【たぬき】高垣楓「迷子のクロと歌わないカナリヤのビート」

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179 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:19:20.00 ID:aiDwMVos0

 神仏習合にて「権現」と呼び称されるようになった熊野の祭神ですが、紀伊山地はそれ以前から神秘の場所。
 人々の宗教体系からは外れた「まつろわぬ神々」もまた存在します。

 高垣は人の身でありながらその輪に加わり、異界の加護を受けようというのです。


 ――「素材」に選ばれたのは、当時7つになる前だった、双子の姉妹でした。


 双子とは、普通の肉親よりも繋がりの深い関係です。
 同じ血を分けるだけでなく、二つの身体(うつわ)に一つの魂を分けた、文字通りの一心同体。
 当主……つまり姉妹の親は、神域に娘二人を連れていき……

 姉の方を、贄に捧げました。

180 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:21:24.88 ID:aiDwMVos0

 ……「熊野」の語源は「隈野」、すなわち「地の果て」を意味します。

 伊勢が表とすれば熊野は裏、死者の国。古来より霊魂が集まる場所とされてきました。
 遺体を山岳の麓に葬った時、魂は山を登り、頂に到達して神となる――そうした山岳信仰が由来となっています。
 いわば、再生の地だったのです。

 双子の片割れは「そちら側」に渡り、もう片割れはこの世に残る……

 そうして、二人はひとつとなります。

 生きながら、魂の半分は神域に在る。いわばそれは、半神半人の存在と言えましょう。

181 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:22:26.72 ID:aiDwMVos0

 ――以後、高垣は盛り返しました。
 人が集まり、幸運に恵まれ、信仰もお金も嫌というほどもたらされ、現代に至ります。

 それもこれも、新たに打ち立てた「半神」のもたらす恵みによって。


 ……ですが、それが魔道でなくてなんだというのでしょう。

 古くから熊野にある家々は、今や「高垣」の存在を固く秘します。
 ある家は言います。高垣は、神を宿した家だと。
 またある家は言います。高垣は、鬼の棲まう家だと。


 私から言わせれば、そのどちらでもありません。

 結局のところ、ご先祖は信仰そのものではなく、家のため……ただ我欲のためにそのようなことを行いました。
 そんなことをするのは、どこまでいっても「人」です。

 人以外の、何者でもありませんよ。
182 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:23:56.24 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


「それからというもの、高垣の家には双子が生まれるようになります」


 俺の頬に両手を添え、寝物語のように紡がれる言葉の数々は、まるで実話とは思えないものだった。
 だが彼女が話しているのは、遠い昔話ではない。彼女自身と地続きの「今」の話だ。

「五十年に一度、あるいは百年に一度……。不定期ですが、決まって『娘』が。
 その度に、同じ場所へ参り、片方を贄とします。姉妹が七つになる前に」


 ――楓ちゃんは人間よ。私が保障するわ。

 ――彼女は人の身ながら人の手に余る。神業、あるいは魔性のそれよ。

 柊さんの言葉が脳裏に蘇る。
 荒唐無稽と誰が切り捨てられるだろうか。この目で見たことが、すべて嘘偽りない真実だ。


「七つで消えた彼女の名は、樒(しきみ)といいます。
 歌が上手で、明るくて、いつも私を引っ張ってくれる……自慢の姉でした」

183 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:25:19.97 ID:aiDwMVos0


 そして、真実であればあるほど。

 穏やかに語る彼女の姿が、たとえようもなく孤独に思えた。


「『高垣楓』とは、ですから、器の名前なんです。
 容れるモノが無ければ空っぽな、ただのお人形」


 雨は降り止まない。川面と雨滴に散らされたネオンが、彼女の顔をまだらに照らす。

184 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:26:21.22 ID:aiDwMVos0

「人は私を通して、色んなものを見ます。信仰、理想、羨望、嫉妬……あるいは、遠い過去の後悔」

 ぎくりとした。

 高嶺の花とは、往々にして見る者の様々な認識を投影するものだ。
 強固に積み上げられたイメージの鎧が、その人の実情を覆い隠す。
 本人が望むと望まざるとに関わらず。能力や容姿といった外面的要素に、他人が張り付けていった値札の数々。

 トップモデル。夜市の歌姫。憧れの美女。神に近い何か。

 他人を前にした時、彼女は常に「何者か」であることを強いられる。

 俺自身、彼女にそれを求めてはいなかっただろうか。
 歌や実力といった付加価値に魅入られながら、その奥にある「高垣楓」をどれほど知っていたというのだろう。

 高垣さんは己がそう在ることを受け入れていた。

 諦めのためか。生い立ちのせいか。


 身の内に神を宿して、多分ずっと遠い場所から、人の輪を見つめるだけで。

185 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:29:03.55 ID:aiDwMVos0


「……こんな話をしたのは、志乃さん以外にはあなたが初めてです。
 姉は……樒は、あなたに何か、私たちと似たものを感じたんだと思います」


 頬に触れていた手が離れる。
 高垣さんはそっと俺から離れ、傘を差してくれた。慌てて膝立ちになり彼女と向き直る。

「だから、これ以上一緒にいることはできません。……あなたまで、連れていかれてしまいますから」

 高垣さんは最初から、俺が見ているような領域の人ではなかった。

 彼女の笑顔はひどくぎこちない。全て打ち明けるだけでも相当の勇気を要しただろうことがわかる。
 一介のサラリーマンにこれ以上何ができるというのだろう。
 俺の手には余る――柊さんが言う、まさにその通りの事態じゃないか。

 だけど、何か考える前に動き出していた。

 足を一歩前に、手を伸ばして。
 理屈とか損得ではない、もっと根本的な感情のうねりに押されて、目の前の人を行かすまいと。

 その一歩から先が、嘘みたいに遠いことを知る。

186 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:30:12.22 ID:aiDwMVos0

 高垣さんが浮き上がる。雨を浴びながら重力から解き放たれ、もう二度と届かないところまで。
 泣きぼくろを備えた左眼がちかりと輝き、神性の青を帯びる。


「高垣さん!!」
「さようなら」


 冷たい風をひとつ起こし、高垣楓は目の前から消えた。
 碧色の右目から、一筋の涙を流しながら。

187 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:30:44.18 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


「ん?」

 気が付けば、橋のたもとにいた。
 とっぷり夜も更けた時間帯だ。雨も降ってるし、寒いし。


 ……ていうか、なんでこんなところにいるんだっけ?


 何か用があった覚えは無い。帰り路とも正反対だ。
 ……参ったな、何も思い出せないぞ。微妙に頭がクラクラする。今日って誰かと酒飲んだりしたっけ?

188 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:32:09.33 ID:aiDwMVos0

「って、なんだこりゃ」

 さっきから普通に差している傘だが、どう見ても俺のものではなかった。
 コンビニで適当に買ったビニ傘よりもよほど上等で、しかも多分、女物だった。
 どういうことだろう。酒に酔った挙げ句の傘泥棒なんて笑えないぞ。

 周囲をきょろきょろ見渡してみても、元の持ち主らしき人はどこにもいなかった。
 途方に暮れた。かといって、そこら辺にほっぽって帰ってしまえばそれこそ傘泥棒の所業だ。

 少し迷い、今日のところはひとまず持ち帰ることにした。
 覚えていないだけで職場の誰かから借りたのかもしれない。心当たりのある人に尋ねてみて、どうしても見つからなかったら交番に届ければいい。

「…………帰るかぁ」

189 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:32:56.98 ID:aiDwMVos0

 
 誰かと会っていた気がする。

 誰なのかはわからない。


 地を這う冷たい風に身震いした。風は足元から背中のあたりを這いあがり、ずっと上空に吹き抜けて消えた。
 その頃にはもう思い出せない何かより、明日の仕事のことに思いを馳せていた。

190 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:34:10.18 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


 かえちゃん、泣いたらあかんよ。
 うちはええ。カミサマのひとつになるんや。なんにも怖いことなんかないよ。

 ……でも……しいちゃんがおらんの、うち、いやや。

 なん言うとるの。うち、ずっとかえちゃんのそばにおるよ。
 かえちゃんの中に入って、ずうっと守っちゃる。

 ……でも……でも……。しいちゃんがおらんと……うち……なんにもできんもの。

 ほな約束しよか。
 うちがな、かえちゃんのそばにいてくれる人、見つけちゃる。
 かえちゃんのこともうちのことも全部知って、ほんでもそばにいてくれる人を、なっとか見つけちゃる。

 ……ほんまにおるんかなぁ。

 おるよぉ。きっとおる。せやさかい、それまでの辛抱や。
 かえちゃんもあんじょうしっかりするんよ。ええね?

