嘘刀語

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112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/05(火) 22:08:54.37 ID:MCldwv/xO




 元々、高齢だった上に一人で孫娘を育ててきたのだ。その無理が祟ったのか、ここのところ調子が悪かった。そして、ついに今回、急に倒れるような自体になってしまった。
 剣術を志していただけに、年齢の割に丈夫とは言え、それはあくまで年齢の割にでしかない。
 そもそも、どれだけ剣の腕があろうとも、病や老いには勝てるものでもない。

「お祖父様! しっかりしてください!」

「はは、大丈夫。 孫娘の顔を見間違えるほどに耄碌していないよ」

「そういう問題ではありません!」

 この期に及んでも、まだ穏やかに笑いかける祖父に、孫娘のほうが泣きたかった。
 いつまで、自分は祖父に迷惑を掛け続けるのかという想いが彼女を責める。

「しかしまあ、確かにそろそろお迎えが来るのかもしれんな」

「何を弱きなことを!」

「はは、まあそれでもこうしてお前がいるときに、まだ意識があったのは幸いよな」

 そう言って、まるで遺言でも残すように言って、もう力が入らないだろう腕を伸ばして、近くにあった一本の木刀を手にして、孫娘の方へと持っていく。

「お祖父様、それは」

「そう、我が道場に伝わる我が流派の証。かの四季崎記紀が残した完成形変体刀十二本の内の一本、王刀『鋸』だ」

113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/05(火) 22:09:29.15 ID:MCldwv/xO
 それは一見して、平凡な木刀だった。

 確かに木刀にしては凝った意匠が施されてはいるが、それくらいでとてもこれが伝説の刀鍛冶の作品とは思えないようなシロモノであった。
 そもそもにおいて、刀鍛冶が、それも戦国の世の刀鍛冶が木刀などというものを作ることからして異質だ。

 だが、孫娘はそんな事よりも、今、この場面においてそんなモノを持ち出したことの意味のほうが重要だ。

「お祖父様、申し訳ありませんが、私は――」

「解っているよ。 何も無理に道場を継げだとか、流派を頼むとかそんな事を言い出すつもりはない。 この『鋸』をお前に渡すのはそういう意味ではないよ」

「では、一体?」

 他にこの場面で、こんなモノを渡す理由など、他に思い当たらない。
 第一この木刀はそういったモノを受け継ぐ証ではないのか。

「そうではないよ。 それは己の道を歩むための証だ」

「己の道を?」

「まだ、お前には見えていないかもしれない。 だがな、いずれは往かねばならない。 その時、自分の中にある道を覆い隠す闇を斬って道を照らしてくれるだろう」

「そんな……」

 そんな事はただの気の持ちようで、木刀を持ってどうこうなるものではないはずだ。

 普通なら。
 だが、普通では無いという四季崎記紀の変体刀、それも完成形と呼ばれる刀ならばあり得るのか。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/05(火) 22:10:42.18 ID:MCldwv/xO
「まあ、騙されたと思ってその木刀を構えてみよ。 その時、お前の心にある闇を斬ることが出来るだろう。 そしてお前ならば、ちゃんと道を見つけられるはずだ」

「…………」

 孫娘は無言で差し出された『鋸』を受け取る。
 決して信じたわけではない。
 だが、祖父の頼みを、この程度の願いを叶えてやることを拒む理由もなかった。
 ただ、それだけのつもりだった。

「――!?」

 だが『鋸』を持ち、構えた途端、心のなかにあったモヤが晴れた。
 いや、晴れたというような緩やかな変化ではない。まさに切り裂いたと表現すべき急激な変化だった。
 自分が将棋を剣の道からの逃げ道として使っていたことを、すんなりと受け止められた。

 自分が剣の道から逃げていたのは、祖父が苦労する姿を、そして両親を奪われた事から目を逸らしたかったということ。
 それでも、大好きな祖父が、そして今は亡き両親が守ってきた流派を誇りに思っていることを。
 それらを覆い隠してきた、自分の中の言い訳がましい闇が切り裂かれた。

「これ、は?」

「王刀『鋸』限定奥義『王刀楽土』」

 呆然とする孫娘の耳を、祖父の凛とした声が打つ。

「儂も以前は心王一鞘流を嫌っていた。 お前よりも酷い。 活人剣に意味など無い、剣術など人を殺すためのものではないかと、そんな風に思っていた。 しかし、その王刀『鋸』を持った途端、儂の中にあった、そんな心は消えていた。 そして儂は剣術の答えを知りたくて、流派と名を継いだのだ。 そうあの時の儂は確かに生まれ変わったような気分だった」

 それは、初めて聞く話だった。
 だが、今更それを疑う気持ちはない。
 何故なら彼女もまた、すでに体験したのだから。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/05(火) 22:11:44.59 ID:MCldwv/xO
「己の道を阻むものは己の内にある。 お前がどのような道を進むにせよ、決してその道を見誤らぬように、その刀を託したい。 受け取ってはくれるか」

