66:猫宮[saga]
2012/09/18(火) 19:19:01.11 ID:ut//4wCb0
驚いた私は自分のムスタングに視線を向けた。
音を出しているのは確かに私のムスタングだった。
私のムスタングがこんな音を出せるなんて……。
そして勿論、私のムスタングを演奏しているのは……。
「憂……ちゃん……?」
私は呻くみたいに呟いた。
ううん、呻いていたと思う。
多分、衝撃で声が上手く出せなかった。
憂ちゃんが申し訳なさそうに苦笑して、私に頭を軽く下げた。
「あ、ごめんね、梓ちゃん。
お姉ちゃんがギターを弾いてる所を思い出したら、つい弾いてみたくなっちゃって……。
まだ梓ちゃんに断ってないのに、ごめんね」
「ううん、それはいいの。
それはいいんだけど……」
そんな事はいい。
そんな事はどうでもよかった。
私が気になるのは……、もっと気になる事は……。
私は胸の鼓動で喉が痛くなるのを感じながら、また呻いた。
「憂ちゃんも……、ギターを演奏出来るの……?」
「あ、ううん、私、ギターはそんなに触った事無いんだ。
お姉ちゃんが演奏してるのを見てる時、たまに触らせてもらってるくらいなの。
お姉ちゃんを真似て弾いてみたんだけど、ギターってやっぱり難しいよね」
瞬間、私の中が言い様の無い感情で支配された。
憂ちゃんが嘘を言ってないのは分かる。
嘘を言うような子じゃないし、こんな事で嘘を言う必要なんて無い。
嘘じゃないからこそ、私はどうしようもない感情に支配されてしまってる。
原因はさっきの憂ちゃんの演奏だった。
長くチューニングをしてないギターだから、
音こそバラバラだったけれど、そのテクニックには驚かされるものがあった。
演奏としては、まだ私の方が上手い。
まだ……。
でも、追い着かれる……。
ううん、追い越されるのは、時間の問題だって実感した。
憂ちゃんの言う通りなら、憂ちゃんはまだ五度くらいしかギターに触れた事がないんだろう。
五度くらいでこの腕前なんだ。
ほんの少し腰を据えて練習すれば、あっという間に私の実力なんて超えてしまう。
天才って居るんだ……、って感じた。
この世界には確かに天才が居る。
だけど、私は天才じゃない。
演奏が上手だとはよく言われるけど、それは天性の物じゃない。
小学生の頃から練習して練習して、やっと上手だって言われる腕前になれただけ。
中学生の中では上手いと言われる腕前になれただけ。
でも、そんな腕前なんて、天才の前じゃ何にもならないんだって思わされた。
憂ちゃんの事だけの問題じゃない。
私の住む県に憂ちゃんって天才が居たんだ。
全国を見回せば、憂ちゃんと肩を張る天才なんて大勢居るんだろう。
私なんか足下にも及ばない天才が……。
いつの頃からだろう。
私は音楽の道に進みたかった。
音楽を生業にする職業に就きたかった。
その気持ちに嘘は無かったし、本当に将来の夢にしようと思ってた。
でも、中学生の中では上手いと言われる程度の腕前で、
どうにか出来る世界じゃない事も、私はよく知っていた。
私より遥かに上手い実力のお父さんですら、音楽の世界で生き残るのに必死なんだ。
私なんかじゃ何処まで行けるか、全然自信が無かった。
そして今、私は完全に打ちのめされた。
もうすぐ世に生まれようとしている天才の前で、
しかも無自覚な天才の前で、私が演奏なんかしても滑稽なだけだった。
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