過去ログ - 織莉子「私の世界を守るために」
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37:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋)[saga]
2012/05/19(土) 15:52:47.89 ID:oO9qLT0Vo
 美国家は良家だ。名家とも言う。どっちでも良いけどね。

 もっとも、始めからそうだったわけじゃない。
どうやら明治維新前にはそこら辺のうだつの上がらない木端役人だったみたいで、武士の面目を保つために汲々としてたようだ。

 そんな美国家が変わったのは明治維新と、西欧列強に抗する為の殖産興業がきっかけだった。

 知っての通り殖産興業は、明治政府が軽工業――生糸の生産輸出を主体として国力の増強を図ろうとした試みだ。
この辺りでもその動きは盛んだったようで、今でも「見滝原リヨン」なんて生糸の銘柄が伝わっているくらい、質の良い品を作っていたみたいだ。

 当然、ただ作るだけじゃ、製造業はなりたたない。原材料供給業者や売り子だって必要だ。
でも、あの時代もっとも必要とされたのは、信州で作られた蚕の繭を群馬へと移送し、出来た絹糸を横浜の港へと運ぶ運送屋だった。

 もちろん、当時は自動車なんて洒落たものは日本には無い。
さまざまな品質保持のためのテクノロジーが発達した今と違って、せっかく製造できた良質の生糸を汚さず劣化もさせずに運ぶというのは、当時としてはなかなかに面倒な問題だった。

 そこに名乗り出たのが、時の美国家当主・美国貴臣だった。もっとも、その時はまだ当主なんて言うほど仰々しい立場じゃなかったみたいだけど。

 ここら辺で彼が取った手法については面倒だから省こう。とにかく彼はいろいろと手を打って、巧い事やった。そして一代にして、巨万の富を得た。
今でもある美国邸の白い色っていうのは、実は蚕の繭の色を象徴したものなんだ。
あんなでかい邸宅をあの時代に建ててしまったんだ、彼の才能は凄まじかったんだろうね。

 問題はその後だった。養蚕業っていうのは、実は今に伝わるほどボロい稼業じゃない、相場の変動に大きく左右されてしまう、とても博打性の高い仕事だったんだ。
それでも、当時の人たちにとってはある程度の現金収入はありがたいものだったと見えて、かなりの人が懲りずに手を出し続けたみたいだ。

 美国家もそのあおりを受けて、しかも残念なことに貴臣の後継はそれほど商才には恵まれていなかった。
家業としていた運輸業も他の家にお株を奪われて、結果、美国家は凋落の一途を辿ることになってしまった。
挙句付けられたのが、「格式ばかりの貧乏屋敷」だ。時代の流れって、残酷なものだね。


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