ。人らしく振舞うよう命じられているだけの、紛い物。
「俺はお前らのそういうところが嫌いだ!」
「『そういうところ』とは?」
 生真面目にアンドロイドは問いかけるが、それとて『尋ねたい』と言う欲求からくるものではなく、
理解できぬことを取り敢えずは問いかけ直すよう組まれたプログラムに過ぎない。
「……もういい。シュウ、家に入りなさい。お父さんは今からショウタを探しに行かなくてはならない」
「え……」
 不安そうに手を握り締め、シュウはタカシを見上げた。
「アンドロイドがいる。心配はない」
「……判った……」
 判った。そう言いつつも、声は不安に揺れていた。
 きっとシュウには、今現在なにが起こっているのか、殆ど理解ができていないはずだ。
『友達』であったはずの『ショウタ』が何故あれほど怒り散らしていたのかも判らないだろうし、
ショウタがどうやら『友達』ではなく『兄弟』であったという事実も、
理解できているのかどうかさえ怪しいところだ。
452 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2016/04/18(月) 21:04:14.12 ID:R3zx0t5S0
 しかし今はそれどころではない。一刻も早くショウタを探し出さなくてはならないだろう。
 ショウタたちが始めて花街へと出奔した日、あの夜は満月で夜道も明るかっただろうが、
今日はそれほど月明かりが頼りになるわけではない。都会なら兎も角、こんな山奥の田舎では、
フライボードで夜間移動などしようものならば、木々の合間に落下し怪我をしかねない。
いや、もしかしたら最悪の場合は――、そこまで考え、タカシは首を横に振った。
 最悪の事態を想定してばかりは居られない。兎に角、急がなくてはなるまい。
 万が一ショウタの身になにかあったら――、あったら、どうすると言うのだろう。
タカシは思考の端に引っかかる、とても嫌な異物感に小さく舌打ちをした。
 後悔はしている。心配でもある。
 だが、それはどこから来るものなのだろうか。
 タカシは自分自身が判らなくなってきている。
 ショウタをどうしたいのか、ショウタとどうなりたいのか、
自分のことであるのにも関わらず、皆目判らないのだ。
アンドロイドを盗み見れば、彼は時折まばたきをしてタカシを見つめていた。
 仕草は殆ど人間だというのに、彼は人間ではない。
 ここまで人らしくあるのなら、いっそのこと感情があればいいのに、などと馬鹿げたことを思う。
彼らは体験した経験から行動を取ることはあっても、自ら思考することはない。
ユーザーの目には、あたかも思考しているように映るだろうが、それは経験に基づく行動であって、
己の『考え』を反映させているわけではないのである。
パターンにパターンを重ね、本来のプログラムの上に独自のパターンが生成されたため、
パターンとプラグラムに齟齬が生じ異常行動を取るアンドロイドも居るらしいが、
結局のところそれはプログラムとパターンであって、思考しているわけではないとタカシは考えている。
 だが、例えばこのアンドロイドが、心からショウタを愛していたのなら――、
そうすればタカシがここまで思い悩むことはないに違いなかった。
堂々と役目を放棄できる。全てを丸投げすることができる。
 アンドロイドがショウタの身の安全を案じ、そして追いかける。
アンドロイドが意志を持ち、それらの行動をとることができたのならば、タカシは何の心配もせずに済む。
 愛せない、可愛いとも思えない、守らなくてはならないとさえ、思えない。
 それでもショウタにタカシの代替品がいたのなら、きっとあの子供は――、
そこまで考え、タカシは唇を噛み締めた。
453 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2016/04/18(月) 21:05:26.83 ID:R3zx0t5S0
「俺は馬鹿か……ッ」
 アンドロイドが意志を持つことはない。
 ならば、タカシが取るべき行動をひとつだ。
 単なる偽善だ。それは判っている。タカシは悪者になりたくないのだ。
 ショウタを無事確保したところで、彼が素直に帰ってくるとも思えないし、
おそらく彼は、そんなタカシを見透かすだろう。
 悪者になりたくはない。ただ一つ、それだけの感情がタカシを突き動かしていた。
 だが――、追いかけなくてはならないと、タカシは異様な焦燥に駆られながら考えていた。
その焦燥がどこから生じるものなのか、全く判らない。
「お前はシュウを見ていてくれ」
「判りました」
