過去ログ - 咲「誰よりも強く。それが、私が麻雀をする理由だよ」
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742: ◆JzBFpWM762[saga]
2015/11/06(金) 20:02:22.73 ID:rfIZ9CGP0


 暗幕を下ろしたような深い闇が目に浮かぶ。思い浮かべた記憶の真っ暗な光景はやがて淡い光に満たされていき、あるとき視界が唐突に開ける。

 そこは、子供の頃から慣れ親しんだ長野の家の中、だろうか。内部から見た内装の特徴がいくつか合致する。芳香を放つ檜の柱。すっきりとした居間の外観。

 そんな見覚えのある居間と寝室を繋ぐ廊下の、居間の入り口の扉の傍ら。そこに隠れるようにして咲は立っている。高校生になった今の半分より少し高い目線。水彩画に水を垂らして滲ませたようにぼやけた眼前の光景。

 その奥、居間の中ほどで、父と母が向かい合ってたたずみ話し込んでいた。

「照と咲は寝た?」

界「ああ、遊び疲れたんだろ。昼寝してるよ」

「そう。……ごめんね、あなたも忙しいのに」

 すまなさそうに母が声の調子を落とす。「いいさ」と父は鷹揚に笑う。

界「明日対局があるっていっても、朝早くからってわけじゃない」

「頑張ってね。応援してる」

界「ああ……お前も頑張れよ。ヨーロッパ、回らなきゃいけないんだろ?」

「うん。私は一族の事業のうちヨーロッパ地域を任されているから」

界「そうだな。……そっちのことは全然力になれないが、愚痴くらいは聞いてやれる。あんまりムリするなよ」

「問題ないよ。任された仕事は私の能力で充分対処できるし順調……それに、そっちに限らず今は……多くのことが良い方向に流れている」

界「そうだな」

「ただ、最近あの子の調子があまりよくないのが気がかり。私がヨーロッパにいっている間、気にかけてあげて」

界「ああ。わかった」

「あの子も……この家に来られるようになればいい。そうしたらきっと更に楽しくなる」

 会話の中にテレビのノイズのような音がずっと混ざり込んでいる。過去の咲は聞いていたかもしれない。しかし、思い出そうとしても一連の会話は全く記憶に残っていなかった。目の前の光景と同じように感触も、匂いも、咲には感覚の一切がおぼろげに感じられる。

「照がいて、咲がいて、あの子がいる……当たり前だけどかけがえのないもの、子どもの頃に思い描いた夢が現実になる」

界「おいおい、俺は入れてくれないのか?」

「あはは、もちろんあなたもね」

 ――――曖昧模糊としていた視界が、その瞬間、克明に像を結ぶ。

 鮮やかな笑顔。その瞬間の母は、笑っていた。それだけで人々に鮮烈な印象を与えるほど軽やかに。

 多くの場合人々の注意や関心を惹きつけるのは、静止した顔の善し悪しよりは、むしろ表情の動き方の自然さや優雅さだ。そしてこのときの母は、飾らない自然な魅力に満ちあふれていた。

 だが、咲の記憶の中で物心ついてから今に至るまで大部分を占める母は、そつのない優雅な立ち居振舞いで印象を刻みつける人だ。泰然としていて、血の繋がった娘の咲でさえやや情緒に欠けて見えるほど淡白で。

 今や思い出の多くとは食い違う。冷悧な印象ばかり際立つ現在の母が、このときだけは明朗快活なはやりにも重なって見えてしまうほど、それくらい、別人のように感じられた。

 古い記憶を遡ると奥底でいつも説明のつかない疑問に突き当たる。それは、物心ついた頃から長野の一軒家で暮らしている自分が、おそらくは物心がつく前に残していた記憶の断片。
 薄ぼやけたそのかつての光景では、やはり自分は長野の家にいて、覚えのある居間の一室で両親が会話する様子を扉の外からこっそり覗いている。

 高校生になった今では、そんなことが実際にあったのかどうか判断できない。それほどあやふやなものだ。しかし、その霧や霞のような記憶を反芻するたび考えてしまうのだ。

 宮永咲の母という人は、いったいどんな人なのだろうかと。

 優しい人だということは知っている。いろんなことを強いるように見えて意思を大事にしてくれることを知っている。

 母の愛情を疑ったことはない。だから、今まで考えないようにしてきた。

 知らなくても信じられる。今のままで不満はないから。

 そうだ――――今のままで、不満なんてない。

「照と咲が生まれ、私は実績を積み上げて一族内での立場を固め、そうしていずれはあの子も……」

「あと少し、あと少しで叶う」

「その時こそ私は勝利を掴む。仮初めじゃない、真の栄光が手に入る」

「桜花のように儚く舞い散るものではなく、永遠を約束する石の加護に極まった栄華が」

界「ああ……そうだな」

 薄ぼけた記憶の井戸で思い出したように会話が再生された。



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