 ……うん。

 それまで、もう一つ歌を教えちゃる。そいを歌って、きばるんよ。

191 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:35:54.58 ID:aiDwMVos0

   〇
 

 ええ。覚えていますよ、姉さん。

 ですが、この身にまつわる因業を、一体誰に背負わせられるでしょう。

 これは重荷です。表の世界を生きる人々には、決して押し付けてはならないモノなんです。

 私はいいんです。あなたさえ一緒なら、それで満足なんですよ。樒姉さん。


「歌を……忘れた……カナリヤは……後ろの山に……棄てましょか……」

『いえいえ……それは……かわいそう……』

「歌を……忘れた……カナリヤは……背戸の小薮に……埋めましょか」

『いえいえ……それは……なりませぬ……』


 ――――泣いたらあかんよ、かえちゃん。うちが代わりに泣いちゃるけ――――


  【 秋 ― 終 】
192 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:36:56.95 ID:aiDwMVos0

※樒(シキミ):

 関東以西の山中に自生する、マツブサ科シキミ属の常緑小高木。
 古来より神仏事に用いられ、特有の芳香があり、花は墓前や仏壇の供花となる。

 花、葉、茎にいたるまで樹木全体に毒を持ち、特に果実は致死性の猛毒を秘める劇物。
 そのことから「悪しき実」と呼ばれ、転訛して今の名が付いたと言われる。


 静岡県、鹿児島県、和歌山県南部などに主な産地を持つ。

 花言葉は「甘い誘惑」「援助」「猛毒」。
193 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/27(土) 16:38:29.51 ID:aiDwMVos0
一旦切ります。
更新クッソ遅れて申し訳ありません。そろそろ終わりに向かいます。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:40:06.53 ID:iqDq5e9eo
天狗かと思ってたが、もっと高位のぞんざいなのかな?
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:40:12.58 ID:j0X2rTAOo
待ってます
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:46:26.74 ID:XBm/6btW0
双子の片割れが贄っていうのは割りと伝承としては聞く話
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:46:58.97 ID:WjiTqCp1o
寺生まれシリーズのよしのん完全体みたいな感じかな?
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/27(土) 20:32:39.22 ID:QNi70RGTo
唐樒なら時子様が大量に使ってそうだけど
樒は劇薬
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 20:49:44.00 ID:N2QhRuGDO
たしか、神様に捧げるのが榊なら、こっちは仏様だっけ


あと、戦国時代とかにはトリカブト同様に兵糧丸に使われていたらしいね(食中毒に効果があるとか)
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 23:55:13.32 ID:uIvwTs58o
よしのんと歌鈴の合わせ技では?
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/28(日) 18:11:13.40 ID:9Mt7mmtnO
 ……ああ、そりゃ最愛の家族が目の前で封神されるのを見ているしかできなかったんじゃなあ……。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/08/04(日) 21:36:40.33 ID:Lkqfr4n00
ラストがどうなるのか全く読めないな
203 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/22(木) 00:10:22.51 ID:rmOYl90d0

  【 冬 : 君と出会う 】


 転げ落ちるように冬になった。

 このところは気温の低下と日没の早まりがはなはだしい。
 急激に深まりゆく冬の気配に押されて、会社は徐々に慌ただしくなっていく。

 特にアイドル部門は、年越しニューイヤーライブの準備に大忙しだった。

 舞台芸能はどこもそうだが、裏方にとっては準備期間こそ本番。
 アイドル部門で働く人々は今日この時が戦場とばかりに社内外を駆け回り、「アイドルの舞台」を一つ一つ構築していく。
 部門に所属するアイドルたちも毎日がレッスンの連続で、レッスンルームが空いている時間が無い。

 一年の集大成。春から駆け抜けた新規アイドル部門の、ひとつの結実。

 そのような意味を込め、川島瑞樹率いる第一芸能課を筆頭として、みんながラストスパートをかけていた。
 厳しい寒さをものともせず。同じ方角を見て、一直線に。


 俺は――

204 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:11:23.76 ID:rmOYl90d0

   〇


「聞きました、Pさん?」

 会社の事情通こと千川さんが、隣のデスクから耳打ちしてくる。

「はい?」
「高垣さん。今年いっぱいで辞めるそうじゃないですか」

 ……?

 いまいちピンと来ていない俺に、千川さんは何故か信じられないという顔をした。

「高垣さんですよ! 今モデル部門がてんやわんやなんですよ?」

 高垣さん。高垣楓さん。
 知らないかと言われれば、そりゃ知ってるが。

「ああ……確かモデル部門の花形でしたっけ。辞めちゃうんですか? どうして?」
「どうして、って……」

205 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:12:18.83 ID:rmOYl90d0

 こっちとしても意外ではあったのだが、千川さんには俺のその反応こそが予想外だったようだ。
 人目を憚るように周囲を見渡し、誰も聞いていないことを確かめて、ずいっと顔を寄せてくる。

「だからそれを聞いてるんじゃないですか……! Pさん何か知らないんですか? 急すぎるでしょ!?」

 そんなことを言われても。
 モデル部門の人の進退をただのアシスタントが知るわけもない。
 あちらにヘルプに出たことは何度かあるけど、トップモデルなんて名簿と写真の中の人でしかないのだ。

「……Pさん、何かあったんですか?」
「何もありませんけど……千川さんこそ、どうしたんですか? 疲れてません?」
「いえ、――いえ。なんでもありません。取り乱してすみませんでした」

 俺の目に嘘が無いことをようやく納得してくれたらしい。
 千川さんは何か言いたげな雰囲気を強引に飲み下して、無理やり気味に会話を打ち切った。
 わけがわからない。
 ひょっとして何か行き違いがあるのではと思ったが、俺自身に『心当たりがまったく無い』ため、どう確認を取ればいいのかもわからなかった。

 ……高垣楓さん。

 名前だけ知っているその人に、俺は会ったことがない。
 なのに何故か、名前の響きだけが頭の中に強く残った。
206 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:13:12.51 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 そういえば、今年ってどんなことしてたっけ。
 振り返れるほど上等な経歴ではなかったように思うが。
 事務処理にアシスタント、その他諸々お城の雑用。それくらいのものじゃなかっただろうか。

 そうだ、アイドル部門ができて、それには極力関わらないようにしていた。
 幸いそっち方面からの仕事は来ていないと思うが、そういえば同僚が二人、プロデューサーに転向して……。

 あとは……なんだったっけ。

207 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:19:03.69 ID:rmOYl90d0

   〇


「はぁ〜ダレた……地獄のスケジュールだぜマジで……」
「年越しまでは踏ん張りどころだからなぁ……」

 このところは気軽に飲み会も開けなくなった。
 事務所の廊下でコーヒー片手に、タクさんヨネさんと近況報告がてらの世間話をしている。

 夏ごろから自分の部署を持つようになった二人は、もちろんニューイヤーライブの戦場ど真ん中にいた。
 スタドリを空ける本数もうなぎ上りだという。これもプロデューサーの宿命というやつか。

「頑張ってください。俺も応援してますよ」
「まぁ、ここまで来たからにはやるけどよ。アイツらもそれなりにサマになってきたみてぇだし」
「そういえば、Pさんは? 何かやってたんじゃないのか?」


 高垣楓。


「……え? いや、俺はいつも通りですけど」

 一瞬、頭の中にまた「その名前」が浮かんだが、何も言わなかった。
 どうしてこれほど引っかかるのかもわからなかったから。
 ヨネさんは不思議そうに首を捻る。

「あれ? そっちはそっちで、何かしてるって聞いてたような……」
「聞き間違いじゃないですか? それか人違いとか」
「何お前ヒマなの? じゃあ俺んとこ手伝ってくんね? レッスン場押さえんのも一苦労でよ」
「いやいやこっちも普通に仕事ありますからね!?」

