過去ログ - 【艦これ】提督たち「ユウジョウカッコカリ?」【物語風プレゼンPart1.5】終
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17: ◆G4SP/HSOik[saga sage]
2015/05/19(火) 23:44:28.37 ID:GlTqoqR60


しかしながら、いつまでも現在の時間が続かないことを受け容れたとは言え、そこには将来のことがわかってしまった哀しみというものがついてまわっていた。


結局、今回の問題の根本である【島原の乱】を平和的に解決する手段を何一つ【城主】である青年には持ち合わせていないのだ。

この頃、“五条の名君”から“島原の暴君”へと変貌した築城名人:松倉豊後守が行ってきた苛政を後押ししたのは他でもない徳川幕府であり、

たとえ悪政の証拠があったとしても、松倉豊後守の悪政も幕府への忠誠心を示すために仕方なくやっているものだと弁明されたら追及しきれない。

そして、キリシタンの拠点であるフィリピンのルソン島の攻略の最先鋒として幕命を受けてその準備にも取り掛かっているため、

下手に松倉豊後守を失脚あるいは更迭するように干渉すれば幕府への反逆とも受け取られてしまい、

いかに“天の御遣い”と崇められている【城主】でも“生まれながらの将軍様”に楯突くのは明らかに分が悪く、

これから200年以上続く泰平の世においては最大の歴史改変――――――つまりは秩序の崩壊にも繋がりかねないので それだけは絶対に避けねばならなかった。


――――――起こるべくして起きた。


それが【島原の乱】の結論であり、研究によれば松倉豊後守の悪政が深刻化したのも時の将軍によるキリシタン弾圧 強化のお触れによるものであり、

島原に入った当初の松倉豊後守も他の諸大名と同じく、それ以前から弾圧の命は降りていてもキリシタンには手心を加えた対応をしていたようである。

つまり、【島原の乱】の勃発には、キリシタンの弾圧を強めるように脅しをかけてきた幕府にも責任の一端があると言えた。

それから たがが外れてしまったのか、松倉豊後守の身の毛もよだつような恐るべき弾圧が始まるのであった。

そして、それに巻き込まれる形で、分不相応の島原城の築城から始まる島原の財政難の負担を押し付けられた百姓も更なる地獄を見ることになったのである。

こうして、悪逆非道の限りを尽くして自身が提案したルソン島への攻略を目前にして急死を遂げた後に【島原の乱】が勃発し、

その結果として、後を継いだ息子は【乱】の責任者として大罪人扱いで斬首刑に処せられ、当然 改易されてお家断絶となったのである。

元々 島原がキリシタン大名である有馬晴信の旧領であり、そこへの転封の意図を察するに 幕府への忠勤を認められる必要があったとはいえ、

誰が見ても自業自得でしかなく、お家断絶も当然の話ではあるが――――――、


――――――今一度、松倉豊後守という人物について考えてもらいたい。





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