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少女「それは儚く消える雪のように」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 20:59:32.40 ID:WO2eriwB0
オリジナルのロボット系、短編小説です。

ある程度の長さがあるので、数日に分けて投下させていただきます。

お付き合いいただければ幸いです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1329739172(SS-Wikiでのこのスレの編集者を募集中!)
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第五十九回.知ったことのない回26日17時 @ 2024/05/10(金) 09:18:01.97 ID:r6QKpuBn0
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ポケモンSS 安価とコンマで目指せポケモンマスター part13 @ 2024/05/09(木) 23:08:00.49 ID:0uP1dlMh0
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今際の際際で踊りましょう @ 2024/05/09(木) 22:47:24.61 ID:wmUrmXhL0
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誰かの体温と同じになりたかったんです @ 2024/05/09(木) 21:39:23.50 ID:3e68qZdU0
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A Day in the Life of Mika 1 @ 2024/05/09(木) 00:00:13.38 ID:/ef1g8CWO
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真神煉獄刹 @ 2024/05/08(水) 10:15:05.75 ID:3H4k6c/jo
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愛が一層メロウ @ 2024/05/08(水) 03:54:20.22 ID:g+5icL7To
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2 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:02:31.06 ID:WO2eriwB0
俺が、トレーナーになったのは本当に偶然の成り行き上のことだった。

大学で精神医学を専攻していた時に知り合った教授の関係で紹介された仕事。
正確に言うと軍事関連の仕事だった、それは。

世間一般上ではトレーナー、または皮肉って恋愛代行者と呼ぶものもいる。

それはそうだろう。
この時代、人々は特に結婚などという昔の慣習に従わなくても、
欲しいDNAを購入して掛け合わせ、好きな子供を得ることができる。
3 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:03:40.28 ID:WO2eriwB0
そこには性別なんて関係ないし、
生まれてくる人間は皆一様にホスピタルという機械施設が故郷だ。

恋愛、そんな過去の文献にしか乗っていないような古ぼけた人間の非合理的感情なんて、
今ではカビが生えたものとしか思われていないし、実際俺もそう思っていた。

所詮生きていくのは、皆一人だ。

誰しもが誰しも、相手の心を理解できるわけではないし、
カケラでも理解できているという保証なんて何処にもない。

だからそこに答えを求めることは不毛だし、何より生きていく上でその必要性がない。
4 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:04:44.18 ID:WO2eriwB0
だから、トレーナーは恋愛代行者と呼ばれているのだろう。

およそ三百年程前に比べれば、この世界は驚くほど機械に支配されたと、
古いコンピューターの情報はそう言う。

まぁ、俺は産まれてきてから今に至るまでの二十六年間、
ずっとその間に挟まれて育ってきたわけだから特には感じないが。

いずれにせよ今、俺に分かっているのは二つ。

一つは俺はトレーナーであり、この世界になくてはならない人材だということだ。
5 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:05:35.92 ID:WO2eriwB0
不思議なことにこの仕事は、
俺の大学での専攻の路線上だったこともあり特に抵抗はなかった。

周囲はそれを「適正アリ」ととったらしい。

もう一つは、俺がいなければこの世界
……少なくともこの国は滅びてしまうかもしれないという現実感のない事実だけだった。

そう、俺と。そして彼女達がいなければ。

淡々と過ごす俺たちの日常なんて灰みたいに崩れて消える。

それがこの世界。

だから俺はまだ、トレーナーをやっていられるんだと思う。
6 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:06:24.18 ID:WO2eriwB0


いつの頃からだったか、誰がそう呼び始めたのかは分からない。

それは、『死星獣』と呼ばれていた。

死の星の獣、そんな破滅的な名前をつけられている存在。

世界が一つの統一政府に統合されてから数十年。
唐突にそれは現れた。

ある時は海底から。
ある時は地中から。
そして大気圏のはるか上、宇宙から。

出現に統一性は全くなかった。
7 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:08:15.34 ID:WO2eriwB0
そしてそれら異形のモノは、全て全く別の外見特徴を有していた。

たった一つだけ合致すること。
それは人間を殺すということ。

二つだけ分かっていること。

一つは、死星獣には通常の兵器では全く損傷を与えられないということだった。

まるで幻か蜃気楼のようにすり抜けてしまうのだ。

二つは、死星獣が『根』を張った場所は灰になってしまうということ。

それだけだった。

故に死星獣とは呼ばずに灰化獣と呼ぶものもいる。
8 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:09:31.34 ID:WO2eriwB0
どちらにせよ、それは人間を襲ってきた。

明確な理由が分からないまま、
たったの数ヶ月で人類の総人口は約五十分の一まで低下していた。

生き残った人々が出した結論は、一つだった。

どんな手段を使っても死星獣を破壊し、生き延びる。

──そう、どんな手を使っても。

人々は、モラルや価値観の前に生存をとった。

故にまだ人は生きていられるのかもしれない。
9 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:10:23.03 ID:WO2eriwB0


絆(キズナ)は、大きく息を吸ってビルの下を見つめた。

何処までも広がるビル、ビル、ビル。

その中でもひときわ高い高層建築の屋上に彼は立っていた。

灰臭い風が喉と鼻腔を不快にくすぐる。

奴らだ。

あの腐敗と狂気の入り混じった無機的な臭い。

『死星獣、コードD8……市街地区を灰化させながらなおも進行中!』

『当該誘導地点まであと予測演算二分三十秒。エフェッサー、準備はいいか?』

黒の上下で固めたスーツの胸ポケットに下げた小型無線機から、
複数の通信が入り混じって流れてくる。
10 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:12:50.51 ID:WO2eriwB0
──ここは、戦場だ。

それも絶望的なまでの。

人間には恐怖と、圧倒的な駆逐感が与えられる場所。

地雷や、砲弾の炸裂する爆音がまるでゲームの中の世界のように、
途切れ途切れに聞こえてくる。

灰の臭いに混じって、喉を焼きそうな火薬臭がする。

その事実だけが、これが現実であることを示唆する唯一の要素だった。

息を吸って、無線機についているボタンの一つを押す。

そしてまだ若い、兵士というにはあまりにも小奇麗な顔をしている青年は声をあげた。

「こちらはこちらで死星獣を補足次第消去します。皆さんはそろそろ退避してください」
11 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:13:42.51 ID:WO2eriwB0
『了解した。幸運を祈る』

押し殺した声の応答と共に、一方的に無線が切られる。

そして市街地の上空を飛び回っていた細身の戦闘機が六機、
一斉にビルの隙間から空に向かって上昇を始めた。

しかしそのうちの一機だけが方向を変えて他とは別の場所に方向を変える。

そしてその翼に搭載されている機関砲から、
次の瞬間雨あられとビルの向こうに弾丸が発射された。

突き刺さる鉄の狂気により、整ったビル群が吹き飛び、
砕け散り、あたりに爆音と猛烈な砂煙が巻き起こる。

『バカ野郎! 離脱命令が聞こえなかったのか!』
12 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:14:37.95 ID:WO2eriwB0
(新兵が無茶を……)

心の奥で舌打ちをして、強く歯を噛む。

離脱して欲しいと言ったのは相手を気遣ってのことではない。

彼らの兵器は役に立たないということを遠まわしに言ったに過ぎないのだ。

おそらくそれに憤慨した新米兵士が独断で動いたのだろう。

無線から響く隊長と思われる人物の怒鳴り声を耳の端に受けながら、
絆は砂煙から目を逸らした。

──あの戦闘機は、もう駄目だ。

予測ではなく、事実。
13 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:15:42.23 ID:WO2eriwB0
そう思った時、霧のように砂煙が晴れた。

そして瓦礫と化したビル群の合間を滑るようにして異形の物体がゆっくりとその体躯を表す。

死星獣だった。

今回の個体は異常なまでに巨大だ。

目測でも二十……いや、三十メートル近くはあるだろうか。

まるで何と言うのか、そう。
適当な語句を探すことが出来ないがアメーバと言えば一番近いだろうか。

怪獣映画に出てきそうなグロテスクすぎるその化け物は、
吐き気を催す光沢を発揮しながら前後運動を繰り返し、前に進んでいた。
14 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:16:44.11 ID:WO2eriwB0
攻撃による損傷はカケラも見られない。

それにも増して異様なのは、その巨大なアメーバが七色の、
虹の色をしていることだった。

頭と思われる部分から尻尾の部分まで、
綺麗に水晶のように透き通りながらぬめった体躯を震わせている。

逃げろ。
そう叫ぶ暇もなかった。

死星獣の背中に当たる部分から、
アメーバ状の体が一部分だけ槍のように伸びて鋼鉄の戦闘機を易々と貫通する。

しかし突き刺されたそれは爆散するでもなく、数秒後
……まるで超高熱に晒されたかのようにどろりととけた。

そして垂れ下がる端から細かい、砂色の灰となって空中に散っていく。
15 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:17:35.91 ID:WO2eriwB0
「離脱してください!」

殆ど叫ぶように、絆は無線に向かって怒鳴っていた。

数秒間の間をおいて、かすかな歯軋りの音と共に

『……了解』

という隊長の声が響く。

巨大アメーバは背中から突き出た槍を元に戻すと、
再びこちらに向かって動き始めた。

立ち並ぶビルなんて目に留めてもいない移動だった。

それはそうだ。化け物が触れた部分はなぎ倒されてなどいない。
踏み潰されてもいない。
16 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:18:34.69 ID:WO2eriwB0
ただ先ほどの戦闘機のように、静かに、
ゆっくりと灰になって空気に散っていくだけだったのだから。

ナメクジが通った後はそれが分泌する粘液が残される。

本質的には全く違うが、イメージでは似たようなものだ。

通った後に何もない、ただの灰の道を広げながら怪物が向かってくる。

普通ならパニックに陥り何とか逃げ出そうとするものなのだろう。

だが絆にとって、そのような光景はあまりに何度も体験しすぎているものだった。

青年は息を吸うと表情を引き締め、後ろを向いた。

ビルの頂上には彼しか立っている人間はいない。
17 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:19:28.52 ID:WO2eriwB0
しかし他に、広いそのスペースを半分以上も覆い隠す機械が設置されていた。

まるで象のような白い流線型のフォルムを太陽に光に煌かせている。

外見的には戦車に近い。

だが特徴的だったのは、砲身が中央に人間の大人大のものが一つ、
そして四方八方、いたるところにつけられているということだった。

その機械の頂上にあたる部分に青いクリスタル素材で覆われた操縦席がある。

そこには絆よりも十歳以上幼そうな女の子がゆったりと腰を下ろしていた。

白い簡素な病院服を着ている彼女の腕や足、果てにはこめかみには
操縦席の壁から伸びているコードの先端が、点滴の針のように無数に突き刺さっている。
18 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:20:46.03 ID:WO2eriwB0
絆は息を吸うと巨大な砲身を登り、
少女が入っている部屋を覆うクリア素材を指先で軽く弾いた。

途端に音叉を叩いたかのような静かな音色が反響し、女の子は目を開けた。

「雪(ユキ)、死星獣が来てるんだ。またやってくれるか?」

しばらくの沈黙。
そして雪と呼ばれた少女は大きい目を細めてニッコリと笑った。

『絆がそう言うんなら、いいよ』

壁面に設置されているスピーカーから細い、蚊の鳴くような声が響いてくる。
19 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:21:34.37 ID:WO2eriwB0
『帰ったら……』

「……ああ」

微笑む彼女に対し、俺は頷いてみせた。

「一緒に、アイス食べような」

『うん』

また、笑顔。

絆は、雪が入っている操縦席の背後に設置されているボタンを操作した。

するとその場所がシェルターのハッチのように開き、中にまた別の操縦席が現れる。

体を滑り込ませてシートに腰を下ろすと、
自動的に雪のものと同じようにクリア素材が機械内部から出てきて上を覆った。
20 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:24:01.82 ID:WO2eriwB0
<チャンバー内、規定加圧クリア。
エネルギー抽出ゲイン全てオールライン。バーストを開始できます>

壁のスピーカーから管理AI、つまり機械の音声が、
現在二人が乗っている機動戦車『月光王』の状態を告げる。

絆は飛行機の操縦席のような周りを見回し、
慣れた手つきで計器類を操作しながら口を開いた。

「エネルギー抽出開始。座標点を割り出し後全てを最適化、
エンクトラルラインの起動計算をマニュアルに。全ての設定をニュートラル」

<了解。エネルギー抽出、開始します>

AIの声と共に、前部に値する雪の操縦席を覆うクリア素材が段々と金色に輝き始めた。
21 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:25:04.03 ID:WO2eriwB0
それに応じてスピーカーから流れてくる彼女の吐息が苦しそうに荒くなる。

なるべくそれを聞かないようにして、絆は迫り来る死星獣をにらみつけた。

エネルギーを示す計器の一つに設置されているメーターが物凄い勢いで満杯になっていく。

十秒も経たずにAIの声がまた聴こえた。

<エネルギー抽出完了。最適化を開始します。冷却ジェネレーション起動。
コアシステム許容量を八十七倍でオーバーしています>

引き金を握る。照準を合わせる。ただそれだけのこと。

両手で握ったグリップに、
それだけのことなのに何故か手の平から噴出した物凄い量の汗がにじむ。
22 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:25:54.51 ID:WO2eriwB0
<最適化完了。撃てます>

淡白な声。
機械の声。

お前に何が分かる。
お前が何をしてくれる。

「……気様らがいるから……」

思わず呟いていた。目が飛び出さんばかりに見開き、
迫ってくる異形のアメーバを視線で射抜く。

そして絆は、引き金を引いた。
23 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:27:08.99 ID:WO2eriwB0


青年は大きく息を吐いて、顔を両手で覆った。

張り詰めていた緊張が一気に抜けてしまっていた。

毎回終わったあとはこんな空虚な気分になる。

そして同時に、気の休まらない焦燥感を常に感じることになる。

いつも通り「仕事」で市街地に出現した死星獣を撃滅した後、
既に丸一日が経過していた。

物凄く疲れているはずなのに、全く眠れなかった。

それこそ彫像か何かになったかのように、
ずっとここ……手術室の前に張り付いているのだ。
24 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:34:47.07 ID:WO2eriwB0
誰もいない白すぎる廊下。
明るすぎる照明。

全てが嫌味なくらいに、ここは軍の医療施設だ。

そんなところにスーツ姿の自分がいるのはかなり場違いに思える。

設置されている椅子に置いている、
持ってきたハンドバッグ型の小型クーラーボックスを手で弄びながら、
絆は白い蛍光灯を見上げた。

そういえば風呂に入っていない。

事も、朝食を抜いている。

一つため息をついて手術室を見上げる。
25 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:35:36.67 ID:WO2eriwB0
電子掲示板は未だに手術中を示すランプが点灯していた。

もう一度蛍光灯を見上げる。

そこで、昨日の死星獣を破壊した

……自分たちが乗っていた砲台が発射したエネルギーの玉を思い出す。
それもこんな色をしていた。

何か飲み物を買ってくるか、と立ち上がりかけた所で、
こちらに近づいてくる足音を聞き、絆はまたソファーに腰を落ち着けた。
26 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:36:23.84 ID:WO2eriwB0
視線を向けた先にはまた、
彼と同じような黒尽くめのスーツを着た男性が歩いてくる所だった。

こちらは顎に僅かなヒゲを蓄えていて、
絆に比べれば少しばかり年上であるかのような印象を受ける。

そして彼の後ろには、十四、五歳ほどだと思われる金髪の少女がついてきていた。

質素な灰色のワンピースを着ている。

彼女は絆の姿を見るとパッ、と表情を明るく変えて駆け寄ってきた。

「絆!」

愛しそうにそう呼ばれて、胸に飛び込んできた少女を抱き、
彼は苦笑しながらその頭をくしゃくしゃと撫でた。
27 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:39:04.49 ID:WO2eriwB0
「愛(マナ)、どうしたんだ、こんなとこまで」

猫のようにスーツの胸に顔をうずめてくる少女を撫でながら、
絆は近づいてきた男性を見上げた。

人のよさそうな笑みを浮かべながら、彼が肩をすくめる。

「いや、お前に頼まれて預かってたまではいいんだが。
絆はどこだ、絆はどこだって五月蝿くて叶わなくてな。
どうせここにいるだろうと思って連れてきたんだ」

「よくやるよ。お前、軍じゃ俺たちエフェッサーがどう思われてるか知ってるだろ。
能天気なバーリェ連れて、はぐれたらどうすんだ。こいつらなんて慰み者にされちまうぞ」

少しだけ眉をひそめて男性を見上げる。
28 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:40:06.64 ID:WO2eriwB0
「大丈夫だ。こいつらはこいつらなりにちゃんと考えてるよ」

「……お前も負けず劣らず能天気だよな、絃(ゲン)。
おい愛、いつまでくっついてるんだ?」

諦めたように息を吐いて、青年は引っ付いている少女の頭をポンポンと叩いた。

しかし、強く抱きついたまま愛は軽く頭を振っただけだった。

「寂しかったんだろうよ。一週間近くお前さんと来たら連絡もよこさねぇ。
俺のラボは託児所じゃねぇぞ。愛ちゃんに限らず、
他の子も相当不安定になってる。全く俺にも仕事はあるってのに」

呆れたように言われて、黙って絆は愛の小柄な体を抱え上げて自分の膝に座らせた。
29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/02/20(月) 21:41:33.57 ID:SSlalQ2zo
新スレ乙!
これ丁度HPのほうで見てたやつだわwww
30 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:42:05.25 ID:WO2eriwB0
そこで金髪の少女の目が潤んでいることに気づき、
クーラボックスをあけて中から一つ、アイスクリームのカップとスプーンを取り出す。

「ほら泣くな。ちょっと仕事が忙しかっただけだって。
別にお前のことを忘れたわけじゃないよ。アイス食うか?」

泣くな、と指摘されたことが恥ずかしかったのか、
無言のまま少女がこくりと頷き、それを受け取る。

彼女を膝に乗せたまま青年は、絃と言った男性のほうを見た。

「悪いな。他に頼める奴がいなくてさ」

「お前さんの頼みは毎度のことだから気にしちゃいないさ。俺のバーリェも、
お前さんのやたら多いバーリェファミリーに会えるのを楽しみにしてるし。しかし……」

そこで言葉を止め、絃は手術室を見上げた。
31 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:42:40.95 ID:WO2eriwB0
しばらく二人の間を沈黙が包む。

その空気を読めないのか、愛だけは嬉しそうにアイスクリームを口に運んでいた。

「……長いな、今回は前よりも」

ポツリと絃が呟く。

絆は視線を膝の上の少女に落とし、そして軽く唇を噛んだ。

「……ああ」

「今回は、駄目かもしれないな」
32 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:46:04.87 ID:WO2eriwB0
淡々と彼は続けた。

その言葉の意味。

重すぎる言葉。

しかしそれはもう、聞き慣れて、慣れて、慣れすぎてしまったことだった。

「……ああ。そうだな」

口の周りをアイスクリームだらけにしている少女の頭を撫で、淡々と絆はそう呟いた。
33 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:46:55.61 ID:WO2eriwB0


彼女達は、バーリェと呼ばれる。

専門用語をもじったもので、元の意味は「弾丸」だ。

そう、生物的カテゴリー上彼女達は人間ではない。

軍事的に扱うと備品、
それも重要度トリプルAランクの消耗品として、記帳される存在だ。

使用目的は爆撃。

何のことはない、文字通りの意味だ。
34 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:47:49.64 ID:WO2eriwB0
絆や絃達が所属している組織は、
軍の中央組織の中でも相当異例なモノとして存在していた。

主に、対死星獣戦闘に関して運用されるエフェッサーという組織である。

バーリェはそこで製造され、そして使用される。

死星獣に対し、人間の使う武装は役に立たない。

どんな形であれ、結局は無効化されてしまうのだ。

数多の犠牲の上、人間は一つの発見をした。

それは残酷で、しかし彼らが生き延びるためには一番近道で、効果的な方法だった。
35 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:50:06.62 ID:WO2eriwB0
武器の効かない化け物に対し、たった一つだけ効果的な武装があったのだ。

それは、人間の命だった。

人の生体エネルギーに触れると、死星獣は一時的に活動を停止させる。

しかし、化け物の外殻にではない。内側にだ。

その事実を受け、人間が考え出したこと。

それは、バーリェという特殊な力を持ったクローン人間の製造だった。

工場で製造されたそれらは、人間のように自意識を持ち、成長する。

そしてそれらの持つ生体エネルギーを抽出し、
撃ち出す兵器が先日、絆が使ったものだった。
36 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:50:44.95 ID:WO2eriwB0
バーリェには寿命がある。

工場で製造され、出荷された弾丸たちは既に年頃の子供の外見をし、
人工プログラムによる学習を終えている。

しかし、長くて三年。それでなくても生体エネルギーを使い続ければ爆発的に寿命は減っていく。

トレーナーとは、その「弾丸」を管理し最適に保つための職業だった。
37 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:51:26.22 ID:WO2eriwB0


窓から吹き込む澄んだ風を受けて、絆は大きく息をついた。

やたらと広い病室の隅に置かれたベッド。

その上に小柄な少女が、無数の点滴台に囲まれて横たわっている。

安堵の表情を浮かべている彼に、カルテを持った看護婦が近づいてきてそれを差し出した。

「エルパー指数は安定しています。少し体組織の崩壊が見られましたが、
許容範囲でしょう。生体レベルもレベル七十五まで低下していますが、
安定値に持ち越しました。上層に報告しますので、ここにサインをお願いいたします」

スーツの胸ポケットから万年筆を出し、慣れた手つきで彼はカルテにサインを書き込んだ。

小さく頷いて看護婦が絆の顔を見つめる。
38 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:51:59.79 ID:WO2eriwB0
「あの子の名前、何と言いましたか?」

聞かれたことに、意外そうに青年は視線を彼女に向けた。

「型番ですか?」

「いえ、少々気になったもので……」

「雪、です」

区切るように言ってから、彼は大きく息を吸い込んで、吐いた。

「変ですか? バーリェに名前つけるなんて。
俺、こいつらは型番では呼ばないことにしてるんスよ」

自嘲気味に笑って、絆は小さく付け加えた。

「それくらいしか、してやれないんで」
39 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:53:02.53 ID:WO2eriwB0
「変だとは思いませんよ。
あなたみたいにバーリェに対して一生懸命なトレーナーさんは久しぶりに見るもので」

軽く微笑して、看護婦は眠っている少女の方を向いた。

「あの子、手術中に麻酔が効いているはずなのに『絆、絆……』って。
あなたの名前でしょう? よほど、トレーナーさんのことが好きなんだなって思ったんです」

カルテのサインを指されて、彼は肩をすくめて見せた。

「ただの深層意識への刷り込みです。こいつらは工場出るときに、
トレーナーへの好意感情を脳の奥にインプラントされるんですよ。
全く……クローンに人権はないって言っても……」

そこで言葉をとめて、絆は少女のベッドへと近づいた。

看護婦は僅かに表情を落としたが、少しして彼の背中に声をかけた。
40 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:55:29.11 ID:WO2eriwB0
「おかしな話をしてしまいましたね。
この子、検査が終わり次第連れて帰っていただいて大丈夫らしいので、
今日の午後中にはそちらのラボに送れると思います」

「色々とどうも」

「気にしないでください。仕事ですから」

端的に言葉を交わして、彼女は黙って部屋を出ていった。

扉の閉まる音でそれを確認して、絆はベッド脇の椅子に腰を下ろした。

そして眠っている少女──雪の、パサついた白髪を撫でる。

少し見ない間に、少女の肌は乾燥してささくれ立ってしまっていた。

少しだけ迷ったが、やがて青年はトン、と彼女の額を指先でつついた。
41 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:56:12.19 ID:WO2eriwB0
「おい、雪。起きてるか?」

静かに問いかけても答えはない。

もう一度額をつつくと、僅かに呻き声をあげて少女が目を開けた。

彼女の瞳は、白濁して焦点が合わなかった。

盲目。
そう、このバーリェには視力がない。

工場での生産過程でミスが生じた……いわゆる「不良品」だ。

それを譲り受け、自分の保護対象としたのは既に二年以上前のことだった。

見えない目を青年の方に向け、
点滴のチューブがそこかしこに刺さっている腕を上げ、彼女は絆の頬に触れた。

そしてやつれた顔をパッと嬉しそうに輝かせる。
42 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:58:12.67 ID:WO2eriwB0
「あ……おはよう絆」

「おはよう。どこか痛い所はあるか?」

小さく咳き込んだ後に、少女が首を振る。

「……ここは? 私、どうして寝てるの?」

覚えていない。

生体エネルギー抽出の副作用。

使用されたバーリェは、その前後数時間の記憶をなくしてしまう。

「あぁ。検査だ。俺はそろそろラボに戻るけど、
もう少ししたらお医者さんが送ってくれる」

「検査? 私、悪いところなんてどこもないよ」
43 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 21:58:48.13 ID:WO2eriwB0
きょとんとしながら問いかけられて、絆の心がズキンと痛んだ。

まるで誰かに握り締められているかのように、声が詰まる。

毎回のことだ。

どう声をかけたらいいのかが分からずに、ごまかしのために手を上げて彼女の髪を撫でる。

不安げだった瞳の色が、それで安心したのかとろんとしてきた。

「……一応、な。とりあえず何処も具合悪くないんならいいんだ」

慌てて立ち上がろうとして、
膝の上に乗せていた小型のクーラーボックスが床に軽い音を立てて落ちた。

それを耳ざとく聞き置いて、雪が嬉しそうに笑う。
44 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:00:43.53 ID:WO2eriwB0
「あ……」

「……忘れてた。アイス持ってきたんだ。食うか?」

「うん」

息をついて気を取り直し、絆は中からバニラの小カップを取り出して少女に握らせた。

そしてなるべく点滴が負担にならないようにそっと上半身を起こしてやる。

触った少女の体は不自然なほどに白く、細く、そして軽かった。

器用に蓋を取ってひと掬いする彼女。

そして雪はそれを口に運ぼうとして止めた。

「はい、絆」
45 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:01:30.65 ID:WO2eriwB0
囁くように呼びかけられて、アイスの欠片が乗ったスプーンを差し出される。

「口開けて」

青年は僅かに息を呑んで、数秒間だけ視線を逸らした。

だが軽く笑ってそれを口に含む。

「うん、旨い」

「じゃ、私も食べよう」

嬉しそうに笑って、少女は自分の分を掬って口に入れた。
46 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:02:45.46 ID:WO2eriwB0


結局それから病室を出たのは二時間ほど後のことだった。

取りとめのない話をして、ここまで。

正直肉体的にではなく精神的に疲れた。

待っているより、無事を確認して話をしてからが疲れるというのは、
この仕事の不思議な所だ。

担当医に雪を自分のラボまで送ってくれるように頼んで外に出たときには、
既に日は沈みかけていた所だった。

ずっと待っていてくれたらしい弦と、自分の手を引っ張っている金髪の少女、愛。

三人で軍病院の外に出たときに、絆は自分たちに突き刺さる視線を感じ、
絃と自分の間に愛を挟み込む位置に移動した。
47 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:03:31.93 ID:WO2eriwB0
それとなく周囲を見回してみると、軍服を着た警備の兵士が、三人。
不快そうな顔でこちらを見ている。

自分たちではない。幼い少女のことをだ。

その視線に全く気づいていないのか、
手を引きながらはしゃいでいる愛を視線から守るようにして早足で敷地内を出る。

彼女たちは人間ではない。
もっと陰惨な言葉で表現すると家畜に近い。

それか、無機的な消費物。
死星獣を破壊するための生体燃料だ。

そんな人間以下の存在に、軍は劣る。

面白いはずがない。
48 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:06:15.14 ID:WO2eriwB0
僅かに肩を落としながら夕日を背に公道に出る。

そこでタクシーを一台つかまえ、絆は絃に向かって口を開いた。

「悪かったな。わざわざ来てもらって」

「いやいいんだ。俺も雪ちゃんの顔をちょっと見たくなってな」

あごひげをいじりながら彼が返す。

苦笑して絆は、愛の手を彼に握らせた。

「愛、おじさんにラボまで連れてってもらえ。
俺はもう少し帰りが遅くなるから、皆にもそう伝えておいてくれよ」

「えー……絆、一緒に帰らないの?」
49 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:07:25.32 ID:WO2eriwB0
あからさまにガッカリした表情になった少女の頭をポンポンと撫で、
絃が豪快に笑った。

「そう膨れるな。帰りにラボの皆にも、俺とおみやげを買っていってやろう」

宥めながらタクシーに少女を乗せ、絃は一瞬だけ真面目な表情に戻り絆に耳打ちした。

「元老院は新型の実戦投入を考えているようだ。雪ちゃんを遠ざけるなら今しかないぞ」

少しだけ沈黙し、青年は静かにそれに返した。

「……お前も、相当な変わりモノだよ」

「お前さんほどじゃない」
50 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:08:10.70 ID:WO2eriwB0
小さく笑ってタクシーに乗り込むスーツの男。

自動で窓が開き、彼は軽く手を振った。

「じゃ、お前さんのファミリーはラボに全員送っとくよ。
できるだけ早く帰ってくれ」

「絆、早くだよー」

奥から愛の声が聴こえてくる。苦笑してタクシーを見送り、
絆は大きくため息をついた。

「ああ……早く帰れればいいんだがな」

空が燃える色に輝く。

軽く首を振って、彼は夕焼けの空気の中、もう一台タクシーを呼び止めた。
51 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:09:14.25 ID:WO2eriwB0


元老院。それはこの世界が統合政府により支配されてから存在している組織だった。

政府全般に渡っての強力な発言力を持つ機関。

絆たちトレーナーが所属するエフェッサーも、直轄的に元老院支配の組織だった。

死星獣を倒したら、報告をする義務がトレーナーにはある。

それは組織に雇われている身としてはいたし方のないことだし、
仕事だと割り切ってしまえば当たり前のことだ。

だが元老院に向かう廊下を歩く絆の足は重かった。
52 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:10:24.53 ID:WO2eriwB0
周囲は過剰すぎるほどの豪華な、白い壁面に壁画や彫像品の並んでいる所だ。

この国の中央政府別館に存在している、エフェッサーの上層元老院。

壁の脇に、所々銃で武装した兵士が警護で立っている。

なるべくそちらを見ないようにして進み、
やがて彼はオペラステージのように開けた場所に出た。

自分が立っているのは、ステージ側。

観客席にはおびただしい数の……テレビモニターが並んでいた。

絆がステージ中央に到着したのを感知したのか、
それらに、一斉に軽い電子音を立てて電源が入る。
53 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:11:20.50 ID:WO2eriwB0
見回しただけでも二百……三百。

気がおかしくなりそうな非現実の光景に囲まれ、絆は頭を一回、軽く下げた。

電源がついたモニターには砂画面のままのものもあったが、
半分以上に人間の顔が映し出されていた。

画像通信のようにそれらは思い思いに動いている。

そのうちの一つ、白髪を短く刈り込んだ老人が移っているモニターが赤く明滅した。

そしてそこからしわがれた声が流れ出す。

『エフェッサー第七課、ナンバー九十、絆か。遅かったではないか』

「申し訳ありません。バーリェの調整に少々時間を有しておりました」

『よい。西アンシェラン地区に出現した死星獣、
コード七十七撃破の報は既に入っておる。
我々は貴殿の働きを非常に高く評価しているが故、そのようにかしこまる必要はない』
54 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:12:16.77 ID:WO2eriwB0
今度は別のモニターが赤く光り、そこにうつった老人から言葉が流れ出す。

絆はこみ上げてくる不快感をなるだけ前に出さないようにそちらを見上げた。

モニターに移っている顔は、全て老人のものだった。

自分と同じくらいの歳の者は一人もいない。

次に発するべき言葉を捜していると、少し離れた場所の老女が口を開いた。

『して、今回の貴殿の働きを受け、元老院は勲三等を授与することに決定しました。
今回撃破された死星獣のランク的分析と、
貴殿の調整したアタックエンジュランデバイスの攻撃力には目を見張るものがあります。
この調子で、これからも励んでください』
55 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:14:23.06 ID:WO2eriwB0
それを聞いた途端、また青年の心がえもいえぬ不快感に覆われた。

理由はない。
理由はないが……思わず否定の言葉を発しようとした自分を、
手を握りこむことで無理矢理に止める。

数秒間沈黙した後、絆は頭を下げて一言だけ答えた。

「ありがとうございます」

『勲三等授与の正式な書類は後日、
エフェッサー第十四本部から通達が行くはずです。
それに伴い、貴殿のラボラトリーへの資金援助、新たなバーリェの補給も検討されています。
詳細は決まり次第、下のものを通じて連絡させましょう』

『時に絆。トレーナーとしての貴殿に新たな任務がある』

今度は別の老人が口を開き、絆は顔を上げてそちらを見た。
56 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:15:01.36 ID:WO2eriwB0
「はい、どのような内容でしょうか」

『アタックエンジュランデバイスのD七〇一タイプの製造が終了した。
モニターとして貴殿のバーリェを一体使用していただきたい』

それを聞いて絆の息が一瞬止まった。気づかれないように額に浮いてきた汗を拭う。

数年前の自分なら、そんなことを特に負にも思わなかっただろう。

しかし今は違った。自分はなんというのだろう
……そう、おかしくなってしまっていた。

普通ではない。
57 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:15:41.55 ID:WO2eriwB0
この世界は、人間と人間の間の関わりが非常に希薄だ。

現に絆もトレーナーになる前はそうだったし、
何処で誰がどうなろうと、知ったことではなかった。

自分がここに生きている。

それだけでいいと思っていた。

それ以外に何を考える必要があるだろうか。
58 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:16:25.62 ID:WO2eriwB0
人は、この世に生まれてから死ぬまでずっと一人だ。

育ての親もある一定時期を越えたら全く干渉してこなくなる。

それは人間は子供を育てることがただ単なる
「義務」であるという理念によるものだし、それが当たり前だ。

この世界では、それが当然のこと。

だから自分が生きていさえすればどうとでもなる。

教育を受け、社会に貢献できる技能を身につけ、淡々と静かに生を送る。

それが人間に許されている唯一絶対の自由であり、真実。

崩れない現実。
59 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:17:21.92 ID:WO2eriwB0
だが、今は違った。

下を向いて、手を握り締める。

『次の実戦で新型の使用をする。それまでに準備をしておいてくれ。以上だ』

先ほどの老人がそういったと同時に、数百のモニターが一斉にブツリと音を立てて切れた。

野球場のように明るかったステージは、たちまち暗がりに覆われる。

少しの間、絆は下を向いて考え込んでいた。

やがてポケットに手を突っ込んで観客席に背を向ける。

歩き出した足は、とても重かった。
60 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:18:56.96 ID:WO2eriwB0


ラボラトリー、通称『ラボ』という場所は、
トレーナー一人一人に支給される、バーリェ用の施設だ。

とは言っても施設内容にある程度トレーナー自身が口を出すことができる。

絆のそれは、都心から少し離れた山の下腹に鎮座していた。

今ではめっきり少なくなってしまった自然の緑。

絆は幼い頃からそれが好きだった。

自然は静かだ。
何も言わない。
しかしそこに存在している。
触れても押しても、何の反応もない淡白なこの世界とは違う。
61 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:20:00.22 ID:WO2eriwB0
だからこのラボをエフェッサー協会に製造してもらう時には、
特にバーリェの少女達のことを考えたたのではなかった。

自分のためだ。
ここが一番落ち着くからだ。
たった、それだけのことだった。

すっかり落ちてしまった日の中、山道をタクシーで運んでもらう。

協会のカードで金を払い、降りた体にひんやりとした空気が刺さってきた。

このあたりにはあまり四季による温度の変化は見られないと言っても、今は冬だ。

夜になるとやはり冷え込む。

足元の砂利を踏みしめ、絆は自分のラボを見上げた。
62 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:23:16.84 ID:WO2eriwB0
外見的にはただの小型なマンションに見えた。

しかし電気も水も、その他必要なものは全て地下から引いてもらっている。

ただの住居に見えるとはいえ、
政府の最重要生体兵器を隔離管理するための『研究施設』なのだ。

一つ、多きくため息をついて歩き出す。

この沈んだ気持ちはどうにもならなかった。

絃が別れ際に言った言葉が脳裏を掠める。

「……新型、か」

呟きながら彼は明るい蛍光灯が点灯している玄関に立った。
63 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:24:12.45 ID:WO2eriwB0
そしてドア脇の電卓のようなパネルのキーをパターンに分けて叩く。

そして口を開いた。

「ドアを開けろ」

<声紋照合完了、ドアを開きます>

壁に取り付けられているスピーカーから機械音声が流れ出し、
自動で静かにドアが開く。

外敵からバーリェを守るために、開いている時間はきっかり五秒。

体を滑り込ませると、また自動でドアが閉まった。

ちなみに内部からは、絆以外開けることは出来ない。
64 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:25:08.36 ID:WO2eriwB0
広い廊下を見回した彼の耳に、
休む間もなくこちらに向けて走ってくる複数の足音が聞こえてきた。

そして避けよう、と考えた途端、猛烈なタックルを喰らって玄関に尻餅をつく。

頭から飛び込んできたのは、愛だった。

「おかえり絆ー」

嬉しそうに抱きつかれて苦笑しながら立ち上がる。

「おう、皆元気にしてたか?」

そう言って周りを見回すと、愛と同じように十四、五歳ほどの外見をした少女が三人、
ニコニコしながらこっちを見ていた。
65 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:26:05.58 ID:WO2eriwB0
「絆さん遅いですよ。雪ちゃんはとっくに到着してるんですよ?」

その中でもひときわ背が高い、
長い黒髪を何個かの束に分けている少女が静かに口を開いた。

咎めるように見上げた彼女の頭を撫でて歩き出す。

「まぁそう言うな、命(ミコト)。協会のおっさんたちに呼び出されててな。
俺が出かけてる間、何か大変なこととかあったか?」

「あったよー。ねぇ?」

ちょこちょこと背後からついてきた残りの二人のうち、
茶色の髪をショートに切っている、ボーイッシュな少女がいたずらっぽく笑って見せた。

そして一番後ろから控えめについてきている、赤髪の、最も背が低い少女と目配せする。
66 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:27:41.88 ID:WO2eriwB0
反応を求められた赤髪の子は、ただニッコリと笑っただけだった。

立ち止まって二人の頭を交互に撫でて、絆は首を傾げた。

「あったって……何がだ、優(ユウ)?」

「えーとね……」

突然真正面から見つめられて、分かりやすいほど正直に、
優と呼ばれたボーイッシュな少女の顔が赤くなった。

そして言おうとしていたことを忘れたのか視線を宙に泳がせる。

そこで赤髪の子が足を踏み出して、小さな手を細かく、胸の前で動かした。

名前は、文(フミ)。

彼女は生まれつき口がきけない。
67 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:28:32.41 ID:WO2eriwB0
『ゲンさんのところで、マナちゃんが外に出ちゃって。
偶然通りかかった人がいい人で助かりました』

苦笑の顔で彼女が手を通して意思を伝えると、
絆はそれを難なく読み取って、
自分にコアラの子供のように抱きついている愛の頭を小さく小突いた。

「こら、出ちゃダメだって言っただろ?」

「あー……うー……文がバラした……」

頬を膨らませて赤髪の子を軽く睨む愛。

そこで命と呼ばれた大人びた少女が軽く肩をすくめて、愛を絆から引き離した。
そして手を繋ぐ。

歩き出した二人について廊下の奥へと移動を始めた所で、命は口を開いた。
68 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:29:20.60 ID:WO2eriwB0
「まぁまぁ。絆さんも。
本当は三日って言ってたのに一週間も留守にして。おあいこですよ」

優しく諭すように笑われて、絆も息を吐いて表情を崩した。

おそらく、愛は自分を探しに出たのだろう。

一歩間違えば大変なことになっていたかもしれない。

だが、この調子だとたっぷりと絃に怒られていたようだ。

もしかしたら自分には内緒にしようと全員で決めていたのかもしれない。

口が軽い優を横目で見て心の中で軽く苦笑する。
69 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:30:08.89 ID:WO2eriwB0
絆のラボには、現在雪を入れて五人のバーリェが同居していた。

普通、トレーナーは一人一体しか持たない。

それは世界で共通のことだし。
二人管理しているだけでも相当珍しい。

それはなぜかというと、
第一の理由は非常に管理に手間がかかるということだった。

外見上は年頃の子供の姿をしていても、
この世に出された彼女たちは、全く世間一般の常識を持ち合わせていない。

知識はコンピュータでプログラムされても、中身は殆ど赤ん坊と一緒だ。
70 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:31:00.75 ID:WO2eriwB0
その中には当然他の個体とは違い、精神的に成長が遅いものもいる。

愛は、その例だった。

思っていることを上手く口に出すことが出来ず、
自分の行動として出してしまう。

彼女のように、それぞれが別々の成長をするバーリェを複数体所持する
ということは非常に困難なことであり、トレーナーは誰もやりたがらないことだ。

だが絆は違った。

そもそもは、単体で暮らさせるよりも
複数で同居させた方が彼女たちの安定に繋がるということを発見したことが発端だった。
71 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:31:50.03 ID:WO2eriwB0
それに伴っての苦労も多くあるが
……今の絆はこっちの方が気に入っていた。

また、バーリェはそれぞれ、固有の生体エネルギーを持っている。

彼女たちの特性によっては死星獣に全くダメージを与えられないこともある。

その敵の特性に合わせて使い分けることができる
……というのも、協会に説明している一つの理由だった。

それは実際事実であったし、
その工夫により他のトレーナーに大きく差をつけて絆が評価されている理由でもある。
72 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:32:35.15 ID:WO2eriwB0
ラボの中は、まるでホテルの高級室のようになっていた。

食堂、遊戯室、寝室、客間と分かれている。

二階建てで、上階部分は絆の仕事部屋になっていた。

寝室は全員共同。

絆も彼女たちと同じ部屋で眠る。

少し歩くと、客間に当たる場所のドアを命が開け、五人はそのまま中に入った。

と、そこで絆の足は止まった。ポカンとして部屋の中を見回す。

「うっわ……」

数秒間沈黙してやっと出てきた言葉がそれだった。
73 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:33:25.89 ID:WO2eriwB0
まぶしくて目がチカチカするほどだ。

「あ、絆。お帰りなさい」

嬉しそうな声に顔を上げると、部屋のソファーに雪が座っていた。

手を小さく振っている。

客間は、今や金や銀の飾り物で一杯になっていた。

ところ構わず壁にピンやテープでくっつけられている。

一応は規則性があるらしく、十字架模様を描いているものもあれば、
サークル形式のものもあった。

「雪と絆が帰ってくるっていうから、皆でやったんだー」

嬉しそうに優が言う。
74 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:34:10.03 ID:WO2eriwB0
そこで初めて、
絆はこれが「クリスマス」のための飾り物だということに気がついてハッとした。

特に子供の頃、そういうことをしたことはなかったが、
宗教関連でそういった行事があることは知っていた。

十二月の二十五日を祝う行事だったはずだ。

今日は十二月二十三日。
明後日に備えているのだろう。

(……後でどんな行事なのか調べておかなきゃな)

心の中で考えをまとめ、困ったような嬉しいような顔を作る。
75 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:34:49.31 ID:WO2eriwB0
おそらく彼女たちに教えたのは絃だ。

彼はそういった宗教上の取り計らいについて詳しい。

お祝い事があると聞いて、おそらく彼女たちに色々吹聴したんだろう。

「そうか。凄いな……これ皆お前たちでやったのか」

部屋の中を埋め尽くすほどの飾り。

よく見れば手作りだ。

一週間、ずっと作っていたのだろう。

自然に笑みがこぼれる。

四人の頭を順繰りに撫でて、絆は座っている雪に近づいた。
76 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:35:21.17 ID:WO2eriwB0
「ただいま。気分はどうだ?」

「命ちゃんが部屋の中のこととか、
色々詳しく教えてくれたから凄くいいよ。絆こそ疲れてない?」

「俺は大丈夫。よし! 帰り道で色々お菓子買ってきたから、みんなで食うか」

ポン、と雪の頭も撫でて彼はにこやかにそう言った。
77 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:36:16.33 ID:WO2eriwB0


自室に戻ってひと息をつく。

もう夜も更け、真夜中になってしまっていた。

壁にかけられた時計を見上げると、既に夜の十二時を回ろうとしている。

本来ならばバーリェは十時前に寝かせることにしているのだが、
久しぶりに──とは言ってもたったの一週間ぶりだが
──絆を見た少女達のテンションは高く、
全員にバーリェの体調維持のために必要な、
膨大な量の薬を飲ませてやっと寝かせたのが今から三十分ほど前。
78 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:37:58.79 ID:WO2eriwB0
しかりつけて、さっさと寝かせることも出来た。

事実、絆は二日間、全く寝ていない。

死星獣の出現反応が確認された地域に雪をつれて向かってから、
肝心の敵が出現する時間が大幅に遅れ、
予定よりもはるかにかかってしまったのだ。

その間もろくに睡眠はとっていないし、
終わったら終わったで雪の安否確認、
上層に報告するための資料作成などで追われていた。
79 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:38:49.41 ID:WO2eriwB0
死星獣が出ない頃は本当に仕事なんてないが、
出たら出たでアンバランスな忙しさ。

それがこの仕事だ。

スーツを脱いで床に放り出し、だらしなく彼は椅子に腰を下ろした。

そこでまた一つ息をつく。

だが考えてみれば、
彼女達がそれだけ喜んでいるという揺ぎ無い事実がそこにあるということは、
確認するまでもなく心の奥で自覚できていた。
80 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:39:37.99 ID:WO2eriwB0
自分にとっては、たったの七日だった。

だが彼女達にとっては、七日ではない。

そのあたりの感覚は未だに詳しくはつかめていないが、
人間の一生を見る価値観と、
動物の一生を見る価値観がその間の関連性に酷似していると言えばいいだろうか。

バーリェの寿命は、多くても三年。

五、六年生きたという例も聞いたことはなくもないが、
殆ど例外に漏れずに、それだけだ。

期間、つまり商品としての使用期限が来れば
……それでなくとも、体内の生体エネルギーを残らず戦闘で使いきってしまえば、
どんなに優秀なバーリェでも簡単に死んでしまう。
81 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:40:45.43 ID:WO2eriwB0
犬猫のペットよりも、彼女達の寿命なんて儚く、
そしてはるかに脆い。

一度大学でバーリェの感じている時間間隔と、
自分たち人間の感じている時間の流れは似て非なるものだと教えられたことがある。

短い時間を生きる者の感覚では
……想像することは出来ないが、
絆が感じている一日の流れを五日、六日以上と感じることもあるらしい。

そのような時間の倒錯の中で彼女達は生きている。

だから自分にしてみればただ一週間留守にしただけのつもりだったが、
彼女達にしてみれば
……絆にとっての一ヶ月ほどの時間感覚に相当するのかもしれない。
82 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:41:34.46 ID:WO2eriwB0
その間、預けていた絃も大変だっただろうなと苦笑して天井を見上げる。

そこで彼は、そんなことを思っている自分が不思議になって少しだけ目を瞑った。

誰かに会えて嬉しい。

誰かがいなければ寂しい。

そんなこと、小さい頃から考えたこともなかった感情だった。

小学校に入る前から、普通子供は親の元を離れて一人暮らしを始める。

親とは言っても、資金提供をする存在だ。

ただそれだけのこと。
国が定めている法律により、
人間は生涯最低一回はDNAを購入し、子供を六歳まで養わなければならない。
83 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:42:27.51 ID:WO2eriwB0
無論優秀な遺伝子が含まれているDNAは価格も高く、
裕福な人間の子供は総じて知能的にも優秀な人材が多い。

だから、絆は自分が
……彼女達のように誰かがいなくて『寂しい』と感じたことなんてなかった。

そう、バーリェを管理し始めるまでは。

この仕事を始めて最も戸惑った所はそれだった。

少しでも自分がいなくなると、彼女達は大騒ぎをする。

不安になって、時には泣き叫び出す子もいる。

今でも完全に理解をすることはできないが
……なんとなく、それが寂しいという不安感情であるということは分かっていた。
84 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:43:08.74 ID:WO2eriwB0
トレーナーに求められる最優先事項は、彼女達バーリェの精神安定だ。

薬でいくらでも制御することは出来るが、
そもそも不完全なクローン体である彼女達は、身体維持以外の薬物投与に非常に弱い。

故に物理的ではなく、精神的に安定させる必要があるのだ。

無理矢理に成長を促進され、
出荷されるためにどこか体や内面的に障害を持っている子が多いのもそのためだ。

絆が管理しているバーリェは現在、五人。

全員ほぼ一年前からここに住んでいる。
85 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:45:33.52 ID:WO2eriwB0
最年長はつい先日に戦闘をしてきた雪という白髪の少女。

既にラボに来てから二年と一ヶ月ほどになる。

最も付き合いが長いのは、この子だ。

普段はあまり喋らないが、他のバーリェに対しての面倒見が非常にいい。

年の割に落ち着いているというのが、彼女の特徴だった。

時には絆よりもはるかに大人びた意見を出すこともある。

そして五人の中で……いや、現在この国で管理されているバーリェの中でも
確実にトップの性能を持っているのも、盲目のこの少女だった。
86 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:46:06.77 ID:WO2eriwB0
正直に言ってしまえば、他の普通のバーリェが彼女がこなしている戦闘に関わったら、
ほぼ半分の期間で使用不能になっているだろう。

それだけ体内に含有している生体エネルギーの純度が高く、総量が多いのだ。

外見的には一番儚く、弱そうに見えるのにそれは不思議なことだった。

バーリェの持つ生体エネルギーとは心の力だと、
非現実的で意味不明なことを言う学者もいるが
……頭から否定することは出来ないと思う時がある。
87 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:46:46.95 ID:WO2eriwB0
次に、年齢で言えば命という黒髪の少女が二番目に当たる。

よく留守にする雪と絆に代わって、
バーリェしかいないときには残りの子の世話をするのがこの子だ。

能力的には砲撃戦用の機体操作に適している。

おしゃべりだが、あまり自分の感情を口にしない。

性格が謙虚なのだ、と絆は認識していた。
88 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:47:30.13 ID:WO2eriwB0
そして最も幼く見えるが、三番目は愛だった。

この子は精神的に発達が少々遅れているために、自分の感情を抑えることが苦手。

白兵戦に特化しているタイプなので、
特に危険な状況で使用されるバーリェゆえあまり戦闘には出していなかった。

残りの二人は、双子だ。

優というボーイッシュな少女と、口がきけない文という子。

二人とも、ここに来てから半年ほどしかたっていない。まだ戦闘に参加したことはなかった。

工場の話によると、二人とも中距離戦の汎用タイプに適しているらしい。
89 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:48:18.09 ID:WO2eriwB0
思い返して、きっかり能力で引き取って管理している自分に僅かに自嘲する。

特に意識をしていないことだったが、
能力が重なっていないのを見るとそれは明白だった。

疲れでぼんやりしてきた頭を振り、
椅子を降りて寝巻きに着替え始める。

特に愛あたりは夜中に起き出した時に、
近くに絆がいないと大騒ぎをする場合がある。

寝ぼけて、どう行動してそうなったのかは未だに分からないが、
階段から転げ落ちたことさえあった。
90 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:51:22.38 ID:WO2eriwB0
だらしなくスーツを床に投げ、
ふらふらしながら階下に降りようと振りかえる。

そこで彼は階段をゆっくりと上がってくる足音を聞いて歩みを止めた。

コンコン、としばらくして扉を叩く音が聞こえる。

歩いていってドアを開けると、
そこには壁の手すりに掴まっている雪の姿があった。

このラボは、彼女のようなケースを想定して
不自由なく歩けるように工夫がしてある。

壁のいたるところに手すりがつけてあったり、
寝室以外は一日中、必要以上に明るいのもその配慮だ。
91 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:52:31.15 ID:WO2eriwB0
「どうした、雪? 薬ちゃんと飲んだか?」

少女の顔を見て、一瞬だけ絆の心臓が凍りついた。

彼女達が飲む薬の中には、睡眠を促すものも入っている。

しかし、繰り返し服用していると効かなくなってくることもある。

段々と適応してきてしまうのだ。

そうなったら、更に強い薬を飲ませるしかなくなってしまう。

そしてそれは寿命の短化に直結する問題だった。

だから開口一番、反射的にそう聞いたのだった。

だが雪は聞かれると苦笑して首を振った。

「違うよ。私、今日は手術の後だから薬は飲まないようにって
先生に言われたって、教えてくれたのは絆だよ?」
92 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:53:09.95 ID:WO2eriwB0
「あ……そ、そうだったか?」

自分で言ったことを忘れてしまうほど疲れているらしい。

家に返ってきた安堵感もあるのだろうか。

流れてきた冷や汗をぬぐって、小さく笑う。

そして彼は少女の小さく細い体を軽々と抱え上げ、ソファーに座らせた。

「そっか。薬飲んでないからな。うん……どっか具合が悪いか?」

「うぅん。何だか今日は凄く気分がいいの。で
も寝れなくて、絆が降りてこないから来てみたの。邪魔だった?」

「そんなことはねぇよ。何か飲むか?」

何故か、彼女のその言葉が嬉しかった。
93 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:53:53.89 ID:WO2eriwB0
理由は自分でもよく分からない。

だが、この小さい少女が自分のところに来たという事実が、
何処となく嬉しかったのだ。

眠気をなるべく出さないようにして、
自室に設置されている大型冷蔵庫に足を向ける。

「じゃあ私、コーラ飲みたいな」

「おいおいまたコーラか? 炭酸ばっか飲んでると骨溶けるぞ」

「嘘ばっかり。酸味料の燐酸で多少の酸化はするけど、コーラで骨は溶けません」

クスクス笑いながら白濁した瞳を向けられ、
絆は肩をすくめて冷蔵庫の扉を開けた。

そしてコーラのボトルからコップに注ぐ。
94 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:54:52.37 ID:WO2eriwB0
それを少女に握らせ、彼は隣に腰を下ろした。

雪の頭を軽く撫でると、彼女のお気に入りのシャンプーの匂いが漂ってきた。

コーラを口に含む彼女を見下ろし、
何処となく先日に駆除した死星獣のことを思い出す。

事実的に言えば、この脆く、
突き飛ばしただけで壊れそうな女の子一人に、アレは吹き飛ばされた。

この小さな女の子に。

こうして見ていると、とてもじゃないが今でも信じることが出来ない。

視線を感じたのか、雪は首を捻って絆のことを見上げてきた。
そして小首をかしげる。

「どうしたの?」

「ン……ああ、いや」
95 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:55:33.43 ID:WO2eriwB0
言葉を濁らせると、少女は大きな目を更に大きく開いて青年の顔を見つめた。

「ね、私覚えてないんだけど、また死星獣を倒したんだよね?」

唐突にそう聞かれ、心の準備をしていなかった絆は息を詰まらせた。

出来ることならその話題には触れずにおきたかったのだ。

今回使用したAAD(アタックエンジェランスデバイス)という、
バーリェのエネルギーを攻撃に変換する兵器は、
トップファイブという超高性能機だった。

逆に言うと、半端な能力を持つバーリェでは起動すら出来ない。

それだけ、あの死星獣は強く、駆除に困難を極めていたのだった。
96 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:56:14.17 ID:WO2eriwB0
事実、絆と雪はほぼ最終的な切り札として召還されていた。

できることなら前に控えていた他のトレーナーが駆除してくれることを祈っていたのだが
……その祈りは無駄に終わってしまった。

二組待機していたトレーナーとバーリェは、一組は飲み込まれて、消滅。

もう一組は有効打撃を与えることが出来ずに撤退。

自分たちは、その上で攻撃を仕掛けた。

それだけ、雪の力は強大だった。

だがそれが示唆する事実はたった一つ。

数値では分からないが
──彼女の寿命は、あとどれくらいなんだろう。
97 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:56:55.16 ID:WO2eriwB0
今は平気そうにしているが、明日には、
いや今すぐにでも呼吸を止めて目を閉じるかもしれない。

その言いようのない、逃げ場のない焦燥感。

あったばかりの頃には感じたこともなかった呪縛を感じているのが、
今の自分だった。

しばらく沈黙して、無理矢理明るい声を作って答える。

この少女は非常に聡く、隠し事をするとかえって傷つけてしまう恐れがあった。

「ああ。よく頑張ったな」

そう答えてやってぐりぐりと髪を撫で付ける。

嬉しいらしく猫のように目を閉じて、彼女は絆の胸に擦り寄ってきた。
98 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:57:31.44 ID:WO2eriwB0
「今回のはどれくらい凄かったの?」

「かなりな。お前じゃなきゃ駆除できないだろうって協会から要請を受けてな」

「ふふ……頑張ったもんね」

軽く笑って少女が目を閉じる。

「でも無事に駆除できてよかったぁ……」

そして安心したかのように大きく息を吐く。絆も微笑んでそれに答えた。

「ああ。お前は強いからな。協会のじいさんたちも褒めてたよ」

だがコーラのカップを持ったまま、少女が首を振る。

「私、あの人たち嫌い」

「そう言うな。まぁ分かんなくもないけど」

少しだけ口ごもって言葉を続ける。
99 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:58:08.08 ID:WO2eriwB0
「もうしばらくは仕事はないと思うから、お前はゆっくりしてろ。
今回凄く頑張ったからな。当分の間戦闘はいいだろ」

「え……?」

絆の言葉に対してきょとんとして雪は目を開けた。

数秒沈黙して控えめに……と言った感じで口を開く。

「私、まだ大丈夫だよ……?」

「無理すんな。今回の戦闘で、十分すぎる程だって」

また頭を撫で付けると、しばらく納得いかないような顔をしていたが、
やがてまた目を閉じてコップを胸に抱く。
100 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:58:47.88 ID:WO2eriwB0
「もうすぐクリスマスだね」

何分か、そのまま沈黙していたので寝たのかと勘違いしていた絆は
立ち上がろうとした腰を無理矢理落ち着かせた。

そして彼女の顔を覗き込む。

「なぁ、そのクリスマスってのは何をする行事なんだ?」

「私も……よくは分からないけど」

戸惑ったように目を開け、視線を宙に彷徨わせた後、雪は言った。

「命ちゃんがね、絃さんから教えてもらったって。
十二月二十五日は……えーと……とにかくお祝いするんだって」
101 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 22:59:33.84 ID:WO2eriwB0
「随分アバウトな行事だな
……まぁ明後日だし、どんなことするのか調べておくよ」

「うん。だけど絆はそんなに気合入れなくてもいいみたいだよ?」

「何で?」

問い返すと、雪は自分でもまだ把握し切れていないのか
自信がなさそうにかすれるような声で続けた。

「何だかね、靴下の中に
……その、欲しいものを書いたカードを入れておくと、
起きたらそれがもらえる行事なんだって。
お祝いちゃんとすると、サンタって人が来てくれるんだって」
102 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:00:26.54 ID:WO2eriwB0
「何だそりゃ」

「わ、私もよくわかんないけど
……でも、命ちゃんは絃さんからそう聞いたって言うし」

言っていることの滅茶苦茶加減に気づいたのか、パッと彼女の頬が赤くなる。

どんな都市伝説を湾曲して誤解しているのか
……心の中でため息をつきながら、絆は少し考えて言った。

「まぁ俺もよく分かってないから、
明日起きたら調べてみる。そのサンタ? っていう奴が誰なのかも判然としないしな」

「お願いだよ? 皆も実はよく分かってないみたいだから……」

そこで絆は、やっと彼女がそのことを言いにきたのだということを理解した。
103 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:01:14.62 ID:WO2eriwB0
雪に比べれば、比較的残りの中では大人びている命も結構精神的には幼い。

だからよく分からない行事に対してノリだけではしゃいでいる子達を見て、
不安になったんだろう。

「ああ。約束だ」

何気なく自分と彼女の小指を絡ませ、何度か上下させた後に
絆は雪の手から空になったコップを受け取った。

それをテーブルに置いて、少女を抱えながら立ち上がる。

「よし、そろそろ眠くなっただろ。寝るぞ」

「うん」
104 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:02:10.00 ID:WO2eriwB0
歩き出した青年にしがみつくようにして、寝巻き姿の少女は微笑んだ。

「絆」

「うん?」

小さく呼びかけられ、階段を降りながら答える。

「何だか怖い」

何げなく発せられた一言だった。

だがその言葉を聞いた途端、思わず足が止まった。

おそらく、この時間まで起きているのはこの子にとって生まれてから初めてのこと。

いつもの戦闘後には、普通に薬物の投与は許されている。

だが今回に限って許されなかったというのは、
手術で使用した麻酔が強力なものに変えられたということ。

それがまだ体内に残っているからだ。
105 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:03:05.23 ID:WO2eriwB0
どう言葉をかけていいのか分からない。

だが──ここで、自分が沈黙しては、この子は何も出来なくなってしまうだろう。

バーリェにとって、トレーナーは絶対であり、そして神に近い存在なのだ。

自分がしゃんとしなければこの子達は生きる指針を失ってしまう。

絆は大きく息を吸って、吐いた。

そして数秒鼓動を整えてからニカッ、と笑う。

「じゃあ今日は俺と一緒に寝るか」
106 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:03:34.25 ID:WO2eriwB0
そう言ってまた階段を降り出す。

視線の端で雪の顔がパッと明るくなったのがはっきりと分かった。

答えずに少女が目を閉じる。

絆は、彼女に気づかれないように軽く
……思っていることを振り払うように首を振った。
107 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:05:57.31 ID:WO2eriwB0


ベッドに倒れこむように転がり、
抱きついてきた雪を潰さないように胸の上に引き寄せた所から、
唐突に記憶は途切れた。

今まで耐えていた疲れが自分のシーツの感触を感じた瞬間、
一気に倒壊した感じだ。

雪が寝付くのを確認もせずに、
落ちるように眠ってしまっていたらしい。

目が覚めた時には完全に朝になってしまっていた。

一瞬、目に飛び込んできた
……開け放しの窓から中天まで昇った太陽の光を理解することが出来ずにポカンと口を開ける。
108 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:06:40.27 ID:WO2eriwB0
数秒間窓の外を見つめ、
そこでやっと絆は自分が昼近くまで眠っていたのだと気づき、慌てて起き上がった。

隣で眠っていたはずの雪の姿はなかった。

他のバーリェのベッドの、全員一様に綺麗にシーツが畳まれている。

彼女達の起床時間は朝の七時。食事は七時半から。

そう決めていたのは他ならぬ絆自身だ。

軽く頭を抱えながら、まだ疲れでふらふらする目を押さえ、
彼は裸足のままベッドから降りた。

壁の時計を見上げると、丁度九時半をさしている。
109 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:07:21.24 ID:WO2eriwB0
日の光を見て昼当たりだと思ったが、
そんなには寝過ごしていなかったらしい。

一週間、死星獣退治のために気を張っていた反動だ。

今は仕事も何もないフリーな状態だということに気がついて
青年は欠伸をしながら息をついた。

食堂の方に向かうと、流しの方か洗い物をしている音がする。

このラボでは、客間と食堂がほぼ一体になっている。

誰か来客があったときに、
手っ取り早くまかないを出せるようにという絆の考案によるものだった。
110 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:08:53.83 ID:WO2eriwB0
接近を感知して自動で開いたドアをくぐると、
壁のいたるところに取り付けられた金銀の飾りの光が目に付き刺さった。

昨日のことを忘れかけていて、それで無理矢理に思い出させられる。

(そういえば調べなきゃな……)

頭の中で反芻しながら広い部屋を見回すと、
少女達ほどもある、巨大なテレビは今日はついていなかった。

いつも絆が寝過ごすと、
これ見よがしといわんばかりに優や文たちがテレビゲームをやっているのだが。

不思議に思って視線をスライドさせると、
彼女達は大きなソファーにひとまとまりになって何かに取り掛かっているところだった。
111 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:10:10.75 ID:WO2eriwB0
少しばかりその作業が気になって、足音を殺して近づく。

「あ、絆だ」

しかし途中で目ざとく優に気づかれ、彼は苦笑しながら頭を掻いた。

彼女の言葉に誘発されるかのように、他の少女達も一斉に振り返る。

丁度円を作るように座っていて、真ん中に雪がいる状態だった。

「おはよう、絆」

「おはよー」

元気に飛び出してきた愛のタックルを軽く受け止め、
片手で彼女の小さい体を、軽々と肩に担ぎ上げる。

そのまま器用に愛は絆の額に手を回した。
112 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:10:52.22 ID:WO2eriwB0
「遅いよ絆、お寝坊ダメって言ってるのに」

抗議するように愛に髪をくしゃくしゃにされながら彼女の頭を撫でる。

「悪い悪い。てか、お前ら今日は目覚まし鳴らさなかっただろ。電池が切れたか?」

「違うよ? 絆が疲れてるみたいだからって、雪が止めたんだよ?」

きょとんとしながら優がそう返してきて、
慌ててそれをさえぎろうとして失敗した雪が顔を赤らめた。

「ご、ごめんね。しばらくお仕事はないって聞いてたから……」

どもりながら謝ってきた少女の隣に座って、しかし絆はニッと笑って見せた。

「気ィ使わせちまったみたいだな。まぁもう元気だから心配すんな。
ん? てゆうかお前ら何やってたんだ?」
113 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:11:42.95 ID:WO2eriwB0
そう聞いて、雪が手に持っていた金色の折り紙を摘み上げる。

