9:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:48:36.88 ID:TXxgAIfuO
 「よし。こんなものでしょ」 
  
  手にしていた雑巾をバケツに放り込んで、セイラムが言いました。隣の掃き出し窓を同じように拭いていた私は、まだ半分ほどが終わったところです。 
  
  私は彼女が担当した窓の、桟のあたりを指さしました。 
10:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:50:27.83 ID:TXxgAIfuO
  明けた朝には、早くから近隣に住む子供達が教会の外庭に集まっていました。 
  
  私達は規模が規模ですので、そう大きな催しものができるわけではありません。それでも多くの参加者に集まっていただけるのは、ひとえにこの修道会が積んできた篤実さがゆえなのでしょう。 
  
 「はーい! プレゼントが欲しい子はこっち集まってね!」 
11:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:51:13.15 ID:TXxgAIfuO
  ――あはは! はーい、大事に食べてね。あたしたちが丹精込めて作ったクッキーなんだから! 
  
  童話上のサンタクロースさながらに大きな袋から小包を取り出し、セイラムは子供達に配っています。はじめはひとつひとつ手渡していましたが、おそらく面倒になったのでしょう。まるで絵本の描写をなぞるように、途中からの小包は宙を舞って子供達の元へ届けられました。要するに、セイラムは次第に投げ渡すようになっており。 
  
 「――まあ、あとで思い切り怒るよ」 
12:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:52:15.08 ID:TXxgAIfuO
  聖堂内にはちらほらと人影が見えていました。そのうちのひとり、ある馴染みの婦人からは、「歌、楽しみにしてるからね」というお声をいただきました。 
  
 「はい。精一杯、努めさせていただきます」 
 「頑張ってねえ。今年もセイラムちゃんが演奏?」 
  
13:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:53:03.92 ID:TXxgAIfuO
 「昔から変わっていない。という意味で、喜ばしいことなのでは?」 
 「悪いようにも取れるよ」 
 「そんな嫌味を言う方ではないでしょう」 
  
  訊ねるというよりは、確かめるように私は言いました。セイラムは「ま、そうなんだけど」と呟いて、座ったままオルガンに向き直ります。 
14:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:53:48.36 ID:TXxgAIfuO
  そばにただ佇む私に、セイラムは目配せをしました。 
  
  ――ほら、うたえるでしょ? 
  
  言外の意味は容易に伝わります。私は少しだけためらったものの、ついには彼女の行動に添いました。 
15:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:54:42.46 ID:TXxgAIfuO
  その日の夜は、ごくささやかな慰労会が開かれました。 
  
  私たち修道会の今年の大きな活動も、この日が最後。教派によっては飲酒を固く禁ずるところもありますが、私たちはその限りではありません。軽度にアルコールの入った会は、ゆるやかに盛り上がりを得たあとに、なだらかに落ち着きました。 
  
  年齢の問題によってお酒を飲めなかった私は、食事を済ませたあとの時間を持て余していました。当てどのない足任せに運ばれていると、いつのまにか外庭の冷え切った大気に含まれていたことに気づきます。 
16:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:55:20.39 ID:TXxgAIfuO
  不意に、うしろから名を呼ばれて、振り向くと片手にグラスを持ったセイラムが立っていました。色白な肌には少し酒気を帯びて、ほの赤く染みた頬が艶やかでした。 
  
 「なにやってるの、こんなところで」と彼女は言いました。 
 「そちらこそ」 
 「あたしはちょっと。からだ火照ってきちゃって」 
17:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:56:10.38 ID:TXxgAIfuO
 「――誓願。するの?」 
 「はい。もちろん」 
 「そっか」 
  
  問いに返す言葉には、ためらいのかけらもなく。 
18:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:56:58.70 ID:TXxgAIfuO
  少しだけ――本当に、少しだけ。このとき、違和を感じたように思います。 
  
  セイラムの態度に、その口ぶりに。それらは、彼女の本質との整合性にわずかばかりの不和を下ろしました。 
  
  しかし、ごくかすかな違和感は、時間と共に埋もれていくものです。手に刺さった、尖った微細な木片さえ、日ごと存在を忘れていくのとちょうど同じように。 
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