「喜んで……お受けいたします」

 その言葉は意外にも素直に出た。
 あるいは、これも王刀の効果なのかもしれない。
 だからこそ、今までなら決して口にするようなことがなかったことも言えた。

「そして、失礼ながら、他にもお受けしたいものがあります」

「……言ってみよ」

「心王一鞘流の道場と、汽口慚愧の名を」

「良いのか? お前が進むべき道は他にもあるやもしれぬぞ」

「はい」

「そうか、ならばたった今からお前が汽口慚愧だ」

 こうして、王刀『鋸』は新たな使い手へと受け継がれた。
 そして、心王一鞘流当主、汽口慚愧もまた新たな世代へと引き継がれた。
 それから僅か数日のうちに、先代はこの世から旅立った。
 葬式は慎ましやかに行われ、しかし村の人達のほとんどが訪れた。

 確かに、このご時世に剣術など必要とされず、現に門下生など一人もいなかった。
 だが、それでも、先代汽口慚愧は村の人から必要とされていた。



 それは王刀『鋸』を譲ったとしても変わることはない事実だった。
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/05(火) 22:12:17.00 ID:MCldwv/xO








九振り目・完了








117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/05(火) 22:13:24.53 ID:MCldwv/xO








十振り目・誠刀『銓』所有者 彼我木輪廻








118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/05(火) 22:14:59.05 ID:MCldwv/xO
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119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/05(火) 22:16:26.04 ID:MCldwv/xO




 せっかく見ていただいてなんなのだが、彼我木輪廻について語ることはない。
 お叱りはごもっともなのだが、しかし語ることがないものはないのだ。
 いや、事実を誤魔化した上で語らないというのはさすがに失礼になるから、恥を偲んで、恥ずかしげもなく、本当のところを言わせていただくのならば。

 彼我木輪廻について語る術がない。


120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/05(火) 22:17:07.66 ID:MCldwv/xO
 それは彼我木が歴史に対して干渉を持たない故に、語るべき物語が無い、という訳ではない。
 そういった意味合いも、少なからずあるがそれはオマケ程度の問題だ。本来的な意味合いはもっと、どうしようもなく対処の仕様がない問題である。
 そもそもにおいて、仙人である彼我木に個性というものは存在しないのだ。

 結局のところ、それは全て見た者の、観測した者の心の中でしかなく、彼我木輪廻個人の個性では決して無い。
 例えば、鑢七花ととがめが出会った彼我木輪廻はこの二人の苦手意識が形になったものでしかない。外見は鑢七花が苦手意識を持った者たちを合わせた姿に、内面はとがめが苦手とする者の性格に。

 そしてそれは他の者が観測すれば、全く別の彼我木輪廻が出来上がってしまうのだ。
 ここでかつて四季崎記紀が彼我木輪廻に誠刀『銓』を託したときの話を語ったとしても、結局のところそれは四季崎記紀の苦手意識について語ってしまうことになるのだ。
 それはここで他の登場人物が出会っていたという嘘歴史を想像したところで、あるいは登場人物に名を連ねていない人物を登場させたところで結果は変わらない。その人物の苦手意識を語るだけだ。

 あるいは、まだ彼我木が人間だった頃の話を持ち出したところで、それは彼我木輪廻であって彼我木輪廻ではない。人間である彼我木輪廻と仙人となった彼我木輪廻は同一存在でありながら全くの別物である。
 語ろうと思うならば、彼我木輪廻という存在を固定しなければならないが、仮にそれが出来たとしても、それは既に彼我木輪廻ではありえない。

 故に、彼我木輪廻について語ることはない。
 語るすべがない。
 嘘歴史の嘘歴史らしく適当に騙ることも、この場合は難しい。
 結局のところ、彼我木輪廻の存在は歴史的異物なのだ。
 それでもあえて語ろうとするのならば、語らないことで彼我木輪廻という存在を語ろう。

 語れないという事実が、彼我木輪廻を語っている。


 いささか失礼で、誠実さに欠けた話になってしまったが、それでもこれが精一杯の誠実さで語る彼我木輪廻の物語だ。


121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/05(火) 22:18:19.94 ID:MCldwv/xO
今日はここまで。 明日か明後日にまた投下します。
次の投下で最後になると思いますので、よろしければ是非最後までお付き合いください
122 :忘れてた……くそっ :2019/03/05(火) 22:19:04.13 ID:MCldwv/xO








十振り目・完了








123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 21:36:00.40 ID:i6J6T3ztO
>>1です。 投下していきます
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 21:37:25.50 ID:i6J6T3ztO








十一振り目・毒刀『鍍』所有者 真庭鳳凰








125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:38:17.00 ID:i6J6T3ztO





 真庭鳳凰。

 その名は畏怖と敬意と共に語られる。
 戦国時代、十二頭領制を採用されてから常にその名を持つ忍者は実質的な頭としての役割を担っている。

 その恐るべき忍術もさることながら、忍者としての基礎的な能力や忍術もまた群を抜いていた。何よりも、あまりにも癖の強い人間が多い真庭忍軍において、指揮能力をしっかりと持っているという、考えようによっては頭領として至極当然の必要技能を所持している数少ない人物だというのも大きいとされている。