所々いびつに折られていた。

怪訝そうにそれを見ている絆の膝をつついて視線を引き寄せ、
文が素早く手を動かして文字を作った。

『クリスマスの飾り。雪ちゃんは作り方知らないから、教えてあげてたんです』

「ああ、そういうことだったのか」

「私、こういうの苦手で……」

上手く出来ていないことを自覚しているのか、もごもごと雪が言うと、
彼女の太ももを軽く叩いて優が元気に言った。

「大丈夫大丈夫。簡単だから。雪でも出来るよ」

「優でも出来るしね」

絆の肩の上で愛がそう言うと、優はジト目で彼女を睨んだ。
114 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:12:34.70 ID:WO2eriwB0
「どーゆうことそれ?」

『大雑把なお姉ちゃんでも出来てるんだから、
丁寧な雪ちゃんに出来ないことはないっていうことだよ』

膨れた彼女の肩を引いて、手話で文が言うと、
優は更に膨れながら床に散らばっていた金紙を手に取った。

「さーどんどん折るよ〜」

「ま、適度に頑張れよ。それよりお前らメシはきちんと食ったのか?」

そう言うと流しの方から足音が近づいてきて、
頭の上から静かな声が投げかけられた。

「あ、おはようございます絆さん。朝食になさいます?」

エプロン姿の命が、洗い物は終わったのか手を布巾で拭いながらこちらを見ていた。
115 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:27:16.71 ID:WO2eriwB0
視線を少し横にずらすと、
食堂の大きなテーブルの上には彼女達の薬いれが出しっぱなしになっていた。

どうやら自分たちで用意して、既に済ませた後らしい。

この命という少女は、さりげなく絆なんかよりも料理が上手かった。

おそらく全員分の食事を作って、そして片付けていたところだったのだろう。

「おはよう。すまねぇな命」

「いえいえ。今スープを温め直しますね」

キッチンに逆戻りした彼女を追う様に、ソファーを離れて食卓に向かう。

椅子に座ると、驚くほど手際よく、トーストやスクランブルエッグが並べられていく。
116 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:28:00.09 ID:WO2eriwB0
コンソメのスープを口につけながらトーストをかじると、
命が近くの椅子に腰を下ろしてきた。

「うん、旨いぞ」

褒めてやり、頭を撫でると嬉しそうに頬を赤らめる。

そして彼女は青年の顔を見上げて言った。

「雪ちゃんから大筋は聞きましたけど
……今回の死星獣は規格外の大きさだったんですね。
一杯軍にも被害が出たって、昨日のニュースでやってました」

「ああ。この所、都心付近の出現する死星獣がますます凶暴化してるような気がする
……協会のじーさんたちも、新型のAADを実戦投入する気満々だしな……」
117 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:28:47.85 ID:WO2eriwB0
何気なく言ってしまって、そこで初めて絆は『しまった』と息を詰まらせた。

案の定、新型の兵器と聞いて命は一瞬きょとんとした後顔色を変えた。

目をキラキラさせながら、身を乗り出して、彼女は声のトーンを落とした。

「新型機が絆さんに配属されるんですか?」

隠しておくつもりだったが……食事による気の緩みでつい出てしまった言葉はもう戻らない。

大きくため息をついて、トーストを皿に置き額を抑える。

実の所、全員のバーリェの中でこの少女の口は一番軽い。

真面目そうな物腰だがそれとは対照的に隠し事というものが出来ない子なのだ。

おそらく黙っていろと言っても一時間後には全員が聞いた内容を全て知っているだろう。
118 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:29:33.37 ID:WO2eriwB0
無駄に予測を一人歩きさせないほうがいいか、
と頭の中で自分を納得させ、絆は言った。

「まだ詳しくは聞いてないがな。今度のAADは、
自動式の二足歩行タイプの甲殻戦車らしい。配属されるとすれば、多分それだろ」

「誰が乗れるんですか?」

間髪をいれずに、命は息を詰まらせて聞いてきた。

他の子たちには聞こえないように。彼女の見つめる目は真剣だった。

そこには、ドス黒い感情も何もない。

ただ純粋な思いそれだけだった。

答えるべきか否か口ごもった彼に、少女は僅かに表情を落として呟くように聞いた。
119 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:30:38.99 ID:WO2eriwB0
「また……雪ちゃんですか?」

すがるような視線。

絆は口の中に残ったトーストのカスを舌で転がしながら、心の中で大きくため息をついた。

複数体、バーリェを管理しているものの宿命とでも言うのだろうか。

最も難しく、そして最も辛い作業。

それがバーリェの選択だった。

当然強い能力を持つバーリェは高性能な機体を動かすことができる。

だが、使用されれば使用されるほど寿命は減っていく。

しかし、彼女達はそれを
──少なくとも絆の認識している限りでは
──全く苦に思っていない。
120 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:32:01.13 ID:WO2eriwB0
それは未だに絆は理解が出来ないし、
理解をしようとしてもそれは不可能なことだった。

工場を出荷される時にコンピュータにより意識の下に植え付けられた感情なのか。

彼女達は自分を……とにかく使ってもらいたがる傾向がある。

そう、他の誰よりも。世界中のどのバーリェよりも。

自分が優れていることを証明したがる。

バーリェの特性の一つとして、
生命維持よりもその自己顕示の感情が優先されるというものがある。

つまり。

使用してもらうこと、それが彼女達の存在意義なのだ。
121 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:32:53.18 ID:WO2eriwB0
使えないバーリェは、存在している意味がない。

彼女達は生まれながらにしてそれを、
心の深く奥の場所に刻み付けられて生まれてくる。

「私、乗りた……」

──乗りたいです。

そう言いかけた命の言葉を、手でやんわりとさえぎる。

そして極めて何でもない風を装って絆は答えた。

「まだどんなのかも分かってないし。
ひょっとしたらお前ら五人全員に配布されるのかもしれない。
ちゃんと詳細が聞かされたら教えてやるから。そんなに焦るな」

言われて、紅潮していた彼女の頬が緩やかにもとの色に戻っていく。
122 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:34:56.31 ID:WO2eriwB0
少し沈黙して、命は黙ってテーブルに目を落とした。

「そ、そうですね……ごめんなさい……」

「それより、お前はクリスマスの飾りとか作らなくてもいいのか?
みんなあっちで必死こいてやってるが」

絆が話題を変えようと親指で雪たちの方を指すと、命は顔を上げて微笑んだ。

「ええ。私は昨日までに随分沢山作りましたから」

「しかし、今まではそんな行事知らなかったのにやたらと一生懸命だな。
サンタとかいう奴がプレゼントをくれるんだろ?」

多分、空想上の神さまか何かなんだろう。

信じる純粋な人間には幸福をくれるとか言う、宗教関連の迷信だと思われる。
123 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:35:43.90 ID:WO2eriwB0
だが命が返してきた反応は意外なものだった。

きょとんとしてこちらを見た後、彼女は口を開いた。

「絆さんは欲しくないんですか? プレゼント」

唐突に聞かれて頭が対応せず、青年はスープにスプーンを突っ込んだ。

そして軽くかき回しながら、言葉を選んでそれに返す。

「お前ら、何か欲しいものがあるのか? 
そんなの俺に言えばある程度なら買ってやれるけど……」

「わかってないですねぇ、絆さん。
プレゼントだから意味があるんじゃないですか。何でも願いが叶うんですよ?」
124 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:36:25.71 ID:WO2eriwB0
わくわくしているのを隠そうともせずに、
彼女は絆の顔を下から覗きあげた。

「それってすごく、すごく素敵なことだと思いませんか?」

その目は、自分がプレゼントをもらえるということを信じて疑っていない目だった。

おそらく彼女自身もクリスマスが何であるかを全く理解していない。

絃に何を言われたのだかはわからないが
……自分の知らない所で厄介なことになっている雰囲気を感じて小さくため息をつく。

何処となくこの行事の趣旨が読めてきた。

昨日、確か寝る前に靴下の中に欲しいものを書いておくと雪が言っていた気がする。

サンタというのが何かは分からないが、
おそらく保護者がそれを見て、欲しいものを用意して置いておくんだろう。
125 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:37:29.00 ID:WO2eriwB0
……常識で考えればそうなる。

何のためかはよく分からないが。

「じゃ、俺も何かお願いしとこうかな」

苦笑しながらそう返すと、命は顔を輝かせて頷いた。

「そうですよ。こんなお得なことはあんまりないです」

「お得って……お前の観点はそれか」

大人のような振る舞いをしていても、やはり中身は子供だ。
126 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:37:57.70 ID:WO2eriwB0
だが……来年の十二月二十五日が彼女達に訪れるのだろうか。

ふとそう思って言葉を止める。

視線をスライドさせ、黄色い声をあげながら工作に取り組んでいるバーリェたちを見る。

(……欲しいもん、か)

出来るだけ叶えてやりたい。

絆はそう思って息を吐いた。
127 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/20(月) 23:44:07.98 ID:WO2eriwB0
お疲れ様です。

本日の更新は以上になります。

引き続き、明日また更新させていただきます。

お付き合いいただけましたら幸いです。
128 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/02/21(火) 01:51:49.85 ID:GX8yaXeDO
乙彼様です!
129 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(静岡県) [sage]:2012/02/21(火) 15:32:48.77 ID:2xmZMPDro
おつ
続きも期待
130 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:20:50.33 ID:mkVHEDB80
こんばんは。

温かいご支援感謝いたします。

続きを投稿させていただきます。
131 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:23:10.63 ID:mkVHEDB80
*

しばらく彼女達の相手をして二階の自室に上がった頃には、
既に昼に差し掛かっていた。

自分が朝食をとった時間は遅かったので、
昼も命に任せてとりあえず雑務を片付けることにしたのだ。

基本的にラボの中にいる間、バーリェの行動に規制は設けていない。

暴飲暴食以外は好きにテレビを見ていてもいいし、
ゲームをしていても構わない。

絆のその管理性を異常だというトレーナーも数多くいたが、
絆にしてみれば彼らの方が異常だった。
132 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:23:59.49 ID:mkVHEDB80
酷いところだと、檻のような場所に管理しているものさえいる。

根本的に……バーリェに人権はないのだ。

だから絆や絃のような、
彼女達を人間扱いするトレーナーはこの世界では異質な存在だし、
珍しいものだ。

それが成り立っているのは彼らが成果を残しているからであり、
優秀なトレーナーだと認められているゆえのことだった。

デスク一杯に並べられたPCのモニターを眺めつつ、
彼はネットワークにアクセスしてクリスマスに関してのことを調べていた。
133 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:25:14.15 ID:mkVHEDB80
既に提出する書類は作成が殆ど終わっている。

どうやら自分の考えているとおりの行事で間違いはないらしい。

二百年ほど前までは活発に行われていたというが
……どうにも上手く想像が出来なかった。

親という存在にプレゼントという贈り物を
もらったことがないということが原因かもしれない。

クリスマスが栄えていた頃の世界は、
まだDNA管理が十分ではないところで、
今よりも親と子供の関係が密接だったと聞く。
134 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:26:07.07 ID:mkVHEDB80
息をついて、背中を伸ばす。

とりあえずは今日
……情報によるとケーキなどを食べてお祝いをするらしい。

何を祝うのかはよく分からない。

宗教関連の行事にはあまり興味がないのだ。

ネットからの通信販売で取り寄せるか
……と、政府関連の組織であるエフェッサー職員の特権を使って、
ウェブサイトから適当な料理を色々注文しておく。

自分たちトレーナーはラボを離れるわけにはいかないため、
殆どの生活に必要なものは組織代行で買うことが出来る。

こうして、ここに座ったまま。
非常に楽だ。
135 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:27:04.03 ID:mkVHEDB80
だが、彼女達が靴下の中に欲しいものを書いて寝るのが、
今日の夜十時ごろ。

明日の朝七時までにはそれを用意しなくてはならない。

オンラインで発注しても、それが都合よく朝まで届くとは限らないだろう。

(……もしかして町まで降りて探さなきゃならんこともあるのか……?)

意外と自分の役割が大変なことに気がついて視線を宙に泳がせる。

基本的に、放任的な絆の管理のせいか、彼のバーリェは我侭に育つ。

あまり怒られないことをいいことに、
常日頃遠慮なくアレが欲しい、コレが欲しいと言ってくる。
136 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:27:46.80 ID:mkVHEDB80
全部という訳にはいかないが、買い与えているのも事実だ。

それを今更
……という感もあったが一応彼女達が何を欲しがるのか考えてみる。

優と文は、まず間違いなくゲーム機やゲームソフトだろう。

テレビを占領してやっているほどだ。

命は漫画本が欲しいとこの前に言っていた気がする。

彼女のベッド脇には物凄い量の本が並べられている。

まぁ……買ってやったのは全部絆なのだが。
137 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:28:47.52 ID:mkVHEDB80
愛はおそらく、食べ物だろう。

あまり彼女に世間一般の知識はないため、
喜びそうな大きいお菓子でも買ってやればいいかもしれない。

雪は……。

何だろう。そこで絆は考えを止めた。

二年近くあの少女と一緒にいるが、
彼女はこれまでに、絆に高額なものを要求したことは一度もなかった。

あえて言うとすれば、アイスクリームが好きだ。
それか、炭酸飲料。

そんな安価な誰にでも自動販売機で買ってこれるようなものしか
要求したことはない。
138 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:29:27.72 ID:mkVHEDB80
普段何をしているかというと、命の持っている本の話を聞いたり、
優達のやっていることを珍しげに聞いていたり。

愛とよく分からない遊びをしていたり。

それだけだ。

それ以外で彼女が我侭を言ったことなんて一度もなかった。

どんなものを欲しいと言ってくるのか
……想像できない分かなり興味がある。

苦笑してデスクに置いておいたコーヒーを口に運ぶ。
139 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:30:27.66 ID:mkVHEDB80
そこで彼は、モニター画面の一部に
メール着信を告げるウィンドウが点滅しているのに気がついた。

そちらに目をやって開こうとした手が止まる。

『高国際防衛庁第三科エフェッサー東中央支部』

政府の上層からだった。

何十かにパスワードがかかっている。

それを数分かかって解除すると、
唐突にメールの内容が画面いっぱいに広がった。

次いで、上司である支部長の低い声が、音声メールで流れ出す。

<伝達だ。明日、二三○四時にターミナルDに来られたし。
貴殿へのADD授与が執り行われる。以上>

簡潔にメッセージは直ぐ途切れた。
140 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:31:26.50 ID:mkVHEDB80
だが、絆はそれよりも画面に広がっている画像に目がひきつけられていた。

その唇が、まるで忌々しいものを見たかのように歪む。

歯を重くきしらせながら、青年は画面に映った設計図を見つめた。

それは、電文によると明日自分に渡される予定の新型兵器の設計図だった。

バーリェのエネルギーを受けて動く、対死星獣用の駆除兵装。

それは、人の形をしていた。

今まで使用していたものは戦車や、
戦闘機型などどれも死星獣のタイプによって変えていた。

しかしこれからは違う。
141 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:32:37.26 ID:mkVHEDB80
どんな状況にも対応できるように、
人型の機動兵器を開発しているという噂は聞いていたが
……こんなにも早く、しかも自分がその試用第一号に選ばれるとは思ってもいなかった。

黙って、その駆除兵器の詳細を読む。

──雪は乗せられない。

それだけはこの瞬間はっきりした。

恐れていたことが現実になったという感じだ。

おそらく上層の元老院は、ほぼ最高の能力を持つ彼女を核として使わせたいんだろう。

だが……そんなことはできない。

その機動兵器、『陽月王』とコードをつけられた機械の巨人に有するエネルギーは、
先日使用した月光王の約二倍。

雪を、使えるわけがなかった。
142 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:33:31.35 ID:mkVHEDB80


クリスマスと言っても、実際のところは絆を始めとした、
言いだしっぺの少女達でさえ何をするのかはよく分かっていないようだった。

とりあえず古い文献に載っていた、ケーキとチキン類、
それと相当量の菓子が夕方に届いたので、それを開封させ食堂に並べさせる。

適当に選んだので相当な量だ。

ダンボール、およそ五箱分
……おそらく食べきることなんて度台不可能なその量を見て、
絆は心の中で困ったため息をついた。

はしゃぐにははしゃぐが、この子達はあまりものを食べない。

それ以前にバーリェは、薬と点滴で体調維持が出来る存在だ。

無理して人間のように食事をとらなくてもいい。
143 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:34:20.26 ID:mkVHEDB80
余った分はエフェッサーの、比較的付き合いのある人に分けるか
……と思いながら、ひとまずは少女達を手伝いつつも用意をしていく。

とりあえずは豪華な風情を出したいらしい。

食べる食べないには関わらず、
手当たり次第に引っ張り出して並べていく彼女達を見ながら、
別段自分が手伝わなくても良いことに気づき、絆は少し距離を置いた。

いずれにせよ、どんな行事なのかは最後まで完全には理解できなかったが
……楽しめればそれでいい。

こんなことは自分が子供の時にはなかったものだ。

いや、今の社会にとってもごくごく少数の人間だろう、
『お祝い事』なんてものをするのは。
144 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:35:35.39 ID:mkVHEDB80
人と人との関わりが希薄になっているこの世界で、
こんな感情を知ることになるなんて不思議なものだ。

結局は単なる豪華な食事……のようになってしまったが、
いつもの夕食の時間に全員が揃って座った時には、もう夜の七時を回っていた。

バーリェにアルコール類は禁物なので、
ひとまずは炭酸系統のビール色をしたものを数点、
グラスについでやる。

自分もこれから出かけるかもしれないので、アルコールはやめておく。

いつもは菓子類を食事の時に食べるのは硬くとめているが、
今回は多めに見ることにした。
145 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:36:28.68 ID:mkVHEDB80
隣に座った雪の食事介助をしながら、
絆は結局の所いつものような食事の様子になっている少女達を苦笑しながら見回した。

おとなしく食べろとはいっているが、いつも途中で優や愛が騒ぎ出す。

他のものの皿から料理を取ったり、逆に絆の皿に乗せてきたり。

その少し豪華な食事が終わったのは、
全員がはしゃいでいたせいもあっていつもの倍近くの時間がかかった。

想像以上にちらばったテーブルを見つめ、片付けようとした命を止める。

「それはいいから、お前ら早く風呂に入ってこい」

軽く手を振りながら、片付け始めた絆を戸惑ったように命は見返してきた。

「いいんですか? 片づけなら私が……」

「気にすんな。今日はサンタって言うのが来るんだろ? 
おまえらも早く寝ないと、そいつは来ないらしいぞ」
146 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:37:15.65 ID:mkVHEDB80
我ながら言っていることが滅茶苦茶だと思うが、
とりあえずそれで五人を風呂場に追い払い、絆は寝室に目をやった。

全員、ベッドの脇に思い思いの靴下を紐やら何やらでぶら下げている。

まだカードは入っていないようだ。

軽く息をついて、絆は食べかけのケーキを口に押し込んだ。

実の所、昼に来たメールの内容が頭を回っていて
食事のことなど殆ど頭の隅に追いやられてしまっていた。

誰を使うか。

それは即急に答えを出さなければならない問題だし、
今にでも新しい死星獣が現れれば直ぐに出撃の命令がかかるかもしれない。

ジュースをあおって、テーブルを見回す。
147 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:37:59.20 ID:mkVHEDB80
食事中は嬉しそうに命の話す漫画や小説の話に聞きいっていたが、
雪の皿に乗った料理は殆ど減っていなかった。

この所尚更、彼女の食欲が落ちてきている気がする。

絆にとって、バーリェの死に直面するのは無論初めてのことではない。

五年前に始めたこの仕事の中で、
既に八人のバーリェがこの世を去っている。

最初の頃は全く苦にも感じなかった。

一番最初のバーリェも、
自分が道具として使用されることに不平を漏らしたことはなかったし、
彼女はそれで満足しているように絆には思えた。
148 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:38:48.47 ID:mkVHEDB80
だが、三人目のバーリェが死んだ時、
何かが彼の中で変わった。

名前は涙(ルイ)という、今の雪よりももっと小さい、
そして更に体の弱い女の子だった。

バーリェも人間のクローン体である為に、無論性別がある。

単に好意感情を誘発するには男性のトレーナーには女性型のバーリェ、
女性のトレーナーには男性型のバーリェを合わせる規則になっているだけだ。

涙は、不思議なバーリェだった。

その頃仕事で一緒に組んでいた、
女性のトレーナーが管理していた男性型バーリェに
……上手く表現することは出来ないが、
ありがちな古い文献の中から引用すると「恋」してしまったらしかった。
149 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:39:38.38 ID:mkVHEDB80
いつでも、何処でもその男性型バーリェの傍にいようとし、
それは絆への好意感情をはるかに越える意思だった。

昔の文献では、男性と女性が一緒になり恋に落ち、
そして結婚するという記録が残っている。

今の社会ではそんなことは不必要な、非効率的なものだ。

子孫を残したいなら科学技術でいくらでも制御できる。

故に、涙のその異常な行動を当時の絆は理解することが出来なかった。

だから離した。
仕事に支障が出るから。
150 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:40:25.53 ID:mkVHEDB80
その結果。

少女は段々と衰弱していき
……最後には自分で立つことも出来なくなってしまった。

どんな薬剤投与も効果がなかった。

そしてバーリェとしての使用が不能になった二日後、
眠るようにその子は死んだ。

それから、絆は女性のトレーナーと仕事で接近することは絶対にしていない。

段々と少女達の心を感じて理解することが出来るようになってきた今考えると、
自分はとてつもなく「残酷」なことをしたんだと覚ろげに思うことが出来る。

一番大切で、守りたいものは涙というバーリェにとって、
絆ではなく別の対象だったのだ。
151 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:41:02.02 ID:mkVHEDB80
そう、今ここに存在している五人のバーリェが
絆に対して向けている感情のように。

どことなく、雪が残している皿の様子と
涙が死んでしまう僅か前の様子が重なって、絆は強く頭を振った。

今でも……その男性型バーリェに会わせてくださいと
懇願してくる少女の目が、頭から離れない。

何故か、忘れることが出来ないのだった。
152 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:41:46.52 ID:mkVHEDB80


絆のラボの風呂は非常に広い。

それは絆自身が入浴好きであるということからもきているし、
何より五人の少女達を一度に入れるには狭くては話にならないのだ。

目の見えない雪は、常に誰かと一緒に入らせるようにしている。

来たばかりの頃は絆が入れていたのだったが、
このごろは嫌がるようになり、今では命に殆どを任せていた。

とは言っても、何か他の子が別のことに熱中していない限りは
五人全員で入るのが定番になっている。

体の大きさで言うと、やはり命が一番大人に近い。

自分よりも一回り小さな雪の背中を流しながら、
彼女は浴槽で水をかけ合って遊んでいる三人に向かって声をあげた。
153 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:42:26.56 ID:mkVHEDB80
「ちょっと皆。また転んで頭打つわよ?」

「実際お風呂で転んだことがあるのは命だけだけどね」

すかさず優に返されて、少女の頬が火のついたように赤くなった。

「わ、私は転んだら痛いよってことを……」

「大丈夫だよ〜私たち命よりも反射神経あるしー」

愛がのんびりと湯に浸かりながら返すと、
命は疲れたように肩を落として、雪の背中をシャワーで流した。

「もう好きにしなさい……雪ちゃんまた痩せた? 
何だか一週間前よりもちっちゃくなったみたい」

「そんなことないよ。命ちゃんが大きくなっただけよ」

苦笑しながら返し、雪は目を瞑ったまま近くのシャワーのグリップを掴んだ。
154 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:43:11.86 ID:mkVHEDB80
「ほら、背中向いて。今度は私が流してあげる」

「うん」

素直に後ろを向いた彼女の背中を、
もう片方の手で掴んだ泡がついたスポンジでたどたどしく擦り始める雪。

しばらくして命が声を落として口を開いた。

「あのね、絆さんから聞いたんだけど……」

「ん? 何を?」

きょとんとして返した彼女に、段々小さくなる声で命は続けた。

「新型……あの、何ていうか……二足歩行の人型戦車なんだって……」

一瞬、雪の手が止まった。

だが直ぐに彼女は命の背中をシャワーで流し、
微笑みながら見えない目で彼女の顔を覗き込んだ。
155 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:44:20.64 ID:mkVHEDB80
「凄いね。今までは戦車とかばっかりだったから。
お人形みたいなのかな?」

「うん。多分漫画とかに出てくるロボットみたいなものだと思うよ? 
多分今まで乗ってきたのよりずっとずっと強いんだと思う」

何が言いたいのか要領を得ない彼女の言葉に、
しかし雪は敏感に反応して慌ててシャワーのグリップを床に置いた。

そして極めて明るい声で、いきなり話題を転換させる。

「次は髪洗おう? 私が最初にやってあげる。
命ちゃんのはどれだっけ?」

聞かれて、少女はバスチェアーに座ったまま体を振り向かせた。

そして壁につけられている風呂用のクローゼットから
二、三本のシャンプー類をとって雪の脇に置く。
156 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:45:08.20 ID:mkVHEDB80
「ゴメンね、お願い。あ、左からだよ」

「分かってるよ。大丈夫」

受け答えて言われたとおりに中身を手に出した雪に、
慌てて命は付け加えた。

「忘れてた、ちょっと待って。シャンプーハット被るから」

大真面目にクローゼットをあさり始める彼女の方を苦笑して顔を向ける雪。

その表情が一瞬沈んで、またすぐに元に戻った。

目に洗剤が入らないようにキッチリスチロール製のカバーを被った命の髪を、
慣れているのか丁寧に洗っていく。

そこで命はぼんやりと口を開いた。

「雪ちゃんは、サンタさんに何をお願いするの?」
157 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:45:53.22 ID:mkVHEDB80
聞かれて、困ったように考え込んだあと、雪は答えた。

「まだ考えてないの。結構急なことだったから。
私まだ帰ってきてから少ししか経ってないし」

「ダメだよ、早く考えなきゃ。
靴下の中に入れれば何でも長いが叶うって絃さんが言ってたの。
でも今日限定なんだよ?」

「でも私、別に欲しいものないし……」

嘘を言っているわけではなかった。

事実、昨日寝る前からずっと考えていたのだが、
少女にとって欲しいものは特になかったのだ。

「ここにいられるだけでいいし……」
158 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:47:39.81 ID:mkVHEDB80
「雪ちゃんは人一倍頑張ってるんだから、
もっと我侭になってもいいと、私は思うけどなぁ」

何となく呟かれて、そこで雪は不思議そうに彼女の後頭部を見つめた。

「我侭……?」

反芻するように呟いて、静かに少女の髪をシャワーでゆすぎ始める。

「一年に一回しかこういう機会はないんだから。
ちゃんと考えておいた方がいいよ」

「うん……そうだね」

生返事を返して、雪は別のシャンプーの中身を手の平にあけた。
159 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:48:35.95 ID:mkVHEDB80


風呂から上がった彼女達に薬を飲ませ、
寝室に送ってから絆は大きく息をついた。

食事後の片付けはいつも命がやっている分、
いざ自分が取り掛かるとなると結構疲れるものがある。

何でも、他の人にカードに書いた内容を見られると願い事が無効になるらしい。

どういう呪いか知らないが、
それぞれ用意していたカードとペンを持って自分のベッドに潜り込んでいった。

ソファーに両足を投げ出して、絆は客間から電気を消した寝室を見つめた。

寝る前に、自分も靴下に何かを書いて入れるようにと、
命に渡されたものが座っている隣に置いてある。

それを手にとって彼は黙って見つめた。
160 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:49:16.05 ID:mkVHEDB80
書けば、願い事が叶う。

どれだけ非現実的で、短絡思考の行事なんだろう。

だが彼女達がそれを本気で信じているのは見ても明らかなことだった。

おそらく絃以外の人間から教えてもらったらそうはいかなかっただろう。

それほどバーリェにとって、トレーナーははるか上の存在なのだ。

もしも願い事が叶うなら、自分は何を願うだろうか。

そのサンタとかいう謎の人物に何をもらいたいのだろうか。

そこで絆は、自分には特に願うものがないことに気がついた。

願望や、望みはある。

だがそれは全て──かなわないことだった。
161 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:50:39.99 ID:mkVHEDB80
決して叶わないことを、誰とも分からないものに願う。

そんなばかばかしいことがあって溜まるか。

息を一つ吐いて、ペンとカードをポケットに突っ込む。

壁を見上げると夜の十時半を回った所だった。

大体彼女達は薬を飲んでから十五分以内に深い眠りにつく。

念のため三十分待っていたのだ。

もうそろそろいいだろうと考えて、彼は寝室に足を向けた。

そして電気は消したまま、寝息を立てている少女達を一人一人確認する。
162 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:53:30.62 ID:mkVHEDB80
昨日の雪は薬を飲んでいなかったために眠れなかったようだが、
今日はきちんと寝息を立てていた。

安堵の息をついて、絆はそれぞれの子たちが枕元に下げている靴下から、
そっとカードを抜き取ってポケットに入れた。

そして食堂に戻って、中身を見ようとソファーに腰を下ろす。

そこで突然、彼の服の胸ポケットに入れてあった携帯端末が細かく振動した。

(こんな時間に電話……?)

怪訝に思いながらも小水晶板を見ると、絃の名前表示があった。

少女達をなるべく起こさないように廊下に出てから着信スイッチを入れる。

そして耳に近づけると、彼の低い声が流れ出した。
163 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:56:26.81 ID:mkVHEDB80
<夜遅くにすまない。寝ていたか?>

「いや、今日はあんたが親切に俺の子たちに教えてくれた
『クリスマス』とやらのせいでまだ寝るわけにはいかないみたいだ」

苦笑しながら返すと、意外そうに少し沈黙してから絃は慌てて答えてきた。

<何だ、あいつら本気にしてたのか。軽い冗談のつもりで言ったんだが……>

「無責任なこと言うなよなホント
……お前のおかげでこれから、
あいつらへのプレゼント買いに行かなきゃいけないぞ、俺は」

<まぁ、そのへんはお前さんの自己責任でやってくれ>

いきなり議論を投げ出され、肩の力が抜ける気がして絆は息を吐いた。
164 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:57:40.50 ID:mkVHEDB80
「よく分からんが、
あいつら喜んでたからチャラでいいよ。で、何の用だ?」

<そうだ、お前さんこれから出かけるなら丁度いい。
街の中央モール、アーダンガーっていう店で少し話さないか?>

唐突に言われて、絆は言葉を止めた。

彼の声音の中に何か重い含みを感じたのだ。

少し考え、簡潔に答える。

「分かった。二十分ほどかかるが」

<構わない。じゃ、待ってるからな>

一方的に言われて、通話が切れる。
165 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 19:59:33.65 ID:mkVHEDB80
絆は携帯端末をポケットに戻して歩き出した。

そしてそのままラボの玄関を通って外に出る。

先ほど建物内の全てのセキュリティ装置は稼動させてきたが、
やはり夜中彼女達を単独で残すのは気がひけた。

一応食堂のテーブルに出かけるという旨は書き置きしてきたが
……出来ることなら早く帰りたい。

絃と話をするなら尚更だ。

車庫を開け、中の車に乗り込む。
166 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:01:42.41 ID:mkVHEDB80
そこで一応確認はしておかなきゃな、
と思いなおし、絆は少女達のカードを出した。

一番上は命のものだった。

今彼女が集めている少女漫画の名前が綺麗な字で書いてある。

だがこれは確か……全てで八十巻超出ているものだ。

無茶な要求にため息をつきながら、
必要経費としてエフェッサー支部のカードで払おうと決める。

愛は予想通りにケーキとかそういったお菓子類の名前がギッシリと書いてあった。

字がとてもじゃないが読めたレベルではないので、
おおよそ欲しいものを意訳してからポケットにしまう。
167 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:02:33.67 ID:mkVHEDB80
優と文は双子よろしく、同じものが書いてあった。

二人で相談して決めたらしい。

そもそも他の人に教えたら無効だと言っていたのは彼女達なんだが、
それを根本から忘れている所からもその浮かれ気味が伺える。

詳しくは分からないが、
新型のゲーム機とゲームソフト数本の名前が書いてあった。

随分と具体的だ。

だが、口の端をほころばせながら雪のカードを見たときに、
エンジンをかけようとしていた絆の手が止まった。

緩んでいた気分が、ハンマーでたたき起こされた感じだった。

しばらく呆然として、点字で表されたそれを見つめる。
168 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:03:32.62 ID:mkVHEDB80
『絆が次の戦闘でも私を使ってくれますように』

整った点字は、ただそれだけの意味を表していた。

気づいた時には、
絆はカードを持っている手がかすかに震えていることに気がついた。

全く、考えていなかったことだった。

予想もしていなかったことだった。

もう、彼女は使わないと決めていた矢先のことだった。

恐怖というのだろうか。
狼狽というのだろうか。

何か分からない、胸の奥がざわめく感覚が絆を包む。

エンジンキーを膝の上に置いて、もう一度雪のカードを見つめる。
169 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:04:18.14 ID:mkVHEDB80
彼女の願い。

それは、『死にたい』ということと同義だった。

どうしたらいいのか分からずに、自然に体が震えてくる。

たっぷり十分間はそれを見つめていただろうか。

やがて絆は、震える手で雪のカードをくしゃりと握りつぶした。

そしてそのまま、ポケットに乱暴に突っ込む。

車庫から飛び出した車は、
僅かにタイヤをスリップさせながら猛スピードでラボを後にした。
170 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:05:10.92 ID:mkVHEDB80


絃が指定した店についたのは、
予想以上に時間がかかって、
それから三十分も経ってからのことだった。

もう直ぐ十一時半を回る。

しかし街中はいまだ明るく、
この中心街の店は営業している場所も多い。

近くの立体駐車場に車を預け、
重く考え込みながら、指定されたファミリーレストランに入る。

普通夜中の話し合いだとバーなどを利用しそうな所だが、
絃の場合に限ってそういうことはなかった。
171 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:05:58.63 ID:mkVHEDB80
店に入ってその理由がはっきりと目に付く。

奥の方の席に、他の客に気兼ねすることなく絃と、
そして彼のバーリェである少女が一緒に腰を下ろしていた。

二人でにこやかに談笑している。

彼は外出の時にバーリェを大体は連れて歩くのだ。

アルコール厳禁中の彼女たちに、酒の匂いはかがせられない。

「悪い、待たせたな」

店員の案内を手で断って、彼らの前に腰を下ろす。

絃は軽く肩をすくめて言った。

「いや俺が無理に呼び出したんだから気にすんな」
172 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:06:50.39 ID:mkVHEDB80
「こんばんは、絆様」

礼儀正しく絃の隣に座っていた少女が頭を下げる。

「元気だったか、桜」

「はい、絆様もお元気そうで何よりです」

「お前、この時間まで起きてていいのか?」

純粋に疑問に思ったことを口に出すと、
絃は大きく笑い声を立てて、隣の桜と呼ばれた少女の肩を引き寄せた。

「桜はもう大人だもんな?」

「はい。全然大丈夫ですよ」

ニコリと笑われ、絆は困ったように鼻を掻いた。
173 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:08:04.72 ID:mkVHEDB80
まぁトレーナーによってバーリェの管理は大きく異なる。

絃には絃のやり方があるのだろう。

店員にコーヒーを注文し、絆は口を開いた。

「それで、どういった用件だ?」

「メールは見ただろう。新型の件だ」

唐突に話を切り出され、
絆は運ばれてきたコーヒーを受け取りつつも、周りに目を走らせた。

それでなくとも、
明らかにバーリェと分かる常識がなさそうな少女がいるのだ。

周りの視線が知らずにこっちに向いているのを肌で感じる。
174 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:08:49.73 ID:mkVHEDB80
「お前の所にも届いてたのか」

「今回運用される新型は一機じゃない。
俺のところとお前の所、二機ずつだ。知らなかったか?」

当然のことのように言われ、絆は頭を掻いてみせた。

「用件伝達書の詳しい所までは読まないんだよ。
スペックには全て目を通したんだがな」

「読めよな……結構重要なことだぞ」

呆れたように返し、絃は手元にあるスープカップを取り上げて口をつけた。

「俺のところからは当然桜が出ることになっているが
……お前さんはどうするのかと思ってさ」

何気なく言われた言葉だが、それは相応の含みをはらんでいた。
175 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:10:20.10 ID:mkVHEDB80
絃のバーリェは桜というこの少女、一人しかいない。

本来この社会では他人のことに口を出すのは
無作法だという一般常識があるが、絃は変わっていた。

何かと周りの世話を焼きたがるのだ。

そんな彼に管理されているバーリェたちは、
皆いつ見ても彼とは友達感覚で接しているように見える。

簡単に言うと非常に仲がよさそうなのだ。

絃の言葉を受けて、控えめにその桜が口を開いた。

「今回の新型機の話は絃様からお聞きしましたが
……少々気になることがございまして」
176 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:11:44.35 ID:mkVHEDB80
「ちょっと来てもらったのは、実は俺が言い出したことじゃないんだ。
桜がな、どうしてもお前に会って直接話をしたいと」

それを聞いて絆は意外そうに少女の事を見返した。

バーリェが普通の人間のように、
対等に対話を希望してくるなんて前代未聞のことだ。

これが絃だから成り立っているんだろうが
……他のトレーナーだったらバーリェの精神状態をまず疑うだろう。

だが見返された桜は少しだけ表情を落としながら続けた。

「雪さんのことなんですが。彼女はやめたほうがいいと私は思うんです」

言われて、絆は思わずドキリとした胸を押さえた。
考えていたことを見事に見透かされた気分だった。
177 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:12:34.89 ID:mkVHEDB80
「……どうして?」

そう聞くと、彼女はテーブルに目を落としながら言った。

「……本来私の立場で絆様にこのようなことを申し上げるのは、
非常に無礼なことだとは自覚しているのですが
……この前戦闘に出られる前に会った、雪さんに触れて感じたんです」

バーリェは、バーリェに触れることで相手の精神状態や
生体エネルギーの様子などを感覚で感じることができるらしい。

絆は五体の少女を管理しているが、
彼女達は滅多にそういうことを言わないので忘れかけていたが、
その事実を思い出して息をつく。

「雪が、どうかしたのかい?」

ゆっくりと噛み締めるように言う。
桜は一つ頷いて答えた。
178 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:13:18.18 ID:mkVHEDB80
「雪さんは、病気にかかっています」

断言されたその言葉の意味を理解することが出来ずに、
数秒間ポカンとする。

そしてやっとコーヒーの香りで意識を持ち直し、
絆は息を突っ返させながら口を開いた。

「何だって?」

「本当ならもっと早くお伝えするべきだったのですが
……雪さんから絆さんには言わないようにと止められていたもので
……申し訳ございません」

深々と頭を下げられ、逆に慌てて青年は言った。

「止められてた? 病気って
……診断では何もない正常状態だって」
179 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:14:08.66 ID:mkVHEDB80
「はっきり言ってやろう。
エフェッサー本部と、元老院のお偉方は次の戦闘で新型の起動テストをする。
これからのバーリェを使用した戦いが一変するかもしれない貴重なテストだ。
失敗は許されない。
だから『最大』の能力を発揮させることが出来るバーリェを使用したいんだ」

「まさか……」

冷静な絃の言葉に、首の底まで蒼くなるのを絆は感じた。

「ああ。上の連中は、雪ちゃんを新型機実験のために使い捨てるつもりだ。
大方お前さんにそれを言ったら出さないで隔離するだろうと思って、
伝達をカットしやがったんだ」

目の前が、真っ暗になった。
180 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:14:49.85 ID:mkVHEDB80
「私は他のバーリェと違って、
生まれつき生体エネルギーの流動率を詳しく感知することが出来ます。
ですから、絆様の他の子たちは多分気づいてないと思うけれど
……転向的なサジェスゲントレベルが
心肺機能の低下に伴って著しくダウンしてるみたいなんです。
雪さんはちゃんと把握してるみたいなんですけど……」

しばらくの間、呆然とコーヒーカップを見つめる。
次いで何処からか対象不明の怒りがわいてきて、
絆は歯を軽く食いしばった。

「……何て奴らだ……ッ」

小声で毒づいた青年を淡白な目で見つめ、重い声で絃は返した。
181 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:15:50.09 ID:mkVHEDB80
「だが、それが常識だ。
バーリェは人間のために使用される運命にある。
不本意なところだがな。
所詮誰しも、自分が生き残れればそれでいいのさ」

いつものように、いつもの笑顔で笑う雪の顔が脳裏に浮かぶ。

ポケットに手を突っ込んで、
絆はくしゃくしゃに丸まった彼女のカードをもう一度強く握りつぶした。

「……わざわざ済まないな。
そんなことに気づかないなんて俺はトレーナー失格かもしれん」

「い、いえ! そんなことは……申し訳ございません。
差し出がましいことをいたしました!」

店中に響き渡るほどの大声で謝りながら、
桜が勢いよく立ち上がって頭を下げる。
182 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:16:34.33 ID:mkVHEDB80
彼女の背中を宥めるようにポンポンと叩きながら、
絃がそれを座らせた。

少し考え込んだ後、絆は言った。

「だが今回の試用では雪は使わない。
それは決めていたことだし、心配しなくても大丈夫だ」

その言葉を待っていたらしく、絃と桜の顔が同時にパッと明るくなった。

詰めていた息を吐き出し、
まるで自分のバーリェのことのように絃は笑いながら少女の頭を撫でた。

「だとよ。良かったな、桜」

「はい!」

何回も自分が留守の時に、絃にはバーリェを預けている。

他人事ではないのだろう。
183 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:17:22.17 ID:mkVHEDB80
少しして嬉しそうな顔で桜が言った。

「バーリェの死因のおよそ八割が、その年齢による心肺機能の低下なんです。
これはよほど詳しい検査をしないと分からないことらしいんですが
……でも、理論的にいくと、人工心肺臓器の移植手術で延命することも出来るはずです。
もちろん、かなり長い間、バーリェとしての使用は出来なくなってしまいますけど……」

「それは本当のことかい?」

思わず聞き返すと、代わりに絃が頷いた。

「ああ。本来バーリェの移植手術なんて、
生命維持の身体機能が弱いこいつらにはできんのだが、
今回みたいに桜がエネルギーの流れで感じ取った内容を元に、
病巣の位置を特定できてれば別だ。あまり負担をかけずに取り組めるはずだ」

だが僅かに表情を落とし、絃は付け加えた。

「元老院が承認すればの話だがな」

その事実を忘れていた。

基本的にバーリェを管理するのはトレーナーだが、
その所有権はエフェッサーの本部、そしてその上に位置する元老院に有する。
184 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:18:03.71 ID:mkVHEDB80
それゆえに彼女達をどうするかは、
最終決定は彼らが降ろさなければどんな機関であれ使用許可は下りない。

答えるべきセリフを思いつけずに、またしばらく沈黙が流れる。

「……しかしどうして、雪ちゃんを使わないことにしたんだ? 
俺はてっきり、あのマシンスペックだと
彼女しか動かすことのできるバーリェはいないと思ったんだが……」

少しして、絃が不思議そうに口を開いた。

それに対して絆は肩をすくめて言った。

「何のために俺が五人も管理してると思ってんだ。
こういう時のためになんだ……元老院は何とか納得させるよ」
185 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:18:45.40 ID:mkVHEDB80
「もし、無理であれば今回は参加するな。
俺もいることだし、無理しなくてもなんとかなる。
授与を棄権すればそれで済む」

頷きのあとに、小声で囁かれて絆は愁眉を開いた。

そして息を吐いて立ち上がる。

「……わざわざありがとう。
とりあえず、雪の様子は俺から見ててもあまりいいもんじゃない。
もう少し考えてみるよ」

「おう。それじゃ、引き止めちまって悪かったな」

そこで絆は、桜の足元に
……何か巨大な贈り物用に包装された箱がおいてあるのに気がついた。
186 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:19:35.26 ID:mkVHEDB80
おそらく……プレゼント。何だかんだ言って、
絃もクリスマスを実施していたらしい。

贈り物が欲しいという対象と買いに来ているのはどうかと思うが……。

テーブルにコーヒー代を置いて、背中を向ける。

ポケットに手を突っ込んで歩き出すと、
少女達の書いたカードが手にあたった。

──病気、だと言った。

正確に言うと病気とは違う、寿命による衰退なんだろうが、
桜から見るとそのような認識になるのだろう。
187 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:20:11.88 ID:mkVHEDB80
それは分かっていた。

実は、雪を手術させれば助かるという事実も知っていた。

だが先ほど絃が言ったとおりに、バーリェの臓器交換手術は、
一歩間違えば紙一重で死なせてしまう諸刃の剣になる。

それでなくとも……絃はあえて触れなかったが、重大な問題があったのだ。

バーリェは人ではない。

人ではないものを『修理』するには、理由が要る。

理由がなければ、壊れるまで使う義務が、自分たちにはある。

だから医療機関が自分に雪の不良を伝えていない状況で、
それを敢行するのは非常に難しいことだった。
188 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:20:58.22 ID:mkVHEDB80
最初は怒りを覚えたが、既に元老院や本部が、
その事実を自分に伏せていたということに対するわだかまりはなかった。

所詮この世界はそんなものだ。

他人の心配より、自分の心配。

そのためには他がどうなろうと知ったことではない。

それは当たり前のことだし、
人間が動物としての生存本能を持ち続ける限りなくならない真実だ。

そのなんともないただの事実が、しかし今はやけに心に重かった。

雪を修理し、延命したとしても結局は兵器に乗せることになってしまう。

手術を敢行させるとしたら、その目的を設定しなければならないからだ。

そしてそれを達成するために行わせる。
物凄い労力とコストをかけて。
189 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:21:34.41 ID:mkVHEDB80
真夜中になって冷え込んできた空間に、
店のドアを開けて出る。そして絆は駐車場に向かった。

雪は、自分に対しては言わないようにと桜に言った……らしい。

優しさ。
おそらくそれが、そういう感情なんだろう。

心配させないように。自分に、余計な気苦労をかけないように。

辛さを押し殺しているんだろう。

そして限界まで自分に使用されて、死ぬ。

それが彼女の幸せなんだろう。
190 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:22:08.33 ID:mkVHEDB80
――そんなことは、幸せなんだろうか?

考えても、考えてもそれはわからないことだった。

バーリェの管理を始めてから必ず打ち当たる命題。

分からない、問い。

死ぬことが幸せなら、今生きている彼女達は一体何なんだろうか?

人間ではないのなら、一体何なんだろうか?

考えても、考えてもそれはわからないことだった。
191 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:22:49.45 ID:mkVHEDB80


結局それからラボに戻ったのは、夜中の二時を回ってのことだった。

主に時間をとらせたのは命の要求だった。

意外と八十巻ほどのマンガ本は多くはなかったが、
それでもダンボールに二箱はある。

大体は二十四時間営業の百貨店で揃ったものだ。

よろよろしながらダンボールをラボに運び込み、
他の子たちへのプレゼントも何とか玄関に入れる。

時間制限で自動で閉まってしまうドアに
四苦八苦しながら作業が終わった時には汗だくになっていた。
192 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:23:24.25 ID:mkVHEDB80
玄関の床に座り込んで、全員分のプレゼントを見回す。

雪に対しては、小さなドレス風のワンピースを何着か買ってきてやっていた。

そういえば彼女は殆ど同じ服しか着ていない。

それか病院服だ。

目が見えないせいか、そういうものにはてんで無頓着なのだ。

彼女の要求は、聞くわけにいかない。

何とかこの新型機テストをやり過ごし、延命手術にこぎつけなければならない。

こんな風にバーリェを生き延びさせたいと思ったのは初めてのことだった。

今までは死んでいく彼女達を、ただ空虚な目で見つめていただけだった。
193 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:24:04.29 ID:mkVHEDB80
だが、雪は違った。

彼女の笑顔を見ると胸が痛いのだった。

それが、自分が殺したバーリェたちへの
贖罪の気持ちから来るのかどうかは分からない。

ただ……絆は、雪に死んで欲しくなかった。

ただ、それだけだった。

寝室に入って、眠っているバーリェたちを確認する。

そしてそっとそれぞれのプレゼントをベッド脇に置いてやる。

だが、雪のベッド脇に大きな衣類の包みを置こうとした時だった。
194 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:25:03.58 ID:mkVHEDB80
「お帰り、絆」

突然囁くように呼びかけられて、絆の動きが止まった。

あまりに驚いたため、
叫び声はあげなかったものの手に持っていた服を床に落としてしまう。

クスクスと笑いながら、雪は上半身を起こして小さく細い体を伸ばした。

起きてたのか、と言おうとした彼の様子を察したのか、
僅かにふらつきながらベッドの上に腰掛け、少女はまた口を開いた。

「……こんな時間にどうしたの? いきなり出てくからびっくりしちゃった」

寝息を立ててはいたが、実際は眠っていなかったらしい。

薬はきちんと区分して渡した。

その事実を電光のように頭の中で確認し、絆は唾を飲み込んだ。

そして勤めて平静を装いながら、いきなり雪の体を抱き上げる。
195 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:25:38.49 ID:mkVHEDB80
「あ、あれ? 絆……?」

不安げに小声で呼びかけた彼女をベッドに寝かせ、
寝巻きの胸元を黙ってめくる。

軽く声をあげて隠そうとした手を押さえ、絆は白い肌に手の平をつけた。

不快感をあらわにしながら、雪が顔を歪める。

手をつけた彼女の胸は、驚くほど熱かった。

黙ってもう一度雪を抱き上げて寝室を出る。

そして彼女をソファーに座らせてから、絆は居間と寝室の間の扉を閉めた。

そこで初めて、彼はもぞもぞと寝巻きを直している雪に近づいた。

そして思わず声を荒げた。
196 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:26:18.41 ID:mkVHEDB80
「お前……何やってんだ!」

いきなり怒鳴りつけられ、雪は小動物のように体を萎縮させた。

一言だけ声を投げつけ、急いで膨大な量の薬が並んでいる棚に向かう。

睡眠作用がある心肺機能制御用の錠剤。

おそらく、それを飲んでいない。

雪は最近具合が悪そうだったために、特に念入りに薬を確認して渡した。

だが、飲み込んだ所を見ていたわけではない。

何しろ五人も管理対象がいるのだ。

気を抜けばボロボロ床に落とす愛のほうにかかりきりになっていた。
197 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:27:01.09 ID:mkVHEDB80
他の袋入りのものなどは飲んだ形跡があったから安心だが
……最も重要な薬を抜いているというのは明らかなことだった。

他の錠剤と比べてかなり大きいために
目が見えない彼女でも容易に区別がついたのだろう。

そのような場合を想定しての、速攻作用があるものを棚から出し、
水を汲んだコップと一緒に雪のところに戻る。

「口を開けろ」

問答無用で言いつけ、半ば強制的にそれを飲ませる。

数回えづいた後何とか薬を飲み込んだ雪の手からコップを取り上げ、
絆はそれをテーブルの上に乱暴に置いた。
198 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:27:37.11 ID:mkVHEDB80
「バカかお前! 
もし俺の帰りがもっと遅かったらどうするつもりだった!」

また怒鳴られて、ますます小さくなり雪は肩を縮こまらせた。
かすかに震えている。

考えてみれば、彼女のことをこんな風に怒ったのは初めてのことだった。

頭に昇ってきた血を、呼吸して無理矢理下に降ろす。

何とか気分を落ち着かせると、少女は消え入るかと思われる声で呟いた。

「い、一回くらいなら、抜いてもいいかなと思って……」

その一言で、絆の怒りがまた沸点した。

自分がこんなに悩んでいるというのに、この娘は何を考えているんだ。

歯を噛みながら息を吐く。
199 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:28:21.58 ID:mkVHEDB80
「いいわけないだろ! 
直ぐに分かる症例だったから良かったものの、何考えてるんだお前!」

大声が夜のリビングに響く。あまりの絆の剣幕を全く予想していなかったのか、
雪は数回しゃっくりをあげた後、見えない目を大きく歪ませて手で顔を覆った。

そして体を小さく丸めながら声をあげて泣き出す。

よほどいつもと違う絆の様子が怖かったのか、
小さな子供のように小声でえづきながら体を震わし始めた彼女に、
逆に戸惑ったのは青年の方だった。

怒りの矛先を向ける対象を一気に失くしてしまったかのように、
言おうとしていた言葉を飲み込む。
200 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:29:11.79 ID:mkVHEDB80
結局雪が泣き止むまで、相応の時間がかかった。

数分間はそのまま放置していたのだが、
段々と泣き声が大きくなってきたのでなだめつけ、何とか落ち着かせたのだ。

これではどちらがどちらを怒っているのか分かったものではない。

おそらく、産まれて初めて怒鳴りつけられた。

その衝撃が相当のものだったのか、泣き止んでも雪はビクビクと小さくなっていた。

頭を撫でようと手をおくと、ビクンと大きく体が震える。

ため息をついて絆は疲れた口を開いた。

「落ち着いたか?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」
201 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:29:57.92 ID:mkVHEDB80
震えながら繰り返す彼女に、
絆は初めて相当な恐怖を与えたことに気がついた。

目が見えないことに加え、
薬を切らしていたことによる前後不覚の状態で大声を投げつけられ、
なれていない彼女はパニックに陥ってしまったのだろう。

仕方ない……と彼女を抱き上げ、膝の上に座らせた後、
青年は強く小さな体を抱きしめて言った。

「いいか? あの薬は今のお前にとって絶対に必要なものだったんだ。
黙ってても俺が分かるくらいヤバかったんだぞ? 
いきなりお前に死なれたら、俺、何か凄くやだよ」

段々と少女の荒い呼吸が元に戻ってくる。

しばらくして大きく息をついて、雪は囁くように口を開いた。
202 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:30:50.96 ID:mkVHEDB80
「ごめん……ごめんなさい……」

「どうしてこんなバカなことした? 偶然俺が見つけたからよかったが……」

「サンタさんが来るっていうから……来年、私いないかも、しれないし……」

俯いて、雪はそう呟いた。

「会ってみたくて……」

言葉を返そうとして失敗する。

絆は息を飲み込んで、しばらく止めた後に大きく吐き出した。

「……でもサンタさんが絆だったなんて思ってなかったからびっくりしたけど
……ごめんなさい」

皮肉ではない。

基本的に、バーリェはトレーナーの言うことは例えどんなことであれ、
疑うということはしない。
203 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:31:34.28 ID:mkVHEDB80
生まれた時からそう意識の底に刷り込まれているのだ。

雪が、サンタという迷信上の人物に会ってみたくて
薬を飲まなかったというのは本当のことだろう。

そして彼女は、おそらくそんな人物は存在しないということは露とも思っていない。

絆は小さくなっている雪を強く抱いて、彼女の耳に囁きかけた。

「サンタは玄関まで来て、俺にプレゼントを渡して帰っていったよ。俺じゃない」

物凄く意外そうな顔で、少女は絆の顔を見上げた。

「絆……会ったの?」

「ああ。俺にはお前の願いが何だったのかは分からないが、
こう言ってた。『代わりにもっといいものをプレゼントする』ってな。
そっちの方がよほど素敵だと。
今は分からなくても、後になったらきっと分かるって、サンタは言ってたよ」

そこで雪の見えない瞳が一段と大きくなった。
204 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:32:14.61 ID:mkVHEDB80
彼女はしばらく言葉を発さずに青年の方向を凝視していたが、
やがて俯いて少しだけ頷いて見せた。

完全に少女が落ち着いたのを確認し、その小さな頭を撫で付けて絆は続けた。

「お前にはとりあえず、サンタが選んだプレゼントを渡してくれってよ。
その他にも、きちんと用意してるってあいつは言ってた。
だから、来年もちゃんと会わなきゃな……」

言っていて、段々と胸の奥が苦しくなってくる。

言葉を止めて雪の胸に手を当てると、先ほどと比べて急速に冷たくなっていた。

即効性のため、泣いたこともあってか、
薬が効いてきた兆候通りに頭をふらふらさせ始めた彼女を寝室まで抱いていく。
205 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:32:53.59 ID:mkVHEDB80
「ごめんなさい……」

寝かせられて、蚊の鳴くような声で少女はもう一度謝った。

「私を嫌いにならないで……」

「もう怒ってないから、そんなに気にするな。
それより、ちゃんと寝て明日早く起きるんだ。
プレゼントは明日しか開けられないからな」

言って、雪を見下ろすと彼女は既に目を閉じて寝息を立てていた。

相当強い薬を飲ませたので、強烈に深い眠りに落ちたはずだ。

ふらつきながら居間に戻り、ソファーに腰掛け、
そこで初めて絆は深い大きなため息をついた。
206 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:33:33.31 ID:mkVHEDB80
(……疲れた……)

少しは考えてみるべきだった。

この中で一番生きているのは雪。

一年に一度の行事だというなら、
死んでしまう前に見てみたいというのは誰しもが思うことだろう。

それを頭ごなしに怒鳴りつけられて相当なショックを受けたはずだ。

しかし、怒らなければならない。

あのまま放置していたら脳の中枢神経系がやられ、
完全に意識野が『故障』してしまっていたかもしれないのだ。
207 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:34:11.25 ID:mkVHEDB80
だが……。

彼女は、とっさに言った自分の陳腐な嘘を信じてくれたのだろうか。

妙にあのバーリェは、聡い所がある。

眠気に襲われる直前に見せたポカンとした顔は、
何処となく絆の裏に気づいている風な感じだった。

額を押さえて、またため息をつく。

その頭の中で、クリスマスというものは何の利点もない、
疲れるだけの行事だな……と冷めた頭で絆は軽く思った。
208 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:34:51.10 ID:mkVHEDB80


どうやらそのまま眠ってしまっていたらしい。

朝、少女達の黄色い歓声に起こされ、
口元の涎を拭いて絆は体を伸ばした。

途端、それを目ざとく見つけた愛が、
自分の上半身ほどもある洋菓子が詰まっている袋を抱えたまま走ってくる。

「おはよう絆! すごいよこれ!」

無邪気な嬌声を受けて、苦笑しながら彼は愛の頭を撫でた。

「ああ。大事に食えよ」

「うん!」

寝起きでぼんやりしている視点を寝室に向ける。
209 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:35:32.40 ID:mkVHEDB80
雪はもう起きていて、ベッドの上で本にまみれた命に、
プレゼントの内容を説明されているところのようだった。

優と文も嬉しそうに言ってきたが、
既にゲーム機はテレビにつながれて稼動している状態だ。

……何だかしたい放題だな。

呆れながらも、まぁ年に一度だし
……と思いなおして命たちに近づく。

彼の接近に気づいて、命は顔を輝かせながらパタパタと手を振ってきた。

この少女は興奮すると意味もなく手を振る癖がある。
210 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:36:08.83 ID:mkVHEDB80
「おはようございます! 絆さん、サンタさんてお金持ちなんですね!」

「いきなりお前は、やっぱり視点がずれてるよ……」

苦笑しつつ聞こえないように返す。

雪は絆の方を向くと、
僅かに表情を落としてワンピースドレスの束を胸に抱きながら俯いた。

「あ……絆」

「おはよう。気にすんな」

さりげなく囁いて背筋を伸ばし、パンパンと手を叩く。

「とりあえずお前らメシを食え。薬を飲め。話はそれからだ」
211 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:36:46.40 ID:mkVHEDB80


その電話が来たのは、まだ夜になる前のことだった。

日も落ちていない、夕方。
バーリェ全員に夕食の支度を手伝わせている時、不意に絆の携帯端末が振動した。

廊下に出てからそれをとる。

発信源は、エフェッサーの本部からだった。

このように直接コンタクトを彼らが取ってくるのは、
いつもロクなことではない。

自然と不機嫌な気分を前面に出して応答したが、
向こうの相手はそれを特に気にした風もなかった。
212 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:37:22.19 ID:mkVHEDB80
<出撃要請です。絆第二執行官>

女性のオペレーターが端的に告げる。

瞬間、絆の表情が変わった。

「……死星獣ですか?」

<はい。現在南端リアクトン地方のD三十八エリアに停滞しています。
既に付近の住民の避難は完了。
報道陣も抑えていましたが、直に流れ出すはずです>

「分かりました。即急に向かいます」

自分の本業はトレーナー。

バーリェを使い、死星獣を撃退するのが仕事だ。
213 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:38:18.40 ID:mkVHEDB80
おそらく自分以外にも呼ばれるトレーナーはいるだろうが、
死星獣が規格外だった場合は高確率でこっちにまで仕事が回ってくる。

そしてそれでも止められなかった場合は
……その土地は御仕舞いだ。

全てが灰になって消えて、散る。

自分たちが生きているのはそんな瀬戸際な空間なのだ。

携帯端末を切ろうとした時、オペレーターは冷静に言葉を付け加えてきた。

<新型の起動テストをかねて実施するようにとの、
元老院からの指示がありました。
既に本部には搬入が終了してあります。
起動用のコアバーリェの持参を忘れないよう>

(……戦闘で起動実験を兼ねるだって?)

一瞬耳を疑ったが、言い争っている時間ではないので短くそれを肯定して端末を切る。
214 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:39:02.15 ID:mkVHEDB80
いきなりの戦闘で、いきなりの起動実験
……そして下手をすれば実戦?

