32:JK[saga]
2012/01/12(木) 20:37:49.39 ID:DE4CuiAp0
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月が顕れぬ夜。
顕在するはずの月を視認出来ない夜。
少女は実に呆気なく、死に至ろうとしていた。
酒井泉。
彼女は人里離れた遠い雪の空の下、強い心臓の動悸に襲われた。
泉は生来にして頑強な身体を有しているとは言えず、
いつ何時に果てても何の不可思議な点も無い女性だった。
彼女が生きている事自体が奇跡の如き現象であり、
故に彼女が動悸に倒れる事は日常茶飯事であった。
されど、今回ばかりはこれまでと異なるようだった。
通常であれば数分経れば幾分か動悸は治まり、
再び生の刻を刻んでいけていたが、やはり今回の動悸は通常のものではないようだ。
数分経ても泉の身体には活力が戻らない。
どころか、余計に活力が吸い取られる感覚。
とうとう来たんだ、と何故か泉は感慨深く考えていた。
とうとう来たのだ。来てしまったのだ。
物心付いてから、訪れる事を覚悟していた日。
生まれ落ちてから十余年、考えない日の無かった己の果てる日が。
泉は遂にその日に至ってしまったのだ。
今宵は新月。
月の無い夜。
そして、珍しく雪も無い夜。
今宵、泉は、果てる。
泉には不思議と恐怖という感情は湧き上がらなかった。
悲嘆も無かった。
今日、自分は死ぬんだな、とそれだけが妙に自覚出来、ひどく落ち着いていた。
「死ぬんだな、私……」
力の入らない唇で小さく呟く。
果ててしまう事に未練が無いわけではないが、されど泉は平静だった。
自分でもおかしいと思うほどだったが、幸福感すら湧き上がってくるのだ。
現世からの現実逃避ではない。
自殺志願者の歪曲した歓びでもない。
ただ単純な、純粋なまでの歓喜。
死が嬉しいのではない。当然ながら死が恐ろしくて堪らない。
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