 だが、やはり実際のところは、彼の持つ忍者としての能力の高さが買われてというのが実情だ。

 歴代最強の忍者が揃っていたと言われる戦国時代でも、そして今や衰退している現状でも、真庭鳳凰は忍軍最強の忍者としてその名を馳せていた。軒並み戦国時代の忍術は劣化、風化してしまった今でも鳳凰だけは戦国時代の技を受け継いでいた。
 故に、彼の二つ名は戦国の時代と変わることなくこう呼ばれている。


 『神の鳳凰と』――。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:39:57.88 ID:i6J6T3ztO
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127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:40:39.86 ID:i6J6T3ztO
「いやいや、大したものだ。 本来日陰者の忍者が言うに事欠いて神と来たものだ。 お前を崇め奉れば、ご利益でもあるかもしれないな」

「お前が言うと皮肉にしか聞こえんな。 喧嘩を売っているというのならば買っても良いのだぞ」

 暗い室内に一人座る男は、天井裏から掛けられた声へと陰鬱に返す。

「第一、我はまだ鳳凰の名を継いだだけで、十二頭領に選ばれてすらおらん」

「それも時間の問題であろう。 鳳凰の名を継いだ者が今まで十二頭領に選ばれなかった事など無いはずだ。 しかもお前はあの忍法『命結び』を会得したのであろう? ならば選ばれるのが必定だろう」

 天井裏の声が言ったことは、本来ならば聞き捨てならない台詞だった。
 忍者にとって己の忍術が知られているというのは致命的だ。どのような武芸者であろうとも己の手の内が相手に知れているというのはそれだけで不利になり、敗北へと繋がる。
 それが、隠密を常とする忍者ともなればなおさらだ。
 それなのに、鳳凰は陰鬱な笑いを口元に浮かべ、まるでその程度が些事であるように嘲笑う。

「それはどうかな。 現在の衰退ぶりでは真庭忍軍は遠からず消えてなくなるだろう。 もしかしたら我が十二頭領に選ばれる前に、真庭忍軍そのものが消えているということもあり得る。 そう、おぬしたち相生忍軍と同様にな」

 鳳凰のその言葉に、今度は天井裏にいる男が笑う。
 それは自嘲であり、苦笑であり、愉悦の笑いだった。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:41:20.62 ID:i6J6T3ztO
「それは違うな、鳳凰。 相生忍軍はまだ亡びたわけではない。 そのために私がいるのだ。 私が生きながらえている間はまだ、相生忍軍は歴史から消えようとも、この世から消えてはいないよ」

「そのために生きていると? 生きていることが相生忍軍の存在の証明であり、相生忍軍の延命こそがおぬしの生きる意味だと言うことか」

「ああ、そうだとも。 もはや相生忍軍は私一人だ。 だからこそ、私が生きて相生忍軍を僅かなりとも存続し続けるのが唯一残った私の使命であり義務だ。 お前は私の生き方を笑うか?」

「笑うとも。 あまりにも下らない。 あまりにも無意味だ」

「はっきりと言うな。 しかし相生忍軍を滅ぼした真庭忍軍の者にそう言われると、腹がたつどころか、むしろ愉快でさえある」

 言葉通り、軽い笑い声が天井裏から響いてくる。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:43:06.62 ID:i6J6T3ztO
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130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:43:42.53 ID:i6J6T3ztO
「だかがな、鳳凰。 ならばお前たち真庭忍軍はどうなのだ? あの戦国を戦い抜き、私たち相生忍軍を打ち滅ぼしながら、この太平の世の中では衰退していくばかりではないか。 お前たちのありさまもまた無様ではないのか」

「無様だとも。 無意味だとも。 しかしな忍者が立派な訳があるまい。 意味などあるわけがないだろ」

「ほう? 立派な忍者や忍者の存在に意味など無いと?」

「忍者はただ生きて、死ぬだけだ」

 鳳凰のその言葉に、天井裏から本当に本当に楽しそうな笑い声がが響き渡る。

「ハハハ! なるほどな! 確かにその通りなのだろう! だがな、鳳凰よ! お前のその物言い、お前のその在り方こそが、まさに絵に描いたような、物語に書かれるような、歴史で語られるような、立派な忍者ではないか!」

 余計な感情など一切持たず、意味など考える事もなく、覚悟などわざわざ決めるまでもなく、さながら一つの道具のように、ある時は刀となりて、ある時は矢となりて、ある時は毒となりて、対象を殺す。

 その在り方は、確かに理想の忍者像と言えるだろう。
 だが、その賞賛も鳳凰は皮肉としか受け取らなかった。

131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:44:09.21 ID:i6J6T3ztO
「理想の忍者か。 だがな、例え我がそうだとしても、しかしだからこそ我は頭領としては理想どころか現実からも程遠い存在だよ。 我は余計なことなど考えぬ、そんな我を冷静などと表する輩もいるが、結局のところ我はただ虚ろなだけだ。 だから、里の行き先を、衰退を、滅亡を憐れむことも憂うことも出来ぬ。 だから、我には頭領の資格などないよ」