そんなバカな話があるか、と歯噛みしかけたが、
息を吸ってそれを飲み込む。

バーリェは、生まれつきエフェッサーの開発、
運用するほとんどの兵器の基本理念を意識化に埋め込まれている。

つまり兵器の基本構造さえ同じであれば、
直感的に何でも操作が出来るのだ。

とは言っても重火器の類を扱うには彼女達の体はひ弱すぎたし、
直接の生身戦闘をこなすなんてもってのほかだ。

数日前に使用した、月光王という巨大戦車のような完全に体を覆い隠すタイプなら、
バーリェであれば生まれたての子でさえも操縦できる。

おそらく、今回の人型兵器もその類なのだ。
215 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:39:56.19 ID:mkVHEDB80
元老院はあわよくば実戦データをとろうとしている。

しばらく立ち止まって考え込んだ後、
絆は黙って食堂のドアを開けた。

そして静かに口を開く。

「帰って来たばっかな気がするが、死星獣が現れた。
リアクトン地方が襲撃されてるらしい。
俺たちにも出撃要請がかかった」

食事前ではしゃいでいた彼女達の表情が一瞬で生体兵器のそれに変化したのを、
絆は肌で感じていた。

バーリェにとって、意識の底で必ず反応するようにセットされている単語がいくつかある。

その一つは『出撃』だ。

どんな子でも、この言葉を聞かせればだらけていても気が引き締まり、
自然に緊張するように調整されている。
216 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:40:45.10 ID:mkVHEDB80
一瞬で静まり返った食堂内で、絆は息をついて静かに言った。

「今回連れて行くのは命、お前だ。
直ぐにここを出るから、支度をしてくれ」

「わかりました」

名前を呼ばれて命が嬉しそうに微笑む。

その隣で、雪が表情を落として下を向いた。

他の子たちに応援の言葉をかけられながら身支度をしに寝室に命が戻った時、
彼女は控えめに手を上げてから口を開いた。

「あの……私は?」

意外なことだった。

今までに、どんなに無理なことを言われても文句一つ言ったことのない少女が、
明らかに戸惑いと抗議の意思を表情に出していたのだ。
217 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:41:30.32 ID:mkVHEDB80
絆は少し息を詰め、しかし冷淡に言い放った。

「家で、みんなの面倒を見ていてくれ。今回は休んでろ」

「でも……」

「命令だ」

反射的に、絆はもう一つの単語を口に出した。

『出撃』の他に、バーリェは『命令』という言葉を聞くと
まるでオウムのように言葉を止める。

唇を噛んで俯いた彼女をなるべく見ないようにしながら、
支度を終えて出てきた命の手を引く。

「あまり遅くなるようだったら、連絡する。それじゃ、おとなしくしてろよ」

そのまま絆は早足でラボの玄関に向けて歩き出した。

見えない目でそれを見送る雪。

彼女は、大事そうに抱えていた洋服を強く握り締めていた。
218 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:42:16.92 ID:mkVHEDB80


本部は、丁度絆たちが住んでいる地区の中央に頓座している。

車を出し、その正面玄関に横付けすると同時に十数人の職員が駆け寄ってきて、
そのうちの一人が彼の車のキーを受け取り、車に乗り込んだ。

駐車場まで運んでくれるのだ。

小型のノートPCを操作しながら、
先ほど電話で話をした女性オペレーターが近づいてくる。

命の手を引き、歩きながら絆は彼女の話に耳を傾けた。

「死星獣はいまだに移動をせずに停滞しています。
東部支部のトレーナーが三人、警戒に当たっていますが
……絆様はまず新型機の調整に入られてください」

奇しくも、今日の夜に授与されるはずだった機体を
授与の前に使うことになるとは……思ってもいなかったといえば嘘になる。
219 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:42:59.61 ID:mkVHEDB80
このところ、ますます死星獣の出現頻度が上昇していて、
ひっきりなしに現れている地方さえあるのだ。

彼女の案内を受け、絆は命の手を引き寄せながらエフェッサーの本部に入った。

急を要するので、そのまま地下の兵器格納庫へと移動を始める。

数分で目的の場所に着くと、絆は新型のために新設されたらしい倉庫へと案内された。

やたらと天井が高く、おびただしい数の作業員が動いている。

まるで住宅の建設現場だ。

その中央部に、異常に巨大な……『人形』が鎮座していた。

まるで四つんばいになっているかのような前傾姿勢で床に手をついている。
220 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:43:48.71 ID:mkVHEDB80
事前に送られていた内容どおりの外見だった。

しかし、実際にこの目で見てみるとやはり大幅にその異様さは違うものがあった。

人の形をしている、機械の人形。

物凄く大きい……五、いや、立ち上がると十メートルはあるだろうか。

ただ横から見ると戦闘機に近いそのフォルムは、白みがかった銀色に輝いている。

股間部にバーリェが乗り込む挿入口があり、そこに簡易の階段がかけられていた。

これからの、人間と化け物の戦いを一変させるかもしれない、開発途中の人型戦闘機。

自分たちに与えられた機体はコードネームを、『陽月王』と言う。

本当ならこれの詳しい説明を受け、きちんと調整、そして訓練を経てからの戦闘だ。

だが元老院はその必要はないと判断しているらしい。
221 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:44:32.36 ID:mkVHEDB80
「……私、これ知ってます……」

絆はあまりにも急ぎすぎている展開に対する疑念を、命の一言で払拭した。

小さなバーリェの目は、ぼんやりと焦点を失ったかのように
異常な機械人形を凝視している。

一応陽月王は複座型──つまり二人乗りになっていた。

通常、トレーナーはバーリェの乗っている兵器に同乗したりはしない。

細かいところを動かすのは、機械のように彼女達が行えるからだ。

そして肝心の砲撃などは、安全な場所から遠隔操作で行うのが常になっていた。

バーリェは壊れてもいくらでも再生産がきくが、
貴重な人材であるトレーナーは死んでしまえば補充に時間がかかる。

冷淡なことだが、それがこの世界の認識事実だ。
222 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:45:31.73 ID:mkVHEDB80
だが、雪の戦闘にだけは絆は同乗することにしていた。

他のバーリェには言っていないが、
盲目の雪は、戦闘になると非常に落ち着かなくなる。

それはそうだ。いくら機械音声のサポートがあるとはいえ、
自分には見ることも確認することも出来ない異形の怪物が接近してきているのだ。

一人で戦えと言う方が無理だ。

だから、彼女とだけは同乗して戦うようにしていた。

陽月王のバーリェ格納庫を見た時に、
絆はこの人型兵器は雪と自分のために作られたものだと言うことを確信した。

唇を噛んで、しかしそのことには触れずに黙って命の背中を押す。
223 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:46:12.64 ID:mkVHEDB80
「頑張れ」

一言だけ言うと、黒髪のバーリェは小さく頷いて、
近づいてきた職員に誘導されて機械兵器へと向かった。

これから彼女はあの中に入り、起動実験を行うことになる。

そう、生命エネルギーを吸い取られて。

自然に気分が重くなるのを感じながら、絆は格納庫を後にした。

そして数人の職員と共に、官制室と呼ばれている、
トレーナーが遠隔でバーリェの乗る機械兵器を操作する場所へと移動する。

まるで、優と文が好きなテレビゲームのようだ。

ふとそう思って、絆は自嘲気味に苦笑した。
224 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:46:55.31 ID:mkVHEDB80
今までは戦闘機や戦車など、全時代的な兵装ばかりだった。

それが、いまや完全に人型の巨大鎧を遠隔操作し、化け物を倒す。

嘘みたいな話だが、これが現実だ。

そしてその巨大兵器に自分の大切な少女が乗っているのも、また事実。

変えようのない現実。

あまりに非現実的な事実のため、頭の中がまだ受け入れるのを拒否している中、
彼は巨大な映画館のスクリーンを周囲全てに張り合わせたかのような
ドーム型の部屋に入った。

まるでプラネタリウムのように、そこには無数の枠に区分された、
死星獣に襲われている市街地が映されていた。
225 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:47:45.24 ID:mkVHEDB80
「到着いたしました」

短く言って席に着く。

周りを見ると、既に数人のトレーナーがスクリーンを睨みつけている所だった。

絃の姿もある。
絆の方を見たが、また重苦しい顔を正面に戻した彼につられて視線を前に向ける。

そこで絆の思考は一旦停止した。

醜悪だった。

いや、邪悪と言ったほうがいいだろうか。

この前駆除した死星獣の方がまだマシだ。

ついさっき見てきたものを巨大な巨人だとすると、
今回現れた死星獣は巨大な『蜂』だった。
226 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:48:33.40 ID:mkVHEDB80
しかし空を飛んでいるでもない。

巨大すぎる体を支えるには、羽が小さすぎるのだ。

その蜂には、頭部と尻部に、あわせて二つの顔がついていた。

不気味な複眼が時折カメラのように収縮を繰り替えしている。

ミミズのごとき、どちらが前でどちらが後ろか分からない歪んだ巨大生物は、
全長三十メートルはあろうかと言う体躯を小刻みに震わせながら少しずつ、
横向きに前進していた。

巨蟲が通った場所は、砕けるでも、
爆裂するでもなくただ灰のクズになり空中に散っていく。

しばらくそれを見つめた後、
絆は女性職員が差し出したマイクつきのヘッドホンを受け取った。
そしてそれを頭にかける。
227 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:49:21.83 ID:mkVHEDB80
途端に軽いコール音と共に、
先ほどの陽月王が格納されているドックから通信が入った。

そして、目の前のテーブル型タッチパネルについているスクリーンに、
命の顔が映し出される。

<絆さん、セッティングが終了しました>

<HT6号のセット完了、全てのチャンバーをストラグルスラインにエンゲージ。
起動条件、赤クリア。エネルギー抽出率高安定>

AIが、順調に人型兵器が起動していることを機械音声で告げる。

<絆様。これよりAAD七〇一号、陽月王を戦闘区域に搬入開始いたします>

オペレーターの声と共に、もう一つの画像がスクリーンに開いて、
陽月王が乗っている床が自動で動き始めて、
隣に停泊していた輸送用の戦闘機に格納されていくのが映った。

僅かに不安な顔をしている命に小さく笑いかける。

タッチパネルには小型カメラもついていて、彼女には絆の顔が見えているはずだ。
228 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:50:12.63 ID:mkVHEDB80
「安心しろ。多分今回、お前の出番はないから」

<何だか……凄く変な感じです……>

不快感を前面に出した顔で、命が荒く息をつく。

そこで絆は僅かに人型兵器のエネルギー抽出率が低下し始めているのを計器で確認した。

やはり命の内用しているエネルギー総量では、
雪用に調整されている新型のエネルギーをまかなうことは無理があったらしい。

口に出しかけたが、
いたずらに彼女のプライドを刺激するのは避けたほうが無難かと思いなおし、口をつぐむ。

とにかく今回は、自分たちに戦闘が回ってこないことを祈るしかない。

脇目で絃の方向を向くと、彼も絆と同じように険しい表情をしていた。

ここからでは聞こえないが、
やはり何かを押し殺しているかのような表情で画面の向こうの桜に向かって言葉を発している。
229 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:50:56.97 ID:mkVHEDB80
死星獣の動きは、相当ゆっくりだ。時速十キロも出ていないだろう。

おそらくまだ移動中らしい桜と、
そして命の乗る人型兵器が到着するより先に、
他に待機していたトレーナーたちが死星獣に攻撃を開始した。

配置されているのは戦闘機タイプのAADが二機、そして戦車タイプのものが八機だ。

いずれもが、遠隔操作と現地のバーリェの操作によって機敏に動いている。

トレーナーには特別な操作技能など必要ない。

いや、むしろゲームが得意な人間なら誰でも操作できるだろう。

危ない攻撃はバーリェの判断によってある程度は避けられる。

まるでゲームだ。

この戦闘に参加するたびに、そう思う。
230 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:51:43.90 ID:mkVHEDB80
コンティニューの存在しないゲーム。

バーリェたちにとっては。

そんなところに、彼女達は嬉々として出て行く。

使ってもらいたいからと。

それが存在価値なんだからと。

言いようのないやるせなさを感じながら、
絆は戦闘中の様子を映しているスクリーンを見つめた。

今回の死星獣は巨大だからと、かなりの数のトレーナーが招集されていたが、
別段反撃してくる風も見せていない化け物に、
着実に損傷を与えられていることは明白だった。

十分ほど攻撃が続いた後に、唐突に通信が入って絆の意思は現実に引き戻された。
231 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:52:32.68 ID:mkVHEDB80
<陽月王、咲熱王、指定エリアに配置完了しました>

おそらくもう一機は桜が乗っている機体だ。

スクリーンの端に、二機の巨大な巨人のシルエットが映り、
管制室に驚愕の声が広がった。

まだ二つとも立ち上がってはいないが、
しゃがみ込んでいる状態で相当巨大だと言うことは分かる。

まるで、ロボット兵士だ。

<起動シークエンスを持続します>

AIの声と共に、また動作が開始される。

二機が配置されている場所は、
死星獣との戦闘エリアから二十キロ離れた場所。

相当遠い。実戦でいきなり稼動訓練……との命令だったが、
この分では戦闘が起こらずに無事に終了できそうだ。
232 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:53:16.56 ID:mkVHEDB80
だが、そこで絆は命の声に蒼くなった。

<絆さん……ちょっと苦しいです……>

彼女は狭いコクピットの中で体を折り曲げ、小さくえづいている最中だった。

体が小刻みに痙攣している。
それは、生体エネルギー抽出の限界量を越えかけている際の、
バーリェの身体反応のひとつだった。

もう少し我慢しろ、と言いかけて言葉を止める。

そこで彼は、耳元のヘッドホンに内線から絃の通信が入ったことに気がついた。

繋ぐと、応答するより先に低く、囁くような声が彼の耳を打った。

<離脱させろ。命ちゃんじゃ無理だ>

気づいていたらしい。

唇を噛んで数秒間停止する。
そして絆は、息を吐いて緊急離脱のボタンを押した。
233 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:53:57.87 ID:mkVHEDB80


その命令が下ったのは、それから三時間後のことだった。

攻撃はいまだに続いているが、
低速で移動する死星獣が完全に破壊されるには至っていない。

いや、それにも増して奇妙なことがあった。

双頭の蜂型をして巨大蟲は、損傷を受けるごとに、
徐々にその体を風船のように膨らませていっていることが判明したのだ。

死星獣の体内は、一般的に虚数空間と言われる。

自分たちが今生きているこの世界とは思念も何もかもが違う、
空虚で原子さえも存在しない世界だ。

つまり、ブラックホール。

小さなビーズ状のそれが詰まっていると考えれば一番近い。
234 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:54:48.89 ID:mkVHEDB80
移動のたびに死星獣は、それを……まるで芳香剤のように、
周りに撒き散らしながら動くのだ。

故に、原子レベルのブラックホールに触れたものは
灰にまで砕け散ってなくなってしまう。

そして、膨らんでいると言うことは死星獣内部の虚数空間が、
無が増えると言うのはおかしな話だが膨張し始めているということに他ならなかった。

バーリェの生体エネルギーにより、
どこかが損傷したことで、いわばガス栓を開け離しにした時の状況になっているらしい。

つまり、下手に攻撃して風船に穴が開けば中身が飛び散ってしまう。

それで攻撃が停止されたのは一時間半前。

その後、絆は元老院に呼び出されていた。

反論しようとして、そんな場合ではないと考え直して口をつぐむ。
235 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:55:30.80 ID:mkVHEDB80
タッチパネルのスクリーンに映し出された、
元老院の老人の一人はもう一度、青年に対して繰り返した。

<G77の使用を命ずる。貴殿に拒否権はない。ただちに準備に取り掛かりたまえ>

唇を噛んで通信を切る。

そして絆は、黙ってエフェッサー支部の中でも比較的信用を置いている職員に通信を繋いだ。

要請の内容は、雪を使用するようにと言うことだった。

今回の死星獣を、元老院はレベルトリプルAと判断したらしい。

それを見越して絆と絃を召集したような感じだ。

タイミングが合いすぎている。

心の中に浮かんできた疑念を無理矢理振り払い、
彼は通信先の職員に、ラボへ雪を『回収』に向かってくれるようにと要請する。
236 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:56:05.06 ID:mkVHEDB80
そして青年は大きく息をつき、席を立ち上がった。

この機会に……という表現は楽観的過ぎるが
陽月王と咲熱王で試作段階のエネルギー兵器をあの死星獣に使用するらしい。

どうにも、現実感が沸かない。

今だけは、だ。

実際に戦闘現場にいるわけではなく、
バーリェが戦闘兵器で戦っているのはここよりずっと遠くの場所だ。
しかし……。

立ち上がって、医療室へと足を向ける。

自分は、雪が到着するまで行動しようがない。
237 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:56:57.25 ID:mkVHEDB80
命の不良により、陽月王と咲熱王、二機の人型兵器は再び本部へと回収されていた。

絃の側にも不良が見つかり、急遽メンテナンスを行うことになったのだ。

現実感が沸かない
……だが、それほど事態は切迫していると言うことに他ならなかった。

いまだに他のトレーナー、バーリェによる死星獣への威嚇攻撃は小規模だが続いている。

しかし、今回の化け物のようなケースは
今までに経験したパターンの中でも特に厄介なものだった。

まだトレーナーになりたての頃、膨張し続ける死星獣を相手にしたことがある。

結局、その時は止められなかった。

攻撃できないのだ。止めようがない。
238 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:57:30.54 ID:mkVHEDB80
自分はバーリェを一人、死星獣に飲み込まれて亡くしている。

それが一人目の少女だった。

その時の死星獣は、結局百二十キロほど前進した後、
三つの都市を静かに灰に変え、そしてしぼんで消えた。

いまだにその原因は分かっていない。

死星獣は、モノを壊さない。

ただ灰にして消し去るだけだ。

その静かな狂気ゆえに、
人間は恐怖を恐怖として上手く認識することが出来ないのかもしれない。
239 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:58:13.66 ID:mkVHEDB80
前回のことを思い出しながら、
絆は自分があまり恐怖していないことに気がつき、
その無頓着さに自然と吐き気を催した。

戦闘している、中核の自分たちでさえこうなのだ。

誰が心の底からあの化け物を恐怖し、恐れ、必死に生き延びようとしているだろうか。

誰もそんなことはしていない。

人造で作り出したバーリェを戦闘兵器に乗せて送り出し、
自分たちは高みの見物。壊れたらまた作ればいい。

それが世界。

自分さえよければいい。

他がどうなろうと、自分さえ生きていればそれでいい。

自分がいればどうにかなる。

そのためには他をどう利用しても生き延びなければならない。
240 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:58:48.27 ID:mkVHEDB80
それが、生きているこの世界の常識。

人間の本質的な本能ともいえるものだ。

だが、本当にそれは正しいのだろうか?

本当に自分たちは望んでいるのだろうか?

生きていたいと。

死にたくないと。

時々分からなくなるのだった。
241 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 20:59:21.94 ID:mkVHEDB80
どうして、自分は生きているんだと。

バーリェたちのように、明確な意思と理由を
──それが例え与えられた後付のものだったとしても
──それを持っているわけでもない。

ただ、生きる。

他を犠牲にして。ゲーム感覚で。

だが……それが現実だった。

そしていつも、絆は戦闘が終わって意識を失ったバーリェを見るたびに、そう思うのだった。
242 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:00:05.17 ID:mkVHEDB80


医務室に入り、運び込まれた命に駆け寄る。

完全に意識を失っている彼女の脇に立ち、
係りつきの医師を睨むように見る。

初老の医師は軽く息をついて肩をすくめた。

「過剰な生体搾取による一時的な混濁状態なだけだ。
特にメンタルバランスに影響も見られんが
……コレではあの機体は動かんな。
お前さんともあろう者が、判断を見誤るとは驚いたぞ。
私から見ても、このバーリェはまだ発展途上だ。若すぎる」

冷静に分析され、分かりきっていることを聞かされている
……という自覚が脳に駆け巡る。

声を荒げたい衝動を無理矢理押さえつけながら、絆は黙って命の額を撫でた。
243 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:00:36.71 ID:mkVHEDB80
あの新型機械兵器にこの子を乗せただけでも、寿命は当然の如く減る。

それを……役立たず扱いされたくはなかった。

おそらく命は自分が上手く出来なかったことにより絆の方の心配をするだろう。

彼女の、存在価値としてのプライドは傷つかない。傷つくのは、管理している自分だ。

だが……遠方からただ楽観しているだけの存在に、役立たず扱いだけはされたくなかった。

そのまま頭を下げ、医務室を後にする。

頭に昇った血を降ろそうと、待合室のソファーに乱暴に腰を下ろし、絆は頭を抱えこんだ。

時間がなさ過ぎた。

いや、自分がこの状況を楽観視しすぎていたと言ったほうがいいかもしれない。
244 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:01:19.28 ID:mkVHEDB80
いずれにせよ、雪を使うしかない。

やるしかない。

あの死星獣の進行方向にはアルマという巨大な街が存在していた。

あそこを消しされられては、避難している大勢の人間が難民となってしまう。

そのまま五分ほどが過ぎた時、
疲れた足取りで絃が歩みよってくるのが視線の端に見えた。

彼は座り込んでいる絆の隣に腰を下ろすと、
手に持っていた缶コーヒーを差し出した。

黙ってそれを受け取り、プルトブを開け、絆は一気に中身を口に流し込んだ。

「……まぁ、いずれこういう時は来るさ」

思いの他、淡々と抑揚なく絃は言った。
245 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:01:48.51 ID:mkVHEDB80
「昨日までは、いつも通り元気だったんだぞ。あいつ」

ポツリと呟く。

絃は視線を天井に向けて、また呟くように言った。

「みんな、そういうもんさ」

「……みんな?」

「オレ達人間だって、いつ死ぬかわかんねぇんだ。
ある日突然交通事故に遭ってコロリと逝く人間だって大勢いるし、
逆にいつの間にか病院で、孤独に息を引き取ってる人だっている。
いつ死ぬか分からんっていうのが生きてるってことだし、だからそういうもんだ」
246 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:02:17.11 ID:mkVHEDB80
青年はしばらく床を見つめていたが、やがて大きく息をついて口を開いた。

「そういうもんか」

「ああ」

そのまま二人は沈黙し、やがて同時に立ち上がった。

絃は絆の肩を軽く叩くと、それだけでまた通路を戻り始めた。

何度目だろう。

こんな風に、彼に言われるのは。
247 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:04:14.80 ID:mkVHEDB80


<これより、実戦を兼ねた新型機起動テストを開始します。
再調整シークエンス、スタンバイを開始します>

AIの無機質なアナウンスを空虚に聞きながら、
絆は格納庫内の陽月王コクピットに乗り込んだ。

雪は視力がない。

故に、戦闘では絆が傍にいてやらないと、
彼女は不安感に押しつぶされて能力を発揮することが出来ない。

隣のシートに黙って座り込んでいる雪とは、
彼女がここに来てから話を一切していなかった。

黙って乗り込ませ、そして彼女の体に点滴のコードを
無数に取り付けている職員をぼんやりと眺める。
248 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:04:57.20 ID:mkVHEDB80
雪と一緒に戦闘に出始めたのは、
彼女を引き取り、半年が経ってからのことだった。

初めて戦闘に出した時
……操作は完全にこちらで行っていたのだが、
雪はあまりの恐怖のために半狂乱になってコクピットで暴れたのだ。

そのことにより、元老院が下した決定は、彼女の処分だった。

無理もない。

雪が暴れたせいで死星獣への攻撃体系が乱れ、
あやうく一つの街を消し去らせる所だったのだ。

絆は必死になってそれを止めた。

何故だかは今でも分からない。

ただ、コクピットの中で助けを求めて泣き叫んだ、
このバーリェの声がどうしても頭から離れなかったのだ。
249 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:05:37.88 ID:mkVHEDB80
そして、自分がバーリェと共に戦場に出ると言う前代未聞の方式をとることで、
絆は一つの『道具』の命を救った。

陽月王のコクピットが閉まり、搬送用の戦闘機に積み込まれる。

システム周りは以前まで操作していた、戦車型AADと大差ない。

その他はバーリェの意思を生体エネルギーとして感知し、
彼女たちの思うようにイメージを反映して動くようになっている。

まるで、3D映画の撮影に使われているモーションキャプチャーのようだ。

役者の動きをトレースし、コンピューターに取り込むあの技法のことである。

しばらくすると、足元がふらついて浮かび上がる感触。

轟音と共に輸送機が離陸したのが分かる。そ

のまま、数分間黙って計器を見つめる。
250 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:06:18.77 ID:mkVHEDB80
しばらくすると、雪が見えない目を絆の方に向けて口を開いた。

「あの……」

黙って彼女の方に目を向ける。

少女は、不安げに視線を揺らして言った。

「命ちゃんは……?」

「心配ない。ちょっと不具合が起きて寝てるだけだ」

短く答えると、雪は安心したかのようにため息をついた。

そのまましばらく沈黙が続いたが、
やがて耐え切れなくなったのか控えめに雪がまた口を開いた。

「絆」

「……何だ?」

数秒押し黙った後、彼女は小さく微笑んで言った。
251 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:07:05.66 ID:mkVHEDB80
「あのね、私。何だか結局乗ることになってホッとしてるんだ」

その言葉に、
バーリェの基本理念を思い出して絆は心の中で大きなため息をついた。

だが、次の彼女のセリフは、予想もしていなかったことだった。

「私、絆を守るために行きたい。
だから、命ちゃんが少しだけ、羨ましかった」

「……守る? 俺を……?」

聞いた言葉の、意味がわからなかった。

そんなことは今まで、どのバーリェからも聞いたことのないセリフだった。

「私が乗れば、悪いのが全部いなくなって、
そしたら絆を守れる。だから、私戦いたい。
だって、私絆と一緒にいたいから」

バーリェが、人間を守る。

使われて、ボロボロにされて。それでもなお使用されることに悦びを感じる生き物、
バーリェが人を『守る』、そう言った。
252 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:07:44.40 ID:mkVHEDB80
一緒にいたいと彼女は確かに言った。

それが、自分が彼女に対して抱いていたおぼろげな感情の正体だと気づいた時、
丁度輸送機が着陸し、陽月王全体が激しく揺れた。

雪に対して言葉を発する間もなく、
自動的に動くカタパルトに押し出される形で、
前傾姿勢の人型兵器が配置場所にスタンバイされる。

遠目に少し離れた場所で桜の咲熱王が同様にしゃがみ込んでいるのが見えた。

やはり、本調子ではないと言え雪は他のバーリェと格が違う。

ほとんど苦痛の表情を浮かべてさえいないのに、
巨大な機械人形は全く問題なく動いていた。

計器類を確認し、雪の方を見る。

口を開きかけたところで、エフェッサーの本部からオペレーターの無情な通信が入った。
253 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:08:27.58 ID:mkVHEDB80
<死星獣が距離四千まで接近しています。
これよりAAD七〇一、七〇二号に対し
試作型のDインパルスキャノンを装着いたします>

長大口径の、エネルギー砲。今まで戦車で使用していたそれの、
およそ三倍の大きさを持つ大砲だ。

無論、バーリェのエネルギーを吸収して変換、発射する。

今回の実験で、元老院は雪を使い尽くすつもりだ。

血が出るほどまで唇を噛み締める。

もう自分にはどうしようもない。

いや……むしろ、自分は雪を使用するのが正しい道であり、道理だ。

だが……心の奥に溜まったしこりは流れることなくうごめき続けていた。
254 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:09:27.44 ID:mkVHEDB80
しばらくして、桜の機体がゆっくりと前進し、こちらの脇に並ぶ。

何だかビルほどの大きさがある人型機械が人間のように
機敏に移動するのは異常な光景だった

まさに神話に出てくる巨人だ。

確かにこれが量産されれば人間と死星獣の戦いは一変するかもしれない。

だが……。

絆は、実際に陽月王のコクピットから外をみて、息を呑んだ。

死星獣はいまや肉眼で確認できるほどに近づいていた。

まるで山だ。巨大な、忌まわしい蟲の山。

悪魔……いや、生物の成りそこないと言ったほうがいい。

聳え立つそれが、ゆっくりとこちらに向けて前進してきている。

風船のように当初の五倍以上に膨らんでいた。
255 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:10:05.12 ID:mkVHEDB80
全長四十メートルはある、超巨大な砲身の前部を支え、
桜の機体が後部を支える。

遠隔操作でそれぞれの機体各部に、
チューブでエネルギー供給ラインが繋がれていく。

人型兵器の中は、想像以上に揺れた。

船の上なんて比ではない。

シートに座っていなかったら倒れこんでいたことだろう。

そして、間近で見る死星獣は……なんと言うのだろう。

そう、ただ『恐ろし』かった。

見つめていると、自然に足が震えてくる。

何でだかは分からない。

毎回こうなのだ。
256 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:10:37.28 ID:mkVHEDB80
虚無空間を内包する化け物。触れたら消える。

そんな瀬戸際の悪魔を前にすると、足が震えだす。

スクリーン越しに見る死星獣は、何も感じない。

だが、肉眼で見るものは明らかにそれとは違った。

桜と雪、二人分の生体エネルギーを吸い、
巨大エネルギー砲の発射承認ラインが急速に近づいてくる。

撃つのは、絆の役目だ。

段々と顔が蒼白になってくる雪の顔を見る。

視線を感じて少女はこちらを向き、ニコリと笑った。
257 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:11:11.47 ID:mkVHEDB80
「絆……ごめんなさい」

唐突に謝られて、青年は直ぐに返すことが出来ずに息を詰まらせた。

「……何が?」

そう聞くのがやっとだった。

少女は、いつもと変わらない笑顔で、ゆっくりと返した。

「薬、昨日飲まなかった」

「そんなの……もうどうでもいいよ」

言葉が詰まった。

「絆は、私のこと嫌いになっていない?」

伺うように声を殺して彼女が聴いてくる。

青年は息を吸い、そして止めた。
258 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:11:44.30 ID:mkVHEDB80
真っ直ぐに死星獣を睨みつける。

こいつらが。
こいつらさえいなければ。

胸の奥に沸き起こる、怒り……それは確かにドス黒い怒りの感情だった。

しばらくして詰めていた息を吐き出し、表情を緩める。

そして絆は手を伸ばして雪の頬に触れた。
彼女の頬は、冷たかった。

「オレは、お前のことは大好きだよ」

考えて言ったわけではなかった。
自然に言葉が口を付いて出たのだった。
259 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:12:21.17 ID:mkVHEDB80
雪が本当に嬉しそうに笑う。
蒼白な顔を精一杯咲かせて、笑う。

「私選ばれなかったから……サンタさんにお願いしたのに、選ばれなかったから。
凄く不安だった……でも、良かった」

彼女は見えない目を開いて絆の顔を凝視した。

「私、死なない」

そして、雪は一言だけ。
蚊の鳴くような小さな声で。
しかし響き渡る、心に沈み込む声で呟いた。

「帰りたい」

絆は目を見開いた。
260 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:12:59.68 ID:mkVHEDB80
その時だった。

<第一射を開始してください>

冷淡なオペレーターの声に全てを掻き消され、
絆は言葉を飲み込んでキャノン砲発射トリガーを握り締めた。

「ああ」

唾を飲み込み、目を見開いて死星獣を穴が開くほどに凝視する。

「帰ろう」

「うん」

「一緒に、な」

「うん」

おそらく、これが初めて。

バーリェとこんな話をしたのは……いや、他人とこんな話をしたのは初めてのことだった。
261 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:13:41.88 ID:mkVHEDB80
だが胸の奥に生まれたどこか熱い、温かい気持ちは確かにそこにあった。

息を吸って、吐く。

雪が手を伸ばし、トリガーを握る絆の手を小さい掌で包み込んだ。

――そして絆は、引鉄を引いた。

とてつもない衝撃が、二人が乗る機体全てを吹き飛ばさんばかりに包む。
砲身から噴出したエネルギー光は、白。

そしてほんの少しの桜色。

それが渦を巻きながら向かってくる数キロ先の死星獣に向かって矢のように吹き飛んだ。
262 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:14:29.87 ID:mkVHEDB80
雪が、爪が食い込んで血が噴出すくらいに強く、
絆の手の甲を握り締める。

段々と少女の手からは力がなくなっていく。

そして光は、おぞましい怪物の胴体に突き刺さると、
易々と貫通して向こう側に抜けた。

そしてそれでも止まらずにはるか上空まで伸び、雲を掻き消して空の上に消える。

胴体に長大な風穴を開けた死星獣は、
数秒間そのまま前進を進めた後、唐突に停止した。

そして激しく痙攣を始める。

次の瞬間、二つの蜂の頭型の頭部が、
付け根からスライムのようにドロドロにとけ、地面に流れ落ち始めた。

それが触れた部分が凄まじい白煙を上げて灰に散り始める。
263 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:15:12.78 ID:mkVHEDB80
次いで開いた胴体の穴からは真っ黒い水蒸気が煙突の煙のように噴出を始めた。

そして頭部と同じようにスライム状に溶解して流れ落ちていく。

しばらくして、小山状に溜まったヘドロ色のスライムの中から、
真っ白な正方体のキューブが浮かび上がった。

何に支えられているわけでもないのにゆったりと回転しながら上空に静止している。

「……何だ、アレ……」

呟き終える間もなく、危険を示すアラートの警告音がコクピットに反響した。

それにいち早く反応し、グッタリと脱力しかけていた雪の手に力が入る。

そして彼女の意思を受け、巨大な機械の人形は砲身を投げ捨て、地面を蹴った。

アスファルトを鋼鉄の脚部で砕き、十メートル近い体躯が軽々と宙に舞う。
264 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:15:52.45 ID:mkVHEDB80
飛んだと同時に、雪は後方の咲熱王を突き飛ばしていたらしく、
陽月王の手に弾かれてビルをなぎ倒しながら
もう一機の機械人形は地面に転がっていた。

その、今まで二機が重なっていた直線上を一本の白い線となってキューブ体が通り過ぎた。

何の予兆もない、戦闘機並みの加速だった。

「まさかアレがコアなのか……」

歯を噛み締めて、空中を本当の蜂のように飛び回っているキューブ体を睨みつける。

それは後方のビルに突撃すると、何の抵抗もなく触れた部分を灰にして消し飛ばした。

砂山に作った城を蹴り壊すかのように、高層ビルの一つが中ほどから灰色の煙になって霧散する。
265 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:16:38.56 ID:mkVHEDB80
振り返る。
もう一機の人型AADは倒れたままピクリとも動いていなかった。

先ほどのエネルギーキャノン斉射で、桜の意識は飛んでしまったらしい。

バーリェの中でもトップランクに入る絃の少女でさえこうなのだ。

反射的にとはいえ莫大なエネルギーの抽出後に動ける、雪が異常なのだ。

脳が揺さぶられる衝撃と共に陽月王が着地し、
目が見えてない雪は大きくよろめいた。

彼女の精神に感応し、機械の巨人が上体をふらつかせて地面に片手をつく。
266 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:17:21.38 ID:mkVHEDB80
「……絆、私避けたっ?」

押し殺した声で雪が叫ぶ。

そこにはいつものゆったりとした柔らかい調子は存在していなかった。

戦闘兵器の冷たい眼光を白濁した瞳に揺らめかせながら、少女が顔を上げる。

<絆様、一時退却命令が出ました。死星獣殲滅の優先順位を下げ、
咲熱王を回収ゲートに誘導してください>

オペレーターの声が聞こえる。

どうやら、元老院は死星獣の撃滅よりも新型兵器の確保を優先したらしい。

だが。
そうはいかない。
逃げる? そんなこと、するわけがない。

そんなこと、オレが今ココでできる筈はなかった。
267 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:18:08.35 ID:mkVHEDB80
「雪、ブッ殺せ!」

情緒も、気品も何もない。

感情のまま叫ぶ。
瞳を見開き。
こちらに向けて方向転換する白色のキューブ体を、少女の分まで睨みつける。

完全にオペレーターを無視して、絆は敵が向かってくる方向に機体を向けた。

彼の操作に方向を任せ、少女は殆ど本能的に、
陽月王の肩装甲に取り付けられていた全長五メートルはある長大な両刃の剣を、
機械人形に鞘から抜き放たせた。

柄の部分にエネルギー供給用のパイプが幾本も、機体の胸に繋がっている。
268 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:18:56.05 ID:mkVHEDB80
少女が見えない瞳で、死星獣を噛み付かんばかりに睨みつける。

途端、短剣の刀身が真っ白な純白の色に光り輝いた。

キューブ体が半ばから両断されたのと、
陽月王の右肩が、崩れて飛び散った死星獣の破片を浴びて灰になり
破裂したのはほぼ同時だった。

ナイフにより、バターのように空中で二つに分かれた核がそのまま地面に落下する。そ

してアスファルトの地面にぶつかる……と思った瞬間、
地雷のように乾いた音を立てて破裂した。

右肩を失った機械兵器が肩膝をつく。

吹き荒れる、化け物の破片。

それはまるで雪のようにクリスマスの空に昇っていった。
269 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:19:59.68 ID:mkVHEDB80


いつものように、医務室前で絆はただ待っていた。

戦闘から八時間が経過していた。

元老院や、エフェッサーの本部からの呼び出しも無視していた。

ただ、雪が入っている手術室のランプが消えるのをぼんやりと待っていた。

いつものように、何時間経ったか分からなくなった頃。

絃が疲れた顔で歩いてくるのが見えた。

点滴台を引きずっている命を連れてきていた。
270 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:20:51.85 ID:mkVHEDB80
「絆さん……!」

黒髪のバーリェは泣き出しそうな顔を作ったかと思うと、
よろめきながら走ってきて青年に抱きついた。

軽く苦笑して、胸に顔をうずめた彼女の頭を撫でる。

失敗しても、成功しても。
バーリェは何も言わない。
トレーナーは何も言わない。

それは暗黙のルールだったし、いつからだったかは分からないが絆はそう決めていた。

ただ、黙って命のことを抱きしめる。

絃は軽く息をつくと絆の隣に腰掛けた。そして囁くようにかすれた声を発した。
271 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:21:19.91 ID:mkVHEDB80
「元老院は、お前さんの今回の命令違反は大目に見るってよ。
死星獣の反応は消滅。新型兵器の実戦テストはこれ以上ないほど成功らしい」

黙っている青年の肩を叩き、絃は乾いた笑い声を上げた。

「桜も無事だ。またカリを作っちまったな」

「……気にすんな」

ボソリと答えて息をつく。

いつものような、沈黙。

そのまま数時間が過ぎる。
272 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:21:53.17 ID:mkVHEDB80
暗くなりかけてきた空。絆は絃に命を預けて手術室を見上げた。

それから何時間経っただろうか。

不思議と、眠る気にはならなかった。ラボに帰る気にもならなかった。

汗でべとついて、気持ち悪いスーツを着がえる気にもならなかった。

わけが分からないまま戦闘に徴収されて。

日常と非現実の間に揺れている脳は、半ば停止しているようだった。

ぼんやりした視線の端。

待ち続けて、半日以上経った部屋のドアが開く。

そして憔悴しきった顔の執刀医達がぞろぞろと出てくる。

立ち上がり、彼らを見上げる。

そこで絆は担当医が頷いたのを見て、目を見開いた。
273 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:22:40.68 ID:mkVHEDB80


雪が降っていた。
二日後の軍病院の外は、この地方では珍しく身を切るような寒さに襲われていた。

靴の踝が埋まるほど、真っ白い、純白のウェハースが積もっている。

用意してきたコートを、隣に立つ盲目の少女の肩にかける。

やせ細った顔をにっこりと微笑ませて、雪は笑った。
274 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:23:33.85 ID:mkVHEDB80
元老院は一連の彼女の戦闘を見て、
現在のエフェッサーに必要なバーリェだと判断したらしい。

特例的に、臓器の交換手術が執り行われたと聞いたのは、今日の朝のことだった。

少し前に慣れ親しんでいた感触とは違う、
生気のない小さな手を握り締める。

ふらつく雪の体を支えながら絆は歩き出した。

白い息、白い髪。白い粉が空から降ってくる。

まるで、あの死星獣の残骸のような曇り空。

だが雪は手を伸ばし、空から落ちてきた欠片を掌で受けた。

直ぐに解けて、小さな水の破片に変わる。

軽くそれを握り締め、少女は隣を歩く青年の腕を強く掴んだ。

その見えない目から一筋だけ涙が流れて、積もった白い絨毯の上に落ちる。

絆はそれを見ていないふりをして……そして、雪の頭をただ優しく撫でた。
275 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/21(火) 21:25:46.99 ID:mkVHEDB80
以上で終了となります。

お疲れ様です。お付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。

寒い季節も、そろそろ終わりそうですね。

皆様も、体調にお気をつけください。

ご意見ご感想などいただけると嬉しいです。
276 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/02/21(火) 21:26:11.62 ID:3x82Wlo6o
おつー楽しかったです
277 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) :2012/02/21(火) 22:26:52.35 ID:CmyIUdz70
最高だった!!

乙!
278 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/02/22(水) 00:25:13.76 ID:a3GaTUODO
乙彼様です!
続きを知っている身としては絆がかわいそうでなりません。
頑張って下さい!
279 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/22(水) 09:47:18.60 ID:D7Gzt7XIO

もうこれ完成してるの?
280 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/02/22(水) 10:03:29.95 ID:mkEabnV80
乙。2話までは書いてるって、作者がツイッターで言ってた。
281 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/23(木) 11:16:52.03 ID:x/xlcE/SO

面白かった
282 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 20:59:44.15 ID:oI7jiOK60
ご感想ありがとうございます。

とても励みになります!

今のところは2話までは書いています。

書けている分まで投稿させていただこうと思います。

もう少しお付き合いください。

それでは、今日の分の投稿をさせていただきます。
283 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:03:04.26 ID:oI7jiOK60
2.臨界まであと四秒

そのラボに入ったのは、つい一年半ほど前のことだった。

俺が命じられたのは、戦闘で死亡したトレーナーのラボに行き、
彼の後始末をすることだった。

俺は、死んだトレーナーのことはよく知らなかった。
心底嫌いだったのだ。あの男が。

知らなかったというよりは、
知ろうとしなかったということのほうが正しいかもしれない。
284 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:04:31.00 ID:oI7jiOK60
バーリェをまるでモノのように扱っていたからだ。

俺のように、何人も彼女達を管理しているが、
戦闘に連れてくるバーリェは皆一様に生気がなく、
瞳には光が映っていなかった。

ボロボロの皮膚。
整っていない、浮浪児のような髪。

少なくとも、同じ職場で仕事をする仲間として
俺は奴を認めていなかった。
285 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:05:23.16 ID:oI7jiOK60


一度雪を本部に連れて行った時。

その、目が見えない俺のバーリェが通路の真ん中で立ち往生したことがあった。

彼女のことは廊下に残して来たのだが、
いつまでたっても戻ってこない俺を探しに来ていたらしい。

人を呼べばいいのに、あの子はそれをしなかった。

その時の俺は他ならぬ雪の体調について説明を受けていた。

彼女を呼ぶわけにはいかなかったのだ。
286 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:06:17.86 ID:oI7jiOK60
何しろ俺のいる、死星獣という正体不明の化け物を駆逐する組織、
エフェッサー内部ではバーリェは生命体ではない。

単なる生体燃料の道具だ。

担当医師の説明にはいわゆる『容赦』がない。

薬についての説明が終わり、医務室を出たのと、
『そいつ』が雪のことを蹴り飛ばした現場に遭遇したのはほぼ同時だった。

なんとかすぐそこまで来ていたらしい。

その彼女に対し邪魔だとか、
何だか言葉にも出来ないようなドス黒いセリフをあいつは投げつけていた気がする。
287 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:07:08.22 ID:oI7jiOK60
一瞬何が起きているのか分からなかった俺の前で、
雪は壁にぶつかってその場にうずくまった。

バーリェにとって、トレーナーの言葉は絶対だ。

それが誰であろうとも彼女達の意識下に刷り込まれたプログラムにより、
絶対服従の姿勢をとる。

奴はうずくまって震えている雪を殴りつけようと、手を振り上げていた。

その時だった。俺が、生まれて始めてキレたのは。

よく分からなかった。分からなかったが…
…そいつを、ただ殴り飛ばしてやりたくなったのだ。
288 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:07:58.90 ID:oI7jiOK60
そして数秒後には思い描いていた通りの行動をとっていた。

ジンジンと痺れる右拳。

骨が痛いというのは本当に、今まで経験したことがない体験だった。

血だ。白い欠片も床に転がっている。
俺は、そいつの歯を叩き折ったらしい。

あまりに頭に血が昇っていたので、
自分がした行動を理解するのに何秒か間が必要だった。

まさか相手に逆襲されるとは思ってもいなかったのだろう。

口から血を流しながら、そいつは何かを喚きつつ、
逃げるように通路の奥に走って行った。

まるでモノのように、無表情な奴のバーリェを抱えて。
289 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:08:34.16 ID:oI7jiOK60
その子は、目の前で自分の主人が殴られたというのに
表情一つ変えていなかった。

何もない、何も映さない空虚な瞳。

──壊れている

俺はそれを見て、ゾッとした。

何が怖かったのかは今でもよく分からない。

だが何かこう、人形じみた狂気を感じたのだ。
290 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:09:18.87 ID:oI7jiOK60
明日も、今日さえも存在しないただそこにあるだけの存在。

その諦めきった灰色の瞳だったのだ。

数秒後、呆然としていた俺の隣で雪が泣いた。

本当に大声で、赤ん坊のように俺にしがみついて泣いた。

俺はただ、彼女を抱いてやることしか出来なかった。
291 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:10:13.70 ID:oI7jiOK60


それから一年。

奴には一回も会っていないが、又聞きで、
死星獣に、待機していた野営地ごと飲み込まれて死亡したということを知った。

正直せいせいした、と言うとまるで悪魔のセリフのように聞こえるが、
実際そう感じたんだからしょうがない。

人間とは往々にして身勝手で傲慢な生き物だ。

そして直、俺と同僚の絃に、奴のラボを捜索するようにという
元老院からの直接のお達しがあった。

その時は、彼らの出した命令の意味は全く分かっていなかった。

ただの遺留品回収だとばかり考えていたのだ。
292 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:10:51.39 ID:oI7jiOK60


「……酷いな、こりゃ……」

絃の声が聞こえる。
遠くの方で。

絆は唾を飲み込んで、その場に凍りついた。

死亡したトレーナーのラボに侵入し、奥の部屋に入った途端、
その地獄は目に飛び込んできた。

全く予想もしていなかった衝撃だった。

熱湯を浴びせられたかのように、二人は通路に硬直していた。
293 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:11:25.42 ID:oI7jiOK60
まるで、養鶏場だった。

広い部屋の四方には、壁に固定された鎖がある。

その先端に首をくくりつけられたバーリェの姿が幾体も床に転がされていた。

無残な、腐臭。全員事切れている。

足を踏み出し、絃は大きく息をつきながら
手近なバーリェの亡骸の脇にしゃがみ込んだ。

無論、彼女達は服など纏っていなかった。

やせ細った体が目をそむけたくなるくらい凄惨だ。
294 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:12:09.06 ID:oI7jiOK60
絃がその腕を持ち上げると、
骨と皮ばかりの上腕に無数の注射の跡のようなものが確認できた。

丁寧に元の場所に腕を置き、絃は立ち上がって呟いた。

「何だ……? 一体何が……」

吐き気をこらえながら絆は唾を飲み込んだ。
そしてやっと口を開く。

「……バーリェが……こんなに……」

「生体実験でもしてたのか……妙にこの部屋、何もないが……」

目を剥きながら周りを見回す。

確かに、十数体のバーリェの亡骸の他には
アスファルトの床と壁がむき出しになっているだけだ。
295 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:12:59.86 ID:oI7jiOK60
換気扇だけが空虚な音を立てて回転している。

窓もない。

床を見ると、ホコリが溜まっているが
……何か機材類のようなものを置いていたらしい場所はその密度が薄かった。

引きずった跡もある。

誰かが何かを移動させたというのは明白だった。

しばらくして、二人は逃げるようにその悪魔の部屋を出た。

ラボの外に掛け出て、二人で大きく息をつく。
296 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:13:41.75 ID:oI7jiOK60
「絆、とりあえず本部に応援を呼べ。これは異常事態だ。
俺たちじゃ対応しきれない」

「……分かった」

頷いて携帯端末のスイッチを入れ、手短に用件を伝える。

そして絆は地面に座り込んだ。
そして頭を抱える。

「……何が、あったんだ……」

まださっき見た光景を理解できていなかった。

頭の芯の奥がそれを認識するのを拒否しているのだ。
297 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:14:23.89 ID:oI7jiOK60
二人で大きく息をつき、外見的にはごく一般のラボを見上げる。

「元老院はこれを確認したかったんだ」

大分経って絃がポツリと言った。

「これを……?」

「知らないか? 
最近、工場出荷前のバーリェが大量に行方不明になってる。
人権擁護派とかの狂った奴らがやってることかと思われてたが、
まさかその犯人が身内にいたとはな
……俺もそこまでは考えていなかった。
確かにここの持ち主はいい同僚じゃなかったが」

「聞いたことはある。だが、これは……」
298 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:15:13.26 ID:oI7jiOK60
「いずれにせよ、調査は俺たちの役目じゃない。
任務は確認だ。素直に応援が来るのを待とう……大丈夫か?」

心配げに覗き込まれ、絆はしかし気を張る余裕もなく大きくため息をついた。

「……これで三件目か」

「ああ。今年に入ってからな。お前さんは見るのが初めてだったな。
バーリェに感情移入してるお前さんは辛いだろ」

「まぁ、な……」

小さく呟いて遠くの青い空を見上げる。

今年に入ってから三件目。

バーリェの失踪事件に合わせて、大量に死亡した亡骸が発見された事件だ。

しかしトレーナーのラボから見つかったのは初めてのこと。
299 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:16:20.77 ID:oI7jiOK60
「これじゃ、本当にモノだな」

さりげなく呟いて頭を抱える。

そのまま吐き気を息と共に外に出す。

「実際にモノだ。
ヒトじゃない。
バーリェは実質的にはAADを動かすための燃料だからな
……きちんと動作すれば、極論的に言うと管理体制はどうでもいいんだ。
あとはモラルの問題だ」

淡々と絃はそう返した。

絆はとっさに返すことが出来ずに口をつぐんだが、
聞こえるか聞こえないかの声で小さく言った。

「ヒトじゃなきゃいいのかよ」
300 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:17:01.90 ID:oI7jiOK60
それに答えず、絃は軽く首を振ってもう一度ラボを見上げた。

そこで彼の瞳が一瞬大きくなる。

肩を掴まれて、絆は振り返った。

「どうした?」

「何かいる。あの窓のところで動くものが見えた」

「野良猫じゃないのか?」

言いながら立ち上がって絃が指差した方向を見上げる。

最上階に当たる部屋の窓。

黒いカーテンが敷き詰められていて中は確認できない。
301 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:17:45.32 ID:oI7jiOK60
あまりの部屋の惨状に驚き、あそこまでは行っていない。

「……生き残りがいるのかもしれない。絆、行くぞ」

「あ、ああ……」

どもりつつも絃の後につき、絆は悪夢の空間に再び足を踏み入れた。

上階は死亡したトレーナーの仕事場のようだった。

雑然とした部屋。

ホコリが溜まっている奥に、クローゼットのような一角がある。

先ほどの窓は、あの場所だ。絃がそこを無造作に開けた。

途端に、情けないことに絆の腰は、一瞬抜けた。

理解できないことが起こっていた。
302 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:18:25.52 ID:oI7jiOK60
よろめいて背後の壁に背をつく。

しかし目はそれから離すことが出来なかった。

何もない、クローゼットの中。
狭い空間に全裸のバーリェが一人、鎖でつながれていた。

首と、動けないように手、足。

目には目隠しがされている。

まるで事切れているかのように俯いていたが、
体が時折かすかに痙攣していた。

絃も言葉を失い、数秒間停止する。
しかしいち早く立ち直り、彼は呆然としている絆に向かって声を張り上げた。
303 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:19:13.79 ID:oI7jiOK60
「何してんだ! この子、まだ生きてるぞ。銃を貸せ、早く!」

こみ上げてくる嗚咽感を押し殺し、
震える手で絃にハンドガンを渡す。

彼は銃口をハンカチでくるみ、鎖に当てると何回か引き金を引いた。

重い衝撃と共に少女が解放され、床に力なく転がる。

銃声がしたというのに彼女には反応がなかった。

慌てて転がるようにして駆け寄り、絆はそのバーリェを抱き上げた。

軽い。
信じられないほど。
304 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:19:53.35 ID:oI7jiOK60
「だ、大丈夫か? 気づいてたら何か言え。俺たちは敵じゃない」

喉の奥が震えている。

彼女の目隠しをむしりとると、奥から光がなくなった灰色の瞳が表れた。

バサバサの金髪がより無残さを際立たせている。

「……あ……」

大分経ってバーリェが口を開けた。

「よかった。絆、そろそろ応援が到着する頃だ。早く外に連れ出すぞ」

「分かった。もう少し我慢し……」

「ご主人さま……」

かすれて消えそうな声。

立ち上がろうとした瞬間、
少女が発した声に二人は心底ゾッとして同時に立ち止まった。
305 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:22:28.76 ID:oI7jiOK60
「お帰りなさ……」

感情のない、機械のような声だった。

オウムとでも言えばいいだろうか。

希望も、未来も、現在もそれさえない声。

何もない、空っぽだ。

一瞬それが信じられないくらい恐ろしくなったのだ。

だが数瞬後、追って感じたのは火のような『怒り』だった。

雪を蹴り飛ばしたあいつが、あの時に持って行ったバーリェ。

あの瞳と同じ。
何もないガラス玉。
306 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:23:13.78 ID:oI7jiOK60
……そんなことが許されるのか。

──ヒトじゃない

絃の声が頭の中にこだまする。

ヒトじゃない? 
だから、だから何だって言うんだ。

少なくとも手の中のモノは、
目も、口も、鼻も、耳もある。

動いている。
喋っている。

それだけじゃダメなのか。
307 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:23:47.80 ID:oI7jiOK60
どうしてこんなに酷いことができるんだ。

歯を噛み締め、少女の目にそっと手を当て、つぶらせる。

そして絆は大きく息を吸って、彼女の耳に囁いた。

「帰ろう。家に帰ろう」

絃が何かを言いたそうに口を開く。

だが彼は思いなおしてすぐに言葉を飲み込んだ。
308 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:24:31.94 ID:oI7jiOK60


「……本当にあのバーリェを引き取られるんですか?」

エフェッサーのバーリェ生産工場担当職員から
不思議そうな声を投げかけられ、
絆は答えずに、
無菌室のベッドに横たわっている金髪のバーリェに目をやった。

死亡したバーリェの体は、本来は火葬されるでもなく分解され、
新しい彼女達の体を構築するために再利用される。

心が壊れてしまったものも同様だ。

心がなければ、生体エネルギーを発することが出来ない。
309 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:25:16.23 ID:oI7jiOK60
あの地獄のラボから救出した少女も、
最初はリサイクルに出されるものとばかり周りには思われていた。

絃でさえも。

しかし絆は、無理矢理に引き取るとそれを通したのだ。

理由はなかった。

死んだバーリェたちについて一切言及せず、黙殺し、
違反を犯したトレーナーについての調査を優先させる元老院や同僚たちへの、
収まらない怒りの感情をあてつけたかっただけかもしれない。
310 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:25:55.00 ID:oI7jiOK60
だが、何となく……本当にただ何となく。

絆は胸が苦しくなったのだ。

古い文献から引用すれば『切なくなった』という感情の動きを言うのだろうか。

良く分からなかったが、彼女を見て見ぬふりをするのが、
自分にとって更に滞る怒りの感情を誘発しそうに思えたのだ。

「構いません。意識野を初期化して、まっさらな状態にもどしてくださればいい」

大分経ってそう返すと、職員は慌てて口を開いた。
311 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:26:52.32 ID:oI7jiOK60
「し、しかし……絆様ほどのトレーナーでしたら、
私ども全員でよりハイレベルな新型をお渡しできますが
……このバーリェは、その……汚れています」

控えめに彼が言う。一瞬カチンと来たが、絆は息を吸って答えた。

「綺麗じゃないですか」

「い、いえ……しかし……無理矢理に意識野の調整を行うと、
幼児退行化してしまいますが。それでもよろしいのですか?」

それを聞いた時、
一瞬ラボで見せたあのバーリェの空っぽの瞳が脳裏に浮かんだ。

「……構いません。あとの調整は、俺が日常生活の中で施していきます」

どうにも理解できない、と言った顔で職員がため息をつく。

絆はそれを見ないふりをして、部屋を後にした。
312 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:27:42.14 ID:oI7jiOK60


それから一週間後のことだった。

金髪のバーリェが目を覚ました、と報告を受け本部にやってきたときには、
彼女は出荷された瞬間のバーリェ特有に、意識が混濁している状況だった。

初めて見る外の世界、
初めて聞く外の音に脳内にインプットされた知識が追いついてこないのだ。

ベッドの上に上半身を起こし、
ボーッとしている少女の脇に座り、絆は控えめに声をかけた。

「……俺が分かる?」

それを聞いて少女はゆっくりと絆の方を向いた。

ぼんやりしているが、瞳の焦点は合っている。
313 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:28:14.40 ID:oI7jiOK60
綺麗な薄い黄色の目。

金色の髪も、綺麗に梳かされている。

完全に記憶を消し、新しい人格を植え込んだのだ。

体は成長した状態だが、中身は初期状態である。

少女はしばらく不思議そうに絆のことを見ていた。

彼の経験からして、大体バーリェが一番最初に発する言葉は

『ここはどこですか?』

だ。自分が置かれている状況をまず知ろうとする。

しかし、この子は違った。
314 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:28:57.72 ID:oI7jiOK60
「ごしゅじんさま?」

言われて絆の脳に電流が走った。

椅子から転げ落ちそうになりながら、なんとか自制する。

この子の記憶は全部消えているはずだ。

初期化されたんだから。
偶然だ。

そう自分に何回も言い聞かせて、無理矢理その考えを頭から追い出す。

そしてゆっくりと、絆は笑顔を浮かべた。

手を伸ばし、彼女の髪に触れて頭を撫でる。

そうすると少女は目を閉じて、ネコのように気持ちよさそうに体を揺すった。
315 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:29:45.82 ID:oI7jiOK60
「んー……」

鳴き声のように音を出すバーリェの顔を覗き込んで口を開く。

「俺の名前は絆。今日からお前の保護者になるんだ」

「ほごーしゃー?」

間延びして怪訝そうに聞かれる。

バーリェに、そんな赤ん坊のように問いかけられたのは
初めてのことだったので困惑しながら絆は頷いた。

「あ、ああ」

「ほごーしゃー、さん?」

指差されて繰りかえされる。

どうやら自分の名前がそれだと思ったらしい。
316 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:30:21.69 ID:oI7jiOK60
幼児退行とはこういうことなのか……? 
と息をついて絆はもう一度言った。

「俺の名前は絆。よろしくな」

「よろーしくー。ほごーしゃーさん」

「いや、絆だ」

「あははっ」

今度は笑い始めた。会話が噛みあっていない。

でも──絆は正直心の底から安堵していた。

目に、光がある。

いくら言っていることの意味が分からなくても、
この子は生きている。

俺と同じように、生きている。
317 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:31:50.82 ID:oI7jiOK60
息をついて、また頭を撫でる。

「まぁこれから詳しいことは覚えていけばいい。じゃあ帰ろうか、愛(マナ)」

「まーなー?」

「お前の名前だ」

そう言って小さな少女をベッドから抱き上げる。

お姫様を抱くように持ち上げ、絆は小さく笑った。

「愛、だよ」

「まーな」

「そう、良く出来た」

微笑む彼女から目を離し、絆は足を踏み出した。

一年半前のこと。

それから彼女が、絆の名前を覚えるのに二週間がかかった。
318 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:32:46.07 ID:oI7jiOK60


朝が来る。今日も、何の変哲もない朝が。

絆は小さく呻いて目を開けた。

最近は夜半がやけに冷え込むので、
ラボの中は暖房器具をつけ放しにして最適な温度に保っている。

しかし、何だか今日は寝苦しかった。

仕事がない日は大体朝の七時半から八時に起きるようにしているが、
時計を見るとまだ六時になったばかりだった。

ベッドの上に上半身を起こす。

まだ外には太陽は出ていない、薄暗い。
319 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:33:21.52 ID:oI7jiOK60
周りを見回すと、バーリェたちはまだ静かに寝息を立てていた。

死星獣を倒すための兵器、
AADを動かすために使用されるクローン、生体弾丸。

しかしその実態は、なんら自分たち人間と変わらない、
いや……むしろ感情を失くしたこの社会の中では、
絆たち人間よりもよほど鮮やかな表情を持っている生き物だ。

眠気の残る頭を振って、絆は大きく欠伸をした。

そして水でも飲もうかとベッドの下に降りる。
320 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:34:01.00 ID:oI7jiOK60
食堂に向かう途中、姿勢正しく人形のように寝ている、
ひときわ色の白いバーリェの前で止まる。

雪だ。

最近、ますます髪が白くなってきたように思える。

新型AADの実践訓練後の延命手術以来戦闘には出していないが、
日に日に弱っていくような気がするのはたぶん気のせいではない。

バーリェの寿命は長くても三年。

雪は、あと四ヶ月でその期間を迎える。
321 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:34:56.68 ID:oI7jiOK60
そうでなくても彼女は……何というか特別だった。

普通のバーリェがたとえ三十体束になったとしても
かなわないほどの生体エネルギー含有量を持っている。

故に、絆たちの組織は盲目の彼女を非常に酷使したがる。

延命手術を施行したのも、
貴重なサンプルである彼女をもっと利用したいがためだ。

雪から目を離し、食堂に向かう。

考えても仕方ない。
今は。
322 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:35:39.16 ID:oI7jiOK60
少し前は、もう雪はだめかと思っていたのだ。

今生きているだけでも御の字だろう。

そう、割り切らなければやっていけない。

そう考えなければ何を考えたらいいか、いつも分からなくなる。
いつも。

だから絆は、考えず、気づかず。

見なかったフリをするしかない。

毎朝、いつも同じ。

生きていることに安堵して、そしてこれからのことについて考えるのをやめる。

その、繰り返しだった。
323 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/23(木) 21:39:12.35 ID:oI7jiOK60
お疲れ様です。次回の投稿に続かせていただきます。

ご質問やご感想などございましたら、遠慮なさらずどんどんくださいね。

それでは、今回は失礼いたします。
324 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:49:21.25 ID:o2andqOr0
こんばんは。

続きを投稿させていただきます。

お付き合いいただければ嬉しいです。
325 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:52:33.89 ID:o2andqOr0
*

「絆さん、朝ごはんができましたよ」

ソファーにだらしなく横になっていると、
黒髪のバーリェ、命(ミコト)の声が頭の上から投げかけられた。

瞑っていた目を開けて、大きく伸びをする。

「おお。今行く」

答えて立ち上がろうとしたときに、
小さな影が目の前でピョンと飛び上がった。

次いでみぞおちに強烈なタックルが降ってくる。
326 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:53:13.36 ID:o2andqOr0
さすがにそれの予測はできずに、
モロに飛びかかってきた小さなバーリェの全体重を受け、
絆の視界に星が散った。

くぐもった声を上げつつ、
自分の体に猿のように抱きついた子を引きはなす。

小さく咳をして呼吸を整え、絆は大きく息を吸って吐いた。

「愛(マナ)
……お前の攻撃は回を増すごとに凶悪になっていくな……」

「絆ー、ごはん食べようー」

青年に話しかけられたのが嬉しいのか、
パッと表情を明るくして愛が答える。
327 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:53:56.52 ID:o2andqOr0
この金髪のバーリェは、
他の子に比べて極端に精神年齢が幼い。

人間で言えば六、七歳に相当するだろうか。

普通工場を出荷される時点でのバーリェの設定年齢が
およそ十七歳前後であることからも、
かなり発達が遅れていることが分かる。

つまり体は大きいが、心が幼児なのだ。

当然小さい子ならたいしたことがない衝撃も、
いくら小柄で痩せている女の子だとは言え結構なものになる。
328 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:54:40.90 ID:o2andqOr0
最近はさらに絆へのタックルに
助走をつける方法を編み出したらしく、
気が緩むとはるか上から降ってくる。

本人は楽しいらしい。

額を押さえて衝撃を緩和しようとしていると、
パタパタとスリッパの音をさせながら命が駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか絆さん! 愛ちゃん何やってるの!」

「ごはんの呼びに来たんだよ」

「だったら言葉で言いなさい。絆さん、私が誰だか分かりますか?」
329 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:55:44.76 ID:o2andqOr0
ピシャリと愛を抑えたにも関わらず、
まるっきり見当違いな心配の仕方をされて、
絆は小さく息を吐いた。

そして愛の体を軽く持ち上げて、肩車の要領で肩に上げる。

「大丈夫。いい加減慣れたよこいつのコレには……」

「苦しそうにされた直後は必ず少しずつたくましくなりますね。
さすがです」

ニッコリと寸分の疑いもなく、笑顔。

大人ぶっているがこの子は実は一番単純。

多分、道端で見知らぬ人間に『飴をやるから』と
言われてもついていってしまうだろう。
330 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:56:30.37 ID:o2andqOr0
その純粋さは、トレーナーとバーリェの信頼関係で成り立っている
この仕事においてはかなりのステータスとなるが、
この灰色の人間社会で生きていくうえでは極端なマイナス要因にしかならない。

可愛らしさなんて、所詮他人から見れば物質的な人形要素の観点だ。

妄想のはけ口にしかならない。

だからこの子達は、絆の管理を離れて少しでもラボの外に出たら
名実ともに生きていくことはできない。

それだけは確かなこと。

この笑顔も、可愛らしさも。

絆と言う一つの存在に強固に守られているからこそ、
閉鎖的なこの空間の中でのみ成り立つものなのだ。
331 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:57:24.58 ID:o2andqOr0
「ほら、お前らもゲームはそれまでだ。
電源つけといていいから、メシ食うぞ」

少し離れた巨大なテレビを占領してゲーム中だった優(ユウ)と文(フミ)、
二人のバーリェに声をかける。

彼女たちは双子だが、文の方は口が利けない。

雪と同じく欠陥品のバーリェだ。

声をかけられた優は「はーい!」と元気に返事をし、
きちんとゲーム機の電源を消してから文の手を引いてきた。

彼女たちと連れ立って隣の食堂に入る。
332 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 19:59:53.60 ID:o2andqOr0
すでに雪は席についてゆったりと座っていた。

命がかけてやったのか、寒くないようにと羽毛のケープが肩に乗っている。

「おはよう、絆」

「おはよう。具合はどうだ?」

「元気だよ。ほら」

ニッコリと笑う。

こけた頬が、本人は気づいていないのだろうが妙に生々しい。

数ヶ月前まではばら色の顔色だったのが、
今では目の下にくっきりとクマができているのがデフォルトになってしまっていた。

だが、気づかないフリをして頭をなでて、席に着く。
333 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:00:35.58 ID:o2andqOr0
本来なら、この子はもうとっくに死んでいるはずのバーリェ。

生きているだけで、異例。

無理やりに臓器の交換手術を受けさせられ、生き延びてしまった個体。

それだけで御の字ではないか。

何を考えることがある。

目の前で席に着く少女たちを見回す。

みんな生きている。
今、今日この朝は生きている。
生きて笑っている。
334 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:01:08.93 ID:o2andqOr0
それだけで十分じゃないか。
他に何を求めるというんだ。

俺は他に、何を求めるというんだ。

求めるものなんて何もないじゃないか。
それだけで十分じゃないか。

「絆さん?」

命に呼びかけられてハッと顔を上げる。
そして絆は軽く笑った。
335 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:01:45.12 ID:o2andqOr0
「よし、食うか。その前に全員薬飲め。
雪は、ちょっと待ってろな」

立ち上がり、目が見えない雪の分の薬を棚から取り出す。

そして絆は、今まで彼女が飲んでいたものの一つを
、さりげなく本部から渡された更に強力なものに取り替えた。

そして何食わぬ顔で雪の手に握らせる。

彼女がそれを、何の疑いもなく水とともに飲み込むのを確認し、
絆は息をついた。

そう、十分なんだ。
これで。
336 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:03:42.77 ID:o2andqOr0


今日はエフェッサーの本部で、
先日配属された新型人型戦車、AAD七〇一号、
陽月王に関する説明を受ける会議がある。

雪を使って本格的に量産、実戦投入が検討されている、
これからの対死星獣戦闘を一変させる可能性を秘めた兵器。

今までの応用性のない戦闘機、戦車砲台と違って、
七〇一号以降のAADは人型、かつバーリェの想像するとおりに脳波を感知して動く。

本質的には関節のある戦車なのだが、漫画の世界のロボットと似たようなものだ。

前回の戦闘で使用されたのは動くかどうかを確認するための試作品。

それで雪は、あまつさえ死星獣を撃退するという離れ技をやってしまった。
337 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:04:17.38 ID:o2andqOr0
最も、それをさせたのは絆だった。

あそこで退くわけにはいかなかったのだ。

離脱したらまた実験で雪が駆り出される。

そうすれば彼女はたちどころに死んでしまうかもしれない。

つまり、あそこで死星獣を撃退しなければ、
雪の生存確率は急降下してしまう状況だったのだ。

いわば撃破せざるを得ない状況。
338 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:05:01.74 ID:o2andqOr0
初めて乗った機体で、初めての実戦。
さらに雪は目が見えない。

