樋口円香「天国とは程遠く、地獄と呼ぶには温かで」
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2: ◆TOYOUsnVr.[saga]
2020/04/13(月) 20:27:16.39 ID:HUVzNnIg0

 しかし、これまでに受けてきたオーデションと異なることもあった。

 資料の最上部中央には、私もよく知るテレビ番組のタイトルがでかでかと印字されていて、共演予定の人たちも当然私のよく知る名前が並んでいるのである。


「……これを、私に受けろ、と。そう言うんですか」

「俺はそうして欲しい、と思ってる」

「共演する方の欄、見ましたか。アイドルのこと好きじゃなくても知ってるような有名な方ばかりで」

「うん。そうだね」


 そんなことはわかっている、と言わんばかりにこの男は頷いて、続く私の言葉を待っている。


「本当にこのオーディションに私が相応しいと思うんですか」

「ああ、思う。……それに、滅多に来ないチャンスだよ」

「……。共演予定の方じゃなくても、こんなレベルの高いオーディションに来る子なんて、当然それに見合った実力のある子たちなんですよね」

「そうなるだろうなぁ」

「つまり、これまで以上に、難易度が高いわけです」

「ああ」

「勝算がない、とは思わないんですか」

「思わない。円香なら合格する。そう信じてる」

「…………本当に、勝手な人ですね。勝手なことばかり言って、勝手に期待して、勝手に信じて」

「でも、どんな結果だろうと、勝手に失望したりなんか、絶対しない」

「………………。そう、ですか」

「何があっても円香は円香で、このオーディションで決まるのはその番組に出られるか、出られないか。それだけだよ。何も生き死にを賭けてるわけじゃない」

「……言うのは簡単ですよね」

「うん。簡単だ。だから俺は今日も、無責任に円香に期待しているし、勝手に合格を信じてる。勝手、で申し訳ないんだけど」

「申し訳なく思ってるのに、顧みないんですか」

「ああ。そういう、仕事だからな」

「…………わかりました。乗せられてあげます。歌って踊る。そういう、仕事ですから」


 はぁ、とため息を吐いて資料を突き返す。

 プロデューサーは「ん」と言って受け取って、微笑んだ。


「オーディションについて、要点をまとめてメールしておいてください。なるべく早く」

「ああ。超特急でするよ」

「それから……はづきさんに伝えてください」

「レッスン室の鍵、借りていきます……だろ? もう借りてあるよ」

「……。では、早く渡していただけますか」

「うん、頑張って。あとで顔出すよ」

「結構です」


 ソファから立ち上がり、鞄を肩にかける。

 気付けば少しだけ歩調の速くなった私がいて、手のひらの中にあるレッスン室の鍵はじんわりと汗をかいていた。



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