【たぬき】高垣楓「迷子のクロと歌わないカナリヤのビート」

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79 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:34:14.32 ID:BLRBsoCc0

   〇


「カナリヤさんっ」


 と、声がかかる。

 次に出会ったのは、ゆるゆるでふわっとした感じの女の子。
 色とりどりの出店の中で、彼女の店は一段と質素だった。

 小さなグリーンのレジャーシートに、花飾りを施した籠バッグ。細部まで行き届いた手作りのディスプレイ。

 並んでいるのは、小さなフレームに綴じられた写真の数々だ。

「あら、写真屋さん。今夜はお店を出していたのですね」
「ええ、なんだか良いことが起こるような気がして……」

 トイカメラを使ったようで、写真自体はチープなものだが、その一枚一枚に不思議な魅力があった。
 路地裏、空、電柱、菜の花畑、小さな黒猫、ピースサインの子供たち……それぞれが本物のような空気感を秘めている。

 まるで彼女が出会った瞬間を、そのまま切り取って持ってきたかのような。

 その中心で、彼女の笑顔は陽だまりのようだ。
 見たところ女子高生くらいだろうか。ずっと年下のはずだが、えもいわれぬ安心感と包容力をもたらしてくれる。

80 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:35:42.56 ID:BLRBsoCc0

「予感、当たってました。久しぶりにカナリヤさんと会えましたから」
「あら、嬉しいわ。ありがとう♪」

 こっちも自己紹介はしておくべきだろう。

「どうも、ええと……クロです」
「今日初めてこちらに来られたんですよ」
「わぁ、そうなんですか!」

 ぱぁっと写真屋さんの表情が華やぐ。人懐っこい仔猫みたいだなと思う。
 彼女は何か思いついたようで、首から提げていたレザーケース入りのトイカメラを掲げる。


「それじゃあ記念に一枚どうですか? カナリヤさんとクロさん、二人並んで♪」

81 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:37:07.34 ID:BLRBsoCc0

 記念……か。確かに悪くはないかもしれない。
 というか選択の余地が無かった。
 おっとりしているように見えてこうと決めればグイグイいくタイプらしく、写真屋さんはいそいそと二人を並べさせ、
 さっそくカメラを構えてしまう。高垣さんも乗り気なようだ。

「それじゃ撮りますよ。笑ってくださーいっ」

 笑うといったって。
 戸惑って、つい隣の高垣さんを見てしまう。彼女は小首を傾げ、鷹揚に「どうぞ」というようなジェスチャーを見せた。

 ……頑張ってみるか。


「――ぱしゃりっ」

 いざ撮られてみれば、まあなんともぎこちない面構えになってしまった。
 そういう形に表情筋を使ったのは物凄く久々な気がする。
 一方で高垣さんは流石に撮られ慣れしていて、笑顔もポーズも、横から見惚れるくらい決まっていた。

82 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:38:43.78 ID:BLRBsoCc0

 ……これ、俺の存在が邪魔じゃないか?
 高垣楓のプライベートポートレートとか、出すところに出せば結構な値が付くぞ。

「うん、すてきなツーショットですっ」

 マジでか。

「現像できたらお渡ししますね。楽しみにしていてください♪」

 それはすなわち、「また会いましょう」という約束でもある。
 なんとなく、そうか、と思った。彼女が写真を好きな理由に。

 景色を切り取るだけでなく、こうして交流して、形に残して、それを渡して。

 そうした人と人、人と物との繋がり自体が、この子はきっと好きなのだろう。

83 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:39:53.38 ID:BLRBsoCc0

   〇


 他にも色々な店があった。

 テントとは思えない本格的な洋菓子店。年代物を取りそろえたレコード店。色とりどりの古着屋。
 屋台食堂、おもちゃ屋、レトロゲーム屋、情報屋(?)、着ぐるみ屋(??)――などなど。

 宝石箱をひっくり返したような色どりの中を泳ぎ渡り、高垣さんは参道の果てを指差す。

 そこは境内のような広場で、多くの人が集まり、それぞれの時間を楽しんでいる。
 中心には馬鹿でかい桜の木があってまた驚かされた。


「満開……ですね。もう夏なのに……?」
「あの桜が、夜市の中心です。――少し挨拶をしたい人がいるんです」


 桜の下には卓と椅子が並んでいた。
 小さくは一人席、大きいものだと六人掛けのテーブルが配置され、人々が桜吹雪の中でお茶を飲んでいる。

84 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:41:24.73 ID:BLRBsoCc0

 その最も奥まった席に、一人の女性が座っていた。


 蓄音機から流れるオールディーズに耳を傾け、下世話なパルプ雑誌を学術的目付きでめくる女性。
 片手のワイングラスでは鳩の血色の液体がゆらゆら揺れる。

 大胆にはだけた胸元で、宝石のペンダントが上品に光っていた。

 楓さんは彼女の前に立って居住まいを正す。
 ふわっと風の揺れる気配を感じて、女性は眼だけでこちらを見上げた。


「ご無沙汰しております、総代」

85 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:42:40.21 ID:BLRBsoCc0


 女性――「総代」は顔を上げ、ゆったりと微笑んだ。


「言ったでしょう楓ちゃん? 私とあなたの間で、あだ名は無しだって」
「そうでしたね。ごめんなさい――志乃さん」


 志乃、と呼ばれたその女性は、続いて俺に視線を移す。

 数千年の時を超えた琥珀のような色の瞳は、俺の頭の中までも見通している気がした。
 まだ何も話していないのに、彼女はこう言った。


「はじめまして。あなたが、楓ちゃんの新しいお友達ね?」

86 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:45:51.92 ID:BLRBsoCc0

   〇


 そこからがもう凄かった。
 二人差し向いに座り、ものすごいペースで酒を飲み交わす。

 ビールにワインに日本酒に焼酎……どこからこんなに出るのかというほどの酒量を、
 二人はまるで当然といった顔で飲み干してのける。

 こっちはついていくだけで精一杯だ。
 高垣さんは俺と飲む時にはセーブしていたらしいという恐るべき事実が明らかになった。

「――で――だから――」
「そうですね――は――から――」
「――――なの――――するのは――」

 途切れ途切れの会話を追うこともできない。机に突っ伏しても重力を感じなかった。
 辛うじて空けた最後のグラスを片手に、重い眠気にも似た酩酊感に身をゆだねる。

 不意に目の前に、淹れたて熱々のコーヒーが置かれた。
 それでいくらか意識が引き戻され、苦労して上体を起こすと、マスターが気遣わしげに俺を見下ろしていた。

87 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:47:52.41 ID:BLRBsoCc0

 そう、その人は「マスター」と呼ばれていた。

 多分喫茶店のそれをイメージしているのだろう。
 彼女は桜舞う真夏のオープンカフェを一手に引き受け、思い思いの時間を楽しむ人々にドリンクや軽食を提供しているのだった。

 もっとも、高垣さんと柊さんは酒しか飲まないのだが。
 もしかしてマスターは無限の酒樽でも持っているんじゃないだろうか。


「大丈夫?」
「ああ……すみません。コーヒー、いただきます……」
「二人とも普通のペースじゃないから、ついていこうとしたら駄目よ。それを飲んで一息ついて」


 ブラックのまま一口含むと、さっきよりは視界がクリアになる。

 改めてマスターと目を合わせた時、考える前に言葉が口をついて出た。


「……どこかで、お会いしました?」


88 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:49:08.76 ID:BLRBsoCc0

 対するマスターは首を捻るばかり。

「……そうかしら?」
「いや、すみませんなんでもないです。あーいかんいかん酔ってるな……」

 別のテーブルからお呼びがかかる。マスターはそちらに返事して、

「あまり無理をしないでね」

 一言そう言い含め、接客に戻っていった。

89 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:50:00.64 ID:BLRBsoCc0

 気付けば高垣さんと柊さんがこっちを見ていた。

「な、なんですか」
「『どこかで会ったか』……なんて、ずいぶん古典的な手を使うのね?」
「移り気な人ですね。そんなだと、これからクロうしますよ……ふふっ」

 さっそく人のあだ名をダジャレに使われた。
 なにやら急にばつが悪くなって、むっつりとコーヒーを啜る。
 マシになったとはいえまだまだ酔っている。そんな男一人をよそに、二人はまた新たなグラスを手に取った。

「……話はわかったわ。ここは私の庭だもの。ここで起きることに、何の心配もいらないわよ」
「ありがとうございます。やっぱり、志乃さんと話していると安心します」

 俺がくたばっている間に大事な話をしていたのだろうか。
 どのみち知る由もないのだが。



「代わり、といってはなんだけれど」

 グラスの中にワインを転がし、柊さんはひとつ提案する。


「久しぶりに、楓ちゃんの歌が聴きたいわ」
 

90 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:51:19.26 ID:BLRBsoCc0
 
 歌?


