過去ログ - サーシャ「天使になるらしいです」
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395:1[sage]
2011/12/10(土) 13:05:18.36 ID:nVIjESd80
十字教徒として不遜である事は百も承知ですが、私は天使というものにあまり良い印象を持ってはいない。
もはや今更語るまでもなく、というか今この瞬間すらも、私は天使というものの存在に私の人生を振り回されている。
人生と言っても語る程の歳ではないのかもしれませんが、それでもけして長くはない人生の中で、
私は天使という言葉を耳にしただけで不快感を覚えるのに十分すぎる程の経験をしてきました。
何せ第三次世界大戦という大仰なものにまで、この持って生まれた性質のせいで巻き込まれたのですから。
だから、私は天使が嫌いだ。
だったら十字教徒などやめてしまえと、こんな私の愚痴を聞いた人は思うかもしれない。
しかし、別に私は十字教に反感を持っているわけではない。
神の子の生き方や教えには共感を覚える事が多い。
なんとなく異端審問とか強引な布教とかで排他的なイメージを持たれがちだけれども
そもそも神の子の歴史を紐解けば、それは彼の本意ではないという事が感じられるはずだ。
神の子はあくまでも正しい人間の生き方を説いただけです。
この世界に遍在する不平等や救われない者達が救われる道は無いのかと考え、
神の子は「天に財産を蓄える」という口実で富める者には貧しい者達に分け与える様に諭した。
また義を成してもそれを自慢しない様に諭し、身分が高いからと言って偉そうにせず下の者を思いやる気持ちを持てと言って、
師である神の子が自ら弟子の足を洗ったエピソードもある。
中には首を傾げる様な話もあるかもしれないが、例え十字教徒でなくても共感できる部分だって多いはずです。
一般的には宗教家の様に捉えられがちですが、
別の視点から見れば中国の諸子百家の様に道徳を唱えた者と見る事もできるし、
あるいは腐敗したユダヤ衆議会に抵抗した反体制派の運動家という見方もできる。
まあ、十字教の話はここで区切らせてもらうとして。
話を戻しますが、改めてもう一度結論を言うと、私は天使が嫌いです。
別に天使が嫌いだから十字教に反するというのも考えてみれば短絡であり、
天使なら十字教でなくともイスラム教にもゾロアスター教にも出てくる。
別に天使が嫌いな十字教徒が居たっていいはずです。
もう一度言います。私は天使が嫌いです。
神の子や洗礼者ヨハネが天使に祝福されて生まれてきたのだとしたら、私はおそらく天使に呪われて生まれてきたのでしょう。
そう思わずにはいられません。
だから、私は自分の運命を呪う。
例えそれが神から与えられた運命だとしても。
私はそれを呪わずにはいられない。
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