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田井中律誕生日記念SS2016(must was the 2014)
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131 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:03:54.97 ID:Hh3tvLiko
*
8章
未来を名に冠する港の地に、梓は唯とともに来ていた。
今夜、此処みなとみらいで、律とその恋人の逢瀬を見る為に。
コーヒーショップに入る前に、梓はスマートフォンに表示される時刻を確かめた。
液晶には15時4分と表示されている。
律に指定された時刻までは、まだ猶予があった。
アナログ時計ならば、長針を三周は回せるだろう。
だが、それを以って時間に間に合ったと言う事はできない。
律の他には誰とも約束していない事が条件となるからだ。
彼女ならば、出先でも時刻を確認するのに携帯端末は使うまい。
恐らくはアナログ式の腕時計、
仮にデジタルだったとしてもウェアラブル型の端末が手首に嵌まっているはずだ。
梓は確信に近い思いを抱きながら、コーヒーショップに入店する。
「あっ、居た。ムギちゃーん」
入店するや否や店内を見回した唯が、目敏く紬を見付けて呼び掛ける。
手を振る唯に、紬も手を振って応えていた。
その手首には、想像通りにアナログ式の腕時計が嵌められている。
待たせている間、時計の針と店の出入口の間で瞳を往復させてしまっただろうか。
梓は挨拶に代えて謝罪の言葉を口にしながら、紬の席へと近付いてゆく。
「ごめんなさい、遅れてしまって。待ちましたよね?」
132 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:05:05.62 ID:Hh3tvLiko
テーブルには、既に梓と唯の分のコーヒーも用意されていた。
蓋にストローが刺さった容器なので、紬のコーヒーの残量は分からない。
「いいのよ。ちゃんと連絡してくれたじゃない。
それに5分程度、気にしなくていいわ。時間はまだたっぷりあるんだし」
彼女の本心なのだろう。鷹揚に振る舞う紬から、不満な様子は感じられない。
思い返してみても、梓は紬から怒られた事はなかった。
それだけに以前、唯が体型や彼氏の件で律をからかった時、
紬が唯に取った窘める態度には一驚を喫したものである。
「ごめんねぇ。普段乗らない電車だと、乗り換えとか戸惑っちゃてさー」
唯も遅刻には申し訳なく思うのか、紬へと素直に謝っていた。
「分かるわ。私も来る事自体久し振りだし、一人でなんて初めてだったから。
結局、唯ちゃん達は東急から来たの?」
紬の言う通り、東急みなとみらい線みなとみらい駅が、梓達が下車した駅だった。
出口を出てからは、南側の高層ビル群を左手に南西へ向かい歩いている。
そのビル群の中でも、交差点へと突き当たる南端に際立つ高さで聳える建物が、
ここランドマークタワーだった。
交差点を左折した先、梓達が居るコーヒーショップも、
ランドマークタワーの一階の一角を成している。
「うん。ムギちゃんはJRだっけ?海の方?」
頭の中で地図を広げている梓の横で、唯が応答した。
みなとみらい駅の出口同様、ここからでも海は見えない。
海はもう一つ交差点を左折し、みなとみらい駅から高層ビル群を跨いだ道路の側だった。
だが、JRで降りていた紬は、ここに来る途中で海を目にしていただろう。
「ええ、桜木町駅」
133 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:07:27.67 ID:Hh3tvLiko
「私達もそっちを使えば良かったですね」
梓は自省を込めて呟く。
JRから私鉄に乗り換えたのは、地名が冠された駅を利用してみたかったからだ。
お上りさん根性で余分な料金を払い、遅刻までしているのだから世話はない。
結果も、メトロよりは瀟洒な地下鉄である事を確認できたに過ぎなかった。
「でも、二手に分かれてから集合って言うのも、何かのミッションみたいでいいわね。
そっちの首尾はどうだったかしら?なんて」
「へい、みなとみらい駅の先に、中華街がありやした。
ムギちゃん隊長、今度は中華街にも行ってみたいです」
冗談めかして戯れる紬に、唯が本音を織り交ぜながら合わせた。
梓は唯の希望を、電車の中で繰り返し聞かされている。
みなとみらい駅で降りる時も、唯は元町・中華街駅に未練を見せていた。
「唯先輩ったら。色気より食い気なんですね」
呆れる梓に、唯が色を成して論駁してきた。
「色気の方を優先したから、ちゃんとこっちに来たんじゃんかー。
それに、りっちゃん達だって、中華街でご飯食べてたかもしれないよ?