 提案を受け、高垣さんは困ったような顔をした。

「歌は……もう長いこと、歌っていませんから」
「忘れたわけではないでしょう?」

 この人は、歌を歌っていたのだろうか。
 そんな話は聞かない。少なくともモデルは沈黙を是とするものだ。

 着飾られ、ポーズと表情を作り、写真に納まる。
 モデルとは切り取られた存在だ。束の間の一枚絵を残し、そこで完結する。
 まるでマネキンのように。そこに音は要らない。

「……俺も、興味があります」

 これも酔いのせいか、思いつくままに言ってしまっていた。
 高垣さんは目を伏せ、しばし何かを考えているようだった。

91 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:53:48.21 ID:BLRBsoCc0

「夜市の歌姫が空席で、寂しいのよ。クロさんもこう言っていることだし……どうかしら?」

 思いのほか長い時間をかけ、高垣さんはグラスのワインを飲み干して。

 志乃さんの頼みでしたら――と、重い腰を上げた。


 歩み出て一礼。柊さんの小さな拍手。


 ふたたび顔を上げた時、高垣さんの顔付きは変わっていた。


 ほのかに赤く緩んだものから、打って変わって静謐な表情に。
 漂う酒気や周囲の喧騒を余さず吸い込むように、胸元を小さく膨らませて。

92 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:54:40.59 ID:BLRBsoCc0




 最初の一声で、酔いが醒めた。




93 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:55:30.59 ID:BLRBsoCc0



 彼女の歌には「色」があった。



 たとえば、夜気を震わす声の波紋。応じて生まれるささやかな風。揺れる花弁と、たゆたう光の提灯たち。

 声に振り返る他の客、耳に染みて広がる笑顔、小さく唱和される童謡のワンフレーズ。

 形を持たず、目にも見えず、だが確かに存在する。


 彼女を中心に波及し、何もかもを塗り替える清(さや)かな音の色が。


94 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/18(火) 23:58:52.82 ID:BLRBsoCc0


 誰もがそこにいて、声を聞いていた。

 グラスを傾ける柊さんも、カップを磨くマスターも、ハーブティーを楽しむ花屋さんも、文庫本をめくる古本屋さんも、
 野良猫と遊ぶ写真屋さんも、大人も子供も、一時それぞれの手を止めて、すべての意識を一ヶ所に注ぐ。

 桜の巨木の根元に立つ歌姫は、今やこの明るい夜の中心だ。

 
 世界が彩られる音に灼(や)かれて、俺はただ、呆然としていた。


 歌い終えて頭を下げる高垣さんに気付きもしなかった。
 今度こそ破裂する万雷の拍手で我に返り、コーヒーがぬるくなっていることにようやく気付く。



 顔を上げ、はにかんだような顔をする彼女は、すっかりいつも通りの高垣さんだった。

95 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/19(水) 00:00:28.34 ID:H28+Nx7V0

   〇


「カナリヤというあだ名は、彼女が歌うのをやめたことから付いたの」

 人々に取り囲まれる高垣さんを見ながら、柊さんは小さく言った。

「口を噤んで、一羽きりで自由に飛ぶ鳥。彼女がそれでいいならと、何も言わなかったけれど……」

 また琥珀色の眼がこちらを向く。
 何もかも見透かされるようでいて、奇妙に安心する不思議な瞳だった。

「実のところ少し驚いているの。あの子がここに人を連れてくるなんてこと、無かったから」

 俺はといえば、頭の芯が余韻でまだ痺れていた。
 カップに残ったコーヒーを一気飲みして、かねてから気になっていたことを勢いのままに問う。



「あの人は何者なんですか? 空は飛ぶわ、こんな場所は知ってるわ、これじゃまるで……」

「楓ちゃんは人間よ。私が保障するわ」


96 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/19(水) 00:02:29.68 ID:H28+Nx7V0

 柊さんは即答した。
 と、弱りきった高垣さんの声がかかる。
 見ると感激した他の客に殺到され、押し合いへし合い握手したりハグされたりの彼女がこちらに助けを求めている。

 たくさんの人と接するのは苦手らしい。柊さんはそれさえも楽しんでいるように、俺を促した。


「行ってあげて。けどあまり深入りしてはいけないわよ」


 言葉の意味はよくわからなかった。
 気にはなるが、高垣さんを放っておくのも憚られたので、彼女のもとに向かうことにした。
 黒山の人だかりをかき分けて手を伸ばすと、藁をも掴むように握り返してくる。

 ぐいっと引いて救出するや、高垣さんは俺ごと桜のてっぺんに飛び上がってしまう。

97 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/19(水) 00:03:23.58 ID:H28+Nx7V0

「――ああ、びっくりした」

 やんややんやと囃し立てる酔客たち。
 桜の雲の下には、参道で会ったお店の子たちがちらほらいて、こちらを見上げていた。
 写真屋さんが小さく手を振るのが見えた。

「凄かったです」

 我ながらもうちょっと褒める語彙が無いものかと思うが。

「ありがとうございます。歌うのは久しぶりでしたが――」

 もみくちゃにされ、乱れ気味の髪を手櫛で直す高垣さん。
 歌うことよりも人に囲まれることに緊張したと見えて、息を整える姿はいつもの彼女らしからぬものだ。

「たまには、いいのかもしれません」

98 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/19(水) 00:04:16.16 ID:H28+Nx7V0


 彼女は自分の歌を、たまにやる余興程度のものだと思っている。

 とんでもない。

 この人なら、と俺は思う。


 もしかしたらこの人なら、永遠でいられるのではないか。


 脳裏に蘇るのは、連なる人形たちの悪い夢。


99 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/19(水) 00:18:00.33 ID:H28+Nx7V0

  ◆◆◆◆


「わかってるわ。最悪の場合、私が引き受けるとしましょう」

「ごめんなさい。私だけでは、きっと制御できませんから……」

「見ていればわかるわよ。楓ちゃんのそんな顔を見るのは久しぶりだもの」

「……あの人は、きっと迷っているんだと思います」

「怖いのね?」

「…………」

「いいの。長い付き合いだもの。あなたのことは、わかるつもりよ」

「……お願いします。もし……もし私が、駄目になってしまったら」


「ええ。夜市総代の名において、あなたと彼を遠ざけることを誓うわ。……永遠にね」



  【 夏 ― 終 】

100 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/19(水) 00:19:15.97 ID:H28+Nx7V0
一旦切ります。
所用につき、また何日か更新が滞ることになると思います。すみません。
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/19(水) 02:50:29.77 ID:q9yBGZ22o
一旦乙です
マスターはあいさんかと思ったけど、この口調からすると喫茶店絡みならあの人かな
名前からすると前回の夢の話とも連動しそう
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/19(水) 05:49:13.31 ID:8Irn1hLDO