そんな状況で、絆が同乗しているとはいえ死星獣を完全に撃滅したのだ。

期待以上の成果を確認した本部が、
更に兵器の強化を検討しても不思議ではない。

陽月王には新たな追加装甲と、更にまだ説明は受けていないが
……何らかのシステムが組み込まれるらしい。

また、絆のバーリェは優秀が故の実験台にさせられるというわけだ。
339 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:05:35.13 ID:o2andqOr0
大きくため息をついて、
小奇麗に整備された休憩室のソファーにだらしなく寝転がる。

隣には愛が座り、暇そうに足をプラプラさせていた。

今日は彼女の定期健診の日だ。

会議のついでに連れてきたのだ。

少し早く来すぎてしまったために、ここで時間をつぶしているというわけだ。

全面ガラス張りの、休憩室の壁を見つめる。

もう雪は降らなくなったが、まだ二月。肌寒いと言えば肌寒い。
340 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:06:12.34 ID:o2andqOr0
「絆ー、遊ぼうー」

ついに検診までの待ち時間に耐え切れなくなったのか、
寝転がっている絆に、愛がラボでしているように抱きついてきた。

猫のように胸に顔をこすり付けてくる彼女を、ため息をついて引き離す。

「おいおい。ここはラボじゃないんだから。おとなしくしてなさい」

「やだ。遊ぼう。じゃなきゃ帰ろう」

反抗された。

普通バーリェはトレーナーの言葉には逆らわないものだが、愛は違った。

知能の発達が遅れているせいだからなのかはよく分からないが、
他の子たちが押し殺そうとする感情をそのまま口に出す。
341 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:06:50.70 ID:o2andqOr0
困ったように息をついて彼女の頭をなでる。

寝転がっている絆に馬乗りになっているバーリェという、
誤解されそうな状況。

明らかに不機嫌そうな彼女は、
ちゃんと対応しなければ癇癪を起こしそうな雰囲気だった。

無理もない。

今日は休日で、
優たちとゲームをやって遊んでいたところを無理やり連れてきたのだ。

「……何やってんだお前ら」

そこで頭の後ろから呆れたような声を投げかけられ、絆はそちらに目を向けた。
342 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:07:27.94 ID:o2andqOr0
同僚の絃がポカンとした顔で休憩室に入ってくるところだった。

彼も、絆と同じく人型AADを任された上級のトレーナーだ。

ひげを蓄えたガッシリとした体つきは微妙な威圧感をかもし出しているが、
実際は面倒見がいい変わった人間。

後ろには長い髪を背中で一つに結んだ彼のバーリェ、桜がついてきていた。

「あー、さくらー」

彼女を確認すると、絆の腹を踏みつけるのも構わず、
愛はソファーを飛び降りると桜に駆け寄った。

「あらあら。おはよう、愛ちゃん」

「さくらまた大きくなった」

「愛ちゃんも背、伸びたねぇ」
343 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:13:05.59 ID:o2andqOr0
嬉しそうに話し始める彼女たちを横目で見ながら起き上がる。

バーリェは何故か同種を見ると過剰に仲良くしたがる傾向がある。

DNA管理され、人間間の関係なんて希薄なこの世界、
絆の目にはやはりどこかその光景は異質に映る。

ひとまず文句から解放されて息をついた絆の隣に、
絃が無造作に腰を下ろした。

「よう。検診か?」

「ああ。つっても愛のだから、薬もらって終わりだけどな。
会議中は遊戯室にでもおいとこうかと思ってる」

「そうか。一人で桜をラボに置いておくのも不安でな。
連れてきたんだが、じゃあ愛ちゃんと一緒に遊ばせといていいか?」
344 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:13:57.06 ID:o2andqOr0
聞かれて絆は軽く笑ってみせた。

「願ったりだよ。最近妙に我侭になってきてな。
どうしようかと思ってたところだ」

それに肩をすくめ、絃は返した。

「いい傾向じゃないか。一度知覚が全て初期化の結果、
退行化してもあそこまで回復することが実証できたんだ。
俺はそれだけでも毎回驚いてるよ」

「……人事だと思って気楽に言ってくれるよ。
まぁ、所詮俺のエゴイズムで引き取った子だ。
実証とか、そういうことは関係ないさ……」

ぼんやりと呟いて天井を見上げる。
345 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:15:12.53 ID:o2andqOr0
しばらく窓の外に目をやっていると、
不意に絃が持っていたファイルケースから一枚の資料を出した。

それを無造作に絆の前に差し出す。

「……何だ?」

首をかしげ、受け取る。

絃は愛と桜の方をちらりとみてそれきり口をつぐんだ。

何か聞かせたくない内容なのかと察して、
無言で資料に視線を落とす。

そこで絆は顔をしかめた。
346 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:15:58.16 ID:o2andqOr0
それは、失踪したバーリェが
また発見されたということを示す報告書だった。

絃が捜査を担当したらしく、まだ上には提出していないようだ。

今回のケースで、四件目。

愛が見つかってから途絶えたと思っていたが、
それは単に表に発覚していなかっただけらしい。

まだにバーリェを誘拐し続けている組織の実情も、
目的も、そして誘拐対象に施されていると思しき実験内容も
定かになっていない。

相手の方が何枚か上手なのは認めるしかない事実だった。
347 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:16:51.80 ID:o2andqOr0
今度はここから相当離れたリェンクロンという街の外れで
放置されていた廃工場での発見だった。

死亡していたバーリェの総数は、五十二。

例によって実験器具などは全て運び出された後で、
何も確認できていない。

生存していた個体はなし。
最悪だ。

資料を絃に返し、絆は息を吸って額を抑えた。

愛が監禁されていたあの惨状が脳裏にフラッシュバックする。
348 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:17:50.71 ID:o2andqOr0
「……どうしたものかな、俺にもよく分からん」

しばらくしてポツリと絃が呟く。

絆は小さく首を振って答えた。

「さぁな。これから先は俺たちの管轄じゃないだろ。
お前は首を突っ込みすぎなんだよ。
捜査は、捜索部に任せておけよ」

「……そうだな、ああ……そうだ」

曖昧に頷き、絃はため息をついた。

「だが誰か生きてたらな。俺かお前がいないと駄目だろう」
349 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:18:27.01 ID:o2andqOr0
その言葉を聴いて、絆は背中を鞭で打たれたような気分になった。

言葉を返せずに、にこやかに談笑している二人の少女に目をやる。

「確かに……それも、そうだな」

肯定。
そうするしかない。

それが現実だから。
それが、当たり前のことだから。

「とりあえず、バーリェ出荷工場の管理体制の強化を進言するしかないな。
それが現段階で俺にできることか……」
350 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:19:11.81 ID:o2andqOr0
呟く絃の肩を叩く。

「気負いすぎんな。次からは俺も行くよ」

そこで彼はバーリェ達が駆け寄ってくるのを感じて顔を上げた。

愛が困った顔の桜の手を引っ張っている、彼女は絆の前に立つと、
満面の笑顔で言った。

「絆、アイス食べよう。桜のも」

一瞬言われた意味をすぐ飲み込むことができずにきょとんとする。

「ま、愛ちゃん。私は……あの……」

いくらなんでもバーリェがトレーナーに
金を要求するのはあまりにもありえないことだ。
351 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:19:52.78 ID:o2andqOr0
戸惑って目を白黒させている桜を見て、
絆は絃の方を見て呆れた息を吐いてみせた。

「この寒いのにアイスか? 腹壊すぞ」

「大丈夫だもん。あー、げんも食べよう」

唐突に呼び捨てにされる彼。

しかし慣れているのか、絃は豪快に笑って立ち上がった。

「ははは。絆は疲れてるからな。
今日は俺が買ってやろう。桜もそれならいいだろう」

「え……あ、はい。絃様がそう仰るのなら」

丁寧に頭を下げる桜。

几帳面な性格のバーリェ故の特徴が本当に出ている個体だ。
352 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:20:31.83 ID:o2andqOr0
絆は苦笑して口を開いた。

「いいのか?」

「これくらい気にするな。よし、二人とも売店に行こうか」

「いこー!」

嬉しいのか、先頭に立って歩き出す愛。

階下の売店に歩いていく彼らを見送って、
絆はまたソファーに横になった。

絃は冗談で言ったんだろうが、
疲れているというのはあながち嘘でもなかった。

加えて先ほど、
あんな事件を見せられては沈んだ気分も倍加するというものだ。
353 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:22:00.29 ID:o2andqOr0
これで四件。
何か異常なことが起こっているというのは確かなことだった。

エフェッサーや元老院にとってはバーリェはただの備品だ。

人権などが存在しないクローンたちの重要性はさほどない。

重要なのは、トレーナーが成育させて生体エネルギーが熟成した
……つまりは成長した個体であり、
成長していない初期状態のバーリェがどんなにいなくなろうとも、
また生産すればいいという常識的な認識が存在している。

上が問題にしているのは、
無断で機密備品であるバーリェを窃盗している組織があるという事実。

それももちろん問題だが、
絆や絃の感じている不安感情とは全く別のものだ。
354 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:22:47.13 ID:o2andqOr0
しばらくぼんやりとしていると、
小さな足音が駆け寄ってくるのが耳に届いた。

閉じていた目を開ける。

すると、両手に巨大なソフトクリームを持った愛が
危なっかしい足取りで走ってくるのが見えた。

慌てて飛び起き、駆け寄る。

彼女はかなりの内股気味で意識せずともよく転ぶ。

絆が愛を支えるのと、彼女が足をもつれさせて倒れたのは
奇跡的に同時だった。

何とか両手のソフトクリームは落とさなかったらしく、
今しがた転びかけたことも忘れて愛は片方を差し出した。

笑顔だ。
355 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:23:24.99 ID:o2andqOr0
「はい!」

それだけの言葉。

絆は一瞬ポカンとして、
そしてそれが自分のものであることに気がついた。

遠目に、苦笑しながら階段を上ってくる絃と桜が見える。

絆はソフトクリームを受け取り、愛の頭に静かに手を置いた。

「良かったな。ありがとう」

「うん。食べようー」

満面の笑顔。

青年はそれを受け、軽く息を吐いた後優しく笑った。
356 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:24:13.06 ID:o2andqOr0


「これが先日撃滅した死星獣の破片です」

説明を受け、巨大な長テーブルの上に乗った、
コンクリートのような断片を見る。

午後の指定の時間になり、
エフェッサー本部役員との会議が始まって数時間。

決まりきった予算やバーリェの体調についての報告を終え、
本題に入ったところだ。

数人の職員に運ばれてきた、
銀色の台に乗った白い牙のような物体は、
天井の蛍光灯の光を受け微妙に青白く光っていた。
357 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:25:02.99 ID:o2andqOr0
上座に座っている、
この支部のエフェッサー本部長が表情を変えないまま口を開く。

「先日、Dインパルスキャノンの斉射、
そして絆執行官の搭乗したAAD七〇一型の伝導ナイフにより
駆除された死星獣のコア、
つまるところこれは奴ら化け物の心臓に当たる部分だ」

「……これが……」

一人の幹部が呟いて手を伸ばす。

すると本部長の隣に立っていた若い女性職員が、
無言で手に持っていた万年筆を白い破片に向かって放り投げる。
358 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:25:40.62 ID:o2andqOr0
次の瞬間、会議室全体に戦慄が走った。

万年筆が当たるか、当たらないかのうちに
それは強烈な水圧に押しつぶされたかのように、
くしゃりとサイコロ大に圧縮された。

それも、空中で。

そして死星獣の破片に当たるころには
更にビーズ玉ほどに小さくなり、
ついには黒い点となり、視界から消えた。
359 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:26:52.63 ID:o2andqOr0
「な……っ」

声が出ず、あまりのことに席から腰を浮かせる。

手を伸ばしかけていた幹部も呆然とした後、
慌ててそれを引っ込めた。

凍りついてテーブル上の死星獣の破片から体を離した一同を見回し、
本部長は冷静な声で続けた。

「見ての通りだ。過去五十年間、
我々は死星獣と戦ってきたわけだが、
このように奴らのサンプルが採取できたのはこれが初めてのことだ。
死星獣は機能を停止させると、普通は溶けてなくなるからな。
その点では絆執行官の働きはとても大きい。感謝している」
360 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:27:39.25 ID:o2andqOr0
「しかし、これは一体……」

呆然とした顔で幹部の一人が呟くと、
本部長の脇の女性職員が口を開いた。

「先ほどの通り、いまだにこの死骸の一部からは、
極端な重力力場が発生し続けています。
密閉した空間におくと、
空気それ自体の圧縮を始めるので外気にさらし続けていますが、
私たちはコレをマイクロブラックホール粒子、
つまるところ極小の圧縮空間を発生させる一種の装置のようなものと考えています。
危険ですので、二十センチ以内には近づかないようにしてください。
固定台は三分ごとに交換しています」

(マイクロブラックホール……?)

その単語を聞いて、絆は改めて背鈴が寒くなるのを感じていた。
361 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:28:25.64 ID:o2andqOr0
今まで散々聞かされてきたこと。

死星獣は、体表からその圧縮粒子を発散させながら侵攻してくる。

しかし現物として触れる距離にそれがある、というのは初めての経験だった。

こんなものと、自分や雪は戦っていたのだ。

無言で先ほど女性職員がやったように、
テーブルに置いてあったコーヒーの入った紙コップを、
中身ごと死星獣の破片に放り投げてみる。

コーヒーは空中で外に飛び出したが、
破片にぶちまけられる……と思った瞬間、
空中でビー玉のような球形になった。

全方向から同一の力がかかったときに起こる現象。

米粒ほどに潰れた紙コップと同じように、
コーヒーの球体は段々と小さくなり、そして消滅した。
362 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:29:10.27 ID:o2andqOr0
つばを飲み込んで腰を落ち着ける。

絆の一連の行動を黙って見ていた本部長は、
それを確認してまた喋り始めた。

「この圧縮空間の干渉は、
今まで通りにバーリェの発する生体エネルギーにより
中和することが可能だ。
ゆえに、先日絆執行官が使用したエネルギーコーティングされた
AAD用伝導ナイフなどで切り裂くことが可能になる。
原理は今、まだ研究中だ……下げてくれたまえ」

「はい。了解いたしました」

頭を下げ、隣の女性職員がインターホン越しに
死星獣の破片回収を要請する。
363 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:29:46.76 ID:o2andqOr0
数分もたたずに、先ほどと同じ、
運んできた職員たちがそれを持って部屋を退室した。

「逆にこの技術を応用し、
更なる兵器群の強化システムを構築している。
トレーナー各員には、
今までよりもよりハイレベルなバーリェの育成を期待している。
私からの話は以上だ」
364 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:30:33.41 ID:o2andqOr0


会議が終わり、
すぐ近くに設置されている廊下脇のソファーに腰を下ろし、
大きく息をつく。

背伸びをして首の骨を鳴らすと、
絃が表情を落として近づいてきた。

そして絆の隣に座る。

「……何だアレは?」

意外なことに最初に口を開いたのは彼だった。

背伸びを止め、絆は黙って天井を見上げた。

蛍光灯の白すぎる光が目に刺さる。

「化け物だろ」

一言、簡潔に答える。
365 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:31:15.71 ID:o2andqOr0
正直絆にもそれは分からなかった。

生まれたときから既に、この世界には死星獣がいたし、
実際のところどうしてそんな化け物が存在しているのかなんて
考えたこともなかった。

死星獣も、バーリェも。
自分がこの世に存在したころには当たり前に在った。

だから、考えても仕方のないことだ。

それが存在しているという事実を受け入れなければ、
自分が此処で生きていくことができない。

絃は大きく息をつくと、珍しく苛立った様子で片手で額を押さえた。

「分かってる。だが……何なんだ、アレは」
366 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:31:56.09 ID:o2andqOr0
「……さぁな。お前、間近で見るのは初めてだったか? 
そういえば、ここのトレーナーでは俺以外、
肉眼で死星獣を見たことがある奴はいなかったな……」

ぼんやりと呟いて大きく息を吐く。

「バーリェはいつも、あんなのと戦ってるんだ。
それが何なのかは俺も分からない」

「お前さんは雪ちゃんが乗るときだけは同乗するからな
……悔しいが、その通りだ。
実際この目で見るのと、想像するのとじゃやはり全く違う」

「だろうな。でも、事実だ」

そう答えて立ち上がる。そして彼は絃の肩を軽く叩いた。
367 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:32:23.59 ID:o2andqOr0
「ほら、小さいのが待ってるぞ」

「……だな」

軽く笑い、絃はゆっくりと立ち上がった。

日常。
非現実のようだが、何もかもが本当のこと。

自分達はそこに生き、彼女達もそこに生きている。

その日も、普通に過ごし、何事もなく終わり。
368 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:33:02.23 ID:o2andqOr0
その次も、そのまた次も、
灰色の日常が続くとばかり思っていた。

頭のどこかで拒絶して、現実から目をそむける自分。

数年に一度、必ず訪れるその『平穏』と名前がついた
異常な世界が崩れる時間。

それは唐突に、何の予兆もなく訪れる。

今日がその唐突な日の始まりであったことに、
いつものように俺は、全く気がつかない。

気がついていればよかったと、いつも後悔して。

でも、気がつかないから、俺は俺でいられるんだとも思う。
369 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/24(金) 20:35:13.15 ID:o2andqOr0
お疲れ様でした。次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご質問などがございましたら、どんどんくださいね。

それでは、今回は失礼いたします。
370 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/02/24(金) 20:38:48.35 ID:ZcYg6gjLo
乙です。楽しく読ませてもらってますありがとう!
371 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/02/25(土) 00:58:50.96 ID:f6254g+yo
一気に読んだ乙
372 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/02/25(土) 10:26:15.31 ID:BbcoRKYMo
373 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 14:57:18.45 ID:bDf9OSPn0
こんにちは。

温かいコメントなどのご支援、こちらこそありがとうございます。

続きを投稿させていただきます。
374 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 14:59:38.26 ID:bDf9OSPn0
*

お前たちは人形だ。
そう、誰かは言った。

人の形をさせてもらっている、人形。

だから自分の考えなんて持たなくていい。
だから、ただそこにいればいい。

考えず、動かず、停止した時間の中でただ待っていればいい。
それが終わるのを。

そう教えられてきた。
375 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:00:17.32 ID:bDf9OSPn0
そう、ずっとずっと言い聞かされてきたから
それが真実だと思っていた。

頭の中の声が言う。

その人の言うことは真実だって。
だから、疑うことなんてしなかった。

ただそこに在ることが幸せだって。
幸せってそういうことだって思ってた。
376 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:00:53.27 ID:bDf9OSPn0
人形。
人形って、何だろう。

考えても仕方ないから考えるのをやめる。

でも人形って、生きてないよね。

──誰かが、頭の奥でそう言った。
377 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:01:45.94 ID:bDf9OSPn0


ぼんやりと目を開ける。

愛は薄目に飛び込んできた朝の光を振り払うかのように、
軽く頭を振ってベッドの上に上半身を起こした。

また、あの夢だ。

暗い、深い黒の奥で誰かが小さな声で囁きかけてくる、あの夢。

どうしようもなく不安で……何だかすごく気持ちが悪くなる。

一週間に一回くらい。
多いときでも二回くらい。

けど、こんなにはっきりと言葉を覚えているのは久しぶりだった。
378 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:02:24.12 ID:bDf9OSPn0
「あれ……?」

呟いて顔を片手で覆う。

手のひらに生ぬるい感触。
水……違う。涙だ。

(泣いてる)

誰が……と思ったが、自分しかこのベッドの上にはいない。

私が泣いてる。

すぐにそれは止まったが、
何だか更に不安になって呆然と目をゴシゴシ拭う。
379 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:03:05.11 ID:bDf9OSPn0
(絆、絆)

思考が切り替わる。

怖い。
何でか知らないけど、怖い。

あの人はどこだろう。
探さなきゃいけない気がする。

周りを見回すと、雪の隣のベッドに寝ているのが見えた。

急いでベッドを降りて、駆け寄ろうとする。

途端、愛は自分のシーツに足を絡めて、盛大に床に転んだ。
380 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:03:44.68 ID:bDf9OSPn0
絆のラボは、目が見えない雪が転んでも痛くないようにと、
過剰なほどふわふわした弾力素材が
床のいたるところに敷き詰められている。

頭から床に落ちた愛は、
音こそ立てなかったものの息を詰まらせて小さく咳き込んだ。

壁の時計はまだ五時を指している。

みんなが起きてくるまで、あと二時間はある。

(あれ……?)

そこで愛は、立ち上がろうとした自分の体が
ピクリとも動かないことに気がついた。
381 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:04:32.34 ID:bDf9OSPn0
(何で……? あれ?)

足と、口が動かない。

どうしていいか分からずに、自分の肩を抱いて床に転がる。

どうしたんだろう。私は一体どうしちゃったんだろう。

怖い。
何だろうコレは。

何回目だろう。

時々、こんな感じになる。

でもいつもはベッドの中でだ。

床の上で動けなくなったのは初めてのことだった。
382 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:05:09.68 ID:bDf9OSPn0
みんなが寝てるベッドの足しか見えない。

暗い。
……暗い?

途端、喉が痙攣し、愛は激しく咳き込んだ。

怖い。何だか知らないけど怖い。

絆の名前を呼ぼうとするが、言葉が出ない。

どうして? 絶対おかしい。
こんなのは初めてだ。
383 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:05:49.12 ID:bDf9OSPn0
『俺が帰ってくるまで、少しでも音を立ててみろ。
生きてるのが嫌だと思うほど後悔させてやるからな』

心臓が跳ね上がった。

誰かが、自分のことを覆うように覗き込んでいた。

首が上手く動かないので目だけを動かして黒い人影を見つめる。
顔が見えない。

『何とか言ったらどうなんだ? え?』

(え?)

『生意気な目しやがって。
クローンの癖に人間様との身分の差がまだわかんねぇのか?』
384 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:06:18.00 ID:bDf9OSPn0
(くろーん? え?)

怖い。誰なんだろう、この人、誰なんだろう。

何だかすごく怖い。

逃げなきゃいけない気がする。

でも、体が動かなかった。

「やだ……やだ!」

やっと口が開いた。
激しく咳き込みながら声を張り上げる。

「やだ! いやだ!」
385 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:06:57.54 ID:bDf9OSPn0
「どうした! 愛、おいしっかりしろ!」

その時、唐突に聞きなれた声が耳に飛び込んできて、
弾かれたように愛は顔を上げた。

自分に覆いかぶさっていたのは、絆だった。

抱きかかえるようにして青くなっている。

「あれ……? 絆……」

「あれ? じゃねぇぞ! 一体どうしたんだ。
怖い夢でも見たのか? いきなり騒ぎ出したからびっくりしたぞ」

「声、違う……」

「声? 何のことだ?」

違う声だった。こんなに優しくなかった。
あの声は。氷みたいな、黒い声だった。
386 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:07:38.30 ID:bDf9OSPn0
「愛ちゃん、大丈夫……?」

そこで雪の声が聞こえてきて顔を上げる。

いつの間にか、他の子たちが全員起き出して
心配そうにこっちを覗き込んでいた。

「絆さん、ち、血が……」

素っ頓狂な命の声が響く。

それを聞いて初めて、
愛は絆の寝巻きが異常に乱れていることに気がついた。

そういえば彼はものすごい汗をかいている。
ランニングの後みたいだ。
387 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:08:15.20 ID:bDf9OSPn0
だが、流れていたのは汗だけではなかった。

顔面に無数の、
猫に引っかかれたような傷が走っていたのだ。

そこから次々と血が流れ出て、
愛の寝巻きにポタポタと垂れている。

「い、いやこれくらい何ともない。
それより薬棚から、D三十五を持って来い」

「わ、分かりました!」

動転しているのか、足音荒く命が食堂の方に消える。

「大丈夫じゃないよ。血止めなきゃ。
文、包帯も持ってくるようにって命に言ってきて」
388 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:09:02.57 ID:bDf9OSPn0
優がそれに付け加える。

頷いて文が命を追って食堂の方に走っていくのを横目で見ながら、
愛は初めて自分の両腕が絆によって
強く床に押し付けられていることに気がついた。

「い、痛いよ……」

鈍痛を感じて口を開く。

それを聞いて、青年は大きく息を吐いて手をどけた。

優が彼の隣にしゃがみこんで、顔の引っかき傷にティッシュを当てる。

「落ち着いたか? 俺の顔が分かるか?」

「絆の顔……?」

きょとんとして聞き返す。
389 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:09:56.39 ID:bDf9OSPn0
ずり落ちたパジャマを直そうとして、
愛は自分の手の爪におびただしい量の血が
こびりついているのを目に留めた。

「あれ……?」

そのまま硬直する。

「絆さん、このお薬でいいんですか?」

慌しく命と優が走ってくる。

「何……これ」

喉が軽く痙攣する。

何だか、頭の裏がじんじんと痛い。
苦しい。
390 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:10:33.60 ID:bDf9OSPn0
「愛? おい!」

血の臭い。
生臭い、しょっぱい人間の臭い。

ズキリとこめかみが痛む。

何だか、深い海の底に落ちていくような感じ。

息を吐こうとして、腰が抜けるのを感じた。

あの人が遠くの方で私を呼んでる。

でもそれに答えることができずに。
愛の意識は垂直にその海に落ちていった。
391 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:11:19.88 ID:bDf9OSPn0


居間で、心配そうな大きな目が四対、こちらを凝視している。

絆は命に、愛に引っかかれた傷の手当てを受けながら
心の中で戸惑いのため息をついた。

(……どういうことだ……?)

何度か夢遊病者のように、
愛は寝ているところを起きだして一人で動き回っていたことはあったが、
あんなになったのを見たのは初めてのことだった。

検査に連れて行って、帰りに絃と彼のバーリェ、
桜と一緒に愛が気に入っているレストランに寄って。

薬の投与もなかったし。

体調、メンタルも安定が確認されていたというのに。
392 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:12:59.67 ID:bDf9OSPn0
(あれは多分……逆行錯乱状態だよな……)

軽く唇を噛んで、頭の中でその言葉を反芻する。

急激な教育プログラムを生まれた時に組み込まれるバーリェは、
時にその成長を経ない知識量に対して混乱し、
錯乱状態に陥ることがある。

それが表面化しないのは彼女たちそれぞれが
非常に高度な環境適応資質を持っているからであり、
だからこそ様々な性質を持つ、
それぞれのトレーナーに適合することができる。

逆行錯乱状態とは、その適合処理が追いつかずに
……人間的に言えばキレてしまうという状態に陥ることを指す。
393 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:13:40.62 ID:bDf9OSPn0
おそらく、愛が暴れたのもそのため
……と、そこまで考え、しかし絆は表情を落とした。

(一年半……)

唾を飲み込んでそう、頭の中に思い浮かべる。

そうだ、この一ヶ月間は、すっかり忘れていたが
愛が再調整を受けてから丁度一年半が経過した頃だった。

彼女が人格を破壊された状態で見つかった時、
既に半年が経過していたと考えられる
……と、施設の職員から言われた。

つまり、彼女が生まれてから現在で丁度ほぼ二年。

この時期まで生き延びたバーリェは、
ほとんどが人格的に個々が構築されている。
394 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:14:26.47 ID:bDf9OSPn0
そして同時に、戦闘によるエネルギー抽出により、
体組織、加えて脳組織の崩壊が始まるのが丁度この頃だ。

つまり。
製品としてのバーリェの保障期限は約二年。

(まさか……な)

軽く首を振ってその考えを外に追い出そうとする。

しかし……どこか頭の片隅でそれは間違っていない気もしていた。

愛は普通のバーリェではない。

前例がない、人格矯正を受けた個体だ。

早期に、脳組織に何らかの影響が発生しても不思議ではない。
395 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:15:16.38 ID:bDf9OSPn0
検査も一応は体全体のスキャンはするものの、
バーリェの成長、老化速度は人間の十数倍にも及ぶ。

必ずしも数日前の結果が参考にできるとは限らないのだ。

(もう一度医療部に相談してみるべきかもしれないな……)

心の中で呟いて、ぼんやりと目の前のテーブルを見つめる。

暴れこそはしていないものの、最近愛はやけに起きるのが早い。

日彼女たちに飲ませている薬の中には睡眠誘発剤も入っているので、
抵抗力がついたのではと思い、こっそり昨日医療技師に聞いてみたが
……解答はそんなことはない、という一言だけだった。
396 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:16:00.36 ID:bDf9OSPn0
「絆さん? 絆さん、終わりました、けど」

控えめに命に呼びかけられ、絆は顔を上げた。

そして指先で頬や鼻先に貼られたガーゼを確認する。

「あ……ああ。ありがとう」

「絆、大丈夫? 血は止まった?」

見えない目を大きく開いて雪が上ずった声を発する。

絆は彼女の頭を軽く撫でて言った。

「大丈夫だって。それより、まだ五時半だ。
お前らもう少し寝てていいぞ。愛も検査で少し疲れたんだろう」
397 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:16:47.08 ID:bDf9OSPn0
しかし四人のバーリェは、戸惑ったように
寝巻き姿のまま互いの顔を見あわせただけだった。

そして、しばらくして口が利けない文が、
絆の服の袖を引いて指を胸の前で軽く動かす。

『今日のは特に強くて、
愛ちゃんの心の中がはっきり私たちの中に入ってきたんです。
何か怖がってるみたいでしたけど
……あの子、私たちには教えてくれないんです』

手話の意味を解して、絆は文から軽く目をそらした。
398 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:17:32.60 ID:bDf9OSPn0
彼女たちには、愛の生い立ちのことは一切言っていない。

愛自身も記憶が完全に消えているから、
教えたくても本人にはわけが分からないだろう。

だが、バーリェは人ではない。

感情に左右される、
不確定な生体エネルギーを発するクローン生命体だ。

彼女たちは、絆には全く感覚は分からないが
……なんとなく相互の心理状態や、体調を肌で感じ取ることができるらしい。

心の中、と文は表現したがおそらく夢のことだろう。

(やっぱり逆行錯乱だったのか……)

それを確認して絆は四人に気づかれないよう、小さく息を吐いた。
399 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:18:17.01 ID:bDf9OSPn0
記憶を一度初期化したとはいえ、
累積された脳細胞の成長痕跡として、
ある程度の欠片、つまりトラウマとしての断片は
脳に残ってしまうという説明は受けていた。

完全にその記憶を消すためには、脳の記憶野を切除するしかない。

しかしそれは同時に生命体としての存在を奪うということに他ならず、
特殊な電磁波によって調整がなされているのだ。

それが、段々と老化してきた脳細胞の僅かな衰えとともに、
微かだが得体の知れない恐怖として蘇ってきたんだろう。

その本人が知らないはずの記憶によって混乱する、
つまるところ逆行錯乱だ。
400 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:19:13.39 ID:bDf9OSPn0
「うん、あたしもそれ感じた。絆、愛って何怖がってるの?」

優が不安げな顔で絆を見上げる。

彼女は目が見えない雪に対し、
同時通訳のように文の手話を伝えていた。

手の平に簡単な手話文字を書いてやるのだ。

文の双子の姉である優は、
ほとんど自分の義務と言わんばかりにそれをやる。

伝えられた雪も頷いて、表情を落とした。

「やっぱり私たちね、一緒に暮らしてるし、
時々愛ちゃんは何か怖がってたまらなくなるみたいだから。
あんまり言うと愛ちゃん怒るから、
言わないようにしてたんだけど。絆も怪我しちゃってるし……」
401 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:19:54.67 ID:bDf9OSPn0
言いにくそうにポツリポツリと白髪のバーリェが呟く。

愛が怒る、というのは本人にもその恐怖の実態が
よく分からないということだからだろう。

しかし……ずいぶん前からそれに気づいていた風の
彼女たちの話し方に、絆は怪訝そうに口を開いた。

「時々……って、お前ら。
愛にああいう発作が起きてること知ってたのか?」

時々愛が震えながら自分のベッドに入ってくることはあったが、
それはこの子達には言っていない。

また四人は顔を見合わせて、今度は控えめに命が口を開いた。
402 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:20:34.07 ID:bDf9OSPn0
「今回みたいに酷いのは初めてです。
でも時々怖い夢を見るって、あの子は言ってました。
起きると忘れてるから、絆さんには言わなくてもいいからって。
だから私たち、あんまり問い詰めたりするとかえって思い出させて、
悪い気持ちにさせちゃうかなって思いまして
……だから言わないようにしてたんですけど、でも……」

全員の視線が、顔の怪我の痕に集中していることに、
絆はその時初めて気がついた。

言いにくそうに言葉を濁している彼女たち。

その訳がなんとなく分かったのだ。
403 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:21:12.66 ID:bDf9OSPn0
バーリェの心、つまり好意感情の一番の優先は、
自分を管理するトレーナーに向けられるようになっている。

つまり彼女たちは
……トレーナーたる絆が傷つけられたことにより、
心のどこかで『怒って』いたのだった。

しかし愛は一緒に暮らす同族だ。

それゆえにそのもやもやした感情を外に出すべきなのかどうか、
混乱しているのだろう。

こう言った、バーリェ特有の『奇妙な』感情は、
当初の絆に理解することが出来なかった。

一人だけではなく二人以上を管理するようになって
兆候が現れ始めた。
404 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:21:57.25 ID:bDf9OSPn0
これは原理的に仕方のないことだというのは、
複数管理を決めた時に分かっていたことだったのだが。

実際目の前でそれを体験するのと
理論だけを知っているのとでは全く違う。

何度か対処法が分からずに混乱したこともあったが、
それらの失敗の末見つけ出した効果的な言葉を、
絆は慎重に選んで口を開いた。

「誰にだって不安はあるさ。仲間なんだから、
お前らは今まで通りに愛をサポートしてやればいい」

──仲間

今まで生きてきてほとんど使ったことのない言葉だった、それは。
405 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:22:42.83 ID:bDf9OSPn0
いや、この世界に生きるおおよそ全ての人間が
そんな言葉を使ったことはないだろう。

自分のことを第一に優先する、灰色の世界。

他人なんて利用するだけの存在だ。

利用して、動かして、そして結果自分が無事ならそれでいい。

それが世界の理屈だし、社会というものだ。

だがバーリェは人間と自分たちの心のつながりを求める生き物である。

確かに利用関係はあるが、彼女たちのエネルギーを引き出すには
心を解放させなければならない。

そうするには親密になる必要がある。
406 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:23:39.11 ID:bDf9OSPn0
上辺だけの利用ではない、心の繋がり。

それを生まれながらにして、
人間とは違いバーリェは本能的に求める。

だから、それに関連する言葉をかけてやれば当然反応する。

案の定四人はそれぞれ考え込んだが、
やがて小さく頷いた。

全員の頭を撫でて、絆は言った。

「今日は休みにしよう。寝坊していい日だ。
週末にでも、いいところに連れてってやる。
だから、あんま愛のことは心配するな。
あいつだってリラックスすれば怖いものなんてすぐ忘れるだろう」
407 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:24:24.45 ID:bDf9OSPn0
「いいところ?」

優がいち早く反応して目を大きく開く。

「何処? 私、フォロントン行きたい!」

「地球の裏側だろそれは……」

絆は軽く息を吸って、
そして彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。
408 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:25:10.08 ID:bDf9OSPn0


「絆」

朝日が完全に昇った窓の外を見ていると、
後ろから声をかけられ、絆は振り返った。

壁の手すりで体を支えながら、雪が歩いてくるところだった。

最近、彼女には薬が効かない。

あの後バーリェ全員を安定させるために、
即効の薬を飲ませて寝せたのだが。

やはり雪には効果がなかったらしい。

本部の医療班も、彼女の、薬を受けつけなくなっていく
急激な耐性には首をひねっていた。

今のところ何の問題もないが
……いずれ何らかの障害が起こる可能性は高い。
409 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:25:47.42 ID:bDf9OSPn0
絆はまだ手にもてあそんでいた小さな注射器の針を折り曲げ、
そっとゴミ箱に放り投げた。

軽い音を立てて中に着地する。

先ほど、愛の腕に注射してきたものだ。

他の子に投与した薬より何段階か強い精神安定剤。

催眠作用もあるので、
今日の午後までは彼女を含めた全員は目を覚まさない。

雪は考え込んでいる青年の脇に手探りで歩み寄ると、
慣れた動作で脇に腰を下ろした。
410 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:26:31.12 ID:bDf9OSPn0
「絆?」

もう一度呼びかけられて、そこで初めて彼は雪の方を向いた。

「ン……ああ。どうした? やっぱり寝れないか」

「うん。でも、今日はお休みの日だから
……絆もゆっくりするんでしょ? 
だから私もゆっくりしようと思って」

そう言うと、雪は手を伸ばして絆の肩辺りに触れた。

指をぼんやりと這わせて、
先ほど愛に引っかかれた頬の手当ての痕を触る。

「大丈夫?」

「これくらいなんてことない。
第一、お前だって来たばっかの頃は俺のこと引っかいて凄かっただろ?」

「それは……」

困った顔で手を離し、少女が俯く。
411 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:27:20.57 ID:bDf9OSPn0
絆が言ったのは本当のことだった。

当初、目が見えない雪を戦闘に出したらパニックを起こし、
コクピット内で暴れたことがある。

それから彼女は
……いわゆる戦闘恐怖症というものにかかってしまったらしく、
今の愛のように夜中、
無意識に暴れるようになってしまったことがあった。

極度の恐怖が生んだトラウマだとか何とか医療班は言っていたが、
当時の絆はほとほと困り果てた。

戦えないバーリェほど、存在価値がないものはない。

本部から処分命令が来るかもしれない。

だから、予備として二体目のバーリェ管理を始めたのも一つの理由だった。

いわば切羽詰っていたのだ。
412 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:28:15.40 ID:bDf9OSPn0
二人目を管理し始めても、
雪の調子は一向に良くならなかった。

そんな彼女を救ったのは、音楽だった。

今の社会ではあまり見かけることのなくなった、
そのような音源情報がバーリェの精神安定に効くという話を聞き、
やってみないよりはいいだろうと、
エフェッサー本部に格納してあったデータを数点持ってきて聴かせてみたのだ。

生まれてはじめて音楽を聴いた雪は、驚くほど静かな性格になった。

それまでのびくびくして臆病だったのが嘘のように、
安定し始めたのだ……理由は良く分からないが。
413 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:29:03.10 ID:bDf9OSPn0
音楽なんて、絆は嫌いだった。

非効率的で、よく分からない。

そもそも芸術分野など、今の人間の大部分が苦手なものを
彼は同様に好きではなかったのだ。

そこまで思い出して絆は小さく呟いた。

「……そういえばあのディスク、何処行ったかな……」

雪が気に入った、と言ったので渡して。
それから先は把握していない。

絆の呟きを効いて少女は少しの間考え込んでいたが、
やがて思い出したのか、軽く手を叩いて口を開いた。
414 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:29:43.54 ID:bDf9OSPn0
「あの、ワッハフバンの第十八楽章? 
そういえば、絆が私に何かくれたのはあれが初めてだったね」

嬉しそうに少女が言う。

絆は顔を上げて、彼女の焦点が合わない瞳を見た

「まだ持ってるのか? 
愛にはあいつが欲しいってもんは色々買ってやってるけど
……悪いがあいつの不安定も治せるかもしれない、貸してくれるか?」

いかし聞かれて雪はきょとんとしてそれに返した。

「どうして?」

「どうしてって、お前、音楽を聴いたら大分静かになったよな。
あれ聞くと安心するんだろ?」

「安心……? うーん……どうだろ……」
415 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:30:39.88 ID:bDf9OSPn0
少し、少女は考え込む。

やがて雪は顔を上げると小さく首を振った。

「あれは私のものであって、
愛ちゃんのものになるわけじゃないから。
だから、絆は別のものを買ってあげた方が喜ぶと思うよ」

「ん……そうなのか?」

「うん」

それはつまり、
自分のものだから貸したくないということなのだろうか。

瞬間的に意味を理解することが出来ずに聞き返したが、
雪は軽く頷いて目を閉じてしまった。
416 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:31:33.16 ID:bDf9OSPn0
肩に寄りかかって深く息を吐いたバーリェの頭を撫でながら、
少し表情を落とす。

喜ぶ……か。

十年前まではその意味さえ知らなかった言葉。

実際、そんなことを意識して生きている人間なんて、
今の社会にはおそらく数えるほどしかいない。

喜びも、それがあるからこそ感じる哀しいと言うものも、
バーリェはほいほいと簡単に使う。

意味なんて多分分かっていない。
しかし、あっさりと口に出す。

絆はいまだ、その言葉の意味が良く分からなかった。
417 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:32:24.13 ID:bDf9OSPn0
ただ、つまるところバーリェが笑えば嬉しい、喜んでいる。

泣いていれば悲しんでいる。

そういう外見的な特徴を見てどことなく判断しているだけなのだ。

自分が子供の時には、そんなこと考えたこともなかった。

四歳の時には、既に親が出した金を使って自立し、住んでいた。

自分の身の回りのことはすべて自分でやっていたし、
それが当たり前だと思っていた。

一人で生きていくことが、当たり前。

他の誰かに合わせる必要もなければ、協力する必要なんてない。
418 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 15:34:05.45 ID:bDf9OSPn0
そんな自分が、バーリェの精神
……心について気にかけている。

たとえ業務上に必要なことだとしても、
どことなく矛盾しているような気もする。

「……久しぶり……」

不意に、雪が言った。

「ん?」

「絆と二人きりになるの、久しぶり」

彼女は笑った。

──喜んでいるんだろう。

頭の奥で、機械的に絆は判断し小さく微笑み返してやった。
419 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:25:53.06 ID:bDf9OSPn0


その電話がかかってきたのは、
数日後の昼を過ぎたあたりのことだった。

「点検……ですか?」

思わず聞き返して首を傾げる。

電話口の向こうで、エフェッサーの連絡要員が
無機質にそれに応答してきた。

『はい。絆執行官所有のヒトガタAAD、
七〇一型の動力駆動系システムに点検、
および改善の要請が元老院から来ています。
つきましてはドックに輸送させていただきたいのですが』
420 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:26:43.85 ID:bDf9OSPn0
突然、陽月王の点検作業が入ったという内容だった。

確かに最近は死星獣の出現がなく、
それにあわせて出撃もしていなかったが、そんな話は初耳だ。

「元老院が?」

もう一度聞き返す。

実のところ、二日前に陽月王はメンテナンスを終えていた。

いつでも出撃可能だと太鼓判を押されたばかりだったのだ。

『左様です。今朝〇七三一に本部に指示が下されました』

「絃執行官のヒトガタAADはどうなっていますか?」

『現在のところ、指示が出ているのは絆様のAADのみです。
輸送許可をお願いします』
421 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:27:35.83 ID:bDf9OSPn0
自分の機体だけが再点検……少し考えて絆は軽く息をついた。

おそらく、ただの点検ではない。

この前回収した死星獣の残骸から、
何らかの兵装を開発すると言う話を聞いたことがる。

──多分、その試験台にされるのだ。

確証はないが、連絡員を問い詰めても仕方がない。

多分。この人は何も知らない。

短く輸送許可を出して、絆は通信を切った。

その【点検】作業が終わるのは、明後日の夜らしい。
ずいぶんと時間がかかる点検だ。
422 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:28:46.23 ID:bDf9OSPn0
とりあえず本部が詳しく説明をしてこない以上、
何を聞いても無駄だろう。

いざとなれば出撃拒否をすればいい。

そう考えて、絆はバーリェたちが食事中の食堂に戻った。

AADがないということは、
死星獣が現れても出撃ができないと言うこと。

つまり、点検が終わるまで自分達は待機を
解除されている状態に他ならない。

こんな機会はめったにない。

……軍のレジャー施設にでも連れて行ってやろうかな、
などと考えながらドアを開ける。
423 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:29:24.31 ID:bDf9OSPn0
レジャー施設というよりはリラクゼーション用、

つまり軍人個々の精神安定のために設けられている特設施設であり、
別に遊ぶ場ではないのだが、リラックスできる空間なのは間違いがない。

席に着くと、皿の片づけを始めていた命がこちらを向いて口を開いた。

「絆さん。お仕事ですか?」

「また怖いのが来たの?」

まだ食事を続けていた愛が顔を上げて首を傾げる。

そしてガオーッ、と怪獣のようにおどけて見せた。

それを見て優と文がクスクス笑っている。

何か、内輪で話をしていた最中だったらしい。
424 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:30:12.70 ID:bDf9OSPn0
どことなく安心しながら絆は軽く首を振った。

基本的に、彼女達バーリェは同族同士では
よほどのことがない限り喧嘩はしない。

そもそもが生体弾丸の特質上、
互いに不快感を持つようには調整されていないのだ。

まぁ、あくまでそれはデータ上の調整における話であり、
現実では当然該当しないケースも数多く存在しているが。

とりあえず、今回に限っては愛が
他の子と不仲にならなかったようで、
絆は安心していたのだった。
425 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:31:10.05 ID:bDf9OSPn0
そもそもの愛の明るい性格もあり、
また、あれから夜中暴れ出したりはしていなかったために、
話を蒸し返したりする子はいなかった。

幸いだ。

「逆だよ。死星獣が出てこないから、ニ、三日遊んで来いってさ」

短く言うと、全員が一旦きょとんとした後、
戸惑って互いの顔を見合わせた。

「あら……暇ですね……」

残念そうに命が呟く。

バカみたいに喜ぶとは思っていなかったが、
雪までが少しがっかりした顔をしているのに気がつき、
絆は僅かに予測を外れた展開に軽く息をついた。
426 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:31:51.59 ID:bDf9OSPn0
日常生活の喜びと、彼女達個人が保有している自己顕示の欲求は別だ。

何よりもバーリェは戦闘で自分の命が消費されることを幸せと考える生き物。

難しい。

正直何年経っても、慣れない。

しかし絆はすぐに持ち直し、軽く笑いながら続けた。

「まぁ、滅多にないからなこういう機会は。優が行きたいって言ってた
……アレ。フォロントンだっけか? 
さすがにあそこまで行くことは出来ないけど、
軍のリラクゼーション設備を貸しきってやることは出来るぞ。
たまにはここの外にも出てみたいだろ?」

そう聞くと、五人のバーリェの反応が一気に二分されたのが絆には分かった。
427 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:32:43.05 ID:bDf9OSPn0
素直に喜んだ顔をしたのは、優、文、そして愛の三人。

雪と命は戸惑った顔でこちらを見ている。

「ほんと? 私本部の検査室以外に行くの生まれて初めて。
絆、いつ行く?」

目を輝かせながら、優が身を乗り出して聞いてくる。

その隣で文も小さく笑っている。

言われてみればそうだ。

彼女達はここに来てから、
他の場所に行くのはおそらく初めてのことだ。

「ラボにいても特にすることもないしな。
俺が本部に了解もらったらすぐにでも移動するか」
428 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:33:20.37 ID:bDf9OSPn0
「お出かけだって、愛、リラクなんとかってとこ、泳げるのかな?」

「泳ぐってここのお風呂よりおっきい?」

「バカだなぁ愛、泳ぐって言うのはもっと広くて深くて……」

聞いちゃいない。絆は少しばかり表情を緩めて、
反応がない二人の方を見て口を開いた。

「命も、雪も大丈夫か?」

言われて二人ともハッとしたように顔を上げる。

「あ……いえ、楽しみです」

一拍遅れてニッコリと命が笑う。

しかし雪は表情を落として下を向いてしまった。
429 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:33:55.23 ID:bDf9OSPn0
「ゆ……」

雪、と呼びかけようとしたところで、
いきなり目の前に愛の顔が飛び出してきて、
危うく椅子から倒れこみそうになる。

大きな目を更に大きくした彼女が下からこちらを覗きこんでいたのだ。

「絆、私泳ぎたいー」
430 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:34:30.27 ID:bDf9OSPn0
間延びした声で言われて、雪に向けかけていた言葉を飲み込む。

そして青年はポン、と愛の頭に手を置いた。

「分かった。じゃあ泳げるところを貸しきっておくか。
必要なものは後で教えるから。
とりあえずお前ら。メシ食って薬飲め。
ちゃんとやることやらんとつれてってやんないぞ」

両手の平を叩いて、絆は言った。
431 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:35:20.35 ID:bDf9OSPn0


結局出発するのはその日の夜、六時に決定した。

本当なら明日の朝に出発すると言う余裕ある行動をとりたかったのだが、
優、文と愛が騒いで仕方なかったのだ。

自室で本部に、
リラクゼーション施設の一角を完全に貸しきる申請を出しながら、
絆は軽く自分の顎を押さえた。

こんな風に休みになったから、
バーリェを一度にどこか遊びに連れて行ってやるのは、
この何年間で初めてのことだった。

個別に仕事や検査の合間に、
精神を安定させるために連れて行ってやることはあっても、
管理している子を全員いっぺんにと言うのはなかったことだ。
432 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:36:05.82 ID:bDf9OSPn0
実を言うと、今回遊ばせたかったのは愛一人だけだった。

彼女だけを連れ出すことは出来た。

適当な理由をつけて全員に説明して出てくればよかったのだ。

しかし、何となく愛を一人にするのははばかられた。

理由は良く分からないが、そう感じたのだ。

申請はあっけないほど簡単に受理された。

絆ほどのトレーナーとなれば、多分施設の大部分を無条件で開けてもらえる。

だが今回はそんなに長く滞在はしないため、
プールがついているところと、宿泊施設周辺に予約を入れただけだった。
433 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:36:49.75 ID:bDf9OSPn0
パソコンから目を離し、椅子に体を預ける。

何となくノリで決めてしまったが、
どうにも元老院の対応が気になった。

そういえば絃が調査してきたと言う、
バーリェ強奪組織についての本部、元老院の意見も聞いていない。

さすがに今回で一、二回ではない。

黙殺するつもりはないと思うが……と、そこで息をついて窓の外を見る。

──山の中の空気は澄んでいる。

ここ一帯の自然は特別保護を受けているため、
バイオ技術でコントロールされていて殆ど年中青々としている。
434 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:37:27.78 ID:bDf9OSPn0
しかし少し離れた大都市は、
一面を紫がかった灰色のスモッグが覆っていた。

どんよりと、昼間でも霧がかかっているように見える。

最近はよりそれが顕著になってきたように感じる。

彼女達は、地球の裏側の『最後の自然が残っている』
とメディアでは報道されているフォロントンという土地も、
ここと同じようにバイオ技術で管理された場所だと言うことを知らない。
435 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:38:11.93 ID:bDf9OSPn0
人間の手で守られていないところで、
そもそも今の時代自然なんて存在することは出来ない。

青い空も、緑色の草も、茶色の木も。

そんなものは自然発生でなんて生まれないものだ。

バーリェは、それを知らない。

例えばフォロントンに連れて行ったとして。

たとえまやかしだったとしても彼女達は喜ぶのだろうか。

何が嬉しいのだろうか。

良く分からなかった。
436 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:38:55.21 ID:bDf9OSPn0


最近よく、少し歩いただけで息切れを起こす雪を抱いて
車の助手席に乗せたころには、
もうまわりは薄暗くなり始めていた。

そのまま車を飛ばし、
いつも向かっているエフェッサー本部隣の軍施設に向かう。

軍人は基本的にバーリェに対していい感情は持っていない。

だから正面は避け、施設に入る裏口から直接乗りつける。

門をくぐったところで待機していた軍施設職員が数人現れ、
絆たちはすぐさま宿泊予定の場所に通された。
437 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:40:54.27 ID:bDf9OSPn0
まずは雪の手を引いて部屋に入り、ソファーに座らせる。

続いて高級ホテルの一室のようになっている部屋に、
四人のバーリェが駆け込んできた。

命も、来る前までは納得のいかないような表情をしていたが、
来てみれば来てみたで一番はしゃいでいるのは彼女だった。

急遽二段ベッドを二つ運び込んでもらっていたため、
優と文がじゃんけんで、どちらが上に寝るか、早速揉めている。

そもそも相手の思考が何となく分かるバーリェにとって、
じゃんけんは無意味なんだが、それに気づいていない。

……現に十数回あいこ。

絆から見ればどことなく異常な光景だが、
それが楽しいらしく四人で集まって笑いあっている。
438 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:41:35.80 ID:bDf9OSPn0
さすがに軍の一番高級な部屋を借りたので、
いつも住んでいるラボよりもはるかに広かった。

それに、生活感がない小奇麗な部屋と言うのは
たまに見てみると宝石のように感じるものだ。

数分後結局、どこをどうやって決まったのか、
命と愛が上の方に寝ることになったらしい。

おそらく年長者の功とでも言ったのだろう。

優と文は双子なため、どちらかが近くにいないと落ち着かない。

多分そうなるだろうな、と静観していたとおりになって、
絆は少しだけ心の中で笑った。
439 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:42:15.54 ID:bDf9OSPn0
ラボと違う雰囲気に呑まれているのか、
四人の少女達全員がだらしなくベッドに寝転がりながらこっちを向く。

というか、全員靴を履いたままだ。

足をプラプラさせながら愛がこちらを見て、言った。

「雪ちゃん、一緒に寝ようー。ここ、二段ベッドでね、上の方気持ちいい」

突然呼びかけられて、ソファーで落ち着いていた雪は慌てて顔を上げた。

隣に座っている絆でさえ分かるほど、何だか元気がない。

ラボの外に出た途端落ち着かなくなってしまったようだった。

少し迷った後、雪は微笑んで顔の前で右手を振った。

「うぅん。私は高いとこ怖いから、
愛ちゃん、ゆっくり広いとこでごろごろするといいよ」
440 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:43:06.58 ID:bDf9OSPn0
「そ? じゃあそうするー」

即答して毛布を抱いてころころ体の位置を変える彼女。

気配がしないな、と思って視線をやると
文は行儀良く枕に頭を乗せて寝息を立てていた。

靴は履いたままだ。

……まぁ、滅多に外に出れないんだからしょうがないか。

と心の中で自分を納得させ、転がり落ちそうな愛と、
便乗して遊んでいる命に声をかける。

「お前ら、その辺にしとけ。結構高いから落ちたら痛いぞ」

「私は大丈夫ー」

愛が元気に答えた端から、命が落ちた。
441 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:45:12.74 ID:bDf9OSPn0
幸いなことに、床に積んであった毛布の山に背中から着地したので
衝撃はなかったようだが目を白黒させている。

そんな彼女の様子を見て、優と愛が弾けるように笑い出した。

それにビクッと反応して文が飛び起きる。

バカ騒ぎ、とも言える光景だったが、
不思議と怒る気も口を出す気にもならなかった。

命を真似して、彼女の上に愛が転がり落ちる。

何故か毛布の山の上めがけて優と文もジャンプし始めた。

ぐちゃぐちゃになった毛布の中、半泣きで命がもがいている。

「よかった。みんな楽しそうだね……」

不意に、ポツリと聞こえるか、聞こえないかの声で雪が呟いた。
442 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:46:09.48 ID:bDf9OSPn0
彼女の方を見ると、
目を閉じてコックリ、コックリと半分ほど眠る寸前の様子だった。

就寝前の、睡眠作用がある薬は飲ませていない。

薬に関する耐性……つまり雪の体質
それ自体が変わってきている節がある、
という話を思い出し、絆は黙って彼女のことを抱き上げた。

そして小さく囁く。

「三時間くらい経って十時ごろ起こすから、
そのときに薬を飲め。少し寝てろ」

「うん、そうする……」

ぼんやりと答えて、今度は完全に雪は目を閉じた。
443 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:48:10.88 ID:bDf9OSPn0
騒いでいる四人を一瞥して、
絆は自分用に用意されていたベッドの方に行き、
白髪の少女を寝かせた。

そして枕の投げ合いを始めているバーリェたちの方に歩み寄る。

「おいお前ら、雪が寝たんだから少しは気を使え。
メシをオーダーするよ。何でも好きなもの言ってみ」

名目上はバーリェの精神安定、
性能強化のためにこの施設を借り切っている。

費用は全額本部が負担だ。

気兼ねする理由はどこにもなかった。
444 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:48:46.86 ID:bDf9OSPn0


数時間後、絆は食べ散らかされた
テーブルを見て大きく息をついた。

……疲れた。

大騒ぎ、という表現が一番適切だろう。

このように遊ぶために外に連れ出したのが初めての
優と文が主体になって騒ぎ始めたのが発端。

バーリェはものを殆ど食べないために、
料理はあらかた残っている。

が、何故か飲み物は全てなくなっていた。
445 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:49:38.95 ID:bDf9OSPn0
彼女達全員を寝かせたのが、つい十分ほど前。

テーブルの上の惨状をもう一度見渡し、
インターホンで係員を呼び出す。

しばらくすると軍部でもエフェッサー管轄の係員が数人現れ、
慣れた手つきで料理の片づけをし始めた。

ものの五分ほどで全ての掃除を完了させ、彼らが出て行く。

一言も、言葉はない。

それが普通だ。

あっちは仕事でやっているんだし、
こっちは仕事でやらせている。

そこには何の人間的関係はない。
446 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:50:21.11 ID:bDf9OSPn0
エフェッサーの仕事も同じだ。

自分達が生き延びるために戦闘し、他の何かを犠牲にして勝つ。

ただそれだけが定理だし、後腐れも何もない。

それが常識。この世界の当たり前のこと。

だが、バーリェとトレーナーの関係だけは違う。

そこにあるのは人間的な感情だし、
社会に生きるうえでは全く必要のない温かさ、人を思いやる心。

そんなもの、自分が生きるためには
必要のない要素を彼女達はこうまでして発散する。

嬉しいからと。まるでそれが、当たり前のように。
447 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:51:03.88 ID:bDf9OSPn0
息をついて雪が寝ているベッドのほうに足を踏み出す。

そして絆は、白髪の少女の寝顔にそっと手を触れた。

温かい。
人が、人に触れること。

それもこの仕事を始めてから知った感触だった。

そのまま雪を揺すり、起こす。

少女は小さくうめくと眠そうにぼんやりと目を開けた。

焦点の合わない白濁した瞳がこちらを見つめる。

「雪、薬の時間だ。飲もう」

言うと、彼女はゆっくりと頷いて体を起こそうとした。
448 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:52:26.31 ID:bDf9OSPn0
しかし力が入らないのか動きが途中で止まる。

それの介助をして上半身を起こさせ、
絆は先ほど用意しておいたおびただしい数の錠剤が
入ったケースを手に取った。

これで二十五種類。

「飲めるか?」

「……うん」

まだ寝ぼけているのか、返答が曖昧だ。

えづいて喉に詰まらせでもしたら大変なので、
軽く頬を叩いて目を覚まさせる。

「しっかりしろ。薬だぞ?」
449 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:53:12.43 ID:bDf9OSPn0
そこでやっと覚醒したらしく、雪は目をこすって絆の方を向いた。

「分かってるよ。大丈夫」

「そうか。じゃあ、自分で飲めるな」

そう言って水の入ったコップと、錠剤を次々に渡していく。

彼女は機械的に薬を飲み干し、小さく咳をしたあとまた横になった。

「ごめん、眠い……」

「気にするな。そのまま寝ていいぞ」

「うん」

ごく短いやり取りをして、雪の体に毛布をかけてやる。

改めて正面から見た彼女は、持ってきたふわふわした寝巻きを着せたとはいえ、
非常に軽く、不気味なほど痩せていた。
450 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:53:52.74 ID:bDf9OSPn0
絆は一つ息をついて、彼女の頭を撫でた。

そのまますぐに寝息を立て始める。

しばらくなにも考えずに少女のことを見つめていたが、
青年はやがて立ち上がると、
他の四人の少女達の寝ている場所へと足を踏み出した。

全員疲れたのか、ぐっすりと眠っている。

薬の作用もあるだろうが明日の朝までは目を覚まさない。

眠っている子達を順繰りに見回す。

愛は、うつ伏せになって枕を抱くようにして眠っていた。

他の子たちと変わらない。

いや……人間と見た目は寸分違うことはない。
451 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:54:25.60 ID:bDf9OSPn0
──このバーリェは、汚れています。

この子を引き取る時に、施設の研究員が言った言葉。

何気なく、彼は真実を言った。

仕事だから。
短く、効率的に本当のことを伝えた。

そう、それは本当のことだ。

愛は汚れていた。

ココロも、カラダも前のトレーナーに汚されきっていた。
452 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:55:04.61 ID:bDf9OSPn0
でも絆は言った。

──綺麗じゃないですか
と、言った。

そうだ。例えそれが本当のことでも。
なにも変わらないように見えたのだ。

自分達と。
他のバーリェと。

なにも変わらないように、あの時は見えた。
453 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 16:55:36.15 ID:bDf9OSPn0
手を伸ばして愛の頬に触れる。

雪の頬と、同じ感触。

少し彼女より温かい。

変わらないじゃないか。

彼女が自分のところに来てから、何百回となく確認した、
その『生きている』感触。

これでも汚れているというんだろうか。

今でもまだ、そう思う。
454 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:01:50.65 ID:bDf9OSPn0


悲鳴。それを聞きながら絆は軽くため息をついた。

命が優に、プールに突き落とされた音。

泳げない命は足がつく深さなのにばたばたと水を撒き散らしている。

「助け……絆さん? 絆さん!」

それを見ながらプールサイドで爆笑している優と愛に視線を移動させ、
絆は軽く頭を掻いた。

自分のバーリェながら、酷い。

急いでプールまで走っていき、飛び込む。

そしてもがいている命を抱えて軽々とプールから上がった。
455 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:02:49.04 ID:bDf9OSPn0
文が心配そうに近づいてくる。

止めたのだろうが、彼女は泳ぐのは初めてだ。

助けに行こうか行くまいか迷っていたのだろう。

荒く咳をつきながら、
プールサイドに救出された命は完全に泣いていた。

目を真っ赤にして優をにらんでいる。

さすがに恐怖を感じたらしく、
愛と優は先を争うようにプールに飛び込んでいった。

二人とも、泳ぐのは初めてだ。

しかし驚くほど綺麗なフォームで着水する。
456 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:04:16.39 ID:bDf9OSPn0
そのまますいすいと競争を始めたのを見て、
絆は内心舌を巻いていた。

バーリェは生まれつき、このような運動能力をある程度は
プログラムされて製造される。

実のところ、自由に泳がせるためにプールに連れてきたのは
初めてのことなので、このように軽々と泳ぎ始めるとは
全く思っていなかったのだ。

今までに泳がせたことがあるのは命一人だけ。

しかも彼女はしょっぱなから完全に溺れてしまい、
水が嫌いであることが発覚した。

いくら個人差があるバーリェだといってもこんなことは初めてだ。
457 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:04:56.08 ID:bDf9OSPn0
愛と競争している優を
戸惑ったように見つめている文の背中を、軽く押す。

「大丈夫だ。お前もすぐに泳げるよ」

そう言ってやると、彼女はにっこりと笑ってプールに向けて走り出した。

そして姉と全く同じフォームで綺麗に飛び込む。

それを見て、目を赤くした命が傍目で分かるほど明らかに肩を落とした。

「……どうせ私はノロマですよ」

いじけたように呟く少女の黒髪をゴシゴシと撫でて軽く笑う。

「いや……まぁ、バーリェにも個人差があるさ。
あいつらにはお前みたいに料理は作れないだろ?」
458 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:05:41.29 ID:bDf9OSPn0
実際、そんなに運動能力について個人差はないはずなのだが、
そう言っておく。

命は少し表情を明るくしたが、
もうプールには近づきたくないらしく、
ぴったりと絆の腕に張り付いていた。

少し離れた、芝生が広がっているエリアに彼女を連れて歩き出す。

ここは軍関係者が休暇に使うレクリエーション施設の一つだった。

天井がスクリーン形式になっていて、
年中真夏のような人工の太陽光が照射されている。

日差しがきついらしく、パラソルを立てて作った日陰に、
雪は静かに座っていた。

他の子は急遽本部から取り寄せた水着を着せているが、
彼女だけいつも通りの
……いや、朝に寒い気がするといっていたので少しばかり厚着の状態だ。
459 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:06:38.66 ID:bDf9OSPn0
大きなタオルで丹念に髪を拭きながら命が雪の隣に座る。

「雪ちゃん、気分はどう?」

「うん。命ちゃんは泳がないの?」

「私は水は……ちょっと」

困ったように笑う命。

雪も微笑み返して、見えない目をプールのほうに向けた。

ここは貸切状態なので、自分達以外には誰もいない。

「でも水は、何だか小さいころを思い出すから私もやだな」

ポツリと雪が呟いた。

「小さいころ?」

聞き返すと、命も頷いて絆の顔を見上げた。その隣に腰を下ろす。
460 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:07:27.61 ID:bDf9OSPn0
「はい。私たちが人工羊水の中に入っていた頃です」

そんなことをバーリェの口から聞くのは初めてのことだった。

驚いて思わず息が詰まる。

「な、何だって?」

「え? 絆は覚えてないの?」

問いかけると、逆に、ものすごく意外そうに雪がそう問い返してきた。

命の方を見ると同じようにきょとんとした顔をしている。

「覚えてないというか……俺のはもう二十年以上前の話だ。
普通は覚えてないぞ」

困ったように雪と命が顔を見合わせる。

少しして、命がためらいがちに口を開いた。
461 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:08:08.68 ID:bDf9OSPn0
「暗くて、息が出来ない場所です。
私たちみんなそこの一つから生み出されました」

「あそこ、静かで冷たいから嫌いだった」

二人とも表情を落として口に出す。

人工羊水というのは、
バーリェが細胞の状態から今の大きさまで成長させられる、
人工的に作られた子宮の、内部に満たされた細胞液のことだ。

つまるところ、人間大の試験管。

バーリェの生産工場に行くとそれが何百何千と、
気の遠くなるほどずらりと並んでいる。

それは、今の人間についてもシステムは同じだった。

細胞から培養されるわけではないが、
精子と卵子を掛け合わせて病院で造られる。

本質的にはバーリェとあまり変わりはない。
462 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:08:58.01 ID:bDf9OSPn0
しかし、バーリェ一人一人が全て、
自分が人工羊水に入っている間の記憶を保有しているというのは
初めて知る事実だった。

