過去ログ - 文才ないけど小説かく(実験)4
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233:戦士の世代 1/3(お題:一人の兵士、不感症、デパ地下) ◆d9gN98TTJY[sage]
2013/08/05(月) 21:23:44.43 ID:sokAIkud0

 かつて、企業戦士と呼ばれる人達がいた。
 それは数多くの勤め人が生み出した経済成長を褒め称える言葉と同時に、数多くの人達が
文字通り命を賭け時には死んでいった事実を暗喩する言葉であった。
 大戦の敗者側だったとは到底思えない経済成長は確かにあった。
 だが、その言葉は経済復興後、日本も米国も当初はそこに至るとは予想だにしなかった
プラザ合意を果たした後の、後にバブルと呼ばれる破滅に至る上辺での経済成長を見せて
いる頃に言われだした言葉である。
 外需から内需への転換を米国に指し示されるままに受け入れてしまった事が悪いのか、
農閑期の収入を減らしてまで一芸専門の業種を生み続け政策転換が叶わなくする手法が
駄目だったのか、はたまた投資と言うものの本質は額面価の上昇ではなく産業基盤の
構築を意味することを大多数が知らなかった、または知っていても無視し続けていたのが
そもそも不適切だったのか。
 そのどれもが、かつて命を賭し、そして散っていった者達に告げるには酷に過ぎる内容
ではあるのだろう。
 けれど、彼らは誇り高き戦士だった。
 価値観の多様化とは聞こえがいいが、言い換えれば普遍的な価値が忘れ去られただけの
頃に、人と価値を結びつけて仕事と成す、答えの無い中で道を切り開く、戦士と呼べる
存在であったことに違いは無い。
 豊かな世の中とは何なのか、マルクスの幻想が崩れたのは何もそれを用いた国家の
ほとんどが外道揃いであった事だけが理由とは限らない。
 なんとなれば、マルクスは生活に無価値なものが幾重にも幻想を重ねて社会に必須と
妄信されるとは予想していなかったのだから。貨幣を概念と位置づけたにもかかわらず、
娯楽と言う概念が更なる勢いを増すということを埒外に置き、高度な産業的発展を遂げた
社会での理想的な分配に拘り過ぎた。
 彼が日本で生まれ育ったのなら、かつて安土桃山時代で茶器がその流れを生み出した
という前例を知り得ただろう。だが彼は、己ら以外の豊かな文明圏、またはフロンティア
からの収奪以外で経済発展を知りえない地域で生まれ、なまじそこの金融面を理解する
民族であったから、それが唯一の答えだろうという狭窄に陥ってしまったのだろう。
 ゆえに、資本論では企業戦士は救えなかったのもむべなるかな。マルクスは不足による
貧困に喘ぐ人達を想定はしても、産業の発達によりいずれ物資は必要なだけ揃うと予見でき
ていても、貨幣以外の更なる幻想に翻弄される彼らの嘆きは想定していなかったのだから。
 失われた十年。失われた十数年。かつての栄光を知る人は今をそう呼ぶが、何が失われた
のでもない。それが本来の姿で、彼らの栄光も挫折も……夢の中のことだっただけのこと。




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