過去ログ - 織莉子「私の世界を守るために」
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38:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋)[sage]
2012/05/19(土) 15:55:10.91 ID:oO9qLT0Vo
 転機は、いつだって突然に訪れる。
今から2代前の当主・美国由臣は、とても人の心を掴むのが上手い人だった。そして人を見る目もあった。要は、とても政治家向きの人物だったんだね。

 太平洋戦争が終わって復員してきた由臣は、若い事から意識的に築いてきた人脈をフルに活用してこの辺りの新興事業に多額の融資を行った。
お金は、支那――今の中国でがっぽりふんだくってきた品を換金して得たものだ。

 こう言うと、彼がとても非道い悪党のように思われるかもしれないけれど、実際の所略奪をはたらいてきたわけじゃない。
当時の適正なレートで、きちんとした手続きを経て購入してきたものだった、後々になって文句を言われないようにするためにね。

 そして彼は、利息で増えた資金を元手に国政に打って出て、初出馬で見事に当選した。

 言わなくっても分かるだろう。
後援会を組織し、地元に利益を誘導し、地元有力者からの支援を取り付ける。
由臣は、そんな古い手法を用いるタイプ政治家だった。

 実際、彼は古い時代の人だし、それしかやりようが無かったというのも、また事実だ。
今の視点からそれをとやかく言うのも、またナンセンスなことだろう。
当時はそれでうまく回っていたんだから。

 地縁や人脈は深く根付き、由臣と地元有力者とでギブ&テイクな互恵関係が出来上がった。
高度経済成長華やかなりし頃の、古き良き時代の政治態勢が敷かれていたわけだ。
そんな金権政治の権化たる由臣の背を見て育ったからだろうか、少なくとも彼の息子は、そういった政治の在り方を反面教師として見て取ったようだ。

 由臣の息子・美国久臣は、それまでとは打って変わった方針を掲げた。
旧来型の恩顧契約的な選挙態勢からの脱却を標榜し、クリーンな政治を目指して国政に打って出たんだ。

 彼はそれまで支援してきた地元の有力者たちよりも、そこらへんを歩いている一般市民から指示を受ける事を望んだ。
数少ない有力者たちの支持では意味が無い、より多くの「大衆」から支持を受け、そしてその結果として当選すること。
それが、彼の考えた正しい政治家の在りようだった。

 そんな久臣の選挙姿勢は、当時の人々にとってはたいそうセンセーショナルなものだったと見えて、彼は父親の代では考えられないような票を得て、初出馬で当選した。
彼の望みは、着実な一歩目を見たのさ。

 美国織莉子が生まれたのは、そんなさなかのことだった。


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