715:ゆっくりと空っぽになる(お題:さよなら) 9/10 ◆/xGGSe0F/E[saga sage]
2013/10/08(火) 02:39:05.55 ID:j/UhbHsu0
この愛おしく狂った日々が、すでに三週間ほど続いていた。お姉ちゃんの体は、中身は亡くなったものの、腐る気配はな
い。もしかして腐らないのだろうか。それでも一応用心のために、冷蔵庫に入れておいた方が良いだろう。
この日も仕事から帰って、アパートに向かうと、自室の扉の前に知らない誰かが座っているのが見えた。どうしてこんな
ところにいるのだろうか。ひょっとして僕に用があるのだろうか。しかし、僕が考える限り、僕に用がありそうな人物など
一人も思いつかなかった。
「あの……」
とりあえず僕は、部屋の門番であるかのように座り込んでいる青年に、声をかけることにした。別に僕に用事があろうが
なかろうが、とにかくそこに居られると邪魔だった。そこに座っていれば、僕が部屋に入ることが出来ないだろう。この人
はそんなことも分からないのだろうか。僕は少しだけイラつきながら、声をかけた。
「ちょっと、どいてくれませんか?」
青年は僕が訪れたことにようやく気付いたかのように、はっと顔を上げて、僕を見た。その青年の目には濃い隈ができ、
頬は少しこけて、全体的にやつれている印象があった。ホームレスだろうか。お若いのに大変だ。
「加藤靖さんですか?」
青年は、僕を見ながら目を細めてそう訊ねた。
「そうですけど、何か用でしょうか? と言うか、こんな時間まで待っていたのですか? ずいぶんと――」
「美樹の抜け殻を持っていったのはお前か」
青年はそのやつれた顔で、精一杯に僕を睨みながら、そう言った。今にも掴みかかってきそうだった。
「誰ですか? 美樹って」
「いるんだろう!? お前しかいないんだよっ! 今ならもう怒らない。返してくれさえすれば警察にも言わない。だから
返してくれ……お願いだ……美樹の抜け殻を」
「なに意味の分からない言葉を言っているのですか? 気持ち悪い、そんな変な妄想を根拠に、僕の家で待ち伏せして、い
きなり訳の分からないことを叫ばないでくださいよ」
本当に意味が分からなかったので、そう返すと青年は驚いたように僕の顔をまじまじと見つめ始めた。気持ち悪い。
青年は微かに息を吐きながら、僕の胸ぐらをつかんで喋り始めた。
「…………俺がいない隙をついて、防犯カメラにお前の姿が映ってた。ようやくお前を探し当てることが出来た。お前が盗
む姿も。美樹の抜け殻を発見して、笑いながら喜んでいたお前の気持ち悪い姿も、全部、俺んちの防犯カメラに写っていた
んだよ! 今更言い逃れしてんじゃねえよ!」
「ちょっと何を言っているのか分からないですね。僕はただ、お姉ちゃんの家で、抜け殻を発見しただけです。それは、あ
なたの物ではないし、そもそもあなたは一体誰なんです?」
僕がそう返すと、青年は気持ち悪いものでも見るような目で僕を眺め、憮然とした表情で言葉を返してきた。
「お姉ちゃんって……いつから美樹がお前の姉になったんだ! 仕事場からずっとストーカーしやがってよぉ! もう証拠
は揃ってるし、全部わかってるんだ……。お前が女性の肉体を運ぶところをこのアパートの住人は見てたし、お前が毎日一
人で大声で喋りながら、美樹お姉ちゃんと連呼しているところだって、住人達は聞いてるんだ。この部屋の中に、美樹の抜
け殻があるんだろう? もう返してくれ……せめて俺たち夫婦の最後の時を……返してくれよ……」
青年はそう言いながら、僕の服から手を放し、項垂れて泣き始めた。情けない奴だ。訳の分からないことを喋りつづけて、
僕に変な疑いをかけている哀れな男だ。僕はただ、お姉ちゃんの抜け殻を発見して、ここへ持ち帰っただけなのに。さては、
こいつはお姉ちゃんの体を狙ってる、糞虫だな。だけど糞虫だから、頭が悪くて、変な言い訳しか思いつかなかったのだろ
う。だからこんな頓珍漢なでたらめ話を作って、自分に抜け殻をよこせなんて、横柄な事を言って泣きついてくるんだ。
「本当に、もう帰ってください。美樹なんて人はここには居ませんし、あなたの妄想に付き合ってる暇はありません」
僕はそう言うと、無理やり青年の顔を蹴って吹き飛ばし、急いで扉の鍵を開けて中へ入った。そしてまた鍵を閉める。心
臓が耳に張り付いたかのように、早いビートを叩きながら鳴っている。
「てめぇ、今から警察呼ぶからな! このキチガイ野郎が。もうお前はおしまいだからな!」
顔を蹴られた青年は、逆上したのかそんな与太を叫びながら、僕の部屋の扉を激しく叩き続けている。近所迷惑だからやめてほしい。
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