おそらく、他のトレーナーも知らないだろう。

「愛とかも、覚えてるのか?」

そう聞くと、屈託なく二人は頷いた。

「怖かったけど、気づいたら絆が私の傍にいた」

「私もですよ」

二人が笑う。

戸惑ったように笑い返し、
彼女達の頭を撫でるが同時に絆は心のどこかで戦慄を感じていた。
463 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:12:52.35 ID:bDf9OSPn0
今まで考えたこともなかったような、事実だった。

バーリェの記憶能力はすさまじい。

AADを動かすためには相当な知能指数が必要だからだ。

それはもう、生まれた瞬間にかけられた言葉さえも覚えている。

しかし生まれる
……つまり試験管から排出される前にも自我があるということは。

つまり、生まれてこなかったバーリェ全員にも、
自我があるということ。

一ヶ月に一つの工場から出荷される個体は、
多くても五十。

それ以上出されても、
トレーナー各員が管理することは出来ない。
464 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:14:07.34 ID:bDf9OSPn0
単純計算で行くと、解体、リサイクルされる個体は、その何倍。

──知らなかった。

体の芯が冷える感触。

何故か分からないが、どこかが恐ろしくなったのだ。

何が怖いというのだろう。

分からない。

だが、今目の前で笑って、はしゃいでいるバーリェたち。

この子達は選ばれた、特別な個体であることは分かっていた。

分かっていたが……理解をしていなかったんだと自覚したのだ。
465 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:14:46.00 ID:bDf9OSPn0
「絆さん?」

青年の動揺を察したのか、命が心配そうに呼びかけてくる。

絆はハッとして今しがたの考えを静かに胸の奥に押し留めた。

そんなことを今、自分が考えてもどうなるものでもない。

この子達に教えても、何がどうなるものでもない。

「……そっか。まぁ泳ぎたくなければ無理に泳がなければいい。
ここはあったかいからな。のんびりしてろ。何か食べるか?」

「暑いからソフトクリームが食べたいです」

即座に命が返してくる。

休暇だ、と言っていた為にいつもよりふてぶてしいように感じるのが
……妙におかしい。
466 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:15:33.79 ID:bDf9OSPn0
「ああ。持ってきてやるよ。雪は何かいらないか?」

今日くらいはいいだろう。
そう思って聞くと、雪は軽く首を振った。

「私は……ここにいるだけでいいよ?」

「いいのか?」

問い返したところで、何かが走ってくる気配を感じて振り向く。

途端に芝生を蹴って、愛が勢いよく絆の腹に頭部から飛び込んだ。

モロにみぞおちに入ってそのまま倒れこむ。

「絆、アイス食べたい」

出し抜けに言われて、
息が詰まったままの青年は目を白黒させながら
小柄な少女を両手で持ち上げた。
467 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:16:09.33 ID:bDf9OSPn0
「……お前な……」

小さく咳をして立ち上がる。

命がそれを目を丸くして見ていた。

「絆さんって強い……」

小さい呟きが聴こえる。

愛を降ろし、じりじり痛むみぞおちをさすりながらプールの方を見る。

さっきまであんなに怖がっていたのに、文はもうすいすい泳いでいた。

優はというと、いない。

見回すと丁度飛び込み台の頂上に昇っている少女の姿が見えた。
468 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:16:48.60 ID:bDf9OSPn0
一瞬血の気が引いて大声を上げる。

「おい優何やってんだ! 危ないぞ!」

走り出そうとしたところで、彼女が飛び降りた。

息が詰まる。

しかし小さな少女はそのまま綺麗に
伸ばした手先を下にして着水した。

数秒して浮かび上がり、楽しそうに手を振っている。

大きくため息をついて額を抑える。

元気なバーリェだとは思っていたが、ここまでとは。
469 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:17:35.99 ID:bDf9OSPn0
「おー、ゆう凄い」

素直に感嘆符を口に出し、しかしすぐに愛は絆の方を向いた。

「絆、アイス」

「……分かった。じゃあ今から一緒に買いに行くか」

「うんっ」

嬉しそうに頷く愛。絆は座っている二人の方を向いて口を開いた。

「じゃあ少しはずすから、
あの二人が無茶しないように気をつけててくれ」

「はい」

「分かったよ」

頷いたのを確認して、耐水性のジャージ上下を着込む。

さすがに競泳水着一つでは外に出れない。

愛にも同じものを着せて、手を繋いで部屋の外に向けて歩き出す。
470 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:18:26.57 ID:bDf9OSPn0


部屋の外に出ると、白い通路が続いている。

基本的に同じような部屋が両脇の壁にずらりと並んでいる。

この辺りはトレーナーなどのVIP待遇を受ける
役職の者が使用するエリアだが、
いくつか自分達のように使われているところもあった。

食用品を購入できる場所は階下にある。

ポタポタと水滴を垂らしている愛の金髪を
持ってきたタオルで拭いてやりながら、絆は廊下を歩き出した。

「泳いで気持ち悪くとかなってないか?」

「どうして? 気持ちいいよー」

屈託ない笑顔を向けられ、絆は思わず目をそらした。
そのまま前を向いて軽く笑い返す。
471 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:19:11.99 ID:bDf9OSPn0
「……そうか」

この子も、生まれた時のことを覚えているのだろうか。

……いや、それはない。

二年以上前の記憶は完全に消されているはずだ。

覚えているはずはないんだ。

仮に……覚えているとしたら。

――もしかしたら、何もかも記憶は消えていないんじゃないだろうか。

ふと、そんなことを思ってしまった臆病な自分がどことなく嫌になる。

何を考えているんだ、俺は……と、軽く息をついて少女の手を引く。
472 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:19:51.10 ID:bDf9OSPn0
怖がっているのは他の誰でもない。

多分自分だ。

あの記憶を、誰よりも怖がっているのは、
多分他でもない絆自身なのだ。

動かなくなったバーリェの山。

鎖に家畜のように繋がれた少女の姿。

忘れたくても忘れることなんて出来ない。

だから、この心のどこかから来る恐慌の気分は
おそらく自分のものなのだ。
473 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:20:37.12 ID:bDf9OSPn0
階下に下りるためにエレベーターに乗り込む。

愛はよほど絆と一緒にいることが嬉しいらしく、
隠すそぶりもなく彼の腕に抱きついていた。

そのまま肩に猿のようにのぼり、ぶらぶらと宙に揺れている。

雪のように穏やかで静かでもなければ、
命、優や文のようにことあるごとに自己主張したりもしない。

ただその場その場が嬉しければ、それでいい。そんな子だ。

それが正しいかどうかなんて絆には分からなかった。

しかし、ただ言えることは
この子は他のバーリェと別の部分が確かにあるが
……やはり同一の存在だということだった。
474 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:21:18.53 ID:bDf9OSPn0
多分、触れないと分からない。

目の前で感じてみないと分からない。

暖かさの確認というのだろうか。

理屈で説明することなんて出来ないが、そう思うのだ。

「絆」

扉が閉まったとき、唐突に愛が口を開いた。

「ん? どうした?」

「絆と遊ぶの、初めて」

端的に言われて一瞬きょとんとする。

そしてエレベーターが動き出した時、
彼はその言葉の意味を理解した。
475 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:22:02.21 ID:bDf9OSPn0
濡れた少女の金髪を撫でつけ、それに答える。

「ああ……そういえば、そうだな」

「絆はたのしくない?」

──楽しいか

瞬間には答えることが出来なかった。

これは、仕事だ。トレーナーとしての仕事だ。

他でもないこの子の精神を安定させるために用意した舞台だ。

根幹的な要因はそこにあるし、
実際そんなに深く考えているわけでもなかった。

首をかしげた少女を見下ろし、絆は息をついて静かに言った。

「楽しいよ。お前と遊びに来るのは、初めてだからな」
476 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:22:40.93 ID:bDf9OSPn0
「あはは。後でいっしょに泳ごう」

「分かった分かった。ほら、肩から降りろ」

軽い少女の体を持ち上げて床に下ろす。

そこでエレベーターが停止し、扉が開いた。

しかし足を踏み出そうとして、反射的にその場に停止する。

勢いよく飛び出した愛は
頭から目の前に立っていた男性にぶつかった。

そのまま跳ね返されるようによろめく。

とっさに彼女を抱きかかえて、さりげなく背後に移動させる。
477 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:23:24.44 ID:bDf9OSPn0
状況を理解していない愛を庇う形で、
絆は抑揚のない威嚇の視線を前に向けた。

エレベーターの前には、
間が悪いことに軍部の兵士が六……七人待っていた。

いずれも若い。

そして全員が、愛を見た瞬間にまるで汚物を見るような
嫌悪感をあらわにした表情になったのだ。

そのまま数秒間にらみ合い、絆は愛の手をしっかりと握った。

相手は七人。ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。

基本的に軍の人間は、バーリェを憎んでいる。

人ではない、人の形をした動く『動物』に
自分達が劣っているのだという劣等感を常に抱いている。
478 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:24:06.48 ID:bDf9OSPn0
それもそうだ。

軍の人間は、バーリェのエネルギーチャージのために
囮や捨石にされることが多く、扱いは当然エフェッサー関連よりも低い。

軍がバーリェをどう呼んでいるか。
通称は、犬だ。

油断していたがここは軍の施設。
一般兵士がいても不思議ではない。

……無視するに限る。

そう決め、愛の手を引いてエレベーターから出ようとする。

途端に一人が、締まりかけたドアに手をかけて前に立ちふさがった。
479 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:24:49.94 ID:bDf9OSPn0
「トレーナー様じゃありませんか。こんな場所にどうして?」

ぶしつけに質問され、絆は冷たく相手を見上げた。

トレーナーになってから、
こういうことは殆ど日常的なものになっていた。

気に入らないからと、どうにもならないからと、
それでも軍の人間は相手に干渉しようとする。

人間というのは、自分の命がかかっていると
途端に醜い本性を出すものだ。

自分達の兵器は効かないのに、
死星獣との戦闘では前線に出せられ、
相手を駆逐できるバーリェは後方。

──理解できる。面白いはずがない。

だが、そんなことは俺には関係のないことだ。
480 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:25:32.18 ID:bDf9OSPn0
「どけてもらおう。貴様らにはなんら関与する権利がない話だ」

鉄のように抑揚なく言い放つと、七人の兵士が一様に表情を歪めた。

それを見て、笑顔だった愛の表情が引きつる。

途端に体をすくめて絆の後ろに隠れた少女を見て、
青年の言葉を無視して兵士の一人が口を開いた。

「休暇に女のガキ連れてきてご満悦とは、トレーナー様々だなぁ」

「……どけと言っている」

頭に血が昇った。

冷静な表情のまま、言葉を発した兵士に向かって左手を伸ばす。

間髪を入れずに絆はそいつの胸倉を引き込んで足を払い、
重心を崩しがてら廊下に投げとばした。
481 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:26:13.56 ID:bDf9OSPn0
頭から倒れこんだ兵士が、
綺麗に気絶したのか小さくうめいて動かなくなる。

トレーナーの思わぬ早業に、他の兵士達の動きが停止した。

絆は、こいつらが嫌いだった。

トレーナー関連……つまりエフェッサーになれるのは、
社会でも『上層』の者達だ。

遺伝的にレベルが高い人間。

それが主に、この社会では政府の役人など、
重要なポストにつくことが圧倒的に多い。

絆もそうだ。遺伝的なランクはAAに属する。

しかし、この兵士達は違う。

Bか、それ以下。

上層ではない者たちがつくものだ。
482 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:26:59.05 ID:bDf9OSPn0
別に差別主義者というわけではない。

そんなことどうだって良かったし、
気にしたところで自分自身の何が変わるわけでもない。

しかし軍は違った。

一方的な劣等感を抱き、一方的な敵対感情を抱いてくる。

そうしなければ、社会的、
遺伝的な不利を忘れることが出来ないのだということは分かる。

だが、それにいちいち相手をしていられるほど、
絆は強くも弱くもなかった。

無駄口を叩くのを止め、
兵士達の目が猫のように瞳孔拡大の様相を呈する。

「貴様らの行動は、軍令第三十五条二十八に触れているはずだ。
ここでその場をどくなら、軍部に報告はしない。
いちいち私も暇ではないのだからな」
483 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:27:37.41 ID:bDf9OSPn0
同レベルに下がる気もなく、淡々と言い放つ。

しばらく迷っていたが、兵士達は倒れている一人を無理やりに起こして、
絆から視線をそらした。

それを確認して、硬直している愛の手を強く引き、
足早にその場を後にしようとする。

「……人間まがいの化け物が」

その時だった。吐き捨てるように兵士の一人がそう呟いたのを聞き、
絆は弾かれたように振り返った。

それと間髪をいれずに、エレベーターが音を立てて閉まる。

彼らが乗り込んだ音だった。

頭の中が妙に熱かった。

エレベーターののっぺりとした扉をにらみつける。
484 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:28:20.25 ID:bDf9OSPn0
「絆……?」

そこで愛が戸惑ったように震える声を発した。

ハッとして、彼女の手を強く握り締めていたことに気づき、
それを離す。

「あ……いや。気にすんな。変なことに時間とっちまったな」

息をついて歩き出す。しかし愛はその場に停止したままだった。

振り返って怪訝そうに、青年は少女を見つめた。

「どうした?」

「わたしって、絆とちがうの?」

問いかけられて、息が詰まった。

バーリェにとって、
『人間』という単語はトレーナーそのものに位置する。
485 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:29:07.35 ID:bDf9OSPn0
自分のマスターたる者が世界の中心であり、
それを核に存在しているバーリェにとって、
時に人との言語認識には微妙な差異が生じることがあった。

最後の罵倒が、自分に投げつけられたことだというのを
この子は本能的に理解していたのだ。

答えられずに数秒間を置く。

しかし愛は、絆が言葉を発しようとしたのに被せるように、
照れるように笑った。

「あの人たち……きらい。また会うの嫌だから、早くいこ」
486 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:29:42.41 ID:bDf9OSPn0
そして早足で絆の手を引いて歩き出す。

息を吐いて、それに続く。

不意に先ほど兵士を掴んで投げた手に痛みが走り、
絆は少女が掴んでいる方と反対側の手に視線を落とした。

気づかなかったが、小指を僅かにひねってしまっていたらしい。

ニ、三回曲げて、青年は小さくため息をついた。
487 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:35:59.58 ID:bDf9OSPn0


全員分の飲み物や冷物を買って、
部屋に戻った時には意外に時間はかかっていなかったらしく、
まだ優と……文まで加わって飛び込台から次々に落下している
最中の光景が目に飛び込んできた。

命と雪は、少し離れたプールサイドに腰掛け、
くるぶしくらいまでを水に浸している。

命は何でもないような自分の好きなものの話をするのが好きだ。

眼の見えない雪にとってそれを聴くのは、多分楽しいんだろう。
488 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:36:50.00 ID:bDf9OSPn0
少しすれば飽きるだろう、とパラソルのところに愛と一緒に戻る。
持ってきたクーラーボックスにジュースの缶などを突っ込んで、
絆はその場に腰を下ろした。

愛はというと、戻る途中からかぶりついていた
特大のソフトクリームをまだ舐めている。

「お前も飛び込んできたらどうだ? 
腹から落ちると痛いから、気をつけろよ」

そう呼びかけると、意外なことに愛は軽く首を振って
絆の隣に腰を下ろした。

そして体を移動させ、青年の足の間に腰を下ろす。

椅子のように体を預けられ、
絆は少しばかり戸惑ったが苦笑して少女の体を支えた。
489 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:38:06.06 ID:bDf9OSPn0
「どうした?」

「……わたしだけの、絆」

聴こえるか聴こえないかの、本当に小さな声だった。

「一分くらい、このままでいたい」

愛にしては小さな声だった。

どうすればいいのかはよく分からなかった。

だが、何となく少女の肩に手を回し、軽く抱いてやる。

冷たいソフトクリームを食べているせいかもしれない。

先ほど、軍部の人間に罵倒されたせいかもしれない。

愛の体はどことなく冷たかった。
490 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:38:57.46 ID:bDf9OSPn0
「……気にすんな。お前と俺は、同じだよ」

大分経ってから絆は小さく、彼女に囁いた。

「……同じ?」

目の前でソフトクリームが溶けて、
流れていくのをぼんやりと見つめながら少女が答える。

「ああ。俺の心臓の音が聞こえるか?」

胸が少女の背中についている。愛はかすかに頷いた。

「お前の、自分の心臓の音は聞こえるか?」

もう一度少女が頷く。

「…………それでいいと、俺は思うぞ?」

上手く言葉にすることが出来なかった。

何かを言おうとして失敗した、という表現の方が近いかもしれない。
491 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:39:32.95 ID:bDf9OSPn0
ただ本当に、それだけで充分じゃないかと。
そう思っただけだったのだ。

「……ときどき、怖くなるんだ」

ポツリと愛は言った。

「絆が絆じゃなくなる気がして。
わたしがわたしじゃなくなる気がして
……何だか、よくわかんないけど……怖くなる」

「…………」

「ここにいないような気がする」

淡々と、金髪のバーリェは呟いた。

いつも元気で、何も考えていないように思っていた子。

彼女のそんな顔を見たことがなかった。

ぼんやりとした不安を恐れているような、そんな顔だった。
492 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:40:04.98 ID:bDf9OSPn0
「でも絆といると、あんしんする」

「……そうか」

「絆のこと、好きだから」

幾度となくバーリェから聴いてきたそのセリフを、
絆は愛から初めて聴いた。

小さな頭を軽く腕で抱いてやる。

「大丈夫だ。俺も、お前のことは好きだ」

「うん」

かすれた声で答えて、愛は指に流れてきた溶けた
ソフトクリームを見つめ、そして舐めた。
493 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:40:50.28 ID:bDf9OSPn0


その日、部屋に戻ったのは既に夜の七時を回っている頃だった。

バーリェたちは動き回って相当疲れたらしく、
雪が早めに眠りについたのに触発されるように、
優をはじめに食事もとらずにベッドに入りだすような様だった。

彼女達に無理やりに薬を飲ませ、
ベッドに追いやってから絆はソファーに腰を下ろした。

愛に、初めて好きだと言われた。

今まで管理してきた他のバーリェにも、同様に言われたことはある。

だが、そう簡単に彼女達はその言葉を口にすることはないし、
一度も聞かずに死んでしまった子も、無論存在していた。
494 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:41:31.03 ID:bDf9OSPn0
彼女達はそうやって愛情を確認する。

自分が相手に向けている愛情が
──それがたとえプログラムされた、作為的なものであるとしても
──相手に届いているのか、認められているのか。それを知ろうとする。

確認。

それは、生きていることの確認だと、
前に誰かに聞いたことがある。

バーリェ精神学を大学で教えていた教授の言葉だ。

今でもまだ理解は出来ない。

生きている。
ここに存在している。

それだけでいいじゃないか。

絆は、そう思っていた。
495 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:42:11.81 ID:bDf9OSPn0
それ以上はいらないし、考えても別に死ぬわけでもない。

自分はここにいるし、それを中心に社会という
大きな生き物が内包しつつ展開している。

そのほかにはなんら意味なんてない。
持っているはずがない。

しかし、バーリェはそれを確認したがる生き物だと、
その教授は言っていた。

彼女達の存在は、非常に曖昧なものものだと。

だから他にすがる。
だから、他に生きている証を求めようとする。
496 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:42:56.68 ID:bDf9OSPn0
そこで、昼間に雪と命が言っていた言葉を思い出す。

生まれる前の記憶が、彼女達にはあると。

選ばれず死んでいったバーリェ達。

彼女達は、生きていたんだろうか。

それを自分は、見ない顔をして。

知らない顔をして見過ごしていたんだろうか。

人権がなければ、どうでもいいのだろうか。

ふと思う。

何度も、何度もうっすらと頭の奥に浮かんでは消える疑問。

しかしその答えはいつでも得るところまではいかない。

どこかで霧散して、消える。
497 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:43:34.85 ID:bDf9OSPn0
そこまで考えて、絆は愛が小さく咳をしているのに気がついた。

近づいて彼女のベッドを覗き込む。

「どうした?」

寝ているかもしれないが一応聞くと、
愛は体を丸めたままこちらを見た。

薬が効いているのだろうか。

目がとろんとしている。

「きずな……?」

「また怖い夢でも見たのか?」

「…………」

答えがない。
498 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:44:22.26 ID:bDf9OSPn0
顔を覗き込むと、いやにはっきりとこちらを見ていた。

額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

薬が、効かなくなってきている。

それに気づいて絆は黙って持ってきたバッグの方に向かった。

確か予備の、もう少し強力な安定剤があったはずだ。

しかしそれが入っているはずのピルケースは、
カバンのどこにも入っていなかった。

怪訝に思って回りを見回すと、
テーブルの上にふたが開いたまま置いてあるのが見える。

中身は……空だ。

そこで絆は、雪に飲ませてしまったことに気がついて
自分の口元を押さえた。
499 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:45:04.29 ID:bDf9OSPn0
迂闊だった。

愛の調子が優れないことは分かっていたはずなのに。
体調管理では雪の方にかかりきりになっていた。

慌てて愛のベッドまで戻り、勤めて冷静を装いながら囁きかける。

「一時間くらい待っていられるか? 落ち着く薬を取ってきてやる」

エフェッサーの本部
……医療部に行けば薬のストックがあるはずだ。

本来呼び出しがないのに向かうような場所ではないが、
なるべく早い方がいい。

だが問いかけられた愛は意外なことに強く首を振った。

そして絆の服を強く掴む。

「やだ。絆いっちゃやだ」

「お、おい……」
500 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:45:40.19 ID:bDf9OSPn0
ものすごく戸惑った表情で、金髪のバーリェがこちらを見る。

「やだ」

それだけ言って、愛はまた毛布の中で猫のように丸くなった。

精神的な不安定状態に陥っているようだ。

やはり薬の効きが弱くなっている可能性が高い。

絆は軽く息をついて、そして愛を毛布から抱き上げた。

そのままゆっくりと少女を床に下ろす。

「じゃあ一緒に行くか。歩けるか?」

「…………うん」

強く絆の手を握り、かすかによろめきながら愛が返事をする。
501 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:47:29.87 ID:bDf9OSPn0
インターホン越しにエフェッサーの担当に、
残りの子達の管理を頼み、愛にコートを羽織らせ、
絆は急いで部屋を出た。

そのまま一気に駐車場に降り、車に乗り込む。

助手席に座った愛は人形のように俯いて、
青白い顔を更に蒼くしていた。

「大丈夫か? 気持ち悪かったら部屋で待っててもいいんだぞ」

そう言うと無言でまた首を振る。

息をついて絆は車を発進させた。

医療部はここから少し離れたところにある。

だが、ラボに戻るよりは早い。
502 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:48:04.89 ID:bDf9OSPn0
夜半の軍部には人通りが少なく、
奇異の目で見られることもなかった。

その点では軽く安心して道路に出る。

「何だか頭が熱い……」

ぼんやりと少女が呟く。

絆は片方の手を伸ばし、少女の手を握った。

「大丈夫だ安心しろ。すぐに薬飲ませてやるから」

「絆が行っちゃうような気がする」

ポツリと、少女は唐突に呟いた。

聞き返すことが出来ずに、ポカンと彼女の方を見つめる。

「……どういうことだ?」
503 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:48:40.57 ID:bDf9OSPn0
「少し前から、すごく……そんな感じがする。
わたし、ここにいないような気がする。
このわたしは、わたしじゃないような気がする」

囁くようにぼんやりと愛が言う。

途端に、絆は頭を鈍器で殴られたかのような感覚に襲われた。

最近の愛の不調。

それはやはり、逆行錯乱によるものだった。

この発言からもそれは明らかだ。

消えた、と思っていた過去の記憶。

前トレーナーに玩具にされていた一年間の記憶が、
空白の時間として彼女の心を圧迫している。
504 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:49:13.61 ID:bDf9OSPn0
本人もどんな記憶かは分からないが、成長の感覚は残る。

体が覚えている、前の記憶。

心は忘れても、忘れようとしても。

頭のどこかでは感覚が残っているのだ。

成長するにつれて脳細胞の劣化と共に、
やはりそれが顕著になってきている。

……ともかく、医療部に診せたほうがいいな。

連れてきたことは正解だったかもしれない。

息をついてまた口を開く。
505 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:49:42.33 ID:bDf9OSPn0
「愛、俺を見ろ」

「……ん?」

「俺は、ここにいないか?」

ニカッ、と屈託なく笑いかける。

そこで少女の表情が幾分か和らいだ。

小さな手を伸ばし、青年の腕に触れる。

「いる」

「だろ? 何バカなこと言ってんだ」

軽く、笑い飛ばしてやる。

そうすることしか出来なかった。

彼女のためにも、自分にとっても。
506 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:50:21.69 ID:bDf9OSPn0
そのまましばらく道路を走る。

「何か、ほしいものとかはないか?」

静かだ。この子にしては異常な静かさに圧迫を感じ、
絆は戸惑いがちに口を開いた。

「……え?」

「いや、何かあったら、帰りにでも買ってやるよ」

我ながら陳腐な釣り文句だと思う。

しかし愛は疲れたように笑うと、言った。

「……絆とね、二人でね。えーが観たい」

「えーが?」

映画のことか。そう思って頷く。
507 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:51:29.94 ID:bDf9OSPn0
「それは今日の帰りにはムリだな……明日、一緒に行こうか。何を観たいんだ?」

「みことが言ってた、面白いの観たい」

「面白いの、だけじゃわかんないだろ?」

苦笑して返すと、愛は段々と元気を取り戻してきたようで
眠そうな目をまっすぐ絆に向けた。

「男の人と、女の人が一緒に戦う話」

言われて絆は出しかけていた言葉を止めた。

おそらく命は、テレビのコマーシャルか何かでそれを知ったんだろう。

今の社会、映画なんて娯楽はたいしたものが存在していない。

だからその情報だけでも何を指しているのかははっきりと分かった。
508 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:52:14.40 ID:bDf9OSPn0
それは、元老院が主催した、
一般にエフェッサーのイメージアップを図るための啓発映画だった。

つまるところ、薔薇色に脚色された
『作り物』のトレーナーとバーリェの物語。

戦場となるのは街だ。

それを守る者のことを一般に知らしめることも、
社会の協力を得るための布石として必須事項だというのは分かっている。

しかし、それをバーリェであるこの子に見せるのか
……そう考えると、一瞬沈黙してしまったのだ。

だが、絆は軽く息を吐いて笑顔を向けた。
509 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:52:53.80 ID:bDf9OSPn0
「分かった。俺と、お前だけで行こう」

「……うれしい」

愛が、また笑った。

今度は何も表も、裏も感じない純粋な笑いだった。

いつのも少女の顔。

だがそこにどこか今までよりも大人びたものを感じ
絆は彼女から目を離し、道路を見つめた。

バーリェも大きくなっていく。

そして死ぬ。
あっさりと。
いつも、いつもあっさりと死んで行く。

この子だって例外じゃない。
510 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:53:43.74 ID:bDf9OSPn0
なるべくならどんな願いでも……聞いてやりたいのだ。

それを使うものの義務として。

またしばらく、そのまま進む。

そしてエフェッサー本部に通じる国道に入りかけた時だった

不意に、車に備え付けの通信機が音を立てて鳴った。

ボタンを押して回線を開く。

「はい。絆です」

『絆執行官。出撃命令です。
サンガストン地方にアンノウンが出現しました。
今までにないタイプです。直ちに迎撃をお願いいたします』

「……私に?」

あまりに唐突な通信に思わず聞き返す。
511 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:54:30.92 ID:bDf9OSPn0
助手席を見ると、出撃という単語を聞いた愛が、
少し不安の入り混じったまじめな顔でこちらを見ていた。

彼女から目を離してまた口を開く。

「しかし私のAADは現在整備中です。
それに、休暇願いを提出しているはずですが」

『申し訳ありません。元老院からの要請でございます。
絆様のAAD、陽月王の整備は先ほど完了いたしました。
即刻の出撃が可能です』

有無を言わさずという感じだ。

サンガストン
……ここから高速輸送機で行けば一時間とかからない場所だ。

近い。
512 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:55:15.86 ID:bDf9OSPn0
「一応お聞きします。拒否は出来ませんか」

『拘束規定第百五十一条の適用範囲と存じます。
絆執行官は、可能な限り高速に、
エフェッサー本部に出頭せよとの命令です。では』

切れた。

こんな時に……と軽く舌打ちをして車を反転させる。

しかしこれが、この仕事の本質だ。

死星獣はこちらの都合に合わせて出現するわけではない。

むしろこちらの都合の悪い時に現れるのが常だ。

そして自分達に招集がかかったということは。

その死星獣は、とてつもなく厄介な代物であるという
事実に他ならなかった。
513 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:56:00.78 ID:bDf9OSPn0
……雪を使うか。

突然のことに頭が対応し切れていないが、
無理やりに思考を立ち直らせる。

久しぶりのラボ以外での休暇で、脳内回路が緩んでいる。

雪は……。

そこで絆は、心臓が凍り付いて思わず車を歩道に乗り上げ、
停車した。

急ブレーキがかかり、
シートベルトに体を抑えられた愛が小さな悲鳴をあげる。

(まずい……)

心の中ではっきりと、そう呟く。

雪には通常バーリェに服用させる薬の、
およそ四倍の適応量のものを投与してある。
514 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:56:35.51 ID:bDf9OSPn0
他の子たちにも薬は飲ませ、効いていることは確認している。

バーリェに一度薬を飲ませてしまったら、
中和剤を投与して効果を打ち消せる時間は三十分まで。

とっくに過ぎている。

と、すれば。

現段階で自分が使用できるのは、
薬の効果が確認できていない愛一人。

偶然にも使用可能な状態だ。

しかし……こんな逆行錯乱状態の不安定な子に、
よりにもよってあのAADを動かさせることなんて出来るだろうか。
515 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:57:11.47 ID:bDf9OSPn0
普通なら、このような事象は仕方のないことなので
出撃を拒否することが認められている。

だが当然監査は入る。

使用可能だったバーリェを使用しなかったと分かれば、
極刑は免れない。

自分の役職はそれほど重要なものだ。

使うのか、この子を。

改めて自分の浅はかさを呪う。

もう少し多く薬をラボから持ってきていたら。

その考えが頭をぐるぐると回る。
516 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:57:45.49 ID:bDf9OSPn0
絆は、あの人型AADに乗りたくなかった。

自分のバーリェ達を乗らせたくなかった。

あれはエネルギーを喰いすぎる。

まるで高出力の放熱器のように、
そこにいるだけでバーリェの力を吸い取って、
あっという間に空にしてしまう。

あれは嫌いだ。

まるで本当の電池じゃないか。そう思ったのだ。

しばらくハンドルに額を預けて、考え込む。

ラボに戻り、愛に薬を投与し
……そして全員が使用不可であることを報告するか。

……できない。
517 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:58:20.43 ID:bDf9OSPn0
死星獣は侵攻を続けているのだ。今、まさに。

考えをまとめようと息を吸い込んだところ、
だがゆっくりと愛は口を開いた。

「絆……何してるの? いこ」

「……え?」

「早くわたしとかいぶつやっつけに、いこ」

にっこりと少女が笑う。

「それとも絆、また雪使う?」

「い……いや……」

「だったら、このままいこ」

……それしかないのか。

絆は黙って頷くと、
車を急旋回させて元向かっていた道へと走らせた。
518 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:58:58.00 ID:bDf9OSPn0


エフェッサーの本部に着いた時、
絆は……しかし自分の考えが圧倒的に甘かった事実を思い知らされた。

司令室に入り、現在の戦況を巨大なスクリーンモニターで確認する。

──化け物……か?

一瞬何だかよく分からなかった。

死星獣というものは不定形な形を持たない化け物だ。

蟲のような形状をしていたり、
アメーバ状の下等生物の形をとっていたり。

そもそも体内にブラックホール粒子を含有しているというだけで、
大きさもまちまちなものが殆どだ。
519 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 17:59:42.89 ID:bDf9OSPn0
だが、今回の死星獣は、絆は見るのが初めてなタイプだった。

人型。

そう、人間の形をしていたのだ。

それも、とてつもなく巨大な。

自分達の人型AAD、陽月王よりも大きいだろうか。

目算にして三十……いや、四十メートル前後。

それがいまや廃墟と化したサンガストンの街の中心に鎮座している。

あの街は、合成ガスのタンクがあった場所だ。

引火したのか確認できるだけの状況は最悪だった。

その炎の真ん中に、真っ黒な巨人が見える。

いびつだ。
とてつもなく。
520 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:00:33.43 ID:bDf9OSPn0
人型と言っても、AADのように完全な人形ではなく、
頭が三つ存在していた。

肩に二つ。
そして本来ついている場所に一つ。

体全体は虹色の粘膜に覆われてぬらぬらと光っている。

しかし、その内部は今までにない異常な狂気をはらんでいた。

まるで、ブリキの玩具のような緊張感のない外見をしていたのだ。

流線型の四角い体は、
丁度腹部の部分が開いて中身が見えるようになっている。

そこからは巨大な歯車や、
無数の脈動するポンプが見えていた。

両手だけが妙に長い。

足の二倍ほどあるそれは、地面をしっかりと掴んでいる。
521 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:01:18.86 ID:bDf9OSPn0
その人型死星獣が構えている周囲は、
一キロほどが蟻地獄の巣のように灰化していた。

「何だ……これ」

飾ることも何も出来ずにただそう呟く。

そこで背後の扉が開き、
エフェッサーの本部長がゆっくりと歩いてきた。

年のころは三十代前半。細いサングラスに、オールバックにまとめた髪。
そしてエンジ色のスーツ。

どうしてもこの男は好きになれない。

服のセンスも最悪だし、何より機械のような喋り方が癪に障る

だが……そうも言っていられる状況ではないようだった。
522 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:02:05.81 ID:bDf9OSPn0
駈(カル)という名の彼は、静かに絆を見てから口を開いた。

「君の持参したバーリェは、
現在メディカルルームで大至急の調整中だ。
十分後には全ての準備が完了する。
直ちに現地に向かい。当該死星獣を殲滅してもらいたい」

それだけを言って彼が口を閉ざす。

絆は言葉をグッと飲み込んでから、言った。

「私が招集された理由が分かりません。
まずそれをお聞かせ願います」

さすがにその言葉を聞き、周囲のトレーナーたちがこちらを向く。

彼らのバーリェは今だ、
戦場にそれぞれのAADと共に待機しているのだ。
523 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:02:38.54 ID:bDf9OSPn0
戦闘中の者もいるかもしれない。

だが、そんなことはどうでもいい。

本当に……どうでもいい。

愛の笑顔が頭の中でぐるぐると回っている。

聞かずにはいられなかった。

駈は、しかしピクリとも表情を変えずに続けた。

「絃執行官の人型AAD、
咲熱王があの死星獣に撃墜された。
我が本部が保有する人型AADは現段階ではあと一機。
その担当者を召集したに過ぎない」

「咲熱王が……!」
524 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:03:29.73 ID:bDf9OSPn0
絃のバーリェ、桜が乗るもう一機の人型AAD。

スペック的には陽月王と変わらないはずだ。

絆の動揺を察したのか、
駈の脇に立っていた女性職員が黙ってリモコンを操作した。

中央のテーブル上に、ホログラム化された咲熱王と
あの人型死星獣の戦闘の様子が映し出される。

こちらが使用していた武装は、
エネルギーを圧縮して撃ち出す形式の大型火砲。

一撃目。
正確に死星獣の腹部を貫通。

大穴をあけられた化け物は、
黒い粒子を噴出させながらゆっくりと倒れた。
525 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:04:19.01 ID:bDf9OSPn0
だが、火砲を下ろした咲熱王の背後が、突然ざわめいた。

機械人形の背後に伸びるその影が、ゆっくりとうごめき、
そして風船のように膨らむ。

数秒も経たずにそれは、
先ほどの死星獣と全く同じ様相を作り出すと、
静かに起き上がって咲熱王の首を、その手で凪いだ。

AADの機械装甲が呆気ないほど簡単に灰と化し、
空気中に飛び散らかる。

そこで映像は切れた。

「以上だ。この死星獣は影のような粒子に自己を溶解させ、
衝撃を緩和、再生することが可能であると見て間違いがない。
この一分二十五秒後に咲熱王、
AAD七〇二号は戦闘続行不能。回収された」

「……内部のバーリェは?」
526 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:05:02.86 ID:bDf9OSPn0
「精神的な衝撃干渉を受けているが、無傷だ。
絃執行官はバーリェ管理のために退席をしている」

……無傷?

そんなバカな、と言いたい気持ちを絆は無理やりに押さえつけた。

ともかく桜は無事らしい。

この男は、このようなことでは嘘をつくほど器用な真似はしないことを、
彼は知っていた。

「今は動きを止めている。
大口径のエネルギーキャノンを配備してある。
陽月王、AAD七〇一号で当該地区に向かい、
現地のバーリェと合流。即刻に対象殲滅を命令する」

「……分かりました」
527 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:06:14.80 ID:bDf9OSPn0
想像以上に状況が悪い。

抗っても意味はない。

頷いて司令室を後にする。

陽月王は、愛のエネルギーで何とか動くように
無理やりに調節をしてもらっていた。

動くだけなら……動くだけなら、何とかなる。

(出来るのか?)

自分に問いかける。

分からない。
出来るのだろうか。

メンタルルームの前に来ると、病院服に着替えた愛が待っていた。

幼い顔をにっこりと微笑ませる。

絆は頷いて、しっかりと彼女の手を握った。
528 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:06:54.19 ID:bDf9OSPn0


高速輸送機でサンガストンについたころには、
更に火の手が大きくなっていた。

死星獣から五キロほど離れた場所に飛行機が着陸し、
陽月王のコクピット内で、絆は愛の方を見た。

体中に白いコードを差し込まれ、
彼女は荒く息をついていた。

やはり辛いらしい。

いつもは、危険が及ぶ戦闘の場合、
目の見えない雪が出撃する時以外は司令室でAADを操作していた。

しかし今回の場合は愛の状態が極めて不安定だ。

同乗しなくて何か彼女に予想外の不具合が起きた場合、
最終的な防衛線として召集された意味が全くない。
529 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:07:30.36 ID:bDf9OSPn0
エフェッサー本部も同乗することに対して何も言ってこない。

事態が切迫していることに他ならなかった。

離れたところに見える火の海。

計器を操作して、目の前のモニターにその中心にいるものを映し出す。

醜悪な、玩具の人形。

アメーバ状の粘液にナメクジのように覆われ、
火の中でゆっくりと光っている。

「……動かせるか?」

静かに聴く。愛はそれを聞くと、嬉しそうに笑って頷いた。

「もちろんだよ」

大きく息を吐いて、小さく詰める。
530 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:08:05.33 ID:bDf9OSPn0
すると全長十メートルの人型戦車が、
輸送機内の格納庫で足を踏み出した。

脚部のキャタピラが回転し、
低速でまだ火の手が及んでいない街中に出る。

もう一度計器を確認する。

本当に、動くぎりぎりのライン
……これも更に調節して、最小限のエネルギーでまかなえるように、
低出力状態にしたうえでの結果だ。

やはり雪でなければ、厳しい。

……なら早く終わらせるまでだ

心の中で歯を噛んで、手を伸ばし、愛の細い手を握る。
531 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:08:57.49 ID:bDf9OSPn0
「大丈夫だ。作戦通りにやればすぐに帰れる。
そうしたら一緒に映画を見よう」

「うん。たのしみだなー……」

小さく咳をしながら彼女が答える。

そして絆は、あらかじめ配置されていた
巨大砲身の場所へとAADを動かした。

陽月王の三倍はある、
小さな空母クラスの巨大な戦車。

その砲身がまっすぐ死星獣の方を向いている。

作戦は簡単だった。

現地に配備されているバーリェは、
現在愛も含めると八体。

陽月王の出力不足もあり、まずそれら全てのエネルギーを収束し、
この設置型キャノン砲、SUで叩く。
532 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:09:36.12 ID:bDf9OSPn0
前回と同じだ。遠距離攻撃で損傷を与えた後、
まだ活動が見受けられていれば止めを刺しに行動する。

アバウトな指示だ。

お粗末だ。

だが、それがエフェッサーの現実だった。

絆はその場にいるから、そう感じる。

しかしこの戦場に存在している人間は、
彼以外一人もいない。

皆遠隔操作で司令室から、
自分のバーリェが乗っているAADを操縦しているだけなのだ。

死んだら別のバーリェを使えばいい。

それが常識。

かえって絆がやっていることの方が、酔狂で、狂っていると言わざるをえない。
533 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:10:17.89 ID:bDf9OSPn0
SUキャノン砲から伸びる極太のパイプをAADの手で掴み、
機体の腹部コネクタに接続する。

回りを見回すと戦車型のAADも全部、同じように接続されていた。

砲台の上に機体の片膝をつかせ、砲身を機械人形の手で固定する。

トリガーは、やはりこちらがコクピットの中で引く。

このエネルギーキャノンは、
愛のエネルギーを使用するのではない。

他の七体のバーリェのものを使用するのだ。

もし、愛の力を使ってしまったら、
仕留めそこなった時の対処が出来ないからだ。
534 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:10:56.05 ID:bDf9OSPn0
顔も見たこともないバーリェの命を。
顔も見たこともない俺が。

こんな場所で。
こんな時に。

呼ばれて、命令されて、
そして仕方なく来た場所で消費して攻撃する。

そんな馬鹿な話が……あるのか?

トリガーに指をかけて、ふとそう思う。

今、エネルギーを砲台に供給しているバーリェにも一人一人考えがあって。
自意識が存在していて。

ひょっとしたら愛のように、屈託なく笑っていたのかもしれない。
少し前まで。
535 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:11:24.73 ID:bDf9OSPn0
思う。

生産工場の光景。

家畜のように壁に繋がれたまま息絶えたバーリェ達の光景。

そして今。


やっていることは、同じじゃないか


何も変わらないじゃないか。
536 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:11:59.86 ID:bDf9OSPn0
今結局愛のことを無理やりに使用して。

本人の意思とは無関係に力を吸い取って。

そして殺してしまうかもしれない。

同じじゃないか。やっていること、全部。

トリガーにかけた指が止まる。

どうして、俺はそれを今まで考えたことがなかった?

どうして少しでも鑑みたことがなかった?

沢山のバーリェを殺して。
沢山のバーリェが目の前で死んでいることに気づきもしないで。

そして犯罪者と同じことをやっている。
537 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:12:41.86 ID:bDf9OSPn0
『エネルギーチャージ完了。絆執行官。SUランチャー、撃てます』

絆は無機質に投げかけられたオペレーターの声にハッとした。

慌てて横を見る。

愛は額に僅かに汗を浮かべながら、絆と目が合うと微笑んで見せた。

しかし……顔が青い。

それはそうだ。

常に膨大な熱量を放出し続けているような
このAADのエネルギー供給を続ければ、本当にあっさりと……。

あっさりと……。

脳内で、鎖に繋がれたこの子の姿が一瞬浮かんだ。
538 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:13:30.00 ID:bDf9OSPn0
気づいた時には、絆は引き金を引いていた。

あっさりと。まるで、玩具の拳銃を撃つように。

七体分のバーリェのエネルギーが、
渦を巻いた青白い光となって五キロ先の死星獣に吹き飛んでいく。

一瞬でその光は着弾すると
……燃え盛るサンガストンの火を、更に上回るほどの半球形の炎の渦を作り出した。

地平線の向こうがまばゆく光り輝く。

天上に向かって白色の炎の柱が吹き上がる。

離れたこの地点にさえもはっきり分かるほど、一瞬とんでもない爆風が吹き荒れた。

隣の愛が小さな悲鳴をあげる。

彼女の手を強く握り、絆はAADを立ち上がらせた。

「やったのか……っ?」
539 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:14:11.39 ID:bDf9OSPn0
押し殺した声で叫ぶ。

AIのサポート音がそれを受けて抑揚なく鳴り響いた。

『確認不能。エネルギー干渉ガ高スギルタメ、三十秒オ待チクダサイ』

「早くしろ!」

怒鳴りつけ、陽月王の腰部に取り付けてある
細い棒状の物体を機械人形の手で抜き放つ。

「愛!」

呼びかけると少女が頷き、神経を集中し始める。

棒は内部から何段階かにせりあがると、
瞬く間に陽月王の全高とほぼ同じ長さに定着した。

先端部分をアスファルトの地面に突き立て、しっかりと握らせる。

すると瞬く間にそれが淡い金色の光に包まれた。

愛の生体エネルギーだ。
540 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:14:54.20 ID:bDf9OSPn0
人型AADのもっとも大きな長所は、マニュピレーター、
つまり手を使えるというところにある。

輝く棍を構え、絆はまだ火柱の収まらない街を見つめた。

この武器が、最も出力が小さく。
愛のランクでも扱える効率のいい装備だ。

前にも撃退した、と思った時にコアが飛来したことがある。

今回も油断は出来ない。

砲台の上で構えを崩さない姿勢のまま、
火柱が収まるのを見つめる。

このまま消滅してくれていればいい。
心の中で何度もそう思う。
541 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:15:34.85 ID:bDf9OSPn0
そして三十秒後。唐突に光の柱は薄れて消えた。

望遠でモニターに、先ほどまで死星獣が存在していた場所を映し出す。

その場所の町は、綺麗に平地になっていた。

焼け焦げた建物の残骸も、何もない。

ただ赤黒い土が、延々と広がっている。

『メインシステムの冷却を開始します。
第二射が可能になるまで、あと三百秒』

本部からの指示を聞きながら、大きく息をつく。

さすがに、この攻撃を受けてまだ残っているとは思えない。

風貌は異様だったが、何とか今回も乗り切れたようだ。
542 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:16:20.43 ID:bDf9OSPn0
「本部、確認をお願いします」

通信を入れる。しかし返ってきたのは、上ずった戸惑いの声だった。

『絆様、まだ死星獣の反応は途絶えられておりません。
迎撃をお願いします!』

「な……何だって?」

もう一度爆発の後が映ったモニターを見回す。
どこにもそんな影はない。

しかし次の瞬間、絆の心臓は、
まるで誰かに直接握られたかのように萎縮した。

ガクン、と乗っているキャノン砲と他のバーリェの戦車ごと、
機体が下の方に沈み込んだのだ。
543 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:16:54.39 ID:bDf9OSPn0
まさか、と青くなって眼下を見る。

足元が、まるで蟻地獄のように黒い影に覆われていた。

「どういうことだ!」

訳が分からなくなり、思わず叫ぶ。

『状況が変わりました。その場から一時離脱を。直ちに回収班によ……』

そこで、不気味なノイズ音と共に通信音声が唐突に途絶えた。

「え……」

沈み込みながら喉が鳴る。冷や水をぶちまけられたような感覚が全身を包んだ。

この死星獣の本体は、おそらくブリキの化け物のようなあの風体ではなく、
影のようなこの蟻地獄なのではないか。

それが分離してこちらに向かってきていたのではないか。

考えたくない事実が、一人でに脳の奥に湧き上がる。
544 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:17:36.51 ID:bDf9OSPn0
周囲に、黒い霧のような粒子がいつの間にか充満していた。

ブラックホールの微細な粒だ。

絆と他のバーリェ達AADは自動で生体エネルギーが膜のように周囲を張り、
灰化を防いだが、彼らが乗っている巨大なキャノン砲は直接死星獣に触れている。

しかもエネルギーコーティングされていないために、
ゆっくりと、表面から灰になって散っていった。

周囲に立ち込めているこの粒子は電波も何もかもを吸収してしまう。

ここまで接近、展開されてしまったら、通信も使えない。

迂闊だった。

まさか足元に出てくるとは思ってもいなかった。
545 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 18:18:21.57 ID:bDf9OSPn0
周囲を確認すると、司令部からの操作が切れた、
バーリェ達の乗るそれぞれの戦車が、
コントロールを失って所在なさげにキャノン砲の上で揺れている。

指示がなければ、彼女達は逃げることも出来ない。
仮に逃げようとしたところで、戦車ではどうしようもない。

横を見ると、エネルギーコーティングのために力を吸収され、
僅かに苦しそうにしている愛の様子が目に入った。

──最悪だ。

今まで何回も戦闘をしてきたが、
こんなに最悪になったのは初めてのことだ。

ついさっきまで、元気に泳いでいたこの子達と笑って。
そしてなだめて寝かしつけて。

そんな日常が現実のことではないと、無理やりに頭に叩きつけられる感覚。
546 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:05:14.55 ID:bDf9OSPn0
どうする?
どうすればいい。

ここは戦場だ。

俺達は、この化け物がいる世界に生きている。

そして俺は、これを破壊しなければならない。
生きるために。

それが一番目の優先事項だ。

何にも変えがたい真実。

だから、戦わなければならない。
547 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:06:04.69 ID:bDf9OSPn0
それがたとえどんなに非現実に感じられたとしても。

戦わなければ、死ぬ。

「愛、動くぞ!」

もう、愛の生体エネルギーは殆ど限界に近かった。

計器が指しているラインは、
殆ど起動状態を保つのに必要なだけだ。

雪の時と比べ、およそ三十分の一の出力。

だが……動くしかない。
548 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:06:51.52 ID:bDf9OSPn0
灰化を続ける巨大キャノン砲を蹴り上げ、
人型戦車はその鈍重な巨体を宙に躍らせた。

そして細長い棍を下に向け、蟻地獄の中心に落下する。

エネルギー抽出でいっぱいいっぱいの愛が操作できないのなら、
動かすのは自分がやるしかない。

数十メートルも急速に落下する感触。

まるで滝から落ちていくかの上に、体が僅かにシートから浮く。

そして陽月王の重量と落下の速度を含有した、
金色に光る棍は、そのまま黒い影に突き刺さった。

脳が飛び出しそうな衝撃。歯を食いしばって耐え、
とっさに計器を操作する。
549 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:07:42.23 ID:bDf9OSPn0
そして絆は棍に出力している
愛の生体エネルギーを瞬間的に最大まで上げた。

隣の席で、金髪の少女の体がビクンと跳ねる。

明らかに、不自然な体の反応だ。

しかし……やるしかない。

チャンスがあるとすればこれだけだ。

棍から影に、金色の光が広がる。

それは瞬く間に蟻地獄状態の足元全体を覆い包むと、

次の瞬間、白く爆ぜた。空気中に黒い影が散り、
霧へと霧散して光に溶けていく。
550 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:08:20.71 ID:bDf9OSPn0
すり鉢上に抉れたアスファルトの地面に、
機械人形が肩部から落下する。

衝撃で一部の装甲が弾けとんだ。

激しく咳をしている愛に目をやり、
慌てて彼女の頭を抱きかかえる。

「大丈夫か!」

「く、苦しい……」

計器はもはや限界だった。

エネルギーゲインが圧倒的に足りなく、
一部の装置が危険値を示す点滅を繰り返している。

『生体エネルギー融合炉、活動臨界マデ、アト百二十秒デス』

AIが唐突に告げる。
551 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:09:01.49 ID:bDf9OSPn0
しかし顔を上げた絆は、再び心の底から青くなった。

飛び散らせた黒い影状の死星獣は、所々が周囲の建物に張り付いている。

それら一つ一つが、ナメクジのように動き
……そして瞬く間に道路の真ん中で一つにまとまりはじめた。

「……まさか、分離してたんじゃなくて、
さっきもこうやって再生したのか……」

何だこれは。

目の前で起こっていることに、頭がついていかない。

こんなに高度な再生能力を持つ死星獣は、今までに存在していない。

触れただけで消滅。

エネルギー兵器で攻撃しても、即座に再生。
552 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:09:52.87 ID:bDf9OSPn0
――倒せるのか?

(倒せるわけないだろ、こんなの!)

本部との通信のボタンを何度も押すが、
今だ周囲に立ち込めているブラックホール粒子に干渉されて繋がらない。

それ以前に、あと百二十秒後には陽月王は停止してしまう。

そうすればエネルギーコーティングがなくなり、自分達も消滅だ。

「愛、離脱するぞ!」

押し殺した声で叫ぶ。

咳を続けていた少女は、しかし言葉の意味を察して機体を反転させた。

そのまま脚部のキャタピラを高速で回転させ、
死星獣と反対方向に退避を始める。
553 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:10:34.17 ID:bDf9OSPn0
だが、数秒も経たずに機体はガクン、と揺れて停止した。

「な……」

言葉を発することも出来ずに呆然とする。

最初に焼け跡で見た状態の、ブリキの化け物のような死星獣が、
手を伸ばしていた。

それが陽月王の背部装甲に食い込んでいる。

とんでもない力で押さえつけられ、機械人形が激しく振動する。

「馬鹿な……あの状態から、こんな時間で」

『活動臨界マデ、アト百秒デス』

AIの声が、うるさい。

焦り出すまもなく、軽々と陽月王は持ち上げられると、
化け物の方に引き寄せられた。
554 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:11:16.03 ID:bDf9OSPn0
死星獣の腹に当たる部分が大きく開き、
内部の黒ずんだ……まるで沼のような空間が目に飛び込んでくる。

それは本で読んだ、ブラックホールに酷似していた。

虚無というのだろうか。

何もない。

光も、空気さえも何もかも存在していないただの黒い空間。

本当に、そこには何も存在していなかった。

伸ばした手が曲がり、機械人形がその穴の真上に移動させられる。

『活動臨界マデ、アト八十秒です』

「くそ……!」

もがく。
もう棍は使えないので、AADの素手で死星獣の、
アメーバのような腕を掴む。
555 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:12:26.93 ID:bDf9OSPn0
しかしそれは氷のように硬かった。

流れ落ちる水のようにどろどろしている外見なのに、
めり込むこともない。
握り潰すことも出来ない。

『活動臨界マデ、アト七十秒です』

瞬間、隣で座っていた愛の口元から、一筋だけ赤い血が流れ落ちた。

少女がそれを手で拭い、一瞬だけポカンと見つめる。

「愛、機体を捨てて脱出する。ハッチを開けるんだ。早く!」

AADには、脱出装置はついていない。

バーリェが逃げ出さないようにという、残酷な配慮だ。

外に出たとしても、上空十数メートルに持ち上げられている状態。

無事に逃げられるとは限らない。
556 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:13:03.49 ID:bDf9OSPn0
しかし、ここにいるよりは遥かにましだ。

愛の答えを待たずに、ハッチを空けようとボタンに手を伸ばす。

そこで絆は、ハッとして手を止めた。

愛の小さく、細い手が軽く自分の手を引いたのだ。

彼女は、ボタンを押そうとする彼の手を止めた。

冷たかった。

十数分前にこの機体に乗るまでは、温かかった手。

それがまるで石のように冷たかった。

その感触に呆然とする。

愛は絆に寂しそうにニコッと笑いかけると、乾燥した唇を開いた。

「……にげないで。お願いだから」
557 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:13:38.50 ID:bDf9OSPn0
「え……?」

「わたし、ちゃんと動く。ちゃんとあれ、壊せる。
だからにげないで。一緒に、戦って」

『活動臨界マデ、アト六十秒デス』

「お願いだから……」

手が、震えていた。

絆は胸の奥がナイフで切り刻まれるような感覚に襲われた。

バーリェの存在価値は、AADを動かし、
トレーナーの命令で死星獣を破壊すること。

それ以外にはない。
558 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:14:18.17 ID:bDf9OSPn0
バーリェの中での神はトレーナーだし、
自分の管理者の言うことが全ての絶対事項。

動かすことが、戦うことが存在理由。

そして意義。

「絆、大好き。だから、わたし……できる」

荒く息をついて、少女が息を吸う。

小さな肩が上下していた。

「やめろ」

思わず呟いていた。

彼女が何をするつもりなのか、分かったから。

それを瞬時に理解してしまったから。

絆は自分の顔から血の気が引いていくのを確かに感じた。
559 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:14:55.65 ID:bDf9OSPn0
「やめろ愛、俺の話を……」

『活動臨界マデ、アト四十秒デス』

「絆、大好き。あれは絆の敵。私の敵。
だから、壊さなきゃ……壊さなきゃならないんだよね」

「愛!」

「……絆はどこにも行かない。私の傍にいる。ここにいるんだから!」

彼女の大きな目から糸のように細く、
白く濁った涙が流れた。その褐色の瞳が強い紺に変色をする。

『臨界マデ、アト三十秒デス』

もうすでに死星獣内部のブラックホールは目前まで迫っていた。

機体の脚部先端はその強力な虚無空間に触れ、削り取られてしまっている。
560 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:15:36.90 ID:bDf9OSPn0
そこで、陽月王が動いた。

今までの絆の操縦とは全く違った、
完全な俊敏さで機体を横に反転させる。

そして両手で胴体を固定している腕を掴んだ。

手の平が強い金色に輝き、ガラス細工を砕き割るように、
化け物の腕が粉々になり空気中に散っていく。

自由落下でブラックホールに落ち込む寸前に、
陽月王は背部のブースターエンジンを最大に点火した。

そのまま全長十メートルを越える巨体が宙に飛び上がる。

すさまじいGに、押しつぶされそうになりながら絆は歯を食いしばった。
561 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:16:16.09 ID:bDf9OSPn0
口の端からとめどなく血を流しながら、
愛は紺色の瞳を見開いて死星獣をにらみつけていた。

そこにあるのはただ一つ、純粋な怒りだけだった。

鉄のように頑強な意志の光。

息を吐いて、愛は呟いた。

「どこにも行かせない……行かない。私の絆。
私だけの絆。殺させない。ばけものなんかに、絶対に、殺させない」

人が変わったようにはっきりと口に出す。

次の瞬間、ブースターエンジンを逆噴射して陽月王が急降下した。

腕部の装甲が一人でに競り上がり、拳を隠すように固定される。
562 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:16:58.49 ID:bDf9OSPn0
次いで、陽月王の二本の腕が金色に輝いた。

肘から先が目を刺すような光に包まれる。

上腕部に設置されている排気口から、
ジェット噴射のように灰色の煙が噴出を始めた。

弾丸のように死星獣に向かって落下し、
繰り出した左手でその中央の頭部を抉り千切る。

醜悪な化け物の一部を軽々と握りつぶし、
陽月王は地面に落下する直前に腰部のブースターエンジンを点火した。

そのまま地面と水平に横に飛ぶ。

進行方向にあったビルを倒壊させながら、
着地後数十メートルもスライドしてからやっと止まる。
563 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:17:41.63 ID:bDf9OSPn0
人間業ではないAADの動きに、
完全に絆はついていくことが出来なくなっていた。

それ以前に状況の理解が出来ない。

「ま、愛!」

『活動臨界マデ、アト二十秒デス』

「殺させない!」

愛が、吼えた。既に活動の限界まで差し掛かっている陽月王が、
まるで猫のように地面を蹴って跳ねた。

鈍重な戦車とは思えないほど軽々と、鉄の巨体が宙を舞う。

中央の頭部を吹き飛ばされ、
死星獣の肩部についている残りの二つの頭がぐるんとこちらを向く。

しかし相手が反応するより早く、
AADは金色に輝く右腕に速度と重量の全てを乗せて繰り出した。
564 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:18:27.40 ID:bDf9OSPn0
一撃で死星獣の腹部に大穴が開いて、あたりに黒い煙が吹き荒れる。

「わたしの! たった一人の……!」

もう絶叫だった。

そこまで言った時、
雪の喉の奥から赤黒い血の塊が競りあがった。

口の端から更に大量の血を流しながら、少女が歯を食いしばる。

死星獣が瞬く間に再生を始める。

しかし陽月王は全く怯まなかった。

輝く腕を振り上げ、地面を蹴ってブースターエンジンの圧力と共に飛び上がる。

そして大上段から、死星獣を真っ二つにする軌道で右腕を振り下ろした。
565 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:19:00.63 ID:bDf9OSPn0
『活動臨界まであと十秒。九、八、七……』

カウントダウンが始まる。

着地と共に、すさまじい衝撃が脳幹を襲う。

目の前に火花が散り、絆は口から胃の中の空気を全て吐き出した。

気管が収縮し、激しく咳き込む。

『六……』

両断された死星獣を背後に、
陽月王は前傾姿勢のままぐらりと揺れた。

絆の隣で、小さく愛が咳をする。

少女は、手を伸ばした。

その目から白濁した涙ともつかないものがボロボロと流れ落ちる。
566 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:19:34.54 ID:bDf9OSPn0
血で濡れた口を微笑ませ、愛は小さく囁いた。

「きずな」

そして彼女は、最後に笑った。

「……楽しかった……なぁ」

『五……四』

金髪の少女が、カクリと。関節が切れた西洋人形のように首を垂れた。

絆の方に伸ばした手が途端に力を失って脇に流れる。

慌ててそれを掴んだ青年の耳に、無機質なAIの声が飛び込んできた。

『エネルギーシステムノラインガ切断サレマシタ。
システムエラー。当AADハ、全機能ヲ停止イタシマス』
567 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:20:09.54 ID:bDf9OSPn0
「…………」

とっさに言葉が出なかった。

膝をついた巨大兵器の背後で、頭部から二つに割れた死星獣が、
それぞれ風船のように膨らむ。

そして一拍置き、音も立てずに破裂した。

黒い粒子が吹き荒れる。

その風を浴びた陽月王の装甲が削り取られるように少しずつ消えていく。

エンルギーコーティングも何もかも。

全てが消滅して機械が停止していることの表れだった。
568 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:20:44.43 ID:bDf9OSPn0
「愛……?」

やっと戦闘の衝撃から脳が立ち直る。

握った彼女の手を引く。

「……おい?」

かすれた喉の奥で声が引っかかって出てこない。

少女は手を引かれると、マネキン人形のように力なく、
シートから崩れ落ちた。

「……愛?」

答えはなかった。
569 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:21:21.94 ID:bDf9OSPn0
『絆様、ご無事ですか!』

その時、唐突に通信回線が回復して絆はぼんやりと顔をあげた。

絃のバーリェ、桜の声だった。

少し離れたところから、緊急整備を終えて発進したのか、
もう一機の人型AADが土煙を上げて向かってくるのが見えた。

いつの間にか、
あたりに吹き荒れていたブラックホールの煙はもう存在していない。

『絆、無事だったか!』

絃の声。

青年はゆっくりと愛を抱き上げると、
彼女のこめかみや喉に刺さった白いチューブを引き抜いた。

そして軽く肩をゆする。

「…………」

どちらも、言葉を発することはなかった。
570 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:21:57.03 ID:bDf9OSPn0


朝日が昇る。

手術室の前で、絆はソファーに座って頭を抱えていた。

頭が痛い。
本当に、痛い。

召集されてから半日も経っていないこととは思えなかった。

夢の中のように感じる。

妙に体がふわふわしていて、足が地面についていないかのようだ。
571 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:22:34.46 ID:bDf9OSPn0
足音がした。

エフェッサーの本部長、駈だった。

女性職員を二人連れてきている。

彼は静かに絆の前に立つと、抑揚なく口を開いた。

「今回の件では、我々本部の支援が
一切出来ない状況に陥ってしまったことを、
私の立場から君に、一個人として深くお詫びをする。
対処認識不足だった。許してくれ」

頭は下げない。

見下ろした姿勢のまま、無表情で彼はサングラスの位置を直した。

絆は、答えなかった。

顔も上げなかった。
572 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:23:13.67 ID:bDf9OSPn0
もう、何が何だか分からなくなっていた。

女性職員の一人が手に持ってきていたタオルで青年の髪を拭き、
そして肩にかける。

もう一人が湯気の立っているコーヒーが入った紙コップを差し出した。

それを受け取り、水面をぼんやりと見つめる。

「元老院は今回の戦闘を受け、
君に勲八等を授与することを先ほど発表した。
情報がない未知の戦いでこれだけの戦果をあげた君の事を、
本部内でも高く評価している」

「…………」

「君の検査をさせてもらいたい。メディカルルームに移動してくれないか?」
573 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:23:51.15 ID:bDf9OSPn0
反応は、しなかった。

しばらく青年を見つめた後、駈はきびすを返して静かに言った。

「……よろしい。気が向いたら顔を出してくれたまえ」

そのまま、彼と、もう一人の女性職員が歩み去っていく。

絆はふと気がついて顔を上げた。

片方の女性職員は、残っていた。

名前は分からない。

愛のような金髪で、幼い顔立ちをした女性だった。

他の職員とは違った、白い肌が印象的だったので何となく顔を覚えていたのだ。

長い髪を揺らし、控えめに彼女は口を開いた。
574 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:24:27.35 ID:bDf9OSPn0
「あの……」

「……?」

「コーヒー、冷めてしまいます」

ああ、そうか。機械的に頷いて口に運ぶ。

泥水みたいな味がした。

「あの……」

もう一回、女性職員は口を開いた。

絆が顔を上げないのに戸惑ったような感じだったが、
気を取り直して喋り始める。

「おめでとうございます。私、見てました。凄かったです」

何だこいつ。

心の底からそう思い、無表情で顔を見上げる。
575 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:25:06.09 ID:bDf9OSPn0
それを勘違いして捉えたのか、職員は慌てて付け加えた。