208 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:20:22.35 ID:rmOYl90d0

 彼らの仕事ぶりは素直に尊敬している。
 入社当初から知っていたから、一部署を任されるまでになった躍進は本当に嬉しい……めちゃくちゃ忙しそうなのはともかくとして。
 あやかりたい気持ちはあるが、今の自分で満足している気持ちもまたある。

 346プロの使用人。それでいい。何の不満も無い。けれど……

「けど……」
「ん? 何か言った、Pさん?」
「……何かが。何か……足りない、ような」


 ――体がまだ、何かを追いかけたがっているような。


 考えて言ったことではなかった。
 自分の中の何かが突発的に膨れ上がって、言葉が口をついて出た。

 タクさんがサングラス越しの目をきょとんとさせる。

「何かって何だよ?」
「いや……それが、よくわからないんですけど」
「ずいぶんフワッとしてんな……疲れてんじゃねぇのか? 休み取るか?」

 いかん無用な心配をさせてしまった。
 深い意味なんて考えもしていない……はずだ。けれど、それが妙に重く腹の底に居座る。

209 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:24:48.87 ID:rmOYl90d0


「『何かが足りない』……って時は、たぶん、自分が動かなくちゃいけない時なんじゃないかな」


 ヨネさんが、缶コーヒーを片手にぽそっと呟いた。

「ヨネさん?」
「ああいや、なんとなく思ったんだ。Pさん、自分でもよくわかってないんだろ?
 そういうことあるよなって。理屈じゃないんだよな。俺も何度かそういう話をしたことあってさ」

 彼の部署はジュニアアイドルがメインとなっている。
 だからだろうか、ヨネさんは理屈や損得じゃない「感覚的」な話を整理するのに慣れているようだ。
 子供は正直だし、多感だ。けれどその感性を言語化できるほど精神が成熟していない。そこに道筋を示すのも、プロデューサーの役目だ。

「結局、何が足りてないのかは自分にしかわからないんだよな。だから、動くしかないんだ。
 思い付くことを試してみて、なんでもいいから一歩前に進めば、足元が見えてきて……
 自分に足りないものが、輪郭だけでもわかるんじゃないかと思う」

 続く言葉に耳を傾ける。
 彼は、「プロデューサー」の顔をしていた。


「それで多分、同じような思いを持ってるのは一人じゃない。
 だから自分だけでもそれに気付けば……似たような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないかって」

210 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:25:25.18 ID:rmOYl90d0

 ヨネさんは言い終えた後、照れたように「なんてな」と付け加える。
 思いがけず真面目っぽい空気になり、沈黙が降りた。

 ふと、タクさんがポケットからスマホを取り出して、何かの再生ボタンを押す。

『同じような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないか……みたいな』

「って!! なんで録音してるんだよ!?」
「いや、なんかイイこと言ってんなぁと思って……」

 消してくれ、いーや消さない、今度の飲み会でネタにする、とかなんとかわちゃわちゃやり始める二人の横で、俺は考え込んでいた。
 いつしかコーヒーは空になっていた。
 空き缶を指で弾いたように、ヨネさんの言葉は思いのほか自分の中で響いている。

 似たような誰か。

 それは、誰だろう。本当にいるのだろうか?

 どうすれば、足りない「何か」に気付けるのか?
 嫌いなアイドル。人形の夢。いつも通りの仕事。近付く年の瀬。
 ヒントが、どこにも見つからない。

211 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:26:58.89 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 芸能事務所において、世間一般で言う「楽しいイベント」は「超忙しい時期」と同義だ。
 師走とはよく言ったもので、偉い人から下っ端までそこらじゅうを走り回る勢いで働いて働いて働いて。
 クリスマスにもまたイベントがあり、最初から予定もクソもない社畜には余暇を気にすることもなく、事務所に泊まり込んで。
 てっぺん回った頃に千川さんが買ってきたファミチキでせめてものクリスマス気分を味わったりして。

 そして、アイドル部門の年越しニューイヤーライブが近付く。

 もう総動員だ。当然俺も駆り出され、アシスタントとして会場をあちこち走り回ることとなる。
 本番は近い。イコール今年ももう終わるってことで。


 ――高垣さん。今年いっぱいで辞めるそうじゃないですか。


 目まぐるしい業務の中で、千川さんの言葉が脳裏に蘇る。
212 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:28:22.05 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 その日は、朝からちらほらと雪が降っていた。


 年の瀬。346プロアイドル部門の本年の総決算、年越しニューイヤーライブの当日だ。


 最終的な段取りを何度も確かめ、ゲネを終えて意気軒高のアイドル達。
 大きなドーム型ホールを貸し切り、戦場のような事前準備を終えた後、スタッフ達も完全に覚悟が決まっている。

 そのある意味最前線、物販ブースに俺はいた。
 吐き出す息が雲のように白い。スタッフジャンパ―を羽織っていても身を差すような寒さだが、「寒い」などと口に出す暇さえ無かった。
 開場前から既に長蛇の列。ずらっと並べた長机にグッズを山積みにしてお客さんを捌く捌く。
 時間があっという間に過ぎて、気が付けば休憩所のベンチでくたばっていた。

「…………凄いな」

 交代要員に後を任せ、独りごちる。

 凄い客数だった。あれほどの人々がみんな、346プロのアイドル達を見に来ているのだ。
 俺はずっと、アイドル部門をできる限り見ないようにしていた。
 だから364のアイドルブランドの成長をはっきり目の当たりにするのは初めてで、情けない話だが今さらながら度肝を抜かれた。

213 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:29:39.53 ID:rmOYl90d0

 と、見慣れた同僚が戦場帰りみたいな顔でやって来た。

「ウス」
「タクさん。どうも」
「わりーな手伝わせちまって。お前こういうの苦手なんだろ?」

 すぐ隣に座り、タクさんは胸ポケットから慣れた手つきで煙草とライターを取り出す。

「仕事ですから。……あと、喫煙所外ですよ」
「げっ、ここダメなのかよ! ったく最近じゃどこもかしこも分煙分煙ってなぁ……」

 346プロも近年分煙化が進み、社屋の各所に喫煙ルームが作られていた。
 そういえば今西部長も結構なスモーカーだったなと思い至る。彼も似たような愚痴をこぼしているのだろうか。

「舞台の方は整いましたか?」
「んまぁ、やるこたやったな。こっから先はアイツらの出番だ」

 一見するといつも通りの調子だが、彼の横顔には充実感が見て取れる。
 残るはアイドル達の本番のみ。細工は流々、仕上げを御覧じろ……という感じだ。


「どうですか、プロデューサーの仕事は」
「んぁ? あンだよ藪から棒に」
「タクさん、最初はやる気なさそうだったじゃないですか。見違える勢いですよ、今。自覚ありません?」
「あ〜〜〜〜、まァな……」

214 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:32:33.16 ID:rmOYl90d0

 火を付けていない煙草を一本咥え、唇でプラプラさせながら、タクさんは言葉を探す。

「アレだよ。猫拾うみてぇなモンだ」
「猫?」
「最初はそんな気無かったのに、どんどんでっかくなりやがる。何すっかわかんねーから目も話せねぇし、ああだこうだ世話してくっと色々覚えてきて……」

 タクさんは「はっ」と笑った。自らの担当アイドルのことを思い出したか、それともなんだかんだで励んでいる己への自嘲か。
 いずれにせよ、彼は楽しそうだった。

「……で、気が付きゃこっちが引っ張られてんだ。いつの間にかここまで来ちまってた」
「いい子じゃないですか」
「バッカお前、いい奴なもんかよ。たまにグーが出るんだぞあのバカ」

 グーは辛いな。二人して笑う。ちょっと徹夜テンションみたいなものが入ってる。
 これを越えれば、晴れて年明けだ。そして無事越えられるかどうかについて、タクさんはまったく心配していない。

「……好きなんですね、猫」
「あぁ?」
「信頼し合ってる。いい関係だと思いますよ、俺は」
「はっ、なぁにが。……けどま、お前がそう思うんなら、そうかもな――――」

