214:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:35:44.72 ID:tRJaplXx0
「グリーフワーク≠ナす。死別という悲嘆に打ちのめされ、受け止め、向き合い、立ち直っていく、そのプロセス。
悲しみに頬を打ち、大勢で声を上げることを、人々は本能的にさえ必要とした。そうやって、愛する者の死を明らかなものとして認め、受け入れることが必要だった。
預言者ムハンマドのように強ければ、静かに涙を流し、あるいは長い間引きこもるというやり方で悲しみと向き合うことも出来たのでしょう。しかし、そうでない人々は、やはり嘆かずにいられなかった。泣き女に悲しみの誘いを受けることが、故人との別れを実感することや、やがて立ち直っていくことに大きな効果をもたらしたのです。
215:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:36:16.14 ID:tRJaplXx0
「泣き叫んだのは《しきたりなのです》とありました。だから一読、モルジアナは悲しんだわけではないのか、との印象を受けました。あくまでアリババに頼まれた仕事、盗賊の追跡を振り切る作戦として、カシムの葬儀を取りなし、しきたりの為に泣いて見せたのか、と。
ですが、やはりモルジアナは、心から泣き叫んだのではないでしょうか。内に抱えた悲嘆の発露として、主人との離別を受容するプロセスとして。
深い悲しみに際し、しっかりと感情を表した。泣いて、喚いて、髪を掻き毟って、それでようやく、別れを乗り越える為に、踏み出すことが出来た。……時を、動かした」
216:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:36:44.69 ID:tRJaplXx0
「そして、今度はアリババを守ることに全てを捧げると誓った。未来へ向き直ったのです。彼女は悲しみを受け入れた。悲しみに抗うことを辞めたのです。そうやって美徳を手に入れた。主人を守れなかった自責、過去の名誉への拘りを乗り越えた。
だから、モルジアナは盗賊たちに打ち勝ったのです。彼女は悲嘆を受け入れ、しっかり向き合った。だから、本当の名誉を手に入れた。
この物語のハッピーエンドは、そういう仕掛けだったのです」
217:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:37:17.61 ID:tRJaplXx0
「冗長だったようですが、それが私の考えです。
この物語では、過去の名誉という感情に拘ることは重い罪となる悪徳だった。カシムも盗賊も、その呪いに抗えなかった。
モルジアナさえ囚われた。だけど、彼女は生き残った。きちんと泣いて、振り切ったから。
だから、――
218:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:37:43.49 ID:tRJaplXx0
だからモルジアナは、幸せだったと思います。幸せになっていいんです。
だってこれは、きっと、自分が幸せになることを許す為の物語なんだから」
219:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:38:12.35 ID:tRJaplXx0
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
220:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:40:11.95 ID:tRJaplXx0
文香は安心したように目を細め、深く頷いた。耳に掛かった髪が滑り、落ちる。まるで絹だ。
彼女はゆっくりと、囁く準備のように首を突き出し、しかし千夜の耳には程遠い空に、夢見心地の言葉を紡ぐ。
「私は…… 自分で言うのも、ですけれど…… はい、読書家、だと。
ですが、どれだけの書を読み耽っても、今、千夜さんが仰ったような結論には、辿り着けなかったと思います。それは、千夜さんが見つけた、千夜さんだからこそ辿り着けた答え、だと。……とても愉しく、愛おしい物語でした。
221:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:40:37.64 ID:tRJaplXx0
「昔、焼いたクッキーを落として割りました。それを見ていると、どうしてだか気味悪くなって、虚しくなりました。だけど、本当の気持ちは他にありました。……お嬢様が笑ってくれたんです。《増えたね》と。
その時、私は許されました。悲しくなれました。
私は悲しかったんです。頑張って焼いたクッキーを落としてしまって、悲しかったんです。
私は愚かにも、自分の失敗に立ち向かおうとしていました。緊張しながら、折れたクッキーをじっと睨んでいたんです。それを、お嬢様が笑ってくれて、ようやく許されたんです。お嬢様のおかげでようやく、否認を奪われ、私は悲しい思いがある事と、向き合うことが出来たんです」
222:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:41:21.01 ID:tRJaplXx0
空気がしん、と澄み渡った。声は静かな世界に放りだされて、その跳ね返りもなく、なんだか独り言のようだと思った。隣に顔を向ければ、そうでない事が分かった。
そこに居ますね、と眼で認めてくれていた。
ここに居ますよ、と笑って返した。
223:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:41:49.12 ID:tRJaplXx0
Epilogue――
一ノ瀬志希を捕まえた。志希が捕まってくれた、の方が正しいのだと思う。どっちであろうと構わない。眼目はこうだ、今までのらりくらりと躱されてきたが、
「ようやく話が出来そうですね」
224:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:42:22.43 ID:tRJaplXx0
「舞台のですね。くすねたのですか?」
「にゃはは」
都の提案で、記念に二人で片割れずつ持っておくことにした。だが、そうするべきだったのか、志希の真意を今日まで聞きそびれていた。
「幾つもの暗号の先、貴女はこの金貨にどんな意味を込めたのですか」
225:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:43:06.24 ID:tRJaplXx0
「特に意味はない、ということですね。そんな気はしていました。それで、もう一つ謎が解けたのですよ」
「ふむふむ。シンリの探究は断らないよん?」
「あの日、私のスマートフォンの電源が切られていました。おかげで頼子さんのメッセージに気付くのが遅れるところでした。志希さん、貴女がやったのですね。貴女なりの、失踪というやつの方法論を実践させる為に」
「ほうほう?」
「私に何らかの連絡が来る事は容易に見越せたでしょう。貴女はその連絡に、私が気持ちの切り替えをつけるまでは気付かないように仕組んだ」
226:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:43:58.95 ID:tRJaplXx0
そこへ頼子がやって来た。手には千夜が着る紅と金のショール。笑んでそのまま、着せてくれた。
「本番には間に合いましたね」
腕を通しながら、頷く。時間を掛けただけはあるというところか、仕上がりがいい。志希が見て、言う。
「んん? にゃはは、イイカンジ」
「それは、似合うということですか?」
227:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:44:30.15 ID:tRJaplXx0
「にゃは、決めちゃえ〜」
「お願いしますね、都ちゃん」
「ぶちかましたれェあうるさいですか」
「それでは、ええと…… よし!」
228:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:45:05.95 ID:tRJaplXx0
「メロンの香りがしますね!」
「お好きでしょう?」
229:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/02(水) 02:46:44.50 ID:tRJaplXx0
出典まとめるの忘れてました! あとで!
230:名無しNIPPER[sage]
2020/12/02(水) 10:08:15.65 ID:sNyDelXH0
大作乙でした!
読み応え抜群で楽しかったです
231:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/03(木) 01:10:10.63 ID:yZ8aBbn90
>>230
ご感想ありがとうございます!
楽しんで頂けたという事で、うれしいです!
232:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/03(木) 01:11:12.37 ID:yZ8aBbn90
主な出典:
前嶋信次訳(1985)『アラビアンナイト 別巻』平凡社.
ロバート・アーウィン(1998)『必携アラビアン・ナイト―物語の迷宮へ』(西尾哲夫訳)平凡社.
西尾哲夫(2007)『アラビアンナイト―文明のはざまに生まれた物語』岩波書店.
233:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/03(木) 01:13:49.62 ID:yZ8aBbn90
以上で書き込み終わります。読んでくださった方、ありがとうございます!
234:名無しNIPPER[age]
2020/12/03(木) 22:26:35.69 ID:YnfZoXnVO
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