「あ……私、オペレーティングをさせていただいています、
渚と申します。戦闘中にあなたのサポートをしていました。絆執行官」

渚、と言った女性は微笑んで見せた。

その笑顔に、どことなく愛の顔が重なって視線をそらす。

「……すごい? 何が凄いんだ」

ぶっきらぼうに返すと、
渚は不思議そうに息を呑んで、そして言った。

「いえ……あの、戦闘の……」

「俺は何もしてない……!」

呟くように言って、絆は息を詰めた。
576 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:25:42.89 ID:bDf9OSPn0
意識せずにコーヒーが入った紙コップを握りつぶしてしまい、
熱湯が手全体に飛び散る。

熱い。

そう考える間もなく渚は慌ててしゃがみこみ、
彼の手についたコーヒーをポケットから出したハンカチでふき取った。

「だ、大丈夫ですか? 火傷になっちゃうかも
……あの、早く冷やさないと……」

「うるさい……!」

冷たく、絆は言い放った。

突き放された渚が困ったように笑って立ち上がる。

「ごめんなさい……いきなりで、
執行官も疲れていらっしゃるでしょうし……私、あの……」
577 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:26:20.79 ID:bDf9OSPn0
瞳の色を見て分かった。

淡い、赤。

妙に人に干渉したがる、この社会では不気味な性癖。

バーリェの精神面のサポートなどを良くしている、
クランベという種類の人間だ。

街の下層……DNA管理もされていない、
つまるところスラム街で、男女間の交わりで生まれた『
不完全な』人間。

ランクEに相当する種類の人間だ。

スラムで生まれた人間は、皆一様に瞳が赤い。

そして不気味なほど
……まるでバーリェのように他人に干渉したがるのが常だった。
578 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:26:59.33 ID:bDf9OSPn0
努力しだいではそのような人間でも市民権を得ることは、
十分可能だ。

しかしどこでも差別という人間の根幹的な闇の部分は発生する。

人と言うものは、自分より下の者を確認しないと自己の存在を安心できない、
くだらない生き物なのだ。

それゆえに、
人間以外のバーリェを管理しているエフェッサーの中にはクランベが多かった。

今までは大して気にしたこともなかったが、
今日に限っては渚とか言うこの女性の絡みが、正直煩わしかった。

「……あの子、駄目だったんですか?」

しばらくの沈黙。その後に、小さく息を吸って。

不意に渚はそう言った。

弾かれたように顔を上げて彼女を見つめる。

クランベの女性は床を見つめながら深く頭を下げた。
579 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:27:31.97 ID:bDf9OSPn0
「……申し訳ありません。
私が触れていいことではありませんでした」

「……いや」

ため息と共に否定し、視線を床に戻す。

ぶちまけられたコーヒーの臭いが鼻に刺さる。

「死んだよ」

淡々と呟いて、絆は息を吸った。

「あんたのオペレーティングが途絶えた最中に死んだ」

「そう……ですか」
580 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:28:11.61 ID:bDf9OSPn0
だから何だって言うんだ。

一人にして欲しかった。

考える時間が欲しかった。

だが、渚はためらいがちにまた口を開いた。

「私の敵分析とオペレーティングが……遅れたから……」

ぼんやりと顔を上げて、彼女を見上げる。

「だからかもしれなくて
……でも、バーリェだから執行官は気にしてないかなっても思ったけど
……でも、私……」

瞬間、思考が沸騰した。

烈火のように立ち上がって渚というクランベの肩を掴み壁に叩きつける。

そのまま押さえつけるとくぐもった悲鳴をあげて、彼女が激しく咳をした。
581 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:28:42.30 ID:bDf9OSPn0
数分、硬直した。

喉の奥が乾燥して張り付く寸前に、絆は口を開いた。

「……教えてくれ……」

「……え?」

「……彼女が、何したってんだよ?」

かすれた声でそう問いかける。

この人に言ったのではなかった。

自分自身に、言ったのだった。

「俺は一体何をしたんだ……?」
582 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:29:22.66 ID:bDf9OSPn0
長い、沈黙。

しばらくして渚は憔悴した絆の顔を見て、小さく言った。

「……執行官。何ていう言葉を……言って欲しいですか?」

答えられなかった。

ただぼんやりと目の前の女性の顔を見る。

その顔が愛の顔に、どうしても重なって。
青年は顔を背けて、呟いた。

「もう、聞けないから。後悔してるんじゃないか……」

そのまま手を離し、ポケットに火傷ごと突っ込む。

そして絆は、手術室を後にした。
583 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:29:59.06 ID:bDf9OSPn0


映画を見ていた。

陳腐な内容だった。

客なんてまばらで、ニ、三人程度しか広い劇場には見えない。

大きなスクリーンに展開されている、嘘の物語。嘘の記録。

トレーナーに命令され、
映画の中のバーリェは涙を流して喜んで、死んだ。

ただそれだけの物語。

けど、それが真実なのかもしれない。
584 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:30:30.28 ID:bDf9OSPn0
そうも思う。思う……しかし。

ねじ切れそうになるほど切ない気持ちになるのは、
気のせいではなかった。

途中で席を立って、劇場を出る。

向かいのカフェに、
絃に面倒を見てもらっている他のバーリェが待機していた。
585 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:31:00.34 ID:bDf9OSPn0
『愛は、役目を全うしたんだ』

そう、他の子達に言った。

彼女達は泣いた。

しかし同時に、愛のことをうらやましいと、そう言った。

愛は、幸せだったはずだと、そう言った。
586 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:31:37.94 ID:bDf9OSPn0
自分には命を管理する資格なんてないのかもしれない。

責任を持つ権利なんて、本当はどこにもないのかもしれない。

やっていることなんて、映画の中の陳腐な動きとなんら変わらない。

バーリェを実験台にし、選ばれなかった個体を廃棄にする者たちと変わらない。

でも。
何だか。
少しだけ。

幸せだったはずだよ、という言葉を聞いて。

何故だかほんの少しだけ。


救われた気がした。
587 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/02/25(土) 19:34:05.24 ID:bDf9OSPn0
お疲れ様でした。

ここまでお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。

今現在で書いた分は、ここまでで終了となります。

ご意見、ご質問、ご感想など、何でもいただければ嬉しいです。

お読みいただいた皆様全員に幸がありますよう。

それでは、失礼いたします。
588 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/25(土) 20:10:58.82 ID:QksMAl5Wo
どうあがいても皆報われないな・・・
世界観しっかりしてるし続きも大変楽しみ!
589 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/02/25(土) 21:58:57.98 ID:BM4QZ6Nto
読み始めるととまらない。おつです
590 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/02/25(土) 22:17:58.64 ID:R4PNJPWDO
ぐさっと来ますね。
やっぱりすごいです。
591 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福岡県) [sage]:2012/02/26(日) 13:25:09.19 ID:eAacfUb8o
乙ん
592 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/02/27(月) 02:28:05.44 ID:WD5sPdl/o
目から汁が止まらない
593 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/02/27(月) 16:01:19.15 ID:ROGyl5tIO
594 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/03/04(日) 00:05:52.53 ID:TKkL53BPo
595 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/04(日) 02:13:21.54 ID:O3ILiqQFo
     ...| ̄ ̄ | < 続きはまだかね?
   /:::|  ___|       ∧∧    ∧∧
  /::::_|___|_    ( 。_。).  ( 。_。)
  ||:::::::( ・∀・)     /<▽>  /<▽>
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  ||::|   <ヽ/>.- |  |:と),__」   |:と),__」
_..||::|   o  o ...|_ξ|:::::::::|    .|::::::::|
\  \__(久)__/_\::::::|    |:::::::|
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.|| ゙ヽ i    ハ i ハ i ハ i ハ |  し'_つ
.||   ゙|i〜^~^〜^~^〜^~^〜
596 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:39:26.72 ID:i0SfLBiK0
こんばんは。

沢山の温かいメッセージ、ありがとうございます。

楽しんでいただければ幸いです。

第三話を書き始めましたので、書けた分を投稿させていただきたいと思います。
597 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:40:37.44 ID:i0SfLBiK0
3.私の命、あなたの命

灰色の空。灰色の雲。灰色の町並み。

光化学スモッグに覆われた空は、青空を映すことはない。

作り物の緑、作り物の町並み。

作られて整備された道路。

そこを歩く人々の波。

何一つとして、整備されていないものは存在していない。

それが自然だと考えれば、きっとそうなのだろう。

それが当たり前だと考えれば、
何もかもが当たり前になるのだろう。
598 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:41:22.17 ID:i0SfLBiK0
作られた命。
作られた存在。
絆は、息をついてモニターから目を離した。

彼の隣には、パサついた白髪を垂らした少女、
盲目のバーリェ、雪が座っていた。

長時間待機させているせいか、集中力が途切れて、
コクリコクリと頭を揺らしている。

しかし自分たちの乗っている、
人型AAD、陽月王のエネルギーラインは安定したままだ。

異常な性能。

生体電池として、規格外の性能を雪は誇っている。
599 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:42:05.48 ID:i0SfLBiK0
この子もまた、作られた命だ。

自分たちと同じような――と考えれば、
そこで、同一視するなという声が出てくるのかもしれない。

しかし、絆にとっては、大切な家族であり、
そして、一個の同じ「人間」だった。

『絆様、その区域にはもう反応はありません。帰還してください』

オペレーターの声を聞いて、雪が飛び起きた。

不穏げな顔をした彼女の頭を撫でて、絆は口を開いた。

「了解。帰還します」
600 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:42:47.90 ID:i0SfLBiK0
正直ホッとした。

戦闘になれば、AADはバーリェの生体エネルギーを、
それこそジューサーのように搾り取る。

雪がまだ生きていることが規格外とはいえ、
半死半生ともいえるこの子のエネルギーを使うのは、
最近になって、更に顕著に
……人道的におかしいのではないか、と絆は思い始めていた。

今回は市街地で死星獣の反応が出たため、
陽月王と咲熱王で出撃したが、
その肝心の反応が途絶えたため、半日以上も待機していたのだ。

既にこの町の住人の避難は完了している。

このように、死星獣の反応がいきなり消えることは
往々にしてあることであり、別段珍しいことではなかった。
601 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:43:23.98 ID:i0SfLBiK0
雪の脳波操作により、
脚部キャタピラを回転させて方向転換した陽月王の操縦桿を握る。

雪は目が見えない。

補助的に操作する必要がある。

『絆執行官。他バーリェの機動戦車の回収をお願いします』

そこでオペレーターから通信が入り、絆は頷いた。

「了解。雪、速度を緩めろ」

「分かった」

雪が頷くと、キャタピラの回転が緩まった。

そのまま滑るように、待機していた戦車の一機に近づき、
マニュピレーターを操作して、
戦車に接続されているコード類を抜いていく。
602 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:44:09.00 ID:i0SfLBiK0
配置されていた機動戦車は二十六機。

多い。

それだけ今回の死星獣の反応は強力なものだったのだが、
肝心の本体がどこにあるのか、分からなかった。

視認できないケースかとも思われ、
さまざまな検証がなされたが、
結果、サーチエンジンの誤作動という結論になった。

そして今。

黙々と帰る準備をしている。

咲熱王も同じように戦車のコードを引っこ抜いていた。

戦車一つ一つにも、同じようにバーリェが乗っている。
603 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:44:54.86 ID:i0SfLBiK0
現場に出てきているトレーナーは、絆一人……ではなかった。

咲熱王から通信が入り、絆はオフラインにしてからそれを受けた。

「どうした?」

低い声で問いかける。

最近は桜の調子が悪いせいか、
同僚の絃も同じように、副座型にコクピットを改造させて、
現場に出てきていた。

しかし直接的なコンタクトを求めてきたのは、初めてのことだ。

少し緊張しながら答えを待つと、
絃が押し殺した声で通信を送って寄越した。

『桜の容態が急変した。俺達はここで即刻帰還する』

「……分かった」
604 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:45:37.50 ID:i0SfLBiK0
ブツリと音を立てて通信が途切れる。

そして視界の端で、咲熱王がトレーラーに膝をつき、
収納されていくのを見る。

――桜も寿命なのだ。

雪ほどではないにせよ、優秀なバーリェだ。

しかし、そろそろ使用期限が来る頃だとは思っていたが……。

残念だ、とは思ったが、
不思議と悲しいという気持ちにはならなかった。

どこか頭の端で分かっていたことだし、
絆にとっては、バーリェの死は慣れたことだった。

慣れたことの、筈だった。

通信が聞こえていなかった筈の雪が、
不思議そうな顔で絆に顔を向けた。
605 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:46:14.90 ID:i0SfLBiK0
絆の手は、震えていた。

「絆、どうしたの? 動きが止まってるよ」

呼びかけられてハッとする。

慌てて絆は、取り繕うように引きつった笑みを彼女に向け、
そして言った。

「何でもない。帰ったら一緒にアイス食べような」

「今回は何もしてないけど……」

「それでも……いいんだ」

言いよどんで口をつぐむ。

この会話は全て本部に録音されている。

そのほうが良かったなどと説明したら、懲罰は免れない。
606 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:46:48.75 ID:i0SfLBiK0
エフェッサーは、雪を使いたい。

その性能を余すところなく発揮させ、そして使い潰したい。

今の不安定な雪を使うより、
絆に新しいバーリェを与え、
そして「調整」させた方が効率がいいからだ。

実際、絆もその方が効率はいいと思う。

心のどこかでそんな考えに頷いてしまう自分に戦慄しながら、
肯定せざるをえないのだ。

自分たちは人の命を守っている。

それがたとえ他人の命であろうとも、それが仕事なのだ。

いくら不条理でも仕事だ。

やらざるをえない。

――全力で。
607 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:47:23.03 ID:i0SfLBiK0
そのために、今の不安定な雪の使用は、
やはりためらわれるところがあった。

かといって他の子で雪ほどの出力が見込めるかというと、
疑問が残るのも事実だった。

雪が、異常なほどの規格外だから。

だから、悪いとすればその事実ひとつだ。

憎むとしたら、その事実を憎むしかない。

この子はあと、どれだけ生きられるのかも分からない。

死ぬ前に使ってデータを取りたい、
と思うのは、あながち間違ってもいないように思える。
608 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:48:10.68 ID:i0SfLBiK0
一般的な観点から見れば、の話だ。

だから上層部からの最近の出撃命令の多さにも
反抗は出来なかったし、
絆自身も妙に達観してしまっているところはあった。

それが、悪かったのかもしれない。

躊躇やためらいは、時にして往々と悲劇を招く。

それが、たとえ仕組まれたものだったとしても。


俺はそれゆえに自分を責めることを、
止める事が出来ない。
609 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:48:53.30 ID:i0SfLBiK0


「これが、その新型のデータだ」

本部局長、駈(かる)が紙資料を指先で叩きながら口を開いた。

絆と、憔悴した顔の絃。

そして三十人近い数の本部エフェッサーの
上級トレーナーが召集されていた。

手元の資料に視線を落とす。

そこには、空虚な目をしたバーリェのいくつもの写真と、
詳細な生体データが載っていた。

有体に言えば、生体実験のデータだった。
それは。
610 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:49:22.96 ID:i0SfLBiK0
不快感が胸をつく。

人間だからって。

トレーナーだからって、何でも許されるとは限らない。

しかし「許されてしまっている」のが事実だ。

例えばこのように。

実験的に創られた人造生命体を解剖したり。

生きたまま脳を開いたり。

いくつもの投薬実験を行ったり。

廃人になるまで、エネルギーを抽出し続けたり。

そんなことをしても許されてしまう。

それが、この世界。

この社会だ。
611 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:49:53.87 ID:i0SfLBiK0
特に感慨も沸かなそうな顔で、駈は、
流石に顔をしかめているトレーナー達を見回した。

上級トレーナーだ。

各々管理するバーリェがいる。

感情移入している人も、絆や絃だけではない。

不快感を示して、当然だ。

それを分かっていてこの男は、資料を提示している。

好きには、なれない。

絆は資料をテーブルに放り、コーヒーに口をつけた。
612 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:50:34.64 ID:i0SfLBiK0
「絆執行官の管理しているD77(雪のこと)の
脳細胞を培養して、養殖、
そして先日人格が安定した個体が唯一、一体だけ生成された」

絆はこみ上げてくる不快感を、
無理やりにコーヒーと共に飲み込んだ。

意味が分からない、と言いたい所だったが、
それは事前に彼に知らされていたことであり、
意味は、他のどのトレーナーよりも良く分かっている。

雪を使用するのは、不安定な要素が残る。

ではどうするか。

他ならぬ番外個体である雪の細胞を使い、
「雪の」クローンを創る。
613 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:51:05.74 ID:i0SfLBiK0
逆転の発想だ。

人間の複製体であるバーリェの、
更に複製体を創る。

不可能ではないが、誰も考えなかったことだ。

複製体の複製体だ。

バーリェの生成でさえ数多くの
犠牲を払っているというのに、
それが成功するとは、正直な話絆は思っていなかった。

――成功した。

そう聞かされて、召集されて今。

説明を受けている。
614 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:51:37.64 ID:i0SfLBiK0
それだけのことなのに、吐きそうなほど気持ちが悪い。

いい気分は、しなかった。

何か自分たちは、
取り返しのつかないことをしているのではないか。

そんな気がしたのだ。

絆のその気持ちを知ってか知らずか、
駈は資料をめくって静かに続けた。

「特例的にこの個体をS97と名づける。
今後はこちらの本部で管理することになる」

「バーリェのクローン……ですか?」

そこでやっと頭が追いついたのか、
若いトレーナーが口を挟んだ。
615 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:52:15.52 ID:i0SfLBiK0
駈がかけていたサングラスを指で上げて、彼の方を見る。

「そうだ」

「性能は?」

別のトレーナーが言うと、
駈は資料を閉じてからそれに答えた。

「人型AAD一機ほどなら、
おそらく単独で動かすことは可能だ。
今はまだ調整段階のため、それ以上のことは分からない」

――悪魔だ。

そうも思う。

使い潰すためにサンプルを創り出し、
そして文字通り使い潰そうとしている。

しかしその組織にいるのが自分。

やっていることは、させられていることは、
何らこの人たちと変わらない。
616 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:52:50.85 ID:i0SfLBiK0
「それだけのデータでは分かりません
……量産は可能なのですか?」

女性のトレーナーが困惑気味に口を挟むと、駈は静かに言った。

「今はまだ何とも言えんが、量産体制は大至急整えるつもりだ。
そうでなければ、『開発』した意味がない」

――ああそうか。

絆は心の中でため息をついた。

――勝手にやってくれ。

と、心の中で自嘲気味に思う。

そこで駈が、絆の方を見て口を開いた。
617 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:53:27.41 ID:i0SfLBiK0
「時に絆執行官。君に、このS97の試験モニターを頼みたい」

「……私に?」

予想外の要請に、絆は一瞬腰を浮かせた。

それをすんでのところで思いとどまり、椅子に体を落ち着かせる。

そして絆は、駈を見て口を開いた。

「何故ですか? 私は他に四体のバーリェを管理しています。
今の段階で白調整のバーリェを追加するのは、利点がありませんが」

「元老院の決定だ。それに、S97の源個体となったものは、
君のD77だ。君の理論から言うと、
『同居』させた方がいいのではないかと、こちらは推察するが」

絆は気付かれないように歯を噛んだ。

そう言われてしまえば、返す言葉もない。
618 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:53:59.83 ID:i0SfLBiK0
正直、二ヶ月前に死亡した自分のバーリェ、
愛との戦闘によるトラウマを、絆は今も引きずっていた。

自分は何のために戦ったのか。

何のために。

何をしたのか。

その自問自答を繰り返す毎日に、
いい加減嫌気が差していたのだ。

言いよどんでいる絆を見て、絃が口を開いた。

「私のラボで受け入れることも出来ますが」

「君のG67の複製体も、現在製造中だ。
君には、それが完成したら、
そちらの管理をしてもらうことになる」
619 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:54:32.14 ID:i0SfLBiK0
(何だと……?)

思わず絆は顔を上げた。

雪だけではなく桜のクローンも創っているらしい。

流石に顔色が変わった絆と絃を一瞥もせずに、
駈は資料を手に椅子を立ち上がった。

「決定事項だ。絆執行官は、
明日の一○三○時に第七トープに来るように。
そこでバーリェの引渡しを行う。以上だ」
620 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:55:10.94 ID:i0SfLBiK0


他のトレーナー達が帰った後も、
絆と絃は重い表情でその場に残っていた。

しばらくして、唐突に絃が口を開いた。

「……桜はもう駄目だ。
いっそ安楽死をさせてやろうかと思ってる」

彼の口から出た意外すぎる言葉に、
絆は弾かれたように顔を上げた。

「……何?」

良く聞こえなかった、と言いたかった。

しかし絃は絆の方を見ずに、もう一度繰り返した。
621 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:55:44.11 ID:i0SfLBiK0
「桜を安楽死させる。これ以上あいつを苦しめたくない」

「お前……自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

絆は声を低くして、絃に掴みかからんばかりの勢いで言った。

「これだけ使っておいて、
使えなくなったら電池を切るのか? 
お前、よくそれで自分がトレーナーだって……」

「分かってる。分かってるよ……」

目尻を手で抑え、絃は深く息を吐いた。

「俺だってそんなことは重々分かってる。
単に、俺自身が耐えられなくなっただけだ。この環境に」
622 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:56:21.04 ID:i0SfLBiK0
「だからって桜ちゃんを殺すのか!」

「殺すんじゃない、救ってやろうと思ってる」

「命を奪うことは救うことじゃない! 
お前、お前がそれを俺に教えてくれたんじゃないか! 
絃、どうしちまったんだ!」

殆ど叫ぶように言う。

絃は、しかし絆の方を見ようとはしなかった。

「お前……!」

その襟首を掴んで無理やり立たせたところで、
絆と絃は、入り口の方で人の気配を感じ、口をつぐんだ。

赤い瞳のクランベ
(遺伝子操作ではなく、男女間の交わりによって生まれた劣等種)
が立っていた。
623 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:56:55.53 ID:i0SfLBiK0
本部でオペレーティングをしている、
渚という女性職員だった。

渚は、今にも殴りかかろうとしていた絆を見て
一瞬硬直したが、すぐに駆け寄ってきて、
絆の腕に抱きついた。

そして強く引く。

「何をされているんですか! 
ここはエフェッサーの本部ですよ!」

押し殺した声で言われ、絆は我に返った。

渚が青くなったのは当然のことだった。

ここは、軍上層部エリア。

暴力沙汰なんて起こしたら、即懲罰房にブチ込まれてしまう。
624 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:57:23.21 ID:i0SfLBiK0
「離せ……!」

渚を振り払い、しかし絆は吐き捨てるように呟いた。

「そうか。お前もそうだったのか」

「…………」

沈黙している絃に、絆は呟いた。

「偽善者が」

言い捨てて、その場にきびすを返す。

足音荒く部屋を出て行った絆と絃を交互に見て、
渚は慌てて絆の方についてきた。

「待ってください、絆執行官!」

大声で名前を呼ばれ、絆はため息をついて振り返った。
625 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:57:55.89 ID:i0SfLBiK0
このクランベは、煩わしい。

愛が死んだ時といい、今といい、
絆の神経を逆なですることに関しては、図抜けている。

「何だよ」

足を止めてぶっきらぼうに返すと、
渚はポケットからハンカチを出して、絆の手をとった。

「血が……出ています」

そう言って、絆の手首にハンカチを巻きつける。

頭に血が昇っていて気付かなかった。

絃に掴みかかった時に、彼が握った部分の手から、
血が出ていた。
626 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 18:58:42.54 ID:i0SfLBiK0
絃が握り締めた時に、彼の爪が刺さったらしい。

「あ……ああ」

思わず動揺して視線をそらす。

「医務室にご案内します」

ハンカチを巻き終えてそう言った渚に軽く手を振って、
絆は言った。

「いい。これくらい自分でどうにかできる」

「でも……」

「君には関係ないことだ。放っておいてくれ」

話は終わりだと言わんばかりに打ち切って、
絆は足早に歩き出した。

その後姿を、渚は消えるまで見つめていた。
627 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/05(月) 19:00:09.47 ID:i0SfLBiK0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想、ご質問などがありましたら、どんどんいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼します。
628 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/05(月) 19:30:21.93 ID:7Db0GPNIO

大変面白いです
629 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/03/05(月) 19:37:13.10 ID:LwmRTy0Ro
乙です。安心の面白さ
630 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/05(月) 21:53:28.71 ID:75SI40jIO
良スレ発見。期待
631 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:11:12.94 ID:MzfytjE+0
こんばんは。

続きが書けましたので、投稿させていただきます。

お楽しみいただけましたら幸いです。
632 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:14:37.23 ID:MzfytjE+0
渚が巻いたハンカチを引き剥がして
ラボの洗濯機に放り込んだ時には、
もうじきバーリェ達を寝かせなければならない時間帯になっていた。

絆は、乱暴に椅子を蹴立てて腰掛けると、
頭を両手で抱えて深く息をついた。

渚が止めに入らなければ、絃を殴っていた。

しかし。

果たして、自分は。

絃の伝えようとしたことを、全て理解できていたのだろうか。

彼は、まだ何かを言おうとしていたのではないか。
633 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:15:35.08 ID:MzfytjE+0
感情の赴くままに、絃を殴ろうとした自分。

その、自分の持つ本能的な悪意に愕然としたのだった。

――桜の安楽死。

既に、絆と、絆のラボのバーリェにとって、
桜は他人ではない。家族同然だ。

その彼女が安楽死させられる。

唐突に絃が呟いた言葉だったが、
感情的になって話をするべき問題ではなかった。

もし自分が冷静で、静かに絃の話を聞いてやれていたら。

桜は、死なずに済むのかもしれなかったのだ。
634 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:16:25.20 ID:MzfytjE+0
荒く息をつき、絆は歯を強く噛み締めた。

そして手を振り上げ、自分の太ももに振り下ろす。

鈍い衝撃と共に、痛みが手首と足に広がった。

それでも足りず、また腕を振り上げた時。

絆は、自分がいる洗濯場の自動ドアが、
他者の接近を感知して開くのを見た。

腕を振り上げたまま停止する。

洗濯物を抱えて入ってきた命(みこと)が、
ポカンとした顔で絆を見た。

「ど……どうしたんですか?」

どもりながら問いかけられ、
絆は一瞬それに答えを返すことが出来ず、口をつぐんだ。
635 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:16:55.82 ID:MzfytjE+0
まさかこの子達に、「桜はもうじき殺されるんだ」
と相談するわけにはいかない。

「帰ってらっしゃったんですか? 
もう私たち、ご飯食べちゃいましたよ?」

命がニコニコしながら近づいてくる。

絆は息を深く吐いて立ち上がった。

そして「トレーナー」の顔をして、
命に微笑みかけ、彼女の頭を撫でる。

「いや……顔を洗いたくてな。今帰ってきた。全員いるか?」

「え? ええ、いますけど……」

絆のその問いに、不思議そうに命が返す。
636 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:17:36.73 ID:MzfytjE+0
一つ頷いて息をつく。

誰の容態にも変化はなかったらしい。

「変な絆さん」

クスクスと笑って、命は洗濯機にバーリェ達の衣服を投げ入れた。

そして洗剤を手にとって、絆の手を見る。

「絆さん……血が出てます!」

素っ頓狂な声を上げられて、絆は軽く笑って手を振った。

「どうってことはない。バンドエイドを持ってきてもらえるか?」

「どうしたんですか? 誰かにやられたんですか?」

心配そうに命が傷を覗き込む。
637 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:18:11.37 ID:MzfytjE+0
この子は必要以上に詮索するのが好きだ。

詳しく説明することはないと判断して、
絆はシャツで傷を隠した。

「いや……格闘の訓練で相手につけられたんだ」

嘘をついた。

しかし命はそれをあっさり信じ、呆れた顔で絆を見た。

「絆さん、格闘技なんてやっていたんですか? 初耳ですよ」

「気晴らしにな。何、すぐ治る」

「ちょっと待っててください。私バンドエイドなら持ってます」

命はそう言って、着ていたエプロンのポケットから、
花柄のバンドエイドを取り出し、
慣れた手つきで絆の傷に貼り付け始めた。
638 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:19:17.95 ID:MzfytjE+0
彼女は見た目ややっていることに反して、
よく転ぶし、よく怪我をする。

そそっかしいのだ。

自分が怪我をした時のために持っていたのだろう。

普通、バーリェは滅多なことでは自分で
自分にバンドエイドを貼り付けたりはしない。

何故かと言うと、彼女たちクローンは、
異常なほどに雑菌に弱いからだ。

少しの傷でもたちまち化膿し、
周辺の皮膚を全て移植、というのも珍しい話ではない。

だから、命のように怪我をして、
自分でバンドエイドを貼り付けてハイ終わりというわけには
いかないのが常だった。
639 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:20:02.87 ID:MzfytjE+0
まぁ、それ以前にバーリェは人格調整をされる際、
滅多なことでは怪我をしないように創られている。

命は、その点では異常、と言えるバーリェだった。

何と言うか……人間に近いのだ。

体も、心も。

既に二年近く生きているのに、
全く寿命による老化の兆しが見られないのも、
やはり異常だった。

それゆえ、少し傷をしたくらいでは、
他のバーリェと違い命は化膿したりもしない。

手間がかからないバーリェ、
と言った具合なのだが、現実はそう甘くもなかった。
640 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:20:36.53 ID:MzfytjE+0
絆は、狙って彼女のような個体を引き当てたのではなかった。

偶然だった。

偶然、調整されてもらってきたバーリェが
そのような番外品(失敗作)だったというだけの話だ。

普通はすぐに殺処分してリサイクルに回すのが常なのだが、
絆の場合、そうでなくても命の体の異常に気付いたのは、
彼女を調整し始めてから一年経ってからのことだった。

突然変異とでもいうのだろうか。

成長するごとに、徐々に体が強くなっていくのだ。

その点で非常に人間に近い。

それだけ見ればメリットが大きいように思えるが、
命は、残念なことに「バーリェ」だった。
641 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:21:11.21 ID:MzfytjE+0
人間に近いということは、
同時にバーリェとしての性能を十二分に
発揮できないということに繋がる。

AADで使用できる生体エネルギーの
含有量が極端に少ないのだった。

バーリェとしては、致命的だ。

彼女たちは、自分を戦闘で使ってもらい、
そして死ぬことこそが喜びだと、
意識野の基本概念に刷り込まれて生まれてくる。

それゆえに、命は自分が戦闘で活躍できないということに
対して、強烈なコンプレックスを抱いていた。

絆は無論、それを知っていた。

知っていて、彼女には何も教えていなかった。
642 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:22:01.16 ID:MzfytjE+0
つまり、命は、自分がバーリェとしての失敗作である
突然変異種だということを知らない。

だから無邪気にバンドエイドを持ち歩いたり出来るのだ。

他のトレーナーが育てているバーリェにそのことを
話しでもしたら、たちどころに変な顔をされるだろう。

絆のラボではそういったことはないように気をつけてはいたが、
それが、絆が絃以外の他のトレーナーと交流を絶っている
要因の一つでもあった。

それでも、絆は命を殺したいとは考えたこともなかった。

ましてや安楽死なんて――。

想像したこともない。

――想像したことも、なかった。
643 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:22:35.48 ID:MzfytjE+0
一瞬絆の動きが止まったのを感じたのか、命が顔を上げた。

「どうかしましたか?」

問いかけられて、絆は僅かに憔悴した顔を彼女に向けた。

「いや……俺の分の飯はあるか?」

「はい! 作っておきました。今日のは美味しいですよー」

にこやかに命がバンドエイドを貼り付けて、絆の手を引く。
644 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:23:09.77 ID:MzfytjE+0
温かかった。

生きている、感触。

ふと思う。

絃も、桜の手を良く握っていた。

生きている感触が分かると言っていた。

彼も、今もうじき死のうとしている桜の手を握っているのだろうか。

何を、思っているのだろうか。

いくら考えても、絆には良く分からないことだった。
645 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:23:51.98 ID:MzfytjE+0


雪を連れて、エフェッサー本部に指定された
軍病院に到着して、
絆は重い足を引きずるようにして歩き出した。

絃とは話しづらかった。

いつもだったら、他のバーリェ
……特に薬の管理が必要になる雪の世話を彼に頼んで、
外出をしていたのだが
……今回は頼む気にはなれなかった。

優と文の世話を命に任せ、
昼をまたぐので、絆は雪を連れてきていた。

やはり自分の手で薬を飲ませないと、安心できない。
646 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:24:38.75 ID:MzfytjE+0
それに、雪は目が見えないがために、
一人で遊戯室などに置いておかれると
パニックになってしまう節があった。

そうでなくとも、
絆はエフェッサーという組織自体が
信用できなくなっていた。

だから雪を連れて、
本来ならば一人で来なければならないところを、
彼女と一緒に来てしまったのだ。

車を降りて職員に預け、雪の手を引いて建物に入る。

ここはバーリェ専用の軍病院だ。

他の施設と違い、軍人に警戒しなくても済む。

雪はしかし、緊張したようにピタリと絆の脇にくっついていた。
647 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:25:19.84 ID:MzfytjE+0
彼女の手を引いて、受付に行く。

そこで絆は、うんざりした顔を受付に向けた。

渚がにこやかな顔をして立っていたのだ。

「またあんたか……」

本来であれば、人は他人のことをあまり気にしない。

それゆえに人と人との対立というのは滅多なことでは
表面化しないし、だからこそ、
先日絆が絃に殴りかかろうとした時、渚は青くなっていたのだ。

彼女はしかし、絆の態度に気付いていないのか、
笑顔で近づいてきた。

「お待ちしていました。絆執行官。時間ピッタリですね」

「俺に恨みでもあるのか? 
それとも俺のことを尾けてでもいるのか?」
648 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:26:03.17 ID:MzfytjE+0
絆のぼやき声を聞いて、
雪が表情を硬くして、彼の後ろに隠れてしまった。

それを見て少し残念そうに、渚は息をついた。

「こんにちは。エフェッサー本部職員の渚といいます。
あなたは……雪ちゃんね」

流石クランベだ。

差別や、罵詈雑言には慣れきっているという感じだ。

さらりと受け流されて、しかし絆も雪も、
言葉を発さずに沈黙した。

渚はしばらく前かがみになって雪を見ていたが諦めたのか、
先導するように歩き出した。

「こちらです。私の立会いの元、新しいバーリェちゃんの
引渡しを行うようにとのことでした」
649 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:26:48.79 ID:MzfytjE+0
「新しい……バーリェ?」

雪がそこで、絆に向けて蚊の鳴くような声を発した。

絆は苛立ったように息をついて、横目で渚を睨んだ。

雪には、敢えて言わないようにしていたことだった。

そうでなくても、「雪の」クローンなのだ。

本人が面白く思う筈はない。

詳しい説明を避けたかったがゆえに、
引渡しの際、「新しい仲間だ」と、
勢いでサラッと流すつもりだったのだ。

「逸脱行為が過ぎる」

ボソリと呟かれた絆の言葉に、慌てて渚は口をつぐんだ。

流石に気付いたらしい。
650 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:27:28.74 ID:MzfytjE+0
「新しい子を迎えに行くの? 絆、どういうこと?」

狼狽した声で雪が言う。

彼女が足をもつれさせ転びそうになったのを見て、
絆は足を止めて、雪の前にしゃがんだ。

雪が狼狽するのも無理はない。

彼女自身、自分があとどれだけ生きられるか分からないのだ。

自分の代わりを、絆がもらいにいくと勘違いしたらしい。

その場合自分はどうなってしまうのか。

そこまで、おそらく考えたのだろう。

「何ていうことはないよ。ただ、お偉いさんがたが、
新しい子作ったからモニター頼むってさ」

仕方無しに、完結的に言う。
651 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:28:01.30 ID:MzfytjE+0
雪はまだ狼狽した顔をしていたが、
やがて俯いて小さく言った。

「私は、まだやれるよ……」

その言葉に一番ショックを受けたのは、渚だった。

息を呑んだ彼女をまた横目で睨んでから、
絆は雪に言った。

「ああ、そうだな。知ってるよ」

「嘘。知ってるのに、どうして新しい子をもらいに行くの?」

「命令だから仕方ない。俺じゃなきゃ出来ないんだってさ」

「…………そうなんだ」

「ああ」
652 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:28:34.06 ID:MzfytjE+0
無理やり雪を黙らせるように話を打ち切り、
立ち上がって彼女の手を引く。

「どこですか? 病室は」

ぶっきらぼうに渚にそう聞く。

渚はしばらくの間雪を見ていたが、
やがて何か気の利いたことを言うのを諦めたのか、
エレベーターを手で指した。

「十二階の三号室で待機しています。
先ほど覚醒して、状況確認などをしていました。
既に言語機能などに問題は発生していないことを確認しています」

「分かりました」

足早にエレベーターの方に歩き出す。

このままトロトロとしていたら、
この女は何を言い出すか分かったものではない。
653 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:29:52.17 ID:MzfytjE+0


「こんにちは! マスター!」

病室に入った途端、絆を迎えたのは元気な嬌声だった。

嬉しそうにベッドの上で、
体を揺らしている女の子……バーリェがいた。

ニコニコと嬉しそうな顔を顔面中に貼り付けて、
とても可愛らしい子だった。

雪のクローンだからといって、
雪と全く同じ外見、同じ障害、
性格などを持っているわけではない。

根本的な部分では同一人物なのだが、
細かい個性はそれぞれ異なる。
654 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:30:29.03 ID:MzfytjE+0
第一、元はといえば、
バーリェは全て一つの胚から培養される。

突飛な言い方をすれば
――厳密に言うと違うのだが
――彼女たちは高確立で同一人物だと考えている学者もいる。

ロングの白髪を腰まで流している子。

雪と違ってしっかりした体つきと、
パッチリ開いた目に、
快活そうな顔つきを見たときは、さして驚きはしなかった。

それよりも絆を驚かせたのは、彼女の認識能力の早さだった。

まるでここがどこで、
自分が誰なのかを前もって完全に把握しているような……。
655 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:31:17.10 ID:MzfytjE+0
普通、バーリェは覚醒後一種の混乱状態に陥る。

生まれる前に学習させられた事柄と、
自分が五感で体感していることの差についていけなくなるのだ。

しかしその症状が全く見られない。

「あ、ああ。こんにちは」

「あなたが私のマスターですね! 
これから宜しくお願いします!」

元気に言って、少女が頭を下げる。

どういうことだ……と、
絆はそれに返すことが出来ずに硬直してしまった。

前後の学習もなくこう、とは考えがたかったのだ。
656 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:31:56.08 ID:MzfytjE+0
「この子が覚醒したのは今から何分前ですか?」

小声で渚に聞く。

渚は手元のボードを確認してから言った。

「十五分前です」

「え……?」

不可能だ。

十五分の時間で、ここまでの状況認識能力は、
正直常軌を逸している。

赤子が突然ジェットコースターに乗せられ、
そのスピードに即座に慣れて笑っているような状況に近い。

これが新型なのか……
と、どう言葉をかけたらいいのか分からず迷っていると、
少女は不思議そうに首を傾げて絆を見た。
657 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:32:30.68 ID:MzfytjE+0
「どうしたんですか、マスター。
今日からお世話になります。
こちらにいらっしゃらないんですか?」

「その……マスターというのは何なんだ?」

純粋に疑問に思ったことを、つい口に出してしまった。

しかし少女は、それに対して元気に、ハキハキと答えてきた。

「私のことを使ってくださるんですから、
マスターとお呼びしようと、ずっと考えていました。
これから沢山私を使ってください!」

「…………」

絆は一拍おいてから、引きつった笑みを少女に返した。

「うん……取り敢えず話でもしようか」

まるで、絆のことを生まれる前から
知っているかのような受け答えだ。
658 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:33:04.89 ID:MzfytjE+0
本能的に空恐ろしいものを感じて、
絆は少女から視線を離した。

そして部屋の中にいる医師達に目配せをする。

医師達は頭を下げて計器を片付けながら、部屋を出て行った。

「あんたもだ」

渚にそう言うと、彼女も頭を下げて後ろに下がった。

そこで、絆の背後に隠れていた雪が体を覗かせる。

彼女は唖然と口を開けて、絆の手を強く握り締めていた。

「どうした?」

小声で問いかける。

そんな絆の様子を察していないのか、
少女は首を伸ばして雪を見ると、
病院服の胸の前でポン、と嬉しそうに手を叩いた。
659 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:33:49.49 ID:MzfytjE+0
「……お姉様! お会いできる日を、心待ちにしていました!」

「は……?」

彼女が言った言葉を即座に理解することが出来ずに停止する。

今何と言った?

お姉さま?

――雪のことを?

しかし停止している絆を見上げ、
雪は怯えたように彼に体を押し付けた。

そして、雪は消え入るような声で囁いた。

「絆……」

「…………」

「どうして、『私』がいるの……?」
660 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:34:28.63 ID:MzfytjE+0


怯えた様子の雪を何とか落ち着かせ、
椅子に座らせてから絆も腰を下ろす。

絆は、雪の言葉に衝撃を受けていた。

クローンのクローンに、
元となった個体が遭遇した時にどういう反応をするのか、
そんなことを考えたこともなかったからだ。

雪は目が見えない。

それゆえに、他の個体よりも顕著に、
生体エネルギーを五感で感じて相手を識別しているらしい。

自分の生体エネルギーと質が同じ彼女のことを、
「自分自身である」と誤認してしまったのだ。

確かに、絆も自分と全く同じ顔の人間が目の前にいたら驚く。

気味が悪いだろう。
661 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:35:01.15 ID:MzfytjE+0
――雪は置いてくるべきだった。

歯噛みするが、今更どうすることも出来ない。

自分の認識が甘かった以外なかった。

「……取り敢えず、俺は……」

口を開いた絆の言葉に被せるように、
少女はハキハキと言った。

「絆執行官ですね。理解してます!」

「…………」

「そちらは雪お姉さまですね。
D77個体。私はS93番です! 
お会いできて本当に嬉しい!」

「どうして……俺達の名前を知っているんだ?」
662 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:35:38.62 ID:MzfytjE+0
迫力に気おされて聞いてみる。

少女はきょとんとして絆に返した。

「さぁ……何ででしょう? 
生まれる前から、知っています。
それが普通じゃないんですか?」

「…………分かった。知っているならそれでいいんだ」

信じられないことだった。

クローンを生成する際、雪の脳組織を使ったと言っていた。

彼女の記憶の断片さえも、移植に成功しているらしい。

しかし、いたずらに難しいことを言って、
第一接触で混乱させてもデメリットしかない。

それより、雪との間を上手く保たなければ
……と思い、絆は努めて明るく声を出した。
663 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:36:21.61 ID:MzfytjE+0
「改めて自己紹介をしよう。
俺は絆。これから君の保護者になる」

「はい!」

「こっちは雪。君の……
お姉さんみたいなものだ。君の言うとおりに」

雪がビクッとして縮こまる。

少女はうんうんと頷いて、胸の前で指を組んだ。

「知ってます!」

「これから君のことは、『霧(きり)』
と呼ぶことにする。S93じゃ、何かと言いにくいだろう」

先ほどまで考えていた名前を口に出すと、彼女
――霧はパァッ、と顔を明るくした。
664 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:36:55.46 ID:MzfytjE+0
「お名前……! 名前!」

感動したように繰り返して、笑顔になる。

「雪。こっちは霧。お前、
久しぶりの病院だから混乱してるんだよ」

雪に小さく言うと、彼女は怯えた顔で霧の方に顔を向けて、
そして絆に見えない目を向けた。

「…………」

言葉にならないらしい。

それを肯定と取ったらしく、霧は点滴台を引きずって、
雪の前までベッドの上を移動した。

そして顔を覗き込む。

「これから一緒に頑張りましょう、お姉様!」

霧はいきなり手を伸ばすと、雪の小さな手をぎゅっ、と握った。
665 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:37:22.23 ID:MzfytjE+0
雪がそこで初めてハッとして霧に目を向ける。

自分とは違う個体だということが、やっと分かったらしい。

「あなた……私の妹なの?」

小さな声で雪が聞く。

霧は頷いて、雪の手を自分の方に引き寄せた。

「ずっと……ずっと会いたかった……」

ポツリと、雪の手に霧の目から落ちた涙が一粒垂れた。

霧は雪の手を胸につけ、そして言った。
666 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:37:50.01 ID:MzfytjE+0
「寂しかったです。
でも、これからは寂しくないんですね!」

「…………うん、最初の頃は寂しいよね」

雪は少し沈黙した後、頷いて言った。

「……頑張ろうね」

「はい!」

霧は笑顔で付け加えた。

「私達、『特別な』バーリェなんですから
、一緒に頑張りましょう!」
667 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:38:29.78 ID:MzfytjE+0


しばらく霧と話し、彼女を買ってきた服に
着替えさせてから絆は片手に雪、
もう片手に霧の手を掴んで病室を出た。

廊下では渚が書類を持って待っていた。

霧が笑顔になり、渚に手を振る。

渚も笑顔で霧の頭を撫でた。

「お名前はいただけたのかしら?」

「はい! 私はこれから霧といいます!」

元気に霧が言う。

「素敵ね。お名前もらえるって凄いことなのよ」

渚が続けて、絆を見た。
668 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:39:02.10 ID:MzfytjE+0
「それでは、こちらの書類にサインをお願いします」

「分かりました。雪、ちょっと壁に寄りかかっててくれ」

雪の手を離して、ペンを握る。

単に絆の利き腕だったのだが、手を離された雪は、
しばらくポカンとして、所在無さげに立ちつくしていた。

書類にサインし終わり、雪の手をもう一度握る。

「それじゃ」

「あ……絆執行官」

そこで渚が絆を呼び止めた。

「何ですか?」

「先日の件なのですが……」
669 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:39:32.70 ID:MzfytjE+0
渚は言いにくそうに言いよどんだ後、小声で絆に言った。

「絃執行官と、あの後連絡を取られましたか?」

何でそんなことを聞く、と声を荒げかけたがバーリェ二人の前だ。

グッ、と抑えて、絆は努めて冷静を装って言った。

「いや。それが何か?」

「……そうですか。それならいいんです」

「何がだ?」

「絃執行官のラボに、明日強制立ち入りの捜査が入ります」

雪に聞こえないようにしているのは明白だった。

絆は反射的に身を乗り出して、雪と霧から体を遠ざけて、
渚に囁いた。
670 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:40:19.80 ID:MzfytjE+0
「え……?」

「絃執行官が、バーリェと共に失踪されました。
何かご存知ではないかと思いまして
……申し訳ありません。言い出すタイミングが遅れました……」

「何だって……?」

失踪?

半死半生の桜を連れて?

――絃が……?

「何もご存じないようですね
……それならいいんです。お気になさらないでください」

「気にするなって……何だって? 絃が……?」

横目で雪達を気にしつつ、
絆は発しかけていた言葉を無理やりに飲み込んだ。
671 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:40:55.67 ID:MzfytjE+0
「……後ほど電話します。本部でいいですか?」

「いえ……こちらにお願いします」

渚が携帯電話の番号が書かれた名刺を差し出す。

それをひったくるようにして受け取り、ポケットに突っ込む。

そして不思議そうな顔をしているバーリェ達の方を向いた。

「…………さぁ、俺達の家に帰ろうか」

「はい!」

元気に霧が返事をする。

いつの間にか、絆は冷汗をかいていた。

雪が怪訝そうにこちらを見ている。

それを気付かないふりをして、絆は廊下に足を踏み出した。
672 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/06(火) 21:42:57.56 ID:MzfytjE+0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

沢山の温かいコメント、ありがとうございます!

楽しんで頂けて、とても嬉しいです。

ご意見やご感想、ご質問などありましたら、どんどんくださいね。

それでは、今回は失礼します。
673 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/07(水) 00:34:37.57 ID:o1rDWIOIO
引き込まれるなあ
人は普通他人を気にかけないみたいな下りとか、現実ではそうではないのにすんなり入ってしまった
674 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/07(水) 11:15:57.64 ID:2do5H9cto
675 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/07(水) 19:54:38.29 ID:CbP+20mIO
追いかけてる
素晴らしく面白い!
676 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:19:05.50 ID:4sLHi8Fm0
こんばんは。

続きが書けましたので投稿させていただきます。

面白いと言っていただけて冥利に尽きます。

楽しんでいただければ幸いです。
677 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:22:06.93 ID:4sLHi8Fm0


霧と雪を連れてラボに戻った時には、太陽も落ち始めていた。

車を降りて、霧が目を輝かせながら絆のラボを見上げる。

「うわあ、立派ですねえ」

感嘆詞と共にそう呟き、霧は絆の手を握った。

「私、今とっても幸せです!」

「そうか。まぁ気楽にやってくれ」

絆は頷いて、車から雪が降りる補助をしてから、
彼女の手を引いた。

雪は、心なしか顔色が悪かった。
678 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:22:38.49 ID:4sLHi8Fm0
「大丈夫か?」

絆の問いに、雪は少し押し黙った後

「……大丈夫」

と一言だけ答えた。

どことなく様子がおかしい彼女に、
言葉を選んで声をかけようとしたところで、
霧が勝手に車庫を出て行ってしまった。

慌てて雪の手を引いて、彼女の後を追う。

霧は、夕焼けに染まるラボを囲んでいる、
バイオ技術で管理された森を見回して、目を丸くした。

近くの木に手をつけて、そっと抱きつく。

「こんな感触だったんだぁ……」

今度はしゃがみこんで、手で土をすくう。
679 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:24:01.16 ID:4sLHi8Fm0
それを何度か揉んで、口に入れようとしたところで、
慌てて絆はそれをとめた。

「やめるんだ。それは食べていいものじゃない」

「そうなんですか?」

きょとんとして霧が土がついた手を払う。

初めて見るものだ。

この辺は子供らしい反応だ。

霧の手をハンカチで拭いてやってから、
ラボの入り口に誘導する。

そして絆は、二人をラボに招きいれた。
680 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:24:38.38 ID:4sLHi8Fm0
入ってすぐ、命がまた洗濯物を持って
パタパタと廊下を歩いていた。

彼女は、帰ってきた絆を見て嬉しそうに声を上げると、
ゲームをしていたらしい優と文に何かを言った。

双子のバーリェが足音早く玄関に走ってくる。

しかし、三人とも雪に続いて入ってきた霧を見て硬直した。

「ん? どうした?」

絆が思わず口を開くほど、
彼女達は異様なものを見るかのような表情で霧を見ていた。

命が何かを言おうとして失敗し、手から洗濯物を廊下に落とす。

優が文と顔を見合わせ、そして絆に言った。

「誰……その子?」
681 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:25:18.01 ID:4sLHi8Fm0
珍しく……いや、初めて聞く優の
「何かを警戒したかのような」声だった。

霧は硬直している三人を見て首を傾げると、
彼女達を「無視」して、絆の手を引いた。

「どうしたんですか、マスター。早く中に入りましょう」

絆は片手で霧を押しとどめると、優に向かって言った。

「今日から仲間になる、霧という子だ。
仲良くしてやってくれ」

バーリェにとってキーワードとなる「仲間」という言葉を
あえて使ったのだが、三人の反応は変わらなかった。

相変わらず、当初の雪のように不思議な表情をしている。

まるで、自分たちとは違うものを見るかのような
……そんな目だった。
682 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:25:50.78 ID:4sLHi8Fm0
霧が全くそれを気にしていないのか
――いや、命達三人が視界に入っていないのか
――無邪気にはしゃいで、絆の持っていた紙袋から
新しいスリッパを取り出し、床に並べる。

「お邪魔します!」

大きな声で言って、霧がラボに足を踏み入れる。

途端、命が後ずさろうとして失敗してその場に転び、
優と文が奥の部屋に隠れてしまった。

彼女たちの予想外な反応に、絆は息をついた。

ここまで警戒するとは思ってもいなかったのだ。
683 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:26:25.57 ID:4sLHi8Fm0
そこで雪が進み出て、霧の背中を手でそっと叩いた。

「霧ちゃん。みんなに挨拶しよう……」

そう言われて、霧は逆に不思議そうに雪を見た。

「どうしてですか?」

「どうしてって
……一緒に、これから暮らすんだよ。
みんなびっくりしてる」

「劣等種と話すことなんてありません。
それより一緒に遊びましょう、お姉様!」

――何?

今何と言った?

――劣等種?

確かに今、霧は命達のことを劣等種と言った。
684 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:27:02.74 ID:4sLHi8Fm0
戸惑った顔を向けてきた雪の手を引き、
絆は困った表情で霧を見た。

「……そういうことを言うものじゃない。
みんな仲間なんだ。仲良くしよう」

先ほども言ったキーワードを連発して言ってみる。

しかし霧は、いまいちピンと来ないらしく、
首を傾げてみせた。

「はあ、マスターがそう仰るならそうします」

しばらくして自己完結したのか、頷いて口を開く。

彼女は、尻餅をついて
目を丸くして自分を見ている命に近づいた。

そして悪びれもなく彼女に手を伸ばして、言った。
685 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:27:45.42 ID:4sLHi8Fm0
「宜しく。私が来たからには
もうあなた達の出番はないと思うけど、
精々頑張って予備の役割を果たしてくださいね」

バーリェは、お互いを嫌うことは滅多にない。

そもそもは単一で管理するのが原則なので、
その必要がないからと言ってしまえはそのままなのだが、
その性質上、いがみあっていては仕事にならない。

だから、彼女たちは生産されてきてから、
他のバーリェに敵対感情を持つような調整はされてきていない。

――筈だった。

この子は、自分のことを優性種だと思っている。

それは、絆がクランベに対して抱くような
感情に酷似しているのだろう。
686 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:28:21.65 ID:4sLHi8Fm0
有体な言葉で言えば。

……見下している。

生まれながらに。

悪意ではない、純然たる素直な気持ちだ。

だが、だからこそそれは、
言葉のナイフとなって命の心を抉ったらしかった。

そうでなくても、
バーリェとしての性能にコンプレックスを抱いている命だ。

霧の一言を理解するのに時間がかかったらしく、
命はポカンとして彼女を見た。

そして絆の方を見て、小さく震えだす。

「え……? 予備……?」
687 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:28:57.72 ID:4sLHi8Fm0
「どうかしましたか?」

霧がにこやかに言う。

笑顔だ。

悪いとは微塵も思っていないのだろう。

流石にこれはマズいと判断して、
絆は雪を玄関に置いて、命と霧の間に割って入った。

そして命のことを助け起こして、少し語気を強くする。

「霧、口が過ぎる。この子は君の先輩だ。
予備なんかじゃない。何回でも言うぞ、
仲間なんだから、仲良くしよう。これは命令だ」

流石に「命令」という単語には反応して、
霧は途端に緊張したような顔つきになった。

そして少し顔をしかめて命を見てから、
絆に戸惑った表情を向けた。
688 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:29:37.84 ID:4sLHi8Fm0
「喧嘩をするつもりはありませんでした。
気に障ったなら、ごめんなさい」

素直に命に対して頭を下げる。

しかし命は、まだ理解が追いついていないのか、
絆にピッタリと寄り添って、
霧を異物を見るかのような目で見ていた。

初めてのケースだ。

霧はおそらく生まれながらにして、
自分を特別で、優秀なバーリェであり、
他の子とは違うと思い込んでいる。

実際そうなのだから性質が悪い。

医師達がそう言い聞かせたとは考えがたかった。

利点がない。

つまり、生成された時点で、
彼女はそういう確固とした「自我」を持っていたことになる。
689 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:30:19.07 ID:4sLHi8Fm0
空恐ろしい。

科学の産物であれ、
それは果たして人間が踏み込んでいい領域なのか。

絆はそれが分からなくなり、一瞬口をつぐんだ。

しかしその沈黙をどう取ったのか、
命は慌てて絆から体を離すと、
取り繕ったように笑ってから言った。

「あ……お洗濯もの、片付けなきゃ……」

霧の方を見ないようにしながら、
命は落ちている洗濯物を拾い集め始めた。

当の霧は、それを全く気にしていないのか、
玄関に走っていくと、
立ち尽くしている雪の手を取って引っ張った。
690 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:31:00.10 ID:4sLHi8Fm0
「お姉様、一緒に遊びましょう! 
ずっと、ずっと楽しみにしてたんです。
私何でも出来ます。お姉様の好きな遊びをしましょう!」

「霧ちゃん……命ちゃん達は……」

言いよどんで、しかし雪は口をつぐんでしまった。

命が聞いていることを、察したのだろう。

仲良くはしていても、雪と命の性能には雲泥の差がある。

命が、それに対して
強烈なコンプレックスを持っていることを、雪は知っていた。

だから言葉にすることを躊躇ったのだ。
691 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:31:45.47 ID:4sLHi8Fm0
それを不思議そうに見て、
霧はラボの中を、既に知っていると
言わんばかりに先導して歩き出した。

「モノポリーでもいいですし、
バックギャモンでも大丈夫です! 
沢山頭のなかでシュミレートしました。
お姉様、お強いんでしょう? 楽しみだなー!」

絆は、不覚なことに霧の暴走に対して、
何をすることも出来なかった。

そのようなケースに対応するだけの知識がなかったのだ。

命のコンプレックスは分かっていても、
霧が持っている「見下す」感情をどう制御したら良いのか、
彼には分からなかった。

どうフォローしたらいいのかも分からなかった。
692 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:32:35.55 ID:4sLHi8Fm0
だって、事実なのだ。

彼女が優性種であることは。

絆は奥の部屋に消えていった霧と雪を目で追いながら、
小さく震える手で洗濯物を集めている命の前にしゃがみこんだ。

そして、やっとの思いで口を開く。

「その…………何だ。俺も手伝うよ」

「あ…………はい……」

「来たばかりで、勝手が分かってないんだ。
大人だろ? 多少今みたいに生意気な口を
きくかもしれないが、理解してやってくれ」

「一緒に……暮らすんですか?」

ためらいながら命がそう言う。
693 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:33:03.66 ID:4sLHi8Fm0
それは、彼女が初めて見せる、
躊躇しながらの「拒否」の態度だった。

絆は命から目を離して、洗濯物を抱え上げた。

「……ああ。そうだ」

「雪ちゃんだけじゃ、駄目なんですか?」

小さな声で命がそう言う。

優と文が、寝室に隠れて、
扉の隙間からこちらの様子を伺っている。
694 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:33:35.31 ID:4sLHi8Fm0
絆は命の頭に手を置いて、ぎこちなく笑ってみせた。

「別に、一人増えたくらいでどうということはないだろ。
誰かの代わりとか、そういうことはないよ。安心しろ」

「…………」

しかし命は、それに答えなかった。

彼女は俯いて絆から洗濯物を受け取ると、
パタパタと足音を立てながら、洗濯室に消えてしまった。

――先が思いやられるな。

絆は、居間の方から霧の嬉しそうな嬌声が
聞こえてきたのを受けて、小さくため息をついた。
695 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/07(水) 20:34:18.68 ID:4sLHi8Fm0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想、ご質問などがありましたら、お気軽にいただけると嬉しいです。

それでは、今回は失礼します。
696 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/07(水) 23:58:49.46 ID:GKD2hPzro
697 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/08(木) 07:13:59.03 ID:sDsaveXIO
楽しすぐる!
698 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:45:56.37 ID:un43/iyQ0
こんばんは。

コメントありがとうございます! 励みになります。

続きが書けましたので投稿させていただきます。
699 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:48:52.81 ID:un43/iyQ0


命の作った料理が並べられていた。

美味しそうなにおいが漂っている中、
食卓は奇妙な雰囲気に包まれていた。

霧を、明らかに避けるように命、優、文が、
いつもの席とは違う反対側の席に固まっている。

雪が絆の隣。

その隣に霧がいる。

霧は、首を傾げて料理を見てから、
絆に向けて口を開いた。
700 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:49:49.35 ID:un43/iyQ0
「補助栄養食品はないんですか、マスター?」

補助栄養食品とは、
バーリェが栄養管理のために摂取するものだ。

点滴でもいいし、経口摂取でもいい。

半ゲル状の黄緑色の物体で、
絆はあまりそれが好きではなかった。

一度口に入れたことがあるが、味はない。

命がそれを聞いて俯き、所在無さげな視線を彷徨わせる。

――これはまずい。
701 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:50:20.76 ID:un43/iyQ0
霧……この子には、何かが欠けている。

集団生活を送る絆のバーリェとして、
一番大事な「協調性」がまるでない。

先天性なものではないだろうので、個体差なのだろうが……。

ここまで極端な例も始めて見るが、
これから一緒に暮らしていかなければいけない子だ。

無理やりにでも、慣れさせなければならない。

「これから俺と同じように食事をする。
毎日命が料理をしてくれるんだ」

「へぇ……そうなんですか」

さして興味もなさそうに言って、霧はスプーンを手に持った。
702 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:50:53.72 ID:un43/iyQ0
「じゃ、食べますね!」

元気に言った彼女を、雪がおどおどと制止した。

「霧ちゃん
……絆がいただきますを言ってから食べるんだよ……」

「そうなんですか?」

首を傾げてみせる霧。

絆は頷いてから手を合わせて

「いただきます」

と言った。

慌てて雪達がそれに続く。
703 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:53:06.76 ID:un43/iyQ0
古い文献からの知識なのだが、
こうすると不思議とバーリェの食事作法が良くなる。

理由は、良く分からないが。

霧もそれに続いて、
彼女は命が丹精込めて料理したであろうグラタンを、
少しだけスプーンにとって口に運んだ。

「しょっぱい……」

途端に顔をしかめて、霧はスプーンを皿の上に置いて、
水を口に入れた。

出荷される前まで食事をしたことがないのだから
当たり前なのだが、彼女たちは味に対して敏感だ。

だから絆でも分かる程度、相当薄味に作ってある。
704 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:53:40.55 ID:un43/iyQ0
しかし優も文も
……死んだ愛でさえも、
命の料理は第一声「美味しい」と言って食べていた。

何故か霧の口には、どうも合わなかったらしい。

命が益々萎縮して小さくなる。

絆は一つ息をつくと、霧に向かって言った。

「無理はしなくてもいいが、こ
れから毎日食べるんだ。味という感覚に慣れておいたほうがいい」

「分かりました。訓練ですね!」

頷いてスプーンを持ち直す霧。

言葉の端々に無邪気な「悪意」が見て取れる。

明らかに、命達のことを見下している。
705 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:54:17.64 ID:un43/iyQ0
――これは、良くない。

しかしどう注意したものか分からない。

絆は、一口食べては水を飲むを繰り返し始めた
霧を見てからため息をついた。

そして、チビチビと食欲がなさそうに食べだした
命と雪、かっこんでいる優と文を見回す。

グラタンを口に入れてみる。

美味しい。

命の料理の腕は高い。

決して、不味くはない。

「美味いぞ、命」

そう言ってやると、命は初めて、
ぎこちない笑顔を絆に向けた。
706 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:55:02.22 ID:un43/iyQ0
「さっきも話したと思うが、こっちは霧。
今日から一緒に暮らすことになる。みんな仲良くするんだ」

霧を手で示して言うと、
彼女は顔も上げずに水差しから水をコップにあけた。

それに戸惑いがちに顔を見合わせた優と文だったが、
優が空元気のような声を出して、霧に喋りかけた。

「ね、ゲームは好き? 今日ロールアウトしたの?」

「あなたと私じゃ性能が違うから、
一緒に楽しめるゲームはないと思うけど
……でもゲームは好き。何でも出来ます。
さっきも、雪お姉様と一緒にモノポリーをしたところです。
今日、第三研究所からロールアウトしました」

「そ……そうなんだ」

優が顔を引きつらせながら口をつぐむ。
707 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:55:42.74 ID:un43/iyQ0
文が彼女の肩を叩き、手話で言葉を伝えた。

『きっと、今日来たばかりだから緊張してるんだよ。
すぐに仲良くなれるよ』

「あなた達と仲良くするつもりはなかったのですが
……マスターのご命令ですので仲良くします。
光栄に思ってくださいね」

ニッコリと笑って霧が言う。

手話を読み取られたことと、
投げつけられた言葉の棘に押されて、
文も手を止めて黙り込んだ。

絆は深く息をついて、スプーンを皿の上に置いた。
708 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:56:18.14 ID:un43/iyQ0
「霧……お前は一言多いな。
生まれる前に習わなかったのか? みんな『仲間』だって」

「……?」

きょとんとして霧が沈黙する。

キーワードに反応しない。

今回は霧に対して直接言葉を投げかけた。

おかしい。

まさか……と思い、絆は慌てて聞いた。

「ちょっと待てよ……五大原則は言えるか?」

「五大……原則?」

首を傾げて、霧はその言葉を反芻してから絆を見た。
709 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:56:58.05 ID:un43/iyQ0
「さぁ……何ですか?」

それを聞いて、命達が怪訝そうに顔を見合わせる。

雪も不思議そうに霧の方を見た。

それが面白くなかったのか、
霧は少し語気を荒くして絆に言った。

「何ですか? 私、何か変なことを言いましたか?」

「……いや、いいんだ。知らないなら。食事を続けよう」

無理やりそう言って話を打ち切り、絆は心の中で歯噛みした。

――この子も番外個体なのか……!