 焦る様子もなく、アンドロイドは命じられたとおりにシュウの手を取り返事をした。
 ――忌々しい。
 アンドロイドは、ショウタの姿がないことを、少しも気にしていない。
 先ほどまで手を繋いでいたショウタが、あれほどまでに思慕をぶつけてきたショウタが、
だっこを強請ったショウタが、ここに居ない。
 その事実を、アンドロイドは露ほども不安に思うことはないのだ。
 この無機質さが嫌いだ。
「シュウに温かい飲み物を。それから、ミユキをシュウに近づかせないでくれ」
「何故ですか?」
「今は理由を話している余裕がない。これは『命令』だ。判るな?」
「……判りました。ミユキ様をシュウ様に近づけることがないよう注意します」
「注意ではない。厳守だ。ただしミユキに危害は加えるな」
「判りました」
 アンドロイドは澄んだ目でタカシを見て返事をした。
またもや舌打ちが漏れる。
 シュウの耳にも届いたかもしれないが、幼い息子に気を使ってやる余裕もない程度に
タカシは焦っていた。
454 : ◆OfJ9ogrNko [saga]:2016/04/18(月) 21:10:14.18 ID:R3zx0t5S0
 ――泣いていた。
 ショウタが、泣いていた。
 おそらくずっと、ショウタはこっそりと泣いていたのだろう。
 泣かせていたのは、大人の都合とタカシのつまらないプライドだ。
「クソ……ッ」
 堪えきれずに悪態を吐く。
 髪をかき回し、そして覚悟を決めて尻のポケットに収めてあった車のキーを握る。
 よし行こう――、そう自分を鼓舞した時だった。
「煩いわねぇ、まったく」
 暢気な女の声が、夜の庭に響く。
 庭に面したリビングの大窓の前、庭に居る二人――、と一体に、
「なにごとなの」と女は不機嫌に尋ねたのだった。
「ミユキ……」
 タカシはぽつりと妻の名を呼ぶ。
 昼寝でもしていたのか、髪が少し乱れている。
 あの騒ぎの中、よく眠れるものだと思う。
 ミユキはショウタに関心がない。
ショウタの中身に用はなかったのだから、それも当たり前のことだろう。
ショウタは『移植されるための生まれてきた』と話していた。
『体』に危害が及びそうになれば狂ったようにその安全を確保しようとする。
それは、ショウタの『器』だけを彼女が欲していたからに違いない。
「お前、ショウタに何を吹き込んでいた」
「……何のことかしら」
 女は一瞬こめかみを震わせて、しかし何事もなかったかのように微笑んだ。不気味な笑顔だ。
「もうすぐ自分は死ぬ、移植の為に生まれてきたと言っていた」
 あら、とミユキは呟き、そして我侭を言う子供に手を焼く母のように眉を顰めた。
「あの子ったら。『内緒の話よ』って約束したのに」
「……なにを考えている」
「なにって?」
「お前は最初から、ショウタを利用するつもりだったのか」
 女児は要らぬと堕胎を繰り返していたミユキの思惑を、タカシは未だに理解できては居ない。
タカシは永遠にミユキのものにならない。なるつもりはない。
もとより愛情などなかったが、溝が深まった今、顔を見るのさえ厭わしい。
「先に私を利用したのは貴方よ。私のことなんて、好きでもなかったくせに」
「――そんなこと、初めから判っていたことだろ」
 その上で、ミユキはタカシとの婚姻を望んだ。子供さえ得られれば言いとさえ言っていたのだ。
 確かにミユキの思慕に気づきながらも利用したのはタカシのほうだ。
だが、それに気づかぬほどミユキとて幼かったわけではないはずだ。
 しかし、今はそんなことで言い争っている場合ではない。
この女が何を考えているのか判らぬが、まずはショウタを見つけねばなるまい。
「――ショウタが居なくなった。帰ってこないつもりだろう」
 先ほどまで悠然と微笑んでいたミユキの表情が、スッと凍りつくのをタカシはハッキリと見た。
「探しに行く」
 どこに、と女の声が尋ねたような気もしたが、
タカシはそれに返事を返すことなく車に乗り込みドアを閉じる。
 タカシは車を発進させながら考えていた。
 ショウタを見つけ出してどうするつもりなのだろう、と。
 ショウタが拒否することも目に見えているし、縦しんば連れ帰ったところで、
ショウタはもう誰にも何も期待せず、心は押しつぶされ乾いたままだろう。
 またタカシも、後悔をしていても、彼を可愛いと思えることはないだろうと確信している。
 タカシにとっても、ショウタにとっても連れ帰る意味はないはずだ。ただひとり、ミユキを除いては。
 ミユキはタカシの脳を移植するつもりらしい。
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