過去ログ - とある科学の合成合唱<カンタータ>
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8:目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声  ◆wapTtVzPxk[sage saga]
2014/04/25(金) 21:25:30.11 ID:tU3kNuw60

『もう分かっているわね。キミにできる事はただ一つ。――――処分なさい、その子を殺す事で、世界を守るのよ』

 遠くで声が聴こえる。全力で走っているように胸が痛い。呼吸をするだけで喉が切れるようだ。

《オイ。脳内の電気信号さえ制御できりゃあ》

 近くで自分の声がする。助手席で瞼一つ指一つ動かせない少女は、ただ周囲の音だけを拾っていた。普段より何周も遅い思考で気がつく。乱暴に話す自分の声に聴こえるのは一方通行だ、と。

『できっこないわ、そんなもの』

 芳川はここにいないのか。少しくぐもった声は電話の向こうなのだろう。

『いい? わたしは殺せと言ったのよ。キミの一〇〇倍もあの子の体の仕組みを理解しているこのわたしが、殺すしかないと判断したの。この意味が分かる?』

 こんな声は聞いたことがなかった。絶対能力進化実験に関わる研究者は誰が欠けても問題無いと知っているからか、よほど金銭的に困っている研究員を除き、皆どこか無責任そうだった。芳川はその無責任さを自覚して振る舞い、優しくはなく甘い人間なのだと口癖のように自称して微笑む人だった。

『キミの手で最終信号のウィルスの駆除なんてできるはずがない。そして失敗すれば犠牲になるのは一万もの妹達。さらに問題が発展すれば楽演都市は世界を敵に回すことになる。それを避けるためには最終信号は諦めるしかないの』

 強い声だと死にかけの少女は思った。芳川は一方通行に『命令』したのだ。これから行われる殺害の全責任を負う気でいるのが電話越しにも理解できた。

(ヨシカワもアクセラレータも気に病まなくていいのよってミサカはミサカは声が出ない歯がゆさを痛感してみる)

 戦争を阻止するため、一万人の命を救うため、一人の小さな命を奪う。
 命は地球より重いと尊さを嘯いても、本当は全ての人間が社会という秤の上に乗っていることを彼女は知っている。クローンでも王様でも、地球と天秤にかけられて勝てる人なんて存在しない。

(罰があたったのかなってミサカはミサカは邪推してみる)

 誰一人として自分の命に価値を見出さなかった。誰一人として実験内容に疑問を持たなかった。救われるに足る努力など誰もしなかったのに、それどころか普通の人間なら確実に死んでいるような殺人未遂を日常的に行っていたのに、何の関係もない通りすがりのヒーローの正義感にただ命を救われ、与えられた。

 悲劇のヒロインなんて存在しなかった。悲しみも愛しさも知らない、自分たちは人形でしかなかったのだから。
 誰かの指示で実験動物となり、誰かの言葉で人間になったから、今度は誰かの利己のために世界の敵になり討ち滅ぼされる。それはとても理にかなった、自分にふさわしい末路に思えた。


 ――だからもうミサカは死なない、これ以上は一人だって死んでやる事はできない


 あれが最初の一歩だった。誰に言われたわけでも流されたわけでもなく、自分達をよくは思っていないだろう被験者と話をしなければならないと、初めて自分で考えて決めた行動だった。最初で、そして最後になってしまう可能性の高い覚悟が嘘やハッタリになってしまう自らの無力さを最終信号は悔やんだ。

『もっとも、今のキミにワクチンが用意できれば話は別だけど。キミにできる? ウィルスはもう数分で起動準備を終えてしまうこの状況で!』

 だが彼女の後悔はすぐに撤回される。


《できるさ》


 静かだった。一万回以上見てきた白く濁りきった狂乱はそこにはなかった。

 芳川がそれまでの自分をかなぐり捨てて背負った責任も、最終信号が置かれたどうしようもない状況も、全てを壊す力があった。そこにいたのは実験中の――妹達と何ら変わりない――大人達に言われるままに実験を進める人形のような能力者ではなかった。

《……できるに決まってンだろォが。俺を誰だと思ってやがる》

 たとえば、ここに駆けつけたのが他の誰であっても最終信号は助からなかっただろう。不可解な右手を持つツンツン頭の少年であっても、最高位の電撃使いである“お姉様”(オリジナル)であっても。

 ただの偶然であろうと、これは彼女が踏み出した一歩が招いた幸運なのだ。最終信号を助けられる力を持ち、最終信号を助ける意志を持ってくれる唯一の存在を、彼女が人間として取った行動こそがこの場に呼び寄せたのだ。

 小さい物が落ちる音、硬い物が握り潰される音、そして額に触れた何かが頭の中に入ってきた。ウィルスが縦横無尽に走り回る自分の脳味噌が誰かの掌にそのまま明け渡されたようなイメージが彼女の瞼に浮かぶ。

 彼の手だ。存在する全ての音波の向きを操り、触れる全ての物理現象を狂わせてきた彼の手が、まるで羊水のように優しく自分に触れている。もし動くことができたなら、最終信号は全身で驚愕を表しただろう。

 しかし本当の驚天動地はその直後にあった。

「ったく、このクソガキが。人がここまでやってんだ、今さら助かりませンでしたじゃ済まさねェぞ」

 一瞬、誰の声か本気で分からなかった。

 優しい声だった。人間の声だった。一万三十三回の邂逅を経て、初めて聴いた一方通行の本当の声だった。最終信号は死力の限りを尽くして瞼を開けようとした。いったいどんな顔でこんなにも優しい声を出しているのか見たかった。

 その努力も空しく、最終信号の意識はウィルス感染前のデータの上書きとともに押しつぶされていく。彼女は自分にできる最大限の手をとって決意を刻みこんだ。

(絶対に! 絶対に、ミサカはこの声をもう一度聞くんだってミサカはミサカは宣言する! 次こそあなたの顔をこの目に焼き付けるんだってミサカは――)

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 この夜、最終信号という魂と一方通行という力が初めて互いに触れた。

 そして目覚めのときが来る。




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