869:カブトムシ(お題:かぶとむし)2/8[saga sage]
2013/11/28(木) 21:56:43.79 ID:Vjzb4kQx0
***
その日、塚田康介は父の運転する車の助手席に乗せられていた。小学4年生である塚田にとって、夕飯を食べた後に出
かけるのはなんだか新鮮で、まるで自分が冒険に旅立つ勇者であるかのように思えた。もちろん目的は魔王の討伐などで
はない。カブトムシを取りにいくのである。
塚田の住む小さな町から車を少し走らせれば、すぐに山のふもとに辿り着く。日中であれば友人たちと自転車で向か
い、山中を駆け回ることも慣れ親しんだ遊びのひとつであったが、夜の暗い山は幼い塚田にとっては恐ろしい迷宮であっ
た。もっとも、この日はわざわざ山に分け入る必要はなかった。山のふもと、車通りのまばらな国道沿いに自動販売機が
3台並べて設置されていた。山で遊ぶ小学生たちにとってはこの自販機の前が休憩場所であり、たまり場であったため、
塚田にとっては慣れ親しんだ場所といっていいのだが、この自販機の光に誘われてカブトムシが寄ってくるという噂を聞
いてきたのは父のほうであった。「おい康介、カブトムシ、取りに行かないか」と仕事帰りの父が友達のような口ぶりで
話しかけらると、塚田は「うん、行く」と反射で答えていたのだ。
自販機の脇の空き地に車を止めると、塚田と父は「念のため」と母に持たされた懐中電灯を車に置き去りにしたまま、
虫取り網だけを持って自販機の前に向かった。煌々と発せられる光に誘われ、カナブンやガ、あるいは見たことはある
が名前は知らない虫が数匹ぐるぐると意味のない回転を繰り返していたが、目当てのカブトムシの姿は見つからなかった。
「いないね」
そう口の中でつぶやく塚田に、父は、
「まあ、そんな上手くはいかないだろう。少し車で待つか」と答え、二人は車に戻ろうと自販機に背を向けた。
すると、闇の中からするりと何かが滑り出すような気配を感じた。塚田が思わず振り返ると、父もつられて振り返っ
た。それは自販機のウインドゥにピタリと張り付くと、白い光の中に堂々としたシルエットが浮かび上がった。カブト
だ!そう叫びたくなる心を落ち着かせ、父の方をちらりと見る。父は小さくうなずき、目で合図をした。
塚田は足音を立てず、ゆっくりとカブトムシに近づいた。カブトムシが虫取り網の射程範囲に入ったことを目視で確
かめると、素早く網を振り下ろした。カブトムシは危険に気づき逃げ出そうとしたが、塚田の網の方が一瞬だけ早かっ
た。塚田は網を返しカブトムシを確保すると、父を振り返り、親指を立てた。父は一言「カゴだな」と答え、車に虫か
ごを取りに戻った。
1002Res/567.52 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
板[3] 1-[1] l20
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
もう書き込みできません。