>マスター
パフェキチかな?志保もコーヒーには力を入れてるし
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/19(水) 15:35:58.54 ID:Q8bVC0/w0
ああなるほど、マスターは過去シリーズにちょいちょい出てるあの人かな
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/19(水) 16:01:55.06 ID:g6BdqO+o0
まるで楓さんがメインヒロインのようだ
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/19(水) 16:58:19.30 ID:8Irn1hLDO
そういえば美穂の恋の行方はどうなった


早くしないと、美穂とえっちをするSSを書いちゃうぞ
106 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/06/28(金) 00:08:02.48 ID:XbZcdmSM0

  【 秋 : 私に気付いて 】


 風が涼気を運び、夜はより深くなる。
 夏の残り香が過ぎ去る頃、木々は日を追うごとに色付いていった。


 秋が来た。


 346プロアイドル部門は、加速度的にその規模を拡大化させていた。

 所属アイドルのCDデビュー、テレビ出演、ライブステージ。
 老舗の持てる人脈やノウハウをフルに活用し、舞台は順調に整っている。

 多くのファンたちの目線は今、346プロに向いてきている。
 この流れを絶やしてはいけない。
 今が頑張りどころだ。所属アイドルは各担当プロデューサーと一丸となり、お城への階段を駆け上がっていった。


 ちなみに俺は、そうした流れにめちゃくちゃ反逆している。

107 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/06/28(金) 00:10:07.58 ID:XbZcdmSM0

   〇


 空けたスタドリも八本目だ。
 とにかく脳みそが動くうちにやるしかない。

 頭に叩き込んだアイディアやプランや方便をとにかく盛り込んで、止まれば死ぬ勢いでキーボードを叩いている。


「おはようござー……って何してるんですか?」
「おはようございます千川さんお気になさらず」
「気にするなと言われましても……うわ凄い顔!」
「俺そんな酷い顔してます?」
「マスプラ楽曲フルコンするまで帰れま10って顔してますよ」

 そんなに。

 ただまあ、キリのいいところではある。
 千川さんにもドン引きされてしまったことだし、ここらで仕上げといこう。

 後ろからモニタを覗き込まれながら、キメのエンター。保存し、印刷し、用意していた封筒に入れる。

「それ、何作ってるんです?」

 現行の仕事の関係書類ではない。
 まして、誰かに言われたものでもない。
 

「企画書です」

108 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:11:23.42 ID:XbZcdmSM0

   〇


「――本気ですか、それ?」
「本気です。目下の俺の最終目標です」

 最終って――千川さんが口の動きだけで復唱し、困ったような顔をした。

「……それはまた、思い切りましたねぇ」
「事務も並行して処理します。千川さんに手間かけさせることはありませんよ」

 多少バタつくことは予想されるが、それも最初のうち。
 うまいこと走り出してしまえば、あとは海千山千の346プロがどうとでもしてくれるだろう。

 要は、「彼女」のポテンシャルを会社に気付かせればいいのだ。

 千川さんはそれでもいまいちピンと来ていないようだった。
 企画書をもう一度読み返し、ずっと気になっていたであろうことを問う。


「……これは、アイドルじゃいけなかったんですか?」

109 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:13:24.96 ID:XbZcdmSM0

「駄目ですよ」
「どうして?」
「第一にまだ余裕が無い。今のところ順調とはいえ、できて日の浅い部門ですし、どこも手が空いてません」
「確かにそうですが……。では、第二には?」
「活動内容が煩雑すぎる。多様性も善し悪しです。イメージとは違う仕事をやることもあります」
「そこがアイドルの良い点ですよ。活躍の場を選ばないことで、色んな可能性を……」

「それじゃいけないんです!」

 思わず声を荒げてしまい、千川さんの肩が小さく跳ねた。
 ……しまった。
 すぐ我に返る。驚かせてしまってどうするんだ。

110 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:18:22.57 ID:XbZcdmSM0

「すみません。ただ、なんというか……その。アイドルは、リスクが大きくて」
「リスクなんて、どこで活動しても同じじゃないですか」
「違います! アイドルは、違うんです。あれは……明日には、何が起こるかわからない。そんな世界でしょう」

 リスクこそ大敵だ。地ならしの済んでいない道を避けるのもひとつの選択だろう。
 考えうる限り最も大きな失敗を、一度この目で見てきたんだ。
 
 熟慮に熟慮を重ねた結果だった。

 なのに千川さんは、複雑そうな表情を変えることがない。

「……そんなPさん、初めて見ましたよ」

「え……」
「私には、あなたが何かを恐れているみたいに見えます」

 予想だにしない切り込み方に、一瞬硬直する。
 だけどこれが最適解に違いない。
 どう思われようと、ここまで来たらやるしかないんだ。

111 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:19:27.05 ID:XbZcdmSM0

 千川さんはそれ以上、何も言おうとしなかった。
 あとは実物を見てわかってもらうしかない。書類をまとめ、会釈して事務所を後にする。

「最後に、もう一つ聞いていいですか?」

 ドアを開けた時、後ろから千川さんの声がかかった。

「……何です?」
「その企画が本当に走り出したら、Pさんはどうするんですか?」

 愚問だ。それこそ考えるまでもない。

「どうもしません。最初のきっかけを作って、ベテランにパスするだけです」

 イメージ的に。諸々の手続き的に。
 ここから先、一切のノイズがあるべきではない。身の程をわきまえなければならない。

 なんとなればこの346の城において、俺はただの使用人でしかないのだから。

112 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:19:59.96 ID:XbZcdmSM0

「高垣さんの今後の活動に、俺が介入するべきじゃないんですよ」

 ――「するべきじゃない」だと?
 ――「するのが怖い」の間違いじゃないのか、臆病者め。

 脳裏をよぎる自分の声に耳を塞ぐ。もう前しか見ていない。


「……そこに、あなたがいないんじゃありませんか」


 彼女の呟きはドアに阻まれ、俺の耳には届かなかった。

113 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:22:27.43 ID:XbZcdmSM0

  ◆◆◆◆


 モデル部門の高垣楓を、一時アーティスト部門で活動させる。


 企画の要はそこにあった。

 目星はついている。数々の歌手を大成させたベテランの音楽プロデューサーが我が社に在籍している。
 そのうち一人とは面識もあった。確か彼は今、育てきった担当アーティストにセルフプロデュースを任せ、一時に比べて手が空いているはずだ。
 アイドル部門に負けないよう、そちら方面の盛り上がりも欲しいに違いない。
 高垣さんは絶好の才能。まさに金の卵だ。

 モデルから電撃転向、音楽シーンに彗星のように現れた歌姫。
 話題性は十分だろう。高垣さんのネームバリューは既に社内外で無視できないほど大きい。
 いかにも異色な転身だが、勝算は十二分にある。
 潮目を見ればモデル部門に戻ればいい。退路は十分に確保しているし、そうなった場合でもモデル活動に箔が付くだろう。


 まだみんな知らないだけだ。彼女の歌声がどんなものなのか。

114 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:24:32.83 ID:XbZcdmSM0

 あなたは、ただのモデルに甘んじていていい人ではない。
 その歌を広く世間に知らしめるべきだ。
 一過性の、一山いくらの芸能人なんか目じゃない。間違いなくショービズの歴史に深い爪痕を残せる。