「しかし、それを言ったら、お前だけではあるまい。 お前たち真庭忍軍は確かに恐るべき暗殺集団だが、だからこそあまりにも破綻した存在だ。 むしろそのような全体を思う物の方こそ少ないだろう」

「それこそが、この太平の世で我らが衰退した原因でもあるのだろうな。 結局のところ戦国を生き延びた我らだからこそ、太平の世の中では生きられぬのは道理だろうよ」  むしろ――と、鳳凰はそこで一息いれる。

「むしろ、今頭領として必要なのは、お前のような無意味で無様な、およそ忍者らしくない誇り高い忍者であるのだろうな」
 
その言葉に、しかし天井裏の者は今度は笑いを返すことはなかった。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:45:06.96 ID:i6J6T3ztO
「皮肉にしか聞こえないな」

「皮肉ではない。 心の底からの賞賛と本心だよ」

「だから」

 と、続いた言葉は下からではなかった。
 天井裏にいる者の真後ろから聞こえてきた。
 今の今まで、つい先程まで確かに声は真下から聞こえてきたはずなのに。気配は確かにそこにあったはずなのに。
 だが、考えても見れば鳳凰は忍者。それも同世代に類を見ない使い手だ。声を別の場所から響かせるなど、気配を別の場所に置いておくなど、造作も無い。

「真庭忍軍のためにも、お前のその人格を我が頂こう」

「っ!?」

 気付いたときには既に遅かった。
 迂闊といえば迂闊だったのだ。
 だが、その迂闊を誘い込んだのも鳳凰だとするならば、やはり鳳凰は恐るべき忍者であろう。
 敵対者に敵対心を抱かせない、というのは暗殺するうえで最上級の技能だ。

 結果、己と同等、あるいはそれ以上の実力を持っているかもしれない者の顔を、人格を見事に剥ぎとり、殺した相手の部品を自らに接合する忍法『命結び』で我がものとした。
 その後、鳳凰は友人の人格を使い、見事に衰退していく真庭忍軍を纏め上げ、起死回生の一手を打ち、そして滅んだ。
 戦国を戦い抜き、太平の世になってもあの手この手を使い、離散していくのを無理に継ぎ接ぎにして、ただ一人の親友とも呼べる友を犠牲にしてまで生き長らえようとした、真庭忍軍はただ一人の生き残りもなく討ち死にした。

 しかし、彼らは最後までただ生きて死んでいったのだ。
 その在り方は確かに忍者だった。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 21:45:52.75 ID:i6J6T3ztO








十一振り目・完了












134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 21:47:10.92 ID:i6J6T3ztO








十二振り目・炎刀『銃』所有者 左右田右衛門左衛門








135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:48:43.48 ID:i6J6T3ztO





彼の始まりは否定の言葉から始まった。

「否定する。 私はあんたを否定するわ」

 それが一度は死んだ彼を生き返らせてくれた、主の言葉だった。
 普通ならば、主にこのような言葉を言われれば、消沈するか憤るか或いは恐れるかのいずれかだろう。
 だが、右衛門左衛門は主のそんな言葉に笑みすら浮かべて、受け止める。

「申し訳ありません、姫様。 またしてもあの奇策士にしてやられました」

「はん、だから否定すると言っているわ。 してやられたのは私であって、奇策士の敵は私であって、お前は敵とすら見做されてはいないわ。 思い上がるのも大概にしなさい」

 この尾張幕府において唯一、右衛門左衛門の主、尾張幕府家鳴将軍直轄預奉監察所総監督、否定姫の敵となる存在、尾張幕府家鳴将軍直轄預奉戦所総監督、奇策士とがめ。
 彼女によって、主が立場を失ったのはこれで何度目になるのか。そのたびに、右衛門左衛門も副監督として、何よりも否定姫の懐刀として、逆に奇策士を仕留めようとしたが、尽くが返り討ちにあい、主人と共に失脚の憂いを見ている。

 もっとも――。

「私もそのたびに舞い戻ってるわけだけどね」

 そう、何度蹴落されようとも、どれだけどん底に落ちようとも、必ず否定姫は今まで通り、まるで予め歴史で定められているかのごとく、這い上がる。失敗したから潔く負けを認めて去る、などという生き方を彼女は否定しつくす。
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:51:41.24 ID:i6J6T3ztO
「は、光栄です」

「あー、本当に鬱陶しい。 陰気臭い。 ジメジメと黴でも生えてるんじゃないの」

 褒めといて、あんまりな言い草である。

「それで? あの不愉快な女は今どうしているのかしら?」
「それが、どうやら幕府に四季崎記紀の完成形変体刀の蒐集を提案したようです」

「へぇ」

 その報告に否定姫は、ニンマリと実に楽しそうな笑みを浮かべる。

「それはまた、へえ、ふぅん、なるほどねぇ。 これはまた随分と面白くなくもないわね」

 失脚したばかりでありながら、消沈するでもなく、よりにもよって蹴落とした張本人の話を聞いて楽しそうにしている。
 主のそんな姿に、右衛門左衛門も喜ばしい気持ちになる。この情報を持ってきたのは、奇策士の情報を絶えず蒐集していたのは間違いではなかったと。