215 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:33:50.90 ID:rmOYl90d0

 と。
 タクさんが急に正気に戻り、ババッと周囲を見渡す。
 休憩所に俺達以外いないことをしつこく確かめ、声をひそめて言う。

「…………おい、今俺が言ったこと誰にも話すなよ」
「は? なんでまた」
「いいから! アイツらに聞かれたら何言われるかわかったもんじゃねぇ!」

 よくわからんが大変らしい。
 今の話は内緒にしておくと約束すると、タクさんは身の縮むような溜め息を吐いた。

「俺もヤキが回ったぜ、まったく……。こんなんガラじゃねぇって思ってたんだけどな」
「いいことでしょう。人は変わるってことですよ」
「そういうモンかねぇ……」

 人は変わる。
 それはそうだ。
 本心からそう思っているのに、口から出る言葉が自分でも驚くほど空疎に感じられた。
 だったらお前はどうなんだとどこかの誰かが言っている気がする。
 いいや、俺は変わりようがない。何を得てもいないし、失ってもいない……はずだ。

216 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:34:32.02 ID:rmOYl90d0


「あ、そうだ。いっこ大事なこと言い忘れてた」

 と、タクさんが唐突に切り出す。
 大事なこと?
 たまたま同じ休憩所に来たんじゃなかったのか。意外に思う俺に、タクさんはもっと意外なことを言った。


「第一の川島サンが、お前のこと探してたぞ」

217 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:36:06.05 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


「ごめんなさいね、忙しい時に呼んじゃって」
「いえ、そんな。むしろそちらの方が、本番前で大変なのでは……」
「そっちは大丈夫よ、仕上がってるから。ちょっとだけ時間貰ったの」

 アイドル部門、第一芸能課の川島瑞樹さん。
 今回のライブでもメインMCを務める、まさにプロジェクトの牽引役だ。
 そちらに意識を向けずにいた俺でも名前は聞いたことがあるし、今や会社のエントランスホールには彼女のポスターがでかでかと飾られている。

 けど、どうしてそれほどの人が、俺を名指しに?


 ――初対面だろ?

218 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:36:57.07 ID:rmOYl90d0

「楓ちゃんの話、聞いた?」

 まただ。また高垣楓さん。

 あの人のことは知らない。会ったこともないんだ。
 ところが同じく初対面の筈の川島さんまでも、俺に高垣さんの話を振ってくる。

 ……何故か、頭が痛む。

「ええ、まあ……。あの、」
「あーいや、いいのよ皆まで言わないで。お互い大人だもの。私も細かいことは聞かないわ」

 こっちが聞きたいのだが。
 既に衣装に着替え、開幕を待つばかりの川島さんは、それでもわずかな時間に俺を呼んだ。
 そこに大した意味が無いと思うほど馬鹿ではない。だが心当たりがない。

 川島さんは残り時間を急かすスタッフに一言謝って、こう言い添えた。


「……ただね。もうちょっとだけ待って欲しいって、言ってあるの」
「待つ……? 高垣さんにですか?」
「ええ。本当は辞め次第、東京を出るつもりだったみたいだけど……今年いっぱいまでは待って欲しいって」

219 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:38:36.00 ID:rmOYl90d0

 何か。

 頭の奥で、妙に疼くものがある。

「このニューイヤーライブを見て欲しい。私達の集大成を見てからでも遅くない、って。だってこのままじゃ寂しすぎるでしょ? 私だってあの子の友達だったもの」

 俺は彼女を知っている。いや、テレビや写真で嫌というほど見たのだが、本人を前にして、改めて感じるものがある。
 この人と会話をしたことがある。
 それも、俺の方から接触を図る形で。

 ……何故? いつ、何のために?


「……だから、楓ちゃんはこの会場のどこかにいると思うの」

220 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:39:44.35 ID:rmOYl90d0

 このことを、川島さんは他の誰にも教えていないようだ。
 そういう口ぶりだった。とっておきの秘密を、こっそり伝えるような。

 だけど……それを木っ端のアシスタントに話して、一体どうするつもりなんだ?

 俺にできることなんて無い。今だってそんなこと初めて聞いたんだ。

 あの時も、あなたに頼らなければ、あの人を見つけることすらできなかった……

 あの時って、いつだ?

221 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:40:38.31 ID:rmOYl90d0

「――すいませーん! そろそろスタンバイお願いしまーす!」
「あっ、はーい今行きまーす!」

 スタッフに応じる川島さん。いよいよ本番は近い。
 そういうことだから、とウィンクして背を向ける彼女に、なんと言っていいかわからない。

 がんばってください?
 ありがとうございます?

 いや、違う。違う――――


「高垣さんは!」


 思いがけず大きな声が出た。川島さんだけでなく、その向こうのスタッフも驚くほどに。

「高垣さんは……何か、言っていましたか!? 自分のことや、なんでもいい、何か気になることは……!」

222 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:42:36.08 ID:rmOYl90d0

 どうしてそんなことが気になるのだろう。
 川島さんは立ち止まり、またほんの少しだけスタッフに合図して、天井を仰ぎ……

「…………これは、言わないつもりだったけど」

 何かを、決意した。

「楓ちゃんね。君のこと、よく話してたのよ」

「……俺のことを?」
「こんな人がいて、こんな場所で飲んで、こんなことをした。こんなことを話して、こういうことをした……って」

 振り向く彼女の笑顔は、優しかった。
 その時、確信があった。川島さんは俺のことを、俺が思うより前から知っていたのだ。
 こちらから接触する前に。
 高垣さんの話から……いわば「友達の友達」みたいな距離感で。

 だから最初に会った時、あんなに親しげだったんだ。

 ……頭の中で、何か大きな前提が崩れ去ろうとしているのを感じる。
223 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:43:54.47 ID:rmOYl90d0

「楽しそうだったわ。だから、あの子にとってあなたがどんな存在であれ、きっとすごく救われた時間だったと思うの」

 会場全体が動き出している。走り回るスタッフの気配、入場する観客の気配、腹の底に響く会場BGM。
 集結するアイドル達の気配。自分が行かなければ始まるまいに、川島さんは俺一人に何か、大切なメッセージを残そうとしている。


「『私と似ているのかも』……なんて、いつか言ってたわ。私から言うのも変かもしれないけど、あの子と一緒にいてくれて、ありがとう」
 

 そうだ。

 いつも夜だった。


 暗い夜の中にぽっと灯る光があった。見てしまったが最後、目を逸らすことはできなかった。
 春のまだ肌寒い夜、夏の乱舞する光の夜、秋の冷たい雨の夜。あれは――――

224 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:44:33.48 ID:rmOYl90d0


「!!」

 急に、耐えがたいほどの頭痛に襲われる。
 視界が大きく揺らいだ。記憶に蘇った「ある筈の無い夜」、経験した覚えのないそれらの中に、鮮やかな光の残影を見出した時……


「――ちょっと! 大丈夫!?」


 気が遠くなり、闇に閉ざされた。

225 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/22(木) 00:47:39.84 ID:rmOYl90d0
一旦切ります。
またも間が開いてしまってすみません。
今月中には完結させるつもりで進行します(なんとか)(多分)(おそらく)
226 :sage [sage]:2019/08/22(木) 01:17:44.28 ID:Nm5wFHKP0
今月あと10日切ってますが
年内に終わるかな(白目)

ジュニア相手だと感覚的に話す
なるほどと思った
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/08/22(木) 03:18:22.96 ID:jtF2jSbDO
たくみんも感覚的だよね

あと一週間で終わる?
228 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/22(木) 23:45:20.82 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 いつも、人形の夢を見る。
 だけど今回のはいつもと違った。

 あるのはたった一つの人形だった。

 頑丈な鍵付きのショーケースに仕舞われ、埃ひとつも被らないまま、人形はそこにある。
 誰もが彼女を通り過ぎる。その美しさに束の間目を奪われ、口々に褒めたたえながら、通り過ぎていく。
 鍵など誰も持っていない。もしかしたら、そんなもの最初から無いのかもしれない。