その事実に気付き、頭を抱えたくなったが、
無理やりに押し留める。
710 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:57:34.94 ID:un43/iyQ0
バーリェならどんな個体でも言えることだ。



一つ、バーリェはトレーナーに服従しなければならない。
二つ、バーリェはトレーナーの命令をいついかなる時でも聞かなければならない。
三つ、自身の命よりもトレーナーの命を優先せよ。
四つ、自らの生死を自らが決めてはならない。
五つ、トレーナーのために死ぬことを、至上の幸福とせよ。



というものだ。
711 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:58:19.84 ID:un43/iyQ0
遠まわしに、トレーナーが死ねといえば死ね、
という風に定義づけている。

普通、ロールアウトされた個体は、
この五つの条項を一字一句間違わずに言うことができたら、
「人格調整完了」として登録される。

しかし、霧はその言葉を……単語さえ知らなかった。

つまり、この子は。

人格調整が完了していない個体だ。

性能だけを重視して、
人格の調整に追いつかなかったのか……いや、それはない。

分かっているのだ、エフェッサーは。

分かっていて、霧を絆に預けた。
712 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:58:56.96 ID:un43/iyQ0
絆が、番外個体を多く管理しているから。

何とかなると思っているのだ。

――どうする?

頭の中で自問自答する。

この子を、未調整の個体として報告し、
廃棄処分にする権利は絆にあった。

それもできる。

できるが……一度固有名称を名づけてしまった個体を
廃棄処分にするのは、
絆のトレーナーとしてのプライドが許さなかった。

何より、雪たちに紹介してしまったのだ。

もう、あとには引けない。
713 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 19:59:33.44 ID:un43/iyQ0
嵌められたという表現が一番正しいだろう。

この子は人格的に欠損している。

それも、致命的に。

黙り込んだ絆に、霧が不安そうに聞いた。

「マスター?」

「…………ああ、本当にいいんだ。
気にするな。
あと、食事は一度手をつけたら残さないように。
それが礼儀だ」

「何に対してのですか?」

霧が、純粋な目でそう問いかける。

聞かれたのは初めてのことだったので、
絆は思わず言葉に詰まった。
714 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:00:07.68 ID:un43/iyQ0
しばらく考えてから、彼は言った。

「神様にだ」

「神……様……?」

首を傾げた霧に、絆は頷いて続けた。

「俺達が日々生きていけるのは神様のおかげだ。
食材も、神様が与えてくれるものなんだ。
だから、食前には『いただきます』、
食後には『ごちそうさま』と挨拶をする。
それが決まりだ」

実際は違う。

神様なんてこの世にはいない。

そんなものがいるのなら、死星獣は存在していない。
715 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:00:46.57 ID:un43/iyQ0
だが、絆はこう言うことにしていた。

それは、小さい頃自分が聞かされた、
遠い昔の記憶だった。

霧は頷くと、残りのグラタンをかっこみはじめた。

味もへったくれもないだろうな
……と作った命の気持ちを想像して
少しブルーな気持ちになりながら、絆は息をついた。

そしてグラタンをつついている
命と、優、そして文に声をかける。

「お前ら、ちょっと話がある。
薬を飲んで、片づけが終わったら俺の部屋に来い」

「私も?」

雪が顔を上げて聞く。
716 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:01:26.38 ID:un43/iyQ0
絆は少し言いよどんでから、雪の頭を撫でて言った。

「お前は、霧と一緒に遊んでてくれ。
好きなことをしてていい」

「…………分かった」

「よろしくな」

戸惑ったような顔をしてから頷いた雪から
視線を外し、絆は立ち上がって薬棚に近づいた。

命以外、最近飲む薬が多くなっている。

そこに霧の分も追加だ。
717 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:01:58.82 ID:un43/iyQ0
混合でもしたら、大変なことになる。

……この子達は、
死ぬまで薬を飲み続けなければならない。

番外個体、とどこかしらに
障害がある子を呼んでいるが、
「生き物」として障害があるか、
と考えれば――全員障害者だ。

難しい。

いつになっても、慣れない。
718 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:02:28.45 ID:un43/iyQ0


三十分程して、命と優、
そして文が絆の部屋に上がってきていた。

扉を閉めた途端、優が嫌悪感を露にして言った。

「絆、何あの子」

「何って……何がだ?」

バーリェは殆ど他者に対して嫌悪感を発することはない。

トレーナーに対しては無論だし、
同族に対しても、争うメリットがないので同様だ。

しかし霧に対しては違うらしい。
719 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:03:00.79 ID:un43/iyQ0
確かにそうだ。

彼女は、今まで絆の「家族」になかった
「優劣感」という概念を持ち込んでしまった。

理解できる。

面と向かって馬鹿にされて、劣等種だと言われて。

面白い筈がない。

「私は反対だなー……あんなのと一緒に暮らせないよ」

優は、その点圧倒的に正直だった。

絆は椅子に座ったまま優を手招きして呼び寄せると、
その頭を軽く叩いた。

「こら。仲間をそう呼ぶんじゃない」

「でも……」
720 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:03:32.43 ID:un43/iyQ0
『仲間』と聞いて、優が黙った。

それを見て、絆は無理やり
騙させてしまったことに気がついて、
口をつぐんだ。

そして優の頭を撫でてやりながら口を開く。

「……何が嫌なんだ?」

「何かね、変なんだよ。絆は感じないの?」

優に聞かれ、絆は首を捻った。

確かに霧は番外個体
……その可能性が高いが、外見や行動は普通と変わらない。

そこで文が進み出て、手話で文字を作った。
721 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:04:07.89 ID:un43/iyQ0
『雪ちゃんと同じような
……でも、何か違うんです。
私たちとも違う。あの子は、本当にバーリェなんですか?』

「本当にって
……バーリェに違いはない。
人間ではないことは確かだからな」

それは確認している。

事前に詳しく資料を読んでいる。

「バーリェじゃないよ、あんなの」

吐き捨てるように優が言った。

その意味が分からずに、
絆はそんな優の姿を見るのは初めてだったので、
若干押されながら言った。
722 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:04:37.51 ID:un43/iyQ0
「あんなのって……」

「私たちと違う。何か、ロボットみたい」

「ロボット?」

「うぅん、どっちかというとし……」

『お姉ちゃん』

そこで文が、無理やり優の肩を掴んで言葉を止めた。

優がハッとして口をつぐむ。

「ん? 何だ?」

隠し事をしている風の二人に問いかけるが、
双子は視線をそらして黙り込んでしまった。

そこで、命がおずおずと口を開いた。
723 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:05:09.77 ID:un43/iyQ0
「絆さん、あの子……戦闘で使うんですか?」

問いかけられて、絆はまた言葉に詰まった。

しかし隠してもためにならない、
と思い直して、命に対して頷く。

「ああ。そのつもりだ」

「どうして? 私達もまだ出てないのに!」

優が、生まれて初めて絆に「反抗」した。

食って掛かってきた。

ヒステリックにわめいた優に続いて、
文までもが手話で訴えてきた。

『順番で言うと私達の番ですよね? 
どうして今、新しい子を連れてくるんですか?』
724 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:05:42.78 ID:un43/iyQ0
「お偉いさん方の決定だ。俺の意思じゃ……」

反射的にそう返しかけて、
絆は言葉を無理やりに飲み込んだ。

これでは、まるで自分が仕方なく
霧をもらってきたような感じになってしまう。

実際そうなのだが、霧だってバーリェだ。

この子達と変わらない。

絆自身、優劣を決めるつもりは本当になかったし、
誰かをひいきするつもりなど毛頭なかった。
725 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:06:13.48 ID:un43/iyQ0
ここで、「俺の意思じゃない」と
言ってしまったら、霧の立場がなくなってしまう。

「…………お前たちも、すぐに戦闘に出れるよ。
霧は、対速攻戦用に創られたバーリェなんだ。
お前たちではカバーしきれない事態を担当する」

「私達ではカバーしきれないって、何!」

優が飛び掛らんばかりの勢いで怒鳴った。

青くなっている彼女に向かって、
息を吐いてから絆は言った。

「どうした? お前、様子がおかしいぞ。
薬をちゃんと飲んだのか?」
726 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/08(木) 20:07:02.14 ID:un43/iyQ0
お疲れ様です。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想、ご質問などありましたら、お気軽にくださいね。

それでは、今回は失礼します。
727 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/08(木) 20:09:15.57 ID:W5ReGtKT0
"新型兵器"登場か
728 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/09(金) 16:44:49.29 ID:pL/uMmnYo
729 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/09(金) 18:50:59.01 ID:CXkUjv6IO
愛のこと、雪の限界、他の子の性能、そんな問題山盛りなのに、霧が来て風呂敷がかなり大きくなった…
完結までのプロットはあるのでしょうか?
730 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:49:48.22 ID:M8HUcM7B0
こんばんは。

続きが書けましたので投稿させていただきます。

完結までのプロットは作ってあります。

ありますが、予想以上に一話の文字量が多くなってしまったので、
まだ数話いただくことになります。

最後まで書かせていただきますので、ご安心ください。

引き続き楽しんでいただければ幸いです。
731 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:54:12.70 ID:M8HUcM7B0
「飲んだよ! でもそれは今関係ないよ!」

「いや、重要な問題だ」

「私のことが信用できないの?」

優が喚く。

彼女のこんな姿は見たことがない。

いつもは気配りが出来る優しい子の筈だ。

それゆえに感情が爆発した時の反動が大きいのか
……と思い直し、絆は慎重に言葉を選んでから言った。

「分かった、信用しよう。だから落ち着くんだ」
732 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:54:49.88 ID:M8HUcM7B0
「…………」

優は突然肯定されて、バツが悪そうに口をつぐんだ。

そしてもごもごと何かを言おうとして失敗する。

「何だ? 良く聞こえないぞ」

絆が促すと、文が優の手を引いて彼女を黙らせてしまった。

基本的に、
絆はバーリェに対して隠し事をしないようにしている。

それは逆もまた然りだ。

だから、彼女達が隠しているであろう事を
そのままにしておくつもりはどこにもなかった。

「命、どういうことだ?」

優から視線を離して命に聞く。
733 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:56:35.90 ID:M8HUcM7B0
突然話題を振られた命は、
しゃっくりのような声を上げて、
少し迷った後言った。

「……いえ……その……」

「…………」

「あの子……何だか死星獣みたいで……」

「ちょっと命!」

優が口走ってしまった命に食って掛かる。

命は

「だって……」

と言ったきり、下を向いて黙り込んでしまった。
734 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:57:14.46 ID:M8HUcM7B0
「何だって?」

絆は命の言ったことの意味が分からずに、
戸惑いながら彼女達に聞いた。

「霧が、死星獣みたい? 
言っている意味がさっぱり分からない」

「だから……あの子から死星獣と同じ臭いが
少しするんだよ。何で分からないの?」

優が、冷や汗なのだろうか、
いつの間にか汗をかきながら絆に訴えた。

「死星獣の臭い?」

「……ええ。何だかとても臭いんです。
どう言い表したらいいのか分からないのですけれど……」

命がポツリと言った。
735 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:57:47.37 ID:M8HUcM7B0
文が、諦めたように手話でそれに続く。

『タバコの臭いに似ています』

「タバコ?」

どうも要領を得ない。

雪はそんなことを言っていなかった。

いや……。

意図的に「言わなかった」のかもしれない。

優が口走ろうとした時、文が止めたのを見た。

彼女達は躊躇している。
736 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:58:27.02 ID:M8HUcM7B0
例えば仮に、霧が死星獣と
同じ臭いを発しているとするならば。

彼女達が警戒した理由も良く分かる。

バーリェは死星獣を殺すために
創られた生体弾丸だ。

自分たちの敵に、無意識の奥で
敵意を持ってしまっても、不思議ではない。

こればかりは「慣れろ」とも言えずに、絆は押し黙った。

本部に、確認する必要がある。

これではバーリェを正常運用できない。

文がタバコの臭いと言ったのは、
バーリェにとって天敵の臭いだからなのだろう。
737 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:59:03.96 ID:M8HUcM7B0
無論、絆もタバコは吸わない。

トレーナー全員、
少なくともバーリェの前ではタバコは吸えない。

彼女達の気管支に損傷を与えてしまう
可能性があるからだ。

「分かった。
霧は、今日は俺の部屋で寝かせよう。安心しろ」

絆は自室では寝ないが、
一応形式美としてベッドは設置されていた。

霧を、しばらくこの子達から隔離する必要がある。

それを聞いて、三人がホッとしたように顔を見合わせた。

優が息をついてから、一言吐き捨てた。

「ずっとここにいればいいんだよ」
738 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 19:59:50.48 ID:M8HUcM7B0
「……そこまで毛嫌いすることはないだろう。
まだ来たばかりなんだ。お前だって、来た頃は我侭だったぞ」

そっと諭すと、しかし優は納得できないのか
また口をつぐんでしまった。

絆は手を叩いて、立ち上がった。

「とりあえずお前達は、今日は寝ろ。
もう遅いからな。
霧には、俺からも良く言い聞かせておく。分かったな?」

それぞれが戸惑いがちに頷いたのを見て、絆は命の背を押した。

「今日のグラタンは美味かったぞ。自信を持て」

しかしそれには答えず、
命ははにかんだようにぎこちなく笑って、
絆から視線を離して俯いてしまった。
739 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:00:28.19 ID:M8HUcM7B0


……やはり人格調整がなされていない。

雪達を寝かせてから、霧を自室に連れてきて
いくつか質問をしたが、絆はその確信を深めていた。

雪と一緒に寝たがっていた霧だったが、
連れてこられたのが絆の部屋だと言うことに気付くと、
自分がそれだけ特別扱いされていると思ったのだろう。

散々はしゃいで今に至る。

薬を飲ませてやっと寝せた。

寝息を立てている霧を見下ろして、絆は深く息をついた。

――死星獣の臭いがすると言っていた。

彼女達は嘘をつかない。
740 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:01:07.34 ID:M8HUcM7B0
隠し事も、基本的にはできないように
人格調整がされている。

絆の場合はそのようなことに甘いので、
例外はあるが基本的にはそうだ。

嘘ではないのだろう。

それがたとえ、直感から来たものだとしても、
無視できない事実だ。

絆はデスクの椅子に腰を下ろして、
パソコンのモニターに映し出された、
霧の仕様書に視線を落とした。

……だとしたらおそらく、
この仕様書は捏造されたものだ。

絆を騙すために。
741 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:01:41.89 ID:M8HUcM7B0
――足元を見ている。

歯噛みして、速読でもう一度仕様書を読み飛ばす。

やはりどこにも、死星獣のくだりは書いていない。

絆は廊下に出ると、自室のドアを締め、鍵をかけた。

そして雪達が寝ていることを確認し、寝室にも鍵をかける。

唯一隔離された洗濯部屋に入り、
椅子に腰を降ろしてから、彼は携帯電話を手に取った。

そして渚の携帯番号を選択し、電話をかける。

しばらくすると、少し緊張した風の渚が応答してきた。

『こんばんは。お疲れ様です、絆執行官』

「お疲れ様です」
742 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:02:28.29 ID:M8HUcM7B0
業務的な挨拶を済ませてから、絆は押し殺した声で言った。

「……どういうことだ? あの子は番外個体だろう?」

語気を強くして言う。

渚は少し沈黙した後、別室に移動したのか、
扉を閉める音をさせてから言った。

『番外個体? どういうことですか?』

逆に聞き返される。

絆は言葉を選んでから彼女に問いかけた。

「言ったままの意味だ。
知らなかったとは言わせない。
君が、ロールアウトの責任者の筈だ」

そう言うと、渚はまた沈黙した後、断固とした口調で言った。
743 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:02:59.72 ID:M8HUcM7B0
『ロールアウトは完璧でした。
あの子は番外個体ではありません』

「何だと……? 五大原則も言えない
バーリェがどこにいるって言うんだ!」

思わず電話口の向こうに向かって怒鳴り声を上げる。

渚は抑揚をなくした声でそれに答えた。

『初期混乱なのではないでしょうか? 
こちらの調整は完璧でした。本部も了承済みです』

「…………」

――本部も了承済み。

その単語が表す意味は大きかった。
744 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:03:33.82 ID:M8HUcM7B0
霧は番外個体だ。

間違いない。

つまり本部はその事実を揉み消そうとしている。

――どうして?

彼女が本当に特別なバーリェだからなのだろうか。

まだ、絆が知らないブラックボックスを抱えているゆえに、
本部は障害を黙殺しようとしたのではないか。

渚はエフェッサーの一職員だ。

一応ロールアウトの担当官は彼女となっていたが、
この電話も傍聴されている可能性は十二分にある。

本当のことを言えない状況にあるのか。

それとも、彼女自身が絆を騙そうとしているのか。
745 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:04:10.98 ID:M8HUcM7B0
……誰も信用は出来ない。

本来なら、それがこの世界だった筈だ。

絆は歯噛みして、
それでも小さく呟かずにはいられなかった。

「……人間のやることじゃない……!」

渚は、少なからずその言葉にショックを受けたらしかった。

彼女はしばらくの間黙っていたが、
無理やりに話を切り替えて、淡々と絆に言った。

『…………絆執行官。絃執行官の失踪について、
何かご存知なことはありませんか?』

「その……絃が失踪したという話は本当なのか?」
746 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:04:54.28 ID:M8HUcM7B0
『連絡の取れない状況が七十六時間を超過しました。
ラボの中に生体反応はありません。
強制捜査に踏み切ることになりました』

トレーナーは、一日ごとに膨大な量のレポートを作成し、
本部に送らなければいけない。

そして本部では、その資料を管理してバーリェの生産にいかすのだ。

トレーナーだからといって何でも自由にやれると言うわけではない。

むしろデメリットの方が多い。

その最たる例が、この時間制限だった。

通常トレーナーは、二日間、四十八時間以内に
エフェッサー本部に資料を送信しなければいけない。

それはデータ収集の意味もあるが、
同時にトレーナーを管理しているエフェッサー側の事情も
あってのことだった。
747 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:05:31.20 ID:M8HUcM7B0
二日間連絡がないと、捜査が入る。

そして三日間を超過すると、
強制立ち入りが行われるのだ。

それほどバーリェとは現政府にとって重要な
機密物資であり、トレーナーはそれを管理するための重要な役職だ。

一度、絃に預けていた優が勝手にラボの外に出てしまったことがある。

その時は、ごく近くをうろついていて
保護されたらしいが、無論本部はその事実も知っている。

たった五分程度の散歩とはいえ、
絃と絆の実績により無理やり帳消しにしたほどの大事件だったのだ。

それゆえに、トレーナーはきちんと
定時に本部へ連絡を行わなければならない。
748 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:06:08.98 ID:M8HUcM7B0
絃は、厳密に言うと絆よりも数年前から
トレーナーをやっている、いわば先輩に当たる人物だ。

忘れるとは思えない。

それに、安楽死をさせると言っていた桜を
連れて消えたとすれば、
それは機密物資の盗難に当たる事件に発展する。

二日の時点で捜索は行われたのだろうが、
見つからなかったようだ。

その「見つからなかった」と言うのも納得がいかない。

軍警察が動いて、たかが大人の男と
半分死んだようなバーリェ一人見つけられないとは考えがたい。

そのような事情で、
強制立ち入り捜査に本部は踏み切ったのだろう。
749 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:06:45.76 ID:M8HUcM7B0
――しかしそれは、「絃が本当に逃げた」とすればの話だ。

絆にはどうしてもそれを信じることが出来なかった。

数少ない、絆の方針の理解者だった。

同じような信念を持って、互いに支えあった仲だった。

一概にはいそうですか、と言えるわけがなかった。

しかし電話口の向こうの声は無常だった。

『形式として、明日絆執行官のラボにも監査が入ります。
あくまで形式ですので、気を悪くされませんよう。
バーリェちゃん達にも、
怖がらないようにと言ってあげてください』

「…………」

本部は少なからず絆を疑っている。

匿っているのではないかと思っているらしい。
750 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:07:16.97 ID:M8HUcM7B0
「……どうしてそれを前もって俺に言う?」

しかし、絆は疑問に思ったことをそのまま口に出した。

絃を匿っていると思うのなら、
予告無しでいきなり強制立ち入りを行ってもいい筈だ。

渚は少し言いよどんだ後、小声で言った。

『本当に、何もご存知ないのですか?』

「何がだ? こっちはその事実にただ驚いてる」

『……ご存知ないのなら、その方がいいと思います。
その確認をとらせていただきたかったまでです。
他意はありません』

そこで絆は確信した。

この通話は、本部に録音されている。
751 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:07:47.72 ID:M8HUcM7B0
渚もそれを知っている。

知っていて、携帯電話の番号を絆に渡したのだ。

「……分かりました。時間は?」

『二○三○です』

「了解しました」

これ以上この女をつついても、何も出てこない。

それ以前に、こいつは自分に対して、
勘繰りを入れるような真似をしてきた。

何も分からないような振りをして。

よくやる。

心の中で軽く笑う。
752 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:08:23.80 ID:M8HUcM7B0
そうはいくか。

何もかも全部自分達の思い通りになると思うなよ、
と言う気持ちを込めて、絆は一言吐き捨てた。

「絃執行官が、一刻も早く見つかることを祈っていますよ。私は」

『…………』

「では」

ブツリと電話を切る。

そのまま絆は、椅子の上で体を丸めて深く息をついた。

クランベを使って油断させようとしてきた本部に対しての
憤りもあったし、何より嘘ではないだろう絃の失踪について、
訳がわからなくなっていたのも事実だった。
753 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:09:05.17 ID:M8HUcM7B0
桜を連れて、どこに消えた?

安楽死させると言っていた。

彼なりの諦めの表れだったのだろうが
……絆はその言葉を、拒絶してしまった。

絃は、そこでエフェッサーに対する執着というか……
拠り所をなくしてしまったのではないか。

しかし見つからないというのが解せない。

軍警察の情報網は半端ではない。

一週間前の、バーリェの生体反応を追尾できるほどだ。

考えられるとしたら……。

スラム。

下層市民がいる場所に身を潜めるしかない。
754 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:09:40.60 ID:M8HUcM7B0
しかし、その利点が思いつかなかった。

(何だってんだよ……)

髪をガシガシと掻き回して、絆は立ち上がった。

そして寝室まで歩いていき、
鍵を開いて全員寝ていることを確認する。

愛がいなくなって、寝室はめっきり寂しくなった。

夜中に突然夢遊病のように起きだす彼女に、
睡眠時間を削られていた日が嘘のようだ。

静かなものだ。

このまま、彼女達は眠るように
死んでしまってもおかしくはない。

だって、人間ではないのだから。
755 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:10:07.57 ID:M8HUcM7B0
足取り重く自室の鍵を開けると、
ベッドの上で毛布を手繰り寄せ、霧が寝息を立てていた。

眠っている姿は他の子と同じなんだけどな……。

そう思ってため息をつく。

本部が黙殺している以上、霧を管理するしかない。

しかしどうも、優達が言っていた
「死星獣の臭いがする」という言葉が気になった。

どういう意味なのだろうか。

しばらく霧の寝顔を見下ろす。

どうすればいいのか、分からなかった。
756 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/09(金) 20:11:11.33 ID:M8HUcM7B0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

引き続き、ご意見やご感想、ご質問などありましたら、
気軽にいただけると幸いです。

それでは、今回は失礼します。
757 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/09(金) 20:27:08.82 ID:AQNkXvE1o

すげー面白い
758 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/09(金) 22:49:08.26 ID:HUYalpbSO
ダークというかドライというか………なんだか後味が悪い気もするけど、でも面白い。
表現の仕方も作品自体の構成も凄いハイレベルな作品だよね、これ。
759 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:28:45.64 ID:7tAhBmUl0
こんばんは。

続きが書けましたので投稿させていただきます。

ご評価ありがとうございます!

これからも精進していきます。

それでは、お楽しみいただけますと幸いです。
760 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:32:01.13 ID:7tAhBmUl0
本部からの監査役員がラボを訪問し、
形式的に見て回っているのを、
雪をはじめとしたバーリェ達はどこか怯えた表情で見ていた。

霧だけがケロリとしているが、
それはロールアウト直後の個体だからだろう。

バーリェは成長するにつれて、
自分が「生き物」ではなく「備品」として
扱われていることを、いやがおうにも自覚させられる。

絆は決してそのような扱いはしていなかったが、
エフェッサーの本部職員は
――渚のような一部例外を除いて――
殆どが、バーリェを生き物扱いはしない。

軍人も同様だ。

度重なる検査や手術を受けさせられている雪が、
特に怯えを顔に表していた。
761 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:33:04.13 ID:7tAhBmUl0
絆のラボは、バーリェ達が唯一くつろいで
安心することができる、いわば彼女達の「聖域」だ。

そこに土足で踏み込まれて、面白いはずはない。

はずはないが、彼女達に反抗するだけの勇気が
あるかといえば、そんなものはどこにもなかった。

だから部屋の隅に集まって、小さくなっている。

霧だけが絆の脇に、
命令を待つ子犬のようにピタリとくっついていた。

監査役員の一人が、絆に書類を渡してサインを求める。

それに懐の万年筆を取り出してサインしがてら、
絆は淡々とした口調で言った。

「一つ疑問があります。質問をいいでしょうか?」
762 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:33:53.73 ID:7tAhBmUl0
「何だ?」

役員に問い返され、絆は慎重に言葉を選んでから口を開いた。

「……何故一昨日逮捕しなかったのですか? 
彼はエフェッサーの本部に出頭していました。
連絡が途絶えての強制捜査は分かりますが、
みすみす逃がす理由がない」

答えは期待していない。

単に、揺さぶりをかけただけだ。

渚と話している時におかしいとは思っていたのだが、
質問はしなかった。

録音されている危険性があったからだ。

それに、その質問の答えは、あらかた想像がついていた。
763 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:34:35.74 ID:7tAhBmUl0
……絃は、連絡を途絶してから一昨日、
つまり丸二日の時点でエフェッサーの本部に、
新型バーリェの説明のため訪れていた。

他ならぬ絆と口論したあの日だ。

その時に逮捕するなり何なりしたら良かったのだ。

それを見過ごして、
見失ったと騒いでいるのは少し奇妙だ。

――が、その理由はあらかた想像がついた。

絃は、何か手を出してはいけない領域に
手を出してしまっていたのではないのだろうか。

例えば、桜の延命のために別の組織と提携する
……バーリェの情報を提供する代わりに、などだ。
764 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:35:10.42 ID:7tAhBmUl0
その場合、即逮捕に踏み切らなかった理由は納得がいく。

泳がせて確証を掴んでから確保というのが、
定石な流れだからだ。

問題は、だ。

絃が例えばそうだったとして、
逆にそれほどまでの危険を冒してエフェッサーの本部に
出頭した理由は何だったのかが分からない。

絆と話すため……だけではないだろう。

何か、他に訳があった筈だ。

――絃が逃げ込んだ場所は、おそらくスラム街。

それ以外には考えられない。

法治国家から外れた場所に桜を連れて行ったと
考えるのが妥当だ。
765 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:35:52.21 ID:7tAhBmUl0
それも、理由が分からなかった。

仮に桜の延命をすることが出来たとしても、
どっち道彼女はバーリェだ。

長くともあと一年以内には確実に死ぬ。

それが寿命なのだ。

その一年だけのためだけにこんな危険を冒すのか……?

絆には、正直素直には考えがたいことだったが、
同時に心の片隅では理解もしていた。

絃とはそういう男だ。

もしかしたら……そうなのかもしれない。
766 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:36:21.51 ID:7tAhBmUl0
絆の質問を受けた職員は、少し考えた後

「拘束規定事項第三条七項の事由により、
話すことは出来ない」

と返してきた。

予想通りの反応だったので、絆は

「……そうですか」

とだけ返して口をつぐみ、書類を彼に渡した。

もしかしたら……。

もしかしたらだが、エフェッサー本部が
何かを隠している可能性もある。

そうだとしたら、絃の失踪でさえも
狂言である可能性も捨て切れなかったのだ。
767 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:36:57.88 ID:7tAhBmUl0
誰も信用は出来ない。

いつの頃からだったか、
人を信用する癖がついてしまっていた。

しっかりしなければと思い直し、絆は息をついた。

監査役員を送り出して、
絆はピッタリとくっついて来ている霧の手を引いて、
ラボに入った。

……考えても分からないものは、仕方がない。

それより今出来ることを、
今対処しなければいけないことを片付けるまでだ。

「監査役員は帰ったよ。安心しろ」
768 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:37:26.68 ID:7tAhBmUl0
四人のバーリェに言うと、雪が開口一番

「良かった……」

と呟いた。

霧から手を離して彼女に近づいて、頭を撫でてやる。

「大丈夫だ。単に、視察のために来ただけだ」

優と文が顔を見合わせて、そしてテレビの方に走っていく。

テレビゲームの途中だったのだ。

それを侮蔑しているかのような目で見下して、
霧が近づいてきて雪の手を引いた。

「お姉様、ゲームの続きをしましょう!」

「ちょっと……ごめんね」

しかしそれを、雪がやんわりと拒絶した。
769 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:38:08.70 ID:7tAhBmUl0
きょとんとした霧に、雪は言いにくそうに口を開いた。

「これから、命ちゃんにお料理を教えてもらう予定なの。
良ければ、霧ちゃんも一緒にやる?」

最大限気を遣って言ったであろう雪に、
しかし命は戸惑ったような視線を向けた。

優と文も、やかましく音を立てているテレビから
目を離してこっちを見ている。

霧は、「何を言い出すのかと思えば……」と
言わんばかりに鼻を鳴らすと、馬鹿にしたように言い放った。

「料理ですか? 別にそんな技能があったからといって、
戦闘に役に立つわけではないでしょう? 
パズルゲームやボードゲームで脳の活性化をはかった方が、
よっぽど時間の有効活用になります。
そんなの役立たずにやらせておけばいいんですよ」
770 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:39:28.21 ID:7tAhBmUl0
――戦闘に役に立つわけではない。

――役立たず。

命が視線を伏せた。

彼女も、薄々分かってはいたことなのだ。

彼女だけではない。

雪だって、優だって文だって
……他ならぬ絆だってそれは分かっていた。

分かっていたが、言わなかったこと。

言ってはいけないことだった。

思わず絆はカッとして霧を怒鳴りつけた。

「こら! お前なんてことを言うんだ!」
771 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:40:06.48 ID:7tAhBmUl0
――トレーナーに怒鳴られた。

バーリェ達が一瞬で全員緊張し、背筋を伸ばす。

霧も同様だった。

一瞬ポカンとした後、条件反射で背筋を伸ばして
緊張しながら、絆に向かって彼女は言った。

「ご……ごめんなさい……」

どもりながら謝ってくる。

おそらくこの子は、何故怒られたのかを分かっていない。

絆は俯いて小さく震えている命に近づき、
彼女の脇に立った。

そして霧を強く睨む。
772 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:40:39.84 ID:7tAhBmUl0
「これ以上命を馬鹿にするのなら、
こっちにも考えがある。
お前を、戦闘で使わないようにしてもいいんだぞ」

「ど、どうしてですか!」

霧が青くなった。

慌てて問いかけてきた彼女に、絆は言った。

「協調性の問題は、個体差があるからある程度は
多目に見ることが出来る。
だが、俺の方針は『集団生活』だ。
その基本事項にさえ適応できない奴を、
信用することは出来ない」

「…………」
773 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:41:15.70 ID:7tAhBmUl0
唖然としている霧に、絆は一言付け加えた。

「バーリェとトレーナーの関係は、
信用で成り立ってる。それは理解できるな?」

「私は……信用していただけないのですか……?」

霧が小さく震えだす。

絆は淡々とそれに答えた。

「今のお前を戦闘に使うわけにはいかない。
俺が言った意味を、自分でも良く考えてみろ」

「私は……!」

霧は自分の胸を手でさして声を張り上げた。

「私はここにいる誰よりも安定した性能を
発揮することが出来ます! 
効率的に戦闘を行うことが出来ます! 
私は優秀なんです!」
774 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:41:51.70 ID:7tAhBmUl0
「黙れ!」

絆に再度怒鳴られて、霧がビクッとして萎縮した。

「何を言い出すかと思えば
……一度も戦闘に出たことがないお前が、
『効率的に戦闘が出来る』……? 
馬鹿も休み休み言え……」

絆の脳裏に、
笑いながら死んだバーリェの姿がフラッシュバックする。

愛の顔が、目の裏に焼きついて浮き上がる。

完全に頭に血が昇った。

「いいか、お前達が戦闘に出るっていうのは、
そんなに生易しい話じゃないんだ! 
遊び感覚で良く知りもしないことを主張するな! 
お前、今まで何人が死んだと……」
775 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:42:23.62 ID:7tAhBmUl0
そこで絆は言葉を止めた。

雪が霧を庇うように間に割って入ったのだった。

優も文も、命も目を丸くして硬直し、
激昂した絆を見ている。

彼のそのような姿を見たことがなかったのだ。

雪は絆に向かって首を振ると、静かに口を開いた。

「泣いてるよ……やめよう?」

霧は両手で顔を覆って涙を流していた。

やがて大声を上げて泣きじゃくり始める。

絆は言葉を飲み込むと、
足音高く雪と霧の脇を横切って、
自室に繋がる階段を登り始めた。
776 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:42:56.27 ID:7tAhBmUl0
おかしい。

バーリェに対してこんなに感情的になったのは、
雪が薬を飲まなかった時以来だ。

脳裏に愛の最後の言葉がフラッシュバックする。

――楽しかった、なぁ。

自室に入り、デスクの椅子に腰を下ろす。

そして絆は、浮かんできた愛の顔を振り払うように、
両手をデスクに叩き付けた。

しばらく歯を強く噛んで、動悸を沈めようと努力する。

数分経ち、ものすごい量の汗を垂れ流しながら、
絆は背もたれに体を預けて天井を見上げた。
777 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:43:35.11 ID:7tAhBmUl0
まだ霧は泣いている。

耳障りな泣き声だ。

そう感じる自分自身に戦慄し、愕然とする。

もしかしたら。

適応できていないのは霧ではなく。

――俺、自身なのかもしれない。

そう思ってしまった。
778 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:44:11.90 ID:7tAhBmUl0


絆に怒鳴られた日から、
霧はめっきり喋らなくなってしまった。

彼のことがよほど怖いらしく、
雪の隣にピッタリと寄り添っている。

時折チラチラと様子を伺うような視線を
寄越してくることはあっても、
自分から近づいてくることはなかった。

対して雪の体調も安定しなかった。

頻繁に咳をするようになり、
食事をしてもすぐ吐いてしまう状態が数日続いていた。

当の彼女には、絆はかなり迷ったが、
補助栄養食品の点滴を打つことにした。

今も、点滴台を転がしながら生活している。
779 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:44:54.36 ID:7tAhBmUl0
他の三人も、絆が怒鳴る姿を見て
よほど萎縮したのか、あまり騒がなくなってしまった。

どこか、ラボの中の空気が淀んでいるような気がする。

絆はソファーに腰を下ろし、
コーヒーを飲みながら息をついた。

軽率なことをした。

トレーナーとして、一番基本的なことを忘れていた。

どんな時でも、トレーナーは淡白であらねばならない。

バーリェが死んだ時もそうなのだ。

霧に対して怒鳴ったことで、
他の子達にも不信感を与えてしまった。

一日二日でそれは拭い去れるものではない。
780 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:45:33.77 ID:7tAhBmUl0
絆が飲み干したコーヒーカップを手にとって、
命がおずおずと、小声で口を開いた。

「おかわり、飲みますか?」

「……ああ」

頷いて、絆は今日本部に送信した
報告書のコピーに視線を落とした。

霧によるバーリェ達の精神異常と、
運用問題について詳細に書いたのだが、
いまだに返事がない。

それに苛立ってもいた。

命がバリスタからコーヒーをとって、絆の前に置く。

そして彼女は、少し離れたソファーに腰を下ろした。
781 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:46:04.55 ID:7tAhBmUl0
しばらくの間、命は離れた場所でゲームをしている

優と文、そして雪と霧を見ていたが、
やがて絆にそっと言った。

「愛ちゃんのことですか?」

絆は報告書から視線を離し、命を見た。

「……何がだ?」

「いえ……最近、絆さんは変わったと思いまして……」

命は言いにくそうにそう言って、口をつぐんでしまった。

絆は報告書を閉じてソファーに放り、そして命に言った。

「別にいつも通りだろう」

「あはは……そうですね」

力なく笑って命が俯く。
782 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:46:44.28 ID:7tAhBmUl0
絆は雪達が聞いていないことを横目で確認してから、
命に静かに言った。

「何回でも言うが……お前は役立たずなんかじゃない。
俺が保障する。
もっと胸を張れ。
そんな態度だから馬鹿にされるんだ」

「……そうですね……」

命が空元気のように息を整えて顔を上げる。

「でも……私は。やっぱり馬鹿にされていたんでしょうか?」

しかし彼女がポツリと呟いた問いに、絆は一瞬沈黙した。

口が滑ってしまった。

言わなくてもいいことを付け加えてしまった。
783 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:47:23.30 ID:7tAhBmUl0
命は顔の前で手を振ると、
黙り込んだ絆に気を遣ったのか、慌てて言った。

「いえ、変なことを聞いてしまいましたね」

「…………」

「でも私、確かに戦闘ができません」

笑顔だった。

でもそれは、どこか寂しそうな
自分の居場所を見つけられない、細々とした笑みだった。

「雪ちゃんの代役をすることもできませんし、
ましてや陽月王を動かすことさえも出来ませんでした。
私、確かに役立たずなのかもしれません」

「……他人と自分を比較するな。
お前にはお前の、やるべきことがある筈だ」
784 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:47:57.12 ID:7tAhBmUl0
絆が押し殺した声で言うと、命は視線をそらして

「そうですね……」

と呟いた。

しばらく沈黙して、命はそっと聞いた。

「絆さん、次に死星獣が出たら
……どうするんですか?」

「…………」

考えていなかったことだったので沈黙してしまう。

少し考えて、絆は言った。

「分からない。その場に合わせて対処するだけだ。
それ以前に、俺達に役目が回ってこない可能性も高いからな」
785 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:48:32.20 ID:7tAhBmUl0
嘘だった。

高確率で、次に死星獣が出たら
絆には霧を使うようにという指令が下る。

彼女のテストをしたいのだ、本部は。

「そうですね……そうですよね」

頷いて、命は立ち上がった。

「それじゃ私、後片付けがありますので……」

その時だった。

霧の話を黙って聞いていた雪が、
突然激しく咳をし始めた。

次いで、絆が慌てて立ち上がったその目に、
ゴボッ、と血の塊のようなものを吐き出した雪の姿が映る。
786 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:49:16.46 ID:7tAhBmUl0
「雪!」

青くなって彼女に駆け寄る。

どうしたらいいのか分からないのだろう、
硬直している霧から雪を引き剥がして、
彼女の脈を測る。

不安定だ。

雪は

「だ……だいじょう…………」

大丈夫、と言おうとして失敗した。

また激しく咳き込み、
今度は絆の服に激しく吐血する。

吐血、と一言で言うが、
バーリェのそれは人間と同様に、
いやそれ以上に危険な症状だ。
787 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:49:51.79 ID:7tAhBmUl0
内臓のどこかが損傷している可能性が高い。

「命! 本部に電話だ。緊急ラインを使え、急げ!」

「お姉様……? お姉様……」

霧がわななきながら声を張り上げた。

「お姉様、しっかりしてください! お姉様!」

「命まだか!」

色をなくして、すがりつこうとする霧を
手で押しとどめ、絆は怒鳴った。

命が壁のインターホンから本部の緊急ラインに
通話して、絆の方を見る。

「繋がりました!」

「ヘリを呼べ! 車じゃ間に合わん!」
788 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:50:22.18 ID:7tAhBmUl0
「わ、分かりました!」

頷いて命が上ずった声で用件を伝える。

雪はぼんやりとした濁った目を絆の方に向けると、
その頬に手を伸ばして、掠れた声で言った。

「大丈夫…………じゃないみたい…………」

「気をしっかり持て! 
大丈夫だ。すぐに病院に連れてってやる!」

絆が大声を上げる。

優と文も色をなして近づいてきていた。

雪は

「……ごめん、なさ……」

と一言だけ言うと、力なく首を垂れた。
789 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:50:52.65 ID:7tAhBmUl0
その半開きになった口から、血が糸を引いて流れる。

絆は血の気が引いて、雪を強く抱きしめた。

まだ心臓は動いている。

間に合う。

「くそ、まだか! まだなのか!」

命に怒鳴っても仕方ないと思いながら、声を荒げる。

命は半泣きになって、震える手を口元に当てて首を振った。

分からないと言いたいらしい。
790 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:51:26.48 ID:7tAhBmUl0
雪の限界は、とっくの昔に過ぎている。

無理な臓器移植で、
その命をながらえさせていたに過ぎない。

その限界が訪れただけのこと。

そう、思うことは出来なかった。

しばらくして小型の軍用ヘリコプターが、
ラボの屋上に着地した振動が建物を揺らした。

「俺は雪を連れて行く。
命、ホットラインはずっと繋いでおけ!」
791 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:52:00.19 ID:7tAhBmUl0
「わ……分かりました!」

「私も行きます! 連れてってください!」

霧が声を張り上げた。

「勝手にしろ!」

絆はそう怒鳴ると、雪の点滴をむしりとり、
彼女を抱えて屋上に向かって走り出した。

それに慌てて霧が続く。

――死なせはしない。

絶対に。

絆はそう心の中で何度も反芻し、唇を強く噛んだ。
792 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/10(土) 21:53:27.21 ID:7tAhBmUl0
お疲れ様です。

次回の更新に続かせていただきます。

Wikiをまとめていただきました!!

http://ss.vip2ch.com/jmp/1329739172

是非ご活用ください!

ご意見やご感想、ご質問などありましたら、
どんどんいただけますと幸いです。

それでは、今回は失礼します。
793 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/03/11(日) 00:24:27.69 ID:+B2Kemi4o
おつんつん
794 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/11(日) 12:18:18.37 ID:i8xX8xVso
795 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:06:17.93 ID:Jwqg5rEa0
こんばんは。

続きを書きましたので投稿させていただきます。

体調を崩しまして、少量になりますがご了承ください。

それでは、お楽しみいただけたら嬉しいです。
796 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:08:54.03 ID:Jwqg5rEa0
手術室の前で、
絆は背中を丸めて椅子に座り込んでいた。

その隣では、霧が顔を伏せて椅子の上で
小さくなっている。

すでに、雪が倒れてから数時間が経過していた。

これまで、霧とは一言も喋っていない。

しばらくして渚がヒールのかかとを鳴らしながら
こちらに歩いてきた。

そして手に持っていた
温かいコーヒーのカップを絆に差し出す。

「どうぞ。落ち着きます」

それを受け取り、絆は深く息をついた。
797 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:09:34.85 ID:Jwqg5rEa0
黒い水面に、憔悴した自分の顔が映っている。

渚はもう片方の手に持っていたココアを霧に渡し、
また口を開いた。

「……あの子の寿命は、
もう超過しているのではないのですか?」

絆は弾かれたように顔を上げた。

そして押し殺した声で渚に言う。

「あんたに何が分かる……!」

「何も分かりません。
ですから、私はあの子が可哀相だと思います」

珍しくはっきりと渚が言った。

「可哀相……?」
798 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:10:20.59 ID:Jwqg5rEa0
霧もポカンとして渚を見ていた。

絆は一瞬躊躇した後、声を低くして彼女に言った。

「意味が分からない。可哀相だって?」

「はい。あの子はもう十分に『役目』を終えました。
そろそろ楽にしてあげてもいいのではないでしょうか?」

「あんたの口に出す問題じゃない……! 
あの子のトレーナーは俺だ。
俺の方針に口を出さないでもらいたい」

「絆執行官。それは……あなたのエゴではないですか?」

渚に静かにそう言われ、絆は口をつぐんだ。

――エゴ?

エゴだって?
799 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:11:01.50 ID:Jwqg5rEa0
雪を生かそうとしているのは、単なる絆のエゴで。

死なせてやることが優しさだと、この女は言うのか?

「殺すことは……」

絆の脳裏に絃の姿がフラッシュバックする。

「殺すことは救うことじゃないぞ!」

思わず大声を上げる。

渚は口をつぐんで視線を伏せた。

「絆執行官、あなたは愛ちゃんというバーリェが
死んだ時から、挙動がおかしい点が見られます」

小さな声でそう言われ、
絆は噛み付かんばかりの勢いで彼女に言った。

「おかしい? 俺がおかしいだって?」
800 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:11:36.97 ID:Jwqg5rEa0
「…………」

「……おかしいのはお前らだろう!」

また豹変した絆の様子に、
霧が完全に怯えて小さくなる。

「本部は、あなたの監査役として私を任命しました。
私はあなたのことをを監査しています」

渚が言ったことを聞いて、絆は口をつぐんだ。

薄々感じてはいたことだった。

渚が妙に絡んでくると思っていたのだ。

愛が死んでから、確かに絆の挙動はおかしくなった。

前に見られないくらい感情的になったし、
何より戦闘を、バーリェの死を
恐れるようになっていたと自分でも思う。
801 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:12:14.50 ID:Jwqg5rEa0
本部もそれを察知していたらしい。

渚は黙り込んだ絆に言った。

「今のあなたは、トレーナーとして不適任だと
私は思います。
少し、距離を置いた方がいいのではないですか?」

言葉を返すことが出来なかった。

絆は手元のコーヒーの水面をじっと見つめた。

霧に適応できなかったのは、
彼女が悪いのではなく絆自身だ。

渚の言うとおりだった。

「俺は……」

彼が口を開いた時だった。
802 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:12:53.99 ID:Jwqg5rEa0
コツ、コツという早足で歩く足音が聞こえてきて、
絆たちは長い廊下の向こうに視線を向けた。

女性職員を二人引き連れた本部局長、駈が、
腰に手を回して足早に歩いてくるところだった。

座ったままの絆の前に止まって、
彼はサングラスを指先でクイッ、と上げて言った。

「絆執行官、出撃だ」

「え……」

思わず問い返してしまった彼に、駈は無情に続けた。

「サナカンダに新しい死星獣が出現した。
既に本部のトレーナーは出撃が完了している。
新しい個体だ。そのバーリェを使用することを命令する」
803 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:13:26.23 ID:Jwqg5rEa0
言われた霧がビクッとして小さくなる。

駈はポカンとしている絆に再度言った。

「どうした? 出撃だ。準備をしろ、絆執行官。
それと、今回はヒトガタAAD七○一号、
陽月王に新しいシステムを組み込んである。
君のバーリェをもう一体、ラボから搬送する。
G67だ」

「……デュアルコアですか?」

絆が我に返り、押し殺した声で聞く。

デュアルコア。

事前に資料を渡されて読んでいたが、
実装されるとは思っていなかった。
804 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:13:56.08 ID:Jwqg5rEa0
バーリェを二体使用して、
AADを動かすシステムだ。

今まで以上に安定した出力と操作が見込める。

だが……G67とは、命のことだった。

「G67は、陽月王の稼動領域に達していませんが……」

絆がそう言うと、駈は淡々とそれに返した。

「君はS93(霧のこと)を甘く見ているな。
問題ない。今回はS93とG67を使用せよ。
元老院からの命令だ」

そう言えば黙るとでも思っているのだろうか。

絆はコーヒーを床にぶちまけ、
椅子を蹴立てて立ち上がると駈の胸倉を掴み上げた。
805 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:14:32.46 ID:Jwqg5rEa0
そしてそのまま、彼を壁に叩きつけて、
スーツを捻り上げる。

女性職員二人と渚が、小さく声を上げて硬直する。

霧も同様だった。

サングラスの奥の瞳を淡々と光らせ、
駈は静かに聞いた。

「何をする?」

「あんた達は……あんた達はおかしい。
こんなの人間がやることじゃない。
そこまでして生き延びたいのか! 
そこまでしてあんた達は、
自分達さえ良ければそれでいいってのか!」
806 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:15:06.71 ID:Jwqg5rEa0
「おかしいのは君の方だろう、絆執行官」

駈はそう言って、絆の手を掴んで脇にはらった。

スーツのしわを直して、
彼は荒く息をしてこちらを睨んでいる絆に、
淡白に言った。

「ともかく戦闘だ。無論今回も、君は現場に
行ってくれるんだろうな? 
陽月王は三人乗りのシートに改装されている。
安心したまえ」

駈はくるりと背中を向けると、
絆に向かってひらひらと手を振った。

「今回もいい戦果を期待している。
頑張って我々の命を守ってくれたまえ」
807 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/11(日) 18:15:58.29 ID:Jwqg5rEa0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想、ご質問などございましたら、
何でも書き込みをいただけると嬉しいです。

それでは、今回は失礼します。
808 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/03/11(日) 18:20:44.00 ID:Yvq+MWBMo
7xから来て、ここでは3話から読んでるよ
サイトの方のはTRAINERの人物紹介も読んだよ
正直、たまらんねこの作品
空気を醸すのが上手いから、読解力ない俺でも入り込めた
完結を期待してるー
809 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/03/11(日) 18:23:32.61 ID:Yvq+MWBMo
つか、風邪らしいね
体調には気をつけろよ
810 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/11(日) 22:38:26.45 ID:i8xX8xVso
811 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/11(日) 22:59:33.88 ID:DTnTowbuo
812 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:18:33.57 ID:Lwpj/Fjf0
こんばんは。

お越しいただき、ありがとうございます!

7xさんには、お世話になっています。
この場をお借りして、お礼を言わせてください。
本当にありがとうございます。

きちんと完結まで駆け抜けたいと思います。
お付き合いいただけますと幸いです。

皆様も風邪にお気をつけください。
今年の風邪はタチが悪いです……。

それでは、続きが書けましたので投稿させていただきます。
813 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:22:07.66 ID:Lwpj/Fjf0
時間はなかった。

陽月王のコクピットに、
有無を言わさずと言った感じで詰め込まれる。

まるで、絆が現場に直接出向くのが
当たり前であるかのように。

隣に霧が座り、陽月王を乗せたトレーラーが
動き出したところで、彼女はおずおずと口を開いた。

「マスター……?」

「…………」

絆はそれに答えなかった。

両手で頭を抱えて、背中を丸めていた。
814 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:22:59.37 ID:Lwpj/Fjf0
頭がこんがらがって、訳が分からなくなっていた。

雪が。

雪が死んでしまうかもしれない。

この戦闘をしている間に。

それは絆にとって、今の彼にとって、
とても「恐ろしい」ことだった。

それに、この戦闘で霧と命が死亡する確率は、
非常に高い。

また俺は。

俺は、殺さなければならないのか。

それ以前に、俺は生きて帰れるのか。
815 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:23:40.68 ID:Lwpj/Fjf0
そう、有体に言えば。

絆は、怖かった。

死ぬのが。

そして、目の前で死んでしまうのが。

手の届かないところで死んでしまうのが。

ただ、ひたすらに怖かったのだ。

震えて汗を垂れ流している絆を見て、
霧は少し躊躇したが、そっと手を伸ばして、
雪がいつもするように彼の手を掴んで、
自分の両手で包み込んだ。

そしてぎこちなく微笑んで、言う。

「大丈夫です。マスターのことは、
私が絶対に守ります」
816 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:24:18.53 ID:Lwpj/Fjf0
「…………」

絆は憔悴した目を彼女に向けた。

「だから、安心して私を使ってください。
私を、安心して殺してください。
そのことで私は、マスターを恨んだり、
天国で悪く言ったりはしません」

「天、国……?」

言葉を噛み締めるように繰り返す。

「天国だって……?」

「はい。私たちバーリェは、
死んだら天国に行けます。
雪お姉様が教えてくださいました」

霧はそう言ってまた微笑むと、
絆の手を、自分の胸にそっとつけた。
817 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:25:02.23 ID:Lwpj/Fjf0
「それって、とても素敵なことだと私は思うんです」

「素敵……? どうして?」

「だって、天国ではみんな、同じ存在になれるんです。
人間もバーリェも、みんな同じ。
均等な命として扱われるんです。
だから、天国で私は、マスターがいつか、
幸せにこの世を旅立って、そしていらっしゃるまで、
ゆっくりとお待ちしていようと思うんです」

「…………」

「だから、その時まで……その時まででいいですから……」

「…………」

「私を、好きになってくださいますか?」

絆は絶句していた。
818 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:25:40.42 ID:Lwpj/Fjf0
霧の口からそんな言葉が出てくるとは
夢にも思わなかった。

まさかロールアウトから数日の個体が、
ここまで自分を想っているとは考えがたかった。

それに、天国。

そんなものの存在を、
今更信じたことはなかったのだ。

それを雪が教えたということも、
絆に重大なショックを与えていた。

天国なんて、ない。

神様なんて、いないんだ。

そう言い聞かせようとして、
言葉を発することが出来ずに失敗する。
819 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:26:22.05 ID:Lwpj/Fjf0
絆の脳裏に、死んだ愛の姿が
またフラッシュバックする。

絆は、いつの間にか泣いていた。

片手で目を覆い、彼は強く歯を噛み閉めた。

――言いたくなかった。

そんなことは、絶対に言いたくなかった。

他のトレーナーと、エフェッサーと
同じにはなりたくなかったから。

だから、絶対に言いたくはなかった。

でも……。

彼は、小さく呟くように言った。

「俺は……………………」
820 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:26:58.49 ID:Lwpj/Fjf0
言いたくない。

そんなことは、もう言いたくないんだ。

でも……。

俺は、トレーナーで。

だから。

…………だから。

「お前のことは、大好きだよ……」

言ってしまった。

――言ってしまった。

絆は小さく震えながら、大粒の涙を零した。

ガチガチと歯が震えた。
821 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:27:41.93 ID:Lwpj/Fjf0
震えている絆を、別の意味でとったのだろう、
霧がそっと抱き寄せる。

「大丈夫です。マスターは絶対に死にません。
何故なら、私がいるからです」

「…………」

「大丈夫です…………」

段々と、心細そうに霧の声が、尻つぼみに消えていく。

霧は強く唇を噛んで、背中を丸めた絆の体をそっと撫でた。

そこで、陽月王のハッチが開いて、技師と、
病院服を着せられて連れられた命が入ってくる。

命は、絆の様子を見て一瞬言葉を失った後、
慌てて駆け寄ってきた。

「どうしたんですか! 絆さん!」
822 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:28:22.97 ID:Lwpj/Fjf0
「…………」

絆は答えることが出来なかった。

技師が無理やりに命を、絆と霧の後ろのシートに
座らせて、彼女の体にも霧と同じように
点滴やチューブを差し込んでいく。

「ちょっと待ってください! 
絆さんの様子がおかしいです!」

バーリェは備品だ。

備品がどう喚こうが、その声を聞く者はいない。

もがく命は両腕、両足をシートに固定されて、
身動きが取れないようにされてしまった。

両手で操縦桿を握るように指示されて、
命は必死に技師に訴えた。
823 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:29:02.46 ID:Lwpj/Fjf0
「降ろしてください! 
絆さんは戦える状態ではありません!」

「点検、異常なし」

「全ての設定をニュートラルへ。ハッチ閉まります」

機械的な音がして、陽月王のハッチが閉まった。

「絆さん、しっかりしてください! ここを……」

「黙りなさい!」

そこで霧が大声を上げた。

彼女は、ワインレッドの妙な色に変色を始めた瞳で
命を睨むと、押し殺した声で言った。

「私達はバーリェです! マスターを守らなければ
いけません。速やかに死星獣を倒して、帰還します!」
824 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:29:41.37 ID:Lwpj/Fjf0
『その通りだ。顔を上げたまえ、絆執行官』

プツリと音がして、駈の顔がモニターに表示される。

絆は歯を強く噛みながら、操縦桿を握った。

手がガクガクと震えている。

『今から陽月王をサナカンダに、高速エアラインで
緊急搬送する。既に現場のAADが、トップファイブも
含めて二十五機やられた。敵は最終的な防衛ラインを突破。
こちら、エフェッサーの本部に向かって侵攻している』

「ここに……向かって?」

『そうだ。これからデュアルコアシステムの
簡易的な説明を開始する。起動実験を兼ねた重要な戦闘だ。
気を抜くな』

絆の問いに完結に答えて、駈は続けた。
825 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:30:18.50 ID:Lwpj/Fjf0
『基本的なエネルギーラインはS93(霧のこと)が
担当する。G67(命のこと)、お前は陽月王の補助操縦と
予備電源を担当することになる』

ガコン、と陽月王が揺れて、トレーラーが浮き上がる。

サナカンダはここから高速エアラインで
三十分もかからない場所だ。

近い。

……近すぎる。

ここに向かって侵攻しているというのも気になった。

しかしその時の絆には、それを追求する余裕も、
心の隙間もなかった。

名前を呼ばれた霧と命が緊張する。
826 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:31:00.92 ID:Lwpj/Fjf0
霧が

「分かりました……!」

と押し殺した声で言って、
目を閉じて意識を集中させた。

『エネルギー抽出ノラインヲ九十七倍デオーバー。
全テノシステムヲ起動シマス。
ジャンクション。オールグリーン』

……九十七倍?

絆は弾かれたように顔を上げて、
機械音声が示した数値を、思わず計器で確認した。

雪よりも強い。

そして安定している。

「ね、大丈夫です……」
827 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:31:37.51 ID:Lwpj/Fjf0
少し苦しそうに言って、霧がニコッと笑う。

『起動はクリアしたようだな。詳細の説明に移る』

唖然としている絆をよそに、
駈は淡々と事務的な操作説明を行っていった。

やがてまたガコン、とトレーラーが振動して、
陽月王の入っているボックスの入り口が開く。

……駈の話など、ほんの少ししか
頭に入っていなかった。

手が震えて仕方がない。

怖い。

降りたい。

帰りたい。
828 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:32:22.89 ID:Lwpj/Fjf0
頭の中を、パニックに陥った少女のような
思考が駆け巡る。

『では、健闘を祈る』

プツリと音がして駈の通信が切れる。

次いで画面に渚の顔が表示された。

『死星獣は十一時の方角、F477地区を侵攻中です。
軍は撤退しました。
残存しているAADと共に叩いてください』

「…………」

『絆執行官?』

様子がおかしい彼に気付いたのか、
慌てて渚が問いかける。
829 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:33:07.60 ID:Lwpj/Fjf0
『返答してください。戦闘は既に開始されています! 
重力量子指数増大、指向性流動波観測! 
敵に陽月王が捕捉されました!』

「…………」

『絆執行官!』

絆は答えなかった。

いや、答えることが出来なかった。

震えを、歯を強く噛むことで抑えるだけで
精一杯だったのだ。

「マスター、行きます」

「絆さん……」

霧がそう言って意識をまた集中させる。
830 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:33:43.07 ID:Lwpj/Fjf0
『全テノ設定ヲパーンクテンション。
行動指数、レディ。視界確保、レディ。
全武装ノロックヲ解除』

――何だって?