「それで、あの不愉快の女は変体刀を集められたのかしら?」
「それがどうやら真庭忍軍を使い、絶刀『鉋』を蒐集したようです」
「へぇ」
「そして、真庭忍軍に裏切られて絶刀『鉋』を持って行かれたようです」
「あら」
「次に、あの錆白兵を使って薄刀『針』を蒐集しました」
「へへぇ」
「そして、薄刀『針』を持ち逃げされたようです」
「あらら」
「以上を持って、二本を蒐集して、二本とも奪取されました」
「アハハハ」

 表情だけでなく、今度は声を上げて大笑い。
 腹まで抱えて身を捩っての大笑い。
 目元には涙さえ浮かんでいた。
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:52:41.32 ID:i6J6T3ztO
「本当に、あの不愉快な女は面白いわね。 この私をここまで笑わせてくれるなんて」

「しかし、最終的に奪取されたとは言え、あの完成形変体刀とを一度は二本とも蒐集したのは流石と言えるでしょう」

「まあねえ、何せ旧将軍が国の威信を駆けて、国の力を傾けてまで集めようとして集められなかった一本も集められなかった、そういう事になっている代物ですもんねぇ。 まあ、大したものといえば大したものね」

「そして、今度はどうやら先の大乱の英雄、虚刀流の者に協力を求めに行ったようです」

「へえ、虚刀流ねえ。 確か刀を使わない剣士だっけ? ふぅん、あの女らしい大胆な手ねえ」

 このときは、まだ虚刀流が一体なんなのかというのを、その正体を否定姫もまだ知らない。
 知っていれば、恐らくその皮肉めいた縁に、より自分と宿敵との奇縁に笑い転げていただろう。

「しかし、完成形変体刀を表に引っ張り出すというのなら、私もあんまりのんびりとはしていられないわねぇ。 さっさと復権して、一族の悲願とやらを見届けてやらなくてはならないのかしら。 右衛門左衛門」

「は」

「今回は多少強引でも早めに復権するわよ。 あんたのことも扱き使ってあげなくわないわ」

「私は姫様のお陰で生き返った身です。 私は姫様のために生きるだけです」

「あー、ウザい。 本当に鬱陶しいわね。 そういう辛気臭いあんたの考えを私は否定するわ」

 本来ならば、褒められるべき忠信を否定姫はあっさりと手酷く否定する。
 力強い否定に右衛門左衛門は幸福感すら覚える。

「あ、でもちゃんと、あの不愉快の女の情報も集めておくのよ」

「心得ています」


 だから、例え否定されてもこの生命は主のために尽くすのだ。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:56:09.66 ID:i6J6T3ztO





 右衛門左衛門は主に散々に辛気臭い、陰湿と言われる顔を更に鬱屈とした者に歪めていた。
 むろん、その顔には『不忍』の文字が書かれた仮面が付けられ、表情は見えないのだが、それで隠しきれない陰鬱な雰囲気が溢れていた。

 主に命じられて奇策士と奥州百刑場との関係を調べてきた。調べ上げてきた。
 その結果は、やはり黒だった。そこはさすがは主の慧眼と思えたが、しかし、事はそれだけでは済まなかった。
 結果が黒すぎた。真っ黒だ。漆黒の暗黒だった。
 この結果を、主に報告しないわけにはいかない。
 だが、報告すればきっと主は大いなる不満に襲われるだろう。

 それでも、彼は忠実にありのままの調査報告を伝えた。

 そして、案の定、否定姫は未だかつて見たことのない苛立ちを覚えていた。
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:57:42.02 ID:i6J6T3ztO
「本当に本当に、あの女はどこまでも不愉快よね」

 それは問いかけるような言葉だったが、しかし右衛門左衛門は何も答えない。
 それが答えを求めるような言葉ではないと分かっていたから。
 だから、代わりに酷く事務的な、役割的な問いを返した。

「それで、奇策士の処遇いかが致しましょうか」

「いかがも何も、あんたの報告が確かなら、やることは一つでしょう」

 つまりは、右衛門左衛門の手で処罰しろということ。それが監察所の仕事なのだから。
 しかし、それはあくまで役割としての言葉で、役目としての義務であって。
 主である否定姫の望むところではなかったはずだ。

「右衛門左衛門、私たちは一体何度あの不愉快な女に蹴落されたんだっけ」

「それは――」

「あー、良いわよ本当に答えなくて。 っていうか、そんなもの本当にいちいち覚えてんのあんたは? どこまでも陰湿で鬱陶しい奴よね」

「申し訳ありません」

「はん、謝ってあんたの陰湿は治るのかしら? 少なくとも私にはそうは見えないけどね」

 その言葉は、いつものような鬱陶しがるようなものとは違う、苛々とした刺々しい物言いだった。
 まるで、気に入らないことがあって八つ当たりをしているような、物言い。

 右衛門左衛門はそれがまるでもようなも、ズバリそのままだと分かっていた。分かっていながら甘んじた。主の苛立ちを受け止めるのも役目だと、それが右衛門左衛門の考えだった。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 21:59:03.74 ID:i6J6T3ztO
「だけどさあ、その考えるの思い出すのも億劫なくらいに私はあの不愉快な女にしてやられてきたわ。 だから今度は私があの不愉快な女を同じくらい辛酸を舐めささせてあげるつもりだったのに、結局これじゃあただの一回だけどん底に突き落とすしかできようがないわ」