あのまま中華街まで行ってたら、一足早くりっちゃん達を観れたかも」
「何言ってるんですか。自分が食べたいだけのくせに。
大体、遅刻でムギ先輩を待たせておいて、自分達だけ抜け駆けなんて許されませんからね」
梓は腰に手を当て、眦も吊り上げてみせた。
134 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:08:50.55 ID:Hh3tvLiko
「まぁまぁ、梓ちゃん。私は気にしてないわ。
それに、唯ちゃんじゃなくても、中華を意識しちゃうのは無理ないと思うの。
二人も見たのよね?綺麗な装いをしたりっちゃんの画像」
取り成す紬が言い添えた画像の件とは、
律の写真が送られたLINEトークの事で間違いないだろう。
『今日のりっちゃんのファッション』とのメッセージが付されたその画像は、
部活のグループに向けて送信されていた。
冒頭に付されたメッセージに背かず、
チャイナドレスを着た律の画像が五枚貼付されている。
トークを読むに、自分自身で撮影したものらしい。
カメラ視点で映る画像のアングルも、律の言葉通りだと裏付けている。
中華のシンボルであるチャイナドレスを見たから、
唯が中華料理を意識してしまうのも仕方ない事だと紬は言いたかったらしい。
だが、梓はその説に賛同できない。
チャイナドレスを纏った律は、
露出が多いだけでなく身体のラインも浮き彫りになっている。
律の肢体の際どい所が、まるで見せ付けるように強調されて映ったのだ。
この律のチャイナドレス姿から惹起される欲求は、食欲ではなく肉欲の方だろう。
「ええ、見ました。何というか、凄い大胆な恰好をしていましたね。
あれなら、見間違いようがありません」
脱いだら凄い、と律は自称していた。
画像を見た今となっては、それが満更の嘘でもなかったらしいと分かる。
決して豊満な肉体ではなく、寧ろ全体的に小振りで華奢な肢体だ。
ただ、身体のパーツは形が良く、それが薄い生地と露出の多い服の下で晒されている。
撫で回してみたい衝動に駆られる曲線美を、律の肢体は備えていた。
「一目見たら忘れられないもの。りっちゃんたら、彼氏の前だとあんなに大胆なのかしら。
綺麗で色っぽくて、可愛かったわね」
頬を上気させて述べる紬の口上に、梓は顎を引いて肯う。
黄を基調としたチャイナドレスは綺麗で、纏う律の肢体も色香を放っていた。
一方で、律の顔に浮かんでいた表情は、少女のものだった。
目元に朱の筋を走らせながら、はにかんだ笑みを口元に浮かべている。
好きな人の前で少女が背伸びして、綺麗で色っぽい恰好をしているように見えた。
135 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:10:15.76 ID:Hh3tvLiko
「大胆っていうか、あれじゃ変態さんだよねぇ。
特に下なんて、服を突き上げちゃってて目立ち過ぎ。まるで見て欲しいみたいじゃん。
あれってりっちゃんの性癖?それともやっぱり、彼氏の趣味なの?」
──恥ずかしい事もやらせてきたりして。
唯の言葉に触発されるようにして、彼氏を評していた律の言葉が脳裡に蘇る。
サディスティックな彼氏であるらしい。
バンドの大切な仲間である律が、
梓の知らない所で彼氏の好む変態へと染め上げられていたのだろうか。
考えただけで、頭を振りたくなる。
「いいじゃない、似合っていたわ。
あのくらい攻撃的じゃないと、恋愛の戦場では勝ち残れないのね。
それに、羨ましいわ。あんな服が着れて」
自分の体型を見下ろして、紬が溜息を洩らした。
私だって身体のラインが出る服を着てみたいわ。
”お嬢様”ではなく”女の子”としての紬の本音が、拗ねた仕草から漏れ出てくるようだ。
「まぁでも、これだけ目立っていれば、
私達としてはウォッチしやすくて助かりますけどね。
それが目的、って訳じゃないんでしょうけど」
「そうだねぇ、偶然擦れ違っても、あれなら見落としようがないね。
偶然、こっち来ないかなぁ」
そうしたら楽なのに、と唯が顎を手に載せて言う。
逆に梓は、弾かれたように顔を上げていた。
「そう言えば。律先輩って、今どこに居るんでしょうね。
もうこっちに着ているんでしょうか」
梓達は夜を指定されているが、律達の逢瀬がその時刻に始まる訳ではない。
自分達は律が過ごす逢瀬の時間のうち、
切り取られた一部の時間へと触れるに過ぎないのだ。
律は既に横浜へと到着しているかもしれない。
それどころか、彼氏とのデートをさえも始めているかもしれない。
136 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:11:34.41 ID:Hh3tvLiko
「そりゃ着いて、デートを始めているんじゃないの?