 一声歌えば、きっと誰も、あなたのことを忘れない。

 まさに、美しい城の歌姫に。いかに時代が変わろうとも、永く記憶に残り続ける「解けない魔法」に。
 いつか見た悪い夢も払拭する、褪せない色を、もしかしたら――。

 半分は願望に近かった。

 けれど、そういう存在になれると思ったから。


 次に会った時、俺は高垣さんに全てを話した。
 あとは彼女の了解だけだったし、決して悪い話ではない。モデル時代の何倍、いや何十倍ものギャラが入るに違いない。

 きっと受けてくれるはずだ。これまでになく熱を持った俺の説明を、高垣さんは静かに聞いていた。

115 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:29:46.54 ID:XbZcdmSM0



 すべて聞き届け、にっこり笑って答える。


「まっぴらごめんです♪」


116 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:30:33.65 ID:XbZcdmSM0

  ◆◆◆◆


「……お〜〜いPよぉ。なぁに辛気くせぇツラしてんだお前よぉ」
「いや、ていうかペースおかしくないか? なんかあった……?」

「…………なんでもないっす」

 飲んだくれている。
 せっかく都合の合ったタクさんとヨネさんを前にしても、気分はいっかな持ち直さなかった。
 さすがに放っておけず、タクさんが冗談めかして水を向けてくる。

「ひょっとしてアレか? 振られたか?」
「ぶッッ」
「ちょっ、タクさん!?」

 彼としても軽い気持ちで言ったに違いないが、思いのほかそれが刺さった。
 いや振られたとかではないんだが。
 いやいや言いようによってはそうでもあるかもだが。
 そこらへんのアレコレが逆流して、むせた酒が鼻にまで入った。

117 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:37:12.99 ID:XbZcdmSM0

 言い訳無用の有様に、言った方がむしろ恐る恐る、

「…………え〜とあの、図星スか? マジのやつ?」
「タクさん、今のはマズかったって……! オレも一緒に謝るからほら……!」
「いや……いいんです大丈夫です。想像してる通りじゃないけど、まあ、似たようなモンです」

 二人揃って「あらら〜……」って顔をされた。

「……まあ元気出せや。女なんて星の数だぜ」
「い、いやオレもさ、よく子供っぽく見られてさ! 振られる気持ちもわかるっていうか、わは、わはは!」

 気遣いがやたら染みる。
 だからではないが、ついつい疑念が口をついて出てしまった。

「……何が、いけなかったんだろう」
「ん〜〜〜まあ大体カネじゃねぇの、オンナってなそのへんシビアだからよ。それかアレだな、ナニの具合が」
「タクさん!」
「ひががががが痛(ひた)い痛い痛いなにひやがんだヨネてめへぇぇえ」

118 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:45:40.69 ID:XbZcdmSM0

 金? 金は問題ない。これほど良い儲け話も無い。
 実力への不安など言うも愚か。あんなに綺麗な歌声は今まで聞いたこともないんだ。
 一体、何が嫌だったのか――――


 ――カナリヤというあだ名は、彼女が歌うのをやめたことから付いたの。

 
 総代の……柊志乃さんの言葉が、脳裏に蘇る。
 あの夜は酔っていたせいで深く考えもしなかった。

 高垣さんは、歌うのが嫌いなんだろうか?
 だとしたら何故?
 あんなに……聞き惚れるような、素晴らしい声を持っているというのに。
 他の客だって魅了された。彼女を知る人は、みんな彼女の歌を心待ちにしていた感じでさえある。

119 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:51:31.28 ID:XbZcdmSM0

「聞いてみないと……」
「ん? お? 何を?」
「なあPさんさ、あんま引きずるもんじゃないって。な? ほらオレたちも付き合うからさ」
「おーそうだそうだこの後吉原行こうぜ吉原、俺様が奢ってや……おい聞いてんのか? ……あ、寝てる」

「…………」

 聞いてみないと。
 それだけを思いながら、沼のような眠りに落ちて、この夜は終わった。

120 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:58:32.33 ID:XbZcdmSM0

  ◆◆◆◆


 高垣さんとはあれ以来会っていない。

 もともと頻繁に会う約束を交わすような間柄ではなかった。日常的に連絡を取り合うわけでもない。
 それにあんなことがあった後だから、なんとなく顔を見せるのは憚られた。

 そこで俺は、別の場所に目を向けた。

 夜市だ。

 本人でなくとも、高垣さんのことをよく知る人たちなら。
 たとえばそう、柊さんだったら詳しいかもしれない。
 そうして、高垣さんが歌わない理由、あるいは過去、彼女が何を思うかなどを知ることができれば。

 断られたんだからさっさと引き下がるなんて考えは、どうしたことか、その時はさっぱり無かった。


 かくして俺は仕事終わりに夜の街に繰り出し、例の「夜市」を探してみるのだが…………。

121 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:59:48.02 ID:XbZcdmSM0

「…………見つかんねぇ!!」

 というか、いつどこでどれくらい行われているのか。
 そんなことさえも知らないままだったのだ。

 それに行き先だって謎にもほどがある。
 あの地下鉄の謎空間、記憶にある限りの道筋をトレースしてもさっぱりだったし。

 いよいよ往生した。
 そもそもからして、こっちは凡人。
 高垣さんに手を引かれなければ、不思議のフの字にもまるっきり縁がないんだと思い知らされて、


「あら?」

122 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 01:00:22.36 ID:XbZcdmSM0

 聞き覚えのある声に、振り返る。
 街灯に照らされた道の向こう、買い物袋を提げた女性が立っている。

 その姿に見覚えがあった。想起されるのは、酔っ払いの頭にもくっきり残った、かぐわしいコーヒーの香り。

 彼女は――


「……マスター?」
「ええと……クロさん、で良かったのよね?」

123 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 01:01:16.50 ID:XbZcdmSM0
一旦切ります。
ちょっと引っ越し等色々あって更新滞っておりました。すみません。
ぼちぼち再開していきたいです。
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/28(金) 01:47:46.61 ID:2pURxWKMo
何となく瞳子さんっぽい雰囲気
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/28(金) 02:20:47.88 ID:xLIUuY4DO


さぁ最後までラストスパートです
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/06(土) 16:55:11.10 ID:uX8bu3fGO
 そういえば、童謡のカナリアは「なぜ歌を忘れたのか」がはっきりしてないんだよな。
 それ(≒楓さんが歌を捨てた理由)を明らかにしないままただ思い出させることだけを目的にして立てた計画がうまくいく道理はなかろう。
127 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/07(日) 22:18:01.34 ID:BmYrOlBS0

 マスターが言うには、夜市の開催には「サイン」があるのだという。


 それは十分な観察力と、ある種の慣れが無ければ見抜けない。

 たとえば、意味ありげにこちらを見て鳴く黒猫。
 風の流れと真逆に飛ぶ一枚の枯れ葉。
 海でもないのに聞こえる波音。
 同じ方向を見ている電線のスズメ。

 そうした少しずつ生じた綻びのような常識の「ずれ」を追えば、果てに入口があると。

128 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:19:46.92 ID:BmYrOlBS0

「見方がわかれば、そんなに難しくはないの。私でも追えるくらいだから」

 赤く色づいた並木道がライトアップされている。
 どこかから金木犀の香りがする中で、マスターは迷わず歩を進めた。

 彼女もちょうど夜市に行くところで、買い物袋は向こうで作る軽食の材料だという。
 歩みはやがて路地へ入り、狭い路地を右へ、左へ……。
 進んでいく中、マスターが肩越しにこちらを振り返った。