 それが、ひどく恨めしい、と否定姫は想いを吐き出す。

「ならば、この件握りつぶしましょうか? 多少面倒ではありますが、やってやれないことは無いはずです。 それにどのみち今の幕府は」

「否定する。 私はそんな腑抜けた提案を否定するわ。 例えどれだけ不本意だろうと相手が見せた隙を見逃してやるほど私はお人好しでもなければ、余裕もないの。 全ては単にあの不愉快な女の迂闊さよ」

 それは今まで聞いたことな無いほどに強い否定だった。
 本当に否定したいことを、否定するためにあえて強く否定を重ねた言葉に右衛門左衛門は聞こえた。

「ならば、私はこれより職務を全うしてまいります」

「いちいち言わずに行けばいいでしょうが、本当に鬱陶しいのよ」

 仕事ならば、やることが明白ならばわざわざ報告してから出かけるなどムダでしか無い。
 それでも右衛門左衛門がわざわざ確認するように言ったのは、彼が動くのは仕事だからではないからだ。

「私が動くのは姫様のためだけです。 故に姫様のお言葉でしか動きません」

「本当に鬱陶しいのよあんたは。 さっさと行ってきなさい」

 その言葉を受けて、ようやく右衛門左衛門は天井裏より去った。
 その後、奇策士とがめ――先の大乱の首謀者飛騨鷹比等の一人娘容赦姫を炎刀『銃』にて殺害。
 彼女の刀であった虚刀流七代目当主にして四季崎記紀の完了形変体刀、虚刀『鑢』たる鑢七花との壮絶な戦いの末、討ち死にした。

 それは歴史的必然でったかもしれない。
 それは四季崎記紀の思惑なのかもしれない。
 だが、彼は、主に否定されながらもその命を主のために尽くした。
 否定姫のために戦って死んだ。


 その彼の生き方を、死に様を、否定姫は否定することはなかった。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:03:11.16 ID:i6J6T3ztO








十二振り目・完了








142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:04:16.03 ID:i6J6T3ztO








嘘刀語・完了








143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:06:30.12 ID:QbC/hc3eO
終わりかな? 乙。 面白かったよ
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:12:11.34 ID:i6J6T3ztO

























ーーー虚刀『鑢』所有者 とがめ
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:13:18.32 ID:i6J6T3ztO





 北陸地方。
 加賀藩は山科の地。

 金が取れることでも有名なこの地は、藩としても非常に栄えていた。先の大乱で首謀者である奥州に近い位置でありながらも、今なおその栄華は衰えることがなかった。

 その加賀藩城下町の傍を流れる犀川の土手に、彼らは居た。
 一人は特徴的な白髪を日本人形のようなオカッパ頭にした、十二単のような派手な着物を着込んだ女。
 もう一人は上半身裸の引き締まった肉体を持つ長身長髪のボサボサ頭をした男。

 女は尾張幕府家鳴将軍直轄戦所預奉所総監督、奇策士とがめ。
 男は無刀の剣士、虚刀流七代目当主の鑢七花。

 大層な肩書きだった。
 そして大層なのは肩書きのみではない。
 かつて旧将軍ですら蒐集することが叶わなかった、伝説の刀鍛冶四季崎記紀が打ちし変体刀、その中でももっとも完成度の高かった完成形変体刀十二本をわずか一年で蒐集するという偉業を達成してみせた。

 たった二人で、とは言わない。
 この二人だからこそ達成できたのだと言うべきなのだろう。
 少なくとも当人たちにとっては、そう言われたほうが喜ばしいと思うだろう。

 さて、そんな大層な二人が、刀集めという大仕事を終えてその旅を終えたはずの二人が、何故未だにこんな所に居るのかといえば、新たな変体刀が見つかったというわけでもなく、またただの観光というわけでもない。

 その答えはとがめが手にしている大きな用紙と筆が意味していた。
 より正確に言えば、とがめが手にした筆で紙に書き込んでいるモノを見れば、だ。
 そこに描かれているのはとがめ達がいる周辺の風景だった。しかし、それはよくある風景画とは違った。抽象さはなく、片隅には寸法の参照が書かれていた。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:14:26.20 ID:i6J6T3ztO
 二人の旅は完成形変体刀の蒐集を終えても終わることがなかった。とがめはその後、国の正確な地図を作ることを提案、そしてその実行に名乗りを上げた。旧将軍ですら成し得なかった四季崎記紀の完成形変体刀十二本の蒐集という大役を成した直後に、またしても日本地図作成などという大仕事を自ら提案し実行するのは、とがめ自身の地位をより確実に強力にするためだった。

 と、まあ表向きはそういう理由だった。

 普通は表向きは国家安寧のため、とかなんとかのご大層な理由付けで、地位云々というのが裏向きの理由なのだが、今更その程度は誰もが考えることで、わざわざ裏表を指摘するようなことではなかった。