今日の部活、丸一日中止にしてたし。
って事は、りっちゃんはあんな恰好しながら、外で自撮りしてたのか。
ますます露出狂じみてきたね」
唯が可笑しそうに口元へと手を添えた。
「部活の中止は唯先輩がくっ付いて来ないように、って警戒もあると思いますよ。
でも確かに、用もない時間から、あんな恰好しませんよね。
もうどっかでデートしているか、こっちに向かってきている可能性は高いでしょうけど」
出掛ける直前に着替えたのだろうと梓は読んでいた。
まさか家でまで、あの恰好で過ごしてはいまい。
律には多感な年頃の弟が居ると聞いているのだから、尚の事だ。
家族、ましてや思春期に差し掛かった弟に破廉恥な姿を見られるくらいなら、
まだ現地で着替える事の方がハードルは低いだろう。
「案外、このランドマークタワーに居たりしてね。
最上階の展望エリアはほら、デートスポットだから」
紬が天井に指を向けて言った。
梓も横浜を訪れる前に、観光名所くらいは予習して来ている。
山下公園や赤レンガ倉庫も律のデート候補として挙がるだろうが、
ランドマークタワー最上階の展望エリアからの絶佳の眺望も恋人達にとって捨て難いものだろう。
137 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:12:44.87 ID:Hh3tvLiko
ただ、それがどれ程有名なスポットだったとしても、
魅力を存分に享受するには満たすべき条件というものがある。
その条件とは、時間であったり天候であったりするのだ。
「ああ。でも、この時間で、この天気ではどうでしょうか。
煌めく夜景は見れませんし、街並みを見通すにも曇っていますし」
「ぷぷぷ、そんなの関係なく居るかもよ?
りっちゃんたら、高い所とか好きそうだし」
澪が居れば、お前が言うなと窘めていただろう。
姉と敬う彼女が居ない時は、自分が手綱を締めなければならない。
梓は使命感を滾らせて、唯と相対して言う。
「律先輩だって、唯先輩には言われたくないと思いますよ。
何なら、上って来ればどうですか?
唯先輩のお頭なら、きっとお気に召すはずですよ」
「いやぁー、私はほら、そこまで馬鹿になれる程、
本気の恋に頭を茹らせてはいないんだよね。
まぁあずにゃんよりは先に、馬鹿になるつもりだけど。
クールに気取ってると置いてかれちゃうよ?」
皮肉を込めた梓の諫言など、唯は気分を害した風も見せずに軽く躱していた。
やはり自分は澪のようにはいかない。
「置いていかれたというなら、私達皆がそうでしょ。
りっちゃんたら、知らない間に先に行ってたものね。
さて、私達も片付けて、そろそろ出ましょうか。今日は勉強させてもらわないといけないわ」
紬がコーヒーの入った容器を手に取った。
梓も唯も倣って手を伸ばす。
今に至るまで、ストローにさえ口を付けていなかった。
忘れていた訳ではない。食指が動かなかっただけだ。
138 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:13:47.75 ID:Hh3tvLiko
喉を鳴らして嚥下した紬が、苦笑交じりに口を開く。
「駄目ね、締まらないわ。やっぱり私達は」
「お茶、ですよね」
紬の声に割り込んだ梓は、後を引き取って言った。
「だよねー」
「ええ」
唯が同調の声を響かせ、紬も我が意を得たりと満足そうに笑んでいた。
偶には紅茶でなくとも構わない。だがコーヒーは違う。
場所代として払ったに過ぎないコーヒーを、梓達はそれ以上無理に飲む事はなかった。
飲み残しと容器を片付けた三人は、そのまま店を後にする。
空調の効いた一室から一転、多湿の暑気が肌に纏わり付いた。
「やっと冷房から解放されたよ。効かせ過ぎ、エコと私の敵だよねぇ」
冷房を嫌う唯の声が、夏の空気の中を弾んでいく。
夏に怯んでなどいられない。
唯に触発されるように、梓は背筋を伸ばした。
.