「それにしても、今日は一人なのね。カナリヤさんは一緒じゃないの?」
「ああ、いえ、なんというか」

 ありのまま説明するのも気恥ずかしくなり、

「……色々ありまして、はい」

 誤魔化せたつもりだが、マスターは何をどう解釈したのかくすくすと笑った。

「二人とも、隅に置けないのね」
「ぬぁ!? ち、違いますからね!? そういうのじゃなくて……!」

 何を言っても柳に風だった。
 すっかり自分の中で何か結論を出してしまったらしく、マスターはどこか上機嫌そうに歩を進める。

129 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:22:26.02 ID:BmYrOlBS0

「けど、良かった」
「何がですか?」
「カナリヤさん、あまり人付き合いが得意な方ではないから。あなたみたいなお相手ができて嬉しいと思うの。大事にしてあげてね?」

 だからそういうのでは。
 なおも反論しようとしたところ、マスターが夜市へ通ずる扉を開く。
 今回のそれは、路地の奥の奥にぽつんと鎮座する稲荷明神だった。


 小さな祠の軋む木戸を開けば、その向こうには提灯が並ぶあの参道。

 二度目だが、また唖然とした。多分何度訪れても慣れない気がする。
 街中で突如出現した異空間に踏み入り、マスターはこちらに手を差し伸べる。


「総代に用があるんでしょう? こっちが近道よ、ついてきて」

 頷いて手を取り、色鮮やかな夜の中へ。
 彼女の手は暖かく、ほっそりしていて、けれど少し荒れていた。
 傷付いて分厚くなった表皮と、ところどころにできたタコ。働き者の手だ、と俺は思う。

130 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:26:40.09 ID:BmYrOlBS0

   ○


 あの巨大な桜は、十月を過ぎても満開だった。
 永遠に咲き誇ったままなのかもしれない。

 柊志乃さんはその根元近くのカフェテーブルで、一人優雅にワインを嗜んでいる。


「あら……。今日は、一人で来られたの?」

 柊さんは意外そうな顔をする。
 続いて視線がマスターに移って、それで合点がいったようだった。

「私が案内しました。あなたに用があるようだったから……」
「そうだったの。優しいのね」
「放っておけなかっただけですよ」

 眉をハの字にして、どこか困ったように笑むマスター。
 小さく俺に「頑張ってね」と言い残し、自分の仕事に戻っていく。
 その背中に一礼して、俺は柊さんと正対した。


「聞きたいことがあるんです」

131 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:29:04.10 ID:BmYrOlBS0

 ここ数週間で起こったことを、全部話した。
 俺の決意。進めていた企画。その理由と思惑。

 もちろん、けんもほろろに断られたことも。

 彼女はどうして歌を嫌うのか。あれほどの才能を持ちながら、自ら望んで持ち腐れているのは何故か。
「歌わないカナリヤ」と旧知らしき柊さんならば、あるいは知っているのかもしれない。

 柊さんは最後まで黙って話を聞いていた。

 やがてグラスのワインを軽く回し、上品に口に含んで、語り始める。


「彼女の歌には、魔力があるのよ」

 最初はもののたとえだと思った。
 けれど、ただそれだけとは断言しきれない得体の知れない説得力もあった。

「楓ちゃんの声は、耳にする者すべてを引きつける……人も、鳥獣も、虫魚も草木も、みんな。
 だからこそ誰も放っておかないの。誰もが何度も聞きたがり、あるいは独占したがり……あるいは、利用したがる」

 最後の方は、明らかに俺を見ながら言っていた。

「り、利用だなんて、俺はそんな……!」
「本当にそう言い切れる? 俗物的な私利私欲のためではないとしても、あなたの行動は本当に『楓ちゃんのため』にしたことなの?」

132 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:32:58.63 ID:BmYrOlBS0

 即答は……できなかった。

 ただ、彼女の才能を惜しく思ったから。
 存分に発揮できる場所を用意して「あげたかった」。
 そうすることで俺自身が彼女にどうこうとか、何か美味い汁を吸おうだなんて思ったことはない。だが。

 そこに、自分自身のエゴが絡まないだなんて、心の底から言えるだろうか。


「私が言いたいのはね、クロさん。人には人の、相応の居場所があるということなの」


 いつの間にかワイングラスは空になっていた。
 柊さんは俺から視線を外さぬまま続ける。

133 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:38:04.02 ID:BmYrOlBS0


「彼女は人の身ながら人の手に余る。神業、あるいは魔性のそれよ。だから歌さえ自ら封じたの」


「すべてを受け入れるこの夜市でさえ、あの子の居場所にはなりえなかった。あなた一人の手に負えないのは当然のことよ」


「だから、クロさん。楓ちゃんのことは放っておいて。どうか、好きにやらせてあげて欲しいの」

134 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:39:43.78 ID:BmYrOlBS0

 幼子を諭すような、ひどく淡々とした口調。
 落ち着き払った彼女の姿に、似ても似つかぬ男の顔がダブる。

 同じような語り口で、同じようなことを言ったあいつの顔が。

「それは……ただの、諦めでしょう」

 十年前の古傷から、血の滲むような呪詛が漏れる。 

「諦めは悪いことではないわ。少なくとも、しがらみを振り払って、前へ進むひとつの契機にはなる」
「そんなのは詭弁だ!」

 がたんっ!

 蹴倒した椅子が地面に転がる。倒れる音が存外に大きく響いたが、気付きもしない。
 周囲の客も、こちらを見守るマスターも、冷たい目をした眼前の柊さんさえも、俺には気にする余裕が無い。

「居場所なんてどうにでもなるでしょう!? 能力さえあればそんなものいくらでもついてくる! わからないんですか!?」

135 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:41:34.49 ID:BmYrOlBS0

 一気にまくし立て、肩で大きく息をする。
 柊さんはそれでも微動だにしなかった。
 琥珀色の瞳が下からこちらを見据え、心の裏側までも見透かして告げる。

「いいえ。居るべき場所は、その人自身の心で見つけるものよ」
「……それがもし、見つからなければ?」


 グラスを弄ぶ柊さんの表情には、遠く離れた友を想うような、穏やかな諦念が宿っている。


「どこかここではない遠くに、飛んでいってしまうのではないかしら。空に帰る天女みたいに」

136 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:42:46.54 ID:BmYrOlBS0

 俺はもう何も言わずに踵を返した。
 話を続けようにも、無意味な気がした。彼女と俺とでは議論が平行線どころか、そもそもの論点から違う。

 去り際の背中に、柊さんの声がかかる。


「またいらっしゃい。ここは、あなたのような子のためにある場所だから」

137 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:45:11.33 ID:BmYrOlBS0

  ◆◆◆◆


「人が悪いんですね、総代」

「そうかしら? 私はいつも通り飲んでるだけよ」

「本当に関わらせないつもりなら、カナリヤさんの歌を聴かせなかったはずでしょう?」

「…………」

「私も、諦めは悪いことではないと思います。それで別の生き方を見つけられるのなら……」

「……季節と同じよ。移ろいを受け入れて、その時々に咲く花を楽しめばいい。みんな難しく考えすぎだわ」

「ふふっ。神代桜と共にあるあなたが言いますか?」

「いやだわ、あまりいじめないで。志乃ちゃん泣いちゃう」


「楓ちゃんに言われたの。もし自分が抑えきれなくなったら、彼を頼むって」

「それでも、もしかしたら、と思っているんでしょう」

「……半々といったところね。何のことはないわ。結局、私も諦めきれていないのかも……」


  ◆◆◆◆

138 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:48:59.51 ID:BmYrOlBS0

 やっぱりもう一度説得しよう。
 そう決意してからがまた大変だった。

 高垣さんは相変わらずモデル部門にいて、今何をしているのかを確かめるのは難しくなかった。

 ……だからといって、捕まえられるかどうかは別の話だ。

 そもそも高垣さんのプライベートを知っている人がまずいない。
 仕事が終わればふらっと消えて、のらりくらりと他者を躱す。

 スケジュールも微妙に合わず、掴めそうで掴めない尻尾の先を必死で追い続ける気分だ。

139 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:50:15.02 ID:BmYrOlBS0

「ああもう! あの人野良猫かなんかか!?」
「苦戦してますねー」

 コーヒーカップを両手で持ちながら、千川さんはすっかり静観の構えだ。

「というかまだ諦めてなかったんだ。意外とガッツありますね」
「……そんなんじゃないです。ただなんというか、もう一回話くらいはしておかないとですね」
「そですか。Pさんが必死になってるとこ見るの初めてだから、なんか新鮮というか、割と笑えますね」