 人形はショーケースの中に在り続ける。

 誰にも触れられないまま。ただひたすらに「美しいもの」として。

229 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:46:01.12 ID:rmOYl90d0

   〇


 目が覚めると、医務室だった。
 改めて検査してみても、体には何ら異常なし。働きすぎで目が回ったのだろうと医療スタッフに言われた。

「……すみません、こんな時に……」
「いえ、いいんですよ。体を大事になさってください」

 一礼して医務室を去ろうとしたところ、スタッフがメモ用紙を一枚渡してくれた。
 川島さんの書き置きのようだった。

 そうか、あの人にも心配をかけてしまった。後日お詫びしなくては……。
 いや、今はそれよりも。

 目覚めた瞬間から気付いている。
 会場の果てから果てまで行き渡り、外にまで響いて、今も足元をはっきり揺らす巨大な震動がある。


 音楽と、人の歓声だ。

230 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:47:28.37 ID:rmOYl90d0

 廊下に出たらそれは更に強くなった。壁に貼られた会場案内図を参考に、イベントホールへの経路を探す。

 ――ちょっと待て、行く気か?
 頭の隅で声がする。今まさに行われているものが何なのか、知ればこそ理性の一部分が叫ぶ。
 ――わざわざ見る気か? 何の為に?
 言い訳じみた思考と裏腹に、体は早足で廊下を進む。震動は近くなり、高らかに歌う女性の声や、合わせて轟くコールまでもはっきりと聞き分けられる。

 分厚い防音扉に手をかけて、ほんの数秒、考える。


 ――アイドルなんて嫌いなんじゃなかったのか?


 嫌いさ。その在り方が、夢に対する現実の残酷さが大嫌いだ。
 だけど、彼女達はここにいる。

 今。

 川島さんや、タクさんやヨネさんや、千川さんやみんなが作り上げたものの最前線に、今立っている。
 たとえこれが一夜の夢だとしても、その夢に懸けて進み続けてきた者達の存在は嘘じゃない筈だ。


 その一端に。輝きに、ほんの一瞬だけでも触れてみたいと思うことは、罪なのか?

231 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:48:45.07 ID:rmOYl90d0


 折りたたんでポケットに仕舞った、川島さんの書き置き。

 その文面が脳裏に蘇る。


『あんまり無理はしないでね。――先にステージで待ってるわ!』


 迷う理由は無い。

 体重をかけ、重い扉を、一気に開ける――

232 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:50:38.27 ID:rmOYl90d0





 たちまち、音の洪水に晒された。





233 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:51:57.99 ID:rmOYl90d0

 目の前には、きらびやかな光の海があった。

 観客たちが掲げるペンライト。闇を貫くレーザーライト。リズムに合わせたストロボフラッシュ。

 そして、浮き上がるように照らされた遠くのステージ。大きなモニター。そこに映る笑顔。

 全てが混然一体となって、会場そのものを熱狂の渦としている。


 夢でも見ているのではないかと思った。
 扉一枚壁一枚で、まるで別世界だった。
 俺が踏み込んだのはいわゆる天井席の隅っこ。ステージは遠いが、だからこそドーム状の会場が一望できる場所だ。
 客席中を染め上げるライトの波が、ざわめき、打ち寄せ、大きな流れとなるのが手に取るようにわかる。


 かわいらしい歌ならピンクに、颯爽とした歌なら青く、のんびりした牧歌的な歌ならば黄色や緑に――

234 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:54:22.16 ID:rmOYl90d0


『オラァ!! まだまだ終わりじゃねーんだろうなぁ!?』

 ――ワアアアアアァァァァ……!!!


 一発、殴りつけるようなギターが炸裂し、会場はいきおい燃えるような一面の赤へ。

 あ、そうくるか! なるほど、あの布陣ならここでキメキメのロックナンバーもいけるんだな。
 会場の空気が一気に変わった。面白い構成だ。あの子は確か、タクさんのところのアイドルだったろうか?

 雄々しいサウンドが嵐のように去っていき、彼女が背中を見せた時、間髪入れず次のイントロが乱入をかける。
 舞台に立つのは、なんとジュニアアイドル。それも一人だ。ポップで明るい曲調が流れ、オレンジの花畑が咲き誇る。

235 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:55:37.66 ID:rmOYl90d0


「おお……」


 ――面白いな。テンションを維持したまま、雰囲気がガラッと変わった。この次はどうなるんだ?
 ――やられた! 別のジュニアアイドルが合流したんだ。ユニット曲だ! これが本命だったんだな!
 ――会場全体が燃え尽きたみたいになったら、次はバラードだ。休憩時間? とんでもない。あの人が歌に込めるエネルギーを見てみろよ。
 ――おっと、その次はクール系か! また流れを変えてきたな。となると後はスタイリッシュ路線で……。
 ――えっ、何、ここでそういうノリ!? コミックバンドじゃないんだから!
 ――いや、そうだ、バンドなんかじゃない。アイドルだ。アーティストでもない。どんなノリもお手の物じゃないか。
 ――次はどうなる? ソロか、ユニットか? それとも全体曲? 川島さんの出番はまだか? もう終わっちゃったのかな――

236 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:56:24.18 ID:rmOYl90d0



 俺なら。

 俺なら、どうする?



237 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:57:36.45 ID:rmOYl90d0

 もし自分がセトリを組む側に回ったら、こういう曲の次はどう繋げるだろう?

 そうだな、ここで一つ可愛い路線の曲も欲しいな。聞く人の心が蕩けるような、胸を疼かせる恋の歌なんかを聴かせてみたい。

 デュオ曲も楽しそうだ。ミステリアスなもの、ロックやメタルな色が強いもの、ダンスミュージック的なのもアリじゃないか?

 で、いいタイミングでユニット曲を挟む。ストレートなクールさもいいし、踊りだしたくなるような情熱的な曲もきっとハマる。

 ユニットといえば人数でも変わるな。ひとつのコンセプトでピシッとまとめたのもあれば、あえて自由にやらせるようなやつも。

 個々人の個性がぶつかり合って、そこから生まれる新しい色もあるはずだ。

 あと、そうだ、和風! 和風曲が無いじゃないか。あれ、要所に配置すればピシッと決まるんだ。なんとしても適任が欲しいよな。


 で、クライマックスは全体曲で盛り上げて。メドレーか、バラードか。最後の最後は思いっきり明るいのがいいな。


 それから――始まりと終わりに、何か。


238 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:59:27.30 ID:rmOYl90d0


 幕開けを希望と期待で照らし、清々しさやほんの少しの寂しさと共に幕を閉じる……そうした、一連の物語を彩るような。

 これは一人でいい。
 いわば語り部だ。舞台に咲いた大きな夢を導き、締めるような存在。

 大きなジグソーパズルの、中心となるピース。たった一つで、だからこそ不可欠な、そんな誰かの歌が――



 歌が、聴きたい。



239 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:01:54.53 ID:CdWzRgmY0



「なんで忘れてたんだ」



 呟きは歓声に溶けた。

 刻一刻と進む新年に向かい、会場は一塊の熱狂となって突き進む。
 だけど俺は、まったく別のことを考えている。

240 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:03:43.78 ID:CdWzRgmY0

 今この瞬間だけ、俺は舞台を忘れた。乱れ舞う光も、響き渡る歌も。モニタに大写しの川島さんの笑顔も。
 会場中をぐるっと見渡した。川島さんは言ったんだ。あの人がこの会場にいる筈だって。だけど見つけられるか?
 観客の顔なんてペンライトその他の光に塗り潰されて見えやしない。そんな中で、広いドーム会場にいる一人の顔を見分けられるのか。

 関係ない。川島さんはいるって言ったんだ。だったら絶対どこかにいる。
 視線を巡らす。黒く蠢く人の山に色を探す。一人一人の顔なんて豆粒ほどにも識別できない。けど、そうせずにはいられなくて。


 俺は、それを奇跡とは思わなかった。


 当たり前だ。奇天烈な事態になんてもう何度も遭遇してる。空を飛ぶ女、謎の夜市、永遠の桜、神のような何かの話。
 そうしたものを経験しておきながら、今ここにある一時の偶然に今さら驚嘆してはいられない。

 観客席を照らす一瞬のストロボ。その照明の先に、背が高い女性が一人いた。
 俺と同じく、天井席の隅っこ。ドームを見下ろす場所に、遠慮がちにぽつんと立ちすくむその姿が。

 目が合った。

 相も変わらず見惚れるほど綺麗な、紺と碧のオッドアイ。「一人」の中に「二人」存在する魅惑の瞳。
 アッシュグレイの髪がライトワークを受けて妖艶に輝く。

 瞬間、彼女はそっと目を伏せ、何事かを呟いて陰に紛れる。

241 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:05:58.79 ID:CdWzRgmY0


 ――ごめんなさい。


 そんなことを言われた気がした。
 冗談じゃない。
 外へ通ずる扉を体当たりの勢いで開く。
 出てみればそこは当たり前の廊下だった。別世界のように静かだ。
 考える前に走り出す。一般開放されていない非常口を除けば、出口は限られている。


 ――会ってどうする?