139 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:14:53.01 ID:Hh3tvLiko
出たばかりのランドマークタワーを左方に沿って歩きながら、梓は頭上を見上げた。
曇天の空へと繋がっているような高層ビルを、再び眼中に収める。
「でも確かに、高層階からの景色は壮観でしょうね。
展望エリア以外だと、やっぱりオフィスとかの入居が多いんですかね」
「そうみたいね。でも低層階にはショッピングエリアもあったはずよ。
後はホテルとかもあるわ。
真中くらいの階層にもあったけど、
高層階、それも展望エリアの直下くらいまでの所にもあったかしら」
梓は質問ではなく話題を振ったに過ぎなかったが、
同調に留まらない回答を紬が返してくれた。
唯も感心したらしく、丸くした目を紬に向けている。
「ムギちゃん、詳しいねー。
そういえば、来た事あるんだっけ?」
「ええ、家族と一緒に、ここは二度くらいかしら。
オフィスフロアには勿論足を踏み入れていないし、
泊まったホテルもランドマークタワー内じゃないんだけどね。
でもここでショッピングくらいはしたわ」
「展望台は?そこからの景色、眺めてみたの?」
梓も気になっていた事を、唯が訊いてくれた。
「ええ。とは言っても、子供の頃の話よ。
夜遅くなる訳にはいかず、夕方くらいだったから、
夜景を堪能するにはベストのシチュエーションではなかったわ。
いえ、雨天じゃなかっただけ、マシと思うべきね」
140 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:16:16.77 ID:Hh3tvLiko
「時間は兎も角、天気だけは選べませんからね。
子供の頃にこの高さだと、展望台まで行くのも大変だったでしょう。
やっぱり直通エレベーターとかあるんですか?」
高層ビルでは停止する階層ごとにエレベーターが別れている事くらい、
梓とて知っている。
況してや、展望台のように目的がはっきりしているエリアともなれば、
そこにだけ直通するエレベーターが用意されていても違和感はない。
「直通というか、専用のエレベーターね。展望台は有料だから。
そこは今も変わっていないわ」
復習したのよ、と紬が赤い舌を出した。
過去に体験した記憶だけではなく、事前調査もして来ているらしい。
事前調査は梓とて行っているが、
経験がある分だけ紬の方が広く深くこの地に知見を有していた。
「あっ、船が止まってると思ったら、展示用なんだねぇ。
へー、中も入れるんだ」
横断歩道を渡って少し歩いた辺りで、唯が前方を指差して言った。
今もランドマークタワーを左手に歩いているが、
横断して歩道を移れば右手に海が見下ろせる。
その海に浮かぶ帆船へと、唯の視線も指先も向けられていた。
日本丸、と言うのだと、船の名称を紬が教えてくれた。
「展示用の船で、動いてはいないんですね。
まぁ、こんなビル街の近くまで、船が航行したりはしないですよね」
「いえ、遊覧目的のクルーザーや、宴会用途の屋形船なら走っているわ。
この向こう側、汽車道の辺りね。りっちゃん達に指定された場所から見えるはずよ」
言いながら、紬が指を日本丸の側面へと向けた。
今は船と平行して歩いているが、この先では右折して橋を渡る事になっている。
その先に、ウォッチスポットとして指定されたワールドポーターズがあるのだ。
そこからなら、紬の言う船が走る海も見渡せるのだろう。
141 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:17:57.13 ID:Hh3tvLiko
「りっちゃん達、お船に乗って登場したりしてね。
でもクルーザーや屋形船じゃねぇ。
きっとこういう船だったら、りっちゃんタイタニックとかやったよ。間違いないね」
唯が鼻息を荒げるが、梓に言わせれば当の唯もそのポーズを取りそうだった。
今思い付いたイメージではない。
前に合宿で海へと行った時に、
クルーザーの上でタイタニックのポーズを取る唯と律の姿が梓の脳裡に巡っている。
それは想像でしかなかったものの、少なくとも梓は唯をそういう役回りだと見立てていた。
