21:聖娼婦るなるな 1/6 ◆7az9zC1iQs
2012/08/13(月) 00:15:28.83 ID:x3dEhYxz0
僕のような強欲な愚鈍にとって、他者とコミュニケーションをとろう?とする?手段はほぼ三つに限られる。
1.呻き声をあげる
2.血を流す
3.無意味な物語を作る
これだけだ。呻き声をあげる、というのはまさにそのままだろう。血を流す、というのは、ただ自身が思うもっとも重い鈍器で自分を殴ろうとすること
だ。他人もろとも。
最後は一番わかりやすい。物語を作り、面白い面白くないで評価してもらおうという魂胆だ。まるで手淫の一擦りのような現象であろうとすることだ。
面白い物語でありさらに重要な意味を持つーーでありたいというのは妄想だ。強欲な発想だ。強欲な愚鈍の発想に過ぎない。
いくら面白かろうと意味がなければ意味はなく、いくら意味があろうと面白くなければそれは崖のように断絶だ。ただ無人島の川の水面に神を見ることに
等しい。
懺悔するなら、僕はまだキャラクターの存在を信じたことがない。同じように、神の存在を信じたこともない。
だから、きっと、つまり、以下垂れ流される文章はまったく生きていない。神というものが我々が作った粘土細工であるように、以下流される物語のキャ
ラクターはすべて粘土細工に過ぎない。僕と言うその物語の神の。神という作者の。
我々自身も、粘土細工であればただ粘土細工の踊る世界でひどく愉快だったろうに。
神も、人も、物語の登場人物も、すべて粘土細工の踊る世界は。
神は人に宿る。
1、I WANT YOU
?I WANT YOU?
壁に張られたポスターにはそう書かれていた。今日やる夏祭り用のポスターだ。浴衣を着たアメリカ人がこちらを指差している。もちろん、WW1の兵隊
募集のポスターのパロディだ。
そのポスターは妙に今風のマンガの絵で描かれていて、多少の違和感が残った。
父さんが言う。
「今年はいけないよ、この夏祭り。すこし寂しいけどね」と。毎年父と、母と、僕の三人で行っていたものだった。父はポスターから目を逸らして笑って
いる。
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