 また頭の中のつまらない奴が文句を言う。

 どうもこうもあるか。
 今、やっと答えが見つかりそうなんだ。細かい理屈なんてどうでもいい。ただ、今あの人を見逃したら、俺はきっと一生後悔することになる。

 走り出す背に、MCの川島さんの声が響く。


『ありがとーっ! みんなの笑顔、大好きよーっ!!』


 笑顔。まだ見ていない笑顔。声に背中を押される。
 歓声が足元を揺らす。全速力で、走る。走る、走る、走る――

242 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:08:34.01 ID:CdWzRgmY0
 
「きゃっ!?」

 曲がり角で人とぶつかった。

 すみません、と言った後で気付く。
 千川さんがびっくりしてこっちを見ている。

「……って、Pさん!? 倒れたって聞いたけど、体の方は……」

 大丈夫なことは見れば明らかだ。
 そんな意外と健康な男がライブ中に全力疾走して何をするつもりか。千川さんは信じられないという顔をした。

「ど、どこへ行くんですか? ライブまだ終わってませんよ!?」

「――違う……」

 息が整わない。
 ぜいぜい言いながら、絞り出す。


「違います。まだ俺には、始まってもいないんだ……!!」

243 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:12:40.97 ID:CdWzRgmY0

 夜は遅い。会場を出ても、ライブの音響は全身を揺らす。
 冬の夜中は、嘘だろってくらいに寒かった。


 真っ暗な大晦日、白い雪が降り続けている。

 時刻は午後11時半。会場ではカウントダウンに向け、ボルテージが上がり続けている頃だろう。


 まだだ。まだもう少し。
 俺の手には、秋の暮れに忘れ去られた女物の傘があった。
 雪が降っていたから。予報によれば、夜に近付くにつれて強くなるとのことだったから。
 いつも使うビニ傘でもよかったけど、今日に限り、これを持っていった方がいいような気がしていた。

 奇跡ではない。

 高垣さんの残した傘を差して、激しさを増した雪の中を駆け抜ける。


 時計の針が、12時を差す前に。

244 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:26:49.12 ID:CdWzRgmY0

  ◆◆◆◆


 大晦日の夜は驚くほどに騒がしかった。
 右も左もお祭りムード。街頭モニタを見てカウントダウンを待つ人々でごった返す。

 あの人はどこへ行った? 終電はまだある。ならとりあえず最寄りの駅か?
 
 いや、そんな簡単に捕まる人じゃない。
 そういえば律儀に電車に乗るとこなんて見たことないぞ。

 じゃあどこだ。どこへ行けば?

 大通りに出た瞬間、うんざりするほどの人ごみに呑み込まれる。右も左もわからなくなる。
 諦めるな。
 ここで足を止めればそれこそ全部終わりだ。
 考えろ、考えろ、考えろ――
245 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:27:53.64 ID:CdWzRgmY0



 ちぃんっっ――――




 不意に、風鈴のような音がした。

 グラスの縁を、指で弾く音だった。

 その音が波紋のように周囲に染みわたり、気が付けば、周囲の人影がぱったり消え失せていた。

246 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:29:43.17 ID:CdWzRgmY0


「ごきげんよう、クロさん」


 歩道沿いのオープンテラスに、いつの間にかその人はいた。
 いつものようにワイングラスを片手に持ち、首元から赤い宝石のネックレスを提げて、優雅に足を組む女性。
 彼女のことも、俺は思い出している。


「……柊さん」

 あんなに人で溢れる大通りは、今や俺とこの人の二人だけ。

 背後にはいつの間にか、例の巨大な桜が聳え立っている。

 激しさを増した降雪に、春の花弁が混ざる。

247 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/23(金) 00:31:00.15 ID:CdWzRgmY0
一旦切ります。ぼちぼちクライマックスです。
248 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/23(金) 00:46:26.48 ID:CdWzRgmY0
あとすいません、今さら修正ですが

>>210
『同じような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないか……みたいな』

『似たような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないかって』

でした。録音しているという設定だったのに文面が違いましたね、すみません。
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/08/23(金) 19:46:49.28 ID:itry+d1+o
もう泣きそう
250 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/31(土) 23:07:24.96 ID:zSc+xtMY0

「驚いたわ。自力で思い出すなんて想像もしてなかったから」
「知ってたんですか?」
「ええ、私は楓ちゃんに関することは全部知ってるもの」

 高垣さんは何らかの力で、俺から記憶を奪ったようだ。彼女と、彼女にまつわる出来事のすべてを。
 柊さんはそれも承知の上だったのだろう。
 だとしたら、今ここに来た理由はひとつ――


「ごめんなさい。あなたとあの子と会わせるわけにはいかないの」


251 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:09:06.97 ID:zSc+xtMY0

 やはり。理由だけ聞いておきたい。

「……何故?」
「住む世界が違うのよ。あなたはもう、樒ちゃんのことも知ってるんでしょう?」

 覚えている。高垣楓の双子の姉、今なお彼女に宿る青い目の女。
 神に近いものだとすれば、間違いなく凡人の手には負えない。
 高垣さんを深く知る柊さんが見ればこそ、俺と彼女がいかに遠いかを理解しているのだろう。


「悪いことは言わないから、引き返しなさい。楓ちゃんの心配は要らないわ。あの子はまた、自由になって――」
「なって、どうするんですか」
「……」
「あのまま、独りぼっちでいるんですか?」

252 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:09:53.48 ID:zSc+xtMY0

 住む世界が違う。確かにその通りだろう。
 高垣楓は、きっと余人の誰にも到達しえないずっと高みにいる。

 穢されず侵されず、而して触れられず、理解されることもなく。

 高く高くまで飛んでいって、ある時ふっと消えてしまうのだ。
 俺達凡人はその去り際にすら気付かず、誰もいない夜空を見ては「どこへ行った?」と首を傾げるだけ。

 かの人はそうして誰も届かない場所に在り、たった一人で涙を呑む。

 その理由さえ知られぬままに。

 ……だけど、一度でも知ってしまえば。


「寂しかったと、確かに言ったんだ。あれはお姉さんの言ったことだけど、高垣さんの本音でもあった筈です。なら……!」
「身の程を知りなさい」

 表面上は穏やかなまま、柊さんの纏う空気がガラリと一変した。
 その底冷えするような圧は、彼女が確かにあの「夜市」の総代であると実感させられる威厳に満ちていた。

253 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:17:47.53 ID:zSc+xtMY0

「野良犬に餌をあげるのとはわけが違うの。これ以上深入りすれば、あなたは間違いなく戻れなくなる。楓ちゃんの為を思うなら、あの子が悲しむようなことはやめなさい」

 喉元に刃を突きつけられているにも等しい。
 ここは既に「大晦日の大通り」ではない。柊さんが端から端まで掌握する一種の異界だ。
 次の瞬間に何が起こるかなど、ただの人間には想像もできない。まして彼女の忠言を跳ねのけてしまえば……

 だが。

「あなたは、ひとつ勘違いをしてます」
「……?」
「高垣さんの為、じゃない。俺の為だ。俺がそうしたいから、追いかけるんだ」

 能力、ビジネス、適材適所、リスクがどうとか、相応しいとか相応しくないとか。
 そういう建前は、もういい。要らない。自分を安全圏に置きたいがためのしゃらくさい言い訳でしかない。

 変わりたくないと思っているうちは、何も変えることができないから。

「俺は絶対に高垣さんに会いに行きます。誰に嫌がられても。……そうして、ちゃんと伝えたいことがある」

254 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:18:49.29 ID:zSc+xtMY0

 柊さんは、しばらく黙っていた。
 ほんの数秒ほどだろう。けれど主観的には気の遠くなるような沈黙を経て、彼女はグラスのワインを飲み干した。

「決意は、固いのね?」

 沈黙を肯定とする。
 柊さんはグラスを置き、穏やかに微笑した。
 その顎がわずかに頷いたように見えた。

 認めてくれたのだろうか?