「タイタニックかー、憧れよねー。
りっちゃんたら、映画みたいなデートにしたいって言ってたし」
恋愛映画の名作であるタイタニックに、紬は憧憬を抱いているらしい。
船の舳先に両手を広げて立つローズと、それを支えるジャック。
あの有名すぎるポーズには、紬のみならず律も憧れているのだろうか。
「乙女だねー、ムギちゃんもりっちゃんも」
唯が肩を竦める頃には、ランドマークタワーも帆船日本丸も後方に位置していた。
代わって左手にはクイーンズタワーが聳え、右手側には遊園地らしき一角が覗けている。
そして前方に、右折するポイントである国際橋が見えてきていた。
「唯先輩も見習って、少しは乙女らしく振る舞うべきです。
唯先輩は即物的過ぎるんですよ」
「えー、そんな事ないよー」
当の国際橋までの距離も、唯と論駁を重ねているうちに終わっていた。
右折して橋を渡る頃には、歩道の右手に隣接する遊園地へと唯の興味は移っている。
コスモワールドと言うのだと、またも紬が教えてくれた。
唯の一定しない話題に、紬も梓も慣れている。
そしてコスモワールドを通過した先、
横断歩道の向かいに目的地であるワールドポーターズが見えていた。
142 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:19:14.69 ID:Hh3tvLiko
「おおっ」
横断歩道で歩行者用の信号が青に変わるまで待っていると、
唯が不意の発声で梓達の注意を引いてきた。
目を向けると、唯は興奮しながら道路の向こう側を指差している。
「あれ見てよ、あれっ。カップヌードルミュージアムだって」
「ああ、そうですか」
梓は淡白に答え、喚き立てる唯から視線を逸らした。
食べる事ばかりに興味が向く姿は、乙女から程遠い。
即物的との評価を唯は言下に否定していたが、
態度は言葉よりも正直に彼女の本性を表していた。
「あーっ。あずにゃん何それぇ。食べ物に興味がないって言うの?
そんなだから、あずにゃんは色々とちっちゃいままなんだよ」
相手にされていない事に腹を立てたらしく、唯が口を尖らせながら貶してくる。
聞き捨てならない言葉に、梓も色を成して応じた。
「なっ。大きければいい訳じゃないって、律先輩にも言われたじゃないですか。
大体、唯先輩は食べる事ばっかりなんです。
横浜まで来てそんなのばっかりだと、
今度は、食い意地が張ってる、とか律先輩に言われちゃいますよ」
「むむっ、それは言われてそうだねぇ」
唯は腕を組み、眉間に皺を寄せて唸った。
「そうね。私も摘み食いの事がバレたら、言われちゃうかも」
「摘み食い?」
143 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[saga]:2016/08/12(金) 21:20:10.77 ID:Hh3tvLiko
何の事?と、紬の言葉を反復した唯が問い掛けている。
紬は曖昧な笑みを浮かべただけで答えなかったが、梓には既知の話だった。
ティータイム用の茶請けを摘み食いする紬に、偶然にも出会してしまった事がある。
実際の所は、紬が食べている場面を直接目にした訳ではない。
だが、梓の出現に慌てている紬を不審に思って問い質した所、
摘み食いの事実を白状されたのだった。
紬が隠れて摘み食いしていると可愛く思え、唯が食べ物に執着していると卑しく思える。
口に出せば唯がまた文句を言うに違いないので、気付いても梓は黙っていた。
恥じらいや気品の違いが齎す差異だと教えた所で、唯が自省する事はないだろうから。
「ほら、前見て下さい。信号が変わりますよ」
代わりに、信号が青に変わる事を告げてやった。
信号が変わる兆しは、自動車の流れを見ていれば分かる。
それでも律に恋人が居る予兆を感じ取る事は出来なかった。
自分達のうち、澪を含めた誰一人も、だ。
横断歩道を渡り終えた直後に、ワールドポーターズの入口が構えている。
幾つもある入口の一つであり、そしてまた、
施設内のウォッチスポットへ向かう道順も複数あるのだろう。
辿る全ての先で同じ解答の用意された阿弥陀籤のようだと、梓は思った。
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