 だからこその、表向きの理由。
 ならば裏、というか真の目的はといえば――至極個人的で局地的なともすれば矮小で卑小な、だからこそ希少で貴重な目的だった。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:15:41.84 ID:i6J6T3ztO
「ふぅ、さすがに肩が凝ってきたな」

 とがめは今まで走らせていた筆を止めて、大仰に肩を回して言う。
 見れば、高かった太陽も傾いて赤い光を放っていた。
 七花はそんなとがめの弱音を横で寝っ転がって目を瞑ったまま聞いていた。

「肩だけでなく腕も疲れてしまったわ。 これは誰かに揉んでもらわねばな」

 とがめはまるで誰かに聞かすように、訴えるように、求めるように言う。
 もっとも、この場に誰かも何かもとがめ以外にはもう一人しかいないわけだが。
 そしてその一人はといえば、やはり横になって目を瞑ったまま穏やかに聞いていた。というか、これはどう考えても――。

「ちぇりおー!」

「んおっ!?」

 無防備な脇腹へと綺麗に吸い込まれるようにとがめの拳が炸裂する。

 さすがに驚いたように声を上げて目を開いたが、それだけだった。鍛えあげられた七花の鋼のような身体には痛みも与えられなかった。むしろ、殴ったとがめの手のほうが痛かった。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:18:11.69 ID:i6J6T3ztO
「なにすんだよ、とがめ」

「なにすんだではない! 私が仕事をしている横でよくものうのうと寝ていられるな、そたなは」

「仕方ないだろ。 俺に出来ることなんて無いんだから」

 とがめの文句に、七花は拗ねて答える。
 七花自身、とがめの役に立ちたいという想いはあるが、しかし残念ながら地図作りにおいて七花が役立てることは何もなかった。以前、モノは試しと地図を描いてみたが出来は酷いものだった。

 その後も七花は何度か挑戦してみたが、そもそも地図作成に意外な才能を発揮していたとがめと比べられる物でもなく、結局地図作りはとがめに任せっきりにするしか無いという現状だった。

「俺だってとがめの役に立ちたいさ。 だけど、俺は戦うことしか能がないんから」

「ふん、そなたが自分をどのように評価しているか知らぬがな、私はそなたをそのように低い価値では見ておらんよ。 でなければ、ただ戦闘能力が高いだけならば、そなたを腹心に選んだりなどせん」

「俺の他の価値ってなんだよ」

 得意げな主に七花は疑わしい目を向ける。
 とがめが得意げに胸を張っているときは大抵碌なことが無いと、経験上学んでいた。

「そうだな、とりあえずは私の後ろに回れ」

「はいはい」

 しかし言われたとおりに七花はとがめの後ろへと回る。

「肩を揉め」

「了解」

 そして言われたとおりに肩を揉む。
 どうやら先程の大仰な仕草は七花への当て付けではなく、本当に凝っていたようだ。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:19:30.58 ID:i6J6T3ztO
 七花も慣れたもので(何せ足踏みほぐしの経験すらある)とがめの凝っている箇所を的確にほぐしていく。その効果の程は緩みきったとがめの表情で一目瞭然だった。

「うーむ、もう少し首側をやってくれると具合が良いかも――おお、そうそう、そういう感じ。 分かっているとは思うが、鎖骨にだけは触れるではないぞ」

「いや、まあ良いんだけどさ。 俺の他の価値ってこれか?」

 確かに一年間やらされ続けてきただけに按摩の腕前は上達したが、それは剣士として、刀としてはかなり微妙な評価だった。

「馬鹿者。 私の腹心を見縊るような評価をするではない。 もちろん、これも非常に重要な価値ではあるがな」

 按摩も重要らしい。

「じゃあ、なんだよ。 俺の価値って」

「ふん、初めに行ったろうに、そなたは物覚えが悪いな」

 そう言うと、とがめは自分の肩を揉んでいた七花の手を取り、自分の体の前へと回す。身体を倒して背中を七花の胸へと預ける。

「そなたはこうして私に安らぎを与えてくれれば良い」

「了解」

 とがめの言に七花は短く答えて、とがめの身体に回した腕に少しだけ力を入れる。

 より安定した姿勢にとがめは先程の緩みきった表情とは違う、安らかな表情。目が細まっているのは夕日の眩しさからだけではないだろう。そのまま眠りにでも落ちてしまいそうな安心しきった顔だった。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:20:46.29 ID:i6J6T3ztO
「奇妙なものだな。 私は今まで二十年近くこれ程に自分というものを他人に委ねたことは無かった。 それがたかだか出会って一年のそなたにこうまで委ねて、安らぎを与えてもらうとわな。 そなたはいつでも私の期待以上の事をしてくれる。 本当にどれだけ感謝してもしきれぬわ」

