1:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 12:50:15.11 ID:DMraZkfV0
 非現実を目の当たりにしたプログラマーの、第一声はなんとも彼らしいものではあった。  
    
  「ロープレのラスボス戦とかで見たこと有るな、ここ」  
    
   率直な感想をつい口にしてしまうのは配信者としての性なのか。独り言ばかりが多くなる、とは普遍のストリーマー間における話題ではあった。社築は溜息を吐く。  
    
  「お陰で生きにくいんだわ、マジで」  
    
   配信に乗っけている訳でもねーのに、と続ける。彼は初め、その身が置かれた状況を夢と断じて疑っていなかった。  
    
   プラネタリウムの中心で浮かんでいるような不思議な感覚。周囲を、ともすれば手で掴めるのではないかと思わせるほどの近い距離で星が瞬いている。何も見えないのか、ただ見えるものが存在しないだけなのか、宇宙空間はどこまでも広がり果てがない。  
    
   そこ、をロールプレイングゲームの最終決戦地に錯視してしまうのは、ゲーマーならば無理もないだろうか。下を向けば足元に有るはずの床は無く、どころか底すらない奈落が続く。  
    
   しかし、青年はそれでもそこにすっくと立っている。それが当然と。  
    
  「ええ……なぁにこれぇ?」  
    
   覚醒を始める脳髄。靄が晴れていくような。薄々気づき始めた真実には目を背けながら社は誰にともなく――おそらく自分自身に向けて問いかける。  
    
  「夢にしては意識が覚醒し過ぎてるよ……な?」  
    
   手の平を握っては開き、それを数度繰り返す何かを確かめるような動作。少しづつ、彼の表情が強張っていく。  
    
  「もしかしてやらかしたか、俺?」  
    
   社は自問自答する。急ピッチで手繰り寄せるのは直近の記憶。思い返すまでも無く今週のスケジュールは無残が過ぎた。その勤めるIT企業のプログラマーとしてもそうだが、そこにもう一つの生業、配信業が思いのほかに重なった。デスマーチと呼ばれる締め切り寸前の過酷な労働体系に自分から睡眠不足を上塗りしたのは、それはひとえに楽しすぎたから。  
    
   記憶が途切れる寸前まで社築は栄養ドリンクの海に溺れてまで生き急いだ。今が踏ん張り時だと。人生で一番大事な時だと。輝いていると。そう信じて。そして、幸か不幸か「それ」は実際その通りで。自分の内からも、周囲からも放たれる激励は身体のリミッターを外すに十分な劇物だった。  
    
   生き急いで、急いで急いで――急ぎすぎた。  
    
   そこまで思い至って急に、ガタガタと膝が笑い出す。  
    
  「ああ、それでこの空間、と」  
    
   世界の終わりのようながらんどうに放り出され彼は、ついに耐え切れなくなってぼそり、正解を口にする。  
    
  「これ、俺死んだんじゃないの?」
SSWiki : ss.vip2ch.com
2:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 12:55:59.13 ID:DMraZkfV0
  一日は二十四時間しかないのに実質三十時間働く。それを一週間続けたのだから過労死は誰の目にも――もはや本人の目にすら明らかな論理的かつ極めて現実的な帰結であった。それはつまり、社には正しく「笑うしか」残されていないことを意味する。  
    
  「はは……っていや、笑えねーし」  
    
   より正確に言うならば、自分が今置かれた状況を夢だと強く思い込むことくらいは許されていたが。しかしながら、彼はここまで理性が鮮明な夢を明晰夢ですら見たことが無く、それは裏返って「これ」が紛れもない現実であると声高に訴えかけていた。  
3:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 13:05:37.38 ID:DMraZkfV0
 「社さん、だから何より先ずはご自愛くださいと言ったじゃないですか」 
  
 「……さーせん」 
  
  ぷんぷんと擬音を口にしながら怒る女神の愛らしさに、社はすっかり精神を弛緩させ切ってしまっていた。それもそのはず、この女神はその類稀なる声質を買われてにじさんじに入ったのだ。社のようなドの付くオタクがやられない道理はどこにも存在してはいなかった。 
4:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 13:10:02.82 ID:DMraZkfV0
 「こちらをご覧ください」 
  
  女神モイラが右手を振りかざすと何もない中空に映像が浮かび上がった。それはまるで近未来SF映画のようでもあり、そしてその有り得なさが逆説、尚更に社へと状況の非現実さを訴えかけるのだった。 
  
 「俺、ですね。これ、マジで死んでるんですか?」 
5:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 13:21:39.84 ID:DMraZkfV0
  青年の問いかけにモイラは頭を押さえた。頭痛がする。自分が所属している事実も忘れて彼女は「にじさんじはこんなのばかりか」と嘆いた。 
  
  話が早い、どころではない。 
  
 「……ぶっちゃけ、そうです」 
6:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 13:34:47.83 ID:DMraZkfV0
  そう、元はと言えば本人の不摂生が祟った結果であり、こればかりは誰のせいにも出来ないことではあったのだ。ただ、そんな現実は悔しさとは無関係で。 
  
  やりたかったことはまだまだ有った。むしろこれからだったと言っても良い。心待ちにしていたフィギュアも来週発売だ。次にライブ配信しようとしていたゲームも既に買ってしまっている。死んでいる場合では無いじゃないかと、それを社はここに来て思い出した。 
  
  社築はオタクの例に漏れず煩悩にまみれている。だが、その何がいけないというのか。悔いを残し過ぎて死んでしまった事実は冷静になればやはり受け入れがたい。 
7:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 13:41:08.50 ID:DMraZkfV0
  モイラは言う。ごめんなさいと。微笑は崩さずに。人間の生と死は女神にとって日常でしかない。 
  
 「そうですか」 
  
 「生き返らせられません――私には」 
8:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 13:47:34.68 ID:DMraZkfV0
  実はも何も尊敬と畏敬の念を抱いて然るべきであった相手が同僚であったのだという事実と、その女神と対等かつフレンドリーな関係を築いてしまっていた意味の分からなさに社は困惑を隠せない。 
  
 「すんません、率直な疑問なんですけどどうして俺なんかにそこまでやってくれるんですか? だって、俺なんかただの下等な人間じゃないですか」 
  
 「何言ってるんですか」 
9:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 13:56:22.05 ID:DMraZkfV0
 「それで話を戻しますと。つまり、こんなところで死んでる場合じゃないんです、社さんは。いまさらスケジュールも配役も変更きかないので」 
  
  青年にとってそれはありがたい話、のはずだった。しかしなぜだろうか。社にはもはや、モイラの言っていることが極まった社畜の同調圧力にしか聞こえなくなってしまっていた。 
  
 「酷ぇハナシだ……」 
10:名無しNIPPER[saga]
2020/09/20(日) 14:10:56.18 ID:DMraZkfV0
  憂いの無い異世界転生が始まると決まってからの社は、その生来持つ慎重さを存分に発揮した。それは、ともすれば女神が引くほどに。 
  
 「魔剣所有者……これは無いな。剣が無いと一般人なのはウィークポイントがデカすぎる。魔術の素質……保留。どんくらい魔法が有用な世界か分からない以上、ここで判断はできない。すいません、モイラ様? 他にボーナス候補書いてある紙ってまだありません?」 
  
 「ええ!? まだ決まらないんですか!?」 
38Res/50.90 KB
↑[8] 前[4] 次[6] 
書[5]
板[3] 1-[1] l20