 こ、この女……。

 このところアイドル部門へのアシストに回ることが多い千川さんは、毎日の仕事をだいぶエンジョイしているっぽかった。
 デスクにアイドルグッズすげえ増えてるし。もはや半分ただのファンだろ。

140 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:53:14.81 ID:BmYrOlBS0

「――これは極秘ちひろ情報なんですけどね」

 と、千川さんがデスクのうちわを手にする。

「高垣さんの居場所、知ってるかもしれない人がいるんですよ」
「! だ、誰ですか?」
「んーでもなー。個人情報ですからねー。それに私もちょっとお話した程度の人ですしー」
「教えてください。このままじゃ埒が明かん」

 ふふんと含み笑いを漏らし、うちわをはためかす千川さん。
 既に軌道に乗ったいくつかのアイドル部署では、所属するアイドルのグッズも結構な数出ている。

 彼女の顔は、そのうちわに描かれていた。多分ライブで配布されたグッズの余りだろう。


「第一芸能課の、川島瑞樹さんです」

141 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/07(日) 22:57:16.19 ID:BmYrOlBS0
一旦切ります。
更新遅くなってしまいすみません。秋はもうちょっと続きます。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/09(火) 22:41:34.79 ID:aPnPrAGk0
期待
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/09(火) 23:39:27.38 ID:mvAMl0kZ0
期待
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/10(水) 10:52:11.92 ID:85s6qKmhO
>>132〜137
 ……志乃さんならまあそう言うだろう。女神サクヤヒメ(推定)だし。
145 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/14(日) 00:42:11.60 ID:TmI5fe2I0
 
  ◆◆◆◆


「楓ちゃん? ああ、何度か一緒に飲んだことがあるわね」


 川島さんとは、高垣さんを捕まえるより遥かに楽に接触できた。

「一度雑誌の撮影で一緒になったことがあってね。ほら私大阪から来たじゃない?
 あの子和歌山が地元だから、近いねーって意気投合したのよ」

 めちゃくちゃ気さくな人だった。おっそろしく話しやすい。
 菓子折りのひとつでも手渡すつもりだったのだが、「やっだぁそんなの気にしないでいいのよぉ!」ときたもんである。

 というか高垣さん、和歌山だったのか。全然意識したことがなかった。

146 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:44:16.21 ID:TmI5fe2I0

「だけど、実家の話はしないわねぇ」

 地元トークはちょいちょいやるものの、彼女は話の核心には触れようとしないそうだ。
 川島さんは実家のことや関西あるあるを喋るのだが、高垣さんは「家」に話題が移ろうとするとスイッと話題を変えるのだという。


「なんだったかしら。確かすごく古いお屋敷だって聞いたけど……そこまでが限界ね。すらっと話が逸れて、おしまい」

 和歌山は土地の大部分が山間で占められ、古くから「木の国」と呼ばれているという。
 そこの旧家となれば、それこそ山岳の一つや二つは持っていたっておかしくなさそうだ。

 確かに高垣さんから故郷の話を聞いたことは一度も無い。
 けれど敢えて聞き出すものではないし、なんとなくそういうものだと思っていたのが正直なところだ。


 さて肝心の居場所なのだが、川島さんさえ掴み切れていないようだった。

 相談の結果、高垣さんのいそうな場所をいくつかリストアップしてもらった。
 確実ではないが十分だ。あとはタイミングの問題だろう。

147 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:46:00.44 ID:TmI5fe2I0

 それからまた少し話し込んだ。
 持ち前の話しやすさもあってか、初対面なのにまったく緊張することがない。

「――あ、君って年下なの? あらやだ。職場の人が年下ってこと結構増えてきたわねー」

 川島さんの経歴は異色だった。
 アイドルになる前は大阪の準キー局で女子アナをしていたというのだから驚きだ。
 人気だってあったらしい。安定も安定、ド安定の仕事じゃないか。


「前の職場に不満があったわけじゃないのよ。人前で話すのは好きだし、人間関係も良かった。大阪だって好きだしね」
「でしたら、どうして?」
「うーん……なんて言えばいいのかしら」

 川島さんは少し考え込んで、

「見てみたくなったのよ」
「見て……?」


「新しい景色っていうのかな。こう……自分が立てる、自分だけの居場所から」

148 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:56:59.38 ID:TmI5fe2I0

「自分だけの、居場所……」
「そ。人は誰だって自分が主人公だし、挑戦に年は関係ない。でしょ?」

 川島さんは、茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせた。

「あとはうちのプロデューサー君が熱くてねぇ。彼が大阪出張の時に出会ったんだけど、是非とも新しい挑戦をしてみませんか! って。
 それで私、こらもう応えなあかん! ってね。あっ関西弁出ちゃった」

 それでも、やはり気になる。
 聞けば聞くほど疑問は膨らむ。気付けば俺は無遠慮に尋ねていた。

「あの……失礼かと存じますが、不安はありませんでしたか?」
「ん?」
「既に生活基盤はできていたわけでしょう。それもかなり安定した仕事だ。一度それを全部捨てて、東京で一からやり直すことは……。
 芸能……特にアイドル業は水物です。縁起でもないことを言うようですが、『もしも』を考えたことは……?」

 ビンタの一発や二発は喰らうつもりでいた。
 いくらなんでも絶賛売り出し中のアイドル相手に、口が裂けても言っていいことではない。
 川島さんはしかし、怒る風でも、まして悩む風でもなく、あっけらかんと答える。

149 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:58:03.50 ID:TmI5fe2I0

「そうね。今は永遠に続くものじゃない。お肌と同じね。いつかは陰るし、シミやソバカスだってできちゃう」

「だったら……」

「でも、だからって何もしない理由にはならないでしょう?」

 川島さんの声は柔らかだった。
 俺ごときがするような心配などは、既にその思いがけず小柄な体に、すべて呑み込んでいるようだった。


「それも全部含めて挑戦だもの。言ったでしょ? 人生っていうのは、みんな自分が主人公!
 できる努力をし尽くして、それで思いっきり自分の足で立てたら、あとはもう何が起こっても笑い飛ばしてやるだけよ」


150 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:58:40.66 ID:TmI5fe2I0

 強い人だ。
 346のアイドル部門に……第一芸能課に、この人がいるなら。
 俺の中で、何かひとつ大きなものが解れたような気がした。

 話を終え、深々と一礼する。

 ……俺は俺のすべきことをせねば。
 間違っても主人公とは思わないが、使用人なりに必要な務めを。

「今日はありがとうございました。その……アイドル活動、頑張ってください。陳腐なことしか言えませんが、応援してます」
「ありがと♪ いやーそれにしても若いわねー青春ねー。君もいろいろ大変だと思うけど、ファイトっ!」


 …………なにか勘違いされているような気もするが。

151 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:00:48.74 ID:TmI5fe2I0

  ◆◆◆◆


 結局、最終的には足で稼いだ。
 川島さんと作ったリストを参考に、心当たりのある居酒屋、無い居酒屋、銭湯に健康ランド、近郊の温泉地。
 片っ端から当たってそれでも外し、迷子みたいに途方に暮れた時。