 一瞬思ったのは、しかし甘い考えだと知る。


「なら、これが最後のお邪魔虫」


 もう一度、ちんっっ――とグラスが弾かれた。

255 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:20:29.41 ID:zSc+xtMY0


 途端に生ぬるい風が吹いた。冬には似つかわしくない、花の香りを含んだ風が。
 風は一気に強くなり、数秒もしないうちに目も開けていられないほどとなって渦を巻く。

 反射的に我が身を庇い、一瞬閉じた目を開いて、その瞬きで世界が変わったことを知る。


 花弁が舞っている。


 薄いピンク色の、指に乗る大きさの、仄かな香気を纏わせる、本来春にしか存在しない筈の――桜。

 まるでそれは壁のように俺の前後左右を埋め尽くし、1メートル先も見通せない雲霞となって道を閉ざす。


 積乱雲にでも飛び込んでしまったかのような気分だ。
 花弁は夜になお色鮮やかで、よく見れば今も降り注ぐ粉雪が混ざっている。ピンクと白。文字通りの花吹雪だった。
256 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:25:24.01 ID:zSc+xtMY0


『正しい道を見つけてごらんなさい』


 どこからか、柊さんの声。


『脱出する方法は二つ。楓ちゃんへ通ずる道を見つけるか、それともあなたが心の底から諦めるか』


『どちらかでなければ、永遠にそこから出ることはできない』


『……安心して。その中で、時間は無いようなもの。すべてはあなた次第よ、クロさん――――』

257 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:27:21.67 ID:zSc+xtMY0

 最低限の条件だけを通達し、柊さんの声が遠ざかる。
 俺の意思を尊重した上での、これが最後の譲歩なのだろう。

 忽然と現れ、常人にはまるでわからない「法則」を示し、指先一つで超常へ叩き込む。
 越えるかどうかは神のみぞ知る。人の器量でどこまでいけるか。
 柊さんも「そういう」存在なのだろう。今更疑うまでもない。提示されるのは徹頭徹尾あっちの都合だ。

 嫌というわけではない。慣れたし。
 運命みたいなもんと思えば諦めもつく。

 だが、こっちにはこっちの都合があるのだ。
 神様も妖怪も伝説も知るか。
 
258 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:28:51.44 ID:zSc+xtMY0
 

 ――あんたが選んだアイドルだろうが!

 ――最後まで責任持つってくらいのことが、どうして言えないんだ!!


 ずいぶん前、実の親父にそんなことを叫んだ奴がいた。
 十年近く経っても、もっともらしく分別をわきまえた振りをしていても、ずっと忘れることができずにいた。
 凡人からは凡人の答えしか出ない。
 だけどそれこそが、結局のところは、偽らざる本音だから。

「上等だよ」


 もう二度と、「寂しい」と言わせたくはない。

259 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/31(土) 23:33:37.47 ID:zSc+xtMY0
一旦切ります。すみません、リアルでバタバタしていて更新が遅れました。
次で冬終わります。
アニバーサリーまでに完結できるかな……(白目)
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/01(日) 06:35:35.91 ID:ZaU/ye2DO


……これは背中を押すため、こっひにえっちなことしてこないとな
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/01(日) 21:21:56.33 ID:Gd6k0lW1o
一旦乙
P本人の素性の方も少しずつ明らかになってるね
262 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/09/03(火) 01:14:46.15 ID:/BT2JQWN0

  ◆◆◆◆


 どれほど歩いただろう。

 景色はずっと桜吹雪。壁やら障害物の類もありはしない。

 手には高垣さんの傘。一応差してはいるものの、降り積もる花弁と雪が重くて、定期的に傾けなければ持っていられないほどだ。

 こうなると方向感覚と時間間隔すら薄れて、自分がどこを向いているのかもわからない。
 もし桜が消えれば、そこは無限に広がる平坦な砂漠なのかもしれない――そんな錯覚すら抱くほどだった。

「はぁ、はぁ……ふぅ……くそっ」
 
 いったん足を止めて深呼吸する。春と冬の混ざり合った奇妙な空気が鼻に抜ける。

 正しい道を見つけるか、心から諦めない限り、ここから出られることは永遠に無い。柊さんはそう言った。
 ことによると、永遠にこの桜吹雪を彷徨い続けるかも。なかなかぞっとしない想像だった。

「……よ、し……っ」

263 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:16:31.29 ID:/BT2JQWN0

 頬を張り、軽くストレッチをする。
 長く止まっていると余計な考えばかりが浮かぶ。
 弱い気持ちを振り払うためにも、歩き続けるしかなかった。止まらないでいるうちは、少しでも近付いていると思おう。

 さて、どこへ行こう。ヒントも目印も無い異空間の中、桜と雪のカーテンを手でかき分けるようにして歩く。

 と――

 目の前に、人影がちらついた。

「!! 高垣さ――」

 もつれるように駆け寄って、別人だと知る。

 差した傘の上に、雪と桜が降り積もっている。
 高垣さんより少し低いが、女性にしては高めの身長。すらりと細い体。
 ウェーブのかかった長い髪に、どこか憂いを湛えた静かな瞳――


「……マスター?」


 夜市の「マスター」は、俺を見て微笑した。

264 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:17:29.66 ID:/BT2JQWN0

「こんばんは、クロさん」
「どうして……ここに」
「あなたの様子を見て欲しいって、総代に頼まれたの。どこかで途方に暮れてないかってね」

 その時、情けないことに、俺は心から安堵した。

 ずっと張りつめていた緊張の糸が切れてしまった。

 まだ見捨てられていなかったと、戻ろうと思えば戻れると。
 それは甘い毒のような安心だった。

 たった一瞬でも「疲れ」を自覚してしまった時、驚くほど足が重くなる。
 これほど疲弊していたのかと、我ながら戦慄するほどに。
 身の縮むようなため息が出て、それきり、前にも後ろにも進めない。

265 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:18:32.88 ID:/BT2JQWN0

 頭ではわかっている。
 つまるところ彼女は、柊さんの仕向けた最初で最後の罠であり――

 一方で、間違いなく助け舟そのものでもあった。


「もう、いいのよ。無理をしなくても」


 傘を持っていない方の手が差し伸べられる。
 桜の地獄に差し込んだ、ただ一筋の蜘蛛の糸だ。

「あなたはよくやったわ。誰もクロさんを責めたりなんかしない。だから……これ以上、自分を削ることはやめて」

266 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:19:18.13 ID:/BT2JQWN0

 手を取れば、帰れる。いつもの日常に。
 何らおかしなことも起こらない、見たくないものは見ずに済む、自分だけの静かで平坦な人生に――


「……ごめんなさい。俺、その手は取れません」


 絞り出した声は、自分でもわかるくらいに震えていた。
 足だってそうだ。今すぐ座り込んでしまいたい。彼女の手はきっと暖かいだろう。二人分の傘はどれほど広いだろう。
 けど、今マスターの手を取ることだけは、駄目だ。