全武装のロックを解除と、機械音声が今言った。

陽月王にはブラックボックスがある。

愛が死んだ際に使った武装などがそれだ。

詳細はエフェッサーは語ろうとしなかったことで、
いくら追求しても分からなかった。

試そうとしたが、雪の起動エネルギーでも
全武装ロックの解除は出来なかったのだ。

それをいともたやすく行った霧のエネルギー。

図抜けすぎている。
831 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:34:17.67 ID:Lwpj/Fjf0
「う……動かします」

そこで、命が緊張した声でそう言って、
操縦桿を押した。

陽月王のキャタピラが回転し、鈍重な機械兵器は、
アスファルトの地面を抉りながら市街地に飛び出した。

そしてそのまま、近くのビルに肩から衝突する。

ものすごい音と衝撃がして、まるでレゴブロックの
玩具のようにビルが崩れ落ちた。

一瞬でガレキの山になったそこに、陽月王が膝をつく。

もうもうと立ち込める砂煙の中、霧が怒鳴った。

「何をしてるの! ちゃんと操縦しなさい、G67!」

「ご……ごめんなさい!」

命が半泣きで言って、操縦桿をまた押し込む。
832 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:34:48.82 ID:Lwpj/Fjf0
彼女の脳波に感応して、
陽月王は体勢を立て直すと、
今度は低速で前に進み始めた。

既に市民の避難は完了しているようだった。

人気のない街。

停まっている車や信号機を薙ぎ倒しながら、
やっとのことで陽月王は前に進む。

「く……っ、私が操縦できてれば……!」

霧が苦しそうに息をしながら歯噛みする。

命がそこで、小さく叫び声を上げた。

慌てて絆も顔を上げる。

『攻撃が来ます。回避してください!』
833 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:35:27.47 ID:Lwpj/Fjf0
渚の声と同時に、何かが飛んでくるのが見えた。

そこで、命の体がビクッ、と動いた。

途端、陽月王のキャタピラが高速で回転し、
それはダンッ、と地面を蹴ると、アスファルトを
砕き散らしながら飛び上がった。

シートに固定されている命が、反射的に「避けよう」と
した行動を、そのまま純粋に陽月王がなぞったのだ。

そのまま陽月王は、補助ブースターを点火させて
バランサーを起動させながら、綺麗に二回連続で宙転した。

その、今まで彼らがいた場所に何かが突き刺さり、
次いで凄まじい爆炎を上げた。

柱型の炎が噴き上がり、雲まで抜ける。
834 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:36:02.35 ID:Lwpj/Fjf0
三つ。

命が本能的に避けなければ、死んでいた。

その単純な事実に思わずゾッとする。

命は息を切らして大粒の汗を流しながら、何度も頷いた。

「分かりました! 動かせます。私、戦えます!」

「話してる暇があったら攻撃して!」

霧が怒鳴る。

「ロングレンジのエンクトラル砲を使用します!」

命は、頼りない声を張り上げた。

彼女達には、生まれつき戦闘プログラムがセットされている。

その記憶が鮮明に浮かび上がり、命の脳波を制御する。
835 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:36:35.85 ID:Lwpj/Fjf0
陽月王が背負っていたバックパックから、
何段階かに分かれた熱砲が競りあがり、
前面に展開した。

「敵を視認しました!」

命が叫び声のように言う。

顔を上げた絆は、戦慄した。

ニンゲン。

そう見えた。

もうもうと立ち込める熱気と砂煙の向こう側に、
全高二十メートルはあるだろうか。

白いスベスベとした体表の「何か」が、
背中を丸めて立っていた。
836 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:37:54.87 ID:Lwpj/Fjf0
四肢があった。

のっぺらぼうの頭があった。

指が五本。

足の指も五本。

ズズ……とその足を持ち上げて、
「それ」はビルを踏み潰しながら前に体を進めた。

踏みつけた部分が、一瞬で塵になって消えた。

足から周囲十メートルほどが、
すり鉢型の塵になって霧散していく。

顔面にあたる場所には、
口の部分にポッカリと穴が開いていた。

そこから見えるのは向こう側ではなく。

「何も」なかった。
837 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:38:38.30 ID:Lwpj/Fjf0
虚無だった。

光も何も存在していない。

黒ではない。

虚無だ。

そこが一瞬だけカメラのフラッシュのように光り、
唾のようなものが、陽月王に向かって吹き飛ばされた。

「は……発射します!」

半分泣きながら命が甲高い声を上げる。

途端、陽月王の砲身から、凄まじい量の
「黒い」エネルギーが発射された。

それに当たったビルが、シュッ、と
気の抜けた音を立てて、綺麗に円形に「消滅」する。
838 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:39:25.20 ID:Lwpj/Fjf0
――消滅した。

まるで、死星獣のブラックホール粒子のように。

そしてヒトガタ死星獣の発射した唾に
打ち当たると、空中で球形の爆炎を上げた。

また命が陽月王の脚で地面を蹴り、
宙転して死星獣から距離をとる。

目を焼く光。

そして、通信計器の異常。

先ほどから渚の通信が、
ノイズ混じりで全く聞こえない。

それは、周囲にブラックホール粒子が
広がったことを示唆しており。
839 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:39:54.46 ID:Lwpj/Fjf0
ブラックホール粒子が広がったということは。

陽月王は、死星獣の攻撃を「防いで」、
そして「破壊した」ということになる。

死星獣の体は、バーリェの生体エネルギーで中和が可能だ。

しかし今回は、中和して消滅させたのではない。

破壊したのだ。

その違いが持つ重要性に絆は気がつき、生唾を飲み込んだ。

「ブラックホール粒子を……発射した……?」

呟く。

相殺したのだ。

敵の発したブラックホール干渉空間と、同じ力で。
840 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:40:33.38 ID:Lwpj/Fjf0
そしてビルの不自然な消え方も、
その確信を深めるには十分過ぎるものだった。

陽月王は、死星獣と同じブラックホール粒子を発射した。

霧のエネルギーを。

……それはつまり、彼女のエネルギーは
ブラックホール粒子を含んでいるのと同意義であり。

彼女が、「死星獣の臭いをさせていた」理由でも
あることに、絆は気がついたのだ。

おそらく霧には、雪と絆が破壊した死星獣の体細胞から、
何らかの組織が使われている。

つまり、雪と死星獣の融合体。

それが霧なのだ。
841 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:41:08.32 ID:Lwpj/Fjf0
「お前ら……お前ら!」

絆は操縦桿を手で叩いた。

「くそ……! くそ!」

人のやることじゃない。

こんなの、人がやることじゃない。

しかしバーリェ二人は、絆の怒号に反応するより
早く、陽月王の制御と操縦に意識を集中した。

ヒトガタ死星獣が手を伸ばし、周囲を飛び回っていた
トップファイブの戦闘機型AADを無造作に掴む。

バーリェが乗っている。

それをボンッ、と小さく爆炎を立てて握りつぶし、
白い巨人はまた足を踏み出した。
842 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:41:46.55 ID:Lwpj/Fjf0
「迫撃戦で一気に勝負をつけるわよ!」

「分かってます!」

命が霧に怒鳴り返し、二度、三度と
ロングレンジ砲を発射する。

また死星獣が唾を吐き、空中で
ブラックホール粒子同士がぶつかって、
大爆発を起こした。

キャタピラを回転させながら陽月王が後退する。

「本部、応答してください! 
迫撃戦用のブレードを射出してください!」

霧がマイクに向かって声を張り上げる。

しかし、周囲に充満しているブラックホール粒子の
せいで、通信が阻害されて通じない。
843 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:42:30.99 ID:Lwpj/Fjf0
ノイズしか返ってこないことに
歯噛みした霧に、命は

「け、肩部ブレードを展開します! 
迫撃ですね! 行ける!」

と怒鳴って、陽月王の肩からブレードを抜き放った。

それは何段階かに競りあがると、
瞬く間に長さ五メートルほどの長大な
ブレードに変化した。

黒い粒子を刃の周りにまとわりつかせながら、
陽月王がヒトガタ死星獣に向かって、
高速でキャタピラを回転させる。

次の瞬間、背負っているブースターのエンジンが点火して、
機械兵器は凄まじい速度で前方に向かって吹き飛んだ。

そのGに耐え切れずに、絆と霧が小さく悲鳴を上げる。

命は、しかし目を妙な色に輝かせながら叫んだ。
844 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:43:14.27 ID:Lwpj/Fjf0
「殺せる……! 私は殺せる! 
私が、私がやるんだ! 
私があの化け物を、殺すんだ!」

訳の分からない叫び声を上げながら、
命が操縦桿を千切らんばかりに強く握り締める。

陽月王が、まさに目にも留まらない
スピードで腕を振り、ヒトガタ死星獣の
足の間を駆け抜けた。

次いで、死星獣の両足が、膝部分から
両断されて爆発した。

ブースターを逆噴射させてその爆炎に飛び込み、
陽月王は、すり鉢型に変化した地面を蹴った。

鈍重な機体が、十数メートルも宙に浮いた。

「あああああああ!」
845 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:43:52.71 ID:Lwpj/Fjf0
命が振り絞るような声を上げて、
陽月王のブレードを突き出した。

ヒトガタ死星獣の口の穴にブレードが突き刺さり、
そのままブースターの噴射力で、
陽月王は肩から相手にぶつかった。

凄まじい衝撃が絆達を襲う。

「あは……あはははははは!」

命が笑った。

どこか正気を失った目で、彼女は甲高い声で笑った。

「死ね……! 死ねえええ!」

ドズンッ、と死星獣に馬乗りになった姿勢で
陽月王が着地する。
846 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:44:30.94 ID:Lwpj/Fjf0
命は炎を噴き上げている死星獣の口から
ブレードを抜き放つと、相手の体のいたるところに、
ところ構わず突き刺し始めた。

「死ね! 死ね! 死ね! 死ねええ!」

絆が初めて見る、命の感情が爆発した瞬間だった。

圧倒的な恐怖と、一割の狂気。

無理やりに気を失いそうな自分を奮い立たせ、
無理やりに自分を押し殺し、
感情と恐怖の間にせめぎあい。

結果。

命は狂った。

「うわああああああ!」

絶叫して、命は死星獣の首を陽月王の手で掴んだ。
847 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:45:14.48 ID:Lwpj/Fjf0
そしてギリギリと締め上げはじめる。

「死ねええええ!」

『ゲゲ………………ゴ………………』

そこで、死星獣が喋った。

それは、締め上げられて出たただの音
だったのかもしれない。

ただ、それは絆の耳に、断末魔の叫び声の
ように聴こえ。

彼は、思わず立ち上がると、
操縦桿を握っている命に覆いかぶさった。

「やめろ! もういいやめろ!」

『ゲ………………ゴ………………』
848 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:46:19.07 ID:Lwpj/Fjf0
死星獣の腕が、力を失ってパタリと倒れる。

そしてそれは消えずに。

ただの、物言わぬ躯と化した。

「うわあああ! うあああああ!」

ブンブンと首を振り叫び声を上げている
命を強く抱きしめ、絆は必死に叫んだ。

「やめるんだ! もう死んだよ、怖い奴は死んだ! 
お前がやったんだ、大丈夫だ。もう大丈夫だから! 
だから……!」

慌てて命を拘束しているバンドを緩めて、彼女を抱き上げる。

命は絆にしがみつくと、
堰が切れたように大声で泣き喚き始めた。

「大丈夫だ命! 帰ろう、帰ろう俺達の家に
……一緒に帰ろう!」
849 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:46:50.75 ID:Lwpj/Fjf0
「もうやだ……もうやだよお……やだあ
……私殺しちゃった、殺しちゃったあ……」

命が上ずった声で呟く。

そこで、霧が苦しそうに

「マスター!」

と怒鳴った。

ハッとして絆が顔を上げる。

しかし、命の反応の方が早かった。

彼女の方が、早かった。

命は泣きながら絆を突き飛ばした。

コクピットの中を転がって、絆が倒れる。
850 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:47:25.36 ID:Lwpj/Fjf0
その目に、死星獣の死骸から
浮き上がってきた正方体が映った。

――コア。

そう思った時には、もう遅かった。

コアはキュル、と音を立てて針のような形状になると、
何の加速もなく、コクピットめがけて吹き飛んできた。

そして。

コクピットのハッチをやすやすと突き破り、
今まで絆がいた場所を性格に貫いて、陽月王を串刺しにした。

「あ……」

小さく呟く。

命が。

――いなくなっていた。
851 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:48:00.54 ID:Lwpj/Fjf0
「マスター! 離れてください!」

霧が絶叫して、陽月王のコクピット側部についていた
スイッチを覆うガラスを叩き割った。

そしてボタンを手で叩きつける。

――緊急回避用の、補助ブースターの点火装置だった。

陽月王の補助ブースターが点火して、
鈍重な機体が後ろに吹き飛んだ。

絆は必死に、今まで命が座っていた席によじ登ると、
地面を転がった陽月王の操縦桿を握った。

そして計器を操作して、機体のバランサーを安定させる。

地面を滑った陽月王のロングレンジ砲を最大出力に上げ、
絆はまたこちらに向けて吹き飛んできたコアに向けて、
霧のエネルギーを放った。
852 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:48:32.16 ID:Lwpj/Fjf0
ジュッ、という音がしてコアが消滅する。

次いで。

霧が血を吐いた。

『エネルギーライン不安定。補助電源に切り替えます』

痙攣している霧に、這うように近づいて、
絆は彼女を抱き寄せた。

「霧……?」

「マス……ター。無事ですか……?」

霧がニッコリと微笑む。

絆は微笑み返そうとして失敗し。

動きが止まった陽月王の中で、コクピットを見回した。
853 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:49:01.81 ID:Lwpj/Fjf0
半径二メートルほどの範囲で、
円形に陽月王の胸部が消え去っている。

少しでも。

命が絆を突き飛ばすのが少しでも遅れていたら。

死んでいた。

体が震えた。

絆は強く霧を抱きしめて、そして歯を強く噛んだ。

目を、潰れんばかりに閉じ絞る。

バキッ、と音がして奥歯が割れた。
854 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:49:28.12 ID:Lwpj/Fjf0
「…………命が……命がぁ……」

情けない声が出た。

霧が、そっと絆の背中に、血に塗れた手を回す。

「死んだ………………」
855 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/12(月) 18:50:40.79 ID:Lwpj/Fjf0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

沢山のご感想などありがとうございます!

引き続き、ご意見やご感想、ご質問など
ございましたら、書き込みいただけると嬉しいです。

それでは、今回は失礼します。
856 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/03/12(月) 19:02:14.59 ID:kKcj3HrIo
おつつ
霧はこないだの回収した死星獣の破片を使ったのか
857 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/12(月) 19:57:48.42 ID:IkulTWzSO
命のあっけない死に方がリアルだな
悲しみよりも虚無感が来るのが凄まじい
858 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/03/13(火) 04:16:23.30 ID:2WGfabEio
救いがないな
859 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/13(火) 08:13:32.09 ID:x40Pq4SIO
体調は大丈夫かい?
無理せずな〜
860 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/13(火) 11:58:48.00 ID:BK4GExD0o

すげー面白い
861 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 19:52:54.87 ID:QIS4O4kK0
こんばんは。

体調は中々安定せずに苦心しています。

明日時間を作って病院に行ってこようと思います。

そのような理由で、あまり大量に更新できませんが、
ご了承ください。

皆様もお風邪など召しませんよう。

それでは、続きが書けましたので投稿させていただきます。

今回の更新分で第三話は終了となります。

お楽しみいただけますと幸いです。

862 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 19:55:33.13 ID:QIS4O4kK0
気がついた時、絆は病院のベッドの上にいた。

仰向けに寝かされていて、
体には毛布がかかっている。

動こうとして腕に違和感を感じる。

両腕に点滴がいくつも突き刺さっていた。

体中がだるい。

熱が出ているのか、意識が朦朧としていた。

奥歯が痛い。

何か詰め物がされているらしい。
863 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 19:56:43.65 ID:QIS4O4kK0
「目が覚めましたか? まだ麻酔が効いていると
思います。足の骨が折れています。
動かない方がいいです」

そこでそっと声を掛けられ、絆は視線を横に向けた。

椅子に、渚が腰掛けていた。

赤い目のクランベは、リンゴをナイフで
剥き始めながら、絆に言った。

「あなたは丸一日眠り続けていました。
ご安心ください。あなたのバーリェは、
生き残っている子は全てこちらできちんと保護しています」

「生き……残った……?」

繰り返して、絆はくぐもった声で問いかけた。

「命は……? 霧は、雪は…………?」
864 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 19:57:31.20 ID:QIS4O4kK0
「…………」

渚は一瞬黙ると、息を飲み込んでから口を開いた。

「霧ちゃんは無事です。雪ちゃんも、先ほどやっと
調整が完了しました。二人とも臓器の交換をしましたが、
意識がはっきりしています。
でも、雪ちゃんはあと一週間は集中治療室を
出れないと思います」

「………………」

絆は長い間沈黙していた。

そして、やっと、奥歯から湧き上がってきた血を
飲み込んで言った。

「命は……?」
865 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 19:58:09.65 ID:QIS4O4kK0
良く思い出せなかった。

死星獣を殺したと思ったら。

コアが変形して。

そして、命に突き飛ばされて。

あとは無我夢中で。

――思い出すことを、したくなかった。

「…………」

渚は、何とも言えない陰鬱とした
表情で絆を見下ろした。

そして息を吸って、小さく言う。
866 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 19:58:46.40 ID:QIS4O4kK0
「……死にました。遺体は確認されていませんが、
陽月王のデータから推測するに、死星獣の発する
ブラックホール粒子を真正面から受け止めて、
消滅したと思われます」

「消滅……?」

絆は、渚が止めようとするのも構わず上半身を、
無理やりに起こした。

「消滅……? 意味が分からない。
消滅ってどういうことだ……?」

「…………」

「死んだのか? ……跡形も残らずに?」

「……そうです」

「命が死んだ……? 俺を、庇って?」
867 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 19:59:29.80 ID:QIS4O4kK0
「無理に思い出さないほうがいいです。
落ち着いてください」

「命は! 俺を守って死んだのか!」

「…………」

掴みかかられて、渚が体を強張らせる。

点滴台が凄まじい音を立てて倒れた。

肩をつかまれて、しかし視線をそらして
渚は口を開いた。

「そうです。あなたを庇って、
命ちゃんは死にました。私は……立派だと思います」

「…………」

絶句して、絆は渚の肩から手を下ろした。
868 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:00:07.46 ID:QIS4O4kK0
床に転がった剥きかけのリンゴが、
夕陽を反射して光っていた。

「せめてあなたが弔ってあげてください。
そうじゃないと、あの子はきっと浮かばれない。
あなたがしっかりしないと、あの子に失礼です」

「…………」

渚の言葉の意味が、良く分からなかった。

分からなかったが、絆は、自分自身の心が、
何かナイフのようなものでズタズタに切り裂かれて
いることを感じていた。

胸の奥が痛い。

頭の中が痛い。

死ぬ間際の、命の泣き顔がフラッシュバックした。
869 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:00:40.67 ID:QIS4O4kK0
声にならない叫び声を上げて、両手で頭を抱える。

――命。

命が、死んだ。

分かっていたことじゃないか。

目の前で、見ていたじゃないか。

なのにどうして理解できなかった、俺は。

どうして理解してやることが出来ない?

どうして、心の底から彼女を褒めてやることが出来ない?

――出来ない。

出来ない!

そんなこと、俺には出来ない。
870 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:01:12.85 ID:QIS4O4kK0
絆はわななきながら、自分の両手を見つめた。

死星獣を絞め殺そうとした命の顔が
また脳裏をよぎる。

辛かっただろう。

苦しかっただろう。

嫌だったろう。

嫌で、嫌で仕方がなかっただろう。

虫を殺すのも躊躇う子だった。

料理が得意で、家事が得意で。

絆の代わりに全部を担当してくれていた子だった。

優しい子だった。
871 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:01:53.39 ID:QIS4O4kK0
その子に、自分は何をさせた?

目の前でただ震えているだけで、
声をかけてやることも出来ないで。

自分は……俺は、何をしたんだ?

俺は……。

――俺は。

「最低だ……俺…………」

髪の毛を両手で掴む。

「俺、最低だよ…………」

嗚咽を漏らして、小さくかすれた声で呟く。
872 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:02:37.83 ID:QIS4O4kK0
「もう俺は戦えない…………無理だ。
俺にはもう出来ない……出来ないよ……」

かすれた声を無理やりに搾り出す。

渚は床に落ちたリンゴを拾って、しばらく
それを見つめた後、流しの上にコトリと置いた。

「元老院はあなたに勲一等を授与することを発表しました。
残念ながら、あなたはもう、
戦闘から遠ざかることは出来ません」

その残酷な死刑判決に、絆は憔悴した目を上げて彼女を見た。

「勲…………一等…………?」

「はい。そうです」

「命が死んだんだぞ! 俺のバーリェが死んだんだ! 
お前らおかしいよ! 勲章なんていらない、いらない! 
命を返せ! お前ら、勲章寄越すんなら命を返せ!」
873 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:03:10.05 ID:QIS4O4kK0
「……既に死んでしまった子を蘇らせることは、
無理です。冷静になってください。
それに、良く考えてみてください。
私達が、命ちゃんを育てたんじゃありません」

「…………」

「あなたが育てたんです」

渚の端的な言葉は、深く絆の、傷だらけの心を抉った。

その通りだった。

命を育てたのは他ならぬ絆自身。

いや、他のバーリェを育てているのも、絆だ。

何故育てているか。

戦闘で使うため。

使って、殺すために育てている。
874 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:03:48.02 ID:QIS4O4kK0
それがトレーナー。

それが、俺だ。

……絆は脱力して、ぼんやりと窓の外に目をやった。

――灰色の空。灰色の雲。灰色の町並み。

光化学スモッグに覆われた空は、青空を映すことはない。

作り物の緑、作り物の町並み。

作られて整備された道路。

そこを歩く人々の波。

何一つとして、整備されていないものは存在していない。

それが自然だと考えれば、きっとそうなのだろう。

それが当たり前だと考えれば、
何もかもが当たり前になるのだろう。
875 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:04:24.77 ID:QIS4O4kK0
作られた命。

作られた存在。

そして、作られた仕事。

自分はその中の歯車の一つに過ぎず。

その「悪」の一端を担っているに過ぎず。

それでも生きてしまっているのが、自分なのだ。

作り物の世界の中で。

作られた仕事をして、作られて敷かれた
レールの上をなぞって歩いて。

勲章を授与されて。

生きていって「しまっている」のが、自分なのだ。
876 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:05:08.86 ID:QIS4O4kK0
その事実に気がついた途端、絆の体から力が抜けた。

渚は点滴台を持ち上げて元に戻し、絆の手に針を
差し込みなおしてから、
服の乱れを直して椅子に腰掛けた。

そして、新しいリンゴを剥き始める。

シャリシャリという音が聞こえる。

……どこか、遠くで。

絆は、命がよく作ってくれたように、
綺麗なウサギ型に切られたリンゴを受け取って、
ぼんやりと視線を落とした。

黙ってそれを小さくかじる。

――腐ったドブ沼のような味がした。
877 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:05:45.90 ID:QIS4O4kK0
それを飲み込んだ絆の目に、
一瞬躊躇した後、携帯型映像端末を
取り出した渚の姿が映る。

「今、とても言いにくいことなのですが、
私の責務ですのでお伝えします」

ピッ、とボタンを押すと、白い壁に映像が投影された。

そこには、どこかの記者会見のようにテーブル前の
椅子に腰掛けた一人の男が映っていた。

画像は荒いが、すぐに分かった。

隣に髪が長いバーリェが、静かに座っている。

桜と、絃だった。

「三時間前に、絃『元』執行官が、
全世界に対してこのような声明を発表しました」
878 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:06:30.50 ID:QIS4O4kK0
またボタンを押すと、静止していた映像が動き出す。

どこかノイズがかった声で、映像の中の絃は言った。

『我々「新世界連合」は、本日三○五○に、
「人間諸君」に対して宣戦布告を行う』

「…………何……だって?」

唖然とした絆を前に、絃は続けた。

『暴虐を貪り、陰惨とした世界を創り上げた人間。
この狂った世界を創り上げた人間諸君を、我々新世界連合は、
この度粛清することを決めた。
それは我らの大義のためであり、人間諸君に、
生命は平等であると知らしめるためで、正義の行動である』

「…………」
879 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:07:17.71 ID:QIS4O4kK0
『ついては、バリトンのエフェッサー本部に
対して、我々は先日、保有する「死星獣」で攻撃を行った』

絃がそう言って、手元のプロジェクターを操作する。

そこには、絆が……いや、命が殺した
ヒトガタ死星獣が映し出されていた。

格納庫のような場所が映し出されている。

一体だけではない。

数十体のヒトガタ死星獣の姿があった。
880 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:08:17.45 ID:QIS4O4kK0
『攻撃は失敗に終わったが、
引き続き諸悪の根源であるエフェッサーの本部、
支部に対する攻撃を続けていく予定だ。
この予定は、エフェッサーが全滅するまで覆ることはない。
そして同時に、エフェッサーを全滅させた後、
人間諸君の残存者たちを皆殺しにするための布石である』

絃はプロジェクターの電源を切って、静かに続けた。

『繰り返す。この死星獣は、我らの保有する「戦力」である。
そしてこの死星獣による攻撃は、我々が人間諸君に対して行う
「天誅」であることを念頭においていただきたい。
男、女、老人、子供、人間は皆同罪だ。
等しく死んでいただくことと、我らは決めた』

絃は絆が見たことがない程に暗い笑みを発して、続けた。
881 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:09:11.03 ID:QIS4O4kK0
『我々はエフェッサー諸君、人間諸君に対して
何ら要求はない。ただ一つだけあるとすれば、
「速やかに死んでいただきたい」ということだけである。
これは最後通告であり、同時に宣戦布告の言葉とする。
以上だ』

ブツリ、と音を立てて映像が切れる。

呆然としている絆に、携帯端末をポケットに
しまいながら、渚が言った。

「全国の衛星放送をジャックして、二分三十秒の間、
強制放送されました。絃元執行官と考えて間違いはないと
いう結論に、エフェッサーは達しました」

「何で……」

絆はかすれて消えそうな声で呟いた。

「絃……? 何でだ……」
882 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:09:45.40 ID:QIS4O4kK0
「敵対勢力は、新世界連合と名乗っていること以外は
何も分かっていません。
しかし、コクピットへの死星獣による正確な攻撃や、
エフェッサー本部を目指して侵攻してきたことから、
この勢力と、あのヒトガタ死星獣は無関係ではないという
可能性が高いです」

「…………」

「エフェッサーと軍は、スラム地区がその本拠地と考え、
無差別に叩くことを計画しています」

弾かれたように絆は顔を上げた。
883 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:10:20.22 ID:QIS4O4kK0
「スラムを……攻撃するっていうのか?」

「はい。あの数のヒトガタ死星獣は、
我々人類にとって究極の脅威となります。
先に破壊する必要があります」

渚は、真っ直ぐに絆を見て言った。

「あなたには、体調が回復し次第、
その攻撃に参加していただきます。
これは軍、および元老院の最終決定であり、
あなたに拒否権はありません。私からも、お願いします……」

渚は、僅かに震える唇を隠すように、頭を深く下げた。

「私達の身を……守ってください」
884 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/13(火) 20:13:53.08 ID:QIS4O4kK0
お疲れ様でした。

第三話はここまでで終了となります。
次の、第四話に続かせていただきます。

ツイッターやスレで、沢山のご感想をいただきました!

とても嬉しく、励みにさせていただいています。

引き続き、ご意見やご感想、ご質問などございましたら、
お気軽にいただけますと幸いです。

それでは、完結まで今しばらくお付き合いいただけますと
嬉しいです。

宜しくお願いいたします。

今回は、これで失礼します。
885 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/13(火) 20:30:27.98 ID:7OhPHj690
乙←これはポニt(ry
絃ェ…
886 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/03/13(火) 20:38:36.51 ID:j+jPzlxmo
無論、私は国籍や肌の色 老若男女貴賎を区別しない
皆平等に殺して差し上げる…
887 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/03/13(火) 20:52:42.58 ID:+zMWpOFzo
体調悪いのに頑張ったな、お疲れ
3話か・・・3話にして重いなぁ・・・
888 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/13(火) 22:42:28.28 ID:psHW8/7SO
悲しむ暇もなし、とはこの事か。混乱から立ち直れば待ってる感情は憎悪だろうことが想像に難くないのが、却って辛いな
ともかく第三話お疲れ様でした。第四話首を伸ばしながらお待ちいたします。

何卒、お身体にはお気を付けて
889 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/13(火) 23:05:22.45 ID:5srZb+SDo

体調が回復するまで休んだ方がいいと思うよ
890 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/03/14(水) 01:22:01.99 ID:oKftZJqao
891 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/03/14(水) 03:07:17.03 ID:sm2sn1m0o
体調が変化しやすい・・・
さてはバーリェだな!?
892 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/14(水) 07:24:04.37 ID:SI8LsaAIO
やはり>>1はバーリィなのか…
893 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/03/14(水) 21:30:55.27 ID:NQDNc24x0
一気読みしたw

なんか少しGUN SLlNGER GIRL 思い出したわw

1さんお大事に
894 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/15(木) 19:15:39.36 ID:tPD7sFVG0
こんばんは。

バーリェよろしく体調を思い切り崩しまして、
少し臥せっております。

ご心配をおかけします。

近日中に4話の更新を再開しますので、
お待ちいただけますと幸いです。

ツイッターでご指摘をいただきましたが、バーリェの
型番が被っている&間違っていることに気付きました。

訂正させてください。

雪=D77、桜=H36、命=G67、霧=S93
となります。

桜と命が同一人物&霧が二人いることに
なってしまっていました。申し訳ありません。

引き続き、ご意見やご感想、ご質問などございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

これからも、宜しくお願いいたします!
895 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/03/16(金) 16:24:47.67 ID:VgDdNjLK0

なんかすごい展開にww
896 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:16:26.46 ID:+JFYchrD0
こんばんは。

沢山の温かいメッセージ、ありがとうございます。

急性扁桃腺炎だったようで、段々落ち着いてきました。

皆様も風邪などにはお気をつけくださいね。

続きが書けましたので、投稿させていただきます。

お楽しみいただけましたら幸いです。
897 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:19:30.27 ID:+JFYchrD0
4.小春色の叫び

花が咲いていた。

ピンク色の花びらが舞い散っていた。

バイオ技術で管理された自然の中、灰色の空の下。

その花は、ただひっそりと咲いていた。

排気ガス臭い空気がなびき、また花びらが散った。

それは整備されたコンクリートの地面に落ちると、
静かに横たわった。

そしてひときわ強い風が吹いて、
どこかに消えていってしまった。

俺は、またひらひらと落ちてきた花びらを手で掴んだ。

手の中で僅かに震えるそれをくしゃりと握りつぶし、
風の中に放る。
898 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:20:11.39 ID:+JFYchrD0
――声が、聞こえた気がした。

幸せな声が。

楽しそうな声が。

しかし、振り返った先には何もなかった。

ただ漫然としたピンク色の花びらが舞っているだけだった。

過ぎ去った日。

過ぎ去ってしまった日。

もう戻らない日々。

もう返らない日々。

しかし、去年と、その前と同じようにこの花だけは咲いた。

憔悴した目で、周りを見回す。
899 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:20:49.64 ID:+JFYchrD0
くすんだ視界に映るのは、何もない、
ただ花が咲き乱れる空間。

そして一本の樹の根元に、ひっそりとたたずんでいる、
一抱えほどの石だった。

そこに近づいて、俺は石に粗雑に彫られている
「名前」の一つを見た。

それを指でなぞる。

自然と、涙が出た。

何故泣いているのか、何が悲しいのか。

この期に及んでも俺はまだ、良く分からなかった。

分からなかったが。

悲しかった。

苦しかった。
900 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:21:23.06 ID:+JFYchrD0
手を伸ばして、樹から花がついた枝を一本折り取る。

そして俺は、そっと石の前にそれを置いた。

両手で頭を抱えて、俺は泣きながら石の前に膝をついた。

もう戻らない日々。

もう返らない日々。

ピンク色の花びらが舞っている。

風が吹いた。

俺の苦しみなどを知らないかのように、風はただ吹いて。

そしてただ、漫然と花びらは舞っていた。
901 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:22:15.80 ID:+JFYchrD0


絃と知り合ったのは、トレーナーになって
間もない頃のことだった。

一人目のバーリェ、涙と名づけたその子を、
当時としては原因不明の病気で亡くした後、
別のバーリェを受け取りに軍病院に行った時のことだった。

「やあ新入りか。あの精神科学においた
薬物論文を書いた秀才だな」

休憩室でコーヒーを飲んでいたところ、
突然声を掛けられ、絆は慌てて振り返った。

その後ろで、絆よりも少し年上だと思われる男が、
温かいココアをすすりながら、
壁に寄りかかってまた口を開いた。

「確か……絆とか言ったか。はは、おかしな名前だ」
902 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:22:56.09 ID:+JFYchrD0
いきなり声を掛けられ、そして名前を馬鹿にされた。

いい気持ちはしなかったが、特にその時の絆は
何を感じるわけでもなく、機械的に彼の方を向いて言った。

「何か用か? こっちは特に用はないが」

同じトレーナーだということは分かる。

このエリアを行き来できるのは、トレーナーだけだからだ。

彼はココアをまたすすると、手を伸ばしてきた。

「絃だ。君と同じ、トレーナーをしてる」

握手を求められたということが分からず、きょとんとする。

絃は絆の手を無理やりに握ると、何度か上下させて離した。

「よろしく。でも駄目だな……基本的なコミュニケーションが
出来ていない。やっぱり君か。
バーリェを衰弱死させたっていう新米は」
903 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:23:49.89 ID:+JFYchrD0
図星を突かれて、絆は返す言葉に詰まった。

そしてしばらくしてから彼に問い返す。

「どうしてそれを知ってる?」

「トレーナーは、お互いの情報を知ることができる。
ネットを通じてな。まぁ……俺くらいしか利用はしないが。
知らなかったか? 
君の論文も、トレーナー権限でアクセスした
ネットで読ませてもらった」

「…………」

「論文は素晴らしかったが、まぁ机上の空論だな。
現に、君の書いた通りにバーリェは育たなかっただろう?」

何だこいつ、と思って絆はそこではじめて顔をしかめた。

いきなり初対面なのに
論文の批評をされて気分がいいわけがない。
904 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:24:33.98 ID:+JFYchrD0
それに、彼の言うとおりに、
原因不明のままバーリェを亡くした直後なのだ。

からかうように言われて、面白くはなかった。

「あれは……あのバーリェが番外個体だったから……」

しかし返す言葉として出てきたのは、
自信がなさそうな尻すぼみの言葉だった。

絃はココアを飲みきると、
紙コップをダストシュートに投げ入れて絆の方を見た。

「番外個体? そんな記述はどこにもなかったが」

「…………」

「嘘はいけないな。君は、『健康状態が良好な普通の』
バーリェを衰弱死させた。極めて稀な例だが、
初めてではない。違うか?」

「…………」
905 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:25:17.37 ID:+JFYchrD0
「少しそれに興味があってな。
どうやって殺したのかと思って、話を聞きたかった」

懐からカードを取り出して自動販売機に突っ込み、
絃はまたココアのボタンを押した。

「どうやって……『殺した』?」

言葉を繰り返した絆に、絃は頷いて言った。

「ああ。殺したんだろ?」

「違う。原因は不明だが、あの子は何らかの
病気にかかっていた。前例があまりない病気だ。
その点では番外個体だったと言える。それが原因で……」

「いいや。あえてその感情を言葉で
言い表すとすれば『愛(あい)』だ」

おかしな単語を口走って、
絃は、出てきたココアの紙コップを取り出した。
906 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:26:11.18 ID:+JFYchrD0
「愛……?」

聞いたことはある、というだけの知識だったが
繰り返して絆はそれを鼻で笑った。

「何を言うかと思えば……
それは単なる感情であって、病名ではない」

「今の君じゃ分からないだけだ。
トレーナーを続けてれば、
嫌でも分からざるを得なくなる」

ココアをすすって壁に寄りかかり、絃は続けた。

「愛を断つことでも、バーリェは死ぬ。
脆いんだ。それがたとえ感情論だったとても、
感情論であの子達は死ぬ。君はそのさじ加減を間違った。
だから『原因不明』のまま、
君のバーリェは衰弱死したんだ」

「言っている意味が……良く分からないが」
907 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:26:47.98 ID:+JFYchrD0
絆はコーヒーを飲み干してカップを
ストシュートに投げ入れてから立ち上がった。

「話は終わりか? 俺は帰らせてもらうとする」

「まぁ待てよ。そんなに急ぐこともないだろう。
どうせラボに戻っても誰もいないんだ」

「さっきから何を言いたい? 
苦情や苦言なら、上層部を通して……」

「また原因不明のままバーリェを殺したくはないだろう? 
教えてやるよ。基本的なこと。知りたくはないか? 
どうして君のバーリェが死んだのか。
俺は、その答えを知ってる」

絃はそう言って、軽く口の端を吊り上げて笑った。

「まぁ、漠然とだけどな」
908 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:27:31.13 ID:+JFYchrD0


遠くで火柱が上がる。

ミサイルが着弾した印だ。

機関銃が乱射される音が響く。

絆は唖然としてその光景を見つめていた。

「何、だ……これ……」

悲鳴。

絶叫。

断末魔。

阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
909 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:28:13.01 ID:+JFYchrD0
エフェッサー本部のオペレーティングルームに通されて、
絆は目の前に広がるモニターに映し出された光景に、
ただひたすら唖然としていた。

逃げようとした人間を、
軍用戦闘機が発射したミサイルが吹き飛ばす。

びしゃびしゃになった人間だった残骸が、
地面にぶちまけられる。

カメラが汚れたのか、モニターに映し出されている
映像の一部が赤く染まった。

それを淡々とした目で見つめている駈と、
在席していたトレーナー達を見回し、
絆はしかし言葉を発することが出来ずに、唾を飲み込んだ。

「…………」

絆を支えていた渚の手が震えていた。
910 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:28:50.32 ID:+JFYchrD0
「……酷い……」

渚が、絆にだけ聞こえた小さな声で呟く。

それにハッとして、絆は松葉杖を鳴らしながら、
ギプスを嵌められた足を引きずって駈に詰め寄った。

「何をしてる! やめさせろ!」

突然怒声を上げた絆に、周囲の視線が集中する。

しかし駈はサングラスの奥の瞳を、
特に感慨も沸かなそうに光らせながら、
絆に淡々と返した。

「何をだ?」

「軍が……軍が……!」

言葉にならなかった。

現場のカメラから、そのまま無修正の映像が送られてくる。
911 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:29:29.17 ID:+JFYchrD0
子供と思われる人影が、機関銃の一斉発射を
受けてボロキレのようになり
地面に崩れ落ちるのが見えた。

「攻撃しているのは、ここから一番近いスラム街だ。
問題はない。軍に対して口出しをする義理はない」

駈が静かに言う。

口元を抑えて、
渚が俯いてオペレーティングルームを出て行った。

クランベの故郷はスラム街だ。

渚を初めとして、エフェッサーの本部、
ここには多くのクランベがいる。

絆は足と奥歯の痛みに脂汗を流しながら、
駈に食って掛かった。
912 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:30:13.39 ID:+JFYchrD0
「問題なくないだろう! 
こんなの戦闘じゃない、虐殺だ! 
今すぐやめさせるべきだ!」

「……君は何を言っているのかね」

呆れた声でそう言って一つため息をつき、
駈はまた視線をモニターに戻した。

「虐殺ではない。粛清だ。
それに仮に攻撃をやめさせたとして、
君が責任を取ってくれるのか? 
……もしあの地区に死星獣が眠っていたら」

「責任……?」

絆の体から力が抜けた。

よろめいて壁に背中をつける。
913 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:30:50.70 ID:+JFYchrD0
こいつらは。

こいつらは、同じ人間を殺して。

粛清だとのたまって。

……何も感じないのか?

その事実に唖然として、言葉を失ったのだ。

無論、少し前の絆だったら
何も感じなかったのかもしれない。

しかし絆は、その「何も感じない」と
いうことを通り過ぎて余りありすぎてしまっていた。

「お前ら……おかしいよ……」

絆は、目の前でまた炸裂した、
子供を抱いた母親だと思われる影を見て、
こみあげるものを抑えきれずに、
その場に胃の中のものをぶちまけた。
914 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:31:32.17 ID:+JFYchrD0
「医務室に戻りたまえ。君の体調は万全ではない」

それを感情を映さない瞳で見てから、
駈は傍らの女性職員に清掃員を呼ぶように指示した。

絆は、自分を支えようとした別の女性職員の手を
振り払って、大声を上げた。

「同じ生き物だろ! 
どうしてこんなことができるんだ!」

彼の声を聞いて、「その場の全員」がおかしな顔をした。

自分を宇宙人を見るような目で見つめてきた
周りの人々を見て、絆は首を振って後ずさり、
盛大にその場に転がった。

「くっ、来るな……」

彼は明らかに恐怖の色を顔に浮かべながら、
必死に顔の前で手を振った。
915 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:32:20.32 ID:+JFYchrD0
「来るな! 俺に近づくな! 
お前らおかしいよ! お前ら狂ってるよ!」

また軍が人間を射殺した。

ほんの三グラムの弾丸で人は死ぬ。

過剰すぎるほどの執拗な攻撃に、
原形をとどめない肉の塊となった
人間が音を立てて倒れる。

「鎮静剤を投与しろ。混乱してる」

駈がそう言って、興味がなさそうに絆から視線を
離し、コーヒーを口にした。

絆はわらわらと集まってきた職員達に
四肢を押さえつけられた。

その目は、どれも感情を宿してはおらず。

絆は強制的に首筋に小さな注射器で鎮静剤を
打ち込まれ、一瞬で黒い意識の奥に落ち込んでいった。
916 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:32:53.99 ID:+JFYchrD0


さやさやと風が吹いていた。

排気ガス臭くない、自然の風。

絆は目の前に広がる芝生に腰を下ろして、
ぼんやりとそれを見つめていた。

命と、愛(まな)がいた。

二人とも同じ白いワンピースを着て、
笑いながら芝生を駆け回っている。

まるで犬のようだ。

そう思って少しだけ笑う。

二人は、遊び疲れたのか絆の方に走ってくると、
彼の両手を引いた。
917 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:33:29.24 ID:+JFYchrD0
「きずな、こっちに川があるよ」

「一緒に行きましょう」

「はは。お前らはしゃぎすぎだろう」

「もうじき雪ちゃんもここに来ますから。嬉しくて」

命がそう言った。

絆は、そこではたと停止した。

雪が……?

え…………?

ここに来る?

立ち尽くして脱力した絆の腕から手を離し、
命と愛は不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。
918 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:34:06.19 ID:+JFYchrD0
「きずな?」

「絆さん?」

「お前らは…………」

絆は、その場に膝をついた。

さやさやと風が吹いていた。

わななく手で目を覆い、彼は小さく呟いた。

「…………死んだんだ」

随分時間が経った。

顔を上げた絆の目には、
もう命の顔も、愛の顔も見えなかった。

憔悴した目で周囲を見回し、
絆は立ち上がろうとして失敗してよろめき、
その場に転がった。
919 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:35:19.51 ID:+JFYchrD0
土まみれのスーツ姿で、地面を爪で掻く。

あの子達は死んだんだ。

俺は……。

帰らなければならない。

芝生の向こうが真っ赤に染まった。

炎が地面から吹き上がり、
乱射される機関銃の弾丸が周囲を飛び交う。

空から無数のミサイルが落ちてくる。

いくつもの銃弾に体を貫かれ、
絆はボロボロの姿になって地面をゴロゴロと転がった。

内臓のどこかが傷ついたらしく、
血を吐き出して彼は、引き絞るように立ち上がった。
920 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:36:11.33 ID:+JFYchrD0
眼下に、地獄絵図が広がっていた。

しかし、炎の中取り残されている
人間達は皆、逃げようとはしなかった。

全員ボンヤリと立ち尽くして、
迫り来る軍の戦闘機や戦車のことを見つめている。

「逃げろおお!」

喉が破れるのも構わず絶叫する。

彼の声に反応して、全員が一斉にこちらを向いた。

その目は、驚くほど感情を宿していなくて。

驚くほどそれは、人形の顔をしていて。

絆は絶叫しようと体を丸めて息を吸い込み……。
921 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:36:52.56 ID:+JFYchrD0


「マスター!」

そこで聞き知った声で呼びかけられ、
絆はハッとして飛び起きた。

途端、ズキッ、と右足と奥歯に痛みが走り、
彼は小さく叫び声を上げて硬直した。

「マスター……大丈夫ですか?」

おずおずと問いかけられ、
絆は荒く息をつきながら横を見た。

横に、綺麗な白髪を腰まで垂らしたバーリェ、
霧が座っていた。

彼女は手に持ったタオルをそっと近づけると、
絆の顔に浮いた汗を拭った。

「私のことが分かりますか? お返事をしてください……」
922 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:37:33.20 ID:+JFYchrD0
自信がないのか、段々と言葉が尻すぼみに
なって消えていく。

絆は霧からタオルを受け取ると、
広げて俯き、顔をそれで覆った。

しばらくそのまま息をつく。

過呼吸のようになってしまっていた。

酷い夢だ。

リアリティが過ぎた。

痛み、苦しみ、そして恐怖。

あの何の感情も宿さない瞳を見た時の、
恐怖が心の中をまだ渦巻いていた。

ぜぇぜぇと息をしてやっとのことで呼吸を整え、
絆は霧が差し出した手を、汗まみれの手で握った。
923 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:38:21.31 ID:+JFYchrD0
「マスター……?」

「大……丈夫だ。何でもない……」

「大丈夫じゃないです……
何があったんですか? 
マスター、様子がおかしいです……」

霧にそっと打ち消され、
しかし絆はタオルで顔を拭いて、長く息を吐き、
それには答えずに天井を見上げた。

作り物の明かりが目に飛び込んでくる。

嘘であればどれだけいいだろうか。

あのオペレーティングルームで見た悪夢が嘘であれば
……どれだけ素晴らしいことだろうか。

軍は、絃の宣戦布告を受けてスラム街への
一斉攻撃に移ったらしかった。
924 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:39:00.25 ID:+JFYchrD0
何故か?

簡単なことだ。

自分達の脅威になるからだ。

死星獣一体だけで四苦八苦しているような状況下で、
あの数の死星獣を見せられるのは、
人間の僅かに残った理性の箍を外すのに十分すぎる
理由をはらんでいた。

スラム街の人間には、基本的に人権はない。

市民権がないのだ、当然だ。

ゆえに。

エフェッサーや軍などは、スラム街に住む人間の
ことを、「人間」だとは思っていない。

少し前の絆もそうだった。
925 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:39:41.22 ID:+JFYchrD0
時折スラム街の人間が暴動を起こし、
軍に粛清されているのを見たことはあるが、
特に感慨も沸かなかった。

だが、今は違った。

何故か……あの映像を見せられて絆は激しく、
今までにないくらいに動揺した。

殺されていくスラム街の人間達が、
バーリェに重なって見えたのだった。

夢の中で、人形のように無表情で撃ち殺されていく
人々を見たことを思い出す。

バーリェを殺すのも。

スラム街の人間を殺すのも。

もしかしたら、同じことなのかもしれなくて。

そしてそれは、自分達が死ぬことと、
同じ意味を持つのかもしれなくて。
926 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:40:19.32 ID:+JFYchrD0
絆は目を閉じて頭を振り、
悪夢の幻影を無理やりに意識の外に振り飛ばした。

そして手を伸ばし、
心配そうに顔をゆがめている霧の頭を撫でる。

「霧……」

「マスター……」

そこではじめて霧が安心したようにふっ、と笑った。

「私の名前……もう一度呼んでいただけませんか?」

「……どうして?」

「もう一度お聞きしたいからです」

「霧……これでいいか?」

静かに呼びかけると、霧は嬉しそうに顔を紅潮させて俯いた。
927 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:40:53.87 ID:+JFYchrD0
「帰ろうか……雪を見に行って、
それからラボに帰ろう……」

自分に言い聞かせるように呟いて、
絆は視線を霧から離した。

霧は

「はい!」

と元気に言って、また笑った。

――今この瞬間にも。

沢山のスラム街の人達が虐殺されている。

……世界中で。

絃のたかだか二分三十秒の演説のせいで。
928 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:41:31.85 ID:+JFYchrD0
何の罪もない人達が。

特に何も考えていない人間達の手で。

自分さえ良ければいいと考えていて、
それが当たり前の社会のせいで。

殺されている。

虐殺されているのだ。

そんなの「粛清」じゃない。

そんなの……許されるべきじゃない。

絆は血が出るほど強く唇を噛み締めていた。

その感情も、恐怖も何もかも、トレーナーとしての
本能のようなものが押し殺してしまっていた。

バーリェの前で、もう狼狽はしない。
929 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:42:04.25 ID:+JFYchrD0
彼女達の前では、俺はもう二度と取り乱さない。

心に決めたことを無理やりに自分に言い聞かせ、
手の震えや嘔吐感を押し殺す。

帰りたい。

家に、ラボに帰りたい。

全員揃って。

そのかなわぬ願いが頭をグルグルと回っている。

愛(まな)も、命も死んだ。

その前にもバーリェは死んでいる。

そして絆が管理しているバーリェ以外の子達も、
死んでいっている。
930 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:42:37.33 ID:+JFYchrD0
もう戻らない日々。

もう返らない日々。

だが。

だからこそ。

だからこそ、俺は……。

この子達を笑って過ごさせてやりたい。

だから、俺の「感情」達……。

押し殺されてくれ……。

霧の手を握ろうとした手が震える。

しかし絆は無理やりに、ぎこちなく笑うと。

静かにそっと、小さなバーリェの手を握った。
931 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/16(金) 19:44:58.58 ID:+JFYchrD0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想、ご質問などございましたら、
お気軽に書き込みいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼します。
932 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/03/16(金) 22:58:12.24 ID:7pR9Y0sdo
絆が大分追い詰められてきたな
感情移入しすぎて苦しくなってしまう
933 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/17(土) 10:06:57.42 ID:suEw358Eo
とてもとても、切ない…
934 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/17(土) 12:24:24.72 ID:bX4x/Zn0o
935 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/03/17(土) 13:02:52.24 ID:7DmBdlYp0
oh...
936 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/03/17(土) 14:44:48.95 ID:cxsLn0El0
絆の心情が上手く書かれていて、話にのめりこんでしまいました

1さんの回復をお待ちしています
937 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:47:08.81 ID:zOTgBn/n0
こんばんは。

風邪はだいぶ治ってきました。

ご心配をおかけしました。
沢山メッセージをいただきました。
私は皆様の声で元気になれます。

続きを書きましたので、投稿させていただきます。

お楽しみいただければ幸いです。
938 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:50:45.57 ID:zOTgBn/n0


「雪を受け取れない……? どういうことですか?」

松葉杖をついた絆が、語気を荒くして医師に詰め寄る。

先ほど散々、まだ入院しているべきだと
渚に止められたのだが、無理矢理に病室を抜け出してきて、
タクシーを拾い雪のいる
軍病院に来てから既に数時間が経過していた。

エフェッサーと一緒にいたくなかった。

いや……正確には、絆は大量虐殺の事実から
目をそむけようとしていた。

それを正面から受け止めるには、
絆の心は既にガタガタの状態すぎたからだ。

頭の片隅で自覚している、それについての
苛立ちもあったのかもしれない。
939 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:55:07.09 ID:zOTgBn/n0
「散々待たせてそれか。
あなた達の管理体制はどうなっているんですかね」

思わず言葉を荒げた絆を、
隣で椅子に腰を下ろしていた霧が不安そうに見た。

その視線に気がついて口をつぐむ。

嫌味を言われた医師は、しかしそれに
反応するでもなく眼鏡の位置を指で直し、
カルテに視線を落とした。

「D77(雪のこと)はまだ安定していません。
正確には意識さえ戻っていない。
それは先ほどご説明した通りです。
交換した臓器が、今そこにいるS93(霧のこと)のように
即適応というわけにもいかず、まだ様子を見ている段階です。
とてもお渡しできる状態ではありません」

「後の調整は私のラボで行います。即搬入を要求します」
940 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:55:53.15 ID:zOTgBn/n0
「お断りします。不完全な状態の個体を、
勲一等授与者に対してお渡ししたとなっては、
逆にこちらの管理責任を問われかねません。
その辺りの兼ね合いも考慮していただけると
ありがたいのですが……」

断固とした口調でそう言って、医師は立ち上がった。

「少なくともあと五日は無菌室から出すことは
できません。死期を早めることになりますが、
それでもよろしいのですか?」

そう言われると、返す言葉がなかった。

――こいつらに雪を任せておきたくなかった。

軍病院は、その名前の通り当然軍の管轄だ。

直接この医師が関与しているわけではないが、
軍はいまや人殺し……大量虐殺集団だ。

いい気分ではなかった。
941 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:56:37.19 ID:zOTgBn/n0
それに、あと何日生きられるか分からない雪を、
五日も放っておくのは嫌だったのだ。

……だが。

意識がないのならば、連れ帰ったとしても
どうしようもないのが現状ではあった。

それに、無菌室で管理していると言っていた。

外に出して手術痕が化膿でもしたら、
それこそ取り返しのつかないことになる。

医師の言うことは、もっともではあった。

……軍関係者の前なので、流石に霧は口をつぐんでいる。

彼女自身、臓器の交換手術を行った直後だ。

彼らの淡白さは、身にしみて分かっているはずだ。
942 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:57:15.57 ID:zOTgBn/n0
バーリェは脳に麻酔が行き届きにくいため、
普通、体のみを麻痺させた状態で手術を行う。

つまり、意識ははっきりしているのに痛みを感じないのだ。

それがどれだけの恐怖なのかは、想像するにあまりあった。

「…………分かりました。
様子だけでも見せていただけますか?」

「かしこまりました。こちらです」

医師に先導されて、霧の手を引きながら歩き出す。

そして一面白で覆われた、ガラス張りの無菌室の外に出た。

中を覗き込んで、絆と霧は息を呑んだ。

雪……の筈だった。

一瞬別人に見えたのだ。
943 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:57:52.70 ID:zOTgBn/n0
意識はないようで、目をつぶって
静かに病院服の胸を上下させている。

させているが……か細い。

それに、顔色が血を吐く前から更に悪くなっていた。

目の下には落ち窪んだクマが浮いており、
肌は老婆のようにガサガサだ。

白髪も、霧のように艶がかかっておらず、
完全にパサついてしまっている。

体は異常なほどに痩せ細り、生きているのが
不思議なくらいの状態だった。

「お姉様…………?」

霧が、ポツリと言葉を発した。

それを聞いてハッとし、絆はそっと霧を片手で抱き寄せた。
944 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:58:27.00 ID:zOTgBn/n0
彼女が、僅かに震えながら絆にしがみつく。

それは恐怖から来るものだったのか。

それとも、悲しみからくるものだったのか。

絆には想像が出来なかった。

だが、震えている霧がどこか雪と
重なって見えたのだった。

「……バイタルは安定しています。
しかしバンダグラフが依然異常値を示したままです。
自然覚醒を待つ以外ないと思われます」

淡々と医師はそう言って、カルテを脇に挟んだ。

そして話は終わりだと言わんばかりに、
絆に向かって頭を下げた。

「定時連絡は間違いなくさせていただきます。
今日のところは、お帰りを」
945 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:59:07.24 ID:zOTgBn/n0


タクシーでラボに戻る前に、別の軍病院の病棟に寄る。

残してきた優と文が保護されていると
言う話を聞いていたからだった。

コツン、コツン、と静かに松葉杖の音を
立てて歩いている絆の脇で、
彼の手を握りながら霧が言った。

「マスター……車椅子をお使いになりますか? 
私、押します」

「いや……いいよ。歩ける。心配するな」

「でも……」

霧はそう言って目を伏せた。

そして唇を噛んで、小さく呟く。
946 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 22:59:45.54 ID:zOTgBn/n0
「ごめんなさい……私がどん臭いから、
マスターに怪我をさせてしまいました……」

「別にお前のせいじゃない。
怪我をするのは初めてのことじゃないし、
気にすることはない」

静かにそれに返す。

霧はしかし、また唇を噛んで俯いてしまった。

「ごめんなさい……」

軍病院に入ったところで、霧はそう呟いた。

絆はそれを聞かなかったふりをして、
わざと明るく言った。

「でもまぁ……雪が無事でよかった。
あの調子じゃ、五日後には退院できるだろう」
947 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:00:39.48 ID:zOTgBn/n0
「…………」

霧が、「この人は何を言っているんだろう」と
いった目で、一瞬絆を見た。

しかし絆は、それをまた気付かないふりを
して、小さく笑った。

「雪は毎回なんだ。でもいつも、
結局あいつは生きる。それが雪の力だ。
雪は強いんだ」

自分に言い聞かせるように、
絆は一つ一つ力を込めて、しっかりと言った。

霧は、伺うように絆の顔を見上げて、小さな声で聞いた。

「マスター、気にされていないんですか?」

「雪のことか?」
948 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:01:15.45 ID:zOTgBn/n0
「いいえ……それもありますが……
G67(命)のことです」

そう言われて、絆ははたと言葉を止めた。

一瞬、声を返そうとして失敗して、
おかしな音が喉から出る。

当然だ、その疑問は。

霧の目の前で、命は絆を庇って消滅したのだ。

わざと言わないようにしていたのだが、
聡い彼女は敏感に察知していたらしい。

絆は、しかし唾を飲み込んでから霧の頭を撫でた。

「命はな……役目を全うしたんだ」

「お役目を……?」
949 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:01:55.25 ID:zOTgBn/n0
「ああ。立派なことだと俺は思う。
どうせ誰も褒めてやらねーんだ。
俺達だけでも、あいつを褒めてやらなきゃな」

「…………」

霧は口をつぐんでから、
そしてぎこちない笑みを絆に向けた。

「……はい!」

「いい子だ」

頷いて、また霧の手を引いて歩き出す。

受付の職員に聞くと、
担当官が現れて急いで遊戯室に通された。

他のトレーナーが預けているバーリェ達と、
何かブロックのようなものを積み上げて
遊んでいる優と文の姿が目に入った。
950 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:02:49.70 ID:zOTgBn/n0
「優、文、帰るぞ!」

呼びかけると、途端に二人は顔を上げて、
ブロックを蹴散らして嬉しそうに走ってきた。

「絆遅いよ! ってどうしたの?」

素っ頓狂な声で優が喚く。

彼女に折れた右足を指差されて、
絆は軽く笑って答えた。

「何、折っただけだ。処置はされてるからすぐ治る」

『戦闘があったんですか? 
命ちゃんと雪ちゃんはどうしたんですか?』

手話で文がそう伝える。

絆は、作り物の笑顔を無理矢理に顔に
貼り付けたまま……それを「無視」した。
951 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:03:47.15 ID:zOTgBn/n0
「よぉし帰るぞ。今日はみんなでレストランに
寄って行こう。美味しいロブスターの店を見つけたんだ」

「絆、それより命達は……」

言いにくそうに優がそう聞く。

絆はクルリと背を向けて、担当職員に言った。

「それじゃ、二人を連れて帰ります。保護、感謝します」

「いいえ、お気になさらず。絆特務官」

「とくむかん?」

怪訝そうに優がその単語を拾って口に出した。

絆は笑って彼女の頭を撫でると、言った。

「勲章もらったんだ。偉くなった」

「また? どこまで偉くなれば気が済むの?」
952 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:04:23.08 ID:zOTgBn/n0
優が呆れたように言う。

そのまま絆と職員が話し出す。

姉の肩を叩いて自分の方を向かせ、
文が手話で言葉を発した。

『ねえ、絆さんの様子がおかしいよ』

早すぎて絆と霧には見ても分からない手話だった。

それに同等の速度で優が、同じ手話を返す。

『何が? 怪我してるけど別に普通だよ』

『……命ちゃん……死んだんじゃないかな……?』

優が、口をポカンと開けて停止した。

文が畳み掛けるように手を動かした。
953 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:05:07.16 ID:zOTgBn/n0
『愛ちゃんが死んだ時も、絆さんおかしかったよ。
こんな感じだった。もしかしたら雪ちゃんも……』

『そんなわけないよ! 命なんて、トップファイブの
AAD一機動かすこともできないんだよ? 
それに雪は強いもん。大丈夫だよ』

『でも……』

言いよどんだ文の目に、振り返った絆が映る。

一瞬、絆を見上げた優と文の目に、
彼が何かに怯えるような、
そんな苦しそうな顔をしてこちらを見たのが飛び込む。

生きていることを確認するかのような、
すがるような瞳だった。
954 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:05:41.60 ID:zOTgBn/n0
しかし瞬きする間にそれは掻き消え、
どこか「変」な笑顔で絆は優と文の背中を押した。

「さぁ行くぞ。お前ら、悪さはしてなかっただろうな」

「な……何もしてないよ」

どもりながら優がそう言って歩き出す。

その隣を歩きながら、文が伺うような視線を絆に向けた。

絆は反対側の手で霧を引きながら、
松葉杖を鳴らして歩き出した。
955 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:06:23.49 ID:zOTgBn/n0


カチャリ、と停止した優が、皿の上にフォークを落とした。

文は、口の中にロブスターの
切り身を入れようとして固まっている。

絆はワインを喉に流し込んでから、息をついて彼女達を見た。

「どうした? 辛気臭い顔をするな。命が悲しむぞ」

「命………………死んだの?」

優が小さな声で呟く。

絆はナイフとフォークを持って、
皿の上のロブスターをそれで小さく切り分けながら答えた。

「ああ。死んだ」

「どっ……どうして? 何があったの?」
956 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:06:57.14 ID:zOTgBn/n0
優が大声を上げる。

周囲がざわついて、立ち上がりかけた優の方を見る。

周囲の視線など意に介さず、
優は絆から霧に視線を向けて、そして彼女を指差した。

「……こんなの連れてくから! 
だから私言ったじゃない、こいつ死星獣に似てるって!」

「バカ……お前!」

周囲のざわめきが大きくなる。

優と文は知らないようだったが、
現在もスラム市民の大量虐殺は続いている。

その大義名分が、死星獣の破壊だ。

無関係とはいえ、一般市民がその単語に
敏感になったとしても不思議ではない。
957 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:07:37.52 ID:zOTgBn/n0
「どうして? どうして命死んだの? どうして!」

優が喚きながら立ち上がった。

絆の隣でチビチビと食事をしていた霧が
小さくなって萎縮し、下を向く。

そこでウェイターが近づいてきて腰を曲げ、絆に言った。

「お客様……他のお客様のご迷惑となりますので……」

静かにしろと言われた。

絆は頷いて彼の胸ポケットに紙幣を突っ込んで
下がらせ、静かに優に言った。

「座れ、優。ここは公共の場所だぞ。
俺に恥をかかせたいのか?」

優はまだ何かを言いたそうな顔をしていたが、
無理矢理に飲み込んだのか、椅子を蹴立てて座った。
958 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:08:18.03 ID:zOTgBn/n0
その隣で、文がボトリと
ロブスターの切り身を皿に落とした。

そしてフォークを取り落として、両手で顔を覆う。

声もなく泣き出した彼女を見て、絆は息をついた。

慌ててウェイトレスが走って来て、
泣いている文の服についたソースをナプキンで拭く。

そして落ちたフォークを拾い上げて、
代わりのフォークをテーブルに置いた。

「おかしいよ……絆。命、死んだんでしょ……?」

優がそこで呟いた。

絆は声音を低くして彼女に言った。

「何がおかしい。俺は、あいつを弔ってやろうって
言ったんだ。いつまでも悲しんでるのは、
あいつだって望まないことだろう」
959 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:09:02.30 ID:zOTgBn/n0
「そんなこと、絆言ったことないじゃない。
どうしたの、急に? 何か怖い……」

優は正直な子だ。

嘘はつかないし、気を利かせるということもない。

つまり優がそう言ったということは、
バーリェが絆に対して抱いた率直な感想であり。

それは図らずも、絆がエフェッサーに対して
言った台詞と酷似していた。

しかし。

――負けるか。

正体もない見えない敵と戦いながら、
絆は葛藤の中、努めて冷静を装って彼女に返した。
960 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:09:42.61 ID:zOTgBn/n0
「じゃあどうすれば普通なんだ? 
お前の言ってることは良く分からんな」

「普通って……命が死んだんだよ? 
愛が死んだ時は、絆もっと悲しそうだった。
どうして……そんなに笑っていられるの?」

「…………」

「それ普通じゃないよ……」

優の両目からボロボロと涙が流れ落ちる。

「普通じゃ…………ないよ………………」

やがて優は両手で顔を覆うと、
声を殺して泣きじゃくり始めてしまった。
961 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:10:09.88 ID:zOTgBn/n0
泣いている双子を見て、絆は深いため息をついた。

黙れ、と怒鳴りつけることはできた。

静かにしろと怒ることも出来た。

しかしその気がなくなってしまったのだった。

フォークとナイフを休ませて、天井を見上げる。

奥歯がじんじんと痛む。

右足にも鈍痛が走っていた。

――悲しそうにしていた?

俺が……?

そう、見えたのか。
962 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/17(土) 23:12:25.40 ID:zOTgBn/n0
お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

950レスを超えましたので、次回から別スレで
再開することにさせていただきます。

その際はここで告知させていただきますので、
是非お越しください!!

ご意見やご感想、ご質問などございましたら、
お気軽にいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼します。
963 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/18(日) 00:23:02.62 ID:JEi6usVoo
このか細い感じの世界観が好きだな
次スレも楽しみに待ってるね
964 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/18(日) 10:25:32.18 ID:V55zTgtSO
乙。
次スレも楽しみにしてる。
965 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(佐賀県) [sage]:2012/03/18(日) 11:13:24.69 ID:CwOBSO100
乙です。
続き楽しみにしてます。
966 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/18(日) 12:18:30.61 ID:ZeP6/Atbo
967 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/03/18(日) 12:19:38.77 ID:ZeP6/Atbo
968 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/18(日) 18:09:21.52 ID:KA6DZ8VC0
こんばんは。

楽しみにしていただいてありがとうございます。
沢山のメッセージをいただいております。

今日投稿させていただく予定だったのですが、
風邪がぶり返したようで、断念しました。

少しお待ちいただければと思います。

引き続きご意見やご感想、ご質問などが
ございましたら、書き込みをいただけますと嬉しいです。
969 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/19(月) 00:06:26.14 ID:cJaJmVvSO
気にするな。体調第一だ
まあ、今日はゆっくり養生してくれ
970 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/03/19(月) 01:49:36.77 ID:teQfBbwso
ちゃんとお薬飲むんだよ
971 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/03/19(月) 12:08:02.15 ID:5Rr8aAaY0
乙です
972 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/19(月) 13:25:28.53 ID:wK+X121IO
お大事に
すっげえ面白え
973 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/20(火) 00:51:16.57 ID:WAbTKaZT0
こんばんは。

お気遣いありがとうございます。
痛み入ります。
皆様もお体にお気をつけくださいね。

続きが書けましたので、次スレに移動させていただこうと
思います。

次スレ;http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1332172020/

引き続きお世話になります。
お越しいただけましたら幸いです。

これからも、宜しくお願いいたします。

こちらの1000までは皆様で消費してくださっても大丈夫です。
ご自由に雑談場としてお使いください。
974 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/03/20(火) 01:04:58.62 ID:0+jteEbQo
カサカサ肌の雪たんにニベア塗りたくりたかったお
975 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/21(水) 20:16:14.07 ID:QFoFaNuA0
2スレ目現在、まだ雪は生きてますので、諦めないで……!!

976 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/21(水) 21:27:21.07 ID:T/SI04v5o
雪の話だもんなコレ
977 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/22(木) 22:05:42.82 ID:va1iIII+o
その気になれば本部や重要拠点、上級トレーナーを狙えるはずだけど
相手の思惑がよく分らんな
978 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/22(木) 22:43:44.60 ID:L9w85L6Ro
それもそうだね
狙った場所に送れるみたいだし
979 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/25(日) 19:59:10.14 ID:BXUBplGK0
第四話に少し書きましたが、新世界連合の目的は
元老院の老人達を探し出すことと、
人型AADの搭載しているブラックボックスシステムの
奪取です。

死星獣はある程度の精度を持ってワープさせることが
できますが、まだ新世界連合側も死星獣の技術を
全て解明で来ているわけではないので、
自由自在にというわけにはいかないのが現状です。

そういった訳で、試験的な威嚇行動として、新世界連合は
アルカンスト地方を壊滅させたりしていました。

一連の戦闘は、死星獣のコントロールを確立させるためと、
絃個人は絆を殺すことを目的として動いています。
(第四話現在)

その点についても、おいおいお話の中で書いていきますね。

第四話時点でも、一番ダメージが大きい雪が生き残っています。

引き続きお楽しみいただければ幸いです。

こちらにも、ご自由に書き込みをくださいね。
980 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/03/25(日) 20:21:51.23 ID:aBmC1Ttq0
実はまだフラグがあるんでしょ?
981 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/25(日) 22:25:16.30 ID:FRWI5ddmo
ヒント:タイトル
982 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage ]:2012/03/25(日) 23:04:13.36 ID:aBmC1Ttq0
>>981
雪さんは潔く消えるんだろう?
それはわかってるよ
983 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/03/26(月) 00:35:30.50 ID:fvStItsVo
わざと誤字か?
984 :三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2012/03/26(月) 19:27:03.25 ID:H1W87tW/0
まだまだお話は続きます。

フラグも更に追加されて、お話は加速していく予定です。

第五話では、新しいバーリェ「圭」が登場します。

ご期待ください。

雪は、小説の題名の通りに儚く消えてしまうのでしょうか。

その辺りも楽しみにお読みいただければ嬉しいです。
985 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/04/03(火) 01:47:17.18 ID:evqkTK76o
うめ
986 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/04/03(火) 03:03:10.88 ID:0/yR/L9Uo
さくら
987 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/07(土) 03:50:45.63 ID:FGXvlTJEo
ひまわり
988 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/04/08(日) 22:56:23.23 ID:muWulyo5o
りんご
989 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/09(月) 06:36:58.40 ID:1d4FHfSso
ごま
990 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/04/09(月) 07:35:46.03 ID:mW9XIidfo
まじかる
991 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/04/09(月) 15:30:43.13 ID:8O2pSO4Jo
るみなす
992 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/10(火) 03:28:52.58 ID:hyChrjEco
るるるる
993 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/04/11(水) 18:12:31.04 ID:/hCJqrS1o
スイカ
994 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/13(金) 19:11:45.62 ID:VOfLsKhIO
かまいたち
995 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/04/13(金) 21:21:06.79 ID:rIjyoUZRo
ちりめんじゃこ
996 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/14(土) 01:43:30.06 ID:fFQoN20Vo
かまぼこ
997 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/04/14(土) 20:39:28.34 ID:0S0BGx4Wo
コアラのマーチ
998 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/15(日) 03:09:10.29 ID:Hilm0Runo
たけのけ派
999 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/04/15(日) 09:07:45.52 ID:j+Nr7U94o
きのこ派
1000 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2012/04/15(日) 11:29:21.46 ID:tBgaTEoAo
たけのこ
1001 :1001 :Over 1000 Thread
    /|\
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    |`::i、;;|
    |;;(ヽ)|
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男「何もしたくない」 @ 2012/04/15(日) 04:37:09.04 ID:kJKzwMgd0
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魔王「覚悟するがよい、魔王よ」 その3 @ 2012/04/15(日) 04:13:28.73 ID:6yhW2miI0
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門矢士「海東が女になった?」海東大樹〈女〉「ああ、ご覧の有り様さ」 @ 2012/04/15(日) 04:12:09.91 ID:QQjjM95AO
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おへそを出した女の子のイラストをみんなで描くスレ @ 2012/04/15(日) 03:35:46.26 ID:s9+M2bZUo
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ゆま&ゆーな@可愛い妹たちが巣立って可哀想そうなえどにかまってちゃん @ 2012/04/15(日) 02:11:25.00 ID:74MGLKXmo
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あぎり「にんだいあるであいさんかく」 @ 2012/04/15(日) 01:46:16.29 ID:T3yoCJw40
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