「なに言ってるんだよ、とがめ。 らしくもない」

「ふん、私にだってたまには感情的になるときはあるさ」

「え、たまに?」

「何が言いたい?」

 今までの穏やかな声とは一転、刺すような冷たい声に七花は慌てて首を横に振る。

「まったく、そたなこそ感情的になったは良いが、だんだんと私に反抗するようになってきたな」

「そんな訳ないだろ。 俺はとがめに惚れてるんだぜ」

 普通なら恥ずかしくて言えなさそうな言葉を平気で口にする七花。こういう所は未だ未成熟だった。

「惚れている、か。 そうであったな。 しかしな、確かに私はそなたに惚れて良いとは言ったが、それでもよもやそなたを腹心にするとまでは思わなかったものだ」

「俺もまさかここまであんたに惚れ込むとは思わなかったけどな」

 一年前、無人島に訪れたとがめと、そこで暮らしていた世間知らずの七花は出会った。
 あるいは、ひょっとしたら出会うだけ出会って終わっていたのかもしれない。少なくとも、初めのうちは七花はとがめに対してもとがめが持ち出した話にも興味はなかった。
 だが、とがめの素性を知り、決意を知り、強さに惹かれて、とがめに惚れた。

 そこから一年間の旅路を経てお互いの絆はより強固に、より深くなっていた。
 互いの存在が互いに安らぎになるほどに。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:21:59.77 ID:i6J6T3ztO
「そう、そなたに矢面は任せても、このように背中を任せるとは思いもよらなかった。 だがどうだ。 今ではむしろこの安らぎが無くなるほうが思いつかない。 いや、思いたくもない、だな」

「はは、そう言ってくれると俺の方もありがたいな。 なるほどそれが俺の価値が」

 ようやく納得いったと笑う七花。

「そうだとも、だから、故に、ここで改めて命じる」

 それに対してとがめは穏やかな、それでいて威厳に満ちた声で自身の刀に、腹心に命ずる。

「そなたはそなたを護れ。 一切の傷を受けることを認めん。 そなたが傷つけば私はこの安らぎの代わりに悲しみを受けることになる。 そながを失えば私はこの安らぎの代わりに絶望に陥ることになる」

「…………」

「返事はどうした。 了解したのならば返事をせんか」

「極めて了解」

 その力強い言葉に、とがめは安心して微笑む。
 それで気が緩んだのか、瞼が重く感じた。安らぎに細めていた目がより細くなる。
 本当に、こんな風に誰かと一緒にいて気が緩むなどということは無かった。

「あれからもう一年なのだな」

 改めて感慨深げに言う。
 真っ赤な夕日に当てられて感傷的になったのかもしれない。
 意識が遠くなりながらも確かに感じる背中の温もりと赤くなった景色を見ながら、ここまでの道程を思い返す。

 血のように紅く染まった視界が、走馬灯のように一年の思い出を映し出す。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:23:14.65 ID:i6J6T3ztO


 睦月――七花と出会った。
 如月――七花の口癖を考えた。
 弥生――七花に抱えられた。
 卯月――七花への信頼が強まった。
 皐月――七花が嫉妬を見せてくれた。
 水無月――七花との隠し事が無くなった。
 文月――七花の新技を考えてやった。
 葉月――七花の覚悟を聞いた。
 長月――七花の唇を奪った。
 神無月――七花と故郷へと帰った。
 霜月――七花への思いを確信した。  師走――。


153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:27:57.91 ID:QbC/hc3eO
あぁ……
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:30:27.39 ID:i6J6T3ztO
 たった一年。
 されど、今までの人生とは比べものにならない濃密な一年だった。
 だからこそ、結ばれた絆がある。
 だからこそ、芽生えた想いがある。
 そうでなければ、ただ一方的に惚れられているだけならば、不審になどしたりしない。
 安らぎを与えてもらうなど出来ない。
 そして、七花を腹心にしようというのならば、この図体ばかりがデカく子供のような男が与えてくれる安らぎに応えるならば。


 彼のように想いを口にせねばなるまい。
 だから、落ちそうになる瞼をこらえ。
 だから、堕ちそうになる意識をこらえ。
 夢を見るのはここまでだ。
 とがめは七花を見る。

155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:31:45.63 ID:i6J6T3ztO


 子供のように泣きじゃくっている、七花の顔を。
 もはや赤が濃すぎて黒になりつつある視界。
 それでも最後の言葉を、散り際の言葉を告げるために。
 せめて最後は愛おしい者の顔を見たいがために。
 必死になって生にしがみつく。
















「わたしはそなたに、惚れてもいいか?」








156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:32:51.10 ID:i6J6T3ztO








虚刀語・終了








157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/06(水) 22:33:42.43 ID:i6J6T3ztO
というわけでこれで本当に終わりです。
これまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:38:48.95 ID:9Tmen8wT0
懐かしくて、泣けた
素晴らしいクオリティだった
SS全盛期の頃を思い出したよ

面白かった
これが、これこそが、面白いSSだ
そのことを思い出させてくれて、ありがとう
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/06(水) 22:39:14.45 ID:QbC/hc3eO
うぉおおおお……乙!!

とがめの話は卑怯だぜおい……
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/06(水) 22:41:42.83 ID:FS/7GLqoo
タイトルそのものも嘘だったのか
乙でした
いいSSだった
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/06(水) 23:03:28.51 ID:+wbAgVQm0
すごく面白かったまた書いてください
最近SSも廃れ気味で寂しいなあ
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