 しとしとと、秋雨の振る心細い夜だった。
 高垣さんは存外に近いところで見つかった。

 数か月前の春、酔っ払いの俺が通りがかった、神田川にかかる大きな橋。

 その欄干の上に。

 最初との違いは、彼女が背中ではなくこちらを向けていたということ。

 相も変わらず細いヒールで、通りがかる人々に何故か気付かれもせずに。
 ビニール傘に街灯の光を照り返し、最初から俺のことを見ていた。


「……高垣さん」
「こんばんは、Pさん。お久しぶりですねぇ」

152 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:02:18.13 ID:TmI5fe2I0

   〇


 そこそこ遅い夜だった。

 川面に吸い込まれゆく雨粒を見ながら、桟橋に隣り合って座る。
 冬ももう近く、雨は触れたら震えそうなほどに冷たい。これが雪に変わる日もそう遠くはあるまい。


「ええと」
「はい」
「あれから、色々考えたんですけど」

 傘を打つ雨音を聞きながら、ぽつぽつと順を追って話した。
 うまいセールストークなどできるはずもないので、これまで俺が考えたこと、話したこと。
 あなたの足跡を辿りながら何を思い、どういうつもりであなたを探していたのか。

「――確かに新しい挑戦です。今までとは勝手が違う。けど、高垣さんならできると信じます」
「……」
「ご自分の歌が嫌いだということ、柊さんから聞きました。それでも言います。あなたの歌を必要としてる人は、必ずいます」

 その歌が、誰かの救いになるのかもしれないなら。
 やはりそのままにしていていい才能ではない。

 俺の右手側に座り、高垣さんはしばし黙っていた。

153 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:03:53.23 ID:TmI5fe2I0

 ややあって虚空を見上げ、不意に切り出す。

「――どこか、『ここではない』という思いがいつもあるんです」

「……はい?」
「体が、まだ……何かを、追いかけたがっているような」

 青い左目は揺らぐ川面を写し取る。まるで仙人みたいな静謐な表情に、泣きぼくろが不思議と目に焼き付いた。

「時々、見つけることもあります。ここならいいのかもという場所を。だけど長続きしなくて。
 どこか空虚で、なんだか寂しい……私以外のみんなが逆さまになって、違う場所を見ているような」

 瞳が、こちらを向いた。

「あなたが示すその場所は、私を閉じ込める鳥籠ですか?」
「……違います! 俺はただ、あなたに相応の活躍の場を用意したくて……!」
「嘘。私がいないと困るって顔。このままじゃいけないんですか? 私はあなたのただのお友達にはなれませんか?」

154 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:04:28.85 ID:TmI5fe2I0

 義理は、無い。
 職務とは関係無い。
 益も期待しちゃいない。
 このままではよくないと説くに足る合理的理屈がひとつも無い。

 だとすれば、俺がここまでこの人に執着する「理由」とは、何か。


「私が欲しいんですか?」


155 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:05:47.94 ID:TmI5fe2I0

「……なんですって?」

「ほらまた、悲しそうな顔。本当のところを聞かせてください。あなたは、自分が寂しいだけじゃないんですか?」

 傘が傾く。高垣さんが体ひとつ分、こちらに近付く。
 高垣さんは笑っていた。 
 その美貌から目が離せない。

「歌やアイドルなんて建前。本当は、ずっと傍にいてくれる誰かが欲しいだけ」

 幼子に言い聞かせるような声色が染み込む。
 その声に耳を傾けていると、雨音さえも遠くなって。

「自分が見つけて、自分から決して離れない。夢でも幻でもない、あなただけのお人形が。……違いますか?」


 人形の夢を見る。
 埃を被った、かわいそうな彼女たちの夢を。
 あの人たちはもういない。消えてしまった。

 十年前から変わることなく、ショーウインドウの前に立ち尽くす少年は何を思っていたか。
156 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:08:21.07 ID:TmI5fe2I0

「素直に言ってください。そういうことでしたら、お答えするのは簡単なことです」

 高垣さんの指摘に、何故だか反論できなかった。
 自覚が無かった。俺は、「そう」なのか? ここまでがむしゃらだったのも、必死にこの人を追いかけたのも。

 傘と傘がぶつかり、水滴を散らして二人の後ろに倒れる。頬を濡らす雨の冷たさも感じない。

 初めてこの人と出会った時も、そういえば濡れていた。俺は川に落ちて。彼女は涙を流して。
 あの時からだったろうか。
 一緒に酒を飲んで、それから度々会って。くだらない話を何度もして、花火を見て、夜市に行って、

 彼女の歌を聞いて。


 あの頃からずっと「悲しそうな顔」をしていたと高垣さんは言う。
 だとしたら、俺が本当に望んでいたことを、この人は俺よりもよく知っていたのだろうか。

「ほら、言って? 傍にいてって。そうしたら……私も誓ってあげますから」


 もう、声と共に甘い吐息が届く距離だった。

 鼻と鼻がやわらかく触れ合う。前髪が絡み合い、二人の距離はほとんどゼロになる。
 唇が唇に近付いて、そのまま――

157 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:09:37.33 ID:TmI5fe2I0





「……………………あんた高垣さんじゃないな?」




158 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:10:55.22 ID:TmI5fe2I0


 雨と夜のせいで、今の今まで気付きすらしなかった。
 至近距離で見つめ合う、ネオンと雨の乱反射を写し取ったその、綺麗な瞳。


 両方とも、青い色だった。

159 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:14:05.69 ID:TmI5fe2I0

 今にも唇が重なる距離。
 真っ赤な舌先をちろりと出して、「その女」はぞっとするほど妖艶に微笑んだ。


「いいえ。間違いなく高垣ですよ――私も、ね」


 瞬間、天地がひっくり返る。
 重力が逆巻くような異様な感覚の中、全身が桟橋から離れていた。

 感じるのは、しかと繋がれた細く白い手。その冷たさ。

 女に引き上げられ、俺は空へと落ちた。


160 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/14(日) 01:14:47.93 ID:TmI5fe2I0
一旦切ります。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/14(日) 01:50:31.48 ID:arg3PlPno
空へと落ちた

すげえ表現だな
鳥肌立ったわ
続きが待ち遠しい
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/14(日) 07:37:50.09 ID:8TNXiAAYo
一旦おつ
こう来たか
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/14(日) 10:52:22.21 ID:n+fnB2x0O
 楓さん…、もうそこまで【降魔】したペルソナに引きずられて……。
(この時期だと妖鳥バーあたりか?)
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/14(日) 16:11:39.13 ID:MCMjtS2t0
待ってる

165 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/27(土) 15:59:56.76 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


 気を失っていたようだ。
 水の中を漂っているような浮遊感がある。
 けれど呼吸はできて、冷たくも暖かくもない風が全身を洗う感覚。

 目を覚ます。


 俺は、逆さまになって空に浮いていた。


 頭の上に広大な山林。足の下に遥かな空。
 空には雲ひとつ無く、太陽も月も星も無く、墨絵のようなモノクロームの世界だった。

 昼も夜も無い。明らかにさっきまでいた神田川の桟橋ではない。

 そればかりか、現実かどうかすら定かではない。
 これは夢か? それとも「夜市」みたいなよくわからない異空間なのか?