267 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:20:25.23 ID:/BT2JQWN0

「……いいのね?」
「はい。自分で決めたことですから」

 誰に許されなくとも、何に背こうとも。自分自身の弱い心にだって例外じゃない。
 出しかけた手を引っ込め、一歩後ずさる時、マスターはほんのわずかに笑みを深めていた。

 心から嬉しそうな――何か、とても眩しいものを見るような、そんな目だった。


「アイドルのことは、まだ嫌い?」
「え」


 この人にその話をしただろうか?
 覚えがない。なぜ知っているのか問いたいところだが、あの夜市の関係者ならば知っててもおかしくないのかもしれない。

268 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:21:18.01 ID:/BT2JQWN0

「いえ。……というより……」

 返事は、驚くほどスルッと出た。
 脳裏に思い浮かぶのは、今もきっと盛り上がっているであろう年越しライブの様子だ。

 あのステージを思い出すと心が躍る。
 ……とても懐かしい色の光だった。


「最初から、嫌いなんかじゃなかったんです」


「なら、どうして?」
「面白い話じゃありませんよ」
「そんなことないわ。聞かせて」

 自戒。
 あるいは、遠い日の回顧。

「……俺は、アイドルが好きでした。みんなキラキラしていて、見ているだけで楽しくて。けど……楽しいだけじゃないんだって、知ってしまって」

 憧れだった。
 プロデューサーの父親は、誇りでさえあった。
 あの頃は、いつか訪れる現実の流れになど気付きすらしなくて。

「……寂しかったんです。なんか……十年前から、取り残されちゃったみたいで」
「あなたは、ずっとそう思ってたの?」
「いや……ちょっと、違う。違うんだ。俺だけじゃない。俺よりも、もっとずっと辛い思いをした人達が……」

269 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:22:48.19 ID:/BT2JQWN0

 父親の進退やアイドル業界の裏事情や、勝つか負けるかなんてこと、本当はどうだって良かった。

 きらきら輝くあの人たちは、一体どこへ行ってしまったんだろう。
 泣いてはいないか。寒くないだろうか。寂しい思いをしてはいないだろうか。
 どこかに、安らげる場所を見つけられただろうか。

 それが、それだけがずっと気がかりで――


「――クロさんは、優しいのね」
「そんなことありません。情けなくて、未練がましいだけですよ」
「優しいわ。だって今、『そうさせたくない』人がいるんでしょう。その為に走ってるんでしょう?」

 彼女の声は、まるでずっと昔からの友への語りのように、穏やかだった。
 それは俺の心の一番奥にある、小さく冷たくて硬い最後のしこりを、たった一言で氷塊させた。

 ずっと迷子だった。

 何がしたいのか、どうすればいいのかわからなくて、あの日の残光に勝手に怯えて。

 だけど……それも無駄ではなかったと、目の前の人に肯定してもらえたような気がした。

270 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:24:13.64 ID:/BT2JQWN0

「……ありがとうございます。気が楽になりました」
「行くのね?」
「はい」

 抱えていたのは、十年越しの余計なお世話。百も承知だ。だけど忘れられないものは仕方ないだろう。
 時間がかかりすぎた。いい加減腹はくくった。
 忘れられなければ、ずっと背負って歩くだけだ。

「……総代には私から言っておくわね。あなたが無事に出られることを祈ってるわ」
「あ……ちょっと待ってください!」

 別れる前に思い立ち、マスターを呼び止める。
 最後に、お願いしたいことがあった。

「どこへ行けばいいか、教えてくれませんか?」

「……誰かに答えを聞くのは反則よ? それに、私も正解を知ってるわけじゃないわ」

「それでいい。どこでもいいから、俺はあなたに決めて欲しいんです」


 何故そんなことを言ったのか。
 行き先に迷ってヤケクソにでもなったか。
 自分でもわからない。

 だけど、この人が示す方角へなら、脇目も振らず走り抜けられる自信があったから。
 根拠など一つもなくとも、確信に近い思いがあったから。

271 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:25:32.19 ID:/BT2JQWN0
 
 マスターは少し考えた。
 やがて傘を閉じ、風に舞う花吹雪に総身を晒す。

「――今からこの傘を倒すわ。倒れた方角が、あなたの向かう先」

 そうきたか。
 立てられた傘は、運命を決めるにはいかにも頼りなく思える。

「私自身は選ばない。あなたにも決められない。いわば運みたいなもので決めるの。……それでもいい?」

 すぐさま頷き返す。
 それじゃあ――と、軽い合図と共に、傘がマスターの手を離れる。

 細い傘は風に煽られ、ゆらり、ふらり、と頼りなく揺れて……
 ちょっとびっくりするほどの間を置き、倒れた。

 俺から見て、右斜め後ろの方角。

272 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:26:31.99 ID:/BT2JQWN0

「ありがとうございます!」

 礼を告げ、一散に走る。
 さっきよりもずっと足が軽い。傘が示す方向へ、一ミリもぶれずに走り抜けられる自信がある。

 考えてみれば簡単なことだった。
 360度平坦な桜吹雪の道は、どこを選んでも正解なんてわからない。
 どうせ正解がわからないのなら、こっちがやることは一つ。
 ただ、迷わなければいい。


 短いがとても安心する時間だった。迷いを振り切るに充分すぎる。

 マスターは遠ざかる俺の背を見送り、互いの姿が見えなくなる直前――

273 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:28:35.71 ID:/BT2JQWN0




「がんばってね、P君」




 弾かれたように振り返る。

 そう呼んでくれる声の響きを、知っている。

 呼ばれたのは一回だけだ。
 だって、直接会ったのもたったの一回なんだから。
274 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:29:44.71 ID:/BT2JQWN0

 どうして今まで気付かなかったんだ。

 忘れていない筈じゃないか。親父に連れられて見せてくれた、あのはにかんだ顔を。
 今にして思えばどうして会わせてくれたのか。
 小さな事務所だったから、プロデューサーの息子に顔くらい見せようって計らいだっただろうか。

 ちゃんと覚えてるんだ。
 サインだって貰ったんだ。
 今でも実家の額縁に飾ってある筈じゃないか。
 だけどあの時の俺は、同年代のアイドルの子があまりにも眩しくて、ろくに話さえもできなかった。


 俺だって、この人のファンだったじゃないか。


「……瞳子ちゃん?」


 服部瞳子。


 名前だけがずっと心の奥底に焼き付いて離れないでいた。
 その幻影に囚われて、今の姿に気付かないなんて馬鹿な話があるか?

275 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:31:17.55 ID:/BT2JQWN0

「振り向かないで。待たせてる人がいるでしょう?」

「瞳子ちゃん……! お、おれ、今まで……っ」

「いいの。私、嬉しいのよ。また元気なあなたに会うことができて」


 霞む視界の向こうに、彼女の笑顔がぼやけていく。
 見えなくなってしまうのは、桜のせいか、それとも自分のせいだろうか。

 熱く滲む景色の中、瞳子ちゃんは、俺が行くべき方角をまっすぐに指差した。


「私は大丈夫よ、P君。あなたの場所を見つけたら……その時にまた、お話しましょう」


 ああ、話そう。きっと長い話になる。
 その時はコーヒーを淹れて欲しい。あれはすごくおいしかったから。

 ……けど、それは今じゃない。

276 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:31:49.14 ID:/BT2JQWN0

 踵を返す。もう振り返らない。
 代わり映えのしない吹雪の中に、はっきりと一筋の道が見えた気がした。

 それがどこに繋がるとしても、果てにはきっと、目指すものがあると信じた。

 走る。

 走る……

 走る………………

277 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:33:00.33 ID:/BT2JQWN0

  ◆◆◆◆


 身を切るような北風と、雪と、光に浮かされた明るい闇の中にいた。

 走って走って、気が付けば飛び出ていた。
 もう桜の花弁はどこにも無い、何もかも元通りな、大晦日の夜中だった。

 出られたんだ。

 ていうかどこだここ。

 路上……でもない。公園っていうのでもないし。妙に開けた場所で、風ばかり強くて、遠くには夜景がちらつく。
 
 ――ワァァァァァァ……!!

「うおっ!?」

 足元が揺れて仰天した。地震かと思ったが違う。
 それは大勢の歓声で、しかも真下から聞こえた。
 地面はどうやら鉄か何かみたいで、油断すれば滑ってしまいそうだし、微妙に歪曲していた。

278 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:33:58.55 ID:/BT2JQWN0

 ……これ、ドームの屋根か? 年越しライブ会場の?

 灯台下暗しというか、なんというか……上だけど。
 見つからないわけだ。柊さんが介入しなければ、俺は街中を探してどんどん遠ざかっていたかもしれない。

 十メートルくらい先の小さな人影に、俺はとっくに気付いていた。


 ほら。
 こんなところに、一人ぼっちで座って。

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