1:21756utrillo[sage saga]
2020/02/08(土) 19:11:19.24 ID:RvB9VQpu0
「視覚障害、ですか?」
耳を疑った。仕掛け人さまは、冷静な同じ調子の声で説明を続けた。
「『障害』という言葉が適切かどうかは、現時点では判断できません」
普段と同じような中立的に響く敬語が、
混乱する私を落ち着かせる唯一の発話であることを理解しているのだ。
「紬さんは、大丈夫なのでしょうか」
私は思わず尋ねたが、
一体何に対して『大丈夫』かを問うているのか、自分でもよく分かっていなかった。
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2: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:25:39.53 ID:RvB9VQpu0
「日常生活に困難が生じるのは間違いないでしょう。
しかし、私たちとは違った、何か特別なものを見ることもできるようです」
「特別なものって、何ですか?」
3: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:27:18.73 ID:RvB9VQpu0
「何も分かりません。紬さんはどうなっているのですか」
「現時点で分かっていることは他にありません。
今こうして僕がスチュアートさんに説明しているのも、白石さんたっての希望があったからです」
4: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:28:16.97 ID:RvB9VQpu0
ひとつ確かなことは、紬さんは倒れてから2日も経たないうちに、
とてつもなく重い不幸を抱えながら、他人を、この私を、慮って行動したのだ。
その配慮が、心身の余裕から来るものだと信じたかった。
5: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:29:52.27 ID:RvB9VQpu0
私が紬さんに会うことを許されたのは、それから3日が経ってのことだった。
許された、と言っても私から能動的に動いたわけではなく、
紬さんの方から、仕掛け人さまを経由して私にまで連絡が届いたのだった。
6: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:30:44.29 ID:RvB9VQpu0
「そうですね。僕も、あれからの白石さんとは、まだ2回だけしか面会できていませんが……」
仕掛け人さまの言葉は珍しく不均等で分かりづらく、
紬さんの仕事の予定が変更され、その空白を埋めるために奔走したはずの連日の疲労が窺えた。
7: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:32:27.49 ID:RvB9VQpu0
「勿論、公演には出ます」
紬さんは当然とばかりに言い切った。
「そもそも、父も母も心配のしすぎなのです。仕事を放り出してまで東京に来てしまって……
8: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:33:44.86 ID:RvB9VQpu0
「……こほん。と、とにかく、私は大丈夫です。プロデューサーにもそう伝えておいてください」
「……できません」
自分の声が掠れているのが嫌だった。
9: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:34:46.69 ID:RvB9VQpu0
「エミリーさん」
白くて細い、綺麗な指が伸びて、膝の上で固く握られた、私の拳に触れる。
「信じて貰えないかもしれませんが、本当に、見えていないわけではないのです」
10: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:36:22.99 ID:RvB9VQpu0
「風が、呼吸によって折り畳まれるさまを見ることができます」
「え?」
「光の指や、水滴に潜む昏い秤が見えます。
11: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:37:14.74 ID:RvB9VQpu0
「できません」
仕掛け人さまは平坦な声で言った。
「次の公演に、白石さんを出すことはできません」
12: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:38:46.33 ID:RvB9VQpu0
「それは……まだ、慣れていないだけです」
「僕が白石さんと、白石さんのご両親に伺うことがあるとすれば」
仕掛け人さまの視線は、紬さんの『目』に真っ直ぐ衝突した。
13: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:43:11.30 ID:RvB9VQpu0
「嫌な方向に吹っ切れましたね。
僕には、白石さんが今回の公演にそこまで拘る理由が分かりません」
紬さんは口をつぐんで、ただ立っている。
14: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:44:02.07 ID:RvB9VQpu0
「スチュアートさん」
仕掛け人さまが、突然私の方を向いた。
「あなたの目から見て、白石さんはステージに立てる状態だと思いますか」
15: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:44:59.56 ID:RvB9VQpu0
「エミリーさん、ありがとうございます」
紬さんは練習着に着替えて、軽く喉を鳴らしながら微笑んだ。
「エミリーさんからいただいた、このチャンスを無駄にはしません」
16: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:46:02.83 ID:RvB9VQpu0
それから紬さんは、鏡面が奥行きを映し出す部屋の、ほぼ中心の座標に立って、ひとつ大きく息を吐いた。
「では、いきます」
スピーカーから音楽が流れる。
17: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:46:59.63 ID:RvB9VQpu0
26秒の間、紬さんの表現は完璧だった。
もしかすると、過去最高の地点を跨いだかもしれなかった。けれど。
私にとって、その瞬間は驚くほどゆっくりと訪れた。
18: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:48:10.93 ID:RvB9VQpu0
紬さんは、まるで目の前に足場が存在すること自体が、
信じ難い異常であるかのような顔をしていた。
床に横たわるような状態になってようやく、自分が転倒したことに気付いたのだ。
19: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:49:04.69 ID:RvB9VQpu0
無責任な私は、ただ紬さんの手を握るしかなかった。
「紬さん。紬さん、私はここです」
強く、強く、握って、願う。
20: ◆u/54BSBlPw[sage saga]
2020/02/08(土) 19:50:20.52 ID:RvB9VQpu0
だから、私は同じような声量で尋ねた。
「紬さんは、どうして……」
続く言葉を吐き出すことができたなら、誠実さを失わずに済むかもしれない。
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