166 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:00:58.36 ID:aiDwMVos0


「『楓』は」


 混乱する俺の耳に、涼やかな声が滑り込む。
 あの、青い眼をした女が、いつの間にか目の前にいた。

 逆さまに浮遊しながら、目線の高さは同じ。
 まるで透明の床を歩むように、一歩一歩確かな足取りで近付いてくる。

「『楓』は、可哀想な子です。とても不器用で……臆病で」

「……何者なんだ、あんた」

 小首をかしげる女。
 色を失ったこの世界で、彼女の青い双眸だけが炯々と輝いていた。

167 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:02:30.61 ID:aiDwMVos0

「言ったでしょう。私も『高垣楓』ですよ」
「違う。俺はあんたなんか知らない」
「本当に? これまで一度も会ったことがないと、確信を持って言えますか?」

 だって――女は細い指で自らの唇を割り開き、ぬらつく舌を出してみせる。

「キスまで気付かなかったくせに」
「なっ」

 咄嗟に手の甲で口を隠した。触れてはない、はずだ。ギリギリで。
 今更になって頬が熱くなるのを感じる。そんな様を見て、女はころころ笑った。
 普段の高垣さんとは違う、悪戯っぽさと稚気を含んだ、年端もいかない少女のような貌だった。

「私はあなたを知っています。春からずっとこの目で見ていましたから」
「しかし……」
「花火。一緒に見ましたよね?」

 脳裏に夏のある日の出来事が浮かぶ。
 空を飛ぶ高垣さん。引き上げられる俺。乱舞する花火の光。

168 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:06:03.09 ID:aiDwMVos0

 ――寂しいんですか?
 ――……え?
 ――そういう顔。今もです。なんだか、帰り道を忘れちゃった迷子みたい。
 ――寂しいなんて……俺は、一言も。

 ――わかりますよ。だって私も――


 屋上での、会話。


「私も。私たちも、寂しかった」

169 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:06:42.32 ID:aiDwMVos0


 あの時、青い眼がこちらを見ていた。

「そんな時、あなたに出会いました。私が流す涙の理由を聞いてくれました」

 涙が流れるのは、いつも青い眼からだった。


「夜空が綺麗な時や、楽しい時や、嬉しい時。自然と涙がこぼれます。
 それが永遠ではないと知っているから。楓は、誰ともそれを分かち合えないと知っているから。
 ……私が教えた歌を、あの子は封じてしまったから」

 今、両目の青がまっすぐ俺を射ている。
 無邪気に見開かれた双眸は、獲物を前にする猛禽のそれに似ていた。


「ねえ。だから、一緒にいませんか?」

170 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:07:47.95 ID:aiDwMVos0


 風が逆巻く。
 遥か頭上の木々が一斉にざわめき、黒い紅葉を雲霞のように吹き散らした。


「……!!」
「歌を聴かせてあげましょう。優しく抱いてあげましょう。望むことをなんでもしてあげましょう。
 だから代わりに、あなたの全てを、私たちにください」

 無邪気な笑み。
 上昇して渦を巻く木の葉の竜巻が、二人の周囲を完全に閉ざす。

 一歩、女が踏み込んで、鼻先に立った。

「ここには光も闇もありません。誰にも置いていかれたりしません。
 いなくなってしまった人たちのことを思い悩む必要もありません。
 だって私たちがずっと傍にいるんですもの」

171 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:08:51.47 ID:aiDwMVos0

「待ってくれ。だったら、外のことはどうなる!?」
「なぜ気にするんです? 目を背けていたんでしょう? 諦めたような顔をして、ほんとは何一つ諦められないのに」
「それは、自分の身の程を知っていたから……!」
「本当は怖かったんですよね。あなたにも古い傷があるんですよね? 触れることすら痛いから、ごまかすことしかできなかったんですよね」
「違う!! 俺は、俺はあいつみたいになりたくなかっただけだ!!」

「ほら」

 笑顔。

 モノクロームの薄闇の中、ぼうっと浮かび上がる青色の燐光。

「あなたも、可哀想な人だから。見たくないものを見続けてしまうから。
 ……だから私が、代わりにその目を塞いであげるんですよ」

 手が伸びる。ぞっとするほど冷たい掌が俺の頬を撫で、目を塞ぐと、闇。
 深い闇。
 安堵する闇。

 笑い声だけが思考を埋める。鼻歌が聞こえる。すべてを忘れ去った時、そこにあるのは安息だろうか。

172 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:09:33.09 ID:aiDwMVos0

 違う。

 嫌だ。やめろ。やめてくれ。
 こんなものは安らぎじゃない。ここにいてはいけない。


 だってまだ、泣いているじゃないか。



『……やめてください、姉さん』



 どこかから、震える声がして。
 次の瞬間、重力が戻る感覚があった。

173 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:12:28.83 ID:aiDwMVos0

   ◆◆◆◆


 細い雨が降っていた。
 背中が凍えそうなほどに冷たい。
 どうやら、雨に濡れた地面に横たわっているようだった。

 頭にだけ、温かくてやわらかい感覚。

 なんだろうと思って見上げると、高垣さんが俺を見下ろしていた。


 目覚めてみれば、ここは元の桟橋。傘を差した高垣さんの膝枕。


「……Pさん」

 彼女の手が頬を撫でる。暖かかった。
 逆光で表情がほとんど見えなくとも、その手の感触で確信した。

 彼女は、俺が知ってる高垣楓さんだ。

 川面に反射したネオンが彼女の顔を照らす。
 
 瞳の色は、両方とも碧色だった。

174 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:13:37.77 ID:aiDwMVos0

「何が……起こって……」

「彼女に会ったんですね。……ごめんなさい。私の責任です。抑えることが、できませんでした」

 そんな顔をしないで欲しかった。高垣さんらしくない。
 そう思うのと同時に、この人が「彼女」と呼ばわる何者かの正体が気になって。

「あの女は……何者なんですか?」

 問いを受けて、高垣さんは複雑な顔をした。
 自分のことを聞かれたような。
 とても遠い世界の何者かについて聞かれたような。

 
 ややあって、ゆっくりと語りだす。


「私の、双子の姉です」

175 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:14:35.44 ID:aiDwMVos0


  ◆◆◆◆


 ご存知でしょうか?

 私の故郷……和歌山は、修験道の聖地だということを。


 そこは神が住まい、精霊の宿る異界。
 千年以上前から、身分を問わずあらゆる人々の信仰を集める、日本最大の霊場です。


 その霊脈の要所に構えられた神社を、熊野三山。

 三重、奈良、和歌山をまたぐ長い長い参詣道を、熊野古道といいます。

176 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:15:49.53 ID:aiDwMVos0

 かつてこの道を切り開いたのは、厳しい苦行の道を修めた山伏たちでした。
 それが時代を経るにつれて整えられ、市井の人々、あるいはやんごとなき身分の方々も詣でるようになったそうです。

 山伏たちは熊野を重要拠点とし、彼ら独自の文化と勢力を築き上げていきました。
 彼らの主な役目は、熊野三山の統括や、山を訪れる参詣者の先導……。

 そうした役職を持つ人々を、熊野別当と呼びます。

 彼らは熊野一帯で絶大な権力を誇りました。霊的、あるいは宗教的に絶対的な立ち位置にあり、時の帝とも通じていたといいます。
 そして熊野の神仏を奉じ、祈り、祀り、力を得ました。

 時の動乱や権力争いによって組織は形骸化し、今や史書の中のみの存在となりましたが……。


 ええ。

 高垣は、その別当の傍流に連なる家です。
177 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:16:46.43 ID:aiDwMVos0

 熊野古道には参詣者が数多く訪れますから、彼らを導く役目は必要です。
 高垣は代々その任を担い、熊野の地に親しみ、栄えてきました。

 ……もっとも、それも室町時代の中期ごろまでの話です。

 高垣は、徐々に没落していきました。
 詳しい原因は伝わっていません。参詣者の減少、時勢の激動、別当そのものの終焉……そんなところでしょうか。

 当時の当主は考えました。

 いかに家を残すか。
 紀伊の地に打ち立てた当家の権威を、どのようにして保つか。
 傍流とはいえ熊野別当、その血を絶やさぬ為にはどうすべきか……。

178 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:17:47.53 ID:aiDwMVos0


 結論はこうです。

